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熊本地方裁判所 平成3年(行ウ)9号 判決 2000年1月20日

第一事件原告・第二事件原告(以下「原告」という。)

高倉啓一

右訴訟代理人弁護士

江越和信

右同

塩田直司

右同

森徳和

第一事件被告

宇土税務署長 吉岡忠

東京都千代田区霞が関一丁目一番一号

第二事件被告

右代表者法務大臣

臼井日出男

右両名指定代理人

細川二朗

右同

和多範明

右同

木村淳一

右同

迫本基嗣

右同

境野義孝

右同

秋岡隆敏

右同

田川博

右同

林俊生

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一原告の請求

一  第一事件被告(以下「被告税務署長」という。)が平成二年二月二七日付けでした

1  原告の昭和六一年分の所得税の更正のうち総所得金額二八二万三〇〇〇円、納付すべき税額三万九二〇〇円を超える部分及び同年分の所得税の過少申告加算税賦課決定

2  原告の昭和六二年分の所得税の更正のうち総所得金額五二六万八七六一円、納付すべき税額三〇万七一〇〇円を超える部分及び同年分の所得税の過少申告加算税賦課決定

3  原告の昭和六三年分の所得税の更正のうち総所得金額一一一六万八三四五円、納付すべき税額一七七万〇三〇〇円を超える部分及び同年分の所得税の過少申告加算税賦課決定

をいずれも取り消す。

二  第二事件被告(以下「被告国」という。)は、原告に対し、金五五〇万円及びこれに対する平成五年四月一七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  訴訟費用は被告らの負担とする。

第二事案の概要等

一  事案の概要

本件は、被告税務署長から昭和六一年分ないし昭和六三年分(以下「本件係争年分」という。)の所得税の各更正及び各過少申告加算税賦課決定(以下、右各更正を「本件各更正」、右各決定を「本件各決定」といい、両者を併せて「本件各処分」という。)を受けた原告が、被告税務署長に対し、本件各処分に先立って行われた税務調査手続の適法性、推計の必要性及び合理性を争いつつ、昭和六二年分及び昭和六三年分の所得の実額を主張するなどして、本件各処分(ただし、本件各更正についてはその一部)の取消しを求め(第一事件)るとともに、被告国に対し、右税務調査手続及び本件各処分の違法を理由に、国家賠償法一条一項に基づく損害賠償を求め(第二事件)た事案である。これに対し、被告税務署長は、本件各処分の適法性を主張し、原告主張の実額を争い、被告国は、右税務調査手続の違法性を争い、また、国家賠償法に基づく損害賠償について三年の消滅時効を援用するものである。

二  本件各処分の存在等(当事者間に争いがない。)

1  原告は、平成元年三月ころまで、原告肩書住所地において、型枠工事業を営む個人事業者であったが、(一)昭和六一年分の所得税につき、総所得金額を二八二万三〇〇〇円、納付すべき税額を三万九二〇〇円として、(二)昭和六二年分の所得税につき、総所得金額を三二七万三一二二円、納付すべき税額を五万九二〇〇円として、(三)昭和六三年分の所得税につき、総所得金額を四三二万三二一一円、納付すべき税額を二〇万五六〇〇円として、それぞれ法定の期限内に青色申告書によらないで確定申告をした。

2  被告税務署長は、平成二年二月二七日付けで、原告に対し、(一)昭和六一年分の所得税につき、総所得金額を七四五万二二四三円、納付すべき税額を八八万円とする更正をするとともに、五万九〇〇〇円の過少申告加算税を賦課する決定をし、(二)昭和六二年分の所得税につき、総所得金額を七六七万三二〇一円、納付すべき税額を七七万〇三〇〇円とする更正をするとともに、八万一五〇〇円の過少申告加算税を賦課する決定をし、(三)昭和六三年分の所得税につき、総所得金額を二三二九万四五六七円、納付すべき税額を六六一万四〇〇〇円とする更正をするとともに、九三万五〇〇〇円の過少申告加算税を賦課する決定をした。

3  原告は、本件各処分を不服として、平成二年四月二六日、被告税務署長に対し異議申立てをしたが、同年七月二五日付けで棄却された。原告は、さらに、同年八月二五日、熊本国税不服審判所長に対し審査請求をしたが、これも平成三年四月二二日付けで棄却された。

三  被告らの主張

1  推計の必要性(第一、第二事件)

(一) 税務調査の経緯

原告の本件係争年分の所得税に関する税務調査の経緯は以下のとおりである。

(1) 調査の端緒

被告税務署長は、原告から提出された本件係争年分の各所得税確定申告書の所得金額欄に事業所得の金額が記載されているだけで、収入金額及び必要経費の各欄の記載がなく、また、収支内訳書の添付もなく、所得金額を計算するための収支内容が不明であったことから、原告の本件係争年分の申告所得金額が適正であるかどうかについて調査の必要があると判断し、所部係官の日隈永礎(以下「日隈調査官」という。)にその調査を命じた。

(2) 平成元年五月二六日の調査

日隈調査官は、同日午前一〇時一五分ころ、原告に事前の連絡をせず、原告方に赴き、原告の妻高倉るい子(以下「るい子」という。)に対し、原告の所得税の調査のため訪れた旨告げたところ、るい子は、原告が不在であること、自分には原告の事業内容が分からないこと、税務申告は宇城民主商工会に任せていることなどを答えた。そこで、日隈調査官は、るい子に対し、同月二九日午前一〇時に再度同所で調査を行うので、帳簿書類、請求書、領収書等を用意しておいてほしい旨告げるとともに、原告にもその旨を伝えるよう依頼して原告方を辞去した。

(3) 平成元年五月二九日の調査等

日隈調査官は、同日午前九時三〇分ころ、原告方に赴き、原告に対し、所得税の調査のため訪れた旨告げ、調査に着手しようとしたところ、宇城民主商工会の事務局員ら三名が調査の場に同席しようとしたことから、原告に対し、右三名を退席させるよう要請した。しかし、原告は、「民商に頼んでいるから居てもらわないと困る。」などと述べ、右要請に応じなかった。そこで、日隈調査官は、原告に収入金額及び取引先を尋ねたが、原告は、「六三年は二社ぐらい。何もつけてないから分からない。」などと答え、仕入及び必要経費についての質問に対しても、「仕入は岩山建材、ここから九〇パーセントから九五パーセント仕入れている。他は分からない。」、「人件費は月三〇〇万円くらいかかっている。」などと答えるのみで、日隈調査官が本件係争年分に係る帳簿や原始記録等を提出するよう再三要請しても、これに応じなかった。また、日隈調査官が必要に応じて反面調査を行う旨述べると、原告は、「どうぞ。」と答えた。日隈調査官は、この日の調査はこれ以上続行できないと判断し、原告に同年六月一二日に再度調査に来るのでそれまでに帳簿類を用意しておくよう依頼し、原告から帳簿等の書類を用意する旨の約束を取り付けた上で、原告方を辞去した。

日隈調査官は、同月九日、るい子から、電話で、調査日を同月一九日に変更してほしい旨の連絡を受けたが、るい子に対し、とりあえず同月一二日に調査に行く旨告げた。

(4) 平成元年六月一二日、同月一三日及び同月一五日の調査

日隈調査官は、同月一二日午前一〇時ころ、原告方に赴いたが、原告が不在で、るい子に取引先を質問したり、帳簿書類を提示するよう要請したが、るい子が「分からない。」、「言えない。」と述べるだけだったことから、原告方を辞去した。

日隈調査官は、同月一三日午後三時ころにも、原告方に赴き、るい子に取引先の名前を質問するなどしたが、るい子からは同月一二日と同様の応答しか得られなかったことから、同月一五日午前一〇時に調査に来るので資料だけでも見せるように依頼して原告方を辞去した。

日隈調査官は、同日午前九時四五分ころ、原告方に赴き、るい子に対し、資料等の提示を求めたが、るい子がこれに応じなかったことから、原告方を辞去した。

(5) 平成元年六月一九日の調査

日隈調査官は、同日午前九時三〇分ころ、原告方に赴いたところ、原告の外に立会人が二名いたため、原告に右二名を退席させるよう要請したが、原告はこれに応じなかった。日隈調査官は、原告に対し、帳簿類の提示を求めたが、原告及び立会人が、日隈調査官に対し、銀行に対する調査を行ったことを非難する言動を繰り返すばかりで、帳簿類の提示をしなかったことから、同日午前一〇時四五分ころいったん原告方を辞去した。

日隈調査官は、同日午後一時五〇分ころ、再び原告方に赴いたが、原告は不在で、るい子に原告の居場所を尋ねても、回答が得られなかった。

(6) 平成元年七月四日から平成二年一月三〇日までの調査

日隈調査官は、平成元年七月四日から同年九月一日までの間、九回にわたって原告方に電話をかけたほか、原告方に四回赴き、原告又は原告不在の場合はるい子に対し、再三にわたり調査に協力するよう説得したが、これに応じる旨の明確な回答が得られなかった。

