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熊本地方裁判所 昭和51年(ワ)585号 判決 1980年3月24日

五八五号事件・五三〇号事件

原告 森山忠

<ほか三四一名>

右三四二名訴訟代理人弁護士 山口紀洋

同 建部明

原告ら補助参加人 株式会社熊本日日新聞社

右代表者代表取締役 安部舜一

右訴訟代理人弁護士 川野次郎

五八五号事件

被告 杉村国夫

同 齊所市郎

五三〇号事件

被告 熊本県

右代表者知事 沢田一精

右被告三名訴訟代理人弁護士 篠原一男

同 井上允

同 楠本昇三

同 柴田憲保

被告杉村、同齊所訴訟代理人弁護士 河津和明

同 斉藤修

主文

一  昭和五二年(ワ)第五三〇号事件被告は同事件原告らに対し、熊本日日新聞朝刊社会面広告欄に、二段組、幅一〇センチメートル、見出しは新聞明朝体二・五倍活字、被告熊本県とその代表者名は同二倍活字、その他については同一・五倍活字をもって、左記の謝罪広告を一回掲載せよ。

謝罪広告

熊本県議会議員杉村国夫、同齊所市郎が昭和五十年八月七日、熊本県公害対策特別委員会の委員として水俣病の対策につき環境庁に陳情した際、「水俣病認定申請者の中には補償金目当ての偽患者も多い」などと不穏当な発言をして、水俣病認定申請者であるあなた方の名誉を傷つけ、御迷惑をおかけしましたことを陳謝いたします。

昭和 年 月 日

熊本県

右代表者知事 沢田一精

熊本地方裁判所昭和五二年(ワ)第五三〇号損害賠償請求事件の原告ら水俣病認定申請者三百三十一名殿

二  昭和五二年(ワ)第五三〇号事件被告は同事件原告らに対し、金三〇〇万円を支払え。

三  昭和五二年(ワ)第五三〇号事件原告らの同事件被告に対するその余の請求及び同五一年(ワ)第五八五号事件原告らの同事件被告らに対する請求をいずれも棄却する。

四  五項記載部分を除く訴訟費用中、昭和五一年(ワ)第五八五号事件について生じたものは同事件原告らの負担とし、同五二年(ワ)第五三〇号事件について生じたものは同事件被告の負担とする。

五  参加によって生じた費用中、昭和五一年(ワ)第五八五号事件について生じたものは全部補助参加人の負担とし、同五二年(ワ)第五三〇号事件について生じたものは同事件被告の負担とする。

六  この判決は、二項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

(昭和五一年(ワ)第五八五号事件)

一  原告ら(請求の趣旨)

1  被告らは連帯して原告ら各自に対し、金三三万円及び内金三〇万円に対する昭和五〇年八月八日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告らは原告らに対し、熊本日日新聞朝刊に別紙(一)記載の謝罪広告を同記載の条件で一回掲載せよ。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

4  1につき仮執行宣言

二  被告ら

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

(昭和五二年(ワ)第五三〇号事件)

一  原告ら(請求の趣旨)

1  被告は原告ら各自に対し、金三三万円及び内金三〇万円に対する昭和五〇年八月八日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告は原告らに対し、熊本日日新聞朝刊に別紙(二)記載の謝罪広告を同記載の条件で一回掲載せよ。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  1につき仮執行宣言

二  被告

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  昭和五一年(ワ)第五八五号事件及び同五二年(ワ)第五三〇号事件原告ら(以下、特に断わらない限り、両事件の原告らを総称して「原告ら」という。)の請求原因

1  原告らは、いずれも昭和五〇年八月七日当時、公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法三条一項の規定に基づき、熊本県知事に対し、水俣病認定申請をしていた者であった。

2  被告杉村国夫(以下「被告杉村」という。)、同齊所市郎(以下「被告齊所」という。)は、右当時被告熊本県(以下「被告県」という。)県議会議員で同議会公害対策特別委員会(以下「公特委」という。)の委員であり、被告杉村はその委員長であった。

3  被告杉村、同齊所は、昭和五〇年八月七日、公特委の委員として、他の公特委委員四名及び内藤省治被告県公害部長らとともに、水俣病対策の陳情のため、環境庁を訪ねた(以下「本件陳情」という。)。

