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津地方裁判所四日市支部 昭和44年(ワ)42号 判決 1974年6月18日

原告

広瀬喜之助

ほか一名

被告

内田修造

ほか一名

主文

一  被告らは各自、原告広瀬喜之助に対し金三一一万七、八三五円、原告広瀬忠明に対し金一六万六、三七二円と右各金員に対する昭和四四年四月二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

一  原告らのその余の請求を棄却する。

一  訴訟費用は被告らの負担とする。

一  この判決は原告ら勝訴の部分に限り、仮りに執行することができる。

事実

第一申立

(原告ら)

一  被告らは各自、原告広瀬喜之助に対し金三四六万七、八三五円、同広瀬忠明に対し金一八万四、三八九円と右各金員に対する昭和四四年四月二日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

一  訴訟費用は被告らの負担とする。

一  仮執行の宣言

(被告ら)

一 原告らの請求を棄却する。

一 訴訟費用は原告らの負担とする。

第二請求原因

被告らの答弁

一 事故の発生

1 とき 昭和四二年九月一三日午後四時三〇分ころ

認める。

2 ところ 四日市市大井の川町一の五先県道

認める。

3 加害者(車) 被告内田修道の運転していた被告会社所有の普通貨物自動車(三、4は三、四六一号以下被告車という)

加害者(車)であることは否認、その余は認める。

4 被害者(車) 原告広瀬忠明が同乗し、同広瀬喜之助が運転していた同原告所有の軽四輪貨物自動車(三、6む五、七三二号、以下原告車という)

認める。

5 受傷

(1) 原告喜助之 むちうち損傷、腰部挫傷

入院 昭和四二年九月一六日―同年一二月二〇日(九六日間)

通院 同四二年九月一四日―同四三年一一月一二日(実日数一二〇日間)

以上中根病院

通院 同四三年一〇月九日―同四四年三月二〇日現在なお継続中、

小滝医院

後遺症 右肩関節の運動障害のため、右腕が曲らない(後遺症等級一二級六号)頭が痛む、大便を自力で排泄できない。性欲がなくなつた。

(2) 原告忠明 むちうち症

入院 昭和四二年九月一九日―同年一〇月三〇日(四二日間)

通院 同年九月一四日―同年一二月一二日(実日数二一日間)

以上中根病院

全て不知

後述の三、四番車に乗つていた者らも受傷したが、たいして異常がなく問題とされていないのに、三、四番車より衝撃の少ない原告車に乗つていた原告喜之助が重傷を負うということは極めて疑問である。むちうち症は本人の主訴を中心とする病気であるから、特に疑問である。

6 事故の態様

交通停滞中のところ、被告車(即ち五番車)が前方において停止中の訴外高岡良一運転のセドリツクライトバン(以下四番車という)に追突し、そのため同車がその前車である停止中の訴外古市孝運転の軽乗用車(以下三番車という)に衝突し、そのため同車が更にその前車である停止中の原告車(即ち二番車)に玉突追突したものでるる。原告車はその前車である訴外一番車には追突していない。原告車は上り坂の途中にいたが、三番車以下は平地にいた。

当時交通は停滞中であり、五番車から一番車まで連続していたことおよび五番車と四番車、四番車と三番車、三番車と二番車とがそれぞれ接触し、二番車と一番車は接触していない事実は認める。

その余の事実は否認する。

即ち、本件事故は無免許運転であつた四番車が、運転操作を誤り、突如高速で三番車に追突したことによつて発生したものであり、被告車は右追突の瞬間四番車に追突したものにすぎない。

事故現場は上り坂の途中であり、交通停滞中であつたため被告車は時速二〇キロの低速で発進と停止を繰返していた。よつて被告車の追突力は弱く、かつ被告車は二八馬力重量六二〇キロにすぎなかつたのであるから、八八馬力、重量一、三三〇キロの四番車をかなり前へ飛び出させたうえ、二一馬力、重量五一〇キロの三番車に追突させ、更に三番車を二〇馬力、重量五八〇キロの原告車まで玉突き追突させることは力学上考えられない。

一番車と原告車との間隔は原告車の車長(二九九五ミリ)の一・五倍あつたが、その他の間隔は不明である。本件事故により、原告車の後部、三、四番車の前後部、被告車の前部が各損壊し、被告車は運行不能となつた。

