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津家庭裁判所 平成9年(家)736号 審判 1997年12月24日

申立人 三重県○○児童相談所 X

事件本人 A

事件本人 B

主文

申立人が事件本人らを養護施設に入所させることを承認する。

理由

第1申立ての趣旨及び実情

申立人は、事件本人ら(以下「本人ら」ともいう。)を養護施設に入所させることを承認する審判を求め、その理由として、以下のとおり主張した。

1  事件本人A及び同Bは、父C(以下「C」という。)、母D(以下「D」という。)との間に、その長男及び次男として生まれたものであるが、○○児童相談所長による本件申立て後の平成9年9月4日、父の両親、すなわち本人らの祖父母に当たるEとFとの間で父の代諾により養子縁組をし、その旨届出がされた。

2  本人らは、平成9年6月20日午前11時ころ、三重県上野市において、台風の警報発令中、雨に濡れながら歩き回っているところを匿名通報を受けた○○警察署員により保護された。その際、本人らは、同日朝から食事をとっていないことや、風呂に長期間入っていないことが判明し、同署員によって○○児童相談所に通告された。

3  本人らは、平成9年3月まで、父Cとともに大阪府東大阪市に居住していたものであるが、その後、父とともに上野市に転居したため、大阪府a家庭センターから○○児童相談所に対し、保護者である父の本人らに対する保護の怠慢が著しいので、その保護につき転居に伴う指導をしてほしい旨の依頼があった。この依頼に基づき、○○児童相談所は、同年4月、関係者間で今後の処遇について検討するとともに、本人らを支援しこれを見守ってきた。しかし、家庭での本人らに対する扱いはひどくなるばかりで改善が望めないため、関係者らは早期の保護が必要であると考えていた。

4  ○○児童相談所は、同年6月20日、○○警察署から通告を受けた後、本人らを家庭に戻すことは相当でないと判断し、児童相談所で緊急に一時保護の措置をとった。

5  CとDは平成8年6月5日に離婚し、本人らを含む3人の子らの親権者はCと定められた。Cは、大阪市の運送会社に勤務していたがそこを辞め、三重県内の中古自動車販売会社に勤めるようになった。本人らが上記一時保護された平成9年6月20日当時、本人らの家庭は、Cと本人らのほか、継母G(Cの内縁の妻。以下「G」という。)と、C・G間の子Hの5人で生活していたが、CもGも本人らの面倒を十分にはみなかった。

6  ○○警察で保護された当時、本人らは、生命の危険も伴うような中に放置されていたもので、○○児童相談所では、このような家庭に本人らを戻すことは子の福祉を害することになると判断し、養護施設への入所が相当との方針を決定し、Cに入所の同意を求めたところ、Cは同年8月5日、一度はこれに同意したものの、同月7日、Cの両親に反対されたといって同意を撤回した。そこで、申立人は、同年8月11日、本件申立てに及んだ。

しかるに、Cの両親であるE及び同F(以下「義父母」ともいう。)は、上記のとおり、Cに対する本件審問期日直後の同年9月4日、Cの代諾により本人ら及び三男Iと養子縁組を結び、その旨の届出をするに至った。

7  養父母らは、本人らの養護施設への入所に同意しない。よって、上記入所についての承認を求めるため本申立てに及んだ。

第2当裁判所の判断

1  本件記録によれば、申立ての実情1ないし7の事実のほか、次の事実を認めることができる。

(1)  本人らは、父C(昭和○年○月○日生)、母Dとの間に、その長男及び次男として生まれたものである。CとDとの間には、その後、三男I(平成○年○月○日生)が生まれたが、平成8年6月5日、CとDは離婚し、3人の子らの親権者はCと定められた。Cは、大阪市内の運送会社に運転手として勤務していたが、平成9年3月ころ、上野市<以下省略>に転居し、その後、三重県内の中古自動車販売会社に勤めるようになった。上野市に転居した後の本人らの家族は、Cと本人らのほか、Cの内妻のG(昭和○年○月○日生)及びCとGとの間に生まれたH(平成○年○月○日生)の5人で、同居して生活していた。しかし、CもGも本人らの面倒を十分にみなかった。例えば、本人Aは、上野市立b小学校に通うようになったが、平成9年5月ころから、着替えをせずに登校することが目立ち、食事も家でとらないことが多く、よく空腹を訴えていた。本人Aに対する躾も極めて不十分であった。また、本人Bもc保育所に通うようになったが、着替えをせず悪臭を放つような状態で通園して来ることがあり、主食(ご飯)のみは園児が家庭から持参することになっていたにもかかわらず、これを持参することが滅多になく、コップ、箸、タオルなども洗わず、使ったままの不衛生な状態で持参した。本人Bは、脳梁欠損の障害と精神発達遅滞がみられ、専門家の生活指導が必要な状態であった。さらに、家庭では休日など学校や保育所が休みのときは、朝から本人らを外に出して家の鍵を掛け、また、犬や猫を室内で飼っていたが、同じ場所で本人らを寝かせており、長く風呂に入れないこともあった。なお、三男Iも本人Bと同様に精神発達遅滞と認定されているが、脱腸の状態が悪化して手術の必要があったため、当時、東大阪市の府営住宅に入居していたCの両親に預けられていた。

