大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

甲府地方裁判所 昭和40年(行ウ)2号 判決 1967年6月15日

原告 木下真治 外一一名

被告 都留市立都留文科大学学長

主文

原告北林万智子の訴訟は同原告の死亡により終了した。

被告が昭和四〇年八月二一日原告播摩光寿、同高橋ミヤ子、同田中則雄に対してなした各退学処分、原告小谷章、同長谷川光二に対してなした各無期停学処分はこれを取消す。

その余の原告らの請求はいずれもこれを棄却する。

訴訟費用は二分し、その一は被告の負担とし、その余は原告木下真治、同田中靖良、同村上赳、同熊田次矢、同長谷川弘、同谷内晃博の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「被告が昭和四〇年八月二一日、原告木下真治、同田中靖良、同村上赳、同北林万智子、同熊田次矢、同長谷川弘、同播摩光寿、同高橋ミヤ子、同谷内晃博、同田中則雄に対してなした各退学処分、原告小谷章、同長谷川光二に対してなした各無期停学処分はいずれもこれを取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、次のとおり述べた。

一、請求原因。

1、原告らは、それぞれ別紙該当欄記載の年月日に山梨県都留市立都留文科大学(以下単に都留大と表示する。)に入学しその在学生であつたところ、都留大学長である被告は、昭和四〇年八月二一日、原告らをそれぞれ別紙該当欄記載のとおりそれぞれ退学処分、無期停学処分に付し、その通告をなした。

2、しかし右処分には、後記のとおり、処分に必要な手続を遵守しない瑕疵があり違法であるのみならず、仮に右主張が理由がないとしても、原告らに対する処分理由とされている事実について、著しい虚構又は誤認があり、且つ当時の都留大内の事情からすれば本件各処分は権利の濫用であり、取消さるべきものである。

よつて原告らに対する各処分の取消を求める。

二、本件処分手続についての瑕疵

原告らに対する本件各処分が、昭和四〇年八月一八日並びに同月二〇日の都留大教授会において審議され決定されたものであることは認めるけれども、教授会における審議決定は、その構成員全員の出席、又は少くとも全員につき召集がなされた教授会においてなされなければならないところ、右教授会には、学生部長、学生委員の任にあつた五名の教官に対する召集がなく、その欠席のまま開催されたものである。よつて右教授会は適法な教授会ではなく、その審議決定には瑕疵があり、右瑕疵は被告の主張する事情にあつても治癒されない違法のものである。よつて右違法の教授会の決定を前提とする本件各処分は違法であり取消されるべきものである。

三、被告主張の処分理由の事実について。

被告主張の処分理由1、の(一)中事務局長の出席を求めたことは認めるが、その余の職員については否認する。他の職員については、事務局長が命じて出席させたものである。なお右集会は事務局に対し予め自治会から提出してあつた事務局問題公開質問状に対する回答を求めるためのものであり、したがつて原告らが右職員らの行動を束縛したこともなければ、軟禁したこともない。

1、の(二)の事実中、主張の原告らが、学生係長に対し、学生写真部員の展示した作品を、同係長が無断で撮影した事実について抗議したことは認めるが、その抗議態容の点は否認する。原告らは、その際学生課長のすすめによつて学生係長と「話し合い」をなしたに過ぎず、事務の妨害をしたことはない。

1、の(三)の事実中、主張の日時に主張の数の学生が参加して、校外デモ行進がなされたこと、当時学生デモについて学則上届出制が採用されていたこと、学生自治会執行委員長木下真治が都留大当局に対し届出書を提出したことは認める。しかし右デモの企画は、自治会執行部の提案に基づき、学生大会、各級各クラブの合同委員会において決定され、学生の自主的参加により平穏裡に実行されたものであり、原告らのみその責任を問われる理由はない。なお原告田中則雄、同村上赳、同北林万智子はデモ行進に参加していないものである。

1、の(四)の事実は否認する。

1、の(五)の事実中、当日教務委員会のあつたことは不知、その余の事実は否認する。原告谷内晃博は、被告学長との面談を希望し、会議室のドアを叩き入室して、学長との面会を希望する旨を述べたところ、八野教官から退室を求められたので、そのまま退去したに過ぎず、被告主張のような行動はない。

1、の(六)の事実中、当日人事教授会が開催されたことは不知、出入口に机を積み上げたとの点、被告の行動の自由を奪い、軟禁したとの点はいずれも否認する。当日、多数の学生が、午後一時頃から、教官、学生の処分問題についての被告の見解を知ろうとして、大学事務局前広場において集会を開催し、その間一部の学生が、事務局員を通じて、被告に出席を要求し、被告は午後三時四〇分頃、一旦約二〇分間出席し、更に午後七時頃再び右集会場所に姿をみせたが、そのまま帰ろうとしたので、被告の前示見解を知ろうとする学生らが、自然とピケを張つた状態になつたに過ぎない。被告はその後、午後一〇時頃まで同所で、学生との間に質疑応答をなし、一旦休憩後、その希望どおり、他の数名の教官の立会のもとに、学長室において、執行委員全員との会談がなされたに過ぎない。なお、原告播摩光寿、同小谷章は、右集会には終始出席していない。

1、の(七)の事実中、学生大会が開催され、一部原告らがこれに参加したこと、原告田中靖良が主張のビラ貼りをしたこと、七月九日執行委員会で、同盟登校の決定をしたことは認める。

1、の(八)の事実は否認する。同日原告木下真治は、事務室に入り事務局長に対し、学生集会への出席を要請し、その際若干の学生が木下とともに入室したが、事務局長は、立つていた学生に自から体当りして、その反動で床に転到したもので、原告らになんら責任はない。事務局長の手に電源コードを巻きつけたとの事実、事務局長が右の際負傷したとの事実は否認する。

1、の(九)の事実中、当時人事教授会が開催されていたとの点は不知、その余の事実は争う。すなわち、当日原告らは、新校舎に被告がいることを知り、会見を求めるため、同校舎に赴き、原告木下真治が、守衛に対し、被告との面会希望を述べ、ドアの取手に手をかけた際、同守衛が原告木下を抑えようとして背後から取り縋り、これを振り切ろうとした原告木下の肩がドア硝子に当り、硝子が破損したもので、その責は守衛にある。

