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熊本地方裁判所 昭和32年(わ)122号 判決 1958年12月27日

被告人 岩下貢

主文

被告人を無期懲役に処する。

未決勾留日数中五百五十日を右本刑に算入する。

領置にかかる現金千七百三十八円(証第五号)及び懐中電灯一ケ(証第八号)は、これをいずれも被害者に還付する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は肩書住居地に生れて、古城小学校一の宮中学校を卒業後家業の農業に従事していた者であるが、

第一、昭和三十二年一月二十七日かねて被告人と同町であり小学校時代から顔見知りの間柄にあつた古城農業共済組合職員江藤勝呂(当時二十二年)が、熊本県阿蘇郡一の宮町大字三野一八九古城農業協同組合宿直室で宿直中であることを知り、同日午後十時三十分頃同人を室外に呼び出し、同人と打ち連れて右同所から東南方約二百米の同町大字三野字大田一七六番地大塚三男所有の田圃に至り、同所で傍にあつた藁束を燃して暖をとり乍ら種々雑談していたところ、たまたま同月二十八日午前零時頃右江藤勝呂が被告人に対し貸金二千円の返済を迫り、その催促が余りに執拗を極めたため、被告人は「カツ」となつて痛く憤激し、やにわに殺意を生じて所携の出刃庖丁を以て右江藤の頸部、胸部等に突き刺し、同人に対し、頸部右側縁部に長き約一、二糎深さ約二、〇糎、前頸部に長さ二、九糎深さ約六、〇糎、右側頸部下部に長さ約五、四糎深さ約十一糎、前胸部に長さ約五、五糎深さ約十四糎、右前腋窩部に長さ約四、〇糎、右上腹部に長さ約三、一糎深さ約六、〇糎の各刺創を与え、よつて同人をして同時刻頃右田圃において右刺創に基く失血のため死亡するに至らしめて殺害の目的を遂げ、

第二、同日頃、同所において右犯行直後、たまたま右江藤勝呂が同人の背広上衣の胸ポケツトに古城農業共済組合所有にかかる現金六千七百二十五円を入れていたのを知り、その場において右現金及び懐中電灯一ケ(時価三百五十円相当)(証第八号)を窃取し

たものである。

(証拠の標目)

