浦和地方裁判所 平成元年(ワ)372号 判決 1993年3月31日
原告
甲野一郎
同
甲野春子
右原告ら訴訟代理人弁護士
時友公孝
被告
乙川太郎
同
乙川夏子
同
丙沢四夫
同
丁海五夫
右被告ら訴訟代理人弁護士
清水洋
同
斉藤博人
同
安田耕治
同
三井明
同
梶原和夫
同
野崎研二
同
石川邦子
同
安原幸彦
同
石井小夜子
同
蒲田孝代
同
下林秀人
同
岡崎敬
同
髙畑拓
同
神山啓史
同
環直彌
同
中村誠
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは、連帯して、原告甲野一郎に対し金二八二一万六六二四円及び内金二五七一万六六二四円に対する昭和六〇年七月二〇日から、内金二五〇万円に対する平成元年二月一九日(被告丁海五夫については平成元年二月二二日)からそれぞれ支払済みまで年五分の割合による金員を、原告甲野春子に対し金二七二一万六六二四円及び内金二四七一万六六二四円に対する昭和六〇年七月二〇日から、内金二五〇万円に対する平成元年二月一九日(被告丁海五夫については平成元年二月二二日)からそれぞれ支払済みまで年五分の割合による金員を各支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行宣言。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨。
第二 当事者の主張
(請求原因)
一 当事者
1 甲野花子(昭和四五年五月二九日生、以下「被害者」という。)は、原告らの長女で、後記本件事件の発生した昭和六〇年七月一九日(以下、月日のみの場合はすべて昭和六〇年である。)当時、満一五歳であった。
2 訴外乙川二郎(昭和四四年九月一八日生、以下「乙川」という。)は、被告乙川太郎及び同夏子の二男であり、本件事件当時、満一五歳であった。
3 訴外丙沢春男(昭和四六年六月一日生、以下「丙沢」という。)は、被告丙沢四夫の長男であり、本件事件当時、満一四歳であった。
4 訴外丁海夏男(昭和四六年三月二七日生、以下「夏男」という。)及び同丁海秋男(昭和四七年三月二二日生、以下「秋男」という。)は、それぞれ被告丁海五夫の長男、二男で、本件事件当時、それぞれ満一四歳、満一三歳であった。
二 本件事件の発生
1(一) 乙川、丙沢、夏男及び秋男の四名(以下「乙川ら」という。)は、七月一八日夜間、窃取した自動車二台に他の仲間三名と分乗し、八潮市内を乗り回していたところ、たまたま、同市内を一人で歩いていた被害者を発見し、同女を車に乗せ、翌一九日午前二時三〇分ころ、八潮市大字新町三〇番地八潮市立北公園(以下「北公園」という。)内で被害者を強姦することを共謀し、乙川らにおいて、衣服を脱がされまいとして抵抗する同女の顔面などを殴打したり、その大腿部などを足蹴りしたりしてその抵抗を抑圧し、同女を全裸にしたうえ、同公園内奥の池付近や草むらに引き連れ、丙沢、乙川、夏男、秋男の順に同女に馬乗りとなったり、同女を四つんばいにさせたりして襲い、丙沢を除く(ママ)三名において現に姦淫を遂げた。
(二) 乙川らは、右非行後、前同所において被害者の殺害を共謀し、同女を自動車に乗せ、前同日午前三時ころ草加市柿木町一一一〇番地先路上に連行し、同所において、同女着用のブラスリップを剥ぎ取り、これで同女の頸部を締めつけ、頸部圧迫及び吐物吸引によって窒息させて殺害した。なお、被害者は右場所より東北約二五〇メートル離れた同市同町字宝一三五一番地一所在の有限会社豊田建興の残土置場(以下「残土置場」という。)で死亡していた(以上(一)及び(二)を以下「本件事件」という。)。
2 なお、秋男を除く乙川らは、九月六日、浦和家庭裁判所において本件事件に対応する後記本件非行事実について中等ないし初等少年院送致の保護処分決定(以下「原審決定」という。)を受け、無実を訴えて東京高等裁判所に抗告したが、同裁判所は、昭和六一年六月一六日、抗告棄却の決定(以下「抗告審決定」という。)をし、乙川らは、最高裁判所に再抗告したが、同裁判所は、平成元年七月二〇日、再抗告棄却の決定(以下「再抗告審決定」という。)をし、右事件は確定した。
三 被告らの責任
1 乙川らは、小中学校時代からの遊び仲間で、いずれもバイク、自動車盗などで数十件もの補導歴を有し、仲間同志で深夜まで遊び歩き、家出をすることも多く、非行を繰り返していた。
2 被告らは、本件事件当時、乙川らそれぞれの親権者であり、未成年者であった乙川ら各人の生活全般にわたって法定監督義務者としての責任を有していた者であるが、少年である乙川らの日常の行動に充分な注意を払い、一般的個別的注意を与えるべき義務があるにもかかわらず、これを放置していた。
少年の行動は、当初は些細なことから始まり次第に増長していくものであるから、乙川らが夜遊び、家出等を行った都度、被告らにおいて生活指導を与えていれば、乙川らのエスカレートする行動を未然に防止できた筈である。
3 被告らの監督義務者としての右注意義務の懈怠と本件事件との間には充分な因果関係が存する。
四 損害
1 甲野花子の逸失利益
一九二四万九七一円
被害者は、死亡当時中学校三年生(一五歳)の健康な女子であり、本件事件により死亡しなければ少なくとも一八歳から六七歳までの四九年間就労可能であったものであり、被害者死亡当時の女子の全年齢平均給与額は月額一七万六五〇〇円であるので、その逸失利益は、ライプニッツ式計算(ライプニッツ係数16.48)によれば、生活費を三〇パーセント控除しても二四四三万三二四八円となる。
原告らは、右損害賠償請求権を各二分の一(一二二一万六六二四円)ずつ相続した。
2 葬儀費用 一〇〇万円
原告らは、被害者の葬儀を行い、その費用を原告甲野一郎において負担したが、右費用は一〇〇万円が相当である。
3 慰謝料 各自一二五〇万円
被害者は、五人兄弟の長女として弟、妹の面倒をよく見て経済的に苦しい両親である原告らの手助けをしていたが、同女の悲惨な死亡により、原告らは失望と悲嘆のどん底に突き落とされた。しかも、被害者は、交通事故等相手方の過失によって死亡したというものではなく、殺人という乙川らの故意によって無理に死亡させられたものであるとともに、死亡前、乙川らによって強姦され、悲惨なまでの最期であったから、その精神的苦痛は交通事故の比ではなく、交通事故の基準よりも遙かに高いものでなければならない。
よって、右精神的損害に対する慰謝料としては、原告ら各自一二五〇万円が相当である。
4 弁護士費用 五〇〇万円
本件事件の弁護士費用は五〇〇万円が相当であり、原告らは各自その二分の一の請求権を有する。
五 よって、被告らに対し、不法行為に基づく損害賠償として、原告甲野一郎は右損害額二八二一万六六二四円及び内金二五七一万六六二四円に対する不法行為の後の日である昭和六〇年七月二〇日から、内弁護士費用二五〇万円に対する本件訴状送達の翌日である平成元年二月一九日(被告丁海五夫については平成元年二月二二日)から、原告甲野花子は同二七二一万六六二四円及び内金二四七一万六六二四円に対する不法行為の後の日である昭和六〇年七月二〇日から、内弁護士費用二五〇万円に対する本件訴状送達の翌日である平成元年二月一九日(被告丁海五夫については平成元年二月二二日)から、それぞれ支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の連帯支払いを各求める。
(請求原因に対する認否)
一 請求原因一の各事実はいずれも認める。
二1 同二1の事実のうち、乙川らが七月一八日夜間に窃取した自動車二台に他の仲間三名と分乗し、八潮市内を乗り回していたこと、被害者が残土置場で死亡していたことは認め、その余は争う。
2 同二2の事実は認める。
三 同三のうち、被告らが乙川らそれぞれの親権者であったことは認め、その余は否認ないし争う。
四 同四はいずれも争う。
(被告らの主張)
一 総論―冤罪―
浦和家庭裁判所は、九月六日、乙川、丙沢及び夏男に対し、同月一八日、訴外A(以下「A」という。)及びB(以下「B」という。)に対し、被害者に対する本件事件に対応する強姦、殺人、強制猥褻の非行事実(以下「本件非行事実」という。)をもって少年院送致の決定をしたが(なお、右保護処分の対象となった非行事実には窃盗等も含まれ、秋男に対しては本件非行事実では保護処分はなされていない。以下、乙川ら、B及びAの六名を「少年ら」という。)、以下に述べるとおり、本件事件は乙川らの犯行によるものではなく、同人らは本件事件とは無関係であって、本件は冤罪である。
本件では乙川らと原告らの請求原因である被害者甲野花子の殺害、姦淫の事実等を直接結び付ける証拠は物証、人証を含め皆無で、唯一の証拠は少年らの捜査段階における自白調書だけであり(この点については抗告審決定も認めるところである。)、ここに本件の際立った特徴がある。すなわち、本件では殺害行為及び動機上その前提となる重要な事実といえる姦淫行為と乙川らとを結びつける証拠は少年らの自白以外全く無く、かえって、後記のとおり、少年ら以外の第三者による犯行であることを強く推認させる客観的事実(被害者のスカートに付着していた精子を含む精液斑が少年らの血液型とは異なるAB型であること、同ノースリーブシャツに付着していた毛髪がAB型であること、同乳房に付着していた唾液斑がAB型であることなど)が多数存在するうえ、乙川らの殺害及びこれに先立つ姦淫に関する自白は重要な部分において客観的事実と矛盾し、いわゆる「秘密の暴露」に相当するものが全くなく、その自白は殺害現場、死体運搬方法など主要事項についてだけでも数多くの点で大幅に、しかも、少年らが軌を同じくして一斉に変遷するという冤罪事件の典型的特徴を備えており、これらの自白は捜査官の誘導と当時少年であった乙川らの迎合によって生まれた全く虚偽、架空のものであり、全く信用することができないというべきである。
二 少年ら以外の第三者による犯行であることを合理的に推定させる客観的事実の存在
1 本件事件当時、窃取した車を乗り回していた乙川らを含む六名の少年らの血液型はいずれもO型とB型であってAB型の者はいないにもかかわらず、被害者が着用していた白色ギャザーカスート後面裏側の六か所には血液型がAB型の精液(精子の存在も確認されている。)が付着していた。
2 同じく被害者の両乳房には血液型がAB型と判定された唾液が付着していた。
なお、捜査機関も右スカートの精液斑及び唾液斑に注目し、犯人の遺留物と認めて、乙川らの自白の裏付けとすべく、これらの血液型がAB型であることが判明した後である八月五日に、身体検査令状、鑑定処分許可状により乙川らの血液を採取して血液型の鑑定をしたが、同人らの血液型がいずれもB型ないしO型との鑑定結果が出たことにより、同日、乙川らの血液型が、右遺留精液及び唾液の血液型と一致しないことが判明したにもかかわらず、自白強要の取調べにより既に少年らから虚偽の自白供述を得ていたことから、「AB型」の精液斑等付着物に関する鑑定結果及び身体検査調書等を、少年保護事件審判の原審である浦和家庭裁判所に審判決定まで一切送致せず、また、本件事件の担当主任検察官であった検察官住田裕子(以下「検察官住田」という。)は、Bの審判期日における付添人の質問に対する証言の中で「決め手になる物証、たとえば凶器から犯人の指紋が検出されたとか、そういう決め手になる物証がございませんでした。ただ、一言付け加えますと、かといって供述に反する矛盾する証拠もなかったと言える。」旨の供述をし、乙川らの自白と決定的に矛盾するAB型精液斑の存在等の事実を隠蔽した(なお、右鑑定結果等は抗告審になって初めて明らかにされた。)。
さらに、原審審判期日に付添人からAB型の唾液と少年らの血液型の矛盾を指摘された捜査機関は、AB型の反応は、被疑者の唾液と被害者の細胞片の混在によって生じた可能性があり、被害者がA型であるから、被疑者としてB型の者も考えうるので、本件少年らの犯行(少年らにAB型の者がいないこと)と右判定結果は矛盾しない旨の捜査報告書(検察官住田作成の九月一一日付捜査報告書)を作成して、A及びBに対する審判中の浦和家庭裁判所に提出し、少年らに対する原審決定後、右報告書の裏付けとして体垢実験報告書〔技術吏員田島敏彰(以下「田島」という。)作成の一一月一四日付体垢実験報告書〕を作成して、東京高等裁判所に提出した。抗告審決定は、これを受けて「本件対象物の血液型がAB型の凝集反応を示したことは、それに含まれていた唾液の血液型がB型である可能性を何ら否定するものではな」い旨判示しているが、右報告書や決定は単なる可能性論をいうに止まり、また、右体垢実験は、単に体垢そのものから血液型が検出されるかどうかを実験したものにすぎず、唾液が混合した場合にどの程度の混合でいかなる反応を示すかを実験したものではなく、科学的な根拠足りうるものではなく、本件において被害者の細胞片と被疑者の唾液の混在について具体的な検査はなされておらず、右混在の事実を具体的に証明する証拠は何ら存在しないのであるから、スカートのAB型の精液斑の存在とを併せ考慮すれば、被害者の乳房にはAB型の唾液が付着していたとみるべきである。
3 被害者が着用していたノースリーブシャツ後面にはAB型の毛髪が付着していた。
少年らと犯人とを結びつける物的、人的証拠が少年らの自白以外に全く存在しないことの他に、これらの客観的事実を併せ考えれば、本件事件は、乙川ら以外の者で、血液型がAB型の第三者の関与による犯行と考えるのが極く自然な見方というべきである。
三 少年らの自白の信用性
前述のとおり、少年らと本件事件の犯人とを結びつける唯一の証拠は少年らの供述だけであるが、抗告審決定は「少年らの捜査官に対する各供述等の内容は、詳細かつ具体的であり、犯人でなければ語ることが難しい実感を伴った体験の供述(中略)を含んでいるうえ、格別不自然なところはなく、被害者の着衣、死体及び犯行現場の状況ともよく符合している。」とし、「原判示事実に沿う少年らの捜査官に対する各供述調書等の内容は、任意性も信用性も十分認めることができる。」として少年らの自白を無批判に措信している。
しかし、自白の信用性を評価するにあたっては、自白調書の供述文言のみを捉え、その表現の迫真性とか合理性をいくら求めても、それで真実性を正しく判断することはできないのであり、少年らと本件事件とを結びつける客観的証拠の全くない本件においては、客観的証拠と自白との不一致、矛盾について、より慎重かつ科学的な検討を行うことによって、その自白の真実性を判断すべきである。このような観点から見たとき、本件事件に関する少年らの自白には、以下に具体的に指摘するように、いわゆる「秘密の暴露」がないだけでなく、著しい変遷(捜査官の関与による供述の変遷)、供述内容の不自然性、客観的証拠との不一致など少年らの供述全体の信用性ひいては任意性について強い疑問を持たざるを得ない点が多数存在する。
1 少年らの自白の変遷―核心部分の供述内容の変遷
少年らの供述内容は、強姦の未遂・既遂、強姦場所、殺害場所、殺害態様、共犯者など事件の骨格部分について著しい変遷を示しているが、特に、その変遷過程には、以下に述べるとおり捜査官の関与を示す顕著な特徴が認められる。すなわち、
(一) 検察官の関与による強姦の未遂から既遂への変遷
乙川ら全員が当初の取調べ段階(七月二三日、同月二四日)では、姦淫の具体的内容については全く触れず、姦淫未遂の供述をしており、警察から検察庁への送致事実も姦淫は未遂とされている。ところが、検察官住田が七月末ころ、本件非行事件捜査当時の鑑定人であった柳田純一鑑定人(以下「柳田鑑定人」という。)から「被害者の膣内、気道内、胃内、直腸内の四か所に精液が遠くに見える。」旨の精液の存在を認めるかのような情報を得た後の八月二日ないし三日になると、突如、しかも、乙川ら全員がコンドーム着用による姦淫既遂の供述をなし、同月七日ないし一〇日になると後背位による性交ないし肛門性交、口淫などの供述が現れ、検察庁から家庭裁判所への送致事実も姦淫既遂とされた。
このように強姦に関する全員の供述が検察官住田において柳田鑑定人から精液の存否に関する情報を得た後に、ほぼ同時期に一様に以前の供述とは全く異なる暴行態様に変更されているという供述の変遷過程からすれば、右変遷の理由は、当初、捜査官が死体解剖時に得た被害者の処女膜が健存しているとの事実を前提とした捜査方針に基づく捜査を行っていたのが、柳田鑑定人から精液の存在や肛門開大といった情報を得たことから、検察官高井康行の主導のもとに検察庁が被害者の膣内、気道内、胃内、直腸内の四か所に精液が存在するとの判断のもとに、①口淫、肛門性交の存在(右四か所の精液存在の可能性と肛門が開大していたことから)、②コンドーム使用(精液反応が充分とはいえないことから)、③膣への陰茎挿入の点については曖昧な供述とする(処女膜が健存していたことから)という捜査方針に変更したことに基づくものというべきであり、このことは、少年らの自白に七月二三日ないし二四日段階では姦淫内容に関する具体的供述が存在せず、八月二日ないし三日から突如としてコンドームを使用しての姦淫既遂の供述内容が現れているように、その変遷が右捜査方針の変更に符合していることからも明らかである(なお、七月二五日から八月一日までの供述調書は全く存在しないものとして少年保護審判手続において提出されていない。)。
なお、乙川らの強姦に関する最終的な供述内容は次に述べるとおりである。すなわち、
乙川 コンドームをつけ、膣に陰茎を五、六回挿入し、コンドーム内に射精した。
丙沢 コンドームをつけずに、陰茎を肛門及び口腔内に挿入し、射精した。
夏男 コンドームをつけ、膣に陰茎を挿入しようとしたが一cm位入っただけで射精していない。
秋男 膣又は肛門に陰茎を挿入したが射精していない(コンドームの装着は不明)。
(二) 強姦現場及び殺害現場の変遷
(1) 七月二三日ないし二四日―残土置場で暴行、殺害
乙川らは、任意同行、逮捕直後の七月二三日ないし二四日の段階では、残土置場で被害者を裸にして乱暴しようとしたが(ただし、姦淫については未遂)、抵抗されたために、そこでブラジャーで首を締めて殺害し、死体を捨てた旨供述しており、緊急逮捕手続書の被疑事実も残土置場での暴行、殺害とされている。
(2) 七月二五日ないし八月三日―北公園で暴行、車中で殺害
ところが、七月二五日以降になって、スーパーマルコーの駐車場でいたずらをし、北公園で強姦をしたうえ、車内で乙川、夏男、丙沢がブラスリップで絞め殺し、車のトランクに入れて残土置場に運んだ旨の供述に全員同時に変更し、それは八月三日ころまで基本的に維持された。
(3) 八月四日以降―北公園で強姦、草加東高校裏で殺害
さらに、少年らは、八月四日以降、北公園で強姦し、草加東高校(以下「東高校」という。)裏で殺害した旨供述を変更し、北公園、東高校裏、残土置場において単独で実況見分を行う中で犯行場所に関して詳しく供述するようになり、八月一二日に実施された乙川、夏男、丙沢三人合同による実況見分を経て、検察官に対する同日付の供述調書で最終的に供述の不一致点が調整された供述がなされている。
(三) 実況見分等による影響
これら強姦の未遂・既遂、強姦場所、殺害場所といった事項の他にも、殺害態様や共犯者などの事件の骨格部分というべき事項について乙川らの供述はぐるぐると変遷しており、その変遷過程や八月一二日に乙川、丙沢、夏男の三名が一緒に実況見分させられた後に急展開して各供述が一致させられていく供述過程にも、捜査官による強い誘導、示唆や残土置場などの犯行現場に関する繰り返しの引き当たりによる予備知識と現場勘の事前形成などの捜査技術によって、捜査官が知りうる犯行現場の客観的事実などから推理作成した筋書きに少年らが迎合黙従していったことが露骨に現れているものといえる。
(四) B、Aの供述の変遷
(1) B―八月五日まで否認し、同月一三日ころから自白供述
Bは、七月段階の任意取調べの時から一貫して本件事件について、少年ら全員が無関係であると否認し続けていたが、八月一三日ころから自白に転じ、その後作成された検察官に対する供述調書では、すでに乙川らが変転の末、固まっていた北公園での強姦、東高校裏での殺害という筋書きによる犯行経過を供述している。
(2) Aの供述の変遷
Aは、少年保護審判手続に提出された調書上は司法警察員に対する八月七日付供述調書以降、乙川らによる北公園での強姦、東高校裏での殺害(A本人は加担していない。)を一貫して供述している形になっているが、すでに七月二三日から三日間の任意取調べにおいて、自身が被害者殺害に加担した(犯行現場については乙川らと同様に最終的に供述された現場とは異なる供述をしていたと推定される。)旨の自白をしているが、七月段階の調書類は少年保護審判手続においては提出されていない。
(五) 取調べ状況等
少年らの取調べに際しては、以上に述べた取調官による示唆、誘導等の他、乙川の母親が草加警察署(以下「草加署」という。)に抗議の電話をしているように警察における取調べにおいては少年らに暴力が振るわれたことも明らかである。これらによって肉体的にも精神的にも抵抗力を持たず、表現能力もはるかに劣る少年らが、捜査官に迎合黙従した結果、たやすく嘘の自白をし、捜査官の誘導や脅かしにより、その意のままの自白調書が作成されていったのであり、本件少年らの自白はまさに虚偽自白作成過程の典型といえる。
(六) 未解明事実に関する供述の特徴
捜査官の関与を示す例は、供述の変遷のみならず、自白と客観的証拠との不一致あるいは何ら説明されていない客観的事実の存在などからも指摘できる。すなわち、被害者の顔面に立てかけられていたコンクリート敷石、眉間の傷、首に巻かれたブラスリップの結びなどは、現場や遺体状況から犯行との関係が明白な客観的事実であるにもかかわらず、捜査官においてもその具体的犯行態様や時期が解明できない事実については、少年らの自白上も曖昧な供述ないし殆ど触れられないままに終わっている。これらの点がいずれも真犯人であるならば、当然すべて合理的に説明できる事柄であり、真に犯行を認めたものならば何ら隠す必要のない事柄であることからすれば、少年らの自白が捜査官の誘導によって作り出されたものであることを如実に示すものということができる。
(七) 捜査機関による証拠隠し
また、前記捜査方針の変更は、捜査機関、殊に、草加署による証拠隠しをもたらした。すなわち、
草加署は、後述のとおり肛門開大の原因が実況見分上のミスにあり、したがって、それが本件事件に無関係であることを知りながら、頬被りしたうえ、全件送致の原則に違反して、当然作成されているはずの七月二五日から八月一日までの少年らの供述調書等を一切送致せず、被害者のスカートに付着していた精液斑が少年らの血液型とは全く異なるAB型である旨の鑑定書なども検察庁に直ちに送致しないなど、捜査官関与による姦淫供述の変遷と客観的証拠との矛盾隠しが行われた。
2 自白内容と客観的証拠(事実)との矛盾、齟齬
また、本件では、以下のとおり、少年らの自白内容に客観的証拠ないし事実と積極的に矛盾、抵触する部分が多数存在する。
(一) 乙川らの前述の強姦(姦淫)既遂供述は、被害者に処女膜が健存し、性交経験がないとの客観的事実に明白に矛盾する。
(二) 丙沢の肛門内、口腔内へのコンドームなしで射精した旨の供述は、被害者の体内に精液及び精子の存在が認められないとの後記事実に矛盾する。なお、被害者の体内四か所に精液の存在の可能性を述べる柳田鑑定人作成の死体解剖鑑定書(以下「柳田鑑定」という。)が誤りであることは後述のとおりである。
(三) また、丙沢の右肛門性交の供述、秋男の「四ツンばいをさせてから後からオマンコした。」旨の供述は、直腸内のみならず、肛門周辺や大腿部にも精液、精子が検出されていないこと、強姦終了後に被害者が身につけたとされるパンティーやスカートにも丙沢の精液斑が検出されていないこと、被害者の肛門部には、肛門性交の経験のない少女が乱暴に陰茎を挿入されれば生じる裂傷等がなく、陰茎が挿入された所見もないといった事実にも矛盾する。
なお、抗告審決定は肛門性交をした旨の丙沢の供述を信用できるものとしているが、右認定は直腸内に精液の存在の可能性を指摘する柳田鑑定の他に、柳田鑑定人による死体解剖時に肛門が開大していたこと、柳田鑑定人の抗告審における尋問調書(以下「柳田尋問調書」という。)において、死亡の比較的直前あるいは死亡直後に何かが挿入されて開かれた旨の指摘があったことにも依拠していると思われるが、仮に生前に肛門性交があったとしても、肛門性交の常習者であっても肛門は直ちに閉じ、開大したままであることはありえないし、柳田鑑定人による解剖に先立って草加署安置室で実施された警察官による死体の実況見分時には、肛門が閉じていたこと、肛門開大の原因としては肛門括約筋を含む全身の筋肉に死後硬直が強く発生した時間帯に機械的に緩解をきたす行為が加えられた場合が考えられることからすれば、肛門開大は、被害者の死後、本件事件とは必ずしも関係のないところ(捜査官による死体の実況見分等)で生じた可能性が大きい。仮に死後の肛門性交が行われたことに基づくものであったとしても、それは生前に姦淫した旨の乙川らの自白と明らかに矛盾することになる。柳田鑑定は肛門開大の事実に引きずられて酸性フォスファターゼ試験結果を判定したといわざるを得ず、それが捜査当局に誤解を生み、迎合しやすい少年らに対する虚偽の供述の押しつけを導き、本件姦淫供述が形成されたというべきである。
(四) 乙川及び丙沢の自白上、「両名がブラスリップの両端を持って、二、三分もの長い時間、思いっきり引っ張った。」とされ、極めて強い力が加わったことになっているが、それは、頸部の絞締力が弱かったという事実に反するし、また、極めて強い力で締められた結果、被害者が東高校裏道路で完全に死亡した旨の供述は、被害者が残土置場で死亡したという事実にも反する。
(五) 被害者の頸部に巻かれていたブラスリップの結び方が特殊で、乙川らの「再現」内容とは一致しない。
(六) 自白上、仰向きにして運び、放置したとされる被害者の死斑が背部の他に前胸部、頬部にも再現している。
(七) 少年らの最終的な自白によれば、被害者殺害現場は東高校裏舗装道路上であり、殺害方法は少年らが被害者着用のブラスリップを剥ぎ取り、乙川がこれを両膝をついて立っている被害者の頸部に巻きつけて締めつけ、被害者が後ろに倒れたあと丙沢と乙川の両名でそのブラスリップの両端をそれぞれ引っ張って頸部を締めつけたというものであるが、被害者の首に巻かれていたブラスリップの中には灰白色の泥土様のものが巻き込まれていたにもかかわらず、東高校裏舗装道路上には灰白色の泥土様のものは存在しないうえ、少年らの自白による殺害態様によれば、泥土様のものをブラスリップに巻き込むことは不可能であることからして、少年らの自白は、ブラスリップの中に灰白色の泥土様のものが巻き込まれていたという事実と矛盾する。
また、最終的な自白によれば、東高校裏路上で殺害した後、乙川、丙沢、夏男は、被害者を抱えて残土置場に運び、死体発見現場に投棄した旨供述しているが、被害者の左足裏(特に踵部と親指付近)が土様のものの付着によって右足裏よりも著しく汚れていること、被害者の右靴が死体の足元の直近から、左靴が右靴よりも残土置場入口に近い同所中央部からそれぞれ発見されていることからすれば、被害者が左靴が脱げた状態で残土置場内を歩いたと考えざるを得ない。
さらに、乙川らの自白によれば、ノースリーブシャツに土砂で汚れる機会がないにもかかわらず、ノースリーブシャツとスカート後面が土砂により著しく汚れている。
このように、被害者の首に巻かれていたブラスリップの中に灰白色の泥土様のものが巻き込まれていたこと、被害者の左足裏が右足裏よりも著しく汚れていること、左右の靴の発見場所が異なること、ノースリーブシャツ後面等の土砂による著しい汚れなどの客観的事実によれば、被害者に対する暴行ないし猥褻行為及び殺害行為は残土置場ないしはその付近で実行された可能性が高いというべきであり、少年らの犯行現場に関する自白と明らかな矛盾を示している。
(八) 丙沢の自白上、1.5mの高さから重さ約12.5kgのコンクリート敷石を被害者に向けて投げつけたとされているが、被害者の顔面の損傷は鼻骨及び鶏冠部骨折という程度に止まっており、右重量のコンクリート敷石の投石により形成された損傷としては余りに軽微にすぎ、しかも、コンクリート敷石によって眉間部の損傷を発生させうる可能性としては犯人が敷石を持って、その角稜部を被害者の鼻根部分に軽くぶつけるような態様しか考えることができないという事実に反する。
(九) 夏男の自白上、同人が被害者のシャツを投げ捨てて逃げる途中、ゴロゴロという音(丙沢が投棄したとされているコンクリート敷石が転がる音)を聞いたとされているが、コンクリート敷石の上に右シャツが載せられていたという事実に反する。
3 自白に対応する裏付け証拠の不存在
本件では、乙川らによる強姦、殺人の実行行為に関する自白を直接裏付ける証拠が存在しないばかりか、次のとおり、捜査の結果、当然に裏付けが得られてしかるべきであると思われる事項についても、少年らの自白内容を裏付ける客観的証拠が存在しない。
(一) 少年らの自白上、少年らが被害者を長時間乗せていたとされる自動車二台から採取された多数の指紋、足跡、毛髪等の遺留物には被害者を特定づけるものが存在せず、また、犯行現場から採取された足跡、タイヤ痕、被害者の着衣等の遺留物には少年と被害者が接触したこと及び現場に立ち入ったことを示す痕跡が一切ないうえ、乙川らの着衣、靴等からも同人らが被害者が発見された残土置場に立ち入った痕跡が認められないことなど少年らの本件犯行内容に関する自白を裏付けるものは一切発見されていない。