1、の(一〇)の事実中、主張の学長告示のあつたことは認めるが、その余の点は否認する。もつとも告示期間中、宮城農業大学の学生自治会役員の一人が、都留大問題を知るため来校した際、宿泊の必要が生じ、原告木下真治が大学保健室を利用して宿泊せしめ、その際原告高橋ミヤ子、同北林万智子が原告木下の依頼を受けて、寝具の世話をしたことはある。

四、懲戒処分規定への該当性及び権利濫用の主張。

仮に原告らに被告主張のような行為があつたとしても右行為は学則第二六条の規定には該当せず、且つ本件処分は懲戒権を濫用した違法なものである。すなわち、

都留大は、比較的貧弱な財政規模の都留市によつて設立されたため、従来から人的物的に数多くの改善すべき点が存したが特に事務職員の事務処理上の過誤怠慢が度重つたこともあつて、昭和四〇年五月頃からこれを不満とする学生の間でその改善について強い要望が出されていた。

そして当時、たまたま都留大の新校舎の第一期工事が落成したが、それまで学生やその父兄から多額の寄附金を徴収したにもかかわらず、大学当局が会計報告をせず、その落成式も市当局のみによつて計画され、県と市の有力者を中心に挙行され、大学不在の落成式ともいうべきものであつたので、学生は同年五月一九日開催の学生大会において市当局に対し抗議することを決議し、落成式当日である同月二〇日新校舎入口附近に学生約四百名が坐り込み、学生の代表である原告木下真治が都留市長に対し抗議文を手交し約三〇分間同市長との応答をし、そして右坐り込みによるピケは学生部長の説得により、落成式参加者が到達しはじめる頃には解かれ、落成式はその開会が約一時間位遅れたのみでその後は支障なく挙行された。しかるに都留市議会議長は翌二一日被告に対し文書で、右落成式当日の学生デモにつき教授学生の責任、一部教官がデモに介入したか否か等について回答を求めた。これに対し同月二一日開催の教授会では落成式当日の学生の行動は学則上の懲戒事由に該当しない旨決定し、同月二五日開催の教授会の決定に基づき、被告は翌二六日、前記学生デモに教官が介入した事実のないことを市議会議長に回答した。しかしこれを不満とする市議会は、議会内に「都留文科大学問題調査特別委員会」なるものを設け、都留大につき独自の調査を行うこととし、六月四日市議会議長名義で学生部長ら教官五名に対し直接文書をもつて証人として出頭を要求した。しかし右五名の教官は市議会が、強制調査権を発動して学内問題につき直接介入することは、大学の自治に対する侵害であると考えて、その旨の文書を提出し、調査特別委員会には出頭したが、その証言はこれを拒絶した。

そこで市長は、被告に対し右五名の教官を指名してその適格性を審議するよう要望し、その結果被告は、同年六月八日開催の教授会において右五名の教官の人事につき人事教授会に審議させる旨発言し、その後右問題につき一般教授会開催を求める一部教官の申出を拒絶し、引き続き人事教授会で審議を続行させた。この間大学の自治擁護の立場からこのような市当局の都留大に対する不当な干渉に反対する学生達は、同年六月一一日、学生大会を開いて、市の大学への不当干渉排除、調査特別委員会の解散、大学に対し教授会の開催と事態に対する態度表明等の要求を決議した。これに対し市長、市議会議長、調査特別委員会は、同月一七日新聞記者に対する記者会見で、調査特別委員会の調査結果であるとして、落成式の学生のデモが一部教官の煽動により、同教官と学生会との共斗により計画的に行なわれたものであると発表し、市長は更に同月二〇日同旨の内容を記載したビラを市民に配布するとともに、学長に対し自己が不適格と考える特定の教官を指名して、これに対する教授会の意向につき回答を求めた。そこで学生はこのように大学の自治を現実に侵害する市当局およびその圧力に屈服して学生委員である教官を処分すべく一部教授にその処分を審議させている被告の態度を不満とし、被告に対し度々その善処を求めたが、被告はこれを拒絶し、教育的話し合いの機会さえ設けようとしなかつた。そこでこれに抗議するため万策つきて、やむを得ず同年七月八日学生大会を開催し同盟休校を決定したのである。以上のとおりで原告らの行為は、「大学自治」を守るためのものであり、「学内秩序を乱したり、学生の本分に反した」ものではない。

しかるに被告は、同年八月一一日前記五名の学生委員の教官が五月以来学生運動に対する指導が不行届であるとの理由で懲戒免職にする旨の人事教授会の結果を教授会に報告し質疑応答のみ許して、その実質的討論を封じて可決させたうえ、右五名の教官の処分を市長に内申し、市長はこれに基づき同年九月一五日右教官らを免職処分に付したのである。そして被告は、前述のとおり、不当な市の干渉に対して敢然対抗することなく、市の権力に屈し、都留大の自治のために立ち上つた大多数の学生の真摯な学生運動を弾圧するため、その指導的地位にあつた学生自治会または各種サークルの有力なメンバーであつた原告らを処分し、前記教官の処分と共に、これを代償として自己の地位を保持するため本件処分をなしたものであつて、学内混乱を招いた自らの責任を他に転嫁して恥じないものというべきである。しかも本件処分は学生の懲戒処分に要求される教育的配慮を全く欠き、仮にそうでないとしても些細な事実に藉口してその必要がないのに退学または無期停学という学生にとつて最も重い処分に付したことは、処分として妥当を欠くものであつて、本件処分が学校教育法によつて付与された懲戒権の目的に反し、裁量の範囲を著しく逸脱した違法なものであり、いずれも取消さるべきものである。

五、本案前の抗弁に対する主張。

無期停学処分について司法審査が許されないとの被告の主張は争う。停学処分は行政処分である点は、退学処分と異るところはなく、公立大学と学生の在学関係は、被告主張の議会と議員との関係とは全く異るものである。

被告訴訟代理人は、原告小谷章、同長谷川光二について、「同原告らの訴を却下する。その余の原告らの調求を棄却する。訴訟費用は、原告らの負担とする。」との判決を求め、予備的に原告小谷章、同長谷川光二につき「同原告らの請求を棄却する。」との判決を求め、次のとおり述べた。

