甲府地方裁判所 平成20年(行ウ)11号 判決 2011年7月26日
主文
1 甲府労働基準監督署長が,原告に対して平成16年10月26日付けでした労働者災害補償保険法による遺族補償給付を支給しない旨の処分を取り消す。
2 訴訟費用は,被告の負担とする。
事実及び理由
第1請求
主文同旨
第2事案の概要
1 本件は,株式会社A(以下「本件会社」という。)の従業員として勤務していたBが平成10年7月1日に心不全等で死亡したことが,本件会社内における業務やいわゆる持ち帰り残業がいずれも過重であったことに起因すると主張して,Bの妻である原告が,労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づく遺族補償給付支給の請求をしたところ,処分行政庁がこれを支給しない旨の処分(以下「本件不支給処分」という。)をしたことから,これを不服として,被告に対してその処分の取消しを求める事案である。
2 前提事実
(1) Bは,昭和41年6月29日生まれの男性であり,昭和60年4月1日,本件会社に採用された。原告は,Bの妻である。(甲2,乙34)
(2) 本件会社の業務内容
本件会社は,ポリマー製品の製品販売を目的として昭和29年に設立された株式会社であり,半導体,情報通信,メディカル等の製品を,高分子物質であるポリマー(プラスチック,合成繊維,合成ゴム)を使用して製造している。製品の製造は,CオペレイションズセンターとDオペレイションズセンターの2か所で行われている。(甲27,乙17)
(3) Bが従事していた業務内容
Bは,平成2年3月21日ころから,Dオペレイションズセンターでの勤務を始め,平成9年9月24日以降は,Eチームに所属していた。Eチームでは,点滴用留置針のチューブやカテーテル等のチューブを製造する業務が行われていた。
Bが所属していたころのEチームには,BのほかにチームリーダーのFとGが所属していた。(乙15,16,34)
(4) 本件会社におけるISO9001の認証取得
本件会社は,平成11年7月17日,品質管理・品質保証に係る国際規格(品質マネジメント規格)のISOシリーズのうちのISO9001(製品の品質に関する要求が設計,調達,製造,据付け及び付帯サービスの全てを生産者が行う場合に適用する規格)の認証を取得した。この認証取得に向けた作業は,Bを含むEチームの従業員も担当していた。(乙18,35,36,弁論の全趣旨)
(5) 本件会社の就業時間等
Dオペレイションズセンターにおける当時の就業規則の定めのうち就業時間等に関する部分は,次のとおりであった。(乙19)
所定労働時間 1日の就業時間は9時間,勤務時間は8時間
始業時刻 8時30分
終業時刻 17時30分
休憩時間 60分とし,所属長の指示による。
交替勤務 業務上必要がある場合は,交替制により勤務させることができる。
1直 8時30分から17時30分
2直 16時30分から1時30分
3直 0時30分から9時30分
休憩時間は60分,所属長の指示による。
所定勤務時間外の勤務 業務上の都合により従業員に対して所定勤務時間外に勤務を命ずる場合,本件会社はあらかじめ従業員の過半数を代表する者と協定の上,所属長(グループリーダー又はグループリーダーが委任した者)の発行する指令書により行う。
休日 日曜日,国民の祝祭日に関する法律による休日,土曜日,年末年始,夏期,その他会社が休日と定めた日
(6) Bの死亡状況及び直接の死因等について
平成10年7月2日午前5時45分ころ,B(当時32歳)がリビングで胸を押さえてうつ伏せに横たわっているところを原告が発見した。その後,救急隊が到着したが,既にBは心肺停止の状態であり,同日午前7時30分ころ,死亡が確認された。死亡時刻は前日の同月1日午後11時ころとされ,死亡原因は心不全や不整脈による一次性心停止などと診断された。(以下「本件疾病」という。)。(甲2,乙1,33の1・2,34)
(7) 家族状況,既往歴等
Bは,本件疾病発症まで,住居地において妻である原告,長男及び長女と同居していた。家族の健康状態は良好であった。Bの両親のうち,実父の健康状態は良好だったが,実母は肺がんで死亡していた。Bに既往歴はない。(乙34,弁論の全趣旨)
(8) 本件訴訟に至る経緯
原告は,平成14年9月24日,処分行政庁に対し,労災保険法所定の遺族補償給付請求をしたところ,処分行政庁は,平成16年10月27日,これを支給しない旨の本件不支給処分をした。原告は,平成16年11月8日,山梨労働者災害補償保険審査官に対し,本件不支給処分を不服として審査請求をしたが,同審査官は,平成17年10月25日,同審査請求を棄却する旨の決定をしたため,さらに,平成17年12月13日,労働保険審査会に対して再審査請求をしたが,同審査会は,平成20年5月16日,同再審査請求を棄却する旨の裁決をした。同月19日ころ,原告に同裁決書の写しが送付された。原告は,平成20年11月18日,本件訴訟を提起した。(甲3,30~33,乙3~7,弁論の全趣旨)
(9) 脳・心臓疾患に関する専門検討会報告書及び認定基準の内容
脳・心臓疾患の認定基準に関する専門検討会がまとめた「脳・心臓疾患の認定基準に関する専門検討会報告書」(以下「専門検討会報告書」という。)の内容は,要旨,次のとおりである。
脳・心臓疾患は,その発症の基礎となる血管病変等(動脈硬化等による血管病変又は動脈瘤,心筋変性等の基礎的病態)が,主に加齢,食生活,生活環境等の日常生活による諸要因や遺伝等の個人に内在する要因(基礎的要因)により,長い年月の生活の営みの中で徐々に形成,進行及び増悪するといった経過をたどって発症するものであり,労働者に限らず,一般の人々の間にも普遍的に数多く発症する疾患である。
しかしながら,業務による過重な負荷が加わることにより,血管病変等をその自然経過を超えて著しく増悪させ,脳・心臓疾患を発症させる場合がある。この業務による負荷要因と脳・心臓疾患の発症との関連については,脳・心臓疾患の発症に近接した時期における業務による明らかな過重負荷が発症の直接的原因になり得るほか,長期間にわたる疲労の蓄積を考慮すべきである。その観点から,発症前6か月間における就労状態,具体的には,労働時間,勤務の不規則性,拘束性,交代性勤務,作業環境などの諸要因の関わりや業務に由来する精神的緊張の要因を総合的に評価することが妥当である。
疲労の蓄積の判断に当たっては,長時間労働のみならず,これ以外の種々の就労態様による負荷要因を総合的に評価するべきであるが,長時間労働に着目した場合,睡眠時間が1日当たり4~6時間程度の睡眠が確保できない状態が継続していたときには,業務と疾病の発症との関連性が強いと評価できる。具体的には,発症前1か月ないし6か月間にわたって,1か月当たり概ね45時間を超える時間外労働が認められない場合には,業務と発症との関連性が弱いが,1か月当たり概ね45時間を超えて時間外労働時間が長くなるほど,業務と発症との関連性が徐々に強まり,①発症前1か月間におおむね100時間を超える時間外労働に従事していた場合,②発症前2か月ないし6か月間にわたって,1か月当たりおおむね80時間を超える時間外労働が認められる場合には,業務と発症との関連性が強いと評価できる。そして,休日のない連続勤務が長く続くほど業務と発症との関連性がより強まる。
