盛岡地方裁判所 昭和44年(わ)72号 判決 1974年8月21日
被告人 松岡一之亟
大六・一〇・二三生 総合食料品販売業
主文
被告人を罰金二万円に処する。
右罰金を完納することができないときは、金四、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、以前から肩書住居地(旧表示盛岡市下厨川字四十四田一番地の一〇七)に店舗を設け総合食料品販売業を営んでおり、昭和四二年度の所得税につき納税義務がある者で、昭和四三年三月一二日右年度の確定申告書を盛岡税務署長に提出したが、税務職員において、過少申告の疑いにより右確定申告につき調査のため質問、検査を行う必要があつたものであるところ
第一 昭和四三年一二月五日午後零時過ころ、前記店舗先において、昭和四二年度の所得税に関する前記調査のため臨店した仙台国税局直税部所得税課所属国税実査官松岡俊雄および盛岡税務署所得税第二課所属国税調査官東山正八から「帳簿はどのようなものをつけているか、出して見せて下さい」「売掛帳はつけているんでしよう、出して見せて下さい」と前記調査に必要な同年度の事業に関する帳簿書類の呈示を求められたのに、「白(白色申告)だから帳簿書類は関係ない。見せる必要がない」等と言つて、右帳簿書類に対する検査を拒み
第二 同月一〇日午後一時ころから午後二時二五分ころまでの間、前記店舗軒先において、前同調査のため臨店した前記国税実査官松岡俊雄、国税調査官東山正八および盛岡税務署所得税第二課所属大蔵事務官青沼毅夫から「あなたは白だけども必要なものは書いてあるとおつしやつているので、その関係帳簿を出して下さい」と同年度の事業に関する帳簿書類の呈示を求められ、さらに、「鮮魚、青果物はどこから仕入れて、どの程度の金額ですか」「商品ごとにいくらの利幅があるのか教えて下さい」等の質問を受け、また、同年度の確定申告書の写しを示され、事業専従者欄および収入金額欄の記載内容につき質問を受けたのに対し、「その前に、まず文書で出した質問事項に回答しなさい」と言い、右松岡実査官が「それについてはこれまでもいろいろ説明しているじやないですか」と答えたが「まだ回答していない。こちらの聞いていることに答えなさい」と繰り返し、且つ「申告は終っている。自主申告している」「調査、調査というが、申告のどこが悪いのか明らかにしろ」等と申し向け、同年度の所得税の調査に必要な帳簿書類に対する検査を拒み、且つ質問に対して答弁しなかつ
たものである。
(証拠の標目)(略)
(法令の適用)
被告人の判示第一および判示第二の各所為はいずれも所得税法二四二条八号、二三四条一項一号に該当する(なお、昭和四四年九月三日付釈明書によれば右第一、第二の所為は検察官において包括一罪の関係にあるものとして起訴し且つ公訴を維持しているものであることが明らかであり、そうである以上、被告人の右各所為を包括一罪と解することも可能であることを考慮し、判示各所為を包括して一罪と認定する)ので所定刑中罰金刑を選択し、その所定金額の範囲内で被告人を罰金二万円に処し、右の罰金を完納することができないときは、刑法一八条により金四、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項本文により全部被告人の負担とする。
(弁護人の主張に対する判断)
先ず、(証拠略)を総合すれば、本件に至る経緯として以下の事実を認定することができる。
被告人は、昭和二五年ころから肩書住居地に店舗を設けて、鮮魚、青果物、食料品、専売品(塩、煙草)等の販売を目的とする総合食料品店を営んでいたが、昭和四二年度の所得税については、昭和四三年三月一二日に盛岡税務署長に対し、被告人の所属する盛岡民商が実施したいわゆる集団申告に参加して、申告税額二二、五〇〇円の確定申告書(白色申告)を提出した。
盛岡税務署では、被告人の右確定申告について検討したところ、同年八月上旬ころまでに、(イ)昭和四二年度は、一般市況が良好で、同署管内における申告所得金額は前年度に比べ一般に増加(同署における白色申告者の申告所得の前年比は一一八パーセントであつた)しており、且つ被告人の取扱い品目である鮮魚、青果物、食料品のいずれも好況であつたこと、(ロ)被告人の昭和四二年度の申告所得金額は五四五、〇〇〇円(収入から必要経費を差引いた額いわゆる特前所得金額は六九五、〇〇〇円)であり、右金額は被告人の昭和四〇年度の申告所得金額一、二一二、一一九円(特前所得金額一、五四九、六一九円)、昭和四一年度の申告所得金額五六二、五〇〇円(特前所得九一九、五〇〇円。但し、右申告は、昭和四二年一一月二〇日に同税務署において所得金額を一、四八七、五九〇円と更正された)と比較すると格別の事情がないのにいずれも減少し、特に前年度である昭和四一年度の特前所得との対比において大きな減少を示していること、(ハ)事業専従者が昭和四一年度には三名となつていたのに昭和四二年度には一名に変つていること、(ニ)被告人の申告所得金額が同署管内の被告人とほぼ同規模同業者のそれと比較して過少であること。以上の事由を基にして、被告人の昭和四二年度の前記確定申告には過少申告の疑いがあり、調査をなし、そのため被告人に対し質問、検査を行う必要があると判断した。
そこで、同税務署では昭和四三年八月二一日から被告人方に赴いて調査をはじめ、同年一二月四日まで十数回にわたり調査を継続した。その経緯は次のとおりである。
(一) 昭和四三年九月二一日午前九時三〇分ころ、仙台国税局から盛岡税務署に派遣されていた前記松岡俊雄国税実査官および同税務署東山正八国税調査官が被告人方店舗に赴き、松岡実査官が被告人に「税務署から所得税調査におじやました」と臨店の目的を告げたところ、被告人が「もう申告は終わつているから関係がないんだ、具体的に申告のどこが悪いのか示せ」等と言つたので、同実査官は「同規模同業者と比べても過少申告の疑いがあるから調査の必要性がある。前年度と比べてもこうなつている」と答えた。被告人はさらに「同規模同業者とは誰か、具体的に示さなければ漠然として困る」と云つたので「数軒の同規模同業者からみて過少申告の疑いがある。その業者の名前までは具体的に示すわけにはいかない」と答え、「あなたの店ではいくらで買つたものをいくらで売つているか」と質問したところ、被告人から「原価を切つている状態だ」との答弁があり、さらに「それでは記帳はしているか」と訊ねると「申告は終つているから見せる必要はない」と断わられ結局それ以上調査は進展しなかつた。
