甲府地方裁判所 昭和30年(ワ)114号 判決 1958年12月23日
原告 原田万吉
被告 甲府パルプ工業株式会社 外一名
主文
被告等は原告に対し、各自金二十三万四千四円及びこれに対する昭和三十一年一月一日以降右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
原告その余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の負担とし、その余を被告等の連帯負担とする。
この判決は第一、第三項に限り原告において各被告のため各金七万円の担保を供するときは、当該被告に対し仮に執行することができる。
被告等において原告に対し、各自金七万円の担保を供するときは、仮執行を免れることができる。
事実
原告訴訟代理人等は、「被告等は、その会社より排出する廃水を甲府市内荒川上流に流出してはならない。被告等は原告に対し各自金五十六万四千円及びこれに対する昭和三十一年一月一日以降右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告等の連帯負担とする。」との判決並に金員の支払を求める部分につき仮執行の宣言を求め、その請求原因として、
(一) 原告は、昭和七年七月頃より甲府市湯田町五十番地宅地二百五十坪に約百十三坪の養鯉堀を築造し、これに荒川の分流である天神川の流水を導入して養鯉業を営んできたものである。しかして荒川水域の農民及び養魚業者等は、数十年来の慣行として右河川を分流させ、これを灌漑若しくは養魚、用水に利用してきたが、右流水の使用につき、甲府市南部及びその近郊五ケ町村の住民によつて三ツ水門、水利組合が結成されてからは、原告は準組合員としてこれに加入し、右資格においても流水を使用する権利を有するに至つた。しかして原告の有する使用権は対世的なものである。
(二) 被告等会社は、いずれもパルプ製造を業とする会社であるところ、創業以来パルプ製造によつて生ずる廃液を荒川上流に放出しているものである。ところが右廃液は、乳白色を呈し、その中には、微細な繊維が多量に存し、これを除去するに足る適当な手段を講ずることなく、そのまま右廃液を河川に放出するときは、廃液中の繊維は、流水とともに下流に流下し、若し養魚堀に流入すれば、右繊維は堀底に沈澱堆積するため、池中の養魚は、用水とともに繊維を飲み込み魚類の鰓に附着し、漸次その機能を喪失させて、遂に魚類をして死に致らすものである。しかるに、被告等会社は、いずれも、右危害を防止すべき適当な手段を講ずることなく、荒川上流に右廃液を放出している。そのため、その下流において右流水を導入して養鯉している原告の養鯉堀内にも、流水とともにパルプ繊維が流入し、沈下堆積するに至つた。よつて養鯉はその流下沈澱したパルプ繊維を吸入して漸次窒息死するに至り、昭和二十三年頃年収三百五十貫の収穫を得ていた養鯉が同二十五年頃から漸次減少し、同二十六年には半減し、同二十七年において遂に収穫皆無となり、その後現在に至るまで引続き営業は全く不能となり後記損害を被つた。
(三) 元来パルプ業者は、少しく注意すれば、危害を防止するに必要な手段を講ずることなく前記の如き廃液を河川に放出すると、廃液中の沈澱物が流水とともに流下堆積して、下流の水棲動植物に対し被害を与えることを当然予見し得るものであるし、また、山梨県漁業調整規則(昭和二十七年三月十七日山梨県規則第五号)第十九条にも、水産動植物の繁殖に有害な物質を遺棄し、又は漏せつする虞れがあるものを放置してはならない旨規定されているのであるから、注意を怠りさえしなければ、右法規を遵守し危害防止のため適切な措置を施し得たにも拘らず、被告等は、いずれも右注意義務を怠り、これを放任し廃液を荒川に放出し続けているものである。しかも原告は、昭和二十八年七月十三日山梨県廃水処理委員会に、その汚水処理方法並に汚水により養鯉の被つた損害賠償方調停を申入れたところ、同委員会は右申請を取上げ、昭和二十九年十一月十六日附書面を以て被告等会社に対し、原告の昭和二十七年中の被害額金十四万一千円につき損害補償方勧告したが、被告等会社は、これを無視して支払わず、前記の如く依然としてパルプの廃液を荒川に流出している状態である。