他方,脳・心臓疾患の発生には,高血圧,飲酒,喫煙等のリスクファクターが関与し,多重のリスクファクターを有する者は,発症のリスクが高いことから,労働者の健康状態を十分把握し,基礎疾患等の程度や業務の過重性を十分検討し,これらと当該労働者に発症した脳・心臓疾患との関連性について総合的に判断する必要がある。
脳・心臓疾患にかかる労災認定においては,上記の医学的知見を踏まえて「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く。)の認定基準について」(平成13年12月12日付け基発第1063号)が策定されている。(乙9,10)
(10) 法令の定め
労災保険法上の保険給付は,業務上の負傷又は疾病に対し,労働基準法(以下「労基法」という。)に規定する災害補償事由が生じた場合に給付されるものとされ(労災保険法7条1項1号,12条の8第1項,2項,労基法75条,76条,80条),業務上の負傷又は疾病の詳細については,労基法施行規則別表第1の2に列挙されている。
本件疾病である心不全,不整脈による一次性心停止は,労基法施行規則別表第1の2第1号ないし第8号に当たらないことが明らかであるから,その発症が業務上のものと認められるためには,同表第9号の「その他の業務に起因することの明らかな疾病」に当たることが必要である(以下,これを「業務起因性」という。)。
第3争点(業務起因性)に関する当事者の主張
(原告の主張)
1 本件会社内における業務の内容及び時間外労働時間について
(1) Bは,平成9年10月以降,主に製造作業のうちの押出機という機械を使用する作業に従事していた。これは,約30種類にも及ぶ多品種でかつ少量のチューブの製造に関わる作業であり,製造立上げ時には,30分から1時間を要するサイジングという神経を使う作業を行い,また,作業の過程の中で,サイズが安定しない製品やチューブ表面がざらつくなどのロスが生じることもあり,気の抜けない作業であった。
(2) Eチームは,平成10年4月23日以降,大量の注文に対する生産増に対応するため,交替制勤務を実施し,同年7月3日までこれを継続した。Bは,同年4月23日及び24日,27日から同年5月1日までの合計7日間,15時から24時までの勤務となった。その後の同年5月11日以降,Bは日中勤務となったが,FやGとは別々の時間帯の勤務であったため,B一人で3台の押出機を稼働させていたことになる。このような交替制勤務は,Bの業務を過重なものとした一つの大きな要因である。
(3) Bの本件疾病発症前1か月間の本件会社内の業務に関する総労働時間は合計243時間57分,時間外労働時間は67時間57分であった。
2 持ち帰り残業の内容,労働時間について
Bは,本件会社内における業務のほか,いわゆる持ち帰り残業として,ISO9001認証取得に向けた作業(以下「ISO対応業務」という。)を行っていた。
(1) ISO対応業務の指示,業務内容について
ア ISO対応業務の指示について
Bは,Eチームに配属された直後の平成9年秋ころ,上司から,平成10年には製造機械の作業手順書等の見直しをするように指示され,この作業のほとんどを自宅で行っていた。平成10年2月ころには,Bは,原告などに対して「家庭や友人を犠牲にしてでもやりとげる」などと宣言するほど,上記作業に没頭していた。
ところが,平成10年5月末ころには,上記作業手順書等の見直し作業をさらに発展させて,ISO9001の基準に対応したものに整備し,これを同年6月末までに提出するよう本件会社から指示を受けた。Bは,このISO対応業務の作業を同年6月4日ころから開始した。
イ ISO対応業務の内容
(ア) Bは,本件疾病発症までの間に,ISO対応業務として,少なくとも,作業標準シート74通,作業標準書1通,機械操作マニュアル3通を自宅で作成した。
(イ) このほか,Bは,ISO対応業務として,検査標準書,日常点検表,定期点検表,スキルレベル要件表を作成し,さらに,ISO対応業務に関連するものとして,逆引き手順書(甲19・8頁),新規成形方法案(甲19・11頁・12頁),生産条件シート(甲21),さらに,留置針棚卸し,原材料棚卸,原料棚卸,仕上げ報告書,生産予定表,各種管理台帳等の各様式(甲23)を作成した。これらはISO対応業務のデータ管理の基本となる資料であり,ISO対応業務の内容に含まれる文書というべきである。
(2) 本件疾病発症前1か月間におけるISO対応業務の労働時間について
ア ISO対応業務の所要作成時間
上記文書のうち,作業標準書及び機械操作マニュアルの1通当たりの所要作成時間は,それぞれ,10時間,5時間である。
他方,作業標準シートの作成には,文書の内容や作成過程に照らせば,20分から30分以上を要するというべきである。
これによれば,Bが作成した作業標準シート74通,作業標準書1通及び機械操作マニュアル3通全ての作成するために必要な時間は,作業標準シートを1通当たり10分とした場合は37時間20分,1通当たり30分とした場合は62時間となる。このほか,Bは上記(1)イ(イ)記載の文書も作成したので,労働時間はさらに増加した。
イ 本件疾病発症前1か月間においてBが自宅で行ったISO対応業務の労働時間について
(ア) 前記のとおり,Bは,本件会社の指示を受けて,ISO対応業務を平成10年6月4日から開始した。また,Bの死亡後,Fらが,Bの自宅のパソコンに蓄積されているデータを確認したところ,ISO対応業務に関するBの担当部分は,ほとんど完成していた。したがって,Bは,ISO対応業務を本件疾病発症前1か月間のうちに全て行ったといえる。
(イ) ところで,ISO対応業務に関する文書の全てを自宅で行ったわけではないことは否定できず,作業標準シートの3割程度は,本件会社内の作業で作成したと考えられる。
このことを踏まえ,被告の主張を前提として作業標準シートの1通当たりの作成時間を10分と仮定すると,作業標準シートの作成時間全体の約7割に当たる約8時間38分をもって作業標準シートの自宅作業時間と推計できる。
作業標準書,機械操作マニュアルはいずれも全て自宅で作成したから,これと上記作業標準シートの自宅作業時間約8時間38分を合計した33時間38分が,少なくともBが自宅で持ち帰り残業に要した労働時間である。
3 本件疾病の業務起因性について
