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浦和地方裁判所 昭和60年(タ)56号 判決 1985年11月29日

原告(反訴被告)

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

田賀秀一

右訴訟復代理人弁護士

佐久間保夫

佐藤誠治

被告(反訴原告)

甲野太郎

右訴訟代理人弁護士

吉原大吉

小林明子

主文

一  原告(反訴被告)と被告(反訴原告)とを離婚する。

二  被告(反訴原告)から原告(反訴被告)に対し、別紙第一物件目録記載(一)ないし(三)及び同第二物件目録記載(一)、(二)の各不動産を財産分与する。

三  被告(反訴原告)は原告(反訴被告)に対し、前項の各不動産につきそれぞれ財産分与を登記原因とする所有権移転登記手続をせよ。

四  被告(反訴原告)の反訴請求を棄却する。

五  訴訟費用は、本訴反訴を通じて被告(反訴原告)の負担とする。

事実

(以下、原告(反訴被告)を単に「原告」、被告(反訴原告)を単に「被告」という。)

第一  当事者の求めた裁判

一  本訴請求の趣旨

1  主文第一ないし第三項と同旨

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  本訴請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

三  反訴請求の趣旨

1  被告と原告とを離婚する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

四  反訴請求の趣旨に対する答弁

1  被告の反訴請求を棄却する。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

第二  当事者の主張

〔本訴について〕

一  請求原因

1 原告と被告は、昭和三〇年二月一一日から同棲し、同年一二月二〇日に結婚式を挙げ、昭和三二年六月八日に婚姻届を了した夫婦である。

2 原告は、昭和三〇年二月一一日以来、被告が勤める千葉県成田市の○○新聞専売所に被告と共に住み込み、早朝から晩遅くまで、家事のほか新聞配達等の仕事に従事し、次いで、同年七月、埼玉県鴻巣市の○○新聞専売所に被告と共に移り、その後、昭和三七年ころ同県上尾市で稼働するようになつた。その後、被告は新聞配達の仕事をやめ、運送会社の社員やバスの運転手になるなど、職場を転々と変えた。その間、原告は、新聞配達やミシンの内職等をして生計を支え、或いは原告の実家から援助を受けながら、ようやく家計を維持してきた。

3 離婚原因

(一) 不貞行為

被告は、著しく女性関係が多く、結婚以来女性問題でしばしば原告と口論があり、昭和三一年七月ころには、鴻巣市内の前記新聞専売所において、雇入れた女中と関係したことで慰謝料を請求され、これを支払い、その後も多数回に亘つて女性問題を起こし、その都度原告を悩ませた。

(二) 悪意の遺棄

(1) 被告は、昭和三二年ころから、原告を殴打するなど度々暴力を振うようになつた。

原告は、昭和五一年六月ころ、子宮癌に罹患していることが分かり、同月三〇日、子宮を全部摘出する手術をし、また、それまでの過労や心労が重なつたためか、昭和五二年八月一二日、脳血栓と診断され、同日から約一か月間、上尾市内の藤村病院に入院したが、結局、右半身不随になり、昭和五五年八月五日、埼玉県から身体障害者第四級と認定された。

(2) その間、被告は、原告を十分看護するわけでもなく、他の女性と遊んだりし、原告には給料の一部を渡すのみであつた。

(3) 被告は、昭和五五年五月二二日、突然、原告に「俺のものは全部やるから離婚しろ。」と言つて家を飛び出し、帰宅しなくなつた。その後、同月二七日、原告の親族が被告の勤務先に赴き説論し、その日一時帰宅したが、その夜再び家を出て、爾来、一度も帰宅しない。生活費の送金もない。

以上の次第で、原告は、被告の右不貞行為と悪意の遺棄により、民法七七〇条一項一号、二号に基づき、被告との離婚を求める。

4 財産分与

(一) 原告は、被告と二十数年間に亘る長期の婚姻生活を続けたが、その婚姻生活を通じて前記のとおり被告の度重なる不貞行為や暴力行為があり、原告が身体障害者として呻吟しているのに、被告から全く顧みられず、悪意で遺棄され、高令になつて離婚を決意をせざるを得なくなつた。これにより、原告は甚大な精神的苦痛を被つた(この精神的苦痛を慰謝するには金二〇〇〇万円をもつてするのが相当である。)。

(二) 原、被告の婚姻後に取得された財産として、現在被告所有名義になつているものに別紙第一物件目録記載(一)ないし(三)の土地(以下「本件土地」という。)及び同第二物件目録記載(一)、(二)の建物(以下「本件建物(一)、(二)」という。)がある。

