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盛岡地方裁判所 平成6年(ワ)271号 判決 1998年3月27日

主文

一  被告は、原告甲野太郎・甲野花子に対し、それぞれ金三九六〇万五三三四円及びこれに対する平成六年九月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告甲野花子及び同甲野太郎に対し、それぞれ金五一〇〇万円及びこれに対する平成六年五月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 被告は、岩手県遠野市松崎町白岩<番地略>所在の岩手県立○○病院(以下「被告病院」という。)を経営している。

(二) 亡甲野春子(以下「亡春子」という。)は、岩手県遠野市内の六角牛病院精神科に看護婦として勤務していたものであり、原告甲野太郎(以下「原告太郎」という。)は亡春子の夫であり、原告甲野花子は、原告太郎と亡春子の間の子である。

2  本件診療の経緯

(一) 亡春子は、平成五年九月二〇日、被告病院で診察を受けて妊娠が確認され、その出産予定日が平成六年五月二五日であると告げられ、以来、被告病院産婦人科に通院し、その主治医は訴外乙野一郎医師(以下「乙野医師」という。)であった。

(二) 亡春子は、同年四月三〇日午後四時ころ、39.9度の発熱があったため、事前に電話で連絡の上、原告太郎の付添いを受けて同六時ころ被告病院を訪れた。

原告太郎と亡春子は、被告病院において医師の診察を要請したが、医師による亡春子及び胎児の診察を受けることができず、医師の指示を受けた訴外戊野夏子看護婦(以下「戊野看護婦」という。)からメチロン(解熱剤)の注射を受けただけで帰宅した。

(三) 亡春子の症状は、同日中は小康を保ったが、翌五月一日午前四時ころから、嘔吐と下痢の症状が発現して容態が悪化した。

そのため、亡春子は、再び原告太郎の付添いを受けて、同九時三〇分ころ、被告病院を訪れ、同病院の救急処置室にて脳外科担当の丁野医師、続いて主治医の乙野医師の問診を受けたが、両医師とも食中毒を疑った問診を行い、乙野医師からは入院の指示を受けた。

しかし、亡春子は、39.9度の発熱があり、唇が紫色の状態になっていたにもかかわらず、同一一時三〇分過ぎまで漫然と放置された。

(四) 同日正午過ぎから乙野医師が亡春子の診察を開始し、胎児の娩出を行い、同午後〇時五五分、胎児の死亡が確認された。

続いて、亡春子に対して羊水塞栓症の診断がなされ、短時間に容態が重篤化し、同五時五三分、亡春子は死亡した。

3  胎児の死亡時期

亡春子の胎児は、同日正午近くまでは生存していた。

すなわち、人の死後硬直は、死後二ないし三時間で発現し、死後三〇時間まで持続するものであるところ、娩出された胎児には、顎にのみ硬直と思われる症状があったものの、その余の全身の硬直には至っておらず、また、同胎児には、死後六時間から認められる浸軟の最初の兆候である皮膚滑脱が見られず、さらに、経産婦であり、看護婦でもあった亡春子が、胎児の胎動の消失に、同日正午ころの同女の容態急変以前に気付かないことは考えられないからである。

4  被告の過失

(一) 亡春子が死亡前日の四月三〇日午後六時ころに被告病院を訪れた際の妊娠末期における発熱、急性腹症は、多くの重篤な原因疾患の存在を推認させるものであり、その原因疾患は母体と胎児に決定的な影響をもたらす蓋然性が極めて高い上に、亡春子は既往症が多かったのであるから、このような場合には、医師自らが患者に問診等し、あるいは諸検査を行うなどして、母体及び胎児の状態を確認して適切な処置を施すべきであったのに、被告病院の医師らはこれを怠り、漫然と看護婦を通じてメチロンを投与するだけで済ませたため、胎児及び亡春子を死に至らしめた。