Bの業務は,上記のとおり神経を遣う細かい製品の製造を行うもので,また,当時交替制勤務を実施するほど生産量が増加していたのであるから,その業務はかなり過重なものであったといえる。時間外労働時間については,本件会社内における時間外労働時間67時間57分に持ち帰り残業時間約33時間38分を加算すると,本件疾病発症前1か月間の時間外労働時間は101時間35分となり,これは,業務と発症との関連性が強いと評価できる場合として専門検討会報告書でも述べられている発症前1か月間におおむね100時間を超える時間外労働に従事していた場合に当たる。
一方,Bには,既往歴がなく,高血圧,飲酒,喫煙,高脂血症,肥満,糖尿病等,脳・心臓疾患のリスクファクターを全く有していなかった。
以上を総合すると,本件疾病発症と業務との間に相当因果関係があるといえるから,本件疾病には業務起因性が認められる。
(被告の主張)
1 本件会社内における業務の内容及び時間外労働時間について
(1) 時間外労働時間について
原告の主張のうち,同1(3)のBの本件会社内の業務の総労働時間が243時間57分,時間外労働時間が67時間57分であることは認める。本件会社内における業務だけをみるならば,その時間外労働時間は,業務と発症との関連性が強いとされる発症前1か月間の時間外労働時間100時間を大きく下回る。そして,後記のとおり,Bの自宅での作業は業務性を有していないから,この作業時間を時間外労働時間に含めて計算すべきではない。
(2) 本件会社内の業務の内容について
Eチームは,当時,交替制勤務が行われていたが,B自身は,平成10年4月23日,24日,27日,28日,29日,30日に夜間勤務(15時~24時)を行ったほかは日中勤務であり,深夜勤務もなく,また,不規則な勤務であったともいえない。また,1日1時間の所定休憩時間があったことに加え,本件疾病発症前1か月間には6日の休日があり,1週間に1日以上の休日を取得していた。さらに,Bが担当していた押出機を用いる作業は,医療用のチューブの規格差が0.02ミリメートルから0.03ミリメートルとなり,神経を遣う仕事であったことは確かであるが,機械操作は基本操作を習得すれば困難な作業ではなく,著しい精神的緊張を伴う業務であったとはいえない。
これらを総合すれば,Bの本件会社内における業務が過重であったとはいえない。
2 自宅におけるISO対応業務の作業について
(1) 持ち帰り残業の指示がなかったことについて
本件会社が,従業員に対し,ISO対応業務を自宅で作業するように指示したことはないから,BがISO対応業務を仮に自宅で行ったとしても,それを業務と認めることはできない。
(2) ISO対応業務の開始時期及び完成期限について
本件会社がISO対応業務の業務指示を行った時期は特定できないが,EチームにおいてISO対応業務の作業が実際に開始されたのは,平成10年4月ないし5月ころであり,同年6月から開始したとする原告の主張は誤りである。
また,ISO対応業務の完成期限は,設定されていたとしても同年6月末日ではなく同年7月中であった。
(3) 本件疾病発症前1か月間におけるISO対応業務の作業時間について
ア ISO対応業務の文書全体における所要作成時間について
Bは,ISO対応業務として,作業標準シートを74通(被告は,当初,75通作成したと主張していたが,弁論の全趣旨により,その後,これを74通に訂正したものと認める。),作業標準書を1通,機械操作マニュアルを3通作成した。
これら文書の1通当たりの所要作成時間について,作業標準書が10時間,機械操作マニュアルが5時間であるとする原告の主張は認める。しかし,作業標準シートは,単純なデータ入力作業だけであり,1通当たりの作成時間は,同僚であるFの供述に照らしても,10分程度にすぎないというべきである。
これによれば,BのISO対応業務の文書の所要作成時間は合計37時間20分である(なお,被告は,当初,合計37時間30分と主張していたが,作業標準シートの作成枚数を75通から74通に訂正したことに伴って,作業標準シート全体の所要作成時間も訂正されたものと認める。)。
イ 本件疾病発症前1か月間におけるISO対応業務の作業時間
(ア) ①「B氏のパソコンから出力した98年度個人別取組課題・テーマ実施計画表 頁NO1~10」(甲24)の「5.テーマに対する累計達成度」(同7頁)に「4月末15パーセント 5月末10パーセント」と記載されていることから,Bは,ISO対応業務を平成10年5月末時点で25パーセント完了していたといえる。
他方,②「亡Bのテーマ実施報告書」(甲24・3頁)の「成果と反省」欄の「第1四半期」欄に「3.手順書の整備については,ほぼ80%完了です。今後は,標準シートのデータ追加と,2軸押出の条件シート作成を残すのみです。」と記載されていることから,Bは,同年6月末時点で80パーセントまで完了させていたといえる。
①及び②からすると,BのISO対応業務全体に占める平成10年6月に行った作業の割合は,80パーセントから25パーセントを引いた55パーセントとなる。
ところで,上記のとおりISO対応業務の文書の所要作成時間は合計37時間20分であるから,6月中のBのISO対応業務の作業時間は,次のとおり算出できる。
所要作成時間 6月作業割合 6月作業時間
37時間20分 × 55パーセント ≒ 20時間32分
以上から,本件疾病発症前1か月間である平成10年6月中におけるISO対応業務の作業時間は約20時間32分であるというべきである。したがって,Bが仮にISO対応業務を自宅で行っていたとしても,この作業時間約20時間32分を,本件会社内の時間外労働時間67時間57分に加算したとして,本件疾病発症前1か月間の時間外労働時間100時間を下回ることが明らかである。しかも,上記作業はパソコン作業であって本件会社でも十分に行うことができるから,Bが,上記作業を全て自宅で行っていたとはいえない。
(イ) また,自宅での作業は,一般に使用者の管理下にはなく,作業を中断しようと思えば自由に中断することもできるなど精神的にもリラックスした状態で行うことができることから,会社内の労働と同様に評価することも適切でなく,ISO対応業務の自宅での作業は,質的に見ても過重であるとはいえない。
ウ 上記文書以外の文書について
上記文書のほか,Bのパソコンには,原告が主張する逆引き手順書,新規成形方法案,生産条件シート等の文書のファイルが残っていたが,BがISO対応業務として本件会社の指示の下で作成した文書は,作業標準シート,作業標準書,機械操作マニュアルの作成のみであり,これ以外の文書はいわば自主的,趣味的に作成したものにすぎない。
3 Bのリスクファクターについて
Bには,性及び喫煙という,虚血性心疾患のリスクファクターがある。男性は,女性と比較して虚血性心疾患の発症率が3から10倍程度高いとされている。また,Bは,平成10年4月ころまで喫煙をしていたが,喫煙は,肺がんや慢性気管支炎,急性心筋梗塞や急死のリスクファクターとなる。なお,禁煙による虚血性心疾患の発症減少効果が得られるのは数年後とされている。
4 本件疾病の業務起因性について
(1) 条件関係について