判示第一及び第二の事実につき

一、司法警察員石本政夫及び同府本鏘乍作成の昭和三十二年一月二十八日付実況見分調書(附図面三葉、写真三十四枚)、

一、司法警察員多良木利次作成の強盗殺人事件捜査報告(附写真六枚)、

一、宮地警察署長から熊本県警察本部長宛昭和三十二年一月二十九日及び二月二日付各鑑定嘱託書、

一、熊本県警察本部長から熊本県宮地警察署長宛鑑定結果についてと題する警察技師下田亮一作成の同年二月二十一日及び二月十二日付各鑑定書、

一、医師世良完介作成の昭和三十二年九月二十日付被告人の血液型鑑定書、

一、当裁判所の昭和三十二年七月五日付検証調書(附図面四葉、写真五枚)、

一、当裁判所の昭和三十三年二月十日付検証調書(附面面一葉、写真六枚)、

一、当裁判所の昭和三十三年六月十日付検証調書(附図面三葉、写真十九枚)、

一、証人古閑昭八、同三浦和典、同阿蘇品勘悟及び同井野敬次の第二回公判調書中の各供述記載、

一、証人軸丸平次、同井野孝義、同古閑百喜、同松島ミドリ、同井田美智子、同渡辺アサエ、同堀光実及び同山部幸助の第三回公判調書中の各供述記載、

一、証人坂梨万吉、同三城昌人、同山部義治、同三浦しづか及び同志賀光士の第四回公判調書中の各供述記載、

一、証人矢野金道、同八木一正、同宮川満春、同岩下輝行及び同筑紫今朝義の第五回公判調書中の各供述記載、

一、証人岩下登、同岩下ツナ子及び同岩下キミエの第八回公判調書中の各供述記載、

一、証人岩下敏幸、同岩下清広、同岩下道雄及び同渡辺善房の第九回公判調書中の各供述記載、

一、証人坂梨礼二の第十回公判調書中の供述記載、

一、証人田島秋義の第十一回公判調書中の供述記載、

一、証人下田亮一の第十二回公判調書中の供述記載、

一、証人長井喜熊、同高松重広、同志賀光士、同矢野金道、及び同下田亮一の第十四回公判期日における各供述、

一、証人宮崎マキ、同佐藤清、同佐藤修三、同工藤節子、同棟辰喜、同石本政夫、同西村政吉、同永溝覚雄、同南辰夫、同高島寅喜、同井田郁代、同竹原春次、同坂梨源郎、同岩下勝、同江藤寅雄、同山部友正、同江藤幸人及び同江藤ハルヲの当裁判所に対する昭和三二年七月五日付各証人尋問調書、

一、証人軸丸平次、同井野敬次、及び同阿蘇品勘悟の当裁判所に対する昭和三三年二月一〇日附各証人尋問調書、

一、証人松村康司、同三城昌人、同山部義治、同志賀光士、同坂梨勝、同山部幸助、同渡辺アサエ、同岩下輝行、同江藤ハルオ及び同江藤幸人の当裁判所に対する昭和三三年六月十日附各証人尋問調書、

一、証人油井幸茂及び同小田勇士の裁判官岡本寧雄に対する各証人尋問調書、

一、下田亮一、岩下ツナ子、岩下キミエ(三通)、岩下登(三通)、油井幸茂及び八木一正の検察官に対する各供述調書、

一、被告人の検察官に対する各供述調書(計七通)、

一、被告人の第一回公判調書中の供述記載、

一、被告人の第十五回公判期日における当公廷の供述、

なお判示第一の事実につき

一、医師家入義範作成の死体検案書、

一、医師世良完介作成の江藤勝呂にに関する鑑定書、

一、領置にかかる白メリヤス丸首シヤツ(証第一号)、白丸首シヤツ証(第二号)、柄物マフラー二枚(証第三号)、毛糸薄鼠色セーター(証第四号)、紺色縞背広上下一着(被害者江藤勝呂着用のもの)(証第六号)、濃紺背広上下(被告人着用のもの)(証第九号)、茶色オーバー(証第十号)、手袋(証第十一号)、ネクタイ(証第十二号)、茶色ズボン(証第十三号)の各存在、

一、証人高橋励、同山部明治及び同大塚三男の第二回公判調書中の各供述記載、

一、証人坂梨勝の第四回公判調書中の供述記載、

一、被告人の司法警察員に対する昭和三十二年二月二日付供述調書、

判示第二の事実につき

一、領置にかかる現金千七百三十八円(証第五号)、懐中電灯(証第八号)及び領収証八枚(証第十四号乃至第二十一号)の各存在、

一、司法警察員棟辰喜作成のサンヨー懐中電灯の遺失届に就いて捜査報告書、

一、証人三浦しづか及び同工藤節子の裁判所に対する昭和三十三年六月十日付各証人尋問調書、

一、市原金三の司法警察員に対する供述調書、

一、被告人の司法警察員に対する昭和三十二年二月三日付供述調書、

(当事者の主張に対する判断)

第一、弁護人の主張は別紙弁論要旨記載の通りであるからこゝに援用する。

被害者江藤勝呂が、公訴事実記載の日時頃何者かによつて出刃庖丁類似の兇器で殺害されたことは、前掲証拠中医師家入義範作成の死体検案書、医師世良完介作成の江藤勝呂に関する鑑定書及び司法警察員石本政夫及び同府本鏘乍作成の昭和三十二年一月二十八日付の実況見分調書により争のないところであるが、右犯行が何者によつて行われたかについて当裁判所は大要次の如き証拠により被告人の犯行であると認定した。

