甲府地方裁判所 平成16年(わ)117号 判決 2004年6月22日
主文
被告人を懲役3年に処する。
この裁判が確定した日から5年間その刑の執行を猶予する。
理由
【認定事実(罪となるべき事実)】
被告人は,京都府宇治市内にある公団住宅に夫A,長女B,実母Cと暮らしていたが,約20年前から生活費に充てるために消費者金融数社から借金を重ねて来て,平成16年2月下旬ころには,一家全体で600万円近い借金を背負っていた上,公団住宅の家賃も滞納して,同年3月8日までに公団住宅を退去せざるを得ない状況になっていた。そして,公団住宅の明渡期限である同日まで,不動産仲介業者を介して,手頃な借家を探しまわったものの,保証人を立てることができなかったため,同日までに引越先を確保することができず,同日以降の住処を失うこととなったことから,前途を悲観して一家心中を決意し,夫Aと共謀の上,同月13日午後11時過ぎころ,山梨県南都留郡a町bc番地D店から北東方向約960メートルの青木ヶ原樹海内に駐車した普通乗用自動車内において,長女B(当時30歳)の承諾を得て,殺意をもって,所携のショルダーバッグ用の肩紐を同女の頸部に巻き付けて強く締め付け,よって,そのころ,同所において,同女を窒息死させて殺害した。
【法令の適用】
被告人の判示所為は刑法60条,202条後段に該当するところ,所定刑中懲役刑を選択し,その所定刑期の範囲内で被告人を懲役3年に処し,情状により同法25条1項を適用してこの裁判が確定した日から5年間その刑の執行を猶予し,訴訟費用については,刑事訴訟法181条1項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。
【量刑の理由】
本件は,少なからぬ借金を抱えていた上に,家賃を滞納して公団住宅を明け渡さざるを得なくなった被告人が,前途を悲観して一家心中を企て,長女の承諾を得た上,夫とともに同女を殺害し,その直後,自らも自殺しようとしたが被告人のみが生き残ったという事案である。
被害者は,手付金の支払いまでした物件について,不動産仲介業者から,保証人を立てることができないなどの理由により賃貸借契約を締結できなくなった旨の電話連絡を受け,平成16年3月4日,多量の風邪薬を服用して自殺を図り,同月8日まで宇治市内の病院に入院していたものの,入院中に,馬鹿なことをしてしまったと思い直し,退院後は職場に復帰するつもりでいたことがうかがわれ,にもかかわらず,退院を迎えに来た両親から,「住むところもない,お金のやりくりもできない,もうこれ以上生きていけない。お父さんとお母さんはこれから死のうと思う。○○ちゃん(B:掲載者注)も一緒に死んでくれる」と言われて,逡巡した末に,「両親が下した決断に従うことにした」ものと認められる。すなわち,被害者は,一家心中について,最終的には承諾していたものの,かかる結果を必ずしも積極的に望んでいたわけでなかったものと推測される。このような被害者が,30歳という人生の充実期を迎えつつある歳に,両親の手によって,その生命を絶たれたことを思えば,まことに哀れというほかはない。被害者は,首を絞められている最中に「息ができない」と述べていることからしても,激しい苦悶の中で死を迎えることになったと推察されるのであって,殺害されるまさにその瞬間に被害者の胸に去来したものは何であったろうか。本件の結果はまことに重大である。
被告人は,親として,被害者に,どんなに辛いことがあっても,耐え忍んで生きてさえいれば,必ず途は開けるということを教えてやらなければならない立場にあった。にもかかわらず,公的機関や知人に十分な相談もしないまま,自己の判断のみで将来をあまりに悲観的に考えすぎ,被害者だけが生き残れば,被害者に自分たちの借金を背負わせることになってかわいそうという思いから,被害者に対して一家心中を持ちかけて,これを承諾させたばかりか,夫とともに被害者の頸部をショルダーバッグの肩紐で締め付けて,被害者を窒息死するに至らせたのである。かけがえのない子供の命を奪う前に,やれることはいくらでもあったと思われるのであり,被告人が精神的に追い詰められていたことは十分に理解できるけれども,それにしても,被告人の今般の選択は,身勝手な思いこみによるものというほかなく,あまりに短絡的であったとの非難を免れない。
以上の事情に照らすと,被告人の刑責は重い。
しかしながら他方で,①被告人が大切な子供を道連れにして自殺しようとまで思い詰めた心境には同情するべきものが多分に認められ,そこに利欲的な動機は一切認められないし,最後の最後まで,子供のことを気遣いながら,子供を道連れにすることに逡巡し,葛藤していた心情には,被告人の母親としての人間性がうかがわれること,②被告人は自首しており,本件を真摯に反省し,子供や夫の冥福を祈っていること,③被告人には前科前歴がないことなど,被告人のために斟酌するべき事情も認められる。
そこで,これら被告人に有利,不利な一切の事情を総合し,主文の刑を定めて,その刑の執行を猶予し,社会生活を送る中で子供や夫の冥福を祈る機会を与えることとした。
(出席した検察官佐藤方生,国選弁護人小野正毅)
(検察官の求刑 懲役3年)
(裁判官 柴田誠)