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盛岡地方裁判所 昭和32年(わ)144号 判決 1958年5月28日

被告人 樋口正夫

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実は、「被告人は、昭和三二年一〇月五日午後一〇時三〇分頃二戸郡鮮海村大字月舘字薬師堂二二番地薬師堂神社境内において相撲大会が催された際、折柄相撲を見物していたA女(当一六才)の姿を認めるや同女を姦淫しようと考え、言葉巧みに言い寄つて右神社境内より約三七・八米連れ出したうえ、嫌がる同女の抵抗を排除しつつ抱きかかえるようにしてさらに約三〇米離れた右神社裏山林内の暗がりまでら致しその場に同女を仰向けに倒し、無理にそのズボン及びズロースを引き下げて同女の股間に自己の両足を割り入れて覆いかぶさり、同女の反抗を抑圧して強いて姦淫しようとしたが、たまたま同所を通り合せた四、五人の男に発見され叱責されたためその場より逃走し、姦淫の目的を遂げなかつたものである。」というにある。

よつて考えるに、被告人の第一、二回公判調書中における各供述記載並びに被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書、当裁判所の証人A女、同及川恒夫に対する各尋問調書、当裁判所の検証調書、司法巡査及川恒夫作成にかかる実況見分調書、押収にかかる自動車運転免許証(昭和三三年領第一四号の一)を総合すると、被告人が昭和三二年一〇月五日午後六時頃から午後八時頃にかけて同部落に居住する友人の樋口治三郎ほか三名の者と漆田六蔵方で濁酒一升位を呑んだ後、右四名の者と連れだつて同日午後一〇時頃二戸郡鳥海村大字月館字薬師堂二二番地内薬師堂神社境内で催されていた相撲大会を見物にきたこと、右見物中まもなく被告人らが別々の行動をとるようになり、被告人が右薬師堂神社社屋の南方約一〇米のところにたたずんで見物していたA女(当一七才)の姿を認め、酒を幾分呑んでいることでもあり、かつ女性に対する好奇心から同女に話かけ、同女から氏名をきかれるや自動車の免許証を見せるからこつちにこいと申し向けて右境内の南西側に隣接する稗畑まで約一二米同女を連れ出したこと、被告人が右稗畑で被告人の氏名、年令、住所等の記載され、その写真の貼付された岩手県公安委員会昭和二九年一一月二二日交付にかかる第一〇一一五号自動車運転免許証(前同領号の一)を同女に手交したところ、同女が月明りでこれを見ながらさらに被告人と連れだつて右薬師堂神社の西北方の裏山に通ずる幅員約五〇糎の細い山道に出て、さらに被告人より先になつて右山道を登りその南側にある槻の木の少し手前まで約五〇米近く歩いてきたこと、ここで同女が被告人の名前などを確認することができたので被告人から手交された右免許証を同人に返還し、暫らくの間被告人と立話をしたが、その際被告人が俺は百姓だが冬になれば自動車に乗つて働いている、結婚しようなどと言い寄り、同女も家は百姓だが自分は未だ百姓仕事をしたことはないなどと打ち明けたりなどして被告人に対し好意を示したため、被告人は同女と肉体関係を結ぼうと決意し、同女の左手を引つぱつたり、同女を抱きかかえたりして右山道をさらに一七米程登り、右地点から同女の背後をかかえるようにして右山道わきの窪地に連れ込んだこと、この間同女が被告人から関係されるのではないかと感ずき、「やんたやんた」と言つたり地団駄をふんで抵抗したが、格別大声をたてたり、被告人の手を振り切つて逃げるようなことはしなかつたこと、右窪地で被告人が「嫁にもらうからさせろ」などと言つて同女を土手側に仰向けに押し倒し、同女の右手を押えながら着用していたズボン及びズロースを引き下げ、同女の股間に自己の両足を割り入れて覆いかぶさり姦淫しようとしたこと、これに対し同女が「わかんねえわかんねえ」と言いながら足をばたつかせはしたが、それ以上に被告人を足蹴りしたり、或は左手で被告人を払いのけるようなことはしなかつたこと、丁度このとき右窪地の下の方から三人連れの男がきたので同女が「恥しい、やめてくれ」と言つたため、被告人がその男達を追い払つてくるように言いながらその場から立去り、姦淫の目的を遂げなかつたこと、その後同女が右三人連れの男の中の一人から肉体関係を求められこれを拒絶したため、同人から胸倉をつかまれて地面にたたきつけられたりなどしたが、同女が大声を出したり足蹴りして反抗したのでそのまま立ち去つたこと、当時同女は被告人が右のような言を述べて立去り三人連れの男の暴行を受けるに任せ再び同女のもとに戻つてこなかつたため、被告人が自分を真に好いてはいなかつたものと考えてがつかりし、かつ被告人が先に同女に言い寄つた際に述べた言葉は嘘言であつたと悟つていたく憤慨したことを認めることができ、前記各証拠のうち右認定事実に反する被告人及びA女の供述部分はいずれも信用しない。なお、米田忠雄の司法警察員及び検察官に対する各供述調書、金田一憲太郎の司法警察員及び検察官に対する各供述調書によると、同女が事件直後に前示槻の木の付近で泣いていたことが認められるが、右は前記三人連の男から暴行を受けて泣いていたものであり本件とは直接関係がない。

