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浦和地方裁判所 昭和55年(ワ)609号 判決 1982年2月19日

原告

甲野一郎

右訴訟代理人

川崎友夫

外四名

被告

乙野ハナ

右訴訟代理人

繩稚登

主文

原告の被告に対する昭和四六年一二月一日から同月一八日までの間の婚姻費用分担義務が存在しないことを確認する。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の申立

一  原告

1  原告の被告に対する昭和四六年一二月一日以降同五五年三月二七日までの間の婚姻費用分担義務が存在しないことを確認する。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原・被告は、昭和四六年二月一二日婚姻し、同年一二月一八日以降別居状態にあつたところ、被告は、原告に対し、昭和四六年一二月一日以降毎月五万円の割合による金員の支払請求権を有する旨主張し、東京家庭裁判所に、原告を相手方として婚姻費用分担の審判を申立て(同裁判所昭和四八年(家)第三四九六号)、同裁判所は、昭和五三年三月二三日、原告に対し、昭和四六年一二月一九日から同五三年二月末までの婚姻費用として合計三七二万円、同年三月一日以降原・被告間の婚姻解消または別居解消に至るまで一か月五万円の割合による金員の各支払を命ずる旨の審判をなした。

2  原・被告間においては、双方から東京地方裁判所に離婚請求等の訴を提起した結果、昭和五五年三月二七日、最高裁判所昭和五四年(オ)第一二七九号事件の判決により離婚が確定した。

3  しかしながら、以下の理由により、原告には、右のような婚姻費用を分担する義務は存しない。

(1) 原・被告の別居及び夫婦関係破綻に至る経過

(イ) 原・被告は、昭和四五年四月から同居生活を始め、同四六年二月一二日婚姻した。

当初より暫くの間原・被告は円満な夫婦関係にあつたが、同年一二月六日の朝食時に飯の盛りつけ方のことでいさかいが起き、その場は、被告が謝つて納まつたものの、同月一六日、原告のライターを被告が無断で捨てたことから口論となつた。ところが、翌日になつても、被告には反省の様子がみられかつたので、原告は、被告の母親乙野フジに、被告を諭してもらおうと考え、電話したところ、同女は、原告の求めに応じないばかりか、間もなく、被告の父乙野五郎が原告に電話をかけ、大声で「出てこい。」などと怒鳴る始末であつた。

被告は、翌一八日、行先も告げずに外出し、帰宅するや、いきなり原告に対し、「出ていくから金と指輪をくれ。」と申し出た。原告が被告の真意をはかりかねていたところ、つづいて被告は、「出ていくからね。そのかわりお礼参りは必ずさせてもらうからね。」と叫んだ。そして、その直後、フジが原告方へ来て、原告と先妻との間に生まれた長女に罵詈雑言を浴びせたうえ、被告ともども原告方から出ていつたが、被告母子は、原告の近隣に用意のタオルを配り、被告は原告と別れた旨ふれて回り、以後被告は原告方に戻らず、別居状態となつた。さらに、被告は、同月二二日、自動車で原告方を訪れ、被告の布団など所有物を殆んど持ち去つた。

右のような経過からすれば、被告は、原告と別居するについて何ら正当な理由を有しないにもかかわらず、独断的に別居を敢行したものである。

(ロ) 被告が、昭和四六年一二月一八日原告方を出ていつた際、前記のとおり近所へ挨拶して回り、同日真夜中近く、原告経営のホテルへ行き、営業用帳簿を持ち去るなどのいやがらせを行ない、翌一九日及び同月二二日には、原告方から布団、嫁入道具など持ち去り、昭和四七年一月一一日、原告の取引先金融機関である大東京信用組合に赴き、原告の定期預金証書及び取引用の印鑑を入手しようとしたため、原告は、同信用組合及びその他の取引先に妻と係争中である旨連絡せざるをえなくなり、名誉、信用を大いに失墜した。