一、被告人の昭和三十二年一月二十七日の行動

証人坂梨万吉及び同軸丸平次の第二回公判調書中の各供述、並びに証人古閑百喜、同松島ミドリ及び同井田美智子の第三回公判調書中の各供述記載によれば、右証人等は被害者江藤勝呂が昭和三十二年一月二十七日午後八時乃至午後十時頃迄に松島魚屋に入つて出るのを見たり、或は同人が「北坂梨の青年は来ていませんか」と店の中を覗いた事実を認め、又証人井野孝義の第二回公判調書中の供述記載によれば、被害者江藤が古城農業協同組合内で「みつみさんみつみさん」と誰かを呼んでいたことが認められる。「みつみさん」類似の名前を有する人を列挙してみると、堀光実、志賀光士及び被告人岩下貢の三名であるが、この中堀光実は農業協同組合参事であり、同人の第三回公判調書中の供述記載によれば、被害者江藤は右堀光実に対しては「堀さん」と呼び、他の農業協同組合及び農業共済組合職員中で「光実さん」と呼ぶ者はいなかつたし、志賀光士についても昭和三十三年六月十日付同人に対する証人尋問調書によれば、被害者江藤は右志賀光士を「志賀さん」と呼び「光士さん」とは呼んでいなかつたことが明らかである。一方被害者江藤は、被告人岩下貢に対しては「みつぐさん」と呼んでいたことは被告人の第十五回当公廷における供述及び昭和三十二年二月十九日附の検察官調書において自認するところである。よつて前記「みつみさんみつみさん」との呼びかけは「みつぐさん」と呼んだとみるのが相当であり、右事実から被告人岩下貢は昭和三十二年一月二十七日午後八時乃至十時頃古城農業協同組合事務所附近に来ており、しかも被害者江藤勝呂との間に何らかの所用があつたことを推測するに充分である。

二、血痕の検出について、

被告人の司法警察員棟辰喜に対する昭和三十二年二月二日付供述調書(本調書の証拠能力については後述)及び証人棟辰喜の昭和三十二年七月五日付尋問調書によれば、被告人は自己が逮捕された当時着用していた茶色ズボン(又はねずみ色ズボン)(証第十三号)の右裾に血痕が附着しているから提出する旨を供述し、右被告人の提出にかかるズボンの血液鑑定の結果は、警察技師下田亮一の昭和三十二年二月十二日付の鑑定書により、被害者江藤勝呂の血液型と同型の「O型又は不明」であることが検出されている。更に下田亮一の第十二回公判調書中の供述記載によれば右血痕は飛沫血痕であつたことが認められる。尤も九大助教授原三郎の鑑定書によれば、右茶色ズボン(又はねずみ色ズボン)については血液の附着が認められないという結果になつている。何故に下田亮一と原三郎との鑑定結果が喰違うかについては、前者の鑑定日時が昭和三十二年二月十二日、後者の鑑定が同年八月十七日でありその間六ヶ月の日時が経過したことにより血痕が消失したか、或は下田亮一による鑑定の際に被検物たる血液を採取し尽したかの理由により血液鑑定の結果に異同を生じたものと考える外はない。これは濃紺背広(証第九号)及びネクタイ(証第十二号)の鑑定結果、即ち下田亮一の鑑定はいずれもO型、原三郎の鑑定はいずれもB型又はO型という両者の喰違いについても同様と考える外はない。

