甲府地方裁判所 平成10年(ワ)186号 判決 2004年1月20日
甲・乙事件原告
甲野太郎
甲事件原告
甲野春子
(平成2年3月○日生れ)
同
甲野夏男
(平成3年9月○日生れ)
上記2名法定代理人親権者父
甲野太郎
上記原告ら訴訟代理人弁護士
加藤啓二
同
寺島勝洋
同
關本喜文
上記加藤啓二訴訟復代理人弁護士
永嶋実
甲・乙事件被告
Y
上記訴訟代理人弁護士
五味和彦
同
古屋俊仁
同
水上浩一
主文
1 被告は、原告甲野太郎に対し、1700万円及びうち200万円に対する平成9年3月26日から、うち1500万円に対する平成14年2月20日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告甲野太郎のその余の請求並びに原告甲野春子及び甲野夏男の請求を、いずれも棄却する。
3 訴訟費用はこれを4分し、その3を原告らの、その余を被告の負担とする。
4 この判決は、第1項に限り、仮に執行することができる。
事実
第1 当事者の求める裁判
1 請求の趣旨
(1) 被告は、原告甲野太郎(以下「太郎」という。)に対し、7067万7300円及びうち500万円に対する平成9年3月26日から、うち4567万7300円に対する同月27日から、うち2000万円に対する平成14年2月20日から各支払済みまで、年5分の割合による金員を、原告甲野春子(以下「春子」という。)及び原告甲野夏男(以下「夏男」という。)に対し、各2283万8650円及びこれに対する平成9年3月27日から支払済みまで各年5分の割合による金員を支払え。
(2) 訴訟費用は被告の負担とする。
(3) 第1項につき、仮執行宣言
2 請求の趣旨に対する答弁
(1) 原告らの請求をいずれも棄却する。
(2) 訴訟費用は原告らの負担とする。
第2 当事者の主張
1 請求原因
【甲事件】
(1) 当事者等
原告太郎は、亡甲野花子(以下「花子」という。)の夫であり、原告春子及び原告夏男は原告太郎と花子との間の第1子及び第2子である。
被告は、肩書住所地において、Y産科婦人科医院(以下「被告医院」という。)の名称で医院を開業している医師である。
(2) 診療契約の締結
花子は、被告との間で、平成9年2月12日、定期的かつ適宜に被告の診療を受けること及び第3子の出産、産前産後の医療処置を受けることを内容とする診療契約を締結した。
(3) 平成9年3月25日から同月26日までの経過
ア 同月25日午前中、花子は吐き気を覚えるとともに、38.5度の発熱があった。
イ 同日午後1時ころ、花子の妹である乙山葉子(以下「葉子」という。)が、被告に電話をし、花子の体調を説明するとともに、被告と花子が直接話をした。その際、被告は、花子に対し、「今日は様子を見て、明日来院するように。」と指示した。
ウ 同日午後7時ころ、花子がしきりに腹をさすって「具合が悪い、あげっぽい。」と訴え、被告に電話をするよう求めたので、原告太郎が被告に電話をしたところ、被告は不在であった。
原告太郎が、電話に出た看護婦に対し、花子の様子を説明したところ、看護婦から、被告に連絡を取って折り返し電話するので、待機するようにとの指示を受け、その後、同日午後7時10分ころ、被告医院へ来るようにとの連絡を受けた。
エ 花子は、同日午後7時30分過ぎ、原告太郎に付き添われて被告医院に到着した。その際、被告は不在であった。
花子は、看護婦に案内されて、分娩室に入室した。
オ 同日午後8時20分ころ、被告が帰院し、分娩室に入室した。
カ 同日午後8時25分ころ、被告が分娩室から出てきて、原告太郎に対し、死産であった旨述べた。原告太郎の姉である甲野桜子(以下「桜子」という。)が、被告に対し、花子の様子を尋ねたところ、被告は「お母さんを助けなきゃならんじゃんね。」と答えて、再び分娩室へ戻った。
キ 同日午後9時50分ころ、被告は分娩室から出てきて、花子を救急車で山梨医科大学医学部附属病院(当時。以下「医大病院」という。)へ搬送する旨告げた。
その際、被告から花子の容態についての説明はなかった。
ク 同日午後10時ころ、救急車が到着した。乗せられた救急車の車内で、花子の意識はあり、酸素マスクを付け、黄色の点滴2本を受けていた。
ケ 同日午後10時20分ころ、医大病院に到着し、花子は、1階の救急処置室に搬入された。
コ 同日11時ころ、医大病院の看護婦からO型の血液が4、5人分必要であるので、人を集めるように指示があった。その後、再度、できるだけたくさんの人を集めるよう指示があった。
サ 平成9年3月26日午前零時ころ、医大病院の担当医師から、原告太郎らに対し、数回状況説明がされた。
シ 同日午前3時50分ころ、原告らに対し、花子が危篤であるので、家族に対し、ICUに入るようにとの指示があった。
ス 同日午前4時5分、花子は死亡した。
(4) 花子の死因
花子の死因は、播種性血管内凝固症候群(以下「DIC」という。)である。
DICとは、何らかの原因により血液の凝固機能が異常に亢進し、全身の小血管で凝固して血栓が形成され、諸臓器の循環不全を生じるとともに、その血栓の形成にフィブリノーゲンや血小板等の凝固因子が消費されて減少するため、線溶能も異常に亢進して著しい出血傾向を来す症候群である。
(5) 花子に関する診療録等の改ざん及び証人に対する偽証教唆
ア 被告は、本件訴え前の証拠保全に先立ち、所持していた花子に関する診療録等の一部の記載を自ら改ざんするとともに、被告医院の看護婦であるPに指示して改ざんさせた。また、被告は事務員であったQに対し、分娩台帳(乙19の1)を改ざんさせるとともに、虚偽内容の報告書(乙20)を作成させ、これを本件訴えの書証として提出している。
イ また、被告は、平成9年3月25日から26日に勤務していた看護婦であるとして、本件訴訟において、Pに当日の診療経過に関する証言をさせたが、同人は当夜は非番であり、Pに対し、偽証させたものであった。
被告は、これについて偽証教唆の罪で有罪とされた。
(6) 証明妨害について
被告は、本件においてもっとも重要な証拠となるべき診療録等を改ざんしたのみならず、本件係属中の原告らの文書提出命令申立てがあった後に、その対象となる文書(分娩台帳、賃金台帳、勤務表等)を廃棄した。
このような証拠保存義務違反については、信義則上、証明妨害として、証拠所持者の相手方である原告らの主張する事実が真実と認められるべきである。
(7) 被告の責任
ア 被告の債務不履行責任
(ア) 被告の過失
(a) DICは、本件当時、産科において珍しい症例ではなく、診断方法及び治療方法も確立しており、他科の場合に比べて突然に発症し、経過が早く重篤化して死亡する例もまれではないが、基礎疾患の排除が比較的容易で、臨床症状が発生した場合の措置が適切であれば、母体の救命率は高いのであるから、被告は、花子の症状からDICであることを疑い、迅速に適切な処置を行うべき義務があったにもかかわらず、これを怠った過失がある。
特に、花子については、後記のとおり、被告医院においてDICの兆候となる大量出血が認められたのであるから、被告には、DICに対する措置として、フィブリノーゲンやヘパリンを投与すべき義務、さらには、より早期に大病院に転院させるべき診療契約上の義務があったにもかかわらず、これらを怠った過失がある。
DIC発症の前兆状況として大量出血があり、1500シーシーを超える出血があった場合は大病院へ転送すべきとされているところ、後記の数式のとおり、被告医院において児を娩出した後、医大病院に転送されるまでの間の出血量は1598ミリリットルに達していた。
すなわち、通常の循環血液量は70ml/kgであり、これは血色素の値と正比例の関係にあるところ、花子の平成9年3月7日の時点での血色素は10.6であったが、同月25日に医大病院に搬送された時点では6.2に減少していたのであるから、同月7日から同月25日までの間の花子(入院時の体重は55キログラムであった。)の出血量は、下記の算式のとおり1598ミリリットルであったものと推定される。他方、花子が同月7日から被告医院において児を娩出するまでの間、他に出血した事実はない。
記
(10.6−6.2)/10.6×70×55=1598(小数点以下四捨五入)
なお、このほかの算定方法(甲20の1・2)によっても、花子の被告医院における出血量は1257から1760ミリリットルという量に及んでいるということができる。
(b) 花子は、被告に対し、平成9年3月25日午後1時の時点で、発熱があることを訴えたところ、出産予定日を約2週間後に控えた妊婦が、カゼ又はインフルエンザを疑うべき症状を訴えていたのであるから、被告には母体及び胎児に生じる影響を十分に考慮し、直ちに入院させて経過を観察すべき義務があった。
仮に、被告医院内において、経過観察をしていれば、より早期に異常を発見し、大病院へ転院させることが可能であった。
(c) そうでないとしても、被告には、花子に対し、分娩監視装置を装着しなかった過失がある。
仮に、分娩監視装置を装着していたならば、DICの基礎疾患の存在を発見し、対処することが可能であった。
(イ) 因果関係及び損害
花子は、被告の上記(ア)の過失により死亡した。
(a) 逸失利益
花子は、死亡当時、満32才の主婦として家事労働に従事していたものであり、本件により死亡しなければ、その後、67才まで35年間稼働し、平成7年賃金センサスの産業計、企業規模計、学歴計、女子労働者の平均賃金年間368万3400円を下らない収入を得ることができた。