(三) 右不動産取得の経過は、昭和三八年三月一九日、本件土地を原、被告双方で働いた金で購入し、その土地上に本件建物(一)の居宅と同(二)のアパートを建てた。原告は身体障害者であり、右居宅に居住し、右アパートの僅かな収入でようやく生活している状態である。

よつて、原告は、離婚に伴う財産分与として、被告が原告に対し、本件土地及び本件建物(一)、(二)を財産分与すると共に、右各不動産につき、原告に対し、財産分与を原因とする所有権移転登記手続をすることを求める。

二  本訴請求原因に対する認否

1 請求原因1の事実は認める。

2 同2の事実のうち、被告が職場を変えたことは認めるが、その余は争う。被告は、昭和三六年に自動二輪車を運転中転倒して膝に大怪我をし、昭和三八年までその治療をした。その後、被告は、○○○運輸、○○伸銅所、○○興業、○○○交通などに約二年ずつ勤務し、昭和四五年一〇月から上尾市内の○○自動車教習所に技能検定員として勤務し、昭和五四年から埼玉県大宮市内の○○自動車教習所に移つて勤務している。

3 同3(一)の事実は否認する。

4 同3(二)(1)の事実のうち、被告が身体障害者と認定されたことは知らない。その余の事実は、脳血栓の原因を除き、認める。

5 同3(二)(2)の事実は否認する。被告は、原告が病気入院中は、勤務を三か月間休んで病院に寝泊りし、看護にあたつた。給料は、全部開封せず、原告に手渡した。

6 同3(三)(3)の事実は否認する。被告が家を出たのは昭和五五年五月二五日であり、その動機は、暫く別居して冷却期間を設け、夫婦間の調整をはかりたいと考えたからである。原告が同月二六日か二七日の夜、被告の実家に来て泣いて謝り、被告の実母が「家に帰つてやれ。」と言うので、被告は帰宅した。ところが、原告は夫婦間の今後のことを話合う姿勢はなく、謝るから帰つてくれといつた状態ではなかつたので、被告は絶望し、次の日から再び帰宅しなくなつたのである。

7 同4(一)は争う。

8 同4(二)の事実は認める。

9 同4(三)の事実のうち、本件土地を昭和三八年三月一九日に原、被告で働いて貯めた金で購入したことは否認し、その余の事実は認める。右土地は昭和三七年九月か一〇月ころ購入し、昭和三八年八月か九月ころそこに本件建物(一)、(二)を建築した。土地購入代金は鴻巣市の被告所有の家を売却して得た金を充て、また右建物は○○住宅で借金して建て、完成後被告が月賦で返済した。

〔反訴について〕

一  反訴請求原因

1 本訴請求原因1を引用する。

2 原告は、以前から身体が弱く、常に自分のことのみを考える非常に我侭な性格であり、病性が強く、ヒステリー状態になることがある。また、異常なほど嫉妬深い性格である。

原告は、夫婦喧嘩の腹癒せに飼い犬に熱湯をかけたり、就寝している被告の枕元で出刃包丁を突きつけたり、被告の勤務の制服をボロボロに引き裂いたりした。また、原告は、被告の職場に告げ口をし、被告が職場にいられないようにした。

3 被告は、原告の右のような態度に対しても、原告がすぐ興奮するため冷静な話合いもできず、我慢した生活を送つていた。しかし、被告は、昭和五五年五月二五日、遂に意を決し、暫く別居して冷却期間を設け、夫婦間の調整をはかりたいと考え、ただこのことを原告に言うと何をされるか分らない状態であつたので、原告には告げずに、同日、職場からそのまま被告の実家に直行した。ところが、原告は、同月二六日か二七日の夜、原告の身内三人と共に被告を尋ねて実家へきて、その場で色々と話しがあつた。しかし、原告の身内からも原告に対し、「それではお前が悪いよ。」ということになつた。その際、原告は泣いて謝り、これを見かねた被告の実母が、「私の顔を立てて家に帰つてやれ。」とまで言うので、被告はそれならと考え直し、その日の夜一二時ころ帰宅した。ところが、自宅には被告のものが片付けられて全く何もなく、座敷に座つて「灰皿は」と聞くと、原告はこちらも見ずに「おもて」と言うだけであつたので、仕方なく被告は外の暗い中から手さぐりで灰皿を探し出した。家に帰つてから原告は夫婦間のことを話合う姿勢はなく、謝つて帰つてくれという状態ではなかつた。被告は絶望し、次の日から再び帰宅しなくなつた。

