浦和家庭裁判所 昭和47年(少ハ)2号 決定 1972年3月08日
少年 M・H(昭二八・一・二三生)
主文
少年を昭和四八年一月二二日まで特別少年院に継続して収容する。
理由
本件申請の要旨は「少年は昭和四六年二月二五日、浦和家庭裁判所に於て虞犯保護事件により中等少年院送致決定(収容期限は決定の日より一年間)を受け同年三月二日茨城農芸学園に入園したが同園職員の指示に反抗的な態度をとるなどの問題行動も多い上に、同年四月一九日より同七月一二日までの間に、暴力、自傷、逃定企図等の事故をあいついで起したため、処遇の適正を期する目的で、同年八月四日小田原少年院に移送された。
しかしその後も少年には自己の欠点を改めようとする積極的な意欲がみられず、日常生活は規律節度にかけ、職員に注意されるとかえつて反抗的な態度をとるなど、少年院の指導に親しまない点が認められる。
また官物(タオル)破損や、煙草持込、同授受等の反則行為もあつて、少年に対する矯正教育も現状では、その目的を達したとは認め難く、その処遇段階も現在ようやく「二級の上」で、このまま順調に経過したとしても、「一級の上」に進級するのは、本年七月頃と予想され、原決定で決められた満期(昭和四七年二月二四日)までにはとうてい必要な教育過程を履修させることは不可能である。又右教育過程を滞りなく履修し退院したとしても少年の入院前のボンド、シンナーの嗜好の程度からすると、退院後再びその悪癖に陥る危険が心配されるし、少年の家庭の受入れ態勢も現状では父親の病気等の理由で十分とは認められないから、少年については退院後も特に保護観察を付して引続き日常生活の指導と環境調整を行なうことが必要であり、そのためには昭和四八年一月二二日までの収容継続を申請する」というにある。
しかして当家庭裁判所調査官の調査ならびに審理の結果によれば、少年が右申請要旨にあるとおりの送致決定に基づき、茨城農芸学園を経て、小田原少年院に在院している事実、および収容期間が昭和四七年二月二四日限り満了することが認められるところ、少年には右申請要旨にあるとおりの性格上の欠陥が存するほか、昭和四六年四月一九日暴力、自傷、逃走企図により謹慎二〇日、三級降下、同年五月一四日自傷により謹慎一〇日、同二六日生活態度不良により謹慎一〇日、同年七月一二日暴力により謹慎一五日、同年一二月二四日生活態度不良、官物破損により謹慎三日、昭和四七年一月三〇日、煙草持込、同不正授受により謹慎五日の各処分を受けたことがあるなどして、その犯罪的傾向が未だ矯正されていないことが認められるので、なお一層の矯正教育を施し、性格改善をはかり本人の自覚を促して社会適応性を養うことが必要であるが、順調に経過すればおおむね本年七月中には「一級の上」に進級し、一〇月中には仮退院が可能とのことであるからその後の保護観察期間も考慮すると、収容期間を昭和四八年一月二二日までとして前記特別少年院に継続して収容することが適当である。
よつて少年院法第一一条第四項に則り主文のとおり決定する。
(裁判官 千葉庸子)