浦和地方裁判所 昭和37年(行)5号 判決 1964年2月06日
埼玉県狭山市大字上赤坂二一八番地
原告
小沢潤一
埼玉県川越市野田町観音下一、七〇二番地
被告
川越税務署長
田中大三
右指定代理人
加藤宏
同
望月正
同
金子秀雄
同
植竹徳次郎
同
小高佐太郎
右当事者間の昭和三七年(行)第五号昭和三四年並びに昭和三五年分所得税更正決定取消請求事件につき、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
一、原告は「被告が原告に対し昭和三六年七月四日付でなした原告の昭和三四年分総所得金額を五九万二、三一二円、所得税額を三二、二五二円、過少申告加算税額を一、六五〇円とする更正処分並びに昭和三五年分総所得金額を五四万七、三六二円、所得税額一二、六九〇円、過少申告加算税額を六五〇円とする更正処分はこれを取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、被告は主文同旨の判決を求めた。
二、原告は請求の原因として次のとおり述べた。
(一) 原告は、肩書住所地において農業を営むものであるところ、被告に対し昭和三五年三月一五日付で昭和三四年分所得税確定申告として、総所得金額を一六万五、一二三円(内訳配当所得八、一六〇円、農業所得一四万七、〇〇四円、雑所得九、九五九円)、所得税額〇円、昭和三六年三月一三日付で昭和三五年分所得税確定申告として、総所得金額一四万七、八一一円(内訳配当所得九、〇三四円、農業所得一三万七、二一一円、雑所得一、五六六円)、所得税額〇円として申告したところ、被告は、昭和三六年七月四日右昭和三四年分総所得金額を五九万二、三一二円(内訳配当所得八、一六〇円、農業所得五八万四、一五二円)所得税額を三万二、二五二円、過少申告加算税一、六五〇円、昭和三五年分総所得金額を五四万七、三六二円(内訳配当所得一万三七円、農業所得五三万七、三二五円)、所得税額を一万二、六九〇円、過少申告加算税額を六五〇円と更正し、同日これを原告に通知した。そこで原告は、同年八月四日被告に対し、再調査の請求をなしたところ、被告は三ケ月を経過しても右再調査請求に対し、所得税法第四八条第五項による決定をしなかつたため、同法第四九条第四項により右再調査請求の日から三ケ月を経過した同年一一月三日関東信越国税局長に対し審査の請求をしたものと看倣されたが、同局長は右請求を棄却し、昭和三七年六月二日その旨を原告に通知した。
(二) しかし原告の昭和三四年分並びに同三五年分の各所得は原告の申告したとおりであつて、課税の対象となるべき所得の生じなかつたこと明らかである。してみれば被告のなした右更生決定は課税の対象となるべき所得がないのに拘らずなされた違法なものであるのでこれが取消を求める。
(三) また原告は、収入、支出及び摘要を記載した金銭出納帳に基き総収入金額を計算し、さらに農業収入を得るに必要な経費総金額を差引計算し配当所得金額を加算し所定の期日内に確定申告をしたものであるところ、被告は所得税法第四五条第三項により推計課税をなした。しかし、右規定は、無申告営業者等に対する課税に関し適用されるものであつて、原告のように実額計算をなした場合に適用されるべきものでないのに拘らず、これを適用した違法がありこの点においても取消されるべきものである。
三、被告は、次のとおり答弁した。
(一)、原告主張の請求原因(一)の事実は認めるが、その余の主張は争う。被告のなした更正決定は次に述べるとおり適法のものである。即ち
(1) 原告は昭和三四、三五年分所得税についてその主張のような確定申告をなしたが、その耕作面積等からみて申告所得金額が著しく低額なので、被告はこれを調査したところ、農業所得の収支計算に必要不可欠な作付帳(作付種別、場所、面積等)、収獲物受払帳、棚卸表等の備付がなく、僅に金銭出納帳、野菜の出荷伝票綴、経費の領収書があるのみであり、唯一の記帳である金銭出納帳もその記帳には脱漏、誤記、重複および仮装記載等が随所に発見され、実額調査によつて所得金額を計算することは到底不可能と認め、所得税法第四五条第三項により後記のごとく原告の耕作面積に被告作成にかかる昭和三四年分、及び同三五年分農業所得標準を適用して原告の農業所得を算出し、それに基き前記更正決定をなしたものである。