4  右陳情に対し、環境庁側からは城戸事務次官、柳瀬企画調整局長、野津環境保健部長らが出席し、同庁事務次官室で右陳情を受けたが、当日、同室内に熊本日日新聞社をはじめとする環境庁詰めの各新聞社の記者達が取材に臨んでいた。

5  被告杉村、同齊所による名誉毀損の事実

(一) 被告杉村、同齊所は、本件陳情の際、互いに相手の発言を肯定し、それを前提とした上で、更に発言を付加するような形式で以下の発言をなし、もって明らかに水俣病認定申請者を誹謗中傷する事実の主張をなした。

(1) 被告杉村は、「今回のような差戻しが今後も行われれば、一つのグループの勢力が増すだけだ。あいつらはろくな奴じゃない。新潟までわざわざ出かけて騒ぎを起こしてくる。」「大体、現在の認定即補償という仕組みがいけない。認定されれば、補償金を貰えるため、申請者の中には、補償金目当ての偽患者も多い。」「週刊文春を読まれたでしょう。あれは本当のことを書いている。もはや、金の亡者だ。これじゃ、たまらんですばい。」と発言し、

(2) 被告齊所は、これに引続き、「患者に認定されれば、一六〇〇万円貰えるので、水俣では、魚食わん婆さんでも申請している。だから皆が「あら、違うばい。」と言っている。」と発言し、

(3) 更に被告杉村は、「自動車免許の検査の時は、視野狭窄ではないのに、水俣病の検診の時は、視野狭窄で見えないと答える。また、申請者の中には、松葉杖を突きながら県庁に押しかけて来て、ぎゃあぎゃあ騒いだあげく、松葉杖を忘れて帰っている。」「大体、申請者は、金ばかりに目を向けて、俺も俺も水俣病だと言って、何回も申請を出している。こんな患者が多いため、認定審査会は、白か黒かの区別をつけるのに苦労している。」と付言した。

(4) 更に被告齊所は、「普通は、医者から癌だと言われれば、患者はがっくりとくるのに、水俣病の申請者は、水俣病ではないと言われると反発して、俺は水俣病だと主張している。」と発言し、

(5) 最後に、被告杉村が、「これまで言って来たことはみんな熊本県民の声である。県は、これまで度々環境庁に対して陳情して来たが、県知事や執行部は、環境庁に遠慮して、こういうことは言って来なかった。」と発言して、陳情を締めくくった。

(二) 被告杉村、同齊所の右発言内容は、事実無根であり、中傷以外の何ものでもなく、当時の申請者全体を誹謗するものであり、それと同時に原告各自についてみれば、原告は認定制度を悪用し高額の補償金の詐取を企てる偽患者である蓋然性が高いということを主張するものである。

5  原告らの損害

(一) 被告杉村、同齊所の右発言の翌日である昭和五〇年八月八日付け熊本日日新聞朝刊社会面には、トップ記事として、「申請者にニセ患者が多い」「補償金が目当て」との大見出しのもとに、写真入り五段組みで、右被告両名の発言が大々的に報道された。

(二) 原告らは、右被告両名の右発言により、自己の社会的評価、信用を毀損されるとともに、自己の名誉感情を著しく傷つけられたものであるが、右損害は生活全般、多岐にわたる有形、無形のものであり、これを金銭に換算すれば、原告一人当り少なくとも金三〇万円の損害を明らかに被っている。

(三) 更に、原告らは、右被告両名及び公特委に対し、再三にわたり前記発言の撤回及び謝罪を求め、原告らの名誉を回復する措置を速やかにとることを要求して来たが、被告らはこれに一切応ぜず、現在前記発言に端を発した原告らに対する中傷は、世間に深く、広範にわたり浸透することはあっても、原告らの名誉は何ら回復されていない。

(四) 弁護士費用

原告らは、本訴提起に当たり、弁護士五名を訴訟代理人として委任したが、原告らは弁護団に弁護士費用として原告一人当り請求金額金三〇万円の一割にあたる金三万円を支払わねばならないので、これを損害金として被告らに請求する。

7  被告らの責任

(一) 被告杉村、同齊所は相関連共同して、多数人の面前において公然と前記事実を摘示し、もって、原告らの名誉を著しく毀損し、前記損害を原告らに発生せしめたのだから、不法行為者としての責任を負う。

