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熊本地方裁判所 昭和35年(む)518号 判決 1960年6月14日

被疑者 江嶋小次郎

決  定

(被疑者氏名略)

右の者に対する強要被疑事件につき、昭和三十五年六月十一日熊本地方裁判所裁判官がした勾留請求却下の各裁判に対し、検察官から適法な準抗告の申立があつたので、当裁判所は次のとおり決定する。

主文

本件申立はこれを棄却する。

理由

第一、検察官の準抗告申立の要旨は次のとおりである。即ち、

一、被疑者が罪を犯したことを疑うに足る相当な理由のあることは疏明資料により認められるところである。

二、被疑者につき刑事訴訟法第六十条第一項第二号の事由の存することは明らかである。即ち、本件は数十名の三池炭鉱労働組合(以下第一組合と略称する。)員らと共に敢行した集団的犯罪であつて、被疑者らは捜査機関の取調に際して、本件に関してはいずれも黙秘しているので、検察官において共犯者の特定被疑者の役割等諸状況を明らかにするためには、被害者側のみならず被疑者側についても夫々相当の参考人を取調べて証拠を収集する必要があるところ、被疑者は第一組合の強い統制の下にあつて、公権力の適法な行使である捜査活動につきこれを国家権力による労働運動に対する弾圧であると曲解していること、及び同組合争議に関係する他の刑事事件において、同組合側の被疑者はいずれも組織的背景を有する計画的行為として捜査機関の呼出に応ぜず、出頭しても黙秘権を行使し、以て捜査の妨害を企図している現状に鑑みると、被疑者を釈放すれば未逮捕の共犯者らと通謀して罪証隠滅の挙に出ずる公算は大きい。更に本件事案の特質及び社宅街の第一第二組合の勢力状況からみて被疑者側は社宅側において強力な組織力を背景として被害者参考人らに種々圧迫を加えてその供述を歪曲させるおそれがあり、被疑者を釈放すれば被害者参考人らに対し更に強力な威圧を加え以て罪証隠滅を計る虞れがある。尚記録によつて明らかなとおり被疑者らが被害者らを脅迫して作成させた本件誓約書は被疑者宅及び斗争本部等を捜索するも発見されていないことに徴しても被疑者が罪証を隠滅する虞れが認められる。

三、しかも本件は被害者各自が平穏にその住居に居住すべく疎開先から戻つて来たところを第一組合の地域分会斗争本部に連行して脅迫を加え、被害者らの居住権を侵害した悪質な事案であることをも併せ考えれば、勾留請求を却下した原裁判所はいちぢるしく判断を誤つたものであるから、右裁判の取消と勾留状の発付を求める、

というのである。

第二、当裁判所の判断は次のとおりである。

一、熊本地方検察庁検察官が被疑者に対する強要被疑事件につき、熊本地方裁判所裁判官に対し被疑者の勾留請求をしたところ、同裁判官小林優が右請求をいずれも却下したことは記録により明らかであり、検察官提出の疏明資料に徴すれば、被疑者が勾留請求書に被疑事実として示してある罪を犯したことを疑うに足る相当な理由のあることを認めるに十分である。

二、そこですすんで一件記録により、検察官主張のように被疑者に罪証隠滅の虞があるかどうかを按ずるに、本件は、被疑者及び他の多くの共犯者ら各相互間における通謀その他の方法、ならびに被疑者の被害者ら及びその側にある参考人に対する何らかの働きかけという各手段による罪証隠滅の虞れの有無を夫々検討することにより、勾留の一要件である罪証隠滅を疑うに足る相当な理由の有無を判定し得る性格の事案と認められ、その検討に当つては右いずれの場合においても、犯罪の規模、態様、捜査の進展状況、被疑者側と被害者側との生活関係、同人らがおかれている生活環境等諸般の事情を綜合的に考察する必要のあることは多言を要しないところである。

