大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

浦和地方裁判所 昭和58年(ワ)558号 判決 1989年11月22日

原告 有限会社東運輸

右代表者代表取締役 古挽敏一

右訴訟代理人弁護士 神山祐輔

同 山本政道

被告 勝又正男

<ほか一名>

右両名訴訟代理人弁護士 小室恒

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、各自、原告に対し、四五六九万九九〇二円及びこれに対する被告勝又については昭和五八年七月一二日から、被告林については同月一〇日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  本件各運送委託契約の締結

原告は、一般貨物自動車運送事業を営む有限会社であるが、訴外明星食品株式会社(以下「訴外明星」という。)との間で、まず、昭和五五年五月一日、同社が製造販売するゆでめんを毎日一定の時刻までに一定の場所に配送する内容の業務委託契約(以下「本店日配商品運送委託契約」という。)を締結し、右契約に基づき、同年五月からルート便(訴外明星の工場から同社営業所に運ばれた商品を、小売店等に配送する業務)、同年九月から横持便(訴外明星の工場から同社各営業所に商品を配送する業務)の各運送業務を行い、また、同年七月一五日、電算用カード及び一般書類等を運送する業務委託契約(以下、右運送業務を「メール便」、右運送業務委託契約を「本件メール便運送委託契約」という。)を締結し、その後は右契約に基づく運送業務をも行っていた。

2  被告らの立場

被告らは、昭和五五年五月一日から昭和五六年四月末日までいずれも原告の従業員として同社の川崎営業所(以下「川崎営業所」という。)に配属され、昭和五五年七月半ばころからは、本件各委託契約に基づく配送業務に、被告勝又はその実質上の責任者として、被告林は同勝又の補佐役として従事していた。

3  被告らによる不法行為

(一) 被告らは、共謀して、訴外明星をして本件各運送委託契約を解消させ、他方において原告から独立した会社を新たに設立した上、新会社と訴外明星との間で本件日配商品運送委託契約と全く同じ内容の運送業務委託契約を締結することを計画した。

(二) 被告らは、その計画の一環として、昭和五五年一一月以降、原告の再三にわたる要請にもかかわらず、川崎営業所の経理関係等の営業内容を一切報告せず、また、川崎営業所の人員の補充についても、原告の意向を無視し、独断で推し進めるようになり、昭和五六年一月ころには、右状況を是正するために原告が本社から川崎営業所に派遣しようとした人員の受入れを拒絶した。

(三) 被告らは、昭和五六年三月二三日ごろ、被告勝又が起案した嘆願書と題する書面にそれぞれ署名押印をするとともに、川崎営業所の従業員全員に署名押印をさせてこれを訴外明星に提出し、同社に対し、本件日配商品運送委託契約を打ち切り、新たに被告らとの間で同じ内容の配送業務委託契約を締結すべき旨を要求した上、もし右要求が聞き入れられない場合には、右本件委託契約に基づく配送業務を全面的に停止する旨を通告した。

(四) その結果、訴外明星は、自社の配送業務に著しい支障が生じることを恐れ、同年三月二五日付け書面をもって原告に対し、本件日配商品運送委託契約を同年四月末日をもって打ち切る旨を通告するに至った。原告は、訴外明星に対しその撤回を求めたものの聞き入れられず、同年四月末日限り川崎営業所における本件日配商品の運送業務を全面的に中止せざるを得なくなった。

4  損害

被告らによる右不法行為により、原告は以下の損害を被った。

(一) 契約打切りによる一年分の逸失利益 三三七九万八六八四円

原告は、川崎営業所において、本件日配商品運送委託契約に基づく配送業務を行うことにより、昭和五五年五月一日から昭和五六年四月三〇日までの一年間に三三七九万八六八四円の純利益を計上していたが、右契約が打ち切られたことにより、少なくとも次の一年間に得られたはずの右同額の利益を得られず、同額の損害を被った。