花子の逸失利益は、生活費控除率を30パーセント、35年間に対する新ホフマン係数(19.9174)として算定すると、少なくとも5135万4600円を下らない。
原告らは花子の相続人であるところ、上記損害賠償請求権について法定相続分に従い、原告太郎はその2分の1である2567万7300円、原告春子及び原告夏男はその4分の1である1283万8650円をそれぞれ相続した。
(b) 慰謝料
花子が死亡したことにより、原告太郎、春子及び夏男は多大な精神的苦痛を被った。これに対する慰謝料としては、原告太郎につき、2000万円、原告春子及び原告夏男につき、各1000万円と認めるのが相当である。
イ 被告の不法行為責任
(ア) 被告の不法行為
被告は、上記(5)のとおり、P及びQに対し、診療録等の改ざんを指示し、自ら改ざんを行うとともに、Pを本件訴訟における証人として、同人に虚偽の証言をさせた。
(イ) 因果関係及び損害
被告の上記(ア)の行為により原告太郎は被告及び医師に対する信頼を完全に失い、多大な精神的苦痛を被った。これに対する慰謝料は2000万円を下らない。
(8) よって、原告太郎は、被告に対し、6567万7300円及びうち4567万7300円に対する花子死亡の翌日である平成9年3月27日から、うち2000万円に対する不法行為の後(請求の趣旨拡張申立書送達の日の翌日)である平成14年2月20日から各支払済みまで、年5分の割合による金員の支払いを、原告春子及び原告夏男は、被告に対し、各2283万8650円及びこれに対する平成9年3月27日から支払済みまで各年5分の割合による金員の支払を求める。
【乙事件】
(1) 当事者等
原告太郎及び被告につき、甲事件の請求原因(1)と同じ。
(2) 第3子の分娩に関する経過
ア 平成9年3月25日午後7時30分、花子は分娩のため、被告医院に入院し、分娩室に入室した。
イ 同日午後8時25分ころ、原告太郎は、被告から第3子は死産であった旨告げられた。
ウ 被告の作成した診療録(乙9の2)には、第3子の出生時のアプガースコアは3点であった旨の記載があり、この記載は児が生きて生まれたことを意味する。
(3) 被告の不法行為責任
ア 被告の過失
原告太郎の第3子は、診療録にアプガースコア3点と記載されている以上、死産ではなく、新生児死亡であったから、被告には、児の出産証明書及び死亡届を作成する義務があり、また、児の父親である原告太郎に対して、それらの事実を告げるべき義務があったにもかかわらず、被告は児を死産として扱った。
イ 因果関係及び損害
被告の上記過失により、原告太郎は、自らと花子の間の第3子の出生に関する各種届出及び命名を行う機会や、死亡届を提出して児を供養する機会を奪われた。
原告太郎が被った精神的苦痛に対する慰謝料としては、500万円が相当である。
(4) よって、原告太郎は、被告に対し、500万円及びこれに対する不法行為の日である平成9年3月26日から支払済みまで年5分の割合による金員の支払いを求める。
2 請求原因に対する認否
【甲事件】
(1) 請求原因(1)及び(2)の事実は認める。
(2) 同(3)について
ア アの事実は認める。
イ イの事実のうち、同日午後1時ないし1時30分ころ、葉子が被告に電話をし、花子の体調を説明するとともに、被告と花子が直接話をしたことは認めるが、その際、花子に対し、「今日は様子を見て、明日来院するように」と指示したことは否認する。
被告は、花子に対し、受診を勧めたが、同人が来院できない旨述べたため、様子を見て、翌日早めに来院するように、また、具合が悪ければすぐ連絡するようにと指示したのである。
ウ ウの事実は認める。
エ エの事実は認める。なお、花子が分娩室に入室したのは同日午後8時15分であった。
オ オ及びカの事実は認める。
カ キの事実のうち、被告が分娩室から出て、花子を救急車で医大病院へ搬送する旨告げたことは認めるが、同人の容態について説明がなかったことは否認する。
被告が、花子を医大病院へ搬送する手配のため、同病院の星和彦(以下「星」という。)教授に電話をしたのは、同日午後9時30分であるので、原告太郎らに対して、花子を医大病院へ搬送する旨伝えたのはその後のことである。
キ クの事実のうち、救急車が到着し、乗せられた救急車の車内で花子の意識があったことは認めるが、救急車が到着したのは、同日午後9時37分ころであった。
救急車内での血圧は120/70で正常であり、意識は明瞭で応答にも異常はなかった。
ク ケの事実は認める(ただし、医大病院に到着したのは午後10時10分ころである。)。
ケ コ、サ及びシの事実は不知。
コ スの事実は認める。
(3) 同(4)の事実のうち、DICについての説明は認める。花子の死因がDICと診断されていることは認める。
(4) 同(5)について
ア アの事実は認める。
花子に関する診療録等の一部を改ざんしたのは、当夜の担当の准看護婦であったOによる記載内容に、花子に対して行われた処置についての記録が十分でないところがあったためであり、被告には虚偽内容を記載する意図はなかった。
イ イの事実は認める。
(5) 同(6)の主張は争う。
(6) 同(7)について
ア(ア)(a) (a)の主張のうち、DICが、本件当時、産科において珍しい症例ではなかったこと、治療方法が確立していたことは争うが、他科の場合に比べて突然に発症し、経過が早く重篤化することは認める。
DICは、基礎疾患として、常位胎盤早期剥離、羊水栓塞、敗血症、子癇又は重症感染症、そして、2000シーシー以上の大量出血があるとされている。この大量出血の原因には、弛緩出血、頸管裂傷又は子宮破裂が考えられる。
後記3(被告の主張)のとおり、花子については、常位胎盤早期剥離の症状はなく、羊水栓塞、敗血症、子癇及び重症感染症も認められなかった。他方、弛緩出血又は頸管裂傷による出血はあったが、その量は450シーシー強であって、500シーシーを超える異常出血があったとまではいえないし、子宮破裂を疑う所見もなかった。加えて、分娩時及び分娩後の出血を受ける膿盆内に貯留した血液には血球成分と血清成分との分離が見られ、DIC特有のさらさらした血液は認められず、血圧は110/80、脈拍は78、尿量は75シーシーで、注射部位や歯肉からの出血もなく、蒼白も冷汗もなかった。
以上の状態から、被告は、花子がDICを発症しているとの疑いを持たなかった。また、医大病院へ転送された直後には、DICと診断されるような症状は認められなかった。
しかしながら、被告は、平成9年3月25日午後9時33分の時点で、少量とはいえ出血が持続していたことを考慮して、DICを発症する可能性を想定し、花子を医大病院に転送させる措置をとったのであるから、被告に適切な措置を怠った過失はない。
また、原告らの出血量の算定式に関する主張については、そもそも、一般の病理における計算式は20ないし30パーセントの誤差があるとされている上、花子の体重が55キログラムであること及び平成9年3月7日時点の血色素を前提とする点については、成人一般の体重を前提とする血液所見が、妊婦の体重に関しても当てはまるとはいえないし、妊婦のヘモグロビンは臨月最終になると下降するところ、同月7日から同月25日までの血色素はさらに減少したと考えられるから、失当というべきである。
なお、ショック指数から失血量を推算することができるとされ、(脈拍数/収縮期血圧=ショック指数)として、ショック指数0.5が正常値で、1.0の場合には10ないし30パーセント(1000グラム)の失血があるとされるところ、後記3(被告の主張)(1)オ(ア)の花子の救急車内における状態を前提とすると、130/150=0.866であり、866シーシーの出血が想定されるものの、これによっても、原告らの主張のような1500シーシーを超える出血はなかったというべきである。
(b) (b)及び(c)の主張は争う。
被告は、花子に対し、様子を見て来院するよう促していたし、産科DICは突然発症することが特徴であり、その発症を予測することは困難である。また、本件においては、分娩監視装置を装着する間もなく分娩に至った。
(イ) (イ)の主張はいずれも争う。
イ(ア) (ア)の事実は認める。
(イ) (イ)の主張は争う。
なお、前述したとおり、被告には、診療録等に虚偽内容を記載する意図はなかったし、偽証教唆罪によって有罪判決を受けているから、原告太郎の損害については、これらの事情が反映されてしかるべきである。
【乙事件】
(1) 請求原因(1)の事実は認める。
(2) 同(2)のうち、被告の作成した診療録に児のアプガースコア3点と記載されていることは認めるが、児が生きて生まれたことは否認する。
被告は、後記3(被告の主張)のとおり、娩出後直ちに、児に対し、蘇生術を行ったが、反応しなかったので、死産と判断した。
アプガースコアの判断は視触診によるものであり、主観が入ることが避けられない上、被告は、原告太郎らに対し、欲目で3点であった旨説明をしたことから、そのように記載したものである。実際には死産であった。
(3) 同(3)について
同(3)の主張は争う。
3 被告の主張
(1) 花子に対する診療経過に関する被告の主張は、以下のとおりである。
ア 初診から平成9年3月24日まで
被告は、平成9年2月12日、前医である秋山尚美(以下「秋山」という。)医師の紹介により、花子を初めて診察した。その後、同月26日、同年3月7日、同月17日、同月24日にも診察をしたが、血圧及び尿蛋白等に異常は認められなかった。