(二) また、亡春子のような重篤な患者については、直ちに治療を行うべきであるのに、被告病院の医師らはこれを怠り、翌五月一日朝早くに来院した亡春子を三時間余り放置し、同日正午過ぎまで何らの治療を行うことなく治療の時期を逸したため、胎児及び亡春子を死に至らしめた。

(三) 仮に、亡春子の症状が、胎児死亡を原因とする羊水塞栓症であるとしても、そのような場合には、早期に胎児の死亡を発見してその娩出を行うべきであるのに、被告病院の医師らはこれを怠り、胎児の状態を確認する措置をとらず、早期に胎児の娩出をしなかったため、亡春子をショック状態、DIC(播種性血管内凝固症候群)に陥らせ、よって亡春子を死に至らしめた。

(四) また、亡春子の治療に当たっては、初期段階にヘパリン(血液抗凝固剤)を投与し、呼吸困難、アシドーシス等に対しても適切な呼吸管理を行うべきであったのに、被告病院の医師らはこれを怠り、適切な治療を行わなかったため、亡春子を死に至らしめた。

5  羊水塞栓症

被告は、亡春子の死亡原因について、羊水塞栓症を原因とした急性呼吸不全である旨主張するが、右主張は次のとおり失当である。

すなわち、亡春子は、死亡前日の四月三〇日から発熱、嘔吐、下痢の症状を訴え、翌五月一日も早朝から同様な症状を訴えていたというものであり、亡春子には呼吸困難及びチアノーゼの突発という同症の典型的臨床症状は見られず、また、亡春子の病理解剖や生前の鑑別診断による母体の静脈血から羊水成分を検出するなどの確認もなされておらず、これを裏付けるものはない。

6  本件診療契約等

(一) 被告と亡春子の間には、妊娠が確認された平成五年九月二〇日、準委任契約としての診療契約が成立し、被告の履行補助者である被告病院の医師らは、亡春子の出産の介助をすべく、また、仮に出産に伴う異常事態が出来した場合には直ちにこれを発見して最善の処置をなすべく、現代医学の知見と技術の水準に則った誠実診療債務を負担するに至った。

(二) しかしながら、被告は、胎児及び亡春子に対する早期診断、早期治療の適期を逃し、あるいは亡春子のショック状態に対する救命措置に不備があったなど、亡春子に対する右診療債務を不完全に履行したことにより、胎児の死亡及び亡春子の死亡という結果を招来したものであるから、亡春子に対しては債務不履行責任を、その胎児の死亡に対しては不法行為責任を、それぞれ負う。

7  損害

(一) 胎児死亡を原因とする精神的損害

(1) 原告太郎につき一〇〇〇万円

(2) 同花子につき一〇〇〇万円

(3) 亡春子につき一〇〇〇万円

(二) 亡春子死亡による損害

(1) 逸失利益

亡春子は常勤看護婦として勤務するとともに、原告太郎の経営する損害保険代理店の事務にも従事しており、その収入は年間四〇〇万円を下ることはなく、六七歳まで稼働することが可能であり、その生活費控除割合を三〇パーセントとし、ホフマン方式による中間利息を控除して算出すると五五七六万七六〇〇円となる。

(2) 慰籍料

三〇〇〇万円

(3) 葬儀費用

二〇〇万円

なお、予備的に原告太郎の損害として主張する。

(4) 弁護士費用

原告らの請求金額の一割が相当である。

(三) 相続

原告らは、亡春子の死亡により、それぞれ法定相続分にしたがって亡春子の被告に対する損害賠償請求権を相続した。

8  よって、原告らは、いずれも債務不履行に基づく(7(一)については不法行為に基づく)損害賠償金各六四七七万二一八〇円(予備的に、原告太郎につき六五八七万二一八〇円、原告花子につき六三六七万二一八〇円)のうち金五一〇〇万円及び各金員に対する債務不履行に基づく損害が発生した亡春子の死亡の日である平成六年五月一日から民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1、同2(一)は認める。