エンヂンルーム内のフアンの一部が損傷したため、エンヂンが動かなかつたにすぎない。

三、四番車に乗つていた者らも受傷した。

上記の者らの負傷は認めるが極めて軽微であつた。

被告内田は運転免許を受けて以来七年間無事故であつたが四番車の運転手は無免許であり、事故直後同人は四番車が三番車にまず追突した事実を認めていたのに、被告内田が警察に事故の申告をして現場へ戻つたときには前言をひるがえしていた。

二 責任原因

1 被告内田修造には前方不注視の過失があるので民法七〇九条の責任

否認する。

2 被告会社は被告車を所有し、自己のために運行の用に供していたものであるから自賠法三条の責任

認める。

三 損害

全て不知(たゞし弁護士費用については別に認否する)

(一) 原告喜之助

1 休業損 七九万三、二〇〇円

(1) 同原告は左官職であるところ、本件事故のため昭和四二年九月一四日から同四三年六月一八日まで二七九日間就業不能となり、うち二〇〇日間(昭和四三年三月末日まで)については日当二、三〇〇円の割合による四六万円、その余の七九日間については日当二、五〇〇円の割合による一九万七、五〇〇円を失い、

(2) 同四二年一二月二一日から同四三年一一月一二日までのうち実通院日数一一八日間は平均して半日しか就業できなかつたから日当を二、三〇〇円とすれば、その半額の一、一五〇円の割合で一三万五、七〇〇円を失つた。

2 逸失利益 一一五万二、九〇〇円

(事故時) 四八歳

(推定余命) 二四年

(労働可能年数) 六三歳までの一五年間

(収益) 日当二、五〇〇円、一ケ月につき二五日稼働するものとして年間七五万円

(労働能力喪失率) 一四パーセント

(右喪失率による毎年の損失額) 一〇万五、〇〇〇円

(ホフマン係数一〇、九八〇)

によれば、

105,000万円×10,980=1,152,900万円

3 入院付添費 九万六、〇〇〇円

入院期間九六日間、一日一、〇〇〇円の割合

妻すゞが付添つた。

4 入院雑費 一万四、八五〇円

氷、木炭、バケツ、ホーキ、栄養品

5 通院交通費

四、八〇〇円 通院日数一二〇日間、バス一往復四〇円

6 文書料 四、三〇〇円

交通事故証明書手数料 一、〇〇〇円

中根病院診断書料 二、八〇〇円

小津医院診断書料 五〇〇円

7 入・通院慰謝料 一〇七万五、〇〇〇円

8 後遺症慰謝料 三一万円

極めて過大で疑問が多い。

9 弁護士費用 二八万円

訴訟委任した事実は認め、その余不知

10 損害の填補

原告車の修理費一万一、六〇〇円に対する損害賠償の他に

金二六万三、二一五円

11 損害残

合計三四六万七、八三五円

(二) 原告忠明

1 休業損 一二万七、六五〇円

(1) 同原告は左官職であるところ、本件事故のため昭和四二年九月一四日から同年一〇月三〇日まで四七日間就業不能となつたので、日当二、三〇〇円の割合で一〇万八、一〇〇円を失つた。

(2) 同四二年一〇月三一日から同年一二月一二日までのうち実日数一七日間は平均して半日しか就業できなかつたものとみて、日当半額一、一五〇円とすれば一万九、五五〇円

2 通院交通費 八四〇円

通院日数二一日間、バス一往復四〇円

3 入・通院慰謝料一七万五、〇〇〇円

4 弁護士料 一万四、〇〇〇円

訴訟委任した事実は認め、その余不知。

5 損害の填補 一三万三、一〇一円

6 損害残

合計一八万四、三八九円

四 結論

よつて被告らは各自、損害賠償金として、原告喜之助に対し金三四六万七、八三五円、同忠明に対し金一八万四、三八九円と右各金員に対する被告両名に対する訴状送達の日のうち遅い方の日の翌日である昭和四四年四月二日から支払ずみまで、民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

第三証拠関係〔略〕

理由

第一交通事故について

(一)  請求原因一の1、2、4の各事実、3のうち被告内田修造が被告車を運転していた事実、6のうち当時交通停滞中であり、五番車から一番車まで連続していたところ、被告車(五番車)と四番車、四番車と三番車、三番車と二番車(原告車)がそれぞれ接触した事実は被告らの認めるところである。

