甲府地方裁判所 昭和44年(ワ)344号 判決 1971年12月03日
主文
1 被告は、
原告清水幸子に対して、金三六九万五、〇一〇円同清水司、同清水仁及び同清水朗に対して各金二二二万五、七九〇円
同清水冨佐子に対して、金二一万円
及び右各金銭に対する昭和四四年一〇月二九日からそれぞれ完済までの年五分の金銭の支払をせよ。
2 原告らのその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用は、被告の負担とする。
4 この判決の第一項は、仮に執行することができる。
事実
(当事者の求める裁判)
一 原告ら
1 被告は、
原告清水幸子に対して、金四三三万一、一八一円
同清水司に対して、金二五四万八、〇九七円
同清水仁及び同清水朗に対して、各金二五四万八、〇九八円
同清水冨佐子に対して、金三〇万円
及び右各金銭に対する昭和四四年一〇月二九日からそれぞれ完済までの年五分の金銭の支払をせよ。
2 訴訟費用は、被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 被告
1 原告らの請求を棄却する。
2 訴訟費用は、原告らの負担とする。
(原告らの請求原因)
一 事故の発生
昭和四四年四月一四日午後一一時一〇分ごろ、国道二〇号線龍王駅前交差点において、鈴木幸男運転の軽四輪自動車(八山梨く七九八号、以下鈴木車という。)と柳沢光男運転の大型貨物自動車(長一う一三号、以下被告車という。)とが衝突し、鈴木車に同乗していた清水芳朗が死亡した。
二 被告の責任
被告は、被告車を所有し自己のために運行の用に供していたから、自賠法三条に基づき、本件事故によつて生じた後記損害を賠償する責任がある。
三 損害
(一) 芳朗の逸失利益
1 給料・手当
芳朗(昭和六年八月一日生)は、昭和三五年一月一一日出梨県に採用された地方公務員であり、事故当時児童福祉司として五等級一〇号俸月額四万九、九八四円その他の諸手当を受領していた。そして、山梨県においては、五七歳に達した次の三月三一日に退職することが行政指導として行われているので、芳朗は、昭和六四年三月三一日退職する予定であつた。その間受領しえた給料及び諸手当は、別表のとおりであつて、生活費を収入の三割とし、さらに中間利息を控除すると、合計一二二四万三、二三一円となる。
2 退職金
芳朗は、退職時まで二九年二月勤務し、そのとき三等級二三号俸月額九万七、八七八円を受領していたはずである。山梨県条例によると、二九年勤務の退職者に対しては、給料の四七・七倍の退職金が支給されるので、芳朗は、四六六万八、七八〇円を受領できるはずであり、中間利息を控除すると、二三三万四、三九〇円となる。
3 芳朗の相続人は、山梨県から昭和四四年四月分の給料等として二万八、一七九円、及び退職金として四九万七八八円を受領したので、これを1・2の総計から差引くと、一四〇五万八、六五四円となる。
(二) 芳朗の慰藉料
芳朗は、苦学の上大学を卒業し、精神薄弱児の教育に情熱を燃しており、県職員としての将来を嘱望されていた。また、三人の子の父として円満な家庭生活を送つていた。その慰藉料は一〇〇万円が相当である。
(三) 原告らの相続
原告幸子は芳朗の妻、原告司、同仁及び同朗はいずれも子である。従つて、原告幸子が三分の一、原告司、同仁及び同朗が各九分の二の割合で、芳朗の損害賠償請求権を相続した。
(四) 原告ら固有の損害
1 葬儀費用
原告幸子は、芳朗の葬儀費用として二五万九、〇三五円の支出をした。
2 慰藉料
原告冨佐子は芳朗の母である。原告らは、芳朗と円満な家庭生活を営んでいたものであり、同人の死によつて筆舌に尽くしがたい精神的苦痛を蒙つた。その慰藉料は、
原告幸子 一〇〇万円
原告司、仁、朗 各五〇万円
原告冨佐子 三〇万円
が相当である。
(五) 損害の補填
自動車損害賠償保険により、
原告幸子は 一〇〇万円
原告司、仁は 各六六万六、六六七円
原告朗は 六六万六、六六六円
をそれぞれ受領した。
(六) (一)から(四)の損害から(五)の受領金を差引くと、原告らの損害は次のとおりである。
原告幸子 五二七万八、五八六円
原告司、仁、朗 各三一七万九、七〇一円
原告冨佐子 三〇万円
四 よつて、被告に対して、原告幸子は四三三万一、一八一円、同司は二五四万八、〇九七円、同仁及び同朗は各二五四万八、〇九八円(上記原告は、いずれも前項の内金)、同冨佐子は三〇万円と右各金銭に対する昭和四四年一〇月二九日(訴状送達の翌日)からそれぞれ完済まで年五分の遅延損害金の支払を求める。
(被告の答弁)
一 請求原因第一項を認める。
二 同第二項中、被告が被告車の運行供用者であることは認める。