(二) 同月二三日付の被告人から同税務署長宛の書面(前同押号の二)による、同月二六日午前一〇時半から被告人方自宅で調査に協力するとの通知に基づき、前記松岡俊雄実査官、同東山正八調査官および同税務署所属大蔵事務官石川伸作の三名が、同日同時刻ころ被告人方店舗に臨み、同日正午過ころまで同店舗奥の居間において、調査立会の者数名と共にいた被告人に対し、臨店の目的を告げたところ、前回と同様被告人らから「具体的に申告のどこが悪いのか示せ」等と要求され、また、「確定申告書を見ればわかるのではないか」といわれたので、「被告人のように白色申告の場合は確定申告書の記載だけでは具体的に示すことは困難であるから、調査を通じて具体的に話し合つて明らかにすればいいのではないか。マージンが少いかどうかも調査を通じて具体的にしたらどうか」と答え、さらに被告人から「所得税法二三四条の質問検査権は誰に対して行使するのか」と訊ねられたので、「被告人は確定申告書を提出しているから納税義務ある者である」と説明したが、それ以上具体的な質問に入ることなく、以上の点をめぐり被告人および立会人らとの問答の繰返しに終つた。
(三) 同月二八日、前記東山正八調査官および同税務署所属大蔵事務官青沼毅夫が被告人方店舗に臨店したところ、被告人は不在であつたが、その後間もなく家人の連絡で帰宅した被告人に対し臨店の目的を告げたが、被告人は「事前の通知もなしに何だ。任意調査であれば断る」といつた。
(四) 同年九月二日、同税務署所属の浅利上席調査官および前記東山正八調査官が被告人方店舗に赴き、浅利上席調査官が被告人に来意を告げたところ、被告人は「忙しい忙しい」と調査に応じようとしなかつたが、なおも「昭和四二年の帳簿はあるんですか」と質問したところ、「白だものつける必要ないが、書いてある」と答えた。しかし、被告人がそれ以上は「月初めで、集金に出かけるんだ。忙しいからあとにしてくれ。連絡した日にしてくれ」と述べて店舗の中に入つてしまつたので、同調査官らはそのまま調査を打ち切つた。
(五) 被告人は、同月三日付書面(前同押号の三)により同税務署長に対し、調査に応ずる日時、場所を同月六日午前一〇時、厨川消防番屋と指定した。そのため同月六日、前記東山正八調査官および同税務署所属の佐々木大蔵事務官が被告人店舗に赴き、店舗わきの倉庫前にいた被告人に東山調査官が来意を告げて話しかけると、被告人は「番屋で待っていろ」と云つたので、同調査官は「番屋でなく、自宅で調査に応じるように」と頼み、調査の場所としては商品とか納品書、仕切書などがある自宅が適当である旨説明したところ、「とにかく、今はだめだ」という被告人の返事であったので、調査を開始することなく終つた。なお、被告人は同日午前一〇時ころから厨川消防番屋で帳簿等を持参し、待機していたが、税務職員らは右のような事由により右番屋には赴かなかつた。
(六) 同月九日、前記浅利上席調査官および同東山正八調査官が被告人方店舗に行くと、被告人はいきなり「今日はだめだ、帰れ帰れ」といいながら店舗内に入つてしまつたが、同調査官らがなおも調査に来ていることを告げると、再び「帰れ。帰れ」と繰り返したので、それ以上説得することはできないと判断して帰つた。
(七) 同月一二日、前記東山正八調査官および青沼事務官が被告人方店舗に赴いたところ、被告人は「出かけるからだめだ。文書を出すからその時にしてくれ。番屋にしてくれ」といつたが、同調査官らは番屋には行けない旨答えたところ、被告人がそのまま出かけたので、調査することはできなかつた。
なお、被告人は同日付で同税務署長宛に書面(前同押号の四)を郵送し、同月一八日午前九時半、盛岡第一五分団屯所(前記厨川消防番屋)で調査に協力すると通知するとともに、同書面には質問事項として①九月三日付文書で通告したのにもかかわらず指定場所、時間に来なかつた理由を明確にせよ。②通告に対する調査は所得税法第二三四条に基づく調査なのか否か。③通告人に対する調査は任意調査なのか強制調査なのか。④通告人に対する調査は納税義務者に対する調査というが所得税法第二三四条一項の「納税義務がある者、納税義務があると認められるもの」とは如何なる者を指すのか。⑤所得税法第二三四条の「必要あるとき」とは如何なる場合を指すのか。⑥所得税法二三四条の「当該職員」とは何か法律上の根拠を示せ。⑦盛岡税務署の行政管轄地域に対して仙台国税局職員にまで所得税法第二三四条に基く質問検査の行使が及ぶかどうか、及ぶとすればその法律上の根拠を示せ。との記載がある。
(八) 同月一七日、前記東山正八調査官および同税務署所属の鈴木国税調査官が被告人方店舗に赴き、所得税法二三四条に基づく調査である旨告げると、被告人は「それならもう終っている。申告のどこがどうなんだ。見てわからないのか」と云つたので、右鈴木調査官が「正当な理由のない限り質問検査に応ずる義務があるし、調査の日時、場所、方法等は行政庁の裁量によるものである」と説明したが、「今日は忙しいから明日にしてくれ」との返答であつたので、それ以上は調査できずに終つた。
(九) 前記(七)のとおり被告人から通知のあつた日である同月一八日、仙台国税局から同税務署に派遣されていた石橋国税実査官および前記東山正八調査官が被告人方店舗に赴いたところ、被告人が不在で同店の女子従業員から「被告人は番屋にいるから向こうに行つてくれ」といわれたが、同実査官らは、前記(五)の事由のとおり番屋で調査するのは相当でないと考え、被告人の妻を通じて自宅にもどるように伝えて待機していたが、「どうしても番屋に来るように、自宅にはもどらない」との返答であつたので、そのまま調査できずに終つた。
