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浦和地方裁判所 平成元年(ワ)683号 判決 1991年10月02日

本訴原告(反訴被告)

甲野一郎

本訴原告(反訴被告)

甲野春子

本訴被告(反訴原告)

乙山良夫

主文

一  本訴被告は、本訴原告甲野一郎に対し、金一〇万三八八八円及びこれに対する昭和六三年一二月一七日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  本訴原告甲野一郎のその余の請求及び本訴原告甲野春子の請求をいずれも棄却する。

三  反訴被告甲野一郎、同甲野春子は、連帯して反訴原告に対し、金一〇万円及びこれに対する平成元年七月一二日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

四  反訴原告のその余の請求を棄却する。

五  訴訟費用は、本訴反訴を通じてこれを二分し、その一を本訴原告ら(反訴被告ら)の負担とし、その余を反訴原告(本訴被告)の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  本訴

1  請求の趣旨

(一) 本訴被告(以下、本訴・反訴を通じ「被告」という。)は、反訴原告甲野一郎(以下、本訴・反訴を通じ「原告一郎」という。)に対し、金一〇六万四七九〇円、本訴原告甲野春子(以下、本訴・反訴を通じ「原告春子」という。)に対し、金二〇〇万円並びに右各金員に対する昭和六三年一二月一七日(本訴の訴状が被告に送達された日の翌日)から各支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(二) 訴訟費用は被告の負担とする。

(三) 仮執行の宣言

2  請求の趣旨に対する答弁

(一) 原告らの請求を棄却する。

(二) 訴訟費用は原告らの負担とする。

二  反訴

1  請求の趣旨

(一) 被告に対し、原告一郎は金一五〇万円、原告春子は金二〇〇万円並びに右各金員に対する平成元年七月一二日(反訴状が原告らに送達された日の翌日)から各支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(二) 訴訟費用は原告らの負担とする。

(三) 仮執行の宣言。

第二  当事者の主張

一  本訴について

1  原告一郎が主張する請求の原因

(一) 被告の原告一郎に対する不法行為その一

(1) 被告は、原告一郎の肩書き住所地と道路を挟んで向かい側に居住しているものであるが、昭和六二年五月七日午後八時一五分頃右原告方前の路上において、普通乗用車に原告春子を乗せて帰宅しようとした原告一郎に対し、突然道路上で両手を拡げて進行を妨害し、ようやく車庫に右乗用車を入れて下車した原告一郎の顔面に唾をかけ、右手で一郎の顔面を殴打し、次いで左胸を右手で殴ってその場に転倒させるなどの暴行を加えた。

(2) 右暴行により、原告一郎は顔面、左肩部、腰部の各打撲傷、鼻根部切創、第三腰椎横突起骨折等の傷害を受け、四週間の加療を要した。

(3) 右暴行による原告一郎の受けた損害は、①治療費一万三八八〇円の内既に支払いのあった分を除く未払い分一三一〇円、②交通費三四八〇円、③雑費一万円(コルセット代を含む。)、④慰謝料一〇〇万円である。

(二) 被告の原告一郎に対する不法行為その二

被告は、後記2の(二)のいやがらせ行為により、原告一郎所有の普通乗用車のパネルを損傷し、バックミラーを損壊した。これにより、原告一郎は、その修理費五万〇七〇〇円の損害を被った。

2  原告春子が主張する請求の原因

(一) 原告春子は、原告一郎の二女で原告一郎と同居している。

(二) 被告は、昭和五八年六月頃から毎日のように原告春子の帰宅時に待ち伏せし、同女を送り迎えしている原告一郎運転の自動車の屋根を棒でたたいたり、ドアを開けようとしたり、バックミラーを破損したり、車体を蹴るなど様々な嫌がらせを続けた。

また、原告春子が自宅にいると、外から原告宅を窺ったり、原告が出勤しようとすると、道路上で待ち構えて見続けたり近寄ってきたりして、いかにも変質行為を仕掛けるような気配を示した。

(三) 被告の右の行為により原告春子の受けた精神的、肉体的苦痛は多大であるが、とりわけ原告春子は昭和六三年三月末日、それまで勤務していた文部省勤務を、被告の前記嫌がらせに耐えられなくなり依願退職するの止むなきに至った。従って、その慰謝料は二〇〇万円が相当である。

3  原告一郎主張の請求の原因に対する被告の認否

(一) 請求の原因(一)の(1)のうち、原告一郎宅と被告宅が主張の位置関係にあること、原告一郎主張の日時に主張の場所で被告が原告一郎の顔面を右手で殴打したことは認めるが、その余の事実及び同(2)、(3)の各事実は否認する。