4 以上の次第で、原、被告の婚姻生活はすでに破綻し、右婚姻生活には民法七七〇条一項五号の婚姻を継続し難い重大な事由がある。

よつて、被告は、原告との離婚を求める。

二  反訴請求原因に対する認否

1 請求原因1の事実は認める。

2 同2の事実は否認する。

3 同3の事実のうち、被告が昭和五五年五月に原告に告げずに家を出て被告の実家に帰つたこと、その後、被告が一日だけ帰宅し、再び家を出て以来帰宅しないことは認め、その余の事実は否認する。

4 同4の主張は争う。

第三  証拠<省略>

理由

第一本訴請求について

〔離婚請求について〕

一<証拠>によれば、原告と被告は、昭和三〇年二月一一日から同棲し、同年一二月二〇日に結婚式を挙げ、昭和三二年六月八日に婚姻届を了した夫婦であることが認められる。

二<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができる。すなわち、

1 原告は、昭和二九年夏ころ、新聞配達中の被告から声を掛けられたことから同人と知り合い、交際をするうち同人との結婚を決意し、親の反対を押し切つて昭和三〇年一月ころ被告と結納を交わした。当時、被告の父一郎は○○新聞販売店で営業し、被告も一郎と共に働ていた。昭和三〇年二月一一日被告は一郎と共に千葉県成田市内の新聞専売所で働くことになつたが、同専売所に女手がないため、原告は被告や一郎から、結納も済ませたことであるから、成田に来て手伝つて欲しいと言われた。そこで、原告は、右同日から成田の専売所にご飯炊きかたがた住み込み、被告と同棲するに至つた。右専売所は狭い仮屋のような建物で、ガス、電気も十分でなく、炭火をおこして食事を作り、井戸から水を汲んでくる生活であつた。原告と被告は、毎朝三時から四時ころ列車が運んでくる新聞を取りに行く作業、いわゆる「紙あげ」と称する作業に従事した。その後、一郎が昭和三〇年七月に埼玉県鴻巣市内の○○新聞専売所に移つたのに伴い、被告も原告も同専売所に住込むことになつた。そこでも、原告は朝二時か三時ころに起きて、列車が線路ぎわに置いていく多量の新聞をリヤカーで取りに行く紙あげの仕事に従事し、紙あげが終わるとすぐに新聞にチラシを入れたり折つたりし、その後新聞配達をしたり食事の世話をするなど目まぐるしく働いた。

2 被告は、昭和三六年の冬、自動二輪車を運転中に転倒して膝に大怪我をし、昭和三八年前半ころまで治療を続けた。そのころ、原告と被告は、埼玉県上尾市○○二九四番地のアパートに二人で住み、原告が子供服のミシン縫いや新聞配達等の内職をし、原告の実家の援助を受けて生計を維持していた。被告は、膝の怪我が治つた昭和三八年後半から、○○○運輸、○○伸銅所、○○興業、○○○交通などに約二年間位ずつ勤めて職場を転々と変え、漸く昭和四五年一〇月から上尾市内の○○自動車教習所に技能検定員として勤務するようになつたが、被告は原告に給料の一部しか渡さず、家計は依然として苦しかつた。

以上の事実を認めることができ<る。>

三そこで、次に離婚原因のうち、被告の不貞行為について判断する。

<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができる。すなわち、

1 被告は、昭和三一年七月ころ、埼玉県鴻巣市内の前記○○新聞専売所において、雇つていた女中に後から抱きつき、キスをし、スカートに手を入れているところを原告に発見され、原告が女中に家に帰れと命じたことから騒ぎになり、女中の親や女中を世話した人と話合をしたが、その際、被告が女中を二階に引き摺り上げて関係を持つたことなどを理由に女中側から慰藉料を請求され、当時の金で金三〇〇〇円を支払つた。

2 また、被告が昭和四一、二年ころ、○○○○興業のバスの運転手として勤務していた際、車掌に無理矢理関係を迫つたことが車掌の訴えで会社に知れ、同社を解雇された。

3 その後も原告と被告は、昭和四三年から昭和四六年ころにかけて、被告の女性関係について度々口論し、原告は被告に対し強い不信感を抱くに至つた。

以上の事実を認めることができ<る。>

四次に、被告の悪意の遺棄について判断する。

<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができる。すなわち、

1 被告は、昭和三二年ころ、鴻巣市内の○○新聞専売所で働くようになつたころから、些細なことで度々原告と口論し、原告に暴力を振うようになつた。このころ、原告は肺浸潤と診断され、三か月程実家に帰つて静養したが、被告の暴力行為はその後も止まず、昭和三三年ころには、原告を殴つてその手首の骨を折り、翌昭和三四年ころには、原告に時計を力一杯投げつけて額に五針も縫うような大怪我をさせ、更に、重い新聞の包みを原告の腹に投げつけたり、足で蹴つたりした。

