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熊本地方裁判所 平成26年(行ウ)4号 判決 2015年3月30日

主文

1  本件訴えのうち,公害健康被害の補償等に関する法律25条1項に基づく障害補償費の支給の義務付けを求める部分を却下する。

2  原告のその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1請求

1  熊本県知事が平成25年9月24日付で原告に対してした公害健康被害の補償等に関する法律25条1項に基づく障害補償費の請求について不支給とした決定を取り消す。

2  熊本県知事は,原告に対し,公害健康被害の補償等に関する法律25条1項に基づく障害補償費の支給決定をせよ。

第2事案の概要

本件は,水俣病認定を受けた原告が,処分行政庁である熊本県知事に対し,公害健康被害の補償等に関する法律(以下「公健法」という。)25条1項に基づく障害補償費の請求(以下「本件請求」という。)をしたところ,処分行政庁から,原告は民事損害賠償請求訴訟の判決に基づき原因企業から公害被害に係る損害を塡補されており,公健法13条1項の規定に基づき,処分行政庁は,公健法に基づく補償給付を支給する義務を免れるとして,障害補償費を支給しない旨の決定(以下「本件処分」という。)を受けたため,本件処分は公健法25条1項及び関連法令の解釈を誤ってなされたものであり違法な処分であると主張してその処分の取消しを求めるとともに,本件請求に対して支給決定の義務付けを求めた事案である。

1  公健法の定め

⑴  13条(補償給付の免責等)

1項 補償給付を受けることができる者に対し,同一の事由について,損害の塡補がされた場合(次条第二項に規定する場合に該当する場合を除く。)においては,都道府県知事は,その価額の限度で補償給付を支給する義務を免れる。

⑵  25条(障害補償費の支給)

1項 都道府県知事は,その認定に係る被認定者(政令で定める年齢に達しない者を除く。)の指定疾病による障害の程度が政令で定める障害の程度に該当するものであるときは,当該被認定者の請求に基づき,公害健康被害認定審査会の意見をきいて,その障害の程度に応じた障害補償費を支給する。

2  前提事実(当事者間に争いがないか,後掲各証拠及び弁論の全趣旨により容易に認定することができる事実)

⑴  当事者等

原告は,○年○月○日,熊本県水俣市<以下省略>で生まれた男性である。

⑵  本件処分に関する経緯

ア 原告は,昭和48年5月2日,公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法(以下「救済法」という。)3条1項の指定による水俣病の認定申請を行った。

イ(ア) 原告は,昭和59年6月21日,国,被告及びA株式会社(以下「原因企業」という。)に対し,損害賠償請求を提起した(以下「水俣病関西訴訟」又は単に「前訴」という。)。本件訴えの原告を含む同訴訟の原告らは,水俣病罹患の結果,肉体的,精神的,経済的,社会的に甚大な損害を被り,その損害額は弁護士費用を除き生存者につき3000万円,死亡者につき5000万円であると主張し,その損害の内容として「逸失利益,慰謝料,介護費」を挙げたが,各損害項目につき個別に具体的な金額を主張しなかった。同訴訟一審判決(証拠<省略>。大阪地判平成6年7月11日・判例時報1506号5頁)は,「原告らの請求額は,基本的に肉体的,精神的,経済的,社会的に被った損害を総合的に斟酌した上で算定されたものと考えられ,その性質は全体として慰謝料の性質を持つと解される。」と説示し,原告の損害額を慰謝料額800万円及び弁護士費用50万円と認定した上で,原告の原因企業に対する請求を850万円の限度で認容した。

(イ) 同訴訟の控訴審判決(証拠<省略>。大阪高判平成13年4月27日・判例時報1761号3頁)は,原告は「メチル水銀中毒症」に罹患していると認めた上で,上記一審判決の損害額に関する説示に言及することなく,中程度の求心性視野狭窄など原告に認められる症状の程度からすれば慰謝料額は800万円,弁護士費用は50万円が相当であるとして,一審判決と同様に原告の原因企業に対する請求を850万円の範囲で認容すべきものとした。

なお,同判決は,「水俣病患者」という言葉が,ややもすると,「救済法又は公健法において認定された水俣病患者」という意味で使用されるので,同訴訟はメチル水銀中毒による被害についての不法行為に基づく損害賠償請求訴訟事件であることを意識し,できるだけ「水俣病」ではなく「メチル水銀中毒症」との文言を使用する旨説示した。