三、懐中電灯(証第八号)について、

証人油井幸茂の尋問調書及び同人の検察官に対する供述調書によれば、被告人が逮捕されて宮地警察署の監房で「警察官が十人許り家に来て家探しをされ農協の懐中電灯を見付けられそれからあしがついた。」旨を述べており、証人渡辺アサエの第三回公判調書並びに証人三城昌人、同山部義治、同志賀光士及び同三浦しづかの第四回公判調書中の各供述記載、岩下キミエ及び岩下ツナ子の検察官に対する各供述調書、昭和三十三年六月十日付の証人尋問調書中の証人三城昌人、同山部義治、同志賀光士、同山部幸助、同渡辺アサエ、同三浦しづか、同江藤ハルヲ及び同江藤幸人の各尋問調書を綜合すれば、被害者江藤勝呂が所持していた懐中電灯はサンヨーパールライト中型、先端が大きな白メツキされており電池二ケ入り、柄の部分が黒色、その構造の特徴としてスイツチのボタンを押すと電球が突出して電灯が点じ、ボタンを元通りに引くと電球が引込んで電灯が消える様な構造のものであつたこと、右懐中電灯は古城農業共済組合の備品であり、昭和三十二年一月十七日に三浦ラジオ店で被害者江藤勝呂が購入し、一月二十七日同人は組合保険の掛金を集金して廻り、その夜宿直中何者かの来訪をうけて右懐中電灯を持出し、一月二十八日以降は右懐中電灯は紛失して之を探しても見当らず、しかも領置にかかる懐中電灯と同一型のものであることを認めることができる。一方、被告人の司法警察員に対する昭和三十二年二月二日付供述調書、及び同年七月五日付の証人棟辰喜の尋問調書によれば、被告人は江藤勝呂を判示田圃に連れ出し、同所で種々雑談をして焚火をする際に、江藤勝呂から同人の所持していた懐中電灯の交付を受けた事実が認められる。証人岩下ツナ子、同岩下キミエ及び同岩下登の第八回公判調書中の各供述記載及び岩下キミエ、岩下ツナ子の検察官に対する昭和三十二年二月十四日付の各供述調書によれば、被告人宅には一月二十八日迄は領置にかかる懐中電灯が存在しなかつたこと、並びに被告人用のタンスの抽斗の中には右懐中電灯が存在することは甚だ奇怪なことである旨の事実を認めることができる。尤も、被告人は検察官に対する昭和三十二年二月十九日付の供述調書では一月二十八日午前十時三十分頃、第一回公判調書中の供述記載では午前十一時頃、市原重蔵所有の一の宮町「ハマの田」の田圃で水廻りの際右懐中電灯を拾得したと弁解する。昭和三十三年六月十日付、証人三城昌人及び同山部義治の各尋問調書並びにサンヨー懐中電灯の遺失届に就いて捜査報告書によれば、右日時頃一の宮町地方において、田の水廻りをする様な慣習も又その必要性もなく、右の懐中電灯を遺失した者も存在しないし、被告人の弁解は単なる言い逃れに過ぎず、右懐中電灯が被害者江藤勝呂が所持していた共済組合所有のものであるという事実認定を些かも左右し得るものではない。仮りに、被告人が弁解する通り一月二十八日右田圃の水廻りに行つたとしても、昭和三十二年七月五日付証人岩下勝の尋問調書によれば、一月二十八日午前十二時一寸前から被告人は岩下勝方を訪れ午後二時頃帰つたが、その際被告人は懐中電灯を所持していなかつたことが明らかであり、被告人が懐中電灯を一月二十八日午前十一時頃被告人が主張する田圃で拾得したという弁解は全く理由がないものと言うべきである。

四、被告人所持の現金について、

まづ、被告人は昭和三十二年一月二十七日に幾何の金を所持していたかについて判断してみるに、証人筑紫今朝義の第五回公判調書中の供述記載によれば、同年一月二十六日に四千五百円余の売掛金を、被告人が筑紫元喜方に馬車を曳いて来たときに請求したところ、被告人は支払はなかつた。岩下ツナ子、岩下キミエ及び岩下登の検察官に対する昭和三十二年二月十四日付各供述調書によれば、被告人は一月二十六日午後七時半頃から映画を見に行くといつて一人で外出しており(岩下登の供述調書では一月二十五日となつているが、一月二十六日が真実と判断する)、その際被告人は父岩下登から映画代金六十円を貰つていることが明らかであり、このことは被告人の第十五回公判期日の当公廷における供述によつても被告人が自認するところである。証人岩下輝行の第五回公判調書中の供述記載によれば、被告人は一月二十七日にジヤムバー代金を支払うといいその夜右岩下輝行が勤めている相良洋品店に右代金を持参するというので、右岩下輝行が夜遅く迄同店で待つていたに拘らず、右相良洋品店に代金を支払いに行かず、翌一月二十八日右輝行が被告人宅を訪れて右ジヤムバー代の支払いを受けた。証人矢野金道の第十四回公判期日における供述によれば、一月二十六日或は二十七日に被告人に対する掛金一万三千円程の請求をしたが被告人は支払はなかつた。更に、被告人は金千円を佐藤修三から借りたが、その日時は昭和三十二年七月五日付証人佐藤修三の尋問調書によれば一月二十四日、被告人の第十五回公判廷の供述によれば一月二十七日である。右諸事実を綜合すれば、被告人は昭和三十二年一月二十六日から二十七日に至る迄は少くとも金銭所持の事実はなく借金の弁済に苦慮していたことは明らかである。尤も、被告人は第一回公判調書中の供述記載及び第十五回公判廷における供述並びに検察官に対する昭和三十二年二月十九日付供述調書によれば一月十日及び一月二十日に「まつぼり米」(自家の米を窃かに持出して売却する米)を売却した代金六千三百円乃至七千三百円を所持していたと弁解し、就中第十五回公判廷の供述においては突如として、一月二十七日に佐藤修三から借金した事実は認めるが、その時は偶々前記「まつぼり米」の代金を身につけていなかつたので借りたと弁解し、暗に他の場所乃至他の洋服には金銭を所持していたかの如き口吻であるが、右供述は前掲証拠による認定を些かも左右し得るものではなくいずれも単なる弁解の為の弁解にすぎないものと言うべきである。

