熊本簡易裁判所 昭和30年(ろ)1264号 判決 1958年3月24日
被告人
川尻法爾
主文
被告人を罰金千円に処する。
右罰金を完納することができないときは金二百円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
(事実)
被告人は昭和二三年京都大学文学部哲学科を卒え、昭和二六年九月一日から熊本市上通町四丁目所在合名会社長崎書店支店(その後昭和三〇年七月一日組織変更により有限会社長崎書店となる。)に入社し、同店洋書部に勤務していたところ、昭和三〇年初め頃から同店従業員間に同店労働組合を結成しようとする機運を生じ被告人自らも積極的にこれが組織化に努める一方従業員の自覚と規律ある行動を期待していた。
斯くて同年四月七日組合大会を開催し同店従業員労働組合を結成する運びに至り同店従業員約七〇名中店主の縁故者一名を除く爾余の者が全員右組合に加入し、役員選出を終え、爾来頻繁に執行委員会を開き社内の民主化を企図し従業員の自由と規律を求めていたところ、同年四月上旬頃被告人が同店店員レジスター係荒牧田鶴(大正一四年七月一八日生)に自己の私物をレジスター附近の抽斗に収納していたことにつき公私を混淆する虞ありとして私物は女子従業員更衣室に保管するよう注意したに拘らずこれを実行しないのみか同女がこれを店主の妻を通じ店主に告げたためかえつて被告人等が店主より忠告されるに至り、同月二〇日組合執行委員会を開きその席上同女を批難したところ同女は直ちに組合を脱退し組合活動に反撥する態度を表明した。
その後同年六月下旬頃から同店二階女子従業員更衣室内において女子店員の所持品について盗難紛失が相次ぎ、同月二三日同店員員村上カオルの所持金千円が紛失不明となる事態が生じたが、その解決究明について女子店員間で投書函を設け右金員を窃取した者は一週間以内にそれに返還投入することを申合せ、同月三〇日開函したところ予期した返還がなかつたので更に女子店員のみで互に疑わしい者を指名投書することを申合せ、同年七月六日開函したところその投書中同店々員にして洋書係をしていた江崎良子に疑惑を抱かせる趣旨のものがあつたが同女はこれを憤概しかえつて荒牧田鶴を疑うような言動に出で互に猜疑し合うような結果になつたところ、この経緯を伝え聞いた被告人等は急遽同日午後六時頃から右処置を討議するため執行委員会を開催することとし同時に右会合については組合員一般とりわけ女子従業員の参加傍聴及び意見の開陳を求めた。右討議には組合執行委員の大半及び女子従業員十数名が参会したがその席上主として被告人が前記女子従業員の処置について批判し、とりわけ窃盗嫌疑者なるものを客観的根拠なく投書によつて指名決定しこれを江崎良子なりとするような方法が無暴かつ人権を侵害するものである旨女子店員の処置をなじつたところ、その席に出席していた執行委員山本郁子が、従前被告人が荒牧田鶴に対して採つた態度に比し江崎良子に対しては寛大であり、庇護するに急なりと反駁したところ、被告人はその応酬として「荒牧さんの場合は別じやないか、見たものが居るじやないか」と述べ、右討議が専ら金銭の盗難紛失に関して論じられている際、あたかも荒牧田鶴がレジスターとして勤務中売上金を窃取乃至は着服横領したことを疑わせるに足る発言を為し、以て公然事実を摘示して同女の名誉を毀損したものである。
(証拠の標目)(略)
(訴訟関係人の主張に対する判断)
被告人及び弁護人は公訴事実を否定し、被告人は仮に被告人の発言がその席に参集していた者に荒牧田鶴の名誉を毀損する内容であつたような誤解を与えたとしても、右発言は同女の書籍持出についての不正事実を摘示したもので、被告人としてはその真実性及び証明の可能性を信じていたものである旨、また弁護人は荒牧田鶴がレジスターの金額を少く打ち出していることは事実であるのみならず同女が昭和三〇年四月頃以前からレジーの金を誤魔化しているとの風評が店内一般に流布されてえいのであるから刑法第二三〇条の二第一項に該当し、従つて被告人の所為は違法性を阻却し無罪である旨主張するので按ずるに、被告人の発言がその発言の前後よりみて荒牧田鶴の金員窃取乃至横領に関する罪を犯したことを疑わせるに足る趣旨であつたことは前判示のとおりであるが、証人荒牧田鶴の当公廷における供述によると荒牧田鶴が右のような行為につき右判示当時公訴の提起を受けていなかつたことが認められるので、右発言は人の犯罪行為に関する事実にかかり公共の利害に関する事実と看做すべく、而して被告人の当公廷における供述並びに検察事務官に対する供述調書によると被告人が判示討議において意図したところは組合員である女子店員の無自覚な集団的行動を排判し人権の尊さを教えるにあつたと認められるから右発言の動機自体は専ら公益を図る目的に出たものと認める。ところで被告人の主張する荒牧田鶴の長崎書店からの書籍の不正持出の事実については証人荒牧田鶴同井上幸子の当公廷における各供述によれば荒牧田鶴が貸出書籍について明確な処置をとらなかつた疑のあること、特に組合結成後組合員の自律によつて貸出簿に正確な記入を実行するよう企図していたに拘らず同女がこれを履行しなかつたことを窺知できるけれども被告人の前示討議の際における発言内容が明確に右書籍借出についての不正事実に限定したと認める証拠がないのみならず前示認定よりしてこの点に関する真実性の証明は暫くおき、弁護人主張の荒牧田鶴がレジスターの金額を少く打出していたこと及びレジーの金を誤魔化していたとの風評があつたとの点について審究すると、証人村上カオル、同篠田ムツ子、同長崎スミ及び被告人の当公廷における各供述を綜合すると荒牧田鶴がレジーの金を誤魔化しているとの風評が店内で存したこと及び同女がレジスターの金額を打替えているのを目撃した者もあるが、それは打誤りを是正する手段として行われる場合もあり得ることが認められるのみであつて更に同女が売上金を窃取乃至横領していたことを認めるに足る証拠はない。従つて右各主張は採用できない。
