盛岡地方裁判所 昭和39年(行ウ)6号 判決 1971年3月25日
盛岡市中央通二丁目一〇番二三号
原告
盛岡勤労者演劇協議会
右代表者委員長
近藤義彦
右訴訟代理人弁護士
小野寺照東
同
高橋清一
同
菅原一郎
同
菅原瞳
同市本町通三丁目八番三七号
被告
盛岡税務署長 武者敏雄
右指定代理人
村重慶一
同
高橋満夫
同
内野芳富
同
須田勝寿
同
小野正義
同
後藤真治
主文
原告の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一、当事者双方の求める裁判
一、原告
被告が、原告に対してなした別紙第一別表1ないし8記載の入場税、無申告加算税の各賦課処分をいずれも取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
二、被告
主文同旨。
第二、請求の原因
一、原告の実態、性格
原告は、盛岡市およびその周辺に居住、勤務もしくは通学している演劇愛好者によつて組職された自主的民主的な団体であつて、すぐれた演劇や舞踊を、いわゆる興業主の手を排して自らの手で企画立案し、これに要する経費を持ち寄り、安い費用で演劇等を鑑賞することによつて会員の情操と文化的教養を高め、演劇サークル活動の発展を図り、以て日本の芸術文化の創造と育成を図ることを目的とするものである。そして、右の目的を達成するために、定期的な演劇鑑賞会の開催(労動活動では例会とよばれている)、フオークダンス、ピクニツク、その他のレクリエーション、演劇講座、例会の合評会、座談会、文化人及び他の民主的文化団体との提携、機関紙、ニユースの発行など多様な活動を行なつている。
原告は会員個人の集団という意味では団体であるが、原告は会員個人とは別個な、会員個人から独立した存在ではない。原告と会員個人とは統一的に理解さるべきものであり、原告はそのうちに会員個人を包摂した、会員によつて組織された団体である。したがつて原告と会員個人を対立的な存在として理解することはできない。しかも原告は法人格を有しないものである。ただ、原告には、規約に基づき、最高意思決定機関があり、また代表者が選出される。したがつて、原告は、民事訴訟法四六条に規定する「法人に非ざる社団にして代表者の定めあるもの」である。
二、被告の処分
ところが、被告は、原告の例会活動について、出場税法一条ないし三条のいわゆる経営者等のなす催物とみなして、原告に対して別紙第一別表記載のように、それぞれ入場税、無申告加算税の各賦課処分をなした。
三、被告の処分の違法
しかしながら、被告の右処分は入場税法の適用を誤まつたもので違法である。
1. 人格なき社団である原告は実体法上権利義務能力を有しないから、そもそも租税義務能力を有しない。
わが国においては、法律上権利義務の主体たり得るのは自然人又は法人に限られ、人格を有しないものは、社団であつても社団そのものに権利義務の帰属を認めることはできないのである。
2. 原告は先に述べたような実態性格を有する「人格なき社団」であるから、入場税法上の納税義務者ではない。
(一) 入場税法には、人格なき社団に関する規定が存在しない。
旧法人税法(一条二項、五一条)旧所得税法(一条七項、七二条)にはいずれも人格なき社団について法人とみなす旨の規定があり、人格なき社団に関する両罰規定の定めがある。このようにして人格なき社団について法人税法、所得税法の規定を適用することを法律上明文をもつて定めている。これは租税法律主義の建前から当然のことである。
これに反し入場税法には人格なき社団を納税義務者とする規定もないし、勿論人格なき社団に対する両罰規定も存在しない。加えて、入場税法二三条および二五条ないし二八条の規定によれば、人格なき社団については同法の適用がないことが明らかである。すなわち、同法二三条の規定は、納税義務者である法人が合併または解散によい消滅した場合および納税義務者である個人が死亡した場合における納税義務の承継について規定するものであるが、同条において人格なき社団についての申告義務の承継については何ら触れられていないのであり、したがつて同条は納税義務者を個人および法人に限定していることが理解できる。
次に同法二五条ないし二八条は犯則に関する条規である。すべての租税法規は、納税義務者の犯則に対し例外なく各種の罰則規定を設けその間接強制によつて遵法の担保とし、よつてもつて所期の目的を達しようとしていることは何人も否定するところではない。そこでこの四箇条についてみると、可罰対象者として掲げられている者は、個人および法人、同上の代表者、代理人又は使用者その他の従業者である。これを納税義務者についていえば個人および法人に限られている。
右のとおり、人格なき社団について法人税法等と入場税法はまつたくその規定の仕方を異にしているのであり、この明文の存否の差異は、租税法律主義の建前および租税法を統一的に理解する上からいつて、入場税法三条の納税義務者には人格なき社団は含まれないことを示すものと解さざるを得ない。
(二) 次に「入場税法には明文の規定がないけれども解釈上人格なき社団に対しても同法の適用がある」という考え方が成り立ち得るか否かを検討するに
政府は入場税法に人格なき社団に関する規定を設けようと努力し、国会審議の過程でこの規定が削除されているのである。すなわち、国税通則法案は昭和三七年二月二一日国会に提出されたが、政府原案は、人格なき社団等を「国税に関する法律の規定については法人とみなす」(原案一三条)というものであつて、納税義務について国税全般にわたつて、人格なき社団等は法人とみなされることになつている。
ところが右法案は国会の審議の経過で三条として人格なき社団等について「法人とみなしてこの法律を適用する」と修正され、同年四月二日に両院を通過しさかのぼつて四月一日より施行ということになつた。かくて人格なき社団等は国税全般にわたつて法人とみなされるのではなく、国税通則法の規定の適用のみについて法人とみなされることになり、納税義務の存否については各本法の規定によることになつたのである。
