浦和地方裁判所 昭和33年(ワ)229号 判決 1960年1月29日
原告 辻村義行
被告 大沢乳工業株式会社
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は、請求の趣旨として、被告は原告に対して六三、五六〇円及びこれに対する昭和三三年一〇月四日から完済に至るまで年六分の割合による金員の支払をせよ、訴訟費用は被告の負担とする、との判決並に仮執行の宣言を求め、その請求原因として、原告は牛乳の小売販売を業とするもの、被告は牛乳等の処理及び卸売販売を業とするものであるが、原告は被告と送乳契約を結び昭和二五年頃から被告の処理する牛乳等を卸買し、これを消費者である得意先に販売していたのであるが、被告は昭和二九年頃からしばしば腐敗した牛乳を送付してきたため原告はその都度代金を割引く等の措置をとつて得意先を維持してきた。ところが昭和三〇年四月頃原告に送乳した被告の処理牛乳には大腸菌が入つており、そのことが埼玉県衛生部によつて摘発されたのみならず新聞によつて報道されたりしたため被告の処理した牛乳は全く消費者の信用を失い、これがため原告は昭和三〇年四月下旬当時において浦和市内においてもつていた得意先約一二〇〇軒日量約一四〇〇本のうち得意先三二一軒日量八五八本を一朝にして失つたが、当時浦和市内における牛乳販売業者間においては牛乳の得意先は通常一本五〇〇円の割合で取引されていたので原告は八五八本の得意先計四二九、〇〇〇円の損害をこうむり、又通常ならば当然新規加入されるべき得意先も爾後数ケ月に亘つて皆無となつてしまつたためそれにより当然得べかりし利益を失つたがその損害の額は三〇〇、〇〇〇円である。右二口の損害合計七二九、〇〇〇円は被告が義務に違反して不良牛乳を送付したことによつて生じた損害であるから、原告は被告に対して右損害賠償債権を有する。ところで右債権のうち六六五、四四〇円については別訴(昭和三二年(ワ)第三〇〇号売掛代金請求事件)において被告の請求する同額の売掛代金債務と対当額において相殺する旨の意思表示をしたから残額六三、五六〇円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和三三年一〇月四日から完済まで商事法定利率の年六分の割合による遅延損害金の支払を求めるため本訴に及ぶと陳述し、被告の抗弁事実を否認し、立証として、甲第一乃至五号証を提出し、乙第七号証は不知、爾余の乙号証の成立を認める、と述べた。
被告訴訟代理人は、主文と同旨の判決を求め、答弁として、原告の主張事実のうち原告及び被告が原告主張の営業をするものであり、その主張のころからその主張のように牛乳の取引をしてきたことは認めるが、被告が原告に送付した牛乳に大腸菌が入つていたことに関する事実は否認、爾余は不知と述べ、仮りに被告に損害賠償義務が発生したとしても、原告は昭和三二年六月二一日被告あてに原被告間の取引から生じた残高の証明書を作成交付したのでこれによつて損害賠償債権を放棄したものである、と述べ、立証として、乙第一号証の一、二第二号証第三乃至六号証の各一、二第七号証第八号証の一乃至四第九号証の一乃至五第一〇乃至一三号証を提出し、甲第一号証の原本の存在及び成立、爾余の甲号証の成立を認める、と述べた。
理由
原告が牛乳の小売販売を業とするもの、被告が牛乳の処理及び卸売販売を業とするものであること、原被告が送乳契約を結び昭和二五年頃から取引を継続してきたことは当事者間に争いがない。ところで本訴の要旨は被告が義務に違反して大腸菌の入つた牛乳を原告に送付し原告がこれを消費者である得意先に販売したために得意先の信用を失い、ために従来もつていた得意先を喪失し、かつ将来増えるべき得意先を得られなかつたので浦和市内における牛乳の得意先の取引値段である一本五〇〇円の割合による損害をこうむつたというのである。そこで先ず得意先なるものが債務不履行による損害として法律上保護の対象となるかどうかについて考えるのに、なるほど得意先なるものが具体的に取引された場合何人かの行為によつて取引から生ずる利益が失われたときは或はその得べかりし利益は法律上保護の対象となるであろうが、得意先なるものは、特段の場合を除いてはただ人と人との自由な関係にすぎないのであるから得意先そのものは法律上保護の対象となる権利又は利益ということはできないといわなければならない。従つて被告が大腸菌の入つた牛乳を送付したという債務不履行によつて原告が既にもつていた得意先を失い又新な得意先を得られなかつたという原告の主張はこの点で理由がないといわなければならない。よつて原告の本訴請求は爾余の点の判断をまつまでもなく失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 岡岩雄)