Bの死亡は,一次性心停止とされているが,病理解剖がされていない。「一次性」という用語は「原因不明」を示すところ,原因不明の突然死として,我が国では「ポックリ病」が挙げられてきた。また,不整脈には,①心臓に器質的,解剖学的異常が存在する場合,②薬物その他の原因が存在する場合,③これらの異常が認められない場合の3つの場合がある。不整脈そのものに対する過重負荷の影響が判定されるのは③である。この③には,(ア)突発性心室細動,(イ)突発性心室頻拍,(ウ)運動誘発性心室頻拍,(エ)青壮年急死症候群(ポックリ病)と幼児急死症候群が該当する。これらのうち,Bの死亡直前に(ア)ないし(ウ)を示すデータはなく,最も可能性が高いのは(エ)のポックリ病である。ポックリ病の発症機序は,医学的に未だ明らかではない。
また,慢性的な心疾患や検査所見も得られていないことや,死亡直前に胸痛発作も訴えていないことから,刺激伝導系の変性又は心筋炎も考えられる。
ポックリ病や刺激伝導系の変性又は心筋炎のいずれの疾病であるとしても,その発症機序は以前として不明であり,そうである以上,本件疾病と業務との間にはそもそも条件関係がないといわざるを得ない。
(2) 相当因果関係について
上記の点を措いても,Bの業務が質的・量的に過重でないことは,上記1及び2で述べたとおりであり,また,上記3のリスクファクターがあることに照らせば,本件疾病発症と業務との間に相当因果関係はなく,業務起因性はない。
第4争点に対する判断
1 前記前提事実に証拠(証拠番号は,各項末尾等に摘示した。)及び弁論の全趣旨を総合すれば,次の事実が認められる。
(1) 本件会社の業務の具体的内容
ア 製品製造業務
(ア) Eチームでは,前記第2の2(3)のとおり,主に点滴用留置針のチューブやカテーテル等のチューブを製造する業務を行っていた。これは,押出機という機械を用いてフッ素樹脂を溶かし,規格チューブを製造する押出担当と,押出担当がしたリール巻を規格リールにして検査を行って製品を仕上げる仕上担当に分かれて行い,このうち,BとGが押出機の作業を担当し,Fが仕上機の作業を担当していた。(乙27,28,弁論の全趣旨)
(イ) Eチームが製造していたチューブの規格は,ユーザーからの注文により決まり,実際に注文を受けた規格は,太さ,色,サイズは30種類以上に及んでいた。なお,Bが製造していた留置針の内径は,概ね,0.6ミリメートルから2ミリメートルであった。(乙27,28,弁論の全趣旨)
(ウ) 押出担当の作業は,まず,製図指図書により,作業条件シートに照らし合わせて,温度条件,生産速度,樹脂グレードなどの機械ボタン操作を行い,設定温度まで上がれば原料を押出機に入れ,融解して金型からでてくるものをラジオペンチで引き出し,引き取り機にかけてサイジングに入り,規格内に入ったらリール巻き取りを行う,リールが一杯になった段階でリール交換を行う,という流れで行われていた。なお,引き取り機にかけるまでには10分程度,サイジングの作業には30分程度を要した。(乙28,弁論の全趣旨)
(エ) 上記押出作業の過程では,日常的に製品のロスが生じていた。サイジング作業に取りかかる前の金型から樹脂が出てきた際,原料が均等に溶けていない状態が判明することがあるため,これを目視によって確認していた。なお,EチームのリーダーであったFが,平成10年1月28日に作成した業務計画では,同年度の重要課題の一つに製造ロスの25パーセント削減が掲げられていた。(乙21,28,弁論の全趣旨)
イ そのほかの業務
Eチームの日常的な業務は上記製造業務がおよそ8割程度を占めていたが,そのほか,梱包箱詰めの作業や日常の生産実績のパソコン入力作業が2割程度あった。(乙27,28,弁論の全趣旨)
(2) Eチームの勤務体制
Eチームでは,平成10年4月23日当時,生産量が増加して,作業が間に合わない懸念があったことから,同日以降,交替制勤務を実施した。このうち,Bは,同月23日,24日,27日ないし30日に,夜間勤務(15時から24時)を行ったが,それ以外は日中勤務であった。同年5月及び6月ころはさらに注文が多くなったため,数日の間,他の部署からの2人の応援が入ったこともあった。(甲11,12,乙24,27,28,証人F,弁論の全趣旨)
(3) Bの本件会社内の業務の時間外労働時間
本件疾病発症前1か月ないし6か月間のBの労働時間,勤務状況等は,別紙労働時間集計表記載のとおりである。これによれば,本件疾病発症前2か月間である平成10年5月3日から同年6月1日までのBの時間外労働時間は25時間47分であったが,発症前1か月間の同年6月2日から同年7月2日までの時間外労働時間は,前月から約42時間増加の67時間57分に上った。(乙25,弁論の全趣旨)
(4) 健康診断の結果等
ア 本件会社では,定期的に健康診断が行われていたところ,平成9年以降のBに関する診断の結果は,要旨,次のとおりである。(甲9,乙26)
受診日
H9.4.17
H9.10.8
H10.4.27
体重
53
53
54
肥満度
-5.6
-5.6
-4.7
血圧
138/70
120/60
130/58
胸部X線
異常認めず
異常認めず
赤血球数
440
433
血色素量
14.1
13.9
GOT
34
38
GPT
37
36
γGTP
64
69
TCH
156
175
TG
136
247
イ Bは,平成10年4月まで喫煙をしていたが,それ以降本件疾病発症までの間は禁煙していた。喫煙は,1箱を2,3日程度で吸う程度のものであった。(乙31,弁論の全趣旨)
2 Bの自宅における作業の内容,作業時間等について
(1) ISO対応業務取組みの経緯
ア Eチームの製品製造業務に関しては,機械ごとに作業手順が記載されたノート等が従来から備えられており,この見直しが毎年行われてていた。Eチームの平成10年度の業務計画でも,ノート等にまとめられていた作業手順書,作業条件シート,作業keyカード及び機械操作マニュアル(以下,これらの文書をまとめて「作業手順書等」という。)の見直しが挙げられている。(甲24,34,乙21,27,30,証人F,弁論の全趣旨)
イ Eチームの上記アの計画を受けて,Bは,平成10年度の個人別取組課題として,作業手順書等の見直しを同年4月末ないし同年8月末ころまでに行って,変更箇所の追加検討を同年9月末から平成11年2月末までに行うというスケジュールを組んで,この作業に当たった。
Bの平成10年度の計画の進捗報告に関する「作業手順書の見直し」と題する書面には,作業手順書等の作業の達成度として,平成10年4月までに15パーセント,5月までに10パーセント実施したことが記載されている。なお,同書面には「各手順書をISO9000規格に対応したフォームに作り替えていく」旨も記載されている。(甲24,乙27,30,弁論の全趣旨)
