浦和地方裁判所 昭和36年(わ)196号 判決 1962年9月29日
被告人 飯塚堅一
昭二・一〇・一八生 教員(埼高教組中央副執行委員長)
鈴木敏勝
昭七・九・一五生 教員
主文
被告人等は、いずれも無罪。
理由
一、本件公訴事実は
第一、被告人飯塚堅一は、昭和三六年三月二〇日午後三時頃大宮市植竹町二丁目六八番地埼玉県立大宮ろう学校裏玄関附近で、同校々長佐野喜太郎が寮母待遇改善問題の話し合いに応じないで帰宅しようとしたのに憤慨し、両手で同校長の背後から両腕上膊部を掴んで引張り、更に同校長の前面から背広前襟を掴んで一、二度ゆすぶり、もつて暴行を加え
第二、被告人飯塚堅一、同鈴木敏勝の両名は、いずれも寮母待遇改善問題の話し合いのため前記大宮ろう学校構内の前記佐野校長管理に係る校長公舎庭に赴き、執拗に同校長に面接を求めたが、右校長の命を受けた同人妻佐野ハマからこれを拒絶された上、同日午後三時一〇分頃より数回に亘り速かに庭から立ち去るよう要求を受けたにも拘らず、被告人両名は引続き同日午後四時頃まで同所にとどまり退去しなかつた
ものであるというのである。
二、本件発生に至るまでの経緯について、当裁判所の認定した事実は次のとおりである。
(一) 被告人等の経歴及び地位
被告人飯塚堅一は、昭和二六年三月、日本大学工学部電気工学科を卒業し、一年ほど同大学工業部電気材料教室に研究員として勤務していたが、昭和二七年四月一日付で埼玉県立川口工業高等学校教諭に就職し、昭和三五年一月埼玉県高等学校教職員組合(以下埼高教と略称する。)の中央執行委員となり、組織部長を経て現在埼高教中央副執行委員長をしているものであり、被告人鈴木敏勝は、本籍地の高等小学校を卒業後、国鉄大宮工場に勤務の傍ら久喜高等学校(定時制)を卒業し、県立ろう学校浦和分教室小学部助教諭に就職し、県立大宮ろう学校を経て昭和二九年四月から大宮ろう学校坂戸分校(現県立坂戸ろう学校)に勤務し、現在埼高教特殊学校部長をしているものである。
(二) 埼高教の組織並びに同組合が大宮ろう学校長に寮母の勤務条件につき交渉権のあることにつき
埼高教は埼玉県下の県立高等学校に勤務する教職員を組合員として昭和二八年一月二五日結成された地方公務員法上適法な登録を受けた職員団体であつて、他の都道府県教職員組合とともに連合体である日本教職員組合(以下日教組と略称する。)を組織している。
埼玉県高等学校教職員が地方公務員であることは明かである。そこで公務員の勤務関係が労働法適用の対象となるか否かについて考えるに、それは公務員の団結その他公務員に関する権利が労働法に規定されているか否かを標準となすべきではなく、その規定の実質的内容に重きを置き判断すべきである。憲法第二八条に規定する勤労者とは、憲法第二七条に労働の権利と表現すべきところを勤労の権利と表現し、普通に労働条件といいならしている術語を勤労条件と表示しているところから勤労者なる表現をなしたものと認むべきである。従つて憲法第二八条の勤労者という術語も労働者と同意義に解するを相当とする。而して労働者の定義について考えるに、労働組合法第三条には「この法律で労働者とは職業の種類を問はず、賃金、給料その他これに準ずる収入によつて生活する者をいう」と表明し、労働基準法第九条では「この法律で労働者とは職業の種類を問はず、前条の事業又は事務所に使用される者で賃金を支払われる者をいう」と表現し、多少労働組合法第三条の規定の表現と異つているが、労働基準法第一一二条において「この法律及びこの法律に基いて発する命令は、国、都道府県、市町村その他これに準ずべきものについても適用あるものとする」とあらためて釈明的規定を設けているから実定法上、公務員も広い概念としての労働者の範疇に属するものと解釈することができる。従つて憲法の保障する団結権を失つてはいないことは国家公務員法第九八条第二項に「職員は組合その他の団体を結成し、若しくは結成せず又はこれに加入し、若しくは加入しないことができる。職員は、これらの組織を通じて代表者を自ら選んでこれを指名し勤労条件に関し、及びその他社交的厚生的活動を含む適法な目的のため、人事院の定める手続に従い、当局と交渉することができる」と規定し、また地方公務員法第五五条には「登録を受けた職員団体は、条例で定める条件又は事情の下において、職員の給与、勤務時間その他の勤務条件に関し、当該地方公共団体の当局と交渉することができる」と規定し、公務員が国民全体の奉仕者であることに鑑み一定の制限の下に当局と交渉権のあることを明かにしている。