(二)  〔証拠略〕を総合すると、

(1)  事故現場道路は南北に通ずる県道で、車道の幅員一〇メートル、見通しのよい直線道路である。事故地点の南側には道路を横切つて工場への引込み線の踏切があり、北側は大井の川橋へと続いている。右踏切から橋へ向つて約九メートルの間は水平、その先から約二三メートルの間は水平に近い上り勾配、その先はやゝ急勾配となり約七メートル先の地点で六%勾配となり、橋へと続いている。当時雨のため道路は湿潤し、事故地点の南側道路端には水たまりがところどころに出きていた、

(2)  当時北行車線には多数の車が停滞しており、原被告車を含む五番車ないし一番車もその中にあつた。そして被告車は北進してきて右引込線踏切を渡つたが、前車である四番車がそのまゝ進行を続けて行くものと思つたのでセカンドギアで時速約二〇キロメートルに加速し四番車の後方約五メートルに接近したとき急に四番車のストツプランプがついたので急制動をかけたところスリツプし、停止するかしないかという状況にあつた四番車に追突し、そのため四番車は一時停止中の三番車へ、三番車は一時停止中の二番車(原告車)へ次々と玉突追突した、

ことの各事実を認めうる。前掲証拠中、右認定に反する部分は採用しない。

(鑑定の結果は、五番車ないし原告車の玉突衝突が条件如何によつて何通りかありうることを認めている。もつともそのためには四番車が追突されたシヨツクでブレーキから足を全く離してしまうこと、および三番車も追突されたシヨツクによりブレーキ力を著しく弱めることの二大要件が具備されなければならないのであるが、そのことは往々にしてありうることであり、四番車、三番車の運転者の供述も不明確ではあるが、右二大要件の存在を否定するものではない。なお、被告らは、原告らが検証の際に指示説明した各車の位置関係によつた場合は玉突衝突の可能性がないのではないかと考えて、本件鑑定の申請をしたのであるが、鑑定書はその場合も玉突衝突がありうることを認めている。)(次に、被告らは、四番車がまず三番車に追突したあとに二次的に被告車(五番車)が四番車に追突したと主張し被告ら本人の各供述中には右主張に沿うものがあり、前掲甲第一九号証中にも一部右主張に沿うものとみられる部分もないではなく、たしかに、四番車の運転者であつた証人高岡良一の証言中には事故を経験した当事者にしては極めてあいまいな供述もあるが、結局は、「被告車が四番車に追突したため三番車へ追突したもの」と証言しており、他の証拠と合わせ検討してもまだその信用力を否定するところまではいかない。却つて被告内田は、本件事故による業務上過失傷害罪で略式手続による裁判を受け有罪となつていること、捜査段階においても事故直後に行われた実況見分における指示説明や事故の翌日の取調べでも自己の責任を認めていること、更には検証の際、「四番車が三番車に追突した地点の一〇メートル後方で、被害車が四番車に追突した」と指示説明しているのであつて、これは明らかに被告主張の事実と矛盾することけだし、四番車がまず三番車に追突し、その後五番車である被告車が四番車に追突したのであるなら、五番車が四番車に追突した地点は、四番車が三番車に追突した地点から四番車の車長即ち四六九〇ミリ(乙第四号証)より多い一〇メートルも後方である筈はないからである。また被告内田は更に三番車の古市孝に対し物損の支払をしていること(証人古市孝の証言)などの諸事情が認められる。従つて前記被告ら本人の各供述はにわかに信用し難い。)

(三)  原告らの受傷について

原告車は前のように追突されたのであるが〔証拠略〕によると五、四番車、四、三番車の追突は何れも一方がボデーの比較的強い部分に衝突しているのに対し三番車と二番車はバンバー同志が衝突し、バンバーは車体枠の剛性の大きい部分に取り付けられているため衝撃は比較的大きいと考えられるため、五、四、三番車に乗つていた者に比較し、重傷を受けることがありうることが認められる。〔証拠略〕によれば事故のとき、原告喜之助はかなりのシヨツクを受け、しばらくボーとなつて運転席に坐つたまゝであつた事実も認められ、右シヨツクの強さを裏付けるものと考えられる。そこで右各事実に、〔証拠略〕を総合すると請求原因一の5の(1)、(2)の各事実を認めうる。

