熊本地方裁判所 昭和58年(た)1号 判決 1989年1月31日
主文
被告人は無罪。
理由
第一 本件公訴事実の要旨
被告人は、昭和二九年八月一三日午後一一時過ぎころ、熊本県下益城郡小川町大字西小川所在の墓地入口において、通行中のA(昭和八年八月三日生)を強姦しようと企て、その前方に立ちはだかり、危険を察知して逃げ出した同女を追い掛けて抱き着き、「わめくと打つぞ。」と申し向けてその後頭部、右耳付近を手拳で殴打し、同女を押し飛ばして同所堤防南側の川原に転落させ、さらに、逃げ出した同女を追い掛け、前記墓地入口西方約七〇メートルの砂川川原において、同女に対し、「わめくと打つぞ。」と申し向けて、その後頭部を手拳で数回殴打し、その肩をつかんで仰向けに引き倒して馬乗りとなり、そのズロースを押し下げるなどの暴行を加え、その反抗を抑圧して、強いて同女を姦淫し、その際右暴行により、同女に対し治療約1週間を要する上膊内面・前頸部爪痕状擦過傷、両股内面擦過傷などの傷害を負わせたものである。
第二 本件再審公判に至る経緯
本件記録及び当裁判所に顕著な事実によると、被告人は、昭和二九年九月四日、前記強姦致傷罪で熊本地方裁判所に起訴され、昭和三〇年一二月二三日、同裁判所において懲役三年、未決勾留日数中四〇〇日算入の有罪判決を言い渡され、控訴したが、昭和三一年四月一三日、福岡高等裁判所において控訴棄却の判決を受け、同月一六日、上告権を放棄したため原判決が確定し、昭和三三年一月二六日まで服役して刑期を満了したこと、その後被告人は、熊本地方裁判所に対し、繰り返し再審請求をなし、昭和六三年三月二八日、一三回目の再審請求に基づき同裁判所が再審開始の決定をしたため、本件再審公判に至ったこと、右の確定判決及び控訴審判決当時の事件記録は、昭和三七年九月一九日ころ保存期間経過により廃棄されたことの各事実が認められる。
第三 当裁判所の判断
一 被告人(三通)、A、B、C、D及びEの裁判官に対する各申述調書、A及びBの検察官に対する各供述調書(それぞれ二通)、裁判所書記官作成の昭和六〇年一〇月一五日付及び同月三〇日付各検証調書、司法巡査作成の昭和五八年四月一一日付捜査報告書、九州大学医学部法医学教室教授北條春光作成の鑑定書(写し)その他関連証拠を総合すると、次の事実が明らかであるかあるいはほとんど疑いの余地がない。
1 いずれも当時熊本県下益城郡河江村新田出に住み、幼馴染みであったAとBは、昭和二九年八月一三日午後一一時過ぎころ、同郡小川町大字小川所在の映画館に映画を見に行った帰り、同町大字西小川所在の砂川北側堤防上の道を西方に向けて歩いていた際、同町大字西小川所在の墓地入口付近において、五、六メートル先の右側道端にしゃがんでいる男を見つけ、その動静に注意しながら傍らを通り抜けようとしたところ、突然同人が立ち上がったため、共に必死に西方に逃げようと駆け出したが、足の遅いAが捕まり、堤防の下に転落させられた後強姦されたこと(以下、右強姦致傷事件を「本件事件」という。)、
2 本件事件現場付近は、川幅約三〇メートルのほぼ東西に流れる砂川の河原からの高さ約五メートルの北側堤防上の未舗装の道路及び河原で、東方約六〇〇メートルにある砂川橋と西方約七五〇メートルにある上砂川橋とのほぼ中間に位置し、北側は墓地になり、人家は現場の西側に一軒ある程度で他は一面田畑となっている人家のない、街灯もない場所で、当時道の両脇及び南側の河原には雑草だけでなく茅や柳等の草木が多数生えていたこと、
3 本件事件当日の月齢は一四・二、東京での南中時間が二二時五九分、本件事件当時の天気は快晴又は晴、雲量が二ないし三、視程が三〇キロメートルで、月夜としては非常に明るかったこと、
4 逃げたBは、前記上砂川橋の脇にあったF商店という雑貨屋に逃げ込んで助けを求め、水を飲むなどした後、同店の娘GとAを探しに前記堤防上の道を引き返したところ、本件事件現場と右F商店とのほぼ中間にある鹿児島本線の鉄橋付近で西方に歩いてくるAを見付け、共に右F商店へ引き返したこと、