ところが、国税通則法より先に国会を通過してしまつた改正入場税法は同年四月一日より施行されたが、同法二八条には、人格なき社団に関する両罰規定が設けられているのである。
しかし国税通則法の政府原案が前記の如く修正可決されたのに伴い「国税通則法の施行等に伴う関係法令の整備等に関する法律」(同年四月二日制定、以下整備法と略称する)により右改正入場税法の人格なき社団に関する両罰規定は再び削除されるに至つた。
このように入場税法の人格なき社団等に関する規定は設定、削除と変転したのであるが、入場税法二八条の改正規定(人格なき社団の両罰規定)と国税通則法政府原案一三条(人格なき社団を国税全般につき法人とみなす規定)との関係について参議院法制局長は、
「入場税法二八条の改正規定は国税通則法政府原案一三条を前提として改正せられる規定であり、かりに国税通則法一三条の規定が将来通過成立せず、入場税法二八条の改正案そのままの形の法律が先に成立した場合においては、入場税法二八条の改正規定の改正部分は死文か空文になるので、その点は何らの改正を加えなかつた現行法の二八条と同じだと思う」旨の答弁をしている。
果せるかな国税通則法は前記のとおり修正可決されたので、入場税法二八条の改正規定は参議院法制局長の答弁のとおり「死文か空文に」なつたので、整備法において削除されるに至つたものである。
以上の立法経過により左のとおり結論せざるを得ない。
すなわち、政府自身が明文の規定を設けなければ人格なき社団に納税義務を負わせることができないことを認めていたものである。そうであればこそ政府は国税通則法原案一三条を作成したのであり、右原案が国会を通過する見通しの下に入場税法改正二八条に人格なき社団の両罰規定を設けたのであるが、僅かの時間先行して入場税法改正が先に国会を通過してしまい国税通則法は前記の如く原案を修正されて可決されたので、入場税法改正二八条は昭和三七年四月一日、ただ一日をもつてカゲロウの如くはかない生命を終え、死文化するに至つたのである。
国会もまた、国税通則法政府原案一三条修正の結果入場税法改正二八条を削除する必要が生じたものと認めて、同条を削除する旨整備法において立法せざるを得なかつたのである。もしも解釈によつて当然に入場税法が人格なき社団にも適用されるとしたならば、いつたん成立した入場税法改正二八条を整備法において削除する必要がなかつた筈である。(法人税法等には人格なき社団に対する両罰規定があることを注視されたい。)
以上の次第であるから、入場税法は、人格なき社団に対しては適用するに途なきものと解するほかはないのである。
3. 本件入場税賦課処分の対象となつた原告の例会は入場税法二条一項の「催物」に該当しないから、原告は同条二項の「主催者」でなく、また同条三項の「入場者」および「入場料金」も存在しない。
「催物」とは、映画、演劇、音楽等「多数人に見せ、または聞かせるもの」をいうのである。換言すれば「多数人に見せ、または聞かせる」映画、演劇、音楽等が「催物」である。そこには「多数人に見せ、または聞かせる」側の者と、「見たり聞いたりする」側の者とがあることを前提としている。しかし原告の場合には、前項で述べたとおり「多数人に見せまたは聞かせる」側の者と、「見たり聞いたりする」側の者とは同一人である。換言すれば原告の場合には「多数人に見せ、または聞かせるもの」でなく、自分で「見たり聞いたりするもの」なのである。
また、原告を構成する会員の醵出する会費は、巷間存在する同好会の同好者による持寄り会費そのものであつて、これを入場税法にいう入場料金であるという被告の主張は、原告を目して、会員とは別個に存在する人格者であるといういいがかりをつけようとする結果出て来るこじつけ解釈である。原告は即会員全員であつて、会員全員以外に会員より会費を徴収する人格者は存在しない。
右のとおりであるから原告の場合には「催物」という観念は存在しない。したがつて原告は「催物」を主催する者ではないから「主催者」でなく、「催物」を見たり聞いたりする者がいないから「入場者」はなく「入場料金」というものも存在する余地はない。「入場料金」というものが存在しないから原告は入場税法三条に規定する「納税義務者」ではない。
ところが被告は前述したように原告を人格者=法人とみなしているから、原告と会員とは対立しているものと考え原告が「多数人に見せまたは聞かせる」側の者であり、会員が「見たり聞いたりする」側の多数人であるとの見解から「催物」「主催者」「入場料金」「納税義務者」の概念を作り上げているのである。
換言すれば、行政庁の目に「催物」らしく表見した原告の例会は、実は、音楽や演劇愛好者たちの単なる音楽会や演劇の自主的鑑賞集会の影絵にすぎないのである。
四、原告の訴願前置手続
右のように原告に対する被告の前記処分はいずれも違法なので、原告は、
1. 被告の別紙第一別表1ないし3記載の各入場税決定処分に対して、昭和三八年五月二〇日被告に対して異議申立をしたが、被告は同年八月一七日右の異議申立を棄却したので、原告は右の異議申立の棄却について、同年九月一四日仙台国税局長に対して審査請求をなしたところ、同局長は審査請求を棄却する裁決をなして昭和三九年一〇月一日付で原告に通知(到達は同月二日)した。
2. 被告は、別紙第一別表1ないし3記載の入場税無申告加算税賦課決定処分をおこなつたので、原告は右処分に対し昭和四〇年三月一五日仙台国税局長に対して審査請求をした。
3. 被告の別紙第一別表4ないし8記載の各入場税の決定ならびに無申告加算税賦課決定処分に対して、昭和三九年一一月一九日被告に対して異議申立をなしたが、被告は昭和四〇年二月一五日右の異議申立を棄却した。原告は右の異議申立の棄却について、昭和四〇年三月一五日仙台国税局長に対して審査請求をなしたところ、同局長は審査請求を棄却する裁決をなして同年一一月二〇日付で原告に通知(到達は同月二二日)したものである。
五、よつて原告は別紙第一別表1ないし8記載の各課税処分の取消を求める。
第三、答弁
一、請求原因に対する認否
1. 第一項につき、原告がそのいわゆる例会活動、機関紙の発行をしていること、および原告には、規約に基き最高議決機関があり、代表者が選出されることを認める。その余は不知。