(二) 冷凍車譲渡及び遊休による損害金一一九〇万一二一八円

原告は、右本件委託契約を遂行するため、別表1記載のとおり冷凍車一八台を購入したが、契約打切りにより、そのうち別表2記載の車両八台を譲渡せざるを得なくなった。それに伴う損害は、各車両の帳簿価格から査定額を控除した額となり、同表記載のとおり合計一一九〇万一二一八円である。

5  よって、原告は、不法行為による損害賠償請求権に基づき、被告らそれぞれに対し、右損害合計四五六九万九九〇二円及びこれに対する訴状送達日の翌日である被告勝又については昭和五八年七月一二日から、被告林については同月一〇日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払(連帯支払)を求める。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因1の事実は、いずれも認める。

2  同2のうち、被告勝又は原告主張の期間のうち昭和五六年一月から同年四月までの限度で、また、被告林は原告主張のとおり昭和五五年五月から昭和五六年四月までの間、いずれも原告の従業員として川崎営業所において配送業務に従事した事実は認め、その余の事実は否認する。

3  同3の(一)のうち、被告らは、新会社を設立することを計画したことは認め、その余の事実はいずれも否認する。

4  同3の(二)の事実は否認する。

5  同3の(三)のうち、被告勝又が川崎営業所の全従業員が署名押印した嘆願書と題する書面を訴外明星に提出したことは認めるが、その余の主張は争う。

6  同3(四)のうち、昭和五六年四月末日限りで原告の本件日配商品の運送業務が終了していることは認めるが、被告らがその責任を負うべきいわれはないものである。

7  同4の事実は、いずれも否認する。

三  抗弁

1  違法性の発生障害

(一) 本件日配商品運送委託契約締結の経緯

(1) 訴外明星は、従来同社製造にかかる製品の配送を運送会社に委託しており、昭和五四年ごろは、ゆでめんのようないわゆる日配商品の配送を訴外全国日配運送株式会社(以下「訴外全日配」という。)に委託していたが、同社は時々事故を起こすようなことがあったため、日配商品の配送を他の運送会社にも委託するもくろみを有していた。

(2) 一方、原告は、古挽敏一(以下「敏一」という。)が代表取締役、その実弟の古挽詔二(以下「詔二」若しくは「訴外詔二」という。)が、商業登記簿上は監査役であるが、通称専務取締役として、兄弟で経営を行っており、また、詔二の妻は、被告勝又の三女で、被告勝又と詔二とは義理の親子の関係にある。

(3) 被告勝又は、訴外明星の取締役及び監査役を経て、昭和五四年一二月に同社を定年退職したものであるが、同人はかねがね詔二から、原告会社の運営は兄である敏一の意見に従わねばならず不自由であるので、いずれ独立して運送業を行いたい旨相談を受けていたため、常々、同人がのびのびと仕事ができるよう力を貸そうと考えていたところ、被告勝又は訴外明星の前記もくろみを知るに及び、昭和五五年一月、訴外明星の日配商品を扱う部門であったルートセール事業部の責任者保坂彦逸部長(以下「訴外保坂」という。)に会い、同人に対し、原告の専務である娘婿の詔二が独立して運送業をしたい意向を持っており、新会社を設立して運送業を営むこととしたいが、運送業の免許を取得するまでは、原告の一部門として業務を行う旨、そして、新会社発足に必要な資金は詔二が一〇〇〇万円を出資するほか、新会社設立に賛同する者に出資してもらい、不足分は原告に応援してもらう予定である旨を説明したところ、訴外保坂は訴外明星で前向きに検討するとして、被告勝又に、同社の日配商品のうち、京浜地区の配送を受け持つ前提で事業計画書を提出するよう伝えた。

(4) 被告勝又は、同年三月から、詔二と相談しながら新会社設立のため従業員の勧誘、資金の準備、車両の手配等に奔走し、また、営業所として訴外明星から川崎営業所を賃借することとし、詔二は、同年四月二六日訴外明星に事業計画書を提出した。以上のような経緯から、同年五月一日、原告と訴外明星との間で本件日配商品運送委託契約が締結され、同日から二トン車五台でルート便の配送業務が開始されるに至った。