(二) 更に、右被告両名は、被告県の県議会議員として、被告県の公権力の行使に当たる特別公務員であり、被告杉村、同齊所の前記名誉毀損行為は、右被告両名が、被告県の職務(公特委の環境庁に対する陳情)を行うについて、故意により違法に原告らに損害を加えた場合に該当するから、被告県は国家賠償法一条一項により、原告らに対し損害賠償義務を負う。

8  結論

よって、昭和五一年(ワ)第五八五号事件原告らは、民法七〇九条、七一〇条、七一九条に基づき、同事件被告杉村、同齊所に対し、損害賠償金として、原告ら各自に対し金三三万円及びうち弁護士費用を除く金三〇万円に対する不法行為の翌日である昭和五〇年八月八日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の連帯支払、並びに、同法七二三条に基づき右原告らの名誉回復のため別紙(二)記載の謝罪広告の掲載(一回)を求め、また、昭和五二年(ワ)第五三〇号事件原告らは、国家賠償法一条一項に基づき、同事件被告県に対し、損害賠償金として、原告ら各自に対し金三三万円及びうち弁護士費用を除く金三〇万円に対する不法行為の翌日である昭和五〇年八月八日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払、並びに、右原告らの名誉を回復するため、別紙(三)記載の謝罪広告の掲載(一回)を求める(過去及び将来の復権を果たすためには、謝罪広告こそが最も適切な手段である。)。

二  請求原因に対する被告らの認否

1  被告ら共通の認否

(一) 請求原因2、3の事実は認める。

(二) 請求原因4中、報道関係者が熊本日日新聞社の記者を含むものであったのか、環境庁詰めの記者であったのか不知。その余の事実は認める。

(三) 請求原因5(一)の事実は否認し、(二)については争う。

仮に被告杉村、同齊所において原告ら主張の発言をなしたとしても、以下の理由により、右発言は原告らに対し、名誉毀損とはならない。

(1) 被害者の不特定

右発言は、当時約三〇〇〇人の申請患者のうち氏名が特定されない一部の何人かに向けられたもので、原告らを特定して事実を摘示したものではなく、また、申請患者らの集団そのものに対するものではない。したがって、その対象は漫然とし、被害者が特定しないので、右発言は名誉毀損とはならない。

(2) 発言の非公然性及び流布性の欠如

右発言は、環境庁事務次官室における陳情に際し、柳瀬企画調整局長ら同庁の一部の担当官という特定少数の者に対してなされたものであり、一般人に傍聴されるような状況にはなかった。

更に、公的機関相互間の陳情はオフレコであり、右陳情の立会を許された報道機関にとって、その際知り得た人の秘密、不名誉な事実については、これを報道しないことが法令上の義務であり、また条理ないしモラルとしても要求されている。

したがって、本件発言は、内容いかんにかかわらず、公然性ないし流布性がないので、名誉毀損に該当しない。

(四) 請求原因6中

(1) (一)の事実のうち、原告ら主張の記事が熊本日日新聞に掲載された事実のみはおおむね認め、その余の事実は争う。

右新聞記事は全く事実に反し、被告杉村、同齊所の発言を正しく報道したものではない。それ故、右被告両名及び内藤被告県公害部長らは、直ちに、株式会社熊本日日新聞社の編集責任者である筑紫汎三政治経済部長に対し、右記事の訂正及び謝罪記事を掲載するよう厳重な抗議を申し込み、その責任を追及した次第である。

(2) (二)の事実は否認する。

(3) (四)の事実のうち、原告らが弁護士に事件を依頼した事実のみ認め、その余は不知。

2  被告杉村及び齊所の認否

(一) 請求原因1の事実は不知。

(二) 請求原因6(三)の事実は否認する。被告杉村、同齊所は原告らから直接、原告ら主張の要求を受けた事実はない。

(三) 請求原因7(一)の主張は争う。

3  被告県の認否

(一) 請求原因1の事実は認める。

(二) 請求原因6(三)の事実中、被告県の県議会に対して原告らの抗議陳情がなされたこと及び右抗議に対して処置を講じていないことは認めるが、その余の事実は不知。

(三) 請求原因7(二)の事実中、被告杉村、同齊所が原告ら主張の特別公務員であり、当日の陳情が、その職務に該当する事実は認めるが、その余の主張については争う。

三  被告らの抗弁(正当業務執行行為による違法性阻却)