日隈調査官は、同月四日、るい子から、電話で、調査日を同月八日午後一時ころにしてほしい旨の連絡を受けた。そこで、日隈調査官は、同日午後一時ころ、原告方に赴き、収入、仕入、経費についての書類を見せるよう要請した、しかし、原告及び立会人らは、日隈調査官の行った取引先への反面調査について非難する一方、書類を提示せず、収入の内訳についてあいまいな回答を繰り返し、調査は進展しなかった。

日隈調査官は、その後も、平成二年一月三〇日までの間に七回にわたり電話をかけたほか、原告方に一回赴いて、るい子に対し、調査に協力するよう説得したが、これに応じる旨の回答が得られなかったところ、同月三一日、るい子から、電話で、「調査日を二月五日午前一〇時にしてほしい。」との連絡を受けた。

(7) 平成二年二月五日の調査

日隈調査官は、同日午前九時三〇分ころ、原告方に赴いたところ、原告の外に八名の者が調査に同席しようとしていたので、原告に対し、右の者らの退席を要請したが、原告はこれを聞き入れず、立会人らも「第三者とはだれだ。話を続けろ。俺たちは居てもいい。」などと言って交互に日隈調査官を詰問したことから、調査は進展せず、日隈調査官は、原告方をいったん辞去した。

日隈調査官は、同日午後三時ころ、再び原告方に赴いたところ、原告の外に九名の者が調査に同席し、日隈調査官の要請にもかかわらず、原告は右の者らを退席させなかった。また、原告は、昭和六三年分の売上、仕入、経費の各合計額について回答したが、その内訳に関する資料の提示を拒否した。その間、同席していた者らは、「税務署が持っている資料を先に出せ。」などと言って、日隈調査官を詰問した。

日隈調査官は、原告から調査の協力を得ることはできないものと判断し、原告方を辞去した。

(二) 原告の税務調査への非協力

前記(一)のとおり、原告に対する本件係争年分の所得税の調査は、約八か月にわたって行われており、その間、原告に対し再三にわたって調査に協力するよう要請がなされていたにもかかわらず、原告は、ことさら調査に非協力的な態度に終始した。そのため、被告税務署長は、帳簿書類等の存否の確認、査閲等の調査を進展させることができず、原告の所得金額を実額で算定することができなかったのであり、推計課税の必要性があったというべきである。

(三) 帳簿書類の不存在

前記(一)の調査経緯等からすれば、原告は、帳簿書類を備え付けておらず、また、収支状況を明らかにするに足りるだけの原始資料も有していなかったと考えられるから、この点からも推計の必要性があったというべきである。

2  推計の合理性(第一、第二事件)

被告税務署長の採用する推計の方法は、以下のとおりであって、推計の合理性があるというべきである。

(一) 売上金額

原告が営む型枠工事業の本件係争年分の各売上金額は、次のとおりである(内訳は別表一のとおり)。

(1) 昭和六一年分 一億三四四〇万二〇五二円

(2) 昭和六二年分 一億六三六五万〇〇二一円

(3) 昭和六三年分 二億六八二四万七五二八円

(二) 平均所得率

被告税務署長は、原告の納税地を管轄する宇土税務署並びにこれに隣接する熊本西、熊本東及び八代の各税務署の管内において、個人又は法人で型枠工事業を営み、かつ、事業規模が原告に類似する者(以下「比準同業者」という。)の売上金額に占める所得金額の割合(以下「所得率」という。)の平均値(以下「平均所得率」という。)を算出した。

なお、被告税務署長は、原告の比準同業者を抽出するに当たって、原告が型枠工事業を営む白色申告者であるところから、管内に事業所を有し、かつ、原告と同種の型枠工事業を営む個人事業者又は法人のうち、左記の(イ)、(ロ)、(ハ)、(ニ)のすべての条件に該当する者として把握された者を漏れなく抽出した。

(イ) 年を通じて型枠工事業を営んでいる者

(ロ) 本件係争年分において、青色申告の承認を受け、所得税青色申告決算書あるいは法人税財務諸表を提出している者

(ハ) 本件係争年分の売上金額が、原告のそれの半分以上二倍以下の範囲内である者

(ニ) 次のいずれにも該当しない者

(い) 災害等により経営状態が異常であると認められる者

(ろ) 更正又は決定処分がされている者のうち、当該処分について国税通則法又は行政事件訴訟法の規定による不服申立期間又は出訴期間が経過していない者、あるいは、当該処分に対して不服申立てがされ又は訴えが提起されて現在審理中である者

右抽出方法においては、抽出基準(業種・業態の類似性、立地条件の類似性、事業規模の近似性)は、合理的で、正確性も担保されており、抽出過程も合理性があり、抽出された比準同業者の件数や所得率も合理的であるところ、右方法により抽出された比準同業者の売上金額、所得金額及び所得率は、別表二のとおりであり、平均所得率は、次のとおりである。

(1) 昭和六一年分 六・一二パーセント

(2) 昭和六二年分 六・一四パーセント

(3) 昭和六三年分 八・九八パーセント

(三) 推計による所得金額の計算

被告税務署長は、昭和六一年分及び六二年分について、右(一)(1)、(2)の売上金額に右(二)(1)、(2)の平均所得率を乗じて原告の事業所得の金額を算出した。

また、被告税務署長は、昭和六三年分について、右(一)(3)の売上金額に右(二)(3)の平均所得率を乗じて算出した金額から、るい子に係る事業専従者控除額六〇万円を差し引いて算出した。

右方法により算出された事業所得の所得金額は、次のとおりである。

(1) 昭和六一年分 八二二万五四〇五円

(2) 昭和六二年分 一〇〇四万八一一一円

(3) 昭和六三年分 二三四八万八六二八円

3  本件各更正の適法性(第一、第二事件)

原告の本件係争年分の事業所得の金額は右2(三)のとおりであり、各年とも本件各更正における原告の事業所得の金額(総所得金額と同額であり、前記二2のとおり)を上回るものであるから、本件各更正はいずれも適法である。

4  本件各決定の適法性(第一、第二事件)

本件各決定は、国税通則法六五条一項(昭和六一年分については、昭和六二年法律第九六号による改正前のもの。以下同じ。)の規定に基づき、本件各更正により新たに納付すべき所得税額(昭和六一年分八四万円、昭和六二年分七一万円、昭和六三年分六四〇万円。なお、同法一一八条三項により一万円未満の端数を切捨て)を基礎として、同法六五条の規定に従って過少申告加算税を賦課したものであるから適法である。

四  被告らの主張に対する原告の認否

1(一)  被告らの主張1(一)(1)は知らない。

(二)  同1(一)(2)は認める。

(三)  同1(一)(3)の平成元年五月二九日の調査に関する部分のうち、日隈調査官が原告方に赴いたこと及び右調査に宇城民主商工会の事務局員らが立ち会ったことは認めるが、その余は否認する。

原告は、同日の調査の際に、日隈調査官に対し、「わずか三日で資料をそろえることはできないので、まだ資料がそろっていない。今度までそろえておく。六月一二日に来てくれ。」と告げたところ、日隈調査官は、これを了解して帰った。

また、るい子が同年六月九日に日隈調査官に電話をし、同月一二日の調査を同月一九日に変更してほしいと告げたことは認めるが、日隈調査官が同月一二日に原告方に行くと告げたことは否認する。日隈調査官は、右変更に同意したものである。

(四)  同1(一)(4)のうち、日隈調査官が同日、同月一三日及び同月一五日に原告方に赴いたことは認めるが、その際の日隈調査官とるい子との会話内容については否認する。

(五)  同1(一)(5)のうち、日隈調査官が同月一九日午前九時三〇分ころ原告方に赴いたこと、その際宇城民主商工会の事務局員らが調査に立ち会ったこと、日隈調査官が原告に対し書類の提示を求めたこと、原告が日隈調査官に対し銀行に対する調査を行った理由を尋ねたこと及び日隈調査官が結局書類を見ることができなかったことは認め、その余は否認する。

原告は、同年五月二九日に日隈調査官に資料をそろえると約束したにもかかわらず、同月三一日に銀行への反面調査が行われたことから、宇土税務署側に不信感を抱き、日隈調査官に対し、なぜ銀行への反面調査を行ったのかなどを尋ねたが、「必要だから行った。」、「協力してもらえるのですか。どうですか。」などというだけであった。

(六)  同1(一)(6)のうち、同年七月四日から同年九月一日までの間、数回にわたって、日隈調査官が、原告方に電話をかけたり、原告方に赴いたことは認める。

また、日隈調査官が同月八日に原告方に調査に赴いたことは認める。この時、原告は、取引先に対する調査等での日隈調査官の行き過ぎた言動等について問いただしたが、日隈調査官はこのことについて一切言及しなかった。

さらに、日隈調査官が平成二年一月一二日に原告方に赴いたこと及び同年二月五日の調査を原告側が求めたことは認める。日隈調査官は、同年一月一二日、「協力するのかしないのか。更正を打ちますよ。」と一方的に言って帰った。