五、昭和三十三年一月二十八日以降の支払い金額とその種別

本件犯行発生後、一月二十八日には、証人岩下輝行の第五回公判調書中の供述記載によれば、被告人はジヤムバー代三千七百円を岩下輝行に対して支払い、被告人の検察官に対する昭和三十二年二月十九日付供述調書によれば、被告人は一月二十九日佐藤修三に清酒代千円を支払い、証人筑紫今朝義の第五回公判調書中の供述記載によれば、被告人は被告人の両親を通じて一月三十日に筑紫今朝義にタバコ代等二千円を支払つている。尚、その金銭の種別については、領置にかかる領収証(証第十四乃至第二十一号)並びに証人志賀光士の第十四回公判廷における供述とを照合すれば、被害者江藤勝呂は一月二十七日の集金に際しては証第十五号、第十八号、第二十号及び第二十一号に徴するときは古閑役次郎、岩下きみ、古閑昭三及び志賀利治の四名からは千円札を受取り、少くとも四枚の千円札を受取つている事が判る。一方証人岩下輝行の第五回公判調書中の供述記載によれば、被告人は一月二十八日に右岩下輝行に対し三千七百円を支払うに当つては千円札三枚、百円札七枚を支払い、千円札の他の一枚は佐藤修三に支払つたか或はタバコ屋に支払つたか否かは不詳であるが、千円札の枚数に関しては、一月二十七日夜被害者江藤勝呂が所持していたと推定される六千七百円余中の千円札の枚数と略々符合する。

六、被告人の司法警察員棟辰喜に対する昭和三十二年二月二日付供述調書の証拠能力について、

弁護人は右供述調書については形式的にも黙秘権の告知がなく、実質的にも黙秘権が告示されずに作成されたものであるから刑事訴訟法第百九十八条第二項に違反するものであるから証拠能力がないと主張する。そこで右調書を調べてみれば弁護人主張の通り形式的にも実質的にも供述拒否権の告知がなされた形跡のないことは所論の通りで、参考人としての供述調書ではあるが、昭和三十二年七月五日付証人棟辰喜の尋問調書及び被告人の検察官に対する昭和三十二年二月十六日付供述調書を綜合するときは、取調官において調書作成後、読み聞けをなし右供述の通り相違ない旨を了承した後、被告人において任意に署名指印をなしている以上、右調書に任意性がないという事はできない。従つて、右供述調書は証拠能力を有するものと解する。

七、兇器について

本件犯行に供されたとして押収された出刃庖丁(証第七号)は本件犯行に供された兇器ではないという弁護人の主張は理由がある。即ち、九大助教授原三郎の鑑定書及び世良完介の江藤勝呂に関する鑑定書に徴して、押収にかかる出刃庖丁を以てしては、被害者江藤勝呂の身体に生じた様な傷害を与えることができ難いこと、並びに下田亮一の昭和三十二年二月十二日付の鑑定書及び前記原三郎の鑑定書によれば右庖丁に血液の附着が検出し得ないことが明らかであるから、以上の事実を綜合すれば押収にかかる出刃庖丁は本件犯行に供せられた兇器ではないと認めるのが相当であり、従つて本件犯行に供せられた兇器は犯行後、被告人において何処かに捨てられたものと推測される。