原告は、被告の右のような行動を知るにつけ、被告との円満な婚姻関係回復の希望を全く失ない、被告との離婚もやむなしと考えるようになつた。

右のとおり、原・被告の夫婦関係が決定的に破綻したのは、被告が原因を作出したからであつて、被告は、いわゆる有責配偶者にあたるものというべきである。

(ハ) 以上のように、被告は、正当な理由もなく独断別居を敢行し、また、夫婦関係破綻について有責であるから、原告に対する婚姻費用分担請求権を有しないものである。

(2) 被告の実家は旅館を経営しており、被告は、別居の当初から右実家の援助により、経済的に恵まれた生活をし、海外旅行にも出かけているくらいであつて、何ら原告の扶助を要するような状態にはなかつたものであるから、原告は、婚姻費用分担義務を負わない。

(3) 権利濫用

右3(1)記載のとおり、被告は、正当な理由が全くないのに、別居を敢行し、かつ、夫婦関係を破綻せしめた責任を有する者であるうえ、原・被告間の離婚訴訟において、離婚を命ずる第一審判決に対し離婚を命ずる部分については不服を申し立てず、財産上の請求についてのみ控訴、上告がなされたのであるから、かような場合被告が原告に対しその主張の期間の婚姻費用の分担を請求するのは、権利の濫用というほかない。

(4) 仮に、原告が別居中の婚姻費用分担義務を負うものとしても、一般に、婚姻費用分担義務の存否は、家族的生活共同体を維持する可能性の有無によつて決すべきところ、原告は、昭和四七年一月一二日、被告を相手方として東京家庭裁判所に離婚調停を申し立て、この時点において、すでに、原・被告の婚姻関係継続の可能性は失なわれたものとみられるから、原告は、右時点以降は婚姻費用分担義務を負わない。

仮に、そうでないとしても、原告が提起した離婚及び慰藉料請求の訴訟において、被告は、離婚の反訴請求をなし、昭和五三年一月三一日、原・被告双方の離婚請求について、これを認容し、原告に対し財産分与・慰藉料として計二五〇万円を被告に支払えとの判決が言渡され、財産分与・慰藉料請求部分についてのみ控訴が申し立てられたが、離婚請求に関する部分は、不服の対象とならなかつた。

したがつて、少くとも、右離婚判決後は、協議離婚届出がなされた場合と同視することができるから、原告は、それ以後の婚姻費用を分担する義務はない。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1及び2の事実は認める。

2  同3(1)(イ)の事実中、原・被告が、原告主張の頃同居するようになり、婚姻したこと、原告が被告に対し、朝食の飯の盛り付けにつき注意を与えたこと、その一〇日程後原告が、被告の母フジに電話をかけたこと、被告が原告方から布団を持ち帰つたことは、認めるが、その余は否認する。同3(1)(ロ)の事実中、被告が実家に帰る旨の挨拶かたがたタオルを持参して近隣の家を回つたこと、被告が、昭和四七年一月、大東京信用組合に出向いたことは、認めるが、その余は否認する。

同3(1)(ハ)及び同3(2)の主張は争う。同3(3)の事実中、原告主張のような訴訟において控訴、上告がなされたことは認めるが、その余の主張は、争う。同3(4)の主張は争う。

三  被告の主張

1  被告が本件別居に至つた理由

被告は、以下に述べるような原告の言動により、やむなく別居するに至つたものである。

(1) 被告は昭和四六年九月二八日から同年一〇月二三日までの二六日間胆のう炎で入院したが、原告は、退院の日が近づいた同年一〇月二〇日頃、被告に対し、「退院後は実家に帰つて休んでいろ、もう戻つて来なくてよい。」といつた。被告はその夜は寝れない程の衝撃を受けた。原告は、その翌日も被告の病室に来て、被告に対して「俺のいつた言葉の意味がわかつたか、胆のう炎は遺伝だときいた、退院後ブラブラされては工場の者にもしめしがつかない、病気持ちはわが家の損失である。病院へ来てお前の顔をみるのが嫌になつた。」などと述べた。

(2) 原告は、同年一二月六日、被告に対し、「飯の盛り方が悪い。」といつてどなり、味噌汁の入つたお碗を被告の顔に投げつけ、食卓の上にあつた飯茶碗類を被告の身体に投げつけた。そして被告に対して、「俺に乱暴されてくやしいか、すぐ電話してお前の両親を呼べ。」といつた。

