甲府地方裁判所 平成15年(わ)333号 判決 2004年9月30日
主文
被告人を懲役10年に処する。
未決勾留日数中290日をその刑に算入する。
理由
(犯罪事実)
被告人は,平成7年ころA組の構成員となり,組織委員長という肩書を有する幹部にまでなったが,平成12年秋ころ身体を壊して同組を脱退した。その後,平成15年5月ころから再び同組に出入りするようになり,組事務所に寝泊まりしながら事務所当番をして暮らしていた。一方,B(以下「被害者」ともいう。)は,被告人が同組に所属していたときには,組内での立場が被告人より下位であったが,被告人が同組に戻ったときには,舎弟頭の肩書で組幹部となっていた。被告人は,自分が組にいたときに自分より下位の立場にあった被害者が自分を呼び捨てにするなど傲慢な態度をとるとして,日頃から同人に不満を募らせていた。
被告人は,平成15年8月19日午後9時30分ころ,被害者が組長代行のCに組事務所での謹慎を言い渡したことを聞くや,被害者が組内での序列を乱していると思いこみ,同人に対する日頃の不満を爆発させ,酒の勢いもあって,同人を組事務所に呼び出して,痛い目にあわせてやろうと考えた。そして,同日午後10時30分ころ,甲府市ab番c号A組事務所内において,電話で呼び出したB(当時56歳)と喧嘩になり揉み合っているうちに,もともとは同人を傷つけて同人の気勢をそぐために持っていたナイフを同人に奪われそうになり,体力面で圧倒的に優位にある同人にナイフを奪われては勝ち目がないばかりか,逆に自分がナイフで刺されてしまいかねないことから,一気に喧嘩を終わらせるため,同人が死亡するに至るかもしれないことを認識しながら,あえて,所携の刃体の長さ約15センチメートルのナイフ(平成15年押第4号符号1)でその左背面腰部を1回突き刺し,よって,同年9月2日午前3時50分ころ,同市de丁目f番g号D病院において,同人を左背面腰部刺創による横隔膜切破兼胃壁切破に基づく胸腔内出血兼胸膜炎により死亡させて殺害したものである。
(争点に対する判断)
1 弁護人は,被害者の死亡は,被告人の行為も原因となってはいるが,D病院の治療の不適切さと被害者の基礎疾患の存在とが競合したことによって生じたものであるから,被告人の行為と被害者の死亡との間には因果関係がない旨主張するので,まず,この点につき検討する。
前掲各証拠によれば,
・ 被告人は,平成15年8月19日午後10時30分ころ,被害者に対し,所携の刃体の長さ約15センチメートルのナイフでその左背面腰部を1回突き刺し,これにより,同人に,全長約6センチメートルの,前やや下方に向かう,深さ約13.5センチメートルに達する左背面腰部刺創の傷害を負わせ,多量の出血を生じさせたが,上記刺創は,左第11肋間から胸腔内臓器に達するもので,横隔膜を左側後上部の位置で切破し,横隔膜の下面を走行する下横隔動脈を損傷したほか,胃底後壁を切破して胃前壁の粘膜を損傷していたこと,
・ 被害者は,当初運び込まれたE病院から直ちにD病院救命センターに転送され,同病院において,F医師の措置を受けたが,同医師は,肉眼や触診でも,前記の刺創が相当に深いものであることを確認できたことから,胸腔内臓器や大動脈が損傷を受けている可能性が高いと判断し,CTスキャンやレントゲン検査,血管造影検査を施行した結果,大動脈は損傷されていなかったものの,下横隔動脈損傷及び左血気胸が確認されたため,下横隔動脈損傷に対しては動脈塞栓術を,左血気胸に対しては胸腔ドレナージの措置をそれぞれ講じ,さらに,下横隔動脈損傷が確認されたことから,横隔膜や胃壁の損傷を疑い,胃造影検査も施行したが,横隔膜や胃壁の損傷を疑わせるような異常所見は確認できなかったこと,
・ 被害者は,上記の一連の措置で一応安定状態になり,医師から家族に対して,命に切迫した状況はなく,1か月くらいの治療を要する見込みであるとの説明がされ,集中治療室に移されたこと,