(ウ) 上記控訴審判決のうち原告の原因企業に対する請求に関する部分については,原告及び原因企業は上告又は上告受理申立てをせず,同部分は確定した。

(エ) 原告は,同訴訟の確定判決に基づき,原因企業から合計850万円の賠償金を受け取った。

ウ 原告は,平成19年5月18日,被告に対し,水俣病認定の処分をしない不作為の違法確認とその認定の義務付けを求める訴訟を提起した。

エ 処分行政庁は,平成23年7月6日,前記ア記載の申請に対して,公健法附則4条1項に基づき,原告の疾病が公健法施行令1条別表第二の四「水俣病」であるとの認定(以下「本件認定」という。)を行った。なお,公健法附則4条1項の認定を受けた者は,同法施行令4項で定めるところにより,公健法4条による認定を受けた者とみなされる。

オ 原告は,平成24年3月26日,処分行政庁に対し,公健法25条1項に基づき本件請求を行った。これに対し,処分行政庁は,平成25年9月24日,「民事損害賠償請求訴訟により,原因企業から公害被害に係る損害が全て填補されており,公健法第13条1項の規定に基づき,県知事は,公健法に基づく補償給付を支給する義務を免れるため」との理由で本件処分を行った。(証拠<省略>)

カ 原告は,平成25年10月31日,処分行政庁に対し,本件処分について異議申立てを行った。これに対し,処分行政庁は,同年12月27日,同申立てを棄却した。(証拠<省略>)

キ 原告は,平成26年1月27日,公害健康被害補償不服審査会に対し,前記カの決定について審査請求を行った。(証拠<省略>)

3  争点及び当事者の主張の要旨

⑴  争点1(本件処分の違法性)

ア 公健法13条1項の適用の可否

(原告の主張)

原告が水俣病関西訴訟において損害の賠償を受けたのは,同訴訟で認定された「メチル水銀中毒症」によるものであって,これは本件認定で認められた「水俣病」とは別個の疾病であり,「水俣病」による損害の填補を受けていないのであるから,公健法13条1項における「同一の事由」について損害の填補がされたとはいえない。

また,原告が水俣病関西訴訟において賠償を受けた損害は,精神的損害に対する慰謝料のみであり,逸失利益等の経済的損害は含まれていないから,同一の事由について「損害の塡補」がされたとはいえない。

よって,処分行政庁は,公健法13条1項を誤って適用した上,障害補償費を支給しない旨の決定を行ったのだから,本件処分は違法である。

(被告の主張)

原因企業の事業活動に伴って水俣湾に排出されたメチル水銀化合物に汚染された魚介類を経口摂取することによって引き起こされた原告の健康被害に係る損害は,既に確定した水俣病関西訴訟において原因企業から賠償を受けることで全額填補されており,公健法13条1項により,処分行政庁は,公健法に基づく補償給付を支給する義務を免れることから,障害補償費を支給しない旨の決定をした本件処分は適法である。

イ 手続違法の有無

(原告の主張)

処分行政庁は,公健法13条1項を適用する前提として,同項にいう「補償給付を受けることができる者」に当たるかどうかを判断する必要があり,そのためには公健法25条1項に基づき,指定疾病による障害の程度が政令で定める障害の程度に該当するものであるかどうかにつき判断をし,公害健康被害認定審査会の意見を聴いた上,請求者である被認定者の損害の全体額を把握していなければならない。それにもかかわらず,処分行政庁は,公健法13条1項を根拠に本件処分をするにあたり,原告の障害の程度を判断しておらず,また同審査会の意見を聴いていない。

よって,処分行政庁による本件処分は違法である。

(被告の主張)

処分行政庁が公健法13条1項を根拠として障害補償費の不支給決定をすることが可能な場合に,支給要件である障害等級の判断を必要とする旨の規定はなく,また,公害健康被害認定審査会の意見を聴く手続を定めた規定もない。同審査会は,「この法律によりその権限に属させられた事項」を行うため設置された機関であるところ(公健法44条),障害補償費の支給に関しては,公健法25条1項における「障害補償費の障害の程度」について審査権限を有するものと解されるのに対し,公健法13条1項に係る事由の審査権限を付与されていない。

よって,処分行政庁は,公健法13条1項を根拠として障害補償費の不支給処分をする際に,原告の障害の程度を判断し,また同審査会の意見を聴取する手続を経る必要はなく,本件処分は適法である。

⑵  争点2(義務付け訴訟の適法性)

(被告の主張)

本件処分は,公健法13条1項に基づき適法に発せられた行政処分であって,処分行政庁の認定した事実及び判断に誤りはなく,行政事件訴訟法(以下「行訴法」という。)37条の3第1項2号に規定する「取り消されるべきもの」に当たらないから,原告の義務付けに係る訴えは不適法である。

