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熊本地方裁判所 昭和32年(わ)716号 判決 1958年5月08日

被告人 宮本義憲

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実の要旨は「被告人は九州学院高等学校に通学して居た長男信也を一年経つたら全日制高校に復学させる約束の下に定時制八代高校に転校させたが家計不如意の為その約束を果さなかつたところから信也が被告人に対し憤懣を抱きことごとに悪口を言つて手向いし、又は家財道具を持出す等の挙に出て居たので信也に対し快からず思つて居たところ、昭和三十二年十月十五日午後九時頃、肩書自宅に於て財布が失くなつたのを信也の仕業であろうと嫌疑をかけた為に同人がこれに憤慨し自宅東側炊事場から出刃庖丁を持出し被告人が財布を探して居た自宅北側板張の間に来たので妻しのぶと共に信也より出刃庖丁を取り上げたが信也が飛びついて来たので同人と揉み合いをなしその際所携の出刃庖丁で信也(当十七才)の左脇腹を一回突き刺しよつて同人に対し巾約三糎、深さ約十糎の腸に達する刺創を負わせ、翌十六日午前三時十五分頃、熊本県上益城郡嘉島村上島山地病院に於て同人を死亡するに至らしめた」というのである。

よつて審案するに本件にあらわれた諸般の証拠によれば、検察官主張の日時及び場所に於てその主張の如き動機に基き被告人が信也と出刃庖丁をめぐつて揉み合い(奪い合い)をなしその際信也が検察官主張の如き創傷(但し深さは約十四糎)を受け、遂に死の転機をみるに至つた事実は明らかに認められるところである。然して検察官は右傷創は被告人が故意に出刃庖丁を以て信也の左脇腹を突き刺した事に基いて生じたものであると主張するけれどもこの点についての事実はしかく明瞭とはいい得ない。即ち被告人は本件発生後数次に亘り司法警察員及び検察官の取調べを受け、又当裁判所に於ても数回その尋問を受けて居るが終始右事実を否認し続け右庖丁を信也と奪い合う際、偶然信也の腹部に突きささつた旨主張して居り、右創傷が、被告人の暴行に基くものであるとの心証を惹起し得る明らかな証拠の存在しない本件に於ては果してこれが被告人の犯行に基くか否かは諸般の状況証拠により之を判断する外に途はない。

然して本件証拠によつて認められる諸般の状況、即ち本件発生直前、被告人が信也の攻撃をかわし、妻と共に信也が手にして居た出刃庖丁を取り上げこれを手に握つて居た事実、信也が再びその庖丁を取り返そうとして被告人に立ち向つて行つた事実、当時被告人に於て相当程度立腹乃至昂奮の状態にあつた事実、右庖丁が信也の左脇腹深く約十四糎も一気に刺入されて居る事実及び被告人が司法警察員、検察官の各取調べを受けた際と、当審に於て尋問を受けた際に於て受傷に至る経過につき漸次その供述を変えている事実、並びに当審に於て被告人が足を踏み滑らせたと主張する野球用バットが実況見分調書の記載に見当らない事実等を綜合すれば、被告人が右犯行に及んだのではないかとの疑いを一応抱かざるを得ないことは首肯出来るところではあるが、他面信也の刺創は鑑定書記載の通り左側腹部上部に於て上前方より下左方に長さ約四糎、その創洞は右稍上方に向う特殊な刺創ともいうべきものであり、右受傷の際は被告人及び信也が庖丁をめぐつて激しく奪い合いをなして居た事実を考え合わせれば、被告人が当審に於て弁解する様に両名が揉み合う際に何かにつまづき両者共に転倒しようとしその際受傷したものとする可能性も考えられ(実況見分調書記載の竹刀が当時或いはその場に転がつて居り、双方共これにつまづいて信也の受傷を惹起し、その後妻がこれを片付け乍ら片付けた事実を失念して居る事も考えられる)、又被告人の検察官に対する弁解に従つても激しく庖丁を奪い合う両者の姿勢及び体位のあり方によつてはかかる受傷の可能性も十分考えられる状態にあつた事が認められる。果してそうだとすれば他に被告人が信也を故意に突き刺したと認めるべき十分な証拠の存在しない本件に於てかかる可能性の想定を容れる余地がある以上右の疑いがあるという一事を以て強ち被告人の右弁解を虚偽の弁解として排斥し直ちに右創傷は被告人の暴行に基くものであるとまでは到底認める事を得ないから、結局本件公訴事実は犯罪の証明がないものというべきであり被告人に対しては刑事訴訟法第三百三十六条後段により無罪の言い渡しをなすべきである。

よつて主文の通り判決する。

(裁判官 山下辰夫 衛藤善人 島信幸)

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