(二) 乙川らの被害者の体内(肛門内、口腔内)に射精したという自白にもかかわらず、被害者の体内、体表、下着等の衣類からは乙川らの精液は一切検出されていない。なお、被害者の体内における精液反応の有無については後述のとおり精液は存在していなかったものとみるべきである。
(三) 自白上、強姦行為に際し使用し現場に捨てたとされるコンドームが一つも発見されていない。
四 原審決定及び抗告審決定を支える柳田鑑定とその問題性
1 柳田鑑定の問題性
(一) 総論
(1) 原審決定、抗告審決定は、いずれも柳田鑑定人による死体解剖に立ち会った司法警察員及川吉治作成の解剖立会い結果報告書(以下「及川報告書」という。)、柳田鑑定及び柳田尋問調書にほとんど依拠している。しかし、柳田鑑定人による解剖に付される前に、捜査機関が遺体の見分を行い、被害者の頸部に巻かれていたブラスリップを切断し、顔面の血痕を拭き取り、硬直箇所を緩解させ、あるいは体内外の付着物等を検索するなどしたため、死因、死後経過時間などの鑑定上不可欠な資料を柳田鑑定人自身が見分できなかった結果、右三点の証拠方法は相互に矛盾する内容を有し、また、重要な部分において曖昧な点が多く、それ自体の信用性に疑問を持たざるをえないものとなっている。
(2) 新証拠による柳田鑑定の評価
しかも、抗告審決定以降に得られた北里大学医学部教授船尾忠孝作成の意見書(以下「船尾意見書」という。)、大阪市立大学教授医学部助川義寛作成の鑑定意見書(以下「助川意見書」という。)、藤田学園保健衛生大学医学部教授内藤道興作成の意見書(二通、以下それぞれ「内藤意見書(一)」「内藤意見書(二)」ないし「内藤意見書」という。)、当審における証人内藤道興証言(以下「内藤証言」という。)、証人柳田純一証言(以下「柳田証言」という。)などの新証拠(なお、船尾、助川両意見書を除く証拠は再抗告審決定以後得られた新証拠である。)によって、後記のとおり、被害者の体内に精液の存在が認められるか否か及び頸部損傷の成因等の客観的事実について、柳田鑑定とは全く別の解釈を採るべきことが判明し、原審決定及び抗告審決定が全面的に依拠した柳田鑑定の信用性に決定的な疑問が生じ、さらには少年らの自白内容とそれらの客観的事実との間に大きな矛盾の生じることが明らかとなった。
(二) 被害者の体内の精液の存否
(1) 柳田鑑定
柳田鑑定は、酸性フォスファターゼ反応が、
①膣内容 淡紫青色(一実験)、淡紫赤色(二実験)
②直腸内容 微紫青色(一実験)、微紫赤色(二実験)
③胃内容 淡紫青色(一実験)、淡紫赤色(二実験)
④気道内容 淡紫青色(一実験)、淡紫赤色(二実験)
と①ないし④がいずれも弱く、ないし極めて弱く陽性の成績を呈したことにより、極めて少量の精液が存在したとして、鑑定主文で、明言できないとしながらも、「膣、直腸、気道、胃内には極めて少量の精液が存在していたのではなかろうかと考えるのが妥当であろう。」とし、原審、抗告審はともに右鑑定結果に依拠して膣、直腸、胃、気道のいずれにも精液が存在していた旨判示している。しかし、柳田鑑定の右表現は極めて微妙、かつ、曖昧なもので法医学に素人の捜査官や裁判官に誤解を与えるものである。
(2) 精液が被害者の体内に存在していたとする認定の誤り
ところが、前記新証拠によって被害者の膣、直腸、胃、気道に精液は存在していなかったことが明らかにされ、これと矛盾する少年らの自白は信用できないことが明らかとなった。すなわち、
① 柳田鑑定の法医学的評価
船尾意見書、内藤意見書及び内藤証言によれば、精液は酸性フォスファターゼ試験に著しく鋭敏に反応し、陽性の場合は「濃青色」を呈し、ほんの僅かな量、精液斑の痕跡が付着した繊維片一本でも反応するが、酸性フォスファターゼはヒトのほぼ全身の主要臓器に広く分布し、同試験は精液以外の膣液、糞便などヒト体液などにも陽性反応を示すため、酸性フォスファターゼ検査のみで前立腺由来のものか否かを厳密に識別することは困難であり、また、L酒石酸により酸性フォスファターゼ反応が阻害された場合でも、そのことによって直ちに前立腺由来の酸性フォスファターゼであるとの確証は得られず、しかも、酸性フォスファターゼ試験成績が弱陽性反応を呈する場合には特異的な精液の証明とはならず、精液の存在が証明されたと結論づけることは極めて危険であること、人体内から採取した検査対象の場合には精子そのものを確認しない限り姦淫の事実の存在を証明する根拠とはなしえず、本件の場合(少年らの自白によれば)、射精の四〇ないし五〇分後に被害者を殺害したというのであるから精子が発見される可能性が高いにもかかわらず、精子が発見されていないこと、検査対象の結果が四点とも同じであることなどから、精液以外の被害者の体液によって生じた類似反応と見るべきであり、柳田鑑定における精液検査の結果は、精液付着(存在)が証明されなかったと判定するのが妥当であるというべきであって、柳田鑑定の結論は誤りである。
② 乙川らの姦淫供述と柳田鑑定の矛盾
精液が酸性フォスファターゼ試験に著しく鋭敏に反応し、ほんの僅かな量でも反応することからすれば、抗告審決定が「反応が小さかったのは量が少なかったから」としている点は明確な誤りである。丙沢の自白によれば、同人はコンドームをつけないで肛門、口腔内に射精したというのであるから、その量は極端に小量とは到底考えられず、仮に自白が真実であれば明確な「濃青色」反応を呈するはずであるから、鑑定結果と右自白内容は明らかに矛盾する。
なお、抗告審における柳田尋問調書によれば、柳田鑑定人は被害者の肛門が解剖時に開大していたことを受けて「肛門性交の場合、開大によりそこから九分九厘漏れ流れてしまう。」旨述べているが、少年らの自白によれば肛門は直ちに閉じたはずで、そのような可能性はありえないだけでなく、仮にそうだとしても、精液が完全に流れ出ることはありえず、酸性フォスファターゼ試験に鋭敏に反応するはずであるし、流れ出た精液が自白によれば姦淫後直ちに被害者が身につけたとされるパンティや肛門周辺に付着するはずであるが、パンティや体表面には精液の付着は一切認められていないし、胃、気道については精液が流れ出ることはありえず、少年らの自白によれば、明確な「濃青色」の精液反応が出なければならないはずである。
さらに、少年らの前記自白によれば、膣には精液が存在せず、肛門、気道、胃に精液が存在するはずであるが、精液が存在しているはずの胃内容、気道内容と、精液が存在しているはずのない膣内容が全く同じ反応を示していることは理解しがたいことである。
③ 客観的事実と柳田鑑定の矛盾
また、膣内に精液が存在するとの柳田鑑定並びに原審決定及び抗告審決定の認定は、被害者の処女膜が健存しているという客観的事実と矛盾する。なお、柳田尋問調書によれば、柳田鑑定人は膣内容物採取の際、膣周辺の体表面に付着していた精液が入った可能性のあることを指摘しているが、右指摘は被害者の体表面に精液が付着していなかったという客観的事実に反する。
④ 以上によれば、被害者の体内に精液は存在しなかったと見るのが正しく、被害者の体内に精液が存在する旨の柳田鑑定が誤りであり、その結果、それに依拠した原審決定及び抗告審決定の認定が誤りであることが明らかとなり、少年らの自白が根幹から崩れることになる。
(三) 頸部損傷の成因
(1) 柳田鑑定
柳田鑑定によれば、被害者の頸部には、幅四〜七cmで陥没が認められない帯状のやや著しく蒼白の部分と、幅0.2〜0.5cmの索溝及び皮膚の変色部が存するとされ、右二つの損傷について区別することなく「頸部を比較的強く圧迫したために引き起こされたものと考えられ、致命傷」と認定し、その成傷器について「表面の滑らか、ないし、やや滑らかでないもので頸部を圧迫することにより引き起こされたもの」と推定し、原審決定及び抗告審決定は右鑑定に依拠し、ブラスリップで締めたとする乙川らの自白は信用できる旨判示した。なお、柳田尋問調書において、右幅の狭い変色部はブラスリップの一周目と二周目との間に挟み込まれたことによって形成された可能性が指摘されている。
(2) 柳田鑑定と及川報告書との矛盾
柳田鑑定には成傷器の幅についての記載が一切ないが、柳田鑑定人が解剖時には「表面の滑らか、ないし、やや滑らかでない幅のせまいもの」と明確な指摘をしていたとする及川報告書と矛盾するし、仮に後日の精査により判断が変更されたとしても、その点について何ら合理的な説明はなされていない。
(3) 柳田鑑定の法医学的評価
助川意見書によれば、前記幅の広い蒼白部についてはブラスリップ様の繊維製品によって生じたものといえるが、幅の狭い変色部については、可能性として、①ブラスリップ様の繊維製品の内に0.2〜0.5cmの幅の水平に走る表皮剥奪と索溝を生じうる異質の硬組織が含まれていたかどうか、②幅0.2〜0.5cmに認められる別種の紐類が使用されたかを検討すべきとして、成傷器として平紐状の索条体を推定するとして、柳田鑑定を批判している。
なお、ブラスリップ様の繊維製品のうち硬組織として考えられるブラスリップ肩紐部分は二周目の外側の結び目部分に表れていることから右①の可能性は否定され、柳田尋問調書における前記指摘についても、通常、索条帯の挟み込みによる皮内出血を作るのは、質の固い紐、ロープなどで、質の柔軟なブラスリップでは極めて困難であるし、挟み込みによる皮内出血による形状は細長い紡錘形を基本形とし、それを組み合わせた形状とされているのに、本件では殆ど頸部を周囲するに近い索痕の形状であり、右の一般的形状とは一致しないことから否定されるべきである。
(4) 以上によれば、幅の狭い変色部は、絞殺に際し、ブラスリップとともに、あるいはブラスリップとは別の機会に、ブラスリップ以外の別種の紐類が使用されたことによって形成されたものと考えるべきであり、この事実は、頸部成傷器に関する乙川らの自白と明確に矛盾し、その信用性が否定されるのみならず、原審決定及び抗告審決定の認定が誤りであることになる。
2 原審決定及び抗告審決定の問題点
原審決定及び抗告審決定には、それらが依拠した柳田鑑定そのものに前述のとおりの問題点がある他、さらに、以下のような問題点が存在する。
(一) 原審決定の問題点
原審では前述のとおり捜査機関による証拠隠しのために全件送致の原則が無視され、スカート付着精液斑がAB型の反応を示したとする鑑定結果、被害者の顔面に載っていたコンクリート敷石、死体解剖の鑑定書を含むいくつかの重要な証拠が送付されず、原審が取調べた証拠は少年らの各供述調書とこれらを基に捜査機関が作成した実況見分調書や報告書にすぎなかった。その結果、原審決定は、捜査機関に対する盲信的信頼の下に少年らの審判廷での否認供述を信用できないものと排斥し、検察官送致事実どおりの本件非行事実を認定した。
(二) 抗告審決定の問題点
抗告審では捜査機関に領置されているすべての物証及び証拠書類を送付させたうえで審理が行われたが、抗告審決定は、前述のとおり、自白調書の信用性を分析的、客観的に判断することなく軽々に肯認し、被害者のスカートに付着していた精子を含む精液斑がAB型であること、同ノースリーブシャツに付着した毛髪がAB型であること、同乳房に付着していた唾液斑がAB型であることといった少年らの自白と矛盾し、同人らにとって有利な物証はすべて何ら合理的根拠のない抽象的な「可能性論」によって無視、排除し、まさに自白偏重の裁判であった。また、抗告審において捜査機関に領置されていたすべての証拠書類が送致されていたはずであるにもかかわらず、再抗告審を含む少年保護審判手続において提出されずに、本件訴訟になって初めて明らかになった証拠書類も存在する。
(三) 以上のとおり、原審決定及び抗告審決定では捜査機関による証拠隠しのための全件送致の原則違反とともに、自白偏重の裁判が行われた結果、少年らの本件非行事実が認定されたのであり、その冤罪性は明白である。
(被告らの主張に対する原告らの認否)
被告らの主張はいずれも争う。
(原告らの反論)
一 自白の任意性について
1 被告らは、少年らの自白は捜査官の誘導と少年らの迎合による合作であると主張するが、少年らの自白の任意性については抗告審決定が詳細に述べているとおりであって、これに尽きるものであるが、以下の点を特に強調しておく。
すなわち、乙川は、七月二三日、草加署員に任意同行を求められ、同署での任意取調べ開始後それほど時間が経過しないうちに、被害者殺害の事実を供述し、同日午後一〇時四五分に逮捕されているが、同人がこのように殺人という重罪について、しかも、事実を認めることがどのような意味を持つかを充分に承知したうえで、任意取調べを受け始めたその日のうちの早い段階で被害者殺害の事実を認めたことは、真実を供述したと理解するほかないというべきである。
2 被告らは、任意取調段階で暴行、脅迫を受けたことにより自白した旨主張するが、それも以下の理由により否定されるべきである。
(一) 乙川の性格、性状
乙川の性格には、原審決定が「その前後に犯した窃盗の手口も大胆かつ積極的なものであり、ことに少年は、共犯者らの中の最年長者として終始主導的役割を演じながら、反省悔悟の念は全く薄く(中略)知能面においては準普通域にあるが、性格面において、気弱で自信、自発性、耐性が乏しく、自己顕示性、欲求本位の行動傾向が高く、現実洞察に欠け、物事に感情的に反応し、他罰的で、内省・共感性・対人協調性に欠け、目上の者や規制に対し表面的には一応従う姿勢を示しながらも、自己の意志が無視されるや、反感や攻撃性を内に秘めるなど偏りが認められ」と指摘しているように非行少年の典型的な面が窺われ、同年配の少年と比べて相当したたかな人間性が認められる。
(二) 乙川の捜査段階における暴行、脅迫の主張について
乙川は、前述のような段階で自白したのは、取調官から暴行、脅迫を受けたからであるという。
しかし、万が一このようなしたたかな少年を自供させるほどの暴行、脅迫が加えられたとすれば、その程度は相当強度なものでなければならないはずであり、そうであるとすれば、七月二四日の検察官による弁解録取、同月二五日の裁判官による勾留質問の際など、右暴行、脅迫の事実を訴える機会は何度もあったのに、それを全く行うことなく被疑事実を認める供述をしていることは極めて不自然、不可解なことというべきである。
しかも、暴行、脅迫の内容についても具体的な主張がなされて然るべきであるにもかかわらず、乙川は、否認に転じた八月二六日の浦和家庭裁判所における審判期日において、裁判官から尋問を受けた際にも、捜査官による暴行、脅迫を受けた事実について何ら述べることはなかったし、右審判期日に従前捜査官に対し虚偽の供述をした理由について、①警察に何度言っても信じてくれないから、切りがないから、でたらめを言った、②皆やったと言っているのだぞと騙されたという二点を挙げているが、これでは、無理に供述させられたという暴行、脅迫を合理的に疑わせる理由とはなり得ないことは明らかである。
さらに、少年に付添人がついた場合に、付添人が少年との面会の際に、少年から自己の真意に反して自供した旨聞けば、付添人としては、その原因を追求して、暴行、脅迫の事実があったことを知れば、検察官あるいは裁判官の面前で強く訴えることを指示するなど何らかの働きかけを行うであろうし、また、それが付添人として当然の職務であるにもかかわらず、そのような行動が審判まであったことを窺うこともできない。
まして、即日自供したのは乙川だけでなく、少年ら全員であるから、被告らの主張によれば、草加署は少年ら全員に対し、強度の暴行、脅迫を加えたことになるのに、八月二六日の原審審判廷で否認したのは乙川と丙沢だけで、しかも、丙沢の虚偽自白の理由は、乙川よりも不明瞭なもので、まともに答えられないほどのものであった。一方、夏男、A及びBは、裁判官に対しても従前どおり素直に本件事件に対応する本件非行事実を認め、特に夏男においては両親同席のうえで裁判官に対し右非行事実を認めており、同人の言動からは暴行、脅迫といった無理な捜査の様相は一片だに見受けられないのである。
(三) このようなことからすれば、任意取調段階で暴行、脅迫を受けたことにより自白したとの被告らの主張は極めて不可解なものというべきである。
二 自白の信用性について
被告らは、少年らの自白内容と客観的事実との不一致などを指摘して、その信用性に疑問を呈しているが、次に述べるとおり、少年らの自白は、必ずしも、客観的に矛盾、抵触するものではない。すなわち、
1 酸性フォスファターゼ反応について
本件において酸性フォスファターゼ反応が、被害者の膣内容、直腸内容、気道内容、胃内容いずれにも弱く、ないし極めて弱い成績であったという検査結果が出た可能性としては、①極めて少量であるが精液が存在する、②精液が存在しないの二点が考えられ、被告らは、②の可能性を指摘し、精液の存在が認められないことは肛門性交、口腔性交がなかったことを意味し、肛門性交、口腔性交を行ったという丙沢の捜査段階での供述は真実に即せず、右供述自体の信憑性を疑わせ、ひいては本件事件全体の構成を否定するというものである。
しかし、本件では、以下に述べるとおり、右①②いずれの可能性も共に考えることができ、しかも、そのことは丙沢の捜査段階における右供述とも矛盾するものではないというべきである。すなわち、
(一) 丙沢は、本件事件当時、一四歳一か月余で女性との性体験は皆無であり、性的感覚は未成熟なうえ、家出中の気の合う仲間と深夜人気のない場所で強姦しようという異常な状態においては、その興奮の度合いは極度に達していた。しかも、丙沢は、リーダーともいうべき年上の乙川から姦淫の一番手を命じられ、リーダー格の乙川が後に控え、丁海兄弟が、今か今かと順番を待っている状況の中で、未経験による戸惑いと不安感や何とか遂行しなければという焦りは相当なものであったと窺え、加えて、姦淫場所が斜面になっており、さらに、ズボンをはいたまま、短パンの右裾から陰茎だけを出して行為に及んだことなどが重なって、結局、勝手がわからず陰茎を膣口に挿入することができなかった。
そこで、丙沢は、何とかしたいという焦りから以前ビデオで見たことのある肛門性交を思い出し、実行に移したが、肛門は男女同じ位置にあり、手で触ればその位置がわかりやすいため、陰茎を押し当てて挿入できたことは容易に推察できる。丙沢は、「甲野さんの肛門に押し当て、力を入れて中に入れようとしました。結局キンタマの頭のところだけが肛門の中に入りました。もちろん肛門にキンタマを入れたのはその時がはじめてでしたが、いい気持ちでした。そこで力を入れてもっと中に押し込もうとしたら、キンタマから精液が出ました。」と供述しているように、極度の興奮状態と焦りの中で肛門に陰茎が入り、安堵感を感じるとともに快感を受け、これに力を得て、さらに挿入したら精液が出た感じがした(精液が出たことを視認したわけではなく、感じがしたというべきである。)旨述べているのであるが、擬似的な射精感は一四歳ころの未成熟な時期にはあり得ることであり、射精したと思い込んだ一過性の快感を得ても実際には精液が出ないこともあり得るし、また、精液が出たとしても、それは少量であったとも考えることができる。
(二) また、通常、普通量の精液が出たとすれば、性的な満足感を得るはずであって、男性の行為はそれで終了するものである。
ところが、丙沢は、乙川の姦淫終了後直ちに、再び姦淫行為に及んでおり、たとえ肛門内でも通常の射精が行われていれば、満足感があり、直後の二度目の挑戦は考えられないことからして、丙沢は肛門性交で通常の射精がなく不満だったので、直後の姦淫行為に出たとも考えることが可能である。
丙沢は、二度目もズボンをはいたままという行為しにくい状況であったこともあり、姦淫に失敗し、膣への挿入を諦め、口腔性交を試みたが、同人の捜査官に対する供述調書によれば、陰茎の頭の部分だけを口の中に入れただけで直ちに快感(射精)を得たようである。これも通常量の精液が出たにしては簡単すぎ、擬似的な快感で終わったとみることも充分に可能である。
(三) 丙沢の右興奮、焦りの状況や陰茎を肛門又は口腔へ挿入後直ちに快感を得たという事情によれば、丙沢本人は精液が出た旨供述しているが、それらを正常な射精と考えることはできず、快感は擬似的な射精感に過ぎず、精液は出なかったか、出たとしても極めて微量なものにとどまっていた可能性があるのであるから、前記①②いずれの可能性も共に考えることができ、しかも、そのことが丙沢の捜査段階における供述とも矛盾するものではないということができる。
2 頸部の損傷について
柳田鑑定によれば、被害者頸部にブラスリップによる幅の広い圧迫痕のほかに前頸部右側から項部やや左側までに0.2〜0.5cmの水平に走る暗紫赤色帯状の変色部がみられ、被告らは、助川意見書を引用して右変色部は幅の狭い索条物により形成されたもので、そのことはブラスリップとは別種の紐類が別の機会に使用されたことを示唆し、少年らの自白内容と矛盾し、その信用性が否定される旨主張しているが、右意見書には次の疑問点があり、信用できない。
(一) 助川意見書が推察するように頸部をブラスリップより幅の狭い(0.2〜0.5cm)硬組織又は紐類で絞めたとすれば、頸部の全周に三〇cmの帯状の変色部分が残らなければならないのではないかとの疑問がある。
しかるに、被害者に存在する変色部は、前頸部右側の右耳朶部の前下方八cmから水平後方に項部左側、左耳朶の後下七cm(後正中線の左方五cm)のところまでの頸部全周の三分の一強しかなく、全周にはほど遠いものである。このように三分の一強の長さだけ帯状の暗紫赤色部分を残し、それ以外には全く痕跡を残さない索条物を考えることはできない。助川意見書では縫い目がないことから平紐状の索条体を想定しているが、平紐状のもので頸部右側から項部当たりまでの索痕を残すものが手近にあったとも考えられない。
(二) また、ブラスリップで細い帯状の変色部が形成される可能性として、以下の三つの場合を考えることができ、細い帯状の変色部がブラスリップでは形成されない痕跡であると断定することもできない。すなわち、
(1) 被害者の頸部にはブラスリップが二周して結ばれているが、一周目と二周目の間に同女の髪の毛が挟みこまれており、その位置は帯状変色部に完全に一致している。したがって、軟らかいブラスリップによっても一周目と二周目との間に髪の毛を挟みこむことによって隙間ができ、ブラスリップ本体により圧迫された静脈が一周目と二周目に沿って集まり鬱血を形成する可能性が考えられる。
(2) また、ブラスリップのブラジャー部分には乳房の形を整えるために比較的固い縫い目があり(場合によっては金属が使われていることもある。)、本件では必ずしも明確ではないが、少なくとも硬い縁取りがあるから、この周囲の固い部分が頸部皮膚を圧迫して索溝を残した可能性も考えられる。
(3) さらに、ブラスリップの二本の肩紐のいずれかが帯状にブラスリップ本体に挟みこまれ、表皮に食い込んで索痕を残し、長さを調節する金具(或いはプラスチック)が表皮を傷つけ、若干の表皮剥離を惹起することもあり得ないわけではない。
(三) よって、ブラスリップとは別種の平紐状のものが使用されたことは考えられず、また、平紐状のものを使用し、それを取り除いた後、さらに丁寧にもブラスリップで絞め直すなどということも考えられない。
3 頸部の絞め方の強度と自白の矛盾について
柳田鑑定、助川意見書は、いずれも頸部圧迫にそれほど強い力が加わったとはしていないし、軟らかく幅の広いブラスリップで絞めたのであれば、頸部に加わる力は頸部の広い面積に均等に、かつ分散して及ぶものと考えられるのに対して、少年らはブラスリップを力一杯引っ張った旨供述している。
しかし、一四、一五歳の平均的少年の筋力は充分なものとはいえず、成人の力とは比較にならないし、被害者を殺害しようというとても正常とはいえない精神状況下で加えた力は、仮に本人が力一杯といってもそれほど強いものであったとは考えられないから、頸部の絞め方の強度と自白とは必ずしも矛盾するものではない。
4 コンクリート敷石の落下と鼻梁部損傷の関係について
被告らは、1.5mの高さから落下したコンクリート敷石がまともに鼻梁部の一点に衝突した場合、本件の如き程度の損傷ですむはずはないから、被害者に1.5mの高さからコンクリート敷石を投げ落とした旨の丙沢の捜査段階の供述は虚構の事実であり、その自白全体の信用性が否定される旨主張する。
なるほど、経験則上、12.5kgの重量のあるコンクリート敷石が1.5mの高さから落下し、鼻梁部の一点のみに衝突した場合に、この程度の傷害で済むはずのないことはいうまでもないが、高さがより低く、落下エネルギーが当初から少なかったか、落下距離が1.5mであったとしても落下エネルギーがまず他の部分に吸収され、比較的小さくなって鼻梁部に衝突した場合にはこの程度の傷害で済む可能性は充分にある。
そして、死体発見時のコンクリート敷石は、下方角を死体左腕脇の地面の上方に置き、上方角は鼻梁部損傷部分より下へずれて、主たる重量を左腕に載せていたのであるから、コンクリート敷石は、ある角度をもって死体方向に落下し、まず、コンクリート敷石下方角が死体左腕手前の地面に当たり、次いでその反動で上方角付近が鼻梁部に当たり、さらに上方角が僅かに左へずれ、鼻梁部損傷部分より数cm下で左腕、左肩、顔面部に載る状況で停止したものと推測され、コンクリート敷石の落下エネルギーの大半は最初に衝突した地面に吸収され、残ったエネルギーは上方角が鼻梁部に衝突した際にほとんど吸収されたが、それでも僅かに残ったエネルギーが鼻梁部損傷部位より数cmずらしたと見るのがもっとも自然な見方である。
また、コンクリート敷石が垂直落下であれば、最初の衝突部位であるべき地面にエネルギーの大半は吸収され、残ったエネルギーは極めて微弱となるが、本件では投棄されているから、敷石は放物線を描いて落下し、かつ、敷石自体地面に対し浅い角度で当たっているため、直下型よりも相当のエネルギーを残したまま鼻梁部に当たったと思われ、そのため鼻梁部の傷は比較的深いものであり、鼻骨及び鶏冠部が骨折し、数本の亀裂が生じている。
助川意見書は「もしも他に接触部が存在するならば、その面積分だけ作用力は分散するが、本件の死体にはそれに相当する損傷部が存在しない。よって(中略)コンクリート敷石が1.5mの高さから(中略)投棄したときの損傷と想定することは困難である。」としている。しかし、最初の衝突はコンクリート敷石下方角とみるべきであり、それは明らかに地面に接しうる状態にあるから、コンクリート敷石は、そのエネルギーを地面と鼻梁部にのみ吸収させ、左腕には特別傷を残すほどのぶつかり方はしていないというべきであり、必ずしも、助川意見書のようにいうことはできない。本件では静止しているコンクリート敷石自体の重量は腕部分にもかかっていたため、敷石を取り除いたあとの左上肢、左肩には蒼白色の部分が見受けられるが、そこに傷がないのもまた自然である。
5 ブラスリップ周囲の泥土様物について
被告らは、残土置場における死体のブラスリップ辺りの白っぽい小塊以外の小塊が死体安置所の死体の上に存在していたことから、増えた小塊はブラスリップ自体が拾い込んだものであり、それは小塊を巻き入れるような状況下でブラスリップによる絞締が行われたことを意味し、少年らの供述と矛盾する旨主張する。
しかし、コンクリート敷石は、前述のとおり1.5mの高さから放物線を描くように落下し、まず下方角を地面にぶつけたのであるから、その衝撃によってコンクリート敷石に付着していた泥、砂様の物質がこぼれ落ち、その後の鼻梁部への衝撃でも同様に、これらの物質がこぼれ落ち(なお、右の程度の高さからの落下によりコンクリート敷石自体が破壊され、脱落したとは経験則上考えることができない。)、しかも、その範囲は敷石が覆う付近に限られるものと推測される。実際、死体発見現場における実況見分時にも、コンクリート敷石の頸部付近には白っぽい色の物質が付着しており、この物質は相当脆く、触ればボロボロくずれてしまう乾いた泥土状のものであり、コンクリート敷石の投棄による衝撃で容易に小塊あるいは粒となってはがれ、こぼれ落ちるものである。
右衝撃によって、ブラスリップの結び目を中心に分散して、こぼれ落ちた泥土状の小塊は、当然、ブラスリップと首の付け根付近にも落下し、その後に生じた鼻梁部への衝撃により顔面にコンクリート敷石の重量がかかったことにより被害者の顎が引け、ブラスリップと首の付け根がとじられ、そこに落ちていた小塊を挟み込むことになり、あるいは、コンクリート敷石自体の重量により徐々に顔面を押しつけ、顎を引いた状態となり、数片の小塊をブラスリップと胸鎖関節付近との間にも挟み込んだ可能性も充分に考えられる。しかも、被害者の頭の下は非常に不安定な凹凸の激しい残土であり、投棄されたときから若干顎を引いた状態であったから、顎を引きやすい状態にあったものといえる。
したがって、被告らがブラスリップが巻き込んだと主張する泥土は、その後、死体が死体安置室に移された際に死体の顎が上がり、ブラスリップと上胸又は首の付け根付近が離れたことによって、前述のようにして挟み込まれていた小塊がこぼれ出したものというべきである。
6 索条下の砂粒について
被告らは、索条物除去後の被害者の頸部に点々と存在していた砂粒を索条物除去前から存在していたものである旨主張するが、これらは、前述のとおり、コンクリート敷石からブラスリップに剥がれ落ちていた泥土状の小塊が、その切断の際にこぼれ落ち、頸部にまつわりついたものと考えられ、被告らの主張は理由がない。
7 被害者の左足裏の汚れについて
被告らは、被害者の左足裏が右足裏よりも汚れていることをもって、被害者が生前に左靴だけが脱げた状態で残土置場を歩行したと考えるのが自然、かつ、合理的である旨主張する。
