熊本地方裁判所 平成13年(行ウ)18号 判決 2008年1月25日
主文
1 第1事件
原告の請求を棄却する。
2 第2事件
本件訴えを却下する。
3 訴訟費用は,第1事件,第2事件とも原告の負担とする。
事実及び理由
第1当事者の求めた裁判
1 原告
(1) 第1事件
被告熊本県知事が被処分者Aに対して平成7年8月18日におこなった水俣病認定申請棄却処分は,これを取り消す。
(2) 第2事件
被告熊本県は,Aの疾病が水俣病であり,かつ水俣市及び芦北郡の地域にかかる水質の汚濁の影響であることを,(旧)公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法(昭和44年法律第90号)第3条1項の規定により認定せよ。
2 請求の趣旨に対する答弁(被告ら)
主文同旨
第2当事者の主張
1 争いのない事実等(後掲証拠により容易に認められる事実を含む。)
(1) 本件申請
Aは,昭和49年8月1日,被告熊本県知事に対し,(旧)公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法(昭和44年法律第90号,以下「救済法」という。)3条1項に基づいて水俣病認定申請をした。
(2) 経過
ア 被告熊本県知事は,以下のとおりAに対し医学的検査を行った。
(ア) 昭和50年9月9日 耳鼻科
(イ) 同年10月17日 眼科
(ウ) 昭和52年6月9日 耳鼻科
(エ) 同月16日 眼科
イ Aは,昭和52年7月1日死亡した。死亡診断書には,死因として,腸閉塞,腹膜炎,腎不全が記載されていた(乙24)。Aについて病理解剖は実施されていない。
ウ 被告熊本県知事は,昭和52年7月13日,Aの疫学的事実の調査を行った。
エ 被告熊本県知事は,平成6年6月13日,B病院,C医院及びD医院に対して医療機関調査を行ったが,B病院は「保存期間経過等によりカルテがない」旨回答し,C医院及びD医院は廃院となっていた。
オ 平成7年7月14日及び15日開催された第195回熊本県公害被害者認定審査会は,Aについて,医学的判定「Ⅳ.判断できる資料が揃っていない」場合に当たると審査し,その旨の答申を行った(乙29,30)。
カ 被告熊本県知事は,平成7年8月18日,上記答申を受けて,下記の理由により本件申請を棄却した(乙31,以下「本件処分」という。)。
「通常,認定申請者の疾病が,魚介類に蓄積された有機水銀を経口摂取したことによって生じた水俣病であるかどうかの判断にあたっては,有機水銀に対する曝露歴及び水俣病にみられる症候(四肢末端の感覚障害,小脳性運動失調,中枢性平衡機能障害,求心性視野狭窄,中枢性眼球運動異常,中枢性聴力障害など)の有無を調べ,昭和52年環境庁環境保健部長通知の「後天性水俣病の判断条件について」に基づいて審査が行われています。
あなたについて,以上の事項につき,第195回熊本県公害被害者認定審査会において検討したところ,有機水銀に対する曝露歴は認められますが,水俣病と判断できる資料は得られませんでした。
以上を踏まえて総合的にみると,あなたは魚介類に蓄積された有機水銀を経口摂取したことによって生じた水俣病であると認めることはできませんでした。」
キ Aの次男である原告が,平成7年10月13日,環境庁長官(当時)に対し,本件処分の取消しを求めて行政不服審査請求申立てをした(乙32)が,環境大臣は,平成13年10月29日,同審査請求を棄却する旨の裁決をした(乙42)。
2 争点
本件の争点は,①Aは救済法上の水俣病と認定されるべきか,②本件処分にはこれを取り消すべき手続上の瑕疵事由が存在するか,である。
3 争点①(Aは救済法上の水俣病と認定されるべきか)について
(原告の主張の要旨)
(1) 認定基準について
ア 救済法の趣旨
救済法は,健康上の被害について,加害者の民事上の責任とは切り離して行われるところの行政上の措置を定めたものであり,公害による健康被害が広範囲にかつ深刻に進行している状況にあって,健康被害を被った者が,法の趣旨が理解されずに救済の措置が受けられないとか,救済の措置が遅れることがないよう,迅速にかつ幅広く救済することを根本精神として据えている。
救済法は,因果関係の立証や故意・過失の有無の判定などで複雑,困難な問題が多い公害問題の特殊性にかんがみ,緊急に救済を要する健康被害に対し,民事責任とは切り離した行政上の救済措置を施すことを目的としている。
したがって,認定申請者が水俣病に罹患していると明確に診断し得る場合はもちろん,明確な診断に至らない場合でも,水俣病罹患の可能性が50パーセント以上あれば,水俣病の疑いがあるものとして,これを水俣病と認定するべきである。
イ 救済法は,有機水銀の曝露歴及び四肢末梢優位の感覚障害のある者を水俣病と認定するよう求めていること
疫学的判断によれば,有機水銀の曝露歴及び四肢末梢優位の感覚障害のある者が,水俣病に罹患している可能性は90パーセント以上である。このことは,日本精神神経学会・研究と人権問題委員会が1998年9月19日付で公表した環境庁環境保健部長通知(昭和52年環保業第262号)〔後天性水俣病の判断条件について〕に対する見解(以下「精神神経学会見解」という。)や,E大学医学部衛生学教室のF医師の水俣病問題に関する意見書(甲92「F意見書」という。)が示している。
そうすると,有機水銀の曝露歴及び四肢末梢優位の感覚障害のある者の水俣病罹患の可能性は救済法の求める50パーセントをはるかに上回っているから,救済法は有機水銀の曝露歴及び四肢末梢優位の感覚障害のある者を水俣病と認定するよう求めていると解すべきである。
ウ 救済法上の救済制度と司法による救済
救済法上の救済制度と,損害賠償請求訴訟等の司法による救済とを比較した場合,救済法上の認定という概念は,損害賠償請求訴訟上の請求認容という概念よりも,広くゆるやかなものでなければならない。
第1に,被害者が損害賠償請求訴訟において勝訴するためには,加害者及び加害行為の特定,加害行為の違法性,加害者の故意・過失の有無,加害行為と損害との間の相当因果関係の存在などをすべて充足するとの証明が必要なのに対し,救済法上の認定を受けるためには,救済法の定める健康被害(当該疾病)の存在と,当該疾病と大気汚染又は水質汚濁との間の因果関係の存在の2点さえ証明されれば足りる。
第2に,損害賠償請求訴訟における要件である因果関係の証明につき,原告がなすべき因果関係の立証の程度は,いわゆる高度の蓋然性に達していることが必要とされるのに対し,救済法上の要件である因果関係の立証の程度は,50パーセント以上であれば足りる。
したがって,少なくとも損害賠償請求訴訟上の判断基準に合致する者は,常に救済法上の認定基準に合致する者として認定されるべきである。つまり救済法は,損害賠償請求訴訟上の判断基準に合致する者を,常に当然のこととして認定するよう求めていると解すべきである。
そして,損害賠償請求訴訟上の判断基準については,平成13年4月27日大阪高等裁判所判決(以下「関西水俣訴訟高裁判決」という。)の判示した判断基準を当てはめるのが妥当である。同判決は,水俣病と認められる高度の蓋然性を充足するか否かの判断の準拠として,メチル水銀曝露に加え,以下の判断準拠を示した。
Ⅰ.舌先の二点識別覚に異常のある者及び指先の二点識別覚に異常があって,頸椎狭窄などの影響がないと認められる者
Ⅱ.家族内に認定患者がいて,四肢末梢優位の感覚障害がある者
Ⅲ.死亡などの理由により二点識別覚の検査を受けていないときは,口周辺の感覚障害あるいは求心性視野狭窄があった者
以上によれば,救済法は,少なくとも,関西水俣訴訟高裁判決の判断準拠に合致する者を水俣病と認定するよう求めていると解すべきである。
(2) Aの有機水銀曝露歴
ア A本人の有機水銀曝露歴
Aは,明治32年8月15日,熊本県水俣市G地区で出生し,大正9年の結婚後も,同地区に居住し続け,同地区を離れて生活したことはない。同地区では,昭和34年ころから猫の狂死が相次ぎ,住民の水俣病発病も頻発した。よって,Aが死亡するまで居住し続けた地域は,有機水銀に濃厚に曝露された地域である。
そして,同地区では,住民が自分たちで海産物を調達し,多く取れたときには近所同士で分け合うなどしていたのであり,食生活は都市に比べてはるかに均一化しているという事情がうかがえる。また,親類縁者間において海産物をやりとりすることは同地区ではごく普通の習慣である。さらに,地域の漁師や行商人から海産物を購入する場合も多い。A家を含む海浜の集落においては,都市住民に比較すれば,海産物の摂取が格段に多いということができる。
一方,昭和32年の熊本県水産試験場による水俣湾周辺の生物,水質,底質の調査によると,水俣湾内の日本窒素肥料株式会社(昭和25年に新日本窒素肥料株式会社が営業を承継し,昭和40年1月1日に商号をチッソ株式会社と改称。以下,各年代を通じて「チッソ」という。)の水俣工場排水口近くではカキの斃死率は100パーセントを示しており,袋湾奥部の,Aがカキを採取していた地域では50ないし60パーセントの斃死率が記録されている(甲242)。
Aは,下記のとおり昭和35年からしばらく後には,体調に変調を来しているが,その前後には,袋湾内の魚介類も相当な有機水銀による汚染を被っていたことが知られている。また,上記昭和32年の調査では,養殖まがきを籠に入れて表層と底層におろして斃死状況を調べているが,全地点において表層と底層との斃死率を比較してみると明らかに底層の斃死率が高いとされており,底層にすむ貝類等は汚染度が高いと考えられ,これら貝類等を常時摂食していたA家を含む水俣湾周辺住民の曝露度も高いものであったと考えられる。
そうすると,Aが濃厚かつ確実な有機水銀の曝露歴を有することは明らかである。
イ Aの家族の有機水銀曝露歴
平成7年の政府解決策により,水俣病総合対策医療事業による医療手帳の交付が開始されたが,同手帳交付の対象となるには,過去に通常のレベルを超えるメチル水銀の曝露を受けた可能性があり,かつ四肢末梢優位の感覚障害を有すると認められる者という要件を充足することが必要なところ,Aの家族については,原告を含む6人の子供及びAの孫に当たる,原告の次男であるIの合計7名が同手帳の交付を受けている。また,医療手帳の交付対象者には該当しないが,何らかの神経症状を有する者に交付される保健手帳を原告の妻であるJが保持している。なお,Iについては,胎児性水俣病である蓋然性が高い。このように,Aの家族には確実な有機水銀曝露歴がみられる。
以上のごときAの体調の変遷,A家の生活状況,なかんずく海産物に注目した場合の食生活状況,家畜の斃死状況,家族の曝露状況,近隣の患者発生状況,地域の曝露状況等からすれば,Aの体調異変はチッソ排水中のメチル水銀曝露の結果であると見なすのが,経験則上も妥当である。
(3) Aの症状
ア 四肢末梢優位の感覚障害
Aが,本件申請時に添付したK医師の診断書(以下「本件診断書」という。)には,「自覚的には四肢のしびれ感」,医師の客観的診断として「四肢末端に知覚鈍麻を認める」と記載してあり,D医院に勤務していたLによれば,K医師は水俣病に関して「水俣医師会で指導」を受けた「各種の検査」をし,例えば,医師の前で歩行させたり,手でつまんだり,筆でさすったりしたというのであるから,上記K医師の診断は客観的な評価であることに加えて,健康状態調査票(乙94の4)によれば,「(ア)健康状態,(9)しびれ(ビリビリ,ジンジン,ピリピリ,ジカジカ)を今までに感じたことがある,(10)しびれを現在も感じる,(11)手足をにぎったり,長い間物をもったりすると手や指にしびれが出やすい,(13)疲れたときや寒いときだけ手足がひどくしびれる,(15)しびれが感じられたのは,両側にみられた」との調査結果が記されており,これは四肢末梢に優位な感覚障害の自覚症状であると考えられる。
イ 口周囲の感覚障害
原告は,昭和34年に結婚したが,そのしばらく後から,Aは涎を垂らすようになり,昭和47年ころには庭の前でひなたぼっこしながら,ボヤーッとして,涎を垂らすなどし,原告の妻がAの首にタオルを掛けてこれで拭きなさいと言ってあげないと涎がダラッと垂れたままの状態であった。
流涎の原因としては,口腔内や口を含めた周囲の解剖学的な,あるいは機能的な異常(たとえば,歯の欠損,嚥下障害,口腔,口周囲の感覚低下,口唇の運動麻痺,意識障害)が考えられるが,口腔内や顔面の感覚を司る神経(三叉神経)の機能が正常で,その感覚が投射される大脳皮質中心後回の機能が正常ならば,たとえ,涎が出たとしても,それを自覚できるので拭う動作を行うであろう。しかし,Aの状態からすれば,Aは,自らの涎の自覚を欠いた状態であったことが推認される。
Aには顔面の麻痺等の病歴は見あたらず,かつ家族の話からも顔の歪みや,脳卒中の既往もなく,意識障害は認められていないのであるから,Aが流涎を拭おうとしなかったことは,大脳皮質中心後回の障害による口の感覚の低下や,障害に対する自覚の低下によるものと判断され,Aには口周囲の感覚障害があったものである。
(4) Aは救済法上の水俣病と認められるべきであること
ア 上記(1)ア及びイ記載のとおり,救済法の趣旨からすれば,有機水銀の曝露歴及び四肢末梢優位の感覚障害のある者は水俣病と認定されるべきであるところ,Aには上記(2)記載のとおり確実な有機水銀曝露歴を有しており,上記(3)ア記載のとおり四肢末梢に優位な感覚障害が確認できるのは明らかであるから,Aは救済法上の水俣病と認められる。
イ そして,上記(1)ウ記載のとおり,救済法が関西水俣訴訟高裁判決の判断準拠に合致する者を水俣病と認定するよう求めていることからしても,Aは救済法上の水俣病であることが認められる。
(ア) Ⅱの条件について
関西水俣訴訟高裁判決が判断準拠Ⅱの中に「家族内に認定患者がいること」という条件をつけたことの意味は,本人の曝露歴の確実性を同居家族の有機水銀曝露歴により補強・補充するという趣旨だと解すべきである。救済法においては,「家族内に認定患者がいること」という定型的な条件ではなくて,本人の曝露歴を補強・補充する意味での同居家族の曝露歴や水俣病症状をもつ者がいるという条件で十分である。
Aの家族についても,上記(2)イのとおり確実な有機水銀曝露歴がみられ,家族らが水俣病であることの可能性は十分にある。
かかる状況からするならば,家族内認定患者がいる場合に準じて,Aは判断準拠のⅡに当たるということができる。
(イ) Ⅲの条件について
Aは二点識別覚の検査を受けておらず,口周囲の感覚障害の存在と求心性視野狭窄の存在は両方とも必要とされず,どちらか一方で足りる。
そして,Aには,上記(2)アのとおり濃厚かつ確実な有機水銀の曝露歴があり,上記(3)イのとおり,口周囲の感覚障害があったのであるから,Aは判断準拠のⅢにも該当すると言うべきである。
(5) 結論
上記のとおり,Aは救済法の趣旨からして,また,関西水俣訴訟高裁判決の判断準拠のⅡ,Ⅲにも該当するから,Aは救済法上の水俣病と認定されるべきである。
(被告らの主張の要旨)
(1) 認定基準について
ア 救済法の趣旨等