(一〇) 同月二六日、前記浅利上席調査官および同東山正八調査官が被告人方店舗に行くと、被告人は忙しいから調査に応じられない旨述べたので、同調査官らは調査を受けるか否かが任意というわけではなく、二三四条に基づく調査である旨説明したうえ、被告人がそれでも調査に応ずる態度を示さなかつたので、右東山正八名義の「質問および検査は所得税法二三四条によるものであるから、答えなかつたり検査を拒んだりした場合は、同法二四二条により罰せられることがある」旨の記載がある注意書(前同押号の六)を渡しただけで調査はできなかつた。
(一一) 同年一〇月四日午前一〇時ころ、前記東山正八調査官および同税務署所属三浦国税調査官が被告人方店舗に行くと、被告人が「今市場から帰えつたとこだし、配達もあるから一二時過ぎころ来てくれ」といつたので一旦引き返し、同日正午過ぎころ再び被告人方店舗に赴いた。その際被告人から「番屋に行くから一緒に来てくれ」と頼まれたが、同調査官らは、従来どおり番屋は調査の場所としては不適当である旨説明し、これを断つたが、被告人は番屋の方に一人で歩いて行つてしまつた。同調査官らは、店の女子従業員に自宅にもどるよう被告人に伝言を依頼したがことわられた。
(一二) 同月九日、前記東山正八調査官および同青沼事務官が被告人方店舗に出かけたが、被告人は不在であつた。
その後、被告人は同月一四日付で同税務署長宛に書面(前同押号の五)を郵送し、右書面には、番屋へ税務職員が来なかつたことおよび事前通知なく臨店したことに対する抗議、前記(七)の書面で提出した前記質問事項に対する回答をかさねて要求する旨の外、質問事項として、①自宅以外で調査をすることはどうして出来ないか。出来ない理由を明確にせよ、②税務調査(任意調査)は納税者の都合に合わせて行うのが原則であると考えるがどうか、そうでないとすればその理由を明確にせよ。との記載がある。
(一三) その後二ヶ月近く経過した同年一二月三日午後一時三〇分ころ、前記松岡俊雄実査官および同東山正八調査官が被告人方店舗に行き、臨店の目的を告げたが、被告人は「今日は忙しいからだめだ」といつて、車で出かけてしまつた。その後同実査官らは、同日午後二時三〇分ころ再び被告人方店舗に赴いたが、被告人は不在であつた。
(一四) 同月四日午前一一時ころ、右両名の税務職員が被告人方店舗に臨み、荷おろし中の被告人に対し、臨店の目的を告げたが、被告人は午後一時に会うということであつた。そこで前記両名は、同日午後一時ころ再び被告人方店舗に赴くと、被告人の妻から被告人が番屋で待っているからそちらに行つてくれるよう言われたが、番屋で調査するのは不適当と考え、被告人の妻を通じ自宅にもどるように要望したが、不承知であるとのことで調査せずに引き上げた。さらにその後同日午後三時三〇分ころ、右両名が被告人方店舗に臨店したところ、被告人から「さつき番屋で待つていたのになぜ来なかつた。今日はだめだ」と断わられ、被告人は車で外出してしまつた。
以上に引き続き二回にわたつて行なわれた調査については前記(罪となるべき事実)に認定したとおりであるが、その経過を詳述すると以下のとおりである。
(一五) 昭和四三年一二月五日午後零時過ころ、前記松岡俊雄実査官および同東山正八調査官が被告人方店舗に赴き、店舗わきの倉庫内で客と商談中であつた被告人に来意を告げて待っていると、被告人が来たので、あらためて臨店の目的を告げたところ、被告人は前日番屋で待つていたのに来なかつたことにつき再び抗議し、「今日は忙しいから帰れ」といつて、店舗内に入りかけたので、前記両名は被告人を呼び止め、「きのうの売上げはいくらか、仕入はどのくらいありますか」と質問したところ、被告人は「今年のことか。関係ない」と返答して店舗内に入つてしまつた。その後右両名は、店舗先から被告人に呼びかけ、再び出てきた被告人に今度は「帳簿はどのようなものをつけているか。出して見せて下さい」「売掛帳はつけているんでしよう。出して見せて下さい」と帳簿書類の呈示を要求したところ、被告人は「白だから帳簿書類は関係ない。見せる必要がない」とこれを拒否し、「とにかく何回も店に来るということは営業妨害だ。こっちへ来い」といいながら店舗から歩き出した。前記両名も、被告人について店舗から約六〇メートル離れた裏小路にまで行き、そこでも再度質問検査に応ずるよう説得したが押問答となり結局物別れになつてしまつた。
(一六) その後被告人は、前同日付の書面(前同押号の七)により、同税務署長に対し、一二月に入つてからの事前通知のない調査に対する抗議、および前記(七)および(一二)記載の質問事項に対する回答要求をなすとともに、同年一二月一〇日午後一時に自宅もしくは都合により他の場所と指定して「合法的な質問検査」に協力するとの通知をなした。前記松岡俊雄実査官および同東山正八調査官は、右指定された時刻に被告人方店舗に臨み(その後まもなく前同青沼事務官も臨店した)被告人に来意を告げ、あらかじめ店舗軒先に机や椅子等が準備されていた場所に案内され、調査に入つたところ、被告人は、調査に立会うために来ていた、五、六名の者とともに、先に同税務署長宛に出していた質問事項等に回答するように要求し、それらの点については、これまでの調査の過程ですでに色々説明しているとする右税務職員の言葉に承服せず右要求をくり返すとともに前記判示のような文言を申し向けて税務職員の質問検査に応ぜず、同日午後二時二五分ころまで右押問答が続きそのころ同実査官らは調査を打ち切つた。
以上に認定した本件質問検査権行使に至る経緯や、行使の態様の具体的事実に基づき、以下、弁護人の各主張について判断する。
一(一) 弁護人は「本件公訴は、被告人が盛岡民商に所属し、現行の税務行政に批判的な態度をとつていることに対する報復を企図し、これを弾圧するための政治的意図の下に、不当に公訴権を濫用してなされた違法な起訴である」旨主張するが、前記認定の本件質問検査権の行使の理由、態様およびこれに至る経緯に関する事実に照らすに、この時期における同会会員に対する調査の際の当局に、やや柔軟性を欠く姿勢が窺えないではないものの、そのことだけで、検察官の本件公訴が、弁護人主張のような目的で、公訴権を濫用して不当になされたものと認めることはできず、その他公訴権の濫用を疑うに足る証拠はない。
