甲府地方裁判所 昭和24年(ワ)155号 判決
原告 尾沢孝弘
被告 佐々木清
一、主 文
被告は原告に対し、甲府市千塚町第一、八五九番地所在木造瓦葺二階建土蔵一棟の東の間口三間奥行四間の部分を、右建物に附属する間口三尺奥行九尺の板葺平家建炊事場を收去して、明け渡し、且つ昭和二四年二月一日から右明渡済に至るまで一ケ月につき金五〇〇円の割合の金員を支払うべし。
原告その余の請求を棄却する。
訴訟費用は被告の負担とする。
この判決は、原告が被告に対し金五〇、〇〇〇円に相当する担保を供するときは、原告勝訴部分に限り、仮に執行することができる。
二、事 実
原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し、主文第一項記載の建物の部分を、同記載の附属部分を收去して明け渡し、且つ昭和二四年二月一日から右明渡済に至るまで一ケ月につき金一、〇〇〇円の割合の金員を支払うべし。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決及び担保を条件とする仮執行の宣言を求め、その請求の原因として次のとおり述べた。
「原告は、昭和二三年九月一日、原告所有の主文第一項記載の建物の部分(同記載の附属部分を除く)を賃料一ケ月金一、〇〇〇円、毎月末日払の約で期間は五年と定め、賃貸し、爾来被告はこれに居住している。
一、この建物については従来賃貸借契約はなく、従つてその家賃の停止統制額がなかつたので、これについて新たに家賃の額を契約しようとするときは、地代家賃統制令第六条によつて、その額について都道府県知事の認可を受けなければならず、賃料の額について知事の認可を受けないで結ばれた家屋の賃貸借契約は強行法規違反に因つて無効である。しかるに原告は被告の懇請に動かされ、且つ法令を知らなかつたため、賃料の額につき知事の認可を受けないで、本件家屋を被告に賃貸したところ、被告は認可のないことを口実にして賃料の支払を拒み、あまつさえ原告法定代理人を地代家賃統制令違反として告発し、原告法定代理人はこれがため甲府簡易裁判所で罰金二千円に処せられた。
二、仮に前記賃貸借契約が認可家賃額の限度において有効であるとしても、本件建物については昭和二四年一二月二日附山梨県指令商第五三七七号で山梨県知事から家賃月額五〇〇円が認可されたが、そもそも原告が本件家屋を被告に賃貸したのは、当時原告は東京都の中学校に在学して居り、その学費を得るために、当初は全然賃貸する意思がなかつた土蔵を二等分し、その東の部分を被告に、西の部分を訴外小田切忠雄にそれぞれ家賃金一、〇〇〇円で賃貸したのであつて、一月につき合計二、〇〇〇円の收益があると思つたからこそ、これを賃貸する気になつたのである。しかるに前記山梨県知事の認可によつて、被告から一ケ月金五〇〇円の家賃しかもらえないということになつたのでは、原告の当初の考えとくいちがいがあり、而かもそれは原告が本件賃貸借を決意するに至つた重大な目的に関係するものであるから、この賃貸借契約は法律行為の要素に錯誤があるものとして無効である。
三、仮に原告の右主張も当らないとしても、被告は昭和二四年二月分からの本件家屋の賃料の支払をしないので、原告は同年八月四日書面を以て被告に対し同年二月から六月までの家賃金を八月十二日までに支払われたく、もし右期限までにその支払がないときは賃貸借契約を解除する旨の催告及び不履行を条件とする契約解除の意思表示をし、その書面はその頃被告に到達したのに、被告は右期限内にその賃料の支払をしないので、原被告間の本件賃貸借契約は同年八月十二日の経過とともに解除に因り終了した。
四、前記のとおり原告から契約解除の催告をしたのに対し、被告は昭和二四年八月一一日附書面で、本件契約は統制令違反であるから賃料支払不能の旨回答して来たので、原告法定代理人から、本訴提起の頃、被告に対し本件契約当時の事情を打ち明け、被告が統制令違反を口実にして賃料を支払わず、且つこれの違反を理由に原告法定代理人を告発したことは信義則に反する旨を告げ、同時に本件契約の動機は原告の学資を得るためやむなく契約したのに、被告が賃料を支払わないのでは、その目的を達することができないので、続けて本件家屋を被告に貸すことはできぬことを通告した。これは正当の事由に基く本件賃貸借契約の解約の申入であつて、これから六月経過した昭和二五年二月末日を以て本件賃貸借契約は終了した。
