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盛岡地方裁判所 昭和48年(わ)183号 判決 1981年3月03日

本籍

岩手県岩手郡玉山村大字松内字簗場五六番地の二

住居

盛岡市山王町四番一号

会社役員

岩崎善吉

大正九年二月二〇日生

右の者に対する所得税法違反被告業件について当裁判所は、検察官長谷川三千男、弁護人阿部一雄各公判出席のうえ審理し、次のとおり判決する。

主文

被告人を懲役一〇月および罰金一、四〇〇万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金五万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

この裁判の確定した日から三年間右懲役刑の執行を猶予する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

被告人は、盛岡市上田二丁目七番二六号に事務所を有し、不動産業を営んでいたものであるが、同事業に関し、所得税を免れようと企て、不動産売買の事実を隠ぺいして売上を除外し、あるいは不動産売買取引による収入があったのに、その取引の一部について不動産仲介手数料の収入があったように仮装するなどの不正な方法により所得を秘匿した上、昭和四六年分の実際課税所得金額が一億〇、七八三万三、四七四円であり、これに対する所得税額が六、八三八万八、〇〇〇円であったのにかかわらず、昭和四七年三月一五日、同市本町通三丁目八番所在の所轄盛岡税務署において、同税務署長に対し、所得金額が金五四一万六、四二五円であり、これに対する所得税額が一一四五、一〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、もって同年分の正規の所得税額と右申告税額との差額六、七二四万二、九〇〇円を免れたものである。

(免れた所得金額の内容は、別紙1の修正損益計算書、税額計算については同2の脱税額計算書のとおりである。)

(証拠の標目)

一  第四回公判調書中証人蔭山貴の供述部分

一  第五回公判調書中証人酒井久蔵の供述部分

一  第六回公判調書中証人塚田晃の供述部分

一  第八回、第一四回公判調書中証人民部田幸次郎の各供述部分

一  第九回公判調書中証人小林昭一の供述部分

一  第一二回公判調書中証人柳沢義春の供述部分

一  第一三回公判調書中証人伊藤東雄の供述部分

一  第一四回公判調書中証人藤田喜平の供述部分

一  高畠鮮、中山保雄、毛利修、毛利マチ(二通)、一戸直士、井旗種蔵、岩館勘平、浦賀吉次郎、内田稲造、内に豊太郎(三通)、片島勘右工門(二通)、熊谷喜一、熊谷清(五通)、寿忠吉(四通)、寿清治、小綿春雄、外川勘次郎、竹原和夫、竹森寿吉、千葉梅春(三通)、寺口長次郎(三通)、中山忠一郎、野々村権次郎、野々村糸子、幅光夫(三通)、日野済才七(四通)、日野沢才一郎、日野沢サト、日野杉栄(二通)、日野杉俊彦(二通)、平野次男、平野和雄、広田勇儀(三通)、広内忠一、広内章、広内金次郎、広内ツギ、広田時次郎、広田正徳、広田慶治、富崎弥重郎、富野巖、柳沢芳次郎、山崎長十郎、山崎忠善、山崎忠善、山崎岩蔵(三通)、米沢金次郎(二通)、米沢金蔵(二通)、渡辺正二、佐々木末五郎(二通)、佐々木善八、佐々木功(二通)、谷地三次郎、深野健一、青山甚吾、照井栄巳(二通)、石田よし、相川武、佐々木正雄、扇藤健一郎、沢田正男(二通)、大関通夫、高橋清孝(二通)、田中領三、中野慶蔵、田畑道夫の大蔵事務官に対する各質問てん末書

一  高畠鮮、中山保雄、毛利マチ、幅光夫、相川武、沢田正男、民部田幸次郎の検察官に対する各供述調書

一  小泉弥太郎の大蔵事務官に対する質問てん夫書四通および検察官に対する供述調書

一  柳沢義春の大蔵事務官に対する質問てん末書六通(昭和四七年六月二一日付、同月二二日付謄本―八ないし一三問のみ、同月二八日ないし四問、一三問のみ、同年一〇月六日付二通、同年六月二四日付)及び検察官に対する供述調書

一  一戸直士、井旗種蔵、岩館勘平、今松初五郎、外川勘次郎、竹原和夫、竹沢市三、中山忠一郎、成島忠篤、沼田清枝、村川喜蔵、久慈一郎、伊五沢孝夫、扇藤健一郎、高正也、青山甚吾、成島忠好、伊藤元秋、桜井清成の各上申書

一  竹田孝男(竹田スツ代理人)作成の大蔵事務官に対する「申告書」と題する書面

一  岩手三菱自動車販売株式会社作成の回答書

一  イビデン工業株式会社作成の回答書

一  日産プリンス岩手販売株式会社作成の回答書

一  蔭山貴作成の「不動産取引について」と題する書面

一  酒井久蔵作成の「岩崎善吉との取引について」と題する書面(但し第五項を除く)

