大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

浦和地方裁判所 平成2年(ワ)340号 判決 1992年4月22日

原告

宮下修二

法定代理人親権者父

宮下威

法定代理人親権者母

宮下幸子

右訴訟代理人弁護士

山本政道

被告

桶川市

右代表者市長

野本重雄

右訴訟代理人弁護士

中村光彦

右指定代理人

黒瀬任通

外二名

主文

一  被告は、原告に対し金二八八七万七七三四円及び内金二七〇七万七七三四円に対する昭和六一年七月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その二を原告の負担とし、その余は被告の負担とする。

四  この判決は、主文第一項に限り、仮に執行することができる。ただし、被告が原告に対し金一五〇〇万円の担保を供するときは、右仮執行を免れることができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、五一九一万八九一九円及びこれに対する昭和六一年七月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  請求の趣旨1について仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

3  仮執行免脱宣言。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告は、後記本件事故が発生した昭和六一年七月当時、被告設置にかかる日出谷小学校に六年生として在籍する一一歳の児童であったが、そのクラス担任は訴外山本昌子教諭(以下「山本教諭」という。)であった。

(二) 被告は、日出谷小学校を設置してこれを運営していた地方自治体であり、山本教諭は、右事故当時、右小学校に勤務していた。

2  本件事故の発生

(一) 原告は、昭和六一年七月一日午前一〇時ころ、学級会の授業としてソフトボールの試合(以下「本件試合」という。)に参加し、本塁後方の捕手の後ろで審判をしていた。

ただし、当日は山本教諭の指導でソフトボールのかわりに硬式用テニスボールが使用されていた。

なお、生徒らは審判用防護マスクを用意するよう要望していたが、山本教諭は不要と判断し、試合当日、審判用防護マスクは用意されず、原告は防具を何も着用しないまま審判をしていた。

(二) 原告は、本件試合中の前記日時ころ、ファウルチップのボールが左眼に激しい勢いで当たったため、激しい眼の痛みに襲われ、眼が見えなくなった(以下「本件事故」という。)。なお、原告は、本件事故当時、コンタクトレンズを装着していなかった。

(三) 原告は、直ちに大宮赤十字病院で治療を受けたが、外傷性虹彩炎と診断され、その後も通院治療を続けていたが、二週間程後、本件事故による負傷が悪化して、そのために緑内障となり、昭和六一年八月二九日には網膜剥離が発症して、左眼が見えなくなって、同病院に入院した。

(四) 原告は、昭和六一年八月二九日から一〇月一一日までの四四日間、大宮赤十字病院に入院し、三回の手術を受けたが、「光覚」の状態だけで矯正不可能となり、左眼を失明した。

なお、原告は、本件事故以前の昭和五七年ころ、左眼負傷によって手術を受けたことがあり、本件事故当時の左眼の裸眼視力は0.02、コンタクトレンズ使用による矯正視力は1.0であった。

3  被告の責任

(一) 山本教諭の過失

(1) 防護マスクを準備せず、着用させなかった過失

山本教諭は、指導教諭として、本件試合に際して、審判用に防護マスクを用意し、審判を行う生徒に着用させるべきであったにもかかわらず、それを怠った。

しかも、同教諭は、生徒らから、防護マスクを準備するように要求されていたし、さらに、原告が左眼を負傷した経験があり、防護に対する配慮を特別に必要とすることを知っていたにもかかわらず、防護マスクの用意を拒否し、その着用を認めなかったのであるから、その過失は重大である。

(2) 上手投げをやめさせなかった過失

山本教諭は、本件試合において、投手が予め下手投げと決められていたルールに違反してスピードの出る上手からボールを投げていたことや、投手を務めていた生徒が地域の少年野球チームに所属していて、ボールのスピードも速かったことを知っていたのであるから、上手投げを止めさせ、スピードの出ない下手投げに切り替えるように指導すべきであったにもかかわらず、それを怠った。

(二) 山本教諭は被告の公務員であり、同教諭の右違法行為は、同人が職務を行うについてなしたもので、その職務遂行について過失があったことは明らかであるから、被告は、国家賠償法一条一項により、右山本教諭の行為によって被った原告の後記4の損害について賠償すべき責任がある。

4  損害

(一) 積極損害

(1) 治療費未払分 二万三三一〇円

(ただし、昭和六二年八月以降の分)

(2) 通院交通費 一万四五〇〇円

バス代 電車代 往復 通院日数

(100円+150円)×2×29日

=1万4500円

(3) 入院付添費 一九万八〇〇〇円

44日×4500円(1日当たり)