埼高教組合が前認定のとおりである以上、同組合が寮母の勤務条件の改善につき大宮ろう学校長たる佐野喜太郎に交渉する権利のあるものと認める。
(三) 寮母の待遇改善運動の発生した事情及び全国における寮母の待遇改善運動の状況
(1) 被告人等は本件は大宮ろう学校の寮母の待遇改善要求に基因しその交渉過程において発生したものである旨主張するので、寮母の職務内容がいかなるものであるかにつき検討するに、昭和二三年教育の民主化をめざし、日本国憲法第二六条の趣旨にのつとり教育基本法(昭和二二年法律第二五号)並びに学校教育法(昭和二二年法律第二六号)が制定施行され、学校教育法は、普通教育に比較して立ち遅れていた特殊教育について、都道府県に対し特殊学校(盲、ろう、養護学校)の設置義務を課し(同法第七四条)、更に学校教育法施行規則は、特別の事情のある場合を除いて寄宿舎を設けなければならない(同規則第七三条の三)ことを定めている。
そして右寄宿舎には職員として舎監及び寮母が置かれている。そして寮母は、法制上教員に準じて取扱われ(教育公務員特例法施行令第三条)、その職務内容は、寄宿舎における生徒の教育及び世話ということになつているが(学校教育法施行規則第七三条の三)、当初は寮母の右職務内容が正しく理解されず、炊事婦、用務員その他の職員の人員の確保もできず、又関係者の「特殊教育は、愛と奉仕の精神によつてなされなければならない」との旧い教育観も禍いして実際上、特殊学校における寮母の仕事の内容は、極めて多種多彩であり、右施行規則に定められた生徒の教育と世話とは、およそかけ離れた炊事、洗濯、掃除、その他寄宿舎における一切の雑用が寮母の負担とされた。その上日常の勤務時間も極めて長時間にわたり、朝五時半頃から夜の一〇時頃まで、炊事、食事の世話指導、後片付、登校指導、掃除、洗濯、繕い物、病人のいる場合は通院、夕食の炊事、入浴準備、入浴指導、夕食の世話、学習指導、記録記入、会計整理など手一杯の仕事をしている状況であつた。
(2) 寮母の待遇改善運動の全国的展望
右のような苛酷な寮母の勤務条件を最初に改善しようとしたのは、三重県の教職員組合であつて、同組合は昭和二九年に県人事委員会に対し寮母の待遇改善要求を出した。次いで昭和三三年には茨城県教職員組合が県の人事委員会に対し寮母の待遇改善要求を出し、それと同時に労働基準監督局に調査の申立をなし、その勧告により同県教育委員会は寮母の交替勤務、一週一回当直勤務制を認めるに至つた。この茨城県の例は漸次各県の寮母待遇改善運動を引き起すと共に、昭和三四年に行なわれた日教組の第一六回特殊学校部委員会において寮母の身分確立、勤務条件改善の討議がなされ、この問題に対し日教組は組織的に取り組むまでに至つた。昭和三五年には右闘争は国会闘争、日教組指示による請願署名運動にまで発展し、同年一〇月三、四日の両日にわたつて東京において第一回全国寮母大会が開催され、かくて寮母の待遇改善運動は全国的に広く行われるようになつた。以上のような中央及び地方における運動の結果、
イ、茨城県では通勤交替制、一週一回当直勤務制
ロ、東京都では調整額、定員増獲得
ハ、宮城県では二名定員増、週二日休日制
ニ、山形県では月一〇日休養日、自由時間、定員増
ホ、近畿ブロツク各府県秋田、千葉、新潟、島根、福岡、長崎、広島各県では定員増
ヘ、秋田ろう、宮城盲、山形県下盲ろう五校では二日勤務の一日休み制
ト、秋田盲、和歌山盲ろう学校では一日勤務一日休み制
チ、岩手ろう一の関分校では一日八時間交替制
リ、福井、島根、広島、岡山の各県では一週二日休日制の成果を挙げた。
(四) 埼玉県における寮母の待遇改善運動の状況
埼玉県下には特殊学校として、大宮ろう学校、坂戸ろう学校、川越盲学校の三校があるがこれらの特殊学校における寮母の勤務条件も他府県と同様極めて劣悪な状態であつた。