一  塚田晃物成の「岩崎善吉との取引について」と題する書面

一  検察官作成の昭和四八年九月二五日付、同年七月三〇日付、昭和五三年一月一二日付各報告書及び調査書二通

一  大蔵事務官作成の調査書六通

一  土地登記簿謄本各通

一  押収してある当座勘定受入副報告書等一綴(昭和四九年押第七号の一以中証拠物は符号のみを示す)、日産プリンス岩手販売名義請求書、領収書等一袋(三)、日本電信電話公社請求書、領収書等二綴(四の一、二)、自動車損害賠償責任保険料領収証等一綴(五)、領収書二枚(六)、受領書二枚(七)、領収証用紙一冊(八)、土地売買契約書、領収書等一綴(一一)、預り証等一綴(一二)、箱根三昧荘関係書類一綴(一八)、入出金明細書一冊(一九)、不動産売渡証書一綴(二〇)、土地売買契約書等一綴(二一)、四六年分の所得税の確定申告書六〇通(二二ないし八一)、領収済通知書五二通(八二ないし一三三)、土地売買契約書写一通(一三四)、領収証一通(一三五)、領収証一通(一三六)、領収証一綴(一三七)、領収証三枚(一三八)、領収証等一綴(一三九)、領収証等三枚(一四〇)、日記帳一冊(一四一)、念書一枚(一四二)、空封筒一枚(一四三)、土地売買契約書、頻収証、精算書、不動産売渡証、請求書、計算メモ等各通(一四四ないし一八二)、請負契約書関係綴一冊(一八三)、領収証用紙一冊(一八四)、外山岩洞湖出来高精算書一枚(一八五『、外山買収土地一覧表一枚(一八八)、借用証一枚(一八九)、預り証一枚(一九〇)、領収証一枚(一九一)、領収証写一枚(一九二)、メモ二枚(一九三)、手帳一冊(一九四』、土地売買契約書等一綴『一九五)、承諾書一通(一九六)、地役権設定契約証書一通(一九七)、土地売買契約書一綴(一九八)、不動産売買委託契約書一通(一九九)、領収証一綴(二〇〇)、不動産売買契約証書一通(二〇一)土地売買契約書一通(二〇二)、委任或一枚(二〇三)、領収証二枚(二〇五)、電信当座口振込金受領書一通(二〇六)、自動車税領収証書一通(二〇七)、ホンダオートローン払込通帳一通(二〇八』、領収証二通(二〇九、二一〇)、昭和四六年度自動車税納税通知書兼領収証書一通(二一一)、富士普通預金通帳一冊(二一三)、四六年分所得税修正申告書一通(二一四)、四七年分所得税確定申告書一通(二一五)、収支明細書と表記のメモ一枚(二一七)、収支明細書と表記のメモ五枚(二一八)

一  被告人の大蔵事務官に対する質問てん末書三五通および検察官に対する供述調書

一  被告人作成の上申書七通

一  第二一回、二二回、二三回、二五回、二八回。各公判調書中被告人の供述部分

一  被告人の当公判廷における供述

(主たる争点に対する判断)

第一売上関係

一  別紙1修正損益計算書勘定科目欄番号<1>について(小泉弥太郎関係)

被告人と小泉弥太郎との取引における売上金額につき、検察官はこれを二億三、一三五〇、五〇〇円と主張するところ、弁護人は次のように主張する。すなわち、右取引で対象とされたのは(1)岩手郡玉山村大字藪川字外山二五番の二のうち山林一四一、一九〇m2(四二、七八五坪、日野沢一族共有部分)、(2)同字二五番三山林一七五、八四一m2(五三、一二九坪)、(3)同字二六番四山林一、九五一、一六六m2(五九〇、二二八坪)、(4)同字二六番五山林五六六、四九九m2(一七一、三六六坪)、(5)同字二六番一二山林二二九、六四二m2(六九、四六七坪)合計三、〇六四、三三八m2(九二七、〇三八坪)の各土地であり、いずれも共有地であるところ、右取引は単なる共有持分権の取得を目的とするものではなく、買主である小泉弥太郎(帝国ホテルの委託)が右各土地の所有権を完全に取得することを目的とするものであるから、右各土地全部の所有権移転登記がなされ、その地積全部の引渡しが終らなければ、債務の本旨に従った履行がなされたとは解されないところ、右取引では(1)、および(3)ないし(5)の各土地については昭和四六年中に全共有者の持分が買主に移転登記がなされているものの、(2)の土地については六五株の共有地であるが、そのうち熊原清、石川慶悦、寿弥助、川島秀雄、広内忠一、山沢義男、小綿春雄、竹田スソの各共有持分(合計六五分の一〇)は昭和四七年三月一五日に帝国ホテルに移転登記がなされており、また、共有者のうち藤田光孝はあくまで売却に同意せず、昭和四七年以降に解決をみているのであり、(2)の土地については昭和四六年中に完全な所有権の移転がなされなかったことが明らかであるから、本件取引は、全体としても昭和四六年中に成立したとみることはできず、また、各土地の地番毎の境界を明示しての引渡しも昭和四六年中になされておらず、更に、右各土地の各地権者(各共有持分権者のこと)との仕入価額の精算も昭和四七年四月ころに最終的になされており、右取引の損益は昭和四六年中には判然算定できなかったから、売上から除外すべきである旨主張する。

そこで検討するに、前掲各証拠によれば、被告人は昭和四六年九月三〇日、前掲(1)ないし(5)の山林合計三、〇六四、三三八m2(九二七、〇三八坪)を帝国ホテルから委託を受けた小泉弥太郎に坪単価二五〇円、代金二億三、一七五万九、五〇〇円で売却する旨の売買契約を締結し、同年一〇月一日までに一億七、八〇〇万円、同月八日に四、八五一万九、五〇〇円それぞれ受領していること、残金五二四万円は昭和四七年三月一五日に支払われているが、それは被告人が本件各土地のうち石井辰男から仕入れた土地に関する不動産譲渡税負担分が保留されたことによるものであること、昭和四六年中ころから本件各土地の各共有者の持分権が次々と中間省略で小泉弥太郎に直接移転登記がなされ、同年中に(1)、(3)ないし(5)の各土地について、いずれも共有持分全部が小泉に移転登記されたこと、(2)の土地については、元の(1)の土地と同様六五株の共有地であったが、昭和四〇年ころ、共有者間の話合いの結果、共有者の一人の幅光夫が(1)の土地の六五分の四の持分権を放棄するかわりに(2)の土地の持分権を全部取得して単独所有となったこと、しかし、その旨の登記手続がなされないままであったこと、被告人は昭和四六年一月に(2)の土地を幅の単独所有として、同人から八〇〇万円で仕入れていること、(2)の土地は元の共有者の持分を中間省略で直接小泉に移転する方法で順次移転がなされたが、昭和四六年中に完了できず、そのうち熊原清、寿弥助、川島秀雄、広内忠一、山沢義男、小綿春雄、竹田スソの各共有持分(合計六五分の一〇)については、昭和四七年三月一五日に帝国ホテルに対し移転登記がなされたが、藤田光孝の共有持分(六五分の二)は昭和四七年中にも移転登記がなされなかったこと、小泉は昭和四八年八月一〇日付検面調書において、(2)の土地につき「藤田の持分は面積にしても小さいものでこれによって全体の契約が左右されるというようなことは全然思ってもおらず、仮にその解決が得られない場合でも(2)の土地全部について解約するという約束はしていない。」と供述しており、(2)の土地のうち合計六五分の一二の共有持分権の移転登記手続が昭和四六年中になされておらないが、うち六五分の一〇は昭和四七年三月一五日になされていることからも、そのことによって本件売買契約の効力が左右されることはなかったことがそれぞれ認められる。

