浦和地方裁判所熊谷支部 昭和38年(モ)120号 判決 1964年1月30日
債権者 森澄江
債務者 森毅
主文
一、当裁判所が債権者・債務者間の昭和三八年(ヨ)第一号一時扶養料支給仮処分命令申請事件について同年二月六日になした仮処分決定を認可する。
二、訴訟費用は債務者の負担とする。
事実
一、当事者のもとめる裁判
(一) 債権者は主文第一項通りの判決をもとめた。
(二) 債務者は、「主文第一項記載の仮処分決定を取り消す。債権者の本件仮処分申請を却下する。」との判決をもとめた。
二、債権者の主張
(一) 債権者と債務者とは昭和三四年二月二四日婚姻した夫婦であり、その間に長女智子(本件仮処分申請当時二歳五ケ月)、長男亘(同一歳五ケ月)の二子を儲けた。債権者は債務者および右の二子とともに債務者の住居地に同居し、債務者は医師として昭和三四年四月一〇日以来その住居地で医院を開設してきており、その収入により生活費、子供の養育費など婚姻から生ずる費用を分担していた。
(二) ところで、債務者は最近にいたりその父母とともに債権者を追出して離婚することを策し、右三名はしつこく債権者に対して暴力、罵言雑言を加えるなどのいやがらせをしてきたが、昭和三七年一一月二五日にいたり、債務者はその父母とともに何らの理由もないのに債権者に暴行を加え、強制的にその住居から追出すにいたり、そのため債権者はそのさい漸く連れてゆくことのできた亘とともに債権者の両親方に寄寓し債務者と別居することを余儀なくされている。
(三) しかし右両親方は四畳半間一室であつて、ここに債権者と亘が同居することは殆んど不可能であるから借家の必要がありまた生活費(亘の養育費を含む)なども必要であるところ、債権者にはこれらの出費にあてるべき収入もないのであるから、この急迫した状態を防ぐため、本案の主張に先立ち、債務者に対し、仮に、一、新たに借家をなすにつき支払うべき礼金(権利金)、手数料などとして金二〇万円、二、前記の昭和三七年一一月二五日以来本件仮処分申請にいたるまでの生活費などとして金五万円、三、右申請後の債権者と亘との生活費として一ケ月金三万円、四、借家した場合の家賃として一ケ月金二万円、の支払をもとめ本件仮処分申請におよんだところ、これに対し当庁において本件仮処分決定により「債務者は債権者に対し仮に金二万一、〇五五円および債権者との婚姻継続中昭和三八年二月から毎月末日限り債権者に対し仮に各金二万一、〇五五円を支払うべきこと」を命じたのであるが、少くともこの仮処分決定は維持さるべきであるからその認可をもとめる。
三、債務者の答弁
債権者から債務者に対し、債権者主張のような仮処分の申請がなされこれに対し本件仮処分決定がなされたことは認めるが、この決定は家事審判規則に定める家事審判前の仮の処分の対象と同一の事項を対象にしているところ、これに対し一般の保全処分を認める余地はないから、本件仮処分申請はそれ自体不適法として却下さるべきものである。しかるにこれを適法としたうえ債務者に対し金銭の支払を命じた本件仮処分決定は極めて不当であるから、その取り消しと右申請の却下をもとめる。
四、疎明関係<省略>
理由
一、債権者から債務者に対する本件仮処分の申請が、民法七五二条による扶助の義務ないし同法七六〇条による婚姻から生ずる費用の分担について仮の地位を定める仮処分命令をもとめていることはその主張自体から明らかである。そしてこれらの権利の実現は一般の民事訴訟手続によることができず家事審判法第九条一項乙類一号または三号により家事審判手続(または家事調停手続)によつてなされることもまた明らかである。かような家事審判事件(ないし家事調停事件)を本案として民事訴訟法上の一般の仮処分(保全処分)をなしうるかについては周知のように見解の分れるところでありこれを消極に解する見解が多いようであるが、当裁判所はこれに従うことができず積極説をとるのを相当と考える。この両説はそれぞれその論拠も一様でないので以下に消極説の主な論拠に検討を加えながら当裁判所の見解の要旨をのべる。
まず家事審判事件については家事審判規則による審判前の仮の処分が認められており、これには執行力があるから、この他に一般の仮処分を認める理由も必要もないとする見解がある。もとよりこの審判前の仮の処分に執行力が認められるとすれば右の帰結は自然ともいえるのであるが、この執行力を認めることについては理論的にも種々難点があるうえ実際的にもそれが無力化していることが指摘されており、この見解は現在では支持しえないところというべきであるから採用できない。なお、審判前の仮の処分に執行力がないとしながらもこの他に一般の仮処分を認めるとすれば審判前の仮の処分の規定は無用であるばかりでなくむしろ徒らに法律関係を煩雑にする有害な規定といわざるをえないから一般の仮処分は認められないとする見解もあるのであるが、しかし両者がその効力を全く異にしまた規定の趣旨や手続も同一ではないのであるから、それぞれの事案に応じてそれに適当な方法をとることは必要ではあつても、無用ないし有害ということはできない。このようなことは他にもたとえば民事調停法による調停前の仮の処分とともに一般の保全処分の許されるような例もあるのである。ただし、家事審判規則の審判前の仮処分についての規定が甚だ不十分であつて問題の解決を困難ならしめていることは認めざるを得ないのであり、これが立法的解決がまたれるところであるが、そのことは別の問題といわねばならない。したがつてこの見解も妥当でない。