第二責任原因

(一)  被告内田修造は被告車を運転するに当り、前示のとおり、前方には多数の車が停滞していたのであるから、直前の四番車も一時停止することがあることを予想して通行しなければならなかつたのに、前方の状況の把握を怠つたため、四番車が一時停止することなく進行を続けていくものと軽信して、同車に接近しすぎた過失が認められる。

(二)  被告会社が保有者責任を負うことは被告の認めるところである。

第三損害について

(一)  原告喜之助

1  休業損害 七九万三、二〇〇円

〔証拠略〕によると、原告喜之助は事故時四八歳、極めて健康で息子である原告忠明他一〇数人の職人を使つて左官工事請負業をしていた左官職の親方であり毎月二五日働いて、一般の職人の日当の二倍以上の収入を得ており、一般職人の日当は事故当時から昭和四三年三月末日までは一日二、三〇〇円、同四四年四月以降は一日二、五〇〇円ほどであつた、ところが本件事故のため前示のように九六日間入院し、退院後も通院加療を続け、その間働くこともあつたが疲れがひどく、体力も減退し、せいぜい半日手伝程度の仕事しかできず、同四三年六月一八日までは医学的にみても稼働不能の状況にあつた。そのため昭和四一年度は材料費購入九八万円、同四二年も事故時まで一一五万円余りあつたのが、同四三年には二一万円余りに著しく減少した。昭和四三年秋から同四四年にかけては一応月に一四、五日間働いたが、一日の稼働時間も五、六時間にすぎず、右手が疲れてコテなどを使うことはできなかつた。そのため昭和四四年中の材料費購入も一七万円余りにすぎなかつた。以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

右認定の事実によれば、原告喜之助は、事故時から昭和四三年一一月一二日までの中根病院通院終了時までの間、親方としての収入額は、原告の主張する一般の職人の収入を基準とした一日二、三〇〇円の二〇〇日間、一日二、五〇〇円の七九日間、一日二、三〇〇円の半額の一一八日間分の合計七九万三、二〇〇円を下らないことは明らかである。

2  逸失利益 一一五万二、九〇〇円

〔証拠略〕に、右1に認定した事実を総合すると、原告喜之助は、昭和四四年は、月に一四、五日間、一日五、六時間働いたが、当時から右手は動かずその後徐々に動けなくなり同四六年一月からは寝た切りとなり、全く仕事ができなくなり現在は廃人に近い状態になつていること、事故後右状態に至る過程をみると、まず追突による原告車のシヨツクは小さくないことは前認定のとおりであるが、事故の際原告は首と腹を打ち、事故直後は頭がしびれて何も分らなくなり、ぼうとして運転席に坐つたまゝであつたこと、その後治療はしたが、同四三年一〇月から著しい便秘症が併発し、同四四年一月からは本件事故による頭部外傷後遺症兼過行期うつ病となり、身体障害等級一二級六号の右肩関節運動障害が残存し、その後同四六年一月からは心臓衰弱、肝睡、腹水のため就床加療をするようになり、同四七年七月ごろやゝうつ病は軽快したが、その後悪化し、同四八年七月一二日薬物を服用して自殺をはかつたが一命をとりとめて現在に至つていることが認められ、右認定に反する証拠はない。

右事実によると、原告の現在の病状は事故当初に首と腹を打つたことによるものと考えても矛盾はなく、事故前極めて健康体であつた原告にとつて本件事故以外に右病状の原因は見当らない以上、事故と現在の病状と因果関係があるというべきである。たゞ右うつ病は事故後一年余りして発病したものであり、多分に事故をきつかけとして二次的に発生した心因的原因によるものと認められないでもないので逸失利益を算定するについては公平の理念から全損害のうち右心因的要素による部分は控除するべきものと考える。そこで逸失利益を計算するに、右認定のように昭和四六年一月以後現在に至るだけでも毎年一〇〇パーセントの収入を逸失しているのであり、かつ日当も毎年増加しているのであるから、右心因的要素を相当程度考慮しても原告の親方としての将来にわたる逸失利益は原告の主張する極めてうちわの計算方法によつて算出した一一五万二、九〇〇円を下らないこと明らかである。

3  入院付添費 九万六、〇〇〇円

前示のとおり、原告喜之助は本件事故によつて九六日間入院したのであり、〔証拠略〕によれば、右九六日間の入院には付添が必要であり、かつ、現に原告喜之助の妻広瀬すゞが付添つていたことが認められるから、付添費相当の損害は、昭和四二年秋当時の水準によつても一日一、〇〇〇円の割合で九万六、〇〇〇円であると認めるのが相当である。