=19万8000円

(4) 入院雑費 五万二八〇〇円

44日×1200円(1日当たり)

=5万2800円

以上 小計二八万八六一〇円

(二) 消極損害

(1) 入通院慰謝料 二〇〇万円

原告は入院四四日、通院一六ケ月の負傷を負ったが、その精神的苦痛を慰謝料に換算すれば二〇〇万円が相当である。

(2) 後遺症慰謝料 六六〇万円

原告の受けた片眼失明は障害等級八級の障害に該当し、その慰謝料は六六〇万円が相当である。なお、後遺障害等級表でいう視力は裸眼視力ではなく、矯正視力を基準に判定されるものである。

(3) 逸失利益 四〇〇三万三〇九円

原告の受けた障害等級八級の労働能力喪失割合は四五パーセントであり、これは回復可能性がないから労働能力喪失期間は全稼働可能期間の四九年であり、原告は負傷時一一歳であったので右に対応する新ホフマン係数は20.461であり、昭和六一年の男子学歴計の平均年収は四三四万七六〇〇円であるから、原告の逸失利益は四〇〇三万〇三〇九円となる。

4,347,600×0.45×20,461=40,030,309

(三) 弁護士費用 三〇〇万円

本件損害賠償請求訴訟は、代理人として弁護士に委任することなしには遂行できず、原告は代理人との間で三〇〇万円の報酬を支払う旨の合意をした。

(四) 以上合計 五一九一万八九一九円

なお、被告は、原告に対し、昭和六二年七月一二日に原告の症状が固定したとして、同日以降の災害共済給付打切りを通告してきた。

5  結語

よって原告は、被告に対し、国家賠償法一条一項による損害賠償として五一九一万八九一九円及びこれに対する不法行為である本件事故の発生した日である昭和六一年七月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2(一)  同2(一)の事実のうち、硬式用テニスボール使用が山本教諭の指導であること、生徒らが審判用防護マスクを用意するよう要望したことは否認し、その余は認める。

(二)  同2(二)の事実のうち、原告主張日時ころ、バッターの打った硬式用テニスボールがファウルチップとなり、捕手の後方にいた原告の左眼付近に当たったこと、原告がコンタクトレンズを装着していなかったことは認め、その余は否認する。

原告は、本件事故直後においても激しい眼の痛み、眼が見えなくなったと訴えてはいなかった。

(三)  同2(三)の事実のうち、原告が本件事故当日大宮赤十字病院で治療を受け、外傷性虹彩炎との診断を受けたとの事実は認め、その余は否認する。仮に網膜剥離があったとしても、それは、本件事故以前の昭和五七年二月の外傷性白内障の手術及びそれによる無水晶体状態に起因するものであり、本件事故との因果関係は認められない。さらに、仮に因果関係が認められるとしても原告の左眼が無水晶体眼であったことが一つの身体的素因として本件事故と競合して網膜剥離が発症したものである。

(四)  同2(四)の事実のうち、原告が大宮赤十字病院で治療を受けたことは認め、昭和六一年八月二九日から一〇月一一日までの四四日間、同病院に入院し、三回手術を受けたこと、事故前の原告の左眼の裸眼視力が0.02、その矯正視力が1.0であることは不知、その余は否認する。原告の本件事故前の視力と現在の視力とに差異はない。

3(一)  同3(一)(1)の事実のうち、山本教諭が原告が以前左眼を負傷した経験があることを知っていたことは認め、その余は否認し、その主張は争う。

小学校六年生が硬式用テニスボールを使用し、ソフトボールのルールにより遊戯として行う形式の試合では、ボールによる負傷は通常予想されず、審判役が防護マスクを着用するのは一般的ではなく、ボールが眼に当たり、網膜剥離の事態が生じることは予見できない。しかも、原告は従前の傷害の結果、本件事故当時、既に無水晶体眼となっており、それが網膜剥離に寄与したことは明らかであるところ、山本教諭は原告の無水晶体眼の事実を知らなかったのであるから、同教諭は本件事故を予見することができなかった。

従って、山本教諭に過失はない。なお、山本教諭は、原告の左眼について負傷経験のあることは知っていたが、原告本人及び両親から左眼について学校生活上特段の注意が必要であるとは言われていなかった。

(二)  同3(一)(2)の事実のうち、本件試合において投手に上手投げが見られたことは認め、本件事故発生時に上手投げであったことは不知、その余は争う。下手投げの投球であれば、本件事故が回避されたとは到底いえない。