五、以上の原告主張がすべて理由なしとするも、被告は契約当初から賃料支払の意思がなく、三ケ月も賃料を支払えば被告に借家権が発生し、あとは賃料を支払わずとも本件家屋を使用できるという意図のもとに、その事情を知らない原告の法定代理人を欺罔して、本件賃貸借契約を結ばせたものであつて、原告法定代理人が右契約締結のためにした意思表示は詐欺に基き取り消さるべきものであり、原告法定代理人がした前記契約解除又は解約の申入は、その解除又は解約の効果がないとすれば、無効行為の転換の法理によつて、右契約取消の意思表示とみなすべきである。もし右取消の効果がないとすれば、原告は改めて本訴において、詐欺に基き本件賃貸の意思表示の取消の意思表示をする。従つて本件賃貸借契約は右取消によつて当初から無効に帰したものである。
以上いずれの理由によるも被告は本件家屋に居住する権原がなく、而うして主文記載の炊事場は被告が無権限で本件土蔵に附属させたものであるから、原告は本件家屋に対する所有権に基き、被告に対し右附属部分を收去して、本件土蔵の被告居住部分を明け渡し、且つ昭和二四年二月から右明渡済に至るまで、被告が右家屋に不法に居住することによつて原告に被らせている、一ケ月につき金一、〇〇〇円の賃料相当額の損害金の支払を求めるため、本訴請求に及んだ。」<立証省略>
被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。」との判決を求め、次のとおり答弁した。
「原告主張事実中、原告主張の日、原告からその所有の主文記載の土蔵の東の部分を、期間の点を除いて原告主張どおりの約束で賃借し、爾来これに居住すること、右賃料の額の決定については、所定の知事の認可を受けてなく、それで被告が原告法定代理人を地代家賃統制令違反のかどで告発し、原告法定代理人が原告主張のとおり処罰されたこと、原告からその主張のとおりの書面が到達したこと、及び主文記載の炊事場は被告が自らの費用で本件土蔵に附属させたものであることは認めるが、その余の原告主張はすべて争う。
一、前記賃貸借契約が地代家賃統制令に違反していることはもちろんであるが、法律行為の私法上の効力は、民法々意によつて決せらるべく、その法律行為に関し、たまたま犯罪が成立することがあつても、その行為を以て当然無効とはなし得ないもので、本件賃貸借契約のごとき、統制令違反に因つて当然無効となるものではない。
二、およそ法律行為の要素の錯誤ありや否やはその法律行為成立の時を標準として考えるべきであつて、本件賃貸借においては賃料は一ケ月につき金一、〇〇〇円と定められ、被告も爾来五ケ月間その支払をして来たのであるから、その間決して当事者間の意思と表示とに不一致はないので、賃料額につき錯誤があるとの原告の主張は失当である。
仮に賃料につき錯誤があるとしても、賃料の数額に関する錯誤を以て直ちに要素の錯誤であるとするわけにはいかない。すべからく主観客観の両標準からして社会取引上の通念と社会的妥当性に基準して決定せらるべきものであつて、本件のように統制令に違反して定められた賃料額を基礎として、決定することはできないものである。
仮に百歩を譲つて本件賃貸借契約に賃料の額について要素の錯誤があつたとするも、それは原告の重大な過失に基く錯誤であるから、原告自ら本件契約の無効を主張することはできないものである。
三、又原告主張のような賃貸借契約の解除の意思表示があつたことは認めるが、原被告間において当初定めた賃料は地代家賃統制令に違反するものであつて、被告は昭和二四年二月以降家賃の滞納があるとしても、その間原告に対し再三適正賃料の決定方を要求したにもかゝわらず、原告は頑迷にして一ケ月金一、〇〇〇円の要求をまげず、この不法の金額を以て催告に及んだものであるから、被告にはその支払義務はなく、従つて債務不履行はないから、原告の解除の意思表示はその効力を生じない。
以上の理由によつて原告の本訴請求に応ずることはできないものである。」<立証省略>
三、理 由
主文第一項記載の建物(同記載の附属部分を除く)が原告の所有であつて、原告が、昭和二三年九月一日、これを被告に対し、賃料一ケ月につき金一、〇〇〇円の約束で賃貸し、被告が爾来これに居住することについては、当事者間に争いがなく、原告法定代理人本人尋問の結果によれば、右賃貸借契約には五年の期間の定めがあつたことが明らかである。
ところで右家屋は土蔵であるが、従来これについて家賃の停止統制額がなかつたので、新たにその家賃の額を契約しようとするときは、地代家賃統制令第六条によつて、その額について都道府県知事の認可を受けなくてはならない場合であるにかゝわらず、前記金一、〇〇〇円の賃料の決定について所定の知事の認可を受けてなかつた事実は、当事者間に争いがないので、右法令違反行為が本件賃貸借契約の私法上の効力にどのような影響を及ぼすかについて考えて見なければならぬ。