ウ 一方,本件会社は,平成9年ころからISOシリーズの認証取得の動きが全国的に顕著になってきたことを受けて,同年9月ころから,この認証取得に向けた活動を始めた。平成10年5月12日及び13日には,取引先であるH会社から本件会社の製造過程についてISO9001に則った監査を受けて,このころから,本件会社は,ISO9001の認証取得を本格的に検討するようになった。同年11月に取得に向けて正式に事務局を立ち上げたが,実際には,このときには既に認証取得に向けた作業は開始されていた。なお,本件会社内においては,ISO9001のことを実際には「ISO9000」と呼称されていた。
ISO9001認証取得のための作業は,品質マネジメント規格に合う物作りとしてのシステムを構築し,文書化するというものであり,具体的に文書化するものとして,基本理念,品質マニュアル,管理規定及び管理手順書等があった。また,全ての部署において,既存の作業手順などをISOの基準に対応するように見直しを行うことを求め,この見直しには,従来手書きで作成されていたものをデータ化し,写真の挿入,文書番号の整理等を行うことが含まれていた。(乙36,55,弁論の全趣旨)
エ Eチームにおいても,本件会社の上記ウの取り組みを受けて,ISO対応業務の作業を行った。具体的には,Eチームに所属していたB,F及びGの3名が,ISO対応業務の一環として,①製品を製造するための加工条件が記載された文書であり,温度条件,生産速度,樹脂グレード等が記載された作業標準シート,②製品製造作業の手順を文書化した作業標準書,③機械の操作に関する手引書である機械操作マニュアルの3つの文書を作成した。(甲35の1・2~40,乙27,28,54,55,証人F)
オ ところが,Bは,上記①から③の各文書を本件会社に提出する前の平成10年7月1日死亡したので,その日から数日の間に,FらがB宅に赴いて,データが保存されているBのパソコンやフロッピィディスク,書類等を回収した。回収されたデータをみると,内容的にはほとんど出来上がっていたことから,Fが,これに若干の追加等をして完成させた。
なお,Bが作成していたファイルのうち,作業標準シート等が保存されていた「ISO9000」と題するファイルが平成10年7月1日午前10時15分に最終更新されていた。(甲41,46の1・2,55,乙27,46,証人F,原告本人)
カ ISO対応業務に関するBの日記の記載について
Bの日記には,ISO対応業務に関連すると考えられる次の記載がある。(甲11)
(ア) 同年5月18日から24日の週の「JOB CHEチームCK」欄「(meeting)」「H会社 ISO9000なみ 6/30」
(イ) 同年6月3日の欄
「製造記録データをプリント(PSと作業の違う→品管上のトラブル)」
(ウ) 同年6月4日の欄
「key cardをなおす Noをふる」「P.Sを優先して作業する」「ISO9000対応になおす」
(エ) 同月19日の欄
「ISO9000に向けた押出作業手順書の作成 ポラロイド6月末」
(オ) 同月27日の欄
「手順書作成」
(2) ISO対応業務の指示の時期,完成期限について
ア ISO対応業務の指示の時期について
上記のとおり,ISO9001認証取得に向けた取組みは本件会社の全体の方針の下で行われたものであるから,この作業を行うよう本件会社が各部署に対して業務指示をしたことは明らかといえるところ,その業務指示の時期について,原告は平成10年5月末ころと主張し,被告はそのような指示がされた時期の特定はできないと主張する。
ところで,本件会社のISO9001認証取得に向けた取組みは,前記(1)ウのとおり,既存の作業手順などをISO9001の基準に対応するように整備する作業を含んでおり,さらにこれには,従来手書きで作成されていたものをデータ化し,写真の挿入,文書番号の整理等を行う作業も含まれていた。Eチームにおいては,前記(1)ア及びイのとおり,平成10年度の初めの時点では,機械ごとにノート等に記載されて備え付けられている作業手順書等を見直すという,例年どおりの業務が計画されていたにとどまっていたが,同年5月までの作業手順書等の進捗状況を記載したBの「作業手順書の見直し」と題する書面には「各手順書をISO9000規格に対応したフォームに作り替えていく」旨の記載があることからして,同年5月末ころには,本件会社の上記ISO9001認証取得の取組みに対応して,上記の作業手順書等の見直し作業から,ISO9001の規格に対応させたものに整備する作業に移行したと認められる。さらに,Bの日記には,それまでISO9001に関する記載は全くみられていなかったのに,平成10年5月18日から24日までの週の欄には「H会社 ISO9000なみ 6/30」との記載がされ,それ以降ISO対応業務に関係すると考えられる記載がしばしば見られるようになったこと,このような記載がされている時期をみても,本件会社がISO対応業務に本格的に取り組むきっかけとなったH会社による監査がされた日である平成10年5月12日及び13日と時期的に符合することを総合すると,Bは,同年18日から24日までのいずれかの日に,EチームとしてISO対応業務に取り組むよう業務指示を受けたと認めることができる。なお,当時,EチームのリーダーであったFは交替勤務で夜間に会社にいることが多かったため,Fではなく,日中勤務のBに対して指示がなされたと考えられる。
イ ISO対応業務の完成期限について
ISO対応業務が,本件会社の本格的な取組みとして業務指示がされたものであることからすれば,本件会社がその完成期限を全く設定しなかったとは考え難い。
そして,Bの日記には,前記のとおり,ISO対応業務の指示を受けて「H会社 ISO9000なみ 6/30」と記載されている上,同年6月19日には「ISO9000に向けた押出作業手順書の作成 ポラロイド 6月末」とも記載されていることが認められ,他方,Bの死亡後にBのパソコン等から回収された最終更新日同年7月1日のISO対応業務に関する文書のほとんどが完成されていたことからすれば,少なくとも,B個人としては同年6月末を作業完成の目途ないし目標と考えていた可能性が高いというべきである。
これに対し,原告は,同月末が本件会社が設定した完成期限であると主張するが,そうであるとすれば,BのISO対応業務の同年7月1日最終更新の文書が,その時点で完成に至っていなかったことと整合しないから,同月末をもって完成期限であったとまでは認定できない。この点で,前記(1)オのとおり,Fらが,B死亡後まもなくしてB宅からISO対応業務等のファイルを回収したことやISO対応業務の完成期限に関するFの供述内容(乙27)にも照らせば,ISO対応業務の完成期限は同年7月中と設定されていたと認めるのが相当である。
(3) Bが作成したISO対応業務の文書の内容について
前記(1)エのとおり,Eチームでは,ISO対応業務の一環として,作業標準シート,作業標準書,機械操作マニュアルを作成したところ,このうち,Bは,上記の文書をそれぞれ,74通,1通,3通作成したことは全て当事者間に争いがない。