花子の分娩予定日は平成9年4月11日と推測された。
イ 同年3月25日の分娩まで
(ア) 同日午後1時30分ころ、葉子が被告医院に電話をしてきた際、被告が花子と話をしたところ、体がだるく、熱は38.5度あるが、頭痛はなく、腹痛や腰痛はないと述べた。
(イ) 同日午後7時ころ、原告太郎からの電話に応対した看護婦は、花子に陣痛があることを確認し、外出先の被告に連絡を取った。そこで、被告は、原告太郎に電話をし、花子を来院させるよう指示するとともに、看護婦に花子が来院することを連絡した。
(ウ) 花子は、被告医院に到着した後、独歩で階段を上り、同日午後8時15分に陣痛室に入ったが、途中、陣痛が2回あった。
(エ) Oは、花子を分娩室に入らせ、下着だけをとって分娩台に上がらせた。そのとき、下着にはほんのわずかの出血の跡があり、破水はしていなかったが、外から見て子宮口は全開大であった。
(オ) 被告は、帰院後すぐに分娩室に入り、花子を診察したところ、胎胞膨隆があり、子宮口は全開大であったので、消毒した四角布を敷く、膿盆を患者の臀部下に置くなどお産の準備をした。
このとき、花子の血圧は110/78、脈拍は60、体温は38.5度であった。
(カ) 被告が人工破膜を行い、花子は、午後8時25分、児を正常分娩で娩出した。児は男児で、体重2920グラム、身長48センチメートルであった。
ウ 分娩後
(ア) 被告は、花子に対し、メテルギン(マレイン酸メチルエルゴメトリン、子宮収縮止血剤)1シーシー、1Aを注射した。
(イ) 被告は、児の出生後1分以内のアプガースコアを心拍数1点、呼吸0点、足底刺激に対する反応1点、筋緊張1点、皮膚の色0点の合計3点と評価した。そのため、サクションボールによる鼻腔及び口腔の吸引、ベビー吸引チューブによる鼻腔内の吸引を行った。さらに、アンビューバックを使用し、心マッサージを行い、メイロン(アルカリ化剤)5シーシー、5パーセントブドウ糖5シーシーを児に臍注するなどの心肺蘇生術を試みたが、児は啼泣せず、反応しなかった。
被告は、花子及び廊下にいた原告太郎ら親族に対し、死産であった旨説明した。
(ウ) 被告は、同日午後8時30分ころ、胎盤を娩出させたが、胎盤に凝血塊が付着するなどの異常は見られなかった。
(エ) 子宮の収縮がやや不良であったので、ラクテック(ラクトリンゲル液、補液)500シーシー、アトニン(オキシトシン、子宮収縮剤)5単位、1A、パニマイシン(抗生物質)100ミリグラム1Aを点滴にて静脈注射した。
(オ) 被告は、花子の子宮頸管からの出血を認め、裂傷を縫合し、会陰部も縫合した。
エ 出血の持続
(ア) その後、診察したところ、子宮腔内からの出血が認められたので、オキシセルガーゼ(止血剤)を子宮内に挿入した。
(イ) 被告は、子宮双手圧迫をし、子宮に冷湿布をした。
(ウ) ラクテックの残量が約250シーシーになった時点で、ラクテックに替えて、プラズマ・プロテイン・フラクション(血糖分画製剤。略称PPF。以下「PPF」という。)250シーシーの静脈注射を行い、その後、さらにPPF250シーシーを追加した。
(エ) その後、子宮収縮は良好となったが、少量の出血は持続した。
(オ) 花子の顔色は不良で、血圧は110/80、脈拍は78であり、尿は透明で70ないし75シーシーであった。
(カ) 被告は、このまま出血が持続した場合には、DICに移行する可能性があることを想定し、子宮摘出も考慮する必要があると判断した。
(キ) 被告は、同日午後9時30分ころ、止血を試みたものの、少量の出血が持続し、状態が改善しないため、医大病院の星教授に電話をし、患者が、死産分娩後、少量の出血が続いていて止まらない旨説明し、医大病院での受入れについて承諾を得て、花子及び同人の親族に医大病院へ転送することを説明した。
(ク) 花子は、救急車到着後、ストレッチャーで救急車内に運ばれ、被告及び葉子夫妻が救急車に同乗した。このとき、同日午後9時46分ころであった。
オ 救急車内及び医大病院における処置
(ア) 花子の救急車内での脈拍は毎分130回、血圧は150/100、意識は明瞭で、応答に異常はなかった。救急車内でPPF250シーシーを追加した。
(イ) 午後10時10分ころ、医大病院に到着し、花子は1階の救急室に運ばれた。このとき、花子の血圧は120/90、脈拍は120、末梢冷感があり、清明とはいえないものの、意識はあり、花子は、診察した平田修司(以下「平田」という。)医師からの傷跡についての質問に、卵巣嚢腫の手術痕である旨自ら説明していた。
(ウ) 18ゲージの太さの注射針を使用して、花子の左腕に点滴のルートが容易に確保され、輸液(代用血漿)をした。超音波検査の結果、腹腔内及び子宮内に出血は認められず、尿量は少量あった。
(エ) その後、平田医師は、被告に対し、花子を3階の分娩室に移して様子をみる旨告げて、花子を移動させた。
被告は、3階の廊下で約20分ほど待機していたが、午後11時ころ原告太郎に送ってもらい、帰院した。
ただし、平田医師ら医大病院の医師らは、午後10時30分から40分ころまでの間にDICを疑い、午後10時30分から50分ころまでの間の出血量が700シーシーであることを確認したことから、午後11時ころ、アンチトロンビンⅢ(アンスロビンともいう。)を注射するなどしていた。
(オ) 被告は、帰院後、星教授から花子に輸血が必要なので、家族に医大病院に来てもらいたい旨の連絡を受け、原告太郎は医大病院へ戻った。
(カ) 翌26日午前零時ころ、星教授から被告に電話があり、出血が止まらないので、輸血を行い様子を見ている旨の説明を受けた。
(キ) 同日午前3時ころ、星教授から、花子の容態が思わしくない旨の連絡があった。
(ク) 同日午前4時30分ころ、星教授から、花子が同日午前4時5分、DICにより死亡した旨の連絡を受けた。
(2) 証明妨害について
上記2【甲事件】(4)ア記載のとおり、被告が花子に関する診療録等の一部を改ざんしたことは事実であるが、その理由は、当夜の担当の准看護婦であったOによる記載内容には、花子に対して行った処置が十分に反映されていなかったためであり、被告には虚偽内容を記載する意図はなかった。
被告は、平成9年8月4日、本件訴え提起前の証拠保全決定の送達を受け、花子に関する診療録等を確認したところ、記載内容が不十分であると感じたものの、Oが同月3日以降、突然に出勤しなくなっており、しかも出勤を要請することは困難と考えたことから、Pに対し、自己の記憶及びOの記載した内容に従って、診療録等を書き直させるとともに、自ら書き直したのであり、乙8ないし乙11号証の記載内容に事実と食い違う点はない。
原告らは、被告による診療録等の改ざんを理由に、上記1【甲事件】(6)のとおり、原告らの主張が真実と認められるべきである旨主張するが、乙8ないし11号証の作成の経緯は上記のとおりであるから、その記載内容すべてについて証拠価値を否定されるべきではないし、原告らの出血量に関する主張については上記2【甲事件】(6)ア(ア)(a)記載のとおり、十分な根拠がないし、証人Oの証言に照らしても、その主張を真実と認めることはできないというべきである。
理由
第1 甲事件について
1 請求原因(1)及び(2)の事実については当事者間に争いがなく、原告太郎は花子の夫であり、原告春子及び原告夏男は原告太郎と花子との間の第1子及び第2子であること、被告は肩書住所地において、Y産科婦人科医院との名称で医院を開業している医師であること、花子は平成9年2月12日、被告との間で、定期的かつ適宜に被告の診療を受けること及び第3子の出産、産前産後の医療処置を受けることを内容とする契約を締結したことが認められる。
2 原告らは、被告による証明妨害を主張するので、請求原因(3)以下の事実について判断するに先立ち、この点について判断する。
(1) 診療録等の作成に関する事実経過
上記争いのない事実に証拠(甲2、14、15、18の7・8・10、甲21、乙20ないし29、証人葉子、証人O、被告本人、原告太郎)、当裁判所に顕著な事実及び弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められる。
ア 被告医院における平成9年3月25日の夜勤の担当看護婦は、Oであり、Oが花子の出産に立ち会った。
Oは、同月26日午前の日勤の看護婦との引継時までの間に、産科温度表(乙8)及び看護記録(乙11)を作成したものの、被告の処置について一部未記入のままであり、また産科入院時アナムネに自らはまったく記入していなかった。Oは、日勤の看護婦に対し、書き終えられなかった点について、自分の腕にペンで書いたものを見ながら口頭で説明し、記入するよう依頼した。
イ 被告は、平成9年3月26日午前零時ころ、医大病院から帰院し、パルトグラム(乙9の1)、新生児及び付属物記録(乙9の2)に記入するとともに、死産証書を作成し、同日中に、花子の遺族に対して死産証書を交付した。
ウ 原告太郎は、平成9年4月21日、姪の丙川梅子及び葉子とともに被告方を訪れ、花子の分娩について被告から説明を受けた。被告は、2月に花子の診察を始めてから3月24日までの診察の経過、25日当日の電話での花子とのやりとり、分娩の様子、分娩後出血が止まらず、医大病院に搬送した経緯など、ひととおりの事実経過を説明したが、母子の死亡原因についてはまったくわからないなどと述べた。