(3) 原告は同年一二月一六日、被告が原告のライターを捨てたといつて被告を追及したが、手伝の鈴木ツネがゴミと一緒に捨てたことがわかつた。翌一七日朝、原告は再度「飯の盛り方も家風に合わぬ、お前とは水と油だからこれ以上やつていけない、電話で実家に知らせろ。」とどなつたりした。被告はこれに応じなかつたところ、原告は自分で被告の実家に電話し、被告の母フジに対し、「家風に合わないから引取つてほしい。」といい、被告の母が「急にそういわれてもわからない、ハナの話も聞かなければ。」と答えたところ「何だその返事は、亭主がハナが悪いといつたら実家の親はどうもすみませんと謝るのが普通である。何でもいいから早く引取りに来い。」といつて電話をきつた。

(4) 同年一二月一八日、被告は原告に対し「理由もなく出て行けといわれ今日までがまんして来たが、一時実家に帰ります。後で納得のいくように話し合いをしたい。」といつた。原告は手切金なら出すが生活費は出さないといつた。

(5) 原告は、同日深夜、被告の実家に来て大声で「まかない帳を出せ。」といつて取りかえしに来たが、被告を追い出した理由については何の説明もしなかつた。

(6) 原告は、同月一九日夜、嫁入りの際のふとんを取りに来いとの連絡を受けて持ち帰つた。

(7) 原告は、被告の入院中、被告の誕生日の祝いとして買つたと称して一、二度はめさせてくれたダイヤの指輪は自分が金庫の中にしまつておくといつて、取り上げられたまゝ、遂に最後まで被告には渡さなかつたことから原告が物欲の強い性格であることがわかつた。

(8) 被告は、もはや、がまんも極限に達し、このまゝでは、又何をされるかわからないので、身の危険も感じ、一時冷却期間を置くため実家に帰ることにし、近所に「高木家から出されて実家に帰るが、離婚の意思はなく、戻るつもりであるのでよろしく頼む。」との旨の挨拶をし、儀礼的に、慣習化している結婚挨拶の時に使つた残りのタオルを手土産代りに持参した。

(9) 原告はかねて、被告のために預金してあるといつていたので、被告は原告から何の話しもない生計費について不安があつたので、自己名義の預金を調べる必要を覚え、翌昭和四七年一月、大東京信用組合に電話して調べに行つたが、原告のいう被告名義の預金があるということは虚偽であることがわかつた。

(10) 原告は、被告と話し合いをすることを避けながら、一方的に、同年一月一二日、離婚の調停の申立を行い、被告が之を拒否したため右原告の申立は同年七月二一日不調となつた。

(11) 被告は夫婦の同居を求めて同年七月、調停を申立てたが、その調停において、原告は被告が戻つて来て同居することを強く拒否した。

(12) 原告はその後、再び、同年一二月、離婚調停の申立をなしたが、被告が応じなかつたので、翌四八年七月、離婚訴訟を提起した。

かくの如く、原告の上記の各行為を概略したところをみても、原告の行動が、常軌を逸しており、横暴で旧時代的な日常生活の行為規範が、徴表化した結果、自分の意思どおりにならない被告に対して、離婚せんとする意思を抱き、その前提として、強く別居を求めたもので、原告の一連の行為が結局被告をして原告方を出ていかざるをえないようにさせた契機となつており、従つて、原告の行為が別居の責を負うべき事由となるものであるといわなければならない。

よつて、被告は、原告の意思により追い出されたものというべきである。

2  本件婚姻関係の破綻について、その原因は原告にあるから婚姻費用の分担義務を負うことは当然のことである。

夫婦は同居し互いに協力し、扶助しなければならない義務を負担し(民法七五二条)、右扶助義務の履行として婚姻費用の分担義務がある(民法七六〇条)。婚姻生活共同体の可能性が存しない程に婚姻関係が破綻している場合においても、右破綻に至らしめた原因が夫婦の一方に存在するときは、自己の責に帰すべき者は相手方に対して扶養義務ないし婚姻費用分担義務を免れないものといわなければならない。

