浦和地方裁判所熊谷支部 昭和33年(わ)232号 判決 1958年12月23日
被告人 新井栄作
主文
被告人を懲役参年に処する。
但し本裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予する。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は昭和十二年頃から秩父市大字山田二千二百八十五番地に店舖をかまえ雑貨商を経営していたが、家業を承継すべき二男富重郎(当四十年)が被告人と共に働くことを嫌つたため、昭和二十五年頃右店舖を富重郎に譲り、妻なみ、四男益太郎等と共に本籍地に別居し、同所において右益太郎をして新たに雑貨商を経営させ、自らはその手伝をしていたものであるところ、前記富重郎は所謂道楽者で十八歳の頃既に女遊びを覚え、右独立前にもしばしば売上金を持ち出して遊興に浪費し、その希望により独立した後も一、二年間真面目に仕事をしたゞけで、その後は常時家を外にして家業を怠り、売上金や商品を持ち出しては酒色の費用に充て、借財を累ねて商品の仕入先に対する支払にも窮する状態となり、前記益太郎に対しても経済的に多大の迷惑をかけ、又些細のことに激怒して妻子にあたり散らしこれがため再三離婚話が持上り、被告人等らの度重なる注意に対しても耳を藉さず益々その度を加えるのみで、一族近親を極度に困惑させていたところ、昭和三十三年六月二十九日昼食の仕度が悪いとの理由で又も妻トウを罵倒し、同女が身体に対する危険を感じて被告人方に逃れるや「出て行つたものは帰る必要がない」と称して帰宅した同女を追返す挙に出たゝめ、翌三十日朝富重郎方において仲人中島好男を交えてその解決方を協議することゝなり、被告人が同日午前六時四十分頃富重郎方を訪れ、階下七畳半の間に就寝中の同人に対し起床を促したところ、矢庭に被告人の下腹部を蹴飛ばしたので、こゝに被告人の平素の富重郎に対するうつせきした感情が一時に激発し、一家の将来の幸福のためにはむしろ富重郎を殺害してその患を除くに如かずと決意し、傍にあつた子供用野球バツト(昭和三十三年押第五十三号の一)を振つて横臥中の同人の頭部および背部等を数回強打し、因て同日午後一時四十分頃、同市東町千百三番地健生堂病院において脳損傷(蜘網膜下出血ならびに脳挫創)により死亡せしめて殺害の目的を遂げたものである。
(証拠の標目)(略)
(法令の適用)
被告人の判示所為は刑法第百九十九条に該当するので、所定刑中有期懲役刑を選択し、被告人を懲役参年に処し、本件犯行は判示の如く被害者の行為により誘発された偶発的なものであること、証人北村貞雄、同新井なみ、同新井トウに対する各尋問調書によれば被告人はもともと真面目な性格の持主で、今日に至るまで他人の非難を受けたことがないこと、被害者の遺族(妻と幼児三名)は二百万円を越える借財の整理と今後の生活の確立のために専ら被告人の助力を必要とする実状にあることが各認められるので、以上の事実や高令であること等の情状を考慮し、刑法第二十五条第一項第一号に従い本裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予することゝし、よつて主文の通り判決する。
(裁判官 秋葉雄治 大矢根武晴 篠原昭雄)