被告人らの所属する埼高教の特殊学校部では茨城県における通勤交替制獲得に刺激されて、特殊学校部における寮母の待遇改善要求を昭和三五年度の運動方針に取り入れ、寮母の通勧交替制獲得のために先ず寮母の定員増、炊事婦用務員等の定員要求を目的として、盲ろう学校三分会(埼玉県下の盲ろう三校には埼高教の分会がある)は常に連絡を密にし、一方では県当局に交渉をし(以下対県交渉と略称する)、他方では各分会毎に校長交渉を行うことになつた。右対県交渉の一つとして同年七月の埼高教特殊学校部委員会において、寮母の待遇改善に関して左記八項目にわたる要求事項を決定し、同年八月一一日埼高教中央執行委員長沖松信夫の名義で右要求書を埼玉県教育委員会委員長宛に提出した。
記
一、「労働基準法」、「学校職員の勤務時間、休日、休暇等に関する条例」を遵守し、寮母の勤務時間を一日八時間一週四四時間をこえないように定め、通勤制を可能にすること。
二、寮母を舎生五人につき一人に増員すること。
三、一校当り炊事員五人をおくこと。
四、各校寄宿舎一棟につき警備員一人をおくこと。
五、各校の寄宿舎一棟ごとに舎監本務者一人をおくこと。
六、用務員を寄宿舎一棟につき一人おくこと。
七、寮母手当月額三、〇〇〇円を支給すること。
八、各寮に休養室、寮母、舎監室を設置すること。
そして坂戸、大宮ろう学校、川越盲学校の各分会は埼高教本部による対県交渉と平行して各校々長といわゆる校長交渉を重ね、その結果、坂戸ろう学校においては土曜日の半日勤務制、夏期休暇中の宿日直の廃止を獲得することに成功した。
(五) 大宮ろう学校における寮母の待遇改善運動の状況
(1) 大宮ろう学校における寮母の勤務状況
本件で問題になつている大宮ろう学校における寮母の勤務状況(昭和三三年から昭和三五年まで)は次のとおりである。
(イ) 一日の通常勤務は午前六時に起床し、洗面身仕度をする。
午前六時三〇分に児童が起床するので自分の担当児童の洗面、着替の指導をし、寝具整理を手伝い、健康を観察しながら清掃指導をする。午前七時児童朝食、手の消毒をさせ、身辺検査をし、児童と一緒に朝食を摂りながら食事の指導をする。食後午前八時までは後片付けをし、朝の学習指導、連絡簿の記入、諸会費支出をし、午前八時になると各児童の時間割を調べて持物を検査し、挨拶の指導をする。午前八時三〇分に児童を登校させる。児童の登校後午前九時から午前一一時三〇分までは、自由時間となつているが、実際はその間部屋の清掃、児童の衣類の洗濯、会計の整理、家庭への連絡、病人がいる場合は通院の附添、観察記録の整理等の仕事に追われて寮母の休憩時間は殆んどない状態である。
午前一一時三〇分になると小学部の低学年の児童が下校してくるので、挨拶指導、連絡簿の点検等をし、昼食の準備にかかる。正午には児童と昼食を一緒に食べながら食事指導をする。食後午後一時三〇分頃までは低学年児童の監護、遊戯指導等をする。午後一時三〇分になると小学校三、四年生が下校するので、それを迎え、挨拶指導をする。午後二時から午後四時頃までは洗濯物の取込み、アイロンかけ、縫い物等をし、午後四時には児童が部屋の内外を清掃するのでその監督指導をする。午後五時には夕食になるのでその指導をする。午後五時から六時までは児童の遊び時間になつているので児童が怪我をしないように注意しながら遊技の指導をする。午後六時から午後八時までは学習時間になるので、各担当児童の連絡簿に従つて学習指導をする。午後八時三〇分には就床の準備をして洗面指導をし低学年児童を就寝させる。午後九時に高学年生徒を就寝させてから会計簿の整理、寮母の打合せ会などがあつて寮母が就寝するのは午後一一時三〇分頃になる。
(ロ) 通常勤務以外の勤務
(イ)で述べた通常勤務以外に寮母には炊事当番月六回、入浴当番月一回、便所掃除当番月六回、週番月六回、長期休暇中の宿日直があり、その外各寮母は、会計係、営繕係、備品係、衛生係の各係を兼務しており、時には学校の給食係又は事務の仕事をも兼務させられる寮母もあつた。
また寮の諸設備も想像以上に劣悪であつて、大宮ろう学校には寄宿舎が二棟あつて、寄宿生約一〇〇名に対し寮母は一五名であるが、炊事の設備としてはかまどが三つ、七輪が二つしかなく、裁断機、消毒設備等は全くなく、燃料は未だに薪を用いている状態である。入浴当番の寮母は朝からその準備にかかり全員が入浴を終了するまで随時薪を燃していなければならない状況である。
洗濯も時々故障する電気洗濯機が一台あるだけで、大部分は手で洗濯している状態である。休養室、寮母室というものは勿論なく、寮母は寄宿生と一緒に寝起きしているような状況である。