(七)  同1(一)(7)のうち、日隈調査官が同年二月五日の午前及び午後の二回にわたって原告方に赴いたこと、この際数名の者が調査に立ち会ったこと及び日隈調査官が右の者らの退席を求めたことは認め、その余は否認する。

原告は、同日の調査において資料を全部用意していたにもかかわらず、日隈調査官は、立会人が同席していることを理由に調査しようとしなかった。午後の調査も、原告側が求めたものであったが、この時も、日隈調査官は、資料を持ってきていないと言って、原告側の用意した資料を検討しようとしなかった。

(八)  同1(二)、(三)はいずれも否認ないし争う。

2(一)  同2(一)のうち、昭和六一年分の売上金額は認める。なお、昭和六二年分の売上金額は一億七二一六万一〇一六円であり、昭和六三年分の売上金額は二億七〇一七万〇九一九円である。

(二)  同2(二)、(三)は否認ないし争う。

3  同3、4は争う。

五  原告の主張

1  調査手続の違法性(第一、第二事件)

本件各更正に先立つ被告税務署長の部下職員による調査手続は、以下の点で違法であり、このような調査を前提とする本件各更正及び本件各決定も違法である。

(一) 事前通知の欠如

質問検査権を行使する場合、事前の通知が適当でないと認められる場合を除き、被調査者に対し事前に通知することが必要であると解すべきである。本件において、日隈調査官は、事前の通知が適当でないと認められるような事情がないにもかかわらず、平成元年五月二六日の調査を初めとして、ほとんどの場合、原告に対する事前の通知もなく、原告方に赴いて質問検査を行っていたものであるから、右質問検査は違法である。

(二) 肥後銀行に対する反面調査の違法

反面調査は、客観的に見てやむを得ないと認められる場合に限って実施すべきものであり、とりわけ、金融機関に対する反面調査は、これを行わなければ適正な課税又は滞納処分等がしがたいと認められる場合にのみ、実施することができると解すべきである。本件において、原告は、平成元年五月二九日の調査時に、日隈調査官に対し、同年六月一二日までに資料をそろえると約束し、日隈調査官もこれを了解していたのであるから、この時点で直ちに金融機関に対する反面調査を行うべき客観的必要性がなかった。にもかかわらず、日隈調査官は、同年五月三一日、原告の取引銀行である肥後銀行砥用支店に対する反面調査を実施し、その後も、原告が反面調査に反対の意向であることを認識しながらあえて、数回にわたって同銀行に対する反面調査を行っていたものであるから、右反面調査は違法である。

また、右反面調査において、日隈調査官は、テーブルをたたいたり、大声を上げたり、銀行員をののしったり、数時間にわたって「銀行業務を停止させる。」、「シャッターを降ろさせて銀行調査するぞ。」などと脅迫的な言動を用いるなどしており、右反面調査は、その態様においても、社会通念上相当な限度を超えたものというべきであるから、違法である。

(三) 原告の取引先に対する反面調査等の違法

日隈調査官は、平成元年九月八日ころまでに、原告の取引先に対する反面調査を大々的に行っていたが、その態様は、原告が脱税をしていると受け取られるような文書を、原告との取引の有無を調査することなく、無差別的に送付するなどというものであった。

また、日隈調査官は、原告の取引先である岩山建材に対する調査においては、執拗に書類の提出を要求した上、「お宅の税理士を教えろ。」、「東税務署に調査させるぞ。」、「私が東税務署に転勤したらお宅に調査に来るぞ。」などの脅迫的言動に及び、長時間店の前に居座るなどの営業妨害行為を行った。

さらに、日隈調査官は、原告の工事現場に行き、従業員や下請業者の従業員に質問するなどしており、その結果、原告が脱税をして税務署から調査を受けているとのうわさが立って、原告の営業にさまざまな支障が生じた。

これらの税務調査は、いずれも社会通念上相当な限度を超えた違法なものである。

2  推計の必要性の不存在(第一、第二事件)

原告は、平成元年五月二九日の調査時に、日隈調査官に対し、同年六月一二日には資料をそろえると約束し、日隈調査官の了解を得ていたことから、できる限り資料を集め、書類を用意して調査を待った。ところが、日隈調査官は、右約束があったにもかかわらず、同年五月三一日に肥後銀行に対する反面調査を実施した。そこで、これに憤慨した原告が、同年六月一九日の調査時に、日隈調査官に対し、反面調査を実施した理由を尋ねたところ、日隈調査官は、「必要だったから行った。」というだけで、それ以上の理由を開示しなかった。その結果、日隈調査官は、原告の用意した資料等を見ることができなかったものである。

また、原告は、同年九月八日の調査においても、日隈調査官に対し、取引先や肥後銀行に対する調査での行き過ぎた言動等について問いただしたが、日隈調査官は、これに対し一切言及しなかった。

このように原告が日隈調査官に反面調査を行った理由の開示を求めたり、行き過ぎた税務調査に対し抗議したりしたことは、正当な権利行使であって、日隈調査官が、原告に調査理由を開示しなかった結果、原告の用意した資料等を見ることができなかったことを調査拒否として、これを理由に推計の必要性があるというべきではない。

原告は、平成二年二月五日の調査時にも、資料をそろえて調査に応じるべく準備していたが、日隈調査官が、立会人がいることなどを理由に原告の用意した資料を見ようとせず、一方的に調査を打ち切ったものである。

このような一連の調査経緯等からすれば、日隈調査官は、調査の当初から、原告の帳簿等の提示を受けて所得を確認するつもりはなく、反面調査と推計課税による更正処分をしようと考えていたものと考えざるを得ないのであり、日隈調査官が何度も原告方を訪れるなどしたのも、推計課税をするために調査を行ったという実績を整えようとしたにすぎない。したがって、原告の調査非協力又は帳簿書類の不存在により推計の必要性があるとはいえない。

3  推計の合理性の不存在(第一、第二事件)

以下の点からすれば、被告税務署長の採った推計の方法は合理的なものとはいえない。

(一) 個人と法人の差異

被告税務署長は、個人と法人とでは所得の算出方法に大きな差異があるにもかかわらず、法人をも比準同業者に含めて平均所得率を算出しており、個人である原告に用いる推計の方法としての合理性を欠いている。

(二) 比準同業者間の所得率の格差

被告税務署長の算出した比準同業者の所得率には、最も高いものと最も低いものとの間で、昭和六一年分で約三・九倍、昭和六二年分で約一・五四倍、昭和六三年分で三・二倍という看過し難い格差がそれぞれ生じているのであって、その平均値を用いて真実の所得に近い所得額を算出することはできず、推計の合理性があるとはいえない。

(三) 型枠工事業における事業形態の違い

同じ型枠工事業といっても、材料費を負担するのは発注者か受注者か、収入の性格が加工賃収入か否か、受注工事を外注に依存するのか自社内で遂行するか、型枠工事業以外の収入があるかどうか、元請か下請か、公共工事の指名業者になっているか否かなど事業形態に違いがあり、これらは所得率に影響を与える要因であるにもかかわらず、被告税務署長は、このような違いを無視して、比準同業者を選出しているのであるから、推計の合理性があるとはいえない。

4  所得の実額等(第一事件)

(一) 昭和六二年分について

原告の昭和六二年分の事業所得に係る売上、工事原価、その他の必要経費及び営業外費用の金額は、次のとおりである(明細は別表三1のとおり)。

(1) 売上 一億七二一六万一〇一六円

(2) 工事原価 一億五一四七万三三八二円

(3) その他の必要経費 一三一四万二三一〇円

(4) 営業外費用 二二七万六五六三円

以上によれば、原告の同年分の事業所得は五二六万八七六一円である。

(二) 昭和六三年分について

原告の昭和六三年分の事業所得に係る売上、工事原価、その他の必要経費、営業外収益及び営業外費用の金額は、次のとおりである(明細は別表三2のとおり)。

(1) 売上 二億七〇一七万〇九一九円

(2) 工事原価 二億四一五四万一一一六円

(3) その他の必要経費 一四九六万二三九三円

(4) 営業外収益 一〇万二一九九円

(5) 営業外費用 二六〇万一二六四円

以上によれば、原告の同年分の事業所得は一一一六万八三四五円である。

(三) 昭和六一年分について

なお、原告は、昭和六一年分については所得の実額を主張しないが、被告が主張する原告の昭和六一年分の売上金額に、右(一)より導かれる原告の昭和六二年分の所得率(約三・〇六パーセント)を乗じて、昭和六一年分の所得を推計すべきである。

5  その他の違法理由(第一、第二事件)

本件各処分及びこれに先立つ税務調査は、宇城民主商工会の会員である原告を同会から脱退させるためになされた差別的なものであるから、違法である。

6  原告の損害(第二事件)

