熊本家庭裁判所 昭和54年(少)947号 決定 1979年7月26日
少年 R・N子(昭四〇・五・一二生)
主文
少年に対し、強制的措置をとることは、これを許可しない。
理由
本件申立の要旨は、
少年に対し、その行動の自由を制限し、またはその自由を奪うような強制措置を求め、その理由として、少年は、児童福祉法二七条一項三号により、昭和五三年二月一四日付で教護院白川学園に措置したが、昭和五四年四月二日以来同園に落ち着かず無断外出を繰り返しては不純異性交遊を重ね、同園における矯正指導は困難な状況である。以上のことから、このまま普通教護を続行することは施設内での他児童への悪影響や、地域社会へ及ぼす弊害も甚だしく、且つ少年の福祉をそこなうため強制的措置をとることが望ましい。というにある。
そこで、本件記録および熊本中央児童相談所の児童記録票、鑑別結果通知書並びに調査・審判の結果によれば、少年は四歳のとき父が病死したため貧困な家庭(兄二人)の中で、母の手一つで育てられ、活発で気が強く、又短気でもあるため自我を傷つけられるとカツとなつて突飛な行動をする。
しかし一方、まともな考えをもつており、すじ道は通し、理解し合おうとする努力もあるところ、昭和四四年五月三〇日母に伴われ、家族と○○町へ居住し、地元の小学校に通学し始めたが、小学六年頃から母に反抗的になり、家出・不純異性交遊などして注意されても反省するどころか、口答えするようになつたため母親も少年の監護のため当時働いていた○○生命保険外交員を退職したが、なおも少年の右のような素行は改まらないので、昭和五三年二月一四日当時の白川学園(昭和五四年七月一日から清水ケ丘学園と名称変更)に措置された。
そして以来昭和五四年三月まで同園において教護を受け、その間昭和五三年五月二二日から同年五月三〇日まで虫垂炎の手術のため入院したほかは同園において落ち着いた生活をし、その後もこの状態が続くかに見えたが、昭和五四年四月二日無断外出後、同年五月六日警察に保護されるまで無断外泊をくり返して知人宅を訪ね、宿泊交遊を重ね、同園に落ち着かなくなり、さらにその後も無断外出を続けては再三警察に保護されていることが認められる。
以上によると、少年は無断外泊、不純異性交遊をなしているが、右をもつて直ちに少年法三条一項にいう虞犯事由にあたるとするのは困難であり、さらに非行事実と認められる事由も見出し難い。もつとも警察から少年が無断外出中、覚せい剤を注射した疑いがあり、このまま少年の無断外出を黙認しておくと将来罪を犯すおそれがあるとの電話報告がなされているが、仮にこれが認められたとしても(少年は審判廷で否認している)、これのみでは強制措置を必要とする事由とはなし難い(ちなみに保護処分に付するか否かは別途考慮すべきであるが。)。
そして少年は前記のとおりすじ道を通す性格で、教護院への措置が短期間のものと理解していたのに、長期に及ぶことを知り、母親のいる自宅に帰りたい気持がいやが上にも増し、母親に対する不信感も手伝つて、無断外泊をくり返したものであるが、母親及び兄も少年を引取る気持になり、少年も今後母のもとで真面目に生活し、不良仲間との交遊を断つことを誓つていることが認められる。ところで、かりに本件の強制措置を許可するとすれば、少年を母の許から遠く離れた国立きぬ川学園に収容することになり、これでは少年の前記心情にも反し、母親の前記のような理解、協力が認められるに至つた現段階において、かかる措置に出ることもまた妥当な方法といえない。
以上を総合して、本少年に対し強制措置をとることを許可しないこととする。
(裁判官 吉武克洋)