甲府地方裁判所 昭和51年(ワ)289号 判決 1993年12月22日
原告
A
同
B
同
C
同
D
同
E
同
F
同
G
同
H
同
I
同(J承継人)
J1
同(J承継人)
J2
同(J承継人)
J3
原告ら訴訟代理人弁護士
斎藤展夫
寺島勝洋
関本立美
加藤啓二
小笠原忠彦
仁藤峻一
木村康定
佐藤義弥
山本真一
安西一三
秋山信彦
小島成一
小林亮淳
坂本修
高橋融
今村征司
松井繁明
牛保秀樹
大森鋼三郎
小池振一郎
斉藤健児
竹中喜一
二上護
林勝彦
大熊政一
久保田昭夫
清水恵一郎
豊田誠
菊地紘
小林幹治
嶋田隆英
江藤鉄兵
紙子達子
小見山繁
椎名麻紗枝
福本嘉明
向武男
岡部保男
橋本紀徳
矢花公平
清見栄
坂井興一
船尾徹
宮川泰彦
市来八郎
亀井時子
大川隆司
川上耕
小池通雄
小林和恵
阪口徳雄
澤藤統一郎
清水順子
村野守義
山本政明
岡村親宜
内藤功
山田裕祥
小林良明
飯塚和夫
窪田之喜
佐治融
関島保雄
戸張順平
二瓶和敏
山下登司夫
飯田幸光
清野順一
須藤正樹
寺村恒郎
浜口武人
松本善明
渡部照子
我妻真典
荒川晶彦
石野隆春
茨木茂
川村武郎
木村普介
古城春実
永瀬精一
塙悟
平山知子
山内忠吉
畑山穣
川又昭
稲生義隆
根岸義道
堤浩一郎
猪俣貞夫
輿石英雄
横山国男
星山輝男
木村和夫
林良二
三浦守正
山内道生
陶山圭之介
陶山和嘉子
宮代洋一
佐伯剛
谷口隆良
谷口優子
高荒敏明
若林正弘
山本安志
根本孔衛
杉井厳一
篠原義仁
児嶋初子
畑谷嘉宏
村野光夫
永尾廣久
長谷川宰
野村正勝
中込泰子
増本一彦
増本敏子
庄司捷彦
岡村共栄
岡村三穂
一木剛太郎
池田輝孝
柴田睦夫
石井正二
河本和子
鈴木守
北光二
佐藤鋼造
関静夫
高橋勲
高橋高子
白井幸男
藤野善夫
守川幸男
田村徹
後藤裕造
小高丑松
倉内節子
瑞慶山茂
西山明行
飯野春正
田見高秀
野上恭道
野上佳世子
大塚武一
金井厚二
廣田繁雄
吉村駿一
小林勝
春山典勇
高坂隆信
白井巧一
池末登志博
杉原信二
石田吉夫
茂木敦
樋口和彦
嶋田久夫
岩崎功
岩下智和
武田芳彦
木下哲雄
内村修
大門嗣二
上條剛
坂東克彦
被告
東京電力株式会社
右代表者代表取締役
荒木浩
被告訴訟代理人弁護士
橋本武人
馬場東作
高津幸一
山本孝宏
宇田川昌敏
牛島勉
太田恒久
河村貞二
渡辺修
吉澤貞男
山西克彦
冨田武夫
成富安信
田中等
竹内桃太郎
石川常昌
江川勝
田多井啓州
吉益信治
主文
一 被告は原告らに対し、別紙認容損害賠償金額目録合計欄記載の各金員及び認容額(1)ないし(8)記載の金員に対する各起算日から支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。
二 原告らのその余の請求はいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、原告Aと被告との間においては同原告に生じた費用の一〇分の一を被告の負担としその余は各自の負担とし、その余の原告らと被告との間においては右原告ら及び被告に生じた費用を全部被告の負担とする。
四 この判決は、一項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
一被告は原告らに対し、別紙請求債権目録合計欄記載の各金員及び請求債権(1)ないし(8)欄記載の各金員に対する各起算日から支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。
二被告は原告らに対し、別紙謝罪文等目録一記載の謝罪文を交付し、縦一〇三センチメートル、横145.6センチメートルBO版の白紙に紙面一杯に墨書のうえ、これを同目録二記載の各場所に本訴請求事件の判決確定日から一か月間掲示し、かつ、同判決確定日の直後に発行される被告社報「とうでん」の諸公示欄冒頭一頁を用いて掲載せよ。
第二事案の概要
原告らは被告従業員であり昭和三五年前後にそれぞれ日本共産党に入党し又はその支持者となった者(以下「共産党員等」という。)であるが、本件は、被告が原告らに対し右以降毎処遇決定時に共産党員等は従業員として信用性がないという理由から各原告と同期入社・同学歴で標準的な職務遂行能力を有し、かつ、標準的な業務実績を修めた従業員(以下「標準者」という。)の処遇、特に、役職位への昇格等の職務任用、職級昇格及び資格認定並びにこれに伴う給与決定等(以下「人事考課ないし査定」という。)に比較するとそれぞれ憲法一九条(思想信条の自由)、労働基準法三条及び東京電力労働組合(以下「東電労組」という。)・被告間の労働協約六条(思想信条による処遇上の差別の禁止を謳った条項。以下「均等待遇条項」という。)に反する著しく不利益な取扱いをしたことによって、原告らが思想信条による差別のない人事考課と査定基準の下で均等待遇を受けることを期待する権利ないし利益及び名誉等を侵害され、昭和四八年一〇月以降各原告と各標準者との給与差額相当の損害及び精神的損害を被ったとして、不法行為又は雇用契約上の債務不履行(均等待遇条項違反)に該当することを理由に、前記第一のとおり給与差額相当の損害賠償及び慰謝料並びに謝罪文の掲載を請求した事案である。
一争いのない事実(被告が明らかに争わない事実及び弁論の全趣旨により認められる事実、後記各証拠によって認定できる事実を含む。)
1 当事者
(一) 原告ら
原告らは、それぞれ別表1の各生年月日に生まれ、各学歴(被告による認定学歴)ないし資格を有し、各入社年月日に被告または被告がすべての権利義務関係を承継した関東配電株式会社もしくは日本発送電株式会社に入社し、各職種に就き、各入党年月日に日本共産党に入党し、各退職年月日に退職した元従業員かつ東電労組元組合員若しくはその訴訟承継人又は現従業員かつ同労組現組合員である(なお、以下、各原告名及び亡Jの氏名は姓のみを表示し、亡J承継人原告三名を「原告Jら」ともいう。)。
(二) 被告
被告は、関東一円、山梨県及び静岡県の富士川以東並びに福島県、長野県及び新潟県の一部を対象として、電力の生産及び供給を事業目的とし、肩書地に本店を置く外、各地に支店、支社、営業所、発電所及び発電所を有する資本金約六五〇〇億円、従業員約四万人の株式会社であり、東電労組との間で均等待遇条項に関する労働協約を締結している。
2 被告の給与体系および人事考課ないし査定制度の概要
(一) 被告の給与体系の概要図は以下のとおりである。<編注・前頁図>
(二) 基本給決定の仕組
(1) 職務給制度
① 人事考課制度
被告は、人事考課制度すなわち各従業員に対する業績評定(これは毎年四月ないし九月末迄の上期及び一〇月ないし三月末迄の下期毎に各期の担当職務の遂行度合と職務遂行に関連してみられる執務態度を対象として実施される評定である。)及び能力評定(これは毎年一月一日に当該従業員の過去一年間の職務遂行に具体的に顕現された業務知識、能力、態度、人柄及び性格を対象として実施される評定である。)に基づき、上級職務への任用、当該上級職務が各職場の基準職務(全事業所の全職務の中から業務の各系統にわたり基準となる職務)である場合にはこれについて労使協定に基づき加えられた職務評価によって定められた職級への昇格、当該上級職務が基準職務でない場合にはこれに準じた職務評価となる職務に対応する職級へ昇格させるか否か及び能力開発の方策(研修、職場指導及び育成の要点等)などの処遇を決定する制度を採用している。
② 職務給制度
そして、被告は、基本的には右①の制度により各従業員に付与した職級に対応する基本給を定めるという職務給制度を採用しており、第一に、人事考課により職級の変更があれば基本給が変更される(例えば、職級昇格の場合、下位職級のときに支給されていた基本給と直近にある上位職給の後記(2)にいう号数がその者の号数となる。)。
(2) 定期昇給制度
他方、被告は、基本給について定期昇給制度を導入している。すなわち、この制度による基本給は、被告により認定された最終学歴別の基礎号数(大卒一〇号、旧高専卒八号、旧甲中卒を含む高卒四号、旧乙中卒三号、旧高等小学校卒を含む中学卒〇号、旧尋常小学校卒マイナス二号)に社外経験の補正(社外経験期間と社外経験換算係数との積であり、後者は一般経過年度に対する係数0.5、常用員・A項委託集金員経験期間に対する0.8及び特殊経験期間に対する0.8ないし1.0がある。)を加えることにより定まる初任号数と勤続年数の和である職級別号数に対応する額に、被告が査定に基づき職級別に定められているプラス又はマイナス方向の係数を乗じて(但し査定の対象グループ内かつ同一職級の定期昇給対象者の増額及び減額補正の合計は常に零となる。)定めるものとした。
そこで、基本給は、勤続年数が一年増せば同一職級内にある場合には少なくとも前年度の上位号数と低位号数の各対応給与の差額とこれに査定による係数を乗じた額の和が増加される。また、職級の昇格が定期昇給時にあれば、まず前記(1)に従い上位職級の号数を定め、更にその上位号数と右号数の各対応給与の差額とこれに査定による係数を乗じた額との和が増加される。
(3) ベースアップ及び期中是正
被告は東電労組との協議により、前記(1)及び(2)の各制度による基本給変更の外、毎年四月一日にベースアップとして、同日以外にも適宜期中是正として、それぞれ基本給を改定している。
(三) その余の各給与項目の意義ないし算定の仕組
(1) その余の基準内給与
① 資格手当(昭和五七年一〇月以降は資格給)
被告は東電労組との協議に基づき、昭和四七年一〇月、ピラミッド構造の職位、職級の秩序と長期的雇用制度下の逆瓢箪型の人的構成との不一致を補完し各従業員の社内的位置づけ(ステイタス)を表示するものとして各従業員の資格の格付けを行う資格制度を発足させた。すなわち、この制度は、新入社時には初任資格の定めに従い(定期採用時の大学卒事務系は書記(2)、同技術系は技手(2)、高校卒事務系は書記補(2)、同技術系は技手補(2)であり、他の学歴者及び中途採用者はこれに準じて定められる。)、その後は被告が原則として毎年一〇月一日付けで別表2の1に従い、三つの構成要素、すなわち、仕事・会社生活を通じて知る知識・技能の蓄積、会社に対する貢献の積み重ね、会社人としてのたゆみない成長への努力を総合評価し、その充実度合が同一資格内又は上位資格への昇格を適当とするか否かを判断して実施するものである(なお、制度発足時には各従業員の既存職級に見合った格付が別表2の2のとおり実施された。)。
そして、資格手当は、同四八年二月職務補正手当を吸収しつつ創設された制度であり、予め右の資格別に定められた金額を当該従業員が付与された資格に応じて支給する制度であり、同四八年一〇月から昭和五七年九月までの推移は、別表2の3のとおりである(なお資格手当は同年一〇月以降資格給制度に変更された。)。
② 職責手当
職責手当は、副主任、副班長以上の役職に就いた者に対し支給される手当であり、昭和四八年一〇月から平成四年四月までの推移は別表3のとおりである。
ところで、課長以上に任用された者は特別管理職といい非組合員となる。また、本店、店所、現業機関の主任、当直主任及び班長は上級職位を補佐し、上級職位の示す目標、方針に基づいて上級職位が指定する担当業務を処理するとともに、担当業務に従い部員、課員、係員または所員を指揮監督する職務権限を有し、副主任及び副班長は上級職位の示す目標方針に基づいて各別に指定された担当業務を処理するとともに上級職位を補佐し上級職位の者が事故その他の理由によって不在の場合は、原則としてこれを代行する職務権限を有するものとされている。
③ 世帯手当
世帯手当は、各従業員の扶養家族などをもとにして決められる扶養区分と勤務場所をもとにして決められる地域区分の相関において定められた基準に従い支給される手当であり、平成四年六月に制度改正されライフサイクル手当となった(なお、この手当については給与格差がない。)その年度別推移は、別表4の1及び2並びに同3記載のとおりである。
(2) 賞与
賞与は、各年度の労使協定に基づき、左記①ないし④の項目について個別に定められる支給額の合計であり(各支給率については別表5の1及び2)、年二回(上期分一二月下期分六月)支給される。
① 基本給比例分
これは、当該従業員の基本給にこれのみに適用される妥結支給率を乗じた額である。
② 基準内給与比例分
これは、当該従業員の基準内給与(一定の項目を除く場合が多い)にこれのみに適用される妥結支給率を乗じた額である。
③ 職級定額分
これは、職級別に妥結される定額である。
④ 純査定分
これは、一人平均の原資、査定対象者の割合及び対象者の基本給に占める査定金額割合を労使間で定めたうえ、被告が人事考課に基づき右の範囲内で決定する額である。
(3) 住宅積立助成手当
住宅積立助成手当は、各人の住宅資金確保を助成するため基準内給与から職責手当を差し引いた額に支給率を乗じて算出する手当であり、昭和五〇年までは年間六回支給されていたが、昭和五一年度からは年二回支給されることとなったものである。その支給率の推移は、別表6の1記載のとおりである。
(4) 住宅助成臨時措置特別加算
住宅助成臨時措置特別加算は、基準内給与から職責手当を差し引いた額に支給率を乗じて算出する手当であり、昭和四八年一二月から昭和五〇年七月まで計五回支給されたものである。その支給率の推移は、別表6の2記載のとおりである。
(5) 財産形成給付金
財産形成給付金は、基準内給与から職責手当を差し引いた額に支給率を乗じて算出する手当であり、昭和五四年二月から毎年二回支給されたものである。その支給率の推移は、別表7記載のとおりである。
(6) 一時金
一時金は、昭和五八年一〇月以降昭和五七年九月までの期間に以下のとおり三回支払われている。
① 安定供給推進協力一時金
これは、昭和四八年一〇月一六日、当該従業員の同年九月末の基本給に0.075を乗じた額と四〇〇〇円の和という支給率で各従業員に支給された金員である。
② 財産形成促進助成措置
これは、昭和四九年一一月五日、当該従業員の同年末の基準内給与から職責手当を控除した額に0.214を乗じた額と三〇〇〇円との和という支給率で支給された金員である。
③ 賃金支払日変更貸付金
これは、昭和五二年一月一四日、賃金支払日の変更に伴って全従業員に貸し付けられその一部のみが返済され、残金が免除されたもので、当該従業員の昭和五一年一二月末の基準内給与の0.21倍という支給率で支給された金員である。
(7) 退職金
退職金は、被告の退職金規則に基づいて、退職時の基本給を算定基礎とし、これに勤続期間に対応する別表8の1ないし3記載の各支給率ないし給付率を乗じて算出した金額である。
(8) 年金
年金は被告の年金規則に基づいて、加入期間二〇年以上の加入者の選択に従い一時金として又は定期金として一〇年間支給されるもので、昭和五七年九月以前は退職時の基本給を、同年一〇月以降は退職時の基本給と資格給との和を算定基礎とし、これに加入期間に対応する別表8の1ないし3記載の各給付率及び一時金選択方式の場合には精算係数を乗じたうえ、算出した金額である。
(9) 特別嘱託の報酬・慰労金・退職慰労金
報酬は特別嘱託社員の月例給与を、慰労金は同賞与を、退職慰労金は同退職金をそれぞれ意味し、報酬は退職時の基本給の八五パーセント、昇給、慰労金及び退職慰労金は別表9記載の各支給率に基づき支給されたものである。
(四) 被告の人事考課ないし査定についての裁量権
かくして、被告は、人事考課ないし査定に基づき、直接的には、職務任用(役職位を含む)、職級昇格及び資格昇格の候補者の選定、これに伴う職級別号数別基本給、職責手当及び資格手当、能力開発の推進方策並びに賞与等について、間接的には基本給ないし基準内給与を算定基礎とする住宅積立助成手当、住宅助成臨時措置特別加算、財産形成給付金及び一時金、退職金及び年金並びに特別嘱託の報酬、慰労金及び退職慰労金(以上の処遇を総称して以下には「給与関係の処遇」という。)について、それぞれ自己の裁量によって決定する権限を有するということができる。
3 給与関係の処遇の格差
(一) 原告らの支払給与の推移等
原告らは、別表10の1ないし10の実際の給与欄記載の各給与の支払を受けた。
(二) 原告ら主張の「あるべき給与」の額
(1) 昭和五七年九月以前のあるべき給与の算出方法
原告らは、東電労組本部が毎年作成している「賃金実態調査結果の概要」及び「賃金実態調査結果」(以下には合わせて「東電労組資料」という。)に基づき、各給与項目毎の以下の①ないし④の基準に従い算出した額の合計を昭和四八年一〇月以降同五七年九月以前の「あるべき給与」として主張している(なお、被告の給与計算方法が一〇〇円未満切り上げによることは当事者間に争いがない。)。
① あるべき基準内給与額の算出方法
以下のaないしeの各項目の合計額があるべき基準内給与額であり、その変動がある毎に区分し、支給される月数を乗じて算出する。
a 平均基本給
平均基本給とは、東電労組資料のうち、学歴別・年令別基本給特性値表又は学歴別・年令別・基本給平均・特性表において、各原告に対応する同期入社同学歴者の中位数に示される基本給である(なお、中位数とは、平均や最頻値とともに代表値の一種であり変量N個の値を大きさの順に並べたときに変量Nが奇数の場合には中央の位置にある値をいい、変量Nが偶数の場合には中央の二つの値の相価平均をいう。)。その昭和四八年ないし昭和五七年の推移は別表11の1及び2のとおりである。
b 平均職級
平均職級とは、東電労組資料のうち、「学歴別・職級別・勤続年数別人員表」及び「学歴・職級別・勤続別人員」において各原告に対応する同期入社同学歴者の中位数にあたる職級である。その昭和四八年ないし昭和五七年の推移は別表11の1及び2のとおりである。
c 平均資格
平均資格とは、東電労組資料のうち、「勤続別資格等級別人員表」及び「学歴・男女・勤続資格別人員」において各原告に対応する同期入社者の中位数にあたる資格である。その昭和四八年ないし昭和五七年の推移は別表12の1及び2のとおりである。
d あるべき職責手当
あるべき職責手当とは、「平均職級」に対応する役職位の職責手当である。なお、職級と役職位との関係は別表3のとおりである。
e 世帯手当
これは、各原告が現実に支給された金額である。
② あるべき賞与額の算出方法
あるべき賞与額は、各年度の労使協定による以下のaないしdの各配分項目毎に算出した支給額の合計額である(なお各支給率は別表5の1及び2のとおりである。)。
a 基本給比例分
入社年度別組合員平均基本給に基本給比例分妥結支給率を乗じた額
b 基準内給与比例分
あるべき基準内賃金に基準内給与比例分妥結支給率を乗じた額
c 職級定額分
平均職級に対応する妥結職級別定額
d 純査定分
妥結一人平均純査定額
③ その他のあるべき賃金額の算出方法
a あるべき住宅積立助成手当
あるべき住宅積立助成手当は、あるべき基準内給与からあるべき職責手当を差し引いた額に別表6の1記載の各支給率を乗じて算出したものである。
b あるべき住宅助成臨時措置特別加算
あるべき住宅助成臨時措置特別加算は、あるべき基準内給与からあるべき職責手当を差し引いた額に別表6の2記載の各支給率を乗じて算出したものである。
c あるべき財産形成給付金
あるべき財産形成給付金は、あるべき基準内給与からあるべき職責手当を差し引いた額に別表7記載の支給率を乗じて算出したものである。
d あるべき一時金
あるべき一時金は、前記2(三)(6)の各一時金支給時のあるべき基本給を基礎とする点を除き、同2(三)(6)の算出方法のとおりに算出したものである。
④ あるべき退職金及び年金の算出方法
あるべき退職金及びあるべき年金の算出方法は、それぞれ退職時の平均基本給に別表8の1及び2記載の各支給率を乗じた金額である(なお、退職金に関する右算出方法の適用対象者は原告A及び原告Hであり、年金に関する右算出方法の適用対象は原告Aのみであり、一時金を選択し右金額に精算係数91.695を乗じている。原告Hは勤続期間が二〇年未満なので年金の支給条件を満たさない。
(2) 昭和五七年一〇月以降のあるべき給与の算出方法
原告らは以下の①ないし⑥の算出方法に従い算出された額の和が昭和五七年一〇月一日以降のあるべき給与であると主張している。
① あるべき基準内給与の算出方法
あるべき基準内給与は、昭和五七年一〇月一日から同五八年三月末日迄については同五七年一〇月のあるべき基準内給与(世帯手当を除く)を基礎とし、同五八年度以降については右基準内給与に対する同年度以降の各平均ベア妥結率を乗じた額と各年月に得た世帯手当月額との和であるところ、昭和五七年一〇月ないし平成四年の間の右基準内給与(世帯手当を除く)の推移は、別表13記載のとおりである。
② あるべき賞与の算出方法
あるべき賞与は、昭和五七年一〇月以降については、あるべき基準内給与に別表5の2記載の妥結率を乗じた額である。
③ あるべき住宅積立助成手当、住宅助成臨時措置特別加算及び財産形成給付金の算出方法
あるべき住宅積立助成手当、住宅助成臨時措置特別加算及び財産形成給付金は、あるべき基準内給与(世帯手当を除く)から職責手当相当分として昭和五八年度分及び同五九年一〇月分までについては係長、副長の職責手当相当額である一律二万円を、昭和五九年一一月分以降については同相当額である二万五〇〇〇円を、それぞれ減じ、世帯手当の額を加算し、これに別表6の1もしくは2又は同7記載の各支給率を乗じた額とした(なお、財産形成給付金については更に定額加算がある。)。
④ あるべき退職金の算出方法
あるべき退職金は、退職時のあるべき基準内給与(除く世帯手当)から右③の職責手当を差し引いた金額を原告らの昭和五七年九月当時の現実の基本給と資格手当の割合の平均である八対二の割合で退職時のあるべき基本給とあるべき資格給とに按分したうえ、右退職時のあるべき基本給に別表8の3記載の各支給率を乗じた額である。
⑤ あるべき年金の算出方法
あるべき年金は、あるべき基準内給与(世帯手当を除く)から前記③の職責手当を差し引いた金額に別表8の1ないし3記載の各給付率を乗じ、かつ、一時金を選択する方法でこれに精算係数88.3412を乗じて算出したものである。
⑥ 特別嘱託のあるべき報酬・慰労金・退職慰労金の算出方法
あるべき報酬については、算定基礎を退職時のあるべき基本給とする点及び昇給率として実際の昇給率を使用する点を除き前記2(三)(9)のとおりであり、あるべき慰労金及び退職慰労金はあるべき報酬又は嘱託終了時のあるべき報酬に別表9記載の各支給率を乗じた額である。
(3) あるべき給与の算出額
そして、原告ら主張の計算方法に従い各原告のあるべき給与を計算すると、別表10の1ないし10記載のとおりとなる。
各原告主張の数額は必ずしも右別表記載の数額と一致しない。
しかし、まず、原告Cはその最終学歴が鳳青年学校卒であり旧制甲中卒(新制高卒)である旨主張しているが右学校卒が被告において旧制甲中卒扱いとされていることを認めるに足りる証拠がなく、他方、同原告が昭和二九年度に中央社員養成所高等部を卒業していることは当事者間に争いがないことから計算上の入社年度を新制高卒昭和三〇年度としてあるべき給与を計算するのが合理的である。
次に、当事者間に争いがない事実、証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、原告Hが昭和二八年四月一日一九才時に被告に入社したものの昭和二四年三月三一日新制中学校を卒業していたことが認められる。そこで、あるべき給与が年功序列的に(勤続年数に応じて)上昇するとの原告主張の基礎に照らせば、東電労組資料のうち昭和四八年度の学歴別、年齢別、基本給平均、特性表により平均基本給を算定する場合には同年齢の中卒入社者よりも入社年度を実際よりも四年繰り下げて計算するのが合理的である。
そこで、右各操作をしたうえ、右各原告のあるべき給与を計算すると、右別表記載のとおりとなる。
更に、その余の不一致部分は原告らが単純な計算間違いをしたことに因るものであり右別表の数額が正しい計算結果である。
(三) 特定の従業員が受けた給与の推移
被告が一瀬次男、関部善和、市川和正及び一瀬明治に対し支払った基準内給与、賞与、退職金、年金の推移(右関部を除き推定額)は、別表10の1、3、5及び8記載のとおりである。
氏名
共産党員等と認識された時期(認定根拠)
原告A
昭和三四年<書証番号略>
原告B
昭和三四年<書証番号略>
原告C
昭和三四年<書証番号略>
原告D
昭和三六年<書証番号略、証人河村正造>
原告E
昭和三六年一二月(争いがない事実)
原告F
昭和三四年三月(争いがない事実)
原告G
昭和三六年五月(証人樋口栄一)
原告H
昭和三四年中頃<書証番号略>
原告I
昭和三六年一一月<書証番号略>
亡J
昭和三四年後半(争いがない事実)
(四) 以上によれば、原告ら主張の計算方法に従った各原告のあるべき給与額及び各原告の比較対象である特定の従業員が支払を受けた給与額と、各原告が実際に支払を受けた給与額との各格差は、別表10の1ないし10記載のとおりとなる。
4 被告の原告らに対する認識
(一) 共産党員等であることの認識
まず、被告は、昭和三四年ごろ以降、役職位にある原告らの上司その他の従業員が原告らの職場内の労働組合活動ないし職場外の政治活動及び服務状況からみて原告らが共産党員等であるらしい旨の認識をしこれを被告に報告したことから、原告らが共産党員等である旨を遅くとも以下の各年月ころから認識した。<編注・左表>
(二) 日本共産党及び原告らに対する認識
(1) 日本共産党の組織活動方針ないし活動実態及び同党と共産党員等との関係に対する認識
被告は、日本共産党が昭和三三年頃以降革命の展望と長期かつ戦略的な展望に立ち、当面各企業内の同党の政治組織である経営細胞の強化、職場を基礎にした大衆闘争と党勢拡大を二本足とした政治闘争を重要基幹産業の中において展開し、労働組合に対する党の指導権を掌握しこれを革命闘争における労働者階級の組織された戦闘部隊として位置づけ、これを企業主義・経済主義・議会主義の枠内に止めることなく、その活動あるいはその外形を利用した組織的な大衆闘争をもって反独占・反企業の闘争(合理化反対闘争の名目)を継続して激発ないし発展せしめてきており、また、同党が個々の共産党員等に対して鉄の規律すなわち同党の上に個人を置かず同党の右の政治闘争に関する指導に無条件に服従すること及び企業内での規律違反や従業員としての服務につき評価上のマイナス面を覚悟してでもその闘争を強行する英雄的戦闘性を要求してきたものと認識している。
(2) 原告ら共産党員等による職場闘争に対する認識
そして、被告は、共産党員等が昭和三〇年代初めから日本共産党の右(1)の方針及び鉄の規律を受け容れ、被告内でその政治闘争を以下のとおり実践したと認識している。
① すなわち、被告は、日本経済が昭和三〇ないし四〇年代高度経済成長期に突入し、電力需要が国民生活の安定とわが国産業経済の発展・治安維持の原動力として逐年飛躍的な増大を続けたのに対応し、被告は低廉かつ安定した良質の電力供給を確保すべく一方において電力料金を可能な限り据え置くため財政的基盤が厳しい中、他方で、その経営全般にわたり技術革新に支えられた近代化・合理化(自動化・機械化・計装化・無線化・集中化等)を強力に推進していく必要があり、従業員もこれに伴う業務内容に即応し自己啓発の努力によってそれに必要な能力の開発向上を行い服務に集中発揮することが要求されていたにもかかわらず、原告ら共産党員等が日本共産党の方針に基づいて昭和三〇年六月の日本電機産業労働組合(以下「電産」という。)の関東地方本部と東電労組との組織合同後の同労組の主導権を掌握し、従前の同労組の民主的労働組合主義路線を昭和二〇年代の電産型政治的階級闘争路線へ一変させ、昭和三四年初頭から反独占・反企業・反職制・反合理化を標榜し労働組合活動ないし職場闘争の名の下に従業員の集団業務放棄を伴う重大な規律紊乱行為ないし職制に対する反抗及び非協力闘争を指導煽動遂行し始め、原告ら共産党員等各自の日常業務においても被告との雇用契約により被告に対して負っている誠実に職務を遂行すべき義務を怠り、自己啓発の努力を放棄し、研修の意欲を欠き、反抗闘争又は職場内における党勢拡大活動(赤旗の拡販・党員の拡大・民青の拡大)を執拗に続けたために、職場規律の紊乱による重大な経営困難に逢着し、業務の円滑なる遂行に多大の支障を蒙ったと認識している。
② また、被告は、原告ら共産党員等が東電労組が昭和四一年二月民主的労働組合主義路線に回帰して以降東電労組を利用する職場闘争をしえなくなったが、日常業務ではなおも反企業闘争を続け、昭和四五年七月の日本共産党一一回党大会の組織活動改善方針の決定及び昭和五一年一〇月の本訴請求提起に伴いその服務の外形を繕うようになった後も日本共産党の反企業闘争の基本姿勢はこれを堅持し続けたままであったとの認識に基づき、まず、第一線の職制が共産党員等に任せるべき業務の選択、共産党員等の服務管理・指導、共産党員等が拒否した業務のフォロー、職場全体の業務の円滑なる遂行上の支障に対する対応はもとより、社内秘密の探知漏洩についての警戒、顧客に対する対外信用上の配慮等々多くの問題に直面するなどその苦労がたえず、更に、回りの従業員等にしても共産党員等が拒否し又は懈怠した業務をそれぞれ過分の負担として分担しながら処理するという迷惑を蒙ったと認識している。
③ また、被告は、職務遂行能力の高低は、その潜在能力の有無のみから判断するのではなく、服従性ないしその能力を誠実、かつ、可及的最大限の努力を払って被告の所期する志向に沿い集中発揮する自己支配力があるか否かによって判断すべきであるとの認識から、原告らのうち潜在的能力がある者でも右の服従性ないし自己支配力に欠け、逆に被告保有の事業用資産の破壊ないし規律紊乱等の反抗闘争を至上課題とする方向で能力を発揮するおそれがあるから、職務遂行能力の評価においても劣悪であると評価していた(<書証番号略>)。
更に、被告は、原告らの服務態度が昭和四五年ころ以降良くなったのは日本共産党の指導による微笑戦術ないし面従腹背又は本件訴訟上の戦術であり信頼できず、日本共産党がその綱領第四節において日本独占資本の支配を打倒する旨主張し続け、原告らが共産党員等である限り依然として被告事業所内において前記の反抗闘争をするおそれがあるものと判断し、その意味で職務遂行能力の評定において不適格ないし劣悪との評価をしてきた。
殊に、被告は、首都圏に電力を供給する被告の公益企業としての性格に照らし、原告らには、一定の裁量権を有し又は上級職の代行権限を有する職制(役職者)又は七級以上の職級に相応し下位職者への指導、計画業務、予算業務、合理化に関する業務、関係部署との連絡調整業務、重要な秘密に関与する業務及び対外信用に深く関わる業務を含む職務へ任用するのに必要な従業員としての信頼性がないと判断し、かつ、仮に七級に昇格させるとしても、右の各業務を担当させることはできないと考えてきた。
また、被告は、共産党員等である原告らに対する前記評価が事務的、機械的な職務を行うに止まる下位職務ないし職級間の昇格についても不適格方向の判断要素となり、昇格が遅れる結果になるものと考えて来た。
二争点<省略>
第三争点に対する判断
一被侵害利益について
被告は、前記第二の一2のとおり従業員の役職位その他の職務任用、職級昇格、資格格付け及び研修機会の付与並びに定期昇給時及び賞与支給時の査定等の給与額を直接間接に左右する個々の決定及びその余の処遇の決定について裁量権を有するが、他方、憲法一四条、一九条及び労働基準法三条により構成されている私法上の公序ないし被告、東電労組間の均等待遇条項、すなわち、思想信条等を理由とする処遇差別の禁止の趣旨に照らせば、被告の右裁量権は被告が自らの事業目的を効率的に達成する上で必要であり、しかも、右公序ないし労働協約の精神に反さず、かつ、その名誉を違法に侵害しない限度において行使できるに止まり、被告が右限度を越えてこれを行使した場合には裁量権の濫用となり違法性を帯びるものと解すべきことは論をまたない。
ところで、政党は特定の思想信条を基盤としてその政治的な理念を実現するために結成する団体であるから、特定の政党に所属し又はこれを支持するか否かはその基盤となっている思想ないし信条に同調するか否かを意味する。したがって、原告らが共産党員等であること自体を理由として右の個々の処遇において不利益な取扱いを受けないことを期待するという法的保護に値する利益及び原告らの名誉を害されない権利を有することも自明であるといわねばならない。
これに対し、被告は、原告らの主張では被侵害利益が既発生の「あるべき給与」の支払請求権なのか、被告による処遇上の何らかの「一般的不可侵義務違反」により「あるべき給与」の一部の具体的支払請求権が発生させられなかったことにより生じた「あるべき給与」と現実に支払われた給与との差額なのかが不明であり又は個別具体的な事実の摘示がないから不特定であると主張する。しかし、原告らが前記のとおり右差額の支払請求及び慰謝料請求の前提となる個々の処遇の決定において共産党員等であること自体を理由として差別されないことを期待する利益を被侵害利益として主張していることは十分に理解できるところであり、右主張では不特定である旨の被告主張は理由がない。
二処遇格差の有無
1 給与関係の処遇格差の有無
(一) 給与関係の処遇格差の発生開始時期について
証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、被告が原告らに対し給与関係の処遇において格差をつけ始めた時期、態様が前記第二の二2(一)(1)のとおりであることが認められる。
(二) 原告ら主張の「あるべき給与」算定根拠の合理性の有無
(1) 基準内給与制度内の年功序列的要素ないし運用の有無について
① 被告従業員の給与関係の処遇における年功的傾向の存在
まず、被告給与体系が役職ないし職務と職級と基本給とを密接に結び付ける職務給体系を建前としていることは当事者間に争いがなく、証拠(<書証番号略>)によれば、現に同期入社同学歴者の間でも職位、職級又は給与に上下の巾があり、後輩が先輩より上位にあることもあることが認められるが、被告従業員のうち同期入社同学歴者についての評価結果を示す現実の職級又は給与の数値が大数観察をすれば経年的に大体同様に上昇しておりそこにいわゆる年功序列的な一般的傾向が窺われることも当事者間に争いがない。
② 基本給制度の内在的年功序列的要素及び年功序列的職務ないし職級任用が基本給の決定を左右していること
ⅰ 基本給制度の内在的年功序列的要素
被告が昭和四一年四月以降現在まで従業員の勤続年数が一年増せば所属職級内の号数が一号上昇し、査定による増減はあるものの上昇前後の各号数に対応する基本給の差額の昇給を得られる仕組みの定期昇給制度を導入していることは当事者間に争いがなく、証拠(<書証番号略>、証人鈴木章治、同内藤久夫)及び弁論の全趣旨によれば、被告が同制度を導入するに当たり定期昇給制度についてと題する冊子において、職務だけが賃金の高さを決めるという考え方に勤続や年令といった年功的なものをつけ加え職務給与体系に対するわが国の風土に調和させた日本的修正である旨の説明をしたこと、同制度では一つの職級内に〇号ないし四〇号があり従業員が高勤続ないし高号数になり習熟期間を経過した後(すなわち習熟度の向上に応じた職務給としての性格を次第に失った後)も退職するまで毎年昇号する仕組みとなっていること、そこで田口三夫は被告本店労務部給与課長当時昭和五一年一一月号の雑誌で定期昇給制度の設定を考えるとき伝統的な年功賃金との調整を深く考慮する必要がある旨叙述し、被告人事部人事計画課長内藤久夫も高勤続ないし高号数になればなる程年功的な要素が強くなる旨証言していること、更に、被告がいずれも東電労組の年功的要求に対応して、昭和四四年、同四七年、同五〇年及び同五三年の各基本給制度改定の都度、高勤続ないし高号数の従業員を厚遇したこと、以上の各事実が認められ、右各事実によれば定期昇給制度が基本給の決定に年功序列的要素を内在させ、かつ、被告が右各改定を経て基本給に関する職務給的性格を更に修正し高勤続者ほど高賃金を取得できる年功序列的要素の強い賃金体系に接近させたものと認めることができる。
ⅱ 年功序列的職級ないし職務任用について
証拠(<書証番号略>、証人鈴木章治)及び弁論の全趣旨によれば、いずれも東電労組の年功序列的要求に対応して、被告が東電労組との間で昭和四三年四月年功序列的職級調整措置すなわち下位職級の中高年者を個別的に上位職級に任用する措置をとったこと、被告が昭和四六年四月東電労組との間で職級調整措置の制度化として職務を中心として職級を格付けする建前を維持しつつ職務と職級との関係を弾力的に運用し多数が五年程度在級している下位職級を中心に勤務成績優秀にして職務内容が高水準にあると認められる者については同一基準職務を担当させつつ職級のみを一級昇格させる旨の合意をし実際に約一八〇〇名が同一職務のまま一級昇格されたこと、被告が昭和五〇年八月東電労組との間で職務数に制限があるため同一職場に同期入社同学歴者で能力に優劣がない者が複数所属しているときに職務と職級との関係を厳格に運用すると一方を上位他方を下位の職級に任用せざるを得ないところこのような一般職の職務給制度の厳格な運用を改定し課業による職級の格付けすなわち例えば同期入社同学歴者二人に六級職及び七級職の課業をそれぞれ等分に分担させていずれも六級にする運用を合意したこと、以上の各事実が認められ、右各事実によれば、被告が主張する職務=職級=基本給という給与関係の処遇の対応関係が変容し、職級が職務中心ではなく人中心すなわち当該従業員の能力の外勤続及び年齢などを考慮して決められる傾向が強まったことが認められる。
また、証拠(<書証番号略>、証人鈴木章治)及び弁論の全趣旨によれば、被告が昭和三七年三月未だ職級制度が右のように変容しておらず職務=職級という建前が維持されていたころに既に在職任用細則により最低標準年齢(二級には大学専門卒では三七才、一般では三八才等)を、一般職六、七及び八級任用細則で最低標準勤続年数(六級には大学専門卒では一二年、一般では一三年等)をそれぞれ定めたこと、被告が昭和四三年四月入社後満四年経過した者を揃って一〇級から九級に任用したこと、昭和五〇年の職級昇格において高卒標準者を六年で八級に昇格させる実務的運用を図ったこと、被告が昭和四二年個別職務への適正配置を行う為に各職務への任用にふさわしい適応年齢及び最適年齢を定めかつ各職務の通常及び最長の適応期間を定める職務資格要件記述書を制度化したこと、被告が昭和四五年頃人事異動について一般業務における基準在職年数を三ないし五年程度とする旨の基本的考え方をもっていたこと、被告本店配電部が同月ごろ人事部との協調のもと昭和五七年四月発令で昭和三六年入社者の昭和五六年の主任任用率77.7パーセントを他部門の92.1パーセント以上に引き上げ昭和三五ないし三八年の入社者の四級以上の任用率を増強するなど配電部所属の中高年者の昇進の遅れを確認し勤続年数を基準として職務任用を改善しかつその店所係長級への任用率及び昭和四〇ないし四一年入社者の主任への任用を他部門の平均比率に近づけることをその後の配電部門の重点課題としたこと、更に、被告が右当時入社後一〇年程度で副班長へ任用し、入社後一五年程度で班長へ任用するという「配電部門のライフサイクル(案)」を有していたこと、被告工務部現業技術検討委員会が昭和六〇年四月作成の「現業技術技能のあり方とその育成方法(答申書)」という文書中で工務部門でも勤続一一年で副主任ないし副班長に、勤続一六年で主任ないし班長に任用することを予定していたこと、以上の各事実が認められ、右の各事実によれば、被告が昭和三七年以降学歴と勤続年数に応じて役職ないし上級職務を担当させ又は勤続年数との関係で職級発令をしてきたことを推認できる。
③ 資格制度及び資格手当制度の年功序列性について
被告が昭和四七年一〇月ピラミッド構造の職位、職級制度の秩序と長期的雇用制度下の逆瓢箪型の人的構成との不一致(ポストは上にいく程少ないのに、年度別の従業員数が次第に若年層及び中高年層の二つの膨らみをもつ人員構成となり各従業員の業務実績及び職務遂行能力に相応する職務任用ないし対価還元が不十分となったこと)を補完するため、まず資格制度を創設し各従業員の資格の格付けを行ってそれぞれの社内的位置づけ(ステイタス)を表示し、更に、昭和四八年二月、右制度における資格等級に対応する附加給としての資格手当を創設し対価還元をしたことは当事者間に争いがなく、証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、いずれも東電労組の年功序列的要求に対応して、被告が東電労組との間で昭和四八年一〇月標準的予定昇格という資格任用の運用方針(すなわち資格任用における重みのある目安として標準的な者の在資格年数を後記の年度別標準予定昇給年数表のとおりとし技師以上の昇格についてもそれ以下の資格昇格となだらかに接続させ特に高校卒又は東電学園卒の定期採用者については特別な者を除き三年で書記補(1)又は技手補(1)に昇格させるという方針)を設定することで合意したこと、更に、昭和四九年及び昭和五〇年には右運用方針における在資格年数を短縮し、昭和四九年高校卒又は東電学園卒の定期採用者のうち特別な者を除き初任資格である書記補・技手補(2)から同(1)へ二年で昇格させることを、昭和五〇年高校卒又は東電学園卒の定期採用者中の標準者を二三年程度で主事又は技師に到達させることを、それぞれ協定し、昭和五四年一〇月の定期昇格時から、資格区分を改定して標準職位との格付基準を明示し、かつ、標準予定昇格年数の短縮を行い、また、資格等級を廃止して各資格段階毎に手当区分を設定したうえ同一手当区分内では特別な者を除き原則として二年毎(副参事は三年毎)に一区分昇格させることを明示したこと、以上の各事実が認められ、右各事実によれば、資格制度及び資格手当制度が若年層及び中高年層に対する名実を兼ねた年功序列的配慮に基づき創設され、資格区分や名称の変更を伴いながら常に勤続年数を根拠とした標準予定昇格年数を短縮する方向で年功序列的に運用され推移してきたことは明らかである。<編注・次頁別表>
④ 以上①ないし③の各事実によれば、被告従業員の給与関係の処遇が被告給与体系内に定期昇給制度及び資格制度などの制度内在的な年功序列的要素及び役職、職務及び職級等について年功序列的運用基準があるため、少なくとも当該入社年度の標準者と前入社年度ないし後入社年度の標準者とを比較すれば年功序列的に決定され、統計上もその結果として年功序列的傾向が表れてきたことが認められる。
(2) 給与格差算出基礎の正確性ないし合理性の有無について
① 昭和五七年九月以前について
昭和五七年九月以前のあるべき給与の算定方法は前記第二の一3(二)(1)のとおりであり、証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、原告らが東電労組資料をあるべき給与の算出に使用したこと、東電労組が同資料の根拠資料を被告から一括して入手したことが認められ、右算定方法及び根拠資料を前提とすれば、この期間のあるべき給与の算定方法は合理性を有するものと認められる。
別表
標準予定昇格年数表
四八年
四九年
五〇年
五四年(対応職位明示)
書記補・技手補
八年
六年
六年
四年(初級担当級)
書記・技手
八年
八年
八年
七年(中堅担当級)
主事補・技師補
一五年
一五年
一〇年
一〇年(総括担当級)
主事・技師
一三年(副長、主任、班長級)
特任主事・技師
無し(課長、副長級)
副参事
〃(課長級以上)
② 昭和五七年一〇月以降について
昭和五七年一〇月以降のあるべき給与の算定方法は前記第二の一3(二)(2)のとおりである。
ⅰ あるべき基準内給与等の算定方法について
すなわち、この期間のあるべき基準内給与の算定方法は、昭和五七年一〇月一日から同五八年三月末日迄については同五七年一〇月のあるべき基準内給与を基礎としており、右①と同様合理性を有し、同五八年度以降については推計であるが、右基準内給与に対し同年度以降の基準内給与(世帯手当を除く)平均ベア妥結率を乗じた額と各年月に得た世帯手当月額との和であり、それ自体同期入社同学歴の標準者に対するあるべき給与として合理性を有するものと認められる。
また、あるべき賞与は、あるべき基準内給与を基礎として算定されているので、右と同様、合理性を有するものと認められる。
ⅱ あるべき住宅積立助成手当、住宅助成臨時措置特別加算及び財産形成給付金の算出方法について
あるべき住宅積立助成手当、住宅助成臨時措置特別加算及び財産形成給付金は、前記第二の一2(三)の(3)ないし(5)のとおりあるべき基準内給与から職責手当相当分を控除した額を基礎として一定の支給率(それ自体には争いがない)を乗じて算定するものであり、かつ、職責手当相当分として東電労組組合員の最高職位である係長、副長の職責手当相当額を減じており、合理性があるものと認められる。
また、あるべき年金も右住宅積立助成手当等と同じ算定基礎を有するので合理性を有するものと認められる。
ⅲ あるべき退職金の算出方法
あるべき退職金は、退職時のあるべき基準内給与(除く世帯手当)から右③の職責手当を差し引いた金額を原告らの昭和五七年九月当時の現実の基本給と資格手当の割合の平均である八対二の割合で退職時のあるべき基本給とあるべき資格給とに按分したうえ、右退職時のあるべき基本給に別表8の3記載の各支給率を乗じた額であるが、同月以降に基本給の割合が低下したことを認めるに足りる証拠がないから、推計方法として合理性を有すると解される。
ⅳ 特別嘱託のあるべき報酬・慰労金・退職慰労金
あるべき報酬は、右ⅲの退職時のあるべき基本給を算定基礎とする点及び昇給率として実際の昇給率を使用する点のいずれにも合理性があり、全体として合理性を有するものと認められる。
ⅴ 以上ⅰないしⅳによれば、昭和五七年一〇月以降のあるべき給与の算定方法も合理性があると解される。
(3) 格差の有無
① あるべき給与との格差
以上(1)及び(2)の各事実を総合すれば、原告ら主張のあるべき給与が同期入社同学歴の標準的な組合員に対する平均的な給与として合理性ないし正確性を有すること及びそれが同期入社同学歴の被告従業員のうち特別管理職を除く平均的な給与であり全体の平均としては控え目な額であることが認められ、原告らが標準者であればあるべき給与を受けられたことを推認することができるところ、原告らが現実に受けた給与は前記第二の二3(一)のとおりであるから、別表10の1ないし10のとおりあるべき給与との格差があることは明らかである。
② 特定の従業員給与との格差
また、被告の一瀬次雄、関部善和、市川和正及び一瀬明治に対する支払給与の推移は、原告らの主張によれば別表10の1、3、5及び8記載のとおりであり、右特定の従業員に対する原告ら主張の各給与と原告A、同C、同E及び同Hが現実に支払を受けた給与との間には、右各別表記載の格差があることが認められる。
2 その余の処遇格差の有無について
(一) 原告A関係
(1) まず、被告が原告Aに対し労働組合活動の反主流派ないし極左分子であると公然と非難したことを認めるに足りる証拠はない。
(2) 証拠(<書証番号略>、原告F本人、亡原告J本人)及び弁論の全趣旨によれば、被告が昭和三八年一一月以降展開した人間能力開発方策の一環として昭和三九年八月ないし四〇年一〇月の間東電労組と合意のうえ被告従業員に自己啓発の努力目標を与えるために一般職七級以下一〇年勤続以上の従業員全員を対象とする研修及びこれに合格すれば三〇〇〇円が支給される旨のメリットが与えられる第三類検定制度を実施したこと、同制度の技能検定の項には特に成績優秀の者は一級上位待遇とすることがある旨の規定があること、同制度の知識検定の項には一般社員が自己の業務に精励している場合は合格に期待が持てるように運用する旨の規定があること、比較的勤続年数の長い従業員を対象とする甲検定の内容は面接だけであること、同原告が右検定実施当日である昭和三九年八月三日付の職場新聞「どおづな」(原告F及び原告Gの連名)を配布したこと、右職場新聞が右研修及び検定が三〇〇〇円のエサで従業員の企業への従属度を深めその全人格を支配する新しい攻撃であり従業員全体に対し何パーセントかの可能性に向けた競争を激化させて職場をバラバラにさせるものであって、電力従業員による統一と団結を強化し生活と職場の民主化を戦いとる方向に対する攻撃であるなどとこれに反対する文面であったこと、被告が同原告に対し昭和三九年九月右配布行為につき厳重注意をしたこと、原告Dが同検定を受けたこと、実際の面接が世間話や従業員の家族のことなどを話題とし一人当たり三分から二〇分で終了したこと、原告らが右の面接が特定の思想の当否を話題としたか否かをつかんでいないこと、以上の各事実が認められ、右各事実によれば、三類検定の内容が被告の従業員に対する人格支配の手段として運用される可能性が全くないというわけではないが、他方、「どおづな」の内容は労使間の合意の存在を無視しいずれも確実な資料を根拠とするものではなく原告F及び原告Gの同制度の運用に対する憶測の域を出ない意見を基礎として被告を誹謗する事実を公然と摘示したものであるということができ、同制度の運用開始当日の配布行為が同検定制度の実施を妨害しようとしたことも明らかであるから、右「どおづな」の作成配布が規律違反行為に当たるものと認められ、被告が原告Aに対し厳重注意をしたことに違法性があるとは認められない。