5 その後間もなく、被告人が前記堤防上の道を本件事件現場の方向から歩いて来て前記F商店の前を通り掛かったところ、Bが、被告人の服装及び人相が犯人と同じであるとして被告人を呼び止め、被告人は近くの駐在所から来た警察官に連行されたが、当時、被告人は、いわゆる坊主頭、丸首の半袖のシャツとステテコ姿で、その容貌及び体型に一見して目立つまでの特徴はなかったこと、
6 被告人は、前記F商店に来た警察官に取調べを受け、当初は自分は犯人ではないと主張したが、当夜のうちに犯行を自白し、同月一四日付で姦淫した際射精した旨の記載もある司法警察員に対する自白調書が作成され、そのころ逮捕されたが、その後間もなく否認に転じ、捜査段階から前記有罪判決の確定に至るまで一貫して否認し続け、服役後も前記のとおり再審請求を繰り返して自己の無罪を主張してきたこと、
7 同月一九日、本件事件当時、Aが着ていたワンピースに付着していた血痕の血液型はB型、同女が着用していたズロースに精液の付着を証明しその血液型はA型、被告人が着けていたふんどしに精液の付着を証明しその血液型はA型との鑑定が警察技官下田亮一によってなされたが、その後、昭和三〇年九月一四日、右ワンピースには、四か所に赤土らしいものが、一か所に草汁らしいものが付着していたほか、上方から下方に飛散し付着したと思われる人血が認められ、その血液型はA型と思われ、また、右ズロースの一か所には血液型がB型と思われる精子の付着が認められ、他方、右ふんどしには精液の付着が認められない(ただし、いずれの資料も一部が既に切り取られており、鑑定資料として必ずしも完全とはいえない。)旨の鑑定が当時の九州大学医学部法医学教室教授北條春光によってなされたこと及びAの血液型は非分泌型の傾向を示すO型、被告人の血液型は分泌型のO型で、本件事件当時からの被告人の内妻Hの血液型は分泌型のA型であったほか、被告人が着用していた前記シャツ等には顕著な血痕、草汁や土の付着が見られなかったこと、
二 以上の、明らかであるかあるいはほとんど疑う余地のない事実に基づいて考察すると、仮に被告人が犯人であるとすると、被告人は、Aを強姦した後直ちに現場から逃走することなく、おそらく身繕いをした後高さ約五メートルの堤防を登り上砂川橋方面に歩いて行ったAの方向にしばらく間をおいて歩いて行くという、強姦犯人としては通常考えにくい行動をしたことになるほか、その着衣には犯行現場の状況からみて当然付着する筈の顕著な土、草汁等の付着痕がなかったという説明が困難な不自然さに逢着するのである。のみならず、前記血液型の各捜査結果によると、その血液型がA型あるいはB型である他の真犯人の存在の可能性さえ否定できないのであるから、被告人を犯人と結び付けるBの検察官に対する各供述調書及び裁判官に対する申述調書(以下、これらを「Bの供述」という。なお、Aは当初から犯人の人相、着衣などに関する供述がはっきりしていない。)の信用性及び被告人の前記自白事実は特に慎重に検討されるべきことはいうまでもない。
三 そこで、以下、被告人を犯人と結び付ける最も重要な証拠であるBの供述の信用性及び被告人の前記自白事実について検討する。
1 Bの供述の信用性について
Bの供述は、F商店前で被告人を見掛けたときの状況について、大略、「当日は満月で十分に人の顔や服装が分かる状態だった。犯人は、白い丸首の半袖シャツを着て、白いステテコをはいて、頭にはタオルで鉢巻きをし、いわゆる坊主頭をしていた。事件直後に被告人を近くの雑貨屋で見たが、犯人と全く同じ服装をしており、容貌も同じだった。今、怖い目に遭ってきたばかりで、記憶にあった」とする。
