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熊本地方裁判所 昭和57年(ワ)477号 判決 1984年9月11日

昭和五七年(ワ)第四七七号事件原告

名鉄運輸株式会社

兼昭和五八年(ワ)第五〇一号事件被告

昭和五七年(ワ)第四七七号事件・

有限会社永井運送

昭和五八年(ワ)第五〇一号事件被告

昭和五七年(ワ)第四七七号事件被告

福山福運輸有限会社

兼昭和五八年(ワ)第五〇一号事件原告

主文

一  昭和五七年(ワ)第四七七号事件について

(一)  原告に対し、被告有限会社永井運送は金一一〇、八〇四円、被告福山福運輸有限会社は金一、九八七、二〇四円及びこれらに対する昭和五七年一月三〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  原告の被告両名に対するその余の請求をいずれも棄却する。

二  昭和五八年(ワ)第五〇一号事件について

(一)  原告に対し被告名鉄運輸株式会社は金七四五、七八〇円及び内金七〇五、七八〇円に対する昭和五八年八月一二日から、内金四〇、〇〇〇円に対する昭和五九年二月二二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  原告の被告名鉄運輸株式会社に対するその余の請求及び被告有限会社永井運送に対する請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを三〇分し、その一を両事件被告有限会社永井運送の、その九を昭和五七年(ワ)第四七七号事件原告兼昭和五八年(ワ)第五〇一号事件被告名鉄運輸株式会社の、その二〇を昭和五七年(ワ)第四七七号事件被告兼昭和五八年(ワ)第五〇一号事件原告福山福運輸有限会社の各負担とする。

四  本判決は主文一(一)及び二(一)に限り仮に執行することができる。

事実

(昭和五七年(ワ)第四七七号事件について)

第一請求の趣旨

一  被告らは各自原告に対し金四、〇九八、九八九円及びこれに対する昭和五七年一月三〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告らの負担とする。

三  仮執行の宣言

第二請求の趣旨に対する答弁(両被告共通)

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

第三請求原因

一  事故の発生

昭和五七年一月二九日午前五時頃、広島県佐伯郡五日市町西広島バイパス屋代トンネル東方約四〇〇mの地点バイパス(国道二号線)上において、原告所有の大型貨物自動車(以下「名鉄車」という。)を徳永政司(以下「徳永」という。)が運転して片側二車線の左側車線を時速約四八kmで東進中、前方七〇~八〇m地点を先行していた普通貨物自動車がブレーキをかけたので、徳永もこれにつれてブレーキをかけて減速したところ、後方を追従していた被告有限会社永井運送(以下「被告永井」という。)所有の大型貨物自動車(以下「永井車」という。)が名鉄車の右後端に追突、そのため名鉄車が右前方へ押し出されて前部を右側車線上に、後部を左側車線上にまたいだ形になつたところ、折から、永井車の更に後方を進行していた被告福山福運輸有限会社(以下「被告福山福」という。)所有の大型貨物自動車(以下「福山福車」という。)が右側車線上において、名鉄車の右側前部に衝突した。

二  帰責事由

右事故は被告永井の従業員である運転者坂本昭徳(以下「坂本」という。)及び被告福山福の従業員である運転者槙峠隆仁(以下「槙峠」という。)がいずれも前車との十分な車間距離をとらず、かつ、前方注視義務をつくさなかつたために発生したものであり、しかも、右両追突事故は時間的にも場所的にも極めて接着しておるところから、客観的に関連共同していると認められるので、共同不法行為の成立は明白というべく、従つて、被告らはいずれも原告が蒙つた損害を連帯して賠償すべき義務がある。

三  損害

原告は、次のとおりの損害を蒙つた。

(一)  修理費 二、二九五、六一五円

(二)  レツカー代 八五、〇〇〇円

(三)  休車料 一、三六八、三七四円

修理のため昭和五七年一月二九日から同年三月一八日まで四九日間を要したので、一日当りの運行純益二七、九二六円の四九日分

(四)  弁護士費用 三五〇、〇〇〇円

被告らが任意の支払いに応じないため、本訴の提起を余儀なくされ、必要とする弁護士費用のうち三五〇、〇〇〇円について、被告らに対して支払を求める。

四  よつて被告らに対し四、〇九八、九八九円及びこれに対する事故の日の翌日である昭和五七年一月三〇日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の連帯支払いを求める。

第四請求原因に対する被告永井の認否

一  請求原因一中、原告主張の日時、場所において名鉄車に永井車および福山福車が追突したことは認めるが、態様については争う。

二  同二中、坂本が被告永井の業務に従事中であつたことは認める。

三  同三は、いずれも不知。

第五請求原因に対する被告福山福の認否

一  請求原因一中、原告主張の日時、場所において事故が発生したこと、及び福山福車と名鉄車の衝突の状況は認め、その余は不知。

二  同二中、槙峠の注意義務違反の点は否認し、その余は不知。

三  同三は、いずれも不知。

(但し、同(四)については、原告と被告福山福間には何らの話し合もなく突然本訴の提起を受けたものである。)

