熊本地方裁判所 平成9年(ワ)1169号 判決 1999年8月27日
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
理由
【事実及び理由】
第一 請求
被告らは連帯して、原告らに対し、それぞれ金二四三〇万七一四三円及びこれに対する平成八年一〇月一八日から右金員完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
本件は、公営住宅に居住していた原告らが、公営住宅の手すりの設置に暇疵があったため、原告らの二男(当時一歳)が落下し死亡したとして、右公営住宅を設置、管理する被告熊本市に対し国家賠償法二条一項に基づく損害賠償として、また、右公営住宅を設計、監理した被告有限会社富永譲・フォルムシステム設計研究所(以下「被告研究所」という。)に対し不法行為に基づく損害賠償として、被告らに対し合計金四八六一万四二八七円及び加害の日から右金員完済に至るまで民法所定の遅延損害金を請求した事案である。
一 争いのない事実等
1 被告熊本市は、熊本県が推進する「くまもとアートポリス」構想に参画し、その一環として、平成三年一二月に、熊本市《番地略》所在の新地団地C棟(以下「本件団地」という。)の建設に着工し、同五年一一月二八日にこれを完成させて、熊本市民に公営住宅として供給、管理している地方公共団体である。
2 被告研究所は、被告熊本市の依頼を受け、本件団地を設計、監理したものである。
3 原告らは、平成五年一二月から本件団地六一七号室に入居していたが、その間取りは別紙6階部分平面図の左側住戸部分のとおりである。
4 亡甲野一郎(以下「一郎」という。平成七年四月八日生)は、平成八年一〇月一八日午前九時三五分ころ、原告らとともに居住していた右六一七号室から約一六メートル下のコンクリート上に転落し、同日午前一〇時二四分、死亡した。
5 原告らは一郎の両親である。
二 争点
1 一郎の落下事故の態様
(原告らの主張)
一郎は、本件団地六一七号室の北西側寝室窓の落下防止用手すりと窓枠もしくは二本の手すりの間のすき間からバルコニー(別紙6階部分平面図の斜線部分。被告らの主張によれば避難路。以下右部分を「本件現場」という。)に落ち、次いで同所の手すり柵のすき間から約一六メートル下のコンクリー卜上に転落した。なお、被告熊本市の自白の撤回には異議がある。
(被告らの主張)
一郎が六一七号室から約一六メートル下のコンクリート上に転落したことは認め、その余は不知。被告熊本市は当初、一郎が本件現場の手すり柵のすき間から転落したことを認めたが、それは真実に反する陳述で錯誤に基づいてしたものであるから、撤回する。
2 本件団地の設置又は管理上の暇疵について
(一) 本件団地六一七号室北側の本件現場付設の手すり柵の公営住宅建設基準等違反
(原告らの主張)
公営住宅建設基準(昭和五〇年四月一七日建設省令第一〇号、ただし、平成三年七月二日建設省令第一三号による改正後のもの。以下「建設基準」という。)三六条二項によれば、バルコニーに設置する落下防止用手すりは足がかりがない場合にはその高さを一一〇センチメートル(足がかりがある場合はその高さを加えた高さ)にすべきで、また、同条三項は、落下防止用手すりの構造は「横さん型式」を避け、「縦さん型式」を用いるときは「縦さん」の間隔を内法で一一センチメートル以下にすべきであるとする。本件団地の事故が発生した本件現場の手すり柵は、その高さが右要件を満たしていないばかりでなく、構造においても、「横さん型式」を採用し、さんとさんの間隔が約二二センチメートルもあり、幼児の頭部が十分通る大きさであるため、右建設基準に違反している。
なお、建設基準三六条は、落下の危険性がある場所に落下防止手すり等を設置しなければならないことを規定したものであり、これを限定解釈する理由はない。また、建設基準は、バルコニーを避難路として利用することを予定しており、避難路であることは本件現場がバルコニーであることと矛盾しないし、本件現場は現実に洗濯物や布団類の干し場として日常の利用に供されており、避難路でも人の出入りは予定されているから、本件現場にも建設基準三六条が適用されるべきである。