次に本件所為は労働組合の執行委員会の席上における発言であるから、労働組合法第一条第二項所定の労働組合の正当行為であつて違法性を阻却し、或は軽度の違法性を奪うと主張するのでこの点について按ずるに、もともと右条項は労働組合の行為にして労使対等の立場を促進して労働者の地位の向上をはかり、労働者が団体行動を行うため自主的な組織団結を擁護する等の目的を達成するためにした正当な行為を処罰しない旨規定したものであるところ、前示証拠を綜合すると本件討議が長崎書店労働組合の執行委員会として開催せられたものであり、被告人が執行委員の一人として発言し、被告人の当初の発言内容が組合員とりわけ女子従業員の無自覚な集団的行動を批判し、問題とされた処置が人権の侵害を伴うものであることを教えるにあつたことは先に判示したとおりであつて、それ等一連の事実は発足後日浅い右労働組合の育成途上にあつた際において組合員の組織団結の強化に資するものであつたと認められるけれどもかような場合であつても議会における討議或は裁判手続過程における訴訟関係人の発言の如くその発言者に絶対的特権を認めている場合と異りその総ての討議発言が全く違法性を阻却するものではなく、そこには自ら限界が存すると解するを相当とする。而して右限界は前示目的達成の範囲内にありや否やを以て一標準となし得べく、組合に直接に関係なく影響を及ぼす虞のない非組合員個人の犯罪嫌疑事実を指摘発言することが前示目的達成の範囲に属すると為し得ないこと勿論であるから右主張は採用できない。
更に被告人の発言は労働組合の執行委員会におけるそれであるから憲法第二一条によつて保障されているものであり、またその発言は同法第二八条に基く労働者の団結権の行使として許されたものであるから無罪である旨主張する。しかしながら言論乃至表現の自由と雖も他人の名誉の侵害を伴う場合には決して無制限であることを許されない。このことはそれが労働組合における討議発言であるからと言つてその埓外にあるものと解することはできない。次に判示執行委員会が広義における団結権の行使及び団体行動の一環として開催されたものであつたことは先に判示したとおりであるが憲法第二八条の立法趣旨が対使用者関係において経済上の弱者である労働者の団結権乃至団体行動権を保障するものである点に鑑み,その団体に属さない労働者個人を攻撃批難し、或は犯罪行為を摘発し、これを疑わせる言動に出ることを以て団結権の行使とし憲法が保障していることは到底認め得ない。従つて右主張もまた排斥を免れない。
(量刑について)
被告人の判示所為は、その理念の実現を急ぐの余り討議の熱した末やゝ慎重さを欠いた措辞用法の結果に出るものと認められ、被告人の学歴、経歴等に照し甚だ遺憾であり、その結果被害者に与えた心理的苦痛に対しては応分の刑事責任を負うべきである。しかしながら本件判示所為はその動機が専ら組合員の規律ある行動と自覚を促すにあつたと認められるのみならず被告人、及び証人荒牧田鶴、同長崎スミの当公廷における各供述並びに長崎スミの検察官に対する供述調書、本件告訴状末尾の記載、署名簿の作成及びその末尾の記載、有限会社長崎書店就業規則を綜合すると本件に関する告訴は単に被告人の刑事責任の追及及び被害者荒牧田鶴の名誉感情の回復を企図したものと言うよりは有限会社長崎書店労働組合の有力なリーダーの一人であつた被告人を同店から排除する一手段としてことを構えて被告人に対する告訴が維持されたかに窺われること、その後被告人は前記就業規則第四九条第一二号の「刑事上の罪によつて訴追されて会社の名誉信用を失墜し」たものとして退職勧告をうけ昭和三一年五月八日諭旨退職を申渡され、これを契機とする労働争議の末、同年五月末日付依頼退職の形式を以て同店を退職するに至つた等諸般の事情を考慮するときは主文第一項の刑を以て処断するを相当と考える。
(法令の適用)
被告人の判示所為は刑法第二三〇条第一項、罰金等臨時措置法第二条第一項、第三条第一項第一号に該当するので所定刑中罰金刑を選択し、その金額範囲内で被告人を罰金千円に処し、右罰金を完納することができないときは刑法第一八条に従い金二百円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置し、訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項本文を適用し全部被告人に負担させることとする。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判官 田原潔)