大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

熊本地方裁判所 昭和25年(ワ)98号 判決

原告 島一徳

被告 出川潔 外二名

一、主  文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

二、事  実

原告訴訟代理人は、「被告等は原告に対し熊本市大江町大字本字居屋敷百六十番の六所在木造瓦葺平家建住家一棟建坪二十七坪を明渡せ。訴訟費用は被告等の負担とする。」との判決を求め、その請求の原因として、「被告茂は昭和十八年十一月原告先代五島法眼より請求の趣旨記載の家屋を賃借し、爾来同被告の二男である被告潔及びその妻である被告スム子を居住させて現在に至つているのであるが、原告先代法眼は昭和十九年十一月十七日死亡したので原告が家督相続により右家屋の所有権を取得すると共に賃貸人としての地位を承継し引続き同家屋を被告等に賃貸していた。然るにその後原告は納税其の他の事情によつて生じた債務を整理する為右家屋を他に売却しなければならない必要に迫られ、昭和二十四年七月二十七日訴外旭生命保険相互会社との間に売買契約を締結したのであるが、右売買の直前原告は被告等に原告の事情を開陳し、且つ被告等に対しては別に右家屋に代る他の原告所有家屋を賃貸することゝして本件家屋の賃貸借解約を申入れたところ、被告等も原告の窮状に同情して原告の右申入を承諾したのであつて、右家屋については同年十二月中に所有権移転登記手続を完了し、売買代金の一部も既に原告に於て受領済である。従つて原告は売主としての責任上速かに被告等より右家屋の明渡を受けた上これを右訴外会社に引渡さねばならないのであるが、その後被告等は依然として右家屋を占有してこれが明渡をしない。仍て原告は前記合意解約による賃貸借の終了を原因として被告等に対し右家屋の明渡を求めるものである。然しながら仮に原告と被告等間に前記の如き合意解約が成立しなかつたとすれば、

(一)  原告は被告等に対し本訴を以て原被告等間の本件家屋の賃貸借解約の申入をなすものであるが仮に家屋の所有権を失つた原告に賃貸借を解約する権利がないとすれば、

(二)  原告は本件家屋の現所有者である訴外旭生命保険相互会社に代位して被告に対し右賃貸借の解約を為すものである。即ち原告から本件家屋の譲渡を受けた訴外会社は被告等に対し右家屋の賃貸借を解約してその明渡を請求し得る権利を有しているのであるが、同会社に於てこれを行使しないので、原告は原告が右会社に対して有する本件家屋の売買代金請求権を保全する為、同会社に代位し、本訴を以て被告等に対し右家屋の賃貸借解約を申入れ、これが明渡を求めるものである。

而して右(一)(二)の何れの場合に於ても右賃貸借については既述のように原告としてはこれを他に売却しなければならない事情があり、又被告等に対しては本件家屋に代る他の家屋を提供しているのであつて、正当な解約事由があるので、右賃貸借は本訴状送達の日の翌日である昭和二十五年三月十三日以降六ケ月の経過と共に終了し、右家屋に対する被告等の賃借権は既に消滅に帰したものであるから、被告等が右家屋を原告に返還すべき義務があることは当然である。以上いずれにしても被告等が原告に対し本件家屋を明渡す義務のあることは明らかであるから本訴請求に及んだ次第である」と陳述し、被告の答弁事実中被告茂が土木建築業者であることは認めるがその余の事実はすべて否認する。なお家屋の賃貸人はその賃貸家屋を他に譲渡しても当然に賃貸人としての地位を失うものではなく、譲渡前の賃貸借の終了を原因としてその明渡を求め得るのは勿論、賃貸借を前提とする限り譲渡後と雖も賃貸借を解約してこれが返還を求め得るものである」と述べた。<立証省略>

被告等訴訟代理人は主文第一項同旨の判決を求め、答弁として、「原告主張事実中被告茂が原告主張の頃原告先代法眼より本件家屋を賃借し、爾来右家屋に被告茂の二男である被告潔と同人の妻である被告スム子を居住させていること、右法眼が原告主張の日死亡し、原告が家督相続により右家屋の所有権を取得したこと及び原告がその主張の頃右家屋を訴外旭生命保険相互会社に売渡し、その主張の頃所有権移転登記がなされていることはいずれもこれを認めるが、その余の事実はすべてこれを争う。原告の本訴請求は次の如き理由により失当である。即ち、

(一)  被告潔及び被告スム子は原告先代又は原告より本件家屋を賃借したのではなく、原告と右被告両名間には何等賃貸借関係は存在しないのであるから、右被告両名は賃貸借の終了を原因とする原告の本訴請求に応ずる義務はない。

(二)  次に家屋の賃貸借に於ては、賃貸人としての地位は賃貸家屋の所有権の譲渡と共に当然新所有者に移行し、賃貸借に基く一切の権利義務は新所有者に於てこれを承継するのであるから、既に売買によつて本件家屋の所有権を訴外旭生命保険相互会社に譲渡し、その所有権移転登記手続を完了した原告は仮令所有権譲渡前に生じた理由に基く場合と雖も最早被告等に本件家屋の明渡を請求し得る権利を有しないものである。