一、原告小谷章、同長谷川光二の訴に対する本案前の抗弁。

地方議会の議員に対する懲戒処分のうち、出席停止以下の処分は、いわゆる自律的な法規範をもつ議会内において、その規範の実現を、内部規律の問題として自治的措置に委せ、必しも裁判をまつのを適当としないものであり(昭和三四年(オ)第一〇号昭和三五、一〇、一九判決)大学における学生の停学処分も、同様特別権力関係内の純然たる内部規律に委されるべき問題であり、司法審査の対象とならない処分である。よつて右訴は不適法なものとして、却下さるべきである。

二、請求原因に対する答弁。

本件各処分に主張の違法性があるとの点を除き、その余は認める。

三、本件処分の手続及び処分理由。

学校教育法第一一条によれば、学校長は、教育上必要があると認めたときは、監督官庁の定めるところにより学生、生徒に対しし、懲戒を加えることができると規定され、公立大学の監督官庁である文部大臣の定める学校教育法施行規則第一三条第一項によれば、学生に対し懲戒を加えるにあたつては教育上必要な配慮をしなければならないことと規定され、これらの規定をうけて都留大の学則第二六条に学生が学内秩序を乱し、または学生の本分に反する行為をしたときは、学長は教授会の議を経て懲戒することができ、その懲戒には戒告、停学処分および退学の三種と定められている。

そして原告らは、次のような違法行為を犯し、いずれも学内の秩序を乱し、学生の本分に反するものであるので、被告は右行為に対し右規定に基づき、昭和四〇年八月一八日および同月二〇日適法に開催された教授会の審査決定を経て、本件各処分をなしたものであるから、本件各処分を取消さねばならない実体上、手続上の違法事由は存しない。すなわち、

1、(一) 原告木下真治、同田中靖良、同長谷川弘は、昭和四〇年六月一日都留大旧校舎一二番教室において開催された学生集会に都留大事務局長大野三郎、同学生課長宮本稠、同学生係長安田精致の三名を呼び出し、事務局長以下事務職員全員の更迭などを要求して解答を求め、同日午後三時三〇分ごろから同九時ごろまで、同人らの行動を束縛して軟禁し、

(二) 原告田中靖良、同熊田次矢、訴外織田一生は、同年六月八日午後二時三〇分ごろから同四時一〇分ごろまでの間、学生課室に立ち入り、前記学生係長に対し、口々に「五月二二日の学内民主化斗争の記録出版記念会の模様について学生会の掲示物の撮影をしたネガフイルムを返せ」とわめき、同人らの事務を妨害し、

(三) 同年六月一六日、当時学内の規則上学生デモは届出制が採用されていたところ、学生自治会の執行委員長であつた原告木下真治から、都留市内における学生のデモ行進の届出書が提出され、右届出書は大学当局によつていまだ受理されず、しかも被告が当時の状況にかんがみ学生の校外活動を禁止する旨の掲示を出したにもかかわらず、各原告は右禁止に反し、学生約一、〇〇〇名に呼びかけて同日午後一時ごろから同四時ごろまでの間右デモに参加し、(原告田中則雄は役割上一二番教室に待機、原告村上赳はメガフオン材料を購入に出たが)他の学生をデモ行進させ、

(四) 原告田中靖良、同熊田次矢、同長谷川弘の三名は、同年七月六日午後一時ごろから約三〇分間にわたつて、学生課室内に立ち入り、上記学生係長安田精致に対し、前同様に写真のネガフイルムを返せと迫り、学生課の事務を妨害し、

(五) 同午後二時ごろ、原告谷内晃博は、会議室で開催される教務委員会出席のため同室におもむいた被告を追い、面会を求めて同会議室に侵入して退去せず、八野教務委員長の再度にわたる注意を受けてようやくその場を退去し、

(六) 原告らは全員同六日午後七時ごろから、他学生数名とともに予め前示旧校舎会議室をとりかこみ、スクラムを組み、又は右会議室を含む管理棟全体に通ずる通路の出入口に机を積み、同会議室で開催された人事教授会終了後帰宅しようとした被告を迎えてその行動の自由を奪い、翌日午前〇時五分ごろまで同室に軟禁し、その間承諾印を押さねば自由にしないと口々に叫びながら、予め用意してあつた(1)この斗いに於て教官学生の処分者を絶対に出さないこと(2)学内の組織改悪を即時とりやめる。(3)一般教授会を開くこと(七月 日に開く)と記載された確認書と題する書面に被告の捺印を強要し、

(七) 原告北林万智子、同播摩光寿、同田中則雄、同小谷章を除くその余の原告らは、同月八日開催の緊急学生大会において、無期限同盟休校、学長退陣要求等の議案を可決させ原告田中靖良が翌九日午後六時三〇分ごろから七時ごろまでの間学内各所に無届で同盟休校のビラを貼り、被告が同日午前七時ごろ当時の情勢にかんがみ同日から同月七日まで臨時休業とする旨告示するや、一転して市内の学生に同盟登校を呼びかけ、大学名を冒用して非常勤の者を含む教官全員に出講を依頼する電報を発信し、

(八) 原告木下真治、同田中靖良、同村上赳、同熊田次矢、同長谷川弘、同谷内晃博、同高橋ミヤ子は、同月九日午前九時三〇分ごろ、スクラムを組んで大学事務室に押し入り、室内で労働歌を高唱して職員の職務を妨害し、事務局長大野三郎に対し、学生集会への出席を求め、これを拒絶されるや右全員で同人を室外に押し出そうとし、その左手に電源コードを巻きつけたり、ドアーの取手に掴まつた局長を強く押しつけ、その結果左手に全治一カ月位の休養を要する傷害を与え、他の原告らは室外から声援を送つて右暴行を助勢し、

(九) 原告木下真治、同長谷川弘、同高橋ミヤ子らを含む学生約三〇名は同月一四日午前一一時ごろ、新校舎において開催中の人事教授会の議事を妨害するため、同校舎に乱入しようとし、原告木下真治が施錠してあつた一階入口扉のガラスを破損して屋内に侵入し、守衛によつて退去させられ、

(一〇) 被告が同月九日前記臨時休業の告示の際、同日から同月一七日までの臨時休業期間中および同月一九日から八月三一日までの夏期休業中校舎等の無断使用を禁止する旨告示したにもかかわらず、原告小谷章、同長谷川光二を除くその余の原告らはこれを無視し、しばしば無断で宿泊し、学外の者を宿泊させ、