エ Oは、平成9年8月2日付けで被告医院を退職した。退職の直前に支給された夏のボーナスの支給率が他の看護婦らに比べて低かったことや、同日、被告に対し、新生児の状態が良くないと報告した際にその意見を取り上げられなかったことから、自分が被告に信頼されていないと感じ、勤務を続ける意欲がなくなったことが原因であった。
被告は、その直後、Oに対し、看護婦の人数が足りなかったことから、復職を求めたが、断られた。被告は、Oの退職の原因は、ボーナスの支給率を他の看護婦らに比べて低くしたことにあると考えた。
オ 原告太郎は、本件訴え提起に先立つ平成9年7月9日、被告を相手方として、被告医院において花子の診療録、看護記録、各種検査票その他診療関係資料を検証することを目的とする証拠保全を当裁判所に申し立て、当裁判所は、同年8月1日、これを認めて証拠保全決定をした。検証期日は同月4日午後2時と定められ、同月4日午後1時、証拠保全決定が被告に送達された(当裁判所に顕著)。
被告は、上記決定を受け取った後、花子に関する診療録等を用意して内容を確認したところ、看護婦が記載すべき部分に不十分な点があり、自分の行った処置で記入されていないものがあると感じた。被告は、花子の死亡に関して今後原告らから訴訟を提起されることを想定し、その場合、診療録等の記載が不備であると被告の立場が不利になると考え、このまま診療録等を検証されてしまえば困ったことになるとの焦燥感から、花子の出産時に立ち会っていたOに対し、加筆を求める必要があると考えたが、同人の退職のいきさつが上記エのとおりであったことから、協力に応じてもらえないものと考えた。
そこで、被告は、上記決定送達の直後、平成元年の被告医院の開業当初から被告医院に勤め、被告の治療上の処置を熟知しているPに協力を求めて記録を改ざんしようと考え、Pの自宅に電話をして呼び出し、平成9年3月25日の花子に関する診療録等を、Pが当日夜勤であったものとして、書き直しをするよう求め、同人はこれに応じて書き直した。
Pが書き直した診療録等は、産科温度表(乙8)、パルトグラム(乙9の1)、新生児及び付属物記録(乙9の2)、産科入院時アナムネ(乙10)、看護記録(乙11)であり、被告が書き加えたのは、産科入院病歴(乙7の1)、入院病歴要約(乙12)であった。
カ 被告は、平成9年8月4日午後2時から行われた証拠保全の証拠調期日において、上記オのとおり書き直された診療録等を提示した(当裁判所に顕著)。
上記証拠調期日の約4日後、被告は、もとの記録を手許に残しておくことは都合が悪いと思い、書き直し前の産科温度表(乙8)、パルトグラム(乙9の1)、新生児及び付属物記録(乙9の2)、産科入院時アナムネ(乙10)、看護記録(乙11)をシュレッダーで裁断し、廃棄した。
キ その後、Pは、被告の依頼を受け、平成11年3月2日の本件第5回口頭弁論期日において、平成9年3月25日の夜勤の看護婦であったとして虚偽の証言を行い、被告は、Pが同日の夜勤の看護婦であるとして、平成11年8月3日の本件第7回口頭弁論期日及び同年10月26日の本件第8回口頭弁論期日の被告本人尋問において供述を行った。
被告とPは、上記尋問に先立ち、平成9年3月25日の診療内容について約10回にわたり、打合せを重ねた上で、本件訴訟代理人である五味和彦(以下「五味」という。)弁護士に対する説明を2、3回行った。その後、Pは、五味弁護士の事務所において、被告同席の下で証言のリハーサルを行い、尋問期日の前日にも、被告医院において、被告及びQの面前で証言のリハーサルを行った。
被告は、Pに対する上記説明及び同人の証言内容を前提として被告本人尋問における供述を行った。
ク 平成13年6月26日、原告らから、被告の保管する平成9年度にかかる分娩台帳、看護婦らの保管する分娩帳と題するノート、看護婦らの賃金台帳、看護婦らの勤務表に関する文書提出命令の申立てがされた。
被告は、同年7月2日ころ、本件訴訟代理人である五味弁護士から上記分娩台帳等の有無を電話で尋ねられた。その際、被告は、分娩帳は古いものなので、すでに処分したが、分娩台帳は保管している旨回答した。
被告は、実際には、同日当時、分娩帳も分娩台帳も保管しており、分娩帳については、上記電話の直後にシュレッダーで裁断し、分娩台帳については、担当看護婦欄が空白であったので、従前から記入を担当していたQに「P」と記入させた上で、同月4日、五味弁護士の事務所に呼ばれた際、上記分娩台帳の花子に関する記録が記載されているページのみをコピーして持参した。
被告は、同日、五味弁護士から花子に関する記録が分娩台帳のページ末尾に記載されているため、その次のページのコピーも用意するように指示され、帰院後、分娩台帳を確認したところ、花子に関する記録の次のページに、平成9年3月26日午前6時42分にあった分娩について、Oが立ち会った旨の記録があることを認めた。
被告は、次のページをコピーして五味弁護士に見せれば、3月25日の夜勤がOであることが発覚し、花子の分娩に立ち会った看護婦がPでないことが分かってしまうと考え、分娩台帳を作り直して改ざんすることとし、印刷会社に対し、至急、分娩台帳を作成してもらいたい旨注文し、平成13年7月30日午後、印刷会社から分娩台帳用の冊子を受け取った。その後、被告は、Qに指示して、元々あった分娩台帳の花子に関する記録が記載されているページ及び次ページの記載内容を新たな冊子に書き写させ、残りの部分については、自ら書き写して、同年8月2日、五味弁護士の事務所に、Q及びPとともに、新たに記載された分娩台帳を持参した。また、被告は、看護婦等の勤務表及び賃金台帳についても、上記文書提出命令申立てを知った後に廃棄した。
五味弁護士は、被告が看護婦のすり替え工作を行っているとは思っていなかったため、上記分娩台帳の花子に関する記録が記載されているページ及び次ページのみをコピーし、また、Qから分娩台帳の作成経過に関して聴取し、この分娩台帳が花子の分娩直後に作成されたものであるとの陳述書(乙20)を作成させ、これらを乙19号証の1・2及び乙20号証として提出した。
ケ 原告らの訴訟代理人は、看護婦がすり替えられているとの疑問をもとに調査を行い、原告太郎は、平成13年10月31日、偽証の疑いで被告とPを甲府地方検察庁に告発した。その結果、被告及びPは、偽証教唆及び偽証の罪で起訴され、平成14年3月29日、甲府地方裁判所において、これらの罪により、被告は懲役1年6月、3年間執行猶予の、Pは懲役1年、3年間執行猶予のそれぞれ有罪判決を受け、両人に対する判決は同年4月13日に確定した。
同裁判所によって認定された犯罪事実の概要は次のとおりである。
「被告は、平成9年3月25日に被告医院で分娩した花子がその後死亡したことに関し、原告らから損害賠償請求訴訟を提起されていたところ、真実は、上記分娩に立ち会った看護婦はOであり、Pはこれに立ち会っておらず、上記分娩の状況及び被告の採った処置等を自ら直接体験していなかったのに、Pをして、上記分娩に立ち会った看護婦として証言させようと企て、平成10年11月中旬ころ、被告医院において、同人に対し、当裁判所における証人尋問の際には、あたかも同人が上記分娩に立ち会った看護婦であって、上記分娩の状況及び被告の採った処置等を自ら直接体験したかのように虚偽の陳述をすることを依頼し、Pをしてその旨決意させ、その結果、平成11年3月2日、当庁法廷において、口頭弁論期日の証人として宣誓したPをして、上記依頼のとおり虚偽の陳述をさせ、もって偽証を教唆した。」「Pは、被告から上記のとおりの依頼を受け、その依頼に係る陳述内容が虚偽であることを知りながらこれを承諾し、平成11年3月2日、当庁法廷において、口頭弁論期日に証人として尋問された際、宣誓の上、自己の記憶に反し、あたかも自己が上記花子の分娩に立ち会った看護婦であって、同分娩の状況及び被告の採った処置等を自ら直接体験したかのように虚偽の陳述をし、もって偽証した。」
コ 原告太郎が、偽証の疑いで被告とPを甲府地方検察庁に告発した事実は、平成13年11月1日の山梨日日新聞で大きく取り上げられた。
サ 被告は、同月6日、上記オないしクの改ざん工作、偽証工作の経過をまとめた上申書を当裁判所に提出した。
(2) 以上の事実によれば、被告が証拠として提出した産科温度表(乙8)、パルトグラム(乙9の1)、新生児及び付属物記録(乙9の2)、産科入院時アナムネ(乙10)、看護記録(乙11)、入院病歴要約(乙12)、分娩台帳(乙19の1・2)は、いずれも、被告が花子を診察した当時に作成されたものではなく、本件訴訟に先立つ証拠保全決定の送達以降、被告が改ざんした後のものであることが認められる。
被告がこれらの診療録等を書き直し、Pに書き直させた動機は、上記(1)のとおりであると認められるが、被告及び被告から指示を受けたPによる書き直しの箇所が診療録等の大半にわたっていること、内容が、平成9年3月25日に被告の行った診療行為及び処置全般にかかわるものであること、書き直しが行われた時期が、診療時から約4月余り経過後(分娩台帳については、約4年3月経過後)であることに照らすと、被告が書き直し、Pに書き直させた部分のうち、花子の分娩時の立会看護婦をPとする部分が虚偽であることはいうまでもないし、それ以外でも、後から書き加えられたことが明らかな部分は、自分にとって不利な記載は消去し有利な記載を残そうという被告の意図によって真実がゆがめられている可能性が非常に高く、証拠価値は低いといわざるをえない。さらに、被告は、原告太郎が本件訴訟の準備作業というべき証拠保全の申立てをしてから本件訴訟係属後にいたるまで、この一連の改ざん及び偽証工作を行っているのであり、この被告の行為は端的に本件訴訟における原告らの立証活動の妨害及び被告に有利な証拠の捏造と評価されるべきものであるから、改ざんされた上記各文書を証拠として提出することは訴訟当事者に要求される信義誠実の原則(民訴法2条)に違反するものといわなければならない。