(2)  本人らは、平成9年6月20日午前11時ころ、台風の警報発令中、雨に濡れながら歩き回っているところを匿名通報を受けた○○警察署員により保護され、本人らが同日朝から食事をとっていないことや、長い間風呂に入っていないことがわかり、○○児童相談所に通告された。

○○児童相談所では、次の事情により、上記通告を受ける以前から、本人らを早期に保護する必要があると考えていた。すなわち、本人らは、上野市に転居するまで大阪府東大阪市に居住していたものであるが、上野市に転居したため、大阪府a家庭センターから○○児童相談所に対し、Cの本人らに対する保護の怠慢が著しいので、その保護につき転居に伴う指導依頼があった。そこで、○○児童相談所は、同年4月9日、関係者(d保健所保健婦、同市保健衛生課保健婦、同市立b小学校長、担任教諭、同市c保育所長、担当保母、同市福祉事務所児童家庭担当者、同相談員、地区担当民生児童委員、主任児童委員、児童相談所児童福祉司、同判定員)の間で今後の本人らの処遇について検討するとともに、それぞれの役割の中で本人らを支援し、見守りを継続してきた。しかし、家庭での本人らに対する扱いはひどくなるばかりで改善が望めなかった。そこで、関係者らは、早期の保護が必要であると考えていたのである。

(3)  ○○児童相談所は、同年6月20日、○○警察署から通告を受けた後、本人らを家庭に戻すことは相当でないと判断し、児童相談所で緊急一時保護の措置をとった。

○○児童相談所では、本人らが○○警察で保護された当時、生命の危険も伴うような中に放置されており、このような家庭に本人らを戻すことは子の福祉を害することになると判断し、養護施設への入所が相当であるとの方針を決定し、同年7月15日、親権者であるCに入所の同意を求めたところ、Cはこれを拒否した。そこで、申立人は、平成9年7月17日、当裁判所に対し、本人らの養護施設入所の承認を求める旨の申立てをした(津家庭裁判所平成9年(家)第×××号、第×××号事件)。ところが、Cが、同年8月5日、本人らの養護施設入所に同意する旨の意思表示をしたので、申立人は、翌6日、上記申立てを取り下げた。しかるに、Cは、同月7日に至り、両親に反対されたとして上記同意を撤回した。そこで、申立人は、再度同年8月11日、本件申立てに及んだものである。

なお、同年8月18日の医師の診断書によれば、原因は不明であるが、本人Aの背部に内出血斑、腰部に火傷の跡があり、本人Bの右下腹部に内出血斑がみられた。また、Gは、同年8月20日ころ、上野市の家を出てCと別れ、Hを連れて東大阪市の実家に帰った。

(4)  当裁判所は、同年8月22日、本人らの親権者であった父Cの陳述を聴取した。その審問期日において、Cは、本人らの施設入所に反対であること、自分は自動車事故を起こして現在免許停止中で定職がなく、家庭は崩壊状態であるが、本人らを東大阪市に住む自分の両親に預けるつもりであるから戻して欲しい旨を述べた。しかるに、Cは上記審問の直後である平成9年9月4日、本人らの父方の祖父母に当たるE(昭和○年○月○日生)及びF(昭和○年○月○日生)が本人らと養子縁組することを代諾し、同日その旨の届出がされた。