(ア) 救済法による給付は,基本的には,原因者による損害賠償がされるまでの応急的な行政上の特別措置であり,被害者が加害者から損害賠償等を受けた場合には,この制度による給付に相当する額を返還させるという「立替払い」的な性格を有するものである。そして,①指定地域につき指定疾病にかかっている者であること,及び②救済法3条の規定によりその者の当該疾病が当該指定地域に係る大気汚染又は水質の汚濁の影響によるものである旨の認定を受けたこと,換言すれば,救済法の定める健康上の被害(当該疾病)の存在と当該疾病と大気汚染又は水質汚濁との間の因果関係の存在,という2点さえ証明されれば,(a)加害者及び加害行為の特定,b)加害行為と損害との間の相当因果関係の存在,c)加害行為の違法性,d)加害者の故意,過失等については,証明を要することなく,必要な給付を行うことにより,前記(a)ないしd)の要件を証明できない場合,あるいは,短期消滅時効等により加害者に対する損害賠償請求が棄却される場合であっても給付を受ける余地があるという意味において,司法制度による解決と比較して,より迅速かつ広い範囲にわたる救済を図るものであり,社会保障的性格を併有するものであるということができる。
一方で,救済法による救済制度は,公害問題の特殊性を背景とする社会的必要性から制定されたものであるから,政策的な面を有するものでもあり,①指定地域及び指定疾病が政令により一義的に定められていること,②社会保障的な性質を併有する給付であることから,支給要件も一義的に定められている上,その前提として認定制度が存在するのであって,救済法による救済の範囲は,法令の規定により政策的に定められている。
(イ) 救済法による給付の対象
救済法施行令1条別表6は,認定業務の対象とすべき疾病については「水俣病」とのみ規定しており,「水俣病」がいかなる疾患であるかについては具体的に規定していないところ,疾病としての「水俣病」という概念は,医学上の「水俣病」以外にはあり得ないから,同規定は,医学的にみて水俣病と診断し得る者を認定の対象とすることを明らかにする趣旨であると解するのが相当である。また,上記救済法の趣旨からも,救済法に基づく給付を受けるためには,「水俣病」に罹患していることが必要であることは当然である。したがって,救済法における「広い救済」といっても,飽くまでも医学的にみて水俣病に罹患していると判断し得るものが対象であり,医学を無視した無限定なものではない。
そして,水俣病の個々の症状は,それぞれ単独では一般に非特異的であるので,水俣病であるか否かの判断においては,専門家による総合的かつ多角的な検討に基づく蓋然性の判断が必要となる。
したがって,「水俣病の疑いがあると判断される,ぎりぎりの限界的な事例」とは,医学的にみて水俣病である可能性が,水俣病でない可能性を上回る場合を限度とするものというべきであるし,また,そのような「限界的な事例」を含めて認定するためには,都道府県知事は疫学的調査及び指定医療機関等による医学的検査を実施し,公害被害者認定審査会(以下「審査会」という。)等に諮った上で,認定申請に対する処分を行うことが必要とされているのである。
イ 水俣病の判断条件の医学的正当性について
(ア) 水俣病は,メチル水銀が神経系を障害することにより,主要症候として各種の神経症状を呈する疾患である。また,主要症候は,それぞれ単独では非特異的であり,他の疾患によってもそれらの症候を来す場合があるため,水俣病の診断は,メチル水銀によって引き起こされる各種の症候の組合せから,メチル水銀による神経系の障害を推定するという症候群的診断によらざるを得ないのである。
また,メチル水銀による神経系の障害では,障害を受けた部位に対応する症候が必ずしもすべて出現するとは限らないのであるから,どのような症候の組合せがあれば,メチル水銀の影響が推定できるかが検討されなければならない。
(イ) そこで,環境庁は,昭和50年に,熊本県,鹿児島県,新潟県及び新潟市の認定審査会の委員等,水俣病の専門家17名からなる水俣病認定検討会を設置し,水俣病の範囲に含めて考えられる症候の組合せを整理し,臨床上の診断基準に当たる具体的な水俣病の判断条件を定め,その結果を,昭和52年7月1日付で環境庁企画調整局環境保健部長通知「後天性水俣病の判断条件について」(以下「52年判断条件」という。)として示した。
環境庁は,昭和60年に水俣病の判断条件に関する医学専門家会議を設け,52年判断条件についての医学の専門家の意見を求めたところ,現時点では,現行の判断条件により判断するのが妥当であるとの意見を得た。
(ウ) 52年判断条件は,水俣病に関する学識経験豊かな医師による検討を経て成立したものであって,医学的知見に基礎を置き,適切かつ妥当であることは医学の専門家の間でコンセンサスが得られているものである。
(2) Aの症状について
ア 自覚症状
(ア) Aが昭和49年8月1日に認定申請を行った際の認定申請書の「健康状態の概要」欄には,「手足のしびれ,歩行の不自由,よだれが出る,味が良くわからない」と記載されている。
(イ) 本件申請の際に提出されたK医師作成の本件診断書の「傷病名」欄には,「病名不詳 自覚的には四肢のしびれ感,歩行のゆらつき,流涎があり,血圧162~80粍水銀柱。四肢末端に知覚鈍麻を認める。水俣湾の魚介類を多食していたとの訴えから精査を必要と考える。」と記載されている。
(ウ) 熊本県が昭和52年7月13日にAの次男夫婦に対して実施した疫学調査記録(乙24)には,「S47年頃から味がしなくなったと訴えだし,足が痛い為,Mのマッサージに通っていた。この頃から毎日,ボヤーッとして座っている日が多くなりだす。」と記載されている。
(エ) 環境庁特殊疾病審査室が平成8年11月8日に原告らを審尋した際の審尋録取書(甲3)には,「亡Aの症状等」として,「よだれを垂らしながらボヤーッとしていることがあった。」,「食事を自分でつくっていたので,味をみせてもらったところ,ものすごい味付けになっていた。聞いてみたところ,辛いのかあまいもわからない,口の中が何も感じないといっていた。」,「耳は遠く目も悪かった。」,「歩き方もおかしかった。」と記載されている。
イ 検診結果
Aについて,客観的で公正な検診結果として得られているものは以下のとおりである(乙28の1)。
(ア) 求心性視野狭窄について
ゴールドマン視野計による検査において,左右ともに視野狭窄及び視野沈下は認められない。
(イ) 中枢性障害(眼科,眼球運動異常)
眼球運動検査の結果,滑動性追従運動障害で軽度の異常が認められるが,中枢性眼球運動障害のもう一つの重要な判断要素である衝動性運動で異常が認められない。
(ウ) 中枢性障害(耳鼻科,後迷路性難聴の聴力障害)
純音聴力検査の結果,感音性難聴のパターンが得られているが,聴覚疲労現象は認められず,更に語音聴力は正常範囲であることから,後迷路性難聴は認められない。
(エ) 平衡機能障害
視運動性眼振検査と眼振検査が実施されている。眼振検査では異常はみられず,視運動性眼振検査の結果は,水平方向はデータ不良であった。ここにいうデータ不良とは,非注視のときによくみられるパターンであり,異常を示すデータが得られたという意味ではない。視運動性眼振検査の垂直方向については,Aが頭がふらふらして気分が悪くなったため,検査を続行できず,データが得られなかった。
(3) Aに対する判断
Aには,下記のとおり水俣病であることを示す症候が認められない。
ア 四肢末梢優位の感覚障害
Aについては,上記四肢末梢優位の感覚障害の存在を裏付ける客観的で公正な検診結果は得られていない。「四肢末端に知覚鈍麻を認める。」と記載された本件診断書等,自覚的な神経症状に関する資料は存在するものの,それらは,いずれもAの自覚症状を聴取して録取されたものにすぎず,客観的な検診に基づくものとはいえない。
したがって,医学的に客観性のある認定資料は不十分であり,Aに四肢末梢優位の感覚障害は認められない。
イ 運動失調
Aには,運動失調に関しても,客観的で公正な検診結果は得られていない。また,本件診断書にも,運動失調についての記載はない。
以上によれば,Aについては,運動失調は認められない。
ウ 平衡機能障害
上記眼振検査では異常がみられなかったこと,視運動性眼振検査では水平方向がデータ不良で,垂直方向のデータが得られていないことからすれば,平衡機能障害は医学的に確認できていないといわざるを得ない。
なお,本件診断書には「歩行のゆらつき」との記載があるが,本件診断書においては,どのような検査を実施したかについて何ら記載されておらず,そもそも「歩行のゆらつき」が医学的に平衡機能障害を示すものともいい難い。
したがって,Aについては,平衡機能障害は認められない。
エ 求心性視野狭窄,中枢性障害(眼科,眼球運動異常)及び中枢性障害(耳鼻科,後迷路性難聴の聴力障害)
上記(2)イの客観的で公正な検診結果に照らせば,Aについては,求心性視野狭窄(両側性),中枢性障害(眼科,眼球運動異常)及び中枢性障害(耳鼻科,後迷路性難聴の聴力障害)は認められない。
オ 審査会は,Aについて得られた疫学的調査結果,検診結果を基に,眼球運動で滑動性追従運動に軽度異常,衝動性運動には異常なしとの所見が得られているが,求心性視野狭窄及び後迷路性難聴は認められず,平衡機能障害は確認できず,感覚障害及び運動失調については資料が得られていないことから,被告熊本県知事に対し「判断するための資料がそろっていないため判断できない」旨の答申を行った。被告熊本県知事は,上記答申を受けて,本件処分を行った。
以上のとおり,Aには水俣病であることを示す症候が認められないのであるから,本件処分の内容に違法性はなく,本件処分に取消原因はない。
(4) Aの症状の発症時期とメチル水銀汚染の影響
ア 一般に,発症閾値のある中毒物質による中毒症状は,中毒物質を生体内に取り込んだ後,その蓄積量が発症閾値を超えなければ発症することはない。そして,蓄積量が発症閾値に達しない段階で中毒物質の摂取を中止すれば,その後,蓄積されていた中毒物質は体外に排出されるから,蓄積量は減少することになる。したがって,中毒物質の蓄積量が発症閾値に達しない段階で摂取を中止すれば,それ以後,同中毒物質を原因とする症状が発症することは考え難い。
イ 水俣病はチッソ水俣工場のアセトアルデヒド生産工程から排出されたメチル水銀を中毒物質とする中毒症状であるところ,漁業関係者を含めた水俣市住民の頭髪水銀濃度は,同工場からのメチル水銀化合物の排出が止まった昭和43年以降は昭和30年代半ばに比べ大きく低下しており,昭和44年以降他の地域と同程度になっている。また,昭和48年ないし昭和60年に剖検された水俣地区在住者の臓器内メチル水銀濃度は,大脳,小脳,肝臓,腎臓とも対照地区(茨城県)と同程度まで低下しているとの調査結果がある。加えて,出生児の臍帯中水銀濃度も,昭和30年から昭和35年ころをピークに年々低下し,昭和43年以降は非汚染地域の濃度と同程度に至った(乙108)。
ウ ところが,Aの認定申請書によれば,Aに「手足のしびれ」,「歩行の不自由」,「よだれが出る」,「味がよくわからない」という症状が出現し始めたのは,昭和49年1月末ころであるとされている。
したがって,Aについては,水俣湾周辺地域に濃厚な汚染のあった昭和33,34年から約15年も経過し,かつ,頭髪水銀濃度の調査対象集団における一般住民や漁業関係者の同濃度の最大値が発症閾値を大きく下回った昭和43,44年から約5年を経過した昭和49年ころになって初めて症状が出現したというのであるから,その症状が水俣湾におけるメチル水銀汚染の影響によるものである可能性は,極めて乏しいものである。
エ なお,原告は疫学による因果関係の立証を主張する。しかし,疫学は,個体差を一切考慮せず,集団の統計的特徴に基づいて健康障害の要因を推定していく学問的方法論であるから,個人を観察の対象とし,個体差を常に考慮する臨床医学において,この疫学的手法を利用することにはおのずから限界があり,疫学研究のみの結果に基づいて病気の原因を決定することは不可能であるといえる。
(5) 他疾患との鑑別
仮に,Aが四肢末梢優位の感覚障害,運動失調,平衡機能障害等の水俣病にみられる各種の症候のいずれかを実際に有していたとしても,これらの症候はそれぞれ単独では非特異的であり,他の疾患によってもこれらの症候を来たす場合がある。具体的には,四肢末端ほど強く現れる感覚障害は主なものを挙げただけでも,急性感染症,栄養障害(脚気等),内分泌障害(糖尿病等),代謝障害(尿毒症等),重金属・有機溶剤中毒,薬剤の副作用及び悪性腫瘍に伴う感覚障害があるほか,原因不明のものも多い。また,運動失調,平衡機能障害,眼球運動障害及び難聴は,腫瘍,多発性硬化症等の脱髄性疾患,各種中毒,血管障害,各種の変性疾患等の疾患で認められ,いずれも水俣病に特異な症候とはいえない。
したがって,仮に,Aが上記のような水俣病にもみられる各種の症候を実際に有していたとしても,上記のような様々な疾患との鑑別診断を行う必要があるのであって,直ちにAが水俣病であるなどということはできないところ,Aについてかかる鑑別診断はされていない。
4 争点②(本件処分にはこれを取り消すべき手続上の瑕疵事由が存在するか)について
(原告の主張の要旨)
(1) 本件処分についての手続的瑕疵
被告熊本県知事が,Aにかかる病院調査及び民間資料収集を意図的に放置した事実は,被告熊本県知事が負う資料収集義務に違反している。そして,被告熊本県知事がAの認定申請に対する処分を行うまでに21年間を要した事実は,被告熊本県知事の意図的な不作為によるものであって,救済法の求める迅速なる救済に違背するものであるから,本件審査手続の極度の遅延は,それ自体違法であり,重大な瑕疵として,実体の判断をするまでもなく,本件処分は取り消されて,Aは水俣病として認定されるべきである。
(2) 資料収集義務違反について
ア 資料収集義務の存在
(ア) 救済法は,公害により健康被害を被った者を迅速かつ幅広く救済することを根本趣旨とする一方,認定申請後,検診が未了のうちに死亡し,解剖検査も実施されなかった者(以下「未検診死亡者」という。)の取り扱いについては明示する規定を置いていない。しかし,未検診死亡者にとって,生前に受診していた病院のカルテは認定審査にあたり不可欠の資料であるところ,このカルテがなければ,審査が行われずに放置される,仮に審査が行われるとしても,判断するための資料が決定的に不足しており,申請者に不利な処分が出される(まさにAはこの場合に該当する)など未検診死亡者に不利な取り扱いがなされる事態となる。病院調査による資料収集は,救済法が内在する本質的な義務と言うべきである。
(イ) 水俣病の認定業務の運用上,とくに留意すべき点につき,52年判断条件は,「認定申請後,審査に必要な検診が未了のうち死亡し,剖検も実施されなかった場合などは,水俣病であるか否かの判断が困難であるが,それらの場合も曝露状況,既往歴,現疾患の経過及びその他の臨床医学的知見についての資料を広く集めることとし,総合的な判断を行うこと。」と明示している。
さらに『水俣病の認定に係る業務の促進について』(昭和53年7月3日環境事務次官通知)も上記通知の趣旨を再確認している。
(ウ) カルテ(診療録)については,刑法134条1項により医師には守秘義務として刑罰を伴った法的義務が課せられているので,これが第三者の目に触れ得るのは,裁判所の命令,捜査機関の要請などの極めて例外的な場合である。
したがって,水俣病の認定審査業務において,被告熊本県知事が病院調査,カルテ調査を行い得るというのは,極めて異例の重要な手続であり,水俣病事件の重大さ,認定審査の重要性を基礎とするものである。
そして,この調査権は被告熊本県知事のみが独占的に行使できる権限である。