3  夫婦が別居して婚姻生活共同体の回復の可能性が存在しない程に婚姻関係が破綻している場合においても、右破綻につき専らもしくは主として責を負う夫婦の一方は、その相手方に対し少くとも自己の最低生活を維持する程度の婚姻費用の分担は請求することができる。

本件において、原告の言動により、婚姻関係が破綻するに至つたものであるが、前記諸般の原告の行為が、別居の原因や契機ともなり、それらの各行為が、次第に原・被告間の婚姻関係を破綻に追い込んだものであつて、原告が再度の離婚の調停の申立をなすに至つて、頂点に達したというべきである。要するに、原告の各言動が総合的にからみ合つて、婚姻関係を破綻へと一歩一歩追いやり、被告が原告方から実家に追い出された時、既に破綻のきざしがあり、最初の離婚調停の際、決定的になつてしまつたものである。

4  原告は離婚訴訟の認容判決があつたから、判決言渡の翌日から婚姻費用分担の義務は生じないと主張するが、婚姻の解消(死亡、離婚)によつて分担義務は消滅するが、婚姻関係が破綻し、離婚訴訟が係属している場合であつても、現実に婚姻解消に至るまでは、夫婦は婚姻費用分担義務を免れない。

原告の婚姻費用分担義務は、判決が確定し、届出によつて、離婚が成立するから、右成立に至るまでは分担義務を免れることは出来ないといわなければならない。

5  原告は仮定主張として被告の原告に対する婚姻費用分担請求権の行使をもつて権利の濫用であると主張するが、別居に至つた事由並びに婚姻関係破綻の責任は原告にあるものであり、原・被告共に、離婚認容判決に不服申立をしなかつたといつても、婚姻費用を婚姻解消まで負担させるために被告において、婚姻費用分担の審判を申立てることは当然に許されることであり、これをもつて権利の濫用であるという原告の主張は失当である。

四  被告の主張に対する認否

被告の主張は、いずれも争う。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

二そこで、原告の被告に対する婚姻費用分担義務の存否について検討する。

1  <証拠>によれば、次のとおり認められる。

原告(大正一三年五月二三日生)は、昭和二三年頃から東京都北区赤羽において金属挽物業を営むかたわら、同四四年頃埼玉県川口市内で旅館業を始め、昭和二五年二月二一日に婚姻した○○京子との間に、長女秋子(昭和二五年一二月七日生)、二女夏代(昭和二九年八月三日生)をもうけたが、同四四年八月頃右京子と事実上別れ、同年一二月一二日、同女と離婚した。

被告(昭和一三年九月一八日生)は、昭和三七年一月頃Aと婚姻したが、同年九月一九日同人と離婚し、川口市内で旅館業を営む父乙野五郎、母フジと同居し、川口電報電話局に勤務していた。

原・被告は、昭和四四年九月頃知り合い、交際を重ね、同四五年四月二三日事実上の婚姻同様の生活を始め、原告の旅館業の手伝い、家事一切を引き受け、翌四六年二月一二日には婚姻届を了し、原告と先妻との間の二女と同居するといつた複雑な家庭にありながらも、まずは平穏な生活を送つていた。

ところが、被告が、昭和四六年九月二八日から同年一〇月二三日にかけて、胆のう炎で赤羽病院に入院し、退院も間近となつた同年一〇月二〇日頃原告は、被告に対し、右入院について苦情めいたことを述べ、つづいて「退院してブラブラされていては、工場で働いている者に具合が悪い。実家で静養してはどうか。」などと云つたため、退院後被告は、実家へは帰らず、原告方へ戻つたものの、原告の右発言から、原告が内心で被告との離婚を望んでいるのではないかと思うようになり、原・被告の間柄は、次第に円満を欠くようになつた。