ところで農業所得標準とは所得金額の計算に必要な帳簿書類を備えていない農業経営者の所得金額を計算するために、税務署において地域別における中等度の相当数の農家を対象として各農産物について、その収入及び通常の経費などを調査し、その作物の一反当りの収入、通常経費などの詳細を算出し、一反当りの所得を計算したものであり、関係市町村当局及び農業諸団体と事前に調査資料に基いて十分な意見交換を行う等標準の一般的妥当性を確認する方途を講じた後所得税申告の目安として一般に公開され正確な収支調査を行うに足るだけの資料を保存していないすべての納税義務のある農業所得者のよるべき基準として広く利用されているものである。そして、本件における原告の農業所得を推計するについても右の如き方法により妥当に作成された農業所得標準を適用したものであつて、且つ原告所有の耕作地の地力、労働力、経験年数等について調査したところ、原告の農業経営の状況には農業所得標準の適用上考慮すべき特殊の事情は何等認められなかついものである。
(2) 農業所得標準による原告の所得金額の計算
(イ) 原告所有農地の昭和三四年、同三五年における耕作面積は台帳面積二八八畝一三歩、不耕作地面積八畝一二歩、差引耕作面積二八〇畝一歩(内訳本茶畑八畝二七歩、畦畔茶畑二〇畝、普通畑二五一畝四歩)であり、その詳細は次のとおりである。
<省略>
(ロ) 農業所得金額の算出
被告が作成した昭和三四、三五年分所得標準は次のとおりである。
所得標準(一反歩当)
<省略>
減算標準
<省略>
したがつて原告の前記耕作面積に右所得標準を適用して算出した金額から水利費、共済掛金、被害減収、特別経費を控除して計算すると原告の昭和三四年及び同三五年分農業所得は次のとおりである。
昭和三四年分農業所得
<省略>
昭和三五年分農業所得
<省略>
(ハ) 右昭和三四年度農業所得に配当所得八、一六〇円、昭和三五年度農業所得に配当所得一〇、〇三七円をそれぞれ加算すると、原告の総所得金額は、昭和三四年度は五九万五、七一五円、昭和三五年度は五七万六、八五二円となる。
(3) したがつて本件係争年度における右各総所得金額の範囲内において原告の昭和三四年度総所得金額を五九万二、三一二円とし、昭和三五年度総所得金額を五四万七、三六二円とし、これより、それぞれ基礎控除、扶養控除、医療費控除及び配当控除をなした上昭和三四年度分所得税額を三万二、二五二円、昭和三五年度分所得税額を一万二、六九〇円とした被告の更正決定は違法ではない。
また原告は被告に対しその昭和三四・三五年分所得税額が零であるとの確定申告をなしたところこれを、前記のように更正したことは適法なのであるから、所得税法第五六条第一項の規定により昭和三四年分については、一、六五〇円、昭和三五年分については六五〇円を過少申告加算税として徴収決定したこともまた選法である。
四、原告は被告の答弁に対して次のとおり反論した。
(一) 原告の昭和三四年分配当所得が八、一六〇円、三五年分配当所得が一〇、〇三七円あつたことは認めるが、昭和三四年分農業所得として五八万七、五五五円、昭和三五年分農業所得として五六万六、八一五円を計上すべきものではない。原告は収入及び必要経費等の金額を細大漏れなく記載し、かつ摘要記載まで明記した金銭出納帳を備付けており、これには被告主張のような脱漏、誤記、重複及び仮装記載等は存しないのであるから農業所得の収支計算に必要な帳簿の備付がなかつたとはいえない。また収穫物受払についても原告は堀兼農業協同組合及び青果市場に生産物を依託販売しているのみであるから同組合の貯金通帳、青果市場への仕切書によつて明確となる筈であり、再調査請求の際これらの資料を提出しているから計算は可能である。しかるに実額調査することなく直ちに農業所得標準を適用推計したのは違法である。
(二) 原告所有農地の台帳面積が被告主張のとおりであることは認めるけれども実随の耕作面積は次表のとおりであり、これと異る事実を基礎としてなされた被告の所得推計は誤りがある。また昭和三四年、同三五年に狭山市堀兼地区に適用された農業所得標準が被告主張のとおりであることは知らないし、農業所得標準が公開されたこともなく右所得標準に合理性があるとは考えられない。
<省略>
証拠として原告は甲第一乃至第四号証を提出し、証人村田繁治、同村田三平の各証言を援用し、乙第一、第二、第四号証の各成立を認め、乙第三、第五号証の各成立は知らないと述べ、被告は、乙第一乃至第五号証を提出し、証人長岡四郎同佐作一三の各証言を援用し、甲第四号証の成立は知らないと述べ、その余の甲号各証の成立を誤めた。
裁判所は職権で原告本人を尋問した。
理由
一、原告が肩書住所地において農業を営んでいること、原告がその主張の日時に被告に対しその主張どおりの内容の昭和三四年分及び同三五年分所得税確定申告をなしたところ、被告は原告の昭和三四年、同三五年分の各総所得金額を原告主張の如く改め、これに伴い右両年度の原告の所得税額及び過少申告加算税額をそれぞれ原告主張のとおり更正し、原告に通知したことは当事者間に争いがない。
二、本件係争各年度における原告の所得金額及びその算出方法の当否について争があるのでこの点について判断する。