(エ) Aと同時期に認定申請を行い,その後亡くなった未検診死亡者について,被告熊本県知事は病院調査を実施しており,その結果,認定審査にとって重要で有益な医学的データを収集している(甲10,11)。
(オ) 以上から,未検診死亡者について病院調査を行い,カルテなどの資料を収集することは,被告熊本県知事に課せられた義務である。
イ B病院への調査とその結果
(ア) 被告熊本県知事は,上記1(2)エのとおり,Aの死亡から17年経過した後の平成6年6月に病院調査に着手し,B病院に対して同月13日付で文書照会したところ,「保存期間経過等によりカルテがない」(乙26)との回答があり,資料を収集することができなかった。
(イ) 原告は,Aの死亡後,毎年Aの命日前後に熊本県水俣病相談所に電話をかけ,「審査はどこまで進んでいるのか」,「処分を急いでほしい」旨の申し入れをしていた。
これに対し,同相談所は,「検討中」と答えるのみで,被告熊本県知事は,審査の進捗状況の説明,審査-処分を早めるための具体的措置をしていない(乙43ないし50)。
被告熊本県知事は,カルテの法定保存期間が5年であることを当然認識していたのであるから,早期の段階で病院調査を実施するのはもちろん,少なくともAが生前受診していたB病院やD医院に電話をかけ,カルテの保存を依頼することができたはずなのに,かかる対応をした形跡はみられず,被告熊本県知事の病院調査にかかる放置,怠慢の事実は明白である。
(ウ) なお,被告熊本県知事は,Aの死亡から病院調査に着手するまでに17年が経過した理由につき,当時,熊本県が抱えていた未処分者が膨大であったことによると述べる。
しかし,被告熊本県知事は申請者に対し処分をする義務を負っているところ,被告熊本県知事が処分を怠った結果,未処分者が発生したものであるから,未処分者の数が膨大であるからといって,被告熊本県知事が免責される根拠とはならない。
また,水俣病のような大事故,大環境汚染で被害者が多大にのぼることは当然であり,行政は被害人口が膨大であればある程,それに沿った対策を立てるべきであって,未処分者の人数は手続遅滞の理由とはならない。
ウ D医院への調査とその結果
被告熊本県知事は,平成6年6月,D医院の調査に着手したが,既に廃院となっていた(平成4年3月31日廃院)ため,カルテを収集することができなかったと主張する。
しかし,D医院の院長であったK医師は,同院の廃院後は自宅の倉庫にカルテ等を保管していたが,法定の保存期間の5年を経過した平成9年ないし10年ころ,同カルテ等を焼却処分した。
被告熊本県知事は,平成6年6月にD医院の廃院を確認した時点で同医院への調査を打ち切り,同医院への問い合わせはもとより,カルテの保存現場の調査,カルテの有無の確認などの追跡調査を行わなかったが,平成6年6月当時には,Aのカルテが保存されていたのは確実であり,被告熊本県知事が調査を打ち切らず追跡調査を行っていれば,カルテを収集できた可能性は極めて高いから,調査の方法・内容に重大な誤りがあったと言うべきである。
エ C医院への調査とその結果
被告熊本県知事は,平成6年6月,C医院の調査に着手したが,既に廃院となっていた(平成5年9月23日廃院)ため,カルテを収集することができなかったと主張する。
しかし,C医院についても,D医院と同様に,被告熊本県知事が平成6年6月にC医院の廃院を確認した時点において,Aのカルテが保存されていた可能性がなかったとはいえないのであるから,追跡調査をするべきであったのに,それを怠り,カルテを収集できなかったのであるから,調査の方法・内容に誤りがあったと言うべきである。
オ 昭和59年8月に計画されていたB病院への調査とその結果
(ア) 昭和59年8月24日の熊本県公害部長の決裁によれば,同月28日に,熊本県公害部首席医療審議員NをB病院に派遣し,Aの調査を実施する旨の決裁がおりていた。
しかし,同決裁に基づき,実際にNがB病院に赴き調査を行ったか否かについては明らかではない。
そこで,上記病院調査を実施した場合及び実施しなかった場合のそれぞれにつき,認定審査の手続上いかなる問題点があるかを述べる。
(イ) 上記病院調査を実施した場合について
昭和59年8月の時点では,Aの死亡後7年しか経過しておらず,またB病院の公的機関としての性格上,この時点において,Aの生前の症状,臨床経過を記したカルテなどの資料が同病院に保存されていた可能性は高く,調査を実施すれば資料が得られた可能性も高い。
被告熊本県知事は,上記病院調査の実行にかかる復命書や調査票が存在しないと主張するが,これは,当該資料の中に被告熊本県知事にとって都合の悪い情報(Aが水俣病に罹患していた事実をうかがわせる情報)が含まれていたからこそ,調査票等を作成しなかったか,あるいは作成したとしても廃棄処分にしたと推測せざるを得ない。
そうであるとすれば,水俣病認定業務に不可欠な資料を故意に隠滅したのであるから,手続上の重大な誤りというべきである。
(ウ) 上記病院調査を実施しなかった場合について
病院調査について,公害部長の決裁がおりていれば,当然同調査を実施するのが原則であり,部長決裁がおりていながら実施しないというのは,極めて異例の事態であり,これは被告熊本県知事に都合の悪い事情があったため調査を実施しなかったと考えるのが合理的である。
そうであるとするならば,被告熊本県知事は,上記病院調査について,部長決裁までなされていたにもかかわらず,自らの都合で故意に実施しなかったものであり,病院調査の放置が意図的なものであることを裏付けるものである。
カ 未検診死亡者全体に対する病院調査の実施状況と被告熊本県知事の方針
(ア) 被告熊本県知事は,昭和50年10月,昭和51年9月及び昭和53年11月には未検診死亡者2名についての病院調査を実施している上,昭和56年以降未検診死亡者について審査会に対して諮問をすること自体を中断せざるを得ない事情について,民間資料の公正性への疑問を挙げているが,その前提として,被告熊本県知事は相当数の未検診死亡者について病院調査を行い,民間資料を収集していたと推測できる。
(イ) ところが,被告熊本県知事は昭和63年11月に「検診・審査に特別の措置を要する者対策」に関し,環境庁と協議を行い,未検診死亡者については「病院調査についても,積極的に行うことはしない」との方針を合意し決定した。
この方針は,被告熊本県知事が,未検診死亡者の水俣病認定者数が増大することを危惧し,病院調査を実施すれば,未検診死亡者らの水俣病罹患の事実を示す資料を収集できることを予想していたにもかかわらず,未検診死亡者の認定率を抑え,棄却処分にして処理しようとする意図を有していたため採られたというべきである。
(ウ) そして,上記合意の2年後である平成2年3月に,被告熊本県知事は方針を一転して,未検診死亡者についての処分方針を決定し,これに従い,医療機関調査要領を定め,調査の範囲・方法について細かい規定を置くとともに,調査後の資料の取り扱いや評価の仕方も合わせて決めている。
しかし,方針が上記のように変更された合理的理由は不明である上,実際に被告熊本県知事が病院調査に着手したのは平成6年4月であるのだから,被告熊本県知事は,引き続き4年間も意図的な病院調査の放置を継続したことになる。
(エ) さらに,被告熊本県知事は,平成6年4月に77人,同年6月に172人(なお,Aはこの内の1人である。)の未検診死亡者にかかる病院調査を実施している。同年4月の調査では,医療機関に同月7日付で照会を行い,同月28日までの回答を求め,同年6月の調査では,同月13日付の照会に対して文書で同年7月1日までの回答を求めている。この調査の実態について検討するに,対象者である未検診死亡者らの通院時期や対象人数,回答期間等を考慮すれば,被告熊本県知事は,この調査によって多くの資料が得られないこと,つまりカルテの大半は廃棄されているだろうと予測していたことが十分に推認できる。
さらに,当時,被告熊本県知事にとっては,水俣病政府解決策の策定が,県行政,とりわけ水俣病行政の最重要の課題であったところ,実際の未検診死亡者数の推移をあわせ考慮すると,その障碍となる滞留する未検診死亡者を早期にかつ大量に処分しようとの意図のもとに,この集中的な調査が行われたとみるべきである。
キ 以上のとおり,被告熊本県知事は,Aにかかる病院調査を,Aの死後17年間にわたり放置し,その結果,Aの資料が収集できなかったこと,その間の放置につき被告熊本県知事を免責する事由ないし正当化する事由は存在しないこと,平成6年6月に被告熊本県知事が実施した病院調査により資料が収集できなかったのは,被告熊本県知事の調査の方法・内容に誤りがあったためであること及び昭和59年8月に計画されていた病院調査の実態が不明であることなどからすれば,Aにかかる病院調査及び資料収集についての被告熊本県知事の対応には,救済法に内在する病院調査による資料収集義務の違反があることは明らかである。そして,Aについての被告熊本県知事の対応は,未検診死亡者全体について共通しており,被告熊本県知事の,「病院調査についても,積極的に行うことはしない」との方針に基づくものであるから,被告熊本県知事の資料収集義務違反の態様及び程度は,極めて悪質かつ重大と言わねばならない。
(3) 長期間にわたる処分の遅れについて
ア 処分の遅れの実態
Aが昭和49年8月に認定申請を行ったのに対し,被告熊本県知事がAを棄却処分にしたのは平成7年8月であり,申請から21年が経過している。これは救済法が迅速な救済を求めている点,水俣病認定申請不作為違法確認に関する昭和51年12月15日熊本地裁判決が,被告熊本県が処分につき必要とする期間を2年と想定したと認定している点に照らせば,きわめて異常な事態であり,他に例を見ない行政の怠慢によってもたらされた処分の遅れと言うべきである。
イ Aの処分の遅れについては,上記昭和51年12月15日熊本地裁判決に照らし,同判決時である昭和51年12月から処分が行われた平成7年8月までの19年間にわたり,被告熊本県知事の不作為が違法であった状態が継続していたものであり,上記(2)カ(イ)のとおり,被告熊本県知事は,昭和63年11月の時点において,Aを含む未検診死亡者の審査を棚上げにし処分を先延ばしにするとの明確な方針を表明していたものであるのだから,上記不作為による違法状態は,被告熊本県知事の故意により継続されたとみるべきである。
ウ 上記のとおり,Aに対する被告熊本県知事の処分の遅れは,救済法の根本趣旨である「迅速な救済」に反することは明らかである。
(4) 本件処分は取り消されるべきであること
上記のとおり,本件処分に存在する瑕疵は,被告熊本県知事が負う,認定申請に対する処分を迅速かつ適正にすべき手続上の義務に違反するとともに,Aの持つ迅速かつ適正に処分を受ける手続上の権利を侵害するものである。
さらに,Aにみられる手続上の瑕疵は,A特有のものではなく,未検診死亡者全体の審査過程において共通にみられるものであり,いわば構造的な瑕疵と言わねばならない。
かかる瑕疵は,被害者救済を根本趣旨とする認定制度の根幹にかかわる手続の違反であり,その瑕疵を許したのでは制度自体の根本意義を喪失せしめるという意味で,結果の如何にかかわらず,処分の取消原因にあたるというべきである。このように,Aの審査過程における被告熊本県知事の手続上の瑕疵は,極めて悪質かつ重大であるから,実体上の判断にかかわらず,直ちに本件処分を取り消した上で,被告熊本県に対して,被告熊本県知事がAを水俣病であると認定するよう義務付けるべきである。
(被告らの主張の要旨)
(1) 手続的瑕疵と本件処分の取消事由
救済法3条1項は,水俣病患者認定の要件を規定しているところ,同項及びこれを受けた公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法施行令1条別表6が規定する水俣病認定の要件は,「水俣病にかかっている者」のみであり,しかも,「水俣病にかかっている者」に該当するか否かは,医学的知見に基づいて判断されるべき事柄なのであるから,「申請に対する処分の遅れ」が認定の要件となるものではない。また,本件においては,医療機関調査の段階において保存期間経過等によりカルテ等が廃棄されていたものであって,「医療機関の資料を収集できなかったこと」が棄却処分を違法とすることはない。
したがって,原告の主張する「手続的瑕疵」が本件処分の取消事由に当たらないことは明らかである。
(2) 処分手続の概要
本件処分手続が進められた当時の,熊本県における水俣病にかかる認定申請から処分に至る手続の概要は,次のとおりである。
ア 申請の受付
救済法により認定を受けようとする者(認定申請者)は,申請書を熊本県衛生部公害対策局公害保健課(当時)に提出し,これを受けた同課では,形式的審査を行った上,不備がなければこれを受理するとともに,申請者に対して受理通知を行う。
イ 調査及び医学的検査
(ア) 申請者に対し,県職員による調査及び専門医師による医学的検査である検診を行う。以上の調査及び検診で得られた資料に基づき,県の職員及び審査会委員等(審査会委員及び専門委員)により,審査会に提出する資料が作成され,審査会審査資料(以下「審査会資料」という。病理所見や後述の医療機関調査結果が加わる場合もある。)が整備された認定申請者について,知事は,同審査会に対し,審査会資料を提出して諮問する。
(イ) 救済法に基づき認定申請を行う場合,認定申請書に認定を受けようとする疾病についての医師の診断書を添付しなければならないとされている(救済法施行規則2条1項)。しかしながら,このような診断書には,内容がまちまちであったり,所見の正確性に疑問があったり,必要な所見の記録が内容として乏しいなど,公平・公正性の点で問題があるものが少なからずあるため,審査会で高度な医学的判断を行うためには,通常この診断書だけでは不十分である。そこで,都道府県知事等は,審査会の意見を聴いて定めた医療機関(指定医療機関)に委託し,又は知事等が特に委嘱した医師により,申請者に対して所要の医学的検査を実施し,その上で審査会に諮問する必要がある。
このことを水俣病についてみれば,水俣病は神経系疾患であるところ,神経症候の把握は,診察の際の患者の応答により行わざるを得ないことが多いため,その把握にはそれ自体専門的熟練を必要とする上,水俣病の症候は他の疾患にも同様に認められる非特異的なものであることから,類似症候をもたらす他疾患との鑑別も不可欠であり,この判断には高度の神経学的知識が要請される。したがって,審査会において,水俣病か否かを的確に判断するためには,豊富な知識,経験を有している医師により,公正に検診が行われることが必要不可欠であり,このような検診が行われることなくして審査会による適正な審査は期待できない。そこで,熊本県においては,所要の医学的検査を,指定医療機関に委託し,又は,豊富な知識,経験を有している専門医師に委嘱しており,これらの検診医によって検診が行われている。
ウ 審査会での審査
審査会では,各審査会委員等に,審査会資料が配布される。なお,認定申請書に添付された診断書の写しも,各審査会委員等に配布される。
そして,審査会資料に沿って,まず,担当の県職員が疫学的調査の結果を説明し,次いで,神経内科,精神科,眼科,耳鼻咽喉科等の審査会委員等が,各科の検査所見を説明した後,これらを基礎として審査会で討議を行い,水俣病に関する医学上の知見に照らして,認定申請者が水俣病に罹患しているか否かを医学的に総合判断し,知事に答申(意見)する。