以上の認定事実によると、本件不動産売買契約における売上の計上に関しては、昭和四六年中に共有持分全部の移転登記が終了しなかったからといって、債務全体が不履行となり、代金債権の行使が不可能であったとはいえず、少くとも持分の移転登記を終了した部分については収入すべき権利が確定したものとみて、それに対応する売上金額を同年の益金に計上し、末了部分についてはその履行がなされた年分の益金に計北するのが相当と解される。従って、本件取引においては、昭和四六年中に買主に移転登記がなされた分に相当する売買代金については同年分の売上と認める。

よって、売買代金から(2)の土地のうち昭和四六年中に移転登記がなされなかった前記熊原ら七名の共有持分(合計六五分の一〇)と藤田光孝の共有持分(六五分の二)に見合う金額二四五万五、五〇一五円(<省略>)を売上金額から控除する。

よって、本件取引による売上金額は二億二、九三〇万四、四八五円と認める。

二  同番号<3>について(大京観光関係)

被告人と大京観光株式会社(以下単に大京観光という。)との取引における売上金額につき、検察官はこれを一億八、一七七万〇、八〇〇円と主張するところ、弁護人は次のように主張する。すなわち、右取引で対象とされたのは、(1)岩手郡玉山村大字藪川字外山二五番二山林一、七二五、八六一m2(五二二、〇七二坪)(2)同字二五番三山林一七五、八四一m2(五三、一九二坪)の各土地であり、いずれも共有地であるところ、右取引も番号<1>と同様買主の大京観光に対し、右各土地全部の所有権移転登記がなされ、その地積全部の引渡しが終らなければ、債務の本旨に従った履行がなされたとは解されないところ、(1)の土地については、同人があくまで売却に同意せず、結局、同年二月二四日、(1)の土地から共有持分に相当する地積五三、一六六m2を分割して二五番四として解決しており、(2)の土地については昭和四六年中に履行ができず、結局その分は解約となっており、また、番号<1>の取引と同様、各地権者との仕入価額の精算も昭和四七年四月ころまでかかっており、本件取引を昭和四六年中に成立したものと解することはできない、ということである。

そこで検討するに、前掲各証拠によれば、被告人は、昭和四六年一〇月二五日前記(1)および(2)の山林二筆(合計一、九〇一、七〇二m2)を大京観光に対し、代金二億三、〇〇〇万円、当該土地の引渡しは売主から買主への所有権移転登記あるいはこれに必要な書類の引渡しをもって行う旨の約定で売却したこと、大京観光は昭和四六年中に右代金のうち二億円を支払い、三、〇〇〇万円は未払いとなっていたこと、(1)の土地については六一株(登記簿上は六五株であるが、前記のとおり、(2)の土地を幅光夫が単独所有とした際、(1)の土地についての同人の持分六五分の四を放棄しているので、実際は六一株である)のうち五三株の共有持分について昭和四六年中に買主に移転登記されていること、共有者のうち日野杉イソ、石川慶悦、山沢義男、宮崎要の共有持分(合計六一分の六)については昭和四七年一月二四日に買主に移転登記がなされ、また、藤田光孝の持分については、買収不能のためこの持分六五分の二(実際は六一分の二であるが、同人は(2)の土地が幅光夫の単独所有であることを認めなかった。)に相当する五三、一六六m2の広さの地域を同年二月二四日、共有物分割により二五番四として分筆して解決したこと、(2)の土地については昭和四六年中に買主への引渡しがなされなかったこと、またそれに相当する代金額は概ね右未払金に相当すること、大京観光では移転登記の済んだものは確定的に会社の所有になっていると考えており、一部移転登記ができなかったことをもって本件契約を解除する意思を有していないこと(第五回公判調書中証人酒井久蔵の供述部分)、がそれぞれ認められる。

以上の認定事実によると、本件不動産売買契約における売上の計上に関しては、同年中に共有持分全部の移転登記が終了しなかったからといって、債務全体が不履行となり、代金債権の行使が不可能であったとはいえず、少なくとも持分の移転登記を終了した部分については収入すべき権利が確定したものとみて、それに対応する売上金額を同年の益金に計上し、末了部分についてはその履行がなされた年分の益金に計上するのが相当と解される。従って本件取引においては、昭和四六年中に買主に移転登記がなされた分に相当する売買代金については昭和四六年分の売上と認める。よって、売買代金から(1)の土地のうち昭和四六年中に移転登記できなかった藤田光孝の持分に見合う金額六四二万三、〇〇〇円(<省略>)日野杉イソ外三名分持分合計六一分の六に見合う金額二、〇五三万九、二〇〇円(<省略>)および(2)の土地全部に見合う金額二、一二六万七、〇〇〇円(<省略>)の合計四、八二二万九、二〇〇円を差引いた金額一億八、一七七万〇、八〇〇円が本件取引による被告人の昭和四六年の売上金額と認める。弁護人の主張は採用できない。

三  同第号<4>について(東和レジスター関係)