た。

2、もつとも、本件各処分を審議した前記二回の教授会については、その構成員である教授今野達、助教授藤井信乃、同近藤幹雄、同一木昭男および講帥松永昌三の五名に対して召集通知をしなかつたけれど、右五名の教官はいずれも七月二八日(七月一一日とあるを誤記と認める。)開催の一般教授会において懲戒免職処分に付せられるべき旨決議され、今野達、藤井信乃は同年八月一六日、八月一九日に退職願を提出し、それぞれ同月三一日受理されたので、未だ正式に教授会の構成員でなくなつていたわけではないけれども、右五名懲戒事由の一が原告らを含む学生を煽動して違法行為をさせたことがあげられていたのであるから、これらのものを本件処分を審議する教授会に出席させることは適当でないので、右五名の者に対する招集通知をしないものと定めたのであり、召集を欠いたからといつて、本件処分の手続上の瑕疵とはならない。

また、本件処分を決定した八月二〇日の教授会においては出席すべき構成員三四名中二六名が出席し、そのうち賛成一九、反対二、棄権五の割合で可決されたのであるから、右召集通知を欠く五名の者が仮に出席して反対したとしても教授会の決議結果そのものには影響しない。よつて前記召集通知を欠く手続上の瑕疵が本件処分の効力に影響を与えるものではない。

四、懲戒権濫用の主張に対する主張。

本件各処分が懲戒権を濫用したものであるとの主張は、これを争う。すなわち、原告らの主張事実のうち、「事務職員の事務処理上の不行き届き」は昭和三九年度以降は存せず、原告ら主張の落成式は「大学不在の落成式」ではなく、「落成式当日坐り込みに参加した学生は三〇〇名」であり、落成式の開会は「所定の時刻より二時間もおくれた」こと、原告ら主張の「調査特別委員会が都留大の自治を侵害するもの」でないこと、被告が原告ら主張の「五名の教官を人事教授会に付議したのは市長の要望によるもの」でないこと、「学生らの運動が大学の自治」とは無関係であること、「被告が市当局の圧力に届した」ものでないこと、本件各処分が「適法な学生運動を弾圧する意図に出たもの」でないこと、かつ「被告の保身のためになされたもの」でないこと、「教育的配慮を欠く」ものでないこと、以上の被告主張事実に反する原告ら主張の事実はすべて否認する。

本件処分当時、原告木下は学生会の執行委員長であり、原告村上赳、同北林万智子、同熊田次矢、同長谷川弘、同谷内晃博はいずれも執行委員であり、他の原告らはそれぞれ本件学生運動の卒先指導者であつて、共に前記五名の教官と共謀し、都留大の学内騒動を計画し、昭和四〇年五月一〇日事務局等に対する抗議文の提出、同月一八日事務局問題公開質問状の配布、右回答待ち抗議集会の開催、翌一九日事務局問題抗議集会、新校舎落成式反対行動決議翌二〇日落成式反対行動、同月二二日学内民主化斗争の記録出版記念会と逐次一般学生を対市斗争、対大学斗争にかりたてて、前記同盟休校を企画立案し、七月上旬から一一月下旬まで都留大をして授業の実施を不能にしたものであつて、その責任は重大であつて、その違法行為に対して寛容であつてはならない。

特に都留大が市立大学である以上原告らの行動に対して、向けられた住民の批判と住民の代表機関である議会の意向等をも充分斟酌する必要があつたのであつて、本件各処分は相当である。

仮に原告らの行為がその標榜するごとく大学の自治確立の目的に出たとしても学生の本分を逸脱した違法行為が正当化されるものではない。

(証拠省略)

理由

一、先ず職権をもつて、原告北林万智子の訴について判断するに、同原告の訴が、都留大学生たる同原告に対し、被告のなした退学処分の取消を求め、都留大学生たる身分に伴う権利関係の回復を求めることにあることは、本件訴状の記載から明らかである。ところで、本件記録編綴の同原告の戸籍謄本によれば、同原告は昭和四一年一一月三〇日頃死亡したことが明らかである。そうとすれば、学生たる身分は死亡により消滅し、学生たる身分に伴う権利関係も消滅したものと謂うべきであるのみならず本件抗告訴訟における訴の利益(原告適格)は同原告に帰属し、従つて本件争訟権は同原告の一身専属権に属するものと解するのが相当である。そしてこのような訴訟においては同原告のため相続が開始したとしても、その相続人には、本訴における争訟権は承継されることはないと解せざるを得ないところである。

よつて同原告の本訴は、同原告の昭和四一年一一月三〇日頃の死亡により当然終了したものと解するのが相当である。

二、次に北林万智子を除くその余の原告(以下単に原告らと表示するときは、原告北林万智子を除外した他の全原告を指称するものとする。)らの請求について判断する。

原告らが、それぞれその主張の都留大在学生であつたところ昭和四〇年八月二一日被告が各原告につき懲戒処分としてその主張の退学、又は無期停学の各処分をなしたことは当事者間に争のないところである。

三、そこで、本案前の抗弁について判断するに、本来学長又は校長が学生、生徒に対し懲戒処分をなし得るものと認められているのは、学生生徒に非違があり、教育上その必要があるものとして認められているものであることは学校教育法第一一条、同法施行規則第一三条第一項に照して明らかであり、したがつて大学学長に認められる懲戒権は、教育を施行する大学側が教育施行者として、大学という機構のうちにおいて、その大学の理想とする教育を行うため教育の場としての学内の秩序を自から維持し、または当該学生に対する教育的見地からこれを行使すべき権利であると解し得られ、その意味において懲戒権の発動は、被告主張のとおり一面において教育施行のための自律的法規範をもつ団体の内部規律維持の問題であることは否定できないところである。しかしながら右のような団体も、国家社会を構成する一部であることは明らかであり、したがつて一面団体の内部規律の問題であつても、その結果が一般市民法秩序に照して重大な関係を有する場合は必しも、その規範の実現を当該団体に委し、司法審査の対象ではないとして、これを放任することは現行法秩序に照して首肯し得ないところであり、被告も退学処分の如く身分の喪失に関する事項についてこれを司法審査の対象となし得べきものと解していることは被告の弁論の全趣旨からもこれを窺うことができるところである。そこで進んで無期停学処分について考えるに、なるほど停学処分は、退学処分と異り、当該学校の学生たる身分を喪失することなく、なお依然としてその学生としての地位を保有し、只その身分に伴つて享受し得られる教育を受ける利益を一時的に剥奪されているに過ぎないものである。しかしながら、無期停学処分は、期間を定めた停学処分と異り学生として本質的な利益である教育を受ける利益の剥奪期間が予想できず、停学処分に対する新たな解除処分がない限り、継続して右利益を喪失したままとなりその継続年数によつては、年令的、経済的に就学が不可能となる可能性があり名称は停学であつても、実質的には復学制度のある学校における退学処分と大差のない不利益を蒙るものといわなければならない。そうとすれば、無期停学処分は、実質的には退学処分に準ずる重大な利益の喪失であると認めるべきである。よつてかかる処分については現行法秩序からして、司法審査を受け得べき行政処分であると解するのが相当である。したがつて被告の右抗弁は肯認できない。