2 原告は、昭和四六年ころ、体に変調を生じ、血液のバランスが悪いと診断されて約一か月間入院し、その後昭和五一年六月ころ、子宮癌に罹患していることが判明し、子宮体腫瘍と診断され、同月三〇日、埼玉県北足立郡伊奈町所在の埼玉県立がんセンターにおいて子宮全摘出手術を受け、その治療のため昭和五三年三月まで通院し、その間の昭和五二年八月一二日、原告は、それまでの過労や心労が重なつたためか、脳血栓と診断され、同日から同年九月一七日まで、上尾市仲町○丁目○番○○号医療法人○○病院に入院したが、結局、右半身不随になり、昭和五五年八月五日、埼玉県から脳血栓による右半身機能不全を理由に身体障害者第四級と認定された。現在、原告は右手が使えず、右足も利かないため歩行困難で、歩行するには杖が必要な状態である。

3 このような身体障害者である原告に対し、被告は十分な看護をせず、女性問題で原告を悩ませ、原、被告間に口論が絶えず、夫婦関係は次第に悪化して行つた。被告は原告に対し、「俺のものは全部やるから離婚しろ。」と怒鳴ることもあつた。その後の昭和五五年五月下旬ころ、被告は突然家を出、帰宅しなくなつた。その数日後、原告の兄や姉、被告の母親の説得で原告は一旦帰宅したが、一日で家を出、以来一度も帰宅せず、生活費の送金も一切していない。原告は、二世帯入居可能な本件建物(二)のアパートのうち一世帯分(他の一世帯分は日当りが悪く長期間空家のまま。)の家賃一か月金二万五〇〇〇円の収入と原告の親族からの借金で辛うじて生活し、日常の買物等は半身不随で不自由なため、右アパートの住人の好意に縋つてこれを頼んでいる。

以上の事実を認めることができ<る。>

右認定の事実によれば、被告は昭和五五年五月以来、半身不随の身体障害者で日常生活もままならない原告を、そのような不自由な生活、境遇にあることを知りながら自宅に置き去りにし、正当な理由もないまま家を飛び出して長期間別居を続け、その間原告に生活費を全く送金していないものであり、被告の前記行為は民法七七〇条一項二号の「配偶者を悪意で遺棄したとき。」に該当するものと言わざるを得ない。したがつて、原告が被告との離婚を求める本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がある。

〔財産分与請求について〕

一<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができる。すなわち、

1 原、被告の婚姻後に取得された財産として、現在、被告所有名義の本件土地及び本件建物(一)、(二)がある。

2 右土地は昭和三八年三月一九日に購入したものであるが、その購入資金は被告所有名義の鴻巣市の店を売却した代金をもつてこれに充て、被告所有名義に登記をした。しかし、右売却した店は、原、被告が同棲後の昭和三〇年七月以降、鴻巣市に住居を定めるようになつた後、○○本社から借金して購入し、その後、夫婦の協力により、一郎を通じて右借金を返済したものであつた。

また、本件建物(一)、(二)は、原、被告が昭和三八年九月に○○住宅相互株式会社のローンで建築し、被告所有名義で登記したものである。ローンの支払は月額五万円であつて、原、被告の働いて得た収入から支払い、完済した。本件建物(一)、(二)は、品等が中の下位で維持管理の状況は普通程度であり、大きな損傷箇所は認められないものの、経年相応の摩滅・破損・老朽化が認められる。本件建物(一)は六畳、四畳半、D・Kの平家建てであり、本件建物(二)は一階が四畳半とD・K、二階が六畳一間の建物が二戸分一棟として建てられている。現在、右二戸のうち一戸のみが賃料一か月金二万五〇〇〇円で賃貸され、他の一戸は日当りが悪く、長期間空家になつている。本件土地は巾員約三メートルの市道に対し、巾員平均約二・三メートル、長さ約九・二メートルのいわゆる旗竿部分(路地状部分)をもつて接面する路地状敷地であつて、本件土地(二)は高圧線下地の制約を受けていたものであり、その地上建物に借家人が居住していることや土地の地形などから、右土地建物の換価は必ずしも容易ではなく、困難な要因が多いものと推認されるところ、右土地及び右建物(一)、(二)の評価額は合計金三八〇〇万円相当のものと認められる。なお、右土地建物は長年固定資産税等を滞納していたため差押えを受けている。