(3) 証拠(<書証番号略>、証人竹村寿(第一回)、原告A本人)及び弁論の全趣旨によれば、被告が昭和三七年ごろから昭和四八年頃まで入社後五年以上三五歳以下の従業員を対象とし指導員数、経費、職場の業務上の支障並びに各人の業務上の都合及び自己啓発意欲の有無程度を考慮してその都度許容人員に見合う人選をして中堅社員研修を実施したこと、被告が一般職員のほとんどに対し右研修に参加する機会を与えたこと、原告Aが昭和四六年に参加を希望したこと、しかし被告が同原告に対し同研修機会を一度も与えなかったこと、その理由が同原告の三類検定未受験、昭和四六年の被告の費用負担による低圧電気工事技術者試験講習受講の中途放棄などに代表される自己啓発意欲の欠如などであること、被告が従業員に対する研修機会の付与について裁量権を有すること、以上の各事実が認められ、右各事実によれば、被告が同原告の自己啓発意欲の欠如などを勘案し同研修機会を一度も与えなかったとしても被告の裁量権を逸脱したとはいえず、他に被告がその裁量権を逸脱したことを認めるに足りる証拠はないから、被告の前記行為が差別意思に基づく処遇上の格差である旨の同原告の主張は理由がない。
(4) 証拠(<書証番号略>、証人竹村寿(第一回)、原告A本人)及び弁論の全趣旨によれば、被告が当該従業員の業務上必要でありかつ当該従業員に業務上自動車運転をさせても危険がないと判断できるときに被告費用でしかも勤務時間中に自動車運転免許取得講習及び自動車運転免許試験の受験をすることを認めていたこと、被告が従業員の申請がありさえすれば同制度を適用する運用をしていたこと、ところが原告Aが昭和三〇年代後半以降右制度の適用を申請し続けたのに被告がこれを適用しなかったこと、他方、同原告が昭和四九年一一月二四日バイク運転中に人身事故を起こしたこと、同原告が昭和五〇年七月三〇日罰金刑を受けたこと(交通事故。道路交通法違反)、被告が同原告から昭和五一年に免許取得の要請を受けたとき右理由を説明したうえこれを拒絶したこと、以上の各事実が認められ、右各事実を総合すると、被告が同原告に対してのみ同制度の適用を認めなかった処遇は、昭和四九年以降については理由があるが、それ以前については同原告に対して右制度の適用を認めなかったことにつき理由がないものということができる。
(5) 証拠(<書証番号略>、原告A本人第二回)及び弁論の全趣旨によれば、被告が昭和四五年七月同原告を含む三名の従業員を従来の営業(事務系)の職場から配電(技術系)の職場に移し机上勤務者としたこと、右の異動が配電の現場業務の経験のある者が机上の配電事務に従事することが通例であるため異例でありこれを問題視した東電労組が被告に配転方針につき問いただしたところ被告が近い将来営業の職場に戻す方針である旨回答したこと、右三名のうち同原告を除く二名が一年程度で営業の職場に復帰したこと、同原告が毎年営業への異動を希望し続けたのに対し被告が同原告を定年退職まで配電の職場に置き続けたこと、他方、同原告が前記異動当時営業課において無線指令業務を担当していたこと、被告が右異動当時に職制を改正し従前の営業課作業係の業務の一部を配電課運営係に移しそれに付随して右業務に必要な無線指令業務の一部を同係に移しこれを同原告に担当させたこと、被告には人事配置についての裁量権があること、以上の各事実が認められ、右各事実に照らせば、被告が前記人事異動をしたこと自体は同原告の無線指令業務における経験を考えれば直ちに技術的能力を無視した不適当な配転であるとまではいえず、したがって、また、同原告の希望に応じて同原告を営業の職場に復帰させなかったとしてもそれをもって直ちに被告の裁量権を逸脱するとはいえない。他に被告がその裁量権を逸脱したことを認めるに足りる証拠はないから、被告の前記行為が差別意思に基づく処遇上の格差である旨の原告の主張は理由がない。
(二) 原告B関係
(1) 証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、被告が昭和三八年頃職制を通じて新入社員や若い社員に対し原告Bとの交友を制限する指導をしたことが認められる。
(2) 被告が昭和三七年以降原告Bに七年間主として出張所の受付業務を、二年間韮崎営業所の電設業務を、昭和四六年以降右電設業務のうち主として需要想定業務を一三年間それぞれ担務させたことは当事者間に争いがなく、証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、被告が昭和四六年五月同原告の業務を従前の電設業務から需要想定業務に変えたのは同原告に需要家と密着した仕事をさせることは適当でないという配慮からであったことが認められるが、同原告が転勤ないし別の業務に就くことを希望していたのにこれを無視されたものと認めるに足りる証拠はなく、被告の右職場配置がその裁量権を逸脱する不法行為であったとまでは認められない。
(3) 証拠(<書証番号略>、原告B本人)及び弁論の全趣旨によれば、同原告のある上司は、昭和四七年ないし四八年ごろ同原告の長女の複数の縁談調査の一つについて原告Bが「アカだから出世できない」旨の発言をしたことが認められる。
(三) 原告C関係
(1) 原告Cは、被告山梨支店変電係長が昭和三九年ごろ原告C作成の書類に認印を押さずに仕事の妨害ないし取上げをした旨主張するが、右主張事実を認めるに足りる証拠がない。
(2) 原告Cは、被告山梨支店職制が昭和三八年ごろから同原告が役員選挙に立候補する度に対立候補を擁立し役員ないし大会代議員にさせなかった旨主張するが、右主張事実を認めるに足りる証拠がない。
(3) 原告Cは、被告山梨支店係長大森慶一が同年原告Cを甲府市内の飲食店「博多」に呼び出し同原告が日本共産党に入党しているのか否かを聞いた旨主張するが、右大森の行為がそれ自体違法とまでは言えず、これが不法行為である旨の同原告の主張はそれ自体失当である。
(4) 被告が昭和四一年三月から昭和四八年八月末日までの通算八年余りの間同原告をその意に反して勤務員が二人以下で社宅に住むことを義務付けられる特殊勤務変電所に配転したことは当事者間に争いがないが、右人事配置が当時同原告の意に反するものであったことを認めるに足りる証拠がなく、被告の右行為がその裁量権を逸脱する不法行為であったとまでは認めることができない。
(四) 原告D関係
(1) 原告Dは、被告山梨支店係長根岸が同原告に対し昭和四九年四月ごろ「考え方を変えれば良い」旨言い暗に日本共産党を支持する思想の転向を促した旨主張し、右主張にはこれに副う同原告作成の陳述書の陳述部分があるが、他方、右根岸作成の陳述書には反対趣旨の陳述部分があることに照らし、同原告の右主張及びこれに副う陳述部分を俄に採用することができない。
(2) 証拠(<書証番号略>、原告D本人)及び弁論の全趣旨によれば、同支店甲府営業所設計係長大川が原告Dに対し昭和五〇年五月ごろ「なあD君、君ももうあまり若くはないしぼつぼつ考えを変えたらどうかな。君さえその気なら長坂の副主任あたりどうかな。長坂なら家も近くなるし。」旨いい転向を促したことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。そして、右大川の問いかけは、利益誘導により暗に思想の転向を促し、かつ、転向しない以上昇進させないという趣旨であると解されるから、思想の転向を強制したものと言うべきものであり、不法行為にあたるものと評価することができる。
(3) 被告が原告Dを地中線設計の研修に参加させずかつ同原告が右設計業務を担当しなかったことは当事者間に争いがなく、証拠(<書証番号略>、原告D本人)及び弁論の全趣旨によれば同原告は自己が担当している架空配電線の仕事に関係する新機種の変圧器、自動事故開閉器、信号自動切替開閉器開発に伴う研修会にさえ一回も参加しなかったことが認められる。しかし、被告が同原告の同僚又は後輩に右各研修機会をどの程度与えたか否かについてこれを認めるに足りる証拠がないから、右の事実のみをもって被告が同原告に対して研修機会の付与について差別していたものと認めることはできない。
(五) 原告E関係
(1) まず、証拠(<書証番号略>、原告E本人)及び弁論の全趣旨によれば、中村三郎が昭和四一年ごろ被告山梨支店料金課調定係長として同係に着任し、原告E及び他の従業員の面前で「俺はE対策のためにきた。俺の目の黒いうちにお前をクビにしてやる」などど広言したことが認められる。
(2) 証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、被告が昭和四七年八月五日同原告を残業から外したことが認められる。
(3) 被告が同原告に対し中堅社員研修などの研修機会を一切与えていないことは当事者間に争いがなく、一般職員のほとんどが右研修を受けたことは前示(一)(3)のとおりであるが、被告が同原告の同僚又は後輩にその余の研修機会をどの程度与えたか否かを認めるに足りる証拠がなく、右の事実のみから被告が同原告に対して研修機会の付与について格差を設けていたとまで認めることはできない。
(4) 証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、被告韮崎営業所中沢総務係長が昭和五七年一月原告Eが寄稿したNHKの朝の随想の放送を聞き「店報やまなし」へ登載する随想の原稿を同原告に依頼したこと、同原告が随想を寄稿したこと、被告山梨支店古屋春吉総務課長の指示により被告を敵視している同原告に店報の紙面を与えることはできないとして何の説明もないまま同原稿を店報に掲載しなかったこと、以上の各事実が認められる。
(六) 原告F関係
(1) 争いのない事実と証拠(<書証番号略>、原告F本人)及び弁論の全趣旨によれば、原告Fが昭和三四年六月ないし昭和三六年三月まで東電労組山梨支部甲府分会書記長であったこと、他方、青木運吉が昭和三三年七月ないし昭和三六年八月まで被告山梨支店労務課長であったこと、同課が右当時甲府分会書記長の対応機関の一つであったこと、同原告が昭和三四年六月以降甲府分会における活発な職場闘争を指導していたこと、右青木が右職場闘争を被告企業秩序を乱す不当な労働組合活動であると認識しており、同課として同原告に対応したこと及び自らも一回は同原告と接触した事実を認めていること、以上の各事実が認められ、右各事実によれば、同原告が甲府分会書記長としてまた右青木が被告山梨支店労務課長として事務折衝、職場交渉等において互いに何度となく接触してきたこと、更には右青木が右接触において同原告の組合指導を苦々しく思っていたことを推認するに難くなく、以上の各事実によれば、右青木が同原告に対し利益誘導による転向を促し同原告の組合指導を牽制する客観的状況が存在していたことが認められる。そして、右状況に照らせば、右青木が原告Fに対し昭和三五年二月ごろ交渉終了後に「Fさん、あなたの今までの経歴を見せて頂いたが最上位にランクされており、会社に不満がある筈がない。どうしてFさんが会社に対し戦闘的になるのかその訳が解せない。来年も引き続き分会書記長に出馬するのか」旨執拗に問いかけた旨の原告F本人の供述は信用し得るものと言うべきであるところ、右青木の問いかけは利益誘導により暗に活発な労働組合活動をすることを止めさせようとするものであると同時に書記長に出馬すれば「ランク」が下がる可能性を言外に匂わせているということができるから転向を強制しようとしたものと認めることができる。
(2) 被告が原告Fに対し同原告が昭和三九年九月一一日付で同年八月職場新聞「どおづな」を作成配布したことにつき就業規則九五条四号に基づいて譴責処分をしたことは当事者間に争いがない。
しかし、「どおづな」の作成配布が規律違反行為に当たることは前示(一)(2)のとおりであり、被告が同原告に対し右処分をしたことに違法性があるとは認められない。
(3) 被告山梨支店甲府営業所長佐藤健が原告Fに対し事前告知のないまま昭和四四年六月六日午後翌七日付で昇給発令のない石和出張所への配転辞令を出す旨告知したこと、同原告が翌七日始業時刻前にこれを拒否した場合にどうするかについて質問したので被告がその場合には当然相当の処置をする旨答えたこと、同原告が右以降退職まで主として電設業務を担当させられたこと、以上の各事実については当事者間に争いがなく、右各事実によれば、被告が同原告に対し前記配転辞令を拒否すれば何らかの強い処置が行われる旨示唆して同原告に配転を受忍させたこと、また、同種の業務を長年月にわたり担当させたことを認めることができる。しかし、証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、右措置が同原告の転居等私生活上の諸条件の変化を伴わないものであること、そうした場合には相当期間前に辞令発令予定を告知する必要がないこと、同原告がこの間に実際に担当した職務内容は同じ電設業務といっても全く同一ではなく質量範囲が異なる数種類の職務であったことが認められ、また、配転時に必ず昇給させる運用があることを認めるに足りる証拠はなく、更には、被告には従業員の配置についての裁量権があり、同原告が主として電設業務を担当させられ続けたという外形的事実のみで被告による裁量権の濫用ないし原告Fと他の従業員との処遇上の格差を認めるに足りず、他に右事実を認めるに足りる具体的証拠もない。したがって、被告の前記配転が違法であるとまでは認められない。
(4) 被告が右(3)の期間中原告Fに対し従業員としての基本的信頼を置くことはできず重要な業務につけることはできない旨の認識をしていたことは当事者間に争いがなく、証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、原告Fが共産党員等であったことから被告が昭和五三年八月ないし昭和五五年七月までの間ですら当時七級職にあり当然担当させるべき総括的な工程管理、すなわち、電設に申し込まれるものの工程のすべてにわたってその進み具合を把握し、担当者を指導して、需要家の希望する日に送電できるように関係各部署との連絡と調整をとらせ、またその担当者だけで解決困難な場合には自らもその調整にあたる業務などのように多くの社内情報を知りうる業務を同原告に与えなかったことが認められるが、被告が同原告に工程管理をさせなかった右理由を公言したものとまで認めるに足りる証拠はないから同原告が被告の右行為によってその名誉を傷つけられたとはいえず、また、同原告が右当時総括的な工程管理の担当を強く希望したことを認めるに足りる証拠もなく、その名誉感情が害されたことを認めるに足る証拠もない。
(5) 昭和四九年二月一四日付の日本共産党機関紙「赤旗」関東甲信越版に小林中氏が財界の大物であるがゆえに被告が特別の計らいで同人の被告に対する電柱移設工事の申込みを他の申込みに優先させ異例の超スピードで実施している旨の記事(以下「小林中電柱移設問題」という。)が掲載されたこと、被告山梨支店甲府営業所営業課長伊藤繁(以下「伊藤課長」という。)が原告Fに対し業務上知り得た右記事内容(これは企業秘密ではない。)を右記事の取材者である山梨民報の木下記者に漏らしたものとの認識で同原告を追及したことは、いずれも当事者間に争いがない。しかし、伊藤課長は同原告が右事実を木下記者に明かした旨を公然と摘示したわけではなく同原告が右追及によって個人的に名誉感情を害されたに止まること、他方、証拠(原告F本人)及び弁論の全趣旨によれば同原告が右工事の申込を受け付けたことが認められ、伊藤課長としても最も直接的な関係者である同原告に対する事情聴取を行うこと自体には理由があること、証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、被告も右当時同問題に同原告が関わっていた旨の社内報告をすることを断念して問題としては決着したことが認められること、以上の各事実を総合すると、伊藤課長の同原告に対する前記追及が不法行為を構成するに足りる実質的違法性を有していたものとは認められない。
(七) 原告G関係
(1) 被告が原告Gに対し同原告が昭和三九年九月一一日付で同年八月職場新聞「どおづな」を作成配布したことにつき就業規則九五条四号に基づいて譴責処分をしたことは当事者間に争いがない。
しかし、「どおづな」の作成配布が規律違反行為に当たることは前示(一)(2)のとおりであり、被告が同原告に対し右処分をしたことに違法性があるとは認められない。
(2) 被告が同原告と同じ職場に配属された新入社員に対し職制を通じて同原告との交友を制限する指導をしたことを認めるに足りる証拠はない。
(3) 被告従業員が国家資格を取得した場合に就業規則第九三条に基づき社長表彰(表彰状と祝金)を受ける扱いになっていたこと、原告Gが昭和四五年一二月一級建築士試験に合格し同月二四日被告山梨支店人事課に社長表彰を申請したこと、被告人事課と労務課との間で同原告に対する社長表彰につき意見が合わなかったこと、その理由が同原告が前示(1)の処分を受けたためであったこと、同原告が昭和四六年一月二六日同支店第一応接室で表彰式もないまま同支店土木課山下進から社長表彰を受けたこと、後記三類検定が昭和四二年に廃止されたこと、以上の各事実はいずれも当事者間に争いがなく、証拠(<書証番号略>、原告G本人)及び弁論の全趣旨によれば、支店長が表彰式を開き社長表彰を授与するのが通例であったことが認められる。
以上の各事実を総合すると、被告が同原告の社長表彰について同原告が右表彰の六年も前に受けた処分を理由として他の従業員に対するのとは異なる方式をとったことが認められるが、被告は元々能力開発政策を推進しており同原告がかつて反対した三類検定も右能力開発政策の一環であるところ、同原告が自力で一級建築士の国家資格を取得したことがその政策に沿うものであることは自明であり、前記表彰当時には既に右処分の原因となった三類検定が廃止されて三年が経過していたことに鑑みれば、前示処分を理由として前記表彰の方式を差別することは合理的とはいえず違法である。
(八) 原告H関係
(1) 原告Hは、被告が昭和三六年表題に「アカ落としの巻」と記載され、本文に「石井(同原告の旧姓)は手も早いし、道具もいい」などの文言が書かれた文書を被告山梨支店甲府営業所の全従業員に配布した旨主張するが、右事実を認めるに足りる証拠はない。
(2) 原告Hは、被告山梨支店甲府営業所所長代理萩原昭二が昭和四八年、石和荘における青年従業員対象の泊まりがけの初級者研修会議において、「浅間山荘事件の犯人たちは日本共産党の連中だ。Hは共産党だから注意するように」などと発言し原告Hを誹謗中傷したと主張するが、右主張事実を認めるに足りる証拠はない。
(3) 原告Hは、同原告が昭和四八年四月東電労組山梨支部執行委員選挙に立候補したところ被告が従業員に対し職制が推薦した立候補者に投票することを強制し同原告の当選を妨害したと主張し、証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、右主張事実のうち原告Hが昭和四八年東電労組山梨支部執行委員選挙に立候補したことが認められ、また、被告が従業員に対し職制が推薦した立候補者に投票することを強制し同原告の当選を妨害した事実については、これに副う同原告の陳述書があるが、他方、右陳述書と反対趣旨の陳述書もあり、原告の右主張及びこれに副う証拠を俄に採用することはできない。
(4) 原告Hは、被告が同原告に対し同原告が配電工事の技術畑にいたにもかかわらず技術者として必要な業務上の諸研修に参加させなかったと主張するが、右事実を認めるに足りる証拠がない。
(5) 被告が原告Hをその入社後昭和五三年五月までの内二二年余りの間現場作業に従事させ続けたことは当事者間に争いがなく、証拠(証人志村忠国、原告H本人)及び弁論の全趣旨によれば、被告が昭和三三年以降重労働を伴う現場作業に配属した従業員を順次机上の職務に異動させていたことが認められ、被告の同原告に対する右人事配置が異例であったことが認められる。
(九) 原告I関係
(1) 被告が昭和三六年ごろには第一線の職制(管理職)に対し被告山梨支店が同年頃日本政治経済研究所所長佐野博によって行わせた職制の上下一致した思想統一のうえで誤れる容共左派(共産党員等及び日本社会党員)の方向を正しい方向に向ける努力を行わなければならない旨の講演内容を纏めた書面を配布したことは後記三2(一)のとおりであることと証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、原告Iが昭和三六年三月(日本共産党入党の二か月後)ころ勤務時間中に突然当時塩山営業所総務係長だった叔父のI1から甲府営業所近くの喫茶店に呼び出され、共産党員では出世できない旨諭され変節を迫られたがこれにおうじなかったため親戚関係が壊れたことが認められることとを総合すると、被告がその労務政策により叔父I1と同原告との対立を生む原因となったことを推認できるが、右認定以上に被告が叔父I1を教唆して同原告に転向を強要するよう迫ったことを認めるに足りる証拠はなく、被告が右の点について不法行為責任を負う余地はないものというべきである。
(2) 原告Iが昭和四〇年八月被告山梨支店塩山営業所営業課の配属となったこと、同営業所従業員が同原告の転入時から相互に「Iには気をつけろ」と言い合っていたことはいずれも当事者間に争いがないこと、営業課ないし料金関係の主任以上の職制により山梨支部再建同志会(伊藤繁代表)が昭和三六年頃結成されたこと及び再建同志会が原告らが執行部を占めていた甲府分会の組合活動に批判的な勢力であったことは後記三2(二)のとおりであること、証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、右伊藤が昭和三六年ころ同原告を日本共産党員と認識していたこと、右伊藤が昭和四〇年八月当時前記営業所営業課長であったこと、弦間多美雄が昭和三九年五月から昭和四一年一月まで塩山営業所営業課に所属していたこと、右弦間が職場従業員から同原告が日本共産党員であるらしい旨聞いたこと、同原告が同営業所に転入した際従業員がよそよそしい態度をとり話しかけてくれなかったこと、同原告がその後後輩から職制が同原告が共産党員であるから付き合わないよう言われていたことを聞いた旨の陳述書の陳述部分があること、以上の各事実が認められ、以上の各事実を総合すれば、同営業所の職制が昭和四〇年八月従業員に対し「Iには気をつけろ。Iとはつきあうな。」などといい、同原告との交友を制限したことを推認することができる。
(3) 塩山営業所所長斎藤忠司が昭和四九年一月二五日同原告を塩山営業所の応接室に呼び出し日本共産党機関紙「赤旗」(昭和四八年一二月二八日付)が掲載した同営業所のエネルギー危機に対応する低圧需要家に対する節電要請に関する記事の内容を原告Iが漏洩した旨追及したこと、同原告が共産党員等であり右当時同営業所で需要想定業務を担当し右事項について知り得る立場にあったことは、いずれも当事者間に争いがなく、被告は、斎藤所長が同原告が共産党員等であったこと、同原告が右記事内容を業務上最も良く知っていることから同原告に嫌疑をかけ問い質したのであって所長の業務上当然の行為であり違法ではないと主張する。
しかし、証拠(<書証番号略>、証人輿石保明)及び弁論の全趣旨によれば、まず、「エネルギー危機に対処する緊急の節電要請の実施について」、「節電要請実施の細目取扱について」及び「低圧需要家の節減要請取扱について」の各文書が元々秘密文書でないこと、被告山梨支店従業員のほとんどが当時右記事内容の概要を知っていたこと、朝日新聞同年一二月七日付「電力規制家庭用にも」及び読売新聞同日付などが右赤旗記事と同趣旨の内容を「赤旗」より早く掲載していたこと、以上の各事実が認められ、以上の各事実によれば、前記斎藤所長の同原告に対する前記行為は、同原告が共産党員であることを理由とする不合理な差別的扱いであったといわねばならない。
(4) 証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、同原告が右(3)の斎藤所長に対し昭和四九年二月櫛形営業所に転勤する際給与差別の理由を問い質したところ同所長から「I君の仕事は申し分ないんだが、考え方がね」と暗に同原告が思想を変えれば昇格できるかのように話して転向を強要したことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
(一〇) 亡J関係
(1) 被告が亡Jをその入社後定年退職までの組合専従期間を除く三七年余りの間被告山梨支社(ないし山梨支店)土木課(ないし土木建築課)土木係の平社員として処遇したことは当事者間に争いがないが、右職場配置自体が被告の裁量権を逸脱する違法なものであったと認めるに足りる証拠がない。
(2) 証拠(<書証番号略>、亡原告J本人)及び弁論の全趣旨によれば、被告山梨支店前労務係長南波佐間(当時川崎火力発電所労務課副長)が昭和四一年二月亡Jに対し「組合運動をやめて会社業務に専心すれば希望することはどんなことでもする。」旨の手紙を送り暗に転向を強要したことが認められる。
三差別意思の有無ないし程度
1 被告の日本共産党及び原告ら共産党員等に対する認識
被告の日本共産党及び原告ら共産党員等に対する認識は、前記第二の一4(二)のとおりである。
2 反共労務政策の有無について
(一) 共産党員等を差別する人事管理政策の有無について
証拠(<書証番号略>証人内藤久夫、同弦間多美雄、原告A本人(第一回))及び弁論の全趣旨によれば、被告が昭和二六年以降、日本共産党、民主青年同盟の活動の実態とそれを支えている基本姿勢等の調査、学習ないし把握及びこれに対する協約・規則に則った対応並びに潜行的な破壊闘争への対応策を検討し、以上の点に関する各種マル秘文書を作成し職制相互間の意思疎通連絡の円滑化を図るなどの対応をとったこと、被告が昭和二六年以降昭和四三年ごろまで共産党員等を「企業破壊者」ないし「生産阻害者」として位置づけて入社以前の思想を必須の調査事項とし入社が内定しても共産党員等であることが判明したときは採用を取り消されても異議はない旨の請書を提出させ、その後現在に至るまで企業運営上不都合な者であることが判明したときは採用を取消されても異議がない旨の請書を提出させかつ右の該当者として共産党員等を含める取扱いをし共産党員等を入社させない政策を採ってきたこと、昭和三六年ごろには第一線の職制(管理職)教育例えば被告山梨支店が同年頃日本政治経済研究所所長佐野博によって行わせた職制の上下一致した思想統一のうえで誤れる容共左派(共産党員等及び日本社会党員)の方向を正しい方向に向ける努力を行わなければならない旨の講演内容を纏めた書面を同支店が職制に配布したこと、本店労務部が作った資料による従業員教育、従業員研修、社外講師による講演会の企画、労働組合と協力しての文化会活動などを通じ、特に大量採用によって入社したばかりの青年又はその親に対し「共産党員等の諸活動がいけないこと」及び日本共産党入党ないし民主青年同盟加盟又は各活動への参加の勧誘の実態を説明することによって青年従業員を共産党員等にさせない政策を実施したこと、共産党員等の名前、細胞(支部)内の地位、家族、収入、環境、生い立ち等に関し詳細に調べたこと、被告神奈川支店鶴見火力発電所に在職したことのある共産党脱党者(九名)と共産党員等(一二名)との処遇に顕著な差等を設け平成二年一二月一八日現在では前者は副長以上の役職位に昇格させているのに後者は一般職(平社員)のままに止めていること、被告神奈川支店汐田火力発電所所属の従業員が結成し共産党員等と対決姿勢を有していた新汐会が昭和三八年当時汐田火力発電所所属の共産党員等と認定していた被告従業員九名が東京地方裁判所若しくは横浜地方裁判所において本訴請求と同種事件の訴訟を提起して原告となっているが同九名が昭和五七年七月一日現在でいずれも一般職である反面同九名を除く被告従業員がいずれも主任待遇以上の職位にあること、被告神奈川支店従業員で横浜地方裁判所における本件訴訟と同種事件において元原告でありかつ共産党員等であった生井正弘が昭和六二年一一月九日訴えの取下げをする前は被告からその技術的レベルの低さや誤操作等能力、技術力に関わる非難を浴びていたのに取下後は平社員から副主任に昇格しその一年半後には更に主任に昇格したこと、他方、被告山梨支店元労務係長が昭和四一年三月亡Jに対し利益誘導による転向を求めたこと、元被告山梨支店韮崎営業所営業課長弦間多美雄が昭和五二年七月一二日ないし昭和五四年七月一五日まで原告Bの上司であった間同原告が業務を真面目にやっていたにもかかわらず共産党員だから信頼をおけないが共産党員でなくなれば被告の評価が高くなるかも知れない旨の認識を有し被告従業員としてのレールと共産党員としてのレールとに二股をかけずに前者のレール一本に絞るべきである旨認識していること、被告山梨支店に所属し元共産党員であったが昭和四四年以降共産党員等でなくなった櫻田清、仲田捷司、竹沢秀幸及び中村暉雄が昭和六三年一一月一五日現在でいずれも副長以上の職位に就いたこと、以上の各事実が認められ、右各事実と前記1の被告の認識を総合すれば、被告が被告従業員の中に共産党員等がいること自体を問題視し原告ら共産党員等を警戒、監視ないし嫌悪し、昇進の利益誘導を行うなどして転向させる政策を採用し実施していたことが認められる。
(二) 労働組合政策面における反共労務政策の有無について
次に、証拠(<書証番号略>、原告A本人(第一回))及び弁論の全趣旨によれば、被告が被告の社会的使命を果たすのに必要な諸政策を実現するには安定した労使関係が必要であるという経営信念に立脚して、被告諸政策の実施につき労働組合との対等な立場における話し合いを重視してきたこと(イコールパートナーシップ)、被告が昭和三二年ごろ賞与の査定再配分闘争の際職制を通じて組合に圧力を加えたこと、被告山梨支店が同年初めごろ係長以上の職制の結束を図る目的で役職者懇談会等を開くなどの緊急組合対策を実施したこと、同支店が昭和三四年ごろ特別管理職の総務係長会議において労働組合の動向調査の方法を教育したこと、被告神奈川支店鶴見火力発電所第二発電課所属の東電労組組合員が昭和三八年ころ以降日本共産党と同じ考え方を持つ者を反組織者として対決する有志会を結成し、同会と職制と東電労組執行委員が三位一体会議を構成して相互に連絡協調関係を持ち、具体的には同発電所第二発電課が個別管理体制の強化を図り非協力者に対しては職制と有志会とが一体となり対決姿勢を堅持し日常の無駄口をきかない旨の方針を立て共産党員等が旅行会から排除され日常会話も交わせないなどの職場八分の状況に追い込まれたこと、他方、被告山梨支店が右当時共産党員等に対する批判勢力の育成強化を課題としており、東電労組山梨支部でも昭和三六年以前に現場労働者を中心に甲府分会組織民主化同志会(立島利長代表)及び営業課ないし料金関係の主任以上の職制により山梨支部再建同志会(伊藤繁代表)がそれぞれ結成され、前者は昭和三六年二月同分会執行部に対する公開質問状を、後者は同年三月ごろの文書により同執行部の闘争手段に反対し批判をしたこと、同支店甲府営業所長と同営業所総務係長が昭和三七年三月ごろ東電労組山梨支部甲府分会の組合役員選挙に際し代議員名簿を入手したうえその票読みを行ったこと、右事実が露見し同所長及び同係長が組合幹部に陳謝したこと、被告山梨支店労務課が昭和四〇年五月ころ「組合をして被告の良き協力者たらしめる」旨の業務処理基準を有していたこと、以上の各事実が認められる。
右各事実によれば、被告が昭和三二年ころから被告が望むような労働組合との関係を形成するための諸々の政策により、東電労組山梨支部内部において、共産党員等である幹部役員の労働組合活動に反対する組織的行動を誘発、助長したことが窺われる。
3 以上1及び2の各事実によれば、被告が原告らに対し、昭和二六年以降現在に至るまで一貫して強度の嫌悪意思を有し、少なくとも昭和三六年以降は人事管理面及び労働組合対策面において共産党員等を非共産党従業員と組織的に差別し、その存在を否定する意思を有してきたことが認められる。
四給与関係の処遇格差が差別意思により生じたものか否かについて
1 主張・立証責任について
(一) 給与関係の処遇差別の個別的特定及びその立証の要否
まず、被告は、各従業員に対する業務実績ないし職務遂行能力に対する毎年の個々の評定を基礎とする給与関係の諸処遇決定につき裁量権を有するから、当該従業員の一定時点での給与関係の処遇はそれ以前の個々の評定ないし裁量に基づく処遇決定の集積の反映であって、原告らが被告の右諸処遇決定において何らかの加害行為があったと主張するのであれば、いかなる個々の処遇決定がいつ、誰の判断により、どのように被告の裁量権を逸脱するから加害行為といえるのかを主張において特定し、かつ、個々の加害行為につき立証すべきであると主張する。しかし、原告らが給与関係の処遇において同期入社同学歴の標準者と比較して不利益な取扱いを受けないとの利益を侵害されたと認定するためには差別意思を持った人事考課ないし査定が行われ、その結果として同期入社同学歴の標準者との間に給与関係の処遇格差が生じたとの事実が主張されれば足りるのであって、具体的には、前記三3のとおり被告が原告らに対し昭和二六年以降現在に至るまで一貫して強度の嫌悪意思を有し少なくとも昭和三六年以降は人事管理面及び労働組合対策面において共産党員等を非共産党従業員と組織的に差別しその存在を否定する意思を有してきたことが認められるので、右期間中に被告の差別意思に基づく少なくとも一回以上の人事考課ないし査定により原告らと標準者との間に給与関係の処遇格差が生じたことを主張し、かつ、右事実を認定できる程度の立証があればそれで足りると解すべきである(なお、標準者の概念は、これを厳密に特定することは不可能であり、年功序列性及び被告従業員の服務状況一般並びに経験則に照らし中程度の職務遂行能力を有しかつ年功序列性に沿った昇進、昇格を可能とする通常の業務実績を修めていた者を観念すべきであり、具体的には、原告らが前記第二の一3(二)のとおり措定した「あるべき給与」を受けるのを相当とする者と解すれば足りる。)。
ところで、原告らが被告の各原告に対する差別開始時期以降今日までの人事考課、昇給昇進、担当業務及び研修参加機会の付与の可否の決定に際し思想信条を理由とする一貫した差別意思の下で繰り返し不利益な取扱いを受けて来たという限度で加害行為を特定していることは当裁判所に顕著である。
したがって、本件における原告らの加害行為の特定が不十分であり、主張自体失当である旨の被告の主張は理由がない。
(二) 業務実績ないし職務遂行能力の主張立証責任(原告らが「あるべき給与」を受けた標準者又は特定の従業員以上の職務遂行能力を有し、かつ、標準者又は特定の従業員以上の服務成績を上げていたことにつき立証責任を負うか)
(1) 原則的立証責任
まず、原告らの現実の業務実績ないし職務遂行能力が標準者に比べて劣れば原告らが共産党員等でなかったとしても給与関係の処遇格差の一部ないし全部が生じ得るのであり、しかも、原告ら共産党員等が標準者と同等の業務実績を修め、かつ、標準者と同等の職務遂行能力を有していたという経験則はないから、本件処遇格差が差別意思により生じたものと認めるには、原告らがすべて共産党員等であり、被告が共産党員等に対する差別意思を有していることの立証だけでは足りず、特段の事情の主張立証のない限り、原告らが「あるべき給与」を受けた標準者又は特定の従業員以上の職務遂行能力を有し、かつ、標準者又は特定の従業員以上の業務実績を上げていたことを立証しなければならないと解される。
(2) 特段の事情による立証の負担移転の有無
① 標準者の業務実績ないし職務遂行能力との比較について
ⅰ 給与関係の処遇の年功序列性の有無について
しかし、まず、被告の給与関係の処遇は、同期入社同学歴者間では高低の一定の分布幅があり、同期入社同学歴でない従業員間でも後年度に入社した者が前年度に入社した者よりも高位の職位、職級になることもあるものの、被告給与体系内に定期昇給制度、資格制度などの制度内在的な年功序列的要素及び年功序列的運用基準があるため、当該年度の標準者と前年度ないし後年度の標準者とを比較すれば給与関係の処遇が年功序列的に決定されているといわねばならないこと並びにその結果として年功序列的傾向があることは、前記二1(二)の(1)及び(2)のとおりである。
ⅱ 差別意思の強度
また、被告が原告らに対し、昭和二六年以降現在に至るまで一貫して強度の嫌悪意思を有し、少なくとも昭和三六年以降人事管理面及び労働組合対策面において共産党員等を非共産党員の従業員と組織的に差別し、その存在を否定する意思を有してきたことは前記三3のとおりであって、その差別意思は著しく強いというべきである。
ⅲ 格差の程度
a 同期入社における原告らの職級の低位集中傾向と原告らと同等以下の職級に属する者の資質
次に、証拠(<書証番号略>、亡原告J本人、原告A本人(第二回))及び弁論の全趣旨によれば、昭和五五年八月現在で各原告と同等程度の職級に位置する被告従業員は、原告D及び同Cと同期(昭和二二年)入社者合計九七名中安藤勉、加賀爪としえ、塩島定泰、渡辺昭三及び和田春雄(以上七級)並びに渡辺周二郎(八級)の計六名、原告B、亡J、原告E、同F及び同Aと同期(昭和二三年)入社者六四名中市川安代、佐藤咲子、神宮司五郎、樋口貴宏、保坂恒夫及び山下傳(以上七級)の計六名、原告G(昭和二七年入社)、原告H(昭和二八年入社)及び原告I(昭和三三年入社)の各同期入社者(前二者はそれぞれ七名、後者は九名)中一名もいないこと、したがって原告らと同期入社者合計一八四名中原告ら以下の職級(七級及び八級)の者が一二名いること、原告ら以下の職級である一二名中、女性が三名(加賀爪としえ、市川安代及び佐藤咲子)、元上位職級で病気休職などで降格された者が三名(渡辺昭三、渡辺周二郎及び神宮司五郎)、その他病気がちで欠勤を繰り返すなどした者が三名(安藤勉、保坂恒夫、樋口貴宏)、その他が二名(塩島定泰、和田春雄)であること、以上の各事実が認められ、右各事実によれば、原告らの実際の職級が昭和五五年当時他の同期入社者の職級と懸け離れた低位に分布しているとはいえないものの相当程度低位に集中していたことが認められる。
b 共産党員等である平社員定年退職者の割合と非共産党員等である同退職者の資質
また、証拠(<書証番号略>、原告F本人、証人H1)及び弁論の全趣旨によれば、被告山梨支店の昭和五五年から平成元年度までの定年退職者が合計五一〇名であり、その内平社員定年退職者は二〇名で全体の3.9%に過ぎないが、平社員定年退職者の三〇パーセントにあたる六名が共産党員等(原告A、同B、同C、同D、同E及びH1)であること、他方、非共産党員等の平社員定年退職者が牧野実、塩島定泰、和田春雄及び宮沢幸造(昭和五五年度)、神宮司五郎及び田中かね子(昭和五六年度)、安藤勉及び関根勲(昭和五七年度)、渡辺周二郎(昭和五九年度)、広瀬友英及び神戸勉(昭和六一年度)、森本哲(昭和六二年度)、古屋庄五郎(昭和六三年度)及び田中保行(平成元年度)であること、そのうち五名が前記aの従業員らであること、その他に女性が一名(田中かね子)、病気などのため元上位職級で降格された者が三名、アルコール依存症若しくは精神病関係の病気などのため正常な勤務ができなかった者が四名であること、以上の各事実が認められ、共産党員等である平社員定年退職者の割合が一般従業員のそれと比較し著しく高く、かつ、原告らが退職するまで病気などのため業務実績を積むことが困難であった者らと同等の処遇を受けたことが認められる。
ⅳ 転向者と共産党員等である者との役職位の格差
最後に、証拠(<書証番号略>、証人田村)及び弁論の全趣旨によれば、昭和三三年度から昭和四〇年度までの定期採用者で山梨支店に配属され昭和五一年から平成二年までに職制に任用された計一一九名の任用期間が、副主任(副班長)に任用されるまでの勤続年数が大概一三年から一七年、主任に任用されるまでの勤続年数が大概一八年から二二年、係長(副長)に任用されるまでの勤続年数が概ね二三年から三二年であること、他方、いずれも日本共産党員である原告I及び田村洋隆(昭和三六年入社)は、平成二年度において一一九名中二名しかいない平社員であること、以上の各事実が認められ、右各事実によれば、被告従業員は入社以来それぞれの年数を経過すれば当該ポストに就くことが可能であるのに日本共産党員はそのような運用の対象外になっていることが認められる。
更に、証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、中山宗一(原告Dとほぼ同期入社)及び早川幸雄(原告Hより若干先輩)並びに原告らの中で最も若い原告I(昭和三三年入社)よりもさらに後輩である櫻田清(昭和三四年入社)、仲田捷司(昭和三七年入社)、竹沢秀幸(昭和三六年入社)及び中村暉雄は、かつては共産党員等であったが昭和四四年頃以降は共産党員等でなくなった者らであり、特に、櫻田清、仲田捷司及び中村暉雄は昭和四九年四月一日付「東労やまなし」特集号に共産党批判の一文を載せた者らであるが、右六名は、昭和六三年一一月一五日現在、すべて係長、副長以上の役職に就いており、特に、櫻田清は現在櫛形営業所長であり竹沢秀幸は塩山営業所の配電課課長となるなど、それぞれ平均以上の処遇を受けていることが認められる。
ⅴ 立証の負担の移転
以上ⅰないしⅳの各事実、すなわち、給与関係の処遇の年功序列性、差別意思の強度、原告らに対する処遇の著しい低さ、及び逆差別とも言い得る転向者の役職位の高さを総合すれば、被告が差別意思に基づき前記二1(一)の各時期から現在に至るまで原告らの給与関係の処遇を差別し、その結果として前記一3(四)のあるべき給与との格差が生じたことを推認することができるから、被告は、被告従業員に対する服務評価の全般的状況ないし経験則と原告らの正当な範囲を逸脱する労働組合活動の有無ないし程度並びに職務懈怠行為の有無、回数、程度及び継続性の有無など諸般の事情を勘案したうえで、各原告の業務実績又は職務能力が同期入社同学歴の標準者に対する給与関係の処遇の年功序列的運用から外れる程度に劣悪であったことを立証しない限り、右推認を免れないものと解すべきである。
② 特定従業員の業務実績ないし職務遂行能力との同等性について
以上に対し、被告が一部原告らの業務実績又は職務遂行能力が同期入社同学歴の標準者に対する給与関係の処遇の年功序列的運用から外れる程度に劣悪であったことを立証した場合に、原告らが特定従業員との給与関係の処遇格差を主張するためには特定従業員に対する支払給与額及びその業務実績ないし職務遂行能力との同等性を原告らにおいて立証すべきであるものと解すべきである。けだし、右の場合には、原告らの業務実績又は職務遂行能力の劣悪性が現実に立証されているので、右①のⅰないしⅳの各事実から前記同等性を推認しあるいは右各事実をもって立証の負担を移転するに足りる特段の事情の立証ありと判断するのはいずれも困難であって、原則に戻り原告らと特定従業員との業務実績ないし職務遂行能力の同等性を原告らが立証すべきだからである。
2 原告らの職務遂行能力ないし業務実績は給与関係の処遇の年功序列的運用から外れる程度に劣悪か。
(一) 原告A
(1) 原告Aの業務実績
① 積極的評価要素の有無
証拠(<書証番号略>、原告A本人(第二回))及び弁論の全趣旨によれば、原告Aが昭和二八年対外関係と金銭の授受が伴い会社の信用に直接関係する重要な仕事であり現在では主任か副主任クラスが担当する水準の業務である採算業務の担当となったこと、同原告が昭和二九年ごろ採算業務から現場調査義務に変わった後逆転器(電気使用量の度数を減少させる器械)の製造元をつきとめ社長表彰を受けたこと(この逆転器の擅用発見に関する社長表彰は、極めて発見困難ないし極めて危険な環境において擅用を摘発し会社の甚大な損害を防止したときに辞令発令表彰金及び社長名の表彰状付与という形態で行われるものである)、同原告が昭和四〇年五月無線指令業務の担当となった後作業者による受付箋の持ち出し現場受付は受付箋を作業者が発行及び小作業箋は作業者が発行という三点を骨子とする具体的な改善提案を行い、作業者と無線指令者の責任関係を明確化する成果を上げたこと、同原告が同年秋ごろ山形武及び市川安代とともに受付箋住所記入省略とふりがな欄の挿入という業務改善提案をしたこと、同原告が昭和四一年八月営業作業方の仕事に従事していた際深沢晴茂、坂本賀一とともに受付箋にゴム印を使用し小作業箋の発行を省略することを提案し採用されたこと、同原告が昭和四七年一〇月定数材料関係の業務を担当して間もなく過去六か月の必要定数材料の調査から従来月二回程度であった精算を月三回から四回行うことにより正確で短時間の作業が可能となり、必要在庫数量を正確に把握し在庫を削減できることを実証し改善提案をしたこと、同原告が昭和四八年二月ないし三月ころ取り替えられた「故障のメートル器」の五〇パーセントは良品であるという再検査に関する統計を調査確認しその原因を明らかにして「検針事故員の教育の充実」という対策を進言し、かつ、同時に「二重出向」(無駄な費用と労力の節減・効率化)の防止を図る改善提案も行ったこと、同原告が昭和五一年九月二〇日担当業務のデータを集め「よりよい接地管理のため」を、昭和五四年一二月該当月の落成設計書の約半分が月末に集中的に工事監理から配電統計に回って来るため事務処理が難渋を極めていたことから落成設計書の処理の平均化のための各データの改善方を、それぞれ提案したこと、すなわち、同原告がその貢献度について評価が分かれるとしても昭和四〇年代初頭から業務改善提案に積極的に参加して来たこと、以上の各事実が認められる。
② 消極的評価要素の有無
ⅰ 交通事故、傷病による休務(長期欠勤)、休職、離席
しかし、まず、原告Aが昭和二六年五月ないし昭和二六年一二月(八か月間)まで傷病による長期欠勤をしたこと、昭和四九年一一月二四日自らの過失(下り坂左カーブ付近で対向車線に入り)で乗用車と衝突して道路交通法違反で罰金刑を受けるとともに重傷を負い同日以降約一六か月間にわたり(そのうち長期欠勤が一八〇日間、休職が昭和五〇年九月二三日ないし昭和五一年三月三一日の一八九日間)業務を離れたこと、また、右交通事故による鼓膜の障害につき許可を得て耳鼻咽喉科に通院し治療を受けていたため長時間離席が続いたこと、昭和五六年一二月から昭和五七年八月まで(九か月間)交通事故による傷病のため再度長期欠勤したこと、以上の各事実については当事者間に争いがなく、同原告の三四年余にわたる全勤務の約八パーセントに当たる通算約三三か月間に及ぶ長期欠勤若しくは休職又は治療に伴う長時間離席は、いずれも無事故出勤者と相対的に比較すれば被告に対する貢献度の低下を来すから、人事考課ないし査定上消極的評価を受ける要素であることは否めない。
ⅱ 宿休の濫用の有無