なるほど、被害者の左足裏(特に踵、指の股)は右足裏よりも汚れが著しく、この汚れは、本件事件当時、被害者が足の汚れやすい夏用の隙間の多い網目様の靴と網目模様のハイソックスを履いていたことを考慮しても、靴を脱いで歩行したという事実を想像させるものである。しかし、この左足裏の汚れは残土置場を歩いた程度で出来るような軽微な汚れではなく、より長い距離、時間をかけて出来たしつこい汚れとみるべきである。すなわち、被害者は靴擦れのため、家出をした七月一七日午後(ママ)にも左足の踵と右足親指根本に絆創膏をつけていたが、靴擦れの起きやすい網目状のハイソックスを履いて三晩もの長時間歩き回ったため、左足踵部の絆創膏が剥がれ、靴擦れが再発して靴を脱いで靴下のまま歩行したものと考えられ、左足裏の汚れはその際にできたものと考えるべきである。
8 ノースリーブシャツの汚れについて
被告らは、被害者が着用していたノースリーブシャツ後面の全面に土様のものが付着している(右側下方には左右径約八cm、上下径九cmの範囲に特に濃く付着している。)ことは、被害者が着衣している際に、後面を土砂の地面に押しつけられたことを示しており、このことは残土置場が犯行現場であることを示すものである旨主張する。
しかし、被告らの主張によれば、被害者は残土置場で襲われ、地面に押しつけられ、その後ノースリーブシャツを脱がされ、最終的にコンクリート敷石の上にシャツが置かれたということになるはずであるが、それにしては後面の汚れは明瞭なものではなく、また、汚れが襲われたときにできたものであるとすれば、ノースリーブシャツ前面にも淡褐色をした土様の付着物が十数箇所あることを説明できない。
被害者は、夏の暑い盛りに、おそらく風呂にも入らないまま、家出後三晩も帰宅していなかったのであるから、その間、野宿するなどその行動は多岐にわたったはずであり、一五歳一か月の中学生であった被害者には子供に近い行動もあったから、汗と脂で衣類も相当汚れていたと考えられ、襲われる以前に土様物が付着していたとしても必ずしも不自然ではない。
第三 証拠<省略>
理由
第一当事者間に争いのない事実
請求原因一(当事者)の事実、同二1の事実のうち、乙川ら四名が七月一八日夜間に窃取した自動車二台に他の仲間三名と分乗して八潮市内を乗り回していたこと、被害者が七月一九日に残土置場で死体で発見されたこと、同二2の事実〔浦和家庭裁判所が九月六日に乙川、丙沢、夏男を被害者に対する強姦既遂(丙沢については未遂)、殺人の非行事実で少年院送致の決定(原審決定)をしたこと、東京高等裁判所が昭和六一年六月一六日に同人らの強姦未遂、殺人の非行事実を認めて抗告棄却の決定(抗告審決定)をしたこと、最高裁判所が平成元年七月二〇日に同人らの再抗告を棄却する旨の決定(再抗告審決定)をしたこと〕は当事者間に争いがない。
第二争点(乙川らと本件事件の結びつき)
少年らは、本件事件に対応する本件非行事実に関する少年保護事件において、捜査官に対し、本件非行事実を認める旨自白し、B、A及び夏男は原審審判期日においても本件非行事実を認めていたが、その後、いずれも自白を撤回し、本件非行事実を否認し続けているが、前記各決定書(<書証番号略>)によれば、原審決定は、少年らの自白調書ないし自白供述を信用できるとして、乙川、丙沢、夏男および秋男が被害者を襲い、丙沢を除く三名が姦淫を遂げ、乙川、丙沢及び夏男が被害者を殺害したとの非行事実を、抗告審決定も同様にして、乙川、丙沢、夏男及び秋男が被害者を強姦しようとして(未遂)、乙川、丙沢及び夏男が同女を殺害したとの非行事実をそれぞれ認定し、再抗告審決定は、乙川らの抗告はいずれも少年法三五条一項の抗告理由に当たらないとして同人らの各抗告を棄却する決定をしている。
原告らは、本件訴訟において、右少年らの自白と原審決定、抗告審決定、再抗告審決定等を証拠として援用して、乙川らが被害者を強姦(既遂)したうえ、殺害した旨主張したのに対し、被告らは、これらの事実を否認し、少年らの自白調書ないし自白供述は捜査官らによる誘導と当時少年であった少年らの迎合に基づく虚偽、架空の産物でいずれも信用性がなく、原審決定及び抗告審決定はいずれも右信用性判断を怠り、ないしは、その判断を誤ったものであり、原告ら主張事実を証明するに足りる証拠はないとして争っている。
そこで、以下、乙川らによる被害者に対する強姦、殺人の事実の有無(乙川らと本件事件の結びつき)について検討する。
第三本件事件の概要
一被害者の死体の発見状況及び死体発見現場付近の状況
7.25実況見分調書(<書証番号略>)、Cの7.19員面(<書証番号略>)、8.4検証調書(<書証番号略>)、被告ら代理人作成の7.25実況見分調書添付写真No.12、18、27、28の拡大写真(<書証番号略>)、7.30実況見分調書(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、以下の各事実(一部争いのない事実を含む。)が認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
1 被害者の死体の発見状況
有限会社豊田建興の従業員であったC(以下「C」という。)は、七月一九日午後一時半ころ、草加市柿木町字宝一三五一番地一所在の同社の残土置場で残土のかきあげ中に、残土置場南東端で、女性(被害者)の死体を発見し、直ちに同社に連絡をとった。そして、同社からの一一〇番通報を受けて、草加署司法警察員らによる実況見分が同日午後二時三五分から実施された。
2 死体発見現場付近の状況
死体発見現場である残土置場は、東高校グランドの北東約二五〇m、区画整理された田園地帯のほぼ中央部にあって、田圃の北西側角を残土で高さ0.75m内外に埋め立てたもので、広さが東西23.4m、南北24.5mあり、西側を除く三方は水田で囲まれ、西側は東高校南側の県道蒲生柿木線から越谷市東町方面に至る幅員四mの街路灯がない砂利道の農道(市道一七四〇号線)に接しているが、その西側にも水田が存在している。残土置場内に立ち入るには西側出入口を利用する他ない状況にあったが、右出入口は市道から約0.2m高くなっており、塀等の設備はなく出入り自由な状態となっていた。また、西側出入口を除く周囲には高いところで、1.5m前後の葦等の雑草が生い茂り、付近は、昼間でも人車等の通行がまばらで、街路灯等の設備は全くなく、残土置場内にも建物や照明設備はない。
なお、8.24検証調書(<書証番号略>)によれば、死体発見時の残土置場は、Cが死体発見前の七月一九日午前中に残土のかきあげ作業を行ったために、死体の殺害ないし遺棄時の状況とは異なる状況となっていたが、死体発見日時前日の土砂移動前の状態に再現した後の残土置場の状況は、残土峰部が平均して2〜2.5m内外の高さで、ほぼ平面状であり、また、北側は傾斜角一〇度ほどになだらかに土盛りがされ、土の表面も乾燥しており、誰でも容易に上がれる(昇れる)状況にあった。
3 死体発見現場の状況
七月一九日の右実況見分当時、被害者の死体は、残土置場南東側傾斜面を下った隅の葦類の雑草の生い茂っている残土と雑草の境目よりやや雑草側に仰臥していた。死体発見場所は、残土置場南東側隅から幅約2.5m内外で若干の凹凸状を呈し、そこに密生していた草丈1.5m位の葦等の雑草は、死体の下に東西最大幅約1.8m、南北最大幅約0.7m内外にわたり押し倒されていたが、死体周辺の雑草は殆ど踏み荒らされた状況にはないなど死体周囲の状況から死体発見現場自体には、その場で、被害者その他の者が争ったような形跡を窺わせるような事情は見当たらず、強姦ないし殺害が行われたとは認めにくい状況にあった。
また、死体発見現場の上部の盛土部分の上部残土は、やや湿潤した茶褐色若しくは黒褐色を呈した土砂が盛られ、コンクリート片、小石等が入り混じっていた。
なお、右実況見分に際して、死体の左右頸部、左右腹部、左右腰部、臀部、陰部直下、死体付近、残土置場出入口付近から、それぞれ土砂が、残土置場出入口西側路上からタイヤ痕、足跡二二個が、残土置場から地下足袋等の足跡八個が、それぞれ採取された。
4 発見時の死体の状況
死体発見時の被害者の死体は、頭部を南西、両足部を北東にして仰臥し、顔(頭部)はやや右方に曲げ、白色ギャザースカート(以下「スカート」という。)の裾が腰部まで不自然に捲くり上げられ、両下肢は、肩幅程度に開脚され、パンティは両膝部まで引き下げられ、上半身裸で、乳房部、陰部を露出し、頸部に索条物(被害者が着用していたブラスリップ)が二周に巻かれて前頸部右側で結節され、顔面(鼻先部、口唇部、左頬部)、左肩先部、左上肢前部にかけては一辺の長さが約三〇cmのほぼ正方形で厚さ約六cmのコンクリート敷石が載せられ、鼻根部に挫傷様の周囲に赤褐色の血液が乾固付着した損傷があり、左大腿部に毛髪一本が付着し、右敷石の上に被害者が着用していたノースリーブシャツ(以下「シャツ」という。)が不正円形に丸められて載せられている状態であった。また、両足には白色ハイソックスを装着していたが、両足とも履物は付けておらず、左下腿の左方部残土上に被害者の右足用黒色女性用サマーカジュアルシューズが、残土置場西側出入口から東側に約3.4m、北東隅から約9.6mの残土置場中央付近に左足用黒色女性用サマーカジュアルシューズがそれぞれ放置されていた。
なお、7.25実況見分調書添付写真(<書証番号略>)及び被告ら代理人作成の7.25実況見分調書添付写真No.12、18、27、28の拡大写真(<書証番号略>)によれば、死体発見時に、被害者の左頬ないし口付近から左肩付近にかけて載せられていたコンクリート敷石のうち、被害者頸部付近から左肩付近に相当する側面部分には土砂がほとんど付着しておらず、それと同種のものとみられる土砂(小石大の物も存在する。)が、被害者の頸部ないし索条物の上や結節部付近、索条物と頸部の境目付近に多数存在していたことが認められる。
二被害者の着衣と被害者の死体の概要
柳田尋問調書(<書証番号略>)、田嶋作成の61.1.17鑑定書(<書証番号略>)、及川報告書(<書証番号略>)、柳田鑑定(<書証番号略>)、司法警察員及川吉治作成の7.23実況見分調書(以下「及川調書」という。<書証番号略>)、7.25実況見分調書(<書証番号略>)、7.27実況見分調書(<書証番号略>)、被告ら代理人作成の7.27実況見分調書添付写真No.7、8の拡大写真(<書証番号略>)、8.14「現場足跡対照結果について」と題する書面(<書証番号略>)、田嶋作成の8.19鑑定書(<書証番号略>)、同人作成の11.8鑑定書(<書証番号略>)、同人作成の61.1.23鑑定書(<書証番号略>)、8.3実況見分調書(<書証番号略>)、田嶋作成の8.19鑑定書(<書証番号略>)、柳田証言、証人田嶋証言(以下「田嶋証言」という。)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められ、これに反する証拠はない。
1 被害者の着衣の状況
死体発見当時の被害者の着衣(シャツ、ブラスリップ、パンティ、スカート、靴下)には泥土様の汚れが付着していたが、被害者の抵抗等によって生じたとみられるような損傷等はなく、スカートには血液型AB型の精液の付着が認められたが、その余の着衣には精液の付着は一切認められず、また、シャツ襟部分には毛髪一本が付着していた。なお、被害者のパンティとスカートには人尿の付着が認められた。
2 被害者の死体の見分状況及び司法解剖の経過
被害者の死体は、残土置場で見分され、顔面付近に載せられていたコンクリート敷石が取り除かれた後、残土置場からそのままの状態で草加署に搬送された。そして、七月一九日午後五時四五分から同日六時五五分までの間、草加署死体安置室において同署員らによって見分された後、同日午後九時二〇分から翌二〇日午前零時四五分までの間、埼玉医科大学教授柳田純一による司法解剖に付されたが、被害者の遺体の実況見分及び司法解剖状況、死体の状況の概略は次のとおりである。
(一) 草加署における被害者の遺体の実況見分の状況
死体各部位の死後硬直の程度や死斑の発現状態、死体各部位の状況や損傷の有無などを見分(ブラスリップを切断除去)したうえ、直腸温の測定、左右乳房部から付着物、爪、両手掌面の微物、指紋、掌紋、死体付着の草葉片及び泥土砂などを採取した。右見分時における、死後硬直の程度は、顎が強、項部が弱、肩関節、肘関節、手指関節、股関節、膝関節部がいずれも強であった。また、死体頸部には裏返した状態のブラスリップが二周に巻かれたうえ、前頸部僅かに右側で結節されていたが、右結節はブラスリップ上端にある肩ひも及びカップ部と下端レース部とをひとえ結びを二回結ぶ、こま結びにしたもので、先端の肩ひもは結節部の右側二cmのところで左側に折り返されていた(ただし、その締まり具合はやや強を触手されたとの記載があるに止まり、索条物と頸部皮膚との間に指がどの程度入るか、切除した直後の索条物の内径の測定といった締まり程度に関する客観的な観察が怠られている。)。さらに、及川調書には、肛門部の外表所見として「肛門は閉じ、糞便等の汚染は認められない。」と明確に記載されている。
なお、ブラスリップや頸部付近に存在していた土砂類が採取された旨の記録もなく、前記調書には、偶々、土砂類が同時に写っている頸部付近の写真の添付はあるが、これら土砂類の見分けについては、「(頸部)下端の索条部に少量の乾燥した土砂の付着が見られる。」とあるほか格別の記載はない。
(二) 柳田鑑定人による司法解剖の経過
司法解剖は、草加署での前記実況見分の後、頸部索条物や着衣を全部とられ、顔面に付着していた血液や頸部に付着していた土砂なども拭い除かれた後の状態(段階)の被害者の死体について行われたが、柳田鑑定人に対しては、右実況見分時の情報は被害者の着衣の状況や頸部に索条物が付いていた程度の概略が報告されただけで、肛門の状況等については報告されないままであった。
(三) 被害者の死因、遺体の状況等
前掲各証拠及び助川意見書(<書証番号略>)、内藤意見書(<書証番号略>)、田嶋作成の8.19鑑定書(<書証番号略>)、内藤証言によれば、被害者の死体の状況は概ね次のとおりであり、これを覆すに足りる証拠はない。
(1) 顔面部の損傷等
顔面部中央部(眉間部下半分から鼻稜部上端部やや右側)に、上わずかに左方から下わずかに右方に向かう、上下径2.2cm、幅1.3cmの赤褐色表皮剥離、その下端部に(右内眼角の左方1.5cmを中心として)形の挫裂創があり、さらに、その創底部を中心として鼻骨および鶏冠部の骨折が認められるが、頭蓋内や脳などには特に損傷はなく、周囲組織間の出血も少ないので、これをもってただちに死因であるとは考え難い(柳田鑑定21頁)。
なお、死体発見現場における死体は、左頬方向から左下顎方向に長短二条の血液が、また、鼻稜部の損傷からは左頬の内側から左鼻唇溝の方向に長短二条の血液が、それぞれ自然流下したものが凝固、乾燥して付着していること、コンクリート敷石を除去した直後、左口唇角から左側下顎縁にかけて両鼻孔部から赤褐色の血液が流下していること、そして、これらの血液の流下の方向や、更に凝固乾燥した形態が頭顔部の姿勢(重力の方向に対して)に極めて自然であることが認められる。そこで、これらの血痕等は死体発見時の位置で鼻根から出血、流下し、凝固の後、乾燥して亀裂が生じたものと認められ、このように、死体の血液ではみられない血痕に凝固現象があることは鼻稜部の損傷の生活反応の一兆候ということができ(助川意見書13、14頁)、被害者は右受傷時に生存していたと認められる。
(2) 被害者の死因
被害者の死因は、死体諸処に溢血点がみられた他、血液が暗赤色流動性で、諸臓器が鬱血性であるなどの所見が認められたこと、頸部には圧迫痕(幅四〜七cmの陥没が認められない帯状のやや著しく蒼白の部分と幅0.2〜0.5cmの索溝及び皮膚の変色部)が認められるものの、筋肉出血や骨折などがなく、皮膚組織間に極めて薄層の出血があるにすぎないこと、その他特に直ちに死因となるような病変はないことからすると、被害者は生前に頸部を比較的強く圧迫されたものと推定され、頸部圧迫による窒息死で絞殺であると認められる。また、死体の気道内に泡沫液が多量にあって肺浮腫が生じていると推測されることからして、索条の締まり具合がさほど強烈ではなかったことによって窒息死に至るまでの経過がやや長かったとも認められる(内藤意見書(二)考按五、助川意見書11、24頁、柳田尋問調書38〜40丁、柳田鑑定11頁)。
このようにみてくると、被害者は、頸部を索条で圧迫されている状態が長く続いた結果、窒息により死亡したものであり、その時間の経過中に右コンクリート敷石により受傷したものと認められる。
なお、死体の死後経過時間は、解剖開始時の七月一九日二一時二〇分において、死後一日内外と推定された(柳田鑑定25頁)。
(3) 死体のその他の主要な状況
① 死体の処女膜は健存し、処女膜孔は円形でようやく一指を通じる程度で、裂傷等の外傷は全くなく、普通の男性の陰茎が挿入された痕跡もないことから、被害者には死亡時も含め過去に正常の性体験としての性交はなかったものと認められ、殊に、処女膜孔の大きさは柳田鑑定人の一指がようやく通じる程度であることから、右処女膜孔よりも小さい陰茎を通常考えることができない(柳田尋問調書11、12、75丁、柳田鑑定4頁、柳田証言18丁、内藤意見書(一)説明三)。
また、死体の膣、直腸、気道、胃の各内容中に精子は発見されなかったが、精液の存否については、柳田鑑定では「明言できないが、右各内容において精液が存在していたのではなかろうかと考えられる。」という鑑定結果が出されている(ただし、精液は存在していなかったと解すべきであることは後記のとおりである。)。
さらに、及川調書(<書証番号略>)、田嶋証言によれば、本件のような強姦事件の捜査の際には、精液等の付着が窺われる体表面からは、当然、その付着物を採取することになっているにもかかわらず、司法解剖前の草加署による死体の実況見分の際に、左右の乳房部からは付着物が採取されたが、被害者の陰部を含む体表面からは精液等の付着物を採取したとの記載はなく、また、当時、埼玉県警察本部科学捜査研究所で血液型物体検査に従事し、本件事件に関する血液型等の鑑定を担当した田嶋にもこれらの採取物(乳房付着物を除く。)に関する鑑定嘱託がされていないこと(田嶋証言28、29丁)など、他に被害者体表面から精液等を採取、鑑定した証拠もないことからすれば、被害者の体表面には精液等が付着していなかったものと認めることができる。
② 肛門部にも特に裂傷等の外傷はなく、陰茎が無理やり挿入された形跡を窺わせる所見はないが(柳田証言15丁)、及川調書、及川報告書及び柳田鑑定によれば、草加署遺体安置室内での実況見分時には「肛門は閉じ、糞便等の汚染は認められない。」とされていたのに対し、解剖時には「肛門は円形に著しく大きく開き、二指を通じる。周囲は糞便で汚染されていない。」とされ、草加署による実況見分時には閉じていた肛門が、解剖時には開大していたことが認められる。
この開大の時期について、柳田尋問調書では右開大の時期が死亡の比較的直前か死後であるかについては特定できない旨指摘されているが、助川意見書によれば、男性同性愛好者の受動的男性の司法解剖を多く経験している大阪市立大学医学部法医学教室で肛門内外から精液や精子等の証明がある症例でも死亡に先行した肛門性交による肛門開存の症例がないことが示すように、肛門括約筋は心停止後は死後硬直により閉塞するものであるから、被害者の死体の肛門開大時期は死後と解すべきであること、しかも、死後硬直の自然な緩解が起こるのは夏期でも死後二日以後のことであって、死後一日内外と推定される解剖開始時に、肛門括約筋だけが自然緩解してしまうことはあり得ないことが認められ、死後硬直状況や死体直腸温の測定などを行った草加署による死体実況見分直後の解剖時に肛門開大の事実が確認されていることは前判示のとおりであることを総合すれば、右開大の原因は、草加署員らによる同署死体安置室内での死体見分時以後に引き起こされたものであると認められる。
また、草加署による実況見分時における死後硬直の状態は、前判示のとおり、顎に強、項部に弱、肩関節、肘関節、手指関節、股関節、膝関節部にいずれも強を触手されていたのに、解剖時には顎に弱、項部に弱、左右肩甲になく、左肘になく、右肘、左右腕及び手指に弱、左右股に中等度、左右膝及び左右足に強、並びに左右足趾に中等度に発現している状態にあって、解剖時には、警察署による実況見分によって死後硬直が緩解されていたことが認められるし、しかも、右見分時の硬直状況も柳田鑑定人には伝えられていなかったことは前判示のとおりである。
③ なお、左右上肢に小皮下出血がやや多数(いずれも極めて軽傷の圧迫傷ないし打撲傷)存在していた。
(四) 草加署による死体見分の問題性
このように草加署による死体見分は、頸部付近付着土砂など重要な事実についての見分を怠っているのみならず、肛門を開大させるなど死体状況を不用意に変えたうえ、その事実を解剖医のみならず、後記のとおり検察官にも伝えていなかったのではないかとの疑いを抱かせるものであるし、そのため、後記のとおり柳田鑑定、ひいてはその後の捜査の進展にも大きな影響を及ぼす重大な問題性を有するものであったことが指摘できる。
三甲野春子の9.17員面(<書証番号略>)、原審における検察官住田の証人尋問調書(<書証番号略>、以下「住田尋問調書」という。)、被告ら代理人作成の61.12.3再抗告申立補充書(二)(<書証番号略>)によれば、被害者は、八潮中学校に在学中の甲野花子(当時一五歳)であり、同女は、七月一八日午後に家出をしたが、同日午後一〇時以降の足取りは明らかでないことが認められる。
第四本件事件と乙川らを結びつける物的証拠の不存在について
一少年らの血液型と被害者の着衣、死体等に遺留されていた体液の血液型について
1 少年ら及び被害者の血液型
検察官住田作成の9.11捜査報告書(<書証番号略>)、柳田鑑定(<書証番号略>)、8.5身体検査調書、8.5身体検査令状、8.5鑑定処分許可状、8.5鑑定嘱託書、8.5鑑定結果について(<書証番号略>)によれば、少年らの血液型は、乙川がO型の非分泌型、AがO型の分泌型、丙沢、夏男、B及び秋男がB型の分泌型であること、また、被害者の血液型はA型の非分泌型であることがそれぞれ認められる。
2 スカート付着精液の血液型
田嶋作成の8.19鑑定結果(<書証番号略>)、同人作成の61.1.17鑑定書(<書証番号略>)、田嶋証言によれば、鑑定の結果、被害者が死亡時に着用していたスカート後側の裏面部分の六箇所には血液型がAB型(分泌型)の精液及び精子の付着が確認されているが、少年らの中には右精液の血液型に符合する者はなく、右精液は少年らの精液ではないと認められる。もっとも、法医学血清学的検査法マニュアル(<書証番号略>)によれば、凝集阻止試験においてAB型で抗Aと抗Bとの間の阻止力に著しい差があるときは、複数人の体液混在の可能性も疑う事例もないわけではないが、本件は、そのような事例とは認められない。
なお、右各証拠及び「嘱託文書の送付について」と題する書面(<書証番号略>)によれば、右スカート付着精液斑に関する鑑定結果は遅くとも八月初めころには草加署に中間回答の形で電話連絡され、8.19鑑定結果自体も八月一九日ころには草加署に送付され、乙川らの原審第一回審判期日までには充分提出可能であったにもかかわらず、結局、同鑑定結果は、少年保護審判手続において最後まで提出されることなく、当裁判所の審理において初めてその存在が明らかになったこと、61.1.17鑑定書は、その鑑定事項及びその内容ともに一部付加事項はあるものの、その余は8.19鑑定結果とほぼ同一のものであるにもかかわらず、原審決定後の抗告審審判中の九月一二日に新たに草加署から鑑定嘱託がなされて作成され、その後、抗告審に提出されていることが認められる。
3 被害者乳房に付着していた唾液斑の血液型について
及川調書(<書証番号略>)、田嶋作成の8.19鑑定書(<書証番号略>)によれば、草加署死体安置室内での死体の実況見分にあたり、被害者の死体左右の乳房部から付着物を脱脂綿で拭き取って採取したこと、右採取物からは、ブルースターチ法によるアミラーゼ検査を実施した結果、左右いずれも陽性反応を示し、唾液の付着が推定され、その血液型は吸着試験法及び解離法による血液型検査の結果、ともにAB型の反応を示したこと、右吸着試験法による検査方法は、八倍まで希釈しても反応が出るよう作成された(力価八倍)抗A、抗B、抗Hの各血清試薬の中に採取物を入れて一定時間放置した後、血清試薬を取り出し、これを一倍、二倍、四倍、八倍、一六倍と順次希釈したものに予め用意した各血清試薬に対応する血球を加え、各希釈段階で出現した反応を読み取るという方法が採られたこと、その結果、抗A血清試薬に対する反応は二倍以上の希釈ですべてマイナス反応を示したが、一倍(原液)ではプラス反応を示したこと、抗B血清試薬に対する反応はすべてマイナス反応を示したことが認められる。
なお、検察官住田作成の9.6報告書(<書証番号略>)及び9.11報告書(<書証番号略>)、田嶋作成の11.18「乳房採取物の鑑定に対する追加説明」と題する報告書(<書証番号略>)及び11.14体垢実験報告書(<書証番号略>)によれば、血液型がAB型の反応を示したことについて、検察官は「犯人の唾液と被害者の細胞片の混在したものが判定の対象となるところ、被害者の血液型はA型であるから犯人がB型又はAB型であれば対象物はAB型と判定される結果となる。なお、田嶋より鑑定結果を聴取したところ、検査対象物における血液型物質の量はA型物質よりB型物質の量が明らかに多いとのことである。」旨の報告書を作成し、その裏付けとして、田嶋作成の「採取物の血液型はAB型と判定されたが、その検査結果は、A型物質とB型物質とを単純に比較した場合、B型質量の多いことは明らかであり、採取物が被害者の体表面から拭き取られ、褐色に変色、汚染されている事実を考慮するならば、AB型と判定中のA型反応が被害者の細胞成分等から発現されたものとしても矛盾しない。」、「二日間入浴を禁じた被害者と同一の血液型A型(非分泌型)の警察官の体垢を拭き取った脱脂綿を血液型検査した結果、A型と判定された。」とする報告書を抗告審に提出したことが認められ、抗告審決定はこれを証拠として引用して、「①被害者が死体で発見された際、警察官がその左右の乳房から脱脂綿に拭き取って採取した物(以下「本件対象物」という。)の中には、唾液が存在するものと推定され、しかも、本件対象物は血液型AB型の凝集反応を示したこと、②ところで、体垢の多い人間の体表面の付着物を脱脂綿で拭き取って採取する場合は、右脱脂綿に体表の垢(細胞片)も付着せざるを得ず、したがって、本件対象物は、被害者の細胞片と何者かの唾液との混合したものである可能性があるといえること(特に、ア被害者は死亡前二日ほど入浴していないこと、イ被害者の胸腹部は微褐色ないし淡褐色を呈し、この部分は比較的容易に表皮が剥離し、蒼白の真皮を露出する状態となっていたこと、ウ前記脱脂綿には被害者の体の表面の汚れが付着し、褐色を呈していたことなどからして、右脱脂綿に被害者の細胞片が付着していたことは明らかである。)、③そして、ABO式の血液型は、抗A血清に対し凝集反応を示した場合にA型、抗B血清に対し凝集反応を示した場合にB型、両血清に対しいずれも凝集反応を示さなかった場合にO型、両血清に対しいずれも凝集反応を示した場合にAB型と判定されるものであるから、一般的にA型及びB型の血液又は体液(分泌型のものに限る。)の混在している場合には、両血清に対しいずれも凝集反応を示すこととなるため、右混合物の血液型はAB型と判定せざるを得ず、したがって、本件対象物がAB型の凝集反応を示したということは、被害者の血液型がA型である(なお、被害者の血液型はA型の非分泌型であるが、本件においては被害者の細胞片が混在している場合であるから、分泌型、非分泌型の区別は問題とならない。)以上、本件対象物に含まれる唾液の血液型はAB型のみならずB型である可能性もあるということになること(中略)等、以上の事実が認められる。」と判示し、さらに、後記のとおり、被害者の乳房をなめたなどと供述するB型分泌型の夏男の自白内容を裏付けるものであるとも判示している。
しかしながら、B型分泌型の犯人の唾液とA型非分泌型の被害者の細胞片の混在によってAB型の反応を示す可能性があることは理論的にこれを肯定できるにしても、そのことから直ちに、本件において皮膚の細胞片と唾液の混在が証明されたことにならないことはいうまでもなく、右理論的可能性があることによってB型分泌型の人間が本件事件の犯人であることを何ら積極的に基礎づけるものではなく、単に消極的にそのような認定を妨げず、同認定に不合理性はないとする消極的な機能を持つにすぎないものというべきである。
しかも、内藤意見書、田嶋証言、内藤証言によれば、本件のような細胞片混在の可能性がある場合には、顕微鏡検査及び乳房以外の体表面からの採取物とを対照することによって細胞片の混在の有無を確認するのが通常で、このような検査が行われていない限り、被害者の細胞片と犯人の唾液との混在型の血液反応と判定することはできないと解されるところ、田嶋証言によれば、本件においてAB型反応を示したとされる鑑定においては乳房採取物についての顕微鏡検査等は一切行われておらず、右採取物中に被害者の細胞片が混在していたことは何ら確認されていないことが認められるし、採取脱脂綿が被害者の体表面の汚れの付着により褐色を呈していたとする点についても、被害者の死体が発見されるまで、上半身裸のままで残土置場に放置されていた事実に照らせば、土砂が相当程度付着していたことは想像に難くないのであるから、右汚れが被害者の細胞片によるものであることが明らかであるなどと断定することはできず、また、脱脂綿で拭き取って採取する場合でも、垢(細胞片)は極く少量が付着するにすぎないのみか、汗も混入するために、本件被害者のように採取者が非分泌型の場合には、血液型検査の結果には垢(細胞片)による影響はない(内藤証言二回19、20丁)と認めるのが相当である。