(2) 校長交渉の必要性と大宮ろう学校における校長交渉の経過並びに校長佐野喜太郎の態度について。
校長は部下教職員、寮母等を監督し、学校経営の職責を負つているもので、常に職員の充実、労働条件の改善、機材の整備等に万全の注意を払い、校長の権限内において実現可能な事項については速に実行し、自己の権限外の事項については部下職員の要望事項を県当局に具申し、実現に努力すべき職責のあることは、いやしくも一校の監督者たる校長として当然の責務である。従つて部下職員が組織している埼高教組合から寮母待遇改善等につき交渉を受けた場合には、心よくその交渉に応じ、要望事項がたとえ校長の権限に属しない場合においても、直ちにその理由をもつて交渉を拒否することは妥当とは認められない。すなわち校長としては埼高教組合から寮母の待遇改善等につき交渉を受けた場合には、組合側としても紳士的態度をもつて臨み、また校長としても組合側と膝を交えて謙虚な気持で、そのいい分を聞き、もしその要求事項にして自己の権限に属しない場合には、その旨を権限を有する県当局者に伝達し、その実現に努力すべき義務のあることは学校管理者として当然の職責である。
そこで大宮ろう学校における校長交渉の経過及び佐野校長の執つた態度について見ると
大宮ろう学校に勤務する教職員によつて組織されている埼高教大宮ろう学校分会は、前記埼高教特殊学校部の決定方針に従い、寮母の勤務条件改善について同校々長佐野喜太郎といわゆる校長交渉を重ねたがその経過は次のとおりである。
1 昭和三五年八月二〇日午後二時頃から午後三時半頃まで、大宮ろう学校の校長室において組合員一五名位が佐野喜太郎校長と交渉した。交渉の内容は組合から県教育委員会宛提出した前記八項目の要求書を佐野校長に校長の権限でできることは早急に改善して貰いたいし、それ以外のことは教育委員会等に具申して貰いたいとの趣旨で、提出し、夏休み等学校の長期休業中の寮母の宿日直をやめさせて欲しいと申し入れた。これに対し佐野校長は、「寮母の待遇を改善することは賛成である。寮母の定員を増すこと、炊事員、用務員、警備員を置くことも県に要求して、校長としてできるだけ早期に解決できるよう努力する。休業中の宿直は教員の方の宿直者等が寄宿舎の方まで見廻るならば寮母の宿直は廃止する。」と回答した。(以下このことを約束と略称する)
しかしその年の夏休み中の寮母の宿日直は廃止されなかつた。
2 同年九月一日午後三時半頃から、分会役員二名が大宮ろう学校々長室に行き、佐野校長に対し、同校長が同日の始業式終了後父兄に対し「寮母は通勤制を要求しているが、それでは夜間子供の世話をするものがいなくなる。火災でもおきると、子供が焼け死ぬようなことがおこるかも知れない。私は子供達のためにあくまで頑張るつもりだ。」とのべ前記八月二〇日の約束に違反する言動があつたことに対して抗議したが、同校長は「約束違反はしていない。学校運営のため父兄の意見をきくのは当然だ。」というだけで、その後は沈黙して一言も話さないので、分会役員は三〇分位で退出した。
3 同月二日午後三時半頃から同校長室で分会員四、五名が校長に面会し約束違反につき質問したが、佐野校長は「約束違反をしたおぼえはない。私は父兄の意見をきいただけだ。」と言つたきり、黙つて、時計を見ていて「時間が来たから帰る。」と言つて帰つてしまつた。
4 同月五日午後三時半頃から約三〇分位同校長室で沖松埼高教委員長等約一〇名の組合員が校長と寮母問題につき交渉をしたが、校長は沈黙を続けて交渉は進展しなかつた。
5 同月一四日午後四時頃から約一時間位、同校長室において組合員一五名位が参加して寮母問題につき交渉し、佐野校長は、組合員から八月二〇日の約束を問いつめられて、「今すぐ通勤制にするのだと思い父兄に話したのであるが、条件を満した後というのであれば賛成だ。父兄に対する話をしなおすことはできない。それについて組合の指図は受けない。」と回答した。
6 同年一〇月九日午後四時から約一時間、大宮ろう学校分会、佐野校長、同校の父兄の三者の話し合がもたれたが、分会と佐野校長は互は自己の立場を主張し、父兄は「佐野校長と先生方が一緒になつてすることなら協力したい。佐野校長は先生方とよく話し合つてもらいたい。」といつただけで何んら具体的結論はでなかつた。