ところで、被疑者は、その属する第一組合の強い統制下にあつて組織的計画的に、他の同組合員らと共に、各種パンフレツトその他により捜査機関の取調に対処すべきあらゆる手段を指導されていることが認められ、これによると、被疑者が釈放された場合には捜査機関の呼出に対しても出頭を拒否し、或いはその取調べに際しては供述拒否権を行使する等の挙に出ることを推認するに難くないのであるが、このことは法律上許容された被疑者らの手段であつて、斯る手段を用いることは、例外的に他の事情との関係から罪証隠滅の虞れありという判断の一資料たり得る場合の存することは格別、直ちに罪証隠滅と結びつくべき関係にあるものではなく、又被疑者らが前記指導を受けている事実等から考えると、被疑者が釈放された場合には他の共犯者らをも含めて各相互間において通謀し同人らが将来捜査機関乃至裁判所において虚偽の供述をするに至ることを推認することも不可能ではないが、反面本件被害者らは司法警察員に対し既に詳細且つ明瞭に被疑者らの本件犯行につき供述して居り、その供述内容及び後記のような被疑者らと被害者らとの対立関係及び生活環境の相違を考えると、被害者らは今後の取調に対しても明瞭に右と同旨の供述をするものと窺われ、被疑者及びその側にある参考人により右の如く虚偽の供述がなされたとしても、被害者らの供述に反して本件被疑事実の存在が否定されるに至るものとは考えられず、従つて被疑者らが右のような通謀をするとしても、本件においてはこれをもつて被疑者らが罪証隠滅をすると疑うに足る相当な理由とすることはできないのである。(被疑者らが虚偽の供述をするべく通謀することは、被疑者も亦重要な証拠方法であるから、一般的には罪証を隠滅することになるわけであるが、今此処に問題となつているのは、刑事訴訟法第六十条第一項第二号にいわゆる罪証隠滅であつて、それは真実に反する事実認定に至る程度の罪証隠滅と解するのが相当というべく、従つて被疑者らが通謀して虚偽の供述をするとしても、それによつて真実の発見が阻害されると認められない程度の他の証拠が存在する場合、又は右程度の証拠が得られると認められる場合(本件は正にこの場合である。)には右通謀を以て直ちに同条項号にいわゆる罪証隠滅の虞れがあるとはいえないというべきである。)

次に被害者らに対する何らかの働きかけによる罪証隠滅の虞れの有無につき考えるに、一般的にみて、捜査機関により犯罪の嫌疑を受けたものは自己の刑事責任を免れるために被害者その他の参考人に対し威圧を加え又は懇願する等の方法により罪証隠滅を計る可能性はあり得るわけであるが、被疑者は前記のとおり第一組合に所属する組合員であり、被害者らは、右組合の労働争議の課程において分裂したいわゆる第二組合に所属するのもで、右両組合がその構成員の使用者たる三井鉱山株式会社に対し相反する態度を示し、即ち第一組合員は同会社に対し現在全面ストにより強力な闘争を展開し、第二組合員は、第一組合に対してはロツクアウトを以て対抗している右会社側と協議して就労していることなど諸般の事情からすると、被疑者らと被害者らとは夫々相対立する環境の中にあつていわば敵対感情をもつて夫々生活していることは明らかに認め得るところであり、このような現状においては被疑者らが罪証隠滅を計つて被害者らに対し働きかけをするとせば何らかの手段により威圧を加える以外にはその方法を予測することはできないのである。(前記組合分裂以前においては、被疑者被害者らはいずれも近隣に居住するものとして通常の人的関係を営んでいたのであるが、本件の発生自体からみても判るように、被疑者らが被害者らに対する前記働きかけの手段として懇願等平穏な方法を選ぶとは到底考えられず、仮にそのような方法をとつても、被害者らがそれを容れて既に司法警察員に対してなしている本件に関する供述をひるがえすとは到底考えられない程両者間の現在の対立は深刻なものである。)ところで、被疑者が他の第一組合員と共に強い組織的統制の下にあることは前記のとおりであり、このことは本件事案の態様、経緯を併せ考えると、被疑者側において罪証隠滅を計り組織力を用いて被害者らに対し長時間に亘る強力な説得工作をなすなどの方法により威圧を加える可能性は考えられるのであるが、このことは被疑者の釈放の有無とは関係なく予測されることであるから、右可能性は被疑者の釈放を要素としてはじめて考え得るものではないのである。