被告人と東和レジスター販売株式会社(以下単に東和レジスターという)との取引における売上金額につき、検察官はこれを一億〇、一〇〇万円と主張するところ、弁護人は次のように主張する。すなわち、右取引は被告人が昭和四六年一一月二六日岩手郡玉山村大字藪川字大の平二一番一八二山林二四三、九五四m2(七三、七九六坪)を代金一億〇、一〇〇万円で東和レジスターに売却した契約に関するものであるところ、右契約では、目的物件である土地の隣接地にある岩手県観光開発公社管理の道路を買主が利用できる旨の承諾書を売主である被告人の責任において買主に交付すること、ならびに右承諾書が間に合わぬときは金五〇〇万円を承諾書交付のときまで保留する旨の特約条項が定められており、被告人は昭和四六年中に右承諾書を買主に交付できなかったため、代金のうち九、八〇〇万円の支払いを受けただけで三〇〇万円が保留され、更に被告人は右道路問題を早期に解決するよう東和レジスター側から要求され、三、二〇〇万円もの費用をかけて昭和四八年三月末ころ漸く解決した。従って、本件取引に関する収支の見通しは昭和四六年中にはつかず債務の本旨に従った履行がなされていないから、同年中に成立した取引と解することができず、右売上金額は昭和四六年分の収入金額には入らない。仮に本件取引が昭和四六年中に成立したとしても、代金中留保された右三〇〇万円は本件取引の売上金額から控除すべきであゆ、というものである。

そこで検討するに、前掲各証拠によれば、被告人は昭和四六年一一月二六日前記大の平二一番一八二山林二四三、九五四m2(七三、七九六坪)を東和レジスターに代金一億〇、一〇〇万円で売却し、同年中に代金の内金九、八〇〇万円を受領していること、同年一二月一四日右土地についての買主への所有権移転登記手続をすませていること、残金三〇〇万円が支払われないでいたのは、本件売買契約に弁護人主張のとおりの特約条項が定められており、契約時点では当事者間で右承諾書をすぐにでも買主に交付できるものと考えていたが、結局、昭和四六年中には解決されなかったことによること、右特約条項の関係は昭和四八年に解決してその際右三〇〇万円が支払われたこと、東和レジスターでは右特約条項が解決しなくても本件契約を解除する意思を有しておらず、目的物件の引渡しを受けたのは所有権移転登記手続をとった昭和四六年一二月一四日であると考えていたこと、がそれぞれ認められる。

以上の認定事実によると、本件取引は昭和四六年中に成立しており、それによる売上金も同年中に発生しているとみるべきである。ただ同年中の未払金三〇〇万円は、前記特約条項により被告人が道路問題を解決するまで保留されたものであり、それは右契約の解除条件とは認められないが、被告人の特約条項の履行と対応するものであるから、履行がなされなかった昭和四六年度においては、本件取引の売上金額から控除するのが相当である。

弁護人の主張は、右の限度で理由があり、本件取引による売上金額は九、八〇〇万円と認める。

四  関山義人との取引について

弁護人は、被告人は、昭和四五年八月ころ関山義発に対し岩手郡玉山村大字藪川字亀橋四三番三山林五八八、一五八m2(一七八、二三〇坪)を代金五、三〇〇万円で売却する契約を結んだが、右土地の買主への所有権移転登記が昭和四六年六月一七日になされており、右土地に設定されていた多くの賃借権の解決も、付帯条件とされていた道路の問題も昭和四五年中にはなされなかったのであるから、右取引は昭昭和四六年のものと解され、それに関する売上五、三〇〇万円を計上すべきである旨主張している。

しかしながら、前掲各証拠によれば、被告人が、昭和四五年八月ころ、前記土地を奥州大学理事長の関山義人に代金五、三〇〇万円で売却し、その所有権移転登記手続を昭和四六年六月一七日に了していることが認められるが、同時に、被告人は関山の代理人柳沢義春を通じて代金金額を昭和四五年一二月に受取っていること、右土地には契約当時賃借権設定登記がなされており、学校に所有権移転登記ができない事情から関山個発の名義で購入したのであるがこれはすぐにでも抹消できるとの見通しの下に被告人は同年一二月ころ権利証等移転登記に必要な書類を柳沢に交付していること、同年中に右賃借権設定登記は抹されなかったが、同年一二月八日関山のために右土地につき所有権移転請求権仮登記がなされていること、右契約当時、右賃借権設定登記がなされていることはこれがすぐに抹消できるとの見通しがあったことから当時者間であまり問題とされていなかったこと、また右契約当時、弁護人の主張する道路の問題は全然発生しておらず、それは右土地を関山が昭和四六年九月に三品建設株式会社の名義で毛利マチに売却した後に発生したもので本件取引と関係ないことがそれぞれ認められる。

以上の認定事実によると、本件取引は昭和四五年中に成立し、右売上金は同年分の収入金額とみるべきであるから、弁護人の主張は採用できない。(ちなみに関山事件について、弁護人は後記の通り、右売上に対応する仕入その他諸経費として、検察官の認容する一、五〇〇万円を含む四、三七二万八、〇〇〇円を主張し、九二七万二、〇〇〇円の利益の過大計上を主張しているものである。)

第二仕入関係

一  同番号<15>、<17>、<18>について(日野沢才七外、熊原清外、成島忠篤関係)

弁護人は同番号<15>、<17>および<18>の各仕入金額について、いずれも対応する同番号<1>、<3>および<4>の各取引が前記のとおり昭和四六年中に成立していないから在庫である旨、また関山義人への前記売上は昭和四六年分として計上すべきであるから、それに対応する仕入金額二、九四一万八、〇〇〇円を同年分として計上すべきである旨主張しているが、同番号<1>、<3>および<4>の各取引は昭和四六年中に関山との取引は昭和四五年中にそれぞれ成立していることは前記認定のとおりであり、各仕入は各年分の売上に対応するものと認められるから、弁護人の右主張は採用できない。

二  同番号<16>について(深野健一関係)