仮に、本件現場が避難路であるとしても、建築基準法施行令一二六条一項によれば、二階以上の階にあるバルコニーには安全上必要な高さ一・一メートル以上の手すり柵を設けなければならないとされているのに、本件現場の手すり柵は、高さが一・一メートルに満たず、同条項にも違反している。
(被告熊本市の主張)
「バルコニー」とは、建物の外壁から突出し、室内生活の延長として利用できる屋外の床をいう。本件現場は、バルコニーではなく災害時等の避難路として設置されたものである。すなわち、部屋との間には高さ約七三・五センチメートルの窓壁の上に幅約一七センチメートルの間隔で二本の手すり棒が渡してあり、部屋から容易に外に出られないような構造になっており、室内生活の延長として利用できるものではなく、外部空間と同視されるものである。
建設基準三六条が手すり等を設置すべきであるとしている場所は、落下の危険性ある全ての場所ではなく、同三五条二項からも明らかなように落下の危険性のある入居者の日常の利用に供する場所と解すべきである。仮に本件現場を利用している実態があったとしても、それは利用者の責任において利用しているに過ぎない。
避難路には、避難ルートを確保するという目的が優先されており、建設基準三六条の規定は適用されない。
(二) 本件団地六一七号室北西側寝室窓(以下「北側窓」という。)付設の落下防止手すりの建設基準違反
(原告らの主張)
北側窓については、横さん型式が用いられており、そのさんとさんの間隔も約一七センチメートルあるなど、建設基準三六条三項の要件を満たしていない。
同条三項「横さん型式をさける等」という規定のしかたは、避けるべき型式の代表例を例示として禁止したものであり、横さん型式を全面的に禁止しているというべきである。
(被告熊本市の主張)
建設基準三六条三項が横さん型式を避けると規定した趣旨は、幼児が横さんに足をかけてよじ登ることが可能であり転落の危険があるからであるところ、床面から高さ六五センチメートル以下の部分に横さんがなければ、幼児が足をかけてよじ登る危険性はなく、建設基準三六条三項に違反しないというべきである。北側窓は床面から約七三・五センチメートルの高さまで腰壁が設置されており、幼児が手すりに足をかけてよじ登る危険性はなく、同項に違反しない。
同項が縦さんの間隔を内法一一センチメートル以下としたのは、縦さんが床から立ち上がっている場合などに幼児が間からすり抜けることを防ぐ趣旨である。北側窓は、床面から約七三・五センチメートルの高さまで腰壁があり、その上に手すりがある場合であるから、仮に横さん型式であっても右手すりの間を幼児がすり抜けることは通常考えられないから、同項の適用はないと解すべきである。
本件団地の腰壁と横さんで構成されている落下防止手すりは、法に適合し、公共住宅において決して特殊なものではなく、一般的に用いられているものである。
(三) 本件団地の設置又は管理の瑕疵の判断に当っての個別事情について
(原告らの主張)
営造物が通常有すべき安全性の有無は、当該営造物の構造だけでなく、その用法、場所的環境及び利用状況等諸般の事情を総合考慮して具体的個別的に判断されるべきものである。本件団地六一七号室の北側窓にある部屋は、全体の間取りや構造からみて、寝室としての利用も当然に予定され、ベッドが置かれることも通常の使用方法といえる。原告らが設置したベッドは大きさや形状において一般に市販されているものと特段異なるサイズのものではないし、収納部分の開閉を考えれば、ベッドが北側窓付近に置かれることを当然予測できた。その場合、幼児がベッドを足がかりとして、北側窓の落下防止手すりの横さんからすり抜けて落下する危険や、本件現場の手すり柵から落下する危険があるから、右手すり等は通常有すべき安全性を欠いていた。
(被告熊本市の主張)
幼児のいる家庭で窓際に足がかりになるようなベッドを設置するというのは一般的な利用形態とはいえない。本件事故は通常予測することのできない亡一郎の行動によって発生したものである。一般に北側窓のように約七三・五センチメー トルの腰壁があれば幼児にはよじ登れない寸法であり、設置者側が原告ら利用者が居室をどう利用するかを制約することはできないから、そのすべてを予想して対処することは不可能である。また、ほとんどの可能性を考慮して手すりを設置するとすれば牢獄のような窓になり、非常の際の脱出にも支障が出て、消防法施行規則五条の二にも違反することになり、不都合である。