(一) 原告は、前記1及び5で指摘した違法な税務調査により、脱税をしているのではないかとの悪い風評が広まるなどして対外的な信用を傷つけられ、営業上種々の支障を来した上、違法な税務調査及び本件各処分により著しい精神的な苦痛を被ったほか、本件各処分に対する異議申立て、審査請求、本件訴訟の提起等の対応をすることを余儀なくされた。これによる慰謝料としては金五〇〇万円が相当である。

(二) 原告は、第二事件につき訴訟を追行するに当たり、弁護士に右(一)の金額の一割である五〇万円を支払うことを約した。

六  原告の主張1、4ないし6に対する被告らの認否、反論等

1  調査手続の違法性(原告の主張1)について

(一) 事前通知の欠如について

所得税法二三四条一項所定の税務職員による質問検査権行使の範囲、程度、時期、場所等実定法上定めのない実施の細目については、質問検査の必要があり、かつ、これと相手方の私的利益との衡量において社会通念上相当な限度にとどまる限り、権限ある税務職員の合理的な選択にゆだねられており、実施の日時場所の事前通知、調査の理由及び必要性の個別的、具体的な告知は、質問検査を行う上の法律上一律の要件とはされているものではない。

本件において、前記三1(一)(1)のとおり、原告に対する質問検査の必要があったことは明らかであり、また、個人事業者であっても利益を目的として事業を行っている以上、自己の事業の収支の状況を把握していることは当然であり、少なくとも仕入、売上に関する原始資料を保存していることは当然のことであるから、税務職員が事前通知をすることなく税務調査のため臨場したとしても相手方に不当な不利益を与えることにはならないのであるから、日隈調査官が原告方を訪問する際に事前に連絡しなかったからといって、質問検査にその必要性と相手方の私的利益との衡量において社会通念上相当な限度を超えた違法があったということもできない。

(二) 肥後銀行に対する反面調査について

反面調査の要否及びその範囲、程度についても、質問検査の必要があり、かつ、これと相手方の私的利益との衡量において社会通念上相当な限度にとどまる限り、権限ある税務職員の合理的な選択にゆだねられているというべきである。

本件において、前記三1(一)の(1)ないし(3)によれば、原告に対する税務調査では取引先及び収支状況を把握できなかったため、銀行に対する反面調査が行われたものであり、平成元年五月三一日に肥後銀行に対する反面調査に着手したことは、同月二九日の調査状況等に照らしても、十分に合理性があるというべきであり、また、右反面調査の方法も所得金額を把握するため一般的に行われているものであり、これにより原告の信用が失われるということもない。

また、原告の主張1(二)のうち、肥後銀行に対する反面調査に際し、日隈調査官が、テーブルをたたいたり、大声を上げたり、銀行員をののしったり、脅迫的な言動を用いるなどしたという部分は、否認する。肥後銀行に対する反面調査において、原告が主張するような脅迫的言動等がなされたという事実はなく、右調査の態様に、相手方の私的利益との衡量において社会通念上相当な限度を超えた違法はなかった。

(三) 原告の取引先に対する反面調査等の違法について

原告の主張1(三)のうち、岩山建材に対する調査に関する部分は、否認する。

日隈調査官は、原告に対する調査によっても、本件係争年分に係る売上、取引先等について十分な情報が得られなかったことから、熊本市内において広告を掲載している中堅の総合建設業を対象に、書面又は実地調査により取引状況を調査した。したがって、右調査が原告と取引関係のない者にも及んだことがあったとしても、右のような調査経緯に照らせば、右調査は、必要かつ相当なものであったというべきであり、違法ではない。

(四) 調査理由等の開示について

調査理由及び必要性の個別的、具体的な告知をするか否かについても、前記(一)のとおり、税務職員の合理的な選択にゆだねられているところ、肥後銀行に対する反面調査が必要かつ相当であり、原告が、右調査理由が告知されていないことを理由に帳簿書類等の提示要請に応じなかったことを考えると、日隈調査官が調査理由の開示に応じなかったことをもって、合理的な選択でないということはできない。

2  所得の実額等(原告の主張4)について

所得の実額によって推計による課税処分を覆すためには、被課税者において、その主張する収入金額がすべての取引先からのすべての取引についての捕捉漏れのない総収入金額であること、その主張する必要経費が実際に支出されたこと及び右必要経費が総収入金額と対応することについて、合理的疑いを容れない程度に立証しなければならない。また、原始書類のみに基づく実額反証においては、当該原始書類が、取引に接着して作られ、かつ完全に保存されているとともに、それが仕入、外注費及び一般経費について記帳がされた会計帳簿と同程度ないしそれ以上に信用性のあるものでなければならない。

原告が、昭和六二年分及び昭和六三年分に係る会計資料として原始資料しか提出しておらず、現金出納簿を提出していないこと、原始資料の保管状況も適正なものでなく、現に領収書控えと請求書控えのそろっていないものが数多く存在すること、原告提出の原始資料には、明らかに昭和六二年分及び昭和六三年分の会計資料たり得ないものが含まれていること、昭和六一年分については実額による主張立証がされていないことなどからすれば、原告の実額に関する主張立証は、真実の所得金額を認定するには極めて不十分である。

3  原告の主張5は、否認する。

4  原告の損害(原告の主張6)について(被告国の認否)

原告の主張6(一)は否認ないし争い、(二)は知らない。

5  被告国の消滅時効の主張(第二事件)

(一) 原告は、日隈調査官が銀行への反面調査を行ったことを遅くとも平成元年六月一九日までには知っていたのであり、この時より三年を経過した平成四年六月一八日には、原告の被告に対する損害賠償請求権の消滅時効が完成している。

(二) 被告国は、平成五年八月二七日の第二事件口頭弁論期日において、右時効を援用するとの意思表示をした。

七  消滅時効の主張(前記六5)に対する原告の反論

前記六5(一)のうち、消滅時効の起算点を平成元年六月一九日とする点は争う。消滅時効の起算点は、本件各処分が原告に通知された日である平成二年二月二七日あるいはそれ以降であり、原告は平成五年二月二四日に第二事件の訴えを提起しているから、消滅時効は完成していない。

第三主要な争点

一  調査手続の違法性の有無(第一、第二事件に関して)

二  推計の必要性(第一、第二事件に関して)

三  推計の合理性(第一、第二事件に関して)

四  所得の実額(第一事件に関して)

五  損害の有無及び金額(第二事件に関して)

六  消滅時効の成否(第二事件に関して)

第四当裁判所の判断

一  調査手続の違法性の有無(争点一)について―第一、第二事件

1  原告は、本件各処分に先立って行われた質問検査が、<1>事前の通知を欠く点、<2>肥後銀行に対する反面調査が実施要件を欠き、また、その態様が社会通念上相当な限度を超えている点、<3>取引先に対する反面調査の態様が社会通念上相当な限度を超えている点等において違法であると主張している。

ところで、所得税法二三四条の規定に基づく質問検査の範囲、程度、時期、場所等実定法上特段の定めのない実施の細目については、質問検査の必要があり、かつ、これと相手方の私的利益との衡量において社会通念上相当な限度にとどまる限り、権限ある税務職員の合理的な選択にゆだねられているものというべきであり、質問検査の実施の日時場所の事前通知、調査の理由及び必要性の個別的、具体的な告知は、質問検査を行う上の法律上一律の要件とされているものではないと解するのが相当である(最高裁第三小法廷昭和四八年七月一〇日決定・刑集二七巻七号一二〇五頁、最高裁第一小法廷昭和五八年七月一四日判決・訟務月報三〇巻一号一五一頁、最高裁第一小法廷平成五年三月一一日判決・訟務月報四〇巻二号三〇五頁参照)。

2  そこで、本件の税務調査の経緯について検討するに、争いのない事実に加え、証拠(甲一四一、一五〇、乙一一ないし一四(枝番は特定の必要のない限り省略する。以下同じ)、証人日隈永礎、同高倉るい子、原告)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

(一) 調査の端緒等

(1) 原告は、昭和五〇年ころから、高倉建設の屋号で型枠工事業を営んでいたが、平成元年四月一日、有限会社高倉建設を設立し、それ以降同社において型枠工事業を営むに至っている。なお、原告は、昭和五一年ころから、宇城民主商工会の会員となっており、昭和六三年当時は同会の理事であった。

(2) 被告所部の水上統括官は、原告から提出された本件係争年分の所得税確定申告書に、総所得金額及び事業所得の金額の記載があるのみで、収入金額及び必要経費の金額の記載がなく、収支内訳書も添付されていなかったため、所得金額を計算するための収支内容が不明であったこと、これまで原告に対する税務調査が行われたことがなかったことなどから、原告の本件係争年分の申告所得金額が適正であるかどうかについて調査の必要があると判断し、日隈調査官にその調査を命じた。