(二) 次に弁護人は、本件起訴状の公訴事実には、被告人が納税義務者である旨検察官において主張しながら、その旨の記載がなく、質問検査の必要性についてもその具体的内容が示されておらず、また、税務職員のなした質問の具体的内容および呈示を求めた事業に関する帳簿書類の具体的記載がないから、右公訴事実は訴因の特定明示を欠くものであると主張し、あるいは本件起訴状記載の公訴事実が仮に真実であるとしても何ら罪となるべき事実を包含しないと主張する。そして、本件起訴状の公訴事実に弁護人主張の右各点の記載がないことは明らかであるが、これらの点につき記載を欠くからといつて本件公訴事実の訴因が他の訴因と識別するに足る程度の特定を欠き、従つて本件公訴の提起が無効となるとは到底いえず、また、右各点について検察官のなした起訴状に対する釈明、冒頭陳述および本件審理の経過をも考慮すれば、右の故に被告人の防禦に実質的不利益があつたとも認められない。更に、これらの点の記載がないからといつて、本件公訴事実中に何ら罪となるべき事実を包含しないと解することはできず、この点は結局本件についての実体判断に関する問題に帰するものというべきである。以上のとおりであるから、弁護人の右各点を理由に本件は公訴を棄却さるべきである旨の主張は採用できない。
二(一) 弁護人は、所得税法二四二条八号の内容を定めた同法二三四条の規定は、そのうち(1)「調査について必要があるときの意義」および(2)「納税義務がある者」「納税義務があると認められる者」の意義がいずれも不明確であるばかりでなく、(3)右二四二条八号の罰則は、調査対象者の不協力によつて質問検査権が効を奏しない場合における公益上の損失に比しあまりにも過重であり、他の行政罰則と比較しても不合理、不均衡である。従つてこれらの点において右規定は憲法三一条に違反する旨主張する。しかしながら、(1)右二三四条一項にいう「調査の必要があるとき」とは、調査権限を有する税務職員において、当該調査の目的、調査事項等の具体的事情にかんがみ、質問検査を行う客観的な必要性があると判断される場合をいうと解すべきものであり(最高裁第三小法廷決定昭和四八年七月一〇日刑集二七巻七号一二〇五頁)、そのことは右判断が客観的見地からみても合理性を是認しうるものでなければならないことを意味するものというべく、従つて右の意義が不明確であるということはできない。また、(2)「納税義務がある者」というなかには、少くとも既に法定の課税要件が充足されて客観的に所得税の納税義務が成立し、いまだ最終的に適正な税額の納付を終了していない者を含む(右最決参照)ことは明らかである。そして、被告人の本件四二年度分の所得税の納税義務は、同年の経過により成立しており、いまだ最終的に適正な税額の納付を終了せず右納税義務が存続していたのであるから、本件調査時被告人は右「納税義務がある者」に該当することも明らかである。従つてこの点についても、所得税法の右規定は本件に適用する限り何ら明確性を欠くものではない。さらに、現行の質問検査制度には立法上、運用上考慮されるべき点が存在するにしても、租税の公平確実な賦課徴収を図るため、質問検査制度自体の必要性はこれを否定することはできず、且つ正当な理由なくこれを拒否する者に対し、なんらかの罰則を設けることにより、答弁および検査を受忍すべく間接的に強制することもまた右制度を実効あらしめる手段としては止むを得ないところでありあながちこれを不合理ということはできない。また同法二四二条八号の罰則が弁護人主張のとおり他の行政罰則と比較してかならずしも軽微とはいえないにしても、右質問検査制度の公益上の要請と右罰則の程度が著しく均衡を欠くものであるとは未だ認められない(最高裁大法廷判決昭和四七年一一月二二日刑集二六巻九号五五四頁参照)。
よつて、弁護人主張の如く、所得税法二三四条一項、二四二条八号の規定が、いわゆる法定手続の保障を規定した憲法三一条に違反すると解することはできない。
(二) 次に、弁護人は、所得税法二四二条八号の処罰が可重であるため、結局対象者に対し令状によらない質問検査権の行使を受忍させ、あるいは質問に対する答弁を強制する結果となるから、同条は憲法三五条および三八条一項に違反する旨主張する。そして、右両規定による保障は刑事手続にのみ限定されると解すべきものではないが、本件質問検査権はもつぱら所得税の公平確実な賦課徴収を目的とし、且つその目的の範囲内に限り右権限の行使が認められているものであるうえ、前記のとおり質問検査権の行使の対象者に対する強制は間接的であり、その罰則が前記の如くかならずしも軽微なものではないにしても、未だ直接的強制と同視すべき程強度なものとはいえず、その他右制度の公益性およびこれと強制の程度が均衡を失したものとまではいえないことをも考慮すれば、所得税法二四二条八号の規定が憲法三五条、三八条一項の法意に反すると解することはできない(前記大法廷判決参照)。
(三) さらに、弁護人は、質問検査権の行使に厳格な要件が課せられない以上、憲法一三条に保障された幸福追及の権利の一つとしてのいわゆるプライバシー保護の利益を侵害することになるから、同法二四二条八号、二三四条はこの面からも違憲であると主張する。しかし、質問検査権の性質は前述のように解されるうえ、その具体的行使にあたつては、質問検査の客観的必要性と私的利益の衡量において、社会通念上相当な限度に止まるべきものである以上、対象者のプライバシー保護の利益に欠けることはないのであるから、右規定が憲法一三条に違反するとはいえない。