(5)  そこで、当裁判所は、平成9年9月30日、新たに本人らの親権者となった養父母を審問した。義父Eは、大阪市内で運送(配送)業に従事し、養母Fと、両名間の三男J(昭和○年○月○日生)、三女K(昭和○年○月○日生)、孫のI(Lの三男)と共に生活していたところ、本人らを引き取っても十分監護養育できること、特に精神発達遅滞のみられる本人Bを引き取っても、自ら専門家の指導を受けさせることができる旨を述べた。

(6)  しかし、養父の住居は、平成7年5月以降、大阪府から賃借していた府営住宅(東大阪市○○○×丁目所在、大阪府営e住宅第×棟・5階建14戸のうち3階×××号室・床面積61・89平方メートル)であったところ、養父は、同年7月分以降、月額1万5000円余の賃料等を支払わず、上記審問当時、大阪府からその明渡しと未払賃料の支払を求める訴えを提起され(大阪地方裁判所平成9年(ワ)第×××号家屋明渡請求事件)、あまつさえ同年3月11日には既に全面敗訴の判決を受けていたのであった。上記審問の後の同年10月16日には、養父は、大阪府から府営住宅の明渡しの強制執行を受け、退去するの止むなきに至った。その結果、養父母ら家族は行き場所に困り、一時養父のトラックに寝泊まりし、ようやく養父の姉の援助を受けて、養父の本籍地に近い肩書住所地の2間のアパートを家賃1か月3万5000円で賃借するようになった。養父は、同所に家族(養母と中学2年生の長女K及び孫のI)を住まわせ、自らはしばらく大阪市等の知り合いの家を転々として上記運送業に従事し、週末に前記のアパートに帰る生活をしている。同年12月11日の家庭裁判所調査官による調査当時、上記アパートには養父の表札はなく、住民登録もしていない。住民票上の住所は上記アパ一トの所在地と異なる。Cからの音信もない。養父は、将来の転居を考えており、住居の安定性に欠ける。また、アパートの敷金等は養父の姉から援助を受けたもので、肉、野菜等の日常の食料品も姉の厚意によりその援助を受けており、養父の月収は20万円台ある模様であるが、経済的には苦しいといえる。大阪府に対する2年分以上の未払家賃等合計40万円余については、確定判決があるが、未だこれを支払っていない。

(7)  本人らは、平成9年6月20日に三重県●●児童相談所に一時保護された後、同年9月10日から三重県の養護施設に一時保護委託されているが、両名とも施設の生活に適応し、躾の十分でない本人らも、専門家の指導の下に安定した生活をしている。本人Bは、言葉の発達が遅れ、いまだに自分の名前もはっきり言えず、時々奇声を発したりしている。同人は、基本的な生活習慣が身についておらず、特に排泄の訓練ができていない。

以上の事実を認めることができる。

2  以上認定の事実によれば、本人らが、平成9年6月20日、台風の警報発令中、雨に濡れながら歩き回っているところを○○警察署員に保護され、○○児童相談所に一時保護された当時、親権者であった父親のCにおいて、本人らに対する監護を著しく怠り、Cに本人らを監護させることが、その福祉を著しく害する結果を生じていたことは明らかである。そして、その後、本人らの祖父母がCの代諾により本人らと養子縁組をし、新たに親権者となったけれども、養父母の監護能力については、C同様に疑問があるといわざる得ない。けだし、養父は、上記認定のとおり、長期間の賃料不払により、それまで居住していた府営住宅の明渡しの強制執行を受けて同住宅を退去し、現在その家族の生活の場は安定しておらず、債務をかかえて経済的に苦しいこと、その上さらに、躾の点や精神発達の点で問題性のある本人らを引き取って、これを現に居住する転居間もない狭隘な住居で監護養育することは、養父が週末等にのみ帰省することを併せ考えると、客観的に、本人らの福祉に合致する監護がなされるものとは到底認め難い状況にある。結局、養父母の生活状況、生活態度、性格、その他諸般の事情に鑑みると、養父母に本人らを監護させることは著しく本人らの福祉を害する結果になるものと認められ、現時点においては、本人らを養護施設へ入所させるのが相当と認められる。

なお付言するに、今後は、養父母の引受態勢について、児童相談所による綿密な調査、指導を経て、時機をみて本人らとの面会等を実施し、将来、ある程度態勢が整った段階で、児童相談所の継続的な指導の下で、養父母に本人らを監護させるのが相当であると考える。

第3結語

よって、本件申立ては理由があるから、児童福祉法28条により、主文のとおり審判する。

(家事審判官 河野信夫)

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