(5) したがって、本件日配商品運送委託契約が締結されるに至ったのは被告勝又の功績によるところが大きく、また、本件各運送委託契約は、右各契約に基づく運送業務が将来新会社で行われることを前提として締結されたものである。

(二) 新会社設立についての原告の承諾等

前記のように新会社を設立し、川崎営業所を新会社として別法人とすることは、同営業所開設当初から原告と被告ら及び詔二との間で合意されていた。

仮に、右合意が認められないとしても、従業員の採用ほか川崎営業所の運営及び訴外明星との交渉は、同営業所発足の前後を通じ、一切詔二と被告勝又に委ねられており、敏一は川崎営業所の運営に全く関与しなかっただけでなく、川崎営業所へは、開設当初から訪れたことも、電話を掛けてきたこともなかったことから、被告勝又としては、敏一は詔二が将来川崎営業所を独立させ、新会社として運営していく考えであることを承知していると考えていたのであって、右事情のもとでは、そのように考えたのは合理的理由に基づくものといえる。

(三) 被告勝又の立場

被告勝又は、詔二の新会社設立の目的達成のため当初は好意的に無報酬で仕事の手伝いをしていたにすぎず、原告から給料をもらうようになったのは昭和五六年一月からであるから、それまでの間は原告の従業員になっていたとはいえない。

詔二は、昭和五五年五月一日から川崎営業所で配送業務に従事し、できるかぎり早く新会社を設立して独立すべく被告勝又にそのための準備を依頼していたが、次第に日配商品の配送業務は割に合わないと考えるようになり、同年七月一四日ごろから原告会社本社に戻ってしまった。被告勝又は、詔二がこのように独立することを放棄したかのような行動に出たことをすぐに訴外保坂に話すわけにもいかず、何事もなかったように仕事を続けなければならなかったため、従業員でもないのに責任者のような立場に立たざるを得なかったのである。

(四) 嘆願書作成に至った経緯

川崎営業所は、訴外明星から昭和五五年九月に横持便の配送委託を受けることになり、同年一一月からはその受託量も増加して採算は次第に向上していったところ、敏一と詔二は川崎営業所のそのような状況に目をつけ、今まで同営業所の運営等には何ら関与することがなかったにもかかわらず、同年一二月になると、人事や従業員の給与に口出しをするようになり、同営業所を原告の一部門として管理しようとしてきた。被告勝又は、敏一と詔二に対し、最初の約束どおり、新会社がスタートできるようになったら川崎営業所を新会社に移行して原告とはあくまで別法人として運営するものとする旨、及び将来川崎営業所を別法人として独立させる計画は変更できないので、詔二が新会社に参加しないとしても、被告勝又が中心となって新会社をスタートさせるべく準備をしたい旨を伝えた。ところが、敏一と詔二は、新会社設立には賛成したものの、あくまで新会社を原告会社の子会社にする意向を示したため話合いはつかなかった。川崎営業所の従業員は、全員、同営業所が将来新会社となることを前提として参加した者たちばかりであり、原告の従業員として勤務し続ける意思がないことから、原告を退職することとし、訴外明星に対し事実関係を伝えるため、嘆願書を提出したものである。

2  過失相殺

原告と訴外明星との間で本件日配商品運送委託契約が昭和五六年四月末日限り終了するに先だち、訴外明星は原告に対し、昭和五六年三月下旬から、不要車両を原告にとって損害とならない価格で全部買い受ける旨再三申し出ていたにもかかわらず、原告は右申出を拒否したのであるから、原告には損害の発生につき過失がある。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1(一)(1)については、そのうち、訴外明星は、従来同社製造にかかる製品の配送を運送会社に委託しており、昭和五四年ごろは、日配商品の配送を訴外全日配に委託していたことは認め、その余の事実は知らない。