第六被告永井の過失相殺の抗弁

一  本件現場は、幅員一一mの片側二車線、やや左曲りの下り勾配で、トンネルを抜けてすぐの位置である。

被告永井の被用者坂本は、トンネルを出た直後に進路前方に両車線をふさぐ形で横向きになつている名鉄車を発見し、衝突の危険を感じ、一瞬左側路肩に接触させてとまろうと判断し、左に転把するとともに急制動したが、路面が凍結していたため及ばず、永井車前部を名鉄車の右側最後部に衝突させ、次の瞬間右側車線を走行してきた福山福車が名鉄車の前部に衝突したものである。

因みに、永井車との衝突による名鉄車の損傷は修理費見積一四一、六〇〇円である。

ところで、かような場所で両車線をふさいでしまう形で横向きに停車した名鉄車側の過失は甚だ大であり、ほとんど自ら危険を招いた事故というべきである。

二  被告福山福の後記第七の主張と同じ。

第七被告福山福の過失相殺の抗弁

名鉄車が本件事故現場において、片側二車線を塞ぐ形で漫然と停車したこと自体、後記昭和五八年(ワ)第五〇一号事件請求原因二(一)1のとおりその運転手徳永に過失があるが、その内容は以下に述べることからして重大である。

一  屋代トンネルを出て事故現場迄の道路はアイスバーン状態でスリツプしやすい状況であつたが、徳永の道路状況の把握は遅きに失した。

二  名鉄車は先行車との車間距離を七〇~八〇mと主張するが、先行車のブレーキランプを見てすぐにブレーキをかけながら車間距離が極端に迫つており、かつブレーキを二回かけており二回目を強く踏み込んで車が横向きになつている事実からは到底七〇~八〇mの車間距離を保つていたとは考えられず、三〇m程度の車間距離しか保つていなかつたものと推認すべきであり、これは通常の道路状況でも速度に比して不充分でありまして事故時の道路状況では無謀と言えるものである。

三  しかも、徳永は停止後全く停止位置を移動させる処理をとつておらず、かえつてサイドブレーキを引くとの処置を行つており、事故時の暗さと雨による視界の悪さ、事故現場は幾分左カーブであり車の前照灯を下向きにて走行するのが通常であることを考えると、名鉄車の発見できる距離は前照灯の下向きでの届く距離約四〇mを少く超えた程度と推認され、事故現場が凍結状態にある本件の場合は名鉄車を発見してからは衝突を回避するのは不可能であり、本件事故は徳永の重過失により自ら招いたものである。

第八抗弁(第六及び第七)に対する認否

一  被告ら主張の抗弁をいずれも争う。

二  事故発生の態様は、前記請求原因一記載のとおりであるから、坂本及び槙峠が十分な車間距離をとり、前方を注視して運転していれば、十分に追突を回避できたはずである。

三  名鉄車がその先行車が急ブレーキをかけるのを認めて自らも急制動して停止しようとした行為には過失はない。

即ち、道交法(以下「法」という。)二四条にはやむを得ない場合の外は急ブレーキをかけることが禁止されている。そこで名鉄車のとつた急停止にも過失の疑いが持たれないではない。しかし、法二四条は法二六条の追従車が車間距離保持義務を軽減する趣旨のものではないと解される。また、原告車は先行車の急停止に伴ないこれとの追突を避ける為に原告車を急停止させたのであるから、原告車の急ブレーキは危険を防止する為にやむを得ない場合のものと認めるべく、従つて、法二四条に違反するものではない。

従つて、本件事故は被告ら側の全面的な過失に起因するものである。というのは、追突事故の場合、追突した側に全面的な過失ありとみるのが相当であるからである。

(昭和五八年(ワ)第五〇一号事件について)

第一請求の趣旨

一  被告らは各自原告に対し、金二、〇三四、九四九円及び内金一、九三四、九四九円に対する被告名鉄運輸株式会社(以下「被告名鉄」という。)は昭和五八年八月一二日より、被告永井は同年同月一一日より、内金一〇〇、〇〇〇円に対する昭和五九年二月二二日より各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告らの負担とする。

三  右一について仮執行の宣言

第二請求の趣旨に対する答弁(両被告共通)