弁護人は、被告人は、小泉弥太郎に代金六〇〇万円で売却した岩手郡玉山村大字藪川字外山三四番一原野二二、二九七m2(六、七五六坪)の土地(番号<2>に計上分)を深野儀一から仕入れたのであるが、その金額は検察官の主張する五〇〇万円でなく七一〇万円である旨主張するが、被告人作成の「仕入金額調べ」と題する上申書、照井栄己の昭和四七年一一月一日付質問てん末書、深野儀一の同年一一月七日付質問てん末書によれば、仕入金額は五〇〇万円であることが明らかである。なお、右五〇〇万円と弁護人の主張する金額との差額金二一〇万円については、そのうち三〇万円が照井栄己分の支払手数料として、うち一八〇万円が深野儀一分の利子割引料としてそれぞれ認容されているから、いずれにしても弁護人の主張は採用できない。

三  同番号<21>について(期末事業用土地関係)

弁護人は同番号<21>に関し、番号<15>、<17>および<18>の仕入による各土地はいずれも番号<1>、<3>および<4>の取引が昭和四六年中に成立していないので期末事業用土地として計上されるべきである旨主張しているが、前記のとおり右各取引が昭和四六年中に成立していると認められるのであるから、右主張は採用できない。

第三道路工事原価関係

一  同番号<22>について(佐々木末五郎関係)

弁護人は、被告人が佐々木末五郎に支払った昭和四六年分の道路工事原価は検察官の主張一、二〇〇万円のほかに三五〇万円(昭和四七年一月一四日金二〇〇万円、同年六月七日金一五〇万円)を計上すべきである旨主張する。

そこで検討するに、佐々木末五郎の質問てん末書二通、大蔵事務官作成の亀橋にかかる費用等調査書、検察官作成の支払経費調査書、符号一一、一二号の(株)佐々木建設の名義で被告人に宛てた領収証一〇通によれば、佐々木末五郎は(イ)昭和四六年九月ころ被告人から前記亀橋四三番の三の土地につき草地造成工事を一、二〇〇万円で請負い、同年一二月三一日までに一、二〇〇万円を受領している外、(ロ)被告人から昭和四七年一月から一〇月三一日まで八回にわたり岩洞工事代金等の名目で小計一、五一五万円を受領し、(ハ)同年三月から一〇月五日まで七回にわたり、好摩工事代金の名目で小計一、三八五万円を受領し、以上を合わせて被告人から工事費用として合計四、一〇〇万円を受領していること、右の四、一〇〇万円は、好摩分の工事費用として一、七〇二万一、四〇円、右草地造成工事(道路工事原価)として一、二〇〇万円(検査官の主張額)、復元工事費用(同番号<18>関係)として一、一九七万八、五四〇円にそれぞれ配分され、弁護人が計上もれと主張する二口三五〇万円は、被告人が佐々木末五郎に支払った昭和四七年一月一四日の二〇〇万円、同年六月七日の一五〇万円にほかならないところ、この二口は、前記(ロ)に計上されており、前記復元費用に認容されているから、計上もれではない、弁護人の主張は採用できない。

二  同番号<23>について(民部田幸次郎関係)

弁護人は、被告人が民部田幸次郎に支払った昭和四六年分の道路工事原価は、検察官主張額一、二一五万円のほかに二〇〇万円(同年一〇月二一日支払分)を計上すべきである旨主張するが、民部田幸次郎の検面調書、第八回公判調書中同人の供述部分、符号一一号の民部田幸次郎が被告に宛てた領収証七通(昭和四六年一〇月二一日付を除く)により右金額が一、二一五万円であることは明らかである。その外昭和四六年一〇月二一日付の二〇〇万円の領収証が存するが、これは被告人と民部田との関係に照らし、民部田が供述するとおり架空のものと認められるから、弁護人の主張は採用できない。

三  同番号<24>について(佐々木善八関係)

弁護人は被告人が佐々木善八に支払った昭和四六年分の道路工事原価は検察官の主張する、五二三万円のほか八〇万円(同年一〇月二日支払分)を計上するべきである旨主張するが、佐々木善八の、質問てん末書、符号一一号の丸善建設有限会社が被告人に宛てた領収証三通によれば、佐々木善八は被告人から前記亀橋四三番三の土地の道路工事代として四〇〇万円、帝国ホテルの土地の関係の道路工事費用として民部田を通じ二三万円をそれぞれ受領していること、領収証のうち昭和四六年一〇月二日付佐々木善建設発行八〇万円の分と同年一一月三〇日付丸善建設から被告人に宛てた一〇〇万円の分(いずれも符号一一号)はいずれも架空のものであることがそれぞれ認められるから(ただ、検察官は、この関係で一〇〇万円を被告人の損益として認容している。)この点に関する弁護人の主張は採用できない。

四  同番号<25>について(杉山武松、三浦政発、花坂建設関係)

弁護人は、道路工事原価として被告人は杉山武松に五〇万円、三浦政人に五〇万五、〇〇〇円および花坂建設に五〇〇万円をいずれも亀橋の土地の道路工事代金として支払っており、その金額を計上すべきである旨主張するので検討する。

1 杉山武松、三浦政人関係

被告人から押収した証拠物中に杉山武松名義昭和四六年九月三〇日付金五〇万円、摘要作業人夫代内金との記載のある領収証一通(符号一一号)および三浦政人名義同年一〇月一〇日付金五〇万五〇〇〇円摘要プレハブ建付、運送代との記載のある領収証一通(前同号)があり、被告人は右各領収証につき、杉山の分は亀橋の土地に道路を作るときの伐採撤去作業の代金として杉山に五〇万円を支払った際に受取ったものであり、三浦の分は右工事の際、そこに飯場(プレハブ小屋)を造った分の工事代金として受取ったものである旨それぞれ供述しているのに対し(第二五回、第二八回各公判調書中被告人の各供述部分)、検察官は右各領収証はいずれも架空のものである旨主張しているが、右各領収証が架空であることを裏付けるだけの証拠に乏しいことから、被告人の右供述に従い、杉山関係で五〇万円、三浦関係で五〇万五、〇〇〇円をそれぞれ道路工事原価として認める。