2. 第二項につき、被告が原告の例会活動について、いわゆる経営者等のなす催物と「みなし」たとの点は否認。その余は認める。
3. 第三項につき争う。
4. 第四項につき、被告の決定処分が違法であるとの点は争う。その余は認める。
なお、原告は組織創立以来、昭和三七年五月に至るまでは自主的に入場税の申告を行なつたのであるが、その後なんら原告の組織および活動の実態に変化を生じていないにもかかわらず、昭和三七年八月分から突然申告、納税ともに拒否の態度に出てきたものである。
二、本件入場税の賦課処分には原告主張のような違法はない。
1. 原告は、人格なき社団である原告は実体法上権利義務能力を有しないから、そもそも租税義務能力を有しないと主張するので次のとおり反論する。
原告は社団(個々の構成員を超えた独立の単一体として存在し活動するもの)であるので、特別法によつて限定的な権利能力義務能力を付与される適格を有するものである。
原告は、自らを「人格なき社団」であると認めている。人格なき社団の構成員に対する関係での超越性独立性については、判例通説の認めるところであつて、このことはいまさら多言するを要しない。
人格なき社団は、その組織および社会的活動において社団法人と異なるところがなく、ただ、一般的な権利義務能力を法によつて与えられていないにすぎない。
ところで、「与えられていない」ということは「与えられない」ということではなく、人格なき社団といえども、一定の要件さえ充たせば、一般的な権利義務能力を取得して社団法人になり得るものである。
そして、元来、権利義務能力というものは、法が与えるものであるから、ある個体に対し権利義務能力を一般的に与えるか、それとも限定的に与えるかは全く法の任意であるといつてよい。たとえば、胎児については、民法は一般的な権利能力を否定するけれども、特別の限られた権利関係については、その主体たり得ることを承認しているのも、限定的な権利能力付与の一例であろう。また、法人税法所得税法がそれぞれ人格なき社団を法人とみなしている規定をおいているのも、限定的な権利義務能力の付与を法が承認している場合であろう。
したがつて、入場税法上の法律関係についても、人格なき社団は、入場税法によつて限定的な権利能力義務能力を取得する余地があるのである。
ちなみに、限定的な権利義務能力の付与は必ずしも明文によることを要せず、当該法律の解釈によつて法が付与しているとみられる場合には、やはり限定的な権利義務能力の存在を承認すべきである。
右のとおりであるから、人格なき社団であるから直ちに租税義務能力がないという原告の主張は失当である。
2. 原告は人格なき社団であるから入場税法上の納税義務者ではないと主張するので以下反論する。
(一) 原告は、「入場税法は人格なき社団を納税義務者として規定していない」旨を主張する。そして、入場税法には、法人税法、所得税法のように、人格のない社団についての明文規定を欠くことを、その理由として掲げている。
旧法人税法一条二項および旧所得税法一条七項によれば、法人でない社団又は財団で代表者又は管理人の定めのあるものは法人とみなされることになつているが、右法律が右のような明文の規定をおいたわけは、その特殊性に由来するものなのである。
旧法人税法は、その一条一項においては、納税義務者を「法人」に限定してこれを基礎にした構成をとつている。ところが、一般的な法人格こそ有しないが「法人」と同様に独自の社会活動を行つている団体の存在を無視することができず、法人税法の上でも、これを法人に準ずるものとして規制する必要から、同条二項のみなす規定が設けられたものである。
また、旧所得税法は、その一条一項および同条二項において納税義務者を「個人」と限定しているため、該法上右「個人」以外のものでもこれと同様に取扱うことが相当と認められる領域において、右「個人」を基礎とした同法体系の適用をこれらに及ぼすためには、その旨の特別規定が必要となり、前同様人格のない社団については前掲のようなみなす規定を設けるに至つたものである。
これら納税義務者として「法人」とか「個人」とかの人格性を明記し、これを基礎にして条文を構成しているいわゆる直接税法に対して、入場税法のほうは、その納税義務者を「経営者」または「主催者」と規定し、これらの者が、同法二条三項にいう「入場料金」を、同法一条の興行場等への入場者から「領収」することをもつて、その課税要件としている(同法三条)いうまでもなく入場税はいわゆる間接税の一種として前記興行場への入場について、その娯楽的消費支出に担税力があるものと認め「入場料金」たる経済的負担に対して課せられるものであり(同法一条)、納税義務者は、入場者から右課税対象となる「入場料金」を領収する者として規制されている。
さて、納税義務者を定める入場税法三条の構成要件要素をなす「主催者」という概念についてであるが、それは「法人」とか「個人」とかの概念とは異なつて、法的概念である前にすぐれて事実的概念であることに留意すべきである。社会的生活上の統一的活動体として、その名において、「臨時に興行場等を設けまたは興行場等をその経営者もしくは所有者から借り受けて催物を主催する」(同法二条二項)ことが実際上できるものであれば「主催者」に該当するのであつて、その者が「興行場への入場者から」「入場料金」を「領収する」ことができる限り同法三条の構成要件に該当する可能性があるわけである。
ところで、人格なき社団といえども、勿論、興行場等を設けることも、興行場等を借り受けることも、また、催物を主催することもできるわけであるから、「主催者」になり得る者なのである。また、人格なき社団は、入場料金を領収することができるのであるから、以上の諸点からみれば、同法三条の構成要件に該当する可能性を有するものといわなければならない。