(二) 平成元年五月二六日の調査

日隈調査官は、右調査のため、同日午前一〇時一五分ころ、原告方に赴いた。なお、日隈調査官は、原告に対する税務調査が実施されるのが初めてであったこともあって、右調査に当たり、原告の帳簿書類の記帳状況等をあるがままに把握するため、原告に対し、事前の連絡をしていなかった。日隈調査官は、原告が不在であったことから、原告の妻であるるい子に対し、身分証明書及び質問検査章を示しながら、原告の所得税の調査のため訪れた旨告げた上で、原告の事業内容について質問をした。しかし、るい子は、宇城民主商工会に税務申告を任せているから分からない旨答えた。そこで、日隈調査官は、るい子に対し、同月二九日に再度原告方に調査に来るので、原告の本件係争年分の所得税確定申告の際に使用した帳簿書類、領収書等を用意しておいてほしいと要請するとともに、原告にもそのことを伝えるよう依頼して午前一〇時三〇分ころ原告方を辞去した。

(三) 平成元年五月二九日の調査

日隈調査官は、同日午前九時三〇分ころ、原告方に赴き、原告に身分証明書及び質問検査章を示した上で、調査に着手しようとしたが、原告とるい子の外に宇城民主商工会の事務局員である釘崎朋子(以下「釘崎」という。)ら数名の者が調査に同席しようとしたことから、原告に対し、国家公務員法の守秘義務と税理士法に違反するとして、これらの者の退席を要請した。しかし、原告は、「民商に頼んでいるから居てもらわないと困る。」と言って、右要請に応じなかった。そこで、日隈調査官は、やむなく右の者らが同席するなか、原告に対し、事業内容について質問を始めたが、原告は、売上について「六三年は二社ぐらい。何もつけてないから分からない。」などと答え、仕入について「岩山建材から九〇パーセントから九五パーセントぐらい。他には分からない。」などと答え、必要経費については、人件費が月三〇〇万円くらいかかっている旨答えるのみであった。また、るい子は、「帳面のつけ方が分からないから、民商に頼んでいる。」、「月の生活費が二〇万円、それに本人の小遣いが月一〇万円の計三〇万円で申告した。」などと答えるにとどまった。また、日隈調査官が帳簿や原始記録を提出するよう再三要請しても、原告は、帳簿がないなどとしてこれに応じなかった。さらに、日隈調査官が必要に応じて反面調査を行う旨述べたが、原告は、「どうぞ。」と答えた。このような問答をしている間、同席していた宇城民主商工会の事務局員らは、口々に「自主申告だからいいじゃないの。」とか「会社の証明書を見せるから、それまで待っとけ。」などと言っていた。日隈調査官は、この日の調査をこれ以上続行できないと判断し、原告に対し、同年六月一二日に再度調査に来るのでそれまでに資料を用意してほしいと依頼したところ、原告がこれを了承したことから、午前一一時五〇分ころ原告方を辞去した。

(四) 平成元年五月三一日から同年六月一五日までの調査

(1) 日隈調査官は、同年五月二九日の調査における原告の言動等から、原告が帳簿等を備えていないか、帳簿等があるとしてもきちんとしたものではないのではないかという疑念を抱き、同月三一日、原告の取引銀行である肥後銀行砥用支店に赴き、原告及びるい子の預金口座の調査を実施しようとしたところ、同支店長から、宇城民主商工会から文書で反面調査に応じないようにとの申入れがあったことを告げられた。日隈調査官は、この日の調査においては、結局、同支店が月末で多忙であったこともあって、原告及びるい子の同日時点の預金残高の開示を受けたほか、同支店に対し、原告及びるい子の預金元帳の開示を要請するにとどまった。

日隈調査官は、同年六月六日、再び同支店に赴き、原告及びるい子の預金元帳を開示するように要請したが、同支店長から、原告の承諾がなければ調査に応じられない旨告げられた。日隈調査官は、同月一四日及び同月一五日にも、預金元帳の開示を要請したが、同支店は前同様の理由で右要請に応じなかった。

(2) 一方、日隈調査官は、同月九日、るい子から、電話で、原告に急用ができたとして、調査日を同月一九日に変更してほしい旨の連絡を受けたが、るい子には、とりあえず従前の約束どおり同月一二日に行くので、集めた資料を用意しておいてほしい旨伝えた。

日隈調査官は、同月一二日午前一〇時ころ、原告方に赴いたが、原告が不在であったことから、るい子に対し、調査に税理士資格のない第三者が立ち会うと困る旨説明したり、取引先がどこなのかを質問したり、集めた資料の提示を要請するなどした。しかし、るい子が「分からない。」、「言えない。」と述べるだけで、明確な回答をせず、また、資料の提示にも応じなかったことから、日隈調査官は、午前一〇時一〇分ころ原告方を辞去した。

日隈調査官は、同月一三日午後三時ころにも、原告方に赴き、るい子に取引先について質問するなどしたが、るい子の応答が前日と同様であったことから、同月一五日午前一〇時に調査に来るので資料だけでも見せてほしいと依頼して、午後四時一五分ころ原告方を辞去した。

日隈調査官は、同月一五日午前九時四五分ころ、原告方に赴き、るい子に対し、再び資料等の提示を求めたが、るい子がこれに応じなかったことから、午前一〇時ころ原告方を辞去した。

(五) 平成元年六月一九日の調査

日隈調査官は、同日午前九時三〇分ころ、原告方に赴いたところ、原告とるい子の外に釘崎ら二名の者が居たことから、原告に釘崎らを退席させるよう要請したが、原告は、これに応じず、日隈調査官に対し、「なぜ銀行に行ったんだ。」などと言って、肥後銀行に対する反面調査を行った理由を問い詰めた。これに対し、日隈調査官は、その理由を説明しても議論になり収集がつかなくなるのではないかと考え、明言を避けたが、原告らは、日隈調査官に対し、「うそつき日隈」、「あやまれ。」などと言って、肥後銀行に対する反面調査を行ったことを非難する言動を繰り返し、日隈調査官の資料等の提示要請に応じなかった。そのため、日隈調査官は、同日午前一〇時四五分ころ原告方を辞去した。

日隈調査官は、同日午後一時五〇分ころ、再び原告方に赴いたが、原告は不在で、るい子に質問をしても、るい子が答えなかったことから、原告方を辞去した。

(六) 平成元年六月一九日以降の反面調査

(1) 日隈調査官は、同日までの調査状況から、原告の調査に対する協力を見込めないと判断して、同日以降、原告の売上に関する反面調査を開始することとした。しかし、原告の調査に対する協力もなく、また、この時点では肥後銀行砥用支店から原告らの預金元帳の開示も受けていなかった状況で、原告の売上先を特定する手掛かりがなかったことから、日隈調査官は、熊本市内を中心に中堅の総合建設業者を、新聞広告や電話帳を手掛かりに選び出し、照会文書を送付したり、業者を訪問したりして、反面調査を行った。

(2) 他方、日隈調査官は、同年八月一〇日、肥後銀行砥用支店長に対し、原告及びるい子の預金元帳の開示を改めて要請したが、同支店長は、原告の承諾がほしいとして、右要請に応じなかった。

日隈調査官は、水上統括官と共に、同月一一日、肥後銀行の業務管理部長と面談し、原告及びるい子の預金元帳の開示を要請したところ、ようやく肥後銀行側の了解が得られ、同月二四日、同支店から右要請に係る預金元帳の開示を受けた。

(七) 平成元年七月四日から同年九月一日までの原告に対する調査

日隈調査官は、同年七月四日、原告方に電話をかけたが、原告が不在であったことから、るい子に対し、同月五日午前一〇時に原告方に行くので、都合が悪ければ連絡してほしい旨告げた。

日隈調査官は、同日午前九時ころ、原告方に電話をかけたが、原告もるい子も不在であったことから、応答した原告の母に対し、原告らが帰宅したら電話で連絡をするよう伝えてほしい旨告げた。

その後も、日隈調査官は、同月六日、同月一五日及び同月二七日に原告方に電話をかけたが、いずれも原告が不在であったことから、るい子に対し、調査への協力を要請し、原告から電話で連絡をしてほしい旨告げた。さらに、日隈調査官は、同月二八日午後一時五〇分ころ、原告方に赴いたが、この時も原告は不在で、調査の進展はなく、午後二時一五分ころ原告方を辞去した。

日隈調査官は、同年八月一〇日午後二時四五分ころ、原告方に赴き、原告に調査への協力を要請したところ、原告は、盆以外であれば日隈調査官の指定した日の調査に応じる旨答えたことから、日隈調査官は午後三時ころ原告方を辞去した。次いで、同月二四日、るい子から、日隈調査官に、電話で、調査日を同年九月六日にしてほしいとの申入れがあったが、日隈調査官は、原告が日隈調査官の指定した日に調査に応じる旨述べていたこともあって、調査日を同年八月二八日にしてもらいたい旨答えた。しかし、日隈調査官が、同日の午前及び午後の二度にわたって、原告方を訪れたが、いずれも原告及びるい子が不在であったことから、調査を行うことができなかった。日隈調査官は、原告の指定した同年九月六日には別件の調査を予定していたことから、同月一日、原告方に電話をし、るい子に同月八日に原告方に行きたい旨告げたところ、同月四日、るい子から、電話で、同月八日午後一時に原告方で調査を行うことを了承する旨の回答があった。