2  同1(一)(2)の事実は認める。

3  同1(一)(3)については、そのうち、被告勝又は訴外明星の取締役及び監査役を経て、昭和五四年一二月に同社を定年退職したものであること及び訴外明星の日配商品を扱う部門であったルートセール事業部の責任者が訴外保坂であることは認め、その余の事実は知らない。

4  同1(一)(4)の事実は認める。

5  同1(一)(5)の事実は否認する。

6  同1(二)の事実は否認する。

7  同1(三)のうち、詔二は昭和五五年五月一日から川崎営業所で配送業務に従事したことは認め、詔二はできるかぎり早く新会社を設立して独立すべく被告勝又にそのための準備を依頼していたが、次第に日配商品の配送業務は割に合わないと考えるようになり、同年七月一四日ごろから原告会社本社に戻ってしまったことは争う。

詔二が原告会社本社に戻ったのは、川崎営業所がほぼ軌道に乗ったことから、後は被告らに任せても大丈夫であると判断したこと、同月一五日付けで原告と訴外明星との間で本件メール便運送契約が締結されたため、車両の手配と運送業務の指導にあたる必要が生じたほか、原告会社本社において仕事をいつまでも放置できない事情があったこと等によるものである。また、同年八月ごろには、川崎営業所における配送業務が区域外無免許である旨業界紙で報道され、陸運局による監査が行われることとなり、その対応のため、責任者である同人が原告会社本社に常駐する必要が生じたほか、一般区域貨物自動車運送事業の事業区域拡張免許取得のための手続で同人は忙殺されていた。このように忙しい状況の下でも、同人は約一〇日に一度の割合で川崎営業所に赴いて営業を監督していた。

8  同1(四)のうち、川崎営業所は、訴外明星から昭和五五年九月に横持便の配送委託を受けることになり、同年一一月からはその受託量も増加して採算は次第に向上していったことは認め、その余の事実は争う。

9  同2は争う。

第三証拠関係《省略》

理由

一  請求の原因1ないし3及び抗弁1について判断する。

1  請求の原因1の事実、同2のうち、被告勝又が原告主張の期間のうち昭和五六年一月から同年四月末日まで、また、被告林が原告主張の期間、いずれも原告の従業員として川崎営業所において配送業務に従事したこと、同3の(一)のうち、被告らが新会社の設立を計画したこと、同3の(三)のうち、被告勝又が川崎営業所の全従業員が署名押印した嘆願書と題する書面を訴外明星に提出したこと、及び同3の(四)のうち、昭和五六年四月末日限りで原告の本件日配商品の運送業務が終了していることは、いずれも当事者間に争いがない。

また、抗弁1(一)(1)のうち、訴外明星は従来同社製造にかかる商品の配送を運送会社に委託しており、昭和五四年ごろには、日配商品の配送を訴外全日配に委託していたこと、同1(一)(2)の事実、同1(一)(3)のうち、被告勝又は訴外明星の取締役及び監査役を経て、昭和五四年一二月に同社を定年退職したものであること及び訴外明星の日配商品を扱う部門であったルートセール事業部の責任者が訴外保坂であること、同1(一)(4)の事実、及び同1(四)のうち、川崎営業所は、訴外明星から昭和五五年九月に横持便の配送委託を受けることになり、同年一一月からはその受託量も増加して採算は次第に向上していったことは、いずれも当事者間に争いがない。

2  《証拠省略》を総合すると、次の事実(前記争いのない事実の引用を含む。)が認められる。

(一)  (本件日配商品運送委託契約の締結に至るまでの経過等について)