(二) 同(二)の事実は否認する。

4  原告春子の主張の請求の原因に対する被告の認否

(一) 請求の原因(一)の事実は認める。

(二) 同(二)、(三)の各事実は否認する。

5  原告一郎主張の請求の原因に対する被告の抗弁

(一) 正当防衛

被告が原告一郎を殴打したのは、原告一郎と被告との喧嘩口論が終了した後、原告一郎が突然に背後に隠し持ってきたゴルフのパターのような長さ一メートル位の金属性の棒で、被告に殴りかかってきたので、被告が自分の生命、身体を防衛するためにやむを得ずにした反撃であり、違法性がない。

(二) 和解の成立

原告一郎と被告の間には、被告が原告一郎に七万円を支払ったことにより、両者間で和解が成立している。仮にそうでないとしても、後記(三)の経緯に照らすと、一一万円を支払うこととする和解契約が成立している。

(三) 権利濫用

前記の通り、原告一郎は、七万円を受領して示談が成立しているのに、示談書の作成を求めると新たに一〇万円の追加請求をしたので被告がこれを提供したところ、原告一郎は受領を拒絶した。その後原告一郎は、被告代理人丙川夏子との間で、被告が一一万円を支払うことで和解する旨の合意が成立した。ところが原告一郎は、その後和解金は要らない、被告の刑事処分を望む、と言ったため示談書の作成は不調に終わった。

このような経緯に徴すれば、原告一郎の本件請求はいたずらに被告を困窮させる目的でしたものであり、権利の濫用である。

6  被告の抗弁に対する原告一郎の認否

(一) 抗弁(一)は否認する。

(二) 同(二)のうち、原告一郎が被告から五万円を受領したことは認め、その余は否認する。右五万円は、被告の暴行によって生じた損害のうち、眼鏡代全額及び治療費の一部(本訴で請求した以外の分)に充当した。

(三) 同(三)は否認する。

二  反訴について

1  被告主張の請求の原因

(一) (甲事件) 原告一郎は、昭和六一年八月二一日夕刻、自動車を運転して被告宅前道路上を通行する際、被告宅車庫から被告の妻が自動車を徐行後進しつつ路上に出ようとしているのを確認しながら、又は、確認する義務を怠り、漫然と通過しようとしたため、両者が衝突するところであった。被告は急いで飛びだし、妻に声をかけて車を止めさせたので事なきを得た。原告一郎が、しばらくして車を運転して戻ってきたので、被告はその車の正面に立って、「車から降りてこい。どうしてこんなことをするんだ。」といって、原告一郎の前記無謀な運転に抗議した。すると、原告一郎は、正面に被告が立っているのを知りながら突然車を発進させ、車の前部を被告の右膝に衝突させ、被告に死の恐怖を与えた外、全治一週間の右膝挫傷を負わせた。この原告一郎の行為による被告の精神的損害は一〇〇万円に相当する。

(二) (乙事件)  原告一郎、同春子は、被告が昭和六三年一二月一〇日、埼玉県朝霞保健所長に対し、被告を精神障害者(その疑いのある者)として診療及び保護の申請をした。この申請は認められなかったが、これにより被告の名誉は著しく毀損された。

この原告両名の行為による被告の精神的損害は一〇〇万円に相当する。

(三) (丙事件) 被告は、自宅と道路を挟んで隣接する大村製本株式会社(以下、「大村製本」という。)の下請けとして、本の運搬等にフォークリフトを使用しているが、この運転は近隣の私生活上の平穏を乱すものではない。ところが原告一郎は昭和六〇年頃から午前八時前は運転してはいけないといって被告や大村製本に抗議し、そのため、午前八時前に運転することができなくなった。そこで、大村製本は、防音の装備をしたので被告は午前七時過ぎから仕事を始めたが、原告一郎はこれにも抗議したため、被告はやむをえず、午前七時過ぎからの仕事は中止した。このように、原告一郎の抗議により、仕事の開始が遅れ、少なくとも年間八〇万円の減収があるが、これによる被告の精神的損害は一〇〇万円に相当する。

(四) (丁事件)  被告が本訴の抗弁として主張した通り、原告一郎の本訴請求は、既に被告との間に示談解決済みであるのに再度蒸し返したものであり、また、原告春子の本訴請求は、被告の具体的侵害行為も損害は発生もないものであり、いずれも不当な訴訟である。