(原告の主張)

争う。

第3当裁判所の判断

1  争点1ア(公健法13条1項の適用の可否)について

⑴  「同一の事由」の有無

原告は,水俣病関西訴訟控訴審判決の理由中に,「メチル水銀中毒症」という文言をあえて用いる旨の記載があることを根拠に,水俣病関西訴訟において認定された「メチル水銀中毒症」と原告が本件認定で認められた「水俣病」とは異なる疾病である旨主張する。

しかし,同判決(証拠<省略>)の説示によれば,原告主張の「メチル水銀中毒症」と「水俣病」は,いずれも原因企業が事業活動に伴って水俣湾に排出したメチル水銀化合物に汚染された魚介類を経口摂取することによって引き起こされた健康被害という点で同一の疾病を指すことは明らかであり,両者を合理的に区別する理由はない。

そして,他にこれを認めるに足りる証拠はなく,原告の主張は独自の見解であって採用することはできない。

⑵  「損害の塡補」の有無

原告は,水俣病関西訴訟一審判決は,「原告らの請求額は,基本的に肉体的,精神的,経済的,社会的に被った損害を総合的に斟酌した上で算定されたものと考えられ,その性質は全体として慰謝料の性質を持つと解される。」と判示したものの,同控訴審判決は上記判示に対しなんら言及することなく損害内容について慰謝料額を800万円と認めたことから,水俣病関西訴訟においては,文字どおり精神的な慰謝料についてのみ賠償を受けたものであって逸失利益等の経済的損害については当該賠償額に含まれていない旨主張する。

しかし,水俣病関西訴訟の控訴審において同訴訟の原告らが損害額の算定方法に関する主張を変更したと認めるに足りる的確な証拠はないことを考慮すると,同控訴審判決は,損害を個別に判断していくことが困難である場合に,逸失利益等の諸損害と精神的・肉体的苦痛に対する慰謝料とを併せ包括したものとして一定の損害額を算定するいわゆる包括慰謝料方式を採用した一審判決を否定して精神的損害のみの賠償を認めたものではなく,一審判決と同様に包括慰謝料方式を採用したものと解することが相当である。

そうすると,包括慰謝料方式により損害額が算定された確定判決に基づき原告が原因企業から賠償金を受け取っている以上,原告において填補された損害には,精神的損害のみではなく逸失利益等の経済的損害も含まれていることが明らかである。

よって,原告の主張は独自の見解であって採用することができない。

⑶  小括

上記⑴及び⑵のとおり,[判示事項]原告は前訴判決に基づき水俣病に係る損害を填補されている以上,本件請求が公健法13条1項における「同一の事由について,損害の塡補がされた場合」に該当することは明らかであり,処分行政庁が同項を適用の上本件処分をしたことにつき違法はない。

2  争点1イ(手続違法の有無)について

⑴  公健法は,事業活動その他の人の活動に伴って生ずる相当範囲にわたる著しい大気の汚染又は水質の汚濁の影響による健康被害に係る損害を填補するための補償並びに被害者の福祉に必要な事業及び大気の汚染の影響による健康被害を予防するために必要な事業を行うことにより,健康被害に係る被害者等の迅速かつ公正な保護及び健康の確保を図ることを目的とする法律である(同法1条)。

公健法による救済制度は,原因者の汚染原因物質の排出による環境汚染によって生じた健康被害をその対象とし,原因者と被害者との間で損害賠償として処理される事柄について制度的な解決を図ろうとして設けられたものであるから,基本的には民事責任を踏まえた公害による損害を填補する制度としての性格を有するものである。

そして,民事訴訟が最終的な損害賠償を履行せしめる手段であるのに対し,公健法による救済制度は,これに先立って公害被害者の迅速かつ公正な保護を図ることを目的として,訴訟よりも簡易化された画一定型的要件で迅速に給付を行うものであるから,公害被害者がその被害者の特別の事情に基づく損害を含めた全損害の賠償を原因者に対して求めるには,民事訴訟等の民事上の救済手段によることとなるが,公健法による救済制度は,そのような民事上の救済手段を選択する余地をなんら制限するものではない。

公健法に基づく障害補償費の支給を受けるためには,同法4条により指定疾病にかかっているという認定を受けた者の当該指定疾病による障害の程度が,政令で定める障害の程度に該当する必要があり,都道府県知事は,当該被認定者の請求に基づき,公害健康被害認定審査会の意見を聴いて,その障害の程度に応じた障害補償費を支給する(公健法25条1項)。