訴外明星が前記のとおり昭和五四年ごろ日配商品の配送を委託していた訴外全日配は、当時、交通事故や誤配等の問題をしばしば起こしていたため、訴外保坂は、訴外全日配以外の運送会社にも日配商品の配送を委託することを考え、たまたま原告関係者と姻戚関係にあり、訴外明星の営業本部に所属している訴外勝又尚司(被告勝又の長男)を通じて訴外詔二に右配送委託の話を持ち掛けたこと、被告勝又は、昭和五五年一月ごろ、前掲抗弁1(一)(2)のとおりの地位、身分関係にある詔二から、右のとおり訴外明星側から持ち掛けられた配送業務の話に関連して、兄の敏一の下で仕事をしていると、給料を抑えられる等不都合なことが多いので、右配送業務は敏一から独立して行いたい旨を相談されたため、それに賛同し、その後、詔二と共に、同人を中心とする新会社設立の構想を立て、新会社発足資金としては同人所有の一〇〇〇万円を充て、不足分はその他の者で拠出する、当時訴外全日配を辞めて帰郷していた被告林を被告勝又が呼び寄せて新会社に加わってもらう、業務用の車両は詔二が原告会社から手配する、車庫については訴外明星の協力を得るなどと協議をし、同年中には運送業の新規免許を取得する目標を立てたこと。そして、被告勝又及び訴外詔二は、訴外保坂と同年二月上旬ごろから運送委託契約についての話合いを開始したが、右話合いは被告勝又が主に進め、その話合いの過程において、同被告は保坂に対し、詔二を中心とする新会社設立計画があり、訴外明星の委託による運送業務はいずれ新会社において行いたい旨を当初から告げ、また、設立準備計画等についても随時報告していたこと、その結果、訴外保坂と被告勝又及び訴外詔二との間で、訴外明星は詔二らに日配商品の配送業務を委託するが、当面は原告に委託する形をとり、同人らは原告の従業員としてその配送業務を行い、新会社設立後は委託を新会社に切り換えて行うこととする、右業務遂行のため、営業所は当時閉鎖中の訴外明星の川崎営業所を利用することとし、運送用車両は最初明星の二トン車五台を賃貸しする、最初の一か月間は訴外明星において派遣社員として勤務することにより仕事を覚え、川崎営業所での配送業務はその後開始することとする旨の打合せを遂げたこと。かくして、同年五月一日に本件日配商品運送委託契約が、また、同年六月一日に川崎営業所の賃貸借契約がいずれも訴外明星と原告との間で締結され、右運送委託契約においては、契約期間を一年とし、双方から一か月前に意思表示がない場合には更に一年延長し、以後も同様とする約定であったこと、また、右賃貸借契約においては、賃貸借期間は同年六月一日から昭和五七年五月三一日までの二年とされていたこと、敏一は、訴外明星から配送委託の仕事の話が持ち掛けられていることについては、詔二から昭和五五年一月ごろ聞いていたが、従来、営業及び運行関係の業務は一切詔二に任せ、自らは金銭面の業務に携わるにとどまっており、本件日配商品運送委託契約についても、その締結のために自分から積極的な行動には出ず、同人に一切任せてその報告を受けるにとどまり、右運送委託契約及び右賃借契約締結の際も、契約書を取り交わす場には参加せず、他の部分につき作成済みの状態で同人から示された契約書に調印をしたこと。

(二)  (川崎営業所の運営、営業の状況等)

