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浦和家庭裁判所 昭和59年(少)5452号 決定 1984年10月15日

少年 D・K(昭四五・二・二七生)

主文

本件を千葉県中央児童相談所長に送致する。

少年に対し、昭和五九年一〇月一五日から向う一年間に六〇日間を限度として強制的措置をとることができる。

理由

(申請の趣旨)

少年は、昭和五八年一二月二〇日以降国立教護院武蔵野学院に入所中のところ、同学院の指導に従わず、無断外出を繰り返すのみでなく、外出中は窃盗(侵入盗)を累行し、遊興に耽つていたもので、その怠情かつ意志薄弱にして、強い遊興への関心・浮浪傾向はいまだに矯正されず、今後同学院において少年の性行を改善するためには、必要に応じて行動の自由を制限して内省の機会を与え、精神面の強化を図ることが肝要である。よつて強制的措置についての許可を求めるため、本件申請に及ぶ。

(当裁判所の判断)

関係記録によれば、申請の趣旨のとおりの経緯が認められるほか、少年は昭和五八年四月一二日千葉県立教護院生実学校に入所したが、その後無断外出を繰り返すため、同年一一月二五日四〇日間の強制的措置についての許可をえて、上記のとおり武蔵野学院に入所することとなつたものであること、同学院においては、昭和五九年五月中において既に少年に対し同許可の期間全部につき強制的措置をとつてしまつていること等の事実が認められ、さらに関係記録によつて認められる少年の家庭の保護能力・少年の性格行状等の諸般の事情にかんがみると、少年の健全な育成と更生を期するためには、今後も引続き武蔵野学院において教護教育を受けさせることが適切な措置であると認められるとともに、その実効を期するため、同学院において主文の限度で強制的措置をとることを許可することが相当であると認められるから、少年法一八条二項を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 鈴木健嗣朗)

〔参考一〕強制的措置許可申請書

中児第一五五号

昭和五九年七月九日

千葉家庭裁判所長殿

千葉県中央児童相談所長

児童の強制措置の申請について

下記児童は現在、国立教護院「武蔵野学院」に措置し指導中であるが性行不良にて改善がみられず強制措置が必要なため申請いたします。

一 児童名 D・K(昭和四五年二月二七日生)

二 本籍 千葉県市川市○○×丁目×番

三 保護者 D・N 続柄 父

四 住所 東金市○○××-××

五 強制措置の理由

本児、生実学校より国立教護院へ措置変更後も無断外出を繰り返し、罪償感乏しく自制心に欠け性行の改善の徴候がみられず必要に応じ行動の自由を制限して内省の機会を与え、精神面の強化を図るため。

六 強制措置期間 通算九〇日間

七 参考書類 武蔵野学院関係書類の写し<省略>

八 備考 貴所にて昭和五八年度少第三八三〇号虞犯事件、同第四一三二号強制的措置許可申請事件で取り扱いケース

〔参考二〕強制的措置許可決定(千葉家 昭五八(少)三八三〇、四一三二号 昭五八・一一・二五決定)

主文

この事件を千葉県中央児童相談所長に送致する。

少年に対し、昭和五八年一一月二五日から一年間で通じて四〇日間を限度として、強制的措置をとることができる。

理由

第一本件強制的措置申請の要旨等

1 申請の要旨

少年は、昭和五八年四月一二日千葉県立教護院生実学校に措置入所になつたが、その後九回の無断外出・外泊を重ねて同教護院における指導に従わず、現状では同所での教育が不可能であるから、少年に対し、強制的措置をとることの許可を求める。

2 本件各事件の関係等

標記のとおり、少年にはいずれも千葉県中央児童相談所長の送致にかかる虞犯保護事件(第三八三〇号、一〇月二〇日受理)と強制的措置許可申請事件(第四一三二号、一一月一〇日受理)の二つが係属している。しかし、前者は当裁判所において同相談所に再三確認したところによれば、その真意は強制的措置の許可を求めるというものである。そして、後者の事件はこのことを明確にするため、改めて書面の提出があつたものを強制的措置許可申請として別途立件したものである(同書面において依然児童福祉法二七条一項四号の規定による追送致としているのは遺憾であるが、これを同法二七条の二による送致と解する)。従つて、当裁判所としては、その実質に従いこの二事件を併合して一個の強制的措置許可申請事件として取扱うこととする。