・ 被害者は,翌20日の朝方になって,急激に血圧が低下(上が70,下が測定不能)し,その後も低血圧の状態が続いていたが,F医師は,低血圧の原因について,「外部から出血箇所を明らかにすることはできないものの,何らかの創傷による胸腔内での出血が原因であることは間違いないが,胸腔ドレーンからの血液性の排液量が700cc程度であるから,未だ開胸手術の適応にはならない。」と判断し,しばらく経過を観察しながら,同月22日に緊急輸血を実施したところ,翌23日に血圧が安定(上が120ないし160,下が70ないし90)し,胸腔ドレーンからの血液性の排液量が徐々に減少していったので,胸腔内への出血は減少傾向にあると判断したこと,
・ 被害者は,同月25日になって,胸腔ドレーンからの排液量が顕著に増加して1080ccに達し,その性状もこれまでの血液性のものから膿性のものに変化し,さらに,翌26日には膿胸を発症し,胸腔内で細菌感染が起こっていることを疑わせる症状が出現したが,F医師は,左側背部の刺創による感染症,つまり凶器のナイフについた細菌による感染症を発症したものと診断した上で,開胸手術の危険性を考慮すれば,抗生物質による治療を優先させるのが相当であると判断し,従前投与されていた抗生物質の種類を変更した上で抗生物質の投与を続け,また,被害者は,腹部膨満を訴えていたが,これに対しては浣腸で対処していたこと,
・ そして,被害者は,抗生物質による治療の効果が得られないうちに,同年9月1日心肺停止の状態に陥り,同月2日死亡したこと,
・ この間,被害者については,前記のとおり,腹部膨満を訴え,胃腸の働きが十分でないことを疑わせる症状は見られたものの,死亡する前日まで食事がとれており,胃壁に穴が開いていることを疑わせる臨床症状(筋性防御や腹痛,吐き気,嘔吐など)は全く確認されなかったこと,
・ 被害者の死因は,左背面腰部の刺切によって胃壁及び横隔膜が切破され,胃内容物が横隔膜切破口を通して左胸腔内に漏れ,かつ,出血血液が左胸腔内に貯留し,左胸腔内出血と左胸膜炎兼肺炎を生じたことにあること,
・ なお,被害者については,糖尿病や肝硬変といった基礎疾患があり,そのために,もともと全身状態が良くなかった上に,抗生物質が効きにくいとか,血液凝固障害があるといった負の要因が存在していたこと,
以上のとおりの事実が認められる。
以上のような事実関係によれば,被告人の行為により被害者の受けた前記傷害は,それ自体死亡の結果をもたらし得るほどの身体の損傷であり,事後的に見る限り,被害者の死亡に至る因果の経過は,被告人が被害者に負わせた傷害に内在していた危険の現実化していく過程として十分首肯し得るものと認められるから,被告人の行為と被害者の死亡との間には法律上の因果関係があるというべきである。
これを弁護人の主張に即して敷衍するに,なるほど,証人Gの証言によれば,本件においては,本件刺創により下横隔動脈が損傷されていることが確認されていた(上記・※)のであるから,その解剖学的位置関係からして横隔膜や胃壁の損傷を疑い,慎重な検査をすることが望ましかったといえ,だからこそF医師も胃造影検査を施行したのであるが,胃造影検査では,検査時の被検者の体位の制約により問題の胃底部の損傷の有無を十分に確認することはできなかったと認められるから,胃造影検査だけでなく胃カメラなどの精密検査を施行することが望ましかったこと,また,胸腔内で細菌感染が起きていることを疑わせる所見が出現していた上(上記・※),胃腸の働きが十分でないことを示唆する腹部膨満という症状も出現していた(上記・※,・※)のであるから,対症療法(抗生物質の投与や浣腸)に終始することなく,胸腔内臓器に異常が生じていないかどうかを調べるための精密検査を施行することが望ましかったこと,そして,これらの精密検査を施行しておれば,胃壁の損傷を確認することができ,開胸手術が行われていた可能性があること,以上のとおりと認められ,F医師の処置に必ずしも万全とはいい難い面があったことも否定できない。