前記のとおり打合せが行われたところに従い、昭和五五年五月から訴外明星の神奈川工場において、派遣社員としての勤務が開始され、当初は訴外詔二、被告勝又、同被告から呼び寄せられ、新会社設立計画にも参加していた被告林、訴外勝又和夫(被告勝又の三男)、訴外詔二が原告会社から派遣するようにした訴外眞壁(数日後いなくなり、被告林の知人である訴外矢継に替わる。)及び訴外明星の紹介による訴外紅野がその従業員となっていたこと、次いで同年六月から川崎営業所においてルート便の配送業務の実動が開始されたが、右業務の責任者は訴外詔二とされ、運送用車両は最初は訴外明星から二トン車五台を借り受け、後にはそれを原告の費用で買い受けて使用したこと、もっとも、訴外詔二は被告勝又に対し、右運送業発足のための資金及び右車両買受け費用は詔二の個人資金を拠出した旨説明していたこと、その後、詔二は、本件メール便運送業務の指導及び原告のその他の業務を行うため、同年七月一四日をもって川崎営業所への常駐をやめて原告会社本社勤務に復帰することとし、その時期についてはルート便が軌道に乗ってきた時期を見計らい、また、自分の担当していたコースを他の者に教え、引き継ぐなどして川崎営業所の業務に支障が生じないよう配慮したが、右復帰の必要性等について、被告らに対し十分の説明はされていなかったこと、しかも、詔二は、その後も毎土曜日の夕方に川崎営業所を訪れ、人員の確保や配車が順調にいっているか等の確認作業をしたものの、従来担当していた配送や夜勤等は行わなくなったほか、短時間で姿を消すことが多く、被告らには訴外詔二が同営業所にいる時以外いかなる行動をとっているのか把握しがたくなったため、このころから同人に対し、被告らを始めとする川崎営業所勤務の者が不信を抱き始めたこと、同年七月ごろになると、訴外明星における横持便配送業務を訴外全日配から川崎営業所に切り換える話が徐々に具体化し、川崎営業所における横持便の配送業務が同年九月から四トン車二台で開始され、同年一一月には切替えが進んで合計四トン車七台で行われるようになり(右車両はすべて原告の費用で購入された。)、川崎営業所の利益は順次向上したこと、川崎営業所の運営については、敏一は最初から関与せずにすべて詔二に任せ、同年中は自ら川崎営業所を訪れたこともなく、他方、詔二も、原告会社本社に復帰した後は、本件日配商品運送業務に関しては、車両手配、一般区域貨物自動車運送事業の事業区域拡張免許申請手続及び川崎営業所従業員が起こした交通事故処理に携わったのみであって、敏一及び詔二は、このころから川崎営業所の業務をすべて被告らのするがままに任せ、横持便配送業務開始のために必要な事務処理を始め、同営業所の業務及び運営に関しては、荷主等との渉外業務、配車及びその管理、従業員の給与の決定、経理の実績把握、請求事務等について何らの指示、統率を行わず、川崎営業所の従業員の採用についても、昭和五六年三月一三日付け募集広告による採用等まで意見を述べたことはなく、すべて被告らを中心とする同営業所関係者に委ねられていたこと、詔二は、昭和五五年五月ごろから新会社の設立は困難であると考えるようになり、同年六月初旬にはその計画をあきらめてしまっていたが、そのことを被告らに告げることはせず、かえって同月一八日には自ら新会社の社名を被告らに提案したり、同年九月五日には新会社設立準備のため被告らと共に行政書士方に赴いたりして新会社設立に意欲があるような行動に出ていたため、被告らとしては訴外詔二が新会社の設立の構想を捨てているとは予想もしなかったこと、被告勝又は、徐々にその設立準備を進めていき、被告林は、従業員を集める際には、いずれ新会社が設立されてその従業員となる旨を説明しており、また、被告勝又は、新会社設立に支障とならぬよう、同年一一月までは無報酬で働き、給料をもらうようになったのは、横持便配送業務が軌道に乗り、採算が取れるようになった同年一二月末からであること、

(三)  (本件日配商品運送委託契約の終了に至る経過等について)