なお,審査会では,環境庁から示された上記52年判断条件に基づいて審査が行われている。
エ 知事による処分
上記ウの答申(意見)を受けた知事は,水俣病と認定する旨の処分を行い,又は,水俣病認定申請を棄却する処分を行う。
オ 未検診死亡者の取扱いについて
上記イのとおり,水俣病であるかどうかを判断するための十分な資料を収集するには検診が必要であるため,未検診死亡者については,水俣病であるか否かの判断が極めて困難である。そのようなことから,未検診死亡者の処分は進まず,知事は,昭和56年以降,審査会に対して諮問すること自体中断せざるを得ない状況が続いていた。
そこで,平成2年に未検診死亡者に係る医療機関調査要領(乙19)が作成され,知事は,これに基づき,未検診死亡者が生前受診していた医療機関に対して,医療機関調査を行い,医療機関調査結果のうち,審査に関係する所見が記載されているものを参考資料として,実施済みの検診結果や疫学的調査結果を要約転記した資料(公的資料)とともに審査会に提出して諮問することとなった。
そして,審査会においては,未検診死亡者については,上記公的資料及び参考資料を審査会資料として審査を行い,その内容に従って知事に答申(意見)することとなり,答申(意見)を受けた知事は,水俣病と認定する旨の処分を行い,又は,水俣病認定申請を棄却する処分を行うこととなった。
(3) 本件処分に至るまでの経緯
Aについて本件処分に至るまでの経過は,上記第2の1(2)に記載のとおりである。
Aは,昭和52年7月1日に死亡したため,神経内科及び精神科については未検診であり,病理解剖も実施されなかった。また,後述する未処分者の滞留という特殊事情により,上記未検診死亡者の諮問中断までの間に医療機関調査が行われるにも至らなかった。なお,昭和59年当時,Aに関して,B病院に対する医療機関調査が計画されていたことはうかがわれるが,上記医療機関調査が実際に実施されたことを示す復命書や調査票等の資料は存在していないことや,当時においては,認定を現に待っている生存者の処分を優先せざるを得ない状況にあったことに照らすと,昭和59年ころに,Aに関する上記医療機関調査を実施したか否かについては極めて疑わしい。
(4) 本件処分に係る事情について
ア 本件申請当時の状況(未処分者の滞留)
(ア) 水俣病は,発生当初は医学的判断は比較的容易であるとされていた。
しかし,第1期審査会発足(昭和45年1月)のころには,申請者の示す症候が水俣病であるか否かの医学的判断は,困難となってきていた。
(イ) 昭和46年,水俣病であるか否かの判断基準として,46年次官通知が環境庁から発出されたが,同通知に示された症状があるといえるか,当該症状の発現又は経過に有機水銀の経口摂取の影響が認められるといえるかについては,なお,その判断が困難な場合が少なくなく,審査会委員の間においても意見の一致を見ないことがままあった。
また,昭和52年に,環境庁は52年判断条件を発出したが,なお医学上の判断が困難な場合が少なくなかった。
(ウ) 審査を促進するには,その前提となる検診を促進する必要があるが,熊本県においては,諸般の事情から,これら専門医の供給はO大学医学部に求めるしかなく,その確保はもともと容易でなかった。
そして,昭和48年3月,熊本地方裁判所においてチッソの水俣病患者に対する損害賠償責任を認める判決(以下「熊本水俣病第一次訴訟判決」という。)が言い渡されたこと,同年7月に水俣病患者東京本社交渉団とチッソとの間で補償協定が締結されたことなどから,それまでおおむね月30件ないし60件で推移していた申請者数が,同年4月以降約150件ないし500件と急増したため,審査会による審査促進のための改善措置にもかかわらず,未処分件数は一向に減らず,処分の遅れは一層深刻になった。
以上のとおり,申請者が急増し,これに伴い未処分件数の累計も急増したため,検診医の増員が必要となったが,O大学医学部医師は,水俣湾周辺地区住民健康調査並びに有明海及び八代海沿岸住民健康調査にそれぞれ従事したなどの事情もあって,検診に従事する専門医の確保,増員をO大学医学部に頼ることでは不可能な状態にあり,このことによる検診の遅延が,審査の遅延,さらには処分の遅延を招いていた。
そこで,被告熊本県知事は,環境庁の提案を受けて,昭和49年,未処分件数滞留の事態を打開するため,O大学のほか,九州各県の大学,国立病院の医師を動員することにより,検診医の増加を図って検診の遅延を解消することとし,同年7月と8月に約400人の集中検診を実施した。しかし,水俣病認定申請患者協議会(以下「協議会」という。)等の反対行動があり,集中検診に参加した医師らが紛争に巻き込まれたくないとして辞退の意向を示したことから,検診業務は一時停止せざるを得ず,再開時には大量の未検診数,未審査数を抱えるに至った。
(エ) 検診,審査業務の再開後は,協議会等の申請者団体の要望もあって,上記のような集中検診態勢を存続させることはできず,従来のO大学医学部中心の体制によるほかなかったため,検診数の急激な増加を図るのは困難であった。そのような状況の下において,国と被告熊本県は,検診,審査に従事する専門医の確保に努めたが,昭和53年以降再申請者が増加したこともあって,未処分件数の滞留が続いた。
以上のように,被告熊本県において未処分者が膨大となり,一県では対応し得ない問題であったことから,昭和53年10月20日,第85回臨時国会において,臨時措置法が成立し,同年11月15日に公布され,昭和54年2月14日に施行された。これにより救済法に基づく申請者で認定に関する処分を受けていない者(Aを含む。)は,環境庁長官に対し認定に関する処分を求めることができることとなった。そこで,環境庁と被告熊本県は,臨時措置法に基づき環境庁長官に申請できる者全員に対し,文書により申請の手続をするよう何度も呼びかけた。
(オ) このように,当時,国及び被告熊本県は,検診,審査態勢の充実のため,種々の施策を講じたが,これらの施策にもかかわらず,未処分件数の滞留を解消することはできなかったものである。ただし,認定の遅れによる不利益を可能な限り回避するため,申請者は,公害健康被害の補償等に関する法律10条により,応答処分がない間でも療養費を請求できるとされたことなど,種々の施策が講じられていた。
イ 未検診死亡者の処分が保留された事情
以上のような状況の下で,当時としては,未検診死亡者の処分よりも,認定を現に待っている生存者の処分を優先せざるを得なかった。
また,本来,審査会が水俣病であるかどうかを医学的に判断するには,審査に足りる資料が必要であるから,未検診死亡者は本来審査に必要な資料の一部又は全部を欠いていることになる。そして,上記(2)イ(イ)で述べたとおり,申請時診断書や検診医でない他の医療機関の資料は,内容がまちまちであったり,所見の正確性に疑問があったり,必要な所見の記録が内容として乏しいなど,公平・公正性の点で問題があるものが少なくなく,にわかに重視できるものではないため,未検診死亡者に対する民間資料(民間の病院を受診した際の資料)の使用は,処分の公正さや,未検診死亡者と生存者の間の公平(特に,検診拒否運動,すなわち,審査のために必要な資料を得るための検診医による検診を拒否する運動が激しい中で,生存者との間の取扱いの公平さは大きな問題であった。),未検診死亡者の中でも資料がある人とない人の間の公平等,水俣病認定審査制度の枠組み全体の問題と深くかかわることであった。したがって,未検診死亡者の処分は,それ自体極めて困難な問題であったのである。
このような事情から,未検診死亡者に対する処分は進まず,被告熊本県知事は,昭和56年以降,審査会に対して諮問すること自体,中断せざるを得ず,その後平成6年度に至るまでの間,未検診死亡者の処分に着手できないこととなったのであり,未検診死亡者の処分が保留されたことについては,やむを得ない事情があったのである。
ウ Aについて
Aが申請した昭和49年度末には,未処分者は2821人に上っていたが,その後も未処分者は増加の一途をたどり,Aが死亡した昭和52年度末には4731人を数え,その後,昭和53年度末,同54年度末,同59年度末,同60年度末には5000人を超えるに至った(乙51)。
このような事情の中で,被告熊本県知事は検診の促進に努め,Aの死亡までに眼科及び耳鼻咽喉科の予診及び本診は行われたが,神経内科及び精神科の検診は未了となった。しかし,上記イで述べたとおり,生存者の処分を優先せざるを得ず,また,未検診死亡者の処分は,それ自体極めて困難であったことから,Aについては,昭和56年の未検診死亡者の諮問中断までの間に医療機関調査及び諮問が行われるに至らず,その後,平成6年度になるまでは,Aを含む未検診死亡者の医療機関調査等に本格的に着手することができなかった。
(5) 以上のとおり,Aについては,申請から死亡までの約3年の間に検診が完了せず,死亡から医療機関調査が行われるまでに約17年が経過しているが,これは,当時,熊本県が抱えていた未処分者数が膨大であったことや,未検診死亡者の処分がそれ自体極めて困難であったという,やむを得ない事情によるものであったというべきであるから,このことから本件処分が違法であるなどということはできず,本件処分に取消原因はない。
第3当裁判所の判断
1 認定事実
上記争いのない事実,証拠(甲1ないし9,12ないし49,52,56,57,61ないし64,67,70,72ないし77,82,83,86,87,90ないし95,100,106ないし110,117,121,123,124,128,129,131,143,150の1及び2,151ないし161,163ないし165,167,169ないし171,173ないし182,186,187,191ないし209,218,222ないし244,乙1ないし10,13ないし27,28の1及び2,29ないし66,76ないし80,84ないし88,93,94の1ないし4,96,98の1ないし4,104ないし127,128の2,129,131,132,137の1及び2,139,142,証人P,同F,同N,原告本人)及び弁論の全趣旨によれば,次のような事実を認めることができる。
(1) 水俣病の経過
ア 水俣病は,チッソ水俣工場が,アセトアルデヒド酢酸製造工程中に副生されたメチル水銀化合物を含む工場廃水を長期かつ多量に不知火海の水俣湾及びその周辺の海域に排出した結果,魚介類が汚染され,魚介類の体内に濃縮したメチル水銀が蓄積し,地域住民が右魚介類を経口摂取することにより,人体内にメチル水銀が蓄積して罹患する中毒性疾患である。
イ 水俣病の発生状況
熊本県水俣市の,不知火海沿岸の一部地域では,昭和28年以降原因不明の中枢神経疾患患者が散発していたが,昭和31年5月1日,水俣湾沿いの漁村であるQ,R,Sに,一時に4名の脳炎らしき患者が発生し,次いで類似の症状を呈した患者が続発し,同年8月24日,O大学医学部において水俣病研究班(以下「O大研究班」という。)が組織された。
昭和34年7月14日,O大研究班は中間報告として,文部省科学研究水俣病総合研究班会議において,原因として有機水銀が有力であるとの報告を行った。この報告を裏付ける所見として,患者の尿と,解剖に付された遺体の諸臓器から多量の水銀が検出されたこと,自然発症した猫の臨床病理像は,人のそれに類似し,その臓器に多量の水銀が含まれていたこと,水俣湾産の魚介類からは,他海域に比し,多量の水銀が同定できたこと,水俣湾の海底泥に多量の水銀の含有が証明できたこと,さらに,多量の水銀を含む水俣湾産の魚介類,特にヒバリガイモドキ(ムラサキ貝)を猫に投与したところ,自然発症した猫と同様の症状を示したこと,患者の毛髪から多量の水銀が測定されたことなどがある。
ウ チッソ水俣工場からの水銀排出
ところで,チッソ水俣工場は,昭和24年ころよりアセトアルデヒドの生産を,次いで塩化ビニールの生産を始め,アセトアルデヒド等の生産量と患者発生数の間には相関性がみられた。アセトアルデヒド等の生産過程には,水銀を含む化合物が使用されていた。
昭和49年,水質汚濁防止法に基づく排水基準を定める総理府令において,暫定的規制値として,工場排水中の総水銀及びメチル水銀の許容限度は,総水銀0.005mg/l,メチル水銀は検出されないこと(定量限界0.00005mg/l)とされた。チッソ水俣工場からの排水は,昭和41年までは同基準を上回っているが,昭和43年には同基準以下となっている。また,水俣湾内産魚介類の総水銀濃度は,チッソ水俣工場からの排水が完全循環式となった昭和41年からアルデヒド生産工程が操業停止した昭和43年にかけて急激に減少しており,その後昭和49年まで暫定的規制値前後で推移している(乙96)。
そして,人体に侵入したメチル水銀は頭髪及び爪にも移行し分解されずに残留する性質を有するため,頭髪水銀濃度の測定はメチル水銀曝露量を推定する上で有用なものの一つであるといえる。我が国の一般人の頭髪水銀濃度の平均値は5ppm前後であると考えられている。一方,水俣市住民については,数回にわたって頭髪総水銀濃度の調査が行われており,調査対象集団における頭髪総水銀濃度は,昭和36年には平均35.1ppmであったが,徐々に低下し,昭和44年においては,漁業関係者で平均5.99ppm,一般住民で平均5.48ppmとなっている。なお,このときの一般住民集団の,調査時から14か月前の頭髪総水銀値は,平均で9.62ppmであった(乙96)。
(2) 水俣病の発生機序等
ア 水俣病の病理
経口摂取により人体内に侵入したメチル水銀は,主に腸管から体内に吸収され,全身の諸臓器組織にほぼ均等に分布するが,細胞の性質及び臓器の代謝機序がそれぞれ異なることから,蓄積残留しやすい組織とそうでない組織があり,特に神経細胞には蓄積されやすく,脳に侵入したメチル水銀は,中枢神経を中心とする神経系の特定部位を強く障害する。人体中,神経系以外の諸臓器に対するメチル水銀の影響はほとんど認められない。
人体内に摂取,蓄積されたメチル水銀は,ある期間を経過すると糞便等を経路として体外に排出され,人体内に残留する量が半減するが,体内のメチル水銀が半減する期間(生物学的半減期)は,人間においては39日ないし70日(平均50日)である。
長期間にわたり継続してメチル水銀の曝露を受けた場合,曝露が開始した当初には次第に体内蓄積量が増加していくが,体内蓄積量に比例して排出量も増加することから,曝露が開始して一定の期間が経過すると,一日の平均摂取量と排泄量は均衡し,体内蓄積量は増加しなくなる。生物学的計算によれば,メチル水銀曝露を開始してから約1年(350日)で一日平均摂取量の約100倍のメチル水銀が体内に蓄積され,平衡状態に達すると考えられる。
メチル水銀が人体に作用し症状として発現するのは,メチル水銀の蓄積量がある限度を超える場合であり,右限度を超えた場合には,神経系の細胞が破壊され症状が発現する。標的臓器(メチル水銀の場合は神経系)に対して毒性作用を発現させる有害物質の臓器内濃度を発症閾値というが,生体の脳内のメチル水銀濃度を直接測定することはできないことから,様々な生体資料の値等で代用した場合,成人のうち最も感受性の高い人に最初の神経症状が現れるのは,頭髪水銀濃度では52ppmであるとされている(乙67,68,96)。