(三)  同3(二)のうち、山本教諭が被告の公務員であることは認め、その主張は争う。

4  同4は争う。原告の左眼は、本件事故前既に後遺障害等級でいう八級に該当していたものである。

なお、原告は日本体育・学校健康センター法二一条一、二項に基づき同施行令五条一項一号の医療費について災害共済給付を受けていたが、原告の症状が昭和六二年七月一二日に固定したため同日以降の医療費についての給付は行われなくなった。

三  抗弁

1  損害の寄与率による減額

仮に本件事故と原告の網膜剥離との間に因果関係が認められるとしても、原告の左眼が無水晶体眼であったことが本件事故と競合して網膜剥離が発症したものであるから、無水晶体眼が寄与した分については損害額から控除されるべきである。

2  過失相殺

仮に山本教諭に過失があるとしても、原告には次の過失があるから、損害の寄与率による控除後の金額について過失相殺がなされるべきである。

すなわち、原告は、本件事故当時、既に無水晶体眼となっていたのであるから、眼に物を当てることがないように充分注意すべきであり、本件に即していえば、球技などには参加しないようにし、審判役を務めるにしてもコンタクトレンズを装着し、視力矯正をしたうえで務めるとか、後方に下がって充分安全な距離を置いて審判をすべきであった。しかも、原告は事故時、他の生徒と話をしてよそ見をしていてボールを見ていなかった過失がある。

3  損失填補

原告は、日本体育、学校健康センター法二〇条に基づき災害共済給付(医療費)として三二万四五一三円の支給を受けており、仮に被告の責任が認められる場合には、前記寄与率控除、過失相殺後の金額から右金員が同法四四条に基づく損害填補として控除されるべきである。

なお、被告の災害共済給付契約には同条の免責特約が付されている。

四  抗弁に対する認否及び反論

1  同1の事実は否認し、その主張は争う。無水晶体眼から網膜剥離が自然発症(衝撃や外傷が加えられるのではない場合をいう。)する確率でさえ1.5ないし三パーセントの低確率であるところ、本件は眼に高速で硬式用テニスボールが当たった場合であるから被告の寄与率の主張は失当である。

2  同2の事実は否認し、その主張は争う。投手をしていた生徒は、原告が投球を促す前にボールを投げたが、原告はそれを正面から見ていた。

3  同3の主張は争う。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

二請求原因2(失明事故の発生)について

1  同2(一)事実のうち、原告が昭和六一年七月一日午前一〇時ころ、学級会の授業として本件試合に参加し、本塁後方の捕手の後ろで審判をしていたこと、本件事故当時はソフトボールのかわりに硬式用テニスボールを使用していたこと、試合当日、審判用防護マスクが用意されておらず、原告は防具を何も着用しないまま審判をしていたこと、同2(二)の事実のうち、前記日時ころ、バッターの打った硬式用テニスボールがファウルチップとなり、捕手の後方にいた原告の左眼付近に当たったこと、原告がコンタクトレンズを装着していなかったこと、同2(三)(四)の事実のうち、原告が事故当日、大宮赤十字病院で治療を受け、外傷性虹彩炎との診断を受けたこと、原告が本件事故以前の昭和五七年に左眼負傷によって手術を受けていたことの各事実については当事者間に争いがない。

2  本件事故に至る経緯及び本件事故の状況

証拠(<書証番号略>、証人高橋修、証人山本昌子、原告本人及び弁論の全趣旨)によれば、以下の各事実(一部争いのない事実も含む。)が認められ、これに反する証拠はない。

(一)  原告は、昭和五七年二月一八日、左眼角膜裂傷及び外傷性白内障により大宮赤十字病院を受診し、同月二二日に切嚢術、同月二三日に左眼水晶体吸引術(水晶体の除去)の手術を受け、左眼は無水晶体眼となっており、本件事故当時その硝子体は液化していた(なお、水晶体除去後に人工水晶体を挿入するなどの特別の処置は行われていなかった。)。そのため、原告は、本件事故当時、左眼の視力が裸眼で0.02(コンタクトレンズ使用による矯正視力1.0)であった。

(二)  原告は、本件事故当時、山本教諭が担任をしていた日出谷小学校六年一組に在籍していたが、当時、生徒の中で野球がはやっていたことから同組の学級会で学級会の時間を使って野球大会をしようとの議題が出された。そして、女子生徒もいたことから最終的にソフトボール大会を行うことに決められ、右学級会では、さらに、試合のルール、運営等について、男女混成チームを四つ作ること、用具は生徒が持ち寄り、ボールは硬式用テニスボールを使用すること、打者が女子生徒の場合には投手は男子生徒の場合よりもホームベース寄りの位置から打ちやすい球を投げること、審判を置くこと、審判その他の役割は生徒が各自分担して行うこと、審判については攻撃側のチームの打順の遠い生徒が交替でこれにあたること、山本教諭はオブザーバーとして全体を把握すること等が決められた。