そして、昭和四六年一二月六日の朝食の際、原告が被告に対し、飯の盛りつけ方について注意したところ、被告が素直に従わなかつたため、原告は、これに立腹して、食卓上の味噌汁入りの碗などを手で払いのけるなどのいさかいが生じたが、被告が陳謝して、その場はおさまつた。

ところが、同月一六日、原告が被告に愛用のライターの所在を尋ねたところ、被告が、ライターは私に投げつけたから捨てた旨述べたため、原告との間で口論となり、翌一七日も両者は、再び飯の盛り方やライターの件で口論し、原告は、被告が譲らないとみると立腹のあまり、被告に対し、原告に協力できない者は出て行くように言い渡し、あげくは、被告の実家に電話をかけ、被告の母フジに対し家風に合わぬとの理由で被告を引き取るよう要求し、その後、被告の父五郎から、被告の実家に来て事情を説明するよう求められても、これに応じなかつた。

翌一八日、被告は、原告に、原告方を出ていくが、あとで話し合いをしたい旨述べ、金銭と誕生祝として原告から贈られたダイヤ入り指輪の交付を求めたが、原告は、手切れ金なら出してやるなどと答えた。そして、被告と前記秋子との間でも口論めいたやりとりがあつた後、被告は、そこへ来合わせたフジとともに、険悪な空気の中原告宅を出て行き、その際、近隣の家数軒を訪れ、原告と別れることになつた旨述べ、タオルを配つて挨拶して回つた。

原告は、五郎からの話し合いの申し入れについては拒否していたが、その夜原告経営の旅館の帳簿を被告が持ち去つたことを知り、さつそく、被告の実家へ取戻しに赴いたところ、五郎らがこもごも原告の身勝手な態度を非難した。

そして、翌一九日、原告は、被告とフジが、近隣に家を出ることになつた旨の挨拶をして回つたことを知り、被告の両親に対し、強い憤懣の念を抱くようになつた。

被告は、同日の夜、原告方へ行き、被告の布団を持ち帰り、昭和四七年一月九日頃原告の取引金融機関である大東京信用組合に対し、原告の裏預金の有無などを問い合わせ、同月一一日には、同組合に原告の預金証書と印鑑の返還方を求めたが、被告の右言動を不審に思つた同組合係員が原告に連絡し、原告が、被告とは別居中であるので、被告には何も渡さぬよう申し入れたため、被告は、そのまま立ち去つた。

原告は、被告の右のような行動を知るにつけ、被告に対して強い不安を感ずるようになり、被告との離婚もやむをえないと考え、翌一月一二日、東京家庭裁判所に離婚調停を申し立て、また、取引先へ被告とは係争中なので、被告には一切の支払いをしないよう連絡依頼した。

右調停は、離婚に固執する原告とこれを拒否する被告との調整がつかないため、昭和四七年七月二一日、不成立に終わつた。被告は、同月二七日右裁判所に夫婦同居の調停を申し立てたが、原告が、被告との同居を強く拒否したため、被告は、同年一一月七日申立を取下げた。

原告は、同年一二月七日、再度離婚調停を申し立て、不調となるや、昭和四八年七月一〇日、東京地方裁判所に対し、離婚及び慰藉料の支払を命ずる判決を求めて、訴を提起した(同裁判所昭和四八年(タ)第二九二号)。これに対し、被告は、右訴訟中で、原告に対し、離婚及び財産分与・慰藉料請求の反訴を提起し、昭和五三年一月三一日、原・被告双方の離婚請求を認容し、原告からの慰藉料請求は棄却し、原告に対し、慰藉料・財産分与として計二五〇万円を被告に支払うよう命ずる判決が言い渡された。右判決に対し、原・被告とも金員支払請求部分についてのみ控訴を申し立て(東京高等裁判所昭和五三年(ネ)第三七五号、同年(ネ)第四一四号)、昭和五四年九月六日、右事件につき、被告に対する財産分与として一〇〇万円のみ認容し、慰藉料請求については、原・被告ともこれを棄却する旨の判決がなされた。

被告は、右控訴審判決に対し上告し同判決の事実認定を争つたが、(最高裁判所昭和五四年(オ)第一二七九号)、昭和五五年三月二七日、上告棄却の判決が言い渡され、前記控訴審判決が確定した。