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

第三請求原因

一  事故の発生

(一)  原告の従業員である槙峠は、昭和五七年一月二九日午前五時頃、広島県佐伯郡五日市町西広島バイパス屋代トンネル先道路(国道二号線・片側二車線)上り線上の左側車線(走行車線)を福山福車を運転し九州方面から広島方面に向け、時速約五〇ないし四五kmにて走行中、右屋代トンネルを出た直後、前方約一〇〇mを走行中の永井車が、ブレーキをかけているのをそのブレーキ灯の点灯により発見したため、右側車線(追越車線)の安全確認のうえ、時速約四五ないし四〇kmに減速して同車線に車線変更して走行した。

(二)  右車線変更後間なしに、槙峠は名鉄車が左側車線から突然に右側車線に進出し、両車線を塞ぐ形で停止したため、急制動すると共に名鉄車との衝突を出来るだけ避けるべく中央分離帯一杯に添つて福山福車を進行させたが及ばず、福山福車の左前部を名鉄車の右側前部に、福山福車の右前側部を中央分離帯ガードレールに各衝突を余儀なくされた。

二  帰責事由

(一)  福山福車と名鉄車の右衝突は、左記過失により起きた。

1 名鉄車の運転手徳永が、自車を停止させる場合、後続車の進行を妨げない位置に停止させ後続車の進行の安全を確保する注意義務があるのにこれを怠り、後記2の永井車の名鉄車への追突ということがあるとはいえ、左側車線から右側車線に進出し、漫然と両車線を塞ぐ形で停止した過失により、かつ、右の状態にて停止に至つた際に可及的速かに後続車の進行を防げない場所に移動させる等、後続車の進行の安全を確保する義務があるのにこれを怠り、漫然と右停止位置に名鉄車をとめた。

2 又、右1の徳永が名鉄車を右の状態にて停止させたのは、名鉄車に追走していた永井車が右停止直前に名鉄車に追突したためであるが、それは永井車の運転手坂本が自車の前方を走行していた名鉄車との車間距離を十分にとらず、かつ前方注視義務を尽さなかつた過失により、名鉄車がブレーキをかけ減速したことを発見して急制動するも間に合わず、永井車前部を名鉄車右後部に衝突させた。

(二)  坂本は被告名鉄の、徳永は被告永井の従業員であり、本件事故時の各運転は、各被告らの業務のため行つていたものである。

三  損害

前記事故による原告の損害は次のとおりである。

(一)  修理費 一、三四九、四五〇円

(二)  車両回送費 二四、〇〇〇円

(三)  レツカー代 一〇〇、〇〇〇円

右は事故現場における福山福車を移動させるに要したものである。

(四)  休車料

福山福車は、右事故による修理を要し、その修理期間である昭和五七年一月二九日より二月二〇日迄の二三日間休車せざるを得ず、このため福山福車の一日純益金二四、四一三円の二三日分計五六一、四九九円の得べかりし利益を逸失し、右金額相当の損害を受けた。

右(一)ないし(四)の合計は二、〇三四、九四九円となる。

四  よつて原告は被告らに対し、各被告らの被用者の共同不法行為による原告の損害につき、各使用者である被告らに対し民法七一五条に基づく損害賠償として金二、〇三四、九四九円及び内一、九三四、九五四円に対する本訴状送達日の翌日より、内一〇〇、〇〇〇円(レツカー代)に対する請求の拡張をした昭和五九年二月二一日付準備書面の被告ら到達日の翌日より各支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の連帯支払を求める。

第四請求原因に対する被告名鉄の認否

一  請求原因一(一)の事実は争う。

同(二)中、福山福車との名鉄車の衝突の事実は認めるが、その余の事実は争う。

二  同二中、名鉄車が永井車から追突された経緯及び徳永が被告名鉄の従業員であり、その業務中に本件事故が発生したことは認めるが、徳永の過失につき争う。

三  同三は不知。

第五請求原因に対する被告永井の認否

一  請求原因一中、福山福車と名鉄車が主張のような態様で衝突した事実は認めるがその余は争う。

二(一)  同二(一)2のうち、永井車が名鉄車に追突した事実は認めるが、永井車が衝突した時既に名鉄車はスリツプにより横向きとなつて走行車線および追越車線を塞いでいたものであり、永井車の追突がなくとも福山福車と名鉄車の衝突は不可避であつたのであるから永井車の過失と福山福車の損害との間には相当因果関係がない。

なお福山福車と名鉄車の衝突は、福山福車の運転者槙峠が車間距離を十分にとらず、かつ、前方注視義務を尽していなかつた過失も競合して生じたものである。

(二)  同(二)は認める。

三  同三はすべて不知。

(両事件について)

証拠は、本件記録中の証拠関係目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

(注 以下において、当事者の呼称は、昭和五七年(ワ)第四七七号事件のそれで統一する。)

