渋谷簡易裁判所 昭和43年(ハ)354号 判決 1974年9月25日
原告 渡辺環
右代理人弁護士 宮文弘
被告 村田正子
右代理人弁護士 上野隆司
主文
原告の主位的請求及び予備的請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一、原告の申立及び主張
原告は
「(主位的請求)
被告は別紙目録(一)記載の土地のうち、別紙図面(一)表示のA点(同所宅地南西隅)より公道に沿って東方一六・三七米の地点イ及びB点(同所宅地北西隅)より北側境界に沿って東方一六・五九米の地点ロの二点を結んだ線分より五〇センチメートル以内の場所に存する別紙目録(二)記載の建物部分を収去せよ。
(予備的請求)
被告は別紙目録(一)記載の土地のうち、別紙図面(二)表示A点(同所宅地南西隅)より公道に沿って東方一六・五七米の地点P1′とB点(同所宅地北西隅)より北側境界に沿って東方一六・七二米の地点P1とを結んだ線分より五〇センチメートル以内の場所に存する別紙目録(二)記載の建物部分を収去せよ。
右いずれの場合も訴訟費用は被告の負担とする。」
との判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として
「一、原告は訴外神谷所有の別紙目録(一)記載の土地の東側を賃借しており、被告は右土地の西側を賃借しているが、右両借地は相隣関係にある。
原告の先代渡辺藤作は昭和二年二月より現地主の先代神谷久松より一二五坪五合を賃料一坪当り一ヶ月金一〇銭計金一二円五五銭にて借受けた。当時の右借地の西北端に存在した標識は現在でも残ったまゝである。ところが昭和四年一月より右借地の南側に道路が開設されることになって、原告の借地の南側は幅員約一間半程狭められる代りに、西側を一・八一八米(一間)拡げ、借地の面積は一一七坪五合(賃料一坪当り一ヶ月金一〇銭計金一一円七五銭)となった。しかして西側境界のうち北端部分(別紙図面(一)のロの地点)は前記標識より西寄り一・八一八米(一間)の地点で、被告の先代中村裕次郎が建てた塀の柱の部分であり、南端部分(別紙図面(一)のイの地点)は当時原告が設置した「土止め」の西端の地点である。この南北両端イ及びロの点を直線で結んだ線が原告の借地と被告の借地の境界である。
二、被告は、昭和四二年一二月頃、被告の借地に建物の増築工事を始めたが、右増築建物は民法第二三四条一項の規定に違反し、かつ境界線を越えて建築され、翌四三年一月に竣成した。
三、原告は、右工事の途中である昭和四二年一二月一七日被告に対し右工事を中止するよう申入れたが、被告は一両日工事を中止しただけで再び工事を進捗せしめたので、原告は同月二五日渋谷簡易裁判所に建築工事禁止仮処分命令申請(同庁昭和四二年(ト)第一一一号)をなし、同裁判所において、昭和四三年六月三日までの間数回調停が行われたが、被告は右違反事実を認めたけれども、原告も違反をしているなどの理由で工事中止を拒否し、調停は成立しなかった。
四、別紙図面(一)のイ及びロの点を直線で結んだ線が原告の借地と被告の借地の境界であることは既に述べたとおりであるが、右イ点は別紙目録(一)記載の土地の南西隅(別紙図面(一)のA点)より公道に沿って東方一六・三七米の地点であり、右ロ点は同土地の北西隅(別紙図面(一)のB点)より北側境界に沿って東方一六・五九米の地点である。
被告の前記増築は、境界線より五〇センチメートルの距離を存することを要するとの民法の規定に違反し、かつ右境界線を越えているので原告は土地所有者に代位して被告に対し右境界線より五〇センチメートル以内の場所に存する建物部分の収去を求めるものである。