これら原告両名の不当訴訟による被告の積極的損害は、原告両名についてそれぞれ一〇〇万円に相当する。

(五) (弁護士費用)  以上(一)ないし(四)の原告らの行為により、被告は応訴及び反訴の提起を余儀なくされた。よって被告は弁護士費用として原告両名にそれぞれ六七万円の損害賠償請求権がある。なお、被告は、被告代理人に着手金等として二五万円を支払っている。

2  被告の請求の原因に対する原告らの認否

(一) 請求の原因(一)の事実は否認する。

(二) 同(二)の事実中、原告らが、被告主張の日に、被告を精神障害者の疑いのある者として被告主張の通りの申請をした事実及びこの申請が認められなかった事実は認め、その余は否認する。

(三) 同(三)の事実中原告一郎が被告の運転するフォークリフトの運転について抗議したことは認めるが、その余の事実は否認する。右抗議は、被告が常識外の騒音を発生させるので平穏な生活を守るためにしたものである。

(四) 同(四)、(五)の事実は否認又は争う。

3  被告の請求の原因(二)(乙事件)に対する原告らの抗弁

(一) 被告は原告一郎に対し、本訴原告一郎主張の請求の原因(一)(1)記載のとおり、暴行を加えた。

(二) 被告は、原告春子に対し、本訴原告春子主張の請求の原因(二)記載のとおり車両を傷つける等の嫌がらせ、のぞき、待ち伏せ等をした。

(三) よって、被告は精神保健法二三条一項の「精神障害者の疑いのある者」である。

4  原告らの抗弁に対する認否

(一) 抗弁(一)の事実のうち、被告が原告一郎の顔面を右手で殴打した事実は認め、その余は全部否認する。

(二) 抗弁(二)及び(三)の事実は否認する。

第三  証拠関係<略>

理由

第一本訴について

一原告一郎主張の請求原因(一)の点(不法行為その一)及びこれに対する被告の抗弁について順次検討する。

1  被告の不法行為とその背景事情

<証拠略>に弁論の全趣旨を総合すると次の事実が認められ、右各証拠中この認定に反する部分は信用できず、他にこの認定を左右するに足りる証拠はない。

(一) 原告一郎(六一歳)は肩書住所地に次女原告春子ら家族と居住しており、原告宅と道路を挟んで向かい側には大村製本の倉庫がある。被告(四八歳)は、原告宅及び右倉庫とそれぞれ道路を挟んで隣接した居宅に昭和五五年頃転居してきて以来、大村製本から本の運搬の仕事を請け負っている。

(二) 原告一郎は、被告が同所に居住するようになって以来、被告に対し、被告が使用するフォークリフトの音や被告方の飼い犬の声がうるさいなどといって苦情や抗議を申し入れ、また、大村製本に対しても、フォークリフトやトラックが騒音を発するとして口頭や文書で何回となく抗議を申し入れ、他方、被告は右のような点は騒音とはいえない程度のものであると考え、しかも原告一郎以外に近接住民からはこのような苦情の申し入れはなかったのに、一人原告一郎だけが右のとおり抗議を繰り返し、また、事あるごとに警察や区役所に対し通報する態度に不満を抱き、原告一郎の苦情にはたやすく応じなかった。このようなことから、原告一郎と被告との間には、相当以前から感情的対立が生じて互いに敵意を抱いており、時には口論にも及ぶことがあって、相当険悪な状況であった。

(三) 昭和六二年五月七日午後八時過ぎ頃、原告一郎が、同人所有の普通乗用車に原告春子を乗せて帰宅した際に、原告宅前路上で被告と出会って互いに大声で罵りあいとなり、原告一郎の唾が被告の顔に飛んだことから被告が汚いといって原告一郎の顔面に唾をかけた。原告一郎がこれに憤慨して被告の顔面を殴打したため、被告も激昂し、原告一郎の顔面を手拳で強打して同人をその場に転倒させた。原告一郎は起き上がって自宅に入り、警察に電話をして出動を要請した後、自宅にあったテレビアンテナ用の金属性パイプ(長さ約一メートルのもの)を持ち出して被告に向かっていったため、被告は原告一郎の顔面を殴打してその場に転倒させたが、原告一郎の家人が止めに入ったため、喧嘩は収まった。

(四) 被告の右暴行により、原告一郎は眼鏡を破損されたほか、請求の原因に記載の傷害を負い、眼鏡代四万円(弁償済み)、治療費一万三八八〇円(内一万二五七〇円は弁償済み)、交通費三四八〇円、コルセット代等雑費一万円、合計六万七三六〇円の損害を受けた。