(三)  原告は、昭和六一年七月一日、学級会の時間帯に硬式用テニスボールを使用したソフトボールの決勝戦で眼に砂、埃等が入ることからコンタクトレンズを外して主審を行っていたところ、ファウルチップした打球が原告の左眼を直撃した。なお、当時の投手は、少年野球をやっており速い球を投げる男子生徒であったこと、打者は女子生徒であったので投手と本塁との距離は少年野球のそれよりもかなり短いものであったと推認されるうえ、投手は上手から投球していたこと、現場にいた生徒の小杉晃一は、山本教諭に対して、自分は避けることができたが危なかった旨話していたことなどからすれば、ファウルチップの勢いはかなり強いものであったと認められる。なお、山本教諭は、本件事故当時、トイレに行っており、事故現場にはいなかった。

3  原告の網膜剥離の発症と本件事故との因果関係

被告は、原告の網膜剥離の事実を否認するとともに、原告が仮に網膜剥離であったとしても、網膜剥離と本件事故の因果関係は認められず、さらに、仮に因果関係が認められたとしても原告の左眼が無水晶体眼であったことが一つの身体的素因として本件事故と競合して網膜剥離が発症したものである旨主張しているので、その点について検討する。

(一)  前掲各事実及び証拠(<書証番号略>、証人高橋、証人山本、原告本人)によれば、以下の各事実(一部争いのない事実も含む。)が認められ、これに反する証拠はない。

(1) 原告は、本件事故直後、眼を手で覆いながら保健室に行き、眼を氷で冷やすなどの応急処置を受けたが、保健室内で「黒いものが飛んでいる。」「痛いよ。痛いよ。」等と言っているのを山本教諭が聞いている(証人山本一七丁)。

(2) 原告は、同日、大宮赤十字病院で受診し、左眼の診察を受けたが、左眼はボールが衝突した衝撃により虹彩の色素、白血球が前房水の中に混入し、外傷性虹彩炎に罹患し、矯正視力は0.1に低下していた(なお、裸眼視力は0.03であった。)。

(3) その後、原告の矯正視力は、昭和六一年七月五日には0.3、同年七月一〇日には0.4で、前房も透明となっていた事実があり、同日ころには、原告の虹彩炎は一応治癒していたものと認められる。なお、いずれの日にも「眼底は異常なし」との所見で裂孔は発見されていない。

(4) しかし、原告は、同年八月一五日になり左眼に痛みを感じ、吐き気を覚えて、同月一六日に大宮赤十字病院で受診したところ、虹彩炎の際に前房に出た白血球、虹彩の色素が隅角に詰まって眼圧が48mmHgにまで上昇し、緑内障を惹起している旨診断された。右緑内障は、同月一八日にはほぼ治癒したが、右緑内障と網膜剥離との間には因果関係は認められない。

(5) なお、原告は、昭和六一年七月一日から同年八月一八日までの間に数回の眼底検査を受けているが、いずれの際にも眼底検査によって裂孔は発見されておらず、「眼底は見える範囲正常」ないしは「眼底は異常なし」との所見を得ており、網膜剥離の兆候は認められていなかった。

(6) しかし、八月二九日には、原告から「左眼 今日から白く見えるのに気づいた」との原告の訴えがあり、眼底検査の結果、左眼の眼底網膜が全剥離の状態であることが認められたが、その時にも裂孔は発見されなかった。

(7) 原告は、即日大宮赤十字病院に入院し、眼底検査の結果、九月一日になって眼底周辺部に比較的小さい馬蹄形の裂孔が一つ発見されたが、右裂孔から網膜剥離(裂孔性網膜剥離)が発症したものである。

原告は、九月五日、左眼赤道部の輪状締結術及び裂孔閉鎖術を受け、以後、一〇月一一日までの四四日間同病院に入院し、その間に三回の手術を受けたが、結局、左眼は光覚のみで視力の回復、矯正は不可能な状態となり、左眼を失明した。

(8) 原告が昭和五七年二月に左眼の水晶体の除去手術を受けて以来、昭和六一年八月二九日までの間に、本件事故以外に、原告が左眼に衝撃を受けたとの事実は、本件全証拠によっても認められない。