三 同第三項を争う。但し、原告らと芳朗との身分関係は認める。
(被告の主張)
一 本件事故は、鈴木幸男が、酔払い運転で、赤信号が点滅しているのを無視し、左右の安全確認を怠つて、鈴木車を交差点内へ暴走進入させたため、交差点内を徐行進行中の被告車が急ブレーキをかけても間にあわずに衝突したものであつて、その原因は、鈴木の重大過失にある。
二 被告車を運転していた柳沢は、その運行に注意を怠らなかつたし、被告車には、構造上の欠陥又は機能の障害はなかつた。
三 仮に、柳沢に過失があり、本件事故が同人と鈴木の共同不法行為になるとしても、柳沢の過失は極めて小さいから、自賠法に基づく被告の責任も、右の小さい過失に相当する範囲に限定されるべきである。
四 鈴木の前記過失は、被害者芳朗にとつて「被害者側」の過失にあたるから、過失相殺を主張する。
五 また、芳朗は、鈴木の酔払い運転を承知しながら同乗した過失があるから、これについても過失相殺を主張する。
(被告の主張に対する原告らの反論)
一 柳沢は、衝突地点より一九メートル手前で左側(鈴木車の進路)から何か来る光があつたにもかかわらず、ブレーキも踏まず、警音器も吹鳴しなかつた。また、黄の点滅信号に対面していたのに徐行せず、時速四五キロメートルで交差点に進入した。他方鈴木は、交差点の四メートル手前で一時停止した上、再進行を開始し、しかも、被告車より先に交差点に進入している。
従つて、本件事故については、柳沢の過失は、鈴木のそれよりも大きい。
二 当時芳朗は、鈴木が酔つていないと認識して同乗した。また、本件事故についての鈴木の過失は、酒酔いではなく漫然と交差点に進入したことにある。従つて、芳朗が鈴木の酔払い運転に同乗したことをもつて、芳朗の過失とはいえない。
(証拠関係)〔略〕
理由
(事故の発生及び責任)
請求原因第一項及び被告が被告車の運行供用者であることは、当事者間に争いがない。そして、本件事故については、自賠法三条但書の免責事由の証明がない(後に判断するように被告車の運転者にも運行上の過失がある。)から、被告は、被害者清水芳朗の死亡によつて生じた損害を賠償する責任がある。
(損害)
(一) 芳朗の逸失利益
〔証拠略〕を総合すると、次の事実が認められる。
1 芳朗は、昭和六年八月一日生で、法政大学卒業後、昭和三五年一月一一日、山梨県に「山梨県主事」として採用され、事故当時、児童福祉司として
(イ) 給料五等級一〇号俸月額四万九、九八四円
(ロ) 暫定手当 四五六円
(ハ) 扶養手当 一、四〇〇円
(一八歳未満の子のうち一人は六〇〇円、その他は各四〇〇円宛。芳朗の長男原告司は昭和三六年一二月一一日生、同二男原告仁は昭和三九年一〇月一〇日生、同三男原告朗は昭和四一年二月四日生)
(ニ) 特殊手当(社会福祉業務従事手当) 三、五〇〇円
を支給されていた。
2 そのほか、県職員に対しては、年間に次の諸手当が支給される。
(イ) 期末手当 給料、扶養手当、暫定手当の月額合計に一〇〇分の三三〇を乗じた額
(ロ) 勤勉手当 同じく一〇〇分の一一〇を乗じた額
(ハ) 寒冷地手当 同じく一〇〇分の一〇を乗じた額に六、七〇〇円を加算
3 山梨県では、停年制はないが、五七歳に達した次の三月末日をもつて退職するのが慣例となつている。芳朗は、死亡当時三七歳であるから、約三四年の平均余命を有し(第一二回生命表)、従つて、もし順調に勤務を継続すれば、昭和六四年三月三一日に退職することになり、その間、少くとも別表のように昇給昇格し、退職時には、少くとも現行三等級二二号俸月額九万七、八七八円に四七・七(勤続年数二九年について定められた支給率)を乗じた四六六万八、七八〇円の退職金が支給される。
4 芳朗の家族は、妻、未成年の子三人及び母の五人であり、原告幸子は教員として勤務していた。
以上の認定を前提とすると、昭和四四年四月一日から昭和六四年三月末までの間の芳朗のうべかりし給与及び諸手当は、別表各欄のとおりであり、同人が右収入をえるために要する生活費は、ほぼ三割と見るのが相当であるからこれを控除し、さらに各年間純利益から単式ホフマン式計算法により年五分の中間利息を控除すると、昭和四四年四月現在における価格は、別表〔略〕のとおり合計一二二四万三、二三一円となり、また、うべかりし退職金四六六万八、七八〇円の現価を同様に計算すると、
4,668,780円×0.5=2,334,390円
二三三万四、三九〇円となる。
従つて、芳朗の逸失利益の合計は一四五七万七、六二一円となるが、原告らは、昭和四四年四月分の給料等として二万八、一七九円及び退職金として四九万七八八円を受領したことを自認するので、これを差引くと、残額は一四〇五万八、六五四円となる。
(二) 芳朗の慰藉料