(八) 平成元年九月八日の調査

日隈調査官は、同日午後一時ころ、原告方に赴いたところ、原告の外に釘崎ら数名の者が調査を待っていた。日隈調査官は、原告に対し、帳簿等の資料を提示するように要請したが、原告は、これに応じず、反面調査について、「『あそこの会社はえらいもうかっている。』と言っただろう。」などと言って、日隈調査官を非難する言動を繰り返した。そこで、日隈調査官は、同日午後二時ころ、原告方を辞去したが、同日午後四時五〇分ころ、原告方に電話をかけ、るい子に対し、同月一一日午後一時ころ原告方に行く旨伝えた。

(九) 平成元年九月一一日から平成二年一月三一日までの調査

るい子は、平成元年九月一一日午前八時四〇分ころ、電話で、日隈調査官に対し、原告の都合により同日の調査には応じられない旨の連絡をした。その後、日隈調査官は、同月二〇日及び同月二一日に原告方に電話をかけたが、原告と連絡を取ることができなかった。また、同月二二日には、原告が、日隈調査官に電話をかけたが、この時は日隈調査官が不在であった。日隈調査官は、同月二五日、原告方に電話をかけたところ、原告は不在であったが、るい子が、税務署の総務課長と話し合ってから所得計算に応じる旨述べたので、日隈調査官は、明日原告から連絡してほしい旨告げた。しかし、その後しばらく、原告から、日隈調査官に対し調査に応じる旨の明確な回答はなかった。

日隈調査官は、平成二年一月一二日午後一時三〇分ころ、原告方に赴いたところ、原告が不在であったことから、るい子に対し、このままだと更正せざるを得ない旨告げて、帳簿等の資料を提示するよう要請し、午後一時四〇分ころ原告方を辞去した。

日隈調査官は、同月二六日、同月二九日及び同月三〇日に原告方に電話をしたが、いずれも原告は不在で、るい子が応対した。日隈調査官は、同日、電話で、るい子に対し、同年二月一日午前一〇時に原告方に調査に行くので、原告の都合が悪ければ連絡がほしい旨告げた。すると、同年一月三一日、るい子から、電話で、日隈調査官に対し、同年二月五日に調査に来てほしい旨の連絡があった。

(一〇) 平成二年二月五日以降の調査

日隈調査官は、同日午後九時三〇分ころ、原告方に赴いたところ、原告の外に釘崎ら八名の者が居たことから、原告にこれらの者を退席させるよう要請した。しかし、原告は、これに応じず、原告以外の者らも「第三者とはだれだ。話を続けろ。」、「俺たちは居てもいいと思っている。」などと言って日隈調査官を詰問したことから、この日も調査の進展を見ないまま、日隈調査官は、同日午前一〇時四五分ころ、原告方を辞去した。

日隈調査官は、同日午後三時ころ、再び原告方に赴いたが、この時も原告の外に釘崎ら九名の者が居た。原告は、日隈調査官に対し、昭和六三年分の売上、仕入、必要経費の総額を答えたが、日隈調査官の右各金額の内訳に関する資料の提示要請には応じず、逆に、原告らから、「税務署が持っている資料を先に出せ。」などという発言が出るなど、日隈調査官を詰問するような状況であった。そこで、日隈調査官は、もはや原告から調査の協力を得ることはできないものと判断し、原告方を辞去した。

日隈調査官は、同月二〇日、原告方に赴き、原告に対し、帳簿等の資料を持って税務署に出頭しなければ本件係争年分の原告の所得税につき更正をする旨告げ、この時点で原告に対する調査を打ち切った。

3  事前通知の欠如について

前記2のとおり、日隈調査官は、原告の本件係争年分の所得税の調査のため、平成元年五月二六日から平成二年二月五日までの間に一五回にわたって原告方に赴いているが、このうち、平成元年五月二六日の調査において原告に対する事前の通知がなされていなかったことについては、当事者間に争いがなく、また、それ以降の同年六月一三日、同年七月二八日、同年八月一〇日及び平成二年一月二二日の調査において、原告に対する事前の通知を欠いていた可能性があることも否定できない。

しかしながら、前記2(一)(2)で指摘した原告の本件係争年分の所得税確定申告書の記載状況や、これまで原告が税務調査を受けたことがなかったことなどからすれば、原告に対し質問検査を行う必要があったことは、否定し難いところである。

のみならず、日隈調査官が、平成元年五月二六日の調査の際に、原告に事前の通知をしなかったのは、原告の帳簿書類の記帳状況等をあるがままに把握するためであって、右のような判断は必ずしも不当であるとはいえず、同日の質問検査にその必要性と相手方の私的利益との衡量において社会通念上相当な限度を超えた違法があったとはいえない。

また、仮に、同年六月一三日以降の調査において原告に対する事前の通知を欠いていたことがあったとしても、日隈調査官が原告方に何度も電話をかけるなどして、原告側の都合にそれなりの配慮を払っていることがうかがわれる上、事前の通知を欠いてなされた質問検査においても、原告の不在等の理由により、ほとんど調査の進展がないまま、長くても一時間余りという比較的短時間で調査が終了していることなどをも考慮すると、事前の通知なくなされた質問検査にその必要性と相手方の私的利益との衡量において社会通念上相当な限度を超えた違法があったとは到底いえない。

したがって、原告の右主張は採用できない。

4  反面調査について

(一) 反面調査についても、所得税法二三四条の規定に基づく質問検査の一態様として、前記1で述べたことが妥当すると考えられるところであって、その実施時期や実施の具体的な方法等実定法上特段の定めのない実施の細目については、質問検査の必要があり、かつ、これと相手方の私的利益との衡量において社会通念上相当な限度にとどまる限り、権限ある税務職員の合理的な選択にゆだねられているものと解するのが相当である。

以下、原告が主張する個々の点について検討する。

(二) 肥後銀行に対する反面調査の適否

日隈調査官は、平成元年五月二九日の原告方での調査における原告らの言動等から、原告が帳簿等を備えていないか、帳簿等があるとしてもきちんとしたものではないのではないかという疑念を抱いたことから、肥後銀行に対する反面調査を行う必要があると判断したものである。右判断は、前記2(三)で認定した同日の調査状況等、特に、日隈調査官の要請にもかかわらず、原告が確定申告の際に使った帳簿や資料の提示に一切応じなかったこと(なお、原告が供述するとおり、当時、請求書、領収証等の原始資料の大半を、原告の事務所でダンボールに入れて保管していたというのであれば、同日の調査においてこれらを提示することは十分可能であったというべきである。)、原告が会計帳簿がないと回答したこと、日隈調査官の質問に対する原告及びるい子の返答が極めてあいまいなものに終始していることなどに照らし、必ずしも不合理なものとはいえない。また、同日の調査の段階で既に宇城民主商工会の事務局員らの立会いを認めるかどうかを巡って日隈調査官と原告側との間での見解の対立が顕在化しており、その後の調査においても原告があくまで立会いを要求することで調査が紛糾することが十分に予想されたことをも併せ考慮すると、肥後銀行に対する反面調査が必要性を欠くものであったとはいえず、また、同月三一日に右反面調査を開始したことにつき、相手方の私的利益との衡量において社会通念上相当な限度を超えた違法があったともいえない。

原告は、肥後銀行に対する反面調査において脅迫的言動等があったとも主張しているが、肥後銀行の係員から右のような調査状況を聞いたという原告の供述及びるい子の証言は、日隈調査官の証言に照らし、これをたやすく信用することができず、他に右事実を認めるに足りる証拠もない。

したがって、肥後銀行に対する反面調査の違法性に関する原告の主張はいずれも採用できない。

(三) 取引先に対する反面調査等の適否

原告は、日隈調査官が行った原告の取引先に対する反面調査等について、(1)原告が脱税をしていると受け取られるような文書を原告との取引の有無にかかわらず無差別的に送付したこと、(2)原告の取引先である岩山建材に対し、脅迫的な言動をも交えて執拗に書類の提出を要求し、長時間店の前に居座るなどの営業妨害行為に及んだこと、(3)原告の工事現場に行き、従業員や下請業者の従業員に質問したことなどを挙げて、日隈調査官の反面調査等に社会通念上相当な限度を超えた違法があった旨の主張をしている。

そこで、まず、右(1)について検討するに、取引先に対する反面調査の状況は、前記2(六)のとおりであり、平成元年六月一九日までの時点において、原告の調査に対する協力もなく、また、肥後銀行砥用支店から原告らの預金元帳の開示も受けていなかった状況で、原告の売上先を特定する手掛かりがなかったことから、熊本市内を中心に中堅の総合建設業者を、新聞広告や電話帳を手掛かりに選び出し、照会文書を送付したり、業者を訪問したというのであって、照会文書の内容も、原告との取引の有無及び金額についての回答を求める程度のものと考えられるから、右反面調査に社会通念上相当な限度を超えた違法があったとはいえない。