一  事故の発生

昭和五七年一月二九日午前五時頃、広島県佐伯郡五日市町西広島バイパス屋代トンネル東方約四〇〇mの国道二号線(以下「本件道路」という。)で、名鉄車に永井車が追突し(以下「第一追突」という。)、次いで、名鉄車に福山福車が追突した(以下「第二追突」といい、両事故をさすときは「本件事故」という。)ことは、いずれも当事者間に争いがない。

二  事故の具体的態様

(一)  認定事実

当事者間に争いない事実に、成立に争いない甲第九号証、第一〇号証の一ないし三、乙第二及び第三号証の各一、二、第四、第五号証、丙第一号証の一、二、第二号証の一ないし四、第六号証、第七号証の一ないし三、証人石原益雄の証言により成立を認める甲第二号証の一、二及び第七号証、証人徳永政司の証言により成立を認める甲第八号証、証人石原益雄、同徳永政司、同坂本昭徳、同槙峠隆仁の各証言及び検証の結果を総合すれば、以下の事実が認められる。

1  事故現場付近の状況

本件道路は路面が平担なアスフアルト舗装になり、本件事故現場付近で東西に延びておる自動車専用道路である。

上り車線(西から東へ向う車線)と下り車線は中央分離帯とガードレールで仕切られ、しかも、屋代トンネルから本件事故現場までは上り、下りの両車線は段違いとなつており、両車線とも左側車線(走行車線)と右側車線(追越車線)の二車線からなつているが、本件事故は上り車線(以下「本件上り車線」という。)上でおきたものである。そして、本件事故現場付近の概略は別紙第Ⅰ図のとおりであり、本件事故現場の道路の断面図の概略は別紙第Ⅱ図のとおりである。

本件上り車線の屋代トンネルから本件事故現場に向けての道路左側には〇・九五mの高さのコンクリート壁があるだけ(本件事故当時のこと)であり、やや下り勾配で左カーブしているものの、その見通し状況は比較的良好と思われる。

本件上り車線には速度制限毎時五〇kmの道路標識が設置されているが、平地よりも高所にあり、街路灯は設置されていないし、本件上り車線は下り車線より一段と高く、下り車線を通過する自動車の明りも届かないため、夜間は暗く、本件上り車線を通過する自動車の明りで道路が照らしだされるにすぎない。

2  本件事故当時の気象状況

本件事故発生当時の厳冬期の最中である昭和五七年一月二九日午前五時頃は、夜明け前で、本件事故現場付近は明りもなくて暗く、しかも、路面が薄らと白くなる程度に雪が降つており、屋代トンネルから本件事故現場付近に至る本件上り車線上は路面が凍結していた。

3  名鉄車の動き

徳永は名鉄車(長さ一〇・七m、幅二・四九m、高さ三・二五m、最大積載量一一・五t、車両重量八・二一tの大型貨物自動車)に雑貨四t位を積載して本件上り車線の左側車線(走行車線)を時速約四八kmで、前方約七〇mに先行する貨物自動車に追従して東進し、屋代トンネルを出た。その時点では本件事故現場付近の路面が凍結していることには気づかず、前方車がブレーキを踏んでスリツプしたような様子を前方車のストツプランプの点灯と左右の揺れで気づいて路面の凍結を確認し、徳永は車間距離を更に保とうと考え、すぐさま自車のブレーキを二回踏んだところ、やや強く踏んだ二回目のとき自車が右向きになつて横滑りし続け、左側車線のみならず右側車線(追越車線)にも自車をはみださせ、自車をほぼ真横へ右向きにさせて、本件上り車線(道路幅員は約一〇m)をおおかた塞ぐ形(名鉄車の長さは一〇・七m)で自然に停車させてしまつた。

名鉄車が停車直後に、左側車線を走行してきた永井車が名鉄車の右後部車輪付近に比較的軽く追突(第一追突)し、その数秒後には、右側車線を走行してきた福山福車が停止している名鉄車の右前部(運転席付近)にかなり重く追突(第二追突)する事故が発生した。

4  永井車の動き

坂本は永井車(長さ一一・七五m、幅二・四八m、高さ三・七四m、最大積載量一〇・七五t、車両重量九・〇六tの大型貨物自動車)に甘夏みかん約一〇tを積載して、名鉄車に追従して、本件上り車線の左側車線を東進していた。途中、一時名鉄車を見失い、屋代トンネルを出て、前照灯を下向き(照射距離約三〇m)にして時速約五五kmで進行中、約三〇ないし四〇m前方に名鉄車が本件上り車線を塞ぐ形で止まろうとしているのを、自車前照灯で照らしてはじめて気づき、急ブレーキをかけたが路面凍結のため効かなかつたため、左転把して自車左車輪を本件道路左側の高さ約一八cmの縁石(別紙第Ⅱ図参照)にこすりつけて速度を落としたが、完全には止まりきれぬまま進行し、自車前部を停止直後の名鉄車後部車輪付近に比較的軽く追突せしめた(第一追突)。

