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浦和地方裁判所 昭和63年(ワ)535号 判決 1990年6月29日

原告 甲野太郎

被告 国

右代表者法務大臣 長谷川信

右指定代理人 玉田眞一

<ほか八名>

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金一三〇万円を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  原告は、昭和六二年四月に国立大学埼玉大学に入学し、平成元年六月まで在学し、昭和六二年度、同六三年度同大学教養部において教養課程の講義を受けた。

2  原告は、昭和六二年度の同大学教養部教養課程の講義を受けるについて、次のような各違法行為によってその教育を受ける法的利益を侵害された。

① 同大学の教授、講師らは、同大学教養部規程で定められたカリキュラムどおりに一講義九〇分で毎週の決められた時間に講義を行うべき義務があるのにこれに違反し、毎講義時間に一〇分ないし二〇分余りの遅刻をし、また予告なしに休講を行った。

② 同大学は、同大学教養部規程において、大学設置基準によれば計算上二・八単位しか与えるべきでない通年四二時間の講義に四単位を与え、また、同基準より一か月以上少ない三〇週の講義期間を定める等大学設置基準に反する定めをし、各教授、講師はその定めに基づいて講義を行った。

③ 同大学の教養課程の法学の講義を担当した乙山講師は、内容の適切なテキストを用いて内容に偏りのない講義を行うべき義務があるのにこれに違反し、客観的論証のない偏見を記載した同講師執筆のテキストを用いて講義を行った。

3  原告の前記2の各違法行為によって受けた損害は、金一〇〇万円で慰謝されるのが相当である。

4  また、原告は、在学期間中に授業料として金三〇万円を支払ったから、その返還請求権を有する。

5  よって、原告は被告に対し、国家賠償法第一条に基づく損害賠償金一〇〇万円と原告が在学期間中支払った授業料金三〇万円の合計金一三〇万円の支払を求める。

二  請求の原因に対する認否反論

1  請求の原因1は認める。

2  請求の原因2について

請求の原因2①は否認する。②の大学設置基準によれば、埼玉大学は二・八単位与えるべきところを四単位与えていたとの主張は争う。③のうち、乙山講師が原告主張の記載のあるテキストを用いて講義をしたことは認めるが、その余は争う。

国立大学は、教育、研究を目的とするところとして、国が設置し、必要な人的物的施設を有する総合体としての営造物であるから、国の設置した国立大学と学生の間には公法上の営造物利用関係が生ずるが、この関係は、国立大学という営造物の主体が学校設置の目的達成に必要な範囲と限度において、学生に対し包括的に服従すべきことを内容とするいわゆる公法上の特別権力関係であり、国立大学の学生は、入学の許可により、当該大学の教育を受け、公の営造物たる大学の施設・設備を利用しうる権利を付与された者に過ぎず、大学は所定の課程の履修を強制しているものではないから、そもそも原告はその主張のような法的利益を有しない。

3  請求の原因3は争う。

4  請求の原因4は争う。授業料は学生の身分を取得・維持し、所定の課程を修了するために納入されるのであるが、原告も学生たる身分を取得し、所定の課程を受講しうる地位を与えられていたのである。したがって、原告はそもそも授業料の返還を求めることができないといわざるをえないのみならず、埼玉大学学則においては明文の規定をもって既納の授業料については入学を辞退した一定の者以外の者には還付しないと定めていることから、その返還を求めることができないことは明白である(埼玉大学学則三六条一項・二項)。

第三証拠《省略》

理由

一  慰謝料請求について

1  請求の原因1は当事者間に争いがない。

2  しかしながら、本件においては、国立大学における教育にかかわる諸事項が慰謝料請求の請求の原因として掲げられているため、それらに基づく請求が司法審査の対象となるかどうか、対象となるとしてもいかなる配慮のもとに判断すべきかが問題となる。

まず、請求の原因2①の主張について検討するのに、国立大学は学術の研究と学生の教育を目的として設けられている研究教育施設であるから、これを構成する教授等も大学の右の目的に沿ってその責務を果たすべきことは当然である。

しかしながら、大学における学問の自由を確保するためにはいわゆる大学の自治が認められるべきことは多言を要しないところ、教授等の休講・遅刻について第一次的に裁判所がその適否を判断することは右の大学の自治の理念にもとるといわざるをえないから、教授等の休講・遅刻等についての対応はまず教授会等の大学機関に委ねられており、裁判所は、その対応(作為もしくは不作為)が前記大学設置の目的に照らし著しく社会観念に反し、学生の営造物利用権(国立大学は公営造物である)を侵害したとみられる場合に違法と判断すべきことになると解するのが相当である。

この見地から本件をみると、《証拠省略》をあわせれば、原告主張のように埼玉大学において教養課程の講義を担当する教授等にある程度の休講や遅刻があったことは認められるが、《証拠省略》をあわせれば、休講・遅刻等については補講するかどうか等を含め教授の自律自主に委ねられており、教授会等として格別の対応をしていないがさして支障は生じていないことが認められ、右不作為が大学設置の目的に照らし著しく社会観念に反する程度に至っているということを認めるに足りる証拠はない。

また、請求の原因2②の単位数に関する点は、原告の法的利益とどうかかわるのか明らかでないから、慰謝料請求権を発生させるような利益侵害を理由づける事実たりえないというほかない。

さらに、請求の原因2③の点については、憲法により保障されている学問の自由には大学おける「教授」、すなわち教育の自由も含まれており、講義内容の当否は批判能力を有することが期待されている学生や同僚の批判に専ら委ねられるべきであり、事柄の性質上司法審査の対象外と解するのが相当である。

3  そうすると、原告の被告に対する慰謝料請求は理由がない。

二  授業料の返還請求について

1  原告は、埼玉大学在学中授業料として合計金三〇万円を納付したことは弁論の全趣旨によりうかがわれる。

2  しかしながら、原告が授業料返還請求権を有しないことは、被告の主張するとおりである(《証拠省略》によれば、埼玉大学学則三六条一項、二項に既納の授業料は返還しない旨の定めがあることが認められる。)。

三  結び

以上のとおりで、原告の請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小笠原昭夫 裁判官 伊東正彦 稲元富保)

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