田川簡易裁判所 昭和36年(ろ)102号 判決 1961年7月27日
被告人 黒土こと杉山一馬
大一五・三・一生 無職
主文
被告人を懲役二年に処する。
未決勾留日数中一〇日を右刑に算入する。
押収に係る革製二ツ折定期入一個、身分証明書、血液登録カード、メモ紙、国鉄定期券各一枚、質札三枚、現金(一、〇〇〇円札一枚、一〇円硬貨、一円硬貨各一個)はそれぞれ被害者金子勲に還付する。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は昭和三六年六月一三日国鉄日田線博多行快速列車の田川郡川崎町川崎駅(午前八時七分発)、田川市後藤寺駅(午前八時二〇分着)間で、同列車内において乗客金子勲のズボン後ポケツトから、同人所有の現金二〇一一円及び質札三枚外四点在中の革製二ツ折定期券入れ一個を抜取り窃取したものである。
(証拠)
第一、判示日時場所において判示のような盗難事実の発生について
一、証人金子勲の「判示日時千円札二枚、十円と一円の硬貨各一枚及び定期券などを入れた黒革製二ツ折定期券入れをズボンの後ポケツトに入れて、川崎駅から判示列車に乗車し、後藤寺駅に下車した。右列車は通学生などにより相当混雑していた。そして後藤寺駅の改札口を出てから前記定期券入れがなくなつていることに気付いた。なおそれを入れていたポケツトは深く落ちるようなことはない」旨の供述。
一、同証人の「押収物件がその時になくなつた品である」旨の供述。
一、金子勲の被害届
第二、被告人が右定期券入れを窃取したとの事実について
一、証人脇田進の「判示列車に後藤寺駅から警乗したところ、証人の乗車していた二輛目後部デツキに被告人が連れらしい者と共に乗りこんで来た。被告人達は前にスリ容疑者として二度位尾行した記憶があつたので、監視していた。列車が伊田駅に到着すると、被告人達は直ぐに降車したがホームで何かしてなかなか収札口に行こうとしなかつた、そして収札口に行く地下道の途中で、被告人は左手に本件定期券入れを持ち右手でひらいて中の四ツ折りにした金(千円札と百円札であつた)を取り出し、これをシヤツの胸のポケツトに入れ定期券入れはズボンの後ポケツトに入れた。」旨の供述、
一、証人寺田政一の「判示列車の三輛目前部の二輛目との連結器附近に防犯のため後藤寺駅から警乗し、伊田駅で下車したが、その時被告人と連れの男と認められる者を発見した。両人の挙動に不審な点があつたので注目していたところ、同僚の脇田進が「あれ(被告人ら)をどう思うか」と問うので、証人も「どうも様子がおかしい」と答えて監視していた。二人で右両名を監視しつつ地下道を収札口に進行する途中で、被告人がどこに持つていたか知らないが、黒革の定期券入れから外側が千円札で二、三枚位の札を四ツ折にしたものを抜き出してシヤツの左胸ポケツトに入れ、定期券入れはズボンのポケツトに入れた。」旨の供述。
一、同証人の「右のような被告人の挙動にますます不審を持ち自分達の身分を明らかにして、被告人に右定期券入れの呈示を求めたがなかなか応じなかつた。そして被告人は定期券入れを出し「これは拾つたので収札口で届ける考えであつた」と答えたので「ではポケツトに入れた金はどうしたのか」と重ねて尋ねたところ「定期券入れの中に自分の金を入れさせて貰つていたのだ」と言い張つていたが被告人は別にチヤツク付楕円型の財布一個を所持していた」旨の供述。
一、同証人の「被告人が氏名を詐称していたが同僚の川上公安職員から「杉山ではないか」と言われて本名を自供した」旨の供述。
一、同証人の「押収に係る金品(百円札四枚を除く)を被告人から押収した」旨の供述。
一、押収物件(百円札四枚を除く)の存在。
一、被告人の当公廷における「前科の窃盗四犯中二犯は万引で二犯はスリであり、そのうち三犯は駅すなわち列車の乗客を対象とする現行である」旨の供述。