被告県は、知事の諮問機関として公害被害者認定審査会を設置し、水俣病の審査認定業務を担当して来たが、かつて右審査会の諮問を経て県知事より水俣病認定申請を棄却された申請患者が、環境庁長官に対し行政不服審査を申し立てていたところ、同長官は昭和五〇年七月右知事の処分を取り消す旨の裁決をなしたことにより、右審査会において再審査をすることとなったため、審査事務は混乱しかえって認定業務の遅延を来し、真正患者の迅速な救済にとって重大な事態を来すおそれがあったため、被告杉村、同齊所は、県議会の決議に基づき、公特委において環境庁に対し、水俣病認定業務の促進のため認定基準を明確化し認定制度の抜本的改正を早急に実現すること、また、不服審査請求事案については同庁の責任において認定、却下の最終決定を行うことを主眼に本件陳情を行ったが、原告らが主張する被告杉村、同齊所の前記発言は、右被告両名が認定業務の困難さを示す一例として週刊文春の掲載記事の一部を援用例示して説明した際の発言の一部であり、当日の陳情の趣旨からして、右被告両名の行為は専ら公益のためにのみなされたものであり、公務員としての職務の範囲を逸脱しておらず、いわゆる法令により許容された正当業務執行行為であるから違法性を欠き、被告らには責任はない。

四  被告杉村、同齊所の抗弁

仮に本件陳情の際になされた発言が名誉毀損に該当するとしても、公務員である被告杉村、同齊所は公特委の委員長及び委員として公権力の行使に当たる者であり、右陳情は公務として行われたのであるから、同被告らは個人として何ら責任を負わない。

五  三の抗弁に対する原告らの認否

三の抗弁事実中、被告杉村、同齊所の発言が認定業務の困難さを示す一例として、専ら公益のためになされ、正当業務執行行為に該当することは否認する。

六  四の抗弁に対する昭和五一年(ワ)第五八五号事件原告らの認否

四の抗弁は争う。被告杉村、同齊所の発言が公権力の行使に当たるかは問題であるし、公務員の行為が職務を著しく逸脱した「故意」である場合、必ずしも個人責任が問えぬと結論づけることはできない。

第三証拠《省略》

理由

一  昭和五二年(ワ)第五三〇号事件原告らが昭和五〇年八月七日当時いずれも公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法三条一項の規定に基づき、熊本県知事に対し、水俣病認定申請をしていた者であったことについては、右原告らと被告県との間に争いがなく、《証拠省略》によれば、昭和五一年(ワ)第五八五号事件原告らが右同日当時いずれも右同様の水俣病認定申請者であったことが、右原告らと被告杉村、同齊所との間で認められる。

二  本件陳情に至る経緯

請求原因2の事実(昭和五〇年八月七日当時、被告杉村、同齋所がいずれも被告県県会議員であり、被告杉村は公特委委員長、同齊所は同委員であったこと)、3の事実(同日、公特委委員として、被告杉村、同齊所が他の委員らと環境庁に陳情したこと)、並びに、同4中公特委の環境庁陳情に当たり、同庁側は城戸事務次官、柳瀬企画調整局長、野津環境保健部長らが出席し、同庁事務次官室で右陳情を受けたが、その際新聞記者達が取材に臨んでいた事実はいずれも当事者間に争いがなく、《証拠省略》を総合すると以下の事実が認められる。

1  被告県は、県知事の諮問機関として公害被害者認定審査会を設置し、公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法に基づく水俣病の審査認定業務を担当し、一方熊本県議会は委員会の一つとして公害防止対策等の調査活動を任務とする公特委を設置し、公特委は水俣病問題に関与し、前記審査会の業務についても関心を払っていた。

ところで、昭和五〇年七月二四日に、環境庁は、以前熊本県知事の行った右特別措置法三条一項に基づく水俣病認定申請棄却処分を不服として行政不服審査請求していた申請者のうち二名について、右棄却処分を取り消す旨の裁決、いわゆる認定申請の差戻処分を行った。