四、懲戒手続違反の主張について。

都留大において、学生に対する懲戒処分をなすには、学長が一般教授会の議を経てなすべき旨の学則上の規定があり、被告が昭和四〇年八月一八日、同月二〇日の両日、一般教授会を開催して本件処分の審議、議決をしたこと、右両教授会開催に当りその構成員である原告主張の五名の教官に対し召集手続がなされなかつたこと、以上は当事者間に争がないところであり、右五名が会議に出席しなかつたことは弁論の全趣旨からこれを認めることができる。

被告は右五名の教官については、右教授会開催以前である同年七月二八日開催された教授会において、原告らを含む学生を煽動して本件違法行為をなさしめたとの事由等によつて、懲戒免職処分に付すべきことが可決決定されていたので、右五名に対する召集手続をなさなかつたことは違法ではないと主張するので判断する。

成立に争のない乙第六号証、同第九号証、証人大野三郎の証言によりその成立を認め得る乙第二号証、右証人並びに証人松永晶三、同近藤幹雄、同白川今朝晴の各証言、被告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨に徴すると、原告主張の五名の教官は、いずれも当時の都留大の学生部長、学生委員の職にあつた教官であつたところ、昭和四〇年五月中頃から続発した学生の対都留市当局、対都留大当局に対する集団的各種要求行動について学生を煽動し、ないしは学生と共闘したとの疑惑のもとに、同学の人事教授会において懲戒審議を開始され、昭和四〇年七月二八日右教授会において懲戒免職処分相当の議決がなされ、同年八月一一日開催の一般教授会において右人事教授会の審議結果が報告されたこと、右五名中、今野達は同年八月一六日、藤井信乃は同月一九日いずれも退職願を被告宛提出していたこと、そこで被告は同年八月一八日並びに同月二〇日の一般教授会開催について、右五名の教官については、審議事項についての利害関係人であり、慣例として出席させるべきではないと考え、大野事務局長の質問に対して召集手続(但しその手続方式についての規定はない。)をなさないでよい旨を答え、召集しなかつたこと、同月二〇日の一般教授会には偶々右五名の教官の一人である松永晶三が出席していたところ、被告は席上、本件学生の懲戒処分問題については、同人は利害関係人であり慣例上出席を認めないと発言して退席を求め、その際右会議に出席していた教官は結局右措置を黙認したこととなつたこと、以上を認めることができ、右事実からすれば、原告主張の五名の教官に対し出席権を制限したのは、右五名が本件学生の処分事由について利害関係があり、慣例上出席権を制限すべきであるとする被告の発言が、右教授会において暗黙のうちに承認されたものと解することができる。

そこで右措置は違法であるか否かについて判断するに、会議構成員が審議事項について如何なる利害関係がある場合に、如何なる権利が制限されるかの問題は、当該会議体の性質により、法令または条理に則りその基準が判断されなければならないところである。ところで教授会の運営について、右の点についてこれを定めた法令はなく、且つ前掲都留大学則によれば、学生の懲戒処分については、一般教授会の審議、議決を経べきこと、並びに一般的に、右教授会の構成員、定足数、議決数の定めについてこれを規定しているけれども、審議事項に、利害関係のある者についてこれを如何にすべきかの規定は存しない。そうとすれば、右の問題については、学校教育法第五九条の趣旨に従い、法令の趣旨に反しない限り、教授会において自主的に、自由に予めこれを定め、または随時これを定めることができるものと解するのが相当である。そして前記認定事実に基づけば都留大教授会は右五名の教官について、本件学生の処分理由とされている事由について煽動又は共闘したものとの見解により利害関係があるとして、その出席権、議決権を制限したものである。そして右の制限の程度については、商法第二三九条、第二六〇条の二においては利害関係がある者について、株主総会、取締役会における議決権を制限するのみであるが、地方自治法第一一七条によれば、地方公共団体の議会の構成員について、右の例より広く、自己及び親族の一身上に関する事件のみならず、右の者の従事する業務に直接の利害関係のある案件については、議会の同意がない限り、出席権が制限されていることが認められる。この点からすれば、都留大教授会の右の制限措置は、五名の教官について被告主張の事実のような合理的な疑いがある限り、必しもこれを目して違法と解することは相当でない。

よつて右の措置による教授会の議決を違法として、本件処分の取消を求める原告の右主張は理由がない。

五、懲戒事由の存否について。

成立に争のない甲第四号証、同第三〇号証、同第六二号証、昭和四〇年六月一六日の写真であることに争いのない甲第六〇号証の三ないし七、同年七月六日の写真であることに争のない甲第六〇号証の九ないし一一、成立に争のない乙第四号証、同第一一号証、同第二五号証、昭和四〇年七月六日の写真であることに争のない乙第二七号証の五、六、同月九日の写真であることに争のない同号証の一〇、一四、一五、証人安田精致の証言によりその成立を認め得る乙第一四号証の陳述記載の一部、証人大野三郎の証言によりその成立を認め得る乙第二二号証の陳述記載の一部、前示証人大野三郎の証言によりその成立を認め得る乙第二三、第二四号証、証人久野正勝、同坂本稔(一部)同一木昭男(一部)同大野三郎(一部)同安田精致(一部)同宮本稠、同米山和三、同白川今朝晴、同八野正男の各証言、被告本人尋問の結果、原告木下真治、同田中靖良、同村上赳、同熊田次矢、同長谷川弘、同播摩光寿、同高橋ミヤ子、同谷内晃博、同田中則雄、同小谷章、同長谷川光二の各本人尋問の結果の一部を総合すると次の諸事実を認めることができる。