したがって、産科温度表(乙8)、パルトグラム(乙9の1)、新生児及び付属物記録(乙9の2)、産科入院時アナムネ(乙10)、看護記録(乙11)、入院病歴要約(乙12)、分娩台帳(乙19の1・2)については、争いのない事実及び争いがないと考えられる事実に関する記載を除き、証拠能力を認めることはできない。
また、証人Pの証言については、上記(1)キのとおり、偽証をしたことが明らかであるし、Qの陳述書(乙20)の作成経過については上記(1)クのとおりであるから、いずれも証拠能力を認めることはできない。
(3) 原告らは、本件診療録改ざん行為等は証明妨害であり、証拠所持者(被告)の相手方である原告らの主張する事実を真実と認めるべきであると主張する。
ところで、証明妨害行為があった場合、裁判所は、要証事実の内容、妨害された証拠の内容や形態、他の証拠の確保の難易性、当該事案における妨害された証拠の重要性、経験則などを総合考慮して、事案に応じ、証明妨害の効果を決すべきであると解される。
本件において、改ざんされた診療録等の重要性はいうまでもないが、他の証拠及び弁論の全趣旨から認められる診療経過、原告らの主張する被告の過失の内容と診療録等の記載の関連性の程度、被告が、当初、診療録等を改ざんすることを決意したのは、上記(1)オのとおり、看護婦が記載すべき部分に不十分な点があり、自分の行った処置で記入されていないものがあると感じたことにあったことなども総合考慮すると、被告の証明妨害行為から直ちに原告らの主張する被告の過失を基礎づける事実が認定されることになるものではなく、その他の証拠に基づいて認められる事実を前提として、原告らの主張する被告の過失を認めることができるか否かを判断すべきである。また、同様に、被告本人尋問における供述についても、同人の供述のすべてについて証拠能力を否定すべきではなく、その他の証拠と照らして信用することができるかどうかを吟味する必要があるというべきである。
したがって、証明妨害の効果に関する原告らの主張を直ちに採用することはできないので、以下、証拠能力のある証拠に基づき事実を認定する。
3 請求原因(3)(分娩当日と翌日の経過)について
(1) 同ア、ウないしカ、ケ及びスの事実、イの事実のうち、平成9年3月25日午後1時ころ、葉子が被告に電話をし、花子の体調を説明するとともに、被告と花子が直接話をしたこと、キの事実のうち、被告が分娩室から出てきて、花子を救急車で医大病院へ搬送する旨告げたこと、クの事実のうち、救急車の車内で花子の意識があったことについては、当事者間に争いがない。
(2) 上記(1)の争いのない事実、証拠(甲1、2、4、5、6、22の1ないし22の3、乙3、6の1・2、11、13、14、21、22、25、証人平田、証人葉子、証人O、原告太郎本人、被告本人)及び弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められる。
ア 花子は、第3子を妊娠し、秋山医師の経営する秋山医院において診察を受けていた。花子は、平成元年1月19日、社会保険山梨病院において、卵巣嚢腫の手術を受けた病歴があるが、妊娠の経過に格別異常はなかった。平成8年10月11日の採血検査では、血色素は12.6g/dlであった。秋山医師の診察によれば、分娩予定日は平成9年4月11日であったが、同医院では出産ができないことから、花子は、同年1月28日、被告医院を紹介された。
イ 花子は、平成9年2月12日、被告医院を訪れ、被告の診察を受けた。
その後、花子は、同月26日、平成9年3月7日、同月17日及び同月24日と、被告医院に4回通院した。体重は、妊娠約34週以降約55キログラムであり、上記各日に測定された血圧は、それぞれ104/56、116/50、118/60、118/56であった(乙6の1)。また、同月7日の採血検査によると、血色素は10.6g/dl、血小板数は28万であった(乙3)。
同月7日の診察で花子が風邪をひいて咳をしていたため、風邪薬(4日間分)が処方され、同月17日及び同月24日に貧血の薬(各7日間分)が処方された。
なお、平成9年3月24日、花子は、お腹が時折張る旨訴えたが、子宮口は閉じていたことから、被告はまだ出産には至らないであろうと判断した。
ウ 同月25日午前、花子は、吐き気を覚えるとともに、38.5度の発熱があった。
エ 同日午後1時ころ、隣家に住む葉子が、花子の様子を見に原告太郎宅に行った際、被告に対し、電話で花子の様子を説明した。被告は、その際、花子と直接話をし、花子から「熱が38.5度あり、体がだるいが、頭は痛くない。」、「お腹は少し張る。」などと説明を聞いた。
被告は、花子が平成9年3月7日に訴えた風邪が再発したのであろうと考え、花子に対し、「今日は様子を見て、明日来院するように。」、「ただし、その間に何かあったらすぐ連絡するように。」などと指示した。
オ 同日午後7時ころ、花子は、しきりに腹をさすって、「具合が悪い、あげっぽい」と訴え、原告太郎に対し、被告医院に電話をかけてほしい旨頼んだ。
原告太郎は、被告医院に電話をかけ、看護婦が電話口に出たところで、花子に代わり、花子は、看護婦に対し症状を伝えた。
当夜の夜勤の担当はOであり、同人は、花子に対し、被告と連絡を取って折り返し電話をするので待機するよう指示した。
カ Oは、被告の所持しているポケットベルに連絡したところ、被告から電話があったので、被告に対し、事情を説明した。
キ 被告は、カの報告を受けて、午後7時10分ころ、花子に対し、被告医院に来るよう電話で連絡した。
ク 同日午後7時30分すぎ、花子は、原告太郎の運転する車で長女とともに被告医院に到着したが、被告は帰院していなかった。花子は、同日午後8時15分ころ、2階の分娩室に独歩で入室した。
ケ Oは、花子を分娩台に上がらせて、出血を確認したところ、少量の出血を認め、花子が経産婦であることから、すぐに分娩が始まる可能性もあると考えた。
コ その後まもなく、被告は、被告医院に到着し、白衣に着替えて分娩室に入室した。被告は、花子を視診すると、子宮口が全開大であったことなどから、早く産ませた方がよいと判断し、人工破膜を行った。
そのころ、原告太郎は、桜子に対し、電話をかけ、被告医院に来てもらうよう伝えた。
サ 同日午後8時25分ころ、花子は、男児(体重2920グラム、身長48センチメートル、頭囲33センチメートル、胸囲33センチメートル)を前方頭位で娩出した。
被告は、男児の1分後のアプガースコアは3点(心拍数1点、反射1点、筋緊張1点。)と評価し、直ちにメイロン5シーシー及び5パーセントブドウ糖5シーシーを臍注したり、アンビューバッグによる人工呼吸や心臓マッサージをしたり、口腔・鼻腔内吸引をするなど1分程度、蘇生術を施行した。しかしながら、男児は反応しなかったことから、被告は男児を死産と扱うことにした(乙8、9の1・2、乙11、12、証人O、被告本人)。
シ その直後、被告は、分娩室から出て、原告太郎及び桜子に対し、死産であった旨告げた。桜子が花子の様子を尋ねたところ、被告は、「お母さんを助けなきゃならんじゃんね。」と答えて、分娩室に戻った。桜子は、葉子に対し、電話をかけ、すぐ被告医院に来るよう伝えた。
ス 午後8時30分ころ、被告は、花子から胎盤を娩出させ、これを観察したが、凝血塊が付くなどの異状は見られなかった。ただ、子宮の収縮がやや不良であったため、子宮収縮剤(ラクテック500シーシー、パニマイシン1A、アトニン1A)を点滴で投与した。
被告は、花子に子宮内頸管からの出血が認められたため、頸管裂傷を縫合し、会陰部も縫合した(乙22、被告本人)。
クスコを膣内に入れて確認したところ、子宮腔内からの出血が続いていたため、被告は、弛緩出血があるものと判断し、オキシセルガーゼを子宮腔内に挿入した。加えて、被告は、手を使って圧迫したり、子宮底の輪状マッサージをしたり、アイスノンを子宮底に載せるなどした。
被告は、花子に出血が続いていたため、ガーゼを膣内に挿入したり、双手圧迫などの方法により止血を試みた。
セ その後も、花子には少量の出血の持続が見られたため、被告はプラスマネート(加熱人血漿蛋白。プラズマ・プロテイン・フラクション、略称PPF。出血性ショックに対する適応を有する。)の点滴を約3本から5本行った。
被告は、このまま出血が持続した場合にはDICに移行する可能性があることを想定し、何とかして止血しなければならないと考え、その方法として、花子に対し、子宮を摘出しなければならないかもしれない旨伝えた。
ソ 同日午後9時30分ころ、被告は、少量の出血が持続したまま、状態が改善しないため、子宮摘出手術を行うことを考えたものの、麻酔科医に連絡がとれなかったため、被告医院で手術を行うことはできないと判断し、医大病院に花子を転院させることにした。
被告は、分娩室を出て、星教授の自宅へ電話をかけ、同教授に対し、医大病院で花子を診てもらいたい旨伝え、承諾を得た。