ところが原告の主張によれば、同法三条にいうところの「主催者」とは法人格を有する者に限るのであつて人格のない社団は含まれないというのである。なぜこのように縮小解釈するのであろうか。それは人格のない社団は義務能力を有せず義務者となり得ないという命題に拘泥するからである。なるほど、人格なき社団は確かにそのままでは義務能力を有しないかも知れない。しかし、特別法が限定的な権利義務能力を付与し得ることは先にも述べたとおりであつて、入場税法が人格なき社団に対して限定的な権利義務能力を付与していると認められれば、前記の縮小解釈は理由なきに帰するわけである。ここで、われわれの注意しなければならないことは入場税法の上で「法人とみなす」といつた真正面からの明文規定がないからといつて、限定的な権利義務能力の付与を否定しているとみてはならないことである。
このような視点に立つて入場税法三条をみるならば、「主催者」の概念のうちには、本来、人格なき社団も含まれることは先にみたとおりであるし、三条はまさにそのような「主催者」が「入場税を納める義務」を負担し得る旨を定めたものであるから、人格なき社団もまた、主催者であつて同条所定の要件を充す限り、同条によつて限定的な義務能力を取得するに至つたと解釈すべきである。
そして、人格なき社団が入場税法上限定的な義務能力を取得するに至つたとの主張は次に述べるような点からも基礎づけられるのである。
まず、同法八条に定める免税興行に関し同法別表上欄四号には「社会教育法(昭和二四年法律第二〇七号)一〇条の社会教育団体」と規定されているところ、右同法案は、「この法律で「社会数育関係団体」とは、法人であると否とを問わず、公の支配に属しない団体で社会教育に関する事業を行うことを主たる目的とするものをいう。」旨規定している。してみると、右団体のうち法人に属しない人格なき社団であつても入場税法上の納税義務者たりうることが入場税法のうえで明記されているといわねばならない。
さらに同別表第一にある「児童、生徒、学生または卒業生の団体」という個所があるが、この種の団体は通常法人格を取得するに適せず、そのほとんどがこれを有していないことは公知の事実である。
それにもかかわらず、この種の団体についても免税興行の規定をおいていることは、入場税法がこの種の団体につき納税義務負担の可能性を前提にしているからにほかならない。
(二) 原告はさらに、「入場税法の予定する納税義務者は個人または法人である」と主張し、その論拠として入場税法二三条、二五条ないし二八条の規定をあげているけれども、これらの法条は行政上の必要ないし立法政策として設けられた特別の規定であつて(同種立法例として、入場税法二四条二項(団体諮問権)、物品税法四一条四号(運搬中の課税物品の検査権)、等がある。)、これがために入場税の納税義務者が個人、法人の人格のある者に限られると解すべきでない。すなわち、同法二三条は、期限内の納税申告、開廃業等の申告および記張の各義務の承継規定であり、これは、人格なき社団を含むすべての者の納税義務の承継については、国税通則法五条から七条までおよび一七条から一九条までの規定によつて定められているところ、特に入場税法中に規定する納税義務者に課せられた多数の義務のうち、比較的長期にわたつて継続的に興行を行ない承継事例がありうると認められる個人、法人のすべき申告、記帳等一部の義務についてのみ、限定的に特別に規定したものである。また同法二五条ないし二八条は罰則規定であるが、罰則規定は必ずしも法律に違反したすべての行為を対象とするとは限らず、また同法二五条ないし二八条は行為の軽重度合等に応じ立法時における課税権確保上の必要性に関する政策的考慮から限定的に規定したものであるから、これらの罰則規定を根拠に入場税法が人格なき社団に納税義務を負わしていない趣旨と解することは、本末を顛倒した見解である。すなわち入場税の本質ないしは納税義務の存否は、右各法案の存否によつてなんら左右されるものではない。
右のとおりであるから、入場税法は原告のような人格なき社団をも個人、法人とともにその納税義務者として規律していることが明らかである。
(三) 原告は、「入場税法には明文の規定がないけれども解釈上人格なき社団に対しても同法の適用がある」という考えが成り立ち得るか否かについての検討材料として国税通則法の原案が修正されたことを挙げ、同法の原案が修正されたことをもつて、人格なき社団が入場税納税義務を負担しないことの一根拠とする。
しかし国税通則法の原案中、人格なき社団に関する規定は、昭和三六年七月五日の税制調査会の答申にそつて置かれたものであつて、右答申によれば、人格なき社団等に対する納税義務については、現在一部の税法のみに規定されているにとどまるが、各税法上に特別の規定のない限りこれを法人とみなして各税法を適用する旨を統一的に規定することとし、また罰則については、現行国税徴収法一八九条の規定に準じて規定の整備を図るべきであるとされたものであり、したがつて、国税通則法政府原案一三条の修正の有無に拘らず、人格なき社団等は入場税納税義務を負うと解されることには変りはないのであつて、この規定によつて影響を受けるのは、人格なき社団等の納税義務ではなく、罰則規定の整備と相俟つてなされる人格なき社団等および行為者に対する処罰の問題なのである。
したがつて、この規定が修正されおよび関係税法の罰則の改正(入場税法についていえば、前記二八条の改正)がなされないことになつたため、その限りにおいては、人格なき社団等の処罰については依然明確を欠き、議論のわかれたままになつていることになるわけであるが、人格なき社団等の罰則規定を明確にする意図の政府原案が修正されたことをとらえて「入場税法は人格なき社団に対しては適用する途なきものと解する」との原告の主張は誤りといわざるを得ない。
3. 入場税法上、原告のいわゆる例会活動が同法二条の「催物」に該当し、原告が同条三項の「入場料金」を得た「主催者」に該当することについて、次のとおり主張する。