原告木下真治は学生自治会(大学当局に届出た当時の会の名称は学生会であつたが、以下これを単に自治会と称する。)の執行委員長、原告熊田次矢、同長谷川弘、同村上赳、同谷内晃博はそれぞれの執行委員であつたところ、

(一)  原告木下真治は、自治会の意向として、予ねて都留大事務局の事務取扱いに関して、一般学生に不満があるとしてその不満事項について、昭和四〇年五月一八日事務局宛に公開質問状なるものを作成、提出して同日直ちにその回答待ち集会を企画したが、昭和四〇年六月一日午後三時頃、再度事務局長大野三郎に対し、その口頭回答を求めると称し、定員一〇〇名の同学一二番教室において、原告長谷川弘を含む数百名の学生の集合した学生集会への出席を要求し、これを拒絶した事務局長に対し、他の執行委員をして更に再三その出席を要求させ、やむなく出席した同人に対し、原告村上の司会で右学生らの目前で学生らが不当と目していた事務局員の解職を求め、その答弁ができなければ、自から局長職を辞任すべきであるなど要求し、他の学生とともに、その回答のない限り同人の退席を許さない雰囲気を醸成し、更に原告田中靖良は、原告谷内晃博とともに学生係長安田精致を上司の命令であるといつて右教室に呼び出し、同人が同年五月一九日事務局合理化研究会の名のもとに掲示した掲示物についての責任、学生の掲示物届出の受理事務問題、写真撮影の問題その他の事務についての弁明を求め、弁明後大野三郎とともに退席しようとした安田精致に対し、弁明不充分であるとして、退席を許さず、原告谷内晃博が退出口に坐り込み、同人の退場を阻止し、結局同日午後八時頃まで退席させなかつた。(原告谷内、同村上について右の事実は懲戒事由とされていない。)

(二)  原告熊田次矢、同田中靖良は同年六月八日午後三時頃、事務局内で執務していた安田精致に対し、同人が職務として秘かに撮影した都留大新校舎落成式当日の写真フイルムの引渡を強硬に求め、学生課長宮本稠の話し合いをしたらよいとの言葉に乗じて、事務局室に入り撮影を否認した安田に対し高声をもつて二時間余に亘つて無断撮影の抗議と、フイルムの引渡要求を続けて業務を妨害しそのため安田は疲労して、早退のやむなきに至つた。

(三)  原告木下真治は、上記五名の教官の処遇について、都留市当局に大学不当介入があるとしてその反対と、大学側にも教授会の開催を怠つている不当措置があるとしてその開催を要求する校外デモを企図し、校外デモを行う旨学生部長宛届出た。学生部長今野達は、被告にその措置を相談したところ、被告は、当時の大学内外の情勢からして、学生の校外活動は好しくないものと考え、右届出は受理しないものとして取扱い、昭和四〇年六月一六日午前一〇時頃校外活動は望ましくないから慎重を期すべきである旨の学長告示を校内に掲示せしめた。しかるに原告木下真治は右指示に反し右の企画を実行し、同日原告田中則雄、同村上赳は、打合せのうえ、留守番として残り右校外でのデモ行進に参加しなかつたが、その余の原告はいずれも右行進に参加し、原告谷内晃博は先頭の誘導車に乗車して、行進を誘導し、原告播摩光寿は行進の先頭集団となつた国文三年生の一人として、先頭を行進したので、当日執行委員から依頼を受け、先頭集団の行進を整理する役を負つた。

(四)  原告田中靖良、同熊田次矢、同長谷川弘は、同年七月六日事務局学生課内において約三〇分間に亘り、上記(二)のフイルムについて、否認する安田精致に対し、目撃証人がいる等発言して、右フイルムの引渡を要求して、同人の事務を妨害した。

(五)  原告谷内晃博は、同年七月六日午後四時頃開催中の教務委員会に出席のため都留大会議室に赴いた被告を追い、右会議室の前室に立入り、更に会議室のドアを開いて被告に面会を求め、教務部長八野正男の退去命令を受け、漸く退去しその間右会議を妨害した。

(六)  原告木下真治、同長谷川弘、同村上赳、同熊田次矢、同谷内晃博は、前同日、被告が同大会議室において、人事教授会等に出席していることを知り、被告に対し、直接一般教授会の開催要求等をするため、同日午後四時頃から、同大事務局前校庭において学生集会を計画し、会議室前の石廊下出口に机を置き、被告の退出を妨害する準備をなし、同日午後六時四〇分頃会議室から退出してきた被告に近づき他の学生らとスクラムを組み、退去を妨げ、諦めた被告に対し、執行委員が、代表して一般教授会の開催の要求、教官、学生について処分者を出さないこと、学内の組織を変更しないことなどの要求をなし、拡声器のマイクを被告の口許に差し出して回答を強要し、更に長谷川弘等が起案した前示要求趣旨を記載した確約書と題する書面をつきつけて署名を強要した。その後被告の希望に従つて学長室に場を移し、原告木下ら数名の学生が入室し、途中休憩時間もあつたが、同夜零時過ぎまで、激烈な口調で要求、質疑、応答が繰返され、そのため被告は心身ともに疲労し、帰宅に際しては、事務局長らに両脇から支えられて歩行する程度に至つた。原告田中靖良、同長谷川光二、同播摩光寿は右集会において一般学生の中にいた。

(七)  原告木下真治、同長谷川弘、同村上赳、同熊田次矢、同谷内晃博らの構成する執行委員会は、同年七月八日開催の学生大会において、翌九日以降の無期限同盟休校を提案して可決され、翌九日朝原告田中靖良は、所定の届出のない同盟休校のビラを学内施設に貼りつけた。被告は、同盟休校決定の事実を知り、同盟休校実行による処分者を出さないため、急遽大学の臨時休校を決定して、これを告示せしめたところ、執行委員会は、これに対抗するため、同盟登校を決定し、原告田中靖良その他の者は、電話等によつて教官の出校を要請し、都留市内において学生に同盟登校を呼びかけて登校せしめた。