次に、証拠(<書証番号略>、証人竹村寿、同小宮山昌儀、原告A本人(第二回))及び弁論の全趣旨によれば、被告が事務系の従業員に対し月一回程度宿直を分担するように予め業務命令をしていたこと、原告Aが昭和三五年ごろないし四九年一一月ごろの間多いときは一か月あたり四ないし五日間、少ないときでも月二ないし三日間宿直し(他人の宿直を請け負う代務及び自らが命令を受けていた宿直の合計)、かつ、宿直中の業務の繁閑を問わず必ず翌日に宿直代休(以下「宿休」という。)をとっていたこと、被告就業規則五一条が所属長が当直の割当を定め(同条一項)当直の割当を受けたものがやむを得ない理由により当直に服することができないときは所属長の承認を受けるべきものとし(同条二項)かつ同規則四八条が従業員が宿直を行ったときは所属長が次の勤務日に限り原則として代休を与えるが右原則は宿直中の労働が軽易な場合にまで適用されるものでない旨を定めていたこと、宿直中の業務が前記期間中停電でもなければ必ずしも重くないことが多かったこと、職制が前記期間中同原告に宿直中の軽易な業務実態と宿直明けの業務状況とを勘案し出勤を促してもこれを拒否したこと、以上の各事実が認められ、右各事実によれば、同原告がその意思で標準的な従業員の約二倍から五倍の宿直をしその都度必ず宿休をとり日常業務の処理に消極的な姿勢を取ったこと、そのため同原告が処理すべき日常業務につき被告が他の従業員に処理させざるを得なかったことが認められ、被告がこれを人事考課上消極的評価の対象としてもその裁量権を逸脱したことにはならないといわねばならない。
ⅲ 職務懈怠行為の有無
証拠(<書証番号略>、証人小宮山昌儀、原告A本人(第一回))及び弁論の全趣旨によれば、原告Aが昭和三八年四月から昭和四〇年一月まで被告山梨支店甲府営業所営業係の受付業務を担当していたこと、同原告が右当時受付業務中に新聞を読んだこと、同原告が右当時離席してたまに組合事務所に行ったこと、同原告が昭和四〇年一月一一日以降営業課作業係において定数材料の出納伝票整理等の業務を担当したこと、同原告が右当時も勤務時間中に離席し定数材料倉庫の側にある組合事務所に行ったこともあったこと、同原告が昭和四〇年五月以降無線業務を担当したこと、右当時の無線指令が現場作業員の昼休み又は終業時刻までの帰社を可能とするために原則として午前は一一時三〇分以降午後は四時三〇分以降はしないが緊急事態又は現場作業員が帰途直前に僅かな時間で処理できる作業については右各時刻以降でも無線指令をするという取扱いになっていたこと、しかし、同原告が右各時刻以降は一切無線指令業務をしなかったこと(なお同原告は無線指令は一般的には午後四時に打ち切り例外的に同四時三〇分までは無線指令をしていいという認識をしており、少なくとも午後四時三〇分以降は無線指令をしなかったことを自認している。)、そのため作業が遅延し当直作業員に残される業務が増えて当直作業員に負担をかけたこと、更に、同原告が現場作業員からの停電の二次原因の無線連絡による報告を受付箋のチェック欄に書き込むべきところこれを空白にしたことが相当あること、同原告が週一回の安全打合会に必ずしも出席せず出席したときも必ずしも積極的協力的に取り組む姿勢に欠けていたこと、同原告が昭和四五年同支店配電課運営係に異動し業務内容も少なくなったにもかかわらずその後の業務においても上記のような職務懈怠行為が改まらなかったこと、同原告が昭和四七年一二月同支店配電課運営係の小規模工事の作業配分及び工事材料関係業務を担当したこと、同原告が間もなく直営工事材料の倉出伝票の発行及び記帳業務に担当替えとなったこと、同原告が昭和五一年四月一日配電の技術的知識が不要で肉体的負担の軽い架空線設備台帳の整備(九級職のうち、机上職部分のみ)を同年七月一日から地中線設備台帳の整備(八級職のうち、机上職部分のみ)を併せて担当したこと、ところが、同原告が同年一〇月以降同原告に対しその従前業務よりも遥かに軽度の業務である架空共同地線図の整理を担当させられるにいたったこと、そして、同原告がこのころ以降始業時刻に朝礼に出て体操を行い引き続きミーティングを行い従業員に必要な業務上の指示を受けるべきことになっていたにもかかわらず少なくとも昭和五六年四月まではこれに協力しなかったため職制が同原告のためにだけ再度ミーティング内容を伝達する労をとらざるを得なかったこと、同原告が昭和五二年四月以降統計業務を担当したが業務に精通していない部分もあり補助的に私用ノートを使用するなどしてその業務処理が必ずしも迅速でなかったこと、以上の各事実が認められる。右各事実によれば、原告Aは、昭和三〇年代後半から昭和五〇年代にかけて、その頻度ないし程度は必ずしも確定できないが、職務懈怠行為又は業務への非協力的な態度と評価されてもやむを得ない行為をしてきたことが認められる。
ⅳ 規律紊乱行為の有無
a 職場闘争の中心的な指導煽動の有無及び内容について
証拠(<書証番号略>、原告A本人(第一回))及び弁論の全趣旨によれば、原告Aが昭和三一年一〇月組織総点検運動と称する職場闘争を管掌事項とする東電労組の組合本部組織対策部の担当常任として本部で行う労働講座に北陸鉄道労組の委員長である内山光雄氏を講師に招き「職場斗争」なる講座の開催に関与したこと、同原告が昭和三二年一〇月二四日の「総点検月間をいかに斗うか1」、昭和三三年一〇月二八日の「総点検月間をいかに斗うか2」及び昭和三四年一一月の「組織強化月間のために3」の各パンフレットの編集発行に常任執行委員会の一人として関与したこと、これらのパンフレットが職場闘争の方法等についての教育宣伝資料とされたこと、パンフレット2が職場闘争の目的が職制支配の排除すなわち職制のつるし上げ自体ではなく職制による作業現場の通常の指示の域をこえる労務管理を排除することとしていたこと、パンフレット3が各支部分会の人員充足闘争を促していること、原告Aが昭和三二年東電労組本部常任執行委員として事務系職種の新規採用中止政策に反対する人員充足闘争をしたこと、原告Aが昭和三四年一二月再びその尽力で前記内山氏を招き山梨支部労働講座で「職場斗争」の講演を開催したこと、他方、同原告が右期間中東京に在住していたこと、以上の各事実が認められ、右各事実と経験則上労働組合の本部と支部分会の関係は必ずしも一枚岩ではなく本部方針が直截的に支部分会の労働組合活動に反映されるとは限らず支部分会の日常活動がその幹部役員の指導にかかっているといえることを総合すれば、原告Aが昭和三一年ないし三五年の間に東電労組本部の常任執行委員として一応中央から東電労組各支部分会に対する職場闘争の教育指導に携わったことが認められるが、右以上に同原告が昭和三四年六月当時の甲府営業所配電係の人員充足闘争を中心的に指導したものとは認められず、他にこれを認めるに足りる証拠もない。
b 第二次料金業務集中化反対闘争について
次に、証拠(<書証番号略>、原告A本人(第一回))及び弁論の全趣旨によれば、原告Aが原告B及び原告Gとともに昭和三五年の第一次料金業務集中化(甲府外二営業所についての料金業務を機械化により山梨支店において集中的に処理する措置)が労使の合意に基づき同年末実施され労使とも評価していたにもかかわらず一般組合員の即時導入希望意思と遊離し第二次料金業務集中化(大月外二営業所についての料金業務に対する同じ措置)に関する東電労組山梨支部被告山梨支店間の協議妥結があったのに、右実施前に第一次料金業務集中化における確認事項の点検闘争をすべきである旨の意見を出して反対闘争を展開した結果、その実施が同年一一月まで遷延したこと、以上の各事実が認められ、右闘争の目的が被告主張のような反対のための反対の闘争であったことまでを認めるに足りる証拠はないが、右経過に照らせば、右闘争が適正な労働組合活動の範囲を多少逸脱するものであったと言わざるを得ない。
c 職場新聞「どおづな」配布について
原告Aが昭和三九年九月一一日職場新聞「どおづな」を配布したことにつき被告から厳重注意を受け、被告企業秩序を乱したことは、前記二2(一)(2)のとおりである。
ⅴ 企業秘密盗取等不信行為の有無
a 山梨支店労務課保管の秘密文書ファイルの窃取の件
証拠(<書証番号略>、証人河村正造)及び弁論の全趣旨によれば、原告Aが昭和三五年春頃被告山梨支店労務課保管の秘密文書ファイル一冊(<書証番号略>)をその保管責任者である碇勝美労務係長に対し示してその保管責任を追及し圧力をかけたこと、同係長が同原告に入手先を問うとこれを明かすことを拒否したこと、同原告が最後は同係長に同ファイルを返却したこと、以上の各事実が認められ、右各事実によれば、同ファイルが窃取された可能性が濃く原告がその入手先について供述することが被告従業員として期待される当然の行動(誠実義務)であるのに、これをしなかったことが認められ、被告が右事実から同原告に不信を抱き人事考課上の消極的評価をしたとしてもその裁量権を逸脱するものとはいえない。
なお、被告は、同原告が右当時の労務課従業員塩野袈裟亮を教唆して同ファイルを窃取させた旨主張し、右主張に副う同係長の陳述書の陳述部分があるが、その内容は同係長が右塩野から数日後に右事実の告白を受けつつ厳重注意をしただけで済ませたというものであり、また、前掲各証拠によれば、労務係長河村正造もその事実の報告を受けず、かつ、塩野袈裟亮がその後も労務課に所属し職級も昇格したこと、まして、同原告に対する何らの処分もなされていないこと、以上の各事実が認められ、右告白の存在自体及びその内容の真実性に深い疑問があり、右陳述書の陳述部分を俄に採用することはできず、被告の前記主張は理由がない。
b 常務会報告資料(<書証番号略>大島メモ)窃取の件
被告は、原告Aが昭和三六年一一月二〇日被告山梨支店長大島五郎保管の常務会報告資料(<書証番号略>)を窃取したと主張し、右主張に副う陳述書(<書証番号略>)の陳述部分があるが、証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、その内容は憶測の域を越えないものでありしかも半年も経った後の伝聞供述を根拠とするものであるうえ、同資料が保管されていた支店長室には右当時誰でも自由に出入りができたことが認められるから、右陳述部分を俄に採用することはできない。
c 被告山梨支店労務課古屋主任の机上文書物色の件
証拠(<書証番号略>、原告A本人(第一回))及び弁論の全趣旨によれば、原告Aが東電労組甲府分会書記長(組合専従)であった昭和三七年一二月二六日甲府補修所移転問題について労務課長と交渉するため被告山梨支店労務課を訪れたときに労務課長が架電中であったためそれが終わるまで空いていた古屋労務主任の席に座り待機していたところ、その机上に昭和三八年一月七日付の東労山梨支部組合員有志作成の「組合費を安くする運動」という鉛筆書きの文書原稿が置いてあったこと、同原告がそれを一瞥したこと、河村正造労務係長がその瞬間に同原告の挙動が不審であるとして厳重に注意したこと、以上の各事実が認められるが、被告主張のように同原告が勤務時間中の周囲の目がある中で初めから同主任の机上を物色する目的で同主任の席に座り机上文書を物色したりまた右文書の原稿を持ち去ろうとすることまでは通常考えられず、他に右事実を認めるに足りる証拠もない。
d 竹村ノート窃取の件
原告Aが同原告の上司である竹村寿配電課運営係長が昭和四八年ないし昭和五三年ごろに作成した業務用日誌(以下「竹村ノート」という。)を四冊窃取したことを認めるに足りる証拠はない。
③ 以上の①及び②の各事実を総合し、とりわけ、前記②の宿休の濫用(ⅱ)及び職務懈怠の状況(ⅲ)にみられるように原告Aが自己の都合の良い勤務体勢を恒常的に押し通した身勝手振りを考えれば、同原告が同期入社同学歴の標準者よりも、その業務実績において、劣悪であったとの評価を免れないものといわねばならない。
(2) 原告Aの職務遂行能力
① 長期間の組合専従と職務遂行能力
原告Aが昭和二九年四月ないし昭和三八年三月までの約一〇年間のうち九か月間業務に就いただけでその余の期間東電労組の甲府分会、山梨支部又は東電労組本部の専従役員又はもぐり専従役員(労使慣行により被告が給与支払義務を負いつつ被告業務は全く行わずに組合業務に専念することが許容されていた者)として組合業務に従事したことは、当事者間に争いがない。しかし、証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、望月正康が昭和二七年ころから約二八年間継続して労働組合専従で活動したが復職後甲府工務所課長待遇として処遇されたこと、組合専従を四年以上継続した後復職した原告らを除く主要な者がいずれも職場復帰後退職時(在職中のものは昭和六二年現在)に職制に任用されていることが認められ、入社後長期間組合の専従として経過し会社の職務についていない者でも復職後相当の職制に任用されている例があるといえること、原告Aが営業方又は技術方の部署においていずれも机上系の事務作業を歴任していることは当事者間に争いがないことを総合すれば、同原告が被告従業員としての基礎形成ないし熟練形成期に長期間組合専従となり被告業務を担当していなかったとしても、事務作業能力を高める機会がなかったとはいえず、そのこと自体から同原告の潜在的職務遂行能力が劣悪であったと断定することはできない。
② 竹村寿の原告Aに対する評価
証拠(<書証番号略>、証人竹村寿)及び弁論の全趣旨によれば、竹村寿運営係長が昭和四九年二月上司として私用ノートに原告Aの業績評定について蓄積B(C+)、把握B+(C)、構成創造B+(C)、実践B(C)という記載をしたこと、右Bが普通という評価であること、同原告が昭和五〇年一〇月三一日八級で主事補3であったこと、同係長作成の資格制度運用見直しと題する書面の備考欄には三階級上の主事7に該当する旨の記載があること、他方、同係長が昭和四八年四月低圧電気工事技術者試験受験講習会への参加の便宜を図り、昭和五一年四月に休職のため降格され九級で復職した同原告の職級を上司の反対を説得して約三か月後の同年七月に八級に戻したことなどに現れているように右当時前後において同係長が同原告の元組合幹部としての立場を尊重し職務意欲を何とか向上させようと腐心していたこと、資格制度が能力一辺倒ではなく年功序列的配慮からも運用されていたこと、以上の各事実が認められるが、右各事実からは、同係長が昭和四九年ないし五〇年当時に原告Aの潜在的職務遂行能力を普通以上ないし現実の職級よりも上であるとまで評価していたものとは認め難い。
③ 再雇用の意義について
被告が定年退職者を嘱託再雇用する義務がないこと、原告Aが昭和五七年に定年退職後三年間被告に嘱託再雇用されたこと、再雇用時の報酬が退職時の基本給の八五パーセントであることは、いずれも当事者間に争いがなく、また、同原告が定年退職したのが本訴請求係属中であることは当裁判所に顕著であり、証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、同原告が定年退職時に再雇用を希望したこと、被告が従前再雇用希望者に対しこれを拒絶した前例がなかったこと、嘱託再雇用は一年単位で契約され劣悪な服務があった場合には雇用関係の解消が比較的容易であること、以上の各事実が認められ、右各事実を総合すると、被告が同原告を嘱託再雇用したことから、直ちに、被告が同原告の服務及び職務遂行能力を優れていると評価していたことにはならない。
④ 以上①ないし③の各事実及び前記(1)の業務実績を総合すると、
原告Aの純粋な意味での潜在的職務遂行能力がどの程度であったかはともかくとして、少なくとも日常の担当業務に対する職務意欲の点では同期入社同学歴者以下であったと認めざるを得ず、職務遂行に対する意欲が劣っていればこれを遂行する能力も低いものと評価されてもやむを得ないものと言うべきであるから、同原告が標準者と同等の業務実績及び職務遂行能力を有していなかったものと認められる。
(3) 一瀬次男以上か
証拠(<書証番号略>、証人竹村寿)及び弁論の全趣旨によれば、次男が高等小学校卒の昭和二二年関東配電入社であること(原告Aは旧甲中卒であり昭和二三年入社)、次男が入社後一二年間身延営業所市川出張所にその後昭和三四年から死亡退職の昭和六一年まで(但し、通算して二年弱の間一時山梨支店と小笠原出張所に勤務したことがある。)甲府営業所の配電課においてそれぞれ勤務したこと、次男が昭和三八年一〇月ないし昭和四三年九月の間東電学園の実習生の指導員を勤めたこと、次男が昭和五〇年には副主任に昭和五七年には主任に任用されたこと、他方、竹村運営係長が昭和四九年二月の業績評価において次男の実践を平均以下であるBマイナスと評価していたこと、次男が昭和五〇年当時竹村寿運営係長に原告Aと同一資格にすべきものと評価されていたこと、次男が昭和五三年九月ないし一〇月の約一か月深酒が原因で遅刻早退をし無断休暇をとり土曜日の昼食時に酒を飲んで酔っ払って帰社し雨宮哲雄営業課長にからみ又は二日酔いで業務をするなど自暴自棄の服務状態であったこと、以上の各事実が認められ、右各事実を総合すると、次男の業務実績が昭和四九年ないし昭和五〇年ごろあまり芳しくなかったことが認められるが、他方、経験則上相応の業務実績及び職務遂行能力ないし教育指導力がなければ指導員に選任されることはないと考えられるところ右のとおり次男が五年間も東電学園の実習生の指導員を勤めていたこと、原告Aが主張するように次男が昭和五三年当時のアルコール中毒での勤務ぶりを継続していたとすれば被告の給与関係の処遇において年功序列運用がなされているとはいえその枠内に収め得るとは考え難いにもかかわらず、次男が昭和五七年には主任に任用されていること及び原告Aが前記(1)②のような消極的評価の対象となるべき業務態度であったことを総合すれば、原告Aが次男と同等以上の業務実績及び職務遂行能力を有していたものと認めるに足りず、他に右事実を認めるに足りる証拠もない。
(二) 原告B
(1) 原告Bの業務実績
① 積極的評価要素の有無
ⅰ 塩山営業所時代
証拠(<書証番号略>、原告B本人)及び弁論の全趣旨によれば、まず、原告Bが昭和二三年一月一〇日関東配電株式会社へ入社し塩山営業所日下部出張所へ配属され実際には石和出張所で検針業務についたこと、同原告が同年五月には同期入社のトップで机上職である料金の台帳業務についたこと、次に、同原告が宛名印刷機の導入にともない宛名カードの作成に積極的に協力し領収書作成業務の軽減のために努力し、かつ、台帳業務の省力化の研究をし定額制需要家の料金早見表を作成し計算業務の能率化を図ったこと、また、同原告が昭和二七年ごろ二回開催された被告山梨支店の検針競技会に塩山営業所から選抜されて参加し成績優秀であったこと、更に、同原告が昭和二八年検針から受付業務に替わり昭和三〇年三月石和出張所営業の事務総括を担当し同年八月積算電力計に逆転器がつけられているのを発見したうえ逆転器製造業者を摘発し山梨支店長から表彰されたこと、以上の各事実が認められる。
ⅱ 甲府営業所時代
a 証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、原告Bが昭和三七年四月一日組合専従から職場復帰し甲府営業所石和出張所に配属されて需要家カード総括を担当したこと、被告が昭和三七年経費と労力を合理化する画表制度(従来集金員が一日に歩くことが定められていた業務区を画に細分化しその画を幾つかまとめて一日当たりの集金区域とする制度)を発足させたこと、同原告が本来の業務量が増加していたにもかかわらず集金員のための画表の作成を積極的に手伝ったこと、また、同原告が昭和三九年四月一日受付業務の担当となったこと、街路灯の整備が昭和四三年に始まり街路灯の調査や画図面台帳の整備などが行われたこと、また、停電周知マップや頻度管理票の整備が行われたこと、同原告がその際本来の自己の業務でないのに積極的に応援をしたこと、以上の各事実が認められる。
b ところで、証拠(<書証番号略>、証人山村和、原告B本人)及び弁論の全趣旨によれば、原告Bが昭和三八年六月ないし昭和四四年六月までの間被告の営業方針の一つである農業電化事業(電力事業は年間を通じて平均して電気が使用されると効率的であり冬季や深夜電力需要の開拓を必要としていたところ、折から農家が米麦生産及び養蚕中心から果樹及び蔬菜中心への転換期にあったことから、被告事業の効率化及び農業経営の改善につながる育苗の安定ないし促成栽培を可能にする農業への電熱技術の導入を図る事業)を山梨県の蔬菜専門技術員及び東八代郡の農業改良普及所員などから指導ないしアドバイスを受け、石和出張所管轄区域内で蔬菜作りが最も活発であった富士見の今井部落の農業従事者と促成栽培の勉強をし、更には東京の技術者を呼び石和高校で農業電化の講演会を開き農家の人々と懇談会をもつなどして率先して事業を進めた結果、今井部落の蔬菜生産グループが昭和三八年秋電熱を導入し早期出荷に成功したのを初めとして、英地区のプリンスメロン栽培グループが昭和三九年に、小石和の蔬菜生産グループが昭和四〇年にそれぞれ電熱を導入したこと、同原告が日本放送協会(NHK)の「明るい農村」という全国放送の番組でメロンの促成栽培につき対談し更には昭和四三年一二月東八代の県民室、普及所及び被告の三者共催の東八代郡の農業電化講習会の講師としてPRに努めたこと、その結果、一宮町、御坂町、八代町など各地で電熱が導入されるなど大きな成果が挙がったこと、同原告が甲府営業所区域内の南湖農協の講習会にも出席したこと、同地域にも電熱が導入されたこと、以上の各事実が認められ、以上の各事実によれば、同原告がこの仕事の第一人者として農業電化を普及させた功績があったことが認められる。
ⅲ 韮崎営業所時代
a 同原告が昭和四四年六月韮崎営業所営業課に転勤になり一般電設業務すなわち一般の家庭や小規模工場で使う電気供給の申込みを受け契約を結び需要家の希望に基づき送電するまでの工程を管理する業務及び工事費等の採算、清算をする採算業務を担当したことは当事者間に争いがない。
また、証拠(<書証番号略>、原告B本人)及び弁論の全趣旨によれば、被告が右当時希望日送電(需要家の希望日に電気を送電すること)を行っていたこと、原告Bがそのために必要な電気工事店の協力を得易いように機会あるごとに非組合員業者を説得し工事組合に加入させる成果をあげたこと、また、同原告がその努力により山梨支店のどの営業所でも発行されていなかった電気工事店向けのPRニュースである「電設ニュース」を毎月発行して電気工事店に配布し被告の要望事項及び新しい工事技術の紹介記事を掲載したこと、以上の各事実が認められ、以上の各事実によれば、同原告が被告業務の効率ないし信頼を高めたことが認められる。
b 証拠(<書証番号略>、証人三城清彦(第一回)、原告B本人)及び弁論の全趣旨によれば、原告Bが昭和四六年五月から営業計画の需要想定業務(八級)すなわち営業統計と配電方の他発工事予算の基礎となる長期短期の需要予測を行う需要想定(需要家との間の相当の信頼関係に基づき需要家の設備投資計画や生産計画、操業状態など企業や工場の機密に関わる情報を調査して初めてこなせる業務)のうち低圧需要及び高圧低圧需要全体の集約を担当したこと、同原告が同年一一月昭和四六年度の決算想定と四七年の年度想定に近藤(高圧需要担当)とともに取り組んだこと、同原告は、近藤が昭和四六年一二月調査終了後に病気入院したため高圧と低圧の需要想定業務を毎日のように会社に泊込み年末年始休みも返上して完了させたこと、同原告が昭和四八年九月一日営業計画担当(七級)に任用されたこと、需要予測が昭和四八年のオイルショック後非常に困難になり被告山梨支店の大月など七営業所のうち半数以上の営業所で予算超過になったこと、ところが韮崎営業所は同原告の需要想定によって期末まで配電工事が予想どおりに推移したこと、韮崎営業所の営業課長三城清彦も原告Bがまじめに八級職及び七級職に相応する能力に基づき業務を遂行したことを認めたこと、以上の各事実が認められ、以上の各事実によれば、原告Bが右の間韮崎営業所における需要想定業務を確実かつ責任をもってこなしていたことが認められる。
c 原告Bが昭和四九年一二月主として自家用契約業務を担当したことは当事者間に争いがない。
また、証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、原告Bが担当した業務が契約電力五〇キロワット以上の電設業務で停電周知業務やNTTなどとの電線共架業務などを含む前任者(六級職)が担当していた業務一切であること、同原告が共架業務の運行及び処理の明確化を図るため工事工程管理表を工夫改善したこと、同原告が昭和五〇年三月以降需要想定業務担当の小林が病気で休職となったため営業課長からの要望に応えて約二ヵ月間同業務を兼務したこと、韮崎営業所では昭和五〇年ないし昭和五一年の間画表制度などにより街路灯の整備をすることになり、同原告が担当業務外であるのに積極的に協力したこと、停電周知マップや停電の頻度管理票の見直しと整備を積極的に応援したこと、同原告の後任が青柳副主任(六級職)でありそのころ右業務を引き継いだこと、以上の各事実が認められ、同原告が七級職にありながら六級職相当の業務及び担当業務外の業務を積極的にこなしていたことが認められる。
d 証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、原告Bが昭和五二年七月青柳副主任が転勤した後定年退職するまでの間及びその後の特別嘱託期間にも本来複数の人員で取り組む需要想定の動向調査を含め高圧と低圧の需要想定業務を一人で行なってきたことが認められる。
e 更に、原告Bが昭和四八年七月韮崎市、須玉町及び武川村から電気事業史の執筆を依頼されてこれを成し遂げたことは当事者間に争いがない。
ⅳ 以上ⅰないしⅲの各事実を総合すると、原告Bはその創意工夫ないし企画立案力と堅実かつ真摯な業務処理に基づき被告の社会的信用を高め、あるいはその効率的な事業執行に貢献し、被告に多大な利益をもたらしてきたことが認められ、同期入社同学歴の標準者と比べても上位の業績を修めていたものと推認することができる。
② 消極的評価要素の有無
ⅰ 職務離脱について
a 長時間離席の有無
ア 原告Bが昭和三七年四月一日被告山梨支店甲府営業所石和出張所において需要家カード総括(九級職)を担当したこと、同原告が右当時東電労組役員を三つ(甲府分会、山梨支部及び本部の各執行委員)兼任したことは、いずれも当事者間に争いがない。
また、証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、原告Bが右当時最低月に二度職場を離れて執行委員会に出席していたこと、同原告が支部及び分会の大会には出勤扱いで出席できたこと、同原告が本部大会には休暇届を出して出席したこと、いずれの組合活動も労働協約で保証されていたこと、以上の各事実が認められる。
しかし、原告Bが勤務時間中に組合活動に奔走し席の暖まる暇なしという状態が続きその貢献度において他の従業員と比較し著しく劣っていた旨の被告の主張事実に副う証拠としては、抽象的に同原告を非難するものはあってもその離席等の日時時間等を具体的に特定する証拠はなく、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。
イ 次に、証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、原告Bが昭和三八年の甲府分会の執行委員長選挙に敗れておりその被告に対する対抗力ないし地位又は組合活動に対する影響力が従前に比べて著しく低下していたこと、右当時電熱温床線の育苗や栽培などへの使用が一月ないし四月ごろまで行われていたこと、そこで、農業電化の相談や申込みは一二月から一月の間に集中したこと、以上の各事実が認められ、然るに同原告が四月以降に農業電化の名目で頻繁に外出すれば名目が立たず上司の注意を受けるのは必至でありそれでも同原告が外出すれば当然処分の対象とされたはずであるところ被告が同原告に対し処分をしていないことは当事者間に争いがなく、他方、同原告が農業電化につき多大の功績を上げたことは前示①ⅱbのとおりであり、以上の各事実を総合すると、原告Bが昭和三九年四月一日から受付業務を担当しながら殆ど毎日午後から農業電化の指導ないし宣伝という名目で上司の許可も受けずに右業務としては長きに失する長時間外出をし多くの場合電話連絡により帰社することなく帰宅するようになり主任及び所長の同僚に非常に迷惑がかかる旨の同原告に対する注意にも一顧もせず日本共産党地域細胞としてそのような農業電化の普及又は指導という外形をとりつつ地域住民との接触を深め党勢拡大を図ろうとした旨の被告主張ないしこれに副う書証は俄に採用できず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。
b 病気による休務について
原告Bが胃潰瘍となり昭和四七年三月以降の三七日間(そのうち一七日間欠勤)及び昭和五〇年四月以降三七日間(但しすべて年次有給休暇を充当したので欠勤扱いはなし。)休務したこと、これにより被告業務上支障が生じたことは、いずれも当事者間に争いがない。
しかし、原告Bの右各休務がいずれも欠けた同僚の穴埋めをして通常業務以上の業務を遂行しこれを成し遂げた後のものであること、同原告が右各休務後にも真摯に業務を遂行していることは前記①ⅲのb及びcのとおりであり、また右のとおり同原告が右各休務のほとんどに年次有給休暇を充当して対応しており欠勤期間が僅か約二週間半に止まることを総合する、右各休務が一応同原告に対する査定上の消極的評価要素となり得るとしても、その程度は甚だ微弱であり、同原告のその他の業績を勘案すれば、少なくとも総合的評価としては標準者以下の服務評価ないし能力評価の原因にはならないと言わねばならない。
c 非協力的態度の有無
証拠(原告B本人)及び弁論の全趣旨によれば、原告Bは、原告Eが昭和五〇年一〇月に韮崎営業所に転入して以降以前はしていなかった渡辺令子支援のビラを配布し始めたことが認められるが、右当時の原告Bの勤務状況は前記①ⅲcのとおりであり同原告が右以降同僚の業務に対する積極的な応援協力を一切やらなくなったとは認められず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。
ⅱ 規律紊乱行為の有無
a 職場闘争の中心的な指導煽動遂行の有無
原告Bが昭和三二年三月以降東電労組山梨支部甲府分会副委員長に、昭和三三年三月以降同分会書記長(一期一年。もぐり専従)に、昭和三四年三月以降同分会委員長(二期二年。もぐり専従)に、昭和三六年三月以降同分会書記長(一期一年。もぐり専従)にその間の昭和三二年四月ないし昭和三六年五月まで山梨支部執行委員に重複してそれぞれ就任したことは当事者間に争いがない。
証拠(<書証番号略>、原告B本人)及び弁論の全趣旨によれば、同原告が昭和三二年以降甲府分会において経営対策関係すなわち合理化問題を担当したこと、東電労組と被告との間には右当時合理化問題に関する事前協議制及び労使合意による実施というルールが確立していたこと、右事前協議制では合理化案件の多くが東電労組本部と被告本店との間又は東電労組山梨支部と被告山梨支店との間で協議されその大綱が決定され甲府分会が各営業所等と細部の詰めを協議する仕組みとなっていたこと、合理化案件が昭和三二年度に自動電話交換機の新設等一五件、昭和三三年に女子従業員結婚退職制度導入等一〇件余りあり、いずれの年度も第一に組合員の権益を守りより良い労働条件を獲得するという基本方針で被告との交渉に臨み生産性向上ないし技術革新の諸施策が労働条件の向上をもたらさないときにはこれに真っ向から反対したこと、同原告が昭和三三年及び三四年に甲府分会の幹部役員として職制支配の排除すなわち専横な労務管理をする個別職制の支配の排除を目的とする職場闘争をするという大会活動方針案を練ったこと、以上の各事実が認められるが、右各事実の限りでは、原告Bが適正な労働組合活動の範囲を逸脱する違法な指導をしたものとは認められない。
b 甲府営業所配電係人員充足闘争の指導
証拠(<書証番号略>、原告B本人、原告A本人、亡原告J本人)及び弁論の全趣旨によれば、被告が昭和三四年頃既に技術革新に支えられた自動化、計装化及び機械化その他業務運営全般にわたる合理化によって業務量の増加を補完していたこと、東電労組本部と被告との定員制に関する交渉においては山梨支部の人員がその定員基準を上回っていることが確認されていたこと、ところが、原告Bら甲府分会役員が昭和三四年四月八日職場懇談会の決議を背景に甲府営業所配電係の人員充足闘争を組み、その手段として同日からスト権の確立のないまま業務上の応援拒否、自主的業務切捨闘争(受け持ちの通常業務のみを処理し職制の業務命令に基づく残業を含む特別な業務をせず、同僚間での応援融通をせず、かつ、始業開始時刻に業務を開始し昼休みには業務をせず終業時刻に退社し、右労働時間内に処理できない業務は全部切り捨て後日に処理する闘争)に入ったこと、この結果一週間分程度の積み残しの業務が発生し需要家からも電気外線の引き込みが遅れ又は工事が進まないなどの苦情が来たこと、配電係受付が需要家に対し非組合員に苦情を申し立てるよう促したこと、同分会が同月一六日配電係設計者一名の増員を得て自主的業務切捨闘争を中止し時間外命令による残業務の処理をしたこと、更に甲府分会が同年五月六日六名の定年退職者補充を求める人員充足要求を出し同月二〇日の公開団交における交渉決裂後に再度業務切捨闘争に入ったこと、同分会が同月二七日団交の末五名の補充に目処をつけ業務切捨闘争を中止したこと、職場懇談会がこの間の勤務時間中に一〇数回開かれたこと(但し被告の許可を得ていたか否かは不明)、同原告が昭和三四年の人員充足闘争に理解を示した設計主任の発令当日まで予告のなかった韮崎営業所への配転(左遷)に反対する闘争をしたこと(いずれも被告が撤回せずに終息)、原告Bらが右反対闘争において就業開始時刻ごろに集団で斎藤庄三所長の執務室に二回押しかけ抗議したこと、原告B及び亡Jが昭和三四年六月二三日ないし二五日に開催された東電労組本部大会において本部代議員として右闘争経過を報告し同本部が被告との間で交渉を進めていた適正業務量により適正人員を定めることを前提とした定員制推進の方針を覆し職場闘争による集団の実力で人員を闘いとるべしとする山梨支部修正案を説明し同案が僅差で可決されたこと、以上の各事実が認められる。
以上の各事実によれば、まず、原告Bが指導する甲府分会が業務切捨闘争を実施して普段遂行している業務の一部を行わず、需要家に対するサービスを低下させて需要家に対する電力供給に支障を生じさせることができない被告に圧力を加え人員充足を果たしたものであり、右職場闘争がスト権の確立を前提とすべき闘争であったといわざるをえないのにスト権の確立のないまま実施された点で適正な労働組合活動のルールから外れる違法な職場闘争であったといわざるを得ないが、他方、その都度職場懇談会で決議するという裏付けがあったこともまた右認定のとおりであり、また、被告が原告Bら組合員に残業命令等の業務命令を出したのに対し組合員がこれを拒否したとの事実につきその現実の命令権者、命令を受けた組合員名、命令日時、命令事項等を具体的に特定しこれを立証する具体的な証拠はなく、更に、被告が原告Bらの指導による後記c及びeの闘争に対しては賃金カットを実施しているにもかかわらず右人員充足闘争の終結後原告Bら指導者に対して何らかの処分又は賃金カットをしたことを認めるに足りる証拠もないことに照らすと、右闘争が一種の集団的な職務懈怠行為というべきものであり、被告としては、当時、後記c及びeの職場闘争に比べ、違法性の弱いものと認識して対応していたものということができる。
次に、原告Bらが指導した特定の職制の配転(被告の人員充足闘争に対する対抗手段であることが窺われる)を撤回させるための反対闘争において業務放棄を伴う集団抗議を二回行った点は違法の疑いがあるが、その継続時間、抗議の詳細な態様が必ずしも明らかではない反面、被告がこれに対し賃金カットをするなど何らかの懲戒処分を行ったことを認めるに足りる証拠がないこと、更に、証拠(<書証番号略>、証人河村正造)及び弁論の全趣旨によれば、被告がその構成員に容共左派のいない民主的労働組合と認めその活動について特段の問題点を指摘していない昭和二九年当時の東電労組山梨支部において同年被告本店の岡常務取締役が甲府駅に到着した際三〇〇名を動員して集団要請をしたことが認められ、かつ、被告がこのような大規模の職場放棄に伴う集団要請に対してすら何らかの処分をしたことを認めるに足りる証拠がないことに照らせば、原告Bが指導した前記集団抗議についても被告が右抗議がなされた当時これを労使間の任意の職場交渉とは異なる違法性の強いものであるとまで認識していなかったものというべきである。
更に、同原告らが指導した闘争ではその成果を被告の合理化施策である定員制交渉の停止にも生かしているのであるが、後者はそれ自体違法視することのできる事態ではなく、その結果、東電労組の本部、支部、分会で甲府分会が実施した前記人員充足闘争と同じような形態での職場闘争が行われたことを認めるに足りる証拠はなく、その作用として被告各支店の職場規律を乱したことは認められない。
c 勤務時間中の安保反対の職場集会の指導実行
証拠(<書証番号略>、証人河村正造、原告B本人、原告F本人)及び弁論の全趣旨によれば、原告Bが東電労組本部及び山梨支部の指令に基づいて甲府分会委員長として昭和三四年一一月二七日及び同年一二月一〇日被告の事前警告を無視して年末賞与、組織総点検等の課題と共に安保改定反対八次及び九次統一闘争の一環としての職場集会を勤務時間内に一時間食い込む形で主催し実施したこと、被告がいずれに対しても甲府分会組合員のみを対象とする賃金カットをしたことが認められる。しかし、右の各事実によれば、右活動は独り甲府分会の指導によるものではなく東電労組本部の指令に基づくものであり分会の幹部役員である原告Bらのみが重い指導責任を問われるべきものではないこと、右時間内職場集会が初めから勤務時間内に食い込んで開催する意図の下になされたものではなかったことが認められ、右の統一闘争が日本全国を席巻した日米安全保障条約を巡る一過性の対立の反映であることは公知の事実であること、証拠(<書証番号略>、証人仲田捷司)及び弁論の全趣旨によれば、被告が昭和四九年の参議院議員選挙に際して被告山梨支店従業員が勤務時間中に民社党を支持する選挙運動に参加したことに対しては何ら問題とせず、前橋支店では選挙用事務所を提供したうえ特別な勤務表を作成し四分の一の従業員が選挙運動に動員されることを黙認したこと、以上の各事実が認められ、以上の各事実を総合すれば、被告は職場内政治活動に対してこれを一貫して規制するとの姿勢を保持しているものではなく、被告における前記職場集会自体の違法性もそれなりに割り引いて評価しなければならない。
d 合理化業務の抑制の指導
証拠(原告B本人)及び弁論の全趣旨によれば、原告Bが昭和三五年甲府分会幹部役員として組合員である職制の合理化業務の抑制(組合方針に反する合理化案件の立案までは遂行しても構わないがその推進をしないよう求めるというもの)を大会活動方針としたことが認められ、右方針は、被告の組合員である職制の行う通常業務の指揮監督秩序を一部妨害しようとするものということができる。しかし、被告の立場から見れば指揮監督系統の一部に対する妨害ということができるが労働組合の立場から見れば組合員に対する統制権の行使の一環ということができ、また、職制らが実際に右業務抑制をしたことを認めるに足りる証拠もないから、その行為の違法性の程度は相応に減衰され低いものというべきである。
e 統制委員の無断業務放棄の指導、遂行
証拠(<書証番号略>、原告B本人)及び弁論の全趣旨によれば、原告Bが昭和三六年四月の賃金労働協約闘争において甲府分会執行委員でストの対象人員となっていない同分会全統制委員四二名とともに集団業務放棄をしたという理由で被告から賃金カットをされたこと、右賃金カットの撤回が労使間で交渉され当日休暇中であった統制委員に対する賃金カットが撤回され最終的には原告Bを含む一三名がその対象となったことが認められ、右各事実によれば、右一三名を除く統制委員らによる集団の無断業務放棄があったことが認められる。
f 第二次料金業務集中化反対闘争の遂行
証拠(<書証番号略>、原告A本人(第一回)、原告B本人)及び弁論の全趣旨によれば、原告Bが昭和三六年八月甲府分会書記長として原告A(当時同分会委員長)及び原告G(同分会執行委員)とともに合理化反対闘争の一環として第二次料金業務集中化反対闘争を展開したこと、右闘争が適正な労働組合活動の範囲を逸脱する違法な闘争であったと言わざるを得ないことは、前示(一)(1)②ⅳbのとおりである。
ⅲ 右ⅱのbないしfの評価
もぐり専従期間中の適法な労働組合活動を理由として昇格ないし査定上の差別をしないという労働慣行が存在していたことは当事者間に争いがないが、原告Bが右期間中に前示ⅱのbないしfの甲府分会の違法な労働組合活動を指導したことは前示のとおりであるから、被告がこれを職場復帰直後の評定期間に消極的評価の対象として考慮することは許されるものと解される。しかし、右の労働組合活動の違法性は前示のとおり必ずしも強度とはいえず、他方、原告Bが職場復帰後職務に精励し石和出張所管内の農業電化事業の展開に多大な貢献をしたこと、その後も需要想定業務等により被告業務に貢献してきたことは前示①のとおりであるから、右各事実を総合すると、同原告が職場復帰直後の評定期間において平均以下の消極的総合評価を受けるべきものとはいえず、仮に右評価がなされ得るとしても、右評価は同原告のその後の業務実績により克服され、少なくとも同原告に対する昭和四八年度以降の給与関係の処遇において同期入社同学歴の標準者以下の業務実績であるとの評価をもたらす原因とはならないものと認められる。
③ 標準者より劣悪か
以上①及び②の各事実を総合すると、原告Bが同期入社同学歴の標準者以下の業務実績であったとは認められない。
(2) 原告Bの職務遂行能力
前記(1)の各事実と証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨を総合すると、原告Bが昭和三三年から三七年まで四年間東電労組山梨支部甲府分会のもぐり専従として職場を離れ組合活動に専念したこと、同原告が昭和三四年三二才当時に多くの組合員から信頼され構成員が六〇〇名を超える同分会の執行委員長に就任したこと、同原告が右当時営業総括七級であり被告からも一定の評価を受けていたこと、また、同原告がこの間組合活動を通じて判断力、分析力、組織力、企画力等々を培ったこと、被告の合理化案は高度経済成長期の飛躍的な技術革新に即応したものであり同分会としてはその合理化計画例えば機械化、自動化及び集中化などに適切に対応する必要があり、かつ、同分会には同原告が自ら経験したことのない管理職場、営業所、発変電所などの現場職場などがあり被告と交渉するためにこれらの職場の業務を勉強する必要があったため組合役員として被告業務に対する知識を広げたこと、そこで、同原告がもぐり専従を終えて職場復帰後農業電化等で成果をあげるなど被告業務に貢献したこと、原告Bの上司であった者らが同原告が誠実で仕事を真面目、かつ、意欲的にやっており上位職級の仕事を担当させたいと考えるほど同原告の業務遂行能力を高く評価していたこと、また同時に同原告が人の和を大事にし職場の親睦を深める文化活動も真剣かつ献身的によくやったことから人格的にも高い評価を受けていたこと、以上の各事実が認められ、右各事実によれば、原告Bの職務遂行能力が同期入社同学歴者の標準者以上であったことは明らかである。
これに対し、被告は、同原告が前記もぐり専従期間中に指導した組合活動等に照らし従業員としての信頼性に欠け同原告を重要な業務や職務につける適格を肯定するだけの職務遂行能力はないと評価せざるを得なかったと主張するが、同原告が右専従期間以外に被告の同原告に対する信頼を揺るがすような行為をしたことを認めるに足りる証拠はなく、かえって、同原告が職場復帰後被告事業に貢献して来たことは前示のとおりであるから、少なくとも同原告に対する能力評定においては、同期入社同学歴の標準者以下と判定する理由はなかったものと言うべきである。
(三) 原告C
(1) 原告Cの業務実績
① 積極的評価要素の有無
ⅰ 芦川第一発電所時代
原告Cが昭和二二年四月一日関東配電株式会社に入社したこと、同原告が昭和二六年五月一日いわゆる電気事業再編成に伴い被告に入社したことは、いずれも当事者間に争いがなく、証拠(<書証番号略>、証人関部善和、原告C本人(第一回))及び弁論の全趣旨によれば、同原告が昭和二二年同期入社の米山義治、相田儀三郎、志村長男及び関部善和とともに職場の雰囲気が非常に家庭的であった芦川第一発電所に配属され先輩の指導でよく働いたこと、同原告が昭和二五年ごろから仕事の暇をみては発電所の沿革、機器の構造などの勉強をしたこと、同原告が右電気事業再編成後も引き続き同発電所に勤務したこと、同原告が同発電所の自動化に伴い将来電気技術者として生きて行くために被告山梨支店工務課工務係への転勤を希望したこと、以上の各事実が認められる。
ⅱ 山梨支店工務課工務係時代
次に原告Cが昭和二六年七月一七日被告山梨支店工務課工務係に配属されたことは当事者間に争いがなく、証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、同原告が右当時受持発変電所(一八発電所、九変電所)の機器の点検、修理及び試験、新増設機器の運搬及び据付工事の各業務に従事したこと、同原告が昭和二七年夏ごろから数か月間にわたり現場付近の民宿に泊まり込んで途中何度か雨中でも作業を続け濡れた作業衣を炬燵に火入れをして乾かすなどの苦労をしつつ山中湖畔の変電所の建設工事に従事したこと、同原告が昭和二八年九月一五日から被告山梨支店発変電課発電係に異動し桂川、笛吹川、釜無川及び早川系の発電所をも受け持つことになったこと、同原告が昭和二九年一月東京芝浦電気の指導員の指導を受けながら早川第一発電所の主要変圧器(八〇〇KVA)の事故復旧工事に携わったこと、同原告が右工事を通じて更に電気技術の基本を学ぼうと決意したこと、以上の各事実が認められる。
そして、同原告が同年初めごろ被告の中堅幹部(班長もしくは主任)養成機関である中央社員養成所高等部技術科の試験を受験して合格し昭和二九年三月ないし一〇月までの間右養成所に学び努力賞を受けて(同期六九名中一〇名が受賞)卒業し同年一一月職場へ復帰したこと、同原告がその後被告から将来を嘱望ないし期待されるようになったことは、いずれも当事者間に争いがなく、証拠(<書証番号略>、原告C本人(第一回))及び弁論の全趣旨によれば、昭和三一年一〇月釜無川第二発電所のトランスが故障したため先輩従業員の岩下和一と武川村牧の原の旅館に泊込んでその復旧工事を行ったこと、特に湿気を吸収したトランス内のコイルを乾燥させるため約一カ月間一日二四時間熱風を送風機でトランス内に送り込まなければならず夜間も四ないし五回その監視を続け、睡眠不足の状態となりながらも復旧工事を行ったこと、同原告が右工事中養成所で学んだ材料や実験の知識を役立てたこと、以上の各事実が認められる。
ⅲ 飯田町変電所時代
原告Cが昭和三二年一二月一七日飯田町変電所に配属され、配電盤をみて送電受電の電圧、電流、電力量の記録、集計及び報告をし、トランスその他の機器の温度、油量など機器の点検をする仕事に従事したことは当事者間に争いがない。
そして、証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、同原告が、業務改善の提案(バッテリーのガラス層に内部の液面を記入し液の減少を見易くする方法やフック棒の試験方法の改善など)をして山梨支店長から表彰されたことが認められる。
次に、原告Cは、同原告が昭和三三年三月二日昼間に構内を巡視中変圧器の特別高圧遮断機が噴煙を上げているのを発見し直ちに停止操作を行い火災ないし長時間停電を未然に防いだ旨主張し、右主張にはこれに副う同原告作成の陳述書及び同原告の供述部分があるが、これに反する証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨に照らし、同原告の右主張及びこれに副う証拠はいずれも採用しない。
更に、同原告が昭和三四年ないし三五年東電労組甲府分会執行委員となったことは当事者間に争いがなく、証拠(<書証番号略>、原告C本人(第一回))及び弁論の全趣旨によれば、同原告が被告との間で発変電所職場の遠方制御化及び自動化による配置転換自体には合意し、かつ、削減される従業員の転出先希望を最大限尊重し研修による再教育を求めるなどの施策を実施するよう求めて積極的に交渉したこと、以上の各事実が認められる。
ⅳ 山梨支店発変電課変電係時代
a 当初の業務
原告Cが昭和三六年一一月一五日被告山梨支店発変電課変電係工事班に配属され工事Ⅱ(九級)に任用されたことは当事者間に争いがなく、証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、同原告が当初県内各変電所の機器台帳整理及び図面の補正書込を同係主任から指示されこれを目次を見ればすぐに分かるようなファイルに分類するなど業務の改善に役立つ作業をしたほか各種工事の手伝いを行った後修繕工事業務すなわち設備工事よりも小規模の修理、点検及び保守作業などを行う業務を担当したこと、以上の各事実が認められる。