また、前記証人A女の尋問調書及び当裁判所の証人樋口ツル、横浜七治に対する各尋問調書によれば、A女が昭和三二年一一月頃被告人に対し差出人として封筒にはA女と記載し、在中の書面には右事件後警察官の取調を受けたが自分にも落度があつた、是非会いたいから訪ねてきてもらいたい旨の手紙を差出し、これに当時同女の働いていた軽米のパチンコ店の所在場所を書いた地図を同封したこと、これを受取つた被告人の母樋口ツルはその封書を被見したが被告人に読ませるのは適当でないと思い焼却したこと、同年一二月二七、八日頃被告人の親戚にあたる横浜七治、樋口貞吉らが前記パチンコ店に住込んで勤務していた同女を訪れ事件の経過をきいた際に、同女が被告人から抱かれたりしたけれども乱暴されたとまでは言わなかつたので示談の話も進めなかつたこと、さらに同人らが昭和三三年一月告訴取下をもらいに行つた際にも、同女が心よく右取下書を書き、かつその際なんら金品の授受がなされなかつたこと、同女が本件告訴をするについてはさきに述べたように被告人が甘言を用いて自分に言い寄つておきながら、立ち去つたまま自分の処に戻つてこないのに憤慨してしたまでのことであること、を認めることができる。

以上各認定事実を彼此総合検討してみると、被告人はA女に対し人通りのない暗がりの細い山道に連れ出して手を引つぱつたり、押し倒したりなどしたうえ、同女のズボン及びズロースを引さげ姦淫しようとしたのではあるが、他方前示のように、同女が被告人に誘われるまま右山道に入り、ときには被告人より先に歩いて行き、また相当時間被告人と話をして自分の家の様子など打明け被告人に好意を示したこと、三人連れの男の一人から関係を求められたとき大声を出したり足蹴りしたり相当強い反抗の態度を示したにもかかわらず被告人に対してはそれ程の態度に出なかつたこと、被告人が同女の側を立去つたまま戻つてこなかつたので自分を好いていないのだと思いがつかりし、かつはまた憤慨したこと、本件が未遂に終つているにかかわらず被告人に対し自分でもその非を認め是非会いたいから訪ねて来て貰いたいというような手紙を出したり、通常この種の事件に見られる金品の授受もないのに心よく告訴取下書を書いたこと等の事実から本件当時における同女の心理状態を究明すると、同女もまた年若い男性に対して少からぬ好奇心を抱いており、被告人と話をしているうちに次第に打ち解け被告人に好意をもつようになり、被告人の前示所為に対し一応は反抗の態度を示したけれども、内心では被告人においてさらに積極的に肉体関係を求めてくる場合にはこれに応じないわけではないとの気持になつていたものと認められる。すなわち、A女は被告人から姦淫されることを積極的に求めていたものでないことはもとよりであるが、自分の好意を抱く被告人があくまでその所為に出るときにおいても強く反抗しようとする程の意思をもつていたものではなく、いわば姦淫されることにつき暗黙のうちに承諾していたものとみるべきであるから、結局被告人が同女の意思に反し強いて姦淫しようとしたということはできない。

してみると、この点において本件公訴事実は犯罪の証明がないことに帰するので刑事訴訟法第三三六条により被告人に対し無罪を言渡すべきものとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 降矢艮 岡垣学 矢吹輝夫)

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