これに対し,原告は,BがISO対応業務として,上記のほかに,検査標準書,日常点検表,定期点検表,スキルレベル要件表を作成したと主張するが,Bが使用していたパソコンやフロッピィディスク等に,上記のような文書が保存されていたということを示す証拠はなく,原告の主張は採用できない。
原告は,さらに,ISO対応業務に関連する業務として,逆引き手順書(甲19・8頁),新規成形方法案(甲19・11頁),生産条件シート(甲21)のほか,留置針棚卸し,原材料棚卸し,原料棚卸し,仕上げ報告書,生産予定表,各種管理台帳等の様式(甲23)を作成した旨の主張をする。
これらの文書が,その内容に照らし,ISO対応業務と一定の関連性を有するものであることは否定できないが,これらが業務指示のあったISO対応業務の内容に含まれると認めるに足りる証拠はない。したがって,Bがこれらの文書を自宅で作成していても,それを業務との一環として行ったと認めることはできないといわざるを得ない。
(4) 本件疾病発症前1か月間のBの自宅におけるISO対応業務の作業時間について
原告は,本件疾病発症前1か月間において,ISO対応業務等の持ち帰り残業時間が33時間38分であったとして,これと本件会社内の時間外労働時間とを合わせると,発症前1か月間の時間外労働時間100時間を上回ると主張する。しかし,Bの自宅作業時間を正確に記録したものはもとより存在せず,このため,本件疾病発症前1か月間の自宅における作業時間は,Bが作成したISO対応業務の文書の内容等から推計して算出せざるを得ない。そこで,①Bが作成したISO対応業務の文書の作成に通常どの程度の時間を必要とするかという文書の所要作成時間を検討した上,②この所要作成時間のうちのどの程度の割合をもって,本件疾病発症前1か月間の自宅作業に充てられたのかを検討して,作業時間を推計,算出する。
なお,原告は,自身の記憶等に基づいてBの労働時間,自宅作業時間を算出した書面(甲5)を提出するが,これには推測に基づいて算出した部分が含まれていることは原告自身認めるところであって(原告本人),採用することはできない。
ア ISO対応業務の文書の所要作成時間について
Bが作成した上記(3)の文書の1通当たりの所要作成時間について,作業標準書が10時間,機械操作マニュアルが5時間であることはいずれも当事者間に争いがない。
他方,被告は,作業標準シートの1通当たりの所要作成時間が10分であると主張し,これに対して原告は10分を上回っていたと主張する。
証拠(乙54~57,証人I,証人F)及び弁論の全趣旨によれば,作業標準シートの作成過程等について,次の事実が認められる。
(ア) 作業標準シートの作成作業は,元々機械ごとにノート1冊ずつ備えられていた作業条件シートの内容を,パソコンによって作成し直す作業であり,作業標準シートに入力する50項目中40項目は,各ノートに記載されている作業条件シートの内容からデータ入力する。
(イ) 他方,作業標準シートの入力項目のうち,作業条件シートに記載されていない10項目は,①「管理番号」,②「品番」欄の「コードナンバー」,③「内径」欄の「公差」,④「外径」欄の「公差」,⑤「肉厚」欄の「公差」,⑥「巻数量」欄の「リール最大巻数量」,⑦「制定年月日」欄,⑧「承認」欄,⑨「審査」欄及び⑩「作成」欄である。
具体的には,上記のうち,②「品番」欄の「コードナンバー」は,製造指図書(乙56)という書類に記載されているナンバーを記載し,③「内径」欄の「公差」,④「外径」欄の「公差」,⑤「肉厚」欄の「公差」は,「サイズ表」(甲20・3頁参照)に記載されているデータを記入し,また,⑥「巻数量」欄の「リール最大巻数量」は,早見グラフ(乙57)により,「電線外径」に対応する「最大巻き条長」の数値を記入する。
(ウ) Bが作成した作業標準シート74通の入力項目をみると,全シートを通じて入力内容が同じものがある一方で,上記(イ)①ないし⑩の各欄や,「設定温度」欄,「押出速度(rpm)」欄,「引取速度(m/min)」欄,「エアーギャップ(mm)」欄,「プレート内径(mm)」欄,「ブロアー」欄など,各シートで記入内容がそれぞれ異なるものが相当数存在する。
上記(ア)ないし(ウ)を前提として作業標準シートの1通当たりの所要作成時間を検討すると,作業標準シートは,多数の細かな数値等の入力を要するものであることが一見して明らかであるところ,これらの項目の入力に当たっては,概ね従来の作業手順書等のノート記載の内容を記入すれば足りる部分が存在する一方で,製造指図書やサイズ表,早見グラフ等の書類を参照して逐一対応する数値を入力する項目も存在し,このような作業を1枚ずつ作成していくことは決して負担の軽い作業であるとは考えられない。しかも,Bが作成した作業標準シートをみると,上記(ウ)のとおり,全シートを通じて内容の同じ項目も一部にあるが,記入内容がシートごとに異なる項目も相当数見られるため,単に1枚目で作成したデータを2枚目以降にコピーしていけば足りる作業というものでもない。これらのことを考慮すると,作業標準シートの1枚当たりの所要作成時間を10分とみることはあまりに短いといわざるを得ず,少なくとも平均的な所要作成時間として20分程度を要すると認めるのが相当である。
以上をまとめると,Bは,所要作成時間が20分の作業標準シートを74通,10時間の作業標準書を1通,5時間の機械操作マニュアルを3通作成したことになるから,これらの合計は約49時間40分となる。
イ 本件疾病発症前1か月間の自宅における作業時間について
(ア) 次に,上記所要作成時間49時間40分のうちのどの程度の割合が,本件疾病発症前1か月間に行われたのかを検討する。
a 前記(2)アのとおり,Bは,平成10年5月18日から同月24日までの間に,ISO対応業務の指示を受けたものと認められるところ,前記(1)カのBの日記の記載をみると,ISO対応業務について,同年5月の時点では,同月18日から24日の週の欄にそれに関する記載が見られる程度であったが,同年6月にはISO対応業務に関連すると考えられる記載が相当見られるようになっており,これをより詳しく見ると,同年6月3日に「製造記録データをプリント(PSと作業の違う→品管上のトラブル)」,同年6月4日に「key cardなおす Noをふる」「P.Sを優先して作業する」「ISO9000対応になおす」,同月19日に「ISO9000に向けた押出作業手順書の作成 ポラロイド 6月末」,同月27日に「手順書作成」など,具体的な作業の進捗状況又は作業の目標が記載されている。
これによれば,Bは,指示を受けてISO対応業務の作業を始めたのが同年5月末ころであるとしても,それに本格的に取り組んだのは同年6月になってからであると認めることができる。
b 他方,Bが死亡した同年7月1日の時点ではISO対応業務の文書の全てが完成に至っていたわけではないが,前記のとおり,同年6月末がISO対応業務のBの個人的な完成目標であった可能性が高く,実際に,同年7月1日の時点でBのパソコン等に保存されていたファイルがほとんど完成していたということが認められる。