(四) ところで、質問検査権の規定が上記のごとく憲法三一条、三五条、三八条一項等の規定に違反するものでないにしても、弁護人も主張する如く、具体的な質問検査権の行使がその運用の如何によつては違憲となり、あるいは少くとも具体的な質問検査権の行使の態様が適正を欠き、そのためこれに応じないことが正当な理由によるものとして処罰されえない場合がありうると解すべきである。そこで、この点については以下において本件における質問検査権行使の際の具体的問題点ごとに検討を加えることとする。
三 まず、弁護人は「必要性」に関する主張として所得税法二三四条一項の質問検査権を行使するためには「客観的必要性」がなければならず、この場合単なる調査の必要ではなく、種々の調査の方法の中でも罰則の裏付を伴う質問検査権の行使によらなければ調査が尽せない程度に高度な必要性が要求されるものであり、且つ「客観的」必要性という以上は何人がみても「合理的」で個別的、具体的な必要性でなければならない旨指摘する。そこで、この点について判断するに、職権調査の一方法として罰則を伴う質問検査権の行使が認められるためには、前記二、(一)で述べた如く、その際における具体的諸事情に照らし客観的必要性があると判断される場合でなければならず、且つここに客観的必要性という以上は、それが客観的見地からも合理的であるとされうる必要性でなければならないことを意味し、税務職員の恣意的判断による必要性で足りるものでないことは当然である。そして、当該質問検査権の行使に右の如き合理的必要性があると認められるか否かは結局個々の事例において「当該調査の目的、調査事項、申告の内容、帳簿等の記入保存状況、事業の形態等」の調査の際における具体的事情を基準として客観的立場から判断して決すべきものである。
そこで本件についてこの点をみるに、盛岡税務署において被告人の昭和四二年度の所得税の確定申告(白色申告)につき、調査の必要性があると判断した理由は、弁護人の主張に対する判断の頭書認定にかかる(イ)ないし(ニ)の事由を総合して過少申告の疑いがあると認めたことによるものであり、同税務署が右のような結論に至つた経過は昭和四三年五月ころ、被告人に関する所得調査カード、昭和四一年、同四二年度の確定申告書、同税務署で収集した関係資料ならびに同課税年度の経済動向を総合して検討を加えた結果、まず前記(イ)ないし(ハ)の事由が判明し、さらに同年八月上旬ころ、事務処理上調査対象者を限定するため、同規模同業者の申告と比較する作業を行つた結果、前記(ニ)の事由も判明したものである。その際同税務署が実施した同規模同業者との比較の方法は、同年度にいわゆる青色申告した者のうち被告人と事業規模がほぼ同様の鮮魚店、青果物店、食料品店各一軒を抽出し、それぞれ事業従業者一人あたりの所得をもとめ、その平均の所得を被告人の事業従事者(四人)一人あたりの所得額とするという方法であつたことが認められる。
ところで、弁護人は右(ロ)の事由に関し、同税務署が被告人の昭和四一年度および同四二年度の確定申告書を比較対照すれば、昭和四二年度は被告人方の事業専従者が減少したため、その減少した分に見合うだけ人件費増となり所得が減少したものであることが容易に判明するわけであるから、被告人に対し質問検査権を行使するまでもないと主張するが、同税務署においては、当初所得調査カードによつて両年度の前記特前所得を比較し、昭和四二年度は前年比約三〇パーセントの減少と判断していたものであるところ、被告人の両年度の確定申告書をも検討すると、昭和四一年度の申告書には事業専従者として被告人の妻松岡キクヱ、田村キノ、田村春子の三名の記載があるのに対し、四二年度のそれには松岡キクヱ一名のみしか記載されておらず、このことからすれば所得減少の原因につき弁護人主張のような推測も一応可能であるとはいいうるが、右申告書の記載の比較検討のみでは、昭和四二年度の必要経費の増加は右人件費の増加のみによるものかどうか、また具体的にいかなる人件費の支出を必要としたのか等の点については判明せず、これらの事項につきなお質問検査権を行使して調査する必要があつたことを否定することはできない。
また、弁護人は前記(二)の事由に関し、同税務署が行なつた被告人と同規模同業者との比較は、その前提となる比較方法が次の点において合理性を欠くものであると主張する。即ち、被告人と同規模同業者とを比較するには、被告人の取扱品目の割合と相応する他の総合食料品店を比較の対象として選定すべきであるのに、単純に鮮魚、青果、食料品の各専業小売店を対象としていること、右各店の事業従事者数も被告人方の事業従事者四人と一致せず、床面積、仕入金額、繁栄度、顧客の階層等を考慮せず、立地条件も殆んど考慮していない点において不合理である、というものである。
しかしながら、ここで被告人の申告を同規模同業者のそれと比較するのは、被告人のそれに過少申告の疑いがあるかどうかの一つの判断資料を得るためのものであるから、その比較方法はこれを裏付けうる程度の正確性の担保があれば足りるのであり、それ以上に、例えば被告人に対する推計課税の基礎とする場合等におけるほど厳格な方法によらなければならないとまではいえない。そして、本件においては、調査時において、被告人の各取扱い品目の割合が正確に判明せず、また被告人の取扱い品目と一致し、且つ立地条件など他の条件をも満す総合食料品店を抽出することが困難であつたため、各専業小売店のうち被告人と立地条件および事業従事者数がほぼ同様であると認められる店舗、すなわち鮮魚については盛岡市高崩の従事者数三人の店、青果物については同市厨川の従事者数五人の店、食料品については同市加賀野の従事者数四人の店をそれぞれ抽出し、前記のとおりの方法により被告人方の事業従事者一人あたりの所得を算出する方法で比較したものであるから、同規模同業者を比較するうえで重要度の高い立地条件、事業従事者数は考慮に入つており、且つ繁栄度、顧客の階層等はある程度これに随伴するものであるから、弁護人が主張するその他の要素が厳密に反映されていないからといつて前記の過少申告の疑いがあるか否かの判断資料を得るための比較方法として不合理とまではいいえない。なお、同税務署が右方法で行なつた被告人の昭和四二年度のいわゆる推定特前所得金額は約二五〇万円であることが認められるから、これを被告人の同年度の申告特前所得六九五、〇〇〇円と比較すれば、その差が相当程度にのぼることが明らかであるので、弁護人主張のような細部の比較検討が、過少申告の疑いありとの判断を左右したとまでは考えられない。