また、右(2)については、本件全証拠によっても原告主張の事実を認めるに足りない。

さらに、右(3)についても、原告主張の事実を前提としても、質問検査に社会通念上相当な限度を越えた違法があったとはいえない。

したがって、原告の右主張はいずれも採用できない。

5  税務運営方針等について

なお、原告は、本件の調査手続が国税庁の昭和五一年四月一日付け税務運営方針(甲一三三)や通達に違反していると主張しているが、仮に、調査手続に右税務運営方針や通達に違反している点があったとしても、そのことから直ちに調査手続が違法になるものではなく、本件において、調査手続に違法な点がないことは既に検討したとおりである。

6  小括

その他、原告がるる指摘する点を検討しても、本件の調査手続に違法があると認めることはできず、原告の主張は採用できない。

二  推計の必要性(争点二)について―第一、第二事件

1  原告の本件係争年分の所得税の調査経過は、前記一2のとおりであり、これによれば、原告に対する本件係争年分の所得税の調査は、約八か月にわたって行われており、その間、原告に対し再三にわたって調査に協力するよう要請がなされていたにもかかわらず、原告が、ことさら調査に非協力的な態度に終始したことから、被告税務署長が、帳簿書類等の存否の確認、査閲等の調査を進展させることができず、原告の所得金額を実額で算定することができなかったものといわざるを得ない。

2  ところで、原告は、日隈調査官が原告の資料を見ることができなかったのは、原告らが調査理由の開示を要求したにもかかわらず、これに応じなかったからであって、調査拒否を理由に推計の必要性があったというべきではないと主張している。

しかしながら、前記一1で述べたとおり、質問検査を実施するに当たり、調査の理由及び必要性の個別的、具体的な告知をするかどうかは、税務職員の合理的な選択にゆだねられていると解するのが相当である。本件において、日隈調査官が調査理由の具体的な開示をしなかった点に違法はなく、調査理由の具体的な開示を欠くことは、推計の必要性の判断を左右するものではない。

3  以上からすれば、その余の点を判断するまでもなく、推計の必要性を優に認めることができる。

三  推計の合理性(争点三)について―第一、第二事件

1  売上金額

原告の型枠工事業による本件係争年分の売上金額のうち、昭和六一年分については、当事者間に争いがない。また、原告が主張する昭和六二年分及び昭和六三年分の売上金額が、被告主張額を上回っていることからすれば、売上金額が被告主張額を下回らないという点については、当事者間に争いがないものということができる。

2  平均所得率

証拠(乙一ないし七)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

(一) 熊本国税局長は、被告税務署長並びに同税務署に隣接する熊本西、熊本東及び八代の各税務署長に対し、平成三年九月二四日付け「税務訴訟に関する資料の作成及び報告について」と題する書面により、次の(1)ないし(5)の条件のすべてに該当する者の全員を比準同業者として抽出し、本件係争年分の売上金額、経費、所得金額及び所得率を報告するよう求めた。

(1) もっぱら型枠工事業を営む事業所得者

(2) 青色申告の承認を受けている者で、管内に事業所を有する者

(3) 対象年分において、売上金額が次の範囲内にある者

<1> 昭和六一年分 六七二〇万一〇二六円以上二億六八八〇万四一〇四円以下

<2> 昭和六二年分 八一八二万五〇一〇円以上三億二七三〇万〇〇四二円以下

<3> 昭和六三年分 一億三四一二万三七六四円以上五億三六四九万五〇五六円以下

(4) 年を通じて右(1)の事業を継続している者

(5) 次のいずれにも該当しない者

(イ) 災害等により経営状態が異常であると認められる者

(ロ) 更正又は決定処分がされている者のうち、当該処分について国税通則法又は行政事件訴訟法の規定による不服申立期間又は出訴期間が経過していない者、あるいは、当該処分に対して不服申立てがされ又は訴えが提起されて現在審理中である者

(二) 被告税務署長並びに同税務署に隣接する熊本西、熊本東及び八代の各税務署長は、右照会を受けて調査の上、熊本国税局長に対し、右抽出条件に適合する比準同業者の抽出結果を報告した。抽出された比準同業者は、昭和六一年分が一二名(すべて法人)、昭和六二年分が一一名(うち個人一名)、昭和六三年分が一一名(うち個人二名)であり、右比準同業者各人の本件係争年分の売上金額、所得金額及び所得率は、別表二のとおりである。

これによれば、平均所得率は、昭和六一年分が六・一二パーセント、昭和六二年分が六・一四パーセント、昭和六三年分が八・九八パーセントであった。

(三) ところで、右抽出条件は、その業種、業態の同一性、事業所の所在地の近接性、事業規模の近似性等に点において、原告と類似する事業形態の同業者を抽出するための基準として、合理性を有するものであり、その抽出過程においても恣意の介在する余地がなく、抽出された者がいずれも青色申告者で資料の正確性も担保されていることなどからすれば、本件において、原告の売上金額に平均所得率を乗じて(なお、昭和六三年分については、平均所得率を乗じた金額にるい子に係る事業専従者控除額六〇万円を差し引いて)、原告の本件係争年分の所得金額を推計することには十分な合理性があると認められる。

(四) これに対し、原告は、(1)法人をも比準同業者に含めて平均所得率を算出していること、(2)比準同業者間の所得率の格差が大きいこと、(3)同じ型枠工事業といっても、さまざまな事業形態があるのに、その違いを無視して、比準同業者を抽出していることなどを挙げて、推計の合理性がないと主張している。

しかしながら、右(1)についてみると、前掲証拠によれば、比準同業者が法人の場合には、経費の算出方法等に種々の修正を加えて、当該法人が個人であるとした場合に相当する所得率を適正に算出しているものと認められる。昭和六一年分については、個人で抽出条件に該当する者がいなかったこと、昭和六二年分及び昭和六三年分についても、個人で抽出条件に該当する者がわずかに一名ないし二名であったこと、結果としてみても、比準同業者を個人に限定して算出した平均所得率が、法人を含めた平均所得率より低くなっていないことをも考慮すれば、法人をも比準同業者に含めて平均所得率を算出したからといって、推計の合理性を欠くとはいえない。

また、右(2)についても、個々の同業者の所得率にある程度の格差が生じるのは避けられないところであり、その平均値によって課税をするという推計課税の趣旨からすれば、本件で現れた程度(最大で約三・九倍)の比準同業者間の所得率の格差があるからといって、推計の合理性を欠くことになるとはいえない。

さらに、右(3)についても、納税者との事業形態の類似性を追求して抽出条件を設定すると、抽出される同業者数が減少することになるから、納税者との事業形態の類似性をどこまで追求するかは、抽出される同業者数との関係上、おのずと限界があるといわざるを得ず、本件において抽出された比準同業者数がせいぜい一一名ないし一二名であることをも考慮すると、比準同業者の抽出条件を設定するに当たり、原告が指摘するような事業形態の違いを考慮していないからといって、推計の合理性を欠くとはいえない。

したがって、原告の主張にはいずれも理由がなく、推計の合理性を優に認めることができる。

四  所得の実額(争点四)等について―第一事件

1  原告は、昭和六二年分及び昭和六三年分について所得の実額を主張しているが、推計の必要性及び合理性が認められる本件において、所得の実額が右推計により認定された金額と異なるとして、右推計の結果を覆すには、少なくとも、まず、捕捉漏れのない総収入金額を主張・立証しなければならない。

2  この点、原告は、売上の発生状況を網羅的に記録した会計帳簿や現金出納簿を作成していなかったとして、これらを証拠として提出しておらず、売上金額を証するための書証として、原告が取引先にあてた請求書控え及び見積書控え(甲七三ないし七八、一二一ないし一二八)、原告が取引先にあてた領収証控え(甲七九ないし八二、九一)、流動性預金元帳(甲八九)、流動性預金異動明細表(甲一一六)、受取手形一覧表(甲八三、一一八)等を提出している。

3  そこで検討するに、証拠(証人高倉るい子、原告)及び弁論の全趣旨によれば、本件係争年分に係る原告の収入がもっぱら型枠工事による請負代金によるものであること、右代金の請求は主に原告が担当していたこと、取引先からの右代金の支払は、現金六割と手形四割というように、現金と手形又は小切手に分けてなされることが多かったが、振込送金でなされることもあったこと、右代金の受領については、主に原告が担当していたが、るい子も一部を担当していたこと、原告及びるい子が取引先から振込送金以外の方法で右代金を受領した際には取引先に領収証を交付することになっていたこと、原告から取引先にあてた請求書及び領収証の控えは、必要経費に関する領収証等の入った袋等とともに、年によって分類するなどの整理をすることもなく、原告方の物置のダンボール箱の中に入れたままで保管されていたことが認められる。

4  ところで、収入原因となるすべての取引について請求書が作成されていたわけでないことは、原告も自認するところであって(原告の平成七年六月二七日付け第一四準備書面第四の二1、平成一一年一〇月一八日付け第二〇準備書面一3)、現に、領収証控え等によって、売上が把握できるにもかかわらず、これに対応する請求書控えのないものが少なからず見受けられる(被告の平成一一年九月七日付け第八準備書面第二の四3(四)(3)参照)。