3 被告研究所のした本件現場の手すり柵及び北側窓の設置・監理の過失について
(原告らの主張)
設計者は、設計に当たっては建築の構造が建築関係法規や建設基準に適合することはもとより、その住み手の使い方にも配慮して、墜落もしくは転落事故を防止する設計を行う義務がある。前記2(三)で述べたように本件事故の起きた北側窓のある部屋を寝室としてベッドを用いる原告らの利用形態は、一般的なものといえ、幼児がかかるベッドを足がかりに北側窓の落下防止本件窓手すりをよじ登って、又は手すりのすき間から室外に転落する危険の存することは、本件団地の設計及び建築の段階から十分に予測できた。本件団地六一七号室の場所的環境及び利用状況等に鑑みると、北側窓及び本件現場のいずれの手すりも幼児が落下するという予期された危険を防止し得るものではなく、本件団地には前記建設基準等違反が存するのみならず、営造物として通常有すべき安全性を欠いており、かかる建設基準等に違反し、かつ危険を防止できない住宅を設計し、竣工させた被告研究所には明らかな過失がある。
なお、被告研究所のいう消防法施行令は同一〇条の消火器又は簡易消火用具等防火設備の設置基準に関連して、開口部の要件を定めているに過ぎず、高さが床面から一・二メートル以上の手すり等の設置自体を一般的に禁止しているものではない。また、消防法については高さの規制はあっても、さんとさんの間隔が広いことの合理的な説明はできない。
(被告研究所の主張)
建築物の設計においては、設計者は設計案を固める課程で特定行政庁や、所轄消防署等と事前協議を重ね、その判断と指導のもとに、法の趣旨に合致すべく案を改変、修正し、最終的な設計図書を作成するものである。本件団地についても、同様な手続を踏んだうえで、建築基準法一八条に定められている手続きに基づき、それが適合する旨の通知を被告熊本市が建築主事から受け、竣工後、検査を通り、検査済み証を交付されている。
原告らのように全ての可能性を足がかりがある場合と同様に考慮せよということは、公営住宅の設計、監理にあたり不可能を強いることになる。手すり等の高さについては、床面を基準に設計、設置されればよく、家具等をどのように配置し利用するかは入居者の裁量の問題である。
消防法施行規則五条の二第二項一号は避難上又は消防活動上有効な開口部の条件として、床面から開口部下端まで一・二メートル以内であることを要求し、同三号は開口部が、その内部から容易に避難することを妨げる構造を有しないものであることを規定している。
4 一郎の被った損害について
(原告らの主張)
一郎に生じた損害は次のとおりである。
(一) 逸失利益 二二一九万四八〇七円
平成七年賃金センサス第一巻第一表、産業計・男子労働者学歴計の全年齢平均賃金(五五九万九八〇〇円)を基礎に稼動可能年数を六七歳まで、生活費控除を五〇パーセントとし、中間利息の控除をライプニッツ係数を用いて算出すると、頭書の金額となる。
(二) 死亡慰謝料 二二〇〇万円
(三) 弁護士費用 四四一万九四八〇円
ただし、右損害額の一割。
(被告らの認否)
不知。
5 過失相殺
(被告熊本市の主張)
原告らは、一郎があえて北側窓等を乗り越えて外に出ることがないように監督し、又は足がかりとなるようなベッドを窓の近くに置かないなどの注意をすべきであったにもかかわらず、一郎に対する監督を怠り、またベッドを北側窓の腰壁のすぐ近くに置いたため、一郎がこれを足がかりとして本件現場に出た結果本件事故が発生したものである。したがって、少なくとも五割の過失相殺がなされるべきである。
(原告らの主張)
原告らは、当初北側窓のある部屋の隣室にベッドを置いていたところ、その窓の下には何もないうえ、窓の高さが低すぎるので危ないと思い、その部屋に通じる入口の戸に金具を付けて、子供が入れないようにしていたが、その部屋に結露がひどいことや、出入りの度に金具を閉めたりすることも完全にはできないので、北側窓のある部屋にはバルコニー(本件現場)があるので安全だと思ってベッドを移動したものである。したがって、原告らはなし得ることはしていたのであるから、過失相殺されるべきいわれはない。
第三 争点に対する判断
一 一郎の落下事故の態様について(争点1)