さらに、本件対象物の鑑定の結果、A型物質よりB型物質の量が明らかに多かったとする点についても、田嶋作成の11.18「乳房採取物の鑑定に対する追加説明」と題する報告書(<書証番号略>)、同人作成の1.17鑑定書(<書証番号略>)、内藤証言及び田嶋証言によれば、AB型の精液の付着していることに疑いの余地のないスカートに関する精液の血液型鑑定における吸着試験法におけるスカート侵出液の阻止試験結果でも、スカートのイ、ロ、ホ、ヘの四つの部位について検査したところ、イの検体については抗B血清の場合には六四倍まで阻止したが、抗A血清の場合には八倍希釈まで凝集を阻止したに止まり、その余のロ、ホ、ヘにおいても同様な結果が出て、四箇所の検体はいずれも抗B血清に対してより多く阻止する結果が出ており、A型物質よりB型物質の方が多い反応結果が出ていることが認められる。
このように、AB型の血液型の人の型物質においても血液型検査の反応がA型物質、B型物質ともに全く均等に出ることはなく、人によってどちらかの型物質の方が多いというように量に多少差が出る(不揃い)場合があり、前記乳房採取物の検査結果の程度の差は、やや下がるという程度に止まり、明らかな差とはいえず、通常の不揃いの範囲内にあるものと認められること、一般的にいって、体垢の中に含まれている型物質と唾液に含まれている型物質とを比較した場合、唾液の方が遙かに多いため、仮に唾液と体垢が混在した場合にはその反応の程度にはかなりの差が出ると考えられること(田嶋証言9丁)、証人田嶋自身も、前記検査結果からはA型物質よりB型物質の方が多いことは明らかであるが、「A型物質よりB型物質の量が明らかに多い(検察官住田作成の9.11報告書の記載)」とはいえず、したがって、検察官住田が量の差が大きいと理解したとすれば、それは司法鑑定の専門的な知識がないために誤解したと考えてよい旨証言していることが認められる(田嶋証言10〜13丁)。
そして、本件鑑定結果においては吸着試験法の他、解離法による検査によってもAB型の反応を示していること、体垢実験が被検者に皮膚を脱脂綿で拭き取らせて採取した資料の血液を検査したものであり、非分泌型のA型の人間の体表をB型の分泌型の人間に舐めさせたものを採取して検査したものではない以上、本件血液型反応を判定する資料足りえないものであること(内藤証言二回58丁)などが認められることからすれば、本件採取物中にB型の唾液とA型の細胞片が混在していたと解する余地が全くないとはいえないにしても、本検査データは、むしろ、AB型の分泌型の唾液そのものの血液型反応(すなわち、乳房に付着していた唾液の血液型がAB型)であったと認めるのが相当である。
したがって、被害者の乳房からAB型の唾液が検出されたことは、少年らと犯人との結びつきを積極的に立証できないというにとどまらず、むしろ、少年らが犯人であることにつき否定的に解すべき事情というべきである。
4 被害者の体内の精子、精液の存否とその血液型について
柳田鑑定によれば、解剖時に、被害者の死体の膣内及び直腸内から脱脂綿ガーゼ球を使用して採取した膣内容、直腸内容について、並びに解剖時に採取した胃内容及び気道内容をガーゼに付着し乾燥させたものについて、それぞれ顕微鏡的に精子の存否を検査したが、いずれも明らかな精子の存在は認められなかったこと、また、被害者の右各内容について酸性フォスファターゼ試験による精液の存否を検査したところ、いずれも弱い、ないし極めて弱い陽性の反応を示したこと(なお、被害者の体内に精液が存在したとは認められないことについては、後記のとおりである。)、右各内容について吸収試験法により血液型検査を実施したが、ABO式において血液型を断定できる成績が得られなかったことが認められる。
したがって、仮に被害者の体内に精液が存在していたとしても、それが少年らの精液であることは積極的に立証できない。
二本件事件の犯行現場等に遺留された毛髪、指掌紋、足跡痕、タイヤ痕などについて
1 被害者の死体及びシャツに付着していた毛髪の血液型と性別について
田嶋作成の61.4.21「鑑定結果について」と題する書面(<書証番号略>)、7.19鑑定嘱託書及び田嶋作成の61.2.18「鑑定結果について」と題する書面(<書証番号略>)によれば、被害者の死体の左大腿部に付着していた毛髪は血液型がA型で、その形状、色調等の諸性質からみて被害者の頭毛であると認められるものの、シャツの襟部分に付着していた毛髪一本は、人の頭毛で、その血液型はAB型と判定されたが(したがって、少年らの血液型とは一致せず、少年らの頭毛ではない。)、その性別については鑑定によっても明らかではない。
なお、7.20「殺人事件被害者の着衣からの毛髪の発見について」と題する書面(<書証番号略>)、8.13鑑定嘱託書(<書証番号略>)、田嶋作成の61.4.21「鑑定結果について」と題する書面(<書証番号略>)、司法警察員堀口勉作成の61.4.21「ノースリーブシャツに付着していた毛髪の性別判定について」と題する書面(<書証番号略>、以下「堀口報告書」という。)、田嶋作成の61.4.25報告書(<書証番号略>)、田嶋証言によれば、毛髪の性別に関して作成された堀口報告書には、被害者のシャツに付着していた毛髪について、男女別の判定の可否について科学捜査研究所技術吏員田嶋に聴取したところ「法医学的物体検査による性別判定は困難であるが、その性状等から一般論的に女性のものと考えた方が矛盾が少ない。」旨の意見を得たとし、「毛髪の損傷は認められず、わずかにウェーブがあることから自然なものか若しくはパーマをかけたとしても相当の日数を経過していると認められる。(中略)以上の点から考察するに、特に長さの点等から男性毛とするには不自然で女性毛と考えた方が矛盾が少ないと認められる。」旨の田嶋の意見が具体的に記載されており、抗告審決定は、「鑑定の結果(中略)その毛髪が男女いずれのものであるか判明せず(むしろ女性のものである可能性が強い)」旨判示している。
しかし、田嶋作成の61.4.25報告書(<書証番号略>)には「毛髪資料からの性別判定は毛のうの付着した抜去毛である以外は困難であり、(中略)今回鑑定資料とされた毛髪は、長さが約19.9cm、太さは毛根側で七〇マイクロ〜八〇マイクロ、毛幹部ほぼ中央で八〇マイクロ、毛先側部で七〇マイクロと算出され、比較的長く、細い毛髪といえる。また髄は極めて少なく、色調も一般的には赤味がかった毛髪で、毛根性状(コルベン状)から自然脱落毛と推定された。以上挙げた各性状及び鑑定に至る観察、検査経過からは性別を判定できる科学的根拠を認めることはできない。従って、この毛髪から性別を推定する手段としては、本資料に帰着する多角的情報から推察するのが最も妥当と考える。」と記載されていること、さらに、田嶋証言(24丁)によれば、毛髪について草加署から問い合わせがあり、性別はこの資料では分からない旨の報告書(61.4.25報告書)を提出していることが認められるのであって、右堀口報告書の内容は、田嶋からの情報を正しく伝達するものではなく、ひいては、本件事件において毛髪の占める価値の評価判断を誤らせる虞れがあったものといえる。したがって、シャツに付着していた毛髪の性別はそれ自体からは明らかでないというのが相当である(むしろ、スカートにAB型の精液、乳房にAB型の唾液が付着していたという事実に照らせば、AB型の男性の毛髪である可能性も否定することができない。)。なお、右田嶋作成の報告書は作成当時、田嶋が草加署に送付したものであるが、少年保護審判手続において最後まで提出されることなく、当裁判所の審理において、初めてその存在が明らかとなったものである。
2 犯行現場に遺留されていた指掌紋、足跡痕、タイヤ痕
7.23現場足跡痕採取報告書(<書証番号略>)、7.26現場指紋等送付書(<書証番号略>)、7.29「車両内からの付着物採取について」と題する報告書(<書証番号略>)、7.31「現場足こん跡対照結果について」と題する報告書(<書証番号略>)、8.7実況見分調書(<書証番号略>)、8.21実況見分調書(<書証番号略>)、住田尋問調書(<書証番号略>)によれば、七月一九日の実況見分に際し、残土置場及びその付近一帯から足跡、タイヤ痕三〇個が採取されたこと〔残土置場西側道路(砂利道)上で足跡及びタイヤ痕計二二個(内タイヤ痕は七個)、残土置場で八個の足跡が採取された。<書証番号略>〕、しかし、右残土置場付近から採取された足跡、タイヤ痕のうち、対照可能なタイヤ痕三個と足跡については、少年ら使用車両のタイヤ痕、少年らの足紋とは一致したものがなかったこと(<書証番号略>)、少年らの着衣、靴に付着していた土砂は、現場の土砂と一致していなかったこと(<書証番号略>)、また、七月二三日には少年ら使用車両であるブルーバードから指紋、掌紋一九個が、同月二四日にクラウンから指紋、掌紋二三個がそれぞれ採取されたが(<書証番号略>)、県警本部鑑識課で少年ら及び被害者の指紋、掌紋と対照した結果、ブルーバードでは対照可能であった四個はいずれも乙川、A、秋男の指紋ないし掌紋であり、クラウンでも対照可能であった六個(足紋一個を含む。)はいずれも乙川、A、丁海冬子の指紋ないし掌紋であり、被害者の指掌紋はいずれの車両からも発見されなかったこと(<書証番号略>)、また、草加署員一二名が八月七日の午前九時三〇分から午後三時四〇分まで、北公園内の検索を実施した結果、少年ら及び被害者が同公園に立ち入った痕跡を示すものは特段発見されなかったこと(<書証番号略>)、その他、東高校裏路上から採取された毛髪類からも被害者と一致するものは発見されなかったこと、さらに、右各同日、ブルーバード及びクラウン車体内部、外部から足跡、毛髪、土、タイヤ痕、足紋(一箇所)、微物等を採取したが(<書証番号略>)、少年ら使用車両から採取した一五個の足こん跡(内ブルーバード一一個、クラウン四個)と少年ら及び被害者の履物並びに足紋を対照した結果、対照可能な一〇個(内ブルーバード六個、クラウン四個)のうち、ブルーバードについて乙川、丙沢及び秋男の、クラウンについて丙沢及び秋男の、各履物と類似するとの結果は得られたが、被害者の履物及び足紋はいずれの車両についても類似するものは得られなかった他(<書証番号略>)、これら採取物からは被害者の遺留物と思われる物は発見されなかったこと(<書証番号略>)、七月二六日(午前一〇時ころから午後三時五〇分ころまでの間)に、右車両(二台)の運転席及び助手席(クラウン三六箇所、ブルーバード三〇箇所)、後部座席(三八箇所、三三箇所)、後部トランク(一二箇所、一四箇所)の計一六三箇所(八六箇所、七七箇所)から、ろ紙及び綿球に蒸留水を染み込ませ、採取箇所にこすりつけるようにして付着物を採取したが(<書証番号略>)、被害者と一致するものは発見されなかったことなどの事実が認められる。
このように、少年らや被害者と本件事件の犯行現場である北公園、東高校裏路上及び残土置場付近とを結びつける遺留物がなく、また、少年ら使用車両内にも被害者の遺留物がないが、このことは、少年らと犯人とを積極的に結びつけることができないというにとどまらず、少年らが犯人であることにつき否定的に解すべき事情にもなり得るものともいえる。
三まとめ
以上の他、本件全証拠(右少年保護審判手続において提出された証拠関係の一部、当裁判所でその後調べた証拠)によっても、本件事件と乙川らとを結びつける物的証拠は何ら存在しないのであるが、本件事件が少年らによる犯行とされているのに、被害者の体内、体表、着衣に後記のとおり少年らの自白によれば、当然に存在しているはずの精液の存在や付着が認められず、本件各犯行現場に少年らの足跡痕が発見されず、その着衣、履物などに犯行現場の土壌の付着が証明されず、さらに、死体ないし死体発見現場に遺留されていたスカート付着精液斑の血液型、シャツ付着毛髪の血液型、乳房付着唾液の血液型のいずれもがAB型反応を示していること、しかも、スカート付着の精液斑が少年らのそれでないことは明白であること(これがB型、O型である少年らの精液と他の者との混合液で、結果として、AB型反応を示しているものともいえず、かつ、その後記各供述内容からもあり得ない。)、シャツ付着毛髪もAB型で、それ以外ではないことは明白である(かつ、毛髪の性別は確定しえない)こと、そのうえ、両乳房付着唾液もむしろAB型と認めるのが相当であり、しかも、右二者の存在とが相まって、前記別異の理論的可能性も否定される方向に働き、一層、AB型であると認め易くなり、したがって、少年らの各供述内容に矛盾ないし抵触しないものとして、その補強証拠として採用することは困難になること、そして、本件証拠上、被害者(死体)に密着して発見された右三つの物的証拠、特に、少年らの供述内容に直接関わらない前二者が本件事件に無関係なものであると断定するに足りるものがないことに照らせば、あるいは本件事件の犯人ないし、その関与者は、血液型がAB型の人間ではないかとの疑念を生じさせるのである。そして、本件証拠上、血液型がAB型の容疑者が捜査線上に浮かんだか否か、また、その結果については、一切不明であって、右疑念を払拭させるに足りるものはない。
第五自白の信用性
一本件事件に関して少年ら自身以外に目撃者はなく、被害者も本件事件によって死亡しており、その他本件事件と乙川らとを結びつける積極の物的証拠もなく、かえって消極の物的証拠とみられるものが存在することは前判示のとおりであって、本件事件と少年らを結びつける証拠は、少年らの捜査段階における捜査官並びに観護措置決定手続及び原審少年審判期日においてなされた裁判官に対する各自白供述(その後の上申書等を含む。)のみであるが、被告らは、これらの供述調書類の信用性を全面的に争っているのである。
そして、乙川の8.26少年陳述調書(<書証番号略>)、9.6少年陳述調書(<書証番号略>)、61.3.3少年陳述調書(<書証番号略>)、丙沢の8.26少年陳述調書(<書証番号略>)、9.6少年陳述調書(<書証番号略>)、61.3.6少年陳述調書(<書証番号略>)、夏男の9.6少年陳述調書(<書証番号略>)、61.3.4少年陳述調書(<書証番号略>)、秋男の61.2.28少年陳述調書(<書証番号略>)、Aの9.18少年陳述調書(<書証番号略>)、61.3.5少年陳述調書(<書証番号略>)、Bの9.18少年陳述調書(<書証番号略>)、61.2.18少年陳述調書(<書証番号略>)によれば、少年らは、いずれも否認に転じた以降の原審審判廷及び抗告審審判廷で、自らは本件事件を犯していないのに捜査段階で自白したのは、否認しても警察から暴行を加えられるなど信用してもらえず、捜査官から他の少年が犯行を認めている旨言われたり、捜査官からその想定した事実を告げられ、あるいは、写真や図面を見せられて誘導され、あるいは、その事実を押しつけられ、また、自分で適当に想像して供述し、さらに、供述の説明として図面を作成したものであり、他の少年らと食い違った供述をすると、その供述を変更させられ、他の少年らの各供述と合致するように供述させられたなどと弁解していることが認められる。
しかも、前記第四で判示したとおり、物的証拠との関係において、少年らが本件事件を犯していないのではないかという強い疑いを抱かせるところがあるうえ、本件事件に対応する本件非行事件において、少年らの犯行であると断定すべき物的証拠が存在しないことから勢い捜査官が少年らから自白を得ることに熱心であったであろうことは容易に推測できるだけでなく、捜査官が不用意に死体の肛門を開大させ、その事実を解剖医(鑑定人)や検察官に知らせなかったこと、毛髪やスカートに付着した精液斑の血液型に関する鑑定結果等について裁判所への送致の遅滞や不提出があったこと、その他の経緯などに鑑みれば、捜査官が意識的に客観的証拠を操作したのではないかとの疑念も抱かせかねないのであって、それだけに、少年らの自白を内容とするその供述調書類の書証としての信用性については、より一層慎重に検討しなければならないというべきである。
ところで、後記のとおり、Bと秋男を除く少年らの大半が、本件事件で身柄拘束される前の任意の取調べ開始当日に被害者殺害の事実については自白し(Bは逮捕後九日目に、秋男は一三日目に)、その後も少年らは捜査段階で被害者殺害に関しては一貫して自白を維持していたこと、その各自白内容は具体的詳細であり、しかも、概ね本件犯行現場及びその付近の状況並びに被害状況などの客観的事実に符合しているかに見えること、その各自白が最終的には相互に大筋においては一致していることが認められ、これらによれば、各供述が互いに補強し合って、少年らの各自白は信用すべきもののようでもある。
しかし、当裁判所は、以下に述べる理由により、本件訴訟においては原告主張事実に沿う右少年らの自白供述を内容とする書証は、いずれもその信用性に強い疑問があって採用できず、結局、乙川らによる被害者に対する強姦、殺人のいずれの事実についても未だその証明がなされていないものとして、原告らの請求原因事実を認めることはできないものと考える。
なお、原告ら及び被告らは、ともに少年らの自白の信用性の他に、その任意性をも問題としているが、民事訴訟手続においては刑事訴訟手続(なお、少年保護審判手続において刑事訴訟手続と同様の証拠法則がそのまま妥当するか否か別として)とは異なり、基本的にはいわゆる刑事訴訟手続(ないしは少年保護審判手続)における自白供述ないし自白調書の任意性の問題も含めて、すべてその書証としての信用性の問題として考えるべきであり、さらに、その信用性評価に際しては、その内容自体の具体性、詳細性、迫真性のみならず、①自白内容の客観的証拠との整合性(物的、客観的証拠との積極的矛盾の有無や物的、客観的証拠による裏付けの有無等)、②自白の変遷の有無・程度、③秘密の暴露の存否、④不自然・不合理な内容の存否等の検討を通じ、より分析的、客観的に判断すべきであると考える。
二少年らの自白内容
少年らの供述内容は、後記のとおり客観的事実との積極的矛盾、前後多数の供述の変遷、少年らの供述間に多数の食い違いなどがあり、その最終的な自白内容によっても殺害の共謀や殺害態様などの具体的な内容について確定することが困難なものとなっているが、その大筋は次のとおりである。すなわち、「少年らは、七月一九日午前二時ころ、八潮市内を窃取した二台の車で走行中、八潮中央病院付近を一人で歩いていた被害者を発見し、乙川が車を停めさせ、丙沢らが抵抗する被害者を秋男の運転するブルーバード後部座席に無理矢理押し込み、スーパーマルコーの駐車場(以下「マルコー駐車場」という。)まで連れて行ったが、丙沢は、同駐車場へ向かう車中で被害者の上着(シャツ)を強引に脱がし、両腕を交差させて嫌がっていた被害者の腕をどけたりして、無理やりその胸を触ったり、掴んだりした。
マルコー駐車場に着くと、被害者は、『おしっこをしたい。』などと言って、自ら後部ドアを開けて降りた後、走って逃げようとしたが、乙川、丙沢、夏男は、すぐに被害者を追いかけて捕まえ、今度はAの運転するクラウン後部座席に押し込んだ。同車内にいたBと夏男は、『何すんだよ。』などと言って足をばたばたさせながら抵抗して嫌がる被害者のスカートを強引に脱がせ取り、さらに、身体を動かして嫌がる被害者の胸や陰部を触ったり、揉んだりした。暫くして、乙川と丙沢は、Bらと交替してクラウンに乗り込み、同じように被害者の胸などを触ったり、揉んだりしていた。その後、少年らは、強姦するために被害者をクラウンに乗せたまま、北公園へ連れて行き、そこで輪姦することになったが、乙川と丙沢は、北公園へ向かう車内でも被害者の胸などを触っていた。
少年らは、北公園に着くとブラスリップとパンティ姿の被害者を車から降ろし、公園内に連れ込み、入口左手にある藤棚の下のベンチ付近へ連れて行った。Bは『やらない。』などと言ってはずれたので、Bを除く五人で被害者を輪姦する相談を始めた。その時、乙川が『おまんこやるのにゴムがねえ。誰かゴム持っているか。』などと言ったところ、丁海兄弟が二個ずつコンドームを出したので、コンドームの数に対応する四人だけで輪姦することに決まった。秋男と夏男は、コンドームを持っていたので優先権が与えられ、残りの乙川、丙沢、Aの三人でじゃんけんして輪姦する者を決めることになり、じゃんけんの結果、Aが負けて姦淫できなくなり、同人はBとクラウンに戻った。乙川らは、輪姦者を決定した後、コンドームを分け、四人で被害者のパンティとブラスリップを脱がせようとしたが、被害者が暴れて抵抗したので、同女の足のあたりを数回蹴りつけたり、体を拳骨で殴ったりしたところ、被害者がおとなしくなったので、乙川と丙沢がブラスリップとパンティを脱がせた。その後、乙川と丙沢は、被害者の腕を掴んで公園の奥の方に引っ張って行こうとしたが、被害者が不満そうに『どこへつれていくのよ。』などと文句を言ったので、乙川が『てめえ、うるせんだよ。』などと言って左手拳で被害者の左頭部を一回殴りつけると、同女は静かになり、その後は文句も言わずに、乙川らのされるままになった。乙川と丙沢は、第一組となって被害者の腕を掴んで公園の奥の池の奥の山の斜面のような所に連れて行き、そこで丙沢と乙川が被害者を姦淫した。乙川が『四夫(丙沢)、一番初めにやれよ。』などと声をかけたので、丙沢が最初に姦淫することになり、同人は、仰向けに倒れている被害者の上にコンドームをつけずに正対する形でのしかかり、自己の陰茎を被害者の陰部に挿入しようとしたが、結局、挿入することができず、被害者を四つんばいの形にさせて後ろ向きにさせ、陰茎を肛門に挿入して射精したが、その時、被害者は抵抗せず、同女の体を押さえている者は誰もいなかった。丙沢の次に、乙川が被害者に『仰向けになれ。』などと命令してコンドームをつけた陰茎を被害者の膣に挿入し、五、六回入れたり、出したりしているうちに射精し、使用済のコンドームを池の中に捨てた。その次に丁海兄弟が姦淫したが、丁海兄弟は、その場所が狭く姦淫するには不向きであったため、被害者を藤棚の方向へ連れて行き、ベンチの少し手前の草むらの中で押し倒した。そこでの順番ははっきりしないが、夏男は、乙川と同じ姿勢でコンドームをつけて姦淫しようとしたが、陰茎は一cm位挿入されただけで、射精をしないまま終わり、コンドームをグランドの金網の所へ投げ捨てた。秋男は、被害者をうつぶせに寝かせ、後ろから陰茎を膣に挿入しようとして、挿入したような気がしたが、射精はしていない(なお、秋男がコンドームをつけたのか否かについての供述はない。)。丁海兄弟が終わると、丙沢が再び、被害者にのしかかり、被害者の陰部に顔をつけて、舐めたりするとともに、被害者の口の中にコンドームをつけていない陰茎を挿入して口の中に射精した。その次に、乙川が仰向けに寝ている被害者の両方の胸を揉んだりした。
被害者は、乙川らの強姦が終わると、パンティとブラスリップを身に着けた後、『警察に言っちゃうから』などと言い出した。そのため、少年らは、被害者が警察に届け出ることにより、自己の犯行が発覚し、少年院に送られることを恐れ、被害者をクラウンに乗せた後、停車中のブルーバードとクラウンの二台の車の間で、被害者の処置について相談した。乙川は、『殺しちゃおうか。』などと言い出したが、BとAが『強姦していないから関係ない。』などと言って相談からはずれてクラウンに乗り込んでしまったので、残った四人で相談を続けた結果、結局、秋男を逃走用の運転手役としてはずし、乙川、丙沢、夏男の三名で被害者の首を締めて殺害することになった。殺害場所は、暗くて人通りのない八潮三中付近に行って探すことになった。
少年らは、秋男の運転するブルーバードに乙川、丙沢が乗り、Aが運転するクラウンにすでに車内でシャツとスカートを身に着けていた被害者、夏男、Bが乗って北公園を出発したが、途中、殺す三人が一緒の車に乗っていた方がいいという理由から、八潮三中付近の砂利道で一旦、車を停め、乙川と丙沢がクラウンに、Bがブルーバードにそれぞれ乗り換え、再度、人気のない田圃の方に向かってクラウンを先頭に走り出し、適当な殺害場所を捜した。東高校付近まで来ると、周りが田圃ばかりで暗くて人気も全くなかったため、そこを殺害場所と決め、東高校南側付近の路上に車を停めた。乙川ら三名は、クラウンから降り、丙沢と夏男がいやがる被害者の手を引っ張って連れ出し、同女を引き連れて、その殺害場所を探しながら、十字路を左折して東高校北側裏手の方に歩いて行った。東高校自転車置場付近まで行くと、その先には陰になるものがなくなるため、また来た道を戻って引き返したが、グランド前あたりまで戻ったところで、後方から車のライトが当たったため、乙川らは、一瞬びっくりして逃げ出し、夏男は乙川らを置き去りにして十字路交差点付近まで逃げたが、秋男とAの運転するブルーバードとクラウンであることがわかると、丙沢か夏男が合図をしてライトを消させたが、車内の秋男らは車から降りて来なかった。乙川らは、さらに、東高校北側路上を東進し、高校のプレハブ小屋付近前まで来たが、小屋の陰になり暗くて人にも見られず、殺すのに適当な場所と考え、そこで、被害者を殺害することになった。乙川らは、被害者のシャツとブラスリップを脱がせた後、乙川が、そのブラスリップを長く伸ばした状態で両手に持ち、被害者(なお、被害者が立っていたのか、膝立ちの状態であったのかは供述が一致せず、特定できない。)の後ろから頭越しにブラスリップを首にかけ、首の後ろで交差させてからブラスリップを持ち替え、左右反対方向に力一杯引っ張りながら後ろ向きに引っ張った。被害者は暴れて両手でかきむしるようにしてブラスリップをはずそうとしたが、乙川と共に仰向けに倒れた。その時、乙川は、丙沢に対し『四夫』と呼んでブラスリップの左端を丙沢に渡し、乙川と丙沢の二人が両手でブラスリップの両端を左右に引っ張って被害者の首を締め続けた。夏男は、被害者が足をバタバタさせて首を締めつけているブラスリップを掴んではずそうともがいたため、その両膝あたりを両手で押さえつけた。そのような状態で暫くすると、被害者の首のところに持っていかれていた両手がいきなりバタンと下に垂れ、それっきり人形のように動かなくなり、体がぐたっとしたので、乙川らは、被害者が死んだと思い、ブラスリップを離したが、乙川は、ブラスリップの両端を被害者の首の前に回して一回だけ結んだ。
その後、乙川ら三名は、被害者の死体を捨てる場所を探したところ、殺害場所から二〜三〇〇m離れた田圃の中に少し土が積まれ小高くなっている所が見えたので、そこに捨てることになり、乙川が仰向けになっている被害者の両足を両手に抱えて持ち、丙沢が脇の下から手を入れて抱え、夏男が腰のあたりを持って、死体を運んで行った。乙川ら三名は、抱えて運ぶのは大変だと思ったが、被害者を車に乗せたり降ろしたりするよりは、そのまま三人で運んだ方が早いと考え、側にいた車は使わず、乙川が先頭になり、後ろ向きで進み、二〇〇m位運んだが腕が痛くなった。なお、被害者のシャツは同女の腹の上に乗せて運んだ。乙川らは、残土置場に少し入った所で、一旦、死体を降ろし、乙川が、『ここで乱暴されたように見せかけよう。』などと言ったので、丙沢が被害者のパンティを膝あたりまで引き落とし、夏男がスカートを腹付近まで捲り上げ、靴を脱がせて被害者の腹の上に乗せ、それから再び三人で被害者の死体を残土置場中央付近の小山の方に運び上げようとしたが、途中でシャツと片方の靴を落としたのに気づき、乙川が夏男に拾いに行かせた。その後、乙川と丙沢の二人は、被害者の死体を持って、残土置場中央付近の土の盛り上がっている所の上に上がり、残土置場南東隅から少し降りた所で、乙川が被害者の足、丙沢が頭の方をそれぞれ持って、一、二の三で残土と草むらの境あたりに死体を投げ捨てた。その時、夏男がシャツを拾ってきて、そのシャツを死体の方に投げつけた。また、丙沢は、その付近にあった四角いコンクリートを被害者の死体めがけ投げつけた。死体を捨てると、急に恐ろしくなり、三人は大急ぎで車に戻り、飛び乗って、すぐに逃げた。」というのである。
三少年らの供述経過(なお、少年らの供述調書、上申書のすべてが当裁判所に書証として提出されているものではないため、少年らの供述経過のすべてを検討することはできないが、提出証拠の範囲内で書証として提出されていない調書類の内容を確定したうえ、その供述経過を検討する。)
1 乙川の供述経過