一、鉄道公安員緒方栄作成の窃盗被疑事件捜査報告書と題する書面及び鉄道公安職員川上実夫作成の窃盗事件捜査報告書と題する書面の各記載によると、被告人はスリの常習者としてかねてから注目されていた者である点。
を綜合して判示事実を認定する。
(被告人の弁解について)
被告人は「(一)押収に係る千円札一枚と百円札四枚は自己の所有金で、これは当初から自己のシヤツの胸ポケツトに入れていたもので定期券入れから出したものでない。(二)定期券入れ(右千円札一枚、百円札四枚を除く押収金品在中)は、被告人が伊田駅で判示快速列車から下車する直前に、二輛目の後部の客室入り口外側で拾つたもので、その際傍らに乗客が居たので持主を尋ねたが判らなかつたので、下車した人のものであろうと思い改札口で届出る考えで持つて行く途中逮捕された。」旨弁解するのであるが、
第一、右(一)の弁解は前示証人脇田進及び同寺田政一の供述と対比してにわかに措信できない。
第二、右(二)の弁解は、
一、証人脇田進の「判示快速列車に後藤寺駅から伊田駅まで被告人と同一場所に乗車して被告人に注目していたが、その間において被告人が物を拾うような挙動及び他の乗客に定期券入れの落し主を尋ねたような言動はなかつた」旨の供述。
と対比し、又もし落し主が同列車からの下車客と思われるならば急ぎ収札口の駅員に届け出るべきであるにもかかわらず、
一、同証人の「被告人は伊田駅では早く下車しながら、ホームで何用があつたのかぐずぐずしていて、収札口に行くには一般乗客から遅れて歩行していた」旨の供述。
一、証人寺田政一の前示「定期券入れの呈示を求めたが被告人はすぐには応じなかつた」旨の供述。
と対比するときはこの点も措信できない。
以上を綜合するときは右弁解を採用するに由なく、この認定を左右する資料もない。
(被害の千円札二枚中一枚の行先について)
前示証人金子勲の供述によると、定期券入れには現金として千円札二枚と十円と一円の硬貨各一個を入れていたものであるが、被告人から押収した現金の中には千円札一枚、百円札四枚、十円と一円の硬貨各一個であつて、千円札一枚の代りに百円札四枚が存在するのである。このことは被告人とその連れの男が伊田駅ホームにおいてぐずぐずしている間に何らかの操作をしたものと想像される。従つて百円札四枚は千円札一枚即ち金一〇〇〇円の一部であるとの疑いがあるのであるが、その真の事実は被告人又は連れの男と目される者の供述がなければこれを明らかにすることはできない。
しかしこの点が不明であつても本件判示事実を認定するについては何らの支障もないものと認めるので千円札一枚の行先きについての追及はしない。
(累犯について)
被告人の当公廷における供述及び前科調書の記載によると被告人は昭和三〇年六月二日当裁判所において窃盗罪により懲役一年三年間執行猶予(昭和三一年一〇月一三日執行猶予取消決定、同月二一日同決定確定)、昭和三一年九月六日久留米簡易裁判所において同罪により懲役二年、昭和三五年四月六日延岡簡易裁判所において同罪により懲役一年に各処せられ、それぞれ当時その刑の執行を終えたものである。
(法令の適用)
被告人の判示所為は刑法第二三五条に該当するところ、被告人には前示前科があるので同法第五六条第一項、第五七条、第五九条に従い累犯の加重を為しその刑期範囲内において被告人を懲役二年に処し、同法第二一条を適用して未決勾留日数中一〇日を右本刑に算入すべく、主文掲記の物件は被害者に還付すべき理由が明らかであるので刑事訴訟法第三四七条第一項に則り被害者に還付し、本件訴訟費用は被告人が貧困のため納付することができないことが記録上明白であるので同法第一八一条第一項但書により被告人に負担せしめないこととする。
(裁判官 吉松卯博)