5  福山福車の動き

槙峠は福山福車(長さ一一・七八m、幅二・四九m、高さ二・九m、最大積載量一〇・二五t、車両重量九・四tの大型貨物自動車)に約三tの荷物を積載して本件上り車線の左側車線を東進し、屋代トンネルを出た。屋代トンネルを出て路面の凍結に気づき、前照灯は下向き(照射距離は約四〇m)にしたまま、若干の減速措置をとつて進行し続けたところ、七〇ないし一〇〇m前方を走行していた前車(永井車)のテールランプの点灯に気づいてはじめて永井車が左側車線前方を走行していることを認め、万が一の危険を避けるため、自車の進路を徐々に右側車線に移し、制限時速五〇kmはおろか、時速五五kmをもかなり超える速度で進行しながら、同車線への変更を終りかけたころ、約四〇ないし五〇m前方にほぼ横向きになつて本件上り車線全部を塞いで停止している名鉄車を発見したので、自車との衝突は不可避と判断し、少しでも衝撃が弱まるように自車右側部分を本件上り車線右側のガードレールにこすりつけて減速させたが、止まりきれぬまま進行し、自車前部を名鉄車右側前部(運転席付近)にかなり重く追突(第二追突)せしめたが、この第二追突は第一追突に比べれば、より大きな追突であつた。第二追突の後、福山福車からおりてきた槙峠は第一追突をおこしていた永井車と名鉄車の破損状況をみて、永井車の運転手坂本に対し、永井車は速度が出ていなかつたので、第一追突は軽く済んだのではないかとの感想を漏らした。

(二)  証拠判断

1  証人石原益雄、同徳永政司は右(一)3及び4の認定に反し、第一追突がおきた時点では、未だ名鉄車は停止していなかつた旨供述するが、この供述部分は、前掲甲第七号証中の「名鉄車の停止直後に第一追突がおきた」旨の記載(甲第七号証は、証人石原益雄の証言によれば、徳永が事故当日、本件事故の概要を原告宛連絡するために下書きしたものを右証人が後日清書したものと認められるから、ことさら坂本が事故態様につき自己に不利益な事実を下書きしたとも思われないから、右不利益な事実に関する記載部分に関する限り信用してよいものと解される。)や証人坂本昭徳の証言に照らし措信し難い。

2  更に、証人石原益雄、同徳永政司の各供述や前掲甲第七号証中には、右(一)3及び4の認定に反し、第一追突があつたために、名鉄車は左側車線のみならず右側車線をも塞がざるをえなかつた旨の供述や記載がある。しかしながら、証人石原益雄の右供述は証人徳永政司からの伝聞であり、甲第七号証中の事故態様に関する記載部分は証人徳永政司の下書きをもとに記載されたものであり、結局右証拠部分の信用性は証人徳永政司の右供述部分の信用性にかかわつてくるところ、この供述部分は前記認定のとおり、第一追突の瞬間は名鉄車の停止直後であつたこと及びその程度は後記四(一)及び五(一)認定の修理費からも推測されるとおり比較的軽微であつたこと、前記認定のとおり本件事故現場付近は路面が凍結していたうえに、やや下り勾配でゆるやかな左カーブを描いているから、強いブレーキを踏んで横滑りを開始し、自然に停止した名鉄車の描く軌跡は右側車線にはみだす線を描くと思われること、並びに証人坂本昭徳の証言に照らし措信し難いといわざるをえない。

3  証人槙峠隆仁は右(一)5の認定に反し、福山福車は名鉄車を発見した時点では、時速五〇kmよりはるかに低い速度であつた旨供述する。しかし、福山福車に本来備え付けられていたタコグラフが見つからない(当裁判所の求釈明に対して、被告福山福は散逸して見つからない旨弁明した。)以上正確な判断はなしえないが、前記認定の第一、第二追突の各態様殊に第一追突をおこした永井車は時速約五五kmで進行中前方約三〇ないし四〇mの地点に名鉄車を発見し、減速の措置をとつたこと、第二追突をおこした福山福車は、前方約四〇ないし五〇mの地点に名鉄車を発見し減速の措置をとつたこととその結果おきた各事故車の後記四(一)及び五(一)で認定の修理費から推認しうる破損の程度を総合勘案すれば、右供述部分は措信し難い。