2  右事態発生を憂慮した公特委は、同年八月二日にその対策方を協議したが、その際、環境庁が今後も差戻処分を行うならば、当時二八〇〇名を越える申請者について審査未了状態になっていた前記審査会がその上更に差し戻された申請者の審査をも行うこととなって、同審査会の処理能力を超越するばかりでなく、同一の申請者を同一の審査委員が再審査することは、審査委員の学者としてのプライドを損ねるおそれがあり、その結果、仮に審査委員の辞任の事態が発生すれば、右審査認定業務は停止せざるを得ず、かえって、水俣病認定業務の促進が阻害され、患者の救済にとって極めて重大な事態を来すおそれがあるとの見解が支配的であったため、水俣病認定審査について上級官庁である同庁に対し、今後差戻処分を一切行わず、同庁において上級審査機関として自ら最終決定を行うよう陳情することを決議した。

そこで、公特委では、(一)水俣病認定業務促進のため認定制度の抜本的改正を早急に実現し、不服審査請求事案については、環境庁の責任において認否の最終決定を行うこと、(二)水俣病治療研究センターを早急に建設し、国において運営すること、(三)水俣湾等堆積汚泥処理事業につき財政援助、技術指導等について配慮すること、以上の点を要望する「水俣病対策に関する要望書」を熊本県議会名で作成し、更に前記差戻処分に対し、環境庁の注意を特に喚起するため、右(一)の事項につき、公特委の意見を「水俣病対策に関する要望書に係る付帯決議」として作成した上、同庁及び右(三)の事項については運輸省も関係するため同省に対しても陳情することにした。

3  そして、同月七日陳情に当たり、上京した公特委の委員らは熊本県東京事務所で委員会を開き、右要望書及び付帯決議を一部修正の上出席者全員一致で議決し、環境庁及び運輸省に持参することにしたが、右陳情時刻がほぼ同一時刻であったことから、各委員は二班に分かれ、公特委委員長であった被告杉村、同委員被告齊所は他の委員四名とともに内藤省治被告県公害部長らを同道させ、環境庁に陳情した。

三  本件陳情の状況

《証拠省略》を総合すると、以下の事実が認められる。

1  同日環境庁での陳情は午後二時三〇分より同庁事務次官室において行われ、熊本日日新聞記者田川憲生も環境庁詰めの各新聞社の記者らに混じって取材に当たっていたが、特段取材や第三者の傍聴が規制されている訳ではなかった。

2  まず被告杉村が前記要望書を環境庁側に手渡し、それに沿ってその趣旨を述べた後、主に行政不服審査請求問題について陳情し、同庁が更に差戻裁決を行えば、一度認定申請を棄却された人達が続々行政不服審査請求をし、その結果、県の認定審査処理能力を越え、右業務に重大な支障を起す故、右不服審査請求事案については同庁において最終的決定を行うべき旨要望し、同被告らに随行した内藤被告県公害部長や公特委委員も右被告杉村と同趣旨の発言、要望をした。

これに対し、城戸事務次官は、行政不服審査請求事案について現行法(公害健康被害補償法)で対処するほかなく、暗に公特委の要望には応じられない旨述べ、更に他の要望についても簡単な回答をしただけで終わり、その他環境庁側から特に公特委の陳情に対し、前向きの返答は何ら行われなかった。しかも陳情開始後一〇分足らずで、同事務次官は退席したので、その後の陳情は、柳瀬企画調整局長らが受けることになった。しかして、一般に中央官庁への陳情の場合、陳情を受けた官庁は、陳情の趣旨、要望におおむね理解を示し、それに対し善処する旨応答する例が多いが、本件陳情の場合には、環境庁側にかような雰囲気がうかがえず、いわば冷淡な応待であった。

3  右のような環境庁の応待に対し、被告杉村らには一種の焦燥感が生じ、その陳情内容は同庁に対する要望から同庁の不服審査請求事案への対処に対する批判に変化し、その発言に次第に興奮の度合が増し、事務次官が退席して予定の一〇分も経過し、その後四、五分たったころから十数分間にわたって、次のとおり申請者に対する不信感を露骨に表わした揶揄的な非難を交えながら、苦情とも愚痴ともつかぬ陳情が柳瀬局長らに対して続けられた。