草加署は、七月二三日午前五時一五分、夏男らの友人であった丁海冬子の父から「娘冬子が昨夜帰宅したところ、同女が夏男から甲野花子さんが七月一九日の午前〇時ごろ八潮中央病院付近を歩いているのを見たとの話を聞いた。」旨の電話連絡を受けたことから、夏男らと行動を共にしていた乙川が本件事件に何らかの関連があると認め、任意同行を求めたところ、乙川は、草加署員に取り調べられてから三〇分ほどで、「被害者の首をブラジャーで締めて殺した。」旨自白し(ただし、姦淫既遂を除く。)、同日午後一〇時四五分ころ、同署において緊急逮捕された(7.23緊急逮捕手続書―<書証番号略>、抗告審証人乙川陳述調書25丁―<書証番号略>)。右緊急逮捕手続書によれば、被疑事実の要旨は、乙川は「昭和六〇年七月一九日午前一時〇分ころ(中略)花子を認めるや他の三名と共謀し(中略)同女を姦淫することを企て被疑者らの運転する車両に乗車させて同日午前二時〇分ころ草加市柿木町一三五三番地一、有限会社豊田建興残土置場に連れ込み(中略)『やらせろ』等と申し向けて、腕をつかんだり蹴ったり着衣を剥奪する等の暴行を加えたが、抵抗にあい姦淫の目的を遂げなかった。(中略)その際犯行の発覚をおそれ共謀のうえ同女着用のブラスリップで同女の頸部を締めつけたほか、コンクリート片で顔面を打ちつけ、もって同所において頸部圧迫鼻骨々折等により吐物吸引により窒息死させ(中略)殺害した。」というものである。乙川は、7.23弁解録取書で、右緊急逮捕手続書記載の犯罪事実を認めたうえ、「顔見知りの被害者を車に乗せ、田圃ばかりのところへ行き、乙川、夏男、丙沢、D(以下「D」という。)の四人がかりで服を脱がせ、乙川と丙沢で首を絞め殺した。」旨供述し(<書証番号略>)、7.23員面で、「二台の乗用車に分乗し、走り回っているとき八潮中央病院の近くで被害者を見つけ、無理やり車に押し込んで八潮三中の先の高等学校がある田圃の中のあぜ道に連れ込んで洋服を脱がせて乱暴し、ブラジャーで首を絞め殺した。」旨供述し(<書証番号略>)、逮捕翌日の七月二四日にも、7.24員面で、Dが犯行に加わっていなかった旨変更した他は同趣旨の供述をしている(<書証番号略>)。なお、7.24捜査報告書(<書証番号略>)、7.24電話聴取書(<書証番号略>)によれば、乙川は、七月二四日午後七時三〇分ころ、浦和検察庁に身柄送致された際、同所において、持病のてんかん発作を起こし、救急車で市内の病院に搬送され、診察を受けたことが認められるが、裁判官の7.25勾留質問調書でも「被疑事実は間違いなく、弁解もない。」旨供述している(<書証番号略>)。
以上の七月二四日までの供述は、残土置場内で被害者を強姦しようとしたが、同女の抵抗にあい、姦淫の目的を達しないまま、同女を殺害したとの内容になっており、殺害動機や殺害態様についての具体的な供述はなされていない。
その後、七月二五日から八月二日までの供述調書は作成されていないとの理由で少年保護審判手続には提出されていないが、八月三日になって8.3員面で、「マルコーの駐車場に停車中の自動車の中で被害者の服を脱がし、北公園で俺と仲間五人のうち四人でオマンコしてから殺し、八潮三中先の高校近くの田圃の中に被害者の死体を捨てた。」旨供述し(<書証番号略>)、姦淫について未遂から乙川、丙沢、夏男、秋男による既遂に、姦淫場所及び殺害場所を死体発見現場である残土置場から北公園に、残土置場はその後死体を遺棄した場所である旨それぞれ供述を変更し、当日、マルコー駐車場、北公園などの現場の指示説明のため引き当たりが行われたうえ、「北公園で乙川らが被害者を強姦し、BとAが車中で被害者のおっぱいを触ったりした(殺害場所、方法などについての記載はない。)。」旨の上申書(8.3上申書、<書証番号略>)を作成して捜査官に提出している。
なお、8.3電話聴取書(<書証番号略>)によれば、八月三日午前九時一〇分ころ、乙川の母親から草加署に対して、「少年ら六人でやったと言うのなら、A、Bの二人はどうして帰されたのか。BもAも『警察の取調べがこわかった。(少年ら)六人は、何もしていないのに警察のでっちあげで捕まったが、BとAは何もやっていないと最後まで言いとおしたので帰れた。乙川ら四人はやってないのに、やったと言ってしまったから泊められてしまった。』と言っている。また、Bは『今日警察に一時に呼ばれているから、六人の無罪を証明してくる。警察署でぶたれたりして言わされる。』と言っていた。」旨の抗議の電話がかけられていることが認められる。
ところが、乙川は、八月四日になって8.4上申書で、殺害場所を北公園から「八潮三中方面のどこか田圃の中の路上である。」と再度変更したうえ、Bを除く乙川、丙沢、夏男、秋男及びAの五人が姦淫することになったが、姦淫にあたりコンドームを使用することになったため、じゃんけんで姦淫する者を決め、コンドームを所持していた夏男と秋男を除く乙川、丙沢、Aの三人でじゃんけんをした結果、Aが負けて、姦淫に加わらなかったこと、姦淫の順番は、丙沢、乙川、夏男、秋男の順であったこと、姦淫場所は丙沢、乙川が池の奥、夏男と秋男が池の手前であったこと。殺害の動機は、乙川らの姦淫が終わった後、被害者が「警察に言っちゃうから」と言ったため、乙川、丙沢、夏男の三人で殺害することになり、前記殺害場所で被害者のブラジャーを乙川と丙沢の二人で引っ張って絞め殺したこと、その後、乙川が被害者の足、丙沢が肩付近、夏男が腰付近を持って殺害場所から一五〇〜二〇〇m程運んで残土置場に投げ捨てたこと、被害者の上着は死体の上に乗せて運んでいたが、途中、落ちたので、夏男に拾いに行かせ、死体を捨てた後、夏男が死体の方へ投棄したことなど犯行状況に関して具体的な記載をして捜査官に提出し(<書証番号略>)、以後、八月九日と八月一二日には現場での実況見分に立会うなどして(8.19実況見分調書―<書証番号略>、8.19捜査報告書―<書証番号略>)、犯行態様などに供述の変遷はあるものの大筋において家庭裁判所(原審)に対する送致事実に符合する自白をしているが(8.7員面―<書証番号略>、8.8員面―<書証番号略>、8.10検面―<書証番号略>、8.12検面―<書証番号略>)、右送致事実の要旨は、乙川は「丙沢、夏男、秋男、A及びBと共に、普通乗用自動車二台に分乗し、昭和六〇年七月一九日午前二時すぎころ、八潮市大字小作田三九番地先路上を走行中、同所を通行中の甲野花子(当一五年)を認めるや、同女を同車内に押し込み、同女の乳房等を弄ぶうち、第一 秋男及びAと同女を強姦することを共謀し、同日午前二時三〇分ころ、同市大字新町三〇番地八潮北公園に同女を連行し、同所においてこもごも同女の顔面等を殴打し、その大腿部を足蹴にするなどの暴行を加えて同女の反抗を抑圧し、丙沢、乙川、夏男、秋男が順次同女を姦淫し、もって共同して強姦し、第二 前記犯行後、甲野花子から『警察に言うよ。』といわれるや、右犯行の発覚により少年院等に収容されることをおそれ、同女の口を封じるため同女を殺害することを企て、共謀の上、同日午前三時ころ、草加市柿木町一一一〇番地先路上まで同女を連行し、同所において、同女着用のブラスリップを剥ぎ取り、乙川においてこれを同女の頸部に巻きつけて締めた上、更に、丙沢と共に右ブラスリップの両端をそれぞれ引っ張って締めつけ、よってそのころ、同所において、同女を頸部圧迫及び吐物吸引或いは誤嚥により窒息死させて殺害した。」というものである(8.13送致書、<書証番号略>)。
しかし、乙川は、その後、家庭裁判所送致の八月一九日に、少年鑑別所内で「事件の日の行動」と題する書面(<書証番号略>)を作成して否認に転じ、付添人の出席のない原審第一回審判期日にも否認し、原審決定に対し自ら抗告申立書を作成するなど、その後も一貫して本件事件を否認している(8.26原審第一回審判調書―<書証番号略>、8.26原審少年陳述調書―<書証番号略>、9.6原審少年陳述調書―<書証番号略>、9.10抗告申立書―<書証番号略>、61.3.31抗告審質問調書―<書証番号略>)。
2 丙沢の供述調書
丙沢は、乙川と同様、七月二三日に任意同行を求められ、取調べを受けた当日、「被害者の首をブラジャーで締めて殺した。」旨自白し(ただし、姦淫及び自己の殺害実行を除く。)、同日午後一〇時四五分、草加署において、前記乙川の緊急逮捕手続書記載と同様の被疑事実で緊急逮捕されて、同日午後一〇時四六分、同署に引致された(7.23緊急逮捕手続書―<書証番号略>)。丙沢は7.23弁解録取書では「夏男、乙川、A達と共に八潮市内を走り回っていて被害者を車に乗せて八潮三中の方の寂しい田圃の中に連れて行って被害者の首を締めて皆で殺したことは事実です。」と陳述し(<書証番号略>)、同日7.23員面で「ブルーバード一台に七名が乗って八潮市木曽根の郵便局付近を走行中に被害者を発見してブルーバードに乗せ、八潮三中の方の寂しい場所に連れて行き、いたずらするつもりでしたが、皆んなでぶっとばして最後に乙川が一人で締めて殺した。」旨供述し(<書証番号略>)、逮捕翌日の二四日にも7.24員面(二通)で、Dが犯行には加わっていないこと、被害者を発見した時は車二台で走行していたときであること、被害者の発見場所は中央病院付近であった旨供述を変更した他は「土が高くなっている山のような所の上で乙川が『やっちゃう』と言って服を脱がせたので、僕も脱がすのを手伝い、被害者が抵抗してやらせなかったので、乙川が首を両手で締めて殺した。その後、裸の被害者を山になっている奥の草の方に乙川が顔を丙沢が足を持って運んで捨てた。」旨前日と同趣旨の供述をし(<書証番号略>)、同二五日には裁判官の7.25勾留質問調書で「そのとおり間違いない。弁解もない。」旨陳述している(<書証番号略>)。
以上の七月二四日までの供述は、残土置場内で被害者を強姦しようとしたが、同女の抵抗にあい、姦淫の目的を達しないまま、同女を殺害したとの内容になっており、殺害動機や殺害態様についての具体的な供述はなされていない。
その後、七月二五日から八月二日までの供述調書は作成されていないとの理由で少年保護審判手続には提出されていないが、八月三日になって8.3員面で「病院前からマルコー駐車場に行き、車の中で被害者の体に触ったりし、北公園に連れて行き、公園内で皆でまわしでオマンコをした。オマンコが終わると被害者が警察に言うというので、被害者を殺すことになり、公園の所に停めていた車の中で、俺と乙川、夏男の三人で被害者をその下着で首を締めて殺し、クラウンのトランクの中に死体を入れて、八潮三中の方の田圃の中に捨てた。」旨供述し、姦淫について未遂から既遂に、姦淫場所及び殺害場所を死体発見現場である残土置場から北公園及び北公園停車中の車の中に、残土置場はその後死体を遺棄した場所である旨それぞれ供述を変更し、当日、マルコー駐車場、北公園などの現場の指示説明のため引き当たりが行われている(<書証番号略>)。
ところが、八月六日になって、8.6上申書で、「被害者を車に乗せ、八潮三中の近くの東高校の野球場のところで道路に降ろし、殺した。」旨記載して捜査官に提出し(<書証番号略>)、殺害場所を再度変更し、翌八月七日にも、8.7員面で「八潮三中の方に連れて行って殺し、田圃の中にある残土置場に死体を捨てた。」と同趣旨の供述をしたうえ、マルコーに向かう車中で被害者の上着を脱がせ、オッパイを触ったこと、マルコー駐車場でも、クラウンの中でB、夏男、丙沢、乙川が被害者のオッパイなどを触わっていたこと、北公園で皆で姦淫することになったが、姦淫するにあたりコンドームを使用することになったので全員でじゃんけんをして乙川、丙沢、夏男、秋男が姦淫することになったこと、姦淫の順番もじゃんけんで決め、丙沢、乙川、秋男、夏男の順であったこと、姦淫場所は池の奥の小高い所から藤棚に向かう手前の木が生い茂った芝生の植え込みであったこと、殺害の動機は前記乙川と同様であること、殺害実行者もじゃんけんで決めたこと、殺害場所は東高校グランドのバックネットの切れた木造の小屋付近の路上であること、被害者のブラスリップを脱がせて、乙川が被害者のブラスリップを首に巻き付けて両端を引っ張り、途中から丙沢と二人で被害者の首を締め、夏男が同女の足を押さえて殺したこと、死体を乙川が足、丙沢が頭の方、夏男が背中を持って約一五〇m程運んで、スカートを腹付近までずり上げ、パンティを膝あたりまでさげてから残土置場に捨てたこと、丙沢は死体を捨てた後、その場にあった三〇cm四方の平べったい石を被害者の顔に投げつけたことなど犯行状況に関して具体的な供述をし(<書証番号略>)、以後、八月九日と八月一二日に現場での実況見分に立会うなどして(8.20実況見分調書―<書証番号略>、8.19捜査報告書―<書証番号略>)、丙沢個人の姦淫態様などの変遷はあるものの、乙川同様、大筋において家庭裁判所送致事実に沿う供述をしている(8.8員面―<書証番号略>、8.9検面―<書証番号略>、8.10検面―<書証番号略>、8.12検面―<書証番号略>、8.13員面<書証番号略>)。
しかし、丙沢は、その後、家庭裁判所送致の八月一九日に、少年鑑別所内で「じけんの日のこと」と題する書面(<書証番号略>)を作成して否認に転じ、付添人の出席のない原審第一回審判期日にも否認するなど、その後も一貫して本件事件を否認している(8.26原審第一回審判調書―<書証番号略>、8.26原審少年陳述調書―<書証番号略>、9.6原審第二回審判調書―<書証番号略>、9.6原審少年陳述調書―<書証番号略>、61.3.8抗告審質問調書―<書証番号略>)。
3 夏男の供述経過
夏男は、乙川、丙沢と同様、七月二三日に任意同行を求められ、取調べを受けた当日、「草加市柿木町の田圃の中にある土盛りしてあるところで、被害者を裸にして、首を締めて殺し、そこへ投げ捨ててきた。」旨自白し(ただし、姦淫及び自己の殺害実行を除く。)、同日午後一〇時四五分、草加署において、前記乙川の緊急逮捕手続書記載と同様の被疑事実で緊急逮捕されて、同日午後一〇時四六分、同署に引致された(7.23緊急逮捕手続書―<書証番号略>)。夏男は7.23弁解録取書では「僕、秋男、乙川、D、丙沢、Aの六人で、被害者を車に乗せ、草加市柿木町の田圃の中にある土盛りしてあるところへ連れて行き、乙川が衣類で甲野の首に巻きつけて絞め殺した。」旨陳述し(<書証番号略>)、同日、7.23員面で「盗んだ車二台で八潮中央病院付近を走行中に被害者を発見してクラウンに乗せ、柿木町の田圃の細い道路に入り、土盛りしている所で車が停まると、被害者が逃げ出したので、夏男が被害者の足をタックルして倒し、スカートを引っ張り、乙川と丙沢がシャツなどを脱がして上半身裸にして、乙川が衣類で被害者の首に巻きつけて絞め殺した。その後、乙川が被害者の頭を、丙沢が足の方を持ち、土盛りの山から反対側の田圃の方へ放り投げた。」旨供述し(<書証番号略>)、逮捕翌日の二四日にも7.24員面で、Dの代わりにBが共犯者であった旨供述を変更した他は同趣旨の供述をし(<書証番号略>)、7.24検面でも「乙川がブラジャーか何かで被害者の首を締め、丙沢が被害者の胸付近を押さえて殺した。死体は乙川、丙沢、夏男の三人で捨てた。」とする他は同趣旨の供述をしていたが(<書証番号略>)、同二五日には裁判官の7.25勾留質問調書で「自分はセックスをするという目的については知りませんでしたし、自分はそういう気持ちはありませんでした。殴ったりはしましたが、殺そうという気持ちはありませんでした。」旨陳述し、自己の姦淫目的と殺意について否認している(<書証番号略>)。
以上の七月二四日までの供述は、前記乙川や丙沢同様、残土置場で被害者を強姦しようとしたが、同女の抵抗にあい、姦淫の目的を達しないまま、同女を殺害したとの内容になっており、殺害動機や殺害態様についての具体的な供述はなされていない。
その後、七月二五日から八月一日までの供述調書は作成されていないことは前記乙川らと同様であるが、八月二日になって8.2員面で「病院前からマルコー駐車場へ行き、車内で被害者のスカートを脱がして胸などを触っていたずらした後、北公園に連れて行き、公園内で夏男、乙川、丙沢、秋男、Aの五人でオマンコすることに話がまとまったが、乙川が『コンドーム持っているか。』と言ったことから、コンドームを使用することになり、乙川が『夏男と秋男は持っているからいい。俺達三人でじゃんけんして決めよう。』と言ったことから、夏男と秋男を除く三人でじゃんけんして、Aが負けておまんこできなくなった。」旨供述し(<書証番号略>)、強姦現場を変更し、検察官住田作成の8.2取調状況報告書でも、同じく強姦場所を北公園としたうえ、さらに、「奥の池近くで被害者の下着を脱がせ、藤棚の方へ戻って、乙川、丙沢、秋男、夏男の順に強姦したが、被害者が警察に言うというので、殺すことになり、じゃんけんをして、乙川、丙沢、夏男が殺すことになり、北公園に停車中のクラウンの中で乙川と丙沢がブラスリップを両側から引っ張って首を締めて殺したが、夏男は被害者の腰を押さえていた。その後、三人でトランクの中に死体を入れた。柿の木の所で乱暴されたようにするため、乙川がパンツを膝まで履かせ、夏男がスカートを着けた後、三人で放り落としたが、夏男と乙川が急いで逃げるとき、ゴロゴロと坂をころげ落ちてドンと何かあたる音がした。」と供述し、姦淫について未遂から既遂に、殺害場所を北公園停車中の車内であると供述を変更し(<書証番号略>)、八月三日には、8.3員面で同趣旨の供述をし、当日、マルコー駐車場、北公園などの現場の指示説明のため引き当たりが行われている(<書証番号略>)。
ところが、八月七日になって、8.7員面で、「俺達が被害者を殺した場所は死体を捨てた残土置場の近くの学校のグランドの脇の道路上です。」旨供述して、殺害場所を再度変更し(弁論の全趣旨により認める。)、翌八月八日にも、8.8員面で「柿木の方の田圃の中にある学校のグランドに沿った路上で乙川と丙沢の二人が被害者の下着を首に巻いて引っ張って殺し、夏男は足をばたつかせている被害者の足や体を押さえていた。」旨供述し、さらに犯行の具体的な内容を詳細に供述し出し(<書証番号略>)、以後、八月九日と八月一二日に現場での実況見分に立会うなどして(8.15実況見分調書―<書証番号略>、8.19捜査報告書―<書証番号略>)、変遷はあるものの、乙川、丙沢同様、大筋において家庭裁判所送致事実に沿う供述をし(8.10検面―<書証番号略>、8.12検面―<書証番号略>)、八月一三日の監護措置決定以後も、8.17「今の気持ちについて」と題する書面で、非行事実を認め、反省悔悟の念を述べ(<書証番号略>)、八月二六日には、自らの原審審判期日のみならず、乙川と丙沢の原審審判期日にも証人として捜査段階の供述に沿う供述をしている(8.26原審審判調書―<書証番号略>、8.26乙川及び丙沢の審判期日における証人尋問調書―<書証番号略>)。
しかし、夏男は、その後、九月六日の自らの原審第二回審判期日に否認に転じ(9.6原審第二回審判調書―<書証番号略>、9.6原審少年陳述調書―<書証番号略>)、その後も一貫して本件事件を否認している(61.3.4抗告審質問調書―<書証番号略>)。
4 秋男の供述経過
秋男は、七月二三日、任意同行を求められ、草加署で取調べを受けたが、犯行否認のまま浦和少年鑑別所に送致され(61.2.28証人秋男尋問調書―<書証番号略>)、その後、八月一三日まで在監していたが、その在監中である8.5員面で「被害者を北公園で強姦し、乙川らが被害者を殺害した。」旨供述し(61.2.28証人秋男尋問調書―<書証番号略>)、その後も同趣旨(ただし、乙川らの殺害行為は目撃していない。)の供述をしていたが〔8.23員面―<書証番号略>、8.21上申書(61.2.28証人秋男尋問調書―<書証番号略>)〕、8.22員面で乙川らの殺害状況を車内で目撃していた旨供述を変更した(<書証番号略>)。
しかし、その後、九月三日に父親と面会して以降、否認の供述をし出し(塚田昇員面―<書証番号略>)、以後、犯行を否認している(61.2.28証人秋男尋問調書―<書証番号略>)。
5 Bの供述経過
Bは、七月二五日、二六日に任意同行を求められ、草加署で取調べを受けたが、本件事件当時のアリバイ行動を記載した7.26上申書を作成するなど犯行を否認し(<書証番号略>)、八月三日に被害者に対する強制猥褻容疑で否認のまま午後二時四五分に通常逮捕され、草加署に引致されたが(8.3通常逮捕手続書―<書証番号略>)、その後も「本件事件当日、乙川らと行動をともにしていたが、被害者を車に乗せたこともいたずらしたこともない。」旨否認供述を繰り返していた(8.4弁解録取書―<書証番号略>、8.4員面―<書証番号略>、8.5検面―<書証番号略>、8.5勾留質問調書―<書証番号略>)。しかし、Bは、逮捕後九日目の八月一二日に8.12員面で「マルコー駐車場のクラウンの中で被害者のオッパイを触った。その後、乙川らとAの五人が北公園内で被害者とセックスをやり、八潮三中の方の田圃に連れて行き、乙川らがどこかに連れて行って殺してしまった。」旨犯行を認める供述をし出したが、姦淫、殺人いずれの状況も実際には目撃をしていない旨の供述をし(<書証番号略>)、その後は変遷はあるものの同趣旨の供述をしていたが(8.13検面―<書証番号略>、8.14員面―<書証番号略>、8.15員面(二通)―<書証番号略>、8.16上申書―<書証番号略>、8.19員面―<書証番号略>)、検察官高井康行による取調べを受けた八月二一日に8.21検面で乙川らの殺害状況を目撃していた旨供述を変更し(<書証番号略>)、8.22員面でも同趣旨の供述をし(<書証番号略>)、家庭裁判所送致後の8.24原審審判調書でも送致事実を認める旨の陳述をし(<書証番号略>)、さらに八月二六日の丙沢の審判期日でも捜査段階の供述に沿う証言をしている(8.26証人尋問調書―<書証番号略>)。しかし、その後、9.12審判調書で再度、否認に転じ(<書証番号略>)、その後も一貫して否認している(9.18審判調書―<書証番号略>、61.3.1少年陳述調書―<書証番号略>)。
6 Aの供述経過
Aは、七月二二日から二五日にかけて、任意同行を求められ、草加署で取調べを受けたが、その後、取調べは受けず(9.12少年陳述調書―<書証番号略>)、八月四日に再度任意の取調べを受け、同日、被害者に対する強制猥褻、強姦の被疑事実を認める旨供述して同日午後三時に通常逮捕され、同三時一分に草加署に引致された(8.4通常逮捕手続書―<書証番号略>)。8.4弁解録取書でも同趣旨の陳述をし(<書証番号略>)、8.4員面では「北公園で夏男、秋男、丙沢、乙川、俺の五人でじゃんけんして負けてしまったので、おまんこするのはあきらめて、強姦できなかった。車の中に入っていたのでおまんこするところは見ていないし、被害者を車に乗せ、東高校近くまで連れて行き、乙川が車から降ろしたが、クラウンの運転席にいたので被害者を殺す現場は見ていない。」旨供述し(<書証番号略>)、その後も、変遷はあるものの同趣旨の供述をし(8.5検面―<書証番号略>、8.7員面―<書証番号略>)、裁判官の8.5勾留質問調書でも同様の供述をしている(<書証番号略>)。その後、Aは8.8員面で「東高校裏路上付近で乙川達が被害者を乱暴して、その後残土置場の方向に連れて行ったのを見た。」旨供述を変更し(<書証番号略>)、8.10員面でも同趣旨の供述をしていたが、8.15上申書で「北公園で乙川らが被害者が警察に話すと言ったことから殺してしまうという相談をした話しを聞いている。」旨記載して供述を変更し(<書証番号略>)、その後も同趣旨の供述をし(8.16員面―<書証番号略>、8.20検面―<書証番号略>、8.21員面―<書証番号略>、8.22員面―<書証番号略>)、家庭裁判所送致後も丙沢の審判期日に捜査段階の供述に沿う証言をしている(8.26証人尋問調書―<書証番号略>)。しかし、その後、9.12少年陳述調書で再度、否認に転じ(<書証番号略>)、その後も一貫して否認している(9.18少年陳述調書―<書証番号略>、61.3.5A質問調書―<書証番号略>)。
四供述内容と客観的事実との整合性について
少年らの前掲各員面、検面、上申書等を検討した結果、少年らの本件事件に関する供述内容には、客観的事実との整合性を欠き、或いは積極的に矛盾する点が多数存在することが認められるのであるが、以下では、そのうちの主要なもの及び被告らが主張する主なものについて指摘、検討するに止める。なお、供述内容が他の証拠によって認められる客観的事実と符合するか否かを具体的に検討するに際して、その比較の対象とされるべき客観的事実は、確実な証拠によって担保され、殆ど動かすことのできない事実か、それに準ずる程度のものでなければならないというべきである。
1 姦淫供述と客観的事実との整合性について
(一) 処女膜健存等の事実との積極的矛盾
膣等への陰茎の挿入に関する乙川らの捜査段階での供述には、後記のとおり変遷がみられるものの、その最終的な自白内容によれば、乙川、丙沢、夏男、秋男が実際に姦淫行為に着手し、丙沢が膣内に陰茎を挿入することができず、肛門及び口腔内にコンドームをつけずに陰茎を挿入して射精し(8.10検面)、夏男がコンドームを付けて陰茎を膣に挿入しようとしたが一cm位入っただけで射精はしなかった(8.10検面)、秋男が後背位から陰茎を挿入しようとしたが挿入したかどうかはっきりせず、射精はしなかった(8.12員面、8.22員面)というものであるが、乙川は、8.10検面で「コンドームをつけた後、被害者のおまんこに私のチンポを五、六回入れたり、出したりした。」旨、8.12検面で「おまんこの中に私のチンポを入れたり出したりして五、六分するうちに段々気持ちが良くなってチンポが固く太くなり、おまんこに入れた状態で射精しました。」と膣に陰茎を挿入した旨明確に供述している。
しかし、被害者の死体の処女膜が健存し、陰部には裂傷等の外傷も全くなく、男性の陰茎(ただし、柳田鑑定人の一指より小さい陰茎は別であるが、通常そのような陰茎を考えることはできない。)が挿入された痕跡がなく、性交経験が認められないことは前判示のとおりであるから、乙川の姦淫に関する右の供述内容は、これらの客観的事実に明白かつ積極的に矛盾するものであって、その真実性に強い疑問が残るものといえる。
(二) 肛門等に裂傷がないこと等との積極的矛盾
丙沢の肛門性交に関する最終的な自白内容によれば、検察官高井康行に対する8.10検面で「僕は大きくなったキンタマをコンドームをつけないまま被害者のおまんこに押しつけたが、僕のキンタマはおまんこの穴に入らなかったので、僕はキンタマを被害者の肛門に入れてやれと思い、肛門のところにもって行き、右手で被害者の腰を掴んでキンタマを肛門に入れるために思い切り押し込みました。でもなかなか入らないで被害者はお尻を動かして『いたい』などと言っていましたが、それでもかまわず、僕は大きくなったキンタマを甲野さんの肛門に押し当て力を入れて中へ入れようとしました。結局、キンタマの頭のところだけが、肛門に入ったが、いい気持ちでした。それで力を入れてもっと中へ押し込もうとしたらキンタマから精液が出ましたが、この時はコンドームはつけていませんでした。」「その後、大きくなったキンタマを先程のようにチャックをおろしてズボンから出し、コンドームをかぶせました。そして、そのキンタマを被害者のオマンコに押しつけ穴へ入れてやろうとしたのですが、結局、その穴が見つからず入れる事が出来ませんでした。それでキンタマからコンドームをはずし、前から一度やってみたいと思っていたシックスナインをする事にしました。僕は仰向けになっている被害者の上に逆さまになっておおいかぶさりました。キンタマを被害者の顔の方へもっていき、左手でキンタマを掴んで被害者の口に押し当てたら被害者が口を開けて僕のキンタマをくわえました。同時に僕は被害者のオマンコにキスをしました。被害者は僕のキンタマをくわえて舌を動かしたので、くすぐったいようないい気持ちがしました。被害者の口の中に入れたのはキンタマの頭の方だけでしたがじきに精液が出ました。」旨供述している(<書証番号略>)。
丙沢の右供述のとおりであるとすれば、被害者の肛門付近を中心とする体表面や被害者が強姦終了後すぐに身に着けたとされるパンティないしブラスリップには、当然、丙沢の精子ないし精液が付着しているはずであるし、また、乙川らの供述によれば、被害者は乙川らの暴行を受けて既におとなしくなり、抵抗もできないような状況になっていたのに、痛いなどと言って尻を動かしていたというのであるから、その痛みは相当程度のものであったはずで、しかも、丙沢は陰茎の頭部だけとはいえ思い切り挿入したというのであるから、右供述のとおりであるとすれば被害者の肛門付近には当然裂傷等が生じて然るべきである。
しかし、被害者の肛門部には、裂傷等がなく陰茎が挿入された形跡を窺わせる所見が存在しないこと、被害者がすぐに身に付けたとされるパンティやブラスリップには、鑑定の結果、精液の付着が証明されず、被害者の体表面からも精液付着の事実が証明されていないことは前判示のとおりであるから、丙沢の肛門性交に関する右の供述は、それを裏付ける客観的事実が存在しないというだけでなく、これらの客観的事実に明白かつ積極的に矛盾するものというべきであって、その真実性に強い疑問が残るものというべきである。なお、被害者(死体)の肛門の開大が本件事件に起因するものでないことは前判示のとおりである。
(三) 被害者の体内に精子あるいは精液の存在が証明されないこととの矛盾
前記の乙川らの姦淫供述によれば、被害者の直腸内、気道内、胃内には精子ないし精液が存在し、膣内には精子及び精液は存在しないことになるはずである(したがって、右四か所に精液が存在したとすること自体が、乙川らの供述の信用性に疑問を生じさせるものともいえる。)。
ところで、被害者の死体の膣、直腸、胃および気道の各内容について顕微鏡的に精子の存否を検査したが、いずれも明らかな精子の存在は認められなかったことは前判示のとおりであり、精液の存否についても、被害者の膣内、直腸内、気道内、胃内に精液が存在するのではないかとする柳田鑑定、柳田供述調書(<書証番号略>)が存在するが、次に検討するとおり、精液の存在は認められないと解すべきであるから、右少年らの供述(殊に丙沢の肛門性交や口淫供述)は、右客観的事実に積極的に矛盾し、少なくともそれを裏付けるべき客観的証拠ないし事実を欠くものとして、その信用性に強い疑問があるものというべきである。