公健法25条1項において,障害の程度の認定をし,その際に同審査会に対し意見を聴くとした趣旨は,障害補償費の性質が指定疾病による逸失利益の喪失を中心としてこれに慰謝料的な要素を加えたものである以上,一定以上の労働能力の喪失があるか又は日常生活の困難が認められる必要があり,それを認定するに際しては医学的・法律的に高度に専門的な判断を要することから,それらに関して学識経験を有する者らで構成された公害健康被害認定審査会に意見を聴くこととしたものであると解される。

もっとも,上記救済制度の趣旨からすれば,当該請求者が既に民事訴訟等で公害被害につき損害の填補を受けた場合には,同一原因に基づく損害については公健法による補償をする必要がなくなるのであるから,「同一の事由について,損害の塡補がされた場合」においては,都道府県知事はその価額の限度で補償給付を支給する義務を免れることとなるのであり(公健法13条1項),公健法25条1項によって障害補償費の支給を受けることができる者であっても,同条に基づく請求をすることはできない。

(証拠<省略>)

⑵  上記に述べたとおり,公健法の障害補償費制度が,民事責任を踏まえた公害による損害を填補するものであって,民事上既に発生していると考えられる損害賠償請求権について,一定の要件に従い障害補償費を支給することで公害による被害者を迅速かつ画一的に救済するための制度であることを考慮すれば,水俣病関西訴訟において,前記1⑵で検討したとおり,原告の損害の範囲及びその額は精神的慰謝料のみならず逸失利益等の諸損害をも考慮したものとして法的に判断されているのであるから,本件処分にあたって,処分行政庁が,原告の原因企業に対する損害賠償請求権の存否やその内容が確定した民事事件の判決によって明確であることを理由に,原告が「補償給付を受けることができる者」に該当するとして公健法13条1項を適用したとしても,前記公健法25条1項の定める手続の趣旨を害することはない。

よって,本件処分に手続上の違法があるということはできない。

⑶  なお,原告は,認定を受けた者であっても,障害の程度が軽微である場合には,公健法25条1項に基づき障害補償費は支給されず,公健法13条1項の「補償給付を受けることができる者」には当たらないのだから,同項を適用することによって支給の義務を免れるか否かを判断するに際しては,その前提として,公健法25条1項に基づき,公害健康被害認定審査会の意見を聴き,同法施行令9条及び10条の定める区分に基づき障害の程度を認定し,被認定者の障害補償費の支給額の全額を確定し,「補償給付を受けることができる者」か否かを判断した上で,その支給されるべき額につき「同一の事由について,損害の塡補がされた場合」には,当該障害補償費の支給義務を免れるものと判断すべきであると主張する。

しかし,その主張を前提にしたとしても,公健法の制度趣旨や本件事案の経緯等を考慮すれば,処分行政庁が,前訴の確定判決に基づき賠償金が支払われていることから原告の健康被害に係る損害は全額填補されたと判断したことについては,同審査会の意見を聴かずとも可能であるから,かかる手続を経なかったとしてもその違法性の程度は限りなく低いものである。そして,仮に処分行政庁が同審査会に意見を聴いた上で原告の障害の程度を認定したとしても,本件と同様の処分をしたものと容易に考えられるから,その瑕疵が当該処分の結果に影響を及ぼすものと認めることはできない。

⑷  よって,本件処分の手続に違法性はなく,また仮に手続違背があったとしても本件処分の取消原因とはならない。

3  争点2(義務付け訴訟の適法性)について

原告の訴えのうち,処分行政庁に対し,公健法25条1項に基づく障害補償費の支給決定の義務付けを求める部分は,行訴法3条6項2号の義務付けの訴えに該当する。

この点,同法3条6項2号の訴えは,当該法令に基づぐ申請又は審査請求を却下し又は棄却する旨の処分又は裁決がされた場合において,当該処分又は裁決が取り消されるべきものであり,又は無効若しくは不存在である場合に提起することができる(同法37条の3第1項2号)ところ,前記1及び2で述べたとおり,本件処分は適法であって,取り消されるべきものではないから,上記要件を満たさない。

したがって,原告の訴えのうち,義務付けを求める部分については不適法であり却下すべきである。

第4結論

以上のとおり,原告の訴えのうち,処分行政庁に対し,公健法25条1項に基づく障害補償費の支給決定の義務付けを求める部分は,不適法であるから却下し,原告のその余の請求は理由がないからこれを棄却することとし,主文のとおり判決する。

(裁判官 中村心 西田政博 浅尾荘平)

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