7 同月一一日午後三時半頃から約一時間、同校長室で職員の外組合員一名位が参加して佐野校長と寮母の土曜、日曜の勤務に関し交渉した結果、一二月から土、日曜以外の日の自由時間が一時間延長され、三ヶ月に二回位一二時間の休みをとれるようになつたが、通勤交替制については交渉は進展しなかつた。
8 同年一二月一三日午後三時半頃から約一時間同校長室で組合員約一五名位が参加して、寮母の冬休みの宿日直について交渉したが、佐野校長は「教員が寄宿舎まで見廻るのは負担が多くなる。寄宿舎には寮母の私物もあるのだから、命令はしないが泊るのは当然だ。泊らなければ不利益処分があるかもしれない。」といい、交渉はもの別れに終つた。
9 昭和三六年一月二六日午後三時半頃から約三〇分間、同校長室で被告人鈴木敏勝を交えて組合員一五名が佐野校長と交渉したが、同校長は「外部の組合員が入つているから交渉には応じられない」と言つて黙秘したまま何もいわないで校長室を出て云つてしまつた。
10 同年二月一六日午後四時半頃から約三〇分間、組合員は同校長室で坂戸ろう学校、川越盲学校の各校長を交えて三校長と一緒に交渉してほしい旨交渉したところ、佐野校長は外部の人とは会わないといつて交渉を拒絶した。
以上のように佐野校長は最初は組合側に対して好意的であるように見えたが、交渉の回を重ねるに従つて不誠実になり、交渉の途中で自己に都合が悪いと沈黙したり時間が来たからといつて帰つてしまつたりし、また埼高教の役員が応援に来ると「外部の者がいるから交渉に応じられない」とか「校長には団体交渉に応じる義務がない」とか言つて誠意のある態度を示さず自己の権限に属しない事項につき県当局に具申する等寮母の待遇改善要求につき努力を払つた形跡が認められず、昭和三六年三月当時、組合の要求した大宮ろう学校における寮母の勤務条件で改善されたものは、昭和三五年一二月から土、日曜以外の日の自由時間が一時間延長されたことと、三ヶ月に二回位一二時間の休暇がとれるようになつたことの二点だけであつた。
大宮ろう学校における寮母の待遇改善運動が以上のようにいつこうに進展しない状態にあつたところ、昭和三六年三月八日県立坂戸ろう学校において埼高教の特殊学校部総会が開かれ、校長交渉や対県交渉を強化し、六月までに寮母の通勤交替制を実現させようとの運動方針が決定され、三月一九日から一週間日教組の寮母斗争の方針に従つて雑務拒否の実力行動をとり、同時に各分会は校長交渉を強化することになつた。
同総会においてその際大宮ろう学校における寮母の労働条件は特に悪い状態であるから三月二〇日に大宮ろう学校において寮母集会を開いて他の分会の人々に理解して貰い、その後で代表者が同校々長佐野喜太郎と校長交渉をすることに決定された。
(六) 本件発生当日事件発生直前までの模様
昭和三六年三月二〇日午後二時四〇分頃、埼高教大宮ろう学校分会長鈴木輝子、同分会役員根岸君夫、同坂巻昭治、同荒木靖子の四名は、大宮ろう学校校長室に赴き、執務中の佐野校長に対し、寮母の来るべき春休み中の宿日直の問題について校長交渉を申し込んだところ、同校長は「今日は忙しくて交渉に応じられないが、二七日、二九日、三〇日の三日間のうち一日だけならば交渉に応じる。但し本校以外の職員が入つては困る。」といつて交渉を拒絶したので、二三押問答をしていると当時埼高教の組織部長をしていた被告人飯塚堅一が校長室に入つて来た。被告人飯塚と佐野校長は互に挨拶を交わしたのち、被告人飯塚が佐野校長に「埼高教として寮母の待遇改善問題についてあなたと話合いたいので申込に来ました。」と言うと、佐野校長は沈黙して返事もしなかつた。そこで被告人飯塚が再び「ぜひ交渉に応じてもらいたい。」というと、校長は黙つて戸棚から二、三の書類を出し、机の上にあつた書類と一緒に小脇にかかえて校長室を出て行つてしまつた。
三、以上の事実は(証拠の標目)(略)
四、公訴事実についての当裁判所の判断
以上の事実を前提にして本件公訴事実につき判断するに、
(一) 公訴事実第一の事実について