4  入院雑費 一万四、八五〇円

原告喜之助が本件事故によつて入院した昭和四二年秋ころの入院雑費は包括して一日当り二〇〇円が相当であるから、九六日分は一万九、二〇〇円となるので、原告の請求する一万四、八五〇円の限度で認容する。

5  通院交通費 四、三〇〇円

前示のとおり原告喜之助は本件事故による受傷のため一二〇日間通院したものであるところ〔証拠略〕によればその交通費として一回につきバス代一往復四〇円の割合で四、八〇〇円を支払つたことが認められる。

6  文書料 四、三〇〇円

〔証拠略〕によれば原告主張の事実を認めうる。

7  入・通院慰謝料 七〇万円

前示のとおりの入・通院日数および病状その他の事情によれば、慰謝料の額は七〇万円が相当である。

8  後遺症慰謝料 三一万円

前示のとおり、右肩関節部に一二級六号の後遺症があり、かつその後廃人に近い状態にある事実に照らすとその慰謝料の金額は原告主張の三一万円を下らないものと認められる。

9  損害の填補

物損に対するものの他、右各損害に対し合計二六万三、二一五円の填補がなされていることは原告の自認するところである。

10  弁護士費用

訴訟委任の事実は被告の認めるところであり、右の損害の填補がなされた後の損害金の残額は二八三万七、八三五円であり特に、本訟の難しさその他〔証拠略〕による約定報酬金額など諸般の事情を考慮すると弁護士費用は原告の請求する二八万円が相当である。

11  そうすると被告らに請求しうる原告喜之助の損害金の合計は三一一万七、八三五円となる。

(二)  原告忠明

1  休業損害 一〇万九、六三三円

(1) 〔証拠略〕を総合すれば、原告忠明は左官職人で本件事故のため事故の翌日の昭和四二年九月一四日から同年一〇月三〇日までの間入院期間四二日間を含めて就業不能となつたが、通常一ケ月につき二五日間働き、日当は二、三〇〇円であることが認められるから、昭和四二年九月分の損害としては、

2,300円×25日間×17/30=3万2,583円(円未満切捨)

となり、同年一〇月分の損害としては

2,300円×25日間=5万7,500円

となる。

(2) 原告忠明は退院後も前示のとおり昭和四二年一一月一日から同年一二月一二日までの間実日数一七日間の通院をしていたのでありその間は完治していないことでもあり、かつ通院に時間をとられ通院した日の仕事は半日程度しかできないことは容易に推認しうるので、その間の休業損は原告主張のとおり、一七日間にわたり日当の半額一、一五〇円ずつの割合による一万九、五五〇円であると認められる。

2  通院交通費 八四〇円

前示のとおり原告忠明は本件事故による受傷のため二一日間通院したものであるところ、前掲甲第六号証によれば、その交通費として、一回につきバス代四〇円の割合で八四〇円を支払つたことが認められる。

3  入・通院慰謝料 一七万五、〇〇〇円

前示のようにむちうち症によつて、事故後五日間(実日数四日間)通院し、その後四二日間入院し、更に実日数一七日間通院したことによる慰謝料は原告の請求する一七万五、〇〇〇円は下らないと認められる。

4  損害の填補

右各損害に対し合計一三万三、一〇一円の填補があつたことは原告の自認するところである。すると損害金の残額は一五万二、三七二円となる。

5  弁護士費用 一万四、〇〇〇円

訴訟委任した事実は被告の認めるところであり、右損害金の額その他前掲甲第一四号証による約定の報酬金額などの事情を考慮すればその金額は原告の請求する一万四、〇〇〇円が相当である。

6  そうすると、被告らに請求しうる原告忠明の損害金の合計は一六万六、三七二円となる。

第四結論

よつて被告らは各自損害賠償金として、原告広瀬喜之助に対し金三一一万七、八三五円、同広瀬忠明に対し金一六万六、三七二円、および右各金員に対する被告両名に対する訴状送達の日のうち遅い日の翌日である昭和四四年四月二日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある限度で原告らの請求を正当として認容し、その余を棄却し、訴訟費用の負担については民訴法八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言について同法一九六条を各適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 加島義正)

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