また、原告は、昭和六二年から昭和六三年当時、取引先に見積書を交付することは少なかったと供述しており、現に、証拠として提出されている見積書控えは三一通にすぎない(甲七六の1ないし31)。

したがって、請求書控え及び見積書控えによって、原告の総収入金額を把握することはできない。

さらに、右3で認定したとおり、原告は現金で取引先から請負代金を受領することが多かったのであるから、流動性預金元帳(甲八九)、流動性預金異動明細表(甲一一六)及び受取手形一覧表(甲八三、一一八)によっても、原告の総収入金額を把握するには足りない。

5  次に、領収証控え(甲七九ないし八二、九一)について検討する。

まず、これらの領収証控えを精査するに、甲七九の1ないし13は、昭和六一年一二月二〇日から昭和六二年二月五日までの日付の領収証控えがほぼ日付順に一三枚つづられたもの、甲八〇の1ないし42は、同月一六日から同年七月二〇日までの日付の領収証控えがほぼ日付順に四二枚つづられたもの、甲八一の1ないし39は、同月三一日から同年一二月三〇日までの日付の領収証控えがほぼ日付順に三九枚つづられたもの、甲八二の1ないし17は、同年三月三日から同年一二月二八日までの日付の領収証控えがほぼ日付順に一七枚つづられたものである。また、甲九一の1ないし47は、昭和六三年一月一九日から同年八月一日までの日付の領収証控えがほぼ日付順に四七枚つづられたもの、甲九一の48ないし64は、同年一月二〇日から同年一二月二〇日までの日付の領収証控えが日付順に一六枚つづられたもの、甲九一の65ないし86は、同年八月五日から同年一二月二八日までの日付の領収証控えがほぼ日付順に二二枚つづられたものであることが認められる。そして、昭和六二年分については四冊の領収証控えのつづりが、昭和六三年分については三冊の領収証控えのつづりが存在することがうかがわれる。

ところで、これらの領収証控えによって、原告が振込送金以外の方法で取引先から受領した請負代金の全額を把握することができるというためには、少なくとも、<1>原告が取引先から振込送金以外の方法で請負代金を受領したすべての場合に原告から取引先に領収証が交付され、かつ、<2>その控えのすべてが滅失・紛失されることなく保管され、かつ、<3>証拠として提出されている領収証控えがそのすべてであることが必要である。

しかしながら、前記3で認定した領収証控えの保管状況に加え、原告が、あるべき請求書や領収証が見当たらないということが頻繁にあったと供述していること(三二回口頭弁論期日調書一七項)、昭和六一年分については資料不足を理由に実額の主張がなされていないことなどをも併せ考えれば、取引先に交付された領収証の控えがすべて漏れなく保管されていたかどうかについては、多分に疑問を容れる余地があるというべきである。

また、現に、左記(一)ないし(五)のとおり、請求書控え等によって振込送金以外の方法で請負代金を受領したことが認められるにもかかわらず、これに対応する領収証控えが証拠として提出されていないものがある。原告も、一部について、領収証の存在しないものがあることを否定していない((五)につき原告の平成七年六月二七日付け第一四準備書面第二の一22、その余について原告の平成一一年一〇月一八日付け第二〇準備書面一4)。

(一) 酒井工務店からの昭和六二年二月一二日の二万円の収入(甲八九の1)

(二) 酒井工務店からの同年四月二〇日の一九万四四〇〇円の収入(甲八三の1)

(三) 村吉建設からの同日の一二五万円の収入(甲八三の2)

(四) 中満組サンホーム企業体からの昭和六三年分の一九三万円の収入(甲一二一)

(五) 坂田工務店からの昭和六二年分の二九万九〇〇〇円の収入(甲七四の34)

そうすると、領収証控えによって、振込送金以外の方法で取引先から受領した請負代金の全額を把握することはできないというほかない。また、領収証控えによっては、期末における売掛金の残額を把握することができないから、この点においても、領収証控えによる総収入金額の立証には限界があるといわざるを得ない。また、請求書控え、見積書控え等その他の一切の証拠を総合しても、現金の出納状況について継続的に記録した現金出納簿等が存在しない本件において、少なくとも、現金による収入については、領収証控えによって把握できない部分のすべてを補うことができるとはいえない。

6  以上によれば、本件全証拠によっても、捕捉漏れのない総収入金額を把握することはできないものといわざるを得ないから、売上原価及び必要経費について検討するまでもなく、昭和六二年分及び昭和六三年分の原告の事業所得の金額を実額によって計算することはできず、原告の所得の実額の主張は採用できない。

また、昭和六二年分の所得の実額を基に算出した所得率を用いて昭和六一年分の所得金額を推計すべきであるとの原告の主張は、そもそも主張自体失当であるが、本件においては、原告の昭和六二年分の所得率の立証がないから、いずれにしても右主張を採用することはできない。

なお、付言するに、原告の主張する必要経費についても、<1>外注費の領収証として提出する甲五三の10(昭和六二年二月二〇日付け)、同19(昭和六二年三月三一日付け)に貼付された印紙は、いずれも昭和六二年四月一日以降に適用となったものであること(乙一五の3)、<2>昭和六三年分の旅費交通費として提出された領収証甲三八の59(二月二〇日付け)も、その日付の印字方法からみて昭和六一年一〇月六日以前に作成されたことが認められるものであること(乙一六)、<3>昭和六三年分の交通費の領収証として提出された領収証甲四〇の五三(昭和六三年一二月二六日付け)、同68(同年二月一九日付け)などには消費税の項目が存在することからみると、いずれも平成元年三月以降に作成された可能性が強いこと、また、甲四〇の132の領収証(昭和六三年一二月二四日付け)には消費税が計上されており、昭和六三年の領収証としてはあり得ないこと、<4>領収証に作成年の記載がないもの(甲三七の90、四〇の80他)が存在すること、<5>領収証の宛名が上様となっているもの(甲四〇の127、同134他)が存在すること、などの事情が認められるところ、前記2、3のとおり、原告が会計帳簿や現金出納簿を作成していないことや領収証の保管も年別に分類することもなく段ボール箱の中に入れている状況にあったことを考慮すると、原告の主張する必要経費についても、その主張する昭和六二年分又は昭和六三年分のものであると特定できるのかについて疑問が残るところであり、必要経費の点からみても、原告の主張する実額の主張は採用することはできないものである。

五  本件各処分の適法性―第一事件

1  原告の本件係争年分の事業所得の金額は、第二の三2(三)の計算のとおり、左記(一)ないし(三)の金額となるから、本件各更正に原告の所得金額を過大に認定した違法はない。

(一) 昭和六一年分 八二二万五四〇五円

(二) 昭和六二年分 一〇〇四万八一一一円

(三) 昭和六三年分 二三四八万八六二八円

また、本件各決定は、本件各更正を前提として、国税通則法六五条の規定により適法に算出された金額を過少申告加算税として賦課したものであると認めることができる。

2  原告は、日隈調査官の原告に対する一連の税務調査及び本件各処分が、宇城民主商工会の会員である原告を同会から脱退させるためになされた差別的なものであり、そのことは平成元年六月一二日の調査状況を記録した録音テープ(甲一四一)からも明らかであると主張している。

確かに、右録音テープによれば、同日の調査において、日隈調査官が、るい子に宇城民主商工会に入会した時期を尋ねたほか、税理士に経理を頼むことを勧める趣旨の発言をしていることなどが認められる。

しかしながら、右のような発言は、税務調査において第三者である宇城民主商工会の者を立ち会わせないようにとの申入れをしていた際になされたものであって、その表現の当否は別としても、あからさまに同会からの脱退を勧めるものではなく、原告に対する一連の税務調査及び本件各処分が、原告を同会から脱退させるためになされた差別的なものであることをうかがわせるものとまではいえないのであって、本件の税務調査及び本件各処分に違法があるとはいえない。

3  以上からすれば、本件各処分はいずれも適法であり、原告の被告税務署長に対する請求にはいずれも理由がない。

六  原告の被告国に対する国家賠償請求について―第二事件

以上において検討したところを前提とすると、本件各処分及びこれに先立つ税務調査手続に国家賠償法一条一項の違法があるとはいえないから、その余の点(争点四、五)について判断するまでもなく、原告の被告国に対する請求には理由がない。

七  結論

よって、原告の第一及び第二事件における各請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 杉山正士 裁判官 伊藤正晴 裁判官渡部市郎は、差支えにより、署名押印することができない。裁判長裁判官 杉山正士)

別表一

<省略>

<省略>

別表二

型枠工事業の比準同業者(昭和61年分)

<省略>

別表二

型枠工事業の比準同業者(昭和62年分)

<省略>

別表二

型枠工事業の比準同業者(昭和63年分)

<省略>

別表三1

昭和62年分

<省略>

別表三2

昭和63年分

<省略>

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