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盛岡地方裁判所 昭和24年(行)56号・昭23年(行)99号・昭23年(行)23号 判決

原告 小山泰亮 外二名

被告 岩手県知事・興田村農業委員会

一、主  文

原告ヤスの別紙目録(5)及び(6)記載の各土地に関する買収処分の取消を求める本件訴はこれを却下する。

被告知事が昭和二十四年一月一日附岩手り第四八二九号買収令書をもつて同目録(8)(9)及び(10)記載の各土地につきなした買収処分はこれを取り消す。

原告小山泰亮のその余の請求を棄却する。

訴訟費用のうち、原告小山泰亮と被告興田村農業委員会との間に生じた部分は同原告の負担とし、同原告と被告知事との間に生じた部分はこれを二分し、その一を同原告、その余を同被告の負担とし、原告小山要助と同被告との間に生じた部分は同被告の、原告小山ヤスと同被告との間に生じた部分は同原告の負担とする。

二、事  実

原告等訴訟代理人は、「被告興田村農業委員会が昭和二十二年八月十四日別紙目録(1)(2)(3)記載の各土地につき樹立した買収計画及び被告知事が昭和二十三年八月一日附岩手ほ第三、六六一号買収令書をもつて同目録(4)記載の土地につきなした買収処分並びに昭和二十四年一月一日附岩手り第四、八二九号買収令書をもつて同目録(5)ないし(10)記載の各土地につきなした買収処分はいずれもこれを取り消す、訴訟費用は被告等の負担とする」との判決を求め、その請求の原因として、同目録(1)(2)(3)(4)(7)(8)(9)記載の各土地は原告泰亮の、同(5)(6)記載の各土地は原告ヤスの、同(10)記載の土地は原告要助の各所有であるところ、昭和二十二年八月十四日興田村農地委員会(昭和二十六年三月三十一日法律第八十九号農業委員会法の施行に伴う関係法令の整理に関する法律附則第三項により被告興田村農業委員会とみなされる)が昭和二十年十一月二十三日基準時現在の事実に基き右(1)(2)(3)及び(7)記載の各土地につき旧自作農創設特別措置法(以下旧自創法と略称する)第三条第一項第三号に該当する原告泰亮の所有小作地として買収計画を樹立公告し書類を縦覧に供したのでこれに対し同原告が同月二十日右(1)(2)(3)記載の各土地につき異議を申し立てたところ、昭和二十三年一月六日却下され、更に県農地委員会に訴願したがこれまた同年十一月十六日棄却となり、右裁決書の謄本は昭和二十四年一月十九日同原告に送達された。

また右同村農地委員会が昭和二十二年十二月十日同目録(4)記載の土地につき、昭和二十三年十一月十二日同(5)(6)(8)(9)(10)記載の各土地につき、いずれも前同様基準時現在の事実に基き前記法条に該当する法定の保有限度を超過する小作地として、右(6)記載の土地につき原告泰亮の亡父齊助を、(10)記載の土地につき原告要助を、その余の(5)(8)(9)記載の各土地につき原告泰亮をそれぞれ相手方として買収計画を樹立してこれを公告し、次いで被告知事が県農地委員会の所定の承認手続を経た上、右(4)記載の土地に昭和二十三年八月一日附の同(5)ないし(10)記載の各土地につき、昭和二十四年一月一日附の請求趣旨記載の各買収令書を発行し、前者につき昭和二十三年八月二十一日、後者につき昭和二十四年四月四日それぞれ原告泰亮及び要助にこれを交付して前記各土地を買収した。

しかしながら村農地委員会の樹立した前記買収計画及び被告知事のなした右各買収処分にはそれぞれ次に述べる瑕疵があり違法である。

(一)  別紙目録(5)記載の岩手県東磐井郡興田村沖田字小和太郎三番田四反一畝十五歩及び同(6)記載の同四番田一反三畝二十八歩はいずれも原告ヤスが昭和十九年一月十日父原告泰亮から贈与を受けてその所有権を取得し、昭和二十二年十二月十五日その旨所有権移転登記を経由したもので基準時当時原告ヤスの所有であるのに、右事実関係の認定を誤り、前者につき原告泰亮を、後者につき前記齊助を相手方としてこれを買収したのは買収対象物件の真実の所有者を誤つた違法を免れない。

(二)  同目録(1)記載の字畑中十二番田三反一畝十六歩は原告泰亮従来の自作地であり、同(7)記載の同三十四番田五反六畝五歩のうち一反三畝十三歩は嘗てこれを小山チガに小作せしめていたことはあつたが、昭和二十年八月三十日頃右同人と合意解約の上同年十月収穫終了後これが返還引渡を受けたものであるから右三十四番田は基準時現在同原告の自作地である。もつとも右小山チガの要望により翌二十一年五月六日小作期間を同年限りの約で再び右一反三畝十三歩の部分を同人に小作せしめたけれども、このことによつて基準時現在における原告泰亮の自作関係を左右するものではない。しからば右(1)記載の土地につき樹立した前記買収計画及び(7)記載の土地につきなした買収処分は、いずれも自作地を小作地として処理した点において違法であるといわなければならない。

(三)  村農地委員会の樹立した前記買収計画及び被告知事のなした各買収処分はともに法定の小作保有限度を侵害した違法がある。

すなわち、原告要助は原告泰亮の長男で基準時当時父泰亮と同一世帯に属していたから、法定の小作地保有面積超過の有無の算定に当つてはその各所有農地を合算し得べきであるけれども、原告泰亮の次女である原告ヤス及び次男である小山平は当時それぞれ独立の生計を営み、父泰亮及び兄要助等とは世帯を別異にしていたのであるから、その各自所有の農地は原告泰亮及び要助のそれと合算し得べきではない。