以上のとおりであるから、本件において税務職員が前記認定のとおり(イ)ないし(ニ)の事由を総合して被告人に過少申告の疑いがあると判断したのは不合理とはいえず、またそのため質問検査の方法をえらんだ点に必要性を欠くものがあつたとは認められず、特に、本件の如く白色申告による場合は、前記の確定申告書の記載の検討のみによつては必ずしも右調査事項が判明するものではなく、またその過少申告の疑いがどのような原因にもとづくものか必ずしも明らかではないのであるから、そのような場合に他の調査方法に止らず、申告をなした納税義務者に対して質問検査を行い、それによつて真相を把握する必要があるものと認められ、結局本件質問検査権の行使は客観的にみて合理性を失するものとはいいえない。
四 ところで、弁護人は本件調査の当初において、仮に調査の必要性があつたとしても、本件公訴事実とされている昭和四三年一二月五日、同月一〇日の調査に至つては時期的にもはや質問検査権を行使する合理的必要性がなかつたものであると主張する。即ち、前年度である昭和四一年度の被告人に対する所得税については、いわゆる事後調査のため一度被告人方店舗に臨店したのみで、いわゆる反面調査等を行なつて昭和四二年一一月二〇日に更正処分を行つており、その際に被告人方の仕入先、仕入金額を把握し、同規模同業者の差益率、所得率により所得を推計しているのであつて、昭和四二年度分の所得税についても、昭和四三年一〇月末日ころには、被告人の仕入先、仕入金額を把握し、これにより被告人の所得金額を推計することが可能であつたから、あえて一二月に至つて、質問検査権を行使する必要性はなかつた、というものである。
前掲各証拠のうち証人石川兵一の第一〇回公判調書中の供述部分には、盛岡税務署では昭和四三年一〇月末日の段階において、被告人に関する前年度の調査から得た仕入先、仕入金額についての資料に基づき、被告人の昭和四二年度の所得税につき推計による更正処分をすることが不可能ではなかつた旨の供述が存するが、一方、証人東山正八の第八回公判調書中の供述部分によれば、被告人の昭和四二年度の所得税について、いわゆる反面調査を開始したのは昭和四三年一〇月末ころからであり、昭和四三年中にその全部を終了するまでに至つていなかつたことが認められる。従つて、昭和四三年一〇月末日の段階において可能とする推計による更正は、前記のとおり前年度分の資料のみによらざるをえず、右前年度の仕入先、仕入金額等が昭和四二年度と比較してその基礎となしえないほど大きく相異するものではないとしても、同一とは考えられず、右時期において正確な更正をなし得たとするのは疑問である。また、所得税は実額に対し課税するのが原則であるから、税務当局においては、そのために可能な限り有効な調査を尽すべきであり、更正処分にあたつても推計による課税はやむをえない場合に次善の策として許されるものと解すべきである。従つて、本件において盛岡税務署が前記のような状況のもとで一二月の段階においてさらにできるかぎり実額課税の資料を得るため被告人に対し質問検査権を行使すべきであると判断したことは、その行使の具体的運用面において従前の被告人の態度等を斟酌してなお工夫すべき点がなかつたとはいえないにしても、客観的にみていまだ合理性を失うものとまではいえない。
五 次に、調査の理由ないし質問検査の客観的必要性の開示に関する弁護人の主張の要旨は、質問検査権を行使するにはその客観的必要性がある場合でなければならないから、これを手続的に担保するため、被調査者に対する調査の理由ないしは客観的必要性の具体的開示が必要であると解すべく、また被調査者が質問検査に応ずるか否かは究局的には被調査者の自由な選択に委ねられているのであるから、被調査者がこれに応ずるか否かを適確に判断しうるためにも右の開示が要求されるものであり、結局調査の理由ないしは客観的必要性の開示は質問検査権行使の要件であるか少くとも拒否罪成立の要件と解すべきである。仮に、これが法律上一律の要件でないとしても、本件のように、被告人がくり返し調査の具体的理由ないし客観的必要性を問いただしているような際に、税務職員がこれに応じない場合は、質問検査権行使の要件を欠くこととなり、あるいは少くともこれを拒否したとしても可罰的ではない、というものである。
そこで判断するに、調査の理由および必要性の個別的、具体的な告知は、質問検査権行使のため法律上常に要求される要件に該るとまでは解されない(前掲三小法廷決定参照)。しかし当該調査の目的、調査の事項、調査の進行程度あるいはこれに対する相手方の対応状況等の個別的具体的事情に照らし、税務職員が調査の理由や必要性を告知しないことが、明らかに不合理であると考えられるような場合において、なおこれを告知せずになされた質問検査は、もはや適正な質問検査権の行使とは評価されず、これに応じないことは正当な事由によるものとして処罰の対象とはならないと解すべきである。