(四) ところで昭和二十七年中原告が養鯉堀に投下した稚魚は二千六百匹(約二十貫八百匁)にして、これが標準投飼量は、年間三百七十六貫匁を要し、一ケ年の標準収穫量は二百八貫匁となるべきところ、同年六月以降被告等会社の流出するパルプ汚水によつて漸次養鯉が死亡減少したため、原告が実際に投じた飼量は二百貫匁に過ぎなかつたから、右標準収穫量二百八貫匁の収益から投飼しなかつた百七十六貫匁の飼料代を控除した額が養鯉死滅のため原告の被つた損害額である。而して昭和二十七年死滅当時の成魚貫当価額は金七百五十円(現実の取引では一貫匁千円乃至千三百円)であつたから、この割合で算定すると右標準収益は金十五万六千円となる。
しかるところ右控除すべき飼料代は、左記種類及び割合となるから、種類別に計算すると、
干蛹(割合〇、八)百四十貫八百匁(貫当九十円)一万二千六百七十二円
大麦(割合〇、一)十七貫六百匁(貫当五十円)八百八十円
馬鈴薯(割合〇、一)十七貫六百匁(貫当七十五円)千三百二十円
合計一万四千八百七十二円となる。よつてこれを右標準収益額より控除した金十四万一千百二十八円が本件鯉の死亡によつて被つた損害である。
(五) 若し、被告等会社の前記不法行為がなかつたならば、原告は、昭和二十八年以降も右営業を継続し、前記のとおり少くとも年間金十四万一千円以上の純利益を得ていた筈であり、このことは、被告等会社において容易に予見し得た筈であつて、右割合で計算すると、昭和二十八年一月以降同三十年末迄の間における原告の得べかりし営業利益の喪失は金四十二万三千円となる。而して原告は、養鯉業が不能となつた後は無職にして二男の扶養家族としてその菓子製造業を手伝つているに過ぎないから、右営業利益の喪失金額につき損害を被つているものである。従つて、被告等の共同不法行為に基く原告の損害は、合計金五十六万四千百二十八円となるから、被告等会社は連帯して原告に対し右損害を賠償する義務がある。
よつて原告は、被告等会社に対し、流水使用権に基き廃水の流出禁止並に養鯉死滅による前記損害のうち金十四万一千円、得べかりし利益の喪失による損害として金四十二万三千円及びこれに対する不法行為の後である昭和三十一年一月一日以降右完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるため、本訴に及んだと述べ、
被告等会社の主張に対し、昭和二十七年八月頃、隣接公園工事のため原告の鯉が死滅したことは認めるが、その余の主張はこれを争う。しかしその際斃死した鯉は、前年四、五月頃放流したものであつて、昭和二十七年三、四月に放流した稚魚は、その害を免れ、その後同年七月から十一月まで投飼したが翌二十八年一月から三月までの間に全部死滅したのであるから、本件鯉の死滅と公園工事とは全く関係がない。また農村における農薬の撒布使用は、毎年五、六月並に十一月頃にして常時薬品が流出しているものではないし、農薬撒布の際は、予め県農政課において期日を告知するので、養鯉業者は、右期日に流水を閉鎖してその害を防いでいるから、一月乃至三月の間に死滅した本件鯉は、農薬撒布とも何等関係ないことが明らかである。仮に被告等主張のような他の原因が存したとしても、かような事由は、因果関係を中断するものでなく、単に原因が競合しているに過ぎないから、被告等はこれを事由として前記不法行為の責任を免れ得ないと述べた。