ところで基準時現在における原告泰亮及び要助所有の自作地の合計は二町三反四畝十七歩であるから、その保有し得べき小作地は、旧自創法第三条第一項第三号に基く岩手県における法定の自小作地保有面積三町四反から右自作地二町三反四畝十七歩を差引いた一町五畝十三歩であるべきところ、被告等がこれまで買収計画の樹立又は買収処分をしないで同原告等のために保有せしめたと称する小作地は合計一町一反六畝十歩であるから、本来右原告等において保有し得べき前記一町五畝十三歩以上に残存小作地があり、従つて前記買収計画及び買収処分は何等法定の保有限度を侵害しないものの如くである。しかし事実はそうではないのであつて、右一町一反六畝十歩の中には、字畑中十七番田一反七畝十四歩のうち八畝歩、同三十四番田五反六畝五歩のうち二反一畝五歩、同二十五番田一反八畝十八歩全部、字金山沢十五番の二畑六畝十三歩全部、同十六番の一畑一反五畝七歩のうち三畝歩、以上合計四反四畝十八歩は基準時現在において同原告等の自作地であるから前記保有小作地面積に加え得べきではなく、字四本松十二番田八畝二十七歩及び同十三番の二田一反四畝十歩は著しく収穫の不定な土地であるから旧自創法第五条第八号の規定によりこれまた小作地として右保有小作地の面積に加え得べきではなく、なおまた字四本松十三番の三田六畝一歩は現況山林であるからこれまた前記計算から除外さるべきである。なお右同日現在別世帯であつた原告ヤス所有の字沢八番田六畝十三歩及び前記平所有の字畑中三十八番畑九畝七歩の除外さるべきはいうまでもない。しからば以上合計八反九畝十六歩を被告等が小作地として保有を認めたと称する前記一町一反六畝十歩から差し引けば、原告泰亮及び要助所有の現況農地のうちこれまでに買収計画又は買収処分を免れて残存する小作地は、僅かに字金山沢十六番の一畑一反五畝七歩のうち一反二畝七歩及び字畑中二十二番田一反四畝十七歩合計二反六畝二十四歩のみとなり、本来同原告等が保有を認めらるべき一町五畝十三歩を侵害すること実に七反八畝十九歩であり、前記買収計画及び買収処分の違法であること明らかである。

しかして原告ヤスの基準時現在における所有農地の合計は八反九畝二十二歩で全部これを他に小作せしめていたが、これは旧自創法第三条第一項第二号に基く岩手県における法定小作地保有面積一町一反の範囲内であるから固よりこれを買収し得ないにもかかわらず、別紙目録(5)及び(6)記載の各土地を買収したのは、前記(一)で述べた違法の外に、同原告についても保有限度を侵害した違法がある。

なお被告等が原告泰亮及び要助所有の自作地であると主張する二町一反八畝十歩のうち字西ノ沢四十三番の二田五畝二歩、同四十五番田一反三畝十五歩、同四十三番の三田一畝一歩、同二十五番田四反二歩のうち三反二畝二十九歩はいずれも収穫の著しく不定な農地であり、また字金山沢三十三番の二畑一反九畝四歩及び同三十九番の二畑一畝十九歩は現況及び土地台帳上も山林であるから以上合計七反三畝十歩は右二町一反八畝十歩から除外すべきであるが、被告等が小作地であると主張するもののうち、別紙目録(1)記載の字畑中十二番田三反一畝十六歩、同十七番田一反七畝十四歩のうち八畝歩、字金山沢十五番の二畑六畝十三歩、同十六番の一畑一反五畝七歩のうち三畝歩、同目録(7)記載の字畑中三十四番田五反六畝五歩のうち三反四畝十八歩、同二十五番田一反八畝十八歩のうち六畝歩、以上合計八反九畝十七歩は自作地であるからこれを加算すると結局基準時現在における同原告等の自作地面積の合計は二町三反四畝十七歩となる。

以上いずれの点よりするも、前記買収計画及び買収処分は違法であり、且つ右の違法は取り消し得べき瑕疵に該当するから、原告泰亮は別紙目録(1)(2)(3)記載の各土地に関する買収計画及び同(4)(7)(8)(9)記載の各土地に関する買収処分、原告ヤスは同(5)(6)記載の各土地に関する買収処分、原告要助は同(10)記載の土地に関する買収処分の各取消を求めるためそれぞれ本件請求に及ぶと述べた。(立証省略)

被告等訴訟代理人は、「原告等の各請求はいずれもこれを棄却する、訴訟費用は原告等の負担とする」との判決を求め、答弁として、原告等の主張事実中、それぞれその主張の各日時その主張の各土地につき、村農地委員会が基準時現在の事実に基き旧自創法第三条第一項第三号に該当する法定の保有限度を超過する小作農地として原告泰亮及び要助並びに訴外亡齊助を相手方として買収計画を樹立してその旨公告したに対し別紙目録(1)(2)(3)記載の各土地につき原告泰亮から異議次いで訴願の提起がなされたがそれぞれ却下棄却されたこと、同目録記載のその余の各土地につき被告知事が県農地委員会の所定の承認手続を経て原告等主張の各買収令書を発行しその主張の各日時これを原告泰亮及び要助に交付して前記各土地を買収したこと、同目録(5)及び(6)記載の各土地につき昭和二十二年十二月十五日原告泰亮から同ヤスに対し昭和十九年一月十日の贈与を原因とする所有権移転登記のなされたこと並びに原告等の身分関係がその主張のとおりであることは認めるが、原告等その余の主張事実は争う。