一郎が落下していた地点からは、一郎は、本件現場の東側の手すり柵側もしくは、本件団地六一七号室北東の部屋の窓のいずれかから転落したものと推認できるところ、北側窓と北東の部屋の腰壁はいずれも高さが約七三・五センチメートルあり、一郎は本件事故時一歳六か月の幼児で身長も約八〇・七センチメー卜ルしかなかったのだから、北側窓の落下防止手すりを乗り越えることは、足がかりなしでは不可能であったと認められること、北東の部屋は本件事故当時一郎が自力で登れるような足がかりはなかったのに対し、北側窓については、高さが約七二センチメートルあるベッドの頭部が腰壁に接近しておかれており、幼児の一郎にも足がかりとなり得たと認められること等を総合すると、一郎は北側窓から一旦本件現場に出て、次いで本件現場から落下したものと推認できる。
次いで、一郎が北側窓から本件現場に出た態様について検討するに、北側窓は高さが約七三・五センチメートルの腰壁の上に、約一六・六センチメートルの間隔を置いて落下防止手すりが二本設置されており、ベッドを足がかりにしても高さが約四〇センチメートルあまりあることに鑑みると、一郎が右手すりの上部を乗り越えて本件現場に出たものとは考えにくく、落下防止手すりと腰壁あるいは、右手すりと手すりの間から、誤って落下、あるいは一郎に目立った外傷はなく、泣きもしなかったことから考えて自らの意思ではい出たものと推認できる。
さらに、一郎が本件現場から地面に落下した態様についてみると、本件現場の北側は高さ約五七センチメートルのコンクリート壁の上に二本の横さん等のついた高さ約六〇センチメートルのスチール製柵で覆われており、西側は幅六八センチメートル、高さ一・一メートルの隔板で隣戸から遮られている。東側は高さ約一メートルのスチール製の手すり柵が設置されておりその形状は別紙北側断面図青色部分のとおりであり、また、本件現場には、東側の右柵のさん以外に足がかりとなるものはなかったと認められる。右本件現場の状況からは、一郎は東側手すり柵部分から転落したものとみるのが自然であるうえ、右手すり柵を一歳六か月余りの一郎がよじ登ったとは考えにくく、さんとさんの間隔が約二一センチメートルあいた右手すり柵一番下のすき間もしくは、約一九センチメートル間隔のあいたその上のすき間から誤って転落したものと推認できる。(なお、右認定に照らし被告熊本市の右事故態様に関する自白は、真実に反するとは認められず、その撤回は許されない。)
二 本件現場付設の手すり柵に対する建設基準適用の有無について(争点2(一))
本件現場が、原告ら主張のように日常生活の場としてのバルコニーといえるか否かにつき検討するに、本件現場と部屋との間には高さ約七三・五センチメートルの腰壁の上に約一六・六センチメートルの間隔で二本の手すり棒が横に渡してあり、部屋から容易に外に出られないような構造になっていること、本件現場に相当する設備は、本件団地の全ての住戸に設けられているわけではなく、地上七階建てのうち、三、四、六階の住戸にのみ設けてあること、各住戸には住戸の南側にバルコニー(別紙6階平面図の点線部分)が別に付設されていること等に鑑みれば、本件現場は通常いわゆるバルコニーとして室内生活の延長として利用できる場所ではなく、建設基準二二条一項に基づき設置された避難路に過ぎないとみるのが相当である。
そこで、かかる避難路につき建設基準三六条が適用されるかにつき検討するに、同三六条は、手すり等を設置した場合の手すりの形状や高さ、方式を定め、同条二項も同項区分表記載の設置場所に応じた手すりの高さを規定したに過ぎず、そういうバルコニーその他の場所がいかなる場所を意味するかについて直接に定義規定がある訳ではない。同条が日常起こりがちな転落事故を防止するため手すり等の高さや方式に着目してこれを規制した趣旨や、同条が特に窓やバルコニーといった日常の居住に密接に関連する場所を例示していること、建設基準三五条二項が、入居者の日常の利用に供する屋上につき、手すり等を設けなければならないと規定し、あくまで入居者の日常の利用に供する屋上にのみ手すりの設置を義務づけており、右規定との関係から同三六条二項区分表記載の屋上の意義についても、日常の利用に供する屋上を予定していると解されること等に鑑みれば、同条にいう窓やバルコニーとは各住戸内に設置され日常の利用に供されるものを指すものと解すべきである。