(三)  仮に右の法律上の主張が理由がないとしても、被告等は本件家屋の賃貸借に原告主張のような合意解約がなされた事実はこれを否認する。

そもそも原告先代法眼は、土木建築を業とする被告茂を常に建築顧問として生前多数の貸家を建築した関係上、互に深交を重ね、現に被告茂が居住している熊本市大江町字居屋敷百六十七番所在の家屋も、同被告に対する報謝の意味で将来売却する場合には先ず被告茂に売渡すことにするからその希望通りに設計してよろしいということで被告茂に於てこれを設計建築した上賃借したような次第であるが、本件家屋を建築するについても右法眼が資金難に陥り、昭和十八年十一月二十五日被告茂に金三千円の金借方を依頼して来たので被告茂は右法眼と、将来本件家屋が他に売却される場合には家屋及び敷地を被告茂に優先譲渡し右金員はその際の売買代金に充当すること、右出捐金については無利息とし返済期を定めず必要に応じて協議すること、以上の約束を確保する為本件家屋は被告茂に賃貸することを約し、被告茂に於て金三千円を法眼に貸与した上右家屋を完成せしめ爾来これを賃借し、被告潔及び被告スム子を居住させてきたのである。従つて被告等は将来長く本件家屋に居住できるものと信じ戦時中には右家屋の敷地内に時価五十万円にも相当する防空壕を設置した程であつたが、その後一度は原告より売買の交渉があつたけれども立消えとなつたまゝ、爾後数回に亘つて値上げされた高額の家賃も昭和二十四年十一月分迄完納してきたのであつて、賃貸借が解約されることは思いもかけなかつたのである。然るに同年十一月に至つて突然訴外旭生命保険相互会社より家屋明渡の請求を受け始めて本件家屋が売買されたことを知つて驚いた次第であつて、被告等は嘗て原告より賃貸借解約の申入を受けたこともなく、又たとえ解約申入があつても被告等がこれを承諾する筈もないのである。

(四)  被告が予備的請求原因として主張する本訴による解約申入は無効である。即ち前記の如く家屋の賃貸人は賃貸家屋の所有権の譲渡と共に賃貸人としての地位を失いその賃貸借関係はすべて新所有者がこれを承継するのであるから、従前の賃貸人が賃貸家屋の譲渡後賃貸借を解約する権限のないことはいう迄もない。従つてかゝる無効の解約申入により本件家屋に対する被告等の賃借権が消滅するいわれはない。

(五)  なお原告の債権者代位権行使の主張は其の主張自体従前の賃貸人としての地位に基く明渡の請求と矛盾し法律上許されない、仮にかゝる主張が許されるとしても本件に於ては原告主張のような債権者代位権の行使は認められないものである。蓋し原告が訴外旭生命保険相互会社に対し原告主張のような売買代金請求権を有するか否かは疑わしいばかりでなく、仮に原告に於て右の如き債権を有しているとしても、本件に於ては右の権利を保全すべき必要は毫もないのであるし、他面賃貸借を解約して家屋の明渡を請求する権利の如きは所謂一身専属権ともいうべきもので代位に親しまないものであり、更に本件に於ては右訴外会社は昭和二十五年一月二十六日被告等に対し本件家屋の賃貸借の解約はしない旨の暗黙の意思を表明し、賃貸借の継続を認めているのであつて、このような場合原告に於て右会社の権利を代位行使して、同会社と被告等間の賃貸借を解約して明渡を求め得る余地は全くないからである。

以上原告主張の本訴を以てする解約の申入は、其が原告自身賃貸人としての解約の申入としても或は又代位による其れとしても全く無効のものであるが仮に其が解約の申入として効力があるとしても本件家屋の賃貸借については正当な解約事由はないから原告の主張するような解約申入により本件の賃貸借関係が消滅する理由はない。」と述べた。<立証省略>

三、理  由

被告茂が原告主張の頃原告先代法眼より本件家屋を賃借し爾来右家屋に同被告の二男である被告潔及び同人の妻である被告スム子を居住させていること、右法眼が原告主張の日死亡し原告が家督相続により右家屋の所有権を取得したこと及び原告がその主張の頃右家屋を訴外旭生命保険相互会社に売渡し、原告主張の頃所有権移転登記手続がなされていることは当事者間に争がない。

(一)  被告潔、同スム子に対する賃貸借終了を原因とする明渡請求が論理上許されるか否か。

右争のない事実により明かなように被告潔、同スム子は被告茂の賃借権に基き其の権利の範囲内に於て本件家屋を占有使用しているのであつて同被告等の占有使用は、其の個有の権利に基くものではなく、被告茂の右賃借権の当然の効力として、其の反射的利益を受けているものと解するを相当とする。従つて被告茂の賃借権が消滅する時は被告潔、同スム子が本件家屋に居住し得る根拠も当然失わるるものと言うべく原告が被告茂に対する請求原因と同一の請求原因により、被告潔、同スム子に対し本件家屋の明渡を求めることは、其の請求原因が認められるか否かは別として、其のこと自体何等違法はないのでこの点に関する同被告等の法律上の主張は当らない。