(一)  同目録(5)(6)記載の各土地は少くとも基準時現在原告泰亮の所有であり、原告ヤスの所有ではない。仮りに同原告がその主張のように昭和十九年一月十日贈与によりこれが所有権を取得したとしても、その所有権移転登記のなされたのは昭和二十二年十二月十五日であり、基準時当時いまだその所有権移転登記を経ていないから原告ヤスはその所有権取得をもつて被告等に対抗し得ない。しからば右(5)記載の土地につき原告泰亮を相手方としてこれを買収し得べきはいうまでもないところである。また同(6)記載の土地は、基準時当時原告泰亮が父齊助の死亡による家督相続によりこれが所有権を取得していたものであるが、前記買収計画樹立当時は勿論基準時当時も登記簿上の所有名義を右齊助のままにしておいたので右同人を名宛人として買収計画を樹立し買収処分をしたのであるけれども、その実質的相手方はその相続人であり右土地の所有者である原告泰亮であつたのであるから、右買収計画従つてこれに基く被告知事の買収処分は真実の所有者を誤つた違法ありとなすことを得ない。

(二)  原告泰亮が自作地であると主張する同目録(1)記載の字畑中十二番田三反一畝十六歩は基準時当時小山正外二名の小作にかかり、また同(7)記載の同三十四番田五反六畝五歩のうち同原告の自作部分は二反一畝十七歩のみで、その余の三反四畝十八歩は小山チガ外三名が小作していたものであるところ、そのうち一反三畝十三歩のみを買収したのであつて、同原告主張のように自作地を小作地として右(1)記載の土地につき買収計画を樹立し、(7)記載の土地につき買収処分したのではない。

(三)  原告等が自作地であるから法定の小作地保有面積から除外さるべきであると主張する字畑中十七番田一反七畝十四歩のうち自作部分は九畝十四歩のみで、その余の八畝歩は掛田常治の小作にかかり、同二十五番田一反八畝十八歩のうち自作部分は一反二畝十八歩で、その余の六畝歩は小山吉三郎が小作していたのであり、また字金山沢十五番の二畑六畝十三歩及び同十六番の一畑一反五畝七歩はいずれも佐藤己之助が小作していたものである。なお原告等が収穫不定地と主張する字四本松十二番田八畝二十七歩及び同十三番の二田一反四畝十歩はいずれも通常の農地と変りなく、また現況原野であると主張する同十三番の三田六畝一歩は現況田であつて以上三筆の土地は現に菊池貞四郎が小作していたものである。

なお原告等が原告ヤスの所有であると主張する別紙目録(5)(6)記載の各土地は基準時当時原告泰亮の所有であつたことは前記(一)で述べたとおりであるが、前記平の所有であると主張する字畑中三十八番畑九畝七歩もまた右同日現在原告泰亮の所有であつたから、右二筆の土地は同原告の小作地保有面積に加算し得べきである。仮りに原告等主張のとおり基準時当時、右各土地がそれぞれ原告ヤス及び平の所有に属していたとしても、右両名は当時原告泰亮及び要助と同一世帯に属していたのであるから各自所有農地の全部を合算し得べきであつて、右計算関係においては原告泰亮及び要助が全部これを所有している場合と全く同一である。

次に原告等が収穫不定の農地であるから、保有超過の有無の算定に当りその計算の基礎としての自作地面積に加算し得べきでないと主張する字西ノ沢四十三番の二田五畝二歩、同四十五番田一反三畝十五歩、同四十三番の三田一畝一歩、同二十五番田四反二歩のうち三反二畝二十九歩はいずれも収穫が一定しており、また字金山沢三十三番の二畑一反九畝四歩及び同三十九番の二畑一畝十九歩は土地台帳上の地目は山林となつているけれども現況畑であつて原告泰亮が自作していた。

以上の次第であるから基準時現在における原告泰亮及び要助の所有農地は、自作地二町一反八畝十歩、小作地七町一反五畝歩合計九町三反三畝十歩であつたからして同原告等の保有し得べき小作地は、法定の自小作地保有面積三町四反から右自作地二町一反八畝十歩を差し引いた一町二反一畝二十歩であるかの如くであるが、小作地の保有面積は一町一反の限度にとどまるから、結局保有超過の小作地として買収し得べき面積は、前記七町一反五畝歩から一町一反を差し引いた六町五畝歩であるべきところ、原告等が本訴において取消を求めている前記買収処分及び買収計画を含めてこれまでに買収し若しくは買収すべきものとして計画を樹立したもの合計五町九反八畝二十歩であるから、なおいまだ六畝十歩だけ買収し得る計算になるが、これは買収の対象とせず前記保有限度と合せて一町一反六畝十歩の保有を認めたのであつて何等保有限度を侵害した違法はない。

しからば原告等の本訴各請求は失当であり棄却さるべきであると述べた。(立証省略)