b 甲府変電所増容量工事の担当
次に、被告が昭和三八年八月から一〇月までの間に甲府変電所増容量工事を実施したことは当事者間に争いがなく、証拠(<書証番号略>、原告C本人(第二回))及び弁論の全趣旨によれば、同工事が負荷の増加に応じて同変電所屋内に一万KVAのトランス(重さ三四トン)を据え付ける工事であったこと、被告山梨支店配電課配電係長及び甲府営業所配電係長並びに発変電課変電係長大森慶一、同係主任及川勇及び同原告が同年四月九日甲府営業所に集まり右増容量工事に合わせて甲府営業所管内の変電所の配電線を三〇〇〇KVから六〇〇〇KVへ切り替える旨の打合せ会議を開き甲府変電所の配電線については同年一一月に切替えを予定したこと、同原告が同年四月一〇日及川主任と前記トランスへの接続線について設計調査をしたこと、同原告が同年七月二九日にも打合せ会議に出席したこと、同変電所敷地が甲府市青沼にあり地盤が軟弱であるうえ隣接の製氷会社が多量の水を汲み上げており将来の地盤沈下を考慮する必要があったこと、そこで、同原告が土木課で専門的な基礎計算を勉強し長さ二メートル末口一五センチメートルの松丸太三六本を地盤の深さ四メートルまで打ち込みその上に同トランスを据え付けることにしたこと、同原告が同年九月七日の請負工事店に対する説明会に出席したこと、同原告が同月三〇日の甲府変電所における工事打合せに変電係から唯一参加していたこと、同原告が同年一〇月二二日甲府営業所で官庁検査の段取りについての打合せに出席したこと、同原告が同年一一月一四日甲府変電所での新設トランスの説明会に参加したこと、前記及川主任が同人作成の陳述書において同原告が同工事担当者であること及び同原告が前示の地盤強化について「よくやった」と認めていること、以上の各事実が認められ、以上の各事実によれば、同原告が同工事の当初から担当者として設計調査、設計ないし工事に従事し工事終了後のトランスの説明会にも担当者として参加し、同原告の工夫と努力で同工事を無事に完成させたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
c 甲府変電所屋外仮設トランス設置工事の担当
被告が昭和四〇年甲府変電所屋外仮設トランス設置工事を実施したことは当事者間に争いがなく、証拠(<書証番号略>、原告C本人(第一回))及び弁論の全趣旨によれば、同工事が甲府変電所屋内を改造して増設工事を行う期間の電力を賄うために同変電所屋外に他の変電所で使用していたが当面使用予定のない予備トランスを流用したうえこれを設置する工事であったこと、同原告が同工事を担当し予算の少ない中東京多摩支店境変電所の予備トランス(重量二九トン)を甲府変電所に搬入する工事工程を立案し、境変電所に出張して同トランスの点検をし、運搬費用等を計算し、強度計算をした唐松を地面に敷き詰めその上に厚さ一〇ミリメートルの鉄板を乗せるという自らの工夫を凝らした経済的な基礎工事をしたうえその基礎に同トランスを据え付け同工事を無事終了させたこと、その内容は直属の上司及川主任に評価されるものであったこと、以上の各事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
ⅴ 再度の飯田町等変電所特殊勤務時代
原告Cが昭和四一年三月特殊勤務すなわち二四時間拘束され(二名で、昼間は監視勤務、夜は社宅に待機)休日を二人で交替してとる勤務形態の飯田町変電所に配属され、昭和四二年九月には特殊勤務の国母変電所に、昭和四六年七月には特殊勤務の日下部変電所(単身赴任)に、それぞれ配属されたことは、いずれも当事者間に争いがない。そして、証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、右特殊勤務が運転記録が簡素化され監視業務が主の単純な業務であり特殊勤務手当もついたが、反面自由時間が少なく指定休日制が採られていたため土曜日、日曜日、祭日、盆及び正月が勤務となることがあり友人との約束や予定が立たず不義理も避けられなかったこと、しかし、同原告が国母、日下部両変電所の増容量工事にも協力したこと、また、同原告が昭和四七年夏頃から電気工事士の受験講習会に参加して学科試験に合格し変電所勤務の合間を縫って実技訓練に参加し同年一〇月一三日実技試験に合格したこと、同原告が昭和四八年一月通勤途上に交通事故被害者の人命救助をし同年三月一三日甲府工務所の朝礼において社会的善行として表彰されたこと、以上の各事実が認められ、以上の各事実によれば、同原告が単純で自由時間が少なく休日も変則的で交友が事実上制限される業務を約七年余り継続する中で自己啓発努力を怠らず社会的善行をするなど真摯な業務ないし生活態度をとっていたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
ⅵ 明穂自動制御所時代
原告Cが昭和四八年九月一日櫛形町所在の明穂自動制御所に配属されたこと、同制御所が明穂、増穂及び市川大門各変電所並びに芦川第一ないし第三及び芦安各水力発電所を遠方監視制御し、所長、主任、三交替の運転員八名、パトロール員三名水力発電所取水口保守員二名の計一五名が勤務する職場であったこと、同原告が同日以降嘱託期間も含め一四年間この職場で運転員、パトロール員として勤務したことは、いずれも当事者間に争いがない。
また、証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、同原告が昭和四九年一一月二五日高圧電気工事技術者試験に合格したこと、山坂勉が昭和五二年一二月右制御所班長として配属され昭和五五年五月に転勤するまでの二年半同原告とパトロール業務を共にしたこと、右山坂が同原告につき明るい性格で人付き合いもよく理解も早くミスのない仕事ぶりであったと評価していること、同原告が昭和五五年度の被告現業技能認定制度において水力発電変電運転操作保修工事A級の認定を受けたこと、以上の各事実が認められ、以上の各事実によれば、同原告が同制御所勤務当時依然として自己啓発意欲を失わず確実な業務処理をしたものと認められる。
② 消極的評価要素の有無
ⅰ 発変電所の職場の業務内容及び服務状況
証拠(<書証番号略>、証人谷澤安市、同斎藤勇)及び弁論の全趣旨によれば、発変電所の職場が機械化による無人化が著しく進んで人員が減った小人数の職場であること、その業務内容がかつては並列操作などで職人芸的操作を誇りとするようなところがあったものの次第に決められた比較的に単純な業務になり変電所勤務が親変電所との重複業務である場合が多く他の職場に比べて暇であったこと、しかもいずれの職場も他の職場から離れた場所にあって孤立し需要家との直接の接触もなく支店の管理職場の監督を受けることも少なかったため非常に家庭的な雰囲気であったこと、例えば、明穂自動制御所では、小池一広班長が昭和五六年九月二日の勤務時間中に本来であれば貸与被服を着用していなければならないところであるのに下着姿のくつろいだ様子で勤務していたこと、同制御所には外線の私用電話用の備付ノートがあり従業員が使用後これに相手の番号及び名前を書き込み月末に精算する仕組みとなっていたこと、三交替勤務のため業務が終わって帰る人、出勤してくる人が業務引継で顔を合わせたときなどには外出していた者が採ってきた山菜や釣って来た魚を簡単に料理し雑談しながら食べ、あるいは谷澤安市制御所長が自ら勤務時間中に所内の黒板を使って釣り方法を講義し更には斎藤勇変電班長自らが勤務時間中に所内で少なくとも二ないし三度麻雀をしたこと、制御所内には誰もが見ることのできる位置にテレビが置かれていたこと、所員が夜勤のときにテレビをよく見ていたこと、以上の各事実が認められる。
ⅱ 職務懈怠行為の有無
a 服務意欲の欠如の有無
ア 被告は、原告Cが、昭和二八年九月五日以降主として被告山梨支店配電課発電係甲府修理室において発変電設備の修理雑工事を担当した間及び昭和三二年一二月一七日以降同課飯田町変電所において電気運転業務を担当した間同僚に比べて独りだけ服務態度が消極的緩慢で服務意欲に欠けていた旨主張し、右主張にはこれに副う陳述書があるがいずれも抽象的な内容に終始していること及び前示①のⅱ及びⅲの各認定事実に照らせば、右被告主張及びこれに副う証拠はいずれも俄に採用できない。
イ 次に、被告は、被告が昭和三六年ないし昭和四一年の間電力需要の飛躍的増大に対応し山梨支店管轄内に自動化された変電所の新設(五か所)及び増設(八か所)並びに既存施設の改修(自動化)をした際同支店変電係工事グループ(設備の新増設、改良など諸工事の計画、設計ないし完成を担当するグループ)の従業員が積極的に新技術の導入を図りながら自らの創意工夫によりそれぞれ二案ないし三案の具体的工事計画ないし設計を上司に提出し上司と相談してその重要な内容を決め細部はその自主的な判断に従い作業を行なっていたにもかかわらず、原告Cが右の業務状況が本格化した昭和三六年一一月以降同工事グループに配属され上司が再三にわたり注意したにもかかわらず独り職務遂行上の意欲を欠き積極性ないし創意工夫を全く示さずに旧来のやり方をそのまま踏襲する作業をし自主的な判断によって処理すべき業務内容についても一々上司の判断を仰ぎ上司の判断に従うのみで自ら行った業務結果につき責任回避をしたとか上司が一定の新たな業務又は時間外業務を命じてもこれを拒否しその上司及び同僚が時間内外の過重な業務分担を強いられるなど消極的ないし服務意欲のない態度に終始したため、変電所の自動化業務につき重大な支障を被った旨主張し、右主張にはこれに副う大森慶一作成の陳述書及び証人大森慶一の供述部分がある。
しかし、同原告が右期間中主として修繕工事を担当したこと及び同原告が変電所の新増設又は大きな改造工事を担当させられなかったことはいずれも当事者間に争いがなく、新増設工事における創意工夫の欠如という被告主張の前提を欠くこと、同原告が与えられた業務につき創意工夫をしていたことは前示①ⅳのb及びcのとおりであること、証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、同原告が相当時間時間外勤務をしていたことが認められること、以上の各事実に照らすと、前記被告主張及びこれに副う証拠はいずれも採用することができない。
ウ 更に、被告は、原告Cが昭和四一年三月以降の飯田町変電所、国母変電所及び日下部変電所の運転指導業務の担当当時決められた業務はするが必要に応じて命じられた業務ないし積極的な業務は何一つしないという消極的な服務態度を続けた旨主張し、右主張にはこれに副う陳述書等があるが、いずれも具体性に欠けた内容であること、右各変電所の業務が単純で主として待機ないし監視業務であることは前示ⅰ及び前示①ⅴのとおりであること、同原告が昭和四七年夏頃から電気工事士の受験講習会に参加して学科試験に合格し変電所勤務の合間を縫って実技訓練に参加し同年一〇月一八日実技試験に合格したことも前示①ⅴのとおりであること、以上の各事実に照らすと、前記被告主張及びこれに副う証拠を俄に採用することはできない。
b 業務手順の無視ないし粗雑な業務態度の有無
被告は、原告Cが明穂自動制御所で運転指導業務を担当していた当時運転業務心得どおりに指差呼称を行わず受けるべき班長の指示を無視し若しくはそれよりも早く操作し機器が正常に作動しないときに勘に従い修理をしようとして却って不良箇所の発見に手間取り又は上司が設備機器の状況報告を求めても実地に当たって確認することなく憶測のみで応答することがあるなど職務遂行における基本的な手順を守らなければならない雑で不安な業務執行をしており、具体的には、同原告が昭和五一年七月一五日発電機停止及び並列(スイッチを入れて発電機を送電中の系統に接続すること)の各操作による負荷遮断試験のために芦川第一発電所に出向き同行した同自動制御所長の命令によって並列操作をしたところその操作が粗雑であったため電気的機械的に無理なく接続するのに必要な同期(新たに接続する発電機の周波数、電圧、位相が既に送電中の発電機のものに近づくこと。)にならないままスイッチを投入しては何度も並列に失敗するという状態であった旨主張し、右主張にはこれに副う複数の陳述書及び証人谷澤安市の供述部分がある。
しかし、被告が右並列操作の点を除いては同原告の操作ぶりについて具体的な指摘をしていないこと、同原告が昭和五五年度の被告による水力発電変電運転操作保修工事A級試験に合格していること及び同原告が少なくとも昭和五二年一二月ないし五五年五月まで誤操作をしていないことは前示①ⅴのとおりであること、証拠(<書証番号略>、証人大森慶一、同谷澤安市、同斎藤勇、原告C本人(第一回))及び弁論の全趣旨によれば、同原告が入社以来四〇年にわたり発変電所や制御所で水車や発電機、遮断機などの機器の具体的操作にあたり一度の誤操作による事故も起こしていないこと、たま、被告主張の右並列投入についても通常二ないし三分で終了するところ六ないし七分かかったというに過ぎないこと、右の原因が昭和五二年五月六日に行われた分解点検でランナーの磨耗などであったことが判明したこと、同原告が右操作に際し具体的な誤操作をしておらず機械に損傷を与え又は不具合を生じさせた訳ではなく業務に何ら影響を及ぼすような性格のものではなかったこと、以上の各事実が認められ、以上の各事実によれば、前記被告主張及びこれに副う証拠は俄に採用することはできず、被告主張の事実のみから同原告の業務態度が粗雑であったとは言えない。
c 残業拒否及び突発休等非協調的な態度の有無
更に、被告は、原告Cが昭和三九年以降の被告山梨支店変電係運営グループに所属当時時間外勤務を拒否し業務の繁閑を顧みずにしばしば突発的に休暇をとったため同僚に迷惑をかけ昭和四九年以降の明穂自動制御所の運転指導業務担当時にも運転日誌や日報などの業務書類中の同僚のミスを発見すると殊更に大騒ぎをし昭和五一年一二月ごろ三〇年勤続の年功休暇(五日間)の取得を突然に申し出かつ被告の時季変更要求に応じずに休暇に入ったため被告が事前に直編成の手当をなしえずやむなく代勤を投入して穴埋めせざるをえない事態を招くなど協調性を顧りみず業務に非常に非協力的な態度に終始し職場の円滑な雰囲気を壊し周囲の従業員から一緒に仕事をするのは耐え難いとして嫌われていた旨主張し、右主張にはこれに副う陳述書等がある。
しかし、同原告が昭和三九年ないし昭和四一年まで相当時間時間外勤務をしたことは前示aイのとおりであること、直属の上司が昭和五二年一二月ないし昭和五五年五月の同原告につき明るい性格で人付き合いもよかったと評価していることは前示①ⅵのとおりであること、昭和四九年以降の明穂自動制御所の運転指導業務担当時にも運転日誌や日報などの業務書類中の同僚のミスを発見すると殊更に大騒ぎをした旨の主張については同原告作成の反対趣旨の陳述書の陳述部分があり、また右陳述書の記載のうち、年功休暇取得については三〇年勤続の該当者が右当時四、五人いたので全員で事前に相談しかつ勤務表作成者に話をして休暇を取った旨の同原告作成の陳述書の陳述部分があること等を総合すると、前記被告主張及びこれに副う証拠を俄に採用することはできない。
d 業務拒否の有無
最後に、被告は、原告Cが昭和五二年八月一六日主任及び班長とともに芦安発電所における下請工事業者による水槽工事の立会いのため同所に出向いた際主任から約一七〇メートル上の発電用水の貯水槽に上るよう命令されたのに対し理由を述べずにこれを拒否した旨主張し、右主張のうち、同原告が理由を述べずに命令を拒否した点を除くその余の事実は当事者間に争いがなく、右の点についてはこれに副う陳述書等及び証人谷澤安市の供述部分がある。
しかし、証拠(<書証番号略>、原告C本人(第一回))及び弁論の全趣旨によれば、同原告が水槽に登らなかったのは前記調査の際の一回のみであること、同原告が同月二三日及び二四日の両日県立中央病院で検査を受け、同病院担当医師が虫垂炎と診断したこと、同原告が同月二五日右切除手術を受けたこと、同原告が術中回腸終末炎であり腸管が破裂寸前であったので虫垂も含めて一三センチメートルの切除手術を受けたこと、同原告が担当医師から術後放置すれば命にかかわっていたと言われたこと、以上の各事実が認められ、以上の各事実と同原告が右側下腹部に痛みがあり班長の了解を得て水槽に昇らなかった旨供述していることに照らすと、被告の前記主張及びこれに副う証拠を俄に採用することができない。
ⅲ 規律紊乱行為の有無
a 職場闘争の中心的な指導煽動遂行の有無
原告Cが昭和三四年三月から約二年間にわたり東電労組山梨支部甲府分会執行委員を務めそのうち昭和三五年四月から約一年間同支部執行委員を兼ねたことは当事者間に争いがない。
しかし、同原告がこの間組合幹部として他の従業員に働きかけ職制支配の排除と称して職制に対する非協力、非協調の反抗闘争を中心的に扇動し実行させ又は一従業員としてこれを実践した旨の被告主張を認めるに足りる証拠はない。
b 職制に対する一貫した反抗の有無
次に、証拠(原告C本人(第一回))及び弁論の全趣旨によれば、原告Cが平成三年九月二日の時点で日本独占資本が敵であり被告が日本独占資本の一部を形成していることから被告も敵である旨の認識を有していることが認められる。
しかし、同原告の右認識と証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨により共産党員等が敵に対して激しい憎しみと警戒心を持ちこれを党員の生活と活動のすべての面に貫くべきものとされていたことが認められることから、同原告の現実の業務実績を考慮する事なく直ちに同原告が被告ないし職制に対する敵対意識のもとに反合理化、非協力、非協調の反企業闘争(職場闘争)ないし規律紊乱行為を一貫して実践して来た旨の被告主張事実を推認することができないことは明らかである。
そして、被告は、他人に嫌がらせをしたこと、業務命令を拒否したこと、原告Cが勤務中に口笛を吹き注意を受けたこと、渡辺令子事件のパンフレット、ビラを勤務時間中に無断配布したことが、その具体的活動である旨主張し、右主張にはこれに副う陳述書等があるが、同原告が他人に嫌がらせをしたことを認めるに足りる証拠がないことは前示ⅱcのとおりであり、同原告が業務命令を拒否したことを認めるに足りる証拠がないことは前示ⅱdのとおりであること、原告Cが勤務中に口笛を吹き注意を受けたことについては同原告及び前示山坂が反対趣旨の陳述書を作成していること、証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば同原告が昭和五〇年暮れころパンフレットやビラを職場内で勤務時間中に有料で配布したことが認められるが前示ⅰの職場の状況に照らせばそれが業務上の支障となったとまでは言えないこと等を総合すると、同原告が被告ないし職制に対する敵対意識から反合理化、非協力、非協調の反企業闘争(職場闘争)ないし規律紊乱行為を実践したとは評価できない。
③ 標準者より劣悪か
以上①及び②の各事実によれば、同原告が同期入社同学歴の標準者よりも劣る業務実績しか修めておらず、昭和四八年一〇月以降の同原告に対する給与関係の処遇において標準者に対するものよりも低い処遇をなすべきものであったとは認められない。
(2) 原告Cの職務遂行能力
被告が中央社員養成所で基礎的専門技術教育を受けしかも努力賞を得た原告Cの将来を嘱望していたことは前示(1)①のとおりであること、発変電所の職場の従業員が単純作業に従事していたことは前示(1)②ⅰのとおりであり証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、同職場ではポスト不足で他の部門の人と比べて職級の面で恵まれていなかった者が多く昭和五二年に被告の職級見直しの対象となりその際七級職のポストが三つ増加された程であること、しかし、同原告が電気技術者としての自己啓発の努力を続け昭和四七年電気工事士試験に昭和四九年高圧電気工事技術者試験に、更に昭和五五年度現業技術技能認定制度における水力発電変電運転操作、保修工事A級の認定試験にそれぞれ合格したことは前示(1)①ⅴのとおりであること、以上の各事実その他前示(1)の各事実を総合すると、同原告が同期入社同学歴の標準者に劣る職務遂行能力しか有していなかったとは言えない。
(四) 原告D
(1) 原告Dの業務実績
① 積極的評価要素の有無
ⅰ 韮崎営業所時代
a 工事作業業務の担当
原告Dが昭和二二年三月二四日関東配電株式会社に入社し三か月間の従業員研修を終えた後同社山梨支店韮崎営業所に配属され主に工事作業業務に従事したこと、同原告が昭和二三年三月一日同営業所長坂出張所勤務となり昭和二六年五月一日電力事業再編成に伴い被告に入社し昭和三二年四月二四日まで引き続き同出張所配電方工事作業班(一班七名)で同業務に従事したこと、以上の各事実は当事者間に争いがなく、証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、同出張所における工事作業業務が主として設計方作成の設計図、設計書に基づいて電気の供給工事や不良木柱の建替え等の配電設備工事業務であり当初三年間は電柱の穴堀りもスコップでやるなど特に夏の作業では相当体力の要る業務であったこと、当時業務中に若手従業員が無駄話をしていると先輩従業員が電柱の上からハンマーや碍子を投げ付けるなど厳しかったこと、同原告が業務上必要であるため、自動二輪車の運転免許を昭和二六年に、自動三輪車の運転免許を昭和二九年一二月六日に、それぞれ取得したこと、以上の各事実が認められる。
b 営業保守ないし営業整理業務の担当
次に、原告Dが昭和三二年四月二五日ないし昭和三四年三月までの間韮崎営業所管内で第一線の営業保守作業すなわち需要家の開閉器ヒューズの取り替え、点滅器の簡単な修理、引き込み線の改修、メートル器の取りはずしなどの需要家の申し込みに応じて臨機に対応する業務に従事したこと(昭和三二年四月二五日ないし昭和三三年五月二〇日は韮崎営業所営業係として、同日以降同営業所配電係に異動したが応援業務として働く)、同原告が昭和三三年六月一六日勤務中の事故で第一二胸椎圧迫骨折の傷害を受け同日以降昭和三四年二ないし三月ごろまで休務したこと、同原告が職場復帰後昭和三四年一一月末まで図面台帳の整理業務(一〇級)を担当したこと、以上の事実はいずれも当事者間に争いがなく、証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、右受傷が労働災害補償の対象となり欠勤扱いにもなっていないこと、同原告がこの間の同年一〇月ごろまでコルセットを着用していたこと、そこで、同原告が同年八月及び九月山梨県下に未曾有の台風の接近があった際に当時の中島配電係長の指示で営業所に居残ったこと、同原告が整理業務担当者として右災害復旧に関する報告資料の作成などを担当したことが認められる。
c 検査業務の担当
原告Dが昭和三四年一二月一日から昭和四一年七月末までの間検査業務(九級)すなわち需要家所有建物内の新増改築に伴う内線設備工事(一〇〇ボルト及び二〇〇ボルトの配線設備)が電気設計図どおりにできているか否かの検査を担当したことは当事者間に争いがなく、証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、同原告がバイクに検査機器を積み込んで旧韮崎市街を除いて未舗装だった担当区域(韮崎市、双葉町、武川村、白州町、須玉町及び明野村)を砂埃を浴びながら時には一五〇キロメートルも走行して業務を遂行したことが認められる。
d 設計業務の担当
同原告が昭和四〇年八月一一日韮崎営業所配電課で設計業務(九級)の担当となり昭和四三年二月九日まで設計業務に従事したことは当事者間に争いがなく、証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、同原告が昭和四〇年八月一一日ないし昭和四一年一一月三〇日までの間先輩の指導を受けつつ低圧電気供給及び改修工事等の簡易な他発工事の設計(需要家の電力供給申込に対応するのに必要な配電設備の工事の設計)又は老朽化した電線の張替え、耐用年数が経過した変圧器の同容量への交換等の簡易な自発工事の設計(配電設備の整備ないし強化のために営業所の配電課で自主的に発案計画して行う工事の設計)を担当したこと、同原告が後に高根町長沢から同町清里地内三軒家までの連絡線ルートを新設する(電柱三五本新設)自発設計を担当し完了させたこと、同原告の一か月当たりの設計工量が少なくとも五〇〇〇ないし六〇〇〇であったことを当時の上司が認めていること、山梨支店の昭和四〇年下期の一人あたり一か月の平均工量が五九八二であったこと、工量が配電関係の業務量の単位であり被告が工事請負業者に対する工費支払の基準としかつ被告配電関係者の人件費算定及び人員配置の基本としていたこと、以上の各事実が認められ、以上の各事実と、同原告が他の設計係員と遜色のない設計工量をこなしていた旨供述していることとを総合すれば、同原告が右当時設計業務の基礎を学びつつ人並みの設計業務を遂行していたことが認められる。
ⅱ 甲府営業所時代
a 調査業務の担当
原告Dが昭和四三年二月一〇日甲府営業所配電課配電係に異動し調査業務(九級)に、昭和四五年四月一日調査特殊業務(八級)に、それぞれ任用され、同年五月末まで検査業務を担当したことは、いずれも当事者間に争いがなく、証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、同原告がこの間甲府市を東西に分ける通称「平和通り」の東半分の検査業務を担当したことが認められる。
b 設計業務の担当
ア 他発工事の設計担当
原告Dが昭和四五年六月一日同課設計係において設計主要業務(八級)に任用されたこと、同原告が昭和四九年一〇月一日設計特殊業務(七級)に任用されたことは、いずれも当事者間に争いがなく、証拠(<書証番号略>、証人櫻田清(第三回)、原告D本人)及び弁論の全趣旨によれば、同原告が同日以降昭和四六年一〇月ごろまで改修箋(建築支障等による電柱又は電線の移設、移動)及び低圧供給工事等の他発工事の設計業務を担当したこと、同原告が昭和四六年一一月ないし昭和四七年五月ごろまでCATV共架関係の設計業務を担当したこと、同原告が同月ごろから右業務に加えて一部の自発工事の設計を担当するようになり昭和四九年初めごろには国母工業団地配電線路の設計を担当したこと、同原告が右期間中平均工量をこなしていたこと、以上の各事実が認められる。
イ 自発工事の設計担当
証拠(<書証番号略>、証人櫻田清(第三回)、原告D本人)及び弁論の全趣旨によれば、原告Dが昭和五一年以降自発一般工事と他発の大口件名工事を担当したこと、同原告が昭和五二年ころには釜無工業団地供給工事設計(竜王町から昭和町にまたがり電柱約一〇〇本を設計)を担当し、昭和五三年春頃には観音峠の電々(NTT)供給設計(標高約一六〇〇メートルの急崚な山岳地を含む広範な観音峠地域におけるNTTの電話無線中継局新設に伴う電気供給のための設計で山谷川の踏査などの現場検分並びに建設省、山梨県林務事務所や土木事務所など及び複数市町村との折衝など多くの繁雑な業務を伴うものであったが、これを完了し課所長のチーム業績評価においてA評価を受けた。)及び再度の国母工業団地配電線路の設計を担当し、昭和五四年春頃ないし昭和五五年夏頃にかけては八代変電所回線新設設計(八代変電所の新設に伴う配電線路のルート変更太線化などのための電柱約五〇ないし六〇本の設計)を、また昭和五五年五月下旬ころには大津終末処理場の供給設計(甲府市大津町の終末処理場建設に伴う電気供給のための設計)、昭和六一年ころには竜王変電所回線新設設計(人工急増の甲府市のベッドタウン地区である竜王町の変電所と既設線路への連絡配線の設計)、昭和五九年ころには三ツ峠連絡設計(三ツ峠山頂にあるNTT無線中継局の非常災害時の予備電源供給のための電柱約六〇本の設計)、昭和六一年ころには猫坂峠ルート変更設計(甲府市北部の山深い溪谷で秘境とも言われている地域で工法の採用につき苦心工夫のうえ電柱約四〇本を設計したもの。なお、金桜神社所有地の用地交渉では被告が以前の工事の際に樹木を損傷させ不完全な埋戻しをしていたことから宮司の被告に対する不信感が強かったところ同原告が宮司を説得しその信頼を得たことによりこれが円滑に遂行された。)を、それぞれ社内又は社外(NTT、請負会社等)の者と分担して担当したこと、同原告がこの間平均的な工量をこなしていたこと、以上の各事実が認められ、以上の各事実によれば、同原告が右の期間中平均的な業務遂行をしていたことが認められる。
これに対し、被告は、原告Dが自発一般工事(被告が計画立案する配電のための一般工事)及び大口件名工事等(特定団地への配電工事など)の設計を担当し平均工量をこなすようになっても同原告が分担したのは大口件名工事に多く含まれている定型化された難易度の低い設計部分であるから右以降に標準的な質の業務をこなしていたものとは言えない旨主張するが、被告が工量を配電関係の業務量の単位と定めこれを工事請負業者に対する工費支払の基準としかつ被告配電関係者の人件費算定及び人員配置の基本としていたことは前示ⅰbのとおりであり、工量以外に設計係員の業務実績を客観的に評価する尺度があるものとは認め難いから、被告の右主張は俄に採用することができない。
ⅲ なお、証拠(<書証番号略>、原告D本人(第一回))及び弁論の全趣旨によれば、原告Dが在職中の四一年間一度たりとも就業規則上の欠勤(前示のとおり前記交通事故による休務は非欠勤扱い)、遅刻及び早退をしなかったことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
② 消極的評価要素の有無
ⅰ 職業意欲の欠如ないし職務懈怠の有無
a 韮崎営業所時代
ア 工事作業班当時
被告は、原告Dが韮崎営業所又は同営業所長坂出張所において工事作業業務についていた間一貫して骨惜しみをし、積極性ないし業務意欲を欠き、現場作業では自ら進んで昇柱しないため先輩従業員がやむを得ず同原告に代わって昇柱するという状態である反面、口達者で自らの業務責任を他人に転嫁し又は数名の従業員による共同作業については自らは実行していないにもかかわらずこれを行ったかのように上司に報告するなど同僚との協調性も阻害し、しかも上司に対し非協力的ないし反抗的であり上司及び同僚から信頼されていなかった旨主張し右主張にはこれに副う陳述書(<書証番号略>)があるが、右主張及び陳述書の記載内容がいずれも具体性に欠けること、他方、反対趣旨の同原告作成の陳述書があることに照らしいずれも俄に採用することができない。
イ 免許外運転を原因とする自損事故
原告Dが昭和三三年六月一六日勤務中の事故で第一二胸椎圧迫骨折の傷害を受け同日以降昭和三四年二ないし三月ごろまで休務したことは前示①ⅰbのとおりであるところ、証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、同原告が昭和三三年六月一六日松井浩男らと宿直勤務中の午後六時二五分ころ需要家からの不点(停電)連絡に基づき修理の作業指令を受けたので被告サービス四輪車輌を免許外運転(同原告は自動三輪免許しか有していなかった。)をして現場に出向し右修理を完了したこと、同原告がその帰途前方からきた牛車を避けるため同サービス車輌の左後輪を脱輪させたこと、そこで、同原告が車夫その他四名の農業従事者らの助力を得つつ同車輌を持ち上げ路上に戻し前進させたこと、ところが同原告が車輌右側でハンドルをコントロールしなかったため今度は左側前輪が路肩から脱輪し車体が傾いたのでこれを持ち上げようとした瞬間車体が弾みで更に傾いて車重を受け第一二胸椎圧迫骨折の傷害を受けたこと、そこで、同原告が右事故につき口頭による厳重注意を受けたこと、以上の各事実が認められ、同原告が自ら犯した違法ないし職務違反行為と不注意に端を発して自損事故を招き前記休務をしたことが認められる。しかし、右各証拠によれば、右事故によって前記休務の点を除き格別業務上の支障を生じさせなかったこと、右サービス車輌が修理を要する状態まで破損しなかったこと、右受傷がサービス車輌を保全するために発生したこと、被告も同原告を懲戒せず勤務中の労働災害として処理し欠勤扱いにもしなかったこと、以上の各事実が認められ、以上の各事実によれば、被告が右事故により同原告を消極的に評価したとはいえその程度はさしたるものではなかったものと認められる。
ウ 整理業務担当当時
次に、被告は、同原告が整理業務を担当していた昭和三四年には台風七号と伊勢湾台風がそれぞれ同年八月と九月に来襲し山梨県下の配電設備が大きな被害を受けた際同営業所配電係の係長を除く従業員全員が積極的に復旧作業に当たっており同原告の当時の健康状態からすれば意欲さえあれば同僚と協力して右復旧作業に参加し得たはずであるにもかかわらず右公傷のため現場作業ができないと称して同営業所内に残留し職務を懈怠した旨主張し、右主張にはこれに副う陳述書(<書証番号略>)の記載があるが、同原告が同年一〇月ごろまでコルセットを着用していたこと、そこで、同原告台風被害に際しても当時の中島配電係長の指示で営業所に居残ったこと、同原告が整理業務担当者として右災害復旧に関する報告資料の作成などを担当したことはいずれも前示①ⅰbのとおりであることに照らせば、被告の右主張及び証拠は俄に採用することができない。
エ 検査業務担当当時
被告は、原告Dが検査業務を担当していた当時業務量が増える旧盆(八月)及び年末に本来なら定時の時間内に集中度を上げれば処理することが可能であるにもかかわらず予定された一日の業務を定時に処理することができず、しかも定時に処理できなかった場合には上司に申し出てその指示を受け同日中に時間外勤務をしてでもこれを処理すべきところであるのに独断で翌日回しにすることが多かったため需要家から約束の日に被告の試験をして電気を送るようにとの苦情を受けることが多かった旨主張し、証拠(<書証番号略>、原告D本人)及び弁論の全趣旨によれば、右主張事実のうち、業務量が旧盆(八月)及び年末に増えることが認められ、その余の被告主張事実についてはこれに副う陳述書(<書証番号略>)があるが、いずれの内容も同原告が独断で翌日回しにし需要家からの苦情を受けた日時及び検査対象につきその特定はもとより大まかな頻度すら明らかにしておらず具体性に乏しいこと及び同原告が反対趣旨の供述をしていることに照らすと、前記被告主張及びこれに副う証拠を俄に採用することはできない。
オ 設計業務担当当時
被告は、原告Dが設計業務を担当していた当時当初の二ないし三か月が経過し標準的な従業員であれば独力で設計することが可能となる時期を過ぎても独力で設計することができず、上司の再三の注意にもかかわらず同原告作成の設計書には例えば引込線の長さ又は変圧器の数が足りないなどの誤りが多く現場工事に支障を生じさせたため、工事担当者から苦情が絶えない状態であった旨主張し、右主張にはこれに副う陳述書(<書証番号略>)の記載があるが、いずれも前示エの被告主張等と同様に具体性に乏しく、かつ、同原告が反対趣旨の供述をしていること(原告D本人(第一回))に照らすと、前記被告主張及びこれに副う証拠を俄に採用することはできない。
b 甲府営業所配電課配電係時代
ア 調査業務担当当時
次に、被告は、原告Dが甲府営業所配電課配電係で調査業務及び特殊調査の各単独業務を担当した当時に相変わらず積極的に業務処理をする意欲に欠け業務を予定期日までに間に合わせられないことが多かったため需要家に迷惑を掛け、同僚に比べその担当業務量を減らされる状態であったのに午後三時ないし四時ごろに帰社し洗面所で髪を解かして身支度を整え終業ベルと同時に退社するというのが常であり遅刻早退も多かった旨主張し、右主張にはこれに副う陳述書(<書証番号略>)の記載があるが、いずれもその内容は具体性に乏しく、他方、同原告が被告主張のとおり劣悪な服務を続けていたとすれば被告がいかに年功序列的機械的に職級昇格を運用していたとしても右調査業務担当当時に昇格させる筈がないところ、同原告が右調査業務担当当時に昇格したことは当事者間に争いがなく、同原告が在職中の四一年間に一度たりとも就業規則上の欠勤、遅刻及び早退をしなかったことは前示①ⅲのとおりであり、前記被告主張及びこれに副う証拠はいずれも俄に採用することはできない。
イ 他発工事の設計担当当時
あ 次に被告は、同原告が設計業務を担当した当初同原告作成の設計書に電線の長さ又は変圧器の数が不足し電柱の高さが異なるなどの初歩的な誤りが多く工事方に大きな支障が生じ苦情が絶えなかった旨主張し、右主張にはこれに副う陳述書(<書証番号略>)の記載があるが、いずれも具体性に乏しいためその頻度がどの程度であったかは不明と言わねばならず、他方、同原告の職級が昭和四九年一〇月一日(設計業務についてから約四年四か月後)に昇格していることは当事者間に争いがないこと、同原告が反対趣旨の供述をしていることに照らせば、前記被告主張及びこれに副う証拠はいずれも俄に採用することができない。
被告は、同原告がその後のCATV共架のための電柱、配電線の設計変更業務担当当時に次第に誤りが少なくなってきたことから中高年対策(いわゆる救い上げ)として右職級昇格を行った旨主張し、右主張にはこれに副う陳述書の記載があるが、かかる措置ができたということは換言すれば被告において同原告が右期間中職級昇格制度の年功序列的運用の枠に収まる程度の標準的な業務実績を積んでいたとの人事考課上の評価を下したということに外ならず、仮に中高年対策として職級昇格したとしても、これをもって同原告が右期間中に標準者を下回る業務実績しか修めていなかったものとは言えない。
い 更に、被告は、同原告がCATV共架業務に加え自発一般工事の一部を担当するようになった後も同原告作成の設計書には依然として基本的な誤りが多く工事請負業者から苦情の出ることが多く、例えば、同原告が一〇〇KVA変圧器を乗せる電柱の設計に当たり予め建柱場所への建柱車の進入の能否を現場で確認しなかったため建柱車が入れない幅員の道路に建柱する内容の設計をし工事実施が不能となり業務に重大な支障を及ぼし、また、同原告が一〇ないし二〇KVAの変圧器を高い電柱強度を要する七五ないし一〇〇KVAの変圧器に変更する設計において電柱建替えの設計を欠落し、更には、同原告がいわゆる機械エラーすなわち理論的にあり得ないような組合わせの資材を組み合わせてコンピューターに入力するためコンピューターのチェック機能によって再入力を求められることが多かったうえ、同原告が業務上理解できないことにつき自分で調べて解決しようとせず安易に上司又は同僚に同一の質問を繰り返しその業務に支障を及ぼし職場の円滑な協調をも著しく阻害し、更には同原告が昭和五〇年春頃広範囲な停電事故を招くおそれのある配電線の相の接続を誤った設計をした旨主張し、右各主張にはこれに副う証拠(<書証番号略>、証人櫻田清(第三回)、証人多々良吉徳)がある。
しかし、まず、建柱及び電柱建替えの各設計ミスの主張及びこれに副う証拠にはいずれもミス発生の日時及び設計対象物件の所在につき大まかな特定すらなく仮にそのような設計ミスがあったとしてもそれが同原告担当の設計であったことを認めるに足りる客観的証拠がないこと、また、同原告が反対趣旨の供述をしていることに照らせば、いずれも俄に採用することができない。
また、機械エラーが多かった旨の主張及びこれに副う証拠にはその頻度及び他の設計係員との比較を裏付ける客観的証拠がないこと、他方、同原告作成の陳述書には反対趣旨の陳述部分があることに照らせば、右主張及び証拠を俄に採用することはできない。
更に、証拠(<書証番号略>、証人櫻田清(第三回))及び弁論の全趣旨によれば、右設計ミスの発見者である証人櫻田が右設計対象のクロス接続につきその電柱番号を特定できなかったこと、甲府市内の穴切小学校南側に存在したとされる右クロス接続が現在存在しないこと、被告が新しい相接続の設計図には工事着手前の旧設計図を添付させ、かつ、上司の確認を受ける業務手順を定めていること、そこで、上司が相接続の相違があれば新旧設計図を比較することにより容易にミスを発見できる筈であること、然るに同原告の上司が右設計ミスに気づかなかった旨を証人櫻田が供述したこと、以上の各事実が認められることに照らせば、同原告が相接続の設計ミスをした旨の主張及びこれに副う証拠は俄に採用することができない。
う 被告は、同原告が自発一般工事及び大口件名工事を担当するようになった後も多くの設計ミスを犯し、少なくとも昭和五六年以降退職するまでの間遅刻や早退が多かった旨主張し、同原告がミスを犯したことがあること及び上司や同僚に断って常識的な範囲で事実上遅刻や早退をしたことはいずれも当事者間に争いがない。
しかし、同原告が就業規則上の遅刻や早退をしたことがないことは前示(1)①ⅲのとおりであり、証拠(<書証番号略>、証人櫻田清(第三回))及び弁論の全趣旨によれば、証人櫻田が上司であった間でも三か月以上も事実上の遅刻や早退がなかった時期があること及び同原告が昭和五九年以降ほとんど遅刻も早退もしなかったことが認められ、同原告の遅刻や早退が昭和五六年以降全体として多発したものと認めることはできない。
また、同原告のミスが多かった旨の主張にはこれに副う証拠もあるが、他の設計係員との比較を可能とする客観的証拠がなく、他方、証拠(<書証番号略>、証人多々良吉徳)及び弁論の全趣旨によれば、証人多々良が具体的に指摘したミスが軽微なものであり工事担当者が設計趣旨を理解でき又は容易に是正可能なものであって、被告の業務に重大な支障を及ぼすものではなかったものと解されるので、右各事実によると同原告のミスが人事考課上特別に消極的評価の対象とすべきものとは考えられない。
ⅱ 規律紊乱行為
原告Dが昭和二九年四月ないし昭和三二年四月の間及び昭和三五年三月ないし昭和三八年四月の間東電労組山梨支部韮崎分会執行委員を、昭和三六年四月ないし昭和三八年四月の間同分会副委員長を、昭和三七年四月ないし昭和三八年四月の間同分会書記長を、昭和三六年五月ないし昭和三八年四月の間及び昭和三九年五月ないし昭和四〇年五月の間同労組山梨支部執行委員を、それぞれ務めたことは、いずれも当事者間に争いがない。
そして、被告は、同原告がその間特に昭和三六年五月からの一年間及び昭和三九年五月からの一年間に支部執行委員としての組合活動を通じて合理化反対、生産性向上反対、職制支配の排除及び組合との協議に基づかない被告施策の実力阻止の各職場闘争を指導し昭和三七年以降は職場内で同僚に積極的に赤旗の講読を勧め、被告の規律を乱した旨主張する。そして、右主張のうち同原告が昭和三七年以降は職場内で同僚に積極的に赤旗の講読を勧めたことは当事者間に争いがないが、右行為自体が被告の企業秩序を乱したものと言うには足りず、その余の被告主張事実については、同原告の指導内容を具体的に認め得る証拠はない。
③ 標準者より劣悪か
以上①及び②の各事実によれば、原告Dが同期入社同学歴の標準者よりも下回る業務実績しか修めていなかったものとは認められず、被告の同原告に対する昭和四八年一〇月以降の給与関係の処遇において標準者に対するよりも低い処遇をすべきものであったとは認められない。
(2) 原告Dの職務遂行能力
被告は、原告Dが難易度の高い地中線の設計や強度計算を伴う長径間設計をすることができず簡易又は容易で定型的な設計しかできなかったうえ設計ミスが多かった旨主張し、右主張のうち、地中線の設計や強度計算を伴う長径間設計の難易度が高いこと、同原告が地中線の設計技術を有していなかったことはいずれも当事者間に争いがない。
しかし、被告が同原告に同設計業務の研修の機会を一度も与えたことがなく同業務を担当させたこともないことは当事者間に争いがなく、これをもって同原告に同設計業務を遂行する潜在的能力がなかったものと認めることはできない。
また、強度計算を伴う長径間設計をすることができなかった旨の主張にはこれに副う多数の陳述書の記載並びに証人櫻田清及び同多々良吉徳の供述部分があるが、証拠(<書証番号略>、原告D本人(第二回))及び弁論の全趣旨によれば、強度計算を伴う長径間設計が必要とされる工事は年に一度あるかないかであること、同原告外六名が昭和五五年末ないし昭和五六年初めごろに御岳昇仙峡ルート変更の高圧架空ケーブル工事の設計を共同で担当したこと、被告が同原告に昭和五七年夏ないし秋ごろ御岳隧道上の長径間高圧被覆線化工事の設計を単独で担当させたこと、被告が昭和六二年初めごろ同原告に長瀞橋下の長径間高圧被覆線化工事の設計を単独で担当させたこと、右各工事の設計には強度計算が必要であったこと、同原告が右各工事の設計図を作成したこと、同原告が右各工事において強度計算をした旨の供述をしていること、以上の各事実が認められ、以上の各事実によれば、同原告が共同担当した前者の設計はともかくとして単独で担当した後二者の設計については強度計算をしたものと認められる。けだし、同原告が共同設計に参加した際強度計算を学んだ可能性があり、また、被告が同原告に強度計算をする能力がないと評価していたのであれば強度計算を必要とする御岳隧道上の長径間高圧被覆線化工事の設計を担当させる筈がなく、更に、被告が右設計業務において同原告が強度計算をなし得なかったのであれば長瀞橋下の長径間高圧被覆線化工事の設計については当初から強度計算のできる先輩従業員ないし職制に応援させる筈であってこれを単独で担当させるものとは考え難いからである。したがって、前記被告主張及びこれに副う証拠はいずれも採用できない。
更に、同原告の設計ミスが多かった旨の主張を採用できないことは前示②ⅰaイ及び同②ⅰbイのとおりである。
かえって、同原告が平均的な設計工量をこなしていたことは前示(1)①のとおりであり、証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、原告Dが昭和三三年七月ころ身体強健にして平素業務に於て注意力に富む理解力に稍々缺けるとして考課総合評定3の2(平均)という評価を受けていたこと、竹村寿が昭和五〇年一〇月末ごろ右当時七級で技師補3であった同原告に対して実質的には三階級上の技師7(少なくとも職級では五級以上)に相当すると評価していたこと及び日本道路公団甲府工事事務所用地課の小沼俊彦主事が昭和五一年前任者から「同原告がすべてのことをよく知っていて大変スムースに仕事ができる」旨の引継ぎを受け、かつ、同原告が設計した電柱の移設設計書はすべて設計要領に反していなかったと評価していたこと、以上の各事実が認められ、以上の各事実に照らせば、同原告が同期入社同学歴の標準者を下回る潜在的な職務遂行能力しか有していなかったとは認められない。
(五) 原告E
(1) 原告Eの業務実績
① 積極的評価要素の有無
ⅰ 無遅刻無欠勤の長期勤続(四〇年)
原告Eが昭和二三年一月入社以来昭和六三年八月定年により退職するまで四〇年間無遅刻無欠勤であることは当事者間に争いがなく、少なくとも同原告が一面において真面目な職務態度を有していたことが認められる。
ⅱ 山梨支店以前(昭和三五年一〇月以前)
原告Eが昭和二三年一月関東配電株式会社に入社し山梨支店塩山営業所に配属されて以降同管内の各出張所で勤務し受付、検針などの業務を経て机上の業務に移ったこと、同原告が昭和二七年四月書記補に任用され同年山梨県立石和高等学校定時制に入学し昭和三〇年同校を卒業したこと、同原告がこの間の昭和二八年から勝沼出張所や塩山営業所において営業受付(訪問客や電話の受付、処理)を担当したこと、同原告が昭和三〇年塩山営業所料金課に移り各需要家毎の電気使用料の算盤による計算、手書きによる領収書の発行及び料金台帳の整備保管などの業務に従事したこと、同原告が同三一年四月書記に任用されたことはいずれも当事者間に争いがなく、右各事実によれば、同原告が普通に職務歴を重ね、資格を昇格されるとともに、勉学意欲を実らせてきたものと言うことができ、被告もこの間における同原告の服務状況が格別悪いものでなかったことについては明らかに争っていない。
ⅲ 山梨支店料金課時代