(一)  被告杉村は、「各委員も言うように、今回のような差戻しが行われれば、次次に行政不服審査を請求して来るだろう。これは認定基準が明確にされていないためだ。だから今回のようなことが起こる。」「患者側からすれば、認定審査会に対する評価につながって来る。」「こうしたことが今後も行われれば、一つのグループの勢力が増すだけだ。あいつらはろくな奴じゃない。新潟までわざわざ出かけては騒ぎを起こしてくる。」といった趣旨の発言をした上、更に、「大体現在の認定即補償という仕組みがいけない。認定されれば、補償金を貰えるため、申請者の中には補償金目当ての偽患者も多い。週刊文春を読まれたでしょう。あれは本当のことを書いている。もはや金の亡者だ。これじゃたまらんですばい。」と発言し、持参していた週刊文春(昭和五〇年七月三一日号)に掲載されていた「「タブーの町」水俣を荒廃させたチッソ以外の犯人は誰だ」と題する記事、すなわち、水俣病認定患者には偽患者がいる上、水俣病に罹患していないにもかかわらず、補償金目当ての水俣病認定申請者が多数おり、認定されると豪邸を建築し、水俣市民のひんしゅくを買っているものの、それらを公式に指摘することはタブーとされ、面と向かって非難する者は誰一人としていない旨の記事を引用して、その内容に触れた。

(二)  これに呼応して、被告齊所も、「患者に認定されれば、一六〇〇万円貰えるので、水俣では魚食わん婆さんでも申請している。だから、みんなが「あら違うばい」と言っている。」と発言し、

(三)  更に、被告杉村が引続き、「自動車免許の検査の時はうまくするのに、水俣病検診の時は視野狭窄と言う。」「申請者の中には松葉杖をつきながら県庁に押しかけて来て、ぎゃあぎゃあ騒いだあげく、松葉杖を忘れて帰っている。」と言った後、「こういう患者が多いため、認定審査会は、白か黒かの区別をつけるのに苦労している。」と訴え、

(四)  被告齊所は、「普通は医者から癌だと言われれば、患者はがっくりくるのに、水俣病の申請者は水俣病ではないと言われると反発して、俺は水俣病だと主張している。」と指摘した。

(五)  これに対し、環境庁側も、被告杉村、同齊所の右各発言がその本来の陳情の趣旨並びに陳情一般例からしても穏当でない表現であったため、当惑し、途中右被告両名の興奮を鎮静させるべく、柳瀬局長が口をはさんだが、その内容は前記事務次官の発言の域を越えるものではなかった。

(六)  そして、右被告両名の各発言の後、被告杉村が、「これまで言って来たことはみんな熊本県民の声である。県はこれまで度々環境庁に陳情して来たが、県知事や執行部は環境庁に遠慮してこういったことは言って来なかった。」と言って、陳情の最後を締めくくった(以下、被告杉村、同齊所の以上の発言を「本件発言」という。)。

4  陳情終了後、事務次官室から退室した被告杉村は、右陳情の取材に当たっていた熊本放送の矢野記者に対し、興奮気味に、「これまで誰もああいうことは言って来なかったでしょうが。それをあえて私がやったまでだ。しかし、私が言ったことはみんな本当のことでしょうが。」と話したが、事の重大性を懸念した前記内藤公害部長は田川記者に対し、「今日のことは余り詳しく書かんで下さいよ。大変なことになりますから。」と申し入れた。

以上の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

四  昭和五〇年八月八日付け熊本日日新聞朝刊の記事

請求原因6(一)の事実中、公特委の環境庁陳情の翌日である昭和五〇年八月八日付け熊本日日新聞朝刊に、「申請者にニセ患者が多い」「補償金が目当て」との見出しのもとに、写真入りで、被告杉村、同齊所の発言記事が掲載されていたことについては、当事者間に争いがなく、熊本日日新聞が熊本県下において最も多数の固定した購読者を有する地方紙であることは当裁判所に顕著な事実であるところ、前掲甲第二号証(右記事掲載の新聞)と前記認定事実とを対比すれば、右報道記事は、その取り上げ方がいささか誇張的で、問題発言のみを羅列し、発言に至る経過の描写が不足しているため、露骨な暴露記事風の要素があることは否定できないものの、全体として、本件発言の一部を省略又は要約しながら、おおむね正確に伝えているものということができる。