そして、本件各証拠を総合すると、Bは、当初から、AとBが犯人に気付いてその動静に注意しながら近付いて行った状況、立ち上がった犯人から共に逃げ出した状況及びF商店からAを探しに戻り、Aを見付けて同店に連れ帰った状況等について内容的にほぼ一貫した明瞭な供述を繰り返してきただけでなく、F商店前で被告人を見掛けた状況についても、前同趣旨の内容を、一貫して、詳細、明瞭かつ断定的に繰り返し供述してきたことがうかがわれる。
たしかに、前記認定のとおり、本件事件現場の明かりは月明かりだけではあったものの、月夜としては非常に明るかったところ、Bの視力は良好で、同女は犯人を五、六メートル手前から警戒しながら注視し、その後間もなく被告人を犯人として指示したのであり、さらに、本件堤防上の道路は人通りが少なかったのであるから、その認識に誤りがあるとも考えにくいというべきであり、特にその供述の一貫性、詳細さ、明瞭性等に鑑みると、Bの供述の信用性が容易に否定できないことは否めないところである。
しかしながら、被告人(昭和六二年三月一一日付)及び[1](同年九月一四日付)の裁判官に対する各申述調書によると、被告人の坊主頭、丸首の半袖シャツとステテコ姿は当時特に珍しいものではなかったことが認められ、また、前記認定のとおり、被告人の容貌及び体型には一見して目立つまでの特徴はなかったところ、裁判所書記官作成の昭和六〇年一一月三〇日付(同年九月二九日から三〇日にかけて実施したもの)及び昭和六一年一〇月六日付各検証調書、裁判所書記官作成の昭和六〇年一〇月三〇日付電話聴取書、司法警察職員作成の昭和六三年一月二九日付捜査報告書、東京大学東京天文台長作成の照会書(回答)並びに鶴田貢作成の証明書(二通)によると、満月の夜、本件事件現場で、仮装目撃者複数名をして、互いに面識のない仮装犯人複数名をBが犯人を目撃したのと同様な態様で目撃させた後、一〇分ないし一五分後に当時のF商店前と類似の明るさの下で面通しさせた裁判所による実験的な夜間検証の結果、仮装目撃者が数人の中から仮装犯人を指摘しあるいはある人物が犯人と同一人物であるかどうかを指摘した回答の正解率は約六割にとどまったことが認められる。
たしかに、右の実験的検証は、必ずしも、Bの目撃状況を完全に再現したものとはいい難いこと、事例数も少ないこと、人を識別する能力には個性があると考えられるが、その差異については調査されていないことなどの諸点に鑑みると、右の結果を直ちにBの供述について当てはめることはできない。しかしながら、本件事件当時のBの観察は、暴漢に襲われる直前という異常な事態でなされたものであるのに対し、右検証における仮装目撃者らの観察は、冷静な状態で、しかも人物の識別をまさに問題とするという意識のもとでなされたのであるから、右検証の正解率が実際よりも高くなることは容易に考えられるとしても、反対に著しく低く現れる可能性は低いということができる。
そうしてみると、Bの犯人は被告人であったとする認識に基づく供述は、その一貫性、詳細さ、明瞭性等にもかかわらず、なお、誤りである可能性のありうることを否定することはできない。したがって、被告人と犯人を結び付け得る他の信用性のある証拠のないまま、Bの供述だけで被告人を犯人と断定することはできないというほかない。
2 被告人の自白事実について
そこで、以下、被告人と犯人を結び付けうる他の唯一の重要な証拠である被告人の自白事実について検討する。
被告人が本件事件当夜には警察官に対し犯行を自白し、昭和二九年八月一四日付で被告人がAを強姦し、その際射精もした旨の記載もある司法警察員に対する供述調書が作成されたが、その後間もなく否認に転じ、以降一貫して否認し続けてきたことは前記認定のとおりであるところ、被告人は、裁判官に対する各申述調書で、自白をした理由について、五、六人の刑事から大声で怒鳴られたり小突かれたりし、否認すれば何年でもぶち込んでやるとか、奥さんが家で待っているだろう、認めればすぐに帰してやるとか言われ、警察での取調べを受けるのは生まれて初めてであったし、怖くて早く家に帰りたかったため嘘の自白をした旨述べており、その申述は右の供述経過と矛盾しない。