被告は、同日午後9時33分、自ら救急車の出動を要請した後、分娩室に戻り、Oに対し、その旨伝えるとともに、原告太郎に対し、花子を救急車で医大病院へ搬送する旨告げた。
医大病院の診療録(甲4)には、死産分娩後出血多量の患者を搬送する旨の記載が、救急原票(乙14)の傷病名欄には、「産後出血多量」との記載がある。
タ 星教授は、自宅から医大病院に電話をかけ、当直医であった平田医師に対し、被告から聞いた内容を伝えた。
チ 同日午後9時37分、救急車が被告医院に到着した際、花子は介助を受けながらも、自力で分娩台からストレッチャーに移動した。救急車内には、被告のほか、葉子夫妻も同乗して、午後9時46分、被告医院を出発した。
ツ 救急車内での花子は、顔面蒼白で虚な表情であり、心拍は毎分130回と早く、血圧は150/100で心電図では洞性頻脈と判定されたが、意識レベルは良好であり、出血はなかった。
同日午後9時55分ころ、被告は、平田医師に対し、救急車内からの電話で、花子の意識レベルは良好である旨伝えた。
テ 救急車は、午後10時10分、医大病院に到着し、花子は1階の救急処置室に搬入された。平田医師は、花子について、星教授から死産分娩後出血多量の患者であると聞かされていたのみであった。
平田医師らが検査に当たったが、このとき、花子の血圧は120/90、脈拍は122で、手足の先は冷たかった。また、意識は清明ではないもののあり、平田医師から下腹部正中切開創について質問されたのに対し、花子は、卵巣嚢腫の手術痕である旨回答した。性器からの出血はそれほど多くはなかった。
直ちに左手に18ゲージの太さの針で点滴のルートが確保され、輸液(ヘスパンダー、代用血漿)が開始された。さらに、採血がされ、緊急血液検査(クロスマッチ。輸血用血液との適合性検査のことである。)を行った結果、血色素は6.2g/dl、血小板数は4万1000であった。エコー検査によると、腹腔内出血は認められず、子宮内出血もなかった。
また、尿道バルーンを留置したところ、尿は暗かっ色であった。以後、尿量は次第に減少していった。
ト 同日午後10時20分ころ、救急処置室での検査がひとまず終わったことと、出血を抑制する必要があるとの判断から、花子は、午後10時25分ころ、救急処置室から3階東病棟の分娩室に移された。
被告は、花子が3階に移された後に帰院した。
ナ 同日午後10時30分ころ、花子の血圧は96/52、体温は37.7度であり、意識レベルは呼びかけに応じる程度であったため、マスクで酸素を投与した。平田医師が膣内ガーゼを抜去して診察すると、膣内に熱感があり、子宮収縮は不良ではないものの、子宮腔内からの出血があった。
そこで、双合圧迫をしたり、メテナリンやアトニン、プロスタグランジン(いずれも子宮収縮剤)を子宮の筋肉に注射したが、効果はなかった。また、花子がショック状態にあったため、ソルメドール(副腎皮質ステロイドホルモン)を投与し、同日午後10時40分ころからは輸血を開始した。
平田医師らは、このころ、子宮内の出血が非常に大量であり、かつ上記の処置が功を奏さず、出血が持続したことから、花子について血液の凝固障害があるものと推定し、DICの症状であると判断した。
ニ 同日午後10時50分ころ、花子の意識レベルが低下したため、平田医師は、救急部の医師を呼ぶとともに、直ちに経鼻挿管をした。また、上大静脈に点滴をするためのラインを確保し、血小板や凍結血漿(FFP。新鮮凍結血漿のこと)を大量に投与し、1時間当たりCRCを22単位、Plt(血小板のこと)を20単位、FFPを20単位を投与した。また、これと併行して膣内ガーゼを挿入したが、ガーゼの吸収量を超える700シーシーの出血があった。血圧は70/40程度にまで低下し、尿が出ない状態であった。
出血はその後も続き、午後10時50分ころ以後1時間の出血量は約1000グラムに達した。
同日午後11時ころ、花子に対し、抗DIC薬であるアンスロビン(アンチトロンビンⅢ製剤)5本を投与し始めた。
ヌ 同日午後11時15分ころ、平田医師は、葉子夫妻に対し、「母体からの出血多量でショック状態にあります。」、「手術ということもできない状態で、今は命を助けるのが先です。O型(+)という血液がかなり必要となりますので、まずは2、3人、血液を提供して下さる人を探して下さい。」などと説明した。
ネ 同日午後11時30分ころ、平田医師は、子宮腔内にガーゼ(2メートル)を2枚挿入し、更に膣内にガーゼタンポンを挿入し、また、腹壁上から圧迫を加えた。出血量は一旦減少したかに見え、意識レベルもやや回復したが、再び膣出血があった。
これ以後、花子は、問いかけに応答しなくなった。
ノ 翌26日午前零時15分ころ、Plt輸血と並行しつつ、生血の輸血が開始されたが、星教授は、原告太郎、桜子及び葉子夫妻に対し、「出血が多く、ショック状態にあります。」、「今、ガーゼで圧迫し、血液もどんどん入れています。」、「油断できない状態です。」、「出血の原因は早期胎盤剥離かもしれないが、今は原因を追究するより、とにかく出血を止めることが先です。」などと説明した。
ハ 花子の出血は、その後も依然として続き、同日午前零時45分から午前1時45分までの間に720グラム、午前1時45分から午前2時45分までの間に1200グラムの出血があった。そして、午前2時ころ、さらに呼吸状態が悪化した。
ヒ 同日午前2時30分、星教授は、原告太郎らに対し、「出血がなかなか止まらない。輸血をしているが、子宮以外の肺からも出血が見られる。尿も出てこなくなっている。」などと説明した。
この後、血圧が低下し、出血が1時間当たり200グラム程度に減少したが、呼吸管理が最優先と判断された。
フ 同日午前2時55分、星教授は、原告太郎らに対し、「症状はなかなか変わらない。呼吸管理が必要なので、ICUに移します。」などと説明した。
ヘ 同日午前3時15分ころ、花子は、分娩室を出てICUに向かったが、それまでに輸血された生血は、累計で5200ミリリットルに達していた。
同日午前3時20分ころ、花子は、ICUに入室した。二回ほど心拍が停止したが、心臓マッサージなどで、その都度心拍は再開した。
ホ 同日午前4時5分、花子は死亡した。
平田医師が作成した死亡診断書には、直接の死因として「播種性血管内凝固症候群」と記載されている。
マ 星教授は、桜子及び葉子の各夫に対し、花子はDICという状態になった旨説明するとともに、原因を確定するためには病理解剖が必要であるし、症例としても少ないので協力してもらいたい旨伝えた。しかし、原告太郎の同意が得られず、病理解剖は行われなかった。
4 請求原因(4)(花子の死因)について
DICについての説明及び花子の死因がDICと診断されていることについては争いがなく、証拠(甲12、13の3・4、乙15)及び弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実が認められる。
(1) DICの症状
DICとは、ある原因(基礎疾患)によって、血液凝固性が異常に亢進し、末梢小血管内に微小血栓が多発した状態をいい、微小血栓から末梢は循環不全となって血液が停滞し、低酸素症(ハイポキシア)や酸血症(アシドーシス)となり、血栓形成はさらに促進され、MOF(多臓器不全)が発生し、DICが高度になると凝固因子が大量に消費されて減少するため、出血傾向がより促進される。
(2) 産科DICの特徴及び対処法等
ア 特徴
産婦人科(特に産科)領域のDICは、他科に比べて、突然に発症し、経過が早く、重篤化し死亡する例も稀でないという点で特徴的であるが、タイミングを失することなく基礎疾患の早期排除(胎児・胎盤を娩出すること、出血部位の止血を図ること、感染が原因であれば感染源を除去することなど)を行えば救命率は高い。
イ 対処法
DICの診断は、通常、「厚生省(当時。現在の厚生労働省)DIC診断基準」に基づいて行われるが、産科領域のDICについては、妊産婦の血液所見は成人のそれとまったく異なっており、そのまま同基準のスコアリングをあてはめることはできないということや、急性又は超急性のことが多く、検査成績の判明を待たずに処置及び治療を進めなければならないという特異性があるため、産科臨床における診断については、検査成績に比重をおかず、基礎疾病の状態や臨床症状を主として作成された「産科DIC診断基準」が用いられることが多い。
対処法としては、基礎疾患の除去(胎児・胎盤を娩出すること、出血部位の止血を図ること、感染が原因であれば感染源を除去すること)、循環血液量の回復と同時に、凝固因子の補充にもなることから、輸血(①保存血、新鮮血、②新鮮凍結血漿、③濃縮血小板液)、投薬が考えられる。
産婦人科DICに対する投薬治療としては、まず、アンチトロンビン(ATⅢ。製剤としてはアンスロビン、ノイアートなど)が適応であり、基礎疾患の排除が困難な場合(羊水栓塞、悪性腫瘍などによるもの)や不可能な場合はヘパリンの適応になる。ただし、産婦人科DIC患者は手術あるいは分娩後の症例が多く出血傾向を増強させるおそれがあるため、ヘパリンは単独ではあまり用いられない。しかし、ATⅢとともに使用することによって、ATⅢの抗凝固活性を高める作用を持っており、併用療法として用いられることは多い。