また,メチル水銀曝露停止から水俣病が発症するまでの期間については,潜伏期が通常数か月にわたるが,特に高齢者について発症が遅延する例もみられ,過剰なメチル水銀曝露が停止した後,数年の後に水俣病が発症する現象が臨床医学的にはみられるが,これらは症状自体が遅発したものであるのか,以前から出現していた症状が軽症で非特異的なものであったため,水俣病と診断される時期が遅延したのか判然とせず,過剰な曝露の停止から数年以上も経過して初めて何らかの症状が出現してくる可能性は明らかではない。
イ 水俣病の病理所見
450例に及ぶ水俣病患者の剖検例(乙129別紙3)によれば,成人における水俣病の病理所見の特徴としては,①大脳においては,鳥距野の前位部,中心前回,中心後回及び横側頭回等の特定の部位に神経組織の変性が起こるが,その程度は,大脳皮質の領域のほとんどが強く傷害されてスポンジ状になるものから,脱落する細胞が30パーセントに満たないものまで多様である,②小脳では,小脳皮質において,プルキンエ細胞と顆粒細胞の2種類の神経細胞が組織から消失するが,比較的軽症の場合は特に顆粒細胞の脱落が目立つ,③末梢神経においては,感覚神経において,神経線維の減少と,発症後長期間を経た結果としての再生神経が認められる。これらの神経組織の変性から,後述する水俣病の臨床症状が発生すると考えられる。
ウ 水俣病の臨床症状
これまでの水俣病に関する文献等においては,水俣病には以下に示すような多様な症候がみられるとされている。
(ア) 感覚障害
人の感覚には,視覚,聴覚等の特殊感覚や内臓感覚を除くと,大きく分けて表在感覚(触覚,痛覚,温度覚等の皮膚あるいは粘膜の感覚),深部感覚(関節位置覚,振動覚,圧痛覚等の骨膜,筋肉,関節等から伝えられる感覚)及び複合感覚(皮膚の2点を同時に触れて,これを識別できるという二点識別覚等)が存在する。水俣病においては,これらの感覚のいずれもが低下(鈍化)するものであり,障害は左右対称性で,四肢の末端部ほど強く表れ,体幹に近づくにつれて次第に弱くなるいわゆる手袋靴下型であるが,障害の現れ方の程度は患者により様々である。口の周囲に感覚障害が出現することもある。患者は,感覚障害をしびれ感として表現することが最も多い。
(イ) 運動失調
運動失調は,筋力や深部感覚には異常がないのに,協調(運動を円滑に行うために筋肉が調和を保って働くこと)が障害されるため随意運動がうまくできず,運動の方向や程度が変わってしまい,また,体位や姿勢を保持するのに必要な,随意的もしくは反射的な筋の収縮が損なわれている状態である。運動失調は体の片側にのみ生じることもあるが,両側性に現れることもある。
(ウ) 平衡機能障害
人間の身体は,様々な動作を行う場合,どのような運動体位にあっても,身体の平衡を保つことのできる機能を有している。この機能は,主に,身体の位置に関する情報を感知し,その状態に対する反射運動を行うことで成り立っている。この平衡機能においては,深部知覚運動系と視運動系という2つの神経系,その間に介在する,位置や運動の感覚を鋭敏に感受する機械的受容器である前庭迷路を含むネットワーク,大脳,脳幹網様体及び小脳等が重要な役割を担っている。
走る車の窓から外の景色を見ているときのように,連続的に眼前に現れては視野から去っていく対象を見ている場合,眼球は外界の移動につれてその方向にゆっくりと動いているが,眼球が一定の偏位を生ずると,自動的に急速に反対側に跳躍的に動いて元に戻り,再び外界を追ってゆっくり動くが,このような運動を視運動性眼振という。視運動性眼振の発現は,視運動系のうち,視覚系路と眼球運動経路によるものであり,この神経回路の中には,前庭迷路や小脳の影響も及んでいる。
この平衡機能に生じる障害は,体幹の運動失調として認められる場合と,視運動眼振の検査により異常な眼球運動がみられる場合のように,神経耳科的な所見により認められる場合がある。
(エ) 視野狭窄
視野とは,視線を固定した状態で見える範囲であり,網膜から視中枢に至る経緯の投影であって,視路のどこかに障害があると,障害部位によって特徴的な視野の異常がみられる。眼の中心と周辺とでは,視覚の感度が異なり,中心は感度が良く,周辺部は悪い。水俣病においては,視野全体が狭くなる求心性視野狭窄及び視覚感度の低下が起きる視野沈下がみられる。
(オ) 眼球運動障害
視線を右から左,上から下へ移動させると,左右の眼球はほぼ平行して同方向に移動する。水俣病においては,ゆっくりと移動する視覚対象を眼で追従する場合,眼球が視覚対象の動きにつれて滑らかに動くことができなくなったり,追従の部分的または完全な欠如が生ずる滑動性眼球運動障害と,急速に視覚対象を変えたときに,眼球が行き過ぎたりためらいながら動いたりする衝動性眼球運動障害がみられる。
これら2種類の眼球運動障害は,両眼とも平行した乱れであるのが通常である。
(カ) 難聴
聴覚には,音を振動として伝える伝音系(外耳及び中耳部分)と,伝えられた振動を電気的な信号に換え,神経を介して聴覚中枢に伝える感音系(内耳,神経及び脳部分)が存在し,前者の障害を伝音性難聴,後者の障害を感音性難聴と称する。感音性難聴のうち,迷路(内耳部分)が傷害されることによって起こるものを迷路性難聴,内耳で変換された電気的な信号を伝達し,音として認識する聴神経から中枢(脳)までのいずれかの部位が傷害されることによって起こるものを後迷路性難聴という。水俣病においては後迷路性難聴がみられる。その他,構音障害(発声の障害等),歩行障害,筋力低下,振戦等がみられる場合がある。
エ 障害部位と臨床症候との関係
メチル水銀により脳で最も強く障害を受ける部分は,大脳の後部に位置する後頭葉であるが,後頭葉には視覚に関する機能の中枢があり,視力や視野,眼球の運動を司っている。そのうち,視力及び視野の中枢であるのは鳥距野と呼ばれる部分であるが,視野の周辺部分を司る鳥距野の前位部に病変が生じると,視野の周辺部分が見えなくなり,求心性視野狭窄が生じると考えられる。また,運動機能の中枢である大脳の中心前回の病変により,動作が緩慢になることや構音障害が,聴力機能の中枢である大脳の横側頭回の病変により難聴等の聴力障害が起こる。そして,身体のバランスを維持する機能を有する小脳の病変により,運動失調が生じる。さらに,感覚を司る大脳の中心後回及び末梢の感覚神経に病変が認められることから,感覚障害が生じると考えられるが,感覚障害に関して大脳等の中枢神経障害と,末梢神経障害のいずれの関与が大きいかについては医学的な評価は定まっていない。
(3) 認定制度について
ア 水俣病の発見から政府統一見解発表
昭和31年5月になって,脳症状を呈する患者が報告され,同様の患者が散見されることが判明したので,同月28日,水俣市医師会が中心となって患者の発見及び原因究明にたずさわることになった。その調査では,昭和32年2月20日までに死亡者及び疑わしい者を入れて患者は54名と報告されている(乙58)。
当初は,その原因,発生機序が不明であったが,次第に発症のメカニズムの解明が進み,チッソ水俣工場の排水との関係が問題とされるようになり,昭和34年12月30日には,チッソと水俣病患者らとの間で,発病から昭和34年12月31日までの年数を十万円に乗じて得た金額を一時金として支払い,昭和35年以降毎年10万円の年金を支払うことなどを内容としたいわゆる見舞金契約(以下「見舞金契約」という。)が締結されたりした。
昭和35年2月4日に施行された水俣病患者診査協議会規程に基づき,当時の厚生省公衆衛生局に水俣病患者診査協議会が設置され,同協議会は,水俣病の真性患者の判定及びこれに関する必要な調査等を行う役割を担っていた。同協議会は,昭和36年9月14日,熊本県衛生部に移管され,水俣病患者診査会へ改組され,昭和39年3月31日,同県水俣病患者審査会設置条例により,熊本県水俣病患者審査会が設置された。
国は,昭和43年9月に,水俣病の原因がチッソの排出した有機水銀によるものであるとの政府統一見解を発表した。
イ 救済法制定
国は,水俣病を公害の一種と認め,昭和44年12月15日に公布された救済法(昭和45年2月1日施行)で,水俣病を同法の指定疾病とし,水俣病と認定された者に対し医療費の支給等の措置を講ずることとした。
同法により,認定等の処分は都道府県知事が行うこととなったが,処分を行うに当たって,都道府県知事は,公害被害者認定審査会の意見を聴いた上で行うこととされていた(救済法3条1項)。そのため,同法20条4項に基づき,昭和44年12月27日に熊本県公害被害者認定審査会条例が制定され,昭和45年1月14日に第1期の審査会委員が任命された。
しかし,もともと,神経疾患の診断は,相当の熟練を有する医師でないと正確な診断が困難な上,水俣病の症状は,発生当初は,ハンター・ラッセルらが1940年ないし1945年に発表した有機水銀中毒患者の臨床像(四肢の感覚障害,中心性視野狭窄,小脳性運動失調,難聴。なお,病理学的には大脳後頭野の線野の萎縮,小脳顆粒細胞の脱落,側頭葉皮質の聴覚中枢及び頭頂葉中心溝前後の損傷がみられた。以下「ハンター・ラッセル症候群」という。)を高度に示していたものの,このころには,水俣病は,有機水銀中毒症としては非典型的であってこれらの症候を明確に具備していないものが多くなっており,加齢現象や他の疾病も類似の症候を示すことなどから,申請者の示す症候が水俣病であるか否かの医学的判断が困難な事例が増加していた。
ウ 46年次官通知と52年判断条件
昭和46年8月7日,環境庁は,従来の認定に関する処分は,救済法の趣旨に必ずしも副わず,その運用に欠けるところがあったとして,救済法が,公害に係る健康被害の迅速な救済を目的としているという法の趣旨をあらためて明らかにするため,「公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法の認定について」と題する事務次官通知(以下「46年次官通知」という。)を発出し,水俣病であるか否かの判断についての一定の基準を示した。
水俣病と企業の行為との因果関係については,上記政府統一見解で示されていたものの,チッソの民事責任については,昭和48年3月に熊本地方裁判所においてチッソの民事責任を認める熊本水俣病第一次訴訟判決がなされ,同判決は確定した。
同年7月,チッソと患者団体との間では補償協定が締結され,裁判上の請求の有無にかかわらず,認定患者であれば等しく同じ条件で補償がなされることとなった。そして,同年10月5日に公害健康被害の補償等に関する法律(以下「補償法」という。)が公布され,公害健康被害の補償及び被害者の福祉に必要な事業が行われることとなったが,補償法の下においても,知事は認定申請に基づき,審査会の意見を聴いて応答処分を行う認定制度が継承された。
46年次官通知により,「当該症状が経口摂取した有機水銀の影響によるものであることを否定し得ない場合には水俣病として救済する」こととされたが,同通知によっても,同通知に示された症状があるといえるか,当該症状が経口摂取した有機水銀の影響によるものであることを否定し得ない場合を含め,当該症状の発現又は経過に関し魚介類に蓄積された有機水銀の経口摂取の影響が認められるといえるかについては,なお,その判断が困難な場合が少なくなかった。
そこで,環境庁は,昭和50年6月以降,熊本県,鹿児島県,新潟県及び新潟市の認定審査会の委員等,水俣病に関して造詣の深い各分野の専門家らからなる水俣病認定検討会を設置して「有機水銀の影響が否定し得ない場合」とは具体的にいかなる場合であるのかについて具体的な判断条件の整理を行い,その結果を52年判断条件として発出した。
エ 52年判断条件については,昭和60年10月15日に,環境庁が設けた水俣病の判断条件に関する医学専門家会議の意見により,「現時点では現行の判断条件(52年判断条件)により判断するのが妥当である」とされ,救済法ないしその後の水俣病であるか否かについての審査会の判断は,現在に至るまで52年判断条件に基づいて行われている。
オ 関西水俣訴訟
平成13年4月27日,大阪高等裁判所は,かつて水俣湾周辺地域に居住し,後に関西地方に移り住んだ住民が,チッソ水俣工場からのメチル水銀化合物を含む排水によって汚染された水俣湾周辺地域の魚介類を摂取したことにより,そのメチル水銀が体内に蓄積され,様々な症状等が生じる水俣病に罹患したとして,被告チッソに対しては民法709条に基づき,被告国及び被告熊本県に対しては規制権限の不行使あるいは行政指導の不作為等の違法があったとして国家賠償法1条1項等に基づき,損害賠償を請求した事案において,被告国及び被告熊本県の国家賠償法上の責任を認めるとともに,メチル水銀中毒罹患の有無の判断準拠として,水俣湾周辺地域においてメチル水銀により汚染された魚介類を多量に摂取していたこと(メチル水銀曝露)の証明がなされることを前提に,以下の三要件のいずれかに該当する者は,メチル水銀に起因する障害が生じている患者と認定してさしつかえないと判示した。
Ⅰ 舌先の二点識別覚に異常のある者及び指先の二点識別覚に異常があって,頸椎狭窄などの影響がないと認められる者。
Ⅱ 家族内に認定患者がいて,四肢末梢優位の感覚障害がある者。
Ⅲ 死亡などの理由により二点識別覚の検査を受けていないときは,口周辺の感覚障害あるいは求心性視野狭窄があった者。
国及び熊本県から上告等がなされたが,最高裁第2小法廷は,平成16年10月15日,国及び熊本県の国家賠償法上の責任を認めた原審の判断は是認できると判示したが,国及び熊本県が論旨として主張した水俣病の病像論については,原審が適法に確定した事実関係の下では原審の判断は是認することができると判示し,理由については詳述していない。環境庁は,同最高裁判決は52年判断条件を否定したものではないとの解釈を示し,認定基準の見直しについては行わず,審査会による審査については,引き続き52年判断条件に基づいて行うこととしている。
(4) Aの生活歴等
ア Aは,明治32年8月15日,熊本県水俣市G地区に出生した。大正9年に結婚し,そのころから昭和52年に亡くなるまでの間,G地区に居住し,農業に従事していた。Aは,魚介類を好んでおり,2日に1回程度摂食しており,昭和48年4月ころまで袋湾でカキやビナを採取したり,G地区の実家等から魚介類を入手して食べていた。Aは,昭和47年ころから味覚鈍麻や足の痛みを訴えるようになり,この頃からぼんやりと座っている日が多くなり,昭和47年ないし48年ころには長年従事していた農業も行わなくなった。
Aは,昭和49年5月23日,T町に所在するD医院にて,K医師により,「病名不詳,自覚的には四肢のしびれ感,歩行のゆらつき,流涎があり,血圧162~80耗水銀柱。四肢末端に知覚鈍麻を認める。水俣湾の魚介類を多食していたとの訴えから精査を必要と考える」との本件診断書の発行を受けた。K医師は,問診及び対面検査により同診断を行い,二点識別覚の検査は実施していない。Aは,同年8月1日,本件診断書を添付して被告熊本県知事に対して本件申請を行った。その後Aは,足のむくみのため,昭和50年6月ころ,B病院を受診したところ,腎臓に異常が発見された(Aは昭和22年ころに腎臓病の既往歴を有する)。同年8月30日の朝,Aは意識を消失して倒れ,同病院に入院し,昭和52年7月1日,同病院にて腸閉塞,腹膜炎及び腎不全により死亡した。遺体の病理解剖は行われていない。