被告甲府パルプ工業株式会社訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として、原告が昭和二十五年頃より同二十七年頃迄の間、原告主張の場所において養鯉業を営んでいたこと、被告甲府パルプ工業株式会社(以下被告甲府パルプと略称する)がパルプの廃液を荒川に放出しているものであるところ、右廃液中には、原告主張の如く或程度細かい繊維が混入していること並に出梨県廃水処理委員会から原告主張のような書面を受取つたことは認めるが、その余の事実は知らない。原告の鯉の死滅原因は、昭和二十七年中に甲府市が行つた遊亀公園拡張工事に基くものか、或は宮入貝撲滅のため荒川に撒布された農薬サンプライトによるかいずれかである。仮に被告甲府パルプの廃液により原告の鯉が死滅したとしても、原告は、甲府市南口五ケ町村三ツ水門水利組合で開設した水路の流水を勝手に使用して養鯉業をしているものであるから、原告の請求は権利の濫用として許されるべきではないし、既に本件は昭和二十八年暮に被告甲府パルプが、原告の申出により若干の見舞金を交付した際、当事者間で示談解決したものであるから、原告の本訴請求は失当であると述べた。
被告三協パルプ株式会社訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決並に担保を条件とする仮執行免脱の宣言を求め、答弁として、被告三協パルプ株式会社(以下被告三協パルプと略称する)が、パルプの廃液を荒川に放出していること並に山梨県廃水処理委員会より原告主張のような書面を受取つたことは認めるが、その余の事実は否認する。原告主張の養鯉の斃死は、当時甲府市において施行した遊亀公園の工事に因るものか、或はまた農業薬品の投入に原因するものかいずれかである。然も被告三協パルプは、昭和二十七年四月に操業を開始したばかりで、一ケ月僅か五、六日程度の操業にすぎないから、この程度の操業による廃液を水量豊かな荒川に放出しても、これにより川魚が斃死するが如きことは到底考えられないと述べた。
立証として原告訴訟代理人等は、甲第一乃至第七号証を提出し、証人石橋秀昌、中村邦隆、白上謙一(第一回)、吉田栄政、馬場吉信、辻信太郎、石原一夫、波切義太郎、桜田健治の各証言並に原告本人尋問の結果(第一、二回)、鑑定及び検証(第一回)の結果を援用し、乙第五号証及び丙第一号証の成立はこれを認めるが、その余の乙号丙号各証の成立はいずれも知らないと述べた。
被告甲府パルプ訴訟代理人は、乙第一、二号証、第三号証の一乃至三、第四号証の一、二、第五号証を提出し、証人津田源治、石橋秀昌、中村邦隆、桜田健治、五味智重、坂口忠の各証言及び検証の結果(第一回)を援用し、甲第一乃至第四号証、第七号証の成立は認めるが、その他の甲号各号の成立は知らない、なお甲第二号証を援用すると述べた。
被告三協パルプ訴訟代理人は、丙第一号証、第二号証の一乃至六を提出し、証人石原泰夫、白上謙一(第二回)の各証言、被告三協パルプ代表者尋問の結果及び検証(第二回)の結果を援用し、甲第一乃至第四号証、第七号証の成立は認めるが、その他の甲号各証の成立は知らないと述べた。
理由
原告が、甲府市湯田町五十番地宅地二百五十坪に約百十三坪の養魚堀を築造し、荒川の分流である天神川の流水を利用して養鯉業を営んできたものであること、並に被告等会社が、パルプ製造を業とする会社であるところ、右パルプの廃液を荒川に流出していることは、当事者間に争がない。