なお、原告らは、本件現場は本件団地の入居者の多くが、洗濯物や布団類の物干し場として日常利用している実態があるうえ、洗濯物等の干し場等として日常的に利用されるであろうということは、設計段階から予想できたはずであるとして、前記解釈を前提としても、本件現場の手すり柵についても建設基準三六条の規制が及ぶべき旨主張する。
しかしながら、本件団地の入居者の中に一部本件現場に布団等を干したりしている例は認められるものの、その割合は全入居者の少数に留まり、しかも、右利用例のうち、単に室内から手の届く範囲で物を干したりするに止まらず、本件現場に出て利用している例はさらに少ないものと推察される。本件団地の各住戸には南側に別にテラス(バルコニー)が設けられ、原告らも入居から今日まで、一、二度布団を干しただけで、それ以外本件現場に出たことはなかったとするなど(原告ら)、本件現場を利用しなければ住居としての通常の利用が困難であったという事情は認められない上、前記認定のように室内から本件現場には容易に出られないように腰壁と落下防止手すりが設けられていたことを考慮すると、設計、設置の段階で入居者が本件現場をいわゆるバルコニーと同様に日常利用することは予期し得なかったものといえ、原告らの主張は採用できない。
したがって、本件現場のように日常の用に供されない避難路については、建設基準三六条二項の適用はなく、本件現場の手すり柵を建設基準に違反するものとは判断できない。
さらに、原告らの主張する建築基準法施行令違反の点について付言するに、同令一二六条一項は屋上広場又は二階以上の階にあるバルコニーその他これに類するものの周囲につき、安全上必要な高さが一・一メートル以上の手すり壁等を設けなければならないと規定しているところ、右規定はバルコニー等を災害等の一時避難の滞留場所として利用すべく、バルコニー等の手すり等の高さを成人の重心を基準に規制しているに過ぎない。さらに、前記認定のように本件現場の東側の手すり柵が一メートル程しか高さがなかったことは身長が約八〇・七センチメートルの一郎の転落を誘引した事情と認められず、同令が高さ以外のさんの型式やさんとさんの間隔などについても何も規制していない以上、同令に違反するか否かは、本件事故の原因としての本件団地の瑕疵の認定には関係がないといわなければならない(なお、結果論としては、手すり柵が縦さん型式であれば本件事故は防げたとも考えられるが、後述のように災害時等に幼児が一人で放置されるという状況は予期できなかった。)。
三 北側窓付設の落下防止手すりの建設基準適合性(争点2(二))
本件北側窓は、窓の腰壁が床面から約七三・五センチメートルあり、その上に約一六・六センチメートルの間隔で、約三・四センチメートルのパイプが二本渡してあって、上端の高さで床面より一一四センチメートルの横さん型式の手すりが設置されている。
ところで、建設基準三六条が横さん型式を避けるとした趣旨は、横さんが足がかりとなって手すりの高さの規制の意味が失われるのを防止しようとしたものであるところ、足がかりについては、行政解釈では一般に幼児がよじ登るおそれがあるとして高さが六五センチメートル以下のものをいうと解されていることに鑑みると、横さんが床面から高さ六五センチメートル以上にある場合には、幼児がこれに足がかりとする危険性はなく、かかる場合に横さんを用いても同項に違反しないものと解される。北側窓は床面から約七三・五センチメートルの高さまで腰壁が設置されており、幼児が横さんに足をかけてよじ登る危険性は認められず、同項に違反しない。仮に、原告らのいうように腰壁の上に一・一メートルの縦さん型式の手すりを設置した場合、災害時等の住戸からの脱出自体に支障が出ることは明らかで、むしろ合理的ではない。
また、同項が縦さんの間隔を内法一一センチメートル以下とした趣旨は、幼児が誤ってさんとさんの間からすり抜け手すりの反対側に落ちてしまうことを防止したものであるところ、北側窓のように、床面から約七三・五センチメートルの高さまで腰壁があり、その上に手すりがある場合には、手すりと手すりの間、もしくは手すりと腰壁の間を幼児がすり抜けることは通常考えられず、やはり同項に違反しないと解すべきである。
四 設置管理上の瑕疵、被告研究所の過失の有無について(争点2(三)、3)