すなわち、顕微鏡検査の結果いずれも明らかな精子の存在が認められなかったことに関して、柳田尋問調書は、「一般的に性交後に精液の内容等の検査が陽性反応を示した場合に、その資料について精子を検査しても、精子が発見できる場合のほうが珍しく、一般的には見つからないほうが多い。」旨指摘し、精液の存否(姦淫の有無)に関して、柳田鑑定は、「本死体の解剖時に採取した膣内容、直腸内容、気道内容および胃内容について酸性フォスファターゼ反応により化学的に前立腺分泌物の存否を検査したところ、いずれにも弱く、ないし極めて弱く陽性の成績を呈した。(中略)なお、本死体においては、処女膜は健存しており、また肛門はいちじるしく開大している。よって明言できないが、本死体の膣、直腸、気道、胃内には極めて少量の精液が存在していたのではなかろうかと考えるのが妥当であろう。」としたうえ(同鑑定22頁)、鑑定主文において「明言できないが、膣内容、直腸内容、気道内容、胃内容において精液が存在していたのではなかろうかと考えられる。」としていることが認められる。また、柳田尋問調書は、右検査結果は「そうはっきりした陽性反応ではないが、全くゼロの反応でもない。」としたうえ、弱い呈色反応を示した理由として、①精液の量が非常に少ないこと(性交経験がないのに膣について陽性反応を示したことについては、採取の際に膣周辺に付着した可能性があり、肛門については開大により九分九厘精液が漏れ出てしまった可能性がある。)、②時間的経過による消褪の可能性のあることを指摘している。
そして、抗告審決定は、これら柳田鑑定及び柳田尋問調書を証拠として引用し「酸性フォスファターゼ試験により前立腺分泌物の存否を検査したところ、いずれも弱い陽性ないしは極めて弱い陽性の成績の反応を呈したと認められるから、結局、被害者の右各内容物には精液が存在していた可能性を否定し難い。なお、本件のような場合において顕微鏡検査で精子が発見されることは一般的に少なく、特に酸性フォスファターゼ試験の反応は鋭敏であるところ、それにもかかわらず本件においてわずかな反応しか呈さなかったということは精液量が少なかったことを意味すると考えられ、したがって、精子が発見されなくても不自然ではないということができる。これによれば、被害者の各内容物に精液が存在したと推認することは必ずしも不合理ではなく、特に直腸、胃及び気道内の各内容物にも精液が存在したと推認されるということは、少年らの自白の信用性、なかんずく肛門及び口腔内に男性器を挿入し射精したなどという、一四才の少年にしては特異なものと認められるような性行為を行った旨述べる丙沢の検察官に対する昭和六〇年八月一〇日付供述調書の内容の信用性を、むしろ高めるものである。」旨判示している。また、証人柳田は、「一実験では検査した全ての部位に同じような極めて弱い反応を示したので、それが前立腺由来のものであるのか否かの判断ができないため、前立腺由来の酸性フォスファターゼ反応を阻害させるL酒石酸を使用しての二実験を行った結果、反応がなかったため、理屈上は、前立腺由来の酸性フォスファターゼが非常に弱くある成績と判断した。」旨供述している。
しかし、精子の存在が確認されなかったことについて、内藤意見書(一)及び内藤証言によれば、柳田鑑定人の用いたヘマトキシリン・エオジン染色法を用いた場合でも、生体の場合には体温が保たれ、膣内の酵素等によって精子が分解されるなどの理由から二四時間程度の経過により精子は消えて確認できなくなるが、死体の場合には相当後までその証明が可能であること(内藤証言二回73、74丁)、したがって、性交後長時間経過後死亡したような場合は格別、強姦殺人等の被害者の膣内容や膣口から流出し、周囲に付着している物を対象とした場合には、通常は精子が検出されることが多く(内藤意見書(一)考按一)、殊に、性交後一、二時間程度で死亡した場合には酸性フォスファターゼの活性が喪失してしまうことはむしろないと思われ、その頃でも精子はかなりよく発見されるものであること(内藤証言8丁)が認められるのであって、殊に、本件の時間的経過(少年らの自白によれば、被害者は性交後五〇分程度―多くても一時間程度で死亡したことになり、前判示のとおり死後経過時間は解剖時に一日内外と推定される。)に照らせば、乙川らの前記姦淫供述のとおりであるとすれば、むしろ、被害者の直腸内、気道内、胃内からは精子が見つかる可能性の方が高いというべきであって(内藤証言11丁)、これに反する前記柳田尋問調書部分は採ることができないというべきである。
また、被害者の体内の精液の存否についても、柳田鑑定によれば、解剖時に被害者の死体の膣腔内及び直腸内から脱脂綿ガーゼ球を使用して膣内容、直腸内容を採取し、解剖時に採取した胃内容及び気道内容をガーゼに付着し乾燥させたものについて、それぞれ精液に関する酸性フォスファターゼ試験及びL酒石酸による酸性フォスファターゼ阻止試験による検査を行った結果、
①膣内容 淡紫青色(一実験)、淡紫赤色(二実験)
②直腸内容 微紫青色(一実験)、微紫赤色(二実験)
③胃内容 淡紫青色(一実験)、淡紫赤色(二実験)
④気道内容 淡紫青色(一実験)、淡紫赤色(二実験)
と①ないし④がいずれも弱く、ないし極めて弱く陽性の成績を呈したこと(なお、一実験は酸性フォスファターゼ反応試験結果、二実験はL酒石酸による酸性フォスファターゼ阻止試験結果である。)が認められ、さらに、柳田尋問調書(<書証番号略>)、船尾意見書(<書証番号略>)、柳田鑑定(<書証番号略>)、内藤意見書(一)(<書証番号略>)、内藤証言及び柳田証言によれば、精液は酸性フォスファターゼ試験(Acp)に著しく鋭敏に反応し、陽性の場合は「濃青色」を呈し、ほんの僅かな量、精液斑の痕跡の付着した衣類等の繊維片一本でも反応すること、そして、酸性フォスファターゼが人の精液の中に多量に含まれていることから、酸性フォスファターゼ試験は精液の存否を確認する検査方法として定着しており、通常、精液が存在すると紫色、青紫色あるいは赤紫色といった青紫系の呈色反応を呈するが、その反面、精液以外の人の体液(膣分泌液、尿、血清、唾液等)などの人の細胞成分の存在するところにも陽性反応(正常膣液でもかなり強い陽性反応を示す例がある。)を示すことがしばしばあることから、その判定には注意を要するものとされていることが認められ(船尾意見書7頁、内藤意見書(一)3丁、<書証番号略>、内藤証言3、4、9、10丁)、昭和三一年から警視庁の嘱託医として三〇年以上に亘って一二〇〇件以上の解剖、一〇〇件以上の鑑定経験のある内藤教授は、体内の精液の存否の検査としては右試験に加えて顕微鏡検査等による精子の存在が確認できない限り、姦淫の事実の存在を証明する根拠とすることには危険が伴い、殊に酸性フォスファターゼ試験の検査結果が弱陽性ないし微陽性の場合には、その判断を誤る危険性はさらに高くなるため、特異的な精液の証明とはなり得ないものとし(船尾意見書、内藤意見書(一)3丁、内藤証言6丁)、したがって、文献でも、現在では体内の精液の存否の判定においては酸性フォスファターゼの検出と精子の検出を併用するのが一般的であるとの指摘がなされていること(<書証番号略>、内藤証言5丁)、また、船尾意見書によれば、通常の化学的呈色反応に基づく酸性フォスファターゼ検査だけでは前立腺由来のものか、その他のものかを厳密に識別することは不可能であり、前立腺に由来するものであるか否かについては、さらに、柳田鑑定の検査でも使用されているL酒石酸による阻害検査が併用されることがあるが、L酒石酸によっても、種々植物由来の酸性フォスファターゼと前立腺由来の酸性フォスファターゼとは化学反応や呈色反応において両者を識別することが不可能であったとの報告がある他、膣内に存する(精液由来のものではない)酸性フォスファターゼでもL酒石酸によって阻害されるものがあることが学会で指摘されているように、L酒石酸で当該反応が阻害されたとしても、そのことによって直ちに前立腺由来の酸性フォスファターゼであるとの確証は得られないこと(なお、この点については、柳田鑑定作成者である証人柳田自身も同一見解である。)、したがって、このような酸性フォスファターゼ検査の結果のみで膣内容中に精液の存在が証明されたと結論するのは極めて危険性を有し、殊に、酸性フォスファターゼの陽性度がそれ程強いものではない場合には尚更のことであるとして、該試験成績が弱陽性反応を呈する場合には、特異的な精液の証明とはなり得ないものであるとされること、さらに、柳田証言によっても、体内に射精後三〇分ないし一時間後に死亡し、死後一日程度経過しただけでは酸性フォスファターゼの活性化は僅かに喪失する程度であり、酸性フォスファターゼ検査でも濃青色系統を示し比較的容易に判定することが可能であること(柳田証言3丁)、などが認められるのであって、これらの事情の他に、本件検査対象のすべて(乙川らの供述によれば、精液が存在するはずのない膣内を含む。)について同じく弱陽性ないし微陽性と極めて僅かな呈色反応を示していること、少年らの自白内容による本件事件の時間的経過、前記のとおり、被害者の死亡推定時刻が解剖時から一日内外であること、被害者に処女膜が健存し、その外陰部及び肛門部いずれにも裂傷等の外傷が何ら存在せず、その結果、そもそも性交経験がないと判断されることなどを総合して判断すれば、柳田鑑定人による本件検査結果自体からは、精液の存在は証明されなかったものと考えるのが合理的な結論というべきである。
しかも、仮に本件検査結果が精液反応によるものであったとしても、それが、極めて弱い呈色反応しか示していないことについては、前記のとおり、被害者のパンティー、ブラスリップ、大腿部等体表面等に精液付着が全く確認されていないことからすれば、膣周辺に付着していた精液が膣内容の採取の際に付着した可能性を考えることはできないし、また、肛門開大が草加署による死体実況見分に起因するもので本件事件によるものではないことからすれば、肛門開大により九分九厘精液が漏れ出た可能性も考えることができず、仮に、漏出したとしてもその全てが漏出してしまうことは考えることができず、精液がほんの僅かな量でも酸性フォスファターゼ試験に反応することに照らせば、本件のような極めて弱い呈色反応しか示さないなどということは考えることができないこと、また、前記のとおり、本件の時間的経過に鑑みれば、精子ないし精液の時間的経過による消褪の可能性も考えることができないというべきであって、結局、柳田尋問調書が指摘する前記可能性はいずれも認めることができず、検査結果が弱い反応しか示さなかった理由を説明することができないのであるから、その前提となる検査結果が精液反応によるものであるとの判断自体に強い疑問を抱かざるを得ないのである。
このことは、柳田鑑定によっても、精液の存在については明言を避け、極めて曖昧な表現に止まっており(同鑑定25頁)、柳田尋問調書においても右検査結果については「鑑定の結論としては明言していないし、逆に精液がないということもいえる。」旨供述していることが認められ、当裁判所における証人柳田も、「鑑定書では、成績を判断した結果、精液の存否については微妙であったから微妙な表現をしたのであって、断定はしていないし、検査方法や検査結果から、むしろ精液に由来しない酸性フォスファターゼ反応と見るほうが妥当であるという意見も充分あり得るのであって、鑑定書にはそういう範囲で精液があるのではなかろうかと記載した。」旨証言し、あくまで断定はしていないことを強調する姿勢に終始していたうえ、しかも、同証人は「本件被害者が膣だけでなく、直腸、気道、胃内容すべてについてほぼ同一の反応を示していることを説明することができない。」旨証言していることなどからも充分に認めることができる。
ところで、柳田尋問調書では、肛門内容についても検査対象として採取した理由として、「肛門がどうもそういうこと(肛門性交)をされたような状況であることから、肛門内容をもちろん当然のこととして採らなければならない。」旨供述していることが認められ、このことは柳田鑑定人が肛門開大の原因が肛門性交にあるとの認識を持っていたことを意味するのであって、右認識が精液の存否に関する柳田鑑定の判断に少なからず影響を与えたのではないかとの疑問もあるのである。
以上によれば、柳田鑑定における検査対象の四点ともが同じく弱陽性ないし微陽性と極めて僅かな呈色反応しか示さなかったという右精液検査の結果からは、精液の存在は認められないものというべきであり、これに反する柳田鑑定、柳田尋問調書部分はいずれもこれを採ることができず、その結果、丙沢の肛門性交、口淫供述はいずれも客観的証拠ないし事実の裏付けを欠くだけでなく、それらに積極的に矛盾するものというべきであり、その供述自体の信用性に強い疑問が生じざるを得ないのである。
なお、原告らは、この点について、少年らが性的未発達、未経験であったことから丙沢の射精供述は擬似的な射精感に止まる旨指摘し、そのことから、被害者の体内に精液が存在しなかったとしても、少年らによる姦淫行為があったことと矛盾しない旨主張するが、右主張を基礎づける証拠は何もなく、あくまで原告らの推測に止まるものであり、右主張を採ることはできない。
(四) 被害者の乳房部付着唾液斑の血液型と自白の整合性について
血液型B型(分泌型)の夏男は「被害者を強姦した際、被害者の乳房をなめたり、吸ったりした。」(8.8員面、8.10検面)旨供述しているが、被害者の乳房採取物の検査結果(データ)は、当該乳房付着唾液斑のAB型反応におけるA型物質とB型物質の差がAB型の通常の不揃いの範囲内のものであり、B型分泌型の唾液とA型の細胞片の混在によるAB型反応とする理論的可能性よりは、むしろAB型(分泌型)の人間の唾液そのものの血液型反応であると考える方が合理的であること及び右検査結果が左右の乳房採取物とも同様の検査結果を示していることは前判示のとおりであり、毛髪及びスカート付着の精液斑がいずれもAB型であることを併せ考えると、夏男の右供述は、これを裏付ける客観的補強事実があるものということはできない。そして、被害者乳房部の左右二か所までもAB型とすべき分泌型唾液が付着していたとなるとすると、逆に、夏男の右供述は、一層、客観的事実にも矛盾してくるのではないかとの疑念を払拭することができない。
なお、この点について、抗告審決定は、本件対象物の血液型がAB型の凝集反応を示したということは、それに含まれていた唾液の血液型がB型である可能性を何ら否定するものではないとしたうえで、「少年らの中にB型(分泌型)の血液型の者がいる以上、被害者の乳房に被害者及び少年ら以外の者の唾液が付着していたということには必ずしもならず、かえって血液型がB型(分泌型)である少年夏男が被害者の乳房をなめたなどと供述しており、本件対象物の鑑定結果によると、凝集反応はAB型であるものの、B型物質の量が明らかに多かった(少年乙川らの記録一二分冊二九一一丁、抗告記録第二冊)というのであるから右事実は、少年夏男の自白内容をむしろ裏付けていると認められる。」と判示している。
しかし、前記のような諸点がある以上、唾液と細胞片が混在する抽象的な可能性を根拠に、本件対象物が夏男の自白内容を裏付けているとすることはできないものというべきである。
(五) 姦淫供述を裏付ける証拠の欠如―コンドームの未発見
乙川らの姦淫供述を裏付けるべき証拠の欠如については、以上の他、犯行に使用されたとするコンドームが発見されていないことも重要な事実として指摘できる。すなわち、乙川らは、「使用済みのコンドームを北公園内の池、近くの芝生の上、グランドの金網付近に捨てた。」などと供述しているが、8.12実況見分調書(<書証番号略>)によれば、乙川らの右自白に基づき草加署員一二名が八月七日の午前九時三〇分から午後三時四〇分まで、北公園内の検索を実施したにもかかわらず、同公園西側出入口の北方、西側鉄柵際地面上において耳飾り一個、同公園北方藤棚と野球グランドとの中間部分かいづかの木の東側、木の根本付近に五cm四方の大きさの山下ラテックス工業製のニュウーマニゴールドと記載のある金色をしたコンドーム空袋、西側出入口の東方に位置する樹木を中心とするロータリーの南東方植込みの下根本付近に「SKINLESS」と記載のある岡本理研ゴム社製のコンドームの空袋と黄緑色の縞模様が認められるが、相当古い状態が見受けられ泥土等の付着と合せて文字等は読み取れないコンドームの空袋の計三枚、髪飾り一個を発見したに止まり、乙川らの自白に沿うものは何ら発見されず、少年らや被害者が同公園に立ち入った痕跡を示すものも何ら発見されなかったことが認められる。
なお、この点について、原告らが証拠として引用する抗告審決定は、乙川を除く少年らのコンドーム類の未発見について、「北公園の芝刈り、草刈りが、七月一六日から一九日までの間、行われ、一九日午後五時ころ、清掃が完了し、芝や雑草が綺麗に刈り取られ、ジュースの空罐、紙屑等も清掃、処理されていたので、草加署による実況見分時には乙川を除く少年らが北公園内に投棄したというコンドーム及びその空き袋は、右清掃の際除去されてしまった可能性が十分ある。もっとも、右清掃作業に従事した大畑こうの員面によれば、七月一九日朝、清掃中の北公園の石碑付近の刈り取った芝を集めていた際、白いちり紙に包まれたコンドーム一個を発見したにすぎず、しかも、右コンドームは白いちり紙に包まれていたという点などで、少年らの自白に沿うものとは認め難いが、大畑こうを含め、清掃作業に従事した者が刈り取った芝、草等を集める際、それに混ざった少年らの投棄したコンドーム等に気づくことなく処理してしまった可能性も十分あると考えられる。」と判示し、乙川が池に投棄したとされるコンドーム類の未発見についても、池の水上あるいは水中に浮遊していたコンドーム類が水流、風向により排水口に漂着して排出された可能性も十分あるとして、「少年らの自供に沿うコンドーム類が発見されなかったからといって、特に不自然又は不合理とはいえない。」旨判示(この判示にかかる証拠は、当裁判所には提出されていない。)している。
しかし、被告ら代理人作成の再抗告申立補充書(<書証番号略>)によれば、右大畑こうの員面(当裁判所に証拠として提出されていない。)では、前記コンドームを発見した際、清掃人全員で大騒ぎをしたこと、前記コンドーム以外にはコンドーム類が発見されてはいないことを述べていることなどが認められる。これによれば、乙川が池に投棄したという一個を除く三個のコンドームのすべてが、清掃人が全く気づかないまま、清掃処理されてしまったことになるのであるが、その可能性を全く否定することはできないとしても、右コンドームが姦淫場所からそう離れていない付近に投げ捨てられたことに照らせば、その三個が場所的に、それ程離れた位置に存在していたとは考えにくく、そのすべてについて気づかないまま、処理されてしまうことの可能性の方が、むしろ少ないものというべきである。したがって、池に投棄された分を除くコンドーム等が一つも発見されていないという事実は、少年らの供述の信用性に無視できない影響を与えるものである。
2 殺害供述と客観的事実との整合性について
(一) 防御創の不存在
被害者の首を締めた時の状況に関する少年らの自白によれば、乙川は、8.12検面で「被害者は両手で首に締められているブラスリップをはずそうとしてかきむしりました。」と、8.10検面では「二、三分引っ張っていると、やがてグッタリしました。」とそれぞれ供述し、丙沢は、8.10検面で「被害者が暴れて両手でかきむしるような感じでその下着を丸めたものを首からはずそうとしました。」旨供述し、夏男は8.10検面で「被害者は苦しいのか両手を首のブラスリップのところにかけ、何とか引っ張ってはずそうとしていた。」旨供述し、秋男は、8.22員面で「乙川と丙沢が被害者の頭の方にしゃがんで何かをしていた。すると、被害者が『ぎゃー』『うー』とか苦しそうに叫びながら、手を首のあたりにやったり、押さえている足をバタバタしてもがくように暴れた。」旨供述している。
少年らの右供述のとおりであるとすれば、被害者は両手で索条物であるブラスリップを必死にはずそうとしてもがいていたというのであるから、同女の頸部付近には、当然、それによる防御創が存在している可能性が極めて高いものというべきである。しかるに、柳田鑑定や柳田尋問調書によれば、被害者頸部には防御創がなかったことが認められるのであるから、少年らの右供述は、客観的事実の裏付けを欠くものとして、その信用性に疑問が残るものといえる。
なお、柳田尋問調書(10丁)では「一般的に言って、紐のようなもので首を締められたときに防御創ができることが多いとは思われず、経験的に言って五分五分か、むしろ、少ない。」旨指摘しているが、右は、あくまで一般論を前提としたものであり、内藤証言(二回7丁)によれば、少年らの右殺害状況に関する供述内容を前提とした場合には、当然、被害者の抵抗等によって防御創ができるはずであることが認められるから、少年らの右供述内容を前提とした場合には、むしろ防御創が生じる可能性の方が高いものというべきであり、少なくもそのような痕跡が何も残らないということの不自然さを拭い去ることができないのである。
(二) 前頸部のブラスリップの結節との矛盾
また、被害者の前頸部のブラスリップの結節に関して、乙川は、8.12検面で「私が(ブラスリップの)両端を被害者の首の前に回して一回だけ結んだ。」旨供述し、八月九日に行われた殺害現場の実況見分時の再現においても同様に一回結んだのみであることが認められる(8.19実況見分調書―<書証番号略>)。
しかし、死体実況見分時に死体前頸部右側にあった頸部索条物であるブラスリップの結節は「ひとえ結びを二回結ぶ、こま結び」であったことは前判示のとおりであり、右乙川の供述及び再現は、右の客観的事実に反するものであり、その信用性にも疑問の残るところである。
(三) 犯行現場について
さらに、被告らは、被害者殺害現場、殺害状況、死体運搬状況に関する少年らの前記供述は、被害者の首に巻かれていたブラスリップの中に灰白色の泥土様のものが巻き込まれていたこと、被害者の左足裏(特に踵部と親指付近)が土様のものの付着によって右足裏よりも著しく汚れていること、被害者の左靴が右靴よりも残土置場入口に近い同所中央部から発見されていること、シャツとスカート後面が土砂により著しく汚れていることなどに反し、被害者に対する暴行ないし猥褻行為及び殺害行為は残土置場ないしはその付近で実行された可能性が高く、少年らの犯行現場に関する自白と明らかに矛盾しているとも主張する。
(1) ブラスリップの土砂の巻き込みについて
内藤意見書(二)、内藤証言は、及川調書(<書証番号略>)及び7.25実況見分調書(<書証番号略>)添付の写真上、死体発見現場及び草加署死体安置室内における死体頸部ないし索条物結び目付近には灰白色の土砂ないし小石のような小塊が存在しているが、その土砂の色調は死体発見現場のものと死体安置室内のものとでは異なるうえ、死体安置室内の死体頸部索条下、特に結節部の下側にも灰白色にみえる泥か小石(砂を含め)が入りこんでおり、それが死体を搬出し、検屍(検視)に移る間に頭がやや後屈したことによってころげ出た状態になっていること、更に索条を切断し端末を展開した後の皮膚面(索条の締まっていた裏)にも泥土ないし土砂様のものが付着していることが看取される。したがって、これら死体安置室内の死体頸部付近に存在する土砂類は、コンクリート敷石投棄の際に右敷石から落下した土砂ではなく、ブラスリップを締める際に巻き込まれたものと推定され、その結果、被害者がブラスリップで頸部を締められたのは、被害者頸部付近に存在する灰白色の泥土様のものがあった所で、しかも、被害者の姿勢は地上に仰臥(ないし横臥)しているような状態であったと推定されるとしたうえ(内藤証言一回39丁、二回2丁)、そのような場所としては、ごろごろとこぼれ落ちたり、移動する可能性が強い、風雨に長くさらされて固められていない土砂の存在するような場所が想定されるが、本件残土置場の土砂は右の条件に符合し(同二回4丁)、また、乙川、丙沢、夏男の殺害態様に関する供述、実況見分の指示説明(<書証番号略>)では、いずれも被害者が立っているか、膝立ち状態でブラスリップを巻きつけたものとされているのであるから、いずれにせよその姿勢からは頸部付近にあった土砂が入り込む機会はないとしている(同二回5丁)。
ところで、死体安置所の死体を見分した及川調書添付写真No.4、5、7、8等(<書証番号略>)には、被害者の胸元付近及びブラスリップの上に灰白色の土砂が存在すること、また、死体発見時の死体を見分した7.25実況見分調書添付写真No.11、12、15〜18(<書証番号略>)、被告ら代理人作成の7.25実況見分調書添付写真No.12、18、27、28の拡大写真(<書証番号略>)でも被害者の左胸上部やブラスリップの上に灰白色の土砂が存在すること、また、死体発見現場における頸部付近の土砂と死体安置室内頸部付近に存在する土砂の色調には類似性があることなどが認められる。なお、両者の色調が異なるとの内藤証言の指摘は、被告ら代理人作成の少年保護事件記録を複製した写真を見た限りでの指摘に止まるものであって、むしろ、死体発見現場における付着土砂の色と死体安置室内での付着土砂の色調には同一性があるとの見方も充分できるものといえる(もちろん、両者の同一性に関する鑑定等が実施されていない以上、その同一性についての判断はできず、あくまで推測の域を出るものではない。)。
しかも、及川調書、同調書添付写真No.2〜6、20〜25、被告ら代理人作成の及川調書添付写真の拡大写真(<書証番号略>)によれば、死体安置室内の死体のブラスリップ除去後の頸部には一様に土砂様のものが付着しているわけではなく、むしろ、蒼白部の周辺部から顎ないし上胸部にかけての部分を中心に右土砂様のものが分布していることが認められ、逆に、頸部蒼白部の中心部にはほとんど付着が認められず、かつ平らな所に置かれたことによって被害者の頭部が後屈したために、除去前のブラスリップ下端からは頸部の蒼白部が露出していること(すなわち、ブラスリップの位置にずれが生じている。)、切断後のブラスリップ頸部接触面などには土砂様の物の存在ないし付着を認めることができないこと(及川調書添付写真No.20、21)、草加署員がブラスリップ切断前に被害者の首とブラスリップを紐で巻くという作業を行っていることなどが認められ、これらを総合すれば、ブラスリップ除去後の死体頸部に付着していた土砂はブラスリップ上やブラスリップと頸部の境目に存在していた土砂がブラスリップがずれたことにより入り込んで付着したものであるとの可能性を否定することができない。
また、7.25実況見分調書添付写真No.12、15〜18、被告ら代理人作成の7.25実況見分調書添付写真の拡大写真(<書証番号略>)によれば、コンクリート敷石側面には土砂の付着が認められ、そのうち被害者顔面寄りの脱落部分に残存している土砂の色調は灰白色、左上腕寄りの土砂の色調は淡褐色であり、少なくともコンクリート敷石側面には二種類以上の色調の土砂の付着が認められるが、そのうち、主として顔面に近い灰白色の土砂部分に脱落が認められ、しかも、その脱落部分に残存している土砂の色調は、被害者の頸部、ブラスリップ上に存在する灰白色の土砂と極めて類似していることが認められる〔<書証番号略>添付写真No.15〜18(取寄記録の原本)〕。
さらに、被害者が被告らが主張するような土砂類を巻き込むような場所に横たわった状況でブラスリップを首に巻かれたとすれば、当然、髪の毛にも頸部と同様の土砂の付着が認められるはずであり、しかも、被害者の毛髪はくせ毛で少し縮れているから、相当量の土砂類の入り込みが予想されるにもかかわらず(内藤証言二回45、46丁)、及川調書のみならず柳田鑑定にも、被害者の頭部所見としては、蝿の卵が存在する旨の記載があるだけで、土砂類が存在する旨の記載は全くなく、及川調書添付写真からも土砂の入り込みなどを窺うことができない。
以上によれば、死体安置室内の死体頸部付近に存在した土砂は、コンクリート敷石が何らかの理由で顔面に当たった時の衝撃で、その側面等から頸部とブラスリップの境目付近などに脱落した土砂であると認める方が合理的であり、首を締める際にブラスリップの中に挟み込まれたものであるということはできないのであって、これに反する内藤意見書(二)、内藤証言部分は採ることができない。
なお、及川調書には、左右上眼瞼結膜と上下口腔前庭部に淡黒褐色の泥砂少量が付着している旨の記載及び偶々土砂類が同時に写っている頸部付近の写真の添付はあるが、特異な現象ともいうべき頸部付近の土砂の見分についての記載は全くなく、頸部付近の土砂の領置、鑑定など、その起源が何であるかについての検討も全くなされていないことからすると、捜査に綿密さを欠くきらいがあったといえる。
(2) 左右の足底部等の汚れと靴の発見場所の違いについて
被告らは、被害者の左足裏の汚れが顕著であること、左右の靴の発見場所が異なることなどの事実は、被害者が死体発見場所である残土置場内を裸足で歩いたことを示すものであり、東高校付近路上で絞め、残土置場まで運んで捨てたとの乙川らの供述に反する旨主張する。
この点、少年らの前掲各供述調書類には、少年らが被害者を車に乗せて首を絞めるまでの間、同女が裸足で歩行した、ないしは被害者が存命中にその靴が脱げた旨の供述は存在しない。
及川調書添付写真No.46〜49、被告ら代理人作成の及川調書添付写真No.48、49の拡大写真(<書証番号略>)、7.27実況見分調書添付写真No.23(<書証番号略>)、8.3実況見分調書(<書証番号略>)によれば、被害者の足の裏、特に左足底部には土砂の付着により著しい汚れが認められ、殊に親指(=第一指)とその後ろの部分、すなわち、土踏まずよりも前の部分と踵部に泥の付着が強く、左足踵部にはハイソックスの網目模様の圧迫痕が存在することが認められる。なお、左右の足の汚れ部分は、被害者の靴が接触していた部分にほぼ一致していること(及川調書添付写真No.34、44等)、被害者の靴は夏用の大きな網目のある靴で(7.27実況見分調書添付写真No.23参照)、靴を履いたまま土の上を歩き回っているだけでも容易に土砂が靴の中に入り込むような形状をしていることなどが認められるが、そのことを考慮しても、前記被害者の左足の汚れは顕著なものであり、しかも、右足よりもその汚れがひどいこと、土踏まずと踵部の汚れが著しいものであることなどに照らせば、被害者が家出後、殺害されるまでの間に左足用の靴を履かないまま歩行したことがあった可能性を否定することはできない。