そこで、右の自白の信用性について検討すると、前記認定のとおり、Aの着用していたズロース及びワンピースからは被告人の血液型と同型のO型の精子は検出されなかったのであり、また、被告人のふんどし自体に精液が付着していたことも十分な証明がない(精液の付着なしとする北條鑑定以前にふんどしの中央部が切り取られてはいるが、切り取られた部分は陰部に当てがわれうる部分のうちの一部にすぎないから、もし被告人が犯人で射精までしたのなら、北條鑑定の資料となったふんどしの切り取られていない部分にも精液が付着すると考えるのが自然である。)のであるから、被告人が同夜射精したとは考えにくいというべきところ、被告人は、右自白調書の中で射精した旨述べているのである。本件のような強姦事件において犯人が射精したか否かはまさに本質的な部分であるから、この点において、自白に符号して当然存在する筈の客観的裏付けが存在しない(むしろ被告人の血液型と違う血液型の精子がズロースに付着していた。)ということは、前記認定の被告人のその後の一貫した否認の態度とも併せ考えるとき、右自白の信用性に看過できぬまでの疑いを生ぜしめるといわなければならず、したがって、被告人が自白したこともBの供述を支持し得るものとはいえない。
四 以上のとおりであって、本件事件の発生状況、現場の状況、被告人が検挙されるに至った経緯、被告人及び被害者の着衣への土、草汁等の付着状況並びに着衣に付着していた体液の血液型等に鑑みると、仮に被告人が犯人であるとすると、被告人は強姦後直ちに現場から逃走せず、被害者の方向にしばらく間をおいて歩いて行くという、強姦犯人としては通常考えにくい行動をしたことになるほか、犯行により被告人の着衣に当然付着した筈の顕著な土、草汁等の付着痕がなかったという説明困難な不自然さに逢着するのである。さらに、被害者の着衣に付着していた血痕及び精子からは、血液型がA型あるいはB型の他の真犯人の存在の可能性も否定できないのであるから、被告人と犯人とを結びつける目撃者Bの供述の信用性及び被告人の自白事実は特に慎重に検討すべきである。しかるところ、Bの供述は一貫性があるだけでなく、詳細、明瞭かつ断定的ではあるが、その目撃状況と類似の状況下でなされた検証の結果によると、目撃者が見誤る可能性もかなりあるといわざるを得ず、したがって、Bの供述だけで被告人を犯人と断定することはできないというべきであり、他方、残る唯一の重要な証拠である被告人の自白は、その内容の重要部分において在る筈の客観的裏付けを欠くこと及びその後の被告人の供述態度に照らし、その信用性に看過できないまでの疑いを容れるものであるから、被告人がいったん自白したことはBの供述を支持し得るものとはいえない。
第四 結論
このように、本件では、原記録が廃棄され、当時収集された証拠のうちその写しが存在するものはわずかに前記北條鑑定書だけであるため、本件の証拠資料のほとんどを昭和五八年三月一四日の本件再審の申立て以降収集された証拠に頼らざるを得ず、詳細な事実認定は困難であるが、なお、取調べ済みの右の各証拠に原第一審の判決書、原控訴審の判決書及び各控訴趣意書の記載などを事実認定の枠付け等に参酌しつつ、現段階で認定できる事実関係の枠組みのなかで本件公訴事実を検討すると、被告人を犯人であると、認定するのには合理的な疑いが明らかに残り、本件公訴事実についてはその証明が不十分であって、犯罪の証明がないことになるから、刑事訴訟法三三六条により無罪の言渡しをする。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 永松昭次郎 裁判官 島内乘統 裁判官 鹿野伸二)