三、理  由

昭和二十二年八月十四日興田村農地委員会が基準時現在の事実に基き、別紙目録(1)(2)(3)及び(7)記載の各土地につき旧自創法第三条第一項第三号に該当する原告泰亮所有の小作地として買収計画を樹立公告し、書類を縦覧に供したに対し、同原告から右(1)(2)(3)記載の各土地について異議次いで訴願がなされたが、それぞれ却下、棄却せられ、右裁決書の謄本が昭和二十四年一月十九日同原告に送達されたこと、また同村農地委員会が昭和二十二年十二月十日同目録(4)記載の土地につき、昭和二十三年十一月十二日同(5)(6)(8)(9)及び(10)記載の各土地につき、いずれも前同様基準時現在の事実に基き前記法条に該当する小作農地として、右(6)記載の土地につき原告泰亮の亡父齊助を、(10)記載の土地につき原告要助を、その余の各土地については原告泰亮をそれぞれ相手方として買収計画を樹立公告し、次いで被告知事が所定の前提手続を経て右(4)記載の土地につき昭和二十三年八月一日附、(5)ないし(10)記載の各土地につき昭和二十四年一月一日附の各買収令書を発行し、前者につき昭和二十三年八月二十一日後者につき昭和二十四年四月四日それぞれ原告泰亮及び要助にこれを交付して前記各土地を買収したことは当事者間に争いがない。

よつて先ず原告ヤスの本件訴の適否につき案ずるに、同原告は本訴において前記目録(5)及び(6)記載の各土地に関する買収処分の取消を求めているが、同原告は右買収処分における相手方とされていないことは当事者間に争いがない。このように右買収処分に関し第三者である原告ヤスが本件訴を提起し得るためには、右(5)及び(6)記載の各土地が同原告の所有であり、本件買収処分によつてその所有権を侵害されていなければならないわけである。

原告ヤスは既に基準時前の昭和十九年一月十日原告泰亮から前記各土地の贈与を受けてその所有権を取得したと主張するので案ずるに、右二筆の土地がもと原告泰亮の所有であつたところ、昭和二十二年十二月十五日同原告から原告ヤスに対し昭和十九年一月十日の贈与を原因とする所有権移転登記のなされたこと及び原告ヤスは同泰亮の次女であることは当事者間に争いがない。成る程成立に争いのない甲第二十一号証によれば、原告ヤスが同泰亮を相手取り、土地所有権移転登記手続履行の訴を盛岡地方裁判所一ノ関支部に提起し、同庁昭和二十二年(ワ)第四号事件として繋属した訴訟において、昭和十九年一月十日原告泰亮から前記各土地の贈与を受けたと主張し、これを原因として右各土地の所有権移転登記手続の履行を求めたのであつたが、昭和二十二年十二月一日原告ヤス勝訴の判決が言渡され、右判決の確定を待つて同年十二月十五日原告泰亮から同ヤスに対し前示所有権移転登記がなされたものであることが認められる。しかし右原告等間の前示確定判決は右訴訟の当事者又は承継人以外の第三者に効力を及ぼすものでないからして、本件において被告知事が右判決と相容れない主張をすることを妨げるものでないことは勿論、当裁判所も右判断の結果に拘束されるものでないことはいうまでもないところ、成立に争いのない乙第八号証に、前示所有権移転登記のなされたのは、右贈与を受けたと主張する昭和十九年一月十日より約四年後の昭和二十二年十二月十五日であり、しかも前示認定のような経緯を経て行われたこと及び同原告等が親子の関係にあること等諸般の事情並びに、今次農地改革に関する閣議決定の発表されたのが昭和二十年十一月二十三日であること、旧自創法による買収を潜脱する目的をもつて基準時以前に農地の所有権が移転したものであるが如く仮装の法律行為を原因として所有権移転登記をとるべく当事者双方馴れ合いの上で訴を提起した事例がこれまでないでもなかつたこと等を彼此考え併せると、前示のような確定判決が存在し且つこれに基いて昭和十九年一月十日の贈与を原因とする前示所有権移転登記がなされたからといつて、右日時に真実原告ヤス主張のような贈与があつたものとはたやすく認められない。その他原告等提出援用にかかる全立証をもつてするも、原告ヤスが基準時前に原告泰亮から前記各土地の贈与を受けてその所有権を取得した事実を認めるに足りない。

果してしからば、右各土地は少くとも基準時現在においては名実ともに原告泰亮の所有に属していたものといわなければならない。しかして仮りに原告ヤスがその後本件訴を提起するまでの間に右泰亮から右各土地の贈与を受けたものとしても、当時施行の旧農地調整法によれば、農地の所有権等の移転については知事の許可を受くべきものとし、許可を受けないでなした行為はその私法上の効力を生じないものとされていたにもかかわらず、原告泰亮及びヤス間の贈与契約につき知事の許可を受けたことを認めるに足りる何等の証拠がないのでこれを受けなかつたものと認める外はないから、同原告等が前示確定判決に基き前記各土地の所有権移転登記をなし得たからといつて右贈与契約の効力を生ずるに由なく、従つて基準時現在は固より、本訴提起当時においても原告ヤスは右各土地の所有権を取得しなかつたものといわなければならない。しからば同原告は本件買収処分の相手方とされていないのみならず、前記各土地の所有者でもないのであるから右買収処分の取消を求める本件訴を提起する適格を有しないものといわなければならない。よつてその余の点につき判断するまでもなく右原告の本件訴は不適法として却下さるべきである。