2  同2(二)は、亡春子が、午後四時ころ39.9度の発熱があったこと、医師の診察を要請したことを争い、その余は認める。

亡春子からの電話の内容は、前日から発熱しているが、持っている「坐薬」を使用してよいかという問い合わせであり、当直の戊野看護婦から連絡を受けた乙野医師は、「坐薬」の使用が胎児への悪影響をもたらす場合があるので望ましくないと判断し、戊野看護婦に対し、①「坐薬」は使用しないで解熱剤二五パーセントのメチロンを注射したほうがよいこと、②明朝までに容態の変化があったら連絡すること、③様子を見て解熱しない場合には五月一日午前に受診することを指示したものであり、亡春子らが四月三〇日午後六時に来院したときも医師による診察の要請は全くなかった。

3  同2(三)は、亡春子の症状が同日中は小康を保ったが、翌五月一日午前四時ころより嘔吐と下痢の症状が発現して症状が悪化したこと、亡春子が発熱等にもかかわらず同一一時三〇分過ぎまで漫然と放置されたことは争うが、その余は認める。

乙野医師は、亡春子が独歩で被告病院に来院し、その来院時の体温は37.2度、愁訴は腹痛、発熱、嘔気、嘔吐、下痢などであって消化器疾患由来のものと思われたので、救急外来には産科的診察に必要な器具がないため、入院後、右症状に対する対症療法を行い、右の各症状がある程度落ち着くのを待って産科的診察を行うことにした。

亡春子に対する点滴の開始が午前一一時一〇分となったのは、亡春子の入院のための準備や同人が長時間トイレに入っていたためである。

4  同2(四)は認める。

5  同3は、娩出された胎児が皮膚滑脱の兆候を示していなかったこと、亡春子が経産婦であり、看護婦であったことは認めるが、その余は争う。

右胎児の死後硬直は、顎関節、肩、肘、股関節、膝などの大関節に及んでいたが、手指などの末梢の小関節には硬直が認められず、浸軟作用も認められなかったことから、その死亡時期は四月三〇日正午ころから翌五月一日午前六時ころまでの間と推定できる。

また、右胎児は、亡春子が五月一日午前四時ころ使用した解熱系のボルタレンと推測される「坐薬」を使用したことにより、胎児の動脈管の早期閉鎖を起こして死亡したものである。

6  同4(一)ないし(四)は争う。

(一) 本件の胎児及びその付属物の所見では、子宮内の胎児が仮死状態に陥ったときに認められる産瘤の増大及び羊水混濁がなく、胎児は仮死状態の時期をほとんど経ずに急性に突発的に死亡するに至ったと考えられるので、被告病院の医師らにおいて、子宮内胎児の死亡に至る兆候を把握して対処し、胎児を救命するのは不可能であった。

(二) 亡春子は、五月一日に被告病院を訪れた際、腹痛、発熱、嘔吐、下痢等の症状を訴えており、麻酔下に開腹手術を行い得る状態ではなく、仮に胎児仮死の兆候を認めたとしても、急遂分娩により胎児を救命することは不可能であった。

(三) 亡春子については、分娩中急性に発症した呼吸困難およびチアノーゼ、それに引き続く重篤なDICの発症から、羊水塞栓症であると認められる。

亡春子の羊水塞栓症に対しては、抗ショック療法、呼吸管理、DICに対する治療、急遂分娩などにおいて時機を逸することなく適切に行われている。なお、ヘパリンを使用しなかったのは、これを上廻る治療成績を残しているアンチトロンビンⅢを使用したためである。

(四) 亡春子の原疾患である羊水塞栓症は、一旦発症した場合に非常に死亡率の高い疾患であり、現在の医療レベルでは治療困難な疾患である。

7  同5は、被告が亡春子について、病理解剖による剖検及び生前の鑑別診断をしていないことは認めるが、その余は争う。

亡春子の羊水塞栓症は、胎児死亡を原因として分娩中に発症したものであるから、亡春子に四月三〇日及び五月一日午前中に呼吸困難やチアノーゼの症状がないのは当然である。

8  同6(一)は認め、同(二)、同7及び同8は争う。

第三  証拠関係

本件記録中の証拠関係目録に記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  請求原因1、同2(一)の事実は、当事者間に争いがない。