(二)  以上によれば、原告の左眼は本件事故後約二か月して網膜全剥離となり、その三日後には裂孔が見つかって、三度に及び手術を受けたものの光覚が残されただけで、視力回復、矯正は不可能な状態となって失明したことが認められる。

被告は、本件事故と網膜剥離との因果関係を争うが、右の各事実と大宮赤十字病院の医師で、原告の主治医であった証人高橋の証言によれば、裂孔は一般的に急激な外力によって形成されることが多く、本件でも、原告の左眼には虹彩炎を起こす程度の強い衝撃が与えられていることや、本件事故以前、原告に網膜剥離が発生しておらず、本件事故以後には裂孔を生じさせるような外力が加わった事実は認められないこと、本件事故直後に裂孔は発見されていないが、原告の左眼の裂孔は非常に小さいものであったこと、原告は本件事故直後に「黒いものが飛んでいる。」と話していて(証人山本一七丁)飛蚊症が存在していたと考えられることなど、これら各事実を総合すれば、原告の左眼に生じた裂孔は本件事故によって形成されたものである蓋然性が極めて高いと認められるのであって、本件事故と原告の網膜剥離による失明との間には法的な因果関係が認められると解するのが相当である。これに反する証人山本の証言部分は採用できず、他に右認定に反する証拠はない。

(三)  被告はまた、原告の左眼が無水晶体眼であったことが、網膜剥離の一素因となっているとも主張する。そして、無水晶体眼の場合は有水晶体眼の場合よりも裂孔が出来やすく、しかも、硝子体が液化している場合には網膜剥離を発症しやすいこと、さらに、無水晶体眼の場合には網膜剥離の進行が一般に速く、かつ、裂孔が発見されたときには網膜剥離となっていることが割と多いことなどの一般論からすれば、原告の左眼が無水晶体眼で硝子体が液化している状態であったことが網膜剥離の発症に影響を与え、その進行をも早めた可能性というものも全くないわけではない。

しかし、本件事故における衝撃は相当程度強いものであったことは前判示のとおりであるから、本件は、原告の左眼が仮に健康な有水晶体眼の場合であって、また、裂孔が非常に小さいものであっても、右裂孔から網膜剥離が発症する可能性は充分認められる事案である。

また、原告の硝子体は液化していたが、証拠(<書証番号略>、証人高橋)によれば、原告には硝子体出血は認められていないこと、外傷性の網膜無水晶体眼の場合には老人性白内障の術後の無水晶体眼の場合よりも発症の確率が若干高い可能性があるにしても、老人性白内障の術後の無水晶体眼で裂孔性網膜剥離を起こす頻度は一ないし三パーセントと推定されていることも認められる(他にこれを覆すに足りる証拠はない)。

かかる事情を総合すれば、本件事故において原告の左眼が無水晶体眼であることが原告の網膜剥離発症に寄与したとまで認めるまでの特別の事情はなく、無水晶体眼であることを一素因であったと積極的に認定することはできないというべきである。

なお、仮に無水晶体眼であることによって網膜剥離の発症時期が早まったとしても、そのことで本件事故と原告の網膜剥離との間の因果関係の存否が左右されるものでないことは明らかである。

(四)  以上検討したところによれば、原告の網膜剥離が本件事故と原告が無水晶体眼であったという身体的素因が競合して発症したとの被告の主張は積極的には未だ採ることができない。

三請求原因3(被告の責任)について

1  同3(二)のうち、山本教諭が被告の公務員であることは当事者間に争いがない。

2  山本教諭の過失

(一)  前掲各事実及び証拠(<書証番号略>、証人山本昌子、原告本人、弁論の全趣旨)を総合すれば、以下の各事実(一部争いのない事実も含む。)が認められ、これに反する証拠はない。

(1) 事故当時、原告の在籍していた六年一組には眼鏡やコンタクトレンズを使用していた生徒が数名いたが、山本教諭は、原告が以前左眼を負傷していることを知っていた。

(2) 本件試合を行う前の学級会で、試合の内容、運営方法についての話し合いが行われ、その場では、用具は生徒の持ち寄りで、ボールは硬式用テニスボールを使用すること、審判を置くこと、生徒が種々の役割を分担し、審判については攻撃側のチームの打順の遠い生徒が交替で行うことなどが決められていたことは前認定のとおりであるが、その際、防護マスクを準備することが議題に上った。

当時、日出谷小学校にはソフトボールクラブがあり、クラブ用の防護マスクも備えつけられていたが、本件事故当時、山本教諭は、ソフトボールクラブの存在は知っていたものの、マスクが備えつけられていたことまでは知らなかった。そして、同教諭は、普段行われているソフトボールゲームにおいて防護マスクは邪魔だということで着用しないことの方が多かったことから、用具持ち寄りの前記方法による本件試合についても「慣れたところでやった方が良い。」と判断し、防護マスクを準備するまでの必要性は認めなかった。