(八)  前同日被告は、臨時休校とともに、学内施設の利用を禁止し、その告示をなさしめたが、原告木下真治ら執行委員は、同盟登校の呼びかけに応じて集合した学生らとともに、学生集会を開き、事務局長に対し、集会の席上において、施設利用禁止の措置等についての説明を求めるべく、原告木下真治が先ず事務局室に入り、事務局長に対して出席説明を要求し、これを拒絶されるや、原告長谷川弘、同村上赳、同谷内晃博、同熊田次矢、同田中靖良らに協力を求め、事務局室内に入つて事務局長を取り廻き、スクラムを組み、歌を高唱して気勢を揚げその圧力によつて事務局長を室外に出し、集会に出席せしめる方法をとつた。その際事務局長は、スクラムの中で転倒し、起き上ろうとして、ドアの取手に掴つた時何人かに押されて、右手部に捻挫の傷害を受けるに至つた。

(九)  同月一四日午後一一時頃、原告木下真治、同長谷川弘は新聞部員として取材活動すべく随伴してきた高橋ミヤ子とともに、同大新校舎において開催中の人事教授会に出席中の被告に面会を求めるため、右新校舎に至つたが、原告木下真治は校舎のドアの前において、侵入を拒絶した守衛と揉合いその際同原告の肩でドアの硝子を破壊するに至つた。

(一〇)  同月九日、被告の前示学内施設利用禁止の告示後、原告木下真治は、都留大問題を知るため来校した宮城農大の学生の一人を大学保健室に無断宿泊せしめ、その際原告高橋ミヤ子外一名は、原告木下真治の依頼により寝具を布き、宿泊の便宜を計つた。

以上を認めることができ、右認定を超え、被告の主張に副う証人大野三郎、同安田精致、同八野正男の各証言部分は前示各証拠に照して措信できず、他にこれを認めるに足る証拠はなく、また右認定に反する証人四野宮三郎、同大野三郎、同安田精致、同宮本稠、同白川今朝晴、同八野正男、同一木昭男の各証言部分、原告熊田次矢、同長谷川弘、同谷内晃博、同村上赳、同田中靖良、同高橋ミヤ子各本人尋問の結果部分は前記認定各資料に照して措信できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

六、学則第二六条の該当性について。

原告らは、原告らに、被告主張の行為があるとしても、右行為はいずれも懲戒事由として学則の定める「学内秩序を乱し」「学生の本分に反したもの」との要件には該当しないものであると主張する。しかし、上段三項において説示したとおり、懲戒処分は、教育施行者が、教育施行の為の方法として認められている制度であり、その要件も、学内秩序を乱し、学生の本分に反する等、抽象的規定として定められている以上、一定の行為が右要件に該当するか否かは、先ず教育施行者が、その教育目的に照して評価すべきものであり、いわゆる自由裁量事項であると解するのが相当である。したがつて被告主張の事実がある以上裁量権踰越の問題は別としてその評価の不当を攻撃して要件該当性がないとする原告らの主張は採用できない。

七、権利濫用の主張について。

弁論の全趣旨と成立に争のない甲第三、第四、第九、第一七、第四一、第五五、第五六の各号証、同第六一号証、乙第三ないし第九号証、第二八号証の一、二、証人近藤幹雄、同松永昌三、同安達重行、同中田保、同大野三郎、同安田精致の各証言、原告木下真治、同田中靖良、同村上赳、同熊田次矢、同長谷川弘、同谷内晃博各本人尋問の結果の一部、被告本人尋問の結果の一和を総合すると本件各事由の発生した当時の事情として、次の諸事実を認めることができる。

都留大における学生自治会は昭和三九年度はさしたる活動を示さなかつたが、昭和四〇年四月新入生が入るころから運動が活発化し、五月に入り、一学生が一事務局女子職員を殴打した事件に端を発し、学生間に存する事務当局の事務取扱い上の過誤不親切に対する不満を取り上げ、事務当局に対する改善要求を掲げて学生集会を開催し事務局に対する公開質問状を作成し、その回答を求める学生集会等を企画したが、当時たまたま新校舎第一期工事が落成し、同月二〇日新校舎屋上において市当局主催の落成式が挙行されることとなつた。ところが自治会執行部は右落成式について、学生の父兄が校舎建設資金として各金五万円以上の負担をしているにかかわらず、市当局はその収支の明細も明らかにせず且つ大学当局の意向にもかかわりなく落成式を挙行するもので、市当局の大学無視であり、それが大学事務当局員の不親切学生軽視につながるものとして、五月一九日学生大会を開催して落成式を実力によつて阻止する旨を決議し、偶々同日朝事務局員の一部の者が前示女子職員殴打事件についての学生の処分につき大学当局は事務局員を軽視しているとする批難の掲示物を掲示したので、更にこの問題をも取り上げ、これは結局、市当局の大学当局、学生に対する軽視の態度につながるものと断定し、学長たる被告の中止勧告にも応ぜず、翌二〇日の落成式当日、学生数百名を動員して、落成式を挙行する新校舎前において抗議集会を開催し、市長に抗議文を手交し、答弁を求めて落成式の開始を遅らせる事態に発展した。これを問題視した都留市議会議長は、その資格において被告に対し、落成式当日の学生の行動について、学生と教官が共闘して行つた不都合な行動であるとしてその責任についての回答を求めた。

被告は、これに対し同月二一日教授会を開催してこれを議し、結局学生らの行動は、懲戒事由には該当しない旨を決議し更に同月二五日教授会において教官も学生らの右行動について責任がなく、市側がその責任を追及することは大学自治の侵害である旨を議決し、その旨市議会議長宛回答した。ところが右回答を不満とした市議会は、地方自治法第一〇〇条に基づくものとして、更に市議会内に、都留大問題調査特別委員会を設置し、独自の調査を開始し、六月四日、右学生デモに関し責任があるものとして教官である学生部長、学生委員を直接右委員会に出頭を命じた。しかし右教官らか、このような市議会の態度は、大学の自治を侵すものとして、その旨市議会に意見を表明し、前記委員会の出頭要請には応じたが、その証言を拒否した。次いで同月八日都留市長は、学長たる被告に対し、右五名の教官の適格性について審議するよう要求し、被告は同日開催されていた一般教授会において、市長の右要求にかかる五名の教官について、教授のみによつて構成される人事教授会に付議することとした。その後市当局は六月一七日、新聞記者に対し、同月二〇日直接都留市民に対し、新聞折込紙をもつて落成式当日の学生デモは一部教官の煽動によつて行われたものであるとの発表をなし、五名の教官は、これに対し同月二七日市当局の事実誤認である旨、かかる行為は大学の自治の侵害である旨主張し、その旨を記載した文書を配布し、学生も右の事態に同調し、大学事務局員の更迭、経済管理権の大学への移行等を要求するほか前示認定のような市当局、大学事務当局、学長たる被告に対する各種の活動をなした。その間被告は、一部教官の一般教授会開催要求もあつたが、原告らを含む学生らの集団的活動に鑑み、一般教授会開催は不可能であるとして、あえて一般教授会を開催せず、人事教授会において前記五名の教官について、懲戒免職相当の結論を出し、同年八月一一日の一般教授会において、その旨を報告し、右結論の承認を得て、市長にその旨上申した。その間教授会は、五名の教官について、学生委員辞退の希望を容れなかつた。