ところで、営造物が通常有すべき安全性とは、当該営造物の構造だけではなく、その用法、場所的環境及び利用状況等の諸般の事情を総合考慮して具体的個別的に判断すべきことは原告ら主張のとおりであり、前記認定のように本件手すり等が建設基準に反しないからといって、直ちに本件団地が通常有すべき安全性を有していたものということはできない。本件においては、前記認定のように原告らが足がかりとなるようなベッドを置いていたことが本件事故の直接の原因となったと認められるところから、公営住宅の設置・設計にあたってかかる原告らの用法を考慮した危険防止措置が要請されるか否かさらに検討を要する。
公営住宅は、病院や宿泊施設などのように当該営造物に備品を含んだ設備が予め準備され、その利用形態が設置目的からも定型的に限定される場合や、その利用関係が短期的な場合と異なり、住居として、その利用が日常に密着し、かつその利用関係が長期にわたって継続することから、世帯構成や入居者の趣向等によって異なる利用の多様性に応える必要があり、また、居住の快適性や便宜性といった要請を満たす必要もある(建設基準五条参照)。この点、原告らがいうように、設置者において、多様な利用形態から生じる危険の全てを予め予期して、その全てにつき防止措置を講じるということは、おおよそ不可能を強いるものであるうえ、居住の多様性、快適性や便宜性といった要請は全く無視されてしまう結果となり、不当である。また、公営住宅については、住居としての性格上各住戸の利用は排他的で、入居者がどのような家財道具を持ち込み、どのように利用するかは千差万別で、その実態を外部から把握することはできず、日常の管理についても居住者に委ねざるを得ない部分がほとんどであるうえ、公営住宅と入居者との関係が密接かつ継続的であることから、入居者の側において危険を予知し防止措置を講ずることもある程度期待することができる。このように公営住宅については、利用の態様につき入居者の裁量が認められ、かつその日常の管理が入居者に委ねられているという特質に鑑みれば、公営住宅の設置管理にあたっては、通常の用法からは容易に予期し得ない危険が生じる場合や、予期された危険を防止するため日常生活の場としての住居の利用が著しく妨げられたり、その防止に加重な負担を強られるなどの事情がない限り、入居者の危険回避行動を期待し、これを前提とすることは許容されているといわなければならない。
本件団地は、前述のように建設基準に違反しているとは認められないうえ、日常生活の場として居住の多様性や快適性を充たす必要があったこと、北側窓付設の落下防止手すりは、公営住宅において決して特殊なものではなく、同種のものが他の住宅でも少なからず用いられていること、ベッドが足がかりとなって本件現場に落下する危険の存することを原告らも認識し得、これに対し、日常生活に支障のない形で足がかりとならないようベッドの置き方等を工夫する余地もあったと認められること、などを総合考慮すると、公営住宅の設置、設計にあたり窓下に足がかりとなるベッドを配置することまで考慮した危険防止措置が要請されるとはいえず、北側窓の落下防止手すりが住居内の腰壁の手すりとして通常有すべき安全性を欠いていたものとは認められない。
また、本件現場付設の手すり柵についてみるに、前記認定のように本件現場についてはもっぱら避難路として、日常生活での利用の予定されていなかったことや、入居者において足がかりとなるような家具等の配置に気をつけ、北側窓から室外に幼児が出ないよう注意することが期待されていたこと、本件事故が起こるまで、本件現場の手すり柵についてその危険性が指摘されたり、改善の要求がなされたなどの事実はなかったこと等に鑑みると、一郎のような幼児が一人で本件現場に出るということは被告らにおいて予期しない事態であったといえる。したがって、たまたま、本件現場の手すり柵につき横さん型式がとられ、その間隔が広かったため本件事故が起こったとしても、右の点が避難路の手すり柵として通常有すべき安全性を欠いていたものとは認められない。また、そうであれば、本件団地を設計、監理した被告研究所には過失はなかったといわざるを得ない。
五 結論
以上によれば、原告らの請求はその余の点について判断するまでもなく理由がないから、いずれもこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法六一条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 有吉一郎 裁判官 伊藤由紀子 裁判官 内田貴文)