しかし、足底部の汚れが裸足になって歩行したことによるものであるとしても、それが本件残土置場内を歩行した際に付着したものであるのか、それ以外の機会に付着したものであるのかについては、本件全証拠をもってしても明らかではないから、被害者の左足の顕著な汚れという事実をもって、直ちに被害者が左足用靴の発見場所付近から靴が脱げた状態で残土置場内を歩行したとすることはできず、また、少年らの自白内容と明らかに齟齬する事実とすることもできないといわざるをえない。
(3) シャツとスカートの土砂による汚れについて
被告らは、少年らの前記自白では、被害者のシャツやスカートに土砂が付着する可能性はないとも主張する。
この点、少年らの前記供述によれば、被害者のシャツに土砂が付着する可能性として考えられるものは、東高校裏路上でシャツを脱がせて路上に落とした時と、残土置場に死体を運んでいる際に落とした時であり、スカートに土砂が付着する可能性として考えられるものは、同校裏路上で被害者の首を締めた際、被害者が路上に仰向けに倒れてもがいていた時と、死体を残土置場内に下ろして偽装工作を行った時である。
ところで、7.27実況見分調書(<書証番号略>)、8.14「現場足跡対照結果」と題する書面(<書証番号略>)によれば、シャツ前面には淡褐色をした土様の付着物が一〇数カ所、襟周囲は土様のものが付着し、後面の全面に土様のものが付着しており、右側下方には左右径九cm、上下径九cmの範囲に特に濃く付着していること、スカート前面下方は全般的に淡褐色をした土様の付着が認められ、後面にも土砂様のものが多量に付着しており、右下端から二三cmのところの下縁から上方四cmのところまで幅四cmの横波線模様の被害者の右靴の足跡が明白に印象されており(<書証番号略>添付写真No.7、8、<書証番号略>)、内側前面ウェストゴム部分の中央には横四cm、縦二cmの範囲に土様のものによる淡黄色の汚れがあり、内側後面上端から二三cmのところには左斜め下方に向けて幅一cm、長さ五cmの範囲に土様のものが付着していることが認められる。また、右各証拠の他、内藤意見書(二)、被告ら代理人作成の7.27実況見分調書添付写真No.7、8の拡大写真(<書証番号略>)、技術吏員星野正彦作成の8.21鑑定書(<書証番号略>)、内藤証言によれば、スカート臀部付近付着土砂と発見時の死体付近及び残土置場入口付近の土砂との比較検査の結果、両者は僅かに相違するとされていること、スカート後面に付着している土砂様の汚れは、泥土が多量に、かつ濃く付着したもので、そこに印象されている被害者の靴の踵の履物痕は、かなり赤土を含む泥を踏んだ靴が作用したものと見ることができること(内藤証言10丁〜)などが認められ、これらによれば、スカート後面の土砂類の付着の可能性は東高校裏路上しかないことになるが、そこに印象された被害者の靴跡の存在は特異な事実というべく、これが何時、どのような機会になされたものかについては、これを解明するに足りる証拠は、本件記録上、犯行を全面的に認めている少年らの供述調書類を含めてもないのであって、このことは少年らの供述の信用性を判断する際に無視できない事柄の一つといわざるをえない。
なお、シャツの泥土の付着については、死体を残土置場の投棄場所まで運ぶ途中に落とした際に、付着した可能性を否定することができず、客観的証拠ないし事実と必ずしも矛盾するものとはいうことができない。
(四) 頸部損傷の成傷器
また、被告らは、少年ら全員が被害者を締めた索条物はブラスリップであると供述しているが、被害者頸部には幅四〜七cmの陥没が認められない帯状のやや著しく蒼白の部分と、幅0.2〜0.5cmの索溝及び皮膚の変色部が存し、後者の幅の狭い変色部は、ブラスリップによるものではなく、幅0.2〜0.5cm程の平紐状の索条体によるものではないかとする助川意見書を援用して、頸部成傷器に関する右少年らの供述が客観的証拠ないし事実に反するものであるとも主張する。
しかしながら、及川調書、内藤意見書(二)、内藤証言によれば、被害者の右側頸部から後頸右側部にかけて上下索条間部に存する帯状の濃色の部の外側に相当して被害者の頭毛がややよじれたようになってブラスリップに挟み込まれていたこと(内藤意見書(二)説明二)、また、被害者の頭毛の挟み込みのある部分と右皮内出血が存在する部分がほぼ一致していること(及川調書添付写真No.10〜13、18〜20)が認められ、さらに、証人内藤が、頭毛が索条にまつわりついた状況で締頸されることによっても右変色部のような変色の生じることを経験していること(内藤証言27、28丁)が認められるのであって、これらによれば、助川意見書の指摘する幅の狭い変色部は本件ブラスリップによる索条によっても形成される可能性を充分に認めることができ、必ずしも、平紐状の索条体によるものということはできないのであるから、頸部成傷器に関する少年らの供述が客観的証拠ないし事実に反するものとはいうことができない。
3 死体運搬、投棄状況と客観的事実との整合性について―コンクリート敷石の投棄と顔面の損傷等との矛盾
死体発見時に被害者顔面付近に載せられていたコンクリート敷石に関して、丙沢は、8.8員面で「死体を捨てた後、俺は、この近くにあった長さ三〇cm位、平べったい石を拾って、被害者の顔の約一m五〇cm位の所から、顔めがけて投げつけると、石は被害者の顔にあたったような気がする。」旨供述し、8.10検面でも「被害者を投げ捨てた後、たまたまその付近にあった四角いコンクリートを被害者の方に放り投げた。両手で四角いコンクリートを平らに持って上から落とす感じではなく、下からコンクリートを平らにしたまま放り投げるような感じでやった。」旨供述し、夏男は、8.10検面で「死体を捨てた後、私がシャツと靴を取り上げて、死体の方に目掛けて投げ落とした。そして、急いで逃げたが、私がこの現場を離れる時、山の斜面をゴロゴロと転がり落ちる音がした。乙川か丙沢が拾った何かを落とした音だと思った。」旨供述し、乙川も8.12検面で「死体を投げ捨てた後、夏男がシャツを拾ってきて、被害者の方に投げ捨てていた、また、丙沢が土の塊のような物を死体めがけて投げ捨てていた。」旨供述している。これらの供述のとおりであるとすれば、コンクリート敷石は一m以上の高さから落とされ、少なくとも転がりながら被害者の鼻眉間に当たったことになるはずである。
ところで、右コンクリートは、死体発見時に被害者の顔面付近から左肩を経て左上肢付近にかけて載せられたような状態にあったことは前判示のとおりであり、7.27実況見分調書(<書証番号略>)、8.19鑑定書(<書証番号略>)、検証の結果によれば、その一辺の長さが約三〇cmのほぼ正方形で、厚さ約六cm、重量が約12.5kgのコンクリート敷石で、その側面には土砂が付着しているが、ほぼ平坦で、裏側は全体的に土砂が付着し、凸凹状で厚みが一番薄い所で約4.5cm、土砂が多量に付着している所で約7.2cmあり、その一角付近に被害者の血液型と同じA型の血液が付着していることが認められた、また、被害者の顔面中央付近には、眉間部下半分から鼻稜部上端部やや右側にかけて、上わずかに左方から下わずか右方に向かう、上下径2.2cm、幅1.3cmの赤褐色表皮剥奪があり、その下端部に(右内眼角の左方1.5cmを中心として)形の創傷があり、その創底部を中心として鼻骨及び鶏冠部が骨折しているが、頭蓋内や脳などには特に損傷を引き起こしていないこと前判示のとおりであり、柳田尋問調書、助川意見書、内藤意見書(二)、内藤証言、柳田証言によれば、右損傷の成傷器としては右コンクリート敷石の辺縁の角稜部が作用したとすれば、形状的には矛盾がないこと(助川意見書14、15頁、柳田証言22丁等)などが認められ、これらの事実を総合すれば、死体顔面部中央付近の損傷がコンクリート敷石によって形成されたものであることが認められる。
右損傷は、表皮剥奪部の革皮様変化、挫傷の創洞の形成、架橋状組織片の存在、皮下組織に出血の存在、鼻骨骨折、顔面への出血血液の流下、鼻孔よりの出血血液の流下、頭蓋内の頭蓋底の鶏冠骨折等を来しているが、頭腔内では脳脊髄液や蜘蛛膜にも出血は見られない程度の作用力を受けたものであること前判示のとおりであり、右各証拠によれば、右損傷の成傷器としては右コンクリート敷石の辺縁の角稜部が作用したとすれば、形状的には矛盾は認められない(助川意見書14、15頁、柳田証言22丁等)。
しかし、その作用のエネルギーの点から考えると、重さ12.5kgの敷石が1.5mの高さから自然落下ないし投棄された場合には18.75kg/mのエネルギーが有るので、これを面積僅か2.86cm2(2.2×1.3cm)の局所的な部分で受け止めたとすれば、桁違いの大きいエネルギーが作用することになり、右顔面部損傷が前記の如き程度の損傷(鼻骨骨折、頭蓋内の頭蓋底の鶏冠骨折等を来しているが、頭腔内では脳脊髄液や蜘蛛膜にも出血は見られないという程度の作用力を受けたもの。)で済むことは到底考えられないのであって、仮に、他に接触部が存在するならば、その面積分だけ作用力が分散することになるが、柳田鑑定には右頬部に0.5×0.5cm程度の極めて小さく、しかも、出血を伴っていない軽微な表皮剥奪があるとされているだけで、コンクリート敷石が存在していた側の左頬部には表皮剥奪の記載はなく、また、同じく左上腕前側上端部に局所的にある淡紫青色変色もそれほど大きいものではなく、殴打による打撲傷ないし指で押さえられた際にできた圧迫傷と考えられる(被害者が抵抗した際に強く掴まれた際にできたものと推測される。)ことなど、被害者にはそれを窺わせる損傷を認めることができないのであるから、丙沢の右供述はエネルギー的な側面で被害者の顔面部の損傷と明らかに矛盾するものといえる。このことは、証人柳田が「エネルギー的に、このコンクリート片でも矛盾がないと言えるのは、この石がある位置に置かれていて、それが倒れたぐらいまでの力に限られる。」旨の証言をしていること(柳田証言24、25丁)からも明らかである。また、鼻根部という顔面で一番低い部分にコンクリート敷石の角稜部が作用したことに照らせば、当然に敷石の平面部も被害者の体に接触するはずであるのに、被害者にはそれを窺わせる損傷も存在しないのである。
したがって、前記丙沢の供述内容は、敷石のざらざらした部分(特に辺縁部等)が作用した場合にできる表皮剥奪などの損傷(擦過打撲傷)が存在しないなど、それを裏付ける客観的事実が存在しないだけでなく、被害者の顔面部損傷の内容は、コンクリート敷石が直接衝突した場合のみならず、一旦地面に落下してから顔面に衝突した場合においても、余りに軽微に過ぎるといわねばならず、しかも、この点について、殊更、虚偽の供述をする理由も見当たらないのであるから、丙沢の右供述は到底信用することができないものというべきであり、また同様にして、夏男や乙川の前記供述にも、その信用性に強い疑問が生じることになる。
さらに、コンクリート敷石の投棄に関する夏男の供述のとおりであるとすれば、夏男がシャツを投げ捨てた後に、丙沢がコンクリート敷石を放り投げたことになるが、それではコンクリート敷石の上にシャツが載せられていたという死体発見時の前記客観的状況に明白に矛盾することになるから、この点でも、夏男の右供述部分についての信用性には強い疑問があるというべきである。
4 その他、自白を裏付ける証拠の欠如
以上に指摘、検討してきた他、前記のとおり、本件事件の犯行現場である北公園や残土置場付近からは、少年らの足跡痕、使用車両のタイヤ痕が何一つ発見されず、また、少年らの着衣、履物などにも本件現場の土壤が付着している証明もできず、さらに、被害者を長時間乗せていたとする少年ら使用車両からは同女の指掌紋、足跡痕、毛髪などが何一つ発見されていないというのであるが、残土置場については死体発見日に残土のかきあげ作業が行われたことによって現状が維持されてはいないこと、北公園内についても日時の経過等によって証拠が散逸していることの可能性を否定することはできないとしても、少年ら全員の最終的な自白供述によれば、前記のとおり、少年らが、嫌がる被害者を強いて窃取した乗用車に乗せ、しかも、その車中で足をばたばたさせるなどして抵抗する被害者の着衣を脱がせ、入れ替わり、その乳房を弄ぶなどしていたとされており、少年らの右供述のとおりであるとすると、被害者は盗難車両内で抵抗し、また、そのシャツ、スカートを脱がされたり、身につけたりしているのであるから、当然、車内に同女の存在を示す何らかの痕跡が遺留されていて然るべきものと思われる。にもかかわらず、それら被害者が搭乗していたことを窺わせる痕跡が犯行使用車両内から何一つ発見されるに至っていないことは(なお、少年らの指掌紋等が残存していることからすれば、少年らが被害者の遺留物を殊更消去したとも考え難い。)、少年らが被害者を犯行使用車両に乗せていないことを示唆しているともいえるのであって、少年らの自白が重要な部分で客観的証拠による裏付けを欠いているものといわざるをえない。
5 まとめ
以上のように、本件において、少年らの被害者殺害の唯一かつ直接的な動機の前提となる被害者に対する姦淫行為について、乙川らは同人らの陰茎を膣内に挿入し、射精した旨供述しているにもかかわらず、被害者の処女膜が健存し、同女には死亡時まで性交経験がなかったと判断され、かつ、同女の外陰部や肛門に強姦の際に生じやすい裂傷等がまったく存在しないこと、しかも、少年らが射精したと供述している被害者の肛門内、口腔内、気道内には精液が存在しないと考える方が合理的であるといえるうえ、被害者の体表面や着衣にはスカートに少年らの血液型とは異なるAB型の精子と精液の付着が認められる以外、まったく精液の付着が認められないこと、さらに、少年らは被害者の乳房をなめたり吸ったりしたと供述しているにもかかわらず、同女の乳房付着物(唾液)の血液型はAB型の反応を示し、かつ、右付着物中に被害者自身の体垢が混在しているか否かについては何らの検査も実施されておらず、その混在の事実は何ら確認されていないことなど、少年らの供述内容に積極的に矛盾、抵触する客観的事実が多数存在する。これらは、いずれも少年らの姦淫行為の根幹をなすものであり、少年らの姦淫供述全体の信用性を強く疑わしめるばかりか、少年らの殺害動機自体の存在をも希薄化させるものといえる。そして、丙沢の死体投棄後のコンクリート敷石投棄の供述が被害者の受傷の程度に反するなどの事情をも付加して考慮すれば、乙川らの殺害行為自体の供述の信用性にも強い疑問が生ずるのである。
さらには、被害者が搭乗していたことを窺わせる痕跡が少年ら使用車両の中から何ら発見されるに至っていないこと、北公園内に捨てたとされるコンドームやその空き袋が同公園内から発見されていないこと、乙川、丙沢、夏男が被害者を死体発見場所である残土置場まで運搬して投棄したというにもかかわらず、残土置場ないしその入口付近に同人らの足跡等が全く発見されていないことなど少年らの供述によれば、当然、発見されてしかるべき、供述を裏付ける客観的証拠も存在しないのであって、これらによれば、乙川らの供述全体の信用性に極めて強い疑問があるというべきであるが、なお、その供述の変遷状況等についても検討することとする。
五少年らの自白供述の変遷について
少年らの前掲各員面、検面、上申書等の供述には前後多数の変遷、変転があり、また、他の少年らの供述との食い違いも多数存在することが認められるのであるが、以下では、そのうち、その主要なものについて指摘、検討する。
1 姦淫未遂から既遂への変遷
前記のとおり、乙川らの最終的な自白内容は、乙川、丙沢、夏男、秋男が実際に姦淫行為に着手し、乙川がコンドームを付けて陰茎を膣に五、六回挿入してコンドーム内に射精し(8.10検面、8.12検面)、丙沢が膣内に陰茎を挿入することができず、肛門及び口腔内にコンドームをつけずに陰茎を挿入して射精し(8.10検面)、夏男がコンドームを付けて陰茎を膣に挿入しようとしたが一cm位入っただけで射精はしなかった(8.10検面)、秋男が後背位から陰茎を挿入しようとしたが挿入したかどうかはっきりせず、射精はしなかった(8.12員面、8.22員面)というものであるが、これら姦淫行為自体の未遂・既遂に関する乙川らの供述には、次のような変遷がみられる。すなわち、
乙川、丙沢及び夏男は、逮捕当日の七月二三日及び同二四日には、三名全員が姦淫の具体的な内容には触れないまま、残土置場ないしはその付近で被害者を裸にして乱暴しようとしたが、抵抗されたため姦淫できなかった(姦淫は未遂)旨供述していたが(なお、夏男は勾留質問裁判官に対し、自己の姦淫目的及び殺意を否認している。7.25勾留質問調書―<書証番号略>)、八月二日には夏男が「俺は、乙川、丙沢、秋男とで被害者を八潮北公園でおまんこやった。」旨(8.2員面)、八月三日には乙川が「俺と仲間達五人のうち四人でおまんこした。」旨(8.3員面)、丙沢も「公園内で被害者の着ている下着類を剥ぎ取り丸裸にした。ここで皆でまわしておまんこをした。」旨(8.3員面)、それぞれ北公園内で姦淫したと供述を変更し(ただし、その具体的な内容についての供述はない。なお、七月二五日から八月一日の間の少年らの供述調書類はその全員について少年保護審判手続でも提出されていない。)、その後、夏男が八月二日に「どうやってやろうかと考えていたところ、乙川はコンドーム持っているかと聞かれ(ママ)、俺と秋男が二個づつ計四個出した。」旨(8.2員面)、乙川が八月四日に「被害者とオマンコやるに俺が誰かゴム持っているかと聞いて、丁海兄弟が二個づつ持っていた。」旨(8.4上申書)、丙沢が八月七日に「秋男はコンドーム三個か四個出して、オマンコやれるのは三人か四人であることが判った。」旨(8.7員面)、それぞれコンドームを使用した旨の供述ないし上申書を作成し、さらに、乙川が八月七日に「秋男は被害者の後ろからオマンコしていた。丙沢が被害者のオマンコあたりに顔をつけ、被害者の顔あたりに丙沢のチンボをつけるような恰好をしていた。」旨(8.7員面)、夏男が八月二日には、丙沢の姦淫状況については「よく見ていない。」旨供述していたのが、八月八日に「丙沢は被害者をうつ伏せに寝せて尻の方から乗っかってやっているのを見た。」旨供述し、丙沢が八月一〇日に「肛門のところへ持っていき、右手で被害者の腰を掴んでキンタマを肛門に入れるため思い切り押し込みました。」「左手でキンタマを掴んで被害者の口に押し当てたら被害者が口を開けて僕のキンタマをくわえました。」旨供述し(8.10検面)、丙沢の肛門性交ないしそれを窺わせるような供述をするようになり、殊に肛門性交、口淫の供述は検察官高井康行に対する丙沢の八月一〇日の取調べで初めて明確に供述されたものである。なお、秋男は七月二三日に否認のまま、少年鑑別所に送致されたため、八月五日の員面が最初の供述調書とされているが、そこで北公園内での強姦を認める旨の供述をしている(<書証番号略>)。
そして、被告ら代理人作成の保護処分取消申立補充書(<書証番号略>)、8.5身体検査調書(<書証番号略>)、及川報告書(<書証番号略>)、及川調書(<書証番号略>)、住田尋問調書(<書証番号略>)、司法警察員作成の少年事件送致書(<書証番号略>)、検察官作成の8.13浦和家庭裁判所に対する送致書(<書証番号略>)、田嶋作成の8.19鑑定結果(<書証番号略>)、田嶋証言によれば、草加署は被害者発見当日である七月一九日の死体の実況見分時に被害者の肛門が閉じていたこと及び死体解剖時に被害者の処女膜が健存していたことの情報を得ていたこと、七月末ころに検察官住田と高井が柳田鑑定人から解剖時の肛門開大の他、「被害者の膣内、気道内、胃内、直腸内の四か所に精液反応が遠くに見える。」旨の精液が存在している可能性がある旨の話を聞いたこと(<書証番号略>、なお、解剖時の肛門開大の事実自体については及川報告書が検察庁に送致された時点で知っていたとも言える。)、少年ら全員について七月二五日から八月一日までの間の供述調書が作成されてないとの理由で少年保護審判手続に提出されていないこと、被害者が着用していたスカートにAB型の精液斑の付着が認められる旨の記載のある8.5身体検査調書が九月二七日付で草加署から浦和地方検察庁に送致されていること(<書証番号略>)、右同スカートにAB型の精液斑の付着が認められる旨の田嶋作成の8.19鑑定結果が少年保護審判手続において裁判所に送付されていないこと(<書証番号略>)、送致事実が逮捕当時の姦淫未遂から家庭裁判所送致時には背淫、口淫を含む姦淫既遂に変更されていること、さらに、検察官住田が九月一八日のAの原審審判期日に、背淫、口淫の事実を家庭裁判所送致事実に記載した根拠として、柳田鑑定人から膣以外の口ないし胃、肛門に精液反応が遠くに見えると聞いたことの他に、被害者の死体の顕著な特徴として肛門が開いていたことを挙げ、「柳田鑑定人らの報告は警察に伝えた。肛門等性交については、警察が念頭に置いて調べたはずですが、明らかにされず、高井検事の調べで初めて丙沢が供述した。」「(少年らの)供述に反する矛盾する証拠はなかった。」旨供述していること(<書証番号略>)が認められることからすれば、検察官は、前記肛門開大が本件事件によるものではなく、解剖前に行われた草加署による死体実況見分時に引き起こされたものであることについては全く知らされず、あるいは知らず、また、被害者が着用していたスカートにAB型の精液斑が付着していたことについては九月二七日以前には、知らされていなかったことが窺える。
なお、柳田鑑定の作成は原審決定後の九月二四日付であるところ、肛門開大の写真が添付されている及川報告書(<書証番号略>)及び肛門開大の写真が添付されておらず、かつ、「肛門は閉じ」と僅かに記載された及川調書(<書証番号略>)とが、何時、どのように検察庁に送致されたかは、本件証拠上、明確ではないけれども、検察官が送致された右両書面を対比検討すれば、肛門開大の原因を知り得たものと思われるが、担当検察官の当時の認識は住田尋問調書の前記記載のほかには知る術もない。
このように、乙川、丙沢、夏男の三名の供述が、姦淫未遂から既遂に変更した時期、コンドームの使用を供述し始めた時期、肛門性交等の供述をし始めた時期は三名ともほぼ同一時期といえ、しかも、それらがいずれも、肛門開大の真の理由を知らされていなかった検察官が柳田鑑定人から精液の存在の可能性を示唆された後であることに照らせば、右供述の変更、付加訂正の経過及びその内容自体が捜査官が取得した情報に基づく捜査方針の変更(姦淫未遂から姦淫既遂への変更)に基づく誘導によるものではないかとの疑問が生じ、この点に関する少年らの捜査官による誘導に乗って適当に供述した旨の否認後の少年審判期日における陳述ないし尋問調書での供述にこそ信憑性があるのではないかとも思えるのである。
2 犯行現場に関する変遷
犯行場所については、前記のとおり、乙川は、逮捕当日の七月二三日から同二四日までは「八潮第三中学校の先の高等学校があり田圃の中のあぜ道に連れ込んで乱暴し、首を絞め殺した。」旨(7.23員面)ないし「高校の近くの田圃の中の道で被害者を裸にして、その下着で首を締めて殺した。」旨(7.24員面)供述し、強姦、殺人いずれも残土置場ないしはその付近のあぜ道で実行したと供述していたのに、八月三日になって「おまんこをしてから殺した八潮の北公園と被害者の死体を捨てた八潮第三中学校先の高校近くの田圃」と供述し(8.3員面)、強姦と殺害場所を「北公園」、死体投棄場所を「残土置場」とそれぞれ変更し、八月四日には再度、殺害場所を「三中方面の方に行き場所はどこかわからないけど一度どこかで止まり、そこで被害者の首を締めた。」と変更したものの、その場所を特定することができず(8.4上申書)、八月七日になって初めて「東高校グランド内にあるプレハブ小屋の裏の路上」と特定するに至っている(8.7員面)。
また、丙沢も逮捕当日の七月二三日から同二四日までは「八潮第三中学校の寂しい田圃の中」(7.23員面)ないし「八潮第三中学校近くの田圃中に少し土を盛ってあるところ」(7.24員面)と強姦、殺人、死体遺棄のすべてを残土置場付近で行ったかのように供述していたのに、八月三日になって、「公園内で被害者の着ている下着類を剥ぎ取り丸裸にし、ここで皆でまわしておまんこをした。おまんこすると被害者が警察に言うというので殺そうということになり、北公園の所に停めていた車の中に入れて、俺と乙川、夏男の三人で被害者の下着で首を締めて殺した。殺した後、クラウンのトランク内に死体を入れて草加市柿木の方、つまり、八潮第三中学校の方の田圃の中に捨てた。」旨供述し(8.3員面)、強姦場所を「北公園内」、殺害場所を「北公園に停車中の車中」、死体投棄場所を「残土置場」とそれぞれ変更した後、再度、八月六日になって、「被害者を車に乗せ、八潮三中の田圃の方へ連れて行って殺した。(中略)車に乗せて被害者を三中の近くの草加東高校の野球場のところの道路に連れて行き、車から降ろして殺したのですが、そのことについては頭が混乱してよくわからないのです。また明日よく考えて話します。」(8.6上申書)と殺害場所を「東高校付近」と変更したものの、その場所を特定することができず、八月七日になって初めて「東高校グランドのバックネット裏あたりの小さな建物の裏の道路上」(8.7員面)と特定するに至っている。
さらに、夏男も逮捕当日の七月二三日から同二四日までは「被害者を車に乗せ、草加市柿木町の土盛りをしたところで裸にして首を締めて殺した。」(7.23弁解録取書)ないし「被害者を車に乗せ、車で柿木の現場まで行ったところ、被害者が逃げ出したので、俺がタックルをして捕まえ、丙沢か乙川が服を脱がせ上半身裸にし、乙川が何かしようとしたところ、被害者が抵抗したので乙川がブラジャーか何かで被害者の首を締めにかかった。締め続けるうちに、ピクピクとし、最後に動かなくなったので、死んだ被害者を俺、乙川、丙沢の三人で山から放って捨てた。」旨供述(7.24検面)し、強姦、殺人、死体遺棄のすべてを残土置場付近で行ったかのように供述していたのに、八月二日になると「俺は、乙川、丙沢、秋男らと被害者を八潮北公園でおまんこした。」(8.2員面)、「下着姿の被害者をクラウンの後ろに乗せ、被害者の右に乙川、左に丙沢が乗り、自分が前部コンソールボックスの上に後ろ向きで座った。自分は被害者の腰を両手で押さえ、自分の膝が被害者の腰あたりにあたる形になった。乙川と丙沢がブラスリップで両側から引っ張っていた。被害者は両手でブラスリップを外そうともがいていたが、引っ張り続けるうちにピクンピクンと肩や手が動いて丙沢の方にガクッと倒れ込み動かなくなった。被害者の顔はこわくてみられず終始うつむいていた。声は誰も出さず、座席のシートのすれる音だけがしていた。スゲエことをやったと思ったが、途中でやめるのは嫌だと思った。(中略)自分が田舎の方へ行こうぜと言うと、乙川が三中の方へ行こうと言い、三人でトランクの中に死体を入れ、柿の木の所で三人で放り落とした。」旨(検察官住田作成の8.2取調状況報告書、8.3員面)殺害状況について詳細かつ迫真性のある供述をし、強姦場所を「北公園内」、殺害場所を「北公園に停車中の車中」、死体投棄場所を「残土置場」とそれぞれ変更した後、再度、八月七日になって、「被害者を殺した場所は死体を捨てた残土置場の近くの学校のグランド脇の道路上」である旨(8.7員面)供述を変更するに至っている。
なお、このような殺害場所に関する供述の変遷に対応して死体の運搬方法についても、乙川、丙沢、夏男の供述は、概ね乙川及び丙沢の二名ないし乙川、丙沢及び夏男の三名が運んで捨てた、クラウンないし車のトランクの中に入れて運び残土置場に捨てた、東高校北側路上から残土置場までの約二〇〇m程の距離を三人で運んで捨てたと供述を変更するに至っている。
ところで、8.7実況見分調書(<書証番号略>)、7.29「車両からの付着物採取について」と題する書面(<書証番号略>)、7.26指紋等対照結果通知書(<書証番号略>)、7.31「現場足痕跡対照結果について」と題する書面(<書証番号略>)、8.12実況見分調書(<書証番号略>)、住田尋問調書(<書証番号略>)によれば、残土置場及びその付近一帯から採取された足跡痕、タイヤ痕と少年らや被害者の履物、足紋を対照した結果、一致するものが得られなかったとの報告書が七月三一日付で作成されていること、七月二三日に少年ら使用車両内から土砂等が採取されていること、少年らの本件事件当時の着衣や履物から土砂を採取したこと、少年ら使用車両二台のいずれからも被害者の指掌紋、足紋、足跡と一致するものが得られなかったとの通知が七月二六日付で作成されていること、七月二六日に右車両二台から内部付着物の採取が行われたが、その後、同車両内からは被害者と一致するものは何も発見されなかったこと(尿反応を含む。)、少年ら使用車両内土砂、少年ら着衣、履物付着土砂のいずれも残土置場付近で採取した土砂との一致をえられなかったことなどが認められ、これらの事実によれば、草加署は、遅くとも七月末には残土置場付近と少年ら使用車両を結びつける痕跡がないことや残土置場付近が強姦、殺人現場ではないことを把握していたこと、また、同様にして遅くとも八月初めころには少年ら使用車両内に失禁による尿反応などのないことの情報を得ていたものと推認でき、これらの捜査官側が客観的な情報を入手した時期と乙川らの犯行場所に関する供述の変遷時期は、ほぼ一致するものと見ることができる。