(一) 成立に争いのない甲第三号証、乙第四号証並びに証人佐竹一三の証言、原告本人尋問の結果(一部措信しない部分を除く)を総合すると、
(1) 原告の所得総金額を捕捉する資料としては、堀兼農業協同組合に対する預金通帳(甲第一号証)、青果市場の仕切書、及び金銭出納帳(甲第三号証)が存在するのみで作付帳、収穫物受払帳、未収金、未払金の控帳等はなかつたこと。
(2) しかして右金銭出納帳(甲第三号証)は、原告方の農業収支及び家計費の支出等一切の金銭的支出を取扱つている原告が毎日領収書若しくは自己の記憶に基いて記載したものであることは認められるが、原告の手を経ない支出については概ね記載されていないこと。
(3) 右金銭出納帳には原告の農業経営に関する収支並びに家計費の支出が月日を追つて記載されているにすぎず、作付についてはその摘要欄に作業日誌の形式で断片的な記入が見られるが、作付の場所面積等の記入はなく年間の総合的な作付状況を検討することは不可能であること。
(4) 収穫物の受払については右金銭出納帳の各月の余白にその月の自家消費品目と数量を鉛筆で記載してあるが、それも昭和三五年五月以降の分は事後推計で記入したものであること。
(5) 期末棚卸は昭和三三年以降行なわれておらず、未収金・未払金の系統的受払の記載もないこと。
(6) 右金銭出納帳の記帳内容を検討すると左記のような誤記、重複計上、記帳漏れが存すること。
(イ) 昭和三四年一月六日衣料代二、〇〇〇円を計上しているが記録残高から計算すると二〇〇円である。
(ロ) 昭和三四年一月三一日摘要欄に砂利一台分五六〇円、オイルガソリン代五〇〇と註記しているが支出計には一、一六〇円となつており一〇〇円の誤記がある。
(ハ) 籠代一、三七五円が昭和三四年六月八日、同月九日、同月一八日に、農協加工料戻払一、八〇〇円が同年一月二九日と一月三一日に、野菜売上六、八八九円が一〇月二一日と一〇月二四日に、それぞれ重複計上されている。
(ニ) その他摘要欄に支出記録があるが、その支出金額の計上のないもの、収入があつたのにも拘らず記帳のないもの、野菜売上の計上漏等が存すること。
(7) 被告は原告の確定申告の額が過少であつたので調査した結果、原告の所得額計算の資料に右のような不備があり、実額計算による所得額算出が不可能であると認めて、被告主張のように所得額の推計をし、更正決定をしたものであること。
以上の事実が認められ、右認定に反する原告本人尋問の結果は前記各証拠に照して信用することができない。
ところで、農業所得計算のためには、作付記録、収穫物受払記録、未収金、未払金の記録並びに期末棚卸の記録の存在が最少限必要であると解されるところ、右認定の事実からすれば原告が備付していた前記資料は所得計算の資料として充分でないのみならず、金銭出納帳(甲第三号証)はその記載の正確性について疑を容れる余地もあり、これらの資料をもつてしては、原告の係争年度の所得金額を計算することが到底不可能であると認められるから、所得税法第四五条第三項により原告の耕作反別、農業の規模等の事情を勘案し、農業所得標準を適用して原告の所得を推計する方法をとつた被告の措置は相当である。
原告は所得税法の右条項は実額計算による確定申告者に対し更正決定をなす場合の規定ではないと主張するけれども、右条項が青色申告者以外の者に対して更正決定をなす場合の規定であつて、原告主張のように確定申告がなされた場合と無申告の場合とを区別していないことは同法条の全文を通読すれば一見して明白であるから、原告が青色申告でない以上は、(この点弁論の全趣旨に照し、当事者間に争いがない。)、更正決定をなすに当り、右条項により原告の所得を推計算出することは違法ではない。
(二) そこで原告の昭和三四年分同三五年分農業所得を提計するに適用された農業所得標準が妥当なものであつたかどうかについて検討すると、
成立に争いのない乙第二号証によると、昭和三四年同三五年に狭山市堀兼地区に適用された農業所得標準及び減算標準は被告主張のとおりであることが認められ、成立に争いのない乙第一号証及び証人長岡四郎の証言によると、