なお,原告は,陳述書(甲95)や原告本人尋問等において,Aの体調の悪化は昭和35年前後には生じていたと供述するなどしているが,上記昭和52年7月に実施されたAの次男夫婦(原告夫婦と思われる)と面接した上で作成された疫学調査記録(乙24)には,昭和47年ころ味がしなくなったとか,足が痛いとしてマッサージに通い出したとかの記載があること,環境庁に対する審査請求を行った際の平成8年11月に原告らを審尋した際の審尋録取書(甲3)におけるAの体調の変化は昭和47年ころとの記載と矛盾することや,昭和35年ころにAの体調が変化していたということは,本件訴訟において初めて主張されたこと,上記疫学調査等は,Aの没後間もない昭和52年7月に実施されており,その時点で原告が,同居していた母親であるAの体調の変化が生じた時期について,10年以上も考え違いなどがあるということは考え難いことなどからすれば,この点についての原告の主張を採用することはできない。
イ A本人は,昭和46年10月に実施された後述の水俣湾周辺地区住民健康調査の1次検診(調査票に記載された質問に二択ないし四択で回答する形式のもの)において,この10年~20年の間,魚介類を2日に1回位食べたとし,家族に水俣病患者がいる,またはいたとの質問,昭和30年ないし35年の間の飼猫等の狂死の有無についての質問には,いずれもイイエに丸印を付している(乙94)。また,昭和52年3月の水俣湾周辺地区住民健康調査の2次検診において,心臓疾患,腎障害及び高血圧について要観察との結果が出ている(乙98の4)。
(5) 平成7年7月14日及び15日開催された第195回熊本県公害被害者認定審査会は,Aについて,医学的判定「Ⅳ.判断できる資料が揃っていない」場合に当たると審査し,同月31日,被告熊本県知事に対しその旨の答申を行った。そして,被告熊本県知事は,平成7年8月18日,上記答申を受けて,本件処分を行った。
2 争点①(Aは救済法上の水俣病と認定されるべきか)について
(1) 救済法の趣旨について
ア 救済法による救済の性質については,公害被害者と加害者との関係は,本来私法上のものであり,司法制度によって解決がなされるべきものであるが,被害者側が,被害と加害行為との因果関係,加害者の故意過失を立証することが困難な場合が多いことなどの公害問題の特殊性から,加害者の民事上の責任の有無とは切り離して行われる行政上の救済措置であり,救済法がかかる性質を有していることは当事者間に争いのない。
イ 救済法による救済の対象について,原告は,救済法が第一義的に要請していることは,公害被害者について迅速かつ幅広く救済することであって,認定申請者が水俣病に罹患していると明確に診断しうる場合はもちろん,明確な診断に至らない場合でも,水俣病罹患の可能性が50パーセント以上あれば,水俣病の疑いがあるものとして認定すべきであって,その判断条件には疫学上の観点も加味するべきこと,救済法上の救済は,損害賠償請求訴訟等の司法上の救済を常に内側に含む,広くゆるやかなものであることなどを主張するので,以下において,検討する。
(2) 水俣病の判断について
救済法及びその施行令は,救済の対象とすべき疾病としては「水俣病」とのみ規定しており,「水俣病」とはいかなる疾病であるかについて規定していないことからすれば,同法は医学的にみて水俣病と診断しうる者を救済の対象とするとともに,どのような者を水俣病と医学的に診断し得るかということは,その時々の医学的知見に委ねていると解するのが合理的かつ相当である。
現在の医学的知見において,いかなる者を水俣病と判断しうるかについては,臨床医や医学者らの間に種々の見解があり,現代において,医学一般はもとより,水俣病に関する医学的研究についても,時の経過に伴う進歩,発展がみられることは明らかであるから,公害健康被害の迅速,公正な保護を目的とする救済法等の下における認定基準も,医学的研究成果に応じた適正な検討が常に加えられるべきであることはいうまでもない。
そこで,Aが救済法の水俣病であると認められるか否かを判断するに当たっては,その前提として,Aにメチル水銀の曝露歴が認められるか及び医学的に水俣病と認められる症状が存在したかを確定する必要がある。
(3) また,被害者と原因企業との間における損害賠償請求訴訟等の場面においては,当該被害者が水俣病にかかっているかどうか(原因企業による有機水銀化合物の排出と相当因果関係のある健康被害かどうか)を判断するに際して,救済法の定める認定制度の中での判断基準(例えば52年判断条件)が,損害賠償請求訴訟における裁判所の認定判断を当然に拘束するものではないことも明らかである(関西水俣訴訟高裁判決は,「本件で問題となっている病像論は,52年判断条件とは別個に,被告チッソ水俣工場から排出されたメチル水銀中毒被害についての不法行為に基づく損害賠償請求事件であるから」と判示し,補償法による認定要件を定めた52年判断条件とは別個のものとなるとして,52年判断条件については判断しておらず,同最高裁判決も52年判断条件について判断を加えていないと評されている。)。
他方,原告は,損害賠償請求訴訟において水俣病と認定された者については,常に救済法に基づき水俣病と認定すべき旨主張するが,損害賠償請求訴訟においては,判断資料となるのは当事者が提出した証拠に限られ,また,当事者の主張や訴訟における応訴態度如何によって結論が左右されうるものであるから,損害賠償請求訴訟において水俣病と認定された者は常に救済法に基づき水俣病と認定すべき旨の原告の主張は,直ちには採用できない。
(4) Aのメチル水銀曝露歴について
Aは,明治32年の出生以来,熊本県水俣市G地区にて居住し続けていたが,同地区では,昭和34年ころから猫の狂死が相次ぎ,住民の水俣病発病も頻発したこと,昭和32年の熊本県水産試験場による水俣湾周辺の生物,水質,底質の調査によると,水俣湾内のチッソ水俣工場排水口近くではカキの斃死率は100パーセントを示しており,袋湾奥部の,Aがカキを採取していた地域では50ないし60パーセントの斃死率が記録されていること,表層と底層との斃死率を比較してみると明らかに底層の斃死率が高いとされており,底層にすむ貝類等は汚染度が高いと考えられるが,これら貝類等をAを含む家族は常時摂食していたと考えられること等の事情に照らせば,Aについては有機水銀の曝露歴を有すると推認するのが相当である。
(5) Aについての医学的検査の結果
ア 昭和50年9月9日及び昭和52年6月9日に行った耳鼻咽喉科検診によれば,純音聴力検査の結果は,感音性難聴のパターンが得られているが,聴覚疲労現象は認められず,語音聴力は正常範囲であった(乙20,28の2)。
イ 昭和50年10月17日に行った眼科予診(器械検査・乙28の2)によれば,視力については右0.9,左1.2であり,視野についてはゴールドマン視野計による検査を行ったところ,左右ともに視野狭窄及び視野沈下の所見は得られなかった(乙8,21,28の2)。同日実施された眼球運動検査によれば,滑動性追従運動には軽度の異常があるものの,衝動性運動については異常は認められず,前庭動眼反射の検査は行われていない(乙22,28の2)。
ウ さらに,昭和52年6月9日に実施された,平衡障害に関する視運動性眼振検査の結果は,水平方向についてはデータ不良であり,垂直方向については,Aが頭がフラフラして気分が悪いと訴えたため,検査が続行できず,検査結果は得られなかった(乙23,28の2)。
(6) Aの症状について
ア 感覚障害について
K医師が,Aについて「四肢末端に知覚鈍麻を認める。」との診断を行っていることは,上記認定事実のとおりである。しかし,感覚検査は神経疾患の検査の中でも難易度の高いものであり,患者の主観に頼ることになり,正確な検査ができないことがあるので,初診時に感覚障害があったり,あるいはその存在が疑われたりするときには日を変えて,改めて感覚検査のみを詳細に行う必要があるといわれている。また,感覚障害は,神経疾患の局在診断あるいは原因的診断を下すのに大切ではあるが,客観性の乏しい所見であるので,常にほかの神経学的所見と照らし合わせて総合判定すべきであるとされている。K医師は,開業時,多いときには1日70人から80人の外来患者があり,疫学調査のために患者の住まいを訪れる時間がなく,問診に頼っていたこと(甲40),Aは,D医院にかかりつけていたわけではなく,初診時は風邪を訴え,2回目の来院時に本件診断書作成依頼を行い,その後はほとんどD医院に来院することはなかったこと(甲40,45),D医院に勤務していたLによれば,K医師は水俣病に関して「水俣医師会で指導」を受けた「各種の検査」をし,例えば,医師の前で歩行させたり,手でつまんだり,筆でさすったりしていたというのであり(甲45),本件診断書の「自覚的には四肢のしびれ感,中略,四肢末端に知覚鈍麻を認める。」との診断も,そのような主にAの供述に依拠した方法によりなされた結果と推測される。
しびれや知覚鈍麻という感覚検査は,上記のとおり患者の主観によるところが大きいという性質上,神経疾患の中でも診断の難しいものであるから,確実な診断を行うためには検査を重ねた上で慎重に判断する必要があるものであり,上記K医師の診断は,詳細な感覚検査を実施した上で行われたものではないから,客観的な診断・評価とは言い難い。そうであるからこそ,K医師も,二点識別覚等の検査等を行っていないAについては,「精査を必要と考える」という慎重な診断を行ったと理解することができる(甲40)。したがって,本件においては,K医師による本件診断書の記載のみをもって,Aに四肢末梢優位の感覚障害があったと認めることはできない。
昭和46年10月に実施された住民健康調査において,Aはしびれを今までに感じたことがあり,しびれを現在も感じることがあるなどの質問に対して「軽」と回答している(乙94の4)が,これらの質問については,「ヒドイ」という選択肢も用意されており,「ヒドイ」と回答した場合のみ第2次検診の対象になるものであること,健康な人間であっても,全くしびれを感じたことがない者はまれであると考えられること,Aは住民健康調査回答時71歳であり,長年農作業等の身体的負荷の高い労働に従事していたことなどを考え合わせると,Aの住民健康調査に対する回答をもって,四肢末梢優位の感覚障害の現れであると直ちにみることはできない。
また,原告は,Aは流涎を拭うことなく放置していたことがあったなどとして,Aには口周囲の感覚障害があったものであると主張する。
しかしながら,原告は,Aに流涎があり,これを自ら拭うことなく放置していることがあったと陳述しているが(甲95,原告本人),K医師の診断書においても,Aには,「自覚的には,中略,流涎があり」と記載されているのみであり,口周囲の感覚障害についての具体的な記載はない。また,他にAの口周囲の感覚障害の存在を客観的に裏付ける検査結果等の証拠は何ら存在しない。以上によれば,原告の陳述及び本件診断書の記載からAに口周囲の感覚障害があったとまで認めることは困難である。
イ 運動失調
Aの運動失調については,検査結果等の証拠は何ら存在しない。また,本件診断書には「自覚的には,中略,歩行のゆらつき,中略,があり」との記載がある。D医院に勤務していたLによれば,K医師は水俣病に関して「水俣医師会で指導」を受けた「各種の検査」をし,例えば,医師の前で歩行させたり,手でつまんだり,筆でさすったりしていたというのであり(甲45),K医師も,運動失調が認められた場合には診断書に記載していたと思う旨述べているのに(甲40),本件診断書にはAに運動失調を認めたとの記載はない。証人Fの証言も,Aの運動失調の可能性に言及するに止まり,客観的にAに運動失調の存在を認めるには足りない。
ウ 平衡機能障害
被告熊本県知事がAに対して行った上記医学的検査によれば,眼振検査においては異常はみられず,視運動性眼振検査においては,水平方向がデータ不良で,垂直方向については検査結果が得られていない。また,本件診断書の,「自覚的には,中略,歩行のゆらつき,中略,があり」との記載も,前記運動失調に関してと同様に,平衡機能障害の存在をうかがわせるに足りるものではない。
エ 視野狭窄
被告熊本県知事のAに対する視野検査においては,左右ともに視野狭窄及び視野沈下は認められない。K医師は「対面視野狭窄の検査は,原則としてどの患者にも行い,異常があれば診断書に記入していた」と述べるが(甲40),本件診断書には異常を認めたとの記載はない。
オ 眼球運動障害
被告熊本県知事のAに対する眼球運動検査においては,衝動性運動の異常は認められず,滑動性追従運動にみられた異常も軽度のものにとどまっていることから,中枢性の眼球運動障害があったと認めることはできない。
カ 難聴
被告熊本県知事のAに対する純音聴力検査においては,感音性難聴の所見は得られるものの,Aについては聴覚疲労は認められず,語音聴力は正常であって,水俣病にみられる後迷路性難聴は認められない。
(7) 原告のその余の主張について
原告は,Aの孫であるIが胎児性水俣病であるとして,関西水俣訴訟高裁判決に示されたところの「Ⅱ.家族内に認定患者がいて,四肢末梢優位の感覚障害がある者」の場合に準じて,Aについても水俣病であった蓋然性が高いなどと主張する。しかし,Aについて四肢末梢優位の感覚障害が存在したことを認めることができないことは前記認定のとおりである上,Iについては,「胎児性水俣病の疑いが強い」との診断書が存在する(甲20)ものの,水俣病であると認定されたことはなく,家族内に認定患者がいる場合に準じる場合ということもできない。
また,公害事件において,疫学が重要な役割を果たすことは原告主張のとおりであるが,それはあくまで一般的にその症状がメチル水銀に起因している可能性が高いというにとどまり,個別の患者が,高度の蓋然性をもって,メチル水銀中毒症に罹患しているとまで認定することはできない。
(8) 以上検討したところの諸事情,特に,Aについてのカルテが保存期間経過による廃棄や廃院などにより証拠として提出されていないこと,Aが認定申請に付したK医師の診断書もAの自覚症状についての記載が主であり,同医師自身も「水俣湾の魚介類を多食していたとの訴えから精査を必要と考える」と診断しているに止まること,その後の被告熊本県知事による検診は眼科と耳鼻科のみであり,その検査結果には水俣病と認めるべき特段の異常は認められないこと,Aはその余の精密検査を受診しておらず,病理解剖もなされていないこと等の諸事情に照らせば,そもそもAについては症状に関する客観的な資料に乏しいというほかなく,その余のAの生育歴や家族の状況等を総合検討してみても,Aが水俣病であったことを示すに足りる症状の存在を証拠上認めることはできない。
Aに四肢末梢優位の感覚障害が存在することを前提に,Aについて水俣病に罹患しているとの見解を示す意見等(甲93「F意見書」,甲164「U意見書」,甲218「U意見書その2」,証人Fの証言等)は,その前提を欠くものとして直ちには採用できない。
なお,原告は,本件に現われた諸事情により,水俣病としての証明の程度や負担を軽減すべき,ないしは証明責任を転換すべきとも主張するが,そもそも,Aについては水俣病であったことを示すに足りる症状の存在を証拠上認めることはできないのであるから,原告の主張は採用できない。
3 争点②(本件処分にはこれを取り消すべき手続上の瑕疵事由が存在するか)について
(1) 救済法施行令1条別表6は,認定業務の対象とすべき疾病について
「水俣病」とのみ規定しており,救済法の趣旨からも,救済法に基づく給付を受けるためには,「水俣病」に罹患していることが前提となる。