次に別紙目録(1)及び(7)記載の各土地は原告泰亮の自作地であるにかかわらずこれを小作地として前者につき買収計画を樹立し、後者につきうち一反三畝十三歩を買収したのは違法であるとの同原告の主張につき判断する。成立に争いのない乙第二、第六号証及び証人伊東直七(第一回)並びに原告小山要助の各供述(但し後記措信しない部分を除く)によれば、原告泰亮が右(1)記載の字畑中十二番田三反一畝十六歩のうち一反一畝六歩を昭和十三年以降小川菊三郎に、その余の二反十歩を昭和十七年以降小山正にそれぞれ小作させていたが、昭和十九年十月収穫終了後に至り、翌二十年春から自からこれを耕作する心算でいたところ、たまたま同年三月長男要助の応召により人手不足となつたのでこれを果さなかつたが、同年八月右要助が復員したので、同年十月収穫終了後原告泰亮はそれぞれ前記小作人等に対し右小作契約の解約を申し入れたところ、右同人等の承諾を得るに至らなかつたので、引き続きこれが耕作の継続を認めざるを得ずして今日に至つたこと、次に前記字畑中三十四番田五反六畝五歩のうち二反一畝十七歩は原告泰亮従来の自作地であつたが、その余の五畝五歩を前記小川菊三郎に、一反六畝歩を中津山東蔵に、一反三畝十三歩を小山チガにそれぞれ小作させていたところ、前同様同原告が昭和二十年十月右小作人等に対し解約の申入をしたのであつたがこれまた右同人等の承諾するところとならなかつたので翌二十一年度も引き続きこれが耕作を許容して今日に至つたのであつて、右二筆の土地とも基準時当時原告泰亮において自作する意図を有していたにかかわらず遂にこれが合意解約及び返還引渡を受けるに至らなかつたものであることを認めることができる。右認定に反する証人及び原告本人小山要助の供述部分はにわかに措信し難い。甲第一、十三、十四号証をもつてしても右認定を覆すことができない。

果してそうだとすれば、前記各土地に関する本買収計画及び買収処分は、基準時現在における小作地に対してなされたものであり、その限りでは何等違法ではないものといわなければならない。この点に関する原告泰亮の主張は失当である。もつとも前記目録(7)記載の字畑中三十四番田五反六畝五歩のうち一反三畝十三歩に関する本件買収処分は、一筆の土地のうち一部買収であるからして、買収手続上その買収範囲を明確にすることが必要であるのに、買収令書には単に地目、地番の外買収すべき部分として一反三畝十三歩と記載したのみで、実測図面等を添付しなかつたのでそれが同番田五反六畝五歩のうちどの範囲部分に該当するものであるかは右買収令書自体のみでは明らかでないことは成立に争いのない甲第五号証の二によつてこれを認め得るのであつて、これでは買収対象物件を具体的に明示したものというを得ないからして表示の方法としては不完全たるを免れない。しかし買収令書に必要的記載事項を法定し、これが記載を要求する所以のものは、要するに右事項の記載により買収処分を特定し、これを買収の相手方その他の利害関係人に知らしめもつて権利擁護に遺憾なきを期するのであり、しかも買収令書の法的性質たるや、設権証券的若しくは文言証券的性質を有するものではなく、その記載自体が手形等のような絶対的意味を有するものではないことに鑑みるとき、いやしくも客観的に買収対象物件が特定している限り、買収令書の記載に右のような不備の点があつたとしても、そのこと自体により直ちに買収の効果に消長を来すものとは解し得られない。しからば一筆の土地の一部を買収するに当り、買収令書自体に図面等の添付により買収すべき部分を具体的に明示しなくとも、対象物件の地目、地番、公簿上の面積及びそのうち買収すべき部分の面積が表示されており、且つ買収手続自体を通じて、買収機関は固より、買収の相手方たる当該農地の所有者等において、買収の対象とされている目的物件が右農地のうち如何なる部分であるかを具体的且つ明確に識別している場合においては、買収機関の買収手続としては、対象物件が特定されていない取り消さるべき違法があるものということはできない。

本件において前示買収令書に買収すべきものとした前記一反三畝十三歩の範囲を特定するに足りる実測図面等を添付しなかつたことは前示認定のとおりであるが、前記字畑中三十四番田五反六畝五歩はこれを三分して前記小川菊三郎、中津山東蔵及び小山チガに小作させ、右小山チガの小作していた部分が本件買収にかかる前記一反三畝十三歩であることこれまた前示認定のとおりである。およそ未墾地買収や牧野買収の場合におけるとは異り、農地の買収にあつては、公簿上一筆の農地の一部であつても、事実上畦畔その他により区分されており、殊に耕作者の異る毎にその使用区分の明確にされているのが一般であるところ、右小山チガの小作にかかる前記一反三畝十三歩の部分が右田五反六畝五歩のうち如何なる部分であるかは地主たる原告泰亮において明らかに知り得ていることは勿論、買収機関たる村農地委員会においても、現地につき右一反三畝十三歩の部分を認識し、この部分を買収する意図の下に前示買収計画を樹立したものと認めるのを相当とする。しからば仮令買収令書自体において、実測図面等の添付により右一反三畝十三歩の部分範囲を具体的に表示しなかつたとしても、前段説明の趣旨において右農地に対する本件買収処分を取り消すべき違法ありとなすを得ない。

次に本件買収計画及び買収処分は法定の小作地保有限度を侵害した違法があるとの原告等の主張につき判断する。

旧自創法第三条第一項第三号に基く岩手県における自小作地保有面積は三町四反であるが、同法第一項第二号により小作地の保有限度は一町一反であるからして、右第三号による買収の場合においても、保有し得べき小作地の最大面積は一町一反に限定されることはいうまでもない。ところで基準時当時原告泰亮及び要助が同一世帯に属していたことは同原告等の自認するところであり、しかして右同日現在におけるその所有自作地の合計面積は二町三反四畝十七歩であると主張するので、これによれば同原告等の保有し得べき小作地面積は前記三町四反から右二町三反四畝十七歩を差し引いた一町五畝十三歩であるべきに対し、被告等は右原告等の自作地を二町一反八畝十歩と主張するので、これによれば保有し得べき小作地は右三町四反よりこれを差し引いた一町二反一畝二十歩ということになるが、前示のとおり保有小作地は一町一反を限度とするから、同原告等の保有し得べき小作地は一町一反ということになる。従つて本件買収計画及び買収処分が法定の小作地保有限度を侵害したか否かを認定するに当つては、先ず基準時現在における右原告等の所有自作地面積を確定しなければならない。なお右同日現在原告ヤス及び前記平が自作地を所有していなかつたことは原告等の自認するところであるから、ここでは右同人等の関係を考慮する必要はない。