また、DICが疑われる場合は、①輸血ルートを確保(20G留置針)する、②出血性ショックを長引かせないため、(ア)出血量800グラムで輸血確保、(イ)出血量が1000グラムを超えれば輸血を開始すべきである、③基礎疾患を速やかに除去する、④抗ショック及び抗DICの薬剤を準備する、⑤診療所においては、(ア)DICが疑われたら直ちに、(イ)出血量が1500グラムを超えた場合、(ウ)出血開始2時間後に止血傾向のない場合は、大病院へ転送すべきであるとされている。
5 同(5)(診療録等の改ざん及び偽証教唆)については、当事者間に争いがない。
花子に関する診療録等の改ざん及び偽証教唆の経緯については、上記2(1)のとおりである。
6 同(7)(被告の責任)について
(1) 債務不履行責任
ア 花子の症状はDICであったところ、原告らは、被告医院においてDICの兆候となる1598ミリリットルもの大量出血が認められたのであるから、被告には、DICに対する措置として、フィブリノーゲンやヘパリンを投与すべき義務、さらには、より早期に大病院に転院させるべき診療契約上の義務があったにもかかわらず、これらを怠った過失がある旨主張する。
そこで、花子の出血量について検討する。
(ア) 甲4、乙14の記載について
上記3(2)ソのとおり、医大病院の診療録(甲4)には、死産分娩後出血多量の患者を搬送する旨の記載があり、救急原票(乙14)の傷病名欄には「産後出血多量」との記載があるところ、証拠(証人平田)によれば、正常分娩時にも500シーシー程度の出血が見られるが、500シーシーを超えると、通常より出血量が多く、大量出血として対応すべきであるとされていることが認められる。
(イ) 証人Oの証言について
証人Oは、花子が救急車で搬送される直前の状態について、バイタルも異常がなかったし、ちゃんとコンタクトがとれていた、花子の出血につき、他の正常分娩と同程度の出血であったと記憶している、自分は、日勤の看護婦との引継時間までに診療録に書き終えなかった部分があるが、出血量についてはきちんと記入した、はっきり覚えていないが、500ミリリットルの計量カップ1杯に収まる程度の出血だと思う、そんなに多量ではなかった、少しずつ、たらたらという感じの出血だった旨証言している。また、証拠(乙28、証人O)によれば、Oが被告医院に勤務していた間に発生した妊婦の死亡例は花子のみであったことが認められるから、平成9年3月25日の花子の分娩前後の状況については、Oの印象に残っているものと考えられる。
そして、Oが被告医院を退職した経緯は上記第1の2(1)エのとおりである上、証拠(乙21、22、28、証人O)によれば、Oは、被告に信用されていないし、仕事ぶりを正当に評価されていないと常々不満に感じており、被告をあまり快く思っていなかったこともうかがわれるところ、そのような被告とOの関係にかんがみると、Oが、あえて被告にとって有利な内容の証言をするとは考えがたいところ、Oは、本件の証人尋問に先立ってされた平成13年10月末ころまでに行われた山梨日日新聞の取材(乙29)に対し、それほど大量の出血ではなかったと記憶している旨回答するとともに、証人尋問においても上記のように証言している。
そこで、O証言の信用性について検討するに、Oに対する証人尋問が実施されたのは平成14年4月30日であり、花子の死亡時から約5年経過後のことであることに照らすと、被告の行った投薬等の処置の詳細な内容や花子の出血量の具体的な数値に関するOの記憶は薄れており、不完全なものとなっている可能性が高いものの、上記事情に照らすと、O証言のうち、花子に関し、少なくとも、他の妊婦と比べ、分娩後に意識がなくなったなどの異常はなかったこと、出血量が相当大量のものではなかったことについては信用することができる。
(ウ) 原告らの推算式の合理性の有無
原告らは、通常の循環血液量は70ml/kgであり、これは血色素の値と正比例の関係にあるところ、花子の平成9年3月7日の時点での血色素は10.6g/dlであったが、同月25日に医大病院に搬送された時点では6.2g/dlに減少していたから、同月7日から同月25日までの間の花子(入院時の体重は55キログラムであった。)の出血量は、
(10.6−6.2)/10.6×70×55(体重kg)=1598(小数点以下四捨五入)
という数式で推算することができ、1598ミリリットルであったものと推定される旨主張し、輸血によるヘモグロビン(Hb)増加量について、
増加Hb(g/dl)=輸血Hb量÷循環血液量(dl)
循環血液量=体重(kg)/13
輸血Hb量=輸血量(ml)×14(g/dl)÷100
であるとする文献(甲20の1の表2)や、1単位(200)の赤血球輸血で65kgの患者の場合、約0.5〜0.6g/dlのヘモグロビン濃度の増加が計算されるとする文献(甲20の2、515頁左欄)によれば、逆に出血量を推算することができ、原告らの主張を裏付ける旨主張する。
しかしながら、分娩前に最後に血色素が測定されたのは、平成9年3月7日であって、分娩より20日近くも前であることからすると、血色素の数値の減少が出血によるものと直ちに言うことはできないし、証拠(乙15、30、証人平田)によれば、妊産婦の血液所見は成人のそれとまったく異なっていること、妊娠中は貧血に傾く傾向があること、血球量に対する血漿量の割合が相対的に増加し、水血症状態になることがあることが認められるから、輸血によるヘモグロビン値の増加と出血によるヘモグロビン値の減少が対応関係にあるとは必ずしもいえないというべきである。
他方、証拠(乙30)によれば、ショック指数から失血量を推算することが可能であり、ショック指数=脈拍数(分)÷収縮期血圧(mmHg)であるところ、ショック指数0.5は正常、1.0は10から30パーセントの失血(1000グラム)、1.5は30から50パーセントの失血(1500グラム)、2.0は50から70パーセント(2000グラム)の失血があるとされている。そして、上記3(2)ツのとおり、救急車で搬送時の花子の脈拍は130回/分、収縮期血圧は150であるから、被告医院を出発した直後の花子のショック指数は0.866で、出血量は約866シーシーであったと推算される。
イ 以上の事実に、上記3(2)チないしテのとおり、平成9年3月25日午後9時37分ころ、花子が介助を受けながらも、自力で分娩台からストレッチャーに移動したこと、同日午後9時46分から午後10時10分ころまでの間、救急車内で出血はなかったこと、同日午後10時10分ころ、平田医師が診察した時点で、性器からの出血はそれほど多くはなく、エコー検査でも、腹腔内及び子宮内出血はなかったこと、上記のとおり、診療録等が改ざんされたことを併せ考えると、花子の被告医院における出血量は、500シーシーを超えるものであったことが認められるが、原告らの主張する1500シーシーを超えるものであったとまでは認められないというべきである。被告本人尋問における同人の供述は、上記認定と合致する限度で信用することができる。
ウ そこで、被告医院における花子の出血量が500シーシーを超えていたが、1500シーシーに達しないものであったことを前提として、被告に花子をより早期に大病院へ転送すべき義務があったか否かについて検討する。
上記3(2)スないしソのとおり、平成9年3月25日午後8時25分ころ、花子が児を娩出した後、出血が少量ながらも持続し、止血処置をしても止血傾向が見られなかったことから、被告は、DICに移行する可能性を疑い、同日午後9時30分ころ、星教授に対し、医大病院での受入れを打診した上、同時33分には救急車を要請するとともに、同日午後9時30分以前の段階で、出血性ショックに対する適応を有するPPFの点滴を開始していたことに照らすと、上記4(2)イのDICが疑われる場合の対処法として行うべき措置をとっていたということができる。
また、上記3(2)テないしナのとおり、転送先の医大病院の平田医師らは、花子について死産分娩後出血多量の患者であるとしか聞かされておらず、被告医院における診療経過が不明であったため、基礎疾患を特定することができなかったり、緊急血液検査を行う必要があったとはいえ、同医師らがDICと判断するに至った時期は、花子を受け入れてから約20分経過後の同日午後10時30分ないし40分ころであることや、抗DIC薬(アンチトロンビンⅢ)の投与を開始した時期は同日午後11時ころであることに照らすと、被告において、児娩出後の被告医院における花子の症状の経過からDICの発症を疑い、より早期に、大病院へ転送すべき義務又はアンチトロンビンⅢやヘパリン等の抗DIC薬を投与すべき義務があったとは認められない(なお、原告らは、フィブリノーゲンを投与すべき義務がある旨主張するが、DICに対する治療としてフィブリノーゲンの投与をすべきであると認めるに足りる証拠はない。)。
エ また、原告らは、花子が被告に対し、平成9年3月25日午後1時の時点で発熱があることを訴えていたことを根拠に、被告医院内に入院させて経過観察をすべき義務や、分娩監視装置を装着すべき義務があった旨主張するが、産科DICは、上記4(2)のとおり、突然に発症することが特徴的であり、しかも急性や超急性のことが多いとされているから、原告らの主張するような義務を尽くしたとしても、花子についてDICの発症を疑わせるような異常を早期に発見することができ、さらには花子の死亡の結果を回避できたとは認め難い。
したがって、被告に上記義務違反があったとは言えないし、仮に被告に上記義務違反があったとしても、それらと花子の死亡の結果との間に相当因果関係を認めることはできない。