しかしながら,他方で,前示のとおり,胃造影検査の結果では横隔膜や胃壁の損傷を疑わせるような異常所見は確認されなかったこと(上記・※)に加え,被害者には胃壁損傷を具体的に疑わせるような臨床症状が一切出現していなかった(上記・※)のであって,一刻を争う救命救急医療の現場において,胃壁損傷の有無を確認するための精密検査を施行するよう要求することはいささか酷にすぎるのではないかと考えられる上,証人Gの証言によれば,被害者の全身状態が悪化した8月25日以降に開胸手術に踏み切ったとしても,良好な予後が得られた可能性は低かったものと認められる。以上要するに,本件においては,F医師の処置に必ずしも万全といい難い面があったことは否定できないけれども,それとても,医療上の過誤ということができるかどうかは疑問がある上,仮に医療上の過誤ということができるとしても,それは,医師が前記の因果の経過の進展を有効に阻止しえなかったことを疑わせるにすぎず,医師がその著しく不適切な治療行為によって積極的に別途の死因を与えたことを示すものではない。
また,本件においては,被害者の基礎疾患である肝硬変と糖尿病が,前記の因果の経過の進展を促進した疑いがあるが,しかし,これとても,被害者の死亡が,被害者の負った前記傷害に内在していた危険の現実化したものであるという見方を否定するに足る事情とまではいえないことが明らかである。
してみれば,弁護人の指摘する各事情の存在を考慮しても,被告人の本件行為と被害者の死の結果との間には法律上の因果関係があるというべきである。
2 被告人は,当公判廷において本件殺意を否認し,弁護人も同様の主張をするので,更にこの点について検討する。
前掲各証拠によれば,被告人は,人を殺傷するに足りる刃体の長さ約15センチメートルの鋭利なナイフを用い,被害者の左背面腰部という臓器の集中する人体の枢要部を突き刺し,これにより,被害者に対し胃壁及び横隔膜を切破する深さ約13.5センチメートルもの刺創を負わせたものであることが認められ,人体の枢要部に手加減せずにナイフを突き立てたことがうかがわれるのであって,このような凶器の使用方法自体からして,被告人が少なくとも未必的な殺意をもって本件犯行に及んだことが強く推認される。しかも,前掲各証拠によれば,本件の犯行に至る経緯や犯行状況は,判示のとおりであったと認められ,これらを通覧しても,被告人が未必的な殺意をもって本件犯行に及んだものと考えても何ら不自然な状況はうかがわれないから,被告人が少なくとも未必的な殺意を有していたことに合理的な疑いを容れる余地はない。
なお,弁護人は,被告人には被害者を殺害しなければならない動機がないばかりか,暴力団組織の中で格下の立場にある被告人が組幹部を組事務所に呼び出して,殺意を持って刺すなどということは通常ではあり得ないことである上,被告人が捜査段階で供述したような態様で被害者を刺すことは客観的に不可能であり,客観的な犯行態様が不明といわざるを得ないから,犯行態様から被告人の殺意を推認することもできないので,結局,未必的な殺意を認定するには合理的な疑いが残る旨主張する。