つぎに本件における債権者主張の権利をも含めて家事審判事項とされているものはその本質上非訟事件でありそれは家事審判によつてはじめて具体的な権利が形成されるものであつて、それ以前においては保全されるべき具体的な権利がないから一般の仮処分は許されないとする見解がある。まず権利の具体性については一般の仮処分において保全さるべき権利を右のように厳格に解するのは相当でなくその権利の存在が一応認められる程度で足りる(東京高等裁判所昭和三五年四月二八日判決、下級裁判所民事裁判例集一一巻四号九五四頁以下、同裁判所同年五月二六日決定、同裁判例集一一巻五号一一六〇頁以下参照)と解すべきであるから右の見解は採用できない。つぎに非訟事件に属するから一般の仮処分が許されないとする点について考える。訴訟事件と非訟事件との区別については見解が多岐に分れその帰一することを知らない位であつてしかくかんたんなものではない。立法上従来訴訟事件手続で処理されたものが新たに非訟事件手続で処理されることになるのは珍らしくなく、その反対のばあいも皆無ではない。形式上訴訟手続によるものの中にも性質上非訟事件とされるものがありまた反対のばあいもあるといわれている。このように一般に非訟事件といわれるもののうちにも訴訟的性格の濃いものから典型的な非訟事件にいたるまで種々のものがあり実定法による手続的区別は理論的なそれよりも法政策的なそれであるばあいが少なくなく、また時には便宜的な色彩を免れない。したがつてある事項について民事訴訟法上の一般の仮処分の適用による保護を認めるか否かにあたつては、その事項が訴訟事件手続によることになるかあるいは非訟事件手続によることにされるかのみによつて画一的に定まるとするのは形式的にすぎる見方であつて、その実質的性質、従前の法律的取扱などおも慎重に考慮したうえで、その性質が訴訟事件と同視しうるか少くともこれに準じ得るばあいであるならばその適用を考慮するのをむしろ相当とするであろう。このような見地から本件債権者主張のような権利(このほか一般の親族間の扶養も同様)を見るに、その本質が非訟事件というよりはむしろ訴訟事件(いわゆる真正訴訟事件)と見るべきではあるまいかとの疑いがないわけではないが、その点はしばらく措くとしても少くともその性質が訴訟的性格の濃いものであることは否定できない。さらに右の事項は家事審判法制定以前は民事訴訟事件として訴訟手続によつて処理されこれに対し一般の仮処分の許されていた沿革があるのでありそのことは実質的にも理由のあることである。しかして右の事項が家事審判法の制定により訴訟事項から家事審判事項に移されたことによつてその性質が変つたものであるとか、また一般の仮処分による権利保護の必要がなくなつたものであるとかと見ることはできないのであつて、ただ戦後の法制の分化の一環として家事審判によつて処理するのを合目的的と考えられてこれに移されたものであろう。すなわち実質が変つたからではなく主として技術的な見地からの変更と解せられる。このような実質的理由と沿革からすればこれらの事項は性質上訴訟事件と同視できるから少くともこれに準じ得るものとして一般の仮処分の適用(または準用ないし類推適用)を認めるのをむしろ相当とする。もしそうでなく反対に解するとすれば、右の沿革からしてこのような事項については実質的理由なくして、従来認められた法的保護を剥奪される結果となろう。要するに家事審判事件(手続)は非訟事件(手続)であるということから、直ちに一般仮処分の適用が全く排除されるとするのは形式的にすぎ妥当な見解とはいえないと考えられる。
つぎに、一般の仮処分の本案は民事訴訟の対象であることを要するのに、家事審判は家庭裁判所の管轄に専属し、地方裁判所(または簡易裁判所)は管轄権を有しないからかような民事訴訟たる本案を欠くものに対して一般の仮処分は許されないとする見解がある。後の特に戦後の法制の改革を知らない現行民事訴訟法の規定の文言が本案として民事訴訟を予想するような体裁をとつていることに不思議はないが、しかし従来においても狭い意味の民事訴訟以外のものに本案の適格が認められた例は稀でないうえ戦後の法制の改革を経て法律生活の複雑多様となつた今日において、なお本案を民事訴訟の対象となるものに限らなければならないとするのは窮屈すぎる見方であろう。仮処分(保全処分)が本案との関係で重要なことは本案が形式的に民事訴訟の対象となるかどうかではなく終局的には債務名義による権利の実現を保全することである。そうだとすれば家事審判により債務名義を形成するもの(その執行は民事訴訟法にしたがつて行われる)についてもまた一般の仮処分を認めるべき理由があるというべきである。したがつて家事審判は本案たる適格を欠くとする見解にも賛成できない。
以上のような理由から当裁判所は消極説にしたがうことができず、積極説をもつて正当と考える。なお、同じく積極説にたちながらその管轄を家庭裁判所とする見解もあるが、このような特別の管轄を認めるだけの理由はないと考えられるからやはり地方裁判所(または簡易裁判所)で取り扱うことで足りると考えられる。
二、そこで本件仮処分申請の当否を考えるに、まず債権者の主張(一)の事実(当事者の身分、家族、婚姻費用の分担など)は債務者において明らかに争わないからこれを自白したものとみなされる。その余の債権者主張の事実は弁論の全趣旨(債務者提出の陳述したものとみなされない準備書面参照)によれば、債務者において争つているというべきであるが、債権者の本人尋問の結果、これによりいずれも成立を認める疏甲第二ないし第五号証、同第六号証の一ないし三、同第八号証によれば一応これを認めることができ、これによれば本件仮処分決定で認めた限度(それは債務者に対し本件仮処分命令申請時以後の債権者と亘の生活費(住居費とも)の仮の支払を命じたものと解される)においては被保全権利と必要性の疎明があるというべきであるから、これと同趣旨の判断をした本件仮処分決定を認可することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 渡辺達夫)