二  本件診療の経緯について

1  当事者間に争いのない事実及び証拠(乙一、二、一八ないし二〇、二三、証人戊野夏子、同乙野一郎、原告甲野太郎)並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実を認めることができる。

(一)  前日から発熱していた亡春子は、平成六年四月三〇日午後四時ころ、体温が39.9度まで上昇したため、同五時三〇分ころ被告病院に電話をかけた。当日、被告病院は休診日であったため、当直の戊野看護婦がその応対をした。戊野看護婦は、被告病院の産婦人科医師であって自宅にいた乙野医師(なお、当日の当直医は内科の丙野医師であった。)に、亡春子からの電話の内容を報告して指示を仰いだところ、乙野医師から、被告病院に来てもらってメチロン(解熱剤)の注射をすること、明朝までに容態の変化があった場合にはまた連絡すること、解熱しない場合には翌五月一日午前中に受診することとの指示を受けたため、亡春子に連絡し、被告病院に来院するように伝え四月三〇日午後六時ころ、原告太郎の付添いを受けて来院した亡春子にメチロンを注射した(なお、検温、問診を含めて、それ以外の処置が亡春子に対して行われたことを窺わせる証拠はない。)。原告太郎及び亡春子は、戊野看護婦から右注射を受けただけで帰宅した。

(二)  亡春子は、被告病院でメチロンの注射を受けたため、発熱は一旦緩解したものの、翌五月一日午前四時ころ、嘔吐、下痢等が生じたため、同九時三〇分ころ、原告太郎の付添いを受けて被告病院を訪れ、救急外来で当直医であった脳外科医の丁野医師の問診を受け、引き続いて交替した乙野医師の診察を受けた。乙野医師は、亡春子の愁訴や四月二九日に焼き肉を食べたとの問診内容などから、亡春子の症状について食中毒を疑った。そして、乙野医師は、被告病院の救急外来には産科的診察に必要な器具がなかったため、入院後に右症状に対する対症療法を行い、その症状がある程度落ち着くのを待って産科的診察を行うこととし、五月一日午前一〇時ころ入院の指示をした。なお、そのころの亡春子の体温は、37.2度であった。

(三)  亡春子は、同日午前一〇時三〇分ころ入院となり、氷枕、加温、病歴の聴取などを経て、同一一時一〇分ころから止痢剤、抗生剤、栄養剤、抗コリン剤などの投与、点滴が開始された。なお、亡春子は、同日被告病院を訪れてから右一一時一〇分ころまでの間、下痢のために一、二回病院内のトイレに行っており、少なくとも看護婦が病室に赴いた同一〇時五〇分ころには独歩でトイレに行っていて病室を不在にしていたが、同一一時一〇分ころには帰室していた。被告病院では、同一一時四五分ころ、亡春子に分娩監視装置を装着したところ、胎児の心音などが不明瞭の状態であり、分娩陣痛の発来も見られた。乙野医師は、同日午後〇時五分ころ、看護婦から連絡を受けてエコー検査をし、同〇時二五分ころ、胎児の心停止を確認した。

(四)  同日午後〇時五〇分ころから、胎児の娩出が開始され、同五五分、胎児の死亡が確認されたが、亡春子は、右娩出の途中から顔色が不良となり、娩出直後の同一時ころから血圧低下、出血傾向、呼吸困難、口唇チアノーゼなどが認められるようになり、その症状が急激に悪化の一途を辿り、同四時三〇分ころには意識を消失し、同五時二五分ころから気管内挿管、心臓マッサージなどが行われたが、同五三分に死亡した。