而して成立に争がない甲第一乃至第四号証、証人石橋秀昌、同桜田健治、同白上謙一(第一回)、同馬場吉信、同吉田栄政、同石原一夫、同波切義太郎、同辻信太郎の各証言並に原告本人尋問の結果(第一、二回)、検証(第一、二回)及び鑑定の結果を綜合すると、被告等会社の浄化池から排出されたグランドパルプの廃液は、甲府市内の湯川に流れ込み、湯川は荒川橋附近で相川と合流し、相川は更に荒川と合流し、その流水は、荒川三ツ水門から天神川に分流され、天神川は甲府市遊亀公園の西口より同公園の池に注ぎ、更に東口より流出して小川となり、原告の前記養魚堀脇を東方に流れ去つているところ、原告は、天神川に水の取入口を設けて、右流水を前記養魚堀に導入していること、右流水を利用して飼育されていた原告の養鯉は、昭和二十五、六年頃から漸次斃死して減少し、同二十七年四月頃右養魚堀に投下された稚魚二千六百匹は、翌二十八年二月頃迄に全部死滅し、爾後右養魚堀において、右流水を使用して養鯉することは不能となり、その効用は全く喪失するに至り、原告の養鯉業は、同年以降遂に営業不能に陥つたこと、しかして前記パルプの廃液は、極めて微細な無数の繊維を包含しており、しかもそれは殆んど分解されることなく、右河川の流速に乗つて、遙か遠方まで運ばれることが可能であり、流速が減少すれば漸次河底に沈積する性質があること、従つて昭和三十二年六月十五日当時においても、相川に合流する直前の湯川の流水の如きは、乳白色を呈した濁水で、時には材木の皮も混入して流れおり、右濁水は主として荒川の東岸に沿つて流下し、右合流地点より遙か東南下流に、同河川東側堤防を貫いて設けられた三ツ水門が存すること、また昭和三十一年六月二十八日当時右合流地点において、前記廃液と混入しない荒川流水を調査すると、右流水中には有機物の混入は痕跡程度であるのに反し、同日原告の前記養魚堀内の浮遊物及び泥土を調査すると、その中には多量の有機物が含有されており、しかも微細なパルプ繊維が可成りの量を占めていること、従つて原告の養魚堀に導入されていた天神川の流水中には、常時相当量のパルプ繊維が混入されていて、右パルプ繊維は、長期間に亘つて被告等会社の放出した廃液中に存したものが、湯川、相川、荒川の水流とともに原告の養魚堀に流入し、漸次沈下堆積し、その分量は相当量に達したこと、しかしてパルプの廃液中に含有するこれらの微細な繊維は、集合すれば魚類の呼吸作用を漸次不可能にさせ、或は集合変質すれば生物に有害な物質を発生し、或は魚体の細胞内に侵入して魚類に大きな害を及ぼすものであり、一亘流れに混入すれば、繊維が途中で堆積して流下を停止しない限り、下流の魚類に及ぼす有害の程度には変りがないこと、従つて山梨県においても、山梨県漁業調整規則(昭和二十七年三月十七日山梨県規則第五号)に則り、被告等会社に対し、渇水期には排水量を減少させるか、又は沈澱池のような施設によつて、できるだけパルプ繊維を沈澱させたうえ排出するよう勧告したが、被告等会社は、適切な浄化設備を設けず、依然としてパルプ廃液を間断なく流出させていたこと、ところが昭和二十五年頃荒川上流の水域で、養鯉業を営んでいた訴外石原一夫及び波切義太郎等は、その養鯉がパルプ廃液により死滅したことを理由として、被告甲府パルプ等から相当の補償を受けたことがあつたので、原告も亦本件鯉の死滅が、被告等会社のパルプ廃液に原因するものであるとして、昭和二十八年七月頃山梨県廃水処理委員会に損害補償の調停方を申入れたところ、同委員会は、右申請に基き調査審議の結果、昭和二十九年十一月十六日附書面を以て、被告等会社に対し、パルプ廃液による原告の担害金十四万一千円也につき補償するよう勧告した(被告等会社に対し右書面が到達したことは争がない。)が原告はこれが補償を得られなかつたことが認められる。しかして証人津田源治、同坂口忠の各証言中右認定に反する部分は、前顕各証拠と比照してにわかに措信し難く、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。
そこで以上認定の事実を前示鑑定の結果に徴して考えれば、原告の鯉の死因は、被告等会社の排出するパルプの廃液中に含まれた繊維が、流水に乗つて原告の養魚堀に流入し、沈下堆積したため次第に繊維が養鯉の鰓に附着し、呼吸作用を喪失させ遂に窒息死に致らせたものであるか、さもなくば、パルプ繊維が、堀底に沈下堆積のうえ醗酵して水中の酸素の欠乏を招き遂に斃死するに至らせたものであることを推認するに難くない。