五  水俣病認定申請者

《証拠省略》を総合すると、以下の事実が認められる。

水俣病は、塩化メチル水銀化合物により汚染された魚介類を摂取することによって起こる中毒性神経系疾患であり、熊本県水俣市所在の新日本窒素株式会社(現在チッソ株式会社)水俣工場のアセトアルデヒド製造設備内で副生された塩化メチル水銀が工場排水に含まれて排出され、水俣湾等の魚介類を汚染し、その体内で濃縮された塩化メチル水銀を保有する魚介類を地域住民が摂取したことによって発生したものであるが、昭和三一年五月にいわゆる水俣病として問題化されるに至り、患者発生数、その規模の大きさ、病状の悲惨さ、死亡率の高さ等により、水俣市はもとより熊本県、国の社会問題に発展し、その原因究明の後、特に被害者救済、国及び同県の環境行政が重要問題となり、今日に至るも常日ごろマスコミ等の注目を集めるとともに、昭和四八年七月九日水俣病患者東京本社交渉団とチッソ株式会社との間で調印された協定書に基づき、同社が、公害健康被害補償法等により熊本県知事から水俣病と認定された者に対し、一六〇〇万円、一七〇〇万円及び一八〇〇万円の三ランクに分けて慰藉料を支払い、そのほか、治療費等をも支払ってきたことなどから、前記週刊文春(昭和五〇年七月三一日号)の記事等に代表されるように、水俣病認定患者や水俣病認定申請者に対し、チッソ株式会社等からの補償金目当てに、熊本県知事に対して水俣病認定申請をしたのではないかとの憶測が生じていた。

しかして、本件陳情当時、水俣病認定申請者の認定審査未了による滞留者数が二八〇〇名を越え、前判示のとおり、熊本県知事による水俣病認定申請棄却処分に対する環境庁のいわゆる差戻裁決がなされ、更に申請から認否の処分までに長期間を要することにつき、水俣病認定申請者四〇〇名余りから熊本県知事を被告とする不作為違法確認訴訟が提起され、当庁において訴訟係属中であったし、水俣病認定申請者らにより組織された幾つかのグループは、水俣病認定問題等について、環境庁、熊本県等に対し、度々陳情を行ったりしたが、それらはマスコミ機関により絶えず報道されていた。

これらによれば、本件陳情当時水俣病認定申請者に関する事項が、世間一般、特に熊本県においては、人々の高い関心事になっていたことは容易に推察できるところである。

六  本件発言の名誉毀損該当性

右認定のとおり、水俣病認定申請者等の問題が、被害者救済の視点からはもちろんのこと、逆に、ともすればいわば白い目で見られる危険性があるものとして、熊本県民をはじめとする国民において日ごろから注目するところであり、被告杉村、同齊所の本件各発言が県議会議員として環境庁に対する陳情の際なされたものであることを考慮すると、右各発言は、その発言の受取手に対し、人々の不正に対する憎悪感と呼応して、水俣病認定申請者の中には補償金目当ての偽患者が多くおり、それらの者は不正により多額の金員を得ようとしていると認識させる可能性が十分あるといわなければならない。そして、本件発言が、申請者の例をこと細かに並べ立て、これを直接、間接を問わず、聴取する者にあたかも事実をほうふつさせるかのごとき印象を与えるものであることを勘案すると、漠然と水俣病認定申請者に偽患者がいるというにとどまらず、偽患者が誰であるか判明していないことにより、かえって、世間一般人に対し、個々の水俣病認定申請者について、その者が偽患者であるとの可能性を払拭させず、その疑惑を抱かしめることとなり、そのことはとりもなおさず、個々の水俣病認定申請者の社会的評価を低下させるものといわざるを得ない。

よって、被告杉村、同齊所の本件発言は、原告らの名誉を毀損するものであると認めることができる。

ところで、前認定のとおり、本件陳情は、報道機関による自由な取材活動のなされるところで行われたものであり、また、本件陳情及び公的機関相互間の陳情がオフレコであるとの特段の事情は認められず、報道機関に、陳情の際なされた名誉毀損等不法行為を秘匿し報道してはならないとの法令、条理、モラル等による義務が課せられているとも認められず、行政の公開の理念、新聞は事実を報道することをその使命としていること等からして、右名誉毀損発言が報道される可能性は当然に予見されるものであることを考慮すると、本件発言について公然性、流布性に欠けるところはない。