(3) 山本教諭は、事故発生前に、本件試合において投手の生徒が上手からボールを投げていたこと及び原告が審判を行っていたことを見ていながら、投手の生徒に対して上手からの投球を止めるように指導するとか、マスク着用その他の注意をしなかった。

(二) 以上の事実をもとに検討すれば、山本教諭には防護マスクを準備せず、着用させなかった点、さらには、投手の生徒の上手投げをやめるように指導を行わなかった点について、それぞれ過失があったというべきである。すなわち、

(1)  下手投げであったとしても硬式用テニスボールは、ソフトボールに比べて重さは軽いが小型でしっかり手で握ることができるために速めの投球ができることやファウルチツプの中には、投球がバットの芯に当たらず、速度を変え、回転を増して直線的に審判を直撃するものもあることは容易に想定できるのであって、しかも、本件で山本教諭は、本件試合の参加者中に眼鏡やコンタクトレンズを装着している生徒が数名いたことを知っていたのであり、これらの生徒が審判を行う可能性のあることも充分知っていたのであるから、同教諭は、防護マスクを着用せずに審判をしている生徒の眼に硬式用テニスボールが当たれば眼に傷害を負う危険性があることは充分予見できたということができる。

そして、本件事故当時、日出谷小学校にはソフトボールクラブがあったことは山本教諭も認識していたのであるから、防護マスクを準備することも充分可能であったということができる。

したがって、山本教諭は、本件試合に際して審判をする生徒の受傷を避けるべく、防護マスクを用意して着用させるなどして防護について特別に配慮すべき注意義務を負っていたものであり、同教諭には右注意義務に違反した過失があるというべきである。

(2)  さらに、山本教諭は、本件事故直前に、投手の生徒が上手からボールを投げており、それだけボールの勢いが増し、傷害の危険性が高まっていたことや原告が審判をしていたことを直接に認識していたにもかかわらず、同教諭は、上手投げを止めさせるなどの措置をとらず、一時現場を離れるなどしているのであるから、同教諭には、その時点で、投手の生徒に上手投げを止めるように指導すべき注意義務に違反した過失も認めることができる。

なお、当日のルールについて、証人山本は、当初は下手投げの約束であったと証言し、原告はその点については覚えていない旨供述している。しかし、仮に、当初、学級会で決められたルールが下手投げであったとしても、山本教諭が本件試合において投手の生徒が上手からボールを投げていることを知っていた以上、そのことによって同教諭の右注意義務が左右されるものでない。

3 以上によれば、山本教諭の教師としての職務遂行について過失があったことは明らかであるから、被告は、国家賠償法一条一項により、山本教諭の右行為によって被った原告の後記損害について賠償すべき責任がある。

四請求原因4(損害)について

1  積極損害

(一)  治療費未払分

証拠(<書証番号略>、原告本人一九丁)によれば、原告の症状固定日は昭和六二年七月一二日であること、原告は症状固定日後の昭和六二年八月一二日から平成元年一二月三一日までの治療費として二万三三一〇円(内診断書などの文書料として八〇〇〇円)を支払ったこと、原告は症状固定後も片眼のため障害のない方の右眼の裸眼視力も1.2から0.5程度まで低下していることの各事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はないから、原告は治療費未払分として二万三三一〇円の損害を被ったものというべきである。

(二)  通院交通費

証拠(<書証番号略>)によれば、原告は昭和六一年七月一日から昭和六三年九月二日までの間に、大宮赤十字病院に計二九回に亘って通院したことが認められ、当時の原告の自宅から大宮赤十字病院への片道の交通費がバス代一〇〇円、鉄道運賃一五〇円を要したことを推認することができ、右認定を覆すに足りる証拠はないから、原告は通院交通費として一万四五〇〇円の損害を被ったものというべきである。

(三)  入院付添費

原告の入院中に実際に付添いが行われたか否かについての立証はなされていないものの、証拠(<書証番号略>)によれば、原告は昭和六一年八月二九日から同年一〇月一一日までの四四日間、大宮赤十字病院に入院したこと、当時原告は一一歳の児童であったことが認められ、前判示の原告の傷害の内容、程度、原告の年齢に照らせば、入院付添は必要であり、その費用として一日あたり四〇〇〇円を要したものと推認することができ、右認定を覆すに足りる証拠はないから、原告は入院付添費として一七万六〇〇〇円の損害を被ったものというべきである。