以上の経過が認められ、原告らの処分事由とされている各事実は、以上の事態のなかで発生したものであることは原告主張のとおりである。

そこで、右の事実に照し、原告らの本件処分について判断するに、先ず、上段認定のように、原告播摩光寿について(八)及び(一〇)の事実についてこれを認めるに足る証拠はなく、(六)の事実についても、処分を受けない一般学生以上の行動があつたとは認め難く、(三)の事実についても、偶々当日執行委員から、行進を整然とさせるための整理役を依頼されたに過ぎず、処分の対象とならない一般学生との差異は少ないものといわなければならない。そうとすれば、同原告は、(六)の集会に一般学生と同様参加し、(三)のデモ行進に参加し、行進を整理したことによつて退学処分に付せられたこととなり、これと当初における教授会の態度、その後の市と大学、教官間、及び大学内における教官間の紛糾、混乱状態と併せ考えれば、懲戒権の発動が専ら教育施行責任者の裁量に属するものとしても、その行動の態容からみて、右二つの事実をもつて学内秩序紊乱者、学生の本分に反したものとして退学処分に付することは甚しく社会通念に反し、裁量権を踰越した懲戒権の濫用と認めざるを得ないところである。次に原告高橋ミヤ子については、同様(一〇)の事実について執行委員長である原告木下真治の依頼を受けて、寝具を準備したことを認め得るのみであり、(九)の事実については、同原告は守衛の制止に反した事跡もなく、硝子破損の事実もないのであり、(六)、(七)、(八)の各事実についてこれを認め得る証拠はなく、(三)の事実については一般学生以上の積極的活動のあつたことを認め難いところであり、原告田中則雄については、(八)、(一〇)の事実はこれを認めるに足る証拠はなく、(三)と(六)の事実については、いずれもその参加は認められるけれども一般学生以上の活動事実は認め難く、原告小谷章については、(六)、(八)についてはこれを認めるに足る証拠はなく、(三)についても、一般学生以上の活動を認め得られず、原告長谷川光二について(七)、(八)についてはこれを認めるに足る証拠はなく、(三)、(六)についても、一般学生以上の積極的活動のあつたことを認めることができないのであるから、前記原告播摩光寿に対する説示と同様の理由により、いずれも本件処分は権利の濫用と認めるべく、右各原告に対する各処分はこれを取消すべきものである。

次に、原告木下真治については、被告主張の事実はすべて認められ、同田中靖良、同熊田次矢、同谷内晃博については、いずれも(一〇)の事実を除くその余の主張事実、同村上糾については(一〇)の事実は認められず、(三)の事実については校外に出たことが認められず、その余の主張事実はいずれも認めることができ、同長谷川弘については(九)、(一〇)の事実が認められず、(一)の事実についてその参加態容が不明であるほか、他の各主張事実が認められることは上段判示のとおりである。そして、右原告らの判示認定行動が、大学内外の上段判示の情勢のもとにおいて行われたものであることは、上段原告らと同様である。しかし右原告らが前記原告らと異り判示運動において、指導的立場に立ち、積極的行動に出ていたことは上来判示した事実からこれを窺知することができる。また右原告らの判示行動が、最終的な目的として、大学の自治確立の要求を掲げていたことは、判示事実並びに右原告らの各本人尋問の結果からこれを認めることができるけれども、大学の自治は元来大学教官の研究と教授の自由を確保するためのものである。ところが判示各事実並びに前掲甲第四、第一七号証、その記載態容、内容から教育二年の報道局作成のものと認め得る甲第一二号証によれば、原告田中靖良を除くその余の右原告らは、学生自治会の執行委員として、先ず事務局の事務取扱い方法の改善要求を提出し、これを事務局の人事(職員の更迭)要求、学生の生活保障確保の要求までも掲げ、あるいは、学長通達に対する釈明として事務局員を直接追及し、答弁を強制し六月一日には、右の要求等のため、予め同月二八日までの運動計画を樹てていることが認められ、右の運動の直接目的と大学の自治との関連は必しも明確ではなく、且つその追及を学内管理機関である教授会に向けず、直接事務局員に向けた方法からすれば、果して真実大学自治の問題としてこれを取り上げたか否か疑が存しないとは言えない。もつとも前第一七号証によれば五名の教官の処分問題が発生した以降右原告らの要求中には、市の調査特別委員会の撤廃、大学側の態度表明のための一般教授会の開催要求をも含み、この点、教官人事に対する市側の介入を排除しようとするものであり、大学自治擁護運動の流れに沿うものということができる。しかしながら学生多数の蝟集するなかで、学長に対し、要求事項の即答を求め、長時間応答し、確約書に署名を求めたり、要求貫徹のため同盟休校を一旦決定し、学長において同盟休校の責任問題を避けるため、臨時休校を決定するや、一転して同盟登校を決定して、学生及び一部教官の登校を要請して、学長通達を無視することを図つたりしたことは、原告らの要望する大学自治の擁護を目的とするものとしても、甚だ妥当を欠いているものと認めざるを得ないところである。以上説示したところと、上段認定の右原告らの行為の回数、行動態容を彼此勘案してみれば、被告が右原告らに対してなした本件処分が著しく社会通念に反する裁量処分であると断ずることは困難である。したがつて、これをもつて権利の濫用となす原告らの右主張は肯認できない。

八、以上のとおりであるから、原告北林万智子については訴訟の終了を宣言し、原告播摩光寿、同高橋キミ子、同田中則雄、同小谷章、同長谷川光二の各請求はこれを認容し、その余の原告らの請求はこれを棄却するものとし、訴訟費用の負担については、民事訴訟法第八九条、第九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 小河八十次 清水嘉明 若林昌子)

(別表省略)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例