そこで次に自作地であるか否かにつき当事者間に争いのある左記の各土地についてこれを検討する。

(一)  別紙目録(1)記載の字畑中十二番田三反一畝十六歩は基準時当時前記小川菊三郎及び小山正の小作していたものであること、同(7)記載の同三十四番田五反六畝五歩のうち原告泰亮の自作部分は二反一畝十七歩のみで、その余の三反四畝十八歩は前記小川菊三郎、中津山東蔵及び小山チガの小作していたものであることは前示認定のとおりである。

(二)  字畑中十七番田一反七畝十四歩について。

前顕乙第二、六号証、証人掛田常治、伊藤直七(第一回)、那須野篤一郎(但し後記措信しない部分を除く)の各証言を綜合すれば、昭和十六、七年頃原告泰亮が右田全部を小山林一に小作せしめていたが、その後昭和十八年頃以降掛田常治がこれを転借小作中、翌十九年秋の収穫終了後同原告の求めによりそのうち九畝十四歩の部分を返還し、その余の八畝歩の部分を引き続き小作して基準時に至つた事実を認めることができる。右認定に反する前記証人那須野篤一郎の供述部分は前記各証拠に照らしにわかに措信し難い。原告泰亮の右主張に副う甲第二号証は、原告要助が作成した文面に那須野篤一郎が署名捺印して証明を与えたものにすぎず、また同第二十六号証は、原告泰亮が前記掛田常治から返還を受けたと主張する昭和二十年十月より既に二年余を経過し且つ本訴(昭和二十三年(行)第二三号)提起の直前である昭和二十二年十一月二十九日同原告によつて作成されたものである点に鑑み、右甲号各証をもつてしても右認定を覆えすことができない。

(三)  字金山沢十五番の二畑六畝十三歩及び同十六番の一畑一反五畝七歩について。

前記乙第二、六号証、証人佐藤已之助、小山純の各証言を綜合すれば、右十五番の二畑全域に亘り現在十年生の中刈仕立の桑の木約百六十本、十六番の一畑のうち約三畝歩に十五年生の同じく中刈仕立の桑の木約百本が植え付けられており、年年原告泰亮方においてこれから桑の葉を採取していること、右十六番の一畑のうち桑の木の植えていないその余の一反二畝七歩は、佐藤已之助が昭和十六年頃以降小作料として大麦一石及び大豆五斗の約で借り受けてこれを小作し、また右十五番の二畑全部は植栽されてある桑の木の下作として無償で借り受けていたこと、しかして右佐藤已之助は右下作部分にも年年肥培管理をして大麦又は大豆等を播種し、桑の木の成長に支障のない限度で、しかも昭和二十年当時はその植栽後間もなかつたので普通の畑におけると大差なくこれを耕作でき、相当の収穫を挙げていたものであることを認めることができる。甲第三号証及び第二十七号証をもつてしても右認定を覆すことができない。

ところで、前記佐藤已之助の下作にかかる右十五番の二畑はこれを小作地といい得るかどうかについて考えてみるに、右畑は原告泰亮にとつては、自家使用の桑の葉の採取を目的として全面に百数十本の桑の木を植え、現にそのように使用収益して来たのであるから、その限りでは自作地といい得られるのであるが、しかし一方右佐藤已之助において、年年肥培管理をなしてこれが下作をなし、相当量の収穫を挙げていたのであるから、この限度では、耕作の業務を営む者が権限に基いて耕作の目的に供していた農地として小作地ともいい得られるのである。このように或る農地が自作地の一面を有すると同時に小作地の面をも有する場合、これを自小作地いずれの範疇に属せしむべきかは、その農地自体が有する経済的利用価値がいずれの面でより多く発揮されているかによつて決すべきであるといわなければならないところ、右十五番の二畑は、基準時当時は桑の木を植えて間もなかつたのでいまだ差程桑の葉の採取ができず、従つて自作地としての収益価値の見るべきものの少なかつたに較べ、反面そのことの故に却つてこれが下作をする分には好都合で殆ど通常の畑と異るところのないような耕作をなし得たものであることは前示認定のとおりである。してみれば右畑は基準時当時自作地としての面を有するにかかわらず全体として見た場合、通例の小作地とも異るものがあるとはいえ、これを小作農地として扱つて妨げないものといわなければならない。従つてこれを右同日現在における原告泰亮所有の小作地面積に加算し得べきである。

(四)  字畑中二十五番田一反八畝十八歩について。

前記乙第二、六号証及び証人伊東一和並びに原告本人小山要助の供述(但し後記措信しない部分を除く)によれば、原告泰亮は右田一反八畝十八歩全部を小山吉三郎に小作させていたが、昭和二十年十月収穫終了後そのうち一反二畝十八歩の返還を受けたけれども、その余の六畝歩を引き続き小作させ基準時現在に至つたことを認めることができ、右認定に反する前記原告小山要助の供述部分は措信し難い。他に右認定を覆すに足りる証拠がない。