ところが被告等は、本件鯉の死因は、昭和二十七年中に甲府市が施工した遊亀公園の拡張工事に基くものか、宮入貝撲滅のため荒川に撤布された農薬サンプライトに因るものである旨主張しているが、被告等の提出援用する全証拠をもつてするもこれを肯認するに由なく、却て前掲証人石原一夫の証言及び原告本人尋問の結果(第一回)によれば、本件鯉の斃死と隣接公園の工事又は農薬の撒布とは、時期的にも何等関係のないことが認められる。
また被告三協パルプは、昭和二十七年四月に操業を開始したばかりであるから、僅かなパルプの廃液を水量豊かな荒川に放流しても、これに因り魚類が斃死することはあり得ない旨主張しており、被告三協パルプ代表者尋問の結果によれば、その主張の如く原告の鯉が斃死した当時、同被告会社は末だ操業して間もない頃であり、その流出するパルプの廃液は少量であつたことが認められるけれども、同社のパルプ廃液が、本件鯉の斃死と全く無関係であるとは到底考えられない。
しからば原告は、被告等会社の行為により昭和二十七年中に放飼した鯉の稚魚二千六百匹を死滅させられ、且つ同年度以降右養魚堀を使用して、養鯉業を継続することを不能ならしめられたものということができる。
もともと工場等より排出する廃液中には、化学薬品その他の有害な物質が混入していて、これをそのまま河川等に放出すれば、水棲動植物に対し、危害を及ぼすことは、巷間しばしば散見するところであるからパルプ製造業者である被告等会社においても、パルプ生産により発生するパルプ廃液をその工場より附近の河川に放出する場合には、事前に右廃液の下流動植物に対する影響の有無を科学的に調査し、有害である場合には、これを防止するに必要な手段を講じ、以て廃液の河川放出による危害を末然に防止すべき注意義務を有するものというべきところ、前示認定の事実によれば、被告会社はいずれも、右注意義務を怠り危害を防止するに足る手段を購ずることなく、自己の工場より生ずるパルプ廃液を湯川に放出していたことが認められるから、その過失の責を免れることはできない。
而して本件のように養鯉業者である原告が、飼育していた鯉の死滅による損害並に原告が右営業の継続不能によつて将来被ることあるべき損害は、いずれも通常の損害と解すべきであるが、後者の場合における損害額の範囲については、次のように解するのを相当と考える。すなわち、特定の施設を利用して、特定の利益を挙げている企業者が、他人の不法行為により右施設を利用して営業を継続することが不能となつた場合、企業者は、徒に拱手傍観することなく、通常人の注意と努力を以て、速やかに他に転業する方法を講じたならば、相当期間後には、適職を求めることができ、従前の企業を経営することによつて挙げ得た収益と、同等若しはこれに近き収入を取得し得ることは、通常期待し得るところであるから、前記相当期間は、かかる企業者が、従来有していた営業施設を他に転用処分して、従前の企業経営により挙げ得た収益と、同額若くはこれに近き収入を得るまでに要する期間とすることが、衡平の理念に適うものというべきところ、これを本件についてみると、前記及び後記認定の原告の養鯉業の規模、営業施設等その他諸般の事情を参酌すれば、前記相当期間は、営業不能となつた昭和二十八年二月以降一ケ年をもつて相当とする。