しかるに,前記2において検討したとおり,Aについては水俣病であったことを示すに足りる症状の存在を証拠上認めることはできないのであるから,Aをもってして救済法上の水俣病に罹患している者であると認めることはできない。したがって,Aが水俣病に罹患していることを前提に,認定申請棄却処分の取り消し及び救済法に基づく認定を求める原告の請求は,その前提を欠き,理由がない。
(2)ア 原告は,被告熊本県知事がAの病院調査を実施するまでに,認定申請から約21年を要したことは極めて異常な事態であり,救済法上の認定制度の根本意義を喪失せしめるものであるから,本件認定申請手続の遅れはそれ自体が悪質かつ重大な違法であり,このような手続的瑕疵の存在を前提とすれば,もはや被告熊本県知事がAに対する認定申請について棄却処分を行う権限はすでに失われているとして,Aが水俣病に罹患しているかについての実体判断をするまでもなく,本件処分は取り消されるべきであり,かつ,Aを救済法上の水俣病であると認定することが義務付けられるべきである旨主張する。
イ 確かに,Aが認定申請を行ってから,Aの生存中には検診が完了せず,Aの死後に病院調査が実施されるまでに約17年もの年月が経過し,申請から21年後に処分がなされるという事態は,認定申請の手続経過としては通常ではないことは明らかといえる。原告がそのことに強い不満を示し,納得できないと考えることは無理からぬことである。
ウ しかしながら,都道府県知事が救済法もしくは補償法上の疾病の認定申請に対する処分を行うまでに長期間を要した場合,長期間を要したこと自体から直ちに処分権者にはもはや棄却処分を行う権限が失われるとの主張は,法理・法律上の根拠は見出し難い上,どれだけの期間の経過をもって棄却処分を行う権限が失われるとするのかは実際上判断が困難であり,長期間を要したことを手続上の瑕疵の一般的基準として採用することはできない。
エ そこで,次に,本件処分における調査・検査手続や処分の遅れにおいて,原告主張のような認定制度の根本意義を喪失せしめるような悪質かつ重大な違法が存在したかについて検討する。
(3) 本件でのAについての調査・検査手続について
ア Aについて行われた検査等
Aの行った認定申請に対して被告熊本県知事が行った調査及び検査等は,上記争いのない事実等1(2)に記載のとおり,Aの生存中には,昭和50年ないし昭和52年の耳鼻科及び眼科検診,Aの死亡後には,昭和52年の疫学的調査,平成6年の病院調査である。病院調査については,保存期間経過等により,Aのカルテを入手することはできなかった。
イ 病院調査について
原告は,Aに係る資料収集・病院調査の内容及び方法に誤りがあると主張する。前記認定事実に照らせば,被告熊本県知事の行った病院調査のうちB病院に関するものについて,昭和59年8月の時点でいったんは実施を予定した手続が取られていたにもかかわらず,実際に行われたのは平成6年であったこと,K医師によれば,平成4年3月に廃院した後も,カルテは平成9年か10年に焼却処分するまでは自宅の倉庫に保管していたというのであり(甲40),原告は被告熊本県に対して申請手続の進展具合を度々問い合わせていたのであるから,それまでに被告熊本県知事がD医院の調査に着手しておれば,その記載の程度及び内容はともかく,カルテを収集できた可能性もあったといえる。これらの事実に照らせば,被告熊本県知事の行った資料収集の手順には手落ちがあるといわれても仕方がない部分がある。
原告は,Aについての被告熊本県知事の対応の遅れは意図的なものであると主張するが,前記のとおり,資料収集の手順には手落ちがあったと認められるが,それ以上に被告熊本県知事がAに関する資料を故意に隠滅したとか,意図的に病院調査を放置したと認めるに足りる証拠はない。
(4) 原告は,未検診死亡者に対する処分の遅れは,構造的な瑕疵であり,認定制度の根幹にかかわる手続違反であると主張する。
そこで,なぜ被告熊本県知事による病院調査が遅れ,本件処分がなされるまでに長期間を要したのかについての具体的事情について検討する。
ア 水俣病認定申請から処分に至るまでの手続の概要
(ア) 申請の受理
救済法に基づき認定を受けようとする認定申請者から,申請書が熊本県衛生部公害対策局公害保健課(以下「公害保健課」という。なお,平成9年以降は熊本県環境生活部水俣病対策課)に提出されると,同課が申請書の記載及び診断書等の添付書類について形式審査を行い,不備がなければこれを受理して,申請者に対し受理通知を行う。
(イ) 疫学調査及び検診
公害保健課は,関係医師等と打合せの上,検診計画を作成する。
被告熊本県職員は,上記作成された検診計画に基づき,疫学調査(原則として戸別訪問による職歴,家族状況,生活歴,自覚症状,既往症,症状の経過,食生活等の調査)及び検診センターにおいて,医学的検査である検診を行う。検診は,予備的検査として,視力検査(裸眼視力及び必要に応じて矯正視力の検査),眼球運動検査(視標追跡装置等を用いて眼球運動の障害を調べる検査),視野測定(ゴールドマン量的視野計を用いて求心性視野狭窄及び沈下の有無を調べる検査),聴力検査及び語音弁別検査(磁気オージオメーター等を用いて難聴の鑑別を行う検査)等を行う。
これらの疫学調査及び予備的検査の後,感覚障害,運動失調,平衡機能障害,構音障害等の症候の有無,有機水銀による影響の有無及び他疾患との関連等を調べるため,神経内科,眼科,耳鼻咽喉科,精神科及び必要に応じて他科の専門医師による検診を行うほか,血圧測定,尿の一般検査,梅毒血清学的検査,頸部の平面,断層等のX線検査を行う。また,医師の指示により,必要に応じて各種血液検査,脳波検査,筋電図検査,心電図検査,知覚伝導速度検査等を行う。
これらの検診項目等は,専門の医学者らが厚生省の委託により,公害の影響による疾病の指定に関する検討委員会として行った水俣病研究の成果の報告に基づく,昭和45年1月26日発出の救済法の施行に関する厚生省環境衛生局長の通知等に依拠しつつ,審査会委員らが検討して定めたものである。
検診センターに来所して検診を受けることのできない重症者,高齢者等に対しては,医師が申請者宅に出向いて検診を行う。また,申請者が死亡した場合は,遺族の意向により解剖の上病理学的検査を行うか,従前の記録を調査する。
(ウ) 審査会への諮問
以上の疫学的調査及び検診により得られた資料に基づき,被告熊本県職員及び審査会委員等により,申請者が水俣病に罹患しているか否かを判断するために直接使われるために審査会に提出される資料が作成される。
知事は,審査会資料の整備された申請者について,当該資料を添付して,申請者が水俣病に罹患しているか否かを審査会に諮問する。
(エ) 審査会の構成
救済法は,審査会委員について,医学に関し学識経験を有する者のうちから,都道府県知事が任命した委員10人以内で組織し,その組織,運営その他審査会に関し必要な事項については,条例で定めるとしている(救済法20条)。
熊本県公害被害者認定審査会条例では,審査会は委員10名で組織されることとなっており(同条例3条1項),昭和49年からは,専門の事項を調査させるため,若干名の専門委員も置くことができるとされた(同条例6条)。
(オ) 審査会での審査
審査会では,各委員に審査会資料が配布される。審査会資料は,疫学調査及び検診結果を基に,被告熊本県職員が申請者の生活歴等に関する部分を,病歴ないし検診結果については審査会委員等がそれぞれ記載したものである。審査に当たっては,まず被告熊本県職員が疫学的調査の結果を説明し,次いで,神経内科,精神科,眼科,耳鼻咽喉科等の担当委員が各科の検診所見を説明した後,審査会委員等全員で所見の評価,確定を行い,その上で,申請者が水俣病に罹患しているか否かを全員で医学的見地から総合的に判断する。この場合の判断基準としては,前記52年判断条件が用いられている。
審査会では,総合判断の結果を,①水俣病である,②水俣病の可能性がある,③水俣病の可能性を否定できない,④水俣病ではない,⑤わからない,の5つの場合に分けて判定し,その内容に従って知事に答申する。
知事は,右①ないし③の答申の場合には,水俣病と認定する旨の処分を行い,④の答申の場合には,申請を棄却する旨の処分を行って,申請者に通知する。
イ 全体の処分状況
(ア) 水俣病判断の困難性
水俣病は,前述のとおり,昭和31年に公式発見された神経系疾患であるが,発生当初は典型的有機水銀中毒としてのハンター・ラッセル症候群の症候を高度に示し,水俣病であるか否かの医学的判断は比較的容易であるとされていた。しかし,もとより神経系疾患の正確な診断は困難であることに加えて,第1期審査会発足(昭和45年1月)のころには,有機水銀中毒症としては非典型的であって前記症候を明確に具備しないものが多くなっており,加齢現象や他の疾病も類似の症候を示すことから,申請者の示す症候が水俣病であるか否かの医学的判断は,一層困難となってきていた。
かかる状況を受けて環境庁から発出された46年次官通知によっても,同通知に示された症状があるといえるか,当該症状の発現又は経過に係る魚介類に蓄積された有機水銀の経口摂取の影響が認められるといえるかについては,なお,その判断が困難な場合が少なくなく,審査会委員の間においても意見の一致を見ないことがままあった。
そして,昭和52年,環境庁は52年判断条件を発出したが,水俣病の判断については,なお医学上の判断が困難な場合が少なくなかった。
(イ) 当時の検診,審査態勢を巡る事情
熊本県は,O大学医学部及び体質医学研究所に対し,水俣及びその周辺の水銀汚染の現況とその推移や人体に及ぼす影響を改めて調査研究し,患者の治療にも役立てるため,その疫学的,臨床医学的,病理学的研究を委託し,O大研究班は,昭和46年8月ないし9月に,延べ249人の医師を動員し,水俣病が多発した水俣地区,汚染の影響が疑われている御所浦地区,汚染の可能性が少なく対照と考えられた有明地区の三地区で,3555人の住民検診をした。
上記研究委託後も,各地で潜在患者の存在が明らかになり,住民の不安感が高まったため,熊本県は,水俣病の全貌を明らかにし,水俣病対策の推進を図るため,別途昭和46年10月から水俣湾周辺地区住民の健康調査を実施した。
水俣湾周辺地区住民健康調査は,水俣湾周辺の漁民を中心に約5万5000人を対象に,第一次検診としてアンケート調査を行った結果,約1万2000人が第二次検診を必要とするとされたため,第二次検診として昭和47年2月から現地開業医による診察を行った(約5500人が受診)が,そのうち約1600人が更に検診を必要とするとされたため,第三次検診として同年6月からO大学医学部関係各科の専門医による精密検診が行われた。第三次検診は,同年末から昭和49年9月まで行われ(1234人が受診),昭和50年8月に最終結果がまとめられたが,その結果によれば,水俣病及びその疑いのある者が158名,判断保留者が398名であった。
その後,有明地区においても,水俣湾や新潟県阿賀野川に続いて,水銀汚染による第三の水俣病が発生している可能性があるとの問題提起が行なわれたことから,昭和48年7月から,環境庁の委託を受け,長崎,佐賀,福岡,熊本の四県が主体となって有明海周辺住民について健康調査を行うこととし,同月から昭和49年3月までの間に,沿岸住民約10万人を対象に,上記水俣湾周辺地区住民の健康調査と同様の方法で健康調査が実施された(熊本県においては,約3万1000人を対象とした有明海及び八代海沿岸住民健康調査が実施された。)。この調査の結果は,同年6月に出されたが,永く水俣湾において船上生活をし,同海域の魚を多食した一人を除いては,現時点で水俣病と判断される者はいないとされた。
(ウ) 審査の遅延
第一期審査会は,昭和47年1月13日の2年の任期満了までに延べ161人の申請者について審査し,知事は,そのうち133人について処分をしたが,前述のように,このころには既に,水俣病か否かの判断が困難である事例が少なくなかった。
第二期審査会は,委員の就任が難航したため,昭和47年4月10日に遅れて発足した。第二期審査会では,申請者の増加と発足の遅れから,すでに未処分件数が300件を超え,申請後1年を経過した申請者が出たため,当初から審査の促進が重要課題とされた。
そこで第二期審査会は,不定期開催であった審査会を定期開催に改め,審査件数を1回60人程度に増やすなどの促進措置を講じ,任期満了の昭和49年4月9日までに延べ866人の審査を行って599人を答申し,知事はこのうち597人について処分をした。
この間,前記認定のとおり,昭和48年3月に熊本地方裁判所においてチッソの水俣病患者に対する損害賠償責任を認める熊本水俣病第一次訴訟判決がなされたことや,同年7月に水俣病患者東京本社交渉団とチッソとの間で,チッソが水俣病患者に対してランクに応じて1600万円から1800万円の慰謝料や終身特別調整手当等を支払うこと等を内容とする補償協定が締結されたこと(この協定は,協定締結後に認定された水俣病患者についても希望する者には適用するものとされている。)などもあり,それまで概ね月30件ないし60件で推移していた申請者数が,同年4月以降約150件ないし500件となった。
そのため,上記のような審査会による審査促進措置にもかかわらず,未処分件数は減少することなく,昭和47年度末には584件であった未処分者数が,上記チッソとの補償協定が成立した昭和48年度末には2172件,本件申請のあった昭和49年度末には2821件に上っていた(甲202,207,208,乙51)。
(エ) 医師確保の困難性
上記のとおり未処分者が急増した原因は,審査の前提となる検診の遅れにあった。すなわち,熊本県においては,O大学医学部が,水俣病の発見当初からその原因解明や住民の健康調査等に関与してきた経緯や,水俣病の診断に当たる神経内科等の専門医の供給源となっていたことから,認定制度の発足当初より,O大学医学部医師を中心とする態勢で,疫学調査及び検診が行われていた。
しかし,前記のとおり水俣病の診断にあたるには一定の経験が必要であり,その専門医がそもそも少ない上,これらの医師も本来の教育や研究,診療といった業務を持っており,多忙な業務の合間に検診を行うものであること,O大学医学部医師が検診のため熊本市から水俣市に赴くのに数時間を要すること,昭和46年ころから,O大学医学部医師は熊本県に委託された研究事業や水俣湾周辺地区住民健康調査に従事したことなどから,昭和48年ころは,神経内科の専門医を4人確保できたのみであって,月間40人ないし50人程度の検診を行うことができるのみであった。
熊本県は,昭和48年7月,申請者の増加に対処するため,検診のための施設として,B病院内に検診センターを併設し,これに伴い,従前医師による検診の際に行われていた眼科の視力検査,眼球運動検査,視野測定,耳鼻咽喉科の聴力検査,語音弁別検査等を分離して予備的検査とし,疫学調査とあわせて検診センターに配置された熊本県職員が行うことにして医師の負担を減らすなどしたが,依然として検診医数の増加を図ることは困難であった。
(オ) 集中検診
被告熊本県知事は,検診数の増加を図るべく,環境庁の提案により,九州県内の5つの大学及び3つの国立病院に検診への協力を依頼することを検討し,昭和49年2月,被告熊本県知事と環境庁が共同して,右各大学の教授,病院の病院長等を委員とする水俣病認定業務促進検討委員会を設置した。
右委員会で検討した結果,未処分件数滞留の事態を打開するため,従来のO大学中心の検診態勢に加え,新たに上記各大学等の専門医による検診態勢を組むことによって検診処理能力の向上を図ることとし,右各大学及び国立病院が協力して,当面各大学の夏休みにあたる同年7月及び8月に集中検診を行うこととした。