農業所得標準は所得金額の計算に必要な帳簿等の完備されていない農業経営者の農業所得金額を推計する基準として毎年税務官庁が算定するもので、その算定方法は、標準のそれぞれの種目ごとに無作為抽出により選出された標本農家について行つた実地調査の結果を基とし、その他の統計資料(例えば基準町村について行う部分的調査としての収穫高調査、作付状況調査、農産物の価格調査、外部機関における統計資料の調査、重要経費調査)によつて裏付けをすることにより客観的に作成するもので、それを関係市町村当局および農業諸団体と事前に十分な意交換を行う等、その一般的妥当性を確認する方法を講じた後、所得税申告の目安として一般に公開され、正確な収支調査を行うに足るだけの資料を保存していないすべての納税義務のある農業所得者の拠るべき基準として広く利用されているものであること、狭山市堀兼地区に適用された昭和三四年、同三五年度農業所得標準も右の如き方法により算定されたものであること、及び昭和三四年、同三五年において川越税務署管内の所得税確定申告書を提出した青色申告によらない農業所得納税者に対する右農業所得標準による課税について、他に再調査請求をするものは稀であることが認められ、他に右認定に反する証拠はない。したがつて右認定した事業からすれば右昭和三四年・同三五年の農業所得標準は一般的に適正妥正なものであつたことが認められる。
(三) 前顕乙第四号証による原告の係争年度における収穫は農業所得標準を適用するのに何んら考慮すべき特別の事情が存しなかつたことが認められるので、被告が前記所得標準を適用して原告の所得を推計したのは相当であつたといわなければならない。そこでその計算関係について検討する。
原告の耕作している農地の台帳面積が被告主張のとおりであることは当事者間に争いがないが、係争年度における実際の耕作面積につき争があるのでこの点について判断すると、
前顕乙第三、第四号証並びに証人長岡四郎、同佐竹一三の各証言を総合すると、係争年度において実質的に原告が耕作していた農地の耕作面積は被告主張の事実(二)の(1)(イ)に記載したとおりであつて、総合計二八八畝一三歩、その内訳は茶畑八畝二七歩、畦畔茶畑二〇畝普通畑二五一畝四歩であることが認められ、他にこれを覆すに足る証拠はない。
そこで右耕作面積に係争年度において原告の居住地区である狭山市堀兼地区に適用された前記農業所得標準を適用し、前顕乙第四号証により認められる係争年度における被害減収、特別収入、特別経費を参酌して係争年度における原告の農業所得金額を算出すると、被告主張事実中(二)(1)(ロ)に記載したとおりが原告の昭和三四年分農業所得の総合計は金五八万七、五五五円、昭和三五年分は五六万六八一五円となる。
よつて右各農業所得にその他の所得、即ち昭和三四年分については配当所得額八、一六〇円、昭和三五年分については配当所得額一〇、〇三七円(原告の配当所得が昭和三四年に八、一六〇円、昭和三五年に一〇、〇三七円あつたことは当事者間に争いがない)を加算すると、原告の昭和三四年分所得総金額は五九万五、七一五円、昭和三五年分所得総金額は五七万六、八五二円となる。
三、そこで右各所得総金額に基き所得税額を算出すると昭和三四年分については、基礎控除額九万円、原告の扶養家族九人分(原告に扶養家族が九人存することは原告本人尋問の結果により認められる)の扶養控除額二五万三、七五〇円(他に控除すべきものの申告はない。)を控除すれば課税所得金額は二五万一、九五五円となることは明らかで、昭和三五年分については基礎控除額九万円前同扶養控除額三一万円のほか医療控除額として二万九、二一〇円(原告の申告金額でこれを修正認定すべき理由を首肯できる証拠はない。全額を控除するも被告の更正した課税所得金額一三万八、一〇〇円を超えるものであること明らかである。
四、したがつて以上の認定額の範囲内において昭和三四年分の総所得金額を五九万二、三一二円、課税所得金額を二四万八、五〇〇円とし昭和三五年分の総所得金額を五四万七、三六二円、課税所得金額を一三万八、一〇〇円としこれに基いて所得税額を算出しそれぞれ前記争いのない配当所得の一〇〇分の二〇を税額控除して課税額を決定した本件更正処分はいずれも適法である。
また原告が昭和三四年分同三五年分所得税額が零である旨の確定申告をなしたこと、これに対し、被告が原告の昭和三四年分所得税額を三万四、七〇〇円、昭和三五年分所得税額を一万五、七〇〇円と更正したことは当事者間に争いがなく、その更正処分が適法であるから、その増差税額は昭和三四年分は三万四、七〇〇円、昭和三五年分は一万五、七〇〇円となる。しかして所得税法第五六条第一項によれば、右増差税額(一、〇〇〇円未満は切捨)に百分の五の割合を乗じて計算した金額に相当する過少申告加算税額を徴収すべき旨定められているから、被告がそれに則り、過少申告加算税額として昭和三四年分について一、六五〇円、同三五年分について六五〇円の徴収を定めたこともまた適法といわなければならない。
五、以上の次第であるから本件更正処分の違法を理由とする原告の本訴請求は、全て理由がないことになるので、これを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 綿引米男 裁判官 伊藤豊治 裁判官 鵜沢秀行)