4  そして、他に右(一)認定を左右するに足りる確たる証拠はない。

三  帰責事由と過失相殺

(一)  過失と内容

前記二認定の事実によれば、以下のとおり解される。

1  徳永の過失

片側二車線のある自動車専用道路を運転する場合は、常に道路の状況に注意を向け、特に厳冬期の降雪時には路上が凍結していないかどうかを確認し、凍結している場合はブレーキによるスリツプ事故をおこし、道路を塞いで、後続車のスムーズな流れのみならず、安全な進行を妨げることのないような速度と方法で自動車を運転する注意義務があるのに、徳永はこれを怠り、自車前方の自動車がブレーキをかけてスリツプしたような様子を、前車のストツプランプをみてはじめて路面の凍結に気づき、すぐさまブレーキを踏んだところ、自車を横滑りさせ、自動車専用道路の左側車線のみならず右側車線を含む上り車線をほぼ塞ぐという異状な形で自車を停車させ、もつて、本件事故(第一、第二追突)を惹起せしめた過失がある。

2  坂本の過失

(1) 自動車運転者としては路面が凍結している夜間、暗い道路を走行する場合には、前方を注視し、かつ、自車前照灯の照射距離にも思いを致したうえで、自車前方の自動車の急停止や異状な停止の際にも追突を避けるに十分な車間距離を保ち、それに応じた安全な速度と方法でもつて運転して前車との追突事故を防止すべき注意義務があるのに、坂本はこれを怠たり、前方を注視しないのみか(前方を注視してさえいれば、名鉄車の尾灯により進行中の名鉄車の存在と位置をより早く確認できた筈である。)、あまつさえ、凍結した道路を夜間通行中、自車の前照灯を下向きにした場合の照射距離がせいぜい三〇m位であるのにこれに思いを致さず、漫然と自車の前照灯を下向きにしたまま、制限時速五〇kmを超える時速五五kmで進行し、もつて、自車前方約三〇ないし四〇mの地点に、自車前照灯に照らされた名鉄車が進路前方の左側車線のみならず、右側車線をも塞いで止まろうとしているのをみてはじめて名鉄車に気づいたため、十分に自車を停止させえないまま第一追突を惹起せしめた過失がある。

(2) 原告及び被告福山福は、坂本には、左側車線のみを塞いでいた名鉄車を第一追突により右側車線上にまで押した結果、第二追突を惹起せしめたから、坂本の第一追突惹起の過失は、第二追突惹起の過失にも連なる旨主張する。しかしながら、前記二(一)、(二)で認定、説示したように、第一追突がおきた時点で、名鉄車は既に左側車線のみならず右側車線を含む本件上り車線をほぼ完全に塞いでいたのであるから右主張はとりえないといわざるをえない。従つて、第二追突が坂本の前示過失と何らかの因果関係を持つものとは解し難いところ、第二追突が坂本の過失にも起因することを認めるに足りる確たる証拠はない。

してみれば、被告福山福の被告永井に対する請求は、その余の点について判断するまでもなく、失当といわざるをえない。

3  槙峠の過失

自動車運転者としては路面が凍結している夜間、暗い道路を走行する場合には、前方を注視し、かつ、前照灯の照射距離にも思いを致したうえで、自車前方の自動車の急停止や異状な停止の際にも追突をさけるに十分な車間距離を保ち、それに応じた安全な速度と方法でもつて運転して前車との追突事故を防止すべき注意義務があるのに、槙峠はこれを怠り、前方を注視しないのみか(前方を注視してさえいれば、名鉄車及び永井車の前照灯により、名鉄車が進路前方の左側車線のみならず、右側車線をも塞ぐ異状な停車をしていることを、前記認定の槙峠の認識よりかなり早い段階で認識しえた筈である。)、夜間、暗く、しかも凍結した道路を通行中、自車の前照灯を下向きにした場合の照射距離がせいぜい四〇m位であるのに、これに思いを致さず、漫然と自車の前照灯を下向きにしたまま制限時速五〇kmはおろか、時速五五kmをもかなり超える速度で進行し、もつて、名鉄車が進路前方四〇ないし五〇mの地点で右側車線を塞いで停止しているのをみてはじめて名鉄車に気づいたため、第二追突を惹起せしめた過失がある。

(二)  過失割合

1  第一追突における徳永と坂本の過失割合

前記認定の第一追突の具体的態様と過失内容によれば、坂本の、夜間、前方注視を怠たつたのみか、自車の前照灯の照射距離に不相応な、しかも、制限時速(五〇km)を超える速度(時速五五km)で、凍結した道路を走行した過失も大きいが、徳永にも、路面の凍結に気づくのが遅れ、スリツプ事故により、中央分離帯の仕切りにより、上り、下りの両車線が完全に区別されている片側二車線の自動車専用道路の上り車線全部をほぼ塞いでしまうという異状な停止をもたらした重大な過失が認められ(名鉄車が左側車線のみを塞いでいたのなら、坂本は永井車の進路を右側車線に変更して、名鉄車との追突を避けうる方法がとりえたとも思われる。)、結局、第一追突における徳永と坂本の過失内容には軽重つけ難く、五対五とみるのが相当である。