以上によれば、真実犯人であれば、およそ思い違いをするはずのない犯行場所というような極めて印象的かつ重要な事実について、乙川らは、二回も供述を変更し、さらに、それが同一場所と認められる範囲内の場所であるならまだしも車で何分もかかるような全く異なる場所を挙げて変更したり、屋外から車内、そしてまた屋外というように変更していることからすれば、思い違いや記憶違いをするなどということは到底あり得ず、何らかの特段の理由のない限り、その変遷それ自体が不自然、不可解といわざるをえない。しかも、その変更の理由については「恐ろしい事とこんな大きな罪を起こしてしまい、話すのがいやだったからです。」(丙沢の8.7員面)などと供述しているのみで理由らしい理由は述べていないのであって、他に殊更、嘘の供述をしなければならない合理的な理由も見出すことができない。そのうえ、乙川、丙沢、夏男がいずれもほぼ同時期に同一内容の変更をしているのであって、そのような供述の変遷状況、変遷の内容自体が捜査官の誘導によってなされたことを強く推認させるばかりか、その変遷時期が捜査官側が鑑定結果などの客観的情報を入手した時期に符合しているという事実は、捜査官による誘導によって乙川らの供述が変遷したのではないかという強い疑念を生じさせるのであって、乙川、丙沢、夏男がその経験に基づく記憶により供述したものであるとは到底考えられないところといわざるを得ない。
3 姦淫場所、姦淫順、姦淫時の被害者の抵抗等に関する供述
乙川らの姦淫場所、姦淫順、姦淫時の被害者の抵抗等に関する供述経過は以下のとおりである。
(一) 乙川の姦淫場所、姦淫順、姦淫時の被害者の抵抗等に関する供述経過
姦淫の順番について、「丙沢(一回目)、乙川、夏男、秋男、丙沢(二回目)」とほぼ一貫した供述をしている(8.4上申書等)。
姦淫の場所について、丙沢(一回目)と乙川が「池の奥」、夏男、秋男及び丙沢(二回目)が「池の手前」とほぼ一貫した供述をしている(8.4上申書等)。
姦淫時の被害者の抵抗状況について、8.3上申書で「俺と丙沢がやっている最中、夏男と秋男は被害者を手で押さえていた。」旨記載し、8.4上申書でも「初めに丙沢がおまんこをやる時、被害者は抵抗していたので、夏男と秋男も手を押さえていた。丁海兄弟がおまんこをしている時は、まだ少し抵抗していたので、自分と丙沢も足を押さえたり、手を押さえたりした。」旨記載し、8.7員面、8.10検面でも「最初に丙沢におまんこさせた時、俺が被害者の足を、丁海兄弟が手を押さえていた。俺がおまんこする時も、丁海兄弟と丙沢が被害者を押さえていた。」旨供述していたが、8.12検面では「丙沢が被害者と向かい合っておまんこした後で、今度は被害者を四つんばいにさせて後ろからおまんこしていたような記憶もする。」旨の供述を新たにしたうえ、「その際には、被害者の体を押さえてはいなかった。その後、私は、被害者に『仰向けになれ。』と命令して向き合う形でおまんこしたが、その時には、被害者は抵抗しなかったので誰もその体を押さえていなかった。」旨供述を変更している。
(二) 丙沢の姦淫場所、姦淫順、姦淫時の被害者の抵抗等に関する供述経過
姦淫の順番について、8.7員面、8.8員面では「丙沢、乙川、秋男、夏男」と供述していたが、8.10検面では「丙沢(一回目)、乙川、丙沢(二回目)、その余ははっきりと覚えていない。」旨供述を変更したのに変更の理由は述べられていない。
姦淫の場所について、8.7員面、8.8員面では「池の奥の小高い所で被害者の服を脱がせたが、この場所はあまりにも明るすぎるので何もせず、藤棚の方へ向かい、その手前約三〇m位の木が生い茂った芝生の植え込まれている場所で全員が姦淫した。」旨供述していたが、8.10検面では「山のような感じで、上り坂の斜面になっている所で丙沢(一回目)と乙川が、池から藤棚に向かう中間付近で全員が姦淫した。」旨供述を変更したのに変更の理由は述べられていない。
姦淫時の被害者の抵抗状況について、8.7員面で「この場にいた仲間みんなが被害者を芝生の上に、仰向けに倒したが、みんなは他の場所に行って芝生のところには俺と被害者だけになった。」旨供述して以来、被害者の抵抗やその手足を押さえていたという供述はなされていない。
(三) 夏男の姦淫場所、姦淫順、姦淫時の被害者の抵抗等に関する供述経過
姦淫の順番について、検察官住田作成の8.2取調状況報告書では「乙川、丙沢、秋男、夏男」と供述していたが、8.8員面では「乙川が最初にしたが、その後四人でおまんこしたが、どんな順番か忘れた。」旨供述を変更し、8.10検面では「乙川、丙沢、夏男、秋男、乙川と丙沢(二回目、ただし、両者の先後については、はっきりしない。)」と更に供述を変更している。
姦淫の場所について、検察官住田作成の8.2取調状況報告書では「奥の方の池近くで被害者の服を脱がせたが、その場所は狭くて姦淫できないので藤棚の方へ戻り、全員が広場で姦淫した。」旨供述していたが、8.8員面では「池の脇の少し高くなって山になった木が生い茂っている所で、乙川がおまんこした。公園のグランド寄りにある高さ二m位のお墓のような石のある所で四人でおまんこした。」旨供述を変更し、8.10検面では「「乙川と丙沢の二人は山でやっていたが、公園のグランド寄りの場所で四人で姦淫した。」旨供述を再度変更している。
姦淫時の被害者の抵抗状況等については、明確な供述はなされていない。
(四) 秋男の姦淫場所、姦淫順、姦淫時の被害者の抵抗等に関する供述経過
姦淫の順番について、8.12員面で「俺は三番目だった。」旨供述するのみで、その余については供述していない。
姦淫の場所については、八月二一日の実況見分時に「月山の石製のベンチの南東で乙川が、池北側の樹木の茂る小山で夏男と丙沢が、藤棚下の石製ベンチ上で秋男がそれぞれ姦淫した。」旨指示説明し(8.24実況見分調書)、8.22員面でも、「俺は藤棚の下のベンチでおまんこした。」と同趣旨の供述をしている。
姦淫時の被害者の抵抗状況について、8.12員面で「俺のチンポコ(性器)が入ったかどうか、被害者が抵抗するのでよく覚えていない。」旨供述しているに止まる。
(五) これらによれば、乙川の供述は、姦淫場所と姦淫順についてはほぼ一貫しているものの、被害者が抵抗したため、その手足を押さえていた旨の供述は、当初から他の三人の供述と抵触していたのに、維持されていたにもかかわらず、丙沢の8.10検面での肛門性交、口淫供述が出た後の8.12検面で突然、丙沢の肛門性交に関する供述を新たに加えたうえで、被害者の抵抗はなく、その手足も押さえていなかった旨供述を変更しているのであって、その変更の理由も述べられていない。このような供述変更経過に照らせば、前記丙沢の肛門性交、口淫供述に対応させるべく捜査官の誘導によって供述が変更されたのではないかとの疑念を払拭することができないのである。
また、丙沢は、姦淫順については、ほぼ一貫しているが、姦淫場所については、自己の最初の姦淫場所について藤棚手前の芝生の上から、当初は明るすぎて不適であるとしていた山の上り斜面に何ら理由も述べずに変更しているのであって、このように、自己の、しかも、四人のうち最初に姦淫した場所についての記憶について思い違いや記憶違いをするということは考えられず、当初から一貫した供述をしていた乙川の供述に合わせるべく誘導がなされた結果、供述を変更したのではないかとの疑問も生じるのである。
夏男も、乙川らの最初の姦淫場所を乙の供述に一致する形で供述を変更し、自己の姦淫順について、当初、秋男の次である旨供述していたのが、順番をはっきり覚えていない旨変更し、さらに、丙沢の次である旨供述を変更しているのであるが、本件事件関与者が多数であることを考慮すれば、その全員の順番については記憶違いや思い違いといったことがありえるとしても、目前で行われている輪姦という異常な事態において自分が誰の次に姦淫したのかを忘れたり、記憶違いをするということは考えられず、その供述の変遷には不自然さを感じる。
さらに、秋男の自己の姦淫場所を「藤棚のベンチ」とする供述は、乙川らの供述とは全く異なるものであり、しかも、クラウンの中から藤棚の様子が見えた旨の供述をしているB(8.21検面)やA(8.15上申書)も秋男が藤棚の下のベンチ付近で姦淫していたとの供述は全くしていないのであり、一人秋男だけが右のような供述をしていることは極めて不可解である。
4 殺害場所を探している際に車のライトがあたった時の状況に関する供述
(一) 乙川の供述
「後ろから車にライトが当たったので、びっくりして一瞬逃げ出した。」旨述べ(8.12検面等)、一貫して乙川らの背後から秋男らの車のライトがあたった旨供述している。
(二) 丙沢の供述
8.7員面では「高校の金網フェンスの端を歩いていた時ライトをつけた車が走ってきたので、三人はびっくりした。」旨供述し、その方向については明確に述べていなかったのが、8.8員面では「俺達が歩いている道路を対向でライトをつけた車が走ってきたので、これはヤバイと思って、夏男は、被害者から離れて逃げた。」と正面から車のライトが当たった旨供述したのに、8.10検面では「後ろから車にライトがあたった。」旨供述を変更している。
(三) 夏男の供述
「反対方向から二台の車がライトを付けて走ってきたので、俺は乙川達を残して一人で十字路まで逃げ振り返った。」旨述べ(8.8員面等)、一貫して夏男らの前方から秋男らの車のライトがあたった旨供述している。
(四) 秋男、A、Bの供述
秋男は、「車の前方で乙川達三人で被害者を抱えるようにして歩いていた。」旨供述し(8.12員面)、Aは、「乙川らは僕たちと同じ進行方向に向けて歩いていた。」旨供述し(8.21検面)、Bは「進行方向前方に丙沢達が被害者の回りを囲むようにしているのに出会った。」旨供述している(8.21検面)。
(五) このように、夜明け前に周囲に明かりもなく、被害者を引き連れて、人に見つからないように被害者の殺害場所を探しているといった緊迫した状況の中で、車のライトに急に照らされたという事は極めて印象的な出来事のはずで、しかも、田圃の中の直線道路を歩行中の出来事であることに鑑みれば、ライトが前からあたったのか、後ろからあたったのかについて、記憶違いや思い違いをするとは考えにくいのであり、そのことは、乙川、丙沢、夏男の三人ともが驚き、夏男はかなりの距離を走って逃げたとされていることからも明らかである。しかし、前記のとおり丙沢は、その供述を変遷し、乙川及び丙沢の供述と夏男の供述は全く正反対の内容となっているのであり、そのこと自体が自ら経験しない事柄を述べているのではないかとの疑問を生じさせる。また、秋男、A、Bの各供述に夏男が走って逃げたという極めて印象的な出来事について述べられていないこともまた不可解である。
5 殺害状況に関する供述
(一) 乙川の殺害状況に関する供述
被害者の服を脱がせる時の状況と首にブラスリップを巻きつける際の被害者の姿勢について、8.8員面では「俺の左側にいる被害者の右足に自分の左足を引っかけて、被害者が前に倒れかかっているところを更に、丙沢と二人で被害者の背中あたりを押し倒し、丙沢が倒れている被害者の前にまわって背中に手をまわして上着のシャツをめくる様にして脱がした。その後、俺が背中の方からブラジャーを脱がせた。被害者は、その場で立とうとしたので、乙川が後ろから被害者の首にブラジャーを巻きつけた。」旨供述し、八月九日の実況見分時にも「俺が被害者に足をかけ両膝を路上につくように四つんばいにさせ、丙沢が被害者に正対し、路上に両膝をついたまま膝立ちをしたような姿勢の被害者のシャツを脱がせ、俺が同様に姿勢の被害者に正対し、おおいかぶさるようにして両手を背中に回してブラスリップを脱がせ、同様の姿勢の被害者の後ろからブラスリップを首に巻いた。」旨指示説明、再現をしていたが(8.19実況見分調書)、8.12検面では「私が被害者の右足に自分の左足を引っかけて、前に押し倒そうとし、丙沢と二人で被害者の背中を押して前に倒したら、被害者は両膝をついて倒れた。丙沢は両膝をついている被害者の前にまわり両手でシャツとブラスリップを一緒につかんで引っ張りあげようとした。夏男は被害者の服を脱がす際に、両腕の肘の下あたりを後ろから両手で押さえ、シャツとブラスリップを脱がしやすいようにしていたが、私は側でそれを見ていた。丙沢がブラスリップを私に渡したので、私が被害者の後ろからブラスリップを首に巻いた。」旨供述を変更している。
(二) 丙沢の殺害状況に関する供述
被害者の服を脱がせる時の状況と首にブラスリップを巻きつける際の被害者の姿勢について、8.7員面では「夏男がブラスリップを脱がせて、乙川に渡し、乙川が被害者の首に巻きつけた。」旨供述し、8.8員面でも「夏男は無言のまま止まると、被害者が着ているシャツとブラジャー付の下着を脱がせた。一枚一枚脱がせたのか、二枚とも脱がせたのかは俺が脱がしたのではないので判らない。夏男はブラジャー付の下着を乙川に渡し、乙川は立っている被害者の前に行って、いきなり被害者の下着を巻きつけた。」旨述べ、被害者が立ったままの姿勢で巻きつけたと供述し、八月九日の実況見分時でも、ほぼ同様の指示説明、再現を行っていたが(9.20実況見分調書)、8.10検面では「僕は、被害者の前に立って上着と下着を一緒に掴んで一気に上へ引き上げて脱がせてしまった。被害者は、その時はまだ倒れていなかった。乙川は下着を受け取るとそれを後ろから被害者の頭の上からその首にかけた。」旨述べ、シャツとブラスリップを丙沢が二枚一緒に脱がし、乙川が後ろからブラスリップを首に巻きつけた旨供述を変更し、「服を脱がせたのが夏男であると供述していたのは、夏男が軽い役ばかりしているので不公平だと思い嘘を言っていた。」旨供述しているが、二枚一緒に脱がせたことや乙川が前からではなく、後ろからブラスリップを首にかけたと変更した点についての理由は述べられていない。
(三) 夏男の殺害状況に関する供述
被害者の服を脱がせる時の状況と首にブラスリップを巻きつける際の被害者の姿勢について、8.8員面では「乙川が突然、被害者の服を上に引上げ脱がせようとした。そこで俺と丙沢は被害者の腕を上げて服を脱がせやすいようにして脱がせ、さらに下着も同じ様にして脱がした。乙川は脱がした下着を被害者の背中から首にひっかけた。」旨供述し、八月九日の実況見分時にも、立ったままの被害者に対して同様のことを行った旨の指示説明、再現をし(8.15実況見分調書)、8.10検面でも同趣旨の供述をしていたが、8.12検面で、突然「服を脱がせたのは、丙沢で、シャツとブラスリップを一辺に脱がせようとし、私がそれを手伝ったが、乙川が、ポケーっとしていた。」と供述を変更し、その理由として「乙川が最初にブラスリップで首を締めたので、乙川が脱がせたと話したが、思い違いであった。」旨述べている。
(四) このように、乙川らの供述は、殺害行為に着手した時の状況について多くの変遷が見られ、しかも、その最終的な供述によっても、三人の供述には被害者の姿勢等多くの食い違いが存在するのであり、被害者の首を締めるという極めて異常事態を体験しているのであるから、その時に被害者に足をかけて倒したことや被害者の姿勢、誰が服を脱がしたのか(丙沢については一応供述変更の理由が述べられているが、乙川と夏男については合理的な変更理由は述べられていない。)は極めて強く印象に残ったはずであり、そのような事項に変遷や供述の間に矛盾が生じることは極めて不可解である。
6 結び
被疑者ないし被疑少年が真犯人として体験した事実を真摯に供述しているのであれば、犯行内容の枝葉末節の部分はともかく、その基本的な部分については一貫性を有し動揺が少ないのが通例というべきであるところ、以上に検討してきたように、本件では、乙川らは、当初の任意同行による取調べ段階から被害者殺害の事実を認めていたにもかかわらず、その殺害状況、殺害場所、死体運搬方法などといった基本的、中核的な事実について供述を数回にわたって変遷していることが認められるのであり、また、姦淫の事実を認めた以後も、姦淫に関する各人の姦淫場所や姦淫順序、姦淫内容などといった基本的な事実について供述を変遷し、少年らの供述の間にも齟齬が存在しているのである。
もちろん、人には記憶違いや錯覚ということがあり得るし、記憶力には個人差があり、また人として、記憶が薄れるということもやむを得ない。そして、記憶違いや錯覚にはその是正ということも考えられ、また記憶の喚起ということも当然あり得る。しかしながら、それには合理的な理由がなければならないし、まして、前記のような強姦殺人という重大な、しかも、一四、五歳の少年らにとって極めて衝撃的な事柄について、いやしくも自己の行動に関する事項について、記憶違いや錯覚を起こすということは、極めて稀で、むしろ、通常あり得ないことと考えざるを得ない。また、少年らの自白における右のような供述の変更や虚偽は、これを少年らが、殊更に事実を曲げて供述する理由は考えられないし、殊更、虚偽を述べている節も認めることができない。しかも、姦淫の未遂・既遂、犯行場所に関する供述の変遷は捜査官の関与を強く疑わせるものである。
このようなことからすれば、前記のような少年らの供述の変遷、供述間の齟齬は、少年らが、あるいは、自己の経験しなかったことや記憶の薄れたことについて、取調官から尋ねられた際、ただひたすら迎合的な気持から、その都度、取調官の意に副うような供述をしたことによるのではないかとの強い疑問があるのであり、どこまでよく真実を述べたものか、またどの供述に真実があるのか、その判断に苦しまざるを得ない。
したがって、本件では被害者に対する姦淫の有無、殺害場所、死体運搬方法等といった強姦殺人において中核的、基本的な部分について数回の供述の変遷がみられること自体が乙川らの供述全般の信用性を強く疑わしめるものというべきであり、乙川らの裁判官の面前でなされた供述も同様にして、その信用性に強い疑問が生じるのである。
六不自然な供述―強姦時のコンドーム使用
少年らの前記供述によれば、強姦時にコンドームを使用したとされているが、強姦に際してコンドームを使用することやコンドームの数が不足し、じゃんけんで負けたために強姦を断念すること自体の不自然さを一応、措いたとしても、少年らは、コンドームを使用するようになった理由として、「子供ができるとやばいと考えたから」(夏男の8.2員面)、「被害者が汚いという気持ちと、万一子供ができると困る。」(乙川の8.10検面等)などと供述しているが、前記のとおり、丙沢は、被害者の陰部を舐めたり、「コンドームを貰っていたが、そんなものつける気にならなかった。」(8.10検面)として、コンドームを使用せずに、膣に陰茎を挿入しようとしたばかりか、肛門内にもコンドームなしで陰茎を挿入したというのであり、また、夏男も、8.8員面で「若し、その時、俺と秋男がコンドームを持っていなかったら、おまんこをやらないということはなかったと思う。また、俺や乙川がジャンケンで負けておまんこがやれないとなったらコンドームなしでも加わっていたと思う。」旨供述しているのであって、強姦を前提としてコンドームの取得を巡ってじゃんけんまでしたグループの者の供述としては、いずれもコンドーム使用の理由及び行動について、首尾一貫しない供述というべきであり、このことは、ひいては強姦に際してコンドームを使用したとする供述自体の不自然さを増幅させるものといえるのであって、右各供述は、前記のとおり、被害者の体内に弱いながらも精液が存在する可能性があるとの情報を得た捜査官による誘導による供述ではないかとの疑念を払拭することができないのであり、したがって、コンドーム使用に関する少年らの供述の信用性には疑問が残るといわざるをえない。
また、Eの8.10員面(<書証番号略>)によれば、Eは、夏男が窃取したコンドームのうちの一個を同人から窃取時に貰い受けていたが、さらに、七月末ころ、夏男から貰い受けたコンドームと類似のコンドームをAの財布から抜き取ったことが認められ、Aの8.19員面でも「Eが所持していたコンドームは、本件事件以前の七月中旬ころ、夏男から貰ったコンドームであり、本件事件でも被害者を北公園に連れて行き、おまんこしようとした時に財布の中に入れ、車のダッシュボードの中に入れていたが、その時は、その事を忘れていたため、ジャンケンをしてしまった。」旨供述している。しかし、Aは、8.21検面で「僕は、どんな女の子でもいいからセックスがしたかったので、絶対に勝とうと思った。」などと供述したうえ、じゃんけんに負けた悔しさについても供述しているのであるが、Aの右供述のとおりであるとすれば、本件事件当時、コンドームがないために、姦淫を断念したことの不自然さの他に、コンドームを持っていることを失念したまま、思い出さないということ自体の不自然さも払拭することができないのである。
七秘密の暴露の有無
夏男の8.8員面(<書証番号略>)、抗告審決定書(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、夏男は、八月八日ころ、強姦時に使用したとされるコンドームを本件事件発生前の七月一四日ころ、同人が車上荒らしをした際に窃取したものである旨供述したこと、右事実は夏男の供述により初めて捜査官が知り得た、ないし捜査官に発覚した事実であり、その後の捜査の結果、それが客観的事実であると確認されていることが認められ、このことは抗告審決定が「少年らの自供に一種の秘密の暴露があるということができ、犯罪行為自体の秘密のように決定的証拠とはいい難いにしても、その供述の信用性を高めるものであることには違いなく、この点からも、少年らの強姦行為についての自白はむしろ信用性が高いと認められる。」と判示指摘するように、一見、秘密の暴露に該たるとも言えなくもない。しかし、そもそも、本件事件に使用されたとされるコンドーム自体が発見されていないことは前判示のとおりであって、右窃取されたコンドームと本件事件で使用されたとされるコンドームの同一性の証明がないだけでなく、これまで検討してきたところからも明らかなように、被害者が真実姦淫されたのか否かについても疑問があるうえ、強姦時にコンドームを使用したとする少年らの自白の真実性についても前記のとおり、極めて強い疑問があることなどの事実を総合すれば、夏男の供述をいわゆる秘密の暴露ということはできないものというべきである。
右コンドームの窃取以外に少年らの供述には、秘密の暴露に相当するものは存在しない。
八捜査機関の問題性
これまで、再三、指摘してきたように、本件事件において、捜査機関、殊に、草加署は、死体頸部付近に存在していた土砂の周到な見分、採取、鑑定を怠り、死体実況見分時に不用意に肛門を開大させたうえ、その事実を鑑定医や検察官にも知らせず、AB型の精液がスカートに付着しているとの鑑定結果を原審決定時まで検察官や裁判所にも送致せず、抗告審になって、改めて原審決定後にほぼ同一内容の鑑定結果を作成させて送致し、毛髪の鑑定結果について不正確な聴取報告書を作成するなどしたばかりでなく、少年らに有利な客観的証拠を隠匿しようとさえしていたのではないかとの疑いさえ抱かせる行動をとっているのであり、そのような草加署の本件事件に対する捜査経過自体から、本件事件当時、素行の芳しくなかった少年らを安易に本件事件の犯人と断定して、強引に少年らから自白を強要しようとしたのではないかとの疑いを否定することができない。
九秋男、A、Bの供述調書等の信用性
以上に検討してきたところによれば、実際に被害者を姦淫、殺害し、本件事件の主犯格とされる乙川、丙沢、夏男の供述は、いずれもその全般にわたり信用できないものというべきであるが、また、そのことは、比較的傍観者的立場にあったとされる秋男、A、Bの供述のうち、乙川らの供述に沿う供述部分についても、以上で乙川らの供述について指摘、検討してきたことが、そのまま当てはまるのであり、当然、その信用性に影響を及ぼすものといえ、いずれもその供述全般についての信用性に強い疑問があるというべきである。なお、前記のとおり、秋男、A、Bが被害者を無理矢理乗せ、その中で抵抗する被害者の服を脱がせ、乳房などを弄んだと供述している少年ら使用車両に被害者の遺留物が発見されなかったことの他に、右三名の供述の信用性について、これまで指摘していない個別的な問題点を若干指摘する。
1 秋男の供述の信用性
秋男は、前記のとおり、自己の姦淫場所について、ひとり、その余の少年らの供述とは全く異なる場所を供述しているが、さらに、8.22員面で「乙川達が被害者を殺したあと、丙沢が被害者の上半身を起こして被害者の後ろから脇の下に手を入れて起こし、被害者の足をずるようにして俺の車の方に来て、夏男が俺に『どうする。どこへ捨てる。』と聞くので、俺は恐ろしくて一時も早く逃げてしまいたかったので、『知らねえよ。早く捨てて来いよ。早く行けよ。』と言い返した。」旨供述し、八月二二日の実況見分時にも同趣旨の指示説明、再現を行っている(8.24実況見分調書―<書証番号略>)。しかし、このような供述をしているのは秋男ただひとりであり、その余の少年らの供述調書類には、このようなやりとりがあったとの供述は一切存在しないのである。このように、強姦場所や死体の処置についてのやりとりといった基本的、かつ極めて印象的な事実について思い違いや記憶違いは考えられないのみならず、ひとり秋男だけが、右供述をしていることは、同人が七月二三日から少年鑑別所に入鑑し、草加署員らによる連日の取調べを受けていないことに照らせば、他の少年らと異なり捜査官による誘導を受ける機会が少なかったことを示すものではないかとの疑問も生じる。
2 Bの供述の信用性
前記のとおり、Bは七月二三日から、八月三日の逮捕後の八月一五日まで犯行を否認する旨の供述をしていたが、8.16上申書で本件事件の大筋を認めるに至ったが(なお、Bが本件事件を認める旨の供述をしたのは、既に、乙川らの供述が確定した後であるから、その供述内容には大きな変遷はない。)、その後も、乙川らの姦淫、殺害状況については直接目撃していなかった旨の供述を続けていた(8.19員面等)。しかし、8.12検面で、乙川らの殺害状況を目撃した旨、供述(一問一答式)を変更し、さらに、8.22員面で「自分が乗っていたクラウン(助手席)は乙川達が立っていた所から一〇m位手前で停まり、ブルーバードはクラウンの前に停まった。車のライトを消し、回りはまだ暗かったが、三人の動きや被害者の恰好は大体判った。丙沢らは立ったり、しゃがんだりしていたから、被害者の首を締めていると思ったが、手で締めているのか、何かを使っているのかは見えなかった。」旨供述している。しかし、右は、乙川らの殺害行為をブルーバードの後ろに位置するクラウンの助手席から漠然と見たという程度であって、右供述部分の信用性ないし証明力には疑問が残る。
3 Aの供述の信用性
前記のとおり、Aは、逮捕当初から本件事件を認める旨の供述をしていたが(なお、大きな供述の変遷のないことはBと同様である。)、当初は、姦淫状況、殺害状況のいずれも見ていない旨供述していたが、8.21検面で、殺害状況を車内で目撃した旨供述を変更し、「どうしてかわからないが、被害者が仰向けの形で後ろの方に少しゆっくり倒れた(顔は判らなかったが、髪の毛が少し長そうだったので被害者と思った。)。倒れた側に三人が立ったり座ったりしていた。」などと供述し、8.22員面では、「乙川だと思うが、被害者の足の後ろに足を出して後ろ向きに被害者を倒した。」旨さらに細部についての目撃供述をしている。しかし、8.21検面では、被害者が倒れた時の状況について、「どうしてかわからないが」とされ、首を締めている時の見え方については「三人が立ったり、座ったりするのが見えた。」とされていたのが、8.22員面では、何ら変更の理由もなく、「乙川が足をかけて倒した。」ことまで見えた旨、主犯格の乙川の供述に沿う形で供述が変更しているのであり、そのような供述経過自体、捜査官の誘導がなされたのではないかとの疑問を強く生じさせる。
第六結論
既述のとおり、本件事件に沿う本件非行事実についての少年保護事件において本件非行事実の存在を前提とした保護処分(少年院送致)が確定している関係上、本件訴訟においては、右保護事件記録のうち、原告らが少年らの自白供述の信用性を肯定し、これらと他の関係各証拠とにより本件事件に沿う本件非行事実を認定した原審決定書、抗告審決定書及び少年らの自白調書等の一部を援用し、被告らが、いわば少年保護事件において認められなかった再審請求をするような形で、本件事件を積極的に争い、自己の主張に沿う右記録の一部と新たな各種意見書、証言等を援用するという審理がなされてきた。当裁判所には少年保護事件の全容が呈示されているとは必ずしもいえないところがあり、その限度と制約のもとに判断せざるを得ないものではあるが、少年らが任意取調べの段階から被害者殺害という重大事実を自白しているということは、少年らが被害者と何らかの関わりがなければ通常あり得ないところではあるけれども、以上、検討してきたところによれば、乙川らと本件事件の犯人とを結びつける証拠としては、少年らの各供述調書類における自白がある他には、物的証拠は存在せず、その他の人的証拠もないうえに、少年らの右各自白は、基本的事実において客観的証拠ないし事実に矛盾し、かつ著しい変遷、くい違いなどが多数存在して、いずれも信用するに足りないものであり、かつ、相互に補強証拠にもなり得ないものと認められる。
したがって、乙川らが被害者を強姦して、殺害したとする原告らの請求原因事実は、未だこれを基礎づけるに足りる証拠がなく認めることができないといわざるをえない。
よって、その余について判断するまでもなく、原告らの被告らに対する本件請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法九三条、八九条を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官山﨑健二 裁判官上原裕之 裁判官桑原伸郎)