(二)  賃貸人が賃貸借の目的物である家屋の所有権を譲渡した後も、譲渡前に生じた原因に基き之が明渡を請求し得るか否か。

そもそも家屋の賃貸借に於て、賃貸家屋の所有権の移転に伴う賃貸人の地位の承継の問題と、賃貸人が家屋の譲渡前に生じた賃貸借の消滅原因に基いて家屋の明渡を請求し得るか否かの問題は自ら別問題であつて賃貸借の成立に必しも賃貸人が目的物の所有者であることを必要としないのと同様、賃貸借の終了による目的物の返還請求権も既に発生した以上、其の後に於ける目的物の所有権の譲渡に因り当然之を失うという所謂はない。従つて賃貸人は賃貸家屋を他に譲渡しても譲渡前の賃貸借の終了を原因として家屋の返還を請求することができると解するのを相当とするので之の点に関する被告の主張も理由がない。

(三)  仍て本件に於て原被告等間に果して原告主張のような合意解約の事実があつたか否かについて考察してみると、証人五島綾子の証言中には被告茂が原告の解約申入を承諾した旨の証言がなされているけれども右証言部分は後記の証拠と対照して俄に信用が出来がたいのみでなく仮に被告茂が同証人の本件家屋の明渡の要求に対し之に応ずるが如き言葉を洩らしたとしても其は一般に賃貸人の明渡の要求に対し賃借人が賃借人としての立場や従来の情誼上無下に之を拒絶しにくいところから真意に基かず単に其の場逃がれの口実としてなされたものに過ぎない場合に於てはかゝる承諾が何等の効果を有しないものであることは勿論と言わねばならない。而して成立に争のない乙第二乃至七号証に前記証人五島綾子の証言の一部を綜合すれば原告は却て原告が合意解約の成立したと主張する日より約半年を経過した昭和二十五年一月分迄の家賃相当額の金員を受領している事実を認めることができるのであつて、斯る事実に更に証人黒木忠夫の証言と検証の結果を併せ斟酌すれば被告茂が原告の解約申入に対し之を承諾した事実はなく結局原告と被告茂間には賃貸借解約についての合意は成立していなかつたものといわなければならない。証人五島綾子、同黒木忠夫の各証言中右認定に反する部分は措信できず、その他右認定を覆えして原告と被告等間に合意解約の成立したことを認むるに足る証拠はない。

(四)  次に原告の予備的主張について按ずるに、

(イ)  前記(二)に於て説明した如く家屋の賃貸人は必しも、其の家屋の所有権者であることを必要としないのであるが、然し通常の場合に於ては賃貸家屋の所有権が他に譲渡せられた時には賃貸人としての地位は新所有者に承継せられ、従来の賃貸人は右家屋の賃貸借関係から離脱し、賃貸人としての地位を喪失するのであつて、爾来旧賃貸人は賃貸借の解約をなす権限を有しないものと解しなければならない。本件に於ては本件家屋が昭和二十四年七月二十七日原告より訴外旭生命保険相互会社に売却され、同年十二月中に所有権移転登記手続が完了していることは当事者間に争がなく而も原告が右家屋の所有権を同会社に譲渡した後も引続き賃貸人としての地位を保有すべき約定が原被告と同会社の三者間に成立した事実を認むべき証拠はないので原告は本件家屋の所有権を同会社に譲渡した日から其の賃貸人としての地位を失つたものと認むべくその後に提起された本訴を以てする原告の解約申入は無効であつて、かゝる解約申入により本件家屋の賃貸借が消滅する理由はない。

(ロ)  次に原告主張の債権者代位権を理由とする明渡の請求に付審究するに債権者は債権保全のためであつても債務者に代位して、債務者所有の家屋を自ら使用し、第三者に賃貸し又は之を売却するなど債務者の財産管理に干渉することは許されないのであつて、正当理由に基く賃貸借解約の如きは家屋所有者が自ら之を使用収益するを可とするか或は又第三者に引続き賃貸するを可とするかの判断に基く財産管理の一方法と言うべく、かゝる解約権の行使は全く家屋所有者の専権に属するもので債権者代位権の対象となり得べき権利に非ず。と解するを相当とする。従つて本件に於て原告が訴外旭生命保険相互会社に対して有する本件家屋の売買代金債権保全のため同会社に代位して被告に対し本件家屋の賃貸借解約権を行使するとの主張は既に右の理由により失当と言わなければならない。

以上の次第であるから原告が被告等に対し本件家屋の明渡を求める本訴請求は理由がないとしてこれを棄却することゝし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 浦野憲雄)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!