八、人糞について

被告人が宮地警察署に逮捕されていた当時の同房者南辰夫及び高島寅喜の昭和三十二年七月五日付証人尋問調書、並びに油井幸茂及び小田勇士の岡本裁判官に対する証人尋問調書中の各供述記載中、現場にあつた人糞について、被告人の供述として「勝ちやん(被害者江藤勝呂の事)がした、」という点については、下田亮一の昭和三十二年二月十一日付の鑑定書によれば右人糞から検出される血液型はA.B型であり、之に反し、世良完介の昭和三十二年二月六日及び九月二十日付の各鑑定書によれば被害者江藤勝呂の血液型はO型、被告人岩下貢はB型であるから、本件人糞は右両名のいずれの人糞でもないことが明らかである。従つて、前記の証人尋問調書中の被告人の供述は虚偽となりその限度で又、前記証人尋問調書の証明力がないというべきである。然し乍ら、被告人は当公廷では、終始犯行現場に赴いたこと自体を否認しており、右の人糞の血液型の喰違いは本件犯行の成否に決定的な影響を有しない。

九、犯行現場の状態と懸干竿について、

弁護人は、犯行現場が生死の格斗を行つたにしては踏み荒された形跡がないと主張する。司法警察員石本政夫、府本鏘乍作成の昭和三十二年一月二十八日付の実況見分調書及び証人松村康司の昭和三十三年六月十日付の尋問調書によれば、所論の通りであるが、事実被告人と被害者とが生死の格斗をなしたか否か、或は仮りに格斗をしたにしてもその後の霜柱の発生等を考慮すれば必ずしも踏み荒された跡がなければならないとか又犯行の翌日においても残存すべきであるという弁護人の主張は独自の見解であり、又、被告人の自供中に「被害者江藤勝呂が懸干竿で抵抗した」という点についても、弁護人の通り右懸干竿はこれを領置されてはいないが、前記の格斗の跡の存否と同様懸干竿の存否は本件犯行の成否に決定的影響を有しない。

第二、検察官主張の本件公訴事実の要旨は「被告人は多額の借金の支払に窮し、金品を強取しようと企て、昭和三十二年一月二十七日午後十時三十分頃阿蘇郡一の宮町大字三野一八五四番地古城農業協同組合宿直室に至り、宿直員江藤勝呂満二十二年を巧に同所の東南方約二百米離れた同町大字三野字大田一七六番地の田圃に誘い出し、同月二十八日午前零時過頃同所において、殺害の上金品を強取する目的を以て、矢庭に所携の出刃庖丁を用い、同人の頸部腹部等六ヶ所を突き刺し、前頸部刺創外六ヶ所の傷害を与え、よつて右傷害に基く失血により同人を死亡せしめて、殺害した上、同人の背広上衣より古城農業共済組合所有の現金六千七百二十五円及び懐中電灯一ケ時価三百五十円相当を強取したものである。」というにあるが、

一、成程、第五回公判調書中の証人宮川満喜の供述記載によれば、同人に対して時計の代金三千六百円、同岩下輝行の供述記載によれば、同人に対してはジヤンバー代金三千七百円、同筑紫今朝義の供述記載によれば、同人から売掛金四千五百九十六円、証人宮崎マキの尋問調書によれば同人方から約二万円、被告人の検察官に対する昭和三十二年二月四日付の供述調書によれば、宮崎吉松、弥生食堂、つるや旅館に対し計五万乃至六万円の借金を有していたことが窺はれる。又第二回公判調書中の古閑昭八の供述記載によれば、同人が昭和三十二年一月二十六日の晩に被告人と会つたときに、お互の借金の話になり、被告人は四、五万円の借金がある様な話をしたので、「借金があつても殺して迄はとつてゆかぬだろうから。」と言つたら被告人は「そうなあ」と答えた。以上の事実を綜合すれば被告人が、多額の借金を背負いその支払に窮していた事は之を充分に認めることはできる。