c 以上を総合すると,Bは,本件疾病発症前1か月間である同年6月中にISO対応業務の作業に本格的に取り組み,かつ,その期間にこれをほとんど完成させたのであり,これからすれば,Bは,同年6月中に,担当していたISO対応業務の全体の95パーセントを成し遂げたと推計するのが相当である。
これに対し,被告は,①「B氏のパソコンから出力した98年度個人別取組課題・テーマ実施計画表 頁NO1~10」(甲24)の「5.テーマに対する累計達成度」(同7頁)に「4月末15パーセント 5月末10パーセント」と記載されていることから,平成10年5月末時点で25パーセント完了していたといえること,②「亡Bのテーマ実施報告書」(甲24・3頁)の「成果と反省」欄の「第1四半期」欄に「3.手順書の整備については,ほぼ80パーセント完了です。今後は,標準シートのデータ追加と,2軸押出の条件シート作成を残すのみです。」と記載されていることから,同年6月末時点の完成度は80パーセントまでであり,結局6月中の作業量は差し引き55パーセント程度であった旨の主張をする。しかしながら,前記のとおり,本件会社がISO対応業務の取り組みが開始されたのは同年5月18日から24日の業務指示が出された後であって,それ以前の段階では,毎年行われている作業手順書等の見直しが行われていたにとどまる。Bのパソコンに残されていた上記「4月末15パーセント 5月末10パーセント」との記載は,同年4月からの進捗を記載しているものであるから,ISO対応業務の作業の進捗を示しているとは認められない。また,上記②「3.手順書の整備については,ほぼ80パーセント完了です。」との部分についても,平成10年の最初の四半期全体を通した成果を記載する部分であり,Bは,この間,ISO対応業務だけでなく,毎年行われている作業手順書等の見直し作業や,ISO対応業務に一定の関連があると見られる前記(3)の逆引き手順書等の多数の文書を作成していたことに照らすと,ISO対応業務に限定した進捗状況を記載したものと認めることはできない。そうすると,Bが同年6月中にISO対応業務を全体の55パーセント行ったとする被告の主張は採用することができない。
(イ) ISO対応業務の自宅作業時間
ところで,Fも証人尋問で供述するように,BがISO対応業務の全てを自宅で行ったということはできず,相当量の作業を本件会社内で行っていたことは否定できない。
しかしながら,平成10年4月ころから6月末ころにかけては,交替制勤務が実施されるほど生産量が増加していたことから,押出機を用いた製造作業等の合間を縫ってISO対応業務を行うことには限界があったと考えられる。反面,ISO対応業務の主たる部分はパソコン作業であり容易に自宅に持ち帰って作業をすることができるものであって,FやGも,Eチームの従業員らは,主に自宅でISO対応業務の作業をしていた旨一致した供述をしている(甲11,乙27,28,証人F)し,Iも,多くの従業員は本件会社内では上記作業を行っていなかった旨の供述をしている(乙30,証人I)。なお,Fは,Bが本件会社内でISO対応業務を作業を行っているところを目撃したと証言するが,1回当たり30分から1時間程度のものをわずか2,3回目撃したというにすぎないから,これをもって,BがISO対応業務を専ら本件会社内で行っていたと認定できないことは明らかである。
これらの事情を考慮し,また,Gが上記作業を会社と自宅とで約3対7の割合で行っていたと供述している(乙28)ことを踏まえて,Bの自宅でのISO対応業務の作業割合を全体の70パーセント程度と認めるのが相当である。
(ウ) 以上を総合すると,Bは,ISO対応業務の所要作成時間約49時間40分を,本件疾病発症前1カ月間に95パーセント行い,このうち自宅で70パーセントの作業をしたから,本件疾病発症前1か月間のISO対応業務の自宅作業時間は,約33時間と推計される。
3 本件疾病の業務起因性について
(1) 労基法及び労災保険法に基づく保険給付は,労働者の業務上の疾病等について行われるが,業務上の疾病とは,労働者が業務に起因して疾病が発症した場合をいい,業務と当該疾病との間に相当因果関係があることが必要であると解される(最高裁判所昭和51年11月12日第二小法廷判決・裁判集民事119号189頁参照)。
また,労基法及び労災保険法による労働者災害補償制度は,業務に内在する各種の危険が現実化して労働者に疾病等が発生した場合に,使用者等に過失がなくとも,その危険を負担して損失の補填の責任を負わせるべきであるとする危険責任の法理に基づくものであるから,上記にいう,業務と疾病等との相当因果関係の有無は,その疾病等が当該業務に内在する危険が現実化したものと評価し得るか否かによって決せられるべきである。
そして,脳・心臓疾患発症の基礎となり得る素因ないし疾病を有していた労働者が,脳・心臓疾患を発症する場合,様々な要因が上記素因等に作用してこれを悪化させ,発症に至るという経過をたどるといえるから,その素因等の程度及び他の危険因子との関係を踏まえ,医学的知見に照らし,労働者が業務に従事することによって,その労働者の有する素因等を自然の経過を超えて増悪させたと認められる場合には,その増悪は当該業務に内在する危険が現実化したものとして業務との相当因果関係を肯定するのが相当である(最高裁判所平成9年4月25日第三小法廷判決・裁判集民事183号293頁,最高裁判所平成12年7月17日第一小法廷判決・裁判集民事198号461頁参照)。
(2) BのISO対応業務の自宅作業の業務性について
ところで,被告は,本件会社がISO対応業務を自宅で作業するよう指示したことはないから,そもそも業務性が認められないと主張するので,業務起因性の判断の前提として,この点を先に検討する。
前記のとおり,Bが行ったISO対応業務は,そもそも本件会社の業務指示の下行われたものである上,平成10年5月18日から24日までの間になされたその指示は,同年7月中を完成期限と定めていたものであって,ISO対応業務が相当の作業量を伴うものであったことをも考慮すると,従業員としてはこれを相当短期間のうちに遂げなければならない状況であったと推認できる。このような状況下でも,本件会社においては,ISO対応業務の作業の負担を考慮して通常業務の量を減らすなどの措置がとられることはなく,かえってEチームにおいては,そのころ交替制勤務を実施するなどして生産量増加の対応に当たっており,元々多忙な通常業務と並行してISO対応業務の作業に当たることを余儀なくされたのである。このような事情を考慮すると,ISO対応業務を期限までに終えるため,自宅に持ち帰って作業せざるを得ない状況であったといわざるを得ず,また,実際にも,少なくともEチームの従業員が自宅で作業をしていた事実があることは前記のとおりである。そうすると,持ち帰り残業の明示の指示の有無にかかわらず,ISO対応業務の自宅作業についても業務性を認めることができるから,時間外労働時間として計算すべきである。したがって,被告の上記主張は採用できない。