芳朗の死亡による精神的損害については、後述原告らの慰藉料その他の事情を考慮し、慰藉料一〇〇万円を相当と認める。
(三) 原告らの相続
原告幸子が芳朗の妻、原告司、同仁及び同朗がいずれも子であることは、当事者間に争いがないので、同原告らは、原告幸子が三分の一、その余の者が各九分の二の割合で芳朗の損害賠償請求権を相続したことになる。従つて、(一)(二)について計算すると、次のとおりである。
原告幸子 五〇一万九、五五一円
原告司、仁、朗 各三三四万六、三六七円
(四) 葬儀費
〔証拠略〕によると、原告幸子は、芳朗のために葬儀を行い、その費用(遺体移送費も含む。)として合計二五万九、〇三五円を支出したことが認められる。
(五) 原告らの慰藉料
原告らと芳朗との身分関係については争いがなく、家族である原告らが芳朗の死亡によつて蒙つた精神的損害は甚大であろうと察せられる。これに対する慰藉料は、原告幸子について一〇〇万円、同司、同仁及び同朗について各五〇万円、同冨佐子について三〇万円を相当と認める。
(六) 損害の補填
自賠保険により、原告幸子が一〇〇万円、同司及び同仁が各六六万六、六六七円、同朗が六六万六、六六六円を受領したことは、原告らの自認するところであるから、それぞれ上記の原告らの相続分及び固有損害から控除すると、残額は次のとおりである。
原告幸子 五二七万八、五八六円
原告司、仁 各三一七万九、七〇〇円
原告朗 三一七万九、七〇一円
原告冨佐子 三〇万円
(過失相殺)
〔証拠略〕を総合すると、次の事実が認められる。
1 芳朗は、昭和四四年四月一四日午後七時ごろ、同僚の鈴木幸男の運転する鈴木車に同乗して、上司である桶孟方(中巨摩郡敷島町島上条七六六番地)を訪問し、同所において鈴木とともに酒食のもてなしを受け、午後一〇時半ころ辞去し、鈴木車に同乗して帰路についた。当時鈴木は、かなりの酒気を帯びており(本件事故直後の検査において、血液一ミリリツトルにつき約一・九四ミリグラムのアルコール含有が検出された)、正常な運転が困難な状態にあつたが、芳朗において、格別これを注意したり、同乗を断つたりした形跡はなかつた。
2 本件事故現場である交差点は、中巨摩郡龍王町富竹新田二四四番地先に位置し、東西に走る国道二〇号線(幅員七・一〇メートル、甲道路という。)と南北に走る布施龍王線県道(幅員七・〇一メートル、乙道路という。)とが交わつていて、その北西角附近にはブロツク塀があるため、甲乙道路間の見通しが悪い。
3 鈴木車は乙道路を南進し、被告車は甲道路を東進して、ほぼ同時に交差点に差掛かつたが、当時、交差点にある信号機は、鈴木車の進行方向には赤色の点滅、被告車の進行方向には黄色の点滅をしていた。
4 鈴木は、飲酒のため注意力が散漫になつていて、右側の甲道路の交通の安全を確認しないまま交差点に進入し、また、被告車の運転者である柳沢も、交差点の手前で左側の乙道路から何か光るものが来るのに気付きながら、警音器も鳴らさず、徐行もしないで交差点に進入した。
5 その結果、柳沢が急ブレーキをかけたが及ばず、被告車の左前部と鈴木車の右前部とが衝突し、その衝撃によつて、鈴木車の助手席にいた芳朗が路上に放り出され、頭部打撲・脳挫傷によつて死亡するに至つた。
以上の認定から考えると、本件事故は、鈴木車と被告車の各運転者である鈴木と柳沢両人の運行上の過失が競合して発生したものということができる。
ところで、被告は、鈴木の過失が「被害者側」の過失にあたると主張するけれども、芳朗は、単なる同僚として無償同乗したに過ぎず、鈴木との間にいわゆる一体的関係は認められないから、鈴木の過失について過失相殺を適用することはできない。
しかし、芳朗が鈴木の飲酒運転を知りながら同乗していることは、前記1の認定から明白であり、飲酒運転は、法の禁ずるところであるばかりでなく、一般に事故発生の危険が高いものであるから、芳朗が鈴木車に同乗して帰つたことは、何といつても軽率であり、本件事故による死亡については、芳朗自身にも過失があつたといわざるをえない。
そこで、芳朗の過失を斟酌して、原告らに対する被告の損害賠償額は、前記(六)の各金銭からそれぞれ三割を減額するのが相当である。
(結論)
以上のとおりであり、結局、被告は、原告幸子に対して三六九万五、〇一〇円、同司、同仁及び同朗に対して各二二二万五、七九〇円、同冨佐子に対して二一万円の損害賠償義務がある。
よつて、原告らの請求中、右各金銭とこれに対する昭和四四年一〇月二九日(訴状送達の翌日)からそれぞれ完済までの年五分の遅延損害金の支払を求める部分は、理由があるから認容し、その余を棄却することとし、民事訴訟法九二条、一九六条に従い、主文のとおり判決する。
(裁判官 橋本攻)