1 第四回公判調書中証人佐野喜太郎の供述記載並びに第七回公判廷における同証人の供述によれば昭和三六年三月二〇日午後三時頃、鈴木輝子、根岸君夫、荒木靖子、坂巻昭治等が校長室に入つて行き、寮母問題につき交渉に応じて貰いたいと申し込んだところ、佐野校長は人事関係の書類を作成するのに忙しいので、今日は交渉に応じられない、二七日、二九日、三〇日は空いているから、その内の一日だけ一時間位なら会うことにするが、外部の者とは会わないといつて押問答中、被告人飯塚が校長室に入つて行き、佐藤校長に対し、校長に会いに来たから交渉に応じなさいという趣旨のことを申し込んだところ、同校長は学外の組合員との話合いには応じないといつて、交渉に応ぜず、その内佐野校長は書類を脇にかかえて黙つて校長室を出て玄関の下駄箱のところへ行き、靴を穿いていると、そこえ被告人飯塚が行き、校長室に帰れといつたが、佐野校長は、それに応ぜず、自宅に帰ろうとしたので、被告人飯塚は、同校長に校長室に戻つて貰うため後方から同人の両腕を掴まえ、同人が向きを変えて帰ろうとしたとき同人の背広の胸の辺を掴まえたことが認められる。また第四回公判調書中証人川島好造の供述記載(記録第一冊第二三一丁乃至二三五丁)によれば、同人は大宮ろう学校の教頭で昭和三六年三月二〇日午後三時頃校長室で仕事をしているとそこえ被告人飯塚堅一、同鈴木敏勝、鈴木輝子、根岸君夫、荒木靖子、坂巻昭治及び寮母が何人か校長室に入つて来て口々に何かいい、校長は外部の組合員とは話合いに応ずる訳にいかないという意味のことをいつており、その内に校長は何ともいわず何か重要書類と思われるものを持つて校長室を出て行つたので、何だか不穏な零囲気が感じられたので、川島教頭は校長室を出て下駄箱の所まで行くと、被告人飯塚堅一が佐野校長の背広のポケツトの後の腰の部分か、上膊部の辺を両手で掴み後方に引張つたが、校長が向きを変えたため、佐野校長と被告人飯塚が向かい合い、飯塚が佐野校長のネクタイの結び目の下五糎位のところを持ち一、二度ゆさぶつたことが認められる。
2 そこで被告人飯塚が前記認定の如き行動に出たゆえんのものは、前述の如く大宮ろう学校の寮母の勤務条件が極めて劣悪な状態にあるので、被告人等の所属している埼高教組合は何んとか改善しようと努力し、再三佐野校長に交渉の申入れをしたのにかかわらず、同校長は「校長は団体交渉に応ずる義務も権利もない。」とか「本校の先生方とは交渉に応ずるが、外部の人(埼高教本部役員又は他校の分会員を指す。)とは会わない。」などといつて交渉に応ぜず、交渉に応じても途中で黙つて一言も話さなかつたり、時間がくると帰つてしまうようなことをくり返して、一向に誠意のある態度を示さなかつた。他方本件の発生した三月二〇日は、埼高教特殊学校部総会で六月末までに寮母の通勤交替制を獲得することを目標に、対県並びに対校長交渉を強化することを決定した直後でもあり、また春休みを目前にひかえて、至急解決に迫られていた春季休暇中の寮母の宿日直廃止について鈴木輝子等が佐野校長に交渉を申し入れたのにかかわらず同校長は多忙を理由に交渉を拒否し、被告人飯塚の交渉申入れに対しては一言の返事もせずに校長室を出て校長公舎に帰ろうとしたためでこのような佐野校長の態度に対し前記認定のように被告人飯塚が佐野校長の帰るのを引き止め校長室に戻つて交渉に応じて貰おうとの意図であつたものと認められる。よつて進んで
3 佐野校長は寮母の勤務条件改善に関する埼高教組合の交渉に応ずる義務があるか否かについて考えて見るに、被告人等の所属する埼高教組合が県立高等学校に勤務する教職員(寮母も含む)によつて結成された職員団体であつて地方公務員法上適法な登録を受けたものであること及び同組合が地方公務員法第五五条第一項に基き、条例で定める条件又は事情の下において、職員の給与、勤務時間その他の勤務条件に関し、当該地方公共団体の当局と交渉する権能を有することは先に認定したとおりであり、右法条の趣旨は、登録を受けた職員団体は、関係機関の長又はその正当な委任を受けた者と、その当該機関の長が適法に決定し又は管理する事項に関して、交渉することのできることを規定したものと解すべきである。従つて地方公務員たる教職員の職員団体は県教育委員会又は人事委員会の長と交渉しうることは勿論であるが、埼玉県立高等学校管理規則(昭和三二年九月二六日教育委員会規則第七号)によると、教職員の一週間の勤務時間の割振は学校運営の必要に応じて校長が定めることになつており(同規則第六条)、また有給休暇の承認、職員の宿日直の分担も学校長の権限とされている(同規則第七条第一項、第一九条第二項)。