また,これと並行して同年9月から12月までの検診予定も立てられ,知事は,今後各大学等の協力を得た月間120人程度の集中検診態勢を継続することにより,それまでの未処分件数については,昭和51年11月には処分の遅れを解消できるとの見通しを立てていた。
(カ) 集中検診への反対と検診・審査の停止
ところが,右集中検診に対して,申請者の間から,検査のやり方が杜撰であるなどの非難が起こり(甲22),昭和49年8月1日,申請者ら約300人によって,水俣病被害の真実を明らかにし,チッソや国,県の責任追求等を目的とした協議会が結成された。
協議会は,環境庁や知事に対して,検診医の氏名を明らかにし,検診力ードに担当医師が署名捺印すること,集中検診のデータを審査会の資料として使用しないこと,集中検診に参加した検診医を審査会委員にしないことなどを要求して,同年8月2日,同月12日,同月29日,同年9月6日及び7日に熊本県と交渉するなどし,6日ないし7日にあっては,協議会会員ら約230人の参加による徹夜での交渉が行われ,熊本県職員が協議会会員から暴行を受けたり,疲労のため健康状態が悪化し,救急車で搬出されるなどの事態が発生した。
また,協議会は,同年9月11日付けで,集中検診に参加した医師に対し,同検診に参加した意思や水俣病被害に対する考え方等を問う申入書を直接送付し,さらに,同年10月7日及び11月16日にV大学,同年10月16日及び11月16日にO大学を訪れて集中検診に参加した医師に面会を要求するなどした。
このため,集中検診に参加した医師らは強い不満を示し,紛争に巻き込まれたくないとして,同年9月15日ころから検診辞退の意向を示し,O大学からは同年10月以降,その他の各大学からは同年9月以降,検診への協力が得られなくなり,検診業務はほぼ停止するに至った。
一方,第二期審査会は,昭和49年4月9日に委員の任期が満了したため,第三期審査会の委員を選任する必要があったが,委員の就任依頼を断られるなど難航の末,同年11月18日に第一回目の会合を持つこととなった。
しかし,協議会は,この審査会に対しても,集中検診に参加した医師が委員になっているなど,患者切捨てのための審査会体制であるとして抗議するなど反対行動をとったため,同日の審査会は流会となった。
これらのことから,検診業務は一部を除いて昭和49年9月から昭和51年3月まで,審査業務は昭和49年11月から昭和50年3月まで,それぞれ停止せざるを得なかった。一方,この間,新たな認定申請もあったことから,未処分者数は昭和48年度末には2172件であったところ,昭和50年度末は3191件,昭和51年度末は3641件に上った(乙51)。
(キ) 審査会及び検診の再開
知事は,協議会らの反対のまま審査会の開催を強行すれば,検診の場合と同様,委員の辞任等を招くと判断し,当面審査会の開催を見送って,協議会等の申請者団体との話し合いにより事態の収拾を図ることとし,その後も協議会等の申請者団体と検診及び審査の再開についての話し合いを重ね,申請者団体の要求に応えて,審査会を再開しても当分は認定できる者,重症者等を早く救済することにし,一回の審査では棄却処分は行わないとの意向を表明するなどした結果,昭和50年4月19日から審査会を再開することができた。
他方,検診の再開については,熊本県は,認定業務を促進したいとの立場から,申請者団体等に対し,O大学を中心とした上,他大学等の協力を求めて多数の者を検診したいとの集中検診態勢を提案したが,各申請者団体ともO大学以外の医師による検診に反対の立場をとり,特に協議会は,検診医の検診力ードへの署名捺印,診断書の発給といった要求を繰り返したことなどからなかなか再開に至らず,ようやく昭和51年1月16日及び3月24日の話し合いにより,O大学を中心とした検診を再開することについて各申請者団体との合意が成立し,同大学の協力を得て,同年4月から再開されるに至った。
(ク) 再開後の検診及び審査態勢
検診及び審査業務の再開後は,協議会等の申請者団体の要望もあって,上記のような集中検診態勢を存続させることはできず,従来のO大学医学部中心の体制によるほかなかったため,検診数の急激な増加を図るのは困難であった。そのような状況の下において,国と熊本県は,検診,審査に従事する専門医の確保に努め,昭和52年10月以降は月間150人検診,120人審査(昭和54年4月からは130人審査)の態勢を整えるに至ったが,昭和53年以降再申請者が増加したこともあって,未処分件数の滞留が続き,昭和52年度から同61年度までは未処分件数は5000件前後で推移していた(乙51)。
(ケ) 未検診死亡者について
水俣病であるかどうかを判断するための十分な資料を収集するには検診が必要であるため,認定申請後,検診が未了のうちに死亡し,剖検も実施されなかった未検診死亡者については,水俣病であるか否かの判断は極めて困難であったことから,未検診死亡者の処分は進まず,また,上記のような認定業務の行き詰まりから,被告熊本県知事においては,昭和56年以降,審査会に対して諮問すること自体を中断していた。
その後,昭和63年9月30日の時点では,未処分者数は約3560人(うち未検診死亡者約390人)となったが,そのころ開催された検診・審査に特別の措置を要する者対策環境庁・熊本県打ち合わせ会議においては,未処分死亡者については,現行の調査にのせることは審査会の状況等から不可能であり,病院調査についても積極的に行うことはしないとの方針が合意された(乙111)。
しかし,未処分者数が約2500人(うち未検診死亡者約380人)となった平成2年3月には未検診死亡者に係る医療機関調査要領が作成され,未検診死亡者の処分についての方針を決定した。
これに基づき,被告熊本県知事は,未検診死亡者が生前受診していた医療機関に対して,医療機関調査を行い,医療機関調査結果のうち,審査に関係する所見が記載されているものを参考資料として,被告熊本県が実施した検診結果や疫学的調査結果を要約転記した資料(以下「公的資料」という。)とともに審査会に提出して諮問することとなった。
そして,審査会においては,未検診死亡者については,公的資料及び参考資料を審査会資料として審査を行い,総合判断の結果を,Ⅰ「公的資料により判断条件に相当する所見があると判断できる。」,Ⅱ「公的資料によって水俣病でないと判断できる。」,Ⅲa「公的資料による所見のみでは不十分であるが,参考資料による所見で補うならば,判断条件に相当する所見の記載があった。」,Ⅲb「公的資料(疫学資料は除く)はない(あっても所見がとれていない場合を含む)が,参考資料によれば判断条件に相当する所見の記載があった。」,Ⅲc「参考資料によっても(公的資料による所見を補う場合も含む)判断条件に相当する所見の記載はなかった。」,Ⅲd「判断条件に相当する所見があるかないか判断できない。」,Ⅳ「判断できる資料が揃っていない。」,の七つの場合に分けて判定し,その内容に従って被告熊本県知事に答申する。
答申を受けた被告熊本県知事は,上記Ⅰ,Ⅲa,Ⅲbの答申の場合には,水俣病と認定する旨の処分を行い,Ⅱ,Ⅲc,Ⅳの場合には,水俣病認定申請を棄却する処分を行うこととなった。
その後,被告熊本県知事が未検診死亡者の処分に本格的に着手することができたのは平成6年度以降であり,平成6年4月1日及び同年6月10日には,病院調査が実施されることがそれぞれ決定され(乙113,114),同年10月ころにはAを含む未検診死亡者らについての疫学調査及び疫学資料の作成(Aについては,疫学調査は昭和52年7月に実施されている)がなされ,平成7年2月25日には審査会委員及び被告熊本県職員らによる未検診死亡者検討会が開催されるなど,未検診死亡者の処分促進に向けた対策が講じられるようになった。
(5) 認定申請についての処分の遅れに関する従前の訴訟の経過
ア 水俣病に罹患したとして,昭和47年12月から昭和52年5月にかけて,救済法または補償法に基づいて認定申請をした原告らが,知事の水俣病認定業務の遅延により精神的苦痛を被ったとして,右認定業務を知事に委任した国及びその費用負担者である熊本県に対して,国家賠償法1条1項,3条により慰謝料及び弁護士費用を請求した訴訟(以下「待たせ賃訴訟」という。)がある。他方,待たせ賃訴訟の原告らの一部を含む者らは,別途,認定申請が未処分の状態であったことが違法であることを確認する訴えを提起し,熊本地方裁判所において昭和51年12月15日,知事の不作為は違法であることを確認する判決がなされ,同判決は確定している。
イ 昭和58年7月20日,待たせ賃訴訟の第一審は,申請からほぼ2年を経過した時点以降は違法状態であると判断して慰謝料等を認容した。
また,第二審である福岡高等裁判所も,昭和60年11月29日,被控訴人らの主張する期間における知事の不作為が不法行為に該当するか否かについて検討するとした上,認定業務における検診,審査の回数や処理件数を増やすなどの態勢をとることは可能であったし,審査会の構成や審査・答申の方法等についても種々改善の余地があるとし,被控訴人らについてそのように改善された検診,審査の態勢をとっていたとすれば,より短い一定期間内に知事が処分をすることができたし,そうすべきであったとして,知事の応答処分が可能となる期間を被控訴人ごとに一定期間を算出し,その期間を超えて処分をしなかったのは違法であるとして,慰謝料等を認容した。
ウ これに対し,平成3年4月26日,最高裁判所第二小法廷は,認定申請を受けた処分庁には,不当に長期間にわたらないうちに応答処分をすべき条理上の作為義務があり,右の作為義務に違反したというためには,客観的に処分庁がその処分のために手続上必要と考えられる期間内に処分できなかったことだけでは足りず,その期間に比して更に長期間にわたり遅延が続き,かつ,その間,処分庁として通常期待される努力によって遅延を解消できたのに,これを回避するための努力を尽くさなかったことが必要であるとして,処分庁に作為義務違反があるか否かの検討につき,審理が尽くされていない部分があるとして,同部分を福岡高等裁判所に差し戻した。
エ 差戻後の控訴審は,平成8年9月27日,当時の全体の認定申請件数,これを検診及び審査する機関の能力,検診及び審査の方法,申請者の協力等の具体的な諸事情について詳細な検討を行い,当時の具体的状況の下では,水俣病認定業務を担当する知事としては,検診,審査の態勢を改善,充実させて処分の遅延を解消するための相応の努力をしたものということができるとし,さらに,これらの努力が遅延を回避するために知事に通常期待される努力といえるかについて検討を加えて,知事は全体的にみて,当時の具体的状況の下では,処分庁として,処分の遅延を回避するために知事に通常期待される努力を尽くしたものと解するのが相当であるとして,被控訴人ら各人の個別事情も踏まえた上で,水俣病認定申請に対する応答(不処分の状態を含む)が長期間に及んだことにつき,知事に被控訴人らの内心の静穏な感情を害する結果を回避すべき条理上の作為義務違反があったとすることはできないと判示し,一審判決中,国及び熊本県の敗訴部分を取り消し,請求を棄却した。
(6) 未検診死亡者の処分までの期間について
申請者について,審査会が水俣病であるかどうかを医学的に判断するには,審査に足りる資料が必要であり,その資料は審査に必要な情報が正確に記載されているなどの一定の質を保つものでなければならず,被告熊本県知事において,申請者に対する公的検診という方法を採用したことにはそれなりの合理性が認められる。
他方,未検診死亡者は本来審査に必要な資料の一部又は全部を欠いていることになり,未検診死亡者について民間資料(民間の病院を受診した際の資料)を用いた判断を行うことにならざるを得ないが,申請者が申請時に提出する診断書や検診医でない他の医療機関の資料等の民間資料は,内容がまちまちであったり,必要な所見の記録が内容として乏しいものなどもあり,限られた資料のみによらざるを得ない未検診死亡者の処分は,それ自体が非常に困難な問題であったということができる。
そして,その意味では,判断資料を得られない場合には審査会が審査することができず,処分庁も処分することができないのは当然であり,それが検診拒否や未検診によるものかを問わないところのものである。
(7) そして,前記認定の水俣病認定申請についての当時の全体の処分状況の経過,被告らにおいて,多数の認定申請者を抱えている状況の中で,処分を待っている生存中の申請者に対する処分を優先せざるを得なかった事情等をも考慮すると,限られた資料のみによらざるを得ず,判断自体が非常に困難な未検診死亡者についての処分が遅れたことについては,やむを得ない事情があったと認めざるを得ない。この間の事情については,前記待たせ賃訴訟においての福岡高裁判決が判示しているとおりである。
本件において,被告熊本県知事によるAに関する資料の収集・病院調査に遅れがあったと認められるものの,前記認定のとおり,水俣病認定申請についての当時の状況に照らせば,カルテもなく,病理解剖も受けておらず,検診結果も眼科と耳鼻科のみという客観的判断資料に乏しい未検診死亡者であったAについて,処分が遅れたことについてはやむを得ない事情があったといわざるを得ない。
(8) 以上によれば,被告熊本県知事がAに関する資料を故意に隠滅したとか,意図的に病院調査を放置したと認めることはできず,また,被告熊本県知事が意図的に認定処分を遅延させたと認めることもできないから,本件処分に認定制度の根本意義を喪失せしめるような悪質かつ重大な違法があったということはできない。
したがって,Aが水俣病に罹患しているかについての実体判断にかかわらず,申請から本件処分までに長期間を経過したことをもって,棄却処分を取り消して救済法上の水俣病と認定すべきとの原告の主張は採用できない。
4 本件義務付けの訴えは,行政事件訴訟法3条6項2号の「行政庁に対し一定の処分又は裁決を求める旨の法令に基づく申請又は審査請求がされた場合において,当該行政庁がその処分又は裁決をすべきであるにかかわらずこれがされないとき」において,「行政庁がその処分又は裁決をすべき旨を命ずることを求める訴訟」に該当する。かかる義務付けの訴えは,「当該法令に基づく申請を棄却する旨の処分がされた場合において,当該処分が取り消されるべきものであることに該当するときに限り,提起することができる。」と定められている(行政事件訴訟法37条の3第1項2号)。
そして,処分にかかる取消訴訟に併合して提起された義務付けの訴えにおいては,その処分の取り消しが認容されることが訴訟要件となるものと解される。
前記のとおり,本件処分はこれを取り消すべきものとはいえないから,併合して提起された本件義務付けの訴えは,行政事件訴訟法37条の3第1項2号に定める場合に当たらないことになり,訴訟要件を欠くものとして却下すべきである。
第4よって,原告の被告熊本県知事に対する請求は理由がないのでこれを棄却することとし,原告の被告熊本県に対する訴えはその要件を欠くので却下することとし,訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条を適用して,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 亀川清長 裁判官 内山真理子 裁判官 中島真希子)