2 花坂建設関係

前同証拠物中に花坂建設株式会社作成名義昭和四六年九月三〇日付金五〇〇万円摘要道路工事代内金との記載のある領収証一通(前同号)があり、被告人は、右領収証につき、亀橋の土地の道路工事の際、佐々木善八の兄にブルドーザー作業を依頼し、その分の代金五〇〇万円を支払った際に高取ったものである旨供述しているが(第二五回公判調書中被告人の供述部分)、右供述は佐々木善八の質問てん末書、民部

田幸次郎の検面調書に照らし信用できず、右領収証は架空のものと認められるから、この点に関する弁護人の主張は採用できない。

第四その他の勘定科目関係

一  同番号<37>について(利子割引料関係)

弁護人は、被告人が高橋清孝に支払った礼金は、検察官主張の金一、五〇〇万円のほかに二〇〇万円(八〇〇万円の融資に対し一、〇〇〇万円返済しており、その差額金)を計上すべきである旨主張する。

しかしながら、高橋清孝の質問てん末書(二通)では、高橋は被告人に昭和四五年八月ころ八〇〇万円貸付け、同年一一月末ころ、被告人から現金で右元金八〇〇万円の返済を受け、その際礼金については被告人からの要望を入れて猶予した旨、被告人から受取った礼金は八〇〇万円と五、〇〇〇万円の二口の融資分を合わせて一、五〇〇万円である旨供述しており、右供述は十分信用でき、この点に関する被告人の供述(昭和四七年七月二九日付質問てん末書)は信用できない。

よって被告人が高橋清孝に支払った利子割引料は一、五〇〇万円と認めるのが相当であるから、弁護人の主張は採用しない。

なお、弁護人は、利子割引料に関し、同番号<1>、<3>および<4>の取引は昭和四六年中に成立していないと解するので、検察官主張の金額から取引未成立分を按分して、二、六七八万七、七二五円を減算すべき旨主張しているが、右各取引が昭和四六年中に成立していることは前記第一の一ないし三のとおりであるから、弁護人の右主張は採用できない。

二  登記料について

弁護人は、被告人が関山義人との取引に関して桜井司法書士に登記料として一万円支払った分を経費に認容すべき旨主張するが、右取引が昭和四五年中に成立していることは前記第一の四のとおりであるから、右主張は採用できない。

三  同番号<41>について(支払手数料関係)

弁護人は、検察官が主張する支払手数料のうち、小泉弥太郎取引関係(同番号<1>)の日野杉盛分二五万円と民部田幸次郎分一、三〇〇万円、大京観光取引関係(同番号<3>)の大岡達夫分一、〇〇〇万円、東和レジスター取引関係(同番号<4>)の長岡阿孫子、沢田、野島分一、〇〇〇万円、泰北開発工業(田畑)分二、〇〇〇万円について、いずれも右各取引が昭和四六年中には未成立なので、この分の支払手数料を減額すべき旨主張するが、右各取引が昭和四六年中に成立していることは前記のとおりであるから、右主張は採用できない。

四  その他の支払手数料について

1 関山義人関係

弁護人は、関山義人との取引に関して、森ほかへ二、五〇〇万円、小笠原喜平へ五二〇万円それぞれ支払っており、右金額を支払手数料として認容すべき旨主張するが、右取引が昭和四五年中に成立していることは前記のとおりであるから、右主張も採用できない。

2 小林昭一関係

弁護人は小林昭一との取引関係で柳沢義春に一二五万四、五〇〇円を支払っている旨主張するが、そのことを認めるに足る証拠はなく、右主張も採用できない。

3 柳沢義春関係

弁護人は、サン観光株式会社が被告人に宛てた昭和四六年一二月二〇日付金額五、二五七万七、三五〇円の領収証を根拠にし、右領収証は被告人と三和プレシーザ株式会社(以下三和プレシーザという)との取引で柳沢義春に交付すべき利益金と、毛利修との二口の取引(同番号<7>)で柳沢に交付すべき利益金(利益金合計四、五四七万六、〇〇〇円の二分の一の二、二七三万八、〇〇〇円)が含まれているので、右金額二、二七三万八、〇〇〇円を支払手数料として認容すべき旨主張している。

しかしながら、柳沢義春の昭和四七年一〇月六日付質問てん末書によれば、右領収証は、被告人が岩手郡玉山村大字藪川字大の平二一番四外山林一五〇、二二一坪を柳沢義春らの仲介で三和プレシーザに売却する取引に関するものであること(領収証の金額は右山林の売上予定価額一億二、〇一七万六、八〇〇円と仕入価額六、七五九万九、四五〇円の差額に相当する)が明らかであり、三和プレシーザとの右取引は本件で売上に計上していないのであるから、弁護人の右主張は失当である。なお、柳沢義春の右てん末書によれば、右領収証は被告人から表記の金額を受領したうえで発行したものでなく、その予定のもとに発行されただけで、被告人は実際に右金額を支払ったことがない疑いがつよい。

五  同番号<46>について(雑費関係)

弁護人は、大京観光取引分の送金料二五〇円は、右取引が昭和四六年中に未成立だから計上すべきでない旨主張するが、右取引が昭和四六年中に成立したことは前記第一の二のとおりであるから、右主張は採用できない。

弁護人は、関山義人との取引の関係で四六〇万円を雑費として計上すべき旨主張するが、右取引が昭和四五年中に成立したことは前記第一の四のとおりであるから、右主張も採用できない。