原告Eが昭和三五年一〇月山梨支店料金課に異動し記帳係員として個別需要家毎の電気料金台帳の契約変化に応じて内容整備、移動に伴う料金計算などの集計と記帳の作業に従事したこと、原告Eが昭和三七年四月ないし昭和五〇年一〇月の間山梨支店料金課調定係に配属されたこと、同原告がその間甲府営業所の調定業務すなわち被告の需要家に対する売掛電気料金の実収高及び未収高の各合計を月毎に各営業所別に掌握する業務及び支店全体の実収高及び電気税額の締切業務すなわち月の上旬に前月分の調定額を確定し支店経理に報告する業務に就いたことは、いずれも当事者間に争いがなく、証拠(<書証番号略>、証人穴水勝彦、原告E本人(第一回))及び弁論の全趣旨によれば、同原告が同係在職の後半の殆どの期間支店全体の調定業務量のほぼ三分の一を占める甲府営業所の調定業務を担当したこと、右当時の同係の基本的な数値集計方式が営業所積上方式すなわち締切にあたって各営業所の実績及び集計数値を積み上げる方式であったこと、各調定係長は右当時支店への伝票回付が遅れるという批判を避けるためまず各営業所の数値を元に支店計を作らせて支店経理課にこれをいち早く報告しその後に各営業所毎の調定額の算出表を作らせていたこと、しかしこの方式ではその後の各営業所の調定額算出時に計算ミスなどが発見されたときに報告の訂正ないしやり直しが必要となりそれでは早期に報告する意味がなくなることから調定係では内部の「貸借り」にして翌月調整する取扱をし現実の実績と支店への報告との間に二重帳簿状態が現出し業務も煩雑化していたこと、他方、営業所積上方式がそのまま実施されれば各営業所の伝票発行までに時間がかかるものの正確で結局最終的に素早く終了できること、そこで原告Eが昭和四二年一月本来の営業所積上方式を実施するよう提案した訳であり、そのための業務量の増加に対しては残業で対応し、かつ、時間外の手当てを請求しなかったこと、以上の各事実が認められ、右各事実によれば、同原告が確実な業務遂行につき特段の努力を図っていたことが認められる。
また、証拠(<書証番号略>、証人穴水勝彦)及び弁論の全趣旨によれば、調定業務ないし締切業務が共同作業であり係員のチームワークが業務処理の円滑化にとり重要であること、そこで、同原告は、上司の中村三郎係長が市川和正総括を罵ったときも同人を励まし同人に植木(紅梅)を分け与え同人と釣りをし又は酒を飲んだこと、穴水勝彦とも一緒に酒を飲んだり釣りに行き、特に同人の父親が結核に罹患した時に甲府共立病院を紹介し同人を見舞い、右穴水が離婚問題で困窮した時に助言するなど仕事を離れても良くつきあったこと、原告Eが右穴水に共産党への入党の勧誘を一切しなかったこと、以上の各事実が認められ、右各事実によれば、同原告が係員の協調性を図るためそれなりの努力をしたことが認められる。
ⅳ 韮崎営業所料金課時代
原告Eが昭和五〇年一〇月ないし六三年一〇月の間韮崎営業所料金課に配属され集金整理業務のうち各ルート(直接集金、口座振替及び振込による間接集金並びに営業窓口及び特殊集金員による別途収入)で入金される収入金の整理及び毎日葉書にスタンプ機が領収書を印字しこれを郵便局に運搬する仕事に従事したことは当事者間に争いがなく、証拠(<書証番号略>、原告E本人(第一回))及び弁論の全趣旨によれば、同原告が昭和五四年一〇月後者の仕事に関連し各営業所でしていた口座振替需要家の領収書支店一括郵送方式を提案して努力賞(評価対象としては最下位の賞)を得たこと、その後この提案は各営業所の負担を軽減する趣旨により昭和六三年東京計算サービス株式会社への一括業務委託を実施することとなって生かされたこと、以上の各事実が認められる。
② 消極的評価要素の有無
ⅰ 職務懈怠の有無
a 山梨支店料金課記帳係時代
ア 調定業務(九級職)担当当時
原告Eが昭和三七年四月三〇日以降山梨支店料金課記帳係において三名の被告従業員の一人として支店管内六営業所の一部の営業所の調定業務(九級職。主任の一般的指導、監督の下に調定諸表の整理、合計表の作成、審査、予納金残高の照合、把握を行うとともに、締切事務並びに各種伝票の作成をする業務)に従事し具体的には営業所毎の電気料金債権の総額(調定額)を確定するとともに日々の電気料金収入を契約の種類、収入方法などの区別による諸集計表に整理記載することによって各営業所全体の電気料金債権の収入額と未収金額を把握し得るようにする業務を担当していたことは、いずれも当事者間に争いがなく、証拠(原告E本人(第一回))及び弁論の全趣旨によれば、日々の集計業務が一ないし二時間で処理可能であったことが認められる。しかし、同原告が右作業のほかに需要家持参分、郵送分、作業員収納分及び二重払返却分の収入金の整理集計などの作業を予め進めておくべきであるのにこれをせず、書類などを衝立として蔭で詩などの本を読んでおり、当時の上司である平山係長が他にやるべき仕事があるのだからそれをするように注意しても「俺は九級だから仕事はこれしかできない」などと称して業務を再開するのを拒否したほか、支店大の締切業務の応援を指示されても同じ理由で拒否する状態であった旨の被告主張及びこれに副う証拠については反対証拠に照らしこれを俄に採用できない。
イ 締切業務の停滞の原因となったか否か
原告Eが昭和四一年ごろ以降右の調査業務のほか月末に通常三日間(自らの業務部分に二日間、総括業務の処理のために一日間)程度で処理されていた総請求額及び総収入額を確定する締切業務を担当したことは当事者間に争いがなく、証拠(<書証番号略>、証人穴水勝彦、証人田村洋隆、原告E本人(第一回))及び弁論の全趣旨によれば、同原告在職当時の調定係の残業が主として締切業務処理について発生し日常業務では発生しなかったこと、被告山梨支店の締切業務に関する本店への報告が少なくとも昭和四五年ないし四七年頃までの間集計ミスや遅延が重なるなどして他の被告支店に比べ遅れかつ残業が非常に多くなっていたこと、市川和正がこの間総括業務を担当していたこと、右市川が同業務に不慣れであったこと、穴水勝彦が昭和四五年四月同係に配属され総括業務を補助したこと、右穴水も同業務に不慣れであったこと、そこで、右両名が同係に配属となった後半年間ミスが多く業務が停滞したこと、以上の各事実が認められ、右各事実を総合すれば右市川及び穴水は昭和四五年四月頃同係に配属された後少なくとも半年間は業務停滞の原因となっており、しかも、右市川はその後も右原因となっていたことが窺われるので、同原告の反対趣旨の供述及び右各事実に照らし、同原告が右業務停滞の原因であったものと認めることはできない。
被告は、同原告が算盤による計算及び運筆その他業務処理が極めて遅いうえ、同原告の作成書類の字が大きく欄外にはみ出しているため同僚ないし上司にとり見ずらく、同原告の処理にはミスも多いため、総括業務の能率悪化の原因となり、他方、勤務時間中の長時間の私用電話をして業務を懈怠し当時の上司である中村三郎調定係長から注意されても一向に反省せず、同僚が行っていた一〇日毎の先行的な仮締切もせず、毎月の締切業務のときになって前一か月分の自らの締切業務部分にまる三日間をかけてこれを行い、また、業務が多忙又は締切期限間際でも休日出勤を拒否するだけでなく、突然休暇を申し出て上司が他の時期に変えるように指示してもこれに応ぜず休暇明けに遅れた業務を取り戻す努力もしないため、業務処理が期日までに間に合わなくなることがしばしばあり、その都度、同僚の応援を仰ぐ状態であった旨の主張をしているが、証拠(<書証番号略>、証人田村洋隆)及び弁論の全趣旨によれば、同原告が算盤による計算及び運筆その他業務処理が極めて遅いうえ同原告の作成書類の字が大きく欄外にはみ出しているため同僚ないし上司にとり見ずらかったとはいえないこと、当時の調定係の電話機が三台で社外通話用の黒色電話機は桜井主任の机上にあった一台であったこと、したがって同原告が勤務時間中に頻繁に右主任の席に行ってこれを占拠し社外の者との長い私用電話をしばしば掛けることは困難であったことが認められ、更に、料金関係の職場では算盤による計算や記帳が重要なウエイトを占めていること、しかるに同原告が三〇年以上も右職場に在籍し特に山梨支店の締切業務に一三年間も従事したことは当事者間に争いがないこと、被告の前記主張が事実であれば被告は直ちに同原告を締切業務から外したはずであるところ、被告がそのような措置をとったことを認めるに足りる証拠はないこと及び前記認定事実を総合すると、被告の前記主張はいずれも俄に採用することはできない。
ウ 不当な残業手当稼ぎの有無について
証拠(<書証番号略>、原告E本人(第一回及び第二回))及び弁論の全趣旨によれば、被告には被告従業員が残業をした場合出勤簿のその他の欄に時間外と記入し記事欄にその発生理由を書き込み残業に対する時間外賃金を請求する制度があったこと、残業時間が一時間単位で計算され一時間未満については一時間に切り上げられて計算される仕組みとなっていたこと、しかし、残業に対する時間外賃金については所属課係毎の予算枠があり所属係員が右予算枠を超過して時間外賃金を請求すると職制の業務成績が落ちることから職制も暗黙のうちに時間外賃金の請求を控えるよう求め係員もこれに呼応し実際に残業をしても事実上時間外賃金を請求しない実態(いわゆるサービス残業)があったこと、同原告在職当時の調定係の残業が主として締切業務の処理について発生したこと、締切業務の処理について残業が発生するときには業務の性質上担当者全員が残業をする結果となること、原告Eが残業した際必ず時間外賃金を前記手続にしたがって請求したこと、このため調定係の時間外賃金の予算枠が少なくなり他の係員がこれを請求しずらくなったこと、中村三郎調定係長がその後同原告の残業申し出を認めず他の従業員をしてこれを補完させたこと、以上の各事実が認められ、以上の各事実によれば、同原告が職制の意向に従って任意の形式は取りつつも事実上サービス残業を余儀なくされている同僚の心情を害するような時間外賃金を請求していたことが認められるが、同原告だけがサービス残業をしなかったこと自体は違法ではなく、これによって時間外賃金の予算が消費され同僚が事実上より長時間にわたりサービス残業を余儀なくされ同原告に対し悪感情をもち、係内の協調体制が乱されたとしてもそれはむしろ職制が残業時間の実態に見合った予算枠を上申しこれに対し被告が予算枠を増額させなかったことに主たる原因があるというべきであり、同原告の右のような対応は職場内の協調性を害するという意味において必ずしも好ましいものとは言えないが、これをもって被告が消極的評価の要素とすることは行き過ぎであり違法である。
また、右各事実以上に、同原告の残業の原因が就業時間内の職務懈怠であること、同原告が残業を拒否したこと、同原告が夕食をとらなくても業務を終了させることが可能な場合でも必ず残業時間中にゆっくりと夕食をとりかつ残業時間が一時間未満の端数につき切上げの計算がされることを悪用しその終了時刻に端数が出るように業務を終了させたこと、同原告が実働時間のほかに右食事時間及び帰り支度時間を残業時間として申告したことは、いずれもこれらの事実を裏付けるに足る具体的ないし客観的証拠に欠け、これらの事実については反対趣旨の供述ないし書証があることに照らし、これを認めることはできない。
b 韮崎営業所集金計画業務(七級)担当当時
原告Eが昭和五〇年一〇月一日以降韮崎営業所料金課において集金計画(七級)のうち収入管理業務を担当したことは当事者間に争いがない。しかし、同原告が集金期限に電気料金を納めない需要家の当月分の収入状況について上司が必要に応じてその概要を聞けばこれに対し即座に答えられる程度に把握すべきところこれを全く把握していなかったこと、委託集金員の記入ミスによる振込票の数字と収入管理表との不符合を十分にチェックしないでこれを放置し締切時の不符合による業務の混乱をもたらすなど杜撰な勤務に終始したこと、しかも、前任者の半分の業務もこなすことができず同僚の応援を余儀なくしたこと、上司が、必要に応じて新たな業務を命じても、日常業務と異なるから納得できないと称して反抗し常に命令に従わず職場環境についても常に不平、不満を言い、同僚を徒に煽動していたこと、以上の被告主張事実については、これに副う陳述書(<書証番号略>)の記載があるが、右各陳述書の記載は反対趣旨の陳述書(<書証番号略>)の記載に照らし説得力に乏しく、俄に採用することができない。
ⅱ 規律紊乱行為の有無程度
証拠(証人田村洋隆、原告E本人(第一回)、<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、日本共産党が昭和三六年党勢拡大決定をしたこと、原告Eが右当時から職場内外で赤旗の講読勧誘及び入党勧誘等の党勢拡大活動をしてきたこと、同原告が昭和四四年東電労組山梨支部甲府分会代議員に立候補した際被告社内でキーパンチャー病(頸肩腕症候群)が被告山梨支店料金課所属のキーパンチャーに発生していないかどうかを検討すべきである旨を記載したビラを配ったこと、日本共産党山梨県委員会が昭和四九年一月一日各家庭に「キーパンチャー病は本当に発生していないでしょうか。他の職場に発生し、東電に発生しないなどということはどうしても考えられません。」という文面のビラを配ったこと、以上の各事実が認められるが、まず、同原告が勤務時間中に職制を含む衆人監視の中で計算係の女子従業員を対象とする前記党勢拡大活動をすれば職制の注意を受けることは確実であり、そのような状態で党勢拡大活動をしても却って逆効果であり成功するとは考えられない故同原告が昭和三六年ないし四一年ごろの間に被告従業員等に計算係の女子職員相手に勤務時間中に前記党勢拡大活動をして被告の職場規律を乱したものと認めることはできない。また、日本共産党山梨県委員会が昭和四九年初頭に配布したビラと同原告が昭和四四年に代議員選挙のため配布したビラとがほぼ同趣旨の内容であることから、同原告が前者の家庭への送付行為に加担したものでありかつまた日本共産党山梨県委員会のビラは効果てきめんである旨の昭和四九年二月九日付の赤旗記事を同原告が自ら書いて同党の攻撃を称賛した旨の被告主張についても、同原告本人の反対趣旨の供述に照らしこれをたやすく認めることはできない。
③ 標準者より劣悪か
以上①及び②の各事実を総合すると、原告Eが同期入社同学歴の標準者以下の業務実績であったことを認めることはできない。
(2) 原告Eの職務遂行能力
また、右(1)の各事実と証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、原告Eが昭和六〇年町議会議員に初めて立候補して当選し同議員を二期八年を務め総務常任委員会副委員長、厚生常任委員会及び水道運営委員会の各委員長を歴任するなど一議員としてだけでなく委員会のまとめ役を果たしたこと、同原告が公然と中村係長を「階級的に我々の敵である」とする一文を公表したが右文章は個々の職制は敵ではないが職制の会社の代理人としての立場で労働者と敵対的になるときには労働者の人格や権利を守るためにそのような職制を階級的に止むを得ず「敵」として対決しなければならないという旨を述べたものであること、以上の各事実が認められ、以上の各事実を総合すると、同原告の職務遂行能力が少なくとも同期入社同学歴の標準者以下であったものとは認められない。
(六) 原告F
(1) 原告Fの業務実績
① 積極的評価要素の有無
ⅰ 台帳業務時代
原告Fが昭和二三年一〇月以降関東配電株式会社及び被告において台帳業務に従事したことは当事者間に争いがなく、証拠(<書証番号略>、原告F本人)及び弁論の全趣旨によれば、同原告が主として毎日検針係から送られてくる使用者の使用電力量を料金台帳に転記し電気料金を計算した後一人一日当たり三〇〇枚前後の領収書を手書きで作成して社印を押捺し集金係に送付すると同時に集計表を作成する「領収書発行業務」及び集金係が集金した後送付してくる領収書原符に基づいて台帳を消し込んでいく「消込業務」を担当し、無遅刻無欠勤で他の同僚よりも早く自分に与えられた業務を消化したうえ、新設、撤去及び契約変更などの記帳業務を応援し又は先輩に同行して現場調査に臨むなど与えられた以上の業務量をこなしたこと、以上の各事実が認められる。
ⅱ 調定業務時代
原告Fが昭和二七年四月甲府営業所料金係において調定業務すなわち需要家から集金すべき売掛金総額及び未集金総額を毎日把握する業務並びに収入内訳表(電気供給種別ごとに仕分ける表)を作成して収入予算の基礎資料とする業務への担務変更を命じられたことは当事者間に争いがなく、証拠(<書証番号略>、原告F本人)及び弁論の全趣旨によれば、右業務が収入予算の基礎資料を作成する点で高い正確度を要求される業務であり未だ入社して日が浅い同原告よりも上級者ないし先輩が就いて然るべき職務であったこと、同業務の担当者が二人だけの職場であったこと、相方である河村正造が同原告の着任当時労働組合の甲府分会執行委員長を務めその業務で離席することが多かったこと、そこで、同原告が着任早々から自分の判断で仕事をこなしていく責任感の下に休暇も取らず毎日調定(毎日発生する電気料金を毎日売掛金に計上し収入金精算業務も合わせて行なうこと)を確実にこなし当時の大久保真一係長から「ミスが少なく几帳面で固い仕事をする」旨評価されていたこと、更に同原告が集金職場に出掛けて毎日集金してくる電気料の集計を応援したことから集金主任の小林正作及び後任の辻柳平から感謝されたこと、以上の各事実が認められ、以上の各事実によれば、同原告が右当時真面目で積極的で協調性に富み責任感をもった迅速かつ確実な職務遂行をしていたことが認められる。
ⅲ 営業係受付係時代
a 証拠(<書証番号略>、原告F本人)及び弁論の全趣旨によれば、原告Fが昭和三三年五月より幅広く会社の仕事を知り経験を蓄積しようと当時の上司であった守屋知正料金係長にわざわざ願い出て調定業務よりも下の職級で給料も一級格下げになる営業係受付カード担当への配置転換を申し出て、同年七月同係に異動し同業務を昭和三四年三月まで担当し同年四月営業カードI(九級)の職務担当とされていたことが認められる。右各事実によれば、同原告が被告業務に精通し自己啓発を図ろうとする意欲において傑出していたことが認められる。
b 当事者間に争いがない事実と証拠(<書証番号略>、原告F本人)及び弁論の全趣旨を総合すると、同原告が昭和三七年一二月一四日ないし昭和四四年六月六日まで甲府営業所において電設業務(九級)すなわち需要家からの低圧電気(一〇〇ボルト・二〇〇ボルト)についての新規供給、屋内配線工事を伴う契約種別や容量の変更申込みを受け付けて関係する各係へ連絡ないし手配をし送電に至るまでの工程管理を行う業務に従事したこと、電設業務が電気供給規定や様々な取扱い特に需要家が持参した図面をもとに瞬時にその図面から適正な契約電力を算出する作業に精通していなければ迅速な受付が出来ず窓口が渋滞し受付後の工程にも支障が出てくる可能性があり、また、希望日に電気を送電するためには設計、用地交渉、官庁出願、工事手配及び内線検査など様々なセクション間の円滑な交渉が重要であったこと、同原告が同月七日に石和出張所に配転され受付業務、カード業務及び無線連絡業務を担当したこと、佐藤辰之総括が同原告の石和出張所への配転と同時に電設業務はもとより営業の業務について全く未経験であったにもかかわらず被告山梨支店労務課から同出張所に配転され電設業務を担当したこと、そこで、同原告が右佐藤に電設業務を指導したこと、右佐藤が右のころ胃潰瘍に罹患し休務しがちになり同年暮れころ長期休務に入ったこと、同原告と小沢英治主任とが昭和四五年初めころないし少なくとも同年五月ころまで右佐藤の電設業務を分担処理したこと、同原告が昭和四五年四月一日に受付総括(八級)に任用されたこと、同原告が昭和五〇年八月一五日甲府営業所営業課契約係に配転され電設総括(七級)に任用されたこと、同原告が同日以降平成二年一一月一三日(定年退職日)まで電設業務を担当し続けたこと、市瀬義久及び三城清彦がそれぞれの陳述書において電設業務が直接需要家と接する機会の多い職場なので共産党員等である原告Iには任せられなかったと陳述していること、然るに被告が原告Fを二三年間も電設の職場に止めておいたこと、以上の各事実が認められる。右各事実によれば、被告が同原告に対し電設業務が適切な接客対応及び被告内部の関係諸機関との円滑な調整を要する業務であり被告主張によれば本来共産党員である同原告に担当させるべきものではないのに、同原告の通算二三年余りの業務実績を通じ同原告が共産党員であることが問題とならない程度に同業務を担当させるに足るだけの能力と実績を有し同原告の対外的ないし対内的な調整能力を肯認していたものといわねばならず、右事実から同原告が右期間中同業務を着実にこなすに足るだけの規定や基準の学習及びその実践に努めていたことを推認することができる。
c 臨時包括契約の活用
証拠(<書証番号略>、原告F本人)及び弁論の全趣旨によれば、原告Fが昭和五一年以降臨時供給制度すなわち土建業者が電気工事業者に依頼して申し込む土木建築工事関係及び自治会や個人が申し込む冠婚葬祭関係その他の短期間の電気使用に応ずる制度の受付を担当していたこと、従前の同制度が予め設定した使用期間について電気料金及び工事料金を算定しこれを無利息で前納させる点で不合理であり長期使用の場合には電気工事業者が多額の電気料金を立替えなければならない点で右業者から常々苦情が寄せられていたこと、そこで、被告本店営業部が昭和五二年需要家が被告との間で臨時包括契約すなわち複数の場所の臨時電気料金を需要家の銀行口座から一括して振り替える契約(以下「包括契約」という。)を締結すれば料金の前納を不用とする扱いをするよう各支店に通達したこと、右包括契約には被告としても受付窓口での予納金収入、残余金の返還業務等が解消されるメリットがあったこと、これを受けて被告山梨支店も昭和五三年包括契約制度の実施をしたこと、包括契約締結件数の増加には受付窓口のPRが重要であったこと、しかし、右契約が被告の電気料金収納業務上有利である反面需要家にしてみれば何処の建設現場の電気料金が銀行口座から引き落とされたのか直ちに分からない面もあってそのため重要家に敬遠されるという弱点もあり山梨支店管内の他営業所では殆ど利用されてはいなかったこと、然るに同原告が臨時供給受付業務に在任した七年間に利用者と個々に接触し八四軒の利用者と包括契約を締結したこと、通産省が昭和六一年九月一日から三日間甲府営業所の立入監査をした際本来的には監査対象外である包括契約締結の実施状況を肯定的に評価したこと、包括契約締結件数が昭和六二年ごろから各営業所でも増加したこと、以上の各事実が認められ、以上の各事実によれば、同原告が少なくとも包括契約締結の主たる原動力として被告業務にかなりの貢献をしたことが認められる。
被告は、同契約件数の増加が一人同原告の貢献によるものではなく、職制が出席して行う電気工事店との定例の打ち合わせの席でのPRの方が契約締結を促進する効果が大きかったこと及び他の営業所における契約件数の増加が包括契約対象工事の増加の原因となっていると主張し右主張に副う陳述書の記載もあるが、まず、一般に日本の取引社会では説明会方式の要請よりも担当者による個性を活かした個別的な説得の方が取引の成立に有効であることは経験則であり、右認定の事実によると原告Fが同契約締結件数の増加につき主たる貢献をしたことは疑うべくもなく、また、包括契約対象工事件数が多くなっても従前全く同契約の締結をしていなかった営業所が同契約の締結に積極的になるにはそれなりのきっかけが必要であると考えられるところ、甲府営業所の成功がその要因となっていないものとは考えにくいというべきであるから、被告の右主張及びこれに副う証拠はいずれも採用しない。
② 消極的評価要素の有無
ⅰ 職務懈怠の有無
a 業務命令等の拒否の有無
ア Sブレーカー取付工事周知業務について
争いのない事実と証拠(証人有賀保、原告F本人、<書証番号略>)及び弁論の全趣旨とを総合すれば、被告が昭和二九年ごろ電力料金を使用許容最大電力に応じた基本料金及び使用電気量に応じた料金との和とする電力料金制度の改定をしたこと、被告が昭和三一年六月以降契約容量に対応する電流制限器(Sブレーカー)を開発し新規供給又は契約容量の変更を求める需要家の建物にSブレーカーを取り付け始めたこと、被告山梨支店甲府営業所が東電労組山梨支部甲府分会との協議に基づき右取付工事の事前周知業務すなわち需要家宅を回って取付工事前にこれを周知する業務を受付業務担当者の恒常的業務に付加したこと、被告が昭和三二年一〇月以降一般需要家宅への右周知及び取付工事を開始し右工事を昭和三八年ごろ終えたこと、原告Fが昭和三六年四月以降組合専従から職場復帰し受付カード業務を担当し受付窓口に座っていたこと、有賀保主任が初めから原告以外の係員(一七名)一人分の約半分の件数を同原告の担当として割り当てたこと、同原告が多数の需要家が共稼ぎで時間内に周知業務を行うことが困難であったことから割当件数を中々処理できずこれを時間外に処理したこと、以上の各事実が認められ、以上の各事実によれば、同原告が他の者よりも割当件数が少なかったのはむしろ窓口業務に支障を及ぼすことができなかったためであることが推認され、また、その処理に難渋したのも需要家側に無理からぬ実態があったからであることが認められる。
したがって、右事実をもって同原告がSブレーカー周知業務を拒否し又は消極的であったものとは到底いえず、これをもって同原告に対する消極的評価要素とみることはできない。
イ 甲府営業所の電設業務担当当時について
被告は、原告Fが昭和四一年一〇月ないし昭和四四年六月六日までの間に同原告が手隙のときが多く有賀保係長が電灯申込の受付業務の応援を命じたにもかかわらずこれを一切応援しなかったと主張し、これに副う証人の供述部分及び陳述書の記載があるが、原告Fが昭和三七年一二月一四日ないし昭和四四年六月六日まで電設業務を担当していたことは前期①ⅲbのとおりであり、証拠(<書証番号略>証人有賀保)及び弁論の全趣旨によれば、当時の電設業務には常時需要の電力(主に商工業用の大型機器に対する電気供給)及び電灯(家庭用電気供給)並びに臨時需要(建設工事用電気供給)の電力(大型機器用)及び電灯(照明や小型機器用)があったこと、同原告が昭和四〇年七月当時常時需要の電力並びに臨時需要の申込受付を担当していたこと、右各業務の方が常時需要の電灯申込の受付業務よりも質的にやや難しいこと、同原告が前記期間中与えられていた右各業務を処理していたこと、以上の各事実が認められ、右事実に照らし被告の前記主張は俄に採用することができない。
ウ 石和出張所時代について
原告Fが昭和四四年六月以降石和出張所において受付業務カード業務及び無線連絡業務に従事したことは前記①ⅲbのとおりであり、同原告が一応の業務処理をしていたことは当事者間に争いがない。
そして、被告は、総括職の佐藤辰之が同年夏過ぎころに胃潰瘍に罹患し休務しがちとなったため当時の小沢英治主任が同人の電設業務を肩代りした際その本来の指導監督業務があるため同原告の手隙のときに応援を指示しても右佐藤が同年暮れから長期休務することになり同主任が右業務を全面的に負担せざるを得なくなった状況下において昭和四五年初めに至るまでこれを拒否し続けた旨主張し、これに副う同主任の陳述書の記載もある。しかし、少なくとも同原告が昭和四五年初めころ以降同業務を応援したことは当事者間に争いがなく、部下が休務しその病状が定まらず新たな人事措置がままならない間の部下の業務遂行責任が基本的には直属の上司にあることは経験則上明らかであること、同原告が同年四月一日に職級昇格を果たしていることは前示①ⅲbのとおりであることに照らすと、同原告が昭和四五年初めまで同主任ないし秋山所長から正式な業務命令として佐藤総括の業務の分担指示を受けながらこれを拒否したものと認めることはできず、仮に同原告が右分担に消極的であったとしても業務評定上重大な消極的評価要素ではなかったものとみるべきである。
エ 以上アないしウの各事実によれば、原告Fが昭和三三年から昭和五一年一〇月の間一貫して、定型的、恒常的な日常業務のみを行い、時間的余裕があり処理することが可能であるにもかかわらず上司から必要に応じて命ぜられた新たな業務、同僚の業務に対する応援及び同僚が休務した場合の援助などを一切拒否した事実はこれを認めるに足りる証拠がないというべきである。
b 業務命令に反する業務の画一的処理の有無
証拠(<書証番号略>、証人有賀保、原告F本人)および弁論の全趣旨によれば、原告Fが被告山梨支店甲府営業所営業係において電設業務に従事した昭和四〇年七月から昭和四四年六月の間希望日送電が業務取扱上の基本であったこと、しかし、一件あたりの処理に要する日数が右当時工事力及び資材の不足並びに用地交渉の困難化により次第に長くなってきており道路占用許可を必要とする電柱の新増設移設を伴う場合には三〇日ないし四五日かかっていたこと、そこで、被告山梨支店甲府営業所がこの種工事につき予め電気工事店等に申込日から四五日間を標準処理日数として告知し、電気工事店等が標準処理日数を念頭に早めに申込することを促して希望日送電を可能とする手法をとっていたこと、被告の昭和四二年当時の一般電設業務取扱基準には管理者の判断により緊急を要する申込み又は特例扱いとすべきもの等について標準処理日数によらない例外管理の対象として個別の取扱によるものとする旨の規定があること、同原告が電気供給申込受付にあたって申込順に標準処理日数を告知しこれを処理していたこと、同原告が例外的取扱を要するか否かについて事情聴取をしなくてもよいと認識しこれをしていなかったこと、同原告が昭和四八年二月以降同営業所石和出張所で受付業務を担当していたときも同様の業務処理を行っていたこと、その結果、上司が需要家からの申入れを受け同原告に例外的措置を指示したことがあること、そこで、同原告が受付箋にその旨の記載をしたことがあること、以上の各事実が認められる。右各事実によれば、当時の甲府営業所が原則として標準処理日数を基準として送電日を設定し右処理日数による取扱をしない措置は管理者の判断による例外的措置であったといえること、しかも右例外的措置を拡大して行くと電気工事店等の標準処理日数を念頭に置いた申込みがなし崩し的に遅れ被告が一般電設業務取扱基準において標準処理日数制度を設定した趣旨が没却され却って希望日送電の実現が全体としておぼつかなる結果となるおそれがあったことは明らかであり、例外的措置の判断権及び責任が管理者たる上司にあることを考えれば、需要家の特別の希望表明でもない限りは右の例外的な措置を求めるか否かにつき受付窓口の同原告ら係員が個別需要家の強い要請により受動的に対応する場合は別として積極的に事情聴取することが求められていたとは考え難いから同原告がその点について恒常業務として事情聴取しなかったことをもって画一的業務処理であると非難しうべきものかどうかは疑わしく、かつ、需要家が同原告に対し特別の希望表明をしたにもかかわらず、同原告が上司の判断を求めなかったことを認めるに足りる証拠はないから、上司が需要家からの申入れを受けたことがあったとしても、例外的措置の指示に対する前示の同原告の業務処理を同原告の業績評定上、消極的評価の対象とすべきものとは認め難い。
なお、被告は、上司が特別事情ありと判断し同原告に善処を指示しても同原告がその上司が需要家と裏の関係があってそのような指示をしているかのように言い掛かりをつけ、これを拒否した旨主張し、右主張に副う上司らの陳述書の記載もあるが、同原告がかかる露骨な業務命令違反を繰り返したならば何らかの処分がなされてしかるべきところ、かかる処分がされたことを認めるに足りる証拠はなく、被告の右主張は俄に採用し難い。
c 業務規制の実践
被告は、原告Fが昭和三七年一二月一四日以降、前記営業所において電設業務に従事したが、その日常業務において、入門闘争、残業拒否、宿休年休の完全取得等の業務切捨ないし足切り行為を実践した旨を主張するが、このうち年次有給休暇の取得自体は違法ではなく、かつ、被告の時季変更権行使の機会を失わしめたことを認めるに足りる具体的な行為の立証もなく、入門闘争、残業拒否及び宿休の濫用についても具体的な主張立証に乏しいから、右各事実はこれを認めるに足りる証拠がないといわねばならない。
ⅱ 規律紊乱行為の有無
a 経営細胞の責任者としての活動の有無
被告は、同原告が右期間に経営細胞責任者及び被告内における民主青年同盟の拡大強化活動の責任者として後輩共産党員に対し綱領、規約、諸決定の説明を行い、日本共産党の敵である日本独占資本を打倒するという長期的展望の下に、職場を基礎とした反独占、反企業、反職制、反合理化を標榜し、被告企業秩序を紊乱する業務規制、業務放棄、宿直休暇及び有給休暇の一方的取得、残業拒否並びに始業時刻入門などの大衆闘争を中心的に指導した旨主張する。そして、日本共産党が昭和三五年ごろ各企業内の党組織として経営細胞を有していたこと、原告Fが昭和三五年二月一五日甲府営業所勤務当時に日本共産党に入党したこと、同原告が昭和四四年六月六日まで同営業所に勤務していたこと、以上の各事実はいずれも当事者間に争いがなく、右各事実から、原告Fが昭和三五年二月一五日ないし昭和四四年六月六日まで甲府地区の被告内経営細胞の一員であったことを推認することができる。しかし、原告Fが昭和三四年から昭和三六年にかけての経営細胞の責任者であったこと及び被告内における民主青年同盟の拡大強化活動の責任者であったことを認めるに足りる証拠はなく、被告の前記主張はその余の点について判断するまでもなく理由がない。
また、被告は、甲府地区の被告内経営細胞構成員が昭和三五年当時革命時に備えて被告従業員である共産党員等による電源掌握ないし送電遮断のための各人の手順等につき協議したと主張し、右主張に副う証人櫻田清の供述部分があるが、他方、右櫻田が日本共産党からの脱党者でありその後異例の出世をしたことは前示四1のとおりであり、その本訴請求事件における証言態度も一貫して原告らに対する敵愾心に満ちていたことは当裁判所に顕著であること、証拠(証人仲田捷司)及び弁論の全趣旨によれば仲田捷司もまた昭和三七年に日本共産党に入党し後に脱党したことが認められるが、右仲田がその証人尋問において日本共産党に在籍当時右のような協議が行われた旨証言しておらず、以上の各事実を総合すると、証人櫻田の前記供述部分を俄に採用することはできない。
b 職場闘争の中心的指導
ア まず、原告Fが昭和三〇年三月から昭和三一年五月まで及び昭和三三年三月から昭和三四年三月まで東電労組山梨支部甲府分会執行委員を、昭和三三年四月から昭和三四年四月まで同労組山梨支部執行委員を、昭和三四年四月から昭和三六年三月まで同分会書記長(もぐり専従)を、昭和三四年六月から昭和三八年六月まで同労組本部執行委員を、昭和三八年三月から昭和三九年三月まで同分会副委員長を、それぞれ歴任したことは当事者間に争いがなく、同原告が右当時の東電労組本部、山梨支部及び甲府分会の幹部役員として組合活動を中心的に指導していたことを推認することができる。
イ ところで、被告は、原告Fが昭和三三年以降反独占、反企業、反合理化の日本共産党員としての政治的立場から被告のあらゆる合理化施策に反対し抵抗する職場闘争を指導した旨主張するが、証拠(原告F本人)及び弁論の全趣旨によれば、同原告が昭和三三年三月以降組合役員又は個人の言動として組合員の労働密度の上昇を招く被告の合理化施策に反対する立場をとっていたことが認められるものの、右事実から同原告が合理化に関する会議等でその内容につき逐一質問し、その結果反対意見を述べることがあったことを推認できるに止まり、右被告の前記主張のすべてを認めるに足りる証拠はない。そして、右認定事実は、それ自体さしたることではなく消極的評価の対象とみることはできない。
ウ 集団的圧力を背景とする職場交渉による要求実現
また、被告は、原告Fが昭和三四年以降甲府分会書記長(もぐり専従)として原告B(同分会委員長)及び原告G(同分会副委員長)とともに職制支配の排除という目的を公然と掲げてスト権の確立もないまま甲府営業所配電係の人員充足闘争及び入浴券闘争(被告が同年一二月一日現場作業のある従業員に支給していた甲府市内の公衆浴場の入浴券に発行年月日を押印し有効期限を交付当日限りとし従業員がこれを数枚溜めて後日公衆浴場経営主に交付し石鹸を取得することができないように取扱いを一方的に変更したのに対し原告Fらが当時の斎藤所長に対し集団抗議をし、その復活を実現させたもの)などの連日の無断業務放棄を伴う集団による職制の吊るし上げ又は業務規制闘争(業務切捨ないし足切闘争)を手段として被告との職場交渉を中心的に指導したと主張し、右主張事実のうち、原告Fが昭和三四年以降甲府分会書記長(もぐり専従)として原告B(同分会委員長)及び原告G(同分会副委員長)とともに職制支配の排除という目的を公然と掲げて行動したこと、甲府営業所配電係の人員充足闘争を指導したこと、原告Fが入浴券の取扱変更問題について先頭に立って当時の斎藤庄三所長に業務放棄を伴う集団抗議をしたことは、いずれも当事者間に争いがなく、更に甲府営業所配電係の人員充足闘争における業務規制の違法性については前記(二)(1)②ⅱbのとおりであり、更にその余の前記被告主張については、これに副う右斎藤の陳述書(<書証番号略>)の記載及び同人の供述部分がある。
しかし、まず、甲府営業所配電係の人員充足闘争につき被告が違法性の強いものと認識して対応していなかったことも前記(二)(1)②ⅱbのとおりであり、証拠(<書証番号略>、原告B本人)及び弁論の全趣旨によれば、同闘争が昭和三四年四月六日から同年七月三〇日までの間職場交渉、職場懇談会又は事務折衝などの形態で行われたこと、職場交渉が昭和三四年七月二日、同月一五日、同月一八日、同月二一日及び同月二三日の計五回行われていること、以上の各事実が認められ、右の各事実によれば、原告Fが右の各職場交渉の間にわざわざ当時の前記斎藤所長の執務室に押し掛けることは無意味であると認められ、同原告が右闘争において連日の無断業務放棄を伴う集団吊るし上げを指導した旨の被告主張及びこれに副う前記各証拠は俄に採用することができない。
また、証拠(<書証番号略>、原告F本人)及び弁論の全趣旨によれば、入浴券闘争は原告Fらが意図的に指導した闘争ではなく被告が従前の入浴券の取扱いを一方的に変更してきたため現場作業のある職場の従業員が怒り当時の分会役員である原告Fらを呼びつけたのを受けて同原告らが右従業員らとともに当時の斎藤所長に対し集団抗議をしたというものであること、被告が翌日から入浴券の取扱いを元どおりにしたこと、以上の各事実が認められ、右各事実によれば右闘争が自然発生的で一過性の前記従業員の怒りに基づいた行動であったことが認められ、右行動自体違法でないとは言えないものの同原告らが特に重い指導責任を問われるべき筋合いのものではなかったものと言うべきである。
最後に、原告Fが昭和三四年ごろ前示の外に集団業務放棄を伴う連日の職制吊るし上げを組織指導した旨の被告主張及びこれに副う証拠は具体性に乏しく、また証拠(証人斎藤庄三)及び弁論の全趣旨によれば前記斎藤所長が無断業務放棄を理由として堀内正彦に警告文を出したことが認められ、安保改定反対八次及び九次統一闘争職場集会及び昭和三四年一一月及び同年一二月の甲府分会の職場集会に対して甲府分会組合員のみを対象とする賃金カットを行なったことは前記(二)(1)②ⅱcのとおりであり、もし被告主張の右規律紊乱行為があったとすれば明らかに就業規則や労働協約に抵触することになり当然賃金カット又は懲戒処分の対象となったはずであるところ、前記の集団業務放棄ないし吊るし上げを理由とする原告Fらに対する処分ないし注意が加えられたことを認めるに足りる証拠がないことに照らすと、被告の前記主張はこれを俄に採用することができない。
エ 職場内政治集会
更に、原告Fは、被告の事前警告を無視し、昭和三四年一一月二七日及び同年一二月一〇日の勤務時間中の安保改定反対八次及び九次統一闘争職場集会の指導に関与したこと、これが違法であり消極的評価の対象となることが必ずしも違法性の強い行為ではなかったことは前記(二)(1)②ⅱcのとおりである。
b どおづな事件についての処分
原告Fが原告Gと連名で被告の三類検定ないし研修制度実施に対する反対意見を内容とする職場新聞「どおづな」を作成しこれを原告G及び同Aをして職場内に配付させたことについて被告から譴責処分を受けたこと、同原告が同処分以降も同検定及び研修を受けなかったことは、いずれも当事者間に争いがなく、右作成配布が被告の規律に違反する行為であると認められることは前示二2(六)(2)のとおりである。もっとも、証拠(原告F本人)及び弁論の全趣旨によれば、原告Fが定年の際に自らが精通した電設業務に関する自己の蓄積を集大成しこれを後輩に伝えるためのマニュアルの作成を行なっていること、同原告が右当時一般的に労働者の能力向上、技術の蓄積に反対したものでないことが認められ、前記処分に掛かる同原告の行為をその自己啓発の努力の欠如のあらわれであるとしてこれを消極的評価の対象とすべきものとまではいえない。
c 企業秘密の漏洩の有無
被告は、山梨民報木下記者が昭和四九年一月二六日石和サービスステーションに来て同原告から小林中電柱移設問題について事実を曲げた情報を得て同月二八日その話をもとに山梨支店輿石課長待遇の席を訪れて右取材源を明かしたうえ同人から裏付け取材をし、その結果が昭和四九年二月一四日の赤旗関東甲信越版の記事となった旨主張する。
しかし、右赤旗記事の内容は前示二2(六)(5)のとおりであるところ、まず、右小林が財界の大物であること、右工事が申込から一三日間で完了したこと、山梨民報木下記者が同年一月二八日山梨支店輿石課長待遇の席を訪れて右移設工事について取材したこと、以上の各事実はいずれも当事者間に争いがなく、証拠(証人輿石保明、<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば改修受付箋記載の需要家希望日が当初一月末であったこと、右小林が被告本店に苦情を申し入れたこと、被告本店が被告山梨支店甲府営業所に再検討を指示したこと、被告設計担当者が右記載を同月二〇日に書き替えたこと、被告の書類の訂正方法は訂正文字に二重線を引き余白に正しい記載をするものであること、右書替えが消しゴム等による抹消後新たな日時を書き込むという方法でなされていること、昭和四九年一月一〇日付の業務日誌には特記事項の受付関係の欄に社長特命事項の処理という記載があったこと、右記載が抹消されたこと、停電周知期間も通常より一日短い二日間であったこと、そのため周知対象の需要家に対し規程に従い電気使用料の割引義務を負ったこと、右移設工事が同月一八日に完成したこと、被告設計担当係長の判断では右工事期間が比較的短いものであったこと、以上の各事実が認められ、以上の各事実を総合すると、被告が財界の大物である右小林の苦情に即応し異例のスピード工事をしたことが認められるのであり、前記赤旗の記事は概ね事実を伝えるものであったといわねばならない。
また、報道関係者が次回以降の取材拒否を恐れ取材源を決して明らかにしないことは経験則であり、山梨民報が赤旗の地方新聞であること、日本共産党が労働者階級の利益の擁護を図る目的を有していることはいずれも公知の事実であり、その木下記者が徒に同原告を窮地に追い込むようなことをするとは考えられず、同記者が輿石課長待遇に取材源が原告Fである旨話した旨の被告主張及びこれに副う陳述書はいずれも俄に採用することができない。
更に、原告F以外の被告関係者も同問題について取材を受けていることは当事者間に争いがない。
以上の各事実を総合すれば、木下記者が昭和四九年一月二六日石和サービスステーションにおいて原告Fから前記電柱移設問題について事実を曲げた情報を得てこれを漏らした旨の被告主張は理由がない。
③ 標準者より劣悪か
以上①及び②によれば、確かに原告Fが昭和三四年には組合幹部として違法な職場闘争を指導し、昭和三九年には「どおづな」事件で処分を受けるなど消極的評価の対象となるべき被告の企業規律を乱す行為をしたことが認められるが、他方、同原告が昭和三三年以前は申し分のない業務実績を重ね、格下げされてでも被告業務をより広く了知しようとするなど職務意欲の点でも特筆すべきものがあり同年以前は同期入社同学歴の標準者以上の積極的評価を受けて然るべき業務実績であったこと、同原告が昭和三七年一二月以降合計二三年間にわたり電設業務を担当しその業務処理に精通し被告業務に貢献したこともまた前記認定のとおりであり、これらの事実を総合すると、同原告が少なくとも昭和四八年一〇月以降において同期入社同学歴の標準者以下の給与関係の処遇を受けるべきであったとは言えないものと言わねばならない。
(2) 原告Fの職務遂行能力
原告Fが台帳業務時代から割り当てられた以上の関係業務をこなし、他に多くの先輩がいるにもかかわらず入社後三年半余りで台帳業務からより高度な職務である調定業務への担務変更を命じられ、かつ、調定業務時代にも割り当てられた以上の関係業務をこなし上司である大久保真一係長からミスの少ない几帳面で固い仕事をする旨の評価を受けていたことは前示(1)①ⅰ及びⅱのとおりであり、証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば当時の平井所長が同原告に何度も東京都内の支社に転勤して東京電力の主流である旧東京電灯の仕事のやり方を学ぶのと並行して大学の夜間部に入学して学歴を身につけることを勧めたこと、被告山梨支店労務課長青木運吉が昭和三五年二月ころ同原告に人事考課上最上位に格付けされている旨を述べたこと、以上の各事実が認められ、以上の各事実を総合すると、被告が同年当時同原告につき同期入社同学歴の標準者よりも遥かに勝る職務遂行能力を有しているものと評価していたことを認めることができる。
次に、原告Fが昭和三四年四月ないし昭和三六年四月の間東電労組甲府分会書記長(専従)をしたことは②ⅱbアのとおりであり、同原告がこの間の甲府営業所配電係の人員充足闘争のヤマ場では組合役員として職場交渉を繰り返したことは前示②ⅱbウのとおりであり、証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、同原告が右職場闘争と相前後して、山梨県議会及び甲府市議会の各議員選挙、次いで参議院議員選挙の選挙運動もした外、年七七万円の組合費で組合員のための人間ドックの実施、物資配給、床屋経営、食堂及び寮の管理運営、スキー、卓球及びバトミントン大会などの企画、運営及び補助等の繁雑な日常業務を管理ないし実行したこと、伊勢湾台風が同年八月来襲したため組合員宅の被害調査に明け暮れ一〇〇万円を超える共済給付金を給付したこと、日米安全補償条約改定を巡る政治運動が行われていたこと、同原告が労働組合運動を通じ組合員から「分析のブンちゃん」と呼ばれ高い評価を受けていたこと、以上の各事実が認められ、右各事実によれば、同原告には相当高度の事務処理能力ないし問題解決能力が備わっていたことが認められる。
更に、証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、被告山梨支店甲府営業所元営業係長三城清彦が昭和四二年当時原告Fの上司であったこと、同係長が同原告に電設の知識があることを認めていること、原告Fが昭和四七年ないし昭和四九年の約二年間石和出張所において受付業務を手際よく処理し同出張所所長が出張等で不在となっても一人で業務を処理し問題となるようなことは一件も起きなかったこと、元同出張所所長山口新が右事実を認め同原告が営業のベテランである旨の評価をしていること、電気工事工業組合の櫛形支部長一宮和雄(増穂町の電気工事店経営者)が昭和四五年頃以降電気工事店の仲間とともに同原告につき親切で仕事にも精通し自らの申込処理が速いばかりでなく受付業務全体がスムースに処理されるようもたついている若い被告従業員に色々と忠告指導するうえ業者を良く指導すると評価し「電設の神様」と呼んで絶大な信頼を寄せ続けていること、以上の各事実が認められる。
以上の各事実によれば、原告Fが同期入社同学歴者の標準者を下回る職務遂行能力しか有していなかったとは認められないことは明らかである。
(七) 原告G
(1) 原告Gの業務実績
① 積極的評価要素の有無
ⅰ 業績の概要