本件についてこれをみるに、前記認定のとおり盛岡税務署が被告人に対しては前記(イ)ないし(ニ)の事由を総合して判断した結果、過少申告の疑いにより調査の必要性があると認め、質問検査権を行使したもので、その経過は前記認定のとおりであり、本件調査にあたつた税務職員は、被告人方に最初に臨店調査に赴いた昭和四三年八月二一日に被告人が、自己の申告のどこが悪いのか具体的に示すよう要求したのに対し、「被告人の昭和四二年度の所得税の申告は、具体的に業者の名前までは明らかにできないが、数軒の同規模同業者と比較して過少であるため調査の必要がある。また前年度の比較においてもそうである」旨を説明し、また、同年八月二六日に被告人方自宅で調査した際にも、被告人から前同様申告の疑問点の具体的開示を要求されたのに対し、「被告人のように白色申告の場合は確定申告書の記載だけでは具体的にどの点に誤りがあるか指摘することは困難であり調査を通じて具体的に明らかにする」旨説得している事実が認められるのであつて、被告人が強く求めていた申告の内容についての具体的疑問点を直ちに指摘するという形では説明されていないものの、単に右調査が所得税二三四条一項による質問検査権の行使であること等を抽象的に告知したことにとどまるものではなく、右の程度に調査の理由ないしは必要性について告知すると共に、調査に入り疑点が解明するにしたがつて申告の内容についての疑問点の具体的指摘をもなす旨説明しているものである。そして、その後の調査においては被告人と税務職員との間で調査日時の事前通知および調査の場所等について意見の対立があつたため、具体的な調査の進捗がなく調査の理由ないし必要性について税務職員から右以上には開示されるに至らなかつたものである。また、被告人は所得税法二三四条の解釈、運用等について盛岡税務署長宛に前記認定のとおり九項目にわたつて質問をなし、文書による回答を求めているが、これらの各事項については、右調査の過程においてその都度税務職員から口頭である程度の説明がこころみられているのであり、これらの事情をも総合して考察すれば、本件調査においては、税務職員による調査の理由や必要性に関する告知の程度が、その質問検査権の行使を不適正ならしめる程不十分なものであつたとは解されず、よつてこれに応じなかつた被告人の行為が、正当な事由によるものとすることはできない。
六 弁護人は、税務職員が調査のため対象者方に臨場する場合には事前に調査日時を通知すべきであるのに、本件調査では全くこの点について配慮しておらず、このような場合調査日時の事前通知がないことを理由に調査を拒否しても正当な事由があるものであると主張する。
そこでこの点について検討するに、税務職員が調査のため対象者方に臨場して質問検査権を行使するにあたり、事前にその日時を通知することは、対象者の営業上その他私的利益保護の面からも望ましいことは明らかであるが調査理由の開示のところで説明したところと同じく、日時の事前通知も質問検査権を行使するうえでの法律上の要件に該るとまでは解しえず、ただ調査日時の事前通知がなかつたため、営業上の利益等対象者の私的利益が質問検査の公益上の利益に比し過大に侵害されるに至つたような具体的事情が存在する如き場合は、これを拒否したとしても正当な理由に基づくものということができよう。
本件においては、前記認定の調査の経過によれば、盛岡税務署から積極的に被告人に対し調査日時を事前通知したことはなく、この点運用上の妥当性を欠いたものといえないではない。ところで、本件調査の経過を検討すると同税務署では被告人から調査に応ずる旨の通知があつた場合には右通知により指定された日時に調査のため臨店していること(前記調査の経過欄に認定した(二)、(五)、(九)の場合)が認められ(但し場所は被告人の指定と異なる場合もあるがこの点については後述)、また、被告人から通知がなく、いきなり臨店した場合においては、被告人の営業上の都合による拒絶を容れて調査を開始せずに引き上げたり(前同(三)、(六)、(七)、(八)、(一〇)の場合)、あるいは被告人の都合にできるだけ合致させるため一日のうち回数を分つて臨店したこと(前同(一一)、(一三)、(一四)の場合)もあつた事実が認められる。そして判示第一の昭和四三年一二月五日は事前通知なく臨店したものではあるが、税務職員が同月の三日には二度、前日の四日にも三度にわたり被告人方店舗に赴き調査しようとしたところ、結局調査できずに終つたため、これに引き続き調査するため翌五日に被告人方に臨店したもので、被告人において同日の調査が全く予期し得なかつた事態であるとまでは認められず、判示第二の同年一二月一〇日は被告人から調査日時を指定したものである。以上一連の経過に照らすと、結局本件は事前通知がないことにより調査を拒否すべき正当な事由があつた場合にあたるとはいえない。
七 さらに、本件調査の場所をめぐつて当事者間に見解の相違があるので、この点について考察するに、被告人は当初被告人方店舗または店舗に続く自宅において調査のため訪ずれた税務職員と応対していたが、その後は店舗から約百数十メートル離れた厨川消防番屋を調査場所として指定し、店舗または自宅においては調査に応じられない態度を示していたものである。その理由とするところは、被告人方店舗または自宅には調査の場所としての十分な余地がなく、店舗に来客があつたり、あるいは税務職員来訪のうわさが広がり誤解をうけて店の信用を失うおそれがある等、営業上の配慮から店舗または自宅で調査に応ずるのは不都合であり、むしろ店舗からもそれ程遠くない右消防番屋で調査に応ずるのが適当であるというにある。これに対し税務職員の側では、一般的に調査のため臨店してもそれ程調査に時間を要するものではないから営業を妨げることはなく、店舗または併設された自宅において調査すれば、店舗、商品、事業従事者、顧客等の状況がその場で把握でき、これらと比較検討しつつ質問検査権を行使できるから税務調査の方法としては最も適当であるとの見解をとつていた。そして、調査の場所等は行政庁の裁量により定めうるものであり、被告人の指定した消防番屋は他の対象者について使用した経験をも合わせ考慮して調査には不適当な場所であると判断し、その旨被告人に対しくり返し説明していたものである。