2  前記(一)に認定の事実関係、特に被告の殴打行為に至る動機、原因、行為の態様、傷害の程度等諸般の事情を考慮すると、原告一郎の被った精神的損害は金一五万円と認めるのが相当である。

よって、損害額は合計二一万七三六〇円である。

3  正当防衛について

被告は、原告が金属性パイプ(被告のいうゴルフのパター状のもの)を持って被告に向かってきた点をとらえて正当防衛を主張する。

しかし、原告一郎と被告との年齢の相違、被告の第一回目及び第二回目の殴打の際、何れも原告一郎が一回の殴打によって倒されている状況等に照らすと、右の点は後記4のとおり、過失相殺として考慮されるのは格別、被告が自分の生命身体を防衛するためにやむを得ずにした行為と認めることはできない。

4  過失相殺について

前記1に認定した事実からすると、原告一郎が被告から初回の殴打を受けて自宅に引き返した段階において、両者の喧嘩闘争はひとまず収まったものというべきであり、その後の被告の殴打は原告一郎の挑発に起因するものと評すべきである。そうすると、この点で被害者である原告一郎に過失があり、前記損害額の二割を減ずるのが相当である。従って、前記2の額からこれを減ずると一七万三八八八円となる。

5  和解契約の成否について

<証拠略>によれば、被告の前記殴打行為による損害の弁償として、金七万円が大村製本の取締役松村義次を介して原告一郎に支払われたことが認められる(もっとも、内五万円の支払いについては当事者間に争いがない。)。従って、4の額から七万円は控除すべきである。

被告は、これをもって両者の間に和解が成立したこと、仮にそうでないとしても、追加金一一万円を支払うことで和解が成立した旨主張し、<証拠略>中にはこれに副う部分があるが、<証拠略>と対比してたやすく信用できず、外に右の主張を認めるに足りる証拠はない。

6  権利濫用について

被告が主張する権利濫用についてみるに、右主張の前提事実である和解契約の成立はこれを認めるに充分でないことは前述のとおりであり、その余の前提事実だけでは、本訴請求が権利の濫用であるとすることはできない。

二原告一郎主張の請求の原因(二)の点(不法行為その二)に対する判断

1 前記一の1に認定の事実からすれば、原告一郎と被告とが隣人同士でありながら、長期に亙り敵対関係にあったため、時折口論や小競り合いなどのトラブルがあったことは推認に難くなく、また、原告らの陳述書及び<証拠略>中には、右請求の原因に副う部分がある。

2  しかし、後記のとおり原告春子の請求は、これを認めるに十分ではなく、また、<証拠略>には、原告一郎所有の自動車について修理費用として原告一郎主張の金額(五万〇七〇〇円)の記載はあるが、<証拠略>によれば、実際には修理をしないで今日まで使用していることが認められる。

3  以上の諸点に<証拠略>を併せ考えると、1に掲記の証拠だけではこれを認めるに十分ではなく、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

4  よって、原告一郎の不法行為その二の請求は理由がない。

三原告春子の請求に対する判断

1  <証拠略>中には、被告が原告春子に対し、原告らが主張するようないやがらせをしたり、変質的行動をしかけたかのような記載又は供述部分がある。

2 しかし、一の1に認定のとおり、原告両名と被告とは隣人同士であるから、日頃頻繁に顔を合わせたり姿を目にすることは明らかなところ、両者の間には、前記認定のとおり、感情的対立が生じていたために、そうでなければ見過ごされている隣人同士の日常的行動が、歪められて映ずることはありうるところである。殊に、両者の感情的対立が高まり、互いに敵意を抱くようになってからは、通常であれば気にならない一方の行動が他方にとって加害行為と受け取られたりすることが多いであろうことは推測に難くない。

3  右の点を考慮しつつ前記原告らの主張に副う前記各証拠を検討してみるに、これらは、<証拠略>と対比してたやすく信用することが出来ず、他に原告らの右主張を認めるに十分な証拠はない。

4  なお原告春子は、退職が被告の行動に起因するものである旨主張し、前記1に記載の証拠中にはこれに副う部分があるが、<証拠略>によれば、右各証拠はたやすく信用することができず、却って原告春子は、非常勤である事務補佐員としての期間が満了したことにより退職した可能性が高いものと考えられる。

第二反訴について

一甲事件についての判断

<証拠略>中には被告の主張に副う部分があるが、<証拠略>及び弁論の全趣旨と対比してたやすく信用できず、外にこれを認めるに足りる証拠はない。<証拠略>も、原告一郎の不法行為との関連性を認めるに充分でない。