2(一)  被告は、亡春子が、死亡する前日の四月三〇日に被告病院に来院した理由について、亡春子から、発熱しているが解熱のために「坐薬」を使用してよいかとの問い合わせの電話があり、これを受けた戊野看護婦は、乙野医師の指示を仰いだところ、「坐薬」の使用が胎児に悪影響をもたらす場合があると判断した同医師から、「坐薬」は使用しないで解熱剤メチロンを注射したほうがよい等と指示されたため、その旨亡春子に連絡したものであり、同日午後六時ころ被告病院に来院した亡春子から医師による診察の要請はなかった旨主張し、戊野看護婦及び乙野医師の各供述はこれに沿うものであり、右同日のやりとりについて、戊野看護婦は、右「坐薬」が何であるかを亡春子に問い質さず、また、乙野医師も、同看護婦から「坐薬」とだけしか連絡を受けていない旨供述し、右各供述内容を前提とすれば、乙野医師は戊野看護婦から「坐薬」という報告だけを受け、それがどんな種類のものであるかを全く特定せずに使用すべきでないという判断をしたことになり、その理として、同医師は、解熱目的で使用する「坐薬」はボルタレンかインダシンといったものであり、これらの「坐薬」を妊娠末期の妊婦に投与すると、分娩遅延や胎児の動脈管閉鎖などにより、胎児死亡率の上昇に結び付くので、「坐薬」は使用しないでメチロンを注射するように指示した旨供述している。

しかしながら、乙野医師は、翌五月一日の問診の際、亡春子から、早朝再び熱が出たので「坐薬」を使用して来院したと言われた旨供述しているが、そうだとすると、右供述を前提とする限り、前日、「坐薬」の使用を禁じられてメチロンの注射を受けるためだけにわざわざ被告病院を訪れた亡春子が、一転して、翌早朝に禁じられた「坐薬」を使用して被告病院に来院したことになり、亡春子の行動として考えたとき、極めて不自然な事実経過といわなければならない。

また、乙野医師は、亡春子から、前記した胎児に危険を及ぼす恐れのある「坐薬」を使用したと聞いていたと言うのであるから、そうとすれば、乙野医師の「坐薬」に対する前記した認識を前提とすれば、同医師としては、直ちに、右「坐薬」の使用による胎児や母体への影響の有無を疑った何らかの措置を施していて然るべきではないかと考えられるのに、亡春子の問診後は、被告病院の医師により、食中毒を疑った対症療法は行われたものの、妊娠末期の亡春子や胎児に対する医療行為は、同人が下痢のために病院内のトイレに行っていたものであったとしても、入院後約一時間経過してようやく分娩監視装置が装着されるといったものであって、右「坐薬」の使用を考慮した何らかの措置が直ちに施された形跡を認めることができないことは、前記1認定のとおりであり、乙野医師の右供述を前提とする限り、その言動には了解し難いものがあるといわなければならない。

以上に鑑みれば、被告の右主張に沿う乙野医師及び戊野看護婦の右各供述を直ちに採用することはできないから、被告の右主張するような内容の電話を亡春子がしたと認めることはできない。

被告の右主張は理由がない。

(二)  ところで、患者が体調不良を訴えて病院に連絡する場合、できるならば医師の診察を受けたいと思うのは患者なら当然であり、これを望まない者は通常考え難いことは、経験則上明らかというべきであるところ、殊に、亡春子は、右四月三〇日当時、妊娠末期の妊婦であり、三九度を超える発熱のある状態であって、休診日にもかかわらず敢えて体調の異変を押して被告病院を訪れていることに鑑みれば、亡春子が同日被告病院を訪れたのは、医師の診察を望み、また、それを期待したからにほかならないものと合理的に推測できるところであり、これに符合する原告太郎の供述部分は信用できる。

三  次に、胎児死亡の時期、その死亡原因及び亡春子の死亡原因について、以下、順次判断する。

1  胎児死亡の時期について

(一)  証拠(乙一、二、五、六、証人乙野一郎、同安田允、鑑定)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実を認めることができる。