しかし,強固な動機がないことは,本件において未必的な殺意を認定する妨げとはならないし,組幹部を殺意を持って刺すなどということは暴力団組員の通常の行動傾向に反するとの指摘にしても,被告人が組幹部の被害者を組事務所に呼び出して喧嘩をしかけたこと自体は証拠上疑う余地のない事実であるところ,このような事実に徴すると,本件当時の被告人の行動を暴力団組員の通常の行動傾向をもって推し量ることはできないというべきであるから,この点に関する弁護人の指摘も理由がないというほかないし,客観的な犯行態様が不明であるとの指摘にしても,確かに,犯行現場に他の人間が居合わせた可能性がないではないなど犯行の際の具体的な状況にやや曖昧さが残るものの,被告人と被害者との位置関係や被害者に二の腕を掴まれていたことなどを考慮しても,被告人の犯行が不自然,不可能なものであるということはできず,被告人が捜査段階で供述する犯行態様そのものに不明確な点はなく,前記のとおり,凶器の使用方法そのものから被告人の未必的殺意が強く推認されることにかんがみると,前記の具体的な状況に曖昧な点が残るからといって,前示の推認に合理的疑いを容れる余地はない。
したがって,被告人の弁解も弁護人の主張も採用することはできない。
(法令の適用)
被告人の判示所為は刑法199条に該当するところ,所定刑中有期懲役刑を選択し,その所定刑期の範囲内で被告人を懲役10年に処し,同法21条を適用して未決勾留日数中290日をその刑に算入し,訴訟費用は,刑事訴訟法181条1項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。
(量刑の理由)
本件は,暴力団事務所で生活し,暴力団周辺者として活動していた被告人が,暴力団幹部である被害者に対して,日頃の不満を爆発させ,一方的に喧嘩をしかけたあげく,被害者と揉み合ううちに,もともとは被害者を傷つけて同人の気勢をそぐために持っていたナイフを被害者に奪われそうになったことから,身の危険を感じて,一気に喧嘩を終わらせるため,被害者をナイフで突き刺し殺害したという殺人の事案である。
被告人は,被害者に対する日頃の不満を暴力に訴えて解消しようとして,被害者に喧嘩をしかけ,それが本件の殺人事件の発端となっており,犯行に至る経緯には,暴力団特有の粗暴な思考傾向が如実に現れていると見るほかなく,犯行に至る経緯に酌むべきところはない。
さらに,犯行態様を見ても,被告人は,素手では被害者にかなわないとして,傷つけて気勢をそぐつもりで事前にナイフを準備した上,被害者が乗り込んでくるやナイフで攻撃し,形勢不利になって身の危険を感じるや被害者が死んでも仕方ないと考えて,被害者の背中に思い切りナイフを突き立てるなど,犯行態様は卑劣かつ危険で悪質である。
これにより,被害者は,胃壁及び横隔膜を切破する深さ約13.5センチメートルもの刺創を負わされ,激しい疼痛に苦しめられながら,治療の甲斐なく約2週間後に絶命したものであり,結果は重大である。残された内縁の妻の精神的苦痛は察するに余りあり,当公判廷において悲痛な心情を吐露する姿には痛ましいものがある。にもかかわらず,いまだ慰藉の措置は何ら講じられていない。
よって,被告人の刑事責任は重大である。
他方,被告人は当初から被害者を殺害する意図はなく,本件犯行は被害者との切迫した状況下での揉み合いの最中に衝動的に敢行されたものであり,計画性までは認められず,未必的な殺意にとどまること,被害者の基礎疾患の存在などがその死の結果に及ぼした影響を無視することはできないこと,被告人は犯行直後は逃走しているが翌日には自首していること,被告人は当公判廷において反省の態度と被害者や残された家族に対する謝罪の気持ちを示していること,被告人には粗暴犯を含む処罰歴が多数あるものの,いずれも20年以上前の古いものであること,その他被告人の年齢など,被告人のために斟酌すべき事情も認められる。
そこで,これらの事情をも十分に考慮した上,被告人を主文のとおりの刑に処するのが相当であると判断した。
よって,主文のとおり判決する。
(検察官倉持俊宏,国選弁護人村松晃各出席)
(求刑 懲役13年)
(裁判長裁判官 川島利夫 裁判官 柴田誠 裁判官 肥田薫)
<編注:『※』部分は原文のとおり。>