ところで、敏一は、新会社設立計画については関知していなかったが、同年一二月二二日ごろ、被告勝又及び訴外勝又尚司が詔二と新会社の設立を巡って言い争っているのをたまたま聞きつけ、初めて新会社設立の計画があることを知り、川崎営業所の運営状態を全面的に見直す必要があると考えるようになったこと、そこで、敏一は、同営業所からの詳細な収支報告が同年一一月以降途絶えていたことから、先ずその経理面等について調査するため、翌五六年一月二二日、訴外柴田猛らを同営業所に派遣したが、被告らは、右柴田らが書類の閲覧を要求しても、直ちにはこれに応じなかったこと、また、その後、右柴田らが、同営業所従業員による交通事故が多発しているのに関連して配送車両の運転速度を抑制するよう申入れしたのに対し、被告林は原告の指示及び管理を拒否する発言をしたこと、もっとも、被告らとしては、従来、詔二から、新会社設立計画については敏一の承諾を得ている旨説明されていたため、他の状況ともあいまってその説明内容に疑いをさしはさむ余地を持たず、敏一が右計画を知らなかったことについては、前記のとおり言争いのあった昭和五五年一二月二二日ごろまで知らないままであったこと、また、同年一一月以降川崎営業所の収支報告が十分にされていなかったのは、被告勝又が収支計算上必要な車両の区分整理方法についての指示を原告会社本社に求めていたのに、応答が得られないため計算に支障が生じていたことも一因となっていたもので、売上げ、人件費及び燃料費等については原告に報告されており、報告を欠いていたのはそれ以外の細かい経理関係の収支報告であったこと、訴外柴田は、原告会社に勤務する以前訴外王子運送株式会社に勤務し、二〇年近く運行及び営業等の業務に従事してきたが、自らは車の運転はできず、日配商品の運送の経験もなかったこと、敏一及びその側にある者らは、柴田らに対し、川崎営業所関係者に対し不信感を抱くに至っている状況については事前の説明をせず、同営業所に対しては、柴田らを派遣する旨の事前連絡もせず、突然に同人らを派遣したこと、一方、被告らは、昭和五五年暮れごろから徐々に、訴外詔二を中心とする新会社設立の構想には無理があると感じるようになってきたが、新会社設立の構想自体は捨てず、被告らを中心とする新会社の設立を進めるようになったこと、その間、被告勝又と敏一らは数回にわたり協議を重ね、新会社設立の方針自体には敏一の理解が示されたものの、新会社と原告との関係や新会社の役員人事等を巡り、被告らと敏一及び詔二との間は、意見が分かれたままの対立状態となったこと、加えて、そのころには、川崎営業所従業員に対する減給処分、昭和五六年三月一三日付け募集広告により川崎営業所が採用した四名の者に対する原告の採用拒絶及び給料不払い並びに社会保険料の過剰徴収分の返還拒否等の問題も生じ、両者の対立はますます激化していったこと、なお、右広告は、被告らが訴外明星の承諾を得て同社の名前で「新会社設立準備のため」と記載してしたものであるが、本件運送業務遂行のため必要があって募集したものであること、そして、右両者の対立関係は訴外保坂の知るところとなったこと、これより先、同人は、訴外詔二が既に昭和五五年七月に川崎営業所から原告会社本社に復帰していることを知り、いずれ新会社の中心人物となるべき者のとるべき態度ではないと不信感を抱きながらも、川崎営業所の運送業務は円滑に遂行されていたのでそのまま放置していたが、翌五六年二月になると、被告勝又側と敏一、詔二の側との対立は本件運送業務の遂行にも支障が生じかねない状態にまで深刻化したため、訴外保坂としても放置しておけなくなったこと、そこで、訴外保坂は二度にわたり右両者の対立を解消させるための労をとったにもかかわらず、対立は収まらないため、訴外明星からの運送の委託方を原告か川崎営業所のいずれか一方とする必要に迫られることとなったが、右のとおり両者の間の取りなしを図った過程で、それまでにも訴外詔二から川崎営業所に対し、「今日の配車はやらない。」とか、「車両をすべて引き上げる。」等の言動があったことを知り、また、同年三月一三日に至り訴外明星から原告に対し、今後の委託配送業務を円滑に運用するための具体的な方針を提示するよう求めたのに、何らの回答も寄せられなかったことから、原告に配送委託を継続することには不安、不信の念を持ったのに対し、川崎営業所はこれまで運送業務を円滑に行い、信頼できる状況にあったことから、川崎営業所に運送業務を任せることに方針を固めたこと、そして、訴外明星は、同月二三日に川崎営業所からの嘆願書を受理して原告との本件日配商品運送委託契約を更新しない旨決定し、同月二五日、原告に対しその不更新通知を発し、原告から翌四月二日に再考を要請されたが聞き入れなかったため、右契約は、同年四月末日をもって終了したこと、右嘆願書には、原告と川崎営業所との紛争内容、川崎営業所の従業員は全員原告の下で今後仕事を継続する意向はなく、同従業員全員の出資及び訴外明星の協力により新会社を設立して訴外明星の配送業務を行っていきたい旨及び同年五月一日からの本件日配商品運送契約の更新に当たり適切な措置をとるよう要請する旨が記載され、被告らを含む川崎営業所従業員全員の署名、押印がされていたこと、川崎営業所の従業員一七名全員は、同年四月三〇日をもって原告会社を退職し、右従業員のうち約二名を除くその余の者は、同年五月一日から訴外明星の臨時社員として本件日配商品運送業務と同じ内容の仕事を行うこととなり、昭和五七年一二月七日には、社名を株式会社ジョイントデリバリーとして新会社設立の登記をするに至ったこと、なお、原告と訴外明星との間の本件メール便運送委託はその後も継続されていたが、訴外明星におけるコンピューター化により同社において右配送委託をする必要がなくなったため、同社は昭和五八年一月に至り原告に対し契約不更新の意思表示をし、同年一月三一日をもって右配送委託契約も終了するに至ったこと、