(四)  入院雑費

前記認定事実によれば、原告が前判示の入院期間(合計四四日)中、一日あたり一二〇〇円を下らない雑費を要したことを推認することができ、右認定を覆すに足りる証拠はないから、原告は入院雑費として五万二八〇〇円の損害を被ったものというべきである。

2  消極損害

(一)  入通院慰謝料

前判示の原告の傷害の内容、程度、入通院期間、、実通院日数等諸事情に照らし、原告が本件事故によって被った傷害に対する慰謝料は一八〇万円をもって相当と認める。

(二)  後遺障害慰謝料

前判示の原告の年齢、後遺障害の内容、程度等に照らし、原告が本件事故によって被った後遺障害慰謝料は、少なくとも六六〇万円を下回らないものと認めるのが相当である。

(三)  逸失利益

証拠(<書証番号略>、証人高橋、原告本人)によれば、原告は本件事故により左眼失明の後遺障害を受けるに至ったこと、右後遺障害は労働基準法施行規則別表第二の身体障害等級第八級に該当することが認められる。

なお、この点について被告は、原告の後遺障害等級判定に当たって考慮すべき本件事故以前の原告の視力は、コンタクトレンズ使用による矯正視力1.0ではなく、裸眼視力0.02の方であり、従って、原告は本件事故以前からそもそも身体障害等級第八級に該当していた旨主張する。

なるほど、労働災害保険の障害等級認定基準においては障害等級表にいう視力は、矯正視力をいい、矯正視力は眼鏡による矯正した視力について測定し、コンタクトレンズにより矯正した視力を除くものとされ、視力の矯正によって不等像症を生じ、両眼視が困難となることが医学的に認められる場合には、裸眼視力によるものとされてはいる。

しかし、そもそも後遺障害による逸失利益は、後遺障害による労働能力の喪失に対する損失填補を目的とするものであり、身体障害等級は労働能力の喪失割合を定める重要な判断基準の一つであることに鑑みれば、障害等級の判定に当たっては、被災者が実際に労働するに際してどの程度の支障が生じるか否かという観点から決すべきものであり、しかも、障害等級認定に当たってコンタクトレンズによる矯正視力が除かれ、視力の矯正によって不等像症を生じて両眼視が困難となる場合に裸眼視力を基礎に判定するとの取扱いは、コンタクトレンズの場合にはその常用が困難であること、視力の矯正によって不等像症を生じる場合にも矯正視力を基礎に労働能力を判定することが被災者に酷であることを考慮しているのであって、いずれも被災者の利益となるように取り扱おうという趣旨に基づくものと解される。

とすれば、障害以前の視力についても、形式的にコンタクトレンズによる矯正視力を判定の基礎から除く取扱いをすることは、右の趣旨に反することになるのであるから、身体障害等級認定にあたって考慮すべき事故前の視力は裸眼視力ではなくてコンタクトレンズによる矯正視力を基に判断すべきであり、被告の主張は採ることができない。

ところで、原告の右後遺障害による労働能力の喪失割合は、労働省労働基準局長通達(昭和三二年七月二日、基準第五五一号)の別表労働能力喪失基準表によれば、四五パーセントであることが認められ、原告の年齢、後遺障害の部位、程度、原告の従前の障害の程度、将来の見通し(原告が選択できる職業の範囲が著しく制限されるのは経験則上明らかである。)等を総合すれば原告の労働能力喪失率は四五パーセントを下らないものと認めるのが相当である。

原告は、前判示のとおり、昭和四九年八月一四日生まれで、本件事故当時一一歳であったから、今後一八歳から六七歳までの四九年間就労可能であると考えられ、昭和六一年の賃金センサス(男子労働者の産業計・企業規模計・学歴計の平均賃金)による年収四三四万七六〇〇円を基準に、労働能力喪失率、中間利息をライプニッツ方式によりそれぞれ控除すると(ライプニッツ係数は12.9122)、その逸失利益は二五二六万一六八六円となる。

4,347,600×0.45×12.9122=25,261,686

3  弁護士費用については後記六のとおりである。

五抗弁

1  寄与率による減額

原告の無水晶体眼という身体的素因が網膜剥離発症に対して寄与したとの事実が積極的には認められないことは前判示のとおりであるから、原告の損害額から寄与分を控除すべきであるとの被告の主張を採ることはできない。