なるほど、現に犯罪の嫌疑を受けている被疑者らを釈放すれば他の共犯者より一層強力に右手段を弄するであろうことは一般論としては認め得られようが、本件において被疑者らが数人のみで被害者らに威圧を加えることは、第一組合の強力な統制状態からみて予測し得る限りでなく、仮にそのようなことがなされたとしても被疑者と被害者らの前記対立関係等から考えると、それによつて被害者らが供述をひるがえして本件事案の真実発見を困難ならしめるに至るとは到底考えられないのである。してみると、前記のような威圧の可能性が現実行動として実現されるとすれば、それは被疑者の釈放の有無にかかわりなく前記のとおり組織力を用いて集団的に敢行されると思料されるのであり、従つて前記可能性が認められることによつて直ちに、被疑者を釈放すれば同人が罪証隠滅を計る虞れありとはいえないのである。しかも仮に斯る威圧がなされても前同様の理由から被害者らがそれによつて捜査に非協力の態度をとることは到底認め得ないのである。のみならず被疑者の勾留請求書記載被疑事実二の被害者である上田政利他六名は当該事件直後夫々再疎開していることが疏明資料により認め得るのでこれらの関係においては前記のような威圧を加えること自体その可能性が極めてうすいといわざるを得ないのである。(尤も同人らにおいて時折疎開先より本件社宅に帰来することは従前の事例から当然予測し得るのであるが、仮にこの機会を利用して威圧がなされたとしてもそれによつて同人らが本件についての供述を被疑者らに有利にひるがえすことはないと考えられること前同様である。)

そして、他に被疑者が罪証隠滅する虞れを認めるに足る特別な事情の存在は何ら疏明されていない。

してみれば、本件においては被疑者が罪証隠滅をなすと疑うに足る相当な理由はなきことに帰着するのである。本件捜査の進展状況をみると、本件はその規模態様が複雑であつて本件犯行に関与したと認められる多数の共犯者の氏名員数関与の方法等未判明部分が相当あるため、事案の直相を明瞭ならしめるには尚相当の捜査の必要があると思料されるのであるが、以上説示したところから明らかなように右捜査の必要性によつて右判断を別異に解し得る筋合のものではない。

尚、検察官は本件強要行為により被害者らが作成して被疑者らに交付した誓約書がいずれも未発見に終つている点を捉えて、被疑者が既に罪証隠滅を計つている旨主張するが、本件犯罪の立証にあたつては誓約書それ自体の存在が絶対的に必要というものでは決してなく、それを証拠として発見し得なくとも別段本件事案の真相発見に支障が生ずるものとは認められない。けだし被害者らが被疑者らに脅迫されて作成した誓約書の内容は既に各被害者の殆んど一致した供述(これは日時的にみて本件発生後間がないうちに作成された同人らの司法警察員に対する各供述調書により認められる。)によつて明らかである。

三、検察官は原裁判の不当性の根拠に本件の情状悪質なることをも指摘しているが、そのような事情は、刑罰権実現の必要性の大小の問題としては格別、元来厳格な要件の下に例外的にのみ認められるべき、捜査の一手段たる被疑者の勾留について直接的には関係あるものではない。

四、以上要するに、本件につき被疑者らを勾留すべき理由はないので、本件勾留請求を却下した原裁判は正当であり、本件申立はいずれも理由がないことになるから、刑事訴訟法第四百三十二条、第四百二十六条第一項に従い本件申立は棄却すべきものとして主文のとおり決定する。

(裁判官 山下辰夫 嘉根博正 奥平守男)

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