(1) いわゆる死後硬直は、死後二ないし三時間後から発現し、死後三〇時間まで持続するものであり、死後七ないし八時間以上経過した死体では、他動的に緩解させても再硬直を見ないところ、本件の胎児には、末梢の小関節を除いて死後硬直が見られた。

(2) 平成六年五月一日午前一一時四五分ころの被告病院の看護婦によるエコー検査では、胎児の心動は明瞭に確認できず、同時刻ころの分娩監視装置の記録にも胎児の心拍に明瞭な波形は出ておらず(分娩監視装置には、一見、一二〇ないし一四〇回/分の間の胎児心拍数付近に波形状の分散点などが見られるものの、看護記録には、同一一時一〇分ころの亡春子の心拍数は一〇八回/分となっているところから、分娩監視記録の右波形状の分散点は、母体の心拍を拾っている可能性もあり、これが胎児の心拍であると断定することはできない。)、同日午後〇時二五分、乙野医師により胎児の心停止が確認された。

(3) 死亡した胎児の体組織が、羊水及び体液の浸潤を被り、さらに自家融解によって軟変する作用である浸軟は、死後六時間ないし二四時間で発生するとされるが、死胎児の受ける浸軟作用は、死後二四時間以内に母体外に娩出された場合、外見上特別な所見を認めないともされているところ、本件の胎児には、右浸軟が認められなかった。

(二)  右事実によれば、本件の胎児の死亡時期は、母体から娩出して死亡が確認されたときから二四時間を遡らないものと解されるから、その死亡時期は、同年四月三〇日正午ころから翌五月一日正午ころまでの間であると推定するのが相当であるが、右以上に胎児の死亡時期を特定するに足りる証拠はない。

2  胎児の死亡原因について

(一)  証拠(乙一、二、証人乙野一郎、原告甲野太郎、鑑定)によれば、本件の胎児については、平成六年四月二七日の被告病院での検診において、胎児の発育を含め、胎盤、臍帯などに異常所見はなかったが、他方、亡春子については、同月三〇日午後四時ころからの悪寒を伴う三九度を超える発熱のほか、嘔吐、腹痛、下痢等の諸症状、翌五月一日午前一一時一〇分ころ行われた血液検査では白血球の高度の左方移動(単核白血球集団と多形核白血球集団の谷が単核方向に移動する。)があったことから、急性炎症疾患を起こしていることが認められ、右事実によれば、母体側の原因により胎児死亡を来した可能性が推定される。

(二)  鑑定人安田允は、母体側因子として、急性腎不全、敗血症の可能性を指摘する(なお、同鑑定人は、鑑定書において、亡春子の四〇度の発熱時期を四月二九日から、あるいは五月一日午前一一時一〇分になされた血液生化学検査の所見と胎児娩出後の同日午後三時一〇分になされた血液生化学検査の所見を取り違えるなどしているが、同人の供述によれば、右の点は、鑑定の結論を導くに当たって影響のないことが認められる。)。

しかしながら、入院診療録(乙二)、岩手県立高田病院長善積昇作成の意見書(乙三〇)及び乙野医師の供述によれば、亡春子については、五月一日朝から乏尿で、少量の血尿は見られたものの、同日午前一一時一〇分ころに行われた血液生化学検査の所見によれば、BUN(尿素窒素値)一五㎎/DL、CRE(クレアチニン値)0.9MG/DLという値であって、これらは正常値の範囲内である上、乏尿については脱水などからも説明がつけられることから、腎不全を推定するには疑問が残り、敗血症と推定するには、症状の時間的経過、感染巣を推定できるものがないこと、胎児の娩出前においては、亡春子は自力による歩行が可能で意識障害もなく、右検査の所見では、CRP(C反応性蛋白)定量が0.9MG/DLとほぼ正常値であり、血圧も一一〇―八〇、脈拍一〇八回/分であることから、やはり困難であることが指摘されている。