(一) まず、原告のいういわゆる例会活動を主催する者が、原告であるか、はたまたそれ以外の会員自身であるかについて考えてみるに、原告が社会的現象または実在としては、団体として活動しており、その構成員たる個々の会員とは別個の存在であることは、原告の主張自体からも窺われるところである。しかも原告はその設立の目的を達成するため規約に基づいて議決機関を有し、役員、代表者を選出し、執行機関たる運営委員会が、議決機関の議決したところにしたがつて「いわゆる例会を会員に鑑賞させる」ため原告の意思として適当な出演者等に出演を依頼し、会場を借入れ、そこでいわゆる例会を催し、会費を納めた会員に整理券等を交付し、これを鑑賞させているものである。そして入会脱会は自由で会費を納めないでいると会員たる資格を喪失し勿論入場することもできないこととなつている。
されば出演者等との出演契約は、すべて原告自身がその責任においてこれを締結するものであつて、個々の会員が出演者等とまたは会場の管理者と各個別に前記各契約を結ぶものでないことはいうまでもない。そして原告はこのほかいわゆる例会活動に必要ないつさいの活動を行なうものであつて、会員はただ会費を納入して整理券など(「整理券など」とは、原告が会員から会費を領収することによつて、これと引換えに会員に対して発行する紙片を指称したものであり、原告が「会員券」あるいは「会券」の名称を用いているものである。なお、当該紙片すなわち整理券等を持参した者のみが入場することを認められる。したがつて、当該「整理券等」はいかなる名称を用いても入場税法上の入場券に該当するものである。)の交付をうけて、上演される例会を鑑賞するものにすぎない。したがつて、かかる例会を主催する主体はとりもなおさず右会費を「領収」した原告自身であつて、会員は単なる観客にすぎないものというべきである。故に本件例会の開催は原告団体の事業として行なわれるものであり、その構成員たる会員の協同主催でないことは明らかである。
(二) 原告は、「例会」は自らの手で企画立案し、これに要する経費を持ち寄り、安い費用で演劇を鑑賞するものであるから「例会」は同法二条一項に規定する「催物」でない旨主張する。
しかし、会員の総合的意見に基づいてその希望する出演者等を招き、会員のために上演の日時、場所を決定しいわゆる例会を開催することは同法所定の「催物」たることを妨げるものではなく、原告の強調される「自らの手で企画立案」とか「経費を持ち寄り」または「安い費用で鑑賞」ということは、団体運営上の特色たるにすぎず、入場する多数の者(会員)から入場の対価(会費)を得て催物を主催し、多数の入場者に催物を鑑賞させるものであることには何ら変りがないのである。
観客が会員という名で呼ばれようが呼ばれまいが、あるいは特定した人であろうとなかろうと、それが「多数の者に見せまたは聞かせるもの」であれば、ここにいう催物に該当するのである。けだし、入場税法二条一項は観客が特定人であるかどうかを要件としていないからである。
しかして、本件興行が多数の者を対象としていることは勿論であるから、本件興行を入場税法二条一項に規定する「催物」と認定した本件課税処分は誤りなきものといわねばならない。
(三) 原告は、催物とは「多数人に見せ、または聞かせるもの」をいい、そこには「多数人に見せ、または聞かせる」側の者と、「見たり聞いたりする」側の者があることを前提としている。しかし原告の場合は「多数人に見せ聞かせる」側の者と、「見たり聞いたりする」側の者とは同一人である。したがつて、原告の場合には「催物」という観念が存在しないと主張するので、次のとおり反論する。
入場税法上の催物は、「多数人に見せ、または聞かせる」という要件を充たすことを要する。その場合、主催者が人格なき社団であるとすれば、それ以外のものはすべて見せ、または聞かされるものである。けだし、人格なき社団を一個の社会的存在として法律的に認識し、これに法律的な単位たる地位を賦与する以上、人格なき社団はその名において法律上他の法律主体たる個人と別個の存在を主張しうるからである。そして、人格なき社団以外のものという場合その構成員たるものも指称することになるのであつて、その関係は、ちよど会社がその構成員または社員(株主)を内に蔵しているけれども、それは会社自体と別個の権利、義務主体としてその存在を独自に主張しうることと対比しうる。
人格なき社団たる原告が、会員自らの手で例会を運営しているといつても、人格なき社団たる原告そのものに法律的地位を認める以上、事実上会員が手をかすかどうかとにかかわりなく、会員とは別個の法律的存在であつて、人格なき社団は主催者であり、会員は見せられ、聞かされる関係に立つのである。それは、会社が催物を主催し、社員(株主)のうちから運営委員会を作つてこれに協力しても、依然として、これを見せられ、聞かされるものは、社員(株主)であるのと対比しうる。
家族が数人集つて音楽を聞く場合には、そこに集つた個人の外に、それを構成員とする社団の成立がなく、したがつて、そのような場合には、主催者と、見せまたは聞かされるものとの関係は生じない。しかし、個人の集団が一定の要件を備えて、人格なき社団と称しうる段階に達すれば、そこには、個人の複数という権利義務の主体の複数の外に、これを構成員とする別の法律的単位が別個に存在するに至るから、主催者と観客という関係が生ずるに至る。催物を見せる、聞かせるという法律的な単位とこれを見せられ、聞かされるという法律的単位との存在がある以上、その両者の間に、一つが他の構成員であるかどうか、援助するかどうか、「自主的運営」であるかどうかにかかわりなく催物の主催者と観客という関係が生ずるのである。
原告は、自主的運営ということを強調するけれども、人格なき社団が存在し、法律的な単位として社会的に活動していることを前提とする限り、法律的には意味をもたないものといわざるを得ない。
(四) 会員が持ち寄つた(醵出した)例会に要する経費(会費)が、同法二条三項に規定する「入場料金」にあたるかどうかについては、原告に属する各会員は、当該会費を支払うことによつて原告の主催する興行場に入場することができるのであるから、当該会費は、入場に対する対価性を有することが明らかである。すなわち会費を支払わない者は整理券等の交付をうけ得ず、したがつて、入場することも許されないが、しかし会費さえ納入すればこれを唯一の契機として整理券等の交付をうけていわゆる例会を鑑賞することができるのである。故に会員の納める会費は同条所定の「入場料金」にあたるものといわねばならない。