2  第二追突における槙峠と坂本の過失割合

前記認定の第二追突の具体的態様と過失内容によれば、槙峠の、前方注視を怠つたのみか、自車の前照灯の照射距離に不相応な、しかも制限時速(五〇km)はおろか時速五五kmをもかなり超える速度で走行した重大な過失があるというべきであるが、徳永の右1に説示した過失も重く(片側二車線の自動車専用道路において、自動車のスムーズな流れという観点からも、追越車線である右側車線をも塞ぐ形で自動車が停止しているということは、通常考え難いことだからである。)、両者の過失内容を比較すると、槙峠のそれがやや重いものと解されるので、結局、第二追突における徳永と槙峠の過失割合は、四対六とみるのが相当である。

(三)  帰責事由

徳永は原告の、坂本は被告永井の、槙峠は被告福山福の各従業員であつて、第一、第二追突はいずれも各当事者の事業の遂行中になされたものであることは当事者間に争いがない。

四  原告の損害

(一)  修理費

前記認定の事実に、前掲甲第二号証の一、二、乙第二及び第三号証の各一、二、丙第二号証の一ないし四並びに証人石原益雄の証言によれば、第一追突による名鉄車後部の破損の修理見積りは、一四一、六〇〇円、第二追突による名鉄車右前部の破損の修理見積りは、事故現場からの引揚げ、牽引代三三〇、〇〇〇円を含め二、一五四、〇一五円(従つて、純粋の修理見積りは一、八二四、〇一五円)であつたことが認められる。

そして、右修理見積りと前記認定の本件事故の態様と、衝突部位を総合勘案すると、事故現場からの引揚げ、牽引作業は専ら第二追突に起因するものと推認されるから、右作業に要する費用は、被告福山福のみが負担すべきものであつて、被告永井が併せ負担すべきものとは認められない。

従つて、名鉄車の修理費としては、被告永井が一四一、六〇〇円、被告福山福が二、一五四、〇一五円(事故現場からの引揚げ、牽引代を含む。)を各負担すべきことになる。

(二)  レツカー代

証人石原益雄の証言により成立を認める甲第三号証の一、二、第五号証及び同証言によれば、原告は本件事故による名鉄車引揚げ、牽引のためのレツカー代として八五、〇〇〇円負担したことが認められるところ、右(一)に説示したことから明らかなとおり、この費用も専ら第二追突に起因する損害と推認されるから、被告福山福のみが負担すべきものである。

(三)  休車料

証人石原益雄の証言により成立を認める甲第四号証の一、二及び同証言によれば、本件事故により名鉄車は昭和五七年一月二九日の事故当日より同年三月一八日まで四九日間修理のため休車せざるをえなかつたことが認められるところ、原告は一日当りの名鉄車の運行純益は二七、九二六円であつた旨主張し、右書証をその根拠とするようである。しかしながら右甲第四号証の二自体、同証人の証言を検討してみても、客観的事実に基づいた資料に依拠して作成されたものかどうか、尚疑問の余地があるといわなければならない。そうとすれば、名鉄車と福山福車とが大差ない大型貨物自動車であることは前記認定の事実から推認しうるところである(前掲甲第一〇号証の一ないし三及び丙第七号証の一ないし三によれば、外見上も似たようなものといいうる。)から、公平の見地より、一日当りの名鉄車と福山福車の運行純益は同等とみるのを相当と解し、後記五(四)認定のとおり、それを一七、〇〇〇円と認めることにする。

そして、右を基に、名鉄車の四九日間の休車料を計算すると八三三、〇〇〇円となる。(計算式は、一七〇〇〇×四九=八三三〇〇〇)ところで、第一追突と第二追突による破損そのものの修理費用の見積りは、前記のとおり一四一、六〇〇円と一、八二四、〇一五円であつたから、右休車料も右修理費の割合で被告永井と被告福山福に按分するをもつて相当と思料されるので、それを算定すると、被告永井の負担すべき休車料が六〇、〇〇八円(円未満四捨五入、以下同じ。計算式は、八三三〇〇〇÷(一四一六〇〇+一八二四〇一五)×一四一六〇〇≒六〇、〇〇八である。)被告福山福の負担すべき休車料は七七二、九九二円(計算式は、八三三〇〇〇÷(一四一六〇〇+一八二四〇一五)×一八二四〇一五≒七七二九九二である。)となる。

(四)  過失相殺と被告両名の負担額

1  被告永井の場合

以上の認定、説示から明らかなとおり、第一追突について坂本に過失はあるが、第二追突について坂本に過失は認められないし、しかも原告の損害額についても第一追突によるものと第二追突によるものとは截然と区別しうるところ、右(一)ないし(三)で認定したところによれば、被告永井が負担すべき第一追突に基づく原告の損害額の小計は二〇一、六〇八円となる。そして、徳永と坂本の過失割合は五対五であること前示のとおりであるから、過失相殺後の被告永井の負担すべき原告の損害は一〇〇、八〇四円となる。