仮に原告の借地と被告の借地の境界が別紙図面(二)のP1′P1を結ぶ直線であるとすると、右イ及びロを結ぶ線とは北側において一三センチメートル、南側において二〇センチメートルのひらきがあるが、被告のなした増築部分が右P1′とP1を結ぶ線分より五〇センチメートル以内の場所に及んでいることが明白であるので、原告は被告に対し予備的に右P1′とP1を結ぶ線分より五〇センチメートル以内の場所に存する建物部分の収去を求める。」
と陳述し、被告の主張事実に対する認否として
「一、賃借権を時効により取得したとの主張事実を否認する。
仮に被告の主張どおりであるとしても、その範囲は原告が予備的請求に掲げた境界線を超えることはないことが被告の主張により明かであるから、原告の予備的請求を斥ける理由とはならない。
二、原告が自動車保管用の建造物を境界線より五〇センチメートル以内に建造したとの主張事実を争い、原告の請求が民法第一条二項の規定に違反するとの主張を否認する。
三、民法第二三四条の規定と異なる慣習があるとの主張事実を否認する。」
と陳述した。
第二、被告の答弁及び主張
被告は、主文と同旨の判決を求め、請求の原因に対する答弁として
「一、第一項中別紙目録(一)記載の宅地のうち、原告はその東側、被告はその西側を賃借し、両借地が相隣関係にあることは認めるが、その余は、賃借地積を含めて争う。
原告の借地と被告の借地の境界は、少くとも、被告借地の南西隅の点から公道ぞい東側に一六・五七米の地点と被告借地の北西隅の点から積石ぞい東側に一六・七二米の地点を結んだ線である。
二、第二項中被告が、その借地上に昭和四二年頃、建物増築工事をしたことは認めるが、その余は否認する。
三、第三項中原告が昭和四二年一二月二五日渋谷簡易裁判所に建築工事禁止の仮処分命令申請をなしその事件番号が昭和四二年(ト)第一一一号であること、右事件につき昭和四三年六月三日まで司法委員による和解(調停ではない)の勧告が数回行われたが、結局不成立であったことは認めるが、その余は否認する。
四、第四項は争う。」
と陳述し、主張として
「一、仮に原告主張のイとロの点を結ぶ直線が原、被告間の境界であるとしても、少くとも昭和二〇年八月頃、被告が現に主張している原、被告間の境界線の上に板塀による垣根が存在し、被告は、その線より西側を賃借地として善意無過失の状態で占有し爾来平穏かつ公然と占有を継続していたから、その時から一〇年を経過した昭和三〇年八月に時効により右係争部分の賃借権を取得したものである。
二、仮に原告主張のとおり、被告の増築した建物部分が民法第二三四条一項の規定に違反しているとしても、原告自身自己の建造物(自動車保管用の建造物)を境界線より五〇センチメートル以内に建造して自ら民法の規定に反している。自らかゝる違反をしておきながら、そのことを留保して、被告の全く同種の民法規定の違反を主張することは、いわゆるクリーン・ハンズ(清潔な手)の原則にもとり、民法第一条二項の規定に違反するから、到底許されないところである。
三、本件訴訟事件の和解手続において、被告は、「原、被告間の境界を被告主張のとおりとし、爾後新築の場合は境界線から五〇センチメートル以上の間隔をおくこと」を主張したのに対し、原告は、五〇センチメートルの間隔をおかないで建築することを相互に容認し合うことを強く提案し、この点が右和解を不成立に至らしめた最大の原因となった。原告自身かゝる主張をしていることは、この地域においては、民法第二三四条の規定と異なる慣習が存在することを原告が自認している一資料ともなるのである。」
と陳述した。
第三、証拠≪省略≫
理由
一、請求原因事実中原告が別紙目録(一)記載の宅地の東側を、被告が同宅地の西側をいずれも賃借し、右両借地が相隣関係にあること、被告が昭和四二年頃その借地上に建物増築工事をなしたこと、原告がその主張する日に渋谷簡易裁判所に建築工事禁止の仮処分命令申請をなし、その事件番号が昭和四二年(ト)第一一一号であることについては、当事者間に争いがない。