二乙事件についての判断

1  原告両名が、昭和六三年一二月一〇日頃、埼玉県朝霞保健所長に対し、被告を精神障害者又はその疑いがあるものとして精神保健法二三条による診察及び保護申請をしたことは当事者間に争いがない。そして、<証拠略>によると、原告両名は連名で、右申請書の「症状の概要」欄に、被告は昭和五八年六月頃より毎月のように次女春子の帰宅時に待ち伏せをし、原告一郎が運転する車に同乗する同女にいやがらせをし、自動車の屋根をたたいたり、ドアを開けようとしたり、車体を蹴飛ばしたりし、また、原告宅の様子を窺うなどのいやがらせや、原告春子に近寄って来るなどの変質的行為をしかけるなど、概ね本訴請求の原因1及び2に記載のような事実を記載して、前記申請に及んだものであることが認められる。

2  <証拠略>によれば、原告両名から右の申請があったため、朝霞保健所長は、被告と面接等を行った上、平成元年三月二日付けで原告両名に対し、被告について精神保健指定医の診察を行わせる必要を認めない旨の通知をしたことが認められる。

3 ところで、通常の市民が自己について右のような申請がされ、また、そのために所定の調査を受けなければならないこととなれば、これによって受ける屈辱感その他名誉感情を害される精神的打撃は多大のものがあるといわなければならない。従ってこのような申請は軽々に行われてはならず、申請をする者はその対象者が精神保健法二三条一項にいう「精神障害者又はその疑いのある者」と判断し、かつそう判断するについて相当の理由があること、換言すれば、そう判断することに過失がないことを立証しない限り損害賠償責任は免れないものと解すべきである。

4  <証拠略>及び弁論の全趣旨によれば、被告は家族として妻と、大学、高校、中学に通う三人の子を有し、前記のとおり大村製本からの委託を受けて長年に亙り運送業に従事する、ごく普通の市民であることが認められる。

原告らが保健所所長宛に提出した申請書に記載の事実中、被告が原告一郎を殴打して傷害を負わせた点を除くその余の事実、即ち被告が絶えず変質的行動をしているとの点は、第一の一の1、同二に述べたところから伺われるとおり、原告両名と被告との長年に亙る感情的対立を背景にした原告らの偏見と誇張に満ちたものであって、前記3の要件を具備しているものとは到底いえない。

また、前記申請書に記載の被告が原告一郎を殴打して負傷させた事実は前記認定の通り真実であるが、両者の喧嘩闘争の態様及びその背景事情からすれば、その非がすべて被告にだけ帰せられるものではなく、また、この事実を被告の変質的行動ということはできない。

5 そうすると、原告らは、被告が前記申請によって被った精神的損害を賠償すべきであり、その慰謝料は八万円と認めるのが相当である。

三丙事件についての判断

1  <証拠略>に弁論の全趣旨を総合すれば、被告は、大村製本と原告一郎と交渉の結果等を考慮して事を穏便に収めるために、午前八時以前にフォークリフトを運転することは、自主的に差し控えることにしたものと認められる。

2  そうすると、被告の丙事件に関する請求は、その余の点について検討するまでもなく理由がない。

四丁事件についての判断

1 原告一郎と被告との間に傷害事件に関して和解契約が成立したものといえないことは第一の一の5に述べたとおりであり、また、原告らの本訴請求が、直ちに不当訴訟であって不法行為を構成するとまではいえない。

2  よって、被告の丙事件に関する請求も理由がない。

五弁護士費用について

本件事案の態様、反訴事件の認容額その他諸般の事情を考慮すると、被告の負担する弁護士費用のうち、原告らの不法行為と相当因果関係のある損害としては金二万円が相当である。

第三結論

以上のとおりであるから、①本訴について、被告は原告一郎に対する不法行為に基づく損害賠償金として金一〇万三八八八円とこれに対する不法行為の日の後である昭和六三年一二月一七日から支払済みに至るまで年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるから、原告一郎の請求をその限度で認容し、原告一郎のその余の請求及び原告春子の請求を棄却し、②反訴について、原告両名は連帯して被告に対し不法行為に基づく損害賠償として金一〇万円及びこれに対する不法行為の日の後である平成元年七月一二日から支払う義務があるから、被告の請求をその限度で認容し、その余の請求を棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を各適用して主文のとおり判決する。なお仮執行の宣言は相当でないから付さないこととする。

(裁判官清野寛甫)

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