以上の事実が認められ、他に以上の認定を覆すに足りる証拠はない。

3  そして、ほかに、被告らの不法行為の成否にかかわる特段の事実関係についての主張立証はない。

4  そこで、以上の事実関係の下において被告らの不法行為の成否を判断するに、被告らは、いずれも前記1、2掲記のとおり原告会社の従業員として川崎営業所の業務に従事していながら、新会社を設立してこれと訴外明星との間で本件日配商品運送委託契約と同じ内容の運送業務委託契約を締結することにより、原告と訴外明星との契約関係を新会社と訴外明星との間に移行させることを計画し、また、その間、川崎営業所の営業状況についての原告会社に対する報告が不十分であったり、川崎営業所関係者のみの手で同営業所の業務運営をし、更には、前記のとおり訴外明星に嘆願書を差し出すことを図ったりしたものであり、原告と訴外明星との間の本件日配商品運送委託契約関係は、原告主張の時期に終了するに至ったものである。しかしながら、以上認定の各事実関係、とりわけ新会社設立の計画は、前記のとおりの原告会社における地位、敏一との身分関係を有する詔二が中心になるものとして同人と共に、しかも、本件日配商品運送委託契約の締結ないし同契約に基づく業務の開始に先行して進められたものであり、被告らから敏一に対しその計画についての説明がされていなかった点についても前認定のとおりの無理からぬ事情が存したこと、新会社設立の計画は、当初詔二中心の構想であったものが後に被告らを中心とするように変わっていったが、詔二自身はその計画をあきらめてしまってからも、前認定のとおり新会社設立の意向が継続しているような態度を示しており、被告らにおいて詔二を中心とする計画には無理があると感じるようになってからも計画を推進したのは、既に新会社設立の段取りが固まっていたことによるものであること、その他川崎営業所発足のいきさつやその運営状況のもともとの実態等についての諸事実にかんがみると、被告らによる新会社設立の計画やその間における前掲被告らの個々の所為については、被告らの原告に対する不法行為の成立ないしは損害賠償義務の発生を肯認する前提としての違法性が存するとはいえないというべきである。

二  以上のとおりであるから、原告の請求は、その余の点につき判断するまでもなく、いずれも理由がなく棄却すべきである。

よって、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 奥平守男 裁判官 栗栖勲 合田智子)

<以下省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例