従つて教職員をもつて組織する職員団体は職員の一週間の勤務時間、有給休暇及び宿日直の問題について学校長と団体交渉(これがいわゆる労働法上の団体交渉であるかどうかは別として)する権限を有するものと考えなければならない。本件において被告人等が佐野校長と交渉しようとしたのは大宮ろう学校に勤務する寮母の勤務時間の改善についてであつて、まさに佐野校長の権限の範囲内に属する事項であると認められる。従つて佐野校長が被告人等の交渉申し入れに対し校長には団体交渉に応ずる義務がないとして拒否することは何んらの根拠のないことである。それに埼高教は単一の労働組合であつて、内部的には各学校毎に分会が出来ているが、それは単なる便宜上のものであつて、分会が一つの組合を形成しているというものではない。従つて佐野校長の大宮ろう学校の職員とのみしか交渉しないという態度もまた理由のないことである。
4 公訴事実第一についての認定。
冒頭に認定したとおり埼玉県下の特殊学校における寮母の待遇が他府県に比較して劣悪であるため、埼高教組合においては昭和三五年八月二〇日以降、本件発生当時まで一〇回に亘り佐野校長に対し待遇改善につき交渉を重ねて来たが、同校長が部下の職員以外の者とは交渉しないとか、教職員組合には団体交渉権がないとかいつて交渉に応じなかつたので、昭和三六年三月二〇日午後三時頃、埼高教組合の役員であつた被告人飯塚堅一は前記校長室に赴き、佐野校長と同校寮母の勤務制に関して交渉しようとしたところ、佐野校長は交渉に応じる法的な義務があるにもかかわらず外部の者とは交渉に応じないなど単に口頭で交渉を拒絶するだけに止まらず、校長室を出て校長公舎に帰るため玄関に行く如き現実に交渉を不可能にする行動をとつたため被告人飯塚堅一としても、交渉に応じてほしいという強い要望を校長に対して表示し、更に同校長に校長室へ帰つて貰い法的に正当な交渉を継続しようとし、同人を引き留める目的で同人の腕や着衣を掴んだものであつて、被告人飯塚において佐野校長が交渉に応じないことに憤激して同人に暴行を加える意思をもつてなされたものとは到底認めることはできない。従つて被告人飯塚の右行為は、その目的及び前後の事情を考慮すると、団体交渉において社会通念上許容された限度を越えた行為とは認め難く、違法性を阻却するものと解せざるを得ない。
(二) 公訴事実第二について
証人佐野喜太郎(第四回公判調書中の供述記載及び第六回、第七回公判廷における供述)、同川島好造(第四回公判調書中の供述記載及び第八回公判廷における供述)、同佐野ハマ(第五回公判調書中の供述記載及び第九回公判廷における供述)、同佐野譲(第五回公判調書中の供述記載及び第九回公判廷における供述)の各供述及び供述記載、証人鈴木輝子、同根岸君夫、同小林寿彦の当公判廷における各供述、証人高田真弓、同山本きよ、同大沼慶子、同隈部美代、同藤村悦子、同及川多喜雄、同小松俊正、同青木誠、同白井芙美子、同秋山とみ、同小島三郎、同飯泉正男、同佐野美智子に対する当裁判所の各尋問調書、被告人両名の当公判廷における各供述、当裁判所の検証調書(図面三枚、写真一五葉添付)を総合すると、被告人飯塚及び鈴木輝子は、佐野校長が前記の如く午後三時頃交渉を拒絶して校長公舎に帰つてしまつたので、仕方がなく、寮母集会の行なわれている根岸学級(第三棟一階西側から三番目にある教室)に赴き、そこに集つていた寮母及び他の分会員等に対し佐野校長が校長公舎に帰つてしまい交渉ができなかつた旨を報告した結果、佐野校長に再び校長室に帰つて貰つて交渉に応じて貰おうということになり、その交渉のために、当日応援に来ていた埼高教特殊学校部長の被告人鈴木敏勝、当時立大宮商業高等学校教諭小林寿彦及び鈴木輝子の三名が代表として校長公舎に向い、その途中で大宮ろう学校の寮母高田真弓に会い、寮母の問題でもあるので同女にも一緒に来て貰うことにし、右四人は午後二時一五分頃大宮市植竹町二丁目六八番地大宮ろう学校構内の北東の角にある校長公舎に赴いた。
一方午後三時頃校長公舎に帰つた佐野校長は門及び玄関の鍵を掛けて座敷に上り、四畳半で一週間程前から風邪をひいて寝ていた同人の妻佐野ハマ及び次男譲に対して、今学校へ突然交渉に応じろと言つて組合の人達が来たから、今日は忙しいから話合いはできないといつて帰つて来た。こちらへ来るかもしれないからら、来たら今日は会えないというように」と言い置いて書類をもつて台所の食堂へ行き、そこで来る四月の人事異動について教育委員会に提出する書類を書く仕事を始めた。