また、順天堂大学浦安病院産婦人科竹内久彌作成の意見書(乙三一、以下「竹内意見書」という。)によれば、本件の場合、時間的経過からみて、母体に発生した感染が、胎盤を経由して胎児に感染し、胎児感染症に至ってからの死亡は考えにくく、また、母体の高熱、脱水など胎児の環境が極めて悪化していたとしても、それまで健康であった胎児が短時間で死亡することには疑問点のあることが指摘されている。

(三)  以上の客観的に認められる事実や疑問点の指摘を考慮すると、鑑定人安田允が可能性として指摘する死亡原因も、これが本件の胎児の死亡原因であると確定することはできず、結局、その死亡原因は不明と言わざるを得ない。

3  母体死亡の原因について

(一)  前記2(一)のとおり、亡春子は、急性の感染症を起こしていたものと考えられるところ、鑑定人安田允は、感染症からの敗血症の可能性を示唆するが、竹内意見書によれば、発症からの時間的経過、敗血症を発症すべき条件としての基礎疾患や細菌の侵入する誘因などが見当たらないこと、原発巣や起因菌、菌血症の精査はされていないことなどから疑問のあることが指摘されている。

(二)  ところで、証拠(乙二、七ないし九)によれば、羊水塞栓症は、羊水成分等が母体中に流入することによって栓塞や血栓を形成し、突発的にショック、呼吸障害などを発症してDIC(潘種性血管内凝固症候群)に至るもので、多くは分娩中に発症し、母体の死亡率は八〇パーセント以上とされ、胎児の死亡によってよく発症する現象であること、亡春子に対し、五月一日午後二時二〇分に行われた血液ガス検査の所見では、高度のアシドーシス(酸性血症)と低酸素症が、同三時一〇分に行われた血液生化学検査の所見では、CRP(C反応性蛋白)定量が19.4MG/DL、BUN(尿素窒素値)が二一MG/DL、CRE(クレアチニン値)1.6と高値で組織異化充進状態であったことが認められる。

本件においても、前記二1認定のとおり、胎児の胎内死亡が先行しており、また、胎児の娩出中に急激に亡春子に発症した呼吸困難、チアノーゼ、ショックなどが、不可逆的に、しかも速やかに進行していることを考慮すると、亡春子には、胎児死亡から発症した羊水塞栓症の可能性が窺われる。

しかしながら、証拠(乙七ないし九、三一)によれば、羊水塞栓症の確定診断のためには、病理解剖などによる羊水成分等の検索を行うことが不可欠であるところ、亡春子について、右確定診断に必要な手続が取られていないことは、被告の主張からも明らかであるから、その死亡原因が羊水塞栓症であると確定することはできない。

(三)  以上によれば、未だ亡春子の死亡原因が特定されたものとはいえないから、その死亡原因もまた不明と言わざるを得ない。

4  被告は、亡春子が「坐薬」を使用したため、これにより胎児が死亡し、その結果羊水塞栓症が発症して亡春子が死亡した旨主張し、右「坐薬」がボルタレンであると推測するが、前記二2のとおり、亡春子が被告病院に「坐薬」の使用を問い合わせてきたことが認められない以上、被告の右主張は、その前提を欠くものであって理由がない。

四  被告の過失について

1  胎児について

胎児を救命することの可否については、前記三1のとおり、本件の胎児の最も早い死亡時期をとれば、亡春子が四月三〇日に被告病院を訪れた時より前に死亡していた可能性があり、そうとすれば、被告病院の医師らにおいて、同日の来院時に適切な処置を施したとしても、右胎児を救命することができないことは明らかであり、右の可能性が否定できない以上、被告病院の医師らに胎児を救命することの責任を認めることはできない。

原告らは、被告の過失についてるる主張するが、胎児の死亡時期との関係で被告病院の医師らに責任を認めることができない以上、右主張について判断するまでもなく失当といわなければならない。