2  過失相殺

被告は喪失相殺事由として、原告は本件事故時無水晶体眼であり、コンタクトレンズも装着していなかったのであるから、そもそも審判をするべきでなかったし、仮に審判を行う場合であっても後方に下がって充分安全な距離を置くべきであったこと、本件事故が起きた際、原告がよそ見をしていたこと等を主張するので、その点について検討する。

(一)  証拠(証人山本二七、二八丁、原告本人二七、二九ないし三二丁)によれば、練習の時から審判の判定についてのクレームが多く出されていたことから、本件試合において審判の引き受け手がおらず、原告が引き受けていた事情があること、昭和五七年の左眼の手術以降、原告が医師から受けた生活上の注意は眼に砂、埃が入っても眼を擦らないようにするといった程度のものであったことが認められる。

原告は、前判示のとおり、本件事故当時、コンタクトレンズを装着していなかったため、裸眼視力が左右で大きく異なり(右眼1.2、左眼0.02)、ボールの遠近感などを把握するのには充分な状態ではなく、咄嗟の反射的回避行動の前提となる投球から打撃までのゲームの進行やボールの動きを認識するに欠けるところがあったもの(何人もファウルチップの直撃は完全には回避できないとしても)と認められ、また、原告は、当時、小学校六年生(一一歳)であり、未だ判断能力が充分に備わっていたとは必ずしもいえないものの、野球一般の知識は備えていると認められ、しかも、軟式野球の経験もあり、これに類したソフトボールにおいても防護マスクを着用しないままで審判をする場合には、ファウルチップのボールが顔面に当たる危険性が高いという程度のことは充分に理解したうえで行動できる年齢にあったということができ、かつ、本件事故当時、投手の上手投げによりボールの速度が増し、右危険性が更に高いことも理解していたものと認められる。

したがって、原告がコンタクトレンズを装着せず、防護マスクを着用しないまま審判をし、上手投げによるゲームを他の生徒と共に続けていた際に発生した本件事故については原告にも過失があったものとして過失相殺を認めるのが相当である。

(二)  なお、審判は、捕手のすぐ後ろに位置して行わなければその役割を充分果たすことができないことは明らかであるから、原告が審判を行うに当たって後方に下がって充分安全な距離を置くべきであったとの被告の主張はそもそも主張自体失当というべきである。

(三)  また、原告がよそ見をしていたとの事実についても、証人山本は、事故直後、他の生徒らから審判をしていた原告がバックネットの方にいた生徒達と話をしながら前へ出たり、後ろへ下がったりしており、話をしているときにボールが当たったと聞いた旨証言しているものの、原告は右事実を否定しているうえ、右山本の証言内容はあくまで伝聞に止まり、他にこれを基礎づける証拠も存在しないことからすれば、結局、原告がよそ見をしていたとの事実を認めることはできないとするのが相当である。

(四)  以上をもとにして、原告が負担すべき過失割合について検討するに、前判示のとおり、山本教諭は担任教師として指導者であったのであるから、その過失は重大であるといえること、本件事故時において原告のほかに審判を行おうという生徒がいなかったこと、原告が医師から受けた生活上の注意は眼に砂、埃が入っても眼を擦らないようにするといった程度のものであったことなどを考慮し、他方、原告の年齢その他前判示の諸般の事情を考慮し、過失相殺割合は二割とするのが相当である。

3  損失填補

証拠(<書証番号略>、2及び弁論の全趣旨)によれば、原告は、日本体育・学校健康センター法二〇条に基づき昭和六一年七月分から同六二年五月分の災害共済給付(医療費)として昭和六一年一一月一一日から同六三年六月一〇までの間に計三二万四五一三円の支給を受けていること、被告の災害共済給付契約には、右同法四四条の免責特約が付されていることが認められる。原告の治療費未払分の請求は昭和六二年八月分以降の医療費二万三三一〇円であるから、右医療費全額を含む原告の以上の損害額について二割の過失相殺をした額から右支給済の災害共済給付を控除すると二七〇七万七七三四円となる。

六弁護士費用

原告(法定代理人)が本件訴訟の提起、追行を弁護士たる本件訴訟代理人に委任したことは明らかであるところ、本件における審理の経過、事案の性質、認容額等を総合すれば、弁護士費用は一八〇万円が相当である。

七結論

以上によれば、原告の被告に対する本訴請求は、右損害金二八八七万七七三四円及び右金員から弁護士費用相当分一八〇万円を控除した二七〇七万七七三四円に対する本件事故発生の日である昭和六一年七月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないから失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条を、仮執行宣言につき一九六条一項を、仮執行免脱の宣言につき同条三項を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官山﨑健二 裁判官上原裕之 裁判官桑原伸郎)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例