二、坂梨勝の第四回公判調書中の供述記載によれば、被告人は一月下旬頃に出刃庖丁を携帯して歩いていたことは事実である。又被告人の司法警察員に対する昭和三十二年二月二日付供述調書によれば、一月二十七日豆札橋で三輪車に乗つた江藤勝呂に会つて、昭和三十一年夏の借金二千円の催促をうけ、日曜日でも仕事をするのかという問答と共に、被害者江藤勝呂がその当日宿直である旨を聞知したことが認められるので、当然右の機会に江藤勝呂が、共済組合掛金の集金をしていたことについて被告人が知つていたことはこれを認めるに難くないであらう。然し、第四回公判調書中の証人三城昌人及び同志賀光士の各供述記載によれば、江藤勝呂は一月二十七日集金後合計六千七百二十五円の金額を所持していたことになるが、右の集金金額を何処に保管していたかについては、昭和三十三年六月十日付志賀光士の証人尋問調書によれば、被害者の鞄の中に入れて事務室の机の上に置いておくか、又は宿直室に持つてゆくかの二通りの保管方法が考えられるが、本件犯行当日、被告人が、江藤勝呂に対し、右の保管集金を特に持参して一緒に外に出てくる様に申向けて誘い出したり或は、被害者江藤が、右金額を身につけていることを特に被告人が知つていたと認定すべき証拠は十分ではない。判示の如き大金を夜間身につけて歩くということは、通常は考えられないところであるから、江藤勝呂が右金銭を携帯したこと自体から逆に前記特段の事情を推定し得ないでもないが、被告人の自供内容の如く、被告人が、被害者を刺し殺して偶々被害者江藤勝呂のポケツトから判示金額の金銭がでて来たので、右金銭を盗つたという弁解も強ち荒唐無稽ということはできない。却つて、被害者江藤勝呂は前記保管方法中、第二の宿直室に持つて行く保管方法をとり、宿直室に持ち来たり、同人の身に着けておく意味で自己のポケツトに収納し、被告人の誘いに応じてその侭外出したか或は、留守居が老婆一人であり、呼出したのは友人関係にある被告人であるという安心感で態々右金銭を携帯して外出するに至つたという推定も合理性がないわけではない。要するに、強取の目的の有無についての立証責任が検察官にある以上、検察官提出の全証拠を以てするも未だ被告人において強取の目的ありと認定するには証拠不十分というべきであるから、本件公訴事実は判示事実の如く殺人罪及び窃盗罪の併合罪と認定した。

三、強盗殺人の訴因に対して、殺人、窃盗の事実を認定することは公訴事実の同一性を害しないことは勿論であるが、刑法第二百四十条後段の強盗殺人の一罪として起訴されたものを殺人、窃盗の併合罪として認定する場合には、自らその訴因及び罰条に変更を齎らすことは自明の理である。然し乍ら刑事訴訟法第三百十二条第二百五十六条の規定の趣旨から考えて本件強盗殺人の起訴事実を殺人、窃盗の併合罪として認定することは、前者強盗殺人よりも後者殺人、窃盗の方が犯罪の態様から云つても軽いものであり、寧ろ強盗殺人の訴因を縮減したとも言えるのであり、却つて、被告人の利益にこそなれ、不利益にはならず、従つて、訴因及び罰条の変更をしなかつたとはいえ、これにより、被告人の防禦に実質的不利益を生ずる虞はないので、特に訴因、罰条の変更手続をとらなかつたものである。

(法令の適用)

被告人の判示所為中、殺人の点は刑法第百九十九条に、窃盗の点は同法第二百三十五条に該当するので、殺人罪については所定刑中無期懲役刑を選択し、以上は同法第四十五条前段の併合罪の関係にたつので、同法第四十六条第二項に則り、被告人を無期懲役に処し、同法第二十一条により未決勾留日数中五百五十日を右本刑に算入することとし、領置にかかる現金千七百三十八円(証第五号)及び懐中電灯一ケ(証第八号)は判示第二の窃盗罪の賍物であり、被害者古城農業共済組合の所有に属するものであり右組合に還付するべき理由が明らかであるから、刑事訴訟法第三百四十七条により、いずれもこれを被害者たる古城農業共済組合に還付する。

訴訟費用は刑事訴訟法第百八十一条第一項により全部被告人の負担とする。

よつて、主文の通り判決する。

(裁判官 山下辰夫 衛藤善人 小林優)

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