2  亡春子について

(一)  前記二1(一)のとおり、亡春子は、平成六年四月三〇日午後六時ころ、39.9度の発熱を訴えて被告病院を訪れているところ、竹内意見書は、亡春子のような患者に対し、検温もせず、診察もしないのは通常の対処方法とはいえない旨指摘し、また、鑑定人安田允は、取りあえず入院させ、母体、胎児の状態を調べ、抗生剤の投与などの治療をすべきであり、来院時に発熱原因の精査と胎児情報の精査を同時に行えば、本症例の発症原因も明確となり、適切な治療方針が決定された旨指摘し、さらに、乙野医師も、「『坐薬』使用の問い合わせしかなかった」との前提ながら、一般的には、亡春子のような状態の患者には医師の診察が必要である旨供述しているところであり、これらに亡春子が医師の診療を希望して被告病院を訪れており、乙野医師は亡春子の主治医であることをも考慮すれば、乙野医師としては、看護婦をして単に解熱剤を投与させるのみでなく、自ら直接診察等するか、少なくとも当直医である内科の丙野医師の診察等を受けるように指示するかして、亡春子の発熱原因や胎児情報を把握し、必要な措置を講ずべき義務があったものというべきであり、乙野医師に右程度の義務を認めたからといって、その義務を履行することが困難であったとか、あるいはそれを乙野医師に期待することが過酷すぎる義務を課したものとまで認めることはできない。右は、乙一八号証の当直日誌によれば、亡春子が訪れた直後の午後七時ころ、被告病院を訪れた妊娠九ヶ月の二九歳の女性が、当直医である内科の丙野医師の診察やレントゲン検査等を受けた上、即日入院していることが認められることからも明らかというべきである。

(二)  右によれば、亡春子について、その死亡原因が確定できないことや五月一日正午ころよりの突然の症状の重篤化と急激な死の転帰という事態を考慮しても、死亡前日の四月三〇日の段階で、検査、治療を開始することによって何らかの所見を得て、医師の観察の下に亡春子の症状を軽快させる等の措置を施すことにより、亡春子を救命できた可能性を否定することはできないから、戊野看護婦からの連絡に対し、単にメチロンの注射のみを指示した乙野医師には、右の注意義務を怠って治療開始の時期を逸し、そのために亡春子を死亡するに至らせた過失があるというべきである。

五  損害

1  胎児死亡を原因とする精神的損害について

前記四1のとおり、胎児死亡の点については、被告に過失を認めることはできないから、原告ら及び亡春子の胎児死亡を原因とする損害賠償請求は全て失当である。

2  亡春子死亡による損害について

前記四2のとおり、被告病院の医師には亡春子の死亡について過失があるから、被告は、原告らの後記する損害を賠償する義務がある。

(一)  逸失利益

亡春子の死亡前年の年間の収入額は三九〇万九八四五円であり(甲九)、亡春子が昭和三六年七月二八日生まれであることは、当事者間に争いがないから、六七歳まで稼働することが可能であるとし、その生活費割合の控除を三〇パーセント、ホフマン方式による中間利息を控除した三五年間の係数19.917を採用して算出すると、亡春子の逸失利益の総額は五四五一万〇六六八円となる。

(二)  慰藉料

亡春子の死亡に対する慰藉料は、二〇〇〇万円をもって相当と認める。

(三)  葬儀費用

亡春子の葬儀費用は、一二〇万円をもって相当と認める、

(四)  弁護士費用

本件訴訟の難易、その認容額等に照らせば、その弁護士費用は、三五〇万円をもって相当と認める。

3  相続

原告太郎は亡春子の夫であり、原告花子は亡春子の子であることは、当事者間に争いがないから、原告らは、亡春子の死亡により、それぞれの法定相続分にしたがって亡春子の被告に対する損害賠償請求権を相続した。

六  結論

よって、原告らの本訴請求は、各原告につき三九六〇万五三三四円及びこれに対する平成六年九月二一日(なお、本件は債務不履行に基づく損害賠償請求であるから、その起算日は訴状送達の日である平成六年九月二〇日の翌日とするのが相当である。)から民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し、その余は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法六一条、六四条、六五条を、仮執行の宣言について同法二五九条一項を適用して、主文のとおり判決する。

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