また、被告らの正当業務執行行為であるとの抗弁につき検討するに、本件発言が仮に水俣病認定業務の困難さを強調するためになされたものであったとしても、他人の名誉を毀損する方法を用いることは到底許容されるものではなく、本件発言が名誉毀損発言であることは前認定のとおりであり、したがって、右は違法なものであることはいうまでもなく、たとえ本件陳情が正当業務行為であったとしても、当然に本件発言の違法性に影響を及ぼすものでないことは論をまたないところであって、右陳情が正当業務行為故違法性を阻却するとの被告らの主張は理由がない。

七  被告県の責任

公特委が水俣病問題についてその対策、調査等をもその任務とする被告県の立法機関である熊本県議会の委員会の一つであることは前判示のとおりであり、水俣病認定審査業務について主務上級官庁である環境庁に対し、認定業務の実情を訴え、その促進、法改正等の陳情を行うことが公特委の公務であることについては当事者間に争いがない。本件陳情時公特委委員長であった被告杉村及び公特委委員であった被告齊所は、いずれも被告県の特別公務員であり(この事実についても当事者間に争いがない。)、本件発言は、陳情という公務中になされたものであって、かつ、陳情自体を構成し、又は少なくともこの手段として行われたものであるから、被告両名の名誉毀損発言について、被告県は、国家賠償法一条一項により、原告らに対し、賠償責任を負うことになる。

八  被告杉村、同齊所の責任

公権力の行使に当たる公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によって違法に他人に損害を与えた場合には、国又は公共団体がその被害者に対して、賠償の責に任ずるのであって、公務員個人はその責任を負わないと解すべきである(最高裁昭和三〇年四月一九日判決・民集九巻五号五三四頁、同昭和四六年九月三日判決・判例時報六四五号六二頁、同昭和四七年三月二一日判決・判例時報六六六号五〇頁参照)から、被告杉村、同齊所が前記のように職務を行うについてした名誉毀損発言については、右被告両名は被害者である昭和五一年(ワ)第五八五号原告らに対してその責を負うものではないといわなければならない。

したがって、右被告両名の四の抗弁は理由がある。

九  名誉回復方法

前認定のとおり、本件発言が熊本日日新聞朝刊社会面の記事を媒介として多数の人人に流布され、その結果昭和五二年(ワ)第五三〇号事件原告らの社会的評価が損われたのであって、右新聞の読者が一般にかなり固定していることを考えると、名誉毀損の救済方法として、被告県に対し主文一項記載の条件のもとに、同記載の謝罪広告を熊本日日新聞朝刊に掲載する方法により、右原告らの名誉を回復させるのが相当であり(国家賠償法一条一項、四条、民法七二三条)、これが最適な手段であることは右原告らの主張しているところであるし、さきに認定した本件発言の動機、経緯、本件の発端が金銭的執着に関する臆測に絡んでいること等を考慮すれば、本件名誉毀損による損害の填補としてほかに金銭賠償をさせることはむしろ適切ではないと思われ、本件の場合右謝罪広告の新聞掲載がなされれば、金銭賠償がなくとも、右原告らの過去及び現在の精神上の苦痛を慰藉するに足るものと解する。

一〇  弁護士費用の負担

昭和五二年(ワ)第五三〇号事件原告らが本件訴訟追行のため弁護士を訴訟代理人として委任したことは、右原告らと被告県との間で争いがないところ、本件事案、本判決により右原告らの受ける利益及び本件訴訟の経過を勘案すれば、本件発言による不法行為と相当因果関係がある損害たる弁護士費用としては、右原告ら全員につき金三〇〇万円が相当である。

一一  結論

以上判示したところによれば、昭和五二年(ワ)第五三〇号事件原告らの被告熊本県に対する請求は主文一、二項の限度で理由があるものとしてこれを認容するが、その余の請求並びに昭和五一年(ワ)第五八五号事件原告らの被告杉村、同齊所に対する請求はいずれも失当として棄却し、訴訟費用中参加によって生じたものを除く部分の負担につき民事訴訟法八九条、九二条ただし書、九三条一項本文を、補助参加によって生じた訴訟費用の負担につき同法九四条後段、八九条、九二条ただし書を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 堀口武彦 裁判官 塩月秀平 加登屋健治)

<以下省略>

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