そこで損害額について審按するに、前示甲第一、二号証、第三者作成文書にして真正に成立したものと認める同第五、六号証並に前掲証人石原一夫、同波切義太郎の各証言、原告本人尋問の結果(第一、二回)を併せ考えると、原告が、昭和二十七年四月頃その養魚堀に投下した当才鯉(稚魚)は二千六百匹にして、これに対する標準投飼量は約三百七十六貫匁を要し、標準収穫量は約二百八貫匁となるのであるが、被告等会社より流出するパルプ廃液に因つて、同年六月頃より漸次右養鯉は死亡減少したため、原告が実際に投じた飼量は約二百貫匁であるから、右標準収穫量二百八貫匁に基く収益から投飼しなかつた百七十六貫匁の飼料代を控除した額が、養鯉死滅のため原告の被つた損害額と算定されるところ、昭和二十八年二月頃斃死当時の成魚貫当りの卸売価格は、金七百五十円であつたから、右投下した鯉によつて生ずべき標準収益は金十五万六千円であり、右控除すべき飼料代は、
干蛹(割合〇、八)百四十貫八百匁(貫当百二十円)一万六千八百九十六円
大麦(割合〇、一)十七貫六百匁(貫当五十円)八百八十円
馬鈴薯(割合〇、一)十七貫六百匁(貫当七十五円)千三百二十円にして合計金一万九千九十六円となるから、これを右標準収益額より差引いて得た金十三万六千九百四円が前記損害額となる。しかして原告は、平年度において金十五万六千円程度の年収を得ていたことが認められるから、昭和二十八年二月以降も引続き営業しておれば、右標準収益金十五万六千円より稚魚代金一万八千二百円、飼料代として干蛹三百貫三万六千円、大麦三十七貫六百匁千八百八十円、馬鈴薯三十七貫六百匁二千八百二十円、合計金五万八千九百円を控除した年間金九万七千百円の純利益は、少くとも得ていたことが推測でき、他にこれを左右するに足りる資料はない。
而して原告本人尋問の結果(第二回)によれば、原告は、右営業が不能となつた後は無職にして、二男の扶養家族としてその菓子製造業を手伝つているに過ぎないことが認められるから、右営業による利益の喪失額の全額につき損害を蒙つているものといわねばならない。従つて原告の前記損害額は合計金二十三万四千四円となる。
右は、被告等会社の共同の不法行為に因つて生じたものであるから、被告等会社は各自連帯して、原告に対し右損害を賠償すべき義務があること明らかである。
ところで、被告甲府パルプは、昭和二十八年暮、原告の申出により本件につき若干の見舞金を交付して既に示談解決している旨主張するが、これを認めるに足りる証拠はなく、却て前掲証人桜田健治の証言並に原告本人尋問の結果(第一回)によれば、原告は、昭和二十八年暮同被告会社に交渉の挙句、越年のための見舞金として僅か金五万円を受領しただけであつて、もとより本件補償料の内金として受領したものではないことが認められる。従つて被告甲府パルプの右主張は採用することができない。
次に原告は、流水使用権に基き被告等会社に対し、パルプ廃液の放流禁止を求めているが、証人石橋秀昌、同五味智重の各証言及び原告本人尋問の結果(第一回)によれば、原告は、荒川の分流である三ツ水門水利による灌漑用水の安全確保を期するため、甲府市南部及び近郊五ケ町村の農民によつて組織する三ツ水門水利組合の組合員ではなく、単に事実上荒川の分流である天神川の流水を利用して、長年に亘つて養鯉業を営んできたに過ぎないものであることが認められ、他に原告が、慣行に基き荒川の流水を排他的、独占的に使用する権利を有することにつき的確な証拠は存しない。よつて原告のこの点に関する請求は理由がない。
以上により原告の本訴請求は、被告等に対し連帯して金二十三万四千四円及びこれに対する不法行為の後である昭和三十一年一月一日以降右完済に至るまで、民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において、理由があるから正当としてこれを認容し、その余は失当であるから棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条、第九十二条、第九十三条を、仮執行の宣言につき同法第百九十六条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 須賀健次郎 野口仲治 土田勇)