三、本件入場税額算出の根拠
1. 入場税法二条三項は、入場料金について「興行場等の経営者又は主催者が、いずれの名義でするかを問わず、興行場等の入場者から領収すべき入場の対価をいう」旨規定している。
したがつて、ある者の支払金員が催物についての入場の対価性をもつ場合には、それが入場税法上の入場料金であることは当然である。
2. しかしながら、催物を行なう会員組織による団体があり継続的に会費を領収し、その会費の支払者を催物の行なわれる会場へ入場させることとした場合には、その会費は入場の対価性を有する(すなわち、入場料金である)ことは疑義がないが、個々の会費の支払いと個々の催物の開催とが結びつかないような事例の場合には、入場税法所定の課税標準額の申告等に必要な一人一回の入場料金の算出ができないこともあり得るところから、かかる場合には、その算出について合理的な方法として、直接その個々の催物に要した経費、例えば会場借上料、出演料および入場券、ポスター等印刷費等の合計額を、当該会場に通常入場させることができる人員数で除し、これをその催物についての一人一回の入場料金とすることとしている。本件入場税の課税標準額および税額はこのような算出方法によつて決定されたものであり、その明細は別紙第一別表記載のとおりである(その計算方法については別紙第二参照)。
3. なお本件税込入場料金の計算については、入場税法基本通達一三条に規定する経費を調査して課税したものであり、その明細は別紙第三のとおりである。
第四、証拠関係
一、原告
甲一ないし一八号証を提出し、乙号各証の成立をすべて認め、証人佐藤サダ子、遠藤喜美栄、及川善也、山洞三郎、矢部精志、田島文雄の各証言を援用した。
二、被告
乙一ないし八号証、同九号証の一、二、同一〇ないし一二号証、同一三号証の一、二、同一四、一五号証、同一六、一七号証の各一、二、同一八、一九号証、同二〇号証の一、二、同二一ないし二三号証、同二四ないし二六号証の各一ないし三、同二七号証の一ないし四、同二八、二九号証の各一、二、同三〇号証の一ないし四、同三一号証の一ないし三、同三二ないし三四号証の各一、二、同三五、三六号証の各一ないし三、同三七ないし三九号証の各一、二、同四〇、四一号証の各一ないし三、同四二、四三号証、同四四号証の一、二、同四五ないし八二号証を提出し、甲一、五、九、一二、一四、一五号証の成立は認めるが、その余の甲号各証の成立は不知と述べ、証人札木貞男の証言を援用した。
理由
一、請求原因第二項および第四項の1ないし3の実事はいずれも当事者間に争いがない。
次に、請求原因第一項中争いない事実並びに成立に争いのない甲一号証、乙四五号証、証人佐藤サダ子、同矢部精志の各証言を総合すると、原告はすぐれた演劇や舞踊を自主的に上演し、会員の情操と文化的教養を高め、地域の演劇活動の発展を図り、日本の芸術文化の創造発展に寄与することを目的として盛岡市およびその周辺に居住、勤務もしくは通学している勤労者、学生等の演劇愛好者によつて組織された団体であり、右目的の遂行のため、会員による演劇鑑賞会(例会という)を中心として演劇人の講演会、座談会、批評会等の事業、機関誌、ニユースなどの発行等を行なつていること、原告には規約があり、これによれば最高の意思決定機関として総会(会員の中から選出される役員と総会代議員とにより構成される)が、これにつぐ決定機関として委員会(委員、三役(委員長、副委員長、事務局長)、運営委員によつて構成される)が、業務執行機関として運営委員会(運営委員と三役によつて構成される)がそれぞれ設けられ、委員長は原告を統括するものとされていること、原告の会員の入会脱会は自由であり、昭和三六年一二月に創設されて以来、毎月会員数には増減があるが、同一の団体として維持存続してきたこと、以上の事実が認められ、これに反する証拠はない。
右によれば、原告はいわゆる人格なき社団であると認めるのが相当である。
二、原告は本件各課税処分は違法であると主張するので、以下判断する。
1. 請求原因第三項1の主張について
原告は、人格なき社団である原告は実体法上権利義務能力を有しないから、そもそも租税義務能力を有しないと主張する。
ところで、いわゆる人格なき社団は、一定の目的のもとに結合された多数人の集合体であつて、団体としての組織を有し、社会関係において統一された意思のもとにその構成員の個性を超越して活動する社会的実体であり、対外的には代表機関の行為によつて行動し、契約の締結等社団の名において構成員全体のために権利を取得し、義務を負担するものであつて、法人格を付与されているか否か、およびこれに基づく法律上の効果の帰属の点を除いて団体としての特性ないし実体において社団法人と何ら異なるところがない。したがつて人格なき社団は、私法上法人格を有しないこと、およびこれにより派生する法律上の取扱いの差異を除いて、民法上の社団と同様に取り扱われるべきであり、これに関する民法上の規定を類推適用すべきである。そして、法が前記のような社会的実体たる人格なき社団に対して権利義務能力を付与するか否かはまつたく立法政策上の問題であり、各実定法はそれぞれの立場からこのような人格なき社団に対して当該実定法上の法律関係における権利義務の主体たりうる地位すなわち権利義務能力を付与することができると解すべきである。(例えば人格なき社団につき、手続法上法人と同一の地位ないし能力を付与する民事訴訟法四六条の規定はその一例であるといえよう。)したがつて、租税法上の法律関係についても、人格なき社団は各租税法規によつて権利義務能力を付与される場合があるというべきである。(旧法人税法一条二項、現法人税法三条、旧所得税法一条七項。現所得税法四条参照)
右のとおりであるから、人格なき社団であるから直ちに租税義務能力がないという原告の主張は理由がない。
2. 請求原因第三項2の主張について
原告は、原告は人格なき社団であるから、入場税法上の納税義務者ではないと主張する。