第五犯意について

弁護人は、「被告人は当初からほ脱の意思はなかった。前記不動産の取引物件については仕入れにかかる共有地の一部の持分が取得できず、昭和四六年に取引が成立したと考えていなかったし、仮りに右取引により相当の利益が見込まれたとしても、(1)三和プレシーザとの取引不成立により違約金を支払わなければならず、その額は三億五、〇〇〇万円を下らぬものと考えていたこと、(2)前記東和レジスターとの取引につき、道路問題解決のため、岩手県観光開発公社(以下単に県開発公社という。)との関係から、給水設備等に約三、〇〇〇万円が見込まれたこと、(3)関山義人との取引に関し自然破壊による原状回復の関係が生じ、約二、五〇〇万円の支出が予則されたこと、(4)地権者との買入価額についての清算問題があったこと等により、収支決算をすると欠損と判定する要素があった。」旨主張する。

そこで、検討するに、被告人は、検察官が指摘(論告要旨第一の一〇)するように、申告額を超える多額の純利益があることを知っていた旨査察官の調査に対し詳細に自供(被告人の和年四七年六月二〇日付、同月二三日付、昭和四八年一月二二日付各質問てん末書等)しているのみならず、収支について、以下のような情況が認められる。

まず、収入の認識の点についてみると、さきに説示したとおり、本件は不動産業を営む被告人が、広大な山林を買収して転売し巨額の取引をなしたことが主要な収入源になっている事業であり、売上のほか礼金、手数料、仲介料等の巨額の収入を得ていたものである。しかるに被告人はこれらを、対応する費用等と共に一切申告せず、僅かに、仮装の仲介手数料収入として七八一万一、六四九円を計上し、必要経費二三六万五、二二四円、差引所得五四一万六、四二五円として申告していたこと(確定申告書符号二二号)、仕入先の地権者に対しては「仲介したようにする。税金を全部もってやる。」旨約したこと(被告人の昭和四七年六月二九日付質問てん末書)が認められる。もっとも不動産取引においては、前示第一の一、二のように仕入にかかる土地の共有持分の移転登記の一部が未了であったり、第一の三のように特約が付され、一部の履行が留保されていたことにより、税法上の収益の計上時期に関して若干の問題が生じていたことは否定できない。しかしながら、被告人は右の問題の取引だけでなく、他の売上、仕入等についても一切申告していないことの外、第一の一、二についてはさきに説示したように、売買契約が成立し、大部分の移転登記手続が終了し、代金も支払われていたのであり、未成立であったといえるのは主として藤田光孝の共有持分にかかる金額であり、その面積金額とも契約全体からすればとるに足りぬ僅かなもので契約全体の効果を左右するものとは到底考えられないものである。その余の共有持分の移転未了等の分についてもその占める額も比較的僅かで、昭和四六年度の取引として相当確実視されていたものであり、履行が遅れたことにより、権利確定の基準からみて翌年分の売上に計上するのが相当であるとしたものに過ぎない。第一の三についても売買代金一億〇、一〇〇万円のうちすでに九、八〇〇万円がなされ、移転登記、引渡も了し、特約条項に基づき三〇〇万円の支払が条件成就まで留保されていたにすぎない。以上によると、不動産取引が昭和四六年に成立したとは思わなかった旨の被告人の公判供述は信用できず、むしろ被告人が不動産取引について巨額の売上をことさら計上外としたものと認めるのが相当である。

次に被告人が欠損の認識を有したとの点について検討する。

(1)  三和プレシーザ関係について

第九回公判調書中証人小林昭一の供述部分、第一二回公判調書中証人柳沢義春の供述部分、昭和四八年一月三〇日付不動産取引別調査書、被告人の昭和四七年六月二一日付、同月二九日付(第二回)、同年九月二〇日付(二通)各質問てん末書、被告人の検面調書、第二一回、第二三回公判調書中被告人の供述部分、三和プレシーザ売買関係書類(符号二一六号)によれば、被告人は三和プレシーザとの間で、<1>昭和四六年一〇月一四日玉山村大字藪川大の平二一番四その外の山林(公簿面積一六二、三二〇坪、仕入額二、七八七万一、〇九〇円)を代金九、八〇九万五、二〇〇円で売渡す旨の契約を結び、年内に八、四〇〇万円の代金を受領し、<2>同年一一月五日同村大字藪川字外山二〇九番その外の山林(公簿面積五四四、二〇八坪、仕入額一億四、二〇〇万円)を売渡す旨の契約を結び、代金を受領し、<3>同月一九日同村大字藪川字外山二〇九番一その外の山林(公簿面積一六、六四七坪)を六六五万八、〇〇〇円で売渡す契約を結んだこと、しかし<1>の山林には県開発公社の共有持分二一分の四が含まれ、買収未了となっていたところ、年内に買収が困難との見とおしが出たので移転登記の一部や代金支払の一部が留保されていたところ、翌四七年右不履行により、同年三月二日被告人においてこれを一億六、九二一万五、六〇〇円で買戻す契約をし、<2>、<3>の山林についても昭和四六年内に周辺山林の売渡しが思うように進まず、翌四七年五月二九日被告人においてこれを三億六、四五五万円で買戻す契約をしてそれぞれ決済したことが認められる。以上によると、被告人の三和プレシーザとの取引は、昭和四六年に代金債権債務関係が確定したとは認めがたい(本件所得にも計上されていない。)のみならず、違約による損害の発生の可能性は全く予見し得なかったらけではないものの、それが具体化するのは翌年とみるべき情況下にあったと認めるのが相当であり、昭和四六年に解約による違約金が四億円余りに達することは見当がついていた旨の被告人の公判供述は信用できない。まして被告人はこれらの損益をも一切計上しなかったのであり、右違約金の負担のため納税申告をしたくなかったという被告人の心情は理解できるとしても、これがため昭和四六年分において欠損の認識を有していたとは認められない。