(五)  字西ノ沢四十三番の二田五畝二歩、同四十五番田一反三畝十五歩、同四十三番の三田一畝一歩、同二十五番田四反二歩のうち三反二畝二十九歩について。

成立に争いのない甲第十一号証、証人菊池公平の証言及び前記原告小山要助の供述によれば、右各土地は比較的日当りが不良のため、平年作で反当五斗ないし七斗で興田村における平均反収二石七斗に比し著しく収穫量が少く、凶作時には殆ど収穫皆無の場合もあることは認め得られなくもないが、旧自創法第三条による買収をしてはならないと規定した同法第五条第八号にいう収穫の著しく不定な農地とは、新開墾地、焼畑若しくは切替畑等の如く、元来農地でなかつた土地が農地に造成されて日なお浅くために農地としての生産性が恒常化していないところの、実質的にはいまだ農地の範疇に入れること自体が問題であるような土地をいうのであつて、本件のように既に水田として永年耕作使用されており、名実ともに農地であるものは、仮令その生産量が低く、他の農地に比し見劣りがするからといつて、これを目して前記法条にいわゆる収穫不定の農地として特別の扱いをなすべき性質のものではない。よつて前記各土地は原告泰亮の自作地として前記計算の基礎に加え得べきは勿論である。

(六)  字金山沢三十三番の二畑一反九畝四歩及び同三十九番の二畑一畝十九歩について。

成立に争いのない甲第九号証及び公証部分につき当事者間に争いがないので真正に成立したものと認められる甲第十号証によれば、昭和二十一年十一月十四日原告泰亮が当時の管轄官庁であつた一ノ関税務署に対し右各土地を含むその所有の六筆の農地につきいずれも山林に地目変換の申請したところ、昭和二十四年十一月十五日右三十三番の二及び三十九番の二の畑外二筆の農地につき山林に地目変換の許可があり、土地台帳上そのように登録されたことが認められるけれども、前記乙第二、六号証及び証人伊東一和の証言によれば、右三十三番の二畑は土地台帳上の地目が山林であるにかかわらず基準時の現況が畑であつたことが認められるので、現況主義を建前とする旧自創法上これを農地として取り扱うべきはいうまでもない。しかし右三十九番の二畑については、前記乙第二号証によれば基準時当時の現況畑で前記那須野篤一郎の小作するところであるとしながら、乙第六号証によれば、原告泰亮の自作地であるとされていて、他にその現況が畑であつたか否かを明かならしめるに足りる何等の証拠がないので、山林に地目変換されたのは基準時以後のことに属するがその以前より現況山林であつたとの申請を許容し土地台帳上の地目を山林と登録されている以上、その記載のとおり現況もまた山林であつたものと認めるの外はない。しからば右三十三番の二畑は原告泰亮及び要助所有の自作地面積に加算し得べきも、三十九番の二畑はこれを加え得べきではない。

ところで前記乙第六号証によれば、基準時現在における原告泰亮及び要助所有の自作地面積の合計は二町一反八畝十歩の計算となるところ、前示認定のとおりそのうち前示字畑中十六番の一畑一反五畝七歩のうち三畝歩が自作地であるからこれを右二町一反八畝十歩に加えるべく、また前示字金山沢三十九番の二畑一畝十九歩は現況山林であるからこれを除外すべきであつて結局右同日現在における自作地は二町一反九畝二十一歩であり、従つて同原告等の保有し得べき小作地面積は一町一反である。

そこで次に基準時現在における同原告等の所有小作地の合計面積を算出しなければならないわけであるが、その前に小作地であるか否かにつき当事者間に争いのある左記の各土地につきこれを検討する。

(一)  別紙目録(1)記載の字畑中十二番田三反一畝十六歩は全部、同(7)記載の同三十四番田五反六畝五歩のうち三反四畝十八歩、同十七番田一反七畝十四歩のうち八畝歩、字金山沢十五番の二畑六畝十三歩全部、同十六番の一畑一反五畝七歩のうち一反二畝七歩、字畑中二十五番田一反八畝十八歩のうち六畝歩がいずれも小作地であつたことは前示認定のとおりである。

(二)  字四本松十二番田八畝二十七歩、同十三番の二田一反四畝十歩及び同十三番の三田六畝一歩について。

原告等は前者の二筆の土地は収穫著しく不定であるから旧自創法第五条第八号により小作地面積から除外さるべきであり、後者の一筆は現況原野であるからこれをまた右面積に加算し得べきでないと主張するけれども、前顕乙第二、六号証及び証人伊東一和の証言によれば、右十二番、十三番の二の各土地は収穫が一定しており、また十三番の三の土地は基準時の現況田であつていずれも前記菊池貞四郎が小作していたものであることを認めることができ、甲第十六号証をもつてしても右認定を覆すに足りない。仮りに右十二番、十三番の二の各土地の生産性が他の土地のそれに比し劣悪であるとしても、既に前示字西ノ沢四十三番の二、四十五番、四十三番の三及び二十五番の各田について述べたように、単に収穫量が少いからといつて前記法条に該当するものとはいえないのであるから、これを小作農地として前記計算の基礎に加え得べきことはいうまでもない。