争いのない事実、証拠(<書証番号略>、原告G本人)及び弁論の全趣旨によれば、原告Gが昭和二七年四月一日被告に入社し当初被告山梨支店総務課に配属されたこと、被告が同原告に対し昭和二八年一〇月ころ甲府営業所新築工事の設計の手伝いを命じたこと、山梨電力所土木課建築係(大月所在)が右設計を担当していたこと、そこで、同原告が大月に出張し同係において被告本店所属の大津氏の教えを受け甲府営業所新築工事における基礎伏図(建物のコンクリート製基礎の図面)、軸組図(建物の柱の位置図)及び小屋伏図(屋根の平面図)等を初めて設計したこと、同原告が昭和二九年六月山梨支店土木課建築係に配属されその直後に甲府営業所新築工事の工事監理の手伝いに従事したこと、同原告が右以降退職まで約三九年間一貫して山梨支店土木課建築係として発変電所や営業所等の建物の新増築や修繕等の設計工事監理の業務に従事し、以下のⅱないしⅵの特徴的な工事の他に、失火焼失した上野原出張所の建替工事(昭和三一年)、旧韮崎営業所の増築工事、西原、台ケ原、南部、角瀬、六郷及び清里等(昭和四二年九月ごろ)の派出所(勤務員の住宅兼用の各地営業所の出先機関)の建替工事、韮崎送電所の新設工事(昭和四二年。事務所一棟、社宅九戸)、山梨変電所配電盤室増築工事(同年)、市川変電所新築工事(同年。監視室一棟、社宅二戸)、韮崎営業所新築工事の工事管理(昭和四五年ないし四六年。前任者から引き継いで担当。)、飯田町社宅建替工事(昭和四七年)、大月工務所仮社屋新築工事(昭和五〇年)、塩山自動制御所新設工事(昭和五一年)、河口湖変電所の建替工事(昭和五二年)などを担当したこと、以上の各事実が認められる。
ⅱ 石和荘新築工事
争いのない事実、証拠(<書証番号略>、証人丸山重治、同樋口栄一、原告G本人)及び弁論の全趣旨によれば、被告本店労務部が昭和三九年四月ごろ同年度環境整備計画の一つとして福利厚生施設である石和荘新築工事を決定したこと、石和荘が亀岡荘(千葉県所在)、綱島荘(京浜地区)に次ぐ被告所有の三番目の福利厚生施設であること、石和荘新築工事が同年五月一六日亀岡荘又は綱島荘とは異なり被告本店ではなく被告山梨支店により企画(収容人員、設備、車両等の決定と予算計上)及び基本計画(建物配置、構造、面積等の基本設計と総工事費の算定)並びにその実施の決定がされたこと、建築計画の基本プラン作成段階では特別の建築知識を要しないこと、基本設計が建築計画の概要を決定するものであり被告では管財課の業務とされていること、建築係が基本計画案における建築構造、意匠及び設計図作成に協力する定めとなっていること、そして、基本設計のみでは工事を実施できずその実施には実施設計すなわち設計図面(平面図、立面図、各部分の詳細図等)及び設計書(工事材料、工事費を記載したもの)の作成が必要であること、右作成が建築技術者の本領であること、石和荘新築工事では被告本店建築部建築課の松田栄祐主任が基本設計を担当したこと、原告Gが実施設計ないし工事監理(工事内容及び工事の進捗状況等のチェック)を担当したこと、同原告が上司である被告山梨支店建築係長風間とともに松本の寮、亀岡荘及び甲府市内の旅館を見て歩き石和荘の内装を和風に徹して設計すること特に風呂については壁や天井がタイル又はプラスター塗りだと湯気がすぐ冷却され水滴となって落ちるばかりでなく和風に合わないことから松田主任が基本設計から実施設計まで担当した亀岡荘や綱島荘とは異なり表面を焼いた杉板を使用するなど工夫を凝らしたこと、一方松田主任も実施設計や材料の選択につき風間係長に指示を出していたこと、同原告が牧田(昭和三四年入社)、渡辺(昭和三八年入社)、長田及び横森を指導し物置、天井伏図、厨房等の簡単な設計図面を作成させたこと、被告本店建築部建築課が給排水及び電気設備関係の設計につき協力したこと、松田主任が工事監理にはタッチしていないこと、被告本店高見建設部長代理が石和荘がよく出来ていると評価したこと、以上の各事実が認められ、以上の各事実によれば、石和荘新築工事が独り原告Gの力によって完成したものとは言えないことは勿論であるが同原告が担当者として同荘の立派な出来栄えには少なからず貢献をしたことが認められる。
ⅲ 山梨支店仮社屋改修工事
原告Gが昭和四〇年ないし四一年の間被告山梨支店の建替工事中仮社屋として甲府駅北口にあった山梨県繭検定所の建物を改修して使用するための工事を担当したこと、入社二年目の長田一三、佐久間栄治及び渡辺正憲並びに給電所から建築業務へ職種変更して三年目の横森幸雄が係員として同工事に携わったことは、いずれも当事者間に争いがなく、証拠(<書証番号略>、証人丸山重治、原告G本人)及び弁論の全趣旨によれば、同工事の建築面積が二六五五平方メートルであったこと、右建物が明治時代の木造建物であったため使用する設備を想定して使用に耐えるか否かをすべての部屋についてチェックしなければならず手間のかかる工事であったこと、これを設計監理するには各課の業務内容を理解しかつ各課との連絡調整や意見調整を十分にすることを要したこと、同工事の設計書が最終的には九八枚になったこと、前記係員らがいずれも入社間もないか経験が浅く建築技術に未熟で本来簡易な修繕工事の担当であり、先輩の行う大規模な建設工事のうち設計、工事監理の補助業務をするのみであったこと、したがってむしろ同原告が未熟な前記係員らを指導しつつ右補助業務を分担させ同工事の設計、監理をしたといえること、他方で原告Gが石和荘の新築工事も担当していたことは前示のとおりであること、そこで、同原告が残業を続けこれを完成させたこと、以上の各事実が認められる。以上の各事実によれば、同原告が前記工事において並々ならぬ労苦を費やしその完成に貢献したものということができる。
ⅳ 身延営業所の新築工事
原告Gが昭和四二年から四三年の身延営業所新築工事において当初基本設計を担当したこと、被告が右工事の実施設計を被告子会社の東電設計に注文したこと、同原告が工事管理を担当したことは、いずれも当事者間に争いがなく、証拠(<書証番号略>、証人丸山重治、原告G本人)及び弁論の全趣旨によれば、営業所の新築工事計画が予算や要員計画も理解し営業所の各部署相互の調整をしたうえ基本設計をしなければならないので建築係にとっては重要で能力の要求される業務であること、身延営業所が従業員八〇名建築面積六九〇平方メートルの鉄筋鉄骨の大型建物でありより高度の能力を要求されていたこと、そして、工事監理も基本設計段階で出ていた各部署の要求がすべて満たされるようになされなければならず設計段階に全面的に参画していなければ責任をもった工事監理ができないこと、そこで、基本設計途中で担当者を外し後の工事監理のみやらせるということは特別な事情のない限りありえないこと、然るに、同原告が昭和四四年には韮崎営業所建替工事を昭和四七年には櫛形営業所建替工事をそれぞれ担当したことは前示ⅰのとおりであること、以上の各事実が認められ、右の各事実と前記争いのない各事実を総合すると、同原告が前記工事の基本設計段階から工事監理までの全段階に参画していたことが認められる。
被告は、基本設計の段階から原告Gに担当させたことを認めつつ、同原告が与件すなわち被告本店の各担当部門が判断し建物委員会が承認した収容人員数や需要想定自体にまで難癖をつけて計画作業をせずついには同与件を無視し作業員の詰所や女子更衣室の面積を社内基準よりも広くしその分営業課や料金課の事務室の面積を狭くする基本設計案を出してこれを営業課や料金課に強硬に了承させようとして反発を買い作業が暗礁に乗り上げたため、丸山係長が基本設計からやり直しその実施設計を東電設計に委託せざるをえなくなり、同原告には結局工事監理のみをさせたと主張し、右主張に副う陳述書等の書証ないし証人丸山の供述部分がある。しかし、同証人の身延営業所建替工事の基本設計、実施設計等に関する記憶には混乱があり、また、同原告が反対趣旨の供述をしていること及び前掲各証拠に照らせば、被告の前記主張及び前記各証拠は、いずれも俄に採用することができず、他に前記認定を左右するに足りる証拠はない。
ⅴ 上野原サービスステーションの建替工事
原告Gが昭和五一年一〇月ないし昭和五二年三月の間上野原サービスステーション(以下サービスステーションを「SS」と表記する。)建替工事を担当したことは当事者間に争いがなく、証拠(<書証番号略>、原告G本人)及び弁論の全趣旨によれば、清水栄一係長及び横森幸雄主任が本店建築課の指導助言を得て大成プレハブが発案し東京都新宿区所在の高田馬場SSの建築に採用されたパルショップと間取構造をその様式とする右工事の基本計画を決定したこと、上野原SSの工事が計画から工事完了まで五か月間で完了させなければならないという条件を付されていたこと、同SSの規模が従業員二〇名用ということで他のSSが三名程度であることと比較すると大規模であったこと、同原告が現場に何度も足を運んで綿密な打合せをし昭和五一年一〇月に担当者として(上司の監督はあったが他に担当者はいなかった。)その実施設計を行い同年一一月に官庁手続及び請負付託を行い同年一二月一〇日の着工にこぎつけ正月休みを含めて三ヶ月という短い工期に厳冬の上野原に出張して工事監理をし工事を完成させたこと、被告山梨支店が同時期に担当者のみが異なる都留SSの工事につきパルショップを採用し工事を完成させたこと、被告山梨支店が上野原SSの工事で昭和五一年度店所優秀作品賞(店所建築部門の技術向上を図るために設けられた賞で、上位の優秀賞と入賞がある。)に応募したこと、被告本店建築部建築課が同工事につき昭和五一年度店所優秀作品入賞(同年度には他に上位の優秀賞が一件、入賞が二件あった。)の表彰をしたこと、先行していた高田馬場SSの工事は入賞しなかったこと、以上の各事実が認められる。以上の各事実によれば、上野原SSが同原告のみの尽力で建築されたものではないとはいえ、被告の他の支店管内に同様式の先行する建替工事があったにもかかわらず同原告が担当した上野原SSのみが表彰を受ける結果となったことに照らせば、同原告が右受賞に貢献したことは明らかである。
ⅵ 谷村発電所床面改修工事と効率化工事の提案
証拠(<書証番号略>、原告G本人)及び弁論の全趣旨によれば、被告が昭和五三年ごろ効率化工事すなわち工事の計画及び実施の各段階でより効率的で経済的な工法を検討し選択して実施する施策を推進していたこと、山梨県内の水力発電所が大正年代から昭和初期に建築された古いもので床面が劣化していたこと、これを補修するための従来工法が劣化した床面コンクリートを全部削り取り新たに全面にコンクリートを打ち直すというもので発電コストの低い水力発電を少なくとも一五日ないし二〇日間停止させなければ改修出来ず被告に莫大な損失を与えていたこと、そこで、被告山梨支店建築係の係員がそれぞれ塗料メーカー又はコンクリート製品を扱っている業者に新素材の有無を照会するなどして情報収集に努めていたこと、原告Gが同年一一月ごろ谷村発電所床面改修工事を担当したこと、同原告が右改修工事において新工法すなわち破損部分のみ削って補修し施工完了後わずか三時間で歩行可能となり全体の工期が三日で終了ししかも一平方メートル当たりの工事費を従来工法の五分の三にすることができる西ドイツ製の樹脂性塗装床材トップメントQを床全面に塗る工法を採用したこと、同原告が昭和五四年六月被告社内報の店報やまなし一七四号において右新工法について紹介していること、被告本店建築部建築課が昭和五五年九月建築関係コスト低減に関する改善策の集約について(中間報告)と題する文書で谷村発電所床面改修工事の例を引き右新工法の採用を促していること、被告各支店ではその後右新工法が利用されてきたこと、以上の各事実が認められ、以上の各事実によれば、同原告が他の係員とともに積極的に新素材の情報収集に努め情報を得た後進んで新工法を採用し、水力発電所の劣化した床面の補修の工期及び工費の著しい効率化を図り、そのことで被告本店からも評価され、更に新工法を被告山梨支店管内に普及させる功績があったことが認められる。
ⅶ 以上ⅰないしⅵの各事実によれば、原告Gが被告山梨支店土木建築課建築係の従業員として被告の主要な建築物の設計及び工事監理を通じて、被告の業務に多大の貢献をして来たことが認められる。
② 消極的評価要素の有無
ⅰ 職務懈怠の有無
a 長時間の無断離席の有無
原告Gが昭和三一年東電労組山梨支店甲府分会執行委員に、昭和三四年同分会副委員長に、それぞれ就任したことは、いずれも当事者間に争いがないところ、被告は同原告が右執行委員になった以降無断で離席することが多くなり右副委員長になった後は上司の度重なる注意にもかかわらずこれを無視して連日のように長時間の離席を反復するようになり、昭和四〇年ないし昭和四四年の間及び昭和四七年七月ないし昭和四九年一二月の間もこれを継続した旨主張し、右主張に副う陳述書の記載及び被告申出証人の供述部分がある。
しかし、証拠(<書証番号略>、証人樋口栄一、同丸山重治、同山下進、原告G本人)及び弁論の全趣旨によれば、組合幹部が勤務時間中に組合活動のため離席することは右当時の労働協約により上司の了解がありさえすれば許容されることになっていたこと、また、被告申出証人が揃って原告Gの長時間で頻繁な無断離席につき報告を受けていたと供述する一方これを現認して注意したとは証言していないこと、更に、同原告が右無断離席を理由とする処分を全く受けていなかったこと、以上の各事実が認められ、右各事実によれば、原告Gが故意に上司の了解を得ず無断離席をしなければならない動機に乏しく、他方、もし同原告が長時間かつ頻繁な無断離席を反復していたとすれば前記証人らが一度もこれを現認しなかったとは考え難く、また前記証人らが同原告の無断離席について報告を受けていながら同原告に対し何ら処分をしないのは不自然であり、右の点と同原告が反対趣旨の供述をしていることとを総合すると、被告の前記主張及びこれに副う前記陳述書の記載ないし供述部分はいずれも俄に採用することができない。
b 日常業務における職制に対する反抗ないし業務妨害の有無
ア 大橋四郎建築係長に対する反抗の有無
原告Gが昭和三三年四月ないし昭和三六年三月まで大橋四郎建築係長の部下として設計業務に従事したことは当事者間に争いがない。
そして、被告は、同係長が同原告に対し建物の構造部分、屋根又は壁の材料を被告が定めている基準に従い使用するよう指示しても自らの意見に固執して容易に従わず、同係長がこれを命令すると「それならそっちがやればいいだろう」などといって反抗した末不承不承これに従うということがあり、また、同原告が同係長に設計図面を修正されると自席にそれを持ち帰った後に同係長の目に留まるところで丸めて捨てるという露骨な反抗的態度を取ったことすらあるなど、事々に反抗していた旨主張し、右主張に副う陳述書の記載があり、原告Gも同原告が大橋係長と技術的な問題で多少声高に意見を言い合い又は同原告が同係長にかなり厳しく叱責されたこともあることを自認している。
しかし、証拠(<書証番号略>、証人樋口栄一、同丸山重治、原告G本人)及び弁論の全趣旨によれば、証人丸山が前記大橋係長在任中の三年間原告Gと机を並べていたこと、然るに、被告主張に副う前記各証拠はいずれも伝聞供述であり証人丸山又は同樋口は同原告と同係長が直接言い合いをする現場を目撃したことはないこと、以上の各事実が認められ、右各事実によれば、少なくとも同原告が事々に同係長に反抗していたことを認めるに足りず、同原告と同係長との言い合いが同原告の同係長に対する敵意に基づく反抗であったとまでは認めることができない。
イ 及川林市土木課長に対する反抗の有無
原告Gが昭和三三年一二月及川林市土木課長の部下になったこと、同課長が同課員の上位の者から順次自席の前に呼び出して賞与を交付する慣例があったことは、いずれも当事者間に争いがない。
そして、被告は、同課長がその終わり頃に同原告に対し賞与を交付しようとしたところ大声で「あんたに賞与を貰う理由はない」と称してその受領を拒否し同課長が「私の机の上に置くからもって行け」といってこれをその机の上に置くと黙ってそれを持ち引き上げるという異常な態度を示した旨主張し、右主張にはこれに副う陳述書の記載がある。
しかし、証拠(<書証番号略>及び弁論の全趣旨によれば、同原告が他の場合に被告主張のような賞与の受取拒否をしたことがないことが認められ、他方、被告主張の同原告の態度は甚だ唐突かつ不自然であるところ同原告がこのような異常な態度を新任の同課長のみに示した動機が不明であること、同原告作成の反対趣旨の陳述書があること、以上の各事実を総合すると、被告の前記主張及びこれに副う証拠を俄に採用することはできない。
ウ 櫛形営業所建替工事における反抗の有無
原告Gが昭和四七年五月被告山梨支店五十嵐建築係長とともに櫛形営業所建替工事の担当者としてその計画案を携えて被告本店建築課課員小泉を訪れ同案につき本店の了承を求めたこと、同案が被告山梨支店の建築委員会の協議を経た案であったこと、しかし、同案には右小泉の示した建物配置の点で意見の不一致があったこと、そこで、右小泉が被告本店建築課長島田及び営業計画課長佐藤太仲の意見を聞いたことは、いずれも当事者間に争いがない。
そして、被告は、同原告らが携えて行った建物配置案(以下「支店案」という。)が本店の基本方針に反し北側隣地(隣地の南側)に建物の陰を落とす内容のものであったため同課員が同案の修正(以下「本店案」という。)を求めたにもかかわらず同原告が支店案としてまとまっているとして自らの意見に固執し、前記島田課長及び佐藤課長の意見が前記小泉と同じであったことから再度五十嵐係長に修正を求めその了承を得たのに同原告が大声で口出しをして押し問答となったため右小泉が自ら本店案を作って山梨支店で関係各課に説明することとしその場を収め数日後本店案を携えて同支店で説明し同案が決定されることになった旨主張し、右主張にはこれに副う被告提出の多数の陳述書の記載がある。
しかし、証拠(<書証番号略>、原告G本人)及び弁論の全趣旨によれば、支店案が近隣にある櫛形町役場の意向を配慮し北側隣地が畑であり隣地に主要な建物の陰を落とさないようにするため主要建物を用地の中央に配置する案であったこと、しかし、被告では大規模な建築物の基本設計について各支店が原案を起案し、建築課が本店各部との調整をしその了解を得て本店の稟議を得た基本設計図面を基本計画書に添付して各支店に送付する仕組みとなっていたこと、また、被告本店営業部が被告所有地の有効利用の観点から用地の隅に建物を配置する方針をもっていたこと、そこで、最終的な建物配置図では主要な建物が用地南側に寄せられて作られていること、しかし、支店案でも作業用車輛置き場を北側境界線に沿って配置し敷地の有効利用を図ることすなわち主要建物がその分南側に寄せられること及び建物東西に沿ってそれぞれ需要家車両のための通路部分及び車輛置き場が配置されていること、以上の各事実が認められる。右の各事実によれば、前記営業所の建物配置に関する支店案と決定された配置図とではその主要な点で同じであり、主要な建物が用地の南に寄せられている点で異なるに止まることが認められるのであり、もし決定された配置図が当初からの本店案であったとすれば、本店案と支店案とは隣地耕作者に配慮するという同じ趣旨の配置案で前記小泉と原告Gらが容易に調整に応じたはずであるのに現実には調整が難航したことは争いがないこと、地元にある被告山梨支店が近隣に櫛形町役場を控えその意向を受けながら隣地耕作者の利害と真っ向から反対する案すなわち主要な建物を北側境界に接して配置する案を作ることは通常考え難いこと、以上の各事実を総合すると、むしろ右小泉が当初被告本店営業部の前記方針に沿い農村地帯の実情に配慮せず主要な建物を北側境界に沿って配置する修正案を原告Gらに示したため調整が難航したこと、被告本店が同山梨支店の意見を容れつつ用地の隅に主要な建物を建てる折衷案でまとめ右小泉がその旨の図面を作成して本店の稟議を終え、基本設計図面を添付して基本計画を被告山梨支店に送付したことが窺われ、被告の前記主張及びこれに副う各証拠はいずれも俄に採用することはできない。
したがって、右の調整の難航を原告Gの責任とし、これを消極的評価要素とすべきではない。
エ 横森主任及び間仁田建築係長等に対する業務妨害等の有無
横森幸雄主任が昭和四一年九月ないし昭和五三年二月の間原告Gの直接の上司であったこと、間仁田桂八建築係長が昭和四七年七月ごろ同原告の上司であったこと、長田一三が同月ごろ早川第三発電所本館の改修工事設計図の作成を担当していたことは、いずれも当事者間に争いがない。
そして、被告は、同原告が右横森主任に対し特定の設計業務を命じられても八級職だから八級職の仕事しかやらないなどと称して露骨に反抗し、かつ、同主任が部下に業務上の指示を与え又は打ち合わせをしているときに再三の注意にもかかわらず同主任の指導に反する内容の口出しをしてその業務を妨害し、右間仁田係長が係員長田を自席に呼んで修正を指導していたところ長田君の考えたように設計すればよいんだなどと余計な口を執拗に挟み同係長が注意すると最後は激昂して突っ掛かり業務妨害をするなど、歴代係長の業務をしばしば妨害した旨主張し、右主張にはこれに副う被告提出の陳述書の記載が多数ある。
しかし、証拠(<書証番号略>、証人山下進、原告G本人)及び弁論の全趣旨によれば、山下進が昭和四四年四月ないし四八年八月まで被告山梨支店土木建築課長を務めたこと、右山下課長の席と原告Gの席とは五メートル前後しか離れていなかったこと、同課長と建築係長の席とは二ないし三メートルしか離れていなかったこと、然るに、同課長が同原告の建築係長に対する業務妨害を現認したことがないこと、以上の各事実が認められ、また、同原告が同課長のいないときに限って歴代係長の業務を妨害すべき理由を認めるに足りる証拠もなく、他方、同原告が反対趣旨の供述をし、陳述書を提出していること、以上の各事実を総合すると、被告の前記主張及び前記各証拠は俄に採用することができない。
オ 支店長宅改修に対する暴言の有無
最後に、被告は、原告Gが昭和四八年八月ごろ前記間仁田係長に聞こえよがしに支店長社宅改修工事につき「店長のところなんか改修する必要はない」などと大声でまくし立てた旨主張し、右主張にはこれに副う右間仁田作成の陳述書の記載があるが、右陳述書記載事実については他に採用し難い部分があることは右エのとおりであり、右陳述書のみで被告の右主張事実を認めることはできず、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はない。
カ 以上によれば、原告Gが上司との間で技術的な問題で声高に意見を言い合ったことがあることが認められるが、同原告が語気を強め激昂し食ってかかるという態様で上司に反抗するのが常であった旨の被告主張事実はこれを認めるに足りる証拠がないといわねばならない。
b 非協調的か否か
次に、被告は、原告Gが昭和四五年ごろ後輩の牧田が同原告の上級である七級職に、同渡辺、佐久間及び長田が同級である八級職に任用された時に「一〇年も後輩と同じ職級か」などと大声で嫌味を言って職場の雰囲気を壊し、昭和四七年七月ないし昭和四九年一二月の間には特に同僚全員が締切期限のある予算業務等のため残業をし係長から残業を命じられてもこれを無視して終業時刻の約五分前には業務を打ち切り机上の片付けを始め同時刻に帰宅することを繰り返し、他部門との打合せでは自己の意見に固執し話を壊してくるため上司がそのフォローをせざるを得ず迷惑をかけるなど他の従業員が上司の命令に従って互いに応援しあい一生懸命に業務を遂行している中でただ一人職場におけるチームワークないし円滑な業務処理を害していたと主張し、右主張にはこれに副う多数の被告提出の陳述書の記載及び証人山下進の供述部分がある。
しかし、他方、証拠(<書証番号略>、証人山下進)及び弁論の全趣旨によれば、原告Gが建築課内の業務処理の面で口論にわたるようなことはなかったこと、若手従業員との関係もほぼ良好に推移していたこと、被告山梨支店内の他課との打合せでは何度か言い合いとなることがあったこと、山下進もそのこと自体は問題ではないことを認めていること、同原告が右言い合いでやや興奮し過ぎるという感じであったに過ぎないこと、同原告に対し業務命令に対する残業拒否を理由として終業規則上何らの処分もなされていないこと、以上の各事実が認められ、被告の前記主張のその余の事実については同原告の反対趣旨の供述もあることに照らせば、同原告が職務熱心からやや興奮して他課の者と言い合いをしがちであったことが認められるに過ぎず、被告主張のその余の事実を認めるに足りず、以上をもって同原告が非協調的であったとまでは言えない。
c 独断に基づく設計の有無
原告Gが昭和五一年富士吉田制御所社宅の修繕工事を担当したことは当事者間に争いがない。そして、被告は、同原告がその際未だ自然条件により特にアルミサッシを使用することが必要な事情がある場合にのみその使用が認められていたに過ぎないのにそのことを承知で上司に無断で下請業者にその使用を指示して設計を委託し業者から設計書を提出された清水栄一建築係長が同原告に設計委託のやり直しを命じても拒否した旨主張しており、右主張についてはこれに副う同係長作成の陳述書(<書証番号略>)の記載があるが、これを裏付けるに足りる客観的証拠は提出されておらず、右主張及び陳述書の記載は同原告の反対趣旨の供述に照らし、俄に採用することができない。
d 勤務時間中の「赤旗」読みの有無
最後に、被告は、原告Gが昭和四七年七月ないし昭和四九年一二月の間しばしば勤務時間中に「赤旗」を読んでは業務を懈怠し当時の間仁田建築係長が注意するとふて腐れるなどの態度をとったと主張し、右主張に副う同係長作成の陳述書の記載もある。そして、同陳述書では、同原告の席が同係長の斜め前であったので同原告が製図板と机の間に赤旗の一部を差し込みその手前で下方を向いて読んでいたところこれを見つけたとされているが、もし、同原告が同係長に発見されないように赤旗を読むつもりであれば同係長の斜め前でそのように容易に発見されるような不自然な格好で赤旗を読む筈はないこと、同陳述書には他にも俄に採用できない記載内容があることに照らし、同陳述書の前記部分についてもこれを俄に採用することはできない。
ⅱ 規律紊乱行為の有無
a 職場闘争の中心的指導、遂行があったか
原告Gが自ら日本共産党に入党すれば被告に逆らうことになることを認識していたこと、同原告が日本共産党に入党したこと、同原告が昭和三四年三月から二年間甲府分会の副委員長及び昭和三六年度の同分会執行委員を務めたこと、同原告が当時の職場闘争を組合幹部として指導したこと、以上の各事実についてはいずれも当事者間に争いがない。
そして、被告は、同原告の右認識がすなわち日本共産党員として反企業活動をすることを意味し、同原告が前記の組合幹部の地位を通じ又は一従業員として労働者大衆による被告業務に対する非協力及び非協調と反対及び反抗の職場闘争を中心になって指導、煽動、遂行せしめ、職場の規律を著しく紊乱し従業員の服務意欲を阻害した旨を主張する。
しかし、被告が昭和二六年以降既に日本共産党員を入社させない政策をとり共産党員等を「企業破壊者」ないし「生産阻害者」として位置付けて入社以前の思想を必須の調査事項とし入社が内定しても共産党員等であることが判明したときは採用を取消されても異議はない旨の請書を提出させていたことは前示三2(一)のとおりであるから、前記の同原告の認識は同原告の入党自体で被告の右方針に逆らうことになるという意味と解するのが自然である。また、証拠(<書証番号略>原告G本人)及び弁論の全趣旨によれば、同原告が労働者の権利を守るため、懸案事項について順次開催される分会、支部及び本部の各大会を最高決議機関とし、執行委員長、副委員長及び書記長並びに執行委員が大会決議を忠実に執行して行く仕組みに則り、従業員の労働条件を悪化させる合理化案について労使交渉ないし組合活動において反対し又はその合理化案に条件を付して同意するという組合活動を実践してきたことが認められるものの、右以上に同原告が反企業の基本方針の下に被告主張のような職場闘争を行って来たものとまで認めるに足りる証拠はない。
ア 甲府営業所配電係の人員充足闘争の指導について
原告Gは、昭和三四年、原告B及び原告Fとともに、甲府営業所配電係の人員充足闘争を指導し、東電労組本部大会における実力闘争による人員充足闘争路線の決定を導き出したこと、右職場闘争が適正な労働組合活動のルールから外れる違法な職場闘争であったといわざるを得ないこと、しかし、右闘争が一種の集団的な職務懈怠行為というべきものであり、被告としては他の闘争に比べ違法性の弱いものと認識して対応したことは、前示(二)(1)②ⅱbのとおりである。
イ 業務上知り得た事項の職場闘争への悪用があったか
被告山梨支店発変電課の天井板三枚が昭和三六年七月ないし八月ごろ反っていたこと、原告Gが樋口栄一土木課長の指示を受けた宮下建築係長からその点検修理を命ぜられたことは、当事者間に争いがない。
そして、被告は、同原告が天井板の修理を甲府分会の職場要求事項に盛り込むことによって職場闘争の材料にしたと主張し、右主張にはこれに副う前記樋口課長作成の陳述書(<書証番号略>)の記載がある。
しかし、発変電課の天井板が反っていることは発変電課職員なら誰でも分かることであるから職場要求としてその修理が出てきたとしても格別異例のこととも考えられないので、右修理担当者である原告Gがこれを組合に通報し職場要求事項に盛り込ませたものとまで認めることはできず、更に、証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、山梨支部甲府分会昭和三七年七月の定期大会経過報告書の昭和三一年四月以降の要求事項の中に右事項が出ていないことから前記要求がなされたこと自体も疑わしく、以上の各事実を総合すると、被告の前記主張及びこれに副う前記証拠を俄に採用することはできない。
ウ 第二次料金業務集中化反対闘争の遂行について
原告Gが昭和三六年八月ないし一一月の第二次料金業務集中化反対闘争を遂行したことは当事者間に争いがないが、右闘争が適正な労働組合活動の範囲を逸脱する違法な闘争と言わざるを得ないことは、前示(一)(1)②ⅳbのとおりである。
エ 若手従業員の不平不満の煽動の有無
被告は、原告Gが昭和三七年ごろ同年入社の長田一三、渡辺正憲及び佐久間栄治らに対し親切な態度で接する反面、「会社はもうかっているのに自分たちは給料が安い」などと語りかけ被告に対する同人らの不平不満を煽り反抗心を焚き付けた旨主張し、右主張にはこれに副う陳述書(<書証番号略>)の記載があるが、反抗心を焚き付けられたという右三名の陳述書はいずれも提出されておらず、前記主張及び陳述書の記載を俄に採用することはできない。
b 昭和三九年八月の「どおづな」作成配布について
原告Gが原告Fと連名で被告の三類検定ないし研修制度実施に対する反対意見を内容とする職場新聞「どおづな」を作成しこれを原告G及び同Aにおいて職場内に配布したことについて被告から譴責処分を受けたことは当事者間に争いがなく、右作成配布が被告の規律に違反する行為であると認められることは前示二2(六)(2)のとおりである。
c 職場内政治活動について
証拠(<書証番号略>、原告G本人)及び弁論の全趣旨によれば、原告Gが昭和三五年以降若手従業員を対象として時間外に職場内又は従業員寮で日本共産党機関紙赤旗の講読及び入党の勧誘等の党勢拡大活動をしたことが認められるが、党勢拡大活動が右の限度で行われているに止まればこれを被告企業秩序を乱すとまでは言えない。
被告は、同原告が昭和三六年ないし三七年ごろ勤務時間中にも党勢拡大活動を行っていたと主張し、右主張にはこれに副う当時の樋口栄一土木課長作成の陳述書の陳述部分があるが、右陳述書の陳述部分は伝聞でありその情報源が何人かも特定されていないから、前記主張及び右陳述部分を俄に採用することはできない。
d 山梨支店社屋建替工事の計画図面の事前漏洩の疑い
被告は、原告Gが昭和三九年ごろ山梨支店社屋建替工事の計画図面を事前に漏洩した疑いがある旨主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。
③ 標準者より劣悪か
以上の各事実によれば、原告Gが甲府営業所配電係の人員充足闘争及び第二次料金業務集中化反対闘争の指導及び「どおづな」問題について譴責処分を受けたことなどの行き過ぎた労働組合活動をしたこと、同原告が上司又は他課の者と建築技術上ないし業務の調整に際して声高に言い合いをすることがあり時として興奮し過ぎ穏便で円滑な業務処理を図るという面では必ずしも十分でなかったことが認められる。しかし、後者の消極的評価要素は職務熱心が背景にあるとも認められそれ自体重大なものとは認められないこと、また、前者はそれ自体相応の消極的評価の対象となるべきものではあるが他方において同原告が前記①の数々の業務実績を有していることに照らせば、右各事実により同原告が同期入社同学歴の標準者を下回る業務実績しか有しておらず昭和四八年一〇月以降において標準者を下回る給与関係の処遇を受けるべきものであったとまではいえない。
(2) 原告Gの職務遂行能力
まず、証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、被告が入社後真面目に服務した者に対し入社後約二ないし三年までが簡易な修繕工事の担当並びに先輩の行う大規模な建設工事のうち設計及び工事監理の補助を、同三ないし四年から修繕工事、小規模な社宅、変電所、派出所及び出張所等の建設工事を、同六ないし七年から従前の工事の外に水力発電所建屋などの大規模な工務用建物の建設工事を、同一〇年から従前の工事の外に営業所建替など大規模な業務用建物の建設工事をそれぞれ担当させる一般的方針を有していたことが認められるところ、原告Gが入社二、三年目で甲府営業所新築工事の設計の手伝いや同工事の監理の手伝いをし入社四年目の昭和三一年に上野原出張所の建替工事の設計と工事監理を任され入社七年目の昭和三四年には営業所である旧韮崎営業所の増築工事を担当し入社一二年目で支店で初めての厚生施設の石和荘の新築を担当し一三年目で支店仮社屋の改修工事を、一五年目で身延営業所の新設工事をそれぞれ担当したことは当事者間に争いがなく、同原告がまさに高卒社員の平均的な成長過程を辿って建築係の業務をこなしてきたことが認められる。
次に、証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、新陽建設株式会社が昭和四〇年以降殆どの請負工事を被告から受注していること、同社々長が原告Gにつき人柄が良く面倒みの良い人でしかも当時の建築係で一番仕事ができたと評価していることが認められる。
更に、上野原SSの新築工事が昭和五一年度店所建築優秀作品の一つとして山梨支店で初入賞していること、谷村発電所の床面補修の新工法も昭和五三年度本店工務部による山梨支店効率化工事巡視の対象として取り上げられるほど注目評価され実用化されたことは、いずれも前示(1)①のとおりであり、被告も同原告の業務遂行能力を評価していたことが認められる。
そして、証拠(<書証番号略>、証人丸山重治)及び弁論の全趣旨によれば、職制や管理職が一級建築士ではなく二級建築士の場合には支店の社屋や営業所のような大型の建物の建築確認の申請をすることができず業務に支障があるのに一級建築士試験が難関であるため被告多摩支店工務部土木建築課長を最後に退職した丸山重治などのように退職するまで一級建築士の資格を有していない管理職もいるのが現実であるところ、原告Gが在職中である昭和四五年に既に当時の山梨支店で初めて一級建築士の資格を取得していることは当事者間に争いがなく、右各事実によれば、同原告が建築係の従業員として衆に優れた職務遂行能力を有していたことが認められる。
以上によれば、原告Gが同期入社同学歴の標準者を下回る職務遂行能力しか有していなかったとはいえないことは自明である。
(八) 原告H
(1) 原告Hの業務実績
① 積極的評価要素の有無
ⅰ 配電係外線工事班時代
原告Hが昭和二八年四月被告に入社し新入社員研修終了後甲府営業所配電係外線工事班(一班当たり四ないし五名)に配属され昭和三一年六月まで外線工事を担当したことは当事者間に争いがなく、証拠(<書証番号略>、原告H本人(第一回))及び弁論の全趣旨によれば、当時の外線工事班が発電所から変電所を経て各家庭や工場などに電気を送る過程の設備工事全般例えば手作業で穴を掘り何人かで協力しながら電柱を建て昇柱して機器を設置し又は不要な電柱を抜去するなどの重労働を担当したこと、右作業が相応する体力、敏捷性及び注意力を要するとともに全員の意思を一つにしなければ生命の危険を伴うものであったこと、同原告が中学及び高校(一年で自主退学)でラグビーやハンドボールに親しみ運動能力が良かったこと、そこで、同原告がその運動能力を生かして入社後の危険な作業にも直ちに習熟し前記期間中少なくとも普通以上の業務実績を積んだこと、以上の各事実が認められる。
ⅱ 低圧電気工事作業時代
原告Hが昭和三一年七月甲府営業所営業係に異動し同月以降一五年間にわたり家庭用などの低圧電気工事の営業作業に従事したこと、このうち、昭和三四年三月ごろまでは、少なくとも普通以上の業務実績を積んだことは当事者間に争いがない。
ⅲ 配電課運営係の工事班時代
a 原告Hが昭和四五年からは再び配電課運営係の工事班に異動となり同年から約八年間配電工事作業に従事したことは当事者間に争いがなく、証拠(<書証番号略>、証人竹村寿、原告H(第一回))及び弁論の全趣旨によれば、右作業が腰に一〇キロもの装具をつけ無停電工事作業すなわち通電したまま絶縁用の指先から肩までのゴム手袋、肩から腰までの肩当を付けゴム長靴を身につけるという格好で、一〇〇ボルトの電線、二〇〇ボルトの動力電線及び六〇〇〇ボルトの高圧電線をかいくぐりながら行われるものであり、同原告は高所での右作業に従事し右期間中無事故で通したこと、同原告が安全に対する高い関心を持ち資材や工具の改良及び作業方法の改善に関し検討を行ない月に一度開催される安全会議すなわち現場作業者が電気工事等における様々な災害例を検討し安全に関する知識を高め業務災害を防ぐことを目的とする会議に参加したこと、同原告の所属班では専ら同原告が社内報あるいは書店で買い求めた安全に関する書物に掲載されている事故報告例等の説明役を務めたこと、甲府営業所配電課運営係長竹村寿が昭和四九年二月一二日同係作業員である同原告の査定権者として自らの業務用ノートに他の係員と同様の査定結果を記載したこと、その査定が四項目についてAないしCの三段階評価で行われたこと、同原告に対する評価の本文には実践面につきCプラス、残りの三項目についていずれもBと記載したこと、後任の運営係長平山貢氏も同原告の安全会議における努力を賞賛したこと、以上の各事実が認められ、同原告が右当時ほぼ普通程度の業務実績を積んでいたことが認められる。
b 証拠(<書証番号略>、原告H本人(第一回))及び弁論の全趣旨によれば、同原告が昭和五〇年竹村寿係長らの指導を受けつつ配電作業に必要な工具、資材の研究をし、特に低圧配電線に使用される単相三線式配線(三本の電線で送電する配線方式)の中性線(右配線方式の真ん中の電線)の接続部分が風の強いときなどに離れ又は断線し異常電圧が発生して家庭用電気器具を故障させる事故例が多いことを認識し最悪の場合には火災が発生する危険があることから右接続器の改良の研究の手伝いをしたこと、右研究がまもなく実用化されたこと、以上の各事実が認められる。
ⅳ 工事監理係時代
証拠(<書証番号略>、原告H本人(第一回及び第二回))及び弁論の全趣旨によれば、被告が昭和四二年頃高圧電気工事技術者の資格取得を従業員に奨励し勤務時間後の講習会を主催したこと、右資格が高圧電気を受けそのため変電室を設けて五〇〇キロワット以下の電力を使用する需要家の主任技術者に必要なもので日本電気協会が試験し通産省が認める資格であること、右主任技術者が右設備の保安責任を負うこと、しかし、右設備に事故が発生すると他の需要家への送電がすべて止まること、そこで、被告が右設備工事及び運営について指導していたこと、原告Hが昭和四五年一一月一六日三七才のとき独学で高圧電気工事技術者試験に合格したこと、右資格取得者が右当時従業員三〇名中四ないし五名程度であったこと、同原告が昭和五三年五月一〇日以降依願退職するまで甲府営業所工事課工事監理係(七級職)に配属され主として新増設の内線試験業務すなわち電気工事店による屋内電気配線が被告の工事基準、通産省の内線基準に適合し漏電の危険がないかを検査する業務に従事したこと、同原告がその他にも本来上位職級の者が行うべきビルや工場の電気変電室の高圧電気機器の試験も行い前記資格取得の際の知識を生かしたこと、被告も同原告が右各業務の遂行を普通に行っていたことを自認していること、以上の各事実が認められ、以上の各事実によれば、同原告の右当時の業務実績が少なくともほぼ普通程度であったことが認められる。
ⅴ 同僚との親睦の中心的な役割を果したこと
証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、原告Hが入社当時人あたりが良く気さくな気持ちのいい従業員として上司の信任が厚く同僚からも信頼されていたこと、同原告が昭和三三年ごろ東電労組青年婦人部主催の映画鑑賞会、合同コーラス及び合同ハイキングなどに積極的に参加したこと、同原告が昭和三四年以降の営業係作業班及び昭和四五年七月以降の配電課運営係工事班所属時代を通じて班内旅行会の幹事役を一貫して引受けたこと、更に、同原告が昭和三八年から三年間スポーツの発展と従業員の融和を図るため被告が主催している文化会のうち甲府営業所の球技部長を勤め各課対抗卓球大会、バレーボール大会及びテニス大会への参加を呼びかけるポスターを掲示板に貼り又はチラシを作成配布するなどして従業員が気軽に参加できるように努力したこと、同原告が昭和五七年四月三〇二日日本共産党の専従役員になるため依願退職したこと、課長、係長(二名)、工事長、主任(二名)、班長等の職制を含む多数の被告従業員が同年五月中途退職者に対し送別会を開催する慣例がないにもかかわらず同原告のために送別会を開催し寄書きを送ったこと、以上の各事実が認められ、以上の各事実によれば、同原告が業務外の活動で職場ないし被告従業員の融和ないし親睦に中心的な役割を担い、その人柄を評価されてきたことが認められる。
② 消極的評価要素の有無
ⅰ 職務懈怠の有無
a 昇柱作業の回避の有無
そして、被告は原告Hが昭和三四年四月ないし夏頃四ないし五人の同乗作業に従事した際若手であり進んで昇柱するよう指導されていたのに巧みに言い逃れをして一向に昇柱しようとしなかったため他の先輩や同僚が昇柱作業をせざるを得ず、同僚が昭和四一年ないし四二年ごろの同原告との二人作業につき苦情を言うという状況であった旨主張し、右主張に副う小宮山昌儀作成の陳述書(<書証番号略>)の記載がある。
しかし、証拠(<書証番号略>、原告H本人(第一回))及び弁論の全趣旨によれば、班長は作業全体の安全管理をするため昇柱作業をしないのが原則であること、現場作業班の先輩従業員には後輩に厳しい者が多く後輩が昇柱作業を懈怠することを許さない先輩後輩の上下関係があったこと、同原告が昭和三四年ころ未だ中堅で昇柱作業を余儀なくされる立場であったこと、作業によっては班長の外に二名しか同行しない場合がありその場合には昇柱作業を回避する余地がなかったこと、同原告が前記の被告主張と反対趣旨の供述をしていること、以上の各事実が認められ、被告主張に副う前記証拠が伝聞した事実の供述証拠であること、他方、同原告が昇柱作業を懈怠したことを認めるに足りる被告保管の日報若しくは作業日誌類等の提出または直接証言がなく、前記被告主張を裏付ける客観的又は直接的な証拠は見当たらない。
以上の各事実を総合すると、被告の前記主張及びこれに副う証拠は俄に採用することができない。
b 単独作業の懈怠の有無
次に、同原告が昭和三四年夏頃ないし三七年初めごろバイクに乗り現場に出向く単独作業に従事したことは当事者間に争いがなく、被告は、同原告が単独作業に際し当然終了させるべき作業を懈怠して終了させず、冬にはこれを嫌がり、業務を終え帰社し机上整理をしてなお終業時刻に間が生じたときには担当者が新たに受け付けられた追加作業工事に出掛ける仕組みとなっているにもかかわらず業務放棄を行い同僚に業務上の余分な負荷を強いた外勤務時間中に職場外で政治活動を行ったと主張し、右主張にはこれに副う前記小宮山(<書証番号略>)及び雨宮金平作成(<書証番号略>)の各陳述書の記載並びに証人小宮山の供述部分等があるが、他方、同原告は前記の被告主張と反対趣旨の供述をしているうえ、証拠(<書証番号略>、原告H本人(第一回))及び弁論の全趣旨によれば、被告主張に副う前記各証拠が勤務時間中の職場外政治活動の点を除きいずれも伝聞事実に関する供述証拠である外、その時期、具体的な作業内容を特定しない抽象的なものである。他に、同原告が被告主張事実を認めるに足りる被告保管の日報若しくは作業日誌類等の提出がなく、また、勤務時間中の職場外政治活動の点についても前記被告主張を裏付けるような記録ないし処分など客観的証拠に欠け、しかも被告が前記陳述書の作成者雨宮金平を証人申請しなかったこと等を総合考慮すると、前記被告主張及びこれに副う各証拠は俄に採用することができない。
c 杜撰ないし無責任な業務の有無
更に、被告は、同原告が昭和四一年三月ごろ被告が定数材料の受払いの業務を命じたところ同原告の記帳が不正確なため現品在庫と帳簿の記載とが符合しないことがしばしばあるなど杜撰ないし無責任な業務をした旨の主張し、右主張に副う三城清彦作成の陳述書(<書証番号略>)の記載がある。
しかし、同陳述書には、右不一致が同原告の定数材料への記載漏れ又は自らがした作業に使用した定数材料につき作業後に記入した小作業箋の材料数とは異なる数字を誤って定数材料一覧表に記載したからであると陳述されている部分があるところ、右事実を容易に裏付けることが可能な小作業箋及び定数材料一覧表がいずれも書証として提出されておらず、他に、被告主張の前記事実を認めるに足りる証拠もなく、他方同原告が反対趣旨の供述をしていることに照らせば、前記の被告の主張及びこれに副う証拠を俄に採用することはできない。
d 封印ペンチの不正使用について
原告Hが昭和四一年七月ごろ被告山梨支店甲府営業所営業課営業係で営業作業に従事していた際被告から担当業務に関し管理使用を許されていた封印ペンチを使用して山梨市にあり自らの管轄外で塩山営業所管轄内にある自宅の積算電力量計容器を内規に違反して封印したこと、被告が右事実を発見したこと、同原告が右事実に基づき電気不正使用の有無につき調査を受けたこと、同原告が右事実につき顛末書を提出したこと、同原告による電気不正使用の事実は確認されなかったこと、甲府営業所長が同原告に対し厳重注意をしたこと、以上の各事実はいずれも当事者間に争いがない。
そして、被告は、右当時同原告に対し電気の不正使用の疑いをもっており、同原告の青木事件(同人が電気不正使用で懲戒解雇されたことに対し不正使用の事実は認めつつ右解雇が被告の解雇権の濫用であるとして訴えを提起した事件)に対する支援姿勢等からその疑いが濃くなったと主張するが、それが単なる疑いに過ぎず電気の不正使用が確認されていない以上これを内規違反という限度を越えて同原告に対する消極的評価要素とすることは不当であり許されない。
e 突発休、宿休の濫用の有無
ア 突発休の有無について
まず、被告は、原告Hが昭和三四年三月以降昭和五一年ごろまで自らの都合を優先させ業務の繁閑及び現場作業計画が前日に立案されていることに全く配慮せず上司が再考を求めても自ら申し出た予定日に一方的に休暇を取り又は当日の朝になって初めて電話連絡をし一方的に有給休暇を取得し計二〇日間の年次有給休暇(以下「年休」という。)をとったため、作業計画及びその実施に重大な支障を及ぼすとともに同僚に迷惑を掛け同僚間の協調性を害したと主張する。しかし、年休二〇日間を取ること自体は適法であり、たとえ他の従業員が同原告よりも少ない年次有給休暇しか取らなかったとしても、そのことをもって消極的評価要素とすることは理由がない。また、同原告の年休取得が一方的又は突発的で被告の作業計画及びその実施に重大な支障を及ぼした旨の被告主張にはこれに副う被告提出の複数の陳述書及び証人の供述部分があるが、仮に右陳述書の陳述内容が事実であるとすれば、被告が長年にわたる同原告の年休取得に対し時季変更権を行使しその都度同原告を欠勤扱いにすることができたはずであるところ被告がかかる手続を履践したことを認めるに足りる証拠はないので、右の被告主張及びこれに副う陳述書を俄に採用することはできない。
イ ジベレリン処理期の年休取得について