(2) 不法行為責任
ア 被告がP及びQに対し、診療録等の改ざんを指示し、自ら改ざんを行うとともに、Pに対し、本件訴訟における証人として虚偽の証言をさせたことは上記2(1)のとおりである。これを時系列的に整理して示せば次のようになる。
イ 医師である被告には、法律上、自己の作成すべき診療録の作成・保存義務があり(医師法24条)、かつ、個人開業医として患者に対する診療上の義務を一手に引き受ける立場にある。しかも、被告は、花子が分娩後の出血を契機として死亡するにいたった経過を十分知っていたのであるから、自己の患者についてこのような重大な結果が生じた以上、自己が作成すべき診療録を正確に作成する義務があるのはもちろんのこと、看護師に作成させていた看護記録等の診療録以外の診療記録についても、不備がないかどうかを点検すべきことは当然であったといえる。
しかし、Oは平成9年3月26日朝の夜勤明けの際、花子の診療について自分が記録すべき看護記録等に極めて不備な記載しかしなかったところ、被告は上記義務を怠り、記載内容不備の看護記録等をそのままにして放置した。
同年4月21日に原告太郎らが説明を求めに来た際、被告は、診療録等の内容を今一度点検する機会があった。花子の分娩から1か月も経っておらず、当時はまだOも被告医院に勤めていたのであるから、被告がOに対し、記憶を喚起して看護記録等に正確な記入をするよう求めていれば、その不備は是正できたはずであるが、被告はこのときも放置した。
同年8月4日に証拠保全決定の送達を受けると、被告は直ちに診療録等の改ざんをすることを決意し、Pをわざわざ呼び出して改ざん作業を行い、当日被告医院を訪れた裁判官に対し改ざん後の診療録等を提示し、もとの記録を廃棄した。
平成10年4月に本件甲事件訴訟が提起されると、被告は、訴訟においても診療録等改ざんの事実を隠蔽し、花子分娩時の夜勤看護婦がOではなくPであるとの虚偽の事実で押し通すことを決意し、自己が依頼した五味弁護士にそのように説明して同弁護士を欺いたばかりか、原告ら及び当裁判所をも欺き続けた。
Pの証人尋問が避けられなくなった段階において、五味弁護士に真実を告げてそれまでの非を正す機会があったにもかかわらず、被告はそれをせず、Pに偽証させることを決意し、周到にリハーサルを行ってPに偽証させ、また、自らも本人尋問においてこれを前提とする供述を行った。
平成13年になって、原告らから分娩台帳等の文書提出命令の申立てがされると、被告は、今度はQを巻きこんでそれらの一部を改ざんし、その余を廃棄するなどの隠蔽工作を行い、改ざん後の分娩台帳を五味弁護士に渡して証拠として提出させた。
被告が自らの改ざん工作、偽証工作の経過をまとめた上申書を当裁判所に提出したのは、原告太郎が被告とPを偽証罪で刑事告発し、それが新聞で大きく報道された後の平成13年11月6日であった。
ウ 上記のとおり、被告が偽証を行わせた点は司法作用を害する重大事犯であり、本件訴訟において虚偽の事実を主張し続け、改ざんした診療録等を証拠として提出するなどの立証活動をしたことも、訴訟当事者に要求される信義誠実の原則に反し司法作用を害するものといえるのであり、いずれも厳しい非難を免れない。のみならず、被告の上記行為は、以下に述べるとおり、死亡した自己の患者である花子の遺族に対して負う説明義務にも違反するものであり、不法行為を構成する。
エ 医師は、診療契約を結んだ患者に対し、診療内容の報告・説明をする義務を負う(民法645条)。患者が診療行為に伴い死亡した場合、説明を求める主体としての患者はすでに亡いが、人の死という重大な結果が発生した以上、患者の遺族がその経緯や原因を知りたいと強く願うのは当然のことである一方、診療の経過を最もよく知っているのは担当医師であるし、また、その専門的な知識をもとに死亡の経緯や原因について適切な説明をすることができるのも担当医師しかいない。したがって、自己が診療した患者が不幸にして死亡するにいたった場合、担当医師は、患者に対して行った診療の内容、死亡の原因、死亡にいたる経緯について、その専門的な知識をもとに、説明を求める患者の遺族に対して誠実に説明する法的な義務があるというべきである。
被告は、花子の遺族である原告太郎から説明を求められたにもかかわらず、上記のとおり、診療録等の改ざんや偽証工作を行い、4年以上にもわたって真実を隠蔽し続け、疑問を抱いた原告らの調査に基づき刑事告発がされた後に初めてその事実を告白するにいたった。被告は、本件訴訟において有利な結果を得たいという自己本位の考えから、原告太郎に対して負う上記の法的説明義務を故意に踏みにじったのであって、被告による一連の行為は極めて悪質な不法行為であるといわざるをえない。
オ 死亡した患者の遺族としては、死亡の経緯、死亡原因については、担当医師の説明を信頼するしかないのであるから、この信頼を根底から裏切られた原告太郎が、被告の上記不法行為によって被った精神的な衝撃が、どれほど大きなものであるかは、容易に察することができる。しかも、被告の改ざん工作、偽証工作のため、事案の解明が困難になり、訴訟が著しく長期化することになったばかりか、原告太郎はまた、被告の改ざん工作、偽証工作を暴くためにも大きな努力を強いられたのであり、花子の死亡以降、本件訴訟を通じて、原告太郎が負った精神的負担、さらには社会的・経済的負担は相当大きなものであったといわなければならない。
カ 以上の事実その他本件訴訟に現れた一切の事情を総合すると、原告太郎が上記被告の行為によって被った精神的苦痛に対する慰謝料としては、1500万円とするのが相当である。
第2 乙事件について
1 請求原因(1)(当事者等)及び(2)(診療契約)の事実について、当事者間に争いはない。
2 同(3)(分娩の経過)について
上記第1の3(2)ク及びシのとおり、平成9年3月25日午後7時30分すぎ、花子は分娩のため、被告医院に入院したこと、同日午後8時25分ころ、原告太郎は、被告から第3子は死産であった旨告げられたこと、被告の作成した新生児及び付属物記録(乙9の2)及び分娩台帳(乙19の1)には、児の出生後1分のアプガースコアは3点である旨の記載があることが認められる。
3 同(4)(被告の不法行為責任)について
(1) 被告は、診療録に出生後1分のアプガースコアは3点である旨記載したことは認めつつ、アプガースコアの判断は視触診によるものであり、主観が入ることが避けられない上、被告は、原告太郎らに対し、欲目で3点であった旨説明をしたことから、そのように記載したに過ぎないとして、死産であった旨主張するので判断する。
証拠(乙21、19の1、証人平田)によれば、アプガースコアが3点である場合は、一般論として生産児と評価できるところ、新生児及び付属物記録(乙9の2)には、アプガースコアにつき3点との記載があり、被告も、自ら、平成9年3月25日午前零時ころ、新生児及び付属物記録に3点と記載したとしていること(乙21)が認められる。他方、分娩台帳(乙19の1)の花子の娩出した児の「アプガー指数」の欄には「0、3(?)」との記載があることが認められ、分娩台帳の記載は、3点との評価に疑問があることを示唆するものとなっているが、上記分娩台帳は、上記第1の2(1)クのとおり、本件係属中の平成13年7月に改ざんされたものであって、被告が自らに有利な内容に替えた可能性を否定することができない。
また、被告は、平成11年8月3日の第7回口頭弁論期日における被告本人尋問において、娩出後1分程度、蘇生術を施行した旨供述しており、その供述を前提とすれば、児が明らかに死産であると判断できる状態ではなかったことがうかがわれるし、被告自身、平成9年4月21日に原告太郎らから説明を求められた際には、児は生きて生まれてきたと説明していた(甲2、証人葉子)。
さらに、証拠(証人平田)によれば、花子のDICの基礎疾患となったものとして死児稽留症候群が考えられるが、生産児の場合にもDICを発症する可能性がないわけではない。
したがって、児は生きて生まれたものの、その後、死亡したものと認められる。
(2) 以上の事実によれば、被告は、児について、出産証明書及び死亡届を作成する義務があるとともに、上記第1、6(2)で説示したとおり、児の父親である原告太郎に対し、それらの事実を告げるべき法的義務があったというべきである。
被告は、上記義務に反して、児を死産として扱い、原告太郎が、児の出生に関する各種届出や命名を行う機会、死亡届を提出するなどして児を供養する機会を奪ったから、不法行為に基づき、原告太郎が被った精神的苦痛を慰謝する義務を負うところ、原告太郎が、被告の行為によって被った精神的苦痛に対する慰謝料としては、200万円が相当である。
第3 結論
以上の次第であって、原告太郎の請求は、1700万円及びうち200万円に対する平成9年3月26日から、うち1500万円に対する平成14年2月20日から各支払済みまで年5分の割合による金員の限度で理由があるから、これを認容し、その余の部分については理由がないから棄却することとし、原告春子及び原告夏男の請求はいずれも理由がないから、棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法61条、64条を、仮執行宣言につき、同法259条1項を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官・新堀亮一、裁判官・倉地康弘、裁判官・川畑 薫)