まずこの地代家賃統制令違反にもかゝわらず、本件賃貸借契約が、契約された通りの内容で完全に有効であるということは、とうてい考えられない。地代家賃統制令の趣旨たるや、単にこれに違反した行為を処罰すれば足りるというのではなくて、違反行為の私法上の効果をもある程度否定するのでなくては、地代家賃の額を統制して国民生活の安定を図るという、地代家賃統制令の目的は達成せられないからである。而うして賃料の定めは賃貸借契約の要素であるから、賃料の契約のみを賃貸借契約から切り離して、その有効無効を論ずることはできず、賃料の額の決定についての違法があるときは、賃貸借契約自体の私法上の効果に影響があるものと言わなければならぬ。それで本件のような家屋の賃貸借契約について、家賃の額の契約について知事の認可を受くべきにかゝわらず、その認可を受けないで賃料を定めた場合において、その賃貸借契約が強行法規違反に因つて全部無効となるか、或いはその家賃の額の約束が、後に認可さるべき適法な家賃の額に引き直され、賃貸借契約は適法な賃料の額の範囲内においてその効力を保有し、これを超える賃料部分の定めについてのみ無効とされるものであるか、そのいずれかであると考えられる。
他の種類の契約についてはしばらくおき、少なくとも不動産の賃貸借契約について考えるのに、不動産は財産のうちでも価値において特に重要なものであり、賃貸借契約は売買等一回の履行によつて終了するものと異なつて、継続的な効果を有するものであるからして、不動産賃貸借契約は契約のうちでも個性の最も濃厚なものであると言える。もつとも不動産賃貸借契約にしても、例えばそれを営業とする会社によつて、集団的類型的に行われるというような場合を想定すれば、このような場合においては、不動産賃貸借契約はその個性を没却し、日用品の売買等他の大量的取引と額を等しくするもののあることも予想できる。然しながら、かゝる事例は不動産賃貸借においては寧ろ例外の場合に属し、特に本件の場合のように貸主がその重要財産である不動産をできるだけ有利に利用しようとして、その賃貸借契約を結んだ場合には、賃料に関する貸主の意思は十分に尊重されなければならぬ。一ケ月につき金一、〇〇〇円の收益ありとして、重要財産である家屋を賃貸したところ、後にその家賃の統制額が金五〇〇円と決定されたがために、爾来特別の賃貸借契約の終了原因なき限り、引き続いてこれを予想しなかつた金五〇〇円の賃料で賃貸しなければならぬということは、少なくとも本件のようにその家屋について停止家賃額がなく、知事の認可によつて家賃の額が始めて決定される場合について考えるのに、貸主にとつて甚しく酷である。従つて、家賃の額が知事の認可で決定さるべき場合に、その認可を受けずして締結された家屋の賃貸借契約は、家賃の額について知事の認可を受けていないという理由で、原則的には一応全部的に無効であり、後に家賃の額の認可あるのを待つてその額の範囲内で有効に存続するというようなものでないと解するを相当とする。このように地代家賃統制令の前記規定に違反して締結して結ばれた家屋賃貸借契約は一応全部無効と解しても、後日家賃の認可があつた場合、当事者がこれによつて契約するの意思があれば、改めてその認可額によつて賃貸借契約を維持することはもちろんできるのであつて、強いて当初の契約の一部的効果を認めて、時にはその意に満たざる賃料額に当事者を拘束する結果を生ぜしめるには当らないのである。
かように考えるときは、原被告間に締結された本件賃貸借契約は、地代家賃統制令第六条に違反し、全部無効であるというべく、被告がこれに主文第一項記載の炊事場を附属させたことは当事者間に争いないところであるが、この炊事場は被告が何等の権原なく附属させたことになるので、被告はこれを收去して主文第一項記載の建物の土蔵の部分を、その所有者である原告に明け渡し、且つ被告がこれに居住を始めた後である昭和二四年二月一日から右明渡ずみまで、これを占有することに因つて原告に被らせた損害賠償として、成立に争いのない甲第一号証の認可書によつて、本件家屋の家賃相当額であることが認められる一ケ月金五〇〇円の割合の金員を支払うべき義務あること明らかであるので、原告の本訴請求は、これが履行を求める範囲において、理由があるが、これを超える部分の請求は理由なきものとして棄却すべく、爾余の争点につき判断を省略し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条但書を、担保を条件とする仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 入山実)