(2)  県開発公社について

被告人と東和レジスターとの取引状況は、前示第一の三に説示したとおり、三〇〇万円の支払累保分を除いて昭和四六年分に確定すべきものと認められ、他に損金を認容する余地はない。相川武の昭和四八年二月二〇日付質問てん末書並びに検面調書、第六回公判調書中証人塚田晃の供述部分、昭和四八年七月三〇日付検察官作成の報告書、第二一回公判調書中被告人の供述部分によれば、昭和四七年四月一二日付開発公社と竹沢脩間の土地売買契約書記載のとおり、給水施設の工事費は全額買主の負担と定められ、被告人の負担となるものではなかったこと、しかし、被告人は東和レジスターに対し、さきの取引のさい、開発公社管理の道路の使用を確約しており、これを履行するため、昭和四七年六月二〇日ころから開発公社のため給水設備工事をしその額は約三、〇〇〇万円に及んだこと(前記被告人供述部分)、昭和四八年に至って、東和レジスターから被告人の主宰する三菱産業開発株式会社が所定の土地を買受け、履行を了したことが認められるが、右給水工事費が昭和四六年に発生したとみられる情況は存せず、被告人が同年に右のような費用を計上すべきものとの認識を有していたとは認められない。

(3)  亀橋四三番の三の土地の原状回復の関係

柳沢義春の各質問てん末書および検面調書、毛利マチの各質問てん末書によれば、亀橋四三番の三の土地は、前記のとおり、被告人が昭和四五年に関山義人に売却したものであるが、その後、昭和四六年九月に毛利マチが三品建設の名義で関山義人から買受け、その際、被告人が右土地の道路工事を四、〇〇〇万円で毛利マチから請負い、右土地に関し自然破壊による原状回復の問題が生じたのはその後のことであり、被告人はそのための復元工事を佐々木末五郎等に依頼し、総額二、五一九万四、〇四〇円かけていることがそれぞれ認められるところ、右復元工事費用は本件の損金に計上されているばかりか、昭和四六年中に、右復元工事費用を大巾に超える所得があったことも明らかであるから、原状回復の関係で約二、五〇〇万円の支出が予則されたことをもって、被告人が欠損の認識を有したと認めることはできない。

(4)  地権者との清算問題

大蔵事務官作成の仕入調書及び不動産取引先別調査書にあるとおり、仕入金額は別紙1番号<16>ないし<20>のとおりであって、その中には、被告人が負担した不動産譲渡税等の諸経費分も含まれているところ、弁護人の主張する清算問題につき、被告人は各地権者との間で最終的に清算がついたのは昭和四八年にかかった旨供述しているが(第三一回公判調書中被告人の供述部分)、その金額時期等につき具体的な供述がなく、他に仕入金額につき認定額を超える金員を追加払いしたことを認めるに足る証拠もないことから、被告人の右供述は信用できない(仮に、追加払い等があったとしても、その額が本件で認定した所得を超えることはあり得ないと推認され、このことをもって欠損との認識を有したと認めることはできない)。

よって被告人が欠損の認識を有したとの主張も認めることができない。

以上により、被告人に脱税の犯意があったことは明らかである。

第六検察官の冒頭陳述書別紙一修正損益計算書の各勘定科目欄の金額と異なる認定をした理由について説明する。

一  同番号<1>および<4>については前記第一の一および三のとおりである。

二  同番号<25>については前記第三の四の1のとおりである。

三  同番号<32>については、検察官作成の支払経費調査書四枚目保険料欄中昭和四六年八月一七日支払金額二万二、三四〇円との記載が、岩手三菱自動車販売株式会社作成の回答書別紙記載の金額二万三、三四〇円と異なっていることによるものである。

同番号<40>については、右調査書七枚目車輛費の金額が一、〇〇〇円増えることにより、一、〇〇〇円減額することによるものである。

(法令の適用)

被告人の判示所為は所得税法二三八条一項に該当するところ、所定刑中併科刑を選択し、同条二項を適用してその罰金額は金五〇〇万円を超えその免れた所得税の額以下とすることとし、その刑期、並びに罰金額の範囲内で被告人を懲役一〇月および罰金一、四〇〇万円に処し、刑法一八条により右罰金を完納することができないときは、金五万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、同法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から三年間右懲役刑の執行を猶予することとし、訴訟費用については刑訴法一八一条一項本文を適用して全部被告人に負担させることとする。

(量刑理由)

被告人の本件犯行は、昭和四六年当時のいわゆる土地ブームの時勢に乗り、巨額の不動産取引に携わり、売上のほか、礼金、手数料等の巨額の収入を得ていたのにかかわらず、これらを対応する費用と共に一切申告せず、僅かに不動産仲介による収入のように仮装して過少の申告(実際の所得の五パーセント)をなし約六、七〇〇万余円の税を免れたものであって、その脱税額もこれまでに一、六九〇万余円を納付したにすぎないことを合らせ考慮すると、国家の課税権に対する侵害の度合は甚しく大きいものであり、被告人の刑責はまことに重いものといわなければならない。

ただ、本件においては、前記のとおり、三和プレシーザとの取引で昭和四七年以降に多額の違約金の負担が予測され、そのために昭和四六年分の真実の納税申告をしたくなかったという被告人の心情もある程度理解できること、不正手段の態様においてもことさら架空預金の設定、帳簿の不正操作など通常の脱税犯にみられるようなきわめて悪質なものはなかったこと、二、一五三万円の多額の重加算税を賦課されていること、事業が約一〇年前の昭和四六年分にかかるものであることなどの有利な情況があり、また、脱税金額も公訴事実の金額を四五三万八、二〇〇円下廻ったことを考慮し、主文掲記の刑を量定した。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小島建彦 裁判官 森本翅充 裁判官 松嶋敏明)

別紙1.

修正損益計算書

岩崎善吉

自 昭和46年1月1日

至 昭和46年12年31日

<省略>

<省略>

<省略>

別紙2.

脱税額計算書

自 昭和46年1月1日

至 昭和46年12月31日

<省略>

税額の計算

<省略>

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