(一) 入場税法三条によれば、入場税の納税義務者は興行場等の経営者または主催者で興行場等への入場者から入場料金を領収する者であることが明らかである。右規定にいわゆる経営者または主催者には自然人、法人が含まれることは明白であるが、これに人格なき社団が含まれるか否かは右規定自体からは一見明白であるとはいえない。しかしながら、人格なき社団はその代表機関の行為を通じて自己の名において契約の締結等法律行為の主体たりうるものであつて、その限度において法的地位が承認されることは前記1において判断したとおりであり、したがつて人格なき社団たる原告も、その活動として入場税法にいう興行場等の経営者または主催者たりうる実体と法的地位を有するというべきであるから、入場税法上の文理解釈としては「経営者」または「主催者」に人格なき社団も含まれると解するのが相当である。
また入場税法八条一項が「別表の上欄に掲げる者が主催する催物が左の各号に掲げる条件に該当する場合において、第三項の規定による承認を受けたときは当該催物が行なわれる場所への入場については、入場税を免除する。」と規定し、同法別表上欄において、「児童、生徒、学生、または卒業生の団体」、「学校の後援団体」、「社会教育法第一〇条の社会教育団体」(社会教育法一〇条は「この法律で「社会教育関係団体」とは法人であると否とを問わず、公の支配に属しない団体で社会教育に関する事業を行なうことを主たる目的とするものをいう」と規定している。)等明らかに法人格を有しない団体、あるいは通常法人格を取得するに適しない団体等を掲記しているところからすると、入場税法八条は人格なき社団にも納税義務があることを当然の前提として規定しているものと解することができる。
さらに入場税は入場税法一条の規定からも窮われるように、興行場等への入場について、その娯楽的消費支出について担税力があるものと認めて入場料金に対して課税しようとするものであるから、入場税の実質的負担者は入場者であり、その主催者が法人であるか、人格なき社団であるかは入場税法上それ程重要な意味を有するものではないというべきである。(仮に主催者が法人であるか否かによつて取扱いを異にするならば、その間に理由のない課税上の不公平を生ずることになる。)
右のとおりであるから、人格なき社団は入場税法三条の納税義務者に含まれることが明らかである。
(二) 原告は、所得税法、法人税法にはそれぞれ人格なき社団について納税義務を課する旨の規定および両罰規定があるが、入場税法にはかかる規定がないから、租税法律主義の建前上人格なき社団たる原告は入場税法上の納税義務者ではない旨主張する。
しかしながら、租税法律主義の内容をなす課税要件は実定法上明確に規定されることが必要だという原則(いわゆる明確の原則)が、何ら合理的な法律解釈を排斥するものでないことはいうまでもなく、しかも人格なき社団が入場税法の解釈上納税義務者たりうるものであることは前記判示のとおりであるから原告の右主張は失当である。
(三) また原告は、入場税法二三条および二五条ないし二八条の規定によれば人格なき社団については同法の適用のないことが明らかである旨主張する。
しかして同法二三条および二五条ないし二八条は人格なき社団を納税申告義務の承継、両罰規定の対象から除外していると解されるけれども、右各規定は納税義務者を定めたものではなく、徴税の実効を期するための規定であるとみるべきであるから、右各規定から納税義務の存否を推論すべき限りでない。
(四) さらにまた原告は、人格なき社団は入場税法上の納税義務者ではないとの主張の根拠として、国会において「人格なき社団等は国税に関する法律の規定については法人とみなす」旨の国税通則法政府原案一三条が、「人格なき社団等は国税通則法の規定の適用については法人とみなしてこの法律を適用する」旨修正されたことに伴つて、いつたん改正された入場税法二八条の改正部分(人格なき社団に関する両罰規定が新設された)が、再改正によつて削除された経緯があることを主張する。
しかしながら、国税通則法政府原案一三条の修正に伴い、昭和三七年四月一日から施行された入場税法二八条の改正規定が再び削除されたことは原告主張のとおりであるが、同条は前記(三)で判示したとおり納税義務者を定めた規定でなく、単に徴税の実効を期するための両罰規定であるから、同条が再改正されたことをもつて人格なき社団に入場税法上の納税義務がないことの資料とすることはできないというべきであり、したがつて原告の右主張も理由がない。
3. 請求原因第三項3の主張について
原告は、本件入場税賦課処分の対象となつた原告の例会は入場税法二条一項の「催物」に該当しないから、原告は同条二項の主催者でなく、また同条三項の「入場者」、および「入場料金」も存在しないと主張する。
まず入場税法二条一項は「この法律において「催物」とは、前条各項に掲げる場所において映画、演劇、演芸、音楽、スポーツ、見せ物、競馬、競輪その他政令で定めるこれらに類するもので多数人に見せ、または聞かせるものをいう。」と規定している。したがつて、同法上の「催物」とは、「多数人に見せまたは聞かせる」側の者と、「見たり聞いたりする」側の者の双方が存在することを当然の前提とする概念であることが明らかである。
しかして、原告が前記判示のような目的で設立された人格なき社団であり、規約により意思決定機関、およよび業務執行機関を有し、構成員の変動にかかわらず存続する団体であることは前記認定のとおりであるところ、右事実にいずれも成立に争いのない甲一号証、五号証、九号証、一二号証、一四号証、乙二四ないし二六号証の各一ないし三、二七号証の一ないし四、二八および二九号証の各一、二、三〇号証の一ないし四、三一号証の一ないし三、三二ないし三四号証の各一、二、三五および三六号証の各一ないし三、三七ないし三九号証の各一、二、四〇および四一号証の一ないし三、四二号証、四三号証、四四号証の一、二、四五ないし四七号証、証人佐藤サダ子の証言により真正に成立したと認める甲二ないし四号証、六ないし八号証、一〇号証、一一号証、一三号証、一六号証、一七号証、証人山洞三郎の証言により真正に成立したと認める甲一八号証、および証人佐藤サダ子、矢部精志、及川善也、山洞三郎、田島文雄の各証言を総合すると、次の事実が認められる。