次に、同原告の実家が葡萄農家であり同原告が昭和四〇年ころ以降毎年二回適期に「ジベレリン処理(種無し葡萄を作るため葡萄の開花期の前後に一回ずつ葡萄の房をジベレリンという薬液に浸す作業)のため数日前に特定日に晴れなら休むが雨ならば勤務すると告知し、当日晴れの場合は年休をとり雨の場合は出勤しかつ翌日以降晴れとなりジベレリン処理を終えるまでそのような勤務形態をしたこと、以上の事実は当事者間に争いがなく、右事実によれば、被告がこれにより作業分担を計画する上で支障を受けたことを推認できる。しかし、証拠(<書証番号略>、証人志村忠国、原告H(第一回))及び弁論の全趣旨によれば、県下で果樹園を営んでいる農家がジベレリン処理の時季には親戚の会社員又は就学児童総出の応援を受けなければ葡萄の生産が不可能となるため、学校が一斉休暇となるとともに実家が県下の農家である被告山梨支店従業員なら右作業のために多かれ少なかれ同原告と同様の休暇をとっていたこと、証人志村忠国もその実家が葡萄栽培の専業農家であり耕作面積も原告Hの実家よりも相当広いこと、同人も毎年二回ジベレリン処理時には数日間ずつ原告Hと同じ勤務形態をとっていたこと、以上の各事実が認められ、以上の各事実と被告が同原告又は右志村に対しジベレリン処理時の前記勤務形態に対し注意し中止を警告し又はこれに対し時季変更権を行使し欠勤扱いにしたことを認めるに足りる証拠がないこととを総合すると、被告が山梨県の果樹栽培の地域性から右勤務形態を黙認していたことが窺われ、これをもって同原告に対する関係で消極的評価要素として考慮することは理由がない。
ウ 宿休取得権の濫用
被告は、同原告が昭和三四年三月ないし昭和四五年六月までの間前夜の宿直業務の繁閑を問わず翌日無許可の宿休をとりその権利を濫用したと主張する。
そこで、先ず、同原告の宿休の頻度が他の従業員の宿休に比べて高いか否かについて判断するに、証拠(<書証番号略>、原告H本人(第二回))及び弁論の全趣旨によれば、配電作業員と営業作業員が右当時交代で公平に宿直作業を分担していたこと、そこで、原告Hが他の作業員と同様一月当たり四ないし五回宿直当番を務めていたこと(一月当たり約4.5回とすると全宿直の一五パーセントに相当する。)、他の従業員が月一回弱程度宿休をとっていたこと、以上の各事実が認められる。そして、同原告の上司らはいずれもそれぞれの陳述書中で同原告の宿休が宿直日数の半分程度(一月当たり約2.25回)であった旨の陳述をしているが、他方、同原告が月一回程度しか宿休をとっていない旨供述していること、むしろ、前記認定事実と一年が五二週であり土曜(半日)及び日曜を合計すると年間七八日分が休日となりこれに国民の祝日を加えると年間約九〇日分が祝休日でありこれを一月あたりで平均すると7.5日分の祝休日となることは公知の事実であることから、同原告が一月当たり1.125回(7.5日の一五パーセント)の祝休日前日の宿直を公平に分担していたことを推認することができ、右認定事実と同原告の前記供述を総合すれば同原告が担当した宿直回数の半分弱(2.125回)につき翌日休んだ計算となり、右計算結果は同原告の上司らの前記陳述を「同原告が宿直日数の半分程度につき宿休及び休日として休んだ」という趣旨に解するとほぼこれに符合することに照らせば、同原告の上司らの前記陳述をもって直ちに同原告の宿休の頻度が他の従業員に比べて高かったものと認めることはできず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。
また、被告は、同原告が前夜の宿直業務の繁閑を問わず翌日無許可の宿休をとったと主張するが、被告就業規則五一条が所属長が当直の割当を定め(同条一項)かつ同規則四八条が従業員が宿直を行ったときは所属長が次の勤務日に限り原則として代休を与えるが右原則は宿直中の労働が軽易な場合にまで適用されるものでない旨を定めていたことはいずれも前示(一)(1)②ⅱのとおりであるところ、当該宿直中の作業が極めて軽易で代休を要しない場合であるのに同原告が宿直代休をとったこと、更には、同原告が取得した宿休を被告が欠勤扱いしたことを認めるに足りる具体的証拠は一切ない。
以上によれば、被告の前記主張は理由がない。
f 出勤時刻等について
ア 遅刻の有無について
被告は、昭和三四年三月から昭和五一年四月までの間同原告の遅刻が多かったと主張する。
しかし、原告Hが右期間中甲府営業所勤務であったこと、同営業所と被告山梨支店とが右期間中は同一敷地内にあったことはいずれも当事者間に争いがなく、証拠(<書証番号略>、証人H1、原告H(第一回))及び弁論の全趣旨によれば、同原告の妻H1が右期間中被告山梨支店経理課資材係に勤務したこと、右H1が右期間中同係女性従業員として始業時刻である午前八時三〇分に他の従業員のために茶を入れる作業をしなければならず必ず始業時刻の相当前に出勤し湯を沸かし湯が沸き上がるまでの時間を利用して机を拭き花を生けるなどの仕事をしており遅刻をしたことがなかったこと、右H1と同原告とが昭和四〇年ころ以降朝一緒に自動車通勤し駐車場から徒歩で出勤していたこと、同原告が昭和五一年五月以降始業時刻前の朝礼、体操及びミーティングに参加したことを被告が自認していること、工事課主任が同原告に対する退職送別会の寄せ書きに原告が体操に参加している様を記していること、以上の各事実が認められ、以上の各事実と被告が前記被告主張を裏付ける出勤簿、タイムカード等の書証の提出を一切していないこと、同原告が前記被告主張と反対趣旨の供述をしていることを総合すれば、前記被告主張及びこれに副う各証拠はいずれも俄に採用することはできない。
イ 資材の積込み等作業準備の懈怠の有無について
次に、被告は、同乗作業を担当するときには始業時刻よりも早く出勤して作業車への荷物積込み等の作業準備をすべきであるにもかかわらず同原告だけが始業時刻間際にしか出勤せず事実上荷物の積込作業準備をしなかったため同乗作業員の協調性を乱し業務上有形無形の支障を及ぼしたと主張する。しかし、そのこと自体をもって同原告に対する消極的評価要素と見なすことはできない。けだし、右の荷物の積込作業等の作業準備自体が現場作業に不可欠な業務の一部であることは自明であり従業員が始業時刻までに右準備作業に取り掛かり得るような態勢を作ればその職務上の義務を何ら懈怠していることにならないから、同原告が始業時刻間際に出勤するのが常であったため他の者により右準備作業が終了しておりその結果同乗作業班の協調体制が乱れたとしてもその原因は被告が賃金の対価もなく始業時刻前までに現場作業員らに作業準備を終了させる現場慣行を放置したからに外ならないと言うべきだからである。
ウ 朝礼、ミーティングへの不参加ないし遅刻
更に、被告は、全職制全作業員が被告構内広場に集合する朝礼(点呼、体操、安全旗掲揚、月間目標の唱和及び作業についての安全面の全体的注意又は指示の後、班別に班内の作業上の指示、注意事項の伝達ないし打ち合わせが行われる。)に同原告が参加せず又は遅れて参加してくることが多く上司が注意しても「出勤時刻は入門のときだ」と称して反抗しその結果班内の作業上の指示や注意事項の伝達ないし打合せを再度せざるを得なかったため、班内のチームワークないし協調性が害される状況であったと主張し、右主張にはこれに副う被告提出の多数の陳述書の記載ないし証人の供述部分がある。しかし、証拠(<書証番号略>、原告H本人(第一回))及び弁論の全趣旨によれば、同原告が全く反対趣旨の陳述ないし供述をしていること及び同原告がスポーツ好きで被告が主催する分科会の甲府営業所球技部長を務めスポーツ大会に従業員が気軽に参加できるように努力したこと(前掲(1)①ⅴ)をも併せ考えれば、前記被告主張及びこれに副う各証拠を俄に採用することはできない。
g 自己啓発意欲の欠如
なお、原告Hが昭和三九年八月から昭和四二年ごろまで実施された三類検定を受験しなかったことは当事者間に争いがなく、被告は、右事実が同原告の自己啓発努力の欠如を表すものであると主張するが、同原告が昭和四五年三七才時に独学で高圧電気工事技術者の国家資格を取得したことは前示①ⅳのとおりであり、同原告に自己啓発の意欲がなかったとは言えない。
ⅱ 規律紊乱行為
a 職場闘争等の指導煽動ないし遂行への関与の有無
原告Hが昭和三四年三月から昭和三六年三月ごろまで東電労組山梨支部甲府分会青年婦人部長であったこと、同原告が昭和三五年総評系の山梨県労働組合総連合青年婦人会議事務局長を務めていたこと、同原告が昭和三六年東電労組山梨支部執行委員となったこと、以上の各事実は当事者間に争いがなく、証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、同原告が右各地位などを通じ、甲府営業所配電係の人員充足闘争、入浴券闘争、その他の職場交渉、安保改定反対八次及び九次統一闘争職場集会に参加したこと、以上の各事実が認められるが、右各活動を組織したのが原告B、同F又は同Gであったことは前示のとおりであり、原告Hが右活動において指導的な立場を占めていたのかそれとも他の組合員と同様右各原告らに追従する立場であったのかについてはこれを抽象的に肯定する被告申出証拠しかなく、これのみをもっては同原告の活動が指導的な立場のものであったとまで認めることはできないといわねばならない。
したがって、同原告の右各活動への参加が消極的評価要素となるとしても、その程度は原告Bらに対するよりは更に軽微な要素であるといわねばならない。
b 職制に対する反抗ないし反合理化闘争の有無
次に、被告は、原告Hが上司の業務上の指示又は施策説明の趣旨を建設的に理解しようとせずこれに反対ないし反抗し、特に、昭和四七年九月ないし一〇月の石和SSの業務の移管統合問題などの合理化政策に対しては常に反対の態度を表明し同僚を煽動した旨主張するが、証拠(<書証番号略>、証人白倉俊輔)及び弁論の全趣旨によれば、被告が昭和四七年九月ごろ石和SSの業務の一部を甲府営業所に統合し縮小する旨(この結果石和SSの宿直作業員がいなくなり夜間の緊急事故には甲府営業所宿直作業員が出張して対応することになる。)の合理化施策を東電労組甲府分会に示したこと、これに対し甲府分会が職場討議を開いた結果二ないし三名の班長らが被告に対し甲府営業所における夜間宿直員を一名増員するよう求めるべきであるという意見を述べたこと、原告Hも同意見であったこと、組合執行部が右職場討議の結果を承けて「甲府バイパスの開通により地域環境条件が変化したことは事実だが依然として車輛増大によりあまり緩和されたとは考えられない」、「石和SS宿直業務量は甲府営業所宿直作業員四名で対応できるのか」及び「饋線事故(高圧配電線の事故)応動の体制が鈍るのではないか」などの質問をしたこと、以上の各事実が認められ、以上の各事実を総合すると、同原告が石和SSの業務移管統合問題に全面的に反対していたのではなく一部条件を付すのが相当であるとの意見を有していたこと、しかも右意見の主唱者が班長らであったこと、組合も被告との交渉において右意見を尊重したことが認められ、同原告が石和SSの業務の移管統合問題に対して独り反対の態度を表明し同僚を煽動した旨の前記被告主張及びこれに副う証拠を俄に採用することはできず、他に同原告が上司の業務上の指示又は施策説明の趣旨を建設的に理解しようとせずこれに反対ないし反抗したこと又は合理化政策に対しては常に反対の態度を表明し同僚を煽動したことを認めるに足りる具体的な証拠はない。
c 党勢拡大活動の中心的実行の有無
証拠(原告H本人(第一回))及び弁論の全趣旨によれば、原告Hが昭和三五年ごろから昭和四〇年ごろまでの間青年層に対して「赤旗」及び「学習の友」を職場内で休憩時間中、終業時刻以降又は宿直時に配布しその講読を勧誘しこれらを題材とした自主的学習サークルを主催し日本共産党の政策宣伝並びに同党への入党を勧誘するなどの党勢拡大活動を中心的に実行したことが認められる。しかし、同原告の右の限度での党勢拡大活動が被告の企業秩序を乱すものとは言えず、これを同原告に対する消極的評価要素と見ることはできない。
なお、被告は、同原告が勤務時間中にも右党勢拡大活動をしたと主張しこれに副う証拠もあるが、他方、証拠(<書証番号略>、証人三城清彦(第三回)、原告H本人(第一回))及び弁論の全趣旨によれば、同原告が反対趣旨の供述をしていること、右各証拠がいずれも伝聞した事実に関する供述であることが認められ、また、被告から右事実を実験した筈である従業員の陳述書が全く提出されていないこと、以上の各事実に照らすと、被告の右主張ないしこれに副う各証拠はこれを俄に採用することができない。
d 被告を誹謗中傷するビラの配布の有無
被告は、原告Hが就業開始時刻前にしばしば被告門前で出勤してくる被告従業員や一般通行人に対し被告を誹謗中傷するビラ(青木事件支援のビラ等)を配布したと主張し、同原告が就業開始時刻前に被告門前でビラ配りをしたことが何度もあることは当事者間に争いがないが、同原告が配布したビラの内容が被告を中傷する内容のものであったことを認めるに足りる証拠はない。
ⅲ 結婚問題で被告の信用を落としてはいないこと
被告は、原告Hとその他の原告らが昭和三五年暮れごろH1(原告Hの妻)と第三者とが既に婚約し結婚式直前に至っていたのに婚約相手の家に乗り込んでこれを無理に破談にしたため、白倉俊輔が昭和三六年夏ごろ婚約相手の父親から「あんたの会社にはえらい者がいたもんだ」といわれた旨主張し、右主張に副う右白倉作成の陳述書(<書証番号略>)の記載及び同証人の供述部分がある。
しかし、証拠(<書証番号略>、証人白倉俊輔)及び弁論の全趣旨によれば、H1と前記婚約相手との縁談が破談となったのは昭和三五年暮れであったこと、右白倉が同人作成の陳述書において昭和三六年夏頃婚約相手の父親から「うちの息子の」縁談が壊されたと言われた旨陳述していること、その父親が昭和三五年一月に既に亡くなっていたこと、したがって、相手の父親が息子の縁談の破談自体を知りうる立場にはないこと、然るに白倉が右矛盾を指摘されると会った相手がおじさん又は親戚の方だったのかも知れないなどと甚だ曖昧な供述をしたこと、以上の各事実が認められ、右各事実に照らせば、証人白倉の前記供述部分ないし陳述書の陳述部分及びこれらを支えとする被告主張はいずれも到底採用することはできず、更に、右白倉が右事実関係の再立証のために作成提出した陳述書も右白倉の供述態度に照らし俄に採用することはできない。
また、証拠(<書証番号略>、原告H本人、(第二回))及び弁論の全趣旨によれば、H1が自己の意に反する結婚に我慢するという途をとらず三〇才前後の原告らがそうした二人の気持ちを最大限に尊重して二人を応援しあわせてH1の婚約相手とその家族に謝罪をしたというのが実情であること、原告H夫妻の結婚式が甲府営業所営業係長小宮山昌儀、当時の同原告の直接の上司である和田主任その他の職場従業員多数の出席の下に執り行われたこと、右小宮山が祝辞を述べ右和田が詞を朗読するなど二人の結婚を祝福したこと、以上の各事実が認められるのであるから、被告の前記主張及び被告申出の各証拠はいずれも採用することができない。
③ 標準者より劣悪か
以上の各事実を総合すると、同原告が消極的評価の対象とすべき職務懈怠をしたことを認めるに足りる証拠はなく、かつ、被告の企業秩序を乱す行為については昭和三〇年代後半の東電労組甲府分会等組合役員当時にあったもののその程度は必ずしも重くなく、右以降、平の現場作業員としては高齢になるまで重労働を続け、その中で高圧電気技術者試験に独学で合格し、右資格取得に際しての知識を昭和五三年以降の担当業務に生かし被告業務に貢献したのであって、同原告が同期入社同学歴の標準者よりも劣る業務実績しか有さず、昭和四八年一〇月以降標準者に対する水準に満たない給与関係の処遇を受けるべきものであったとは認められない。
(2) 原告Hの職務遂行能力
原告Hの頭の回転がよいことは被告も自認していること、前記認定のとおり同原告が安全会議における所属班の説明役を一手に引き受けたこと、独学で高圧電気工事技術者の資格を取得したこと、日本共産党幹部に請われて同党の専従役員となったことなどに照らせば、同期入社同学歴の標準者よりも劣る職務遂行能力しかなかったとはいえないことは明らかである。
(九) 原告I
(1) 原告Iの業務実績
① 積極的評価要素の有無
ⅰ 検針業務時代
原告Iが昭和三三年四月事務員として入社し被告山梨支店甲府営業所料金係検針専務(一〇級)に配属されたこと(以下「第一回甲府営業所勤務」という。)、同原告が昭和三四年七月一日から昭和三五年六月三〇日まで小笠原出張所駐在となったこと(以下「第一回小笠原出張所駐在勤務」という。)、同原告が同年七月一日から昭和三六年三月三一日まで甲府営業所勤務となったこと、同原告が同年四月一日から昭和三七年四月二九日まで小笠原出張所駐在となったこと、同原告が右期間を通じて主として検針業務に従事したこと、以上の各事実はいずれも当事者間に争いがない。
そして、証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、同原告がこの間受持区域の検針業務を普通にこなしていたこと、同原告の第一回甲府営業所勤務当時には検針専務員が九年目の古屋小四郎を筆頭に七年目五名、六年目四名、五年目五名の外同期の樋口弘であったこと、同原告の第一回小笠原出張所駐在勤務当時にも同原告が最も後輩であったこと、主任又は先輩専務員が休暇を取った先輩又は同僚の受持業務について出勤している他の専務員に公平に割り当てていたこと、応援検針には右当時一件当たり数円の手当が出ておりそれがまとまれば小遣い稼ぎにはなったこと、そこで、先輩や同僚が全員応援検針をやりたがっており右応援検針の割当には専務員が進んで応援に行くのが常であったこと、以上の各事実が認められ、以上の各事実によれば、同原告が受持区域の検針業務を普通にこなすとともに、他の従業員とともに手分けをして応援検針をするなど標準的に業務をこなしていたことが認められる。
被告は、同原告が応援検針に消極的であったと主張し、松本士朗作成の陳述書には右主張に副う陳述部分があるが、右各事実によれば、同原告が応援検針を独り拒む理由がなく、仮に何らかの理由があったとしても若年の同原告が主任又はベテラン専務員の指示に逆らうことのできる職員構成でなかったことが認められ、右主張及びこれに副う証拠は俄に採用できない。
ⅱ 管財課時代
a 庶務の担当
原告Iが昭和三七年四月三〇日被告山梨支店管財課庶務係に配属され庶務(一〇級)の業務処理をしたことは当事者間に争いがなく、証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、同原告が同日から昭和三八年三月末まで管財課の出張旅費の請求、支払及び勤務表の整理を行うかたわら土地建物の登記手続を学んだこと、同原告がこの間ごく普通に上司や先輩に言われるままに業務をしていたこと、以上の各事実が認められる。
b 管理業務の担当
ア 次に、証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、原告Iが同年四月課内異動で管理すなわち既設の送電線下への地役権設定交渉、線下の樹木の伐採交渉及び被告が買収した土地建物の登記等を行う業務の担当となり間もなく被告本店主催の管財業務講習会に参加するよう命ぜられ同年七月東京の被告池之上研修所に入所し三ヵ月間の管財業務に必要な土地収用などの関連法規と契約の締結などの実務研修を受けたこと、同原告が同年九月管財台帳管理業務(九級)の担当となったこと、そして、同原告が管理業務に戻ると甲府市住吉地区の六万ボルト送電線の線下建物移設交渉を担当したこと、同原告が右交渉に先立ち土地調査をしたところ被告の手落ちで地役権が同土地に設定されていなかったため地主も当初せっかく建てた作業所を移動させることはできないと強硬な態度であったこと、同原告が地主を何とか説得し線下にかかる建物の部分を切り取ることの了解を取り付けこれを処理したこと、そこで、当時の磯野主任が初めてとしては上出来だと同原告を褒めたこと、以上の各事実が認められる。
イ 更に、証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、原告Iがその後伐採交渉すなわち山岳地帯を通過する特別高圧電線に、赤松、杉といった樹木が伸びて接近したときに山林所有者を捜し出し被告が予め定めている補償単価を提示して伐採することにつき了解を取る交渉を担当し、北巨摩郡高根町地区内の甲信幹線の線下三箇所で独立して右業務を担当し遂行した他送電線下図作成の業務も手掛けたこと、以上の各事実が認められる。
ウ 証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、被告が昭和三四年から昭和三五年九月にかけて明穂線の建設をしたこと、右建設開始には事前に用地買収をすることが必要であったこと、線下地がいずれも農地であったこと、昭和三八年九月ごろ明穂線の線下地の農地転用ないし登記業務を建設班の用地交渉担当である青柳主任(昭和二八年から管財業務担当)並びに土屋学及び望月平雄(昭和三五年から管財業務担当)が遂行すべきものであるところ右担当者だけでは間に合わないというので同原告が本来の業務ではないのに明穂線の線下地一一筆の登記業務を命ぜられ担当したこと、原告Iが右業務担当後管財課建設班に転出するまでの六か月間管財課管理班におり台帳管理を担当し続けていたこと、同原告が登記業務を命じられたときには既に用地買収から所有権移転登記はもとより農地転用許可申請もないまま三年ないし四年が経過していたこと、そして、同原告が該当地番の農地転用許可申請手続に必要な右申請書への捺印とその印鑑の登録証明書を取得するため地主を訪問したところ用地買収後数年を経た後の地価高騰などを理由として中々捺印及び印鑑登録証明書を交付してくれなかったが一一筆中七筆の地主の捺印及び印鑑登録証明書を取得したこと、しかし、同原告が昭和三九年三月課内異動で建設班の川口湖線用地買収担当となるまでには残り四名の捺印及び印鑑登録証明書を取得することができなかったこと、そこで、同原告が右業務を後任に引き継いだこと、後任の金子洋が右一一筆の所有権移転登記(このうち一筆は地役権設定に止まった。)を完了するまでに五年ないし七年を要したこと、以上の各事実が認められ、以上の各事実によれば、同原告が右業務についてでき得る限りの交渉をしたことが認められる。
c 建設業務の担当
証拠(<書証番号略>、証人青柳宏、原告I本人)及び弁論の全趣旨によれば、被告が昭和三八年一月河口湖線新設工事すなわち富士吉田市下吉田から河口湖町船津まで六万六千ボルトの特別高圧送電線を新設する工事を決定したこと、右工事が観光地として年々発展する河口湖周辺の電力需要を賄うためには不可欠のルートであり当時の被告にとっては重要な事業であったこと、管財課建設班所属の望月平雄、村田秋夫及び嘱託の高木六之助が同月から送電鉄塔敷地買収並びに送電線下平坦地の地役権設定及び山間地線下地の補償契約等の用地交渉を開始し昭和三八年一一月から現地に下宿して本格的交渉に入ったこと、原告Iが昭和三九年三月体調を崩した右村田と交代するため課内異動で建設班に移り月曜から土曜まで現地に下宿して右用地交渉をし土曜日午後に帰宅し月曜日に管財課に出社しそれぞれが主任、副長に一週間の業務内容を報告する交渉経過ノートに同人らの承認印を受けるなどの事務処理を行いその後現地に向かい再度用地交渉に入るというサイクルで用地交渉に従事したこと、原告Iが新人であり当初右望月及び高木の補助であったこと、右用地交渉が同年五月ごろからの線下補償交渉が難航している地主一五名との交渉ともう一息で妥結する見込みの地主数名を残す交渉であったこと、ところが右望月が同月地主六人からルート変更要求を受けたこと、右望月が何度となくこれらの地主宅を訪れ説得したが地主の態度が強硬でどうしても理解を得ることができなかったこと、そこで、被告が青柳宏主任に土地収用法による収用採決の申請手続を進めさせるとともに右望月らに任意交渉も継続させることにしたこと、ところが右望月が同年六月右用地交渉から外されたこと、そこで、被告が原告Iに残りの用地交渉の下交渉役を命じ重要な交渉は坂本課長又は内藤副長が担当することになったこと、同原告は担当した交渉を勤務時間外である午後一〇時過ぎ又は早朝に行なうこともしばしばでしかも同じ地主宅に何度も交渉に行って相手の家族の状況も把握して世帯主だけでなく家族の信頼も得るように誠意を尽くして交渉したこと、同原告の職級が昭和三八年七月昇格したこと、同原告の資格が昭和三九年四月書記補から書記に昇格したこと、以上の各事実が認められ、以上の各事実によれば、同原告が新人でありながら自らが分担した右用地交渉を着実にこなしたことが認められる。
これに対し、被告は、同原告が昭和三九年以降前記高木の業績を自己の業績のように報告していたと主張しこれに副う陳述書の陳述部分もあるが、同原告が主任、副長から一週間の業務内容を報告する交渉経過ノートに承認印を受けていたことは前示のとおりであり、前記高木が担当した交渉内容を右ノートに記載すれば内容が重複するおそれがあり、そもそも他人の交渉内容を正確に把握することは事の性質上困難であり自らの交渉日時、時間との関係で矛盾がでることも十分に予想されるところであり、これらの矛盾を上司らがチェックできなかった筈がないと考えられるから、前記被告主張及びこれに副う証拠を俄に採用することはできない。
また、被告は、原告Iが昭和三九年三月ないし昭和四〇年七月の間特に昭和三九年中は用地交渉の経験者である高木嘱託とともに富士吉田市に下宿して河口湖線工事の用地買収に伴う線下補償業務に従事した間に同嘱託の注意を無視して毎晩のように業務外の夜更かしをしては朝寝坊をするのを常とし業務中も集中力を欠きしかもその最中にどこかへ行ってしまって雲隠れし結局は同嘱託一人で業務を遂行しなければならないということがしょっちゅうであったと主張し、これに副う青柳主任及び望月平雄作成の陳述書の各陳述部分があるが、前者は後者の作成者から伝聞した事実を、後者は右高木から伝聞した事実を、それぞれ陳述したものであり、右望月については承認申出もされていなかったこと、被告が主張する職務懈怠の内容が抽象的であることを総合すると、右被告主張及びこれに副う証拠を俄に採用することはできない。
更に、被告は、原告Iが用地交渉のうち主として契約書の作成、補償金の計算、稟議書の作成等を担当していたがその職務怠慢のために事務処理ないし支払準備が遅れ支払期日になっても支払ができないことが多く地主からの苦情が絶えず被告の対外信用を大きく落とすことになったと主張するが、証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、望月が昭和三九年三月ないし五月の同原告の服務につき普通と認めていること、同原告の反対趣旨の供述に照らすと、被告の右主張も俄に採用することができない。
ⅲ 塩山営業所時代
a 一般受付業務の担当
原告Iが昭和四〇年八月一日塩山営業所に配属され一般受付業務(九級)を担当したことは当事者間に争いがない。そして、証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、受付業務が需要家から不点(停電)、契約の変更、廃止(転居に伴い電気を止めること)及び再点(入居に伴い電気を点けること)並びに電柱又は電線の移設等の用件を聞き、受付票又は改修作業箋に内容を記入して営業作業方に作業依頼をする作業、電気料の受領、電球等の受託販売管理等の業務であり、需要家の要望を迅速かつ適確に満たすことが基本であること、そこで、同原告が受付カウンターの自席にある電話に素早く出て需要家から好感を持たれるように努力したこと、以上の各事実が認められる。
b 停電周知業務の担当
原告Iが昭和四一年六月一日以降課内異動で奉仕業務すなわち配線工事のため停電する需要家に停電日時の周知をする停電周知業務及び需要家から電線や電柱などが支障となるため移設してほしいとの要求や電圧が低いなどの苦情を処理するための改修作業箋の運行管理業務並びにその他の各種PR行事の立案と実施の業務を担当したことは、いずれも当事者間に争いがない。そして、証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、右停電周知業務が停電を知らなかった需要家から停電後苦情や損害の補償要求が出るのを未然に防ぐことを目的として配電工事による停電範囲(一〇〇軒から二〇〇軒程度が多く、時には一〇〇〇軒を超えるときもある)内にある病院、商店及び養鶏業者など停電により多大の影響を受ける需要家に電話し想定できる範囲でできるだけ広く充分に工事内容を説明し了解を取り付けその上で停電日の三日以前に現場に出向いて宣伝カーで周知したり全戸にビラを配って停電を周知する業務であること、そこで、右業務を確実に実行しようとすればするほど現場に出ている時間が長くなること、しかし、同原告が需要家の気持ちをできるだけ満たすように説得し時には現場から電話して停電時間を繰り上げるなどして苦情が出ないように努めたこと、その結果、同原告の担当業務につき苦情がなかったこと、以上の各事実が認められ、以上の各事実によれば、同原告が停電周知業務を確実に遂行したことが認められる。
c 電気温水器普及への貢献
次に、被告が右bの当時従来昼間電力消費量の二分の一以下の消費量しかなかった深夜電力の利用を促進するため全社を挙げて深夜のみ安い電気料金を適用して電力を供給するタイムスイッチ付の電気温水器の普及に取り組むという方針を出したこと、奉仕業務担当の原告I及び地元出身で同営業所地域で顔が広く技術的知識にも明るかった営業作業事務方の渡辺広が右普及業務に携わったことは、いずれも当事者間に争いがない。
そして、証拠(<書証番号略>、原告I本人)及び弁論の全趣旨によれば、同原告が日常業務や文化活動又は労働組合運動等での繋がりを利用し営業係の上司や同僚更には料金係や配電係の先輩からお客を紹介してもらい積極的に電気温水器をPRしたこと、原告Iが右業務を担当した後約一年四か月後(昭和四二年一〇月一九日)に自宅に電気温水器を設置したこと、更に、被告の右普及業務の建前が需要家に電気温水器の利用を勧めることに止まりその取付工事は販売店がすることになっていたこと、しかし、右普及業務の当初にはこれを取扱う電気工事店や販売店が県内にほとんど無かったこと、そこで、塩山営業所が四国に本社のある平和製作所から「ユノックス」という電気温水器(四〇リットルと八〇リットル)を輸送させ、同原告が渡辺広氏の協力を得て取付工事までサービスしたこと、その結果、塩山営業所の電気温水器の普及率が山梨支店では韮崎営業所に次いで二番目の成績となったこと、当時の電気温水器製造企業である三菱電気株式会社群馬製作所がこの業績を認め同原告を韮崎営業所所属の小林好雄氏とともに工場見学に招待したこと、被告山梨支店が昭和四二年四月同原告を職務上同製作所に出張させたこと、以上の各事実が認められ、以上の各事実によれば、同原告が右普及業務に著しい貢献をしたことが認められる。
これに対し、被告は、右普及業務推進の中心が前記渡辺であり同原告がその補助に過ぎなかったのであり同地域での電気温水器の普及という業績を上げたとは言えない旨主張し、右主張にはこれに副う陳述書の陳述部分(<書証番号略>)がある。しかし、もし、右渡辺が前記普及業務の中心的担当者であり同原告が補助者に過ぎなかったとすれば、同原告ではなく右渡辺を前示出張所に出すべき筈であったのに、被告が同人を出張させなかった事情は証拠上明らかでないから、右被告主張及びこれに副う証拠は俄に採用することができない。
d サービス向上に貢献
証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、原告Iが昭和四四年一一月一五日山梨支店配電課計画総括の神宮司五郎などから研修指導を受け後輩の進藤健一とともに普通高校出身の事務系で取得している者が少ない低圧電気工事技術者試験の学科と実技試験に合格したこと、同原告が被告のサービス週間等の行事で需要家を訪問したときなどに右資格に基づき配線の不良箇所を発見するとその場で改修しお客に大変喜ばれたこと、以上の各事実が認められ、以上の各事実によれば、同原告が自己啓発の努力に基づき本来の業務外のサービス向上に貢献する姿勢を示したことが認められる。
e 現業総括業務の担当
同原告が昭和四五年四月一日課内異動で現業総括(八級)業務に任用されたことは当事者間に争いがない。
そして、証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、同原告が右異動後審査業務(受付票と電気使用申込処理票の審査)及び公衆街路灯の整備(公衆街路灯が設置後の長年月の経過により破損、移動又は行方不明となり、契約のワット量と現場とが一致しない等の問題を解決するためすべての公衆街路灯を街路灯カードと照合し一つ一つ現場調査をして標札を貼るとともに地図にプロットし現況に合わせて契約ワット量を是正し整理する業務)等の担当となったこと、これを完成させたこと、同原告がその他の命じられた業務についても遂行していたこと、以上の各事実が認められ、以上の各事実によれば、同原告が自分が与えられた業務を着実に遂行していたことが認められる。
f 需要想定業務の担当
証拠(<書証番号略>、原告I本人)及び弁論の全趣旨によれば、原告Iが昭和四七年一〇月から課内異動で専ら需要想定業務を担当したこと、右業務が営業所予算、将来の配電設備増強計画及び人員計画等の被告経営の根幹となる資料を提供する業務であること、右業務の遂行には、社内の自家用契約担当者等から関係資料ないし情報を集め、日頃から新聞及び経済雑誌等に目を通し経済動向や企業の誘致、公共施設の建設に関する記事をスクラップするとともに官公庁関係機関、営業所管内市町村、大手不動産業者、建築建設事務所及び比較的大きな工場等を訪れその後の電力需要等を把握するため企業秘密に関わる事項に至るまで情報収集することが必要であること、そこで、官公庁、企業からも信頼されうる人物でなければ右業務を円滑に遂行することができないこと、近藤英俊が同原告の前任であり右異動時に自家用契約担当となっていたこと、同原告が需要想定全体につき報告書にまとめる業務をしたこと、同原告が山本福江係長待遇からポイントをとらえて良くできていると声をかけられたこともあること、同原告が自ら塩山営業所の需要想定業務を一手に担当していたと供述していること、以上の各事実が認められ、また、同原告が昭和四九年二月櫛形営業所営業課に転勤した後も被告が同原告に需要想定業務を担当させたことは当事者間に争いがない。
ところで、被告は同原告を信頼しておらずその情報収集のための外出時には前記近藤を常に同行させる前提で需要想定業務を同原告と右近藤とで分担させ、、実際にも右近藤が同原告外出時には常に同行したが、同原告の努力不足から需要想定が実績値と大きくずれる不十分なものとなった旨主張し、右各主張にはこれに副う上司作成の陳述書の陳述部分がある。しかし、もし、被告が右近藤に本当に右のような需要想定業務の分担をさせ同原告との情報収集における同一行動を要求すれば右近藤自らが担当する自家用契約業務及び需要想定業務に支障を及ぼす結果となることは明らかであり、仮に右近藤が同原告外出時に常に同行したとしても同原告も訪問先の企業秘密等につき情報を得るのであるから同原告がこれを悪用する気であれば容易に悪用できることに変わりがなく、また、需要想定が実績値と大きくずれれば経営の根幹に重大な影響を及ぼすのであるから、もし被告が同原告を信用できないのであれば初めから前記業務に全く関係させない人事をする筈であり、まして、同原告の業務が不十分であったとすれば同原告が櫛形営業所に転勤した後にまで同営業所の需要想定業務を担当させる筈がないのである。
したがって、右の被告主張の矛盾点と前記各認定事実とを総合すれば、同原告が塩山営業所の需要想定業務を一人で全部担当し、少なくとも、転勤後の櫛形営業所営業課において需要想定業務を担当させるに足るだけのそつのない業務実績を積んだものと認めるべきであって、右認定に反する前記被告主張ないしこれに副う各証拠はいずれも俄に採用することができない。
ⅳ 櫛形営業所時代
a 需要想定業務の担当
原告Iが昭和四九年二月櫛形営業所営業課に転勤し営業計画需要想定(八級)の担当となったことは前示ⅲfのとおりであり、同原告が平成五年一月二〇日現在もこれを引き続き担当してきていたことは当事者間に争いがなく、証拠(証人三城清彦(第二回))及び弁論の全趣旨によれば、同原告が昭和四九年三月ないし昭和五三年七月までに提出した需要想定案、説明書及び報告書が提出後修正されたことがなく、当時の上司であった証人三城が普通の業務遂行と評価したこと、以上の各事実が認められること、以上の各事実と前示ⅲfの各事実とを総合すれば、同原告が需要想定業務に精通し被告から信頼されるに足るポイントを突いた業務実績を残して来たことを推認することができる。
これに対し、被告は、原告Iが櫛形営業所営業課に配属され営業計画需要想定業務に従事した間上司の再三の注意にもかかわらず劣悪な服務状況であった旨主張し、右主張に副う証拠があるが、右認定事実に照らし俄に採用することができない。
b 共架業務の担当
ア 機械化移行業務の担当
原告Iが昭和五四年一〇月以降需要想定業務のほか共架業務すなわち東京電力の電柱に共架してある電話線、CATV線、有線放送線、道路信号機及び標識などの共架申込の受付、契約、料金の請求及び収入管理をする業務を追加的に担当したことは当事者間に争いがない。
また、証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、同原告が直ちにNTT関係の共架業務の機械化移行業務に意欲的に取り組み約六ヵ月で調査を完了させて、一万本近い共架電柱のデーターを電算機に入力して右移行業務を完了させたこと、甲府電報電話局第一線路課統括係望月優が右当時NTTの共架業務を担当していたこと、右望月が当時の原告Iにつき、被告従業員として責任をもって業務を処理していたという強い印象をもっていたこと、以上の各事実が認められ、以上の各事実によれば、同原告が右当時外部の人間に信頼されるような確実な業務実績を重ねていたことが認められる。
イ 未撤去柱撤去業務の担当
次に、証拠(<書証番号略>、原告I本人)及び弁論の全趣旨によれば、未撤去柱すなわち需要家の要請又は被告の都合により電柱を移動したため不要となった電柱が長く放置されると被告が用地賃借料の不必要な支払及び電柱再利用不能による資産運営上の損害を受けかつ道路交通上支障が発生するなどの弊害があること、そこで、被告が昭和五三年三月ころから未撤去柱の抜柱指示を経営の指標管理項目としてその推進を図って来たこと、同原告が共架業務に関連し右被告の指示に応えて未撤去柱の抜柱設計書を担当者として管理し未撤去の原因及び弊害の程度に応じて撤去順序をつけ未撤去柱を他の営業所に較べて大幅に減少させたこと、被告も櫛形営業所の未撤去柱が少ないことを業績顕著事例として評価していること、以上の各事実が認められ、以上の各事実によれば、同原告が未撤去柱の抜柱に貢献し被告経費を節減し被告に少なくない利益をもたらしたことが認められる。
ⅴ 業務提案活動
a 同原告が正式な業務改善提案を昭和四四年に単独で一件、共同で、昭和四五年に一件、昭和五二年に一件、昭和五八年に一件、昭和五九年に三件の合計七件があること、そのうち四件が表彰されていること、以上の事実は当事者間に争いがない。
また、証拠(<書証番号略>、原告I本人)及び弁論の全趣旨によれば、原告Iが塩山営業所及び櫛形営業所に勤務していた間職場の同僚と共同してQCサークル活動を通じて業務改善提案を多数していたこと、前記の正式な提案と合計すると通算二〇件の業務提案を行ったこと、以上の各事実が認められる。
b 臨時電灯甲及び臨時電力甲の出向作業の省略
証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、原告Iが塩山営業所で現業総括業務を担当していた当時臨時電灯甲及び臨時電力甲契約すなわちハウス栽培等に使用する電気等の季節的に期間を設定して電気を使用する契約について従前使用開始及び使用終了の電話連絡を受ける都度現場に出向して電気を繋ぎ又は切断する作業をしており各作業時には営業所の負担となっていたこと、そこで、同原告らが電気使用について需要家を信頼し右の出向作業を省略し電話連絡のみで内部的に処理することを提案したこと、右提案が趣旨採用となったこと、以上の各事実が認められる。
c 共架業務に関連する業務改善
ア 共架設備変更申請書発行通数の削減
証拠(<書証番号略>、原告I本人)及び弁論の全趣旨によれば、原告Iが配電課のTQCグループに参加し同サークルメンバーと共に昭和五八年四月二〇日設計者が発行すべき共架設備変更申請書すなわち電柱を移設するときに電柱に共架している相手方(他社)へ共架物の移替えを申し入れる書類の発行通数を一件当たり五通(共架使用者送付用二通、設計係控え、営業方控え及び設計書添付分として各一通)から二通(共架使用者送付用)に削減すること及びこれに伴い営業方控えの代わりに営業方で台帳を作成すること、設計書添付分に代え設計書に「共架」というゴムの丸印を押すことを内容とする業務改善提案をしたこと、右提案が採用され年間一八〇〇通もの書類が削減できたこと、以上の各事実が認められ、以上の各事実によれば、同原告が設計者の負担と経費の削減を図る右提案に参加したことが認められる。
これに対し、被告は、右提案が配電課のTQCグループにより発案されたもので、同原告は営業方としてこれを了承したに過ぎないと主張し、右主張にはこれに副う陳述書の陳述部分があるが、他方、同原告が反対趣旨の供述をし、反対趣旨の陳述書を提出していることに照らせば、右主張及びこれに副う証拠を俄に採用することはできない。
イ 「共架」のゴム印の改善
次に証拠(<書証番号略>、原告I本人)及び弁論の全趣旨によれば、原告Iが配電課従業員と共に昭和六一年七月二一日共架設備変更申請書の発行漏れを防ぐため前示アの「共架」の丸印を同原告や設計主任が何が現実に共架されているかをチェックできるように共架物を予め列挙してあり該当共架物欄に丸を付ければ済む記載形式のゴム印を押すという正式な業務改善の提案をしたこと、右提案が採用され現在も右ゴム印が使用されていること、以上の各事実が認められる。
ⅵ 親睦活動について
証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、原告Iが昭和四〇年以降囲碁、将棋、野球及びテニス等の職場の文化会活動に参加して活躍したこと、同原告が昭和四二年釣り仲間で「魚友会」を結成し事務局担当者となったこと、同原告が昭和四七年一杯飲みながら職場の問題を自由に話し合う「戦友会」を結成し職場従業員の半数がこれに参加したこと、以上の各事実が認められ、以上の各事実によれば、同原告が職場の親睦活動を盛んにし、従業員の融和を図ったことが認められる。
② 消極的評価要素の有無
ⅰ 職務懈怠行為の有無
a 検針専務業務時代
被告は、原告Iが入社後研修を経て、昭和三三年四月二六日、被告山梨支店甲府営業所料金係に配属され昭和三七年三月まで(内昭和三四年七月一日から一年間及び同三六年四月一日から昭和三七年四月二九日の間は同営業所小笠原出張所勤務)検針専務の業務に従事したが、同業務に就いた当初から積極性がなく、上司に対し非協力かつ同僚に対し非協調で何かにつけて理屈をこねるなど上司及び同僚から、「のぶい」(甲州方言であり、他人の言うことに耳を貸さずに反抗し自我を通す性格を意味する。)といわれ、昭和三四年以降事々に言い逃れを言っては上司の命令に反抗し非協力非協調の態度を露骨に示し始め、例えば、当時の検針係員は、予定した一日の検針業務を処理して帰社したときに終業時刻までに間があれば、欠勤した検針係員の業務を分担して再度出掛けるのが普通であったところ、先輩や同僚から再三促され初めて文句をいいながら応援業務に出掛けることが多かったと主張しこれに副う陳述書の記載等があるが、前示(1)①ⅰの認定事実に照らし右被告主張及びこれに副う証拠は俄に採用することができない。
b 管財課時代
ア 明穂線登記関係業務担当時
被告は、原告Iが昭和三八年九月ないし昭和三九年三月の間明穂線の未登記用地の登記関係業務を担当した際地主から預かった登記に必要な重要書類をバラバラに放置するなど杜撰な整理保管状態を続けしかも登記手続を懈怠していたため地主からの苦情が頻発して被告の信用が失墜しかつ一件の登記業務も処理しなかったと主張しこれに副う陳述書の記載及び証人青柳広の供述部分もあるが、前示(1)①ⅱbウの認定事実に照らし右被告主張及び証拠はこれを俄に採用することができない。
イ 河口湖線用地交渉業務担当時
被告は、同原告が昭和四〇年二月青木主任から関与した従前の用地交渉に関する記録に基づき土地収用手続における裁決申請の稟議に必要な地主との交渉経過説明書の作成を指示されたにもかかわらず同年三月に至ってもこれを作成しなかったため部署の異なる望月平雄が同年三月下旬までに交渉経過を調べ直して同経過説明書を作成することを余儀なくされ約一か月裁決申請が遅れたと主張し、右主張にはこれに副う青柳主任及び右望月作成の陳述書の陳述部分がある。
しかし、前示(1)①ⅱcの各事実と証拠(<書証番号略>、証人青柳宏)及び弁論の全趣旨を総合すれば、青柳主任が原告Iに協議経過説明書の作成を命じたとされる土地収用裁決申請対象地が小山田外五名所有の富士吉田市下吉田字新田であること、望月平雄が右各土地に関する元々の交渉担当者であり右各地主との交渉決裂の経過を最もよく知っていること、他方、原告Iが途中から用地交渉に加わったに過ぎないこと、同原告が単独で下交渉を担当したのは主として河口湖町船津地区地域であること、同原告が下交渉が不能となっている状態の右地主らと用地交渉をするはずがないこと、望月平雄が現に河口湖線新設工事に対する事業認定の申請についてという稟議書の添付書類に従前の交渉経過を担当者として書いたこと、同原告作成の陳述書には同原告が青柳主任から右経過説明書の作成を指示されていない旨の陳述部分があること、以上の各事実が認められ、以上の各事実によれば、右経過説明書の起案を原告Iが担当するというのは極めて不自然であって、前記被告主張及びこれに副う各証拠を俄に採用することができない。
c 塩山営業所時代
ア 受付業務担当時
被告は、原告Iが受付業務担当期間中積極性に欠け指示されたことを形式的に理解した範囲のみで処理するが、その指示の趣旨に即して自らの能力と判断に基づいて積極的に業務をする姿勢が全くなく、形式的な範囲の業務以外はすべて切り捨て若手従業員でありかかって来る電話を積極的に取ることが業務上期待されているにもかかわらず傍らの受話器すら取らなかったうえ上司の命令に対しては理屈を並べ気に入らないとふて腐れた態度を示すことも多かった旨主張し、右主張にはこれに副う陳述書の記載があるが、右主張内容が抽象的であること、同原告作成の陳述書に反対趣旨の陳述部分があることに照らし、これを俄に採用することができない。
イ 次に、被告は、同原告が奉仕業務担当期間中陰日向があり上司には巧みに立ち回り他人の業務処理を自らの手柄にする反面自己本位に多くの休暇を取って同僚の迷惑に一顧もせず、かつ、同僚を一切応援しなかったため職場の協調性を害し、特に、同原告が停電周知業務を担当していたとき先輩の再三の注意にもかかわらず行き先、用件を告げずに勝手に長時間外出し、帰社しても何ら報告せず、その点を指摘されると却って反抗するという態度に終始し、また、同原告が奉仕業務担当者が毎日提出することを義務づけられていた奉仕日誌に自らの業務遂行内容を記載していないこと又は行先の記載があるときでもその業務内容では実際に掛かったと記載されている長時間を要しない事が明らかな場合があった旨主張し、右主張にはこれに副う陳述書の記載がある。
しかし、同原告が担当した停電周知業務の結果周知漏れによる苦情は一件もなく確実に業務をこなしていたことは前示①ⅲbのとおりであり、また、同原告が職場の親睦活動を積極的にしておりこれを任されていたことも前示①ⅵのとおりであること、同原告作成の反対趣旨の陳述書があることに照らすと、右の被告主張及びこれに副う証拠を俄に採用することはできない。
ウ 更に、被告は、同原告が現業総括担当期間中同僚に対する応援もせず頻繁に私用の長電話を掛け又はこれを承けるようになり同僚の業務の集中を害し業務の都合を考慮せずに直前の電話で特に農繁期には休暇を多く取得するため同僚に比べ低い貢献度であった旨主張し、右主張にはこれに副う陳述書の記載があるが、休暇取得については真に業務に支障があるときに申し出て来たのであれば時季変更権を行使し欠勤扱いにすべきところ被告が右手続を履践したことを認めるに足りる証拠がないから理由がなく、長電話の点については抽象的で頻度も不明でありかつこれを裏付けるだけの具体的客観的証拠に欠けるから、いずれの被告主張もこれを俄に採用することができない。