ところで、被告人が調査の場所として指定した消防番屋は厨川地域住民で組織された消防後援会が管理し、近隣の住民等が各種会合に使用する独立した建物であるところ、対象者が帳簿書類を持参して出頭すれば、税務調査のため対象者に、質問し、右持参にかかる範囲内の帳簿書類はこれを検査することが可能な場所であることが認められる。そして、盛岡税務署では別の対象者に対して当該消防番屋で調査した事例があつた事実も窺えるのであるから、税務職員においても被告人の右申入をかたくなに拒否する態度をとらず、右番屋で調査を開始してみてもよかつたのではないかとも考えられる。しかし、前記認定の調査経過によれば、被告人は昭和四三年八月二一日、同月二六日には被告人方店舗または自宅で調査に来た税務職員と応対しており、特に同月二六日の調査は被告人の方で自宅を指定したものであり、同日は税務職員三名および被告人のほか数名の者がその場に立ち会っていること、また前掲司法警察員作成の検証調書により認められる被告人方店舗ならびに自宅の状況に徴すれば、被告人方店舗または自宅が調査の場所として十分な余地がないとまではいえず、また、一般的に事業所得者に対する税務調査において質問検査権を行使するには、その私的利益の侵害を極力避けるべく配慮をしたうえ、可能であればその者の店舗、工場等の事業所で実施するのが適当であることは否定できないところであり、被告人の指定した消防番屋で調査することが前記のとおり不可能ではないにしても、全く営業に関係しない場所であるため、おのずから調査の事項も限定されざるをえないものといわねばならず、且つ前記認定の調査の経過によれば、同年八月二六日以降において調査の場所を被告人方店舗または自宅から消防番屋に変更しなければ被告人の営業上の利益等私的利益がその受忍限度を越えて侵害されるとまでは未だ認められないから、被告人の申入に対し、前記見解に基づき被告人方店舗で調査に応ずるよう説得した税務職員の態度は、前記のとおりやや柔軟さに欠けるうらみがあるとしても、その質問検査権の行使を不適法ならしめるものであつたとまではいえない。そうであれば、判示第一の被告人の店舗における質問検査は不適法とはいえず、また判示第二の質問検査は被告人の指定にもとづき同店舗で行なわれたものであるから、いずれも被告人に右各調査を拒否すべき正当な事由があつたものとはいえない。
八 弁護人は、被告人が盛岡民商の活動に参加する中で、調査の具体的理由が開示されない以上質問検査に応ずる義務はないと教えられ、それを信じていたものであり、当時右のような考えを支持する学説、下級審裁判例もあつたのであるから、仮に調査の具体的理由の開示が質問検査権行使の要件でないとしても、右理論に基づき行動した被告人には違法性の錯誤につき相当な理由がある場合に該るから、故意が阻却されると主張する。
なるほど被告人は調査の理由ないしは必要性の開示がなければこれに応ずる義務はないと考えて行動していたと認められるのであるが、本件においては前記のとおり税務職員は調査にあたり調査の理由ないしは必要性についてある程度被告人に説明して調査に応ずるよう説得しているのであつて、全く開示されていないものではない。そして民商の指導によつたこと、あるいは弁護人主張の如き学説や裁判例が当時存在していたものであるからといつて、そのことだけで、直ちにこれを信じて行動したことが違法性の錯誤につき相当な理由がある場合に該当するものとはいえない。
(本件公訴事実のうち訴因の一部を認定しなかつた理由)
被告人に対する公訴事実中、その第一の要旨は「被告人は昭和四三年一二月五日、被告人方店舗において、国税実査官松岡俊雄および国税調査官東山正八より、昭和四二年度分所得税の調査に必要な質問を受け、事業に関する帳簿書類の提示を求められた際、『お前ら何で来ているんだ、今年のことか、答える必要がない』等と申し向けて同人らの質問に対して答弁せず、帳簿書類に対する検査を拒んだ」というものである。そして、右の事実のうち被告人が検査拒否の点についてその罪責を免れないことは、前記のとおりであるが、右質問不答弁の点について被告人が刑責を負うべきかにつき、以下検討する。
右当日調査のため税務職員が被告人方店舗に臨んだ際の状況はさきに認定したとおりであるが、右税務職員がなした質問の具体的文言は「きのうの売上げはいくらか、仕入はどのくらいか」というのであり、被告人は右質問に対し「今年のことか、関係ない」と返答したものである。ところで、税務職員の右発問は、調査日の前日である昭和四三年一二月四日の時点における被告人の売上および仕入をもとにして被告人の事業の現況を把握し、これにより前年度である昭和四二年度の被告人の所得の概要を推測しようとするためになされたもので、右質問は昭和四二年度の調査に必要な質問として、客観的にみれば不合理なものとはいえない。そして、一般的に質問検査権を行使するにあたり対象者に質問検査の必要性につきその理由を開示しなければならないものでないことも前述のとおりであるが、税務職員の右質問の内容が、調査の対象年度と異る事項であつたため、被告人としては、その返答にもあるように、本件調査とは「関係がない」ものであり、従つて右質問に応じる必要がないと考えたのも無理からぬところであり、このような場合には、税務職員としては、右質問の必要な理由を説明して相手方に理解させるよう努むべきであり、本件においてこのことが不可能な事情にあつたとまでは認められないのであるから、これを欠く以上、被告人の右質問に対する不答弁は正当な事由によるものというべく、可罰的と解することはできない。そして、本件訴因について、検察官は起訴状に対する釈明として「本件当日税務職員は売上および仕入に関する質問をしており、前記公訴事実第一記載の被告人の言葉の直前の質問が『昨日の売上はいくらですか、仕入はどのくらいですか』である」と述べているのみで、その冒頭陳述においても、右質問以外に具体的な質問内容の主張はない。もつとも、証拠によれば、税務職員は右質問の外被告人に対し帳簿書類の有無、種類を確認する発問をなしていることが認められることは前記のとおりであるが、右発問は帳簿書類の検査のためにその呈示を求める前提たる発問にすぎない性質のものであるから、これに対する独立の不答弁罪の成立を認めるべきものとは解されない。
以上のとおりであるから、検察官の公訴事実中第一の事実のうち質問不答弁に関する点は結局犯罪の証明がないことに帰するが、右は一罪の一部として起訴されたことが明らかであるから、この点について主文において無罪の言渡はしない。
よつて主文のとおり判決する。