(一) 原告はその設立の目的を達成するため、種々の活動を行なう旨をその規約に掲げているが、そのうちで最も重要なものは二カ月に一度例会(演劇鑑賞会)を開催することであり、そのほかにも原告は上演作品のシナリオの頒布、学習会の開催、演劇人の構演会の開催、機関誌の発行等の活動をも併せ行なつているけれども、右は例会活動を効果あらしめるための、いわば例会活動の附随的な活動と認められること。
(二) 例会の上演作品の決定にあたつては、アンケート等により、会員の希望や意見を反映するように考慮が払われてはいるが、最終的には会員各自と別個の総会、委員会、運営委員会の討議を経たあと、原告を含め東北地方の一六労演が加入している東北労演連絡会議において調整決定されることになつていること。
(三) 例会を開催するにあたつて、例会会場(主に岩手県公会堂)を借受ける手続や、劇団に対する出演料の支払い等は原告の事務局長(原告の専従職員として原告から活動保証費の名目で所定の報酬を受けている)、もしくは原告の財政担当者が原告の名においてこれを行なつていること。
(四) 原告の会員となることを希望する者は入会金と会費の支払いをし、いずれかのサークルに加入することにより容易に会員となり、例会に出席することができるが、その反面会費を一カ月分以上納めなかつた場合は、当然脱退されたものとして扱われること、右のように加入脱退が容易なため、例会の上演種目いかんにより例会ごとに会員の加入脱退があり、そのため原告の会員の数はかなり流動的であり、例会への出席者は必ずしも固定的な会員によつて構成されているものではないこと。
(五) 原告の会員が例会に出席するためには、原則としてあらかじめ会費を納入し(上演種目によつては臨時会費、追加会費を納めることもある)、これと引換えにサークル代表者を通じて会員券の交付を受け、これを例会当日会場に持参することを要し、もし会員券を持参しないときは、会員であつても入場できず(もつとも会員であることが確認されれば入場できる場合もあるが、これも当該例会の会費を納入し、いつたん会員券の交付を受けている者であることを要する)、逆に会員でなくとも会員券さえ持参すれば例会に出席できること。
(六) 会員が納入した会費は事実上原告に帰属し管理され、前記会場使用料、劇団の出演料、専従事務局員に対する報酬等はすべて会費から支払われていること、
以上の事実が認められ、右認定を覆すにたりる証拠はない。
右認定事実によれば、本件賦課処分の対象となつた原告の例会は、原告自身が興行場において多数の会員に見せるために開催したものであり、会員は対価を支払つて、これを鑑賞したものと認めるのが相当であり、そこには「多数人に見せまたは聞かせる」側の者と、「見たり聞いたりする」側の者の双方が存在しているものというべきである。
右の点に関し原告は、原告は会員個人の集団という意味では団体であるが、会員個人とは別個独立の存在でなく、原告と会員個人とは統一的に理解されるべきであり、したがつて原告の例会においては「見せる」側の者と、これを「見る」側の者とは同一人であり、その双方が存在していると解すべきでない旨主張する。しかしながら前記認定のとおり、原告は個々の会員とは別個独立の社会的存在をなし、その主催する例会は原告が会員である多数人に見せるために開催しているものであるから原告の右主張は理由がない。
もつとも前掲各証拠によれば、例会へ出演する劇団の道具(舞台装置等)の会場への搬入や、例会当日の入場者の整理等について原告の会員が無償で労力を提供する場合のあることが認められるけれども、原告の会員が原告の例会のために尽力することがあるのは当然のことであり、そのことによつて例会の主催者に関する右認定を動かすことはできない。
以上のとおりであるから、原告の例会は入場税法二条一項の「催物」に該当するものと解すべく、これを主催した原告は同条二項の「主催者」に、これを鑑賞した会員は同条三項の「入場者」に、そして会員が納入した会費は同項の「入場料金」にそれぞれ該当するものと認めるのが相当である。
三、そこで次に本件各課税処分の課税要件の存否について判断する。
前掲各証拠のほか、いずれも成立に争いのない乙四号証、二一および二二号証、四八ないし八二号証、および証人札木貞男の証言によると、別紙第一別表記載のとおり、原告は各催物の上演日欄記載の日に、各上演場所欄記載の興行場等において、各催物の内容欄記載の演劇を上演し、各入場人員欄記載の多数人に見せ、その入場の対価(一人一回一五〇円以上と認められる)を領収していること、原告は右入場料金の入場税につき無申告であつたことが認められる。右認定を覆すにたりる証拠はない。
してみれば原告は入場税法に基づき右例会について別紙第一別表1ないし8記載の各入場税および無申告加算税を納付すべき義務があるというべきである。
そして本件各賦課処分は適正な課税標準の範囲内で適正な税率を適用して得られる税額を賦課したものと認められ、結局被告の原告に対する本件各賦課処分は適法である。
四、よつて原告の本訴請求はすべて理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 石川良雄 裁判官 片岡正彦 裁判官 鈴木勝利)
別紙第一 別表
<省略>
別紙第二 入場税決定処分明細表の計算方法
催物の開催に要した経費の総額を、その催物の興行場等(会場)の定員(延定員)の数で除し一人一回の入場料金(税込)を計算すると、いずれも三三円をこえることとなり、入場税法六条(税額算定の特例)の規定に該当しないので、当該経費の総額は同法四条(課税標準及び税率)に規定する課税標準と税額の合計たる税込入場料金の総額となるものである。
よつてその月中に開催された催物の税込入場料金の合計額に一一〇分の一〇〇を乗じたものが課税標準額(昭和四二年法律第一四号による一部改正前の国税通則法九〇条一項により一〇〇円末満の端数切捨)であり、その課税標準額に一〇〇分の一〇を乗じたものが入場税額で、入場税額(国税通則法九〇条三項により一、〇〇〇円未満の端数切捨)に一〇〇分の一〇を乗じたものが無申告加算税である。
別紙第三
<省略>