エ 被告は、同原告が昭和四七年九月以降の需要想定業務担当当時同業務上新聞を読む必要があることを奇貨として長々と業務に無関係な部分を読んで業務を懈怠しては基本的な情報収集調査及びその整理を尽くさず過去の想定値と実績値との食い違いの原因分析も不十分であるために雑薄な想定をし、しかも、同業務を被告山梨支店への提出期間間際まで終えなかったため上司や関連部署における検討打ち合わせ時間が減りやむを得ず不本意な想定内容を同支店に提出せざるを得ないということが繰り返され、しかも同原告がこの間想定業務で手一杯の状態とみられたので、当然分担すべき他の業務を分担しなかった旨主張し、右主張にはこれに副う陳述書の記載があるが、前示①ⅲfの各事実に照らしいずれも俄に採用することができない。
ⅱ 規律紊乱行為
証拠(<書証番号略>、原告I本人)及び弁論の全趣旨によれば、原告Iが昭和三五年民主青年同盟の活動に参加し、右参加と前後して「ものの見方考え方」を教材とする唯物論哲学の学習会に参加したこと、右の教材には「労働者の賃金はせいぜい一時間半分の労働の対価でしかない」「あとは会社(敵)に搾取されている」旨の記載があること、同三六年日本共産党に入党したこと、昭和三七年三月から一年間東電労組山梨支部甲府分会執行委員及び同分会青年婦人部長並びに山梨県労働組合総連合青年婦人会議の幹事を務めたこと、以上の各事実が認められ、以上の各事実によれば、同原告が、右当時共産主義的な思想を持ちつつ、労働組合運動に参画していったことが認められる。
そして、被告は、同原告がこの間同党の鉄の規律(無条件服従)の下で反独占、反企業(被告の打倒)、反職制及び反合理化の職場闘争を被告が現認できない服務における業務規制を含むサボタージュ、命令拒否及び反抗等の形態で実践してきていたと主張するが、前記の同原告の労働組合運動参加の経緯のみから、右被告主張を推認することができないことは論を持たないうえ、右主張のうち日本共産党が鉄の規律(無条件服従)の下で反独占、反企業(被告の打倒)、反職制及び反合理化闘争をする基本方針を持っていたことについてはこれに副う櫻田清の供述部分があるものの、証拠(証人櫻田清(第二回))及び弁論の全趣旨によれば、元共産党員の証人櫻田が離党前から党活動について実行義務を課されなかったこと、同人が党活動を数年間懈怠しても何ら不利益処分を受けなかったこと、同人の離党に際しても何らの強制も事後的な制裁も受けなかったこと、日本共産党が重要産業の国有化ないし公社化という方針を持ってはいたものの被告を打倒する方針を持ってはいなかったこと、以上の各事実が認められ、以上の各事実に照らせば前記被告主張事実及びこれに副う櫻田の供述部分を俄に採用することはできない。
a 勤務時間中の職場内政治集会への参加
証拠(<書証番号略>、原告I本人)及び弁論の全趣旨によれば、原告Iが昭和三四年組合の動員でいわゆる安保改定反対の国会請願デモに参加したことが認められるが、他方、同原告が昭和三四年七月一日から昭和三五年六月三〇日まで小笠原出張所駐在勤務であったことは当事者間に争いがなく、同原告が原告Bらにより組織された昭和三四年一一月二七日の安保改定反対八次統一闘争職場集会に参加したことを認めるに足りる証拠はない。
b 職場内における「赤旗」講読者の拡大活動
次に、証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、原告Iが昭和三六年ごろから職場内外において「赤旗」の講読勧誘、宣伝、配達及び集金等の活動を行ない始めるなど党勢拡大活動を展開したことが認められる。しかし、同原告が勤務時間内に右党勢拡大活動したことを認めるに足りる証拠はなく同原告の右活動自体を消極的評価要素とみなすことはできない。
c 反合理化闘争
被告は、原告Iが前記執行委員当時組合活動を通じ、被告の生産性向上のための諸施策に対し「生産性向上、技術革新が労働条件向上の前提だというのは幻想だ」と称して悉く反対の指導煽動を行い被告従業員の勤労意欲を阻害した旨主張するが、右事実を認めるに足る証拠はない。
d 塩山営業所節電要請に関する機密漏洩(嫌疑)
最後に、被告は、原告Iが昭和四八年末の赤旗による塩山営業所節電要請に関する車内秘密事項の歪曲ばくろ攻撃に加担をしていることは間違いがない旨主張し、右主張にはこれに副う陳述書の記載もあるが(<書証番号略>)、前示二2(九)(3)の認定事実に照らし、右被告主張及びこれに副う証拠を採用することはできない。したがって、これを理由に同原告に対して消極的評価をすることはできない。
③標準者より劣悪か
以上①及び②の各事実を総合すると、原告Iが同期入社同学歴の標準者よりも劣る業務実績しか修めておらず、同原告に対する昭和四八年以降の給与関係の処遇が右標準者を下回るべきものであったとは認められない。
(2) 原告Iの職務遂行能力
また、前示(1)の各事実を総合すれば、原告Iが同期入社同学歴の標準者よりも劣る職務遂行能力しかなかったとはいえないことは明らかである。
(一〇) 亡J
(1) 亡Jの業務実績
① 積極的評価要素の有無
ⅰ 入社から昭和二八年以前まで
証拠(<書証番号略>、亡原告J本人)及び弁論の全趣旨によれば、亡Jが昭和二三年四月一日日本発送電株式会社に入社し同会社の山梨支社土木課に配属され発電所の設置されている河川の水量、気象の調査、ダムや調整池の水量計測、富士五湖水位調査等の整理などの業務に従事したこと、亡Jが昭和二五年富士三湖(西湖、精進湖、本栖湖)の地形測量と深浅測量(延六ヵ月)に従事し、昭和二六年被告山梨電力所土木課土木係に配属され、以後、主として測水業務を担当したこと、昭和二七年鹿留発電所取水口改良工事(二週間)に、昭和二八年田代第二発電所災害復旧工事(一週間)及び鹿留発電所うそぶき水路修繕工事(二ヵ月)において、それぞれ先輩らの指導を受けつつ下請労務者と一緒にコンクリートを練り打設をする等の土木工事に従事し土木工事技術者としての知識と技能を得たこと、他方、亡Jがこの間昭和二四年には日本発送電株式会社関東支店のバレーボール大会に山梨支社の代表選手として、卓球でも文化会本部の大会に何回も代表選手として参加するなど職場における親睦に大きな役割を果たしたこと、亡Jがこの間少なくとも標準的な業務実績を修めたこと、以上の各事実が認められる。
ⅱ 昭和三三年三月ないし三七年五月まで
証拠(<書証番号略>、亡原告J本人)及び弁論の全趣旨によれば、亡Jが昭和三三年三月以降被告山梨支店土木課土木係の職場に復帰し主に設計工事と運営の仕事を担当したこと、昭和三四年八月一三日の台風七号、九月二五日の同一五号山梨県来襲により釜無川、小武川、早川にある発電所がダムや水路等の流失埋没で発電不能となった際同課でも総員で災害復旧工事に取り組むことになったこと、亡Jが小武川第四発電所の復旧担当者となり請負業者の現場責任者と二人で危険を覚悟で橋の流出していた小武川を四回も横断して同発電所取水口へ着き各種被害調査をしたこと、亡Jが右以降約半年間復旧工事の担当として現場に泊込み小武川第三発電所の復旧担当で同第四発電所の復旧の責任者でもある浅井義雄の指示を仰ぎ下請業者による小武川第四発電所の取水口、放水路を埋めていた土砂排除工事の監理をし、右浅井らによる通勤橋架設、取水ダム改修、発電所の護岸の新設、放水路の改修等の設計及び工事監理等の補助的作業に当たったこと、以上の各事実が認められ、亡Jが昭和三六年五月ないし三七年四月まで設計工事と運営の仕事を担当したことは当事者間に争いがない。
ⅲ 昭和四二年六月以降
a 証拠(<書証番号略>、証人山下進、亡原告J本人)及び弁論の全趣旨によれば、亡Jが昭和四二年四月一日七級職(独力で水圧鉄管や堰堤工事を担当する工事業務)と認定されたこと、亡Jが同年六月被告山梨支店土木課土木係に復職し運営設備運用(七級職)に任用されたこと、被告が亡Jには従業員として適格の基本をなすところの信頼性が全く欠けている旨の認識に基づき同職務から合理化関係業務を含む計画業務及び予算関係業務その他の重要な諸情報に接しうる業務を除いたうえ、職制をしてその都度適宜に業務を選択して亡Jにこれを担当させたこと、すなわち、まず、巡視、点検予定立案、田代ダム、頭佐沢ダム及び上来沢ダム等の操作規定の作成を、昭和四三年ないし五一年の間に保守のための発電所停止に伴う関係箇所との調整業務、安全対策業務等(ダム放流警報装置設置計画の立案、ダム放流警報施設運用細則、ダム管理要領等の各種規則、基準、要領及び手引書の作成)及び簡単な工事を、昭和四六年から昭和五〇年の間に塗装台帳、ゲート台帳及び除塵機台帳の作成並びに水利使用期間更新の官庁申請業務を、それぞれ担当させたこと、更に亡Jが昭和五四年に同課同係の調査班に配属された後同人に水槽余水路等放流警報施設運用細則等の規則類の作成を担当させたこと、以上の各事実が認められる。
b 更に、証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、亡Jが昭和五五年から昭和五七年にかけて駒橋発電所落合水路の漏水を防止するための鋼板による内張工事、田代第二発電所取水口に静止画テレビモニター監視装置を設置する工事、大野ダムに地震計やダム計測装置を設置する工事等を担当したことが認められる。
c 次に、証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、亡Jが昭和四四年ごろ水路保守雑作業の請負化に関し業務の簡素化の検討を上司の山下進から指示されたので配電工事関係で採用されていた工量制の導入を提案し、異論のあった総務課及び経理課を説得し、更に土木業者との会議でその趣旨を徹底させ、これを実施に踏み切らせることに成功したこと、右制度が被告山梨支店土木部課で初めて実施されたものであり実施後松本電力所ほか数カ所からその資料の提供を求められたこと、以上の各事実が認められる。
d 証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、亡Jが同僚達とバレー、卓球、ボーリング等のスポーツ及び囲碁、将棋、麻雀等をしたこと、特に卓球では被告の文化会主催の本部大会支部大会に参加したこと、ボーリングでは昭和四六年ころから工務係の四課対抗戦「山土会」(土木課の親睦会)大会などの世話人に選ばれて大会の成功に尽力し職場のボーリング愛好家とともに自主的サークルを結成したこと、以上の各事実が認められ、亡Jが職場における親睦に大きな役割を果たしたことが認められる。
② 消極的評価要素の有無
ⅰ 職級に見合わない服務
a 亡Jが高度経済成長時代に突入し技術革新が進んだ時期に約一〇年間東電労組等の組合専従又はもぐり専従として職場から離脱して土木技術の実務経験を積み重ねる機会を失し少なくとも土木技術者としての知識技能の向上が標準者に比べ後れていたことは後記(2)のとおりであり、そこで、亡Jが昭和四二年六月ないし昭和四八年末ごろまでの間運営設備運用(七級職)の職務に任用されたがそのうち合理化関係業務を含む計画業務及び予算関係業務その他の重要な諸情報に接しうる業務を担当していなかったこと、他方、亡Jが事務系の机上職である右各職務を担当しなかったのは被告が亡Jにつき従業員として適格の基本をなすところの信頼性が全く欠けている旨の認識に基づき同職務から右各職務を意識的に担当させなかったためであったことはいずれも前記①ⅲのとおりであり、また、証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、亡Jが与えられた業務を一応こなしていたことが認められ、その他亡Jが積極性に欠け同僚の応援ないし後輩の面倒見もせず保坂運営主任の再三の注意にもかかわらず勤務時間中に業務とは無関係に新聞雑誌を読みイヤホーンでラジオを聞くこと及び無断職場離脱が多かったことを認めるに足りる証拠はない。右各事実を総合すると、亡Jは確かに当該職級に相応する土木建築係の正規の職務全部を担当していたとはいえないが、被告が職制をして亡Jに与えた業務についてはこれを着実に遂行していたということができ、被告が亡Jにそれ以上の職務を与えなかった以上亡Jとしても当該職級に相応する正規の業務全部を遂行することが不可能であったと言うことができるから、以上をもって消極的評価の要素とみなすことはできない。
b 次に、亡Jが昭和五〇年九月佐野俊輔土木課長に対し、また昭和五二年には安田芳男土木課長に対し職級昇格を求めたこと、これに対し、被告が職級の弾力的運用制度により昭和五一年四月一日付で亡Jを七級の業務を担当させたまま六級に昇格させたこと、被告が昭和五四年七月二五日亡Jに調査総括(六級)の業務を担当させたこと、被告が昭和六一年四月一日以降亡Jに工事業務である土木工事業務(三級c。旧六級に相当。)を担当させたこと、被告が平成元年二月以降亡Jに再度調査業務を担当させたこと、被告が右各異動の間当該職級に相応する正規の業務全部を与えなかったことは、いずれも当事者間に争いがなく、証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、亡Jが少なくとも昭和四八年以降も与えられた仕事を可もなく不可もなく遂行していたことが認められる。右各事実を総合すると、右aと同様の意味において亡Jが当該職級に見合った正規の職務全部を担当していなかったとしてもこれをもって消極的評価の要素とみなすべきではなく、したがって、亡Jが職級昇格を要求したのも無理からぬことであったと言うことができる。また、亡Jが前記両課長に対し職級昇格を執拗に求めたため職場の雰囲気が害されたこと、亡Jが昭和六三年頃まで藤沢副長の再三の注意にもかかわらずだれ切った服務態度を継続したこと、その他、亡Jが劣悪な服務状態であったことを認めるに足りる証拠はない。
ⅱ 規律紊乱行為
a 職場闘争の中心的指導、煽動、遂行
証拠(亡原告J本人、<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば、亡Jが電産関東地方本部常任執行委員当時同本部竹中幹副委員長(日本共産党員)とともに同本部と右当時民主的労働組合主義路線(労使協調型の活動方針)を採っていた東電労組との昭和三一年ごろの組織合同(以下「組織合同」という。)前後に階級的民主的闘争路線(労働者及び需要家の利益を第一としこれを損なう合理化には被告の方針であっても安易な妥協はせず反対するという労使対抗型の活動方針)という方針を持ち労働組合活動をしたこと、同路線が日本共産党の労働組合政策と合致すること、東電労組が組織合同前後において民主的労働組合主義路線から階級的民主的闘争路線へ方針転換したこと、以上の各事実が認められ、右各事実によれば、亡Jが日本共産党の労働組合政策に沿う東電労組の基本的活動方針の転換に寄与したことが認められる。
しかし、前記①ⅱの事実と証拠(<書証番号略>、亡原告J本人)及び弁論の全趣旨によれば、亡Jが東電労組山梨支部甲府分会による被告山梨支店甲府営業所配電課の人員充足闘争が実施された後の昭和三四年六月の東電労組本部大会において代議員として事前の打ち合わせに基づき原告Bによる右闘争経過の報告に加えて当時被告本社と東電労組本部との間で進められていた定員制に関する交渉の中止とこれに代わる職場闘争による人員充足要求実現の方針決定を求める山梨支部修正案を説明したこと、同案が僅差で可決されたこと、他方、亡Jが昭和三四年四月当時十二指腸潰瘍を患っており同月以降昭和三五年三月末まで東電労組の役員ではなかったこと、亡Jが同年八月以降の半年間小武川第四発電所の復旧工事担当者として現場に泊まり込んでいたこと、以上の各事実が認められ、右各事実を総合すると亡Jが甲府営業所配電課の人員充足闘争を東電労組の甲府分会幹部として具体的個別的かつ中心的に指導したとまでは言えず、他にこれを認めるに足りる証拠はなく、同人が昭和三四年四月以降の職場闘争を具体的個別的かつ中心的に指導したことを認めるに足りる証拠もない。
もっとも、証拠(<書証番号略>、亡原告J本人)及び弁論の全趣旨によれば、亡Jが東電労組本部が昭和三五年六月全日本労働総同盟(以下「同盟」という。)への加盟承認決定をして階級的政治闘争路線を捨て組織合同前の民主的労働組合主義路線に回帰したにもかかわらず東電労組山梨支部書記長として同支部を階級的民主的闘争路線に固執する拠点支部として指導し特に被告の合理化諸施設に対し実施こそされなかったが組合との協議決定のない限り実力をもって阻止する態度で臨むべきものとの活動方針案を提案したこと、また、亡Jが昭和三六年七月ないし三七年六月の関東電労組本部執行委員を昭和三七年五月ないし四二年五月の間同山梨支部副委員長(組合専従)をそれぞれ務めたこと、亡Jが昭和四〇年八月の第一〇回同本部定時大会において人員充足闘争の実施を求める意見を再度表明したこと、以上の各事実が認められる。
以上の各事実を総合すると、亡Jが昭和三一年ごろから昭和四二年頃まで労働組合の基本的な活動方針として階級的民主的闘争路線を一貫して信奉し、これを組合幹部又は一組合員として東電労組の組合活動に根付かせる努力を払って来たこと、被告の合理化施策に対して職場闘争の一つである一般的な人員充足闘争の推進を訴えて来たこと、甲府分会による甲府営業所配電課の人員充足闘争に肯定的評価を有していたことが認められるが、このことから直ちに同人がこの間の具体的個別的で被告企業秩序を紊乱するような人員充足闘争ないし職場闘争を中心的に指導したとまでは言えず他にこれを認めるに足りる証拠はないと言わねばならない。
b 職場内政治集会の指導
次に、亡Jが安保改定反対第八次及び第九次統一闘争を積極的に組織し被告施設における勤務時間内各闘争及び職場集会に非公然ないし潜行的な中心的指導者として関与したことを認めるに足りる証拠もない。
c 企業秘密漏洩等不信行為の有無
まず、亡Jが南波佐間の手紙を被告の反共労務政策の有無実態が争点となっていた青木一の地位確認訴訟における証拠として提出したことは当事者間に争いがないが、右行為は従業員の地位を利用して蒐集した社内情報の漏洩とはいえないから、これを不信行為として消極的評価の要素とすることは許されない。
次に、亡Jが発電所譲渡問題に関する何らかの情報を山梨県に漏らしたことを認めるに足りる証拠はない。
更に、亡Jが渡辺令子事件の訴訟を支援したことは当事者間に争いがないが、これのみをもって不信行為と言うことはできない。
③ 標準者より劣悪か
以上①及び②の各事実を総合すれば、亡Jが同期入社同学歴の標準者よりも劣る業務実績であったものとは認められない。
(2) 亡Jの職務遂行能力
証拠(亡原告J本人)及び弁論の全趣旨によれば、亡Jが昭和二八年九月ないし昭和三〇年二月の間階級闘争路線を採っていた電産の関東地方本部副委員長呼び同山梨支部甲府分会書記長(もぐり専従)を、昭和三〇年五月ないし昭和三一年六月の間同本部常任執行委員(組合専従)を、昭和三一年六月の組織合同後昭和三三年三月まで階級闘争路線に変わった東電労組山梨支部甲府分会書記長(もぐり専従)を、同年四月ないし昭和三四年三月の間同分会執行委員兼本部代議員を、昭和三五年四月ないし昭和三六年五月の間東電労組山梨支部書記長を、昭和三六年七月ないし昭和三七年六月の間東電労組本部執行委員を、昭和三七年五月ないし昭和四二年五月の間同山梨支部副委員長(組合専従)を、それぞれ務め、以上一三年間の高度経済成長時代に突入し技術革新が進んだ時期に、約一〇年間職場から離脱して土木技術の実務経験を積み重ねる機会を失し、三類検定も受けなかったことは当事者間に争いがない。そして、右事実によると、亡Jが少なくとも土木技術者としてはその知識技能の向上につき標準者に比べて後れを取った事を推認できる。しかし、証拠(<書証番号略>、証人藤沢松夫、亡原告J本人)及び弁論の全趣旨によれば、亡Jと同様に亡J外原告らを除く四年間以上継続して組合専従となった者が営業系技術系を問わず復職後昭和六二年までに順調に昇進し、一定の職制に任用されていること、亡Jが専従期間中に主に経営対策すなわちすべての業務分野に関する経営合理化及び人員計画等の事前協議に組合員の要求を反映させるための職務を担当し業務内容全体にわたり勉強しかつ様々な分野の規定、基準、労働基準法、労働安全衛生規則及び電気事業法等にも習熟してその法律的素養を磨きかつ文書の起案力を向上させたこと、そこで亡Jが規定類の作成業務で成果を挙げられたこと、また、被告山梨支店労務係長南波佐間正が昭和四一年二月当時亡Jの能力を「貴殿程の実力者」と表現してこれを高く買っていたこと、被告が亡Jにつき昭和四二年六月から同五四年七月まで与えられた仕事について一応ミスや遅れもなく処理していたと評価していたこと、亡Jが三類検定を受けなかったのは自己啓発意欲がなかったからではなく昭和三九年当時労使間に組合専従者は三類検定を受けないと言う確認があったためであること、以上の各事実が認められ、右各事実によれば、亡Jが自己啓発意欲に欠けていたものとは言えず、また、土木技術分野の技術的職務遂行能力はともかくとして総合的な職務遂行能力においては、同期入社同学歴の標準者に劣っていたとは言えず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。
五違法性の有無(合理的な差別か否か)
1 被告の裁量権の原則的範囲
被告が自らの事業目的を効率的に達成する上で必要であり、しかも、思想信条による処遇の差別を禁止する公序ないし労働協約の精神に反しない限度において従業員の処遇決定の裁量権を行使できるに止まるものと解すべきことは前示一のとおりであるから、原告らが共産党員等であること自体を理由とする給与関係の処遇上の差別は、原則として違法である。
2 差別の合理性が認められる例外的場合及び判断基準
もっとも、被告は、営業の自由を有し自らの事業目的を効率的に達成する上で必要な従業員の処遇に関する裁量権を有するとともに、保有財産を不法に侵害されない権利(財産権)を有しているのであるから、原告らが日本共産党の活動方針及び組織統制力の下で正当な労働基本権の行使の範囲を逸脱して職場規律の麻痺自体を意図する継続的な規律紊乱行為、違法な信用毀損行為若しくは右行為へ加担する企業秘密漏洩行為又は被告の事業用資産の占拠ないしこれに対する破壊活動等の犯罪行為ないし不法行為を行うおそれがあると認められ、また、原告らを裁量権が広くより高度の企業秘密に接しかつより多くの部下を擁する上位職級の業務ないし職制に任用すれば原告らがその地位を利用してより大規模の右犯罪行為ないし不法行為に出るおそれがあるなど特段の事情が認められる場合には、そのおそれの質ないし程度に相応する限度で企業防衛の観点から原告らに対する処遇上の特別な取扱いを行うことが合理的であると言い得る場合もあるものと解される。
しかし、仮に日本共産党が被告主張のような活動方針を有していたとしても、元共産党員の櫻田清が離党前から党活動について実行義務を課されなかったこと、同人が党活動を数年間懈怠しても何ら不利益処分を受けなかったこと及び同人の離党に際しても何らの強制も事後的な制裁も受けなかったことは前示(9)(1)②ⅱのとおりであり、右事実によると、日本共産党の命令系統ないし組織統制力の担保が必ずしも強度とは言えず、被告が主張するような鉄の規律に基づく党員の無条件服従というような実態がないことは明らかであるから、右特段の事情は、単純に日本共産党の綱領ないし活動方針のみから直截的に導き出されうる筋合いのものではなく、あくまで原告らの個別具体的な活動状況が被告主張どおりの内容であったか否か、換言すれば、各原告の被告内外における従業員又は共産党員等としての従前の個別具体的諸活動に照らし、原告らが共産党員等である限り被告の事業活動の脅威となる犯罪行為ないし不正行為に出る具体的な危険性があったか否かによってその有無を判断すべきものと解される。
ところが、原告ら(原告Aを除く)の共産党員等としての活動又は労働組合活動の指導及び実践の程度は、前示四2の(二)ないし(一〇)中における各(1)②ⅱのとおりであり、原告らの中には昭和三四年ないし昭和三九年の間に違法な職場闘争などをした者がいたものの、その程度は前記犯罪行為ないし不法行為と比較すると全く次元が異なる違法性が低いものであり適正な労働組合活動の枠を多少逸脱したという評価が加えられるに止まるものと言うべきであって、右のことから直ちに各原告が前記犯罪行為等を行うおそれがあるとは言えず、他にこれを認めるに足りる証拠もない。
3 差別方法の許容範囲とその逸脱の有無
(一) 差別方法の許容範囲
更に、被告は、仮に各原告について右の特段の事情が認められる場合であっても、企業防衛の観点から原告らに加える処遇上の差別について自由裁量権を有するものではなく、右企業防衛の目的にかなう限度、すなわち、職制(管理職)に任用せず、部下の監督指導業務及び高度の企業秘密に接する業務を担当させないという限度で差別的な処遇をすることが合理的となるに過ぎないと解すべきであり、これに伴い原告らに給与額の差別をすることまで合理的となるものではないものと解される。したがって、被告が職務給制度を採用していることは前示第二の一2(二)のとおりであるが、原告らの職級を昇格させるために上位職級に見合った業務内容の一部を組替えないし除外したうえ上位職級に昇格させ又は職級との対応関係を切り離して資格を昇格させるなどして、少なくとも標準者に対する給与関係の処遇に見合った給与を支給すべきものと言わねばならない。確かに、被告がこのような措置を採るとその給与体系が一部変容することになるが、被告が職級の弾力的運用すなわち同一基準職務を担当させつつ職級のみを一級昇格させる運用及び課業による職級の格付けすなわち例えば同期入社同学歴者二人に六級職及び七級職の課業をそれぞれ等分に分担させていずれも六級にする運用を取り入れたことは前示二1(二)(1)②ⅱのとおりであるから、現に被告が職級の弾力的運用制度により昭和五一年四月一日付で亡Jを七級の業務を担当させたまま六級に昇格させたことは前示四2(一〇)(1)②ⅰbのとおりであり、前記措置が必ずしも円滑な人事制度の運用に支障を及ぼすものとはいえず、原告らの将来の行動の危険性のみを理由として前記のような企業防衛目的の措置を採用する以上、他方において、いわば代償措置として、この程度の給与体系ないし人事制度の変容を行うことは、正にやむを得ない措置と言うべきである。
(二) 許容範囲内か否か
(1) 給与差別について
ところが、被告は、原告らを職制に任用せず又は部下の監督指導業務及び高度の企業秘密に接する業務を担当させなかったというに止まらず、上位職級ないし上級資格への昇格を抑制しこれらと連動する基本給及び資格手当を標準者より下回る水準に抑制し、かつ、職責手当相当額への配慮を欠き、更には、部下の監督指導業務又は高度の企業秘密に接する業務とは無関係な低職級間の職級及び資格の昇格すら抑制したことは当事者間に争いがないのであり、それ自体、被告に許された合理的裁量の範囲を逸脱する違法な措置であったと言わねばならない。
(2) その余の差別について
次に、被告の原告Aに対する前示二2(一)(4)の措置(免許取得機会の不付与)、被告の原告Bに対する前示二2(二)(1)の措置(交友制限の指導)及び同(3)の発言、被告の原告Dに対する前示二2(四)(2)の措置(転向強要)、被告の原告Eに対する前示二2(五)(1)の発言、同(2)(残業からの除外)及び同(4)(原稿の不採用)、被告の原告Fに対する前示二2(六)(1)の措置(転向強要)、被告の原告Gに対する前示二2(七)(3)の措置(表彰差別)、被告の原告Hに対する前示二2(八)(5)の措置(人事配置の差別)、被告の原告Iに対する前示二2(九)(2)の措置(同僚に対する交友制限の指導)、同(3)(斎藤所長の取調べ)及び同(4)(転向強要)の措置並びに被告の亡Jに対する前示二2(一〇)(2)の措置(転向強要)が前示基準に照らしていずれも違法であることは明らかである。
4 結論
したがって、被告の原告らに対する前示差別は、その余の点について判断するまでもなく合理的であったとはいえず、違法である。
六損害
1 差別給与相当損害の請求について
(一) 原告Aを除くその余の原告らについて
まず、原告らは、給与関係の処遇上の不合理な差別を受けたことによって現実に受けた著しく低い給与と各原告と同期入社同学歴の標準者に対して支払われるべき「あるべき給与」との差額を逸失し、右差額給与相当額の財産的損害を受けた旨主張するところ、右主張が認められるためには、あるべき給与の算定基礎の合理性ないし正確性(原告らと同期入社同学歴の標準者が「あるべき給与」を支給されるべきであったこと)、原告らがそれぞれの標準者と同等の業務実績を修め又は同等の職務遂行能力を有していたことがそれぞれ立証される必要があると解される。
ところで、前者の認定は前記二1の限度でこれを肯認することができる。また、後者の認定は、原告B、同C、同D、同E、同F、同G、同H、同I及び亡J(以下「原告Bら」という。)については前記四1及び2の(二)ないし(一〇)のとおりこれをそれぞれ肯認することができる。したがって、原告Bらについては、前示二1の限度で差別給与相当額の損害を受けたものと認めることができるから、原告Bらの請求は右の限度(請求額がこれを下回る場合については請求額の限度)で理由がある。
(二) 原告Aについて
(1) 主位的主張について
これに対し、原告Aについては、前記四2の(一)のとおり、それぞれの職務懈怠等の人事考課ないし査定上のマイナス要素が存在するため、標準者に対する評定ないし給与関係の処遇に満たない一連の評定に基づく給与関係の不利益処遇をしても被告の給与関係の処遇に関する裁量権を逸脱するものではなくむしろやむを得ないものと認められるから、被告の差別行為に基づくあるべき給与との差額給与相当額の実損害があったものとは認められない。
(2) 予備的主張について
次に、原告Aは、一瀬次男が現実に支払を受けたと推定される基準内給与との差額給与相当額の財産的損害を受けたものと主張するが、同原告が一瀬次男以上の業務実績ないし職務遂行能力を有していたとは認められないことは前記四2(一)のとおりであり、また、右(1)に判示したところから自ずと明らかなように、同原告に生じた給与格差が差別意思による部分とそれぞれの職務懈怠等の人事考課ないし査定上のマイナス評定による部分とを含み、観念的には同原告が差別意思による給与格差相当額の損害を受けていることが窺われるが、本件で提出された全証拠によっても右損害の割合を確定することはできない。したがって、原告Aについては、被告の差別行為に基づく他の従業員との給与格差相当損害の立証があったとは言えない。
2 慰謝料及び謝罪広告の各請求について
(一) 原告Bらについて
原告Bらに対する人権侵害の程度はそれぞれ前記二2のとおりであり、給与関係の不合理な不利益処遇の程度は前記第二の一3のとおりであり、かつ、証拠(<書証番号略>)及び弁論の全趣旨によれば原告Bらがこれにより精神的苦痛を被っていることが認められ、本件に現れた一切の事情を総合考慮すると、右精神的苦痛につき、被告は各原告に対し、不法行為に基づく損害賠償として別紙認容額一覧表(1)記載の各慰謝料額を支払うのが相当であるが、これをもってその精神的損害の回復としては足りるものと解されるから謝罪広告掲載の請求は理由がない。
(二) 原告Aについて
原告Aに対する給与関係の不合理な不利益処遇の程度は前記1(二)のとおりこれを確定することができないが、右不利益処遇の存在自体はこれを認定することができ、その余の人権侵害の程度は前示二2のとおりであり、本件に現れた一切の事情を総合考慮すると、右精神的苦痛につき、被告は原告Aに対し、不法行為に基づく損害賠償として別紙認容額一覧表(1)記載の慰謝料額を支払うことが相当であるが、これをもってその精神的損害の回復としては足りると解されるから謝罪広告掲載の請求は理由がない。
3 弁護士費用
原告らが本訴請求の提起、追行を原告ら訴訟代理人に委任したことは当裁判所に顕著な事実であり、右委任事項が専門的知識経験を有する弁護士の関与を必要とすることは明らかであるから、右委任に伴う弁護士費用については、別紙認容額一覧表(1)記載の差額給与相当損害金及び慰謝料額の合計の認容額の一割を越えない限度では、被告の不法行為との相当因果関係のある損害と認めることができるから、別紙認容額一覧表記載の限度で原告らの請求は理由がある。
七差額給与相当損害請求権の消滅時効の抗弁の成否
1 被告主張の趣旨
被告給与体系が職務任用と職級と基本給とを密接に結び付けた職務給制度をその建前とし給与関係の処遇が従前の職務任用ないし職級決定を基礎として年々積み上げられたものであることは当事者間に争いがなく、被告は仮に被告が原告らに対し行った給与に影響する職務任用ないし職級昇格等の処遇及び給与に関する不利益な個々の決定(以下「給与関係の不利益処遇の決定」という。)が差別意思に基づく不法行為であるとしても、原告らの昭和四八年一〇月一三日以降現在までの差額給与相当損害の中には被告の原告らに対する昭和三五年前後から同四八年一〇月一二日までの個々の給与関係の不利益処遇の決定をその発生原因としている部分があり、右不法行為は右各時点で成立すると同時に終了し、損害もその時点で発生し、右各時点で権利行使の可能な状態となっているのであるから、原告らの本訴請求のうち、その発生原因となった一連の給与関係の不利益処遇の決定が原告が本訴を提起した昭和五一年一〇月一三日の三年前の日の前日である昭和四八年一〇月一二日以前にされた部分についてはいずれも消滅時効が完成しているから、右請求部分の消滅時効を援用するという趣旨のものと解される。
2 時効完成の有無について
ところで、本件が、被告が原告Bらに対し昭和三五年前後から現在に至るまで原告らが共産党員等であることを理由として一連の給与関係の不利益処遇の決定を行い続けた継続的不法行為の事案であり右一連の決定が継続する差別意思に裏打ちされていることは前示四のとおりであるが、被告が各処遇決定期に差別を止めるか継続するか(昇格させるか否か)を個別的に決定し得る以上差別意思の継続は右の二者択一的な決定の集合体に過ぎず原告らが主張するように右一連の決定を一個の不可分な不法行為と解すべきではないから各処遇決定期毎に個別の不法行為が発生したものと解すべきである。
しかし、被告給与体系が職務任用と職級と基本給とを密接に結び付けた職務給制度をその建前とし給与関係の処遇が従前の職務任用ないし職級決定を基礎として年々積み上げられるものであることは前記1のとおりである反面、被告が職務任用について裁量権を有することは当事者間に争いがなく、また、櫻田清外の転向者がいずれも標準的な従業員よりも厚い給与関係の処遇を受けたことは前記三2(一)のとおりであり、右各決定後の被告の労務政策の変更又は原告らの転向などにより給与関係の処遇の改善特に回復的な破格の職務任用がされれば過去の不利益処遇の決定を原因とする差額給与相当損害の発生が同任用時点以降途絶する結果となり、しかも、その回復可能性が人の生命身体に対する傷害による後遺症発生の場合などとは異なり擬制により加害行為時(不利益処遇決定時)に損害が逸失利益として発生したものと認めることができない程度に高いことに鑑みれば、差額給与相当損害が右各決定に基づき発生するのは右各決定期ではなく各給与支払期と解するのが相当である。したがって、昭和四八年一〇月一二日以前の給与関係の不利益処遇の決定を発生原因とする差額給与相当損害部分は、それぞれ昭和四八年一〇月一三日以降の各給与支払期に不断に発生し続けるから、差額給与相当損害金請求権の消滅時効期間は各給与支払時から進行するものと解すべきである。
したがって、原告らの請求部分のうち、被告が時効消滅を主張する前記差額給与相当損害金請求権の消滅時効は本訴請求提起により時効が中断しており被告の主張は理由がない。
3 結論
以上から、原告Bらの被告に対する差額給与相当損害金請求に関する被告の一部消滅時効の抗弁は理由がない。
第四結論
以上によれば、原告らの請求は、原告らの被告に対する別紙認容損害賠償金額目録合計欄記載の各金員及び認容額(1)ないし(8)欄記載の各金員に対する各起算日から支払済みまで年五分の割合による金員の請求の限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求は失当であるからいずれも棄却し、訴訟費用につき民訴法八九条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用し、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官豊永格 裁判官石栗正子 裁判官日下部克通は、転任のため署名押印することができない。裁判長裁判官豊永格)
別表二の一 資格段階付基準表<省略>
二の二 資格手当・年度別推移一覧表<省略>
二の三 資格段階等級対応職級表<省略>
三 職責手当改定及び対応職級一覧表<省略>
四の一、二 世帯手当年度別推移一覧表<省略>
四の三 ライフサイクル手当一覧表<省略>
五 賞与妥結額年度別一覧表<省略>
六 住宅積立助成手当支給率推移表<省略>
七 財産形成給付金<省略>
八 退職金および年金給付率表<省略>
九 各原告別嘱託関係諸支給一覧表<省略>
一〇―一 原告Aのあるべき給与と実際の給与等<省略>
一〇―一 原告Aと一瀬次男との給与格差一覧表<省略>
一〇―二 原告Bのあるべき給与と実際の給与等<省略>
一〇―三 原告Cのあるべき給与と実際の給与等<省略>
一〇―三 原告Cと関部善和との給与格差一覧表<省略>
一〇―四 原告Dのあるべき給与と実際の給与等<省略>
一〇―五 原告Eのあるべき給与と実際の給与等<省略>
一〇―五 原告Eと市川和正との給与格差一覧表<省略>
一〇―六 原告Fのあるべき給与と実際の給与等<省略>
一〇―八 原告Hのあるべき給与と実際の給与等<省略>
一〇―八 原告Hと一瀬明治との給与格差一覧表<省略>
一〇―九 原告Iのあるべき給与と実際の給与等<省略>
一〇―一〇 亡Jのあるべき給与と実際の給与等<省略>
一一 入社年度別組合員平均基本給・職級一覧表<省略>
一二 入社年度別組合員平均資格一覧表<省略>
一三 基準内給与高卒(除世帯手当)一覧表<省略>
別紙謝罪文等目録<抄>
一 謝罪文
当社は、A外九名の皆様に対し、思想、信条を唯一の理由として、賃金差別、懲戒処分、不当配転、転向強要、社宅入居拒否と差別、仕事の取上げと仕事上の差別、各種研修からの排除、職場八分、私生活への監視、干渉、文化体育活動からの排除、組合役員選挙への介入などさまざまな差別・不利益取扱いを永年にわたり行い、皆様の人格、名誉、信用を著しく傷つけました。またこれらの実施にあたり、公安警備警察とも緊密な連絡を取り、従業員の思想調査を行い、社内においては反共宣伝、反共教育を行い、職場の自由と民主主義を踏みにじってきました。
当社の前記行為は、法の下の平等ならびに思想信条の自由、その他憲法上の基本原則に背反し、諸法令にも違反する反社会的犯罪行為であります。よって当社はかかる違法行為によって皆様に甚大なる損害を与えたことをここに深く陳謝し、今後再びかかる行為により全従業員にご迷惑をかけないこと、および皆様に対する永年にわたる差別、不利益取扱いを是正し、過去の損害を補償することを誓約致します。
平成 年 月 日
社長 荒木浩
二
謝罪文掲示場所 以下の一九事業所の全ての業務用掲示板
事業所名
所在地
東京電力株式会社本店
東京都千代田区内幸町一丁目一番三号
同社山梨支店
甲府市丸ノ内一丁目一〇番七号
同支店甲府資材センター
山梨県巨摩郡竜王町竜王三三一五番
同支店大月営業所
山梨県大月市御太刀二丁目二番一四
同支店上野原営業所
山梨県北都留郡上野原町三二八二番四
同支店富士吉田営業所
山梨県富士吉田市上吉田字遊弥一〇四四番一
同支店塩山営業所
山梨県塩山市上於曽五五八番三
同支店甲府営業所
甲府市住吉五丁目一五番一号
同営業所石和サービスステイション
山梨県東八代郡石和町市部一一一〇番
同支店右身延営業所
山梨県南巨摩郡身延町梅平二四八三番二九
同支店韮崎営業所
山梨県韮崎市若宮一丁目八番二一
同支店長坂営業所
山梨県北巨摩郡長坂町長坂上条二四七一番一
同支店櫛形営業所
山梨県中巨摩郡櫛形町小笠原四二九番一
同支店山梨給電所
山梨県甲府市丸ノ内一丁目一〇番七号
同支店甲府工務所
甲府市住吉五丁目一五番一号
同支店早川工務所
山梨県南巨摩郡早川町榑坪二八番
同支店駒橋工務所
山梨県大月市御太刀二丁目二番一四
同支店東山梨変電所
山梨県大月市笹子町黒野田七九七番
同支店葛野川水力建設所
山梨県大月市猿橋町殿上一九五番
別表1 原告ら略歴等一覧表
原告ら氏名
(生年月日)
学歴(認定学歴)
資格
職種
入社
昭和年度
(同年月日)
入党年月
(昭和)
退職年月
(昭和・平成)
A
(大正14.9.15)
愛知県立熱田中学校卒(旧甲中卒=高卒扱い)
営業
配電事務
23年度
(23.1.10)
36.5
昭和
57.9
B
(昭和2.8.4)
山梨県立谷村工商業校卒(旧甲中卒=高卒扱い)
営業
23年度
(23.1.10)
35.2
61.8
C
(同 2.4.3)
中央社員養成所高等部昭和29年度卒(昭和30年度入社高卒扱い)
高圧電気工事技術者
発変電
運転員
22年度
(22.4.1)
34.10
61.4
D
(同 3.3.24)
山梨県立諏訪農学校卒(旧甲中卒=高卒扱い)
配電設計
22年度
(22.3.24)
37.11
63.3
E
(同 3.8.17)
山梨県立石和高校定時制卒(昭和30.3.31高卒)
営業
(料金)
30年度
(23.1.10)
35.5
63.8
F
(同 5.11.14)
新潟県立新潟中学卒(旧甲中卒=高卒扱い)
営業
24年度
(23.10.15)
35.2
平成
2.11
G
(同 7.11.18)
山梨県立甲府工業高校建築科卒(高卒)
一級建築士
支店建築
27年度
(27.4.1)
35.4
4.11
H
(同 8.6.23)
山梨県立甲府工業高校併設中学卒(中卒)
高圧電気工事技術者
配電工事
28年度
(28.4.1)
35.5
昭和
57.4
I
(同 14.12.16)
山梨県立巨摩高校卒(高卒)
低圧電気工事技術者
営業
33年度
(33.4.1)
36.1
現職
亡J
(同 6.2.10)
山梨県立甲府工業土木科卒(旧甲中卒=高卒扱い)
支店土木
23年度
(23.4.1)
35
平成
3.2
別紙1
認容損害賠償金額目録
認容額(起算日)
原告名
認容額(1)(昭和51.12.25)
認容額(2)
(同54.10.16)
認容額(3)
(同57.1.26)
認容額(4)
(同59.4.10)
認容額(5)
(同60.10.31)
認容額(6)
(同63.4.5)
認容額(7)
(平成2.10.2)
認容額(8)
(同5.2.2)
認容額合計
差別
給与額
慰謝料
弁護士
費用
A
0
300,000
30,000
0
0
0
0
0
330,000
B
1,867,240
1,500,000
330,000
1,837,250
2,709,513
1,967,442
3,523,212
9,900,867
103,600
23,739,124
C
792,414
1,500,000
220,000
1,128,334
2,003,767
1,789,329
3,215,159
8,962,588
16,300
19,627,891
D
2,174,827
1,500,000
360,000
1,917,210
2,856,039
1,629,559
3,617,000
4,241,919
7,265,542
25,562,096
E
811,488
1,500,000
230,000
1,149,425
2,154,374
1,924,943
3,596,102
4,100,694
9,358,925
24,825,951
F
1,942,163
1,500,000
340,000
1,861,906
2,788,102
2,007,086
3,692,987
4,210,665
4,938,025
12,375,757
35,656,691
G
1,179,567
1,500,000
260,000
1,459,311
2,334,807
1,806,283
3,433,657
4,022,781
4,614,591
17,673,460
38,284,457
H
0
750,000
70,000
13,300
257,100
486,223
1,576,623
I
825,873
1,500,000
230,000
994,295
1,993,450
1,602,717
3,204,468
3,690,177
4,388,792
6,287,380
24,717,152
J1
702,498
750,000
140,000
633,615
967,101
683,805
1,296,794
1,474,926
1,725,511
4,677,051
13,051,301
J2
351,249
375,000
70,000
316,807
483,551
341,902
648,396
737,463
862,756
2,338,525
6,525,649
J3
351,249
375,000
70,000
316,807
483,551
341,902
648,396
737,463
862,756
2,338,525
6,525,649
別紙2
請求債権目録
請求債権(起算日)
原告名
請求債権(1)(昭和51.12.25)
請求債権(2)
(同54.10.16)
請求債権(3)
(同57.1.26)
請求債権(4)
(同59.4.10)
請求債権(5)
(同60.10.31)
請求債権(6)
(同63.4.5)
請求債権(7)
(平成2.10.2)
請求債権(8)
(同5.2.2)
請求債権
合計
差別
給与額
慰謝料
弁護士
費用
A
1,893,420
3,000,000
480,000
1,986,432
3,090,113
8,122,091
2,222,760
744,920
21,539,736
B
1,867,240
3,000,000
490,000
1,837,250
2,709,513
1,967,442
3,523,212
10,581,877
103,600
26,080,134
C
2,320,001
3,000,000
530,000
2,075,378
2,744,871
2,020,929
3,505,796
12,600,022
16,300
28,813,297
D
2,275,846
3,000,000
520,000
1,917,210
2,856,039
1,629,559
3,617,000
4,241,919
7,265,542
27,323,115
E
812,739
3,000,000
530,000
1,149,425
2,180,122
1,924,943
3,604,795
4,100,694
9,358,925
26,661,643
F
1,942,163
3,000,000
480,000
1,863,106
2,788,102
2,012,986
3,692,987
4,210,665
4,938,025
12,375,757
37,303,791
G
1,193,913
3,000,000
450,000
1,459,311
2,334,807
1,806,283
3,433,657
4,022,781
4,614,591
17,673,460
39,988,803
H
719,674
3,000,000
360,000
910,582
1,608,480
2,526,472
9,125,208
I
826,013
3,000,000
390,000
995,095
1,993,450
1,602,717
3,204,468
3,690,177
4,390,644
6,287,380
26,379,944
J1
707,934
1,500,000
220,000
641,278
967,101
683,805
1,296,794
1,474,926
1,725,511
4,677,051
13,894,400
J2
353,966
750,000
110,000
320,638
483,551
341,902
648,396
737,463
862,756
2,338,525
6,947,197
J3
353,966
750,000
110,000
320,638
483,551
341,902
648,396
737,463
862,756
2,338,525
6,947,197
別表10−7原告Gのあるべき給与と実際の給与等