2  被告福山福の場合

右(一)ないし(三)で認定したところによれば、被告福山福が負担すべき原告の損害額の小計は三、〇一二、〇〇七円となるところ、徳永と槙峠の過失割合は四対六であること前示のとおりであるから、過失相殺後の、被告福山福が原告に負担すべき原告の損害は一、八〇七、二〇四円となる。

(五)  弁護士費用

本件訴訟の全過程を概観すると、第一追突と因果関係のある弁護士費用は被告永井に関しては一〇、〇〇〇円、被告福山福に関しては一八〇、〇〇〇円を相当と考える。被告福山福の弁護士費用不相当との主張は、本件訴訟の全過程をみる限り、考慮に値しない。

(六)  まとめ

してみれば、昭和五七年(ワ)第四七七号事件に関し、原告は、被告永井に対しては一一〇、八〇四円、被告福山福に対しては一、九八七、二〇四円及びこれらに対する本件事故後である昭和五七年一月三〇日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を求めることができるから、この限度で原告の請求を認容し、その余は棄却を免れない。

五  被告福山福の損害

(一)  修理費

前記認定の事実に、前掲丙第二号証の一ないし四並びに証人平井英一の証言及び同証言により成立を認める丙第四号証の一ないし三によれば、本件事故に基づく福山福車の修理代として、被告福山福は、一、三四九、四五〇円を支出したことが認められる。

(二)  車両回送費

前掲丙第四号証の一ないし三及び証人平井英一の証言によれば、福山福車の回送費として、被告福山福は二四、〇〇〇円を支出したことが認められる。

(三)  レツカー代

証人平井英一の証言と同証言により成立を認める丙第三号証によれば、福山福車のレツカー作業代として一〇〇、〇〇〇円を支出していることが認められる。

(四)  休車料

前掲丙第四号証の三及び証人平井英一の証言によれば、第二追突による福山福車の破損箇所の修理のため、本件事故日から昭和五七年二月二〇日まで二三日間休車せざるをえなかつたことが認められる。

被告福山福は一日当りの福山福車の運行純益は二四、四一三円であつた旨主張し、右証人の証言により成立を認める丙第五号証の一ないし四をその根拠とするようである。

しかしながら丙第五号証の一の根拠となつた同号証の二ないし四の数字が客観的事実に基づいたものか否か尚疑問がないではないし、仮にその点をしばらく措いても、丙第五号証の一に記載されている、計算の基礎たるトラツク稼働日数は一〇、一一、一二月の総日数九二日とみるべきであるから、同被告の資料によつても、一台の一日当りの運行収益は一九、一〇六円(計算式は、二九八八一八八九÷一七÷九二≒一九一〇六である。)となる筈である。とするなら、この点についての立証の不十分さをも勘案して、福山福車の一日当りの運行純益は一七、〇〇〇円とみるのを相当と解する。そこで、二三日間の休車料を算定すると三九一、〇〇〇円となる。(計算式一七〇〇〇×二三=三九一〇〇〇)

(五)  過失相殺と原告の負担額

右(一)ないし(四)で認定したところによれば、原告が負担すべき被告福山福の損害額の小計は一、八六四、四五〇円となるところ、徳永と槙峠の過失割合が四対六であること前示のとおりであるから、過失相殺後の原告の負担すべき被告福山福の損害額は七四五、七八〇円となる。(弁論の全趣旨によれば、被告福山福の請求に対し、原告は過失相殺の抗弁を主張しているものと解されるから、右過失相殺に弁論主義違背の廉はない。)

(六)  まとめ

してみれば、昭和五八年(ワ)第五〇一号事件に関し、被告福山福は原告に対して七四五、七八〇円及び内七〇五、七八〇円(レツカー代の損害一〇〇、〇〇〇円の過失相殺後の四〇、〇〇〇円を除いた分)に対する本件事故後である右事件訴状の原告送達日の翌日たる昭和五八年八月一二日(この日は本件記録より明らかである。)より、内四〇、〇〇〇円(レツカー代の損害一〇〇、〇〇〇円の過失相殺後の四〇、〇〇〇円)に対する本件事故後である請求の拡張をした昭和五九年二月二一日付準備書面が原告に到達した日の翌日たる昭和五九年二月二二日(この日も本件記録より明らかである。)より各支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を求めることができるから、この限度で原告の請求を認容し、原告に対するその余の請求は、失当として棄却を免れない。

六  結論

よつて、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 簑田孝行)

別紙図面

<省略>

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