3 原告は、現在、月に二、三度がんセンターなどに通院し、治療を続けており、被告から昭和五五年五月の家出(その際、被告は本件土地及び本件建物(一)、(二)の権利証と被告の実印、印鑑登録証を自宅に置いて行つた。)以来全く送金がなく、本件建物(二)の前記賃料で辛うじて生活している。

4 被告は昭和四五年に自動車教習所の技能検定員の資格を取得し、現在、○○自動車教習所に勤務して、安定した収入を得、一人で生活している。

以上の事実を認めることができ<る。>

二右認定の事実に前記〔離婚請求について〕認定した事実を合わせて判断するに、本件土地及び本件建物(一)、(二)の財産形成に対する原告の寄与は、原、被告の同棲・結婚を通じ、原告が家事のほか新聞専売所の仕事を手伝い、被告が昭和三六年に交通事故に遭つて稼働できないときや、その後被告が職場を転々と変えていた当時は、新聞配達やミシン縫いの内職をするなど健康を害する程に働いて家計を支え、ローンの支払い等をしていたことが推認され、本件土地及び同建物(一)、(二)の少なくとも半分の財産形成に寄与したものということができる。そして、原告は、現在、日常生活も不自由な右半身不随の身体障害者であり、被告から一切送金がないため、本件建物(二)のアパートの賃料一か月金二万五〇〇〇円の収入で辛うじて生活し、親族から借金をしていること、一方、被告は自動車教習所の技能検定員の資格を有して安定した職を得、一人で生活していることと対比し、かつ、被告の前記不貞行為に対する慰藉料並びに将来の生活の不安が極めて重大な身体障害者である原告の離婚後の扶養の面など一切の事情を考慮するときは、本件離婚に伴う財産分与として、原告に本件土地及び本件建物(一)、(二)を給付するのが相当であると考える。

第二反訴請求について

一原告と被告が昭和三〇年二月一一日から同棲し、同年一二月二〇日に結婚式を挙げ、昭和三二年六月八日に婚姻届を了した夫婦であることは、前記理由第一、〔離婚請求について〕の一に認定したとおりである。

二反訴請求原因3の事実のうち、被告が昭和五五年五月に原告に告げずに突然家を出、自宅に帰らなくなつたこと、その数日後、原告の身内の者や被告の母親の説得によつて原告が一旦自宅に帰つたがまたすぐに家を出、以来一度も帰宅せず、五年以上もの長期間別居の状態にあることは、前記理由第一、〔離婚請求について〕の四に認定したとおりである。しかしながら、反訴請求原因2の事実及び同3のその余の事実については、右主張に副う被告本人尋問の結果は<証拠>に照らしてにわかに措信し難く、他に右事実を認めるに足りる的確な証拠はない。

三もつとも、前記理由第一、〔離婚請求について〕において認定した事実によれば、原、被告の婚姻生活は互に愛情と信頼感を失い、加えて長期間の別居生活を経たことにより、すでに破綻しているものと認めることができる。しかしながら、右認定事実によれば、右破綻原因は被告の不貞行為や悪意の遺棄に起因するものと認められるところ、このような離婚原因をつくつた有責配偶者からの離婚請求に対し、相手方がこれを拒んだ場合には、かかる離婚請求は許容することができないものと解するのが相当である。

そうであるならば、被告の反訴請求は理由がないものと言わざるを得ない。

第三結 語

以上によれば、原告の本訴請求はいずれも理由があるからこれを認容し、被告の反訴請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官河野信夫)

第一物件目録

(一)所在 埼玉県上尾市愛宕三丁目

地番 一七四四番二

地目 宅地

地積 三四二・三七平方メートル

(二)所在 右同所

地番 一七四四番七

地目 宅地

地積 五六・四三平方メートル

(三)所在 右同所

地番 一七四四番八

地目 宅地

地積 二五・五五平方メートル

第二物件目録

(一)所在 埼玉県上尾市愛宕三丁目一七四四番地二

家屋番号 一七四四番二

種類 居宅

構造 木造瓦葺平家建

床面積 三六・三六平方メートル

(二)所在 右同所

家屋番号 一七四四番二の二

種類 共同住宅

構造 木造瓦葺二階建

床面積

一階 三三・〇五平方メートル

二階 三三・〇五平方メートル

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