第二当裁判所の判断

1 少年保護事件記録、少年調査記録、児童記録(千葉県中央児童相談所)及び審判廷における少年の陳述等を総合すると、以下のような事情が認められる。

(1) 少年は北海道○○町で昭和四五年二月に出生したが、幼時に母が父と別れる等したためその後、札幌、川崎、市川、東金と転々と住居を変え、転校を繰り返した。この間の各小学校においては、家庭事情や怠学による欠席が多く、学習意欲も乏しく、放浪癖や虚言癖も認められた。昭和五七年四月には東金市立○○中学校に入学したがその後一年間の登校は半分以下であり、依然放浪する生活を繰り返していた。

(2) 少年は、昭和五六年一〇月以降、市川及び中央児童相談所において相談、指導を受けているが、昭和五八年三月九日に一時保護された後、同年四月一二日からは千葉県立教護院生実学校に措置入所となつた。しかし、五月一二日の第一回目の無断外出以降、暫くは落ちついていたものの、八月一四日以降八回にわたり無断外出を繰り返し、警察で補導されて生実学校に戻つて来てもその直後に無断外出をしてしまうという状況が続いていた。そして最後は一〇月五日から無断外出中であつたところを一一月四日警視庁○○警察署で補導され、同日当庁に出頭し、観護措置決定により千葉少年鑑別所に収容された。

(3) 少年の問題点は、行動面においては上記怠学、放浪等のほか、家からの金の持ち出し等が認められるが、家出放浪中に窃盗等をする習癖は認められず、少年がよく行くという東京都○○周辺で知り合つた人に面倒を見て貰う等(但し、少年には幼時から虚言癖が指摘されており、その陳述は全面的に信頼することはできない。また、その人というのもいわゆるゲイボーイ等であると推測される。)、一種の生命力、自活力はあるものと考えられる。また、資質、性向上の問題点としては、上記虚言癖のほか、対人不信感や情緒的傾向、遊興生活志向で、刹那的であり、耐性に欠ける等の指摘がなされているが、更に愛情欲求や承認欲求も(とくに母に対して)強いものと思われる(現時点では殆ど放任されている等のため、一種の諦観状態と思われる)。

(4) ところで、少年の保護環境をみるに、現在少年の養育をなすべき者は親権者の母であるが、頭書のとおり母は住居地外で生活しており、(夜に飲食店勤務)これまでの養育の仕方についても多分に放任的で、母自身が極めて勝手気侭な生き方をしていると言わざるを得ず、(これが、少年の行状や性格形成に著しい影響を与えたものと思われる)現状では多くを望みえない。また、その夫(少年の継父)も運送業を営んで茨城県岩井市内で稼働中であり、将来少年と共に仕事をする意志があるというものの、現状では少年の監護を委ねることはできない。

2 以上のような事情を総合すると、少年の今後の健全な育成のためには、ある程度その行動の自由を制約したうえで、家庭においてこれまでなされなかつた躾を含めての教育が必要と思料されるところ、上記のとおり、窃盗等の犯罪的な傾向は未だ認められないこと、少年の年齢等諸般の事情を更に加味して勘案すると、これらの教育は教護院においてなされるのが相当と考えられる。ただ、その行動に制約を加えることは必須と考えられるので、本件申請に基づき、強制的措置を本決定の日以降一年間で通算四〇日を限度にとることを許可すべきものと考える(当裁判所としては、少年のこれまでの行動に鑑みると上記期間では不十分のおそれなしとしないが、本件申請書には「四週間以上の」とあり、中央児童相談所に照会した結果は、「四ないし六週間位」を希望するとのことであり、これは同相談所の専門的立場からの第一次的判断であると考えられ、現時点で殊更それ以上の期間を認める必要はないと考える)。

第三よつて、少年法二三条一項、一八条二項を適用して主文のとおり決定する。なお、中央児童相談所においては、少年のみならず、その保護者の保護意欲を強め、その能力を高めるよう、関係機関等と連けいのうえ一層の尽力がなされることを期待する。

(裁判官 笠井勝彦)

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