別紙目録(一)記載の宅地が訴外神谷綾子外三名の共有に属するものであることは、≪証拠省略≫を総合して認めることができる。右の認定に反する証拠はない。
二、そこで、先ず原告の主位的請求について判断する。
原告は、原告の借地と被告の借地の境界は別紙図面(一)のイ及びロを結んだ直線である、と主張したのに対し、被告が争うので、≪証拠省略≫を総合すれば、
(一) 被告の先代亡中村裕次郎は昭和一一年六月頃別紙目録(一)記載の宅地の西側に存在する訴外三好伊平次所有の家屋を買受けて、その敷地の賃借権を譲受けたこと
(二) 被告が右家屋に居住するようになったのは昭和二〇年八月二〇日頃からであるが、当時被告の先代が既に設置した四ツ目垣が隣地(原告の借地)との間に存在していたこと
(三) 地主神谷綾子は、昭和四一年九月三日土地家屋調査士佐藤錦四郎に依頼して測量を実施したが、両借地の間に存在する右四ツ目垣を基準として行われた実測の結果によれば、両借地の境界は別紙図面(一)のP1′とP1を結ぶ直線であり、原告の借地実面積は三七九・八九m2(一一四・九一坪)、被告の借地実面積は二八〇・三三m2(八四・八〇坪)であることが明かとなったことなどを認めることができる。
右の認定事実によれば、原告の借地と被告の借地の境界は右P1′とP1を結ぶ直線であることが明白であり、また弁論の全趣旨に照し右境界線が被告主張の境界と一致するものであることが明かである。
仮に原告主張のとおり昭和四年一月頃の原告借地の西側の境界が右イ(土止めの西端で≪証拠省略≫の白線を施してある地点)とロ(≪証拠省略≫の柱の中央の地点)を結ぶ線であったとしても、少くとも昭和二〇年八月二〇日頃右P1′とP1を結ぶ線上に四ツ目垣が存在し、被告はその線より西側を賃借地として善意無過失の状態で占有し、爾来平穏かつ公然と占有を継続していたから、その時から一〇年を経過した昭和三〇年八月二〇日に、被告主張の如く右係争部分の賃借権を時効により取得したものと認めることができる。
≪証拠判断省略≫
右の次第にて原告主張の境界線は認めることができないから、これを前提とする原告の主位的請求は、爾余の判断をするまでもなく失当であるといわなければならない。
三、次に原告の予備的請求について判断する。
原告は、仮に別紙図面(二)のP1′とP1を結ぶ直線を原、被告両借地の境界とする場合でも、被告の増築建物は民法第二三四条一項の規定に違反していることが明かである、と主張し、その違反部分の収去を請求したのに対し、被告は、原告が建造した自動車保管用建造物も、民法第二三四条一項の規定に違反するから、原告の請求は信義誠実の原則に違反し許されない、と主張したので、≪証拠省略≫を総合すれば、原告が昭和三九年に建造した自動車保管用の建造物及び被告が昭和四二年一二月頃から昭和四三年一月頃にかけて増築した建物がいずれも右P1′とP1を結ぶ境界線より五〇センチメートルの距離を有せず明かに民法第二三四条一項の規定に違反している事実を認めることができる。右の認定に反する証拠はない。
案ずるに、裁判を求めてくる者は清潔な手で来なければならない。これは衡平な解決を求める者として当然に守らなければならない道理である。
原告が被告の民法規定違反を理由としてその違反部分の収去を求めるためには、先ず自己の建造物の違反部分を収去して自己の手を綺麗にすべきである。自己の違反建造物はそのまゝとし被告の同種の違反建物のみを収去せよと求めることは、法の下の不平等を要求することであって不当であり、信義誠実の原則に違反し許されないというべきである。
以上の次第であるから、原告の予備的請求も爾余の判断をするまでもなく失当であるといわなければならない。
四、よって原告の主位的請求及び予備的請求をいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用し主文のとおり判決する。
(裁判官 中村炳達)
<以下省略>