(3) 業務の過重性について
ア 前記1のとおり,Bの本件会社内における時間外労働時間は67時間57分であり,前記2(4)イ(ウ)のとおり自宅におけるISO対応業務の作業時間は約33時間であるから,これらを合算すると,Bの本件疾病発症前1か月間の時間外労働時間は約100時間57分となる。わずか1か月間で時間外労働時間が100時間を超えているのであるから,このことは,その業務が量的に見て相当に過重であったことを示しているといえる。
Bの本件会社内における業務の内容をみると,主に行っていた製品製造業務は,製造するチューブの規格が30種類以上に及んでおり,このうち特に留置針の内径が0.6ミリメートルから2ミリメートルと小さく,それ自体神経を遣い,精神的緊張を伴う作業であったことに加え,これらの製造を繰り返し行う製造過程の中では度々生じるロスをできる限り抑えるように注意し続けなければならなかったと考えられる。しかも,当時のEチームにおいては,交替制勤務を実施しなければならないほどに生産量が増加傾向を示していたところ,このことはBの本件会社内における時間外労働時間の推移を見ても明らかである。すなわち,前記1(3)のとおり,Bの本件会社内における時間外労働時間は,本件疾病発症前3か月間から1か月間にかけて増加し続けているところ,とりわけ,発症前2か月間から1か月間にかけては約42時間もの急激な増加が見られているのであり,Bが基本的に日中勤務が多かったことを考慮しても,特に発症前1か月間の業務は相当に多忙であったと考えられる。このほか梱包箱詰めや生産実績の作成業務などに従事していたことをも併せ考慮すれば,本件会社内の通常業務だけを見ても,物理的・精神的に相当の負担を伴うものであったということができる。
さらに,ISO対応業務の業務内容をみると,作業標準シート,作業標準書及び機械操作マニュアルは,その作成に当たって多くの細かい数値を入力したり,写真や図の作成・挿入をする作業を必要とし,Bは,期限までの短期間のうちに終えなければならないという精神的な負担が伴う状況の中で,上記の内容の作業標準シートを74通,作業標準書を1通及び機械操作マニュアルを3通,実際に平成10年6月末日の時点でほとんど完成させていたというのである。Bは,このようなISO対応業務を,主に同月中に製造業務等の通常業務と並行して行っていたのであって,その負担は総じて十分に重いものであったというべきである。
被告は,自宅作業が一般にリラックスした状態で行えることなどから,業務の過重性については,会社における業務と同等の評価をすることはできない旨の主張をする。しかしながら,被告の主張は持ち帰り残業に関する一般論としてはそのようにいえるとしても,期限まで短期間のうちに完成させなければならないという精神的負担の中で,多忙な製造業務の作業に並行してISO対応業務を行わなければならなかったという本件事情の下では,その業務の過重性を,本件会社内におけるものと同等の評価をすることには十分な合理性があるというべきであって,被告の上記主張は採用できない。
以上からすると,本件疾病発症前1か月間のBの業務は,休日が数日あったことや不規則勤務でなかったことを考慮しても,質的,量的な過重性を有するものであったというべきである。
イ なお,被告は,本件疾病はポックリ病や刺激伝導系の変性又は心筋炎のいずれかの疾病であり,これらは発症機序不明の疾病であるから,発症と業務との間にはそもそも条件関係がないと主張し,これに沿う医師の意見書(乙33の2,45)を提出する。しかしながら,これらの医師の意見書は,同医師に対する依頼事項の内容(乙33の1)や意見書の内容に照らし,あくまでBの業務が過重ではないことを前提として医学的な見地から意見を述べたものであるが,Bの業務が過重であると認められることは上記に説示したとおりであるから,被告の主張は,その前提において採用することができない。
(4) 本件疾病発症と業務との相当因果関係
Bの業務が質的量的に過重であったことは上記のとおりであるが,特にBの本件疾病発症前1か月間の時間外労働時間は100時間を超えているところ,前記第2の2(9)の専門検討会報告書の内容に照らし,本件疾病の発症とBの業務との間には強い関連性があると医学的に評価することができる。なお,上記専門検討会報告書の内容は,その報告書の作成過程や,これを踏まえて認定基準が策定されて運用されていることに照らして,一般的な医学的知見を示すものとして,合理的かつ妥当なものと認められる。
しかも,Bは,同年6月中に,生産量増加のため製品製造業務が多忙となっている中,これに並行してISO対応業務の作業に本格的に従事をして,同月末日の時点ではそのほとんどをようやく完成させたところで,そのまさに翌日に,突如として本件疾病を発症して死亡に至ったというものであって,このような本件疾病発症に至るまでの経過からすれば,業務が本件疾病の発症に強く関連していると考えざるを得ない。
他方,当時のBの健康状態等に特筆すべきリスクファクターはない。すなわち,前記1(4)によれば,平成10年4月の検査で中性脂肪(TG)が高めの値を示したが,肥満度は一貫してマイナスであり,血圧も正常で脳・心臓疾患のリスクをうかがわせるような問題は認められず,既往歴もなかった。被告が主張する,Bが男性であるということや喫煙をしていたということは,リスクファクターとして一応挙げることはできるが,男性とはいえ32歳と若年であり,また,本件疾病発症前の平成10年4月ころから禁煙をしていたのであるし,それまでの喫煙量も多量というほどのものでもなかったことから,それほど重要なリスクファクターとして評価することまではできない。
したがって,Bが,本件疾病発症を引き起こした何らかの素因又は疾患を元々有していたとしても,その程度は極めて低いものであったというべきであるから,これが自然の経過によって増悪して,本件疾病を発症させ死亡に至らせるような状態であったとはいえない。そして,上記に述べたBの業務の過重性と時間外労働時間に対する医学的評価及び本件疾病発症に至るまでの経過に照らせば,他に疾病発症に至る確たる増悪要因が見当たらない本件においては,過重な業務によってBが有する何らかの素因又は疾患をその自然の経過を超えて増悪させ本件疾病発症に至ったと認めるのが相当である。
以上によれば,本件疾病発症と業務との間に相当因果関係を認めることができるから,業務起因性を肯定するのが相当である。これと異なり,業務起因性を否定する本件不支給処分は,違法であって取消しを免れない。
4 結論
よって,原告の請求は理由があるから認容することとして,訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条を適用して,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 林正宏 裁判官 岡田紀彦 裁判官 伊賀和幸)