(三)  次に原告等は、別紙目録(5)(6)記載の各土地及び字沢八番田六畝十三歩並びに字堀合下一番の一田二反七畝二十六歩は原告ヤスの所有であり、字日蔭二十番田七反一畝二十五歩、字物見二番三反四畝二十五歩、字畑中三十二番田三畝二十一歩及び同三十八番畑九畝七歩は前記平の所有であるところ、右同日現在原告ヤス及び平は原告泰亮及び要助とは別世帯に属していたから以上合計二町九畝十歩は前記計算の小作地面積から除外さるべきであると主張するけれども、右目録(5)(6)記載の二筆の土地が基準時当時原告泰亮の所有であつて、原告ヤスの所有でなかつたことは既に前段において認定したとおりである。しかして成立に争いのない甲第十八、十九、二十、二十二、二十三号証によれば、前記字沢八番及び字堀合下一番の一の各田地につき昭和二十二年十二月十五日原告泰亮から同ヤスに対し、また字日蔭二十番、字物見二番、字畑中三十二番の各田地及び同三十八番畑につき同年十二月十八日原告泰亮から前記平に対し、いずれも昭和十九年一月十日の贈与を原因とする所有権移転登記がなされたことが認められ、しかして成立に争いのない同第十七号証及び第二十一号証によれば、原告ヤス及び前記平が父原告泰亮を相手取り、土地所有権移転登記手続履行請求の訴を盛岡地方裁判所一ノ関支部に提起し(同庁昭和二十二年(ワ)第二、四号事件)、右訴訟において、原告ヤス及び右平がそれぞれ前記各土地を昭和十九年一月十日原告泰亮から贈与を受けて所有権を取得したと主張し、これを原因として右各土地の所有権移転登記手続の履行を求めたのであつたが、右両訴において昭和二十二年十二月一日原告ヤス及び平勝訴の判決がそれぞれ言い渡され、右各判決の確定を待つて同年十二月十五日及び同月十八日それぞれ前記各土地につき原告ヤス及び平に前示所有権移転登記がなされたものであることが認められるけれども、別紙目録(5)(6)記載の各土地につき前段において認定したと同一の理由により、前示のような確定判決が存在し、且つこれに基いて昭和十九年一月十日の贈与を原因とする前示各所有権移転登記がなされたからといつて、右日時に真実贈与がなされ、これに基き原告ヤス及び右平がそれぞれその主張の各土地の所有権を取得したものとはたやすく認め難く、その他原告等の提出援用にかかる全立証をもつてしても右同人等が基準時前に原告泰亮から前記各土地の贈与を受けその所有権を取得した事実を認めることができない。

果してしからば、基準時当時右各土地が小作地であつたことは原告等の自認するところであるから、その当時原告等及び前記平が同一世帯に属していたかどうかの点につき判断をなすまでもなくこれを原告泰亮の所有に属していた小作農地として法定の小作地保有面積超過の有無の算定に当り、他の同原告所有小作農地とともにその計算の基礎に加えるべきであるから、別紙目録(5)(6)記載の各土地及び前示六筆の各土地以上合計二町九畝十歩は前記小作地面積に加算しなければならない。

ところで前顕乙第六号証によれば、基準時現在における原告泰亮及び要助所有の小作地面積の合計は七町一反三畝の計算となるところ、この中には前示字金山沢十六番の一畑一反五畝七歩全部を含ましめているが、前示認定のとおり小作部分はそのうち一反二畝七歩であるからその差三畝歩を右合計面積七町一反三畝から差し引けば結局右同日現在の小作地面積は七町一反となるところ、同原告等の保有し得べき小作地は一町一反にとどまるので右七町一反のうち六町歩を保有超過の小作地として買収し得べき理である。

しかして右乙第六号証によれば、昭和二十二年八月十四日樹立にかかる本件第四期買収計画において、別紙目録(2)(3)(7)記載の各土地を含み合計三町二反六畝十六歩を買収すべきものと定めたのであるからなお二町七反三畝十四歩を買収し得べきところ、同年十二月十日樹立にかかる第五期買収計画でそのうち同目録(1)(4)記載の各土地を含み合計一町九反八畝二十二歩を買収すべきものと定めたのでなお七反四畝二十二歩を買収し得べきであつた。次いで同年十二月二十七日樹立にかかる第六期買収計画においてそのうち五反五畝十七歩を買収すべきものと定めたのでなお一反九畝五歩を買収し得べきであつたところ、昭和二十三年六月十六日樹立にかかる第七期買収計画によりそのうち四畝十七歩を買収すべきものとしたのでなお一反四畝十八歩を買収し得べきであつた。しかるに同年十一月十二日樹立にかかる第九期買収計画において同目録(5)(6)(8)(9)(10)記載の各土地を含めて合計八反四畝歩を買収すべきものとし、次いでこれに基き被告知事が本件買収処分をしたのであるから、右買収処分は六反九畝十二歩だけ保有限度を侵害したこととなり、その違法であること明らかである。しかして右買収処分のうち原告泰亮及び要助が本訴において取消を求めているのは前記目録(7)(8)(9)(10)記載の各土地であるところ、前示のとおり、右(7)記載の土地につき本件第四期買収計画を樹立した当時は何等保有限度を侵害していないから、従つてこれに基く右土地に関する本件買収処分は適法であるのでこれを除けば、保有限度侵害として取り消し得べき分は右(8)(9)(10)記載の各土地合計八畝二十七歩であるが、これは前示保有限度侵害面積六反九畝十二歩の範囲内であるから、右各土地に関する本件買収処分は全部これを取り消すべきである。

よつて原告等の本訴請求中、原告ヤスの同目録(5)(6)記載の各土地に関する買収処分の取消を求める本件訴は不適法として却下すべく、原告泰亮及び要助の被告知事が昭和二十四年一月一日附買収令書をもつてなした同(8)(9)(10)記載の各土地に関する本件買収処分の取消を求める分は正当としてこれを認容すべきも、原告泰亮のその余の請求は失当として棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条、第九十二条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 村上武 上野正秋 佐藤幸太郎)

(目録省略)

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