以上のとおり認められ<る。>

2  ところで、夫婦が別居し、婚姻関係が事実上破綻している場合でも、法律上婚姻が継続している限り、原則として夫婦相互に婚姻費用の分担義務があり、例外的に婚姻関係の破綻若しくは別居の原因が専ら夫婦の一方のみにある場合には、その者は、相手方に対し、婚姻費用の分担を請求することはできないと解すべきである。

原告は、本件において、原・被告の夫婦関係の破綻及び別居の原因は、専ら被告にあると主張し、前掲甲第七ないし第一一号証には、右主張に副う部分があるが、該記載部分は爾余の証拠に照らしてたやすく信用できず、他に原・被告の婚姻関係の破綻若しくは別居の原因が専ら被告にあるとの事実を認めるに足る証拠はない。

かえつて、前記二1に認定した事実によれば、右婚姻関係の破綻及び別居につき、原・被告双方に責任があると認められるから、原告の右主張は、採用できない。

3  次に原告は、別居の当初から、被告が実家の援助をうけ、原告の扶助を要する状態になかつたから原告は婚姻費用分担義務を負わないと主張するので、この点についてみるのに、前掲甲第四号証によれば、被告は、別居中の生活費を父五郎にみてもらつており、月々いくらかの小遣いももらつていることが認められ、原告の扶助がなければ、ただちに生活に窮する状態にはなかつたということができるが、五郎による右援助は、いわば親の情というべきものであつて、これをもつて原告の婚姻費用分担義務に消長をきたすものとは到底いえない。

4 つぎに、原告の権利濫用の主張についてみるに、原・被告の夫婦関係の破綻及び別居については、被告のみならず原告にも責任があることは、前2に判示したとおりであるし、前記二1記載のように、原・被告間における離婚等請求訴訟の控訴審においては、慰藉料及び財産分与に関する点のみ当事者間で争われ、離婚については、双方とも不服を主張しなかつたことが認められるものの、他方、前掲甲第二号証によれば、右控訴審判決においては、原告の被告に対する財産分与額を算定するにあたり、被告から本件婚姻費用分担の申立がなされていることを斟酌していることが認められ、また、本件全証拠によつても被告が原告の婚姻費用分担義務を増大させることを意図して前記離婚訴訟の確定を延引せしめたとの事実は、これを認めることができない。

とすると、被告が原告に対し婚姻解消までの間婚姻費用の分担を請求できるものとしても格別これをもつて権利の濫用とまでい ことはできないから、この点に関する原告の主張もまた理由がない。

5  さらに原告は、同人が昭和四七年一月一二日被告を相手方として離婚調停を申し立てた以後若しくは前記離婚訴訟の第一審判決以後は、婚姻継続の可能性は失なわれたとみられるから、婚姻費用分担義務はないと主張するので、検討する。

ところで、離婚訴訟継続中であつても、特段の事情のない限り、婚姻の当事者は、現実に婚姻が解消されるまでは、婚姻費用分担義務を免れないと解するのが相当である。けだし、法律上夫婦たる身分関係が存続している以上、相互の協力扶助、婚姻費用分担の権利義務もまた存続するものと解すべきだからである。

したがつて、原告の右主張も採用することができない。

三以上のとおりであるから、原告は、被告が原告と別居した日である昭和四六年一二月一八日までの間については、原・被告は夫婦として同居し、ともかく婚姻生活共同体を形成していたもので、この間被告において原告に対し具体的な婚姻費用分担請求権を有する旨の特段の立証がないから婚姻費用分担義務を負わないが、同月一九日以降婚姻解消の日である昭和五五年三月二七日(離婚判決確定時)までの間は、右義務を免れえないというべきである。

よつて、原告の本訴請求は、昭和四六年一二月一日から同月一八日までの間の婚姻費用分担義務の不存在確認を求める限度で理由があるから、この部分を認容し、その余は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条但書を適用して主文のとおり判決する。

(薦田茂正 小松一雄 小林敬子)

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