同日午後三時過頃校長公舎を訪れた被告人鈴木等は表門に鍵が掛つているので、裏に廻り木戸の輪鍵をはずして公舎の庭に入り、鈴木輝子が玄関の呼鈴を四回程鳴らすと中から「はい、どなたですか。」と返事がして男の影が見えたので、同女が「鈴木ですが、校長先生いらつしやいますか。」と言うとすぐ引つ込んでしまつた。もう一度呼鈴を鳴したが、電源を切つたらしく鳴らなくなつた。そこで被告人鈴木及び小林寿彦が二、三度玄関の戸をノツクしたが返事がなかつた。すると今度は南の窓の方で音がしたのでその方に行くと、校長の次男譲が庭に立つていたので、同人に「学校に帰つて交渉に応じて貰いたいと校長さんに伝えてほしい。」と言うと、同人は「外部の人がいるでしよう。」というので、小林寿彦が外部の者には会わないという考え方の間違つていることを指摘すると、同人はすぐ引つ込んでしまつた。被告人鈴木等は佐野譲が校長に伝えてくれるものと思つて待つていると、今度は四畳半の窓が一尺ばかり開いて佐野ハマが顔を出して、病気だからここで交渉しては困るという趣旨のことをいつたので、鈴木輝子が「校長室に帰つて交渉して貰いたい」旨話し、ハマの体に障るといけないと言つて窓を締めた。このようにして被告人鈴木等は校長公舎に赴いたが、校長に面会ができなかつたので帰ろうとしたところ、佐野ハマから電話で呼び出された川島大宮ろう学校教頭と被告人飯塚及び寮母集会に出席していた寮母並びに分会員等が三々五々校長公舎庭に集つて来た。
被告人飯塚、同鈴木は川島教頭に対して校長との仲をとりもつように依頼すると、同教頭は快よく引き受けたが、公舎には鍵が掛つていて入れず、公舎の周囲を廻つているばかりなので、被告人等が交々佐野校長に伝えて貰いたいと催促すると、「私は聖徳太子ではないから大勢の者からいわれてはわかりません。」とか「いいですか私のいうことには「が」がつくんですよ。」とか、とりとめもないことを言つて組合員の爆笑をかつた。そのうちに川島教頭は校長公舎の中に入つたが、すぐに出てくる気配がないので組合員達は校長室に帰つて待つことにし、被告人鈴木敏勝の音頭で「校長交渉に応じろ」「寮母を救え」とか「寮母の勤務時間を改善せよ」とかいわゆるシユプレヒコールをして午後四時頃右校長公舎庭を引き上げたことが認められる。検察官は、公判廷で取り調べた各証拠を総合すると公訴事実第二記載の事実は明らかに認められると主張するけれども、当裁判所の認定した事実は前記のとおりであつて、もとより一般的に考察すれば、組合側に団体交渉をする正当な権限があるからといつて、直ちに相手方の住居に多数で押しかけ、無断でその庭内に立入り、気勢をあげる等の行為をなし、相手方に対し団体交渉に応じるよう要求することは、団体交渉において許容された範囲を逸脱するものといわなければならない。しかしながら本件の場合、佐野校長は前述の如く本来埼高教の団体交渉に応じる法的義務があるにもかかわらず、組合からの団体交渉をしてほしい旨の再三の要請を無視して、通常の勤務時間内である午後三時過頃自宅に帰り、門を閉し、玄関の錠を掛け、外部との接触をほぼ完全に遮断してしまい、このため早急な団体交渉の必要に迫まられていた組合としては、団体交渉に応じてもらいたい旨の意図を校長に伝えるため校長公舎の敷地内に立入り玄関の戸を軽く叩いたり、屋内に聞えるような大きな声で来意を告げる等の行為をなし、更に校長から明確な返答が得られるまである程度の時間そこにとどまることは、その目的を達するために止むを得ないことであり、しかも被告人等においては、単に校長に対し正当な交渉を継続してほしい旨要請するだけで、それ以上に積極的に住居の平穏を乱す意図は少しもなかつたこと等を考慮すると、前記認定の事実は団体交渉において社会通念上許容された限度を越えた行為とは云い難く、違法性を阻却するものと解するを相当とする。
五、結論
以上詳論したことから明らかなように、本件公訴事実はいずれも違法性を欠き罪とならないから刑事訴訟法第三三六条により被告人両名に対し無罪の言渡をすることとする。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判官 西幹殷一 白井博 鵜沢秀行)