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盛岡家庭裁判所一関支部 事件番号不詳 決定

少年 T(昭一九・一・二六生)

主文

少年を医療少年院に送致する。

理由

一、本件非行の事実

少年は、菓子製造販売業を営む父S、母M子の三男として生れ、一関市○○○町○○○番地所在の岩手県立○○高等学校全日制第二学年在学中の者であるが、中学校から同校に進学するに際しては大学への進学を志して入学し、父母及び長兄R等もこれに賛成をなしたものの、家業が次第に振わなくなるや、その実権を握る長兄は少年の大学進学を快よしとせず、授業料等の支出についても少年に投げ与えるなど事毎に辛く当るようになり又とかく家庭の融和を欠き不快な日を送つていたが、第一学年の三学期当時学校の授業時間中に大学受験準備の参考書を見ていたことから担任教師から注意を受けたこともあり、又英語の教師から級全員に対し試験の結果の不成績を指摘されたところ、自分も成績が良くなかつたことから自分のみが非難されたものと思い込み次第に学業を厭うようになつた。その後昭和三五年四月第二学年に進級したが、同校全日制の第一学期の期末試験が同年六月一五日から三日間の予定で行われることになつていたところ、たまたまその前日の六月一四日教室において、同級の某が試験を嫌い、学校が焼けてしまえばいいなどと口走つたのを聞き、帰宅後夜肩書自宅で受験勉強中ふとこれを思い出し自分も試験を嫌うのあまり、同校に放火して焼き試験の実施されるのを妨げようと企てた。そして、

(一)  翌六月一五日午前二時近く隣室の父母の寝ている部屋から広告用マツチを持出して前記学校校舎に至り、午前二時頃第二校舎階下西側二年B組の教室の教壇の教師用机の表下部付近の板の割れ目に所携のマツチをもつて点火して放火し同校舎に燃え移らせよつて同校宿直員の住居に使用する、同校校長○橋○昭管理に係る同校校舎のうち、第二校舎(木造二階建延三四〇坪)および旧理科室(木造平家建三〇坪)その他備品を全部焼燬し、

(二)  同校においては、前記火災により前記試験が延期され、同月一七日から実施されることになつていたところ、その前夜である同月一六日夜自宅において受験勉強していた少年は、更に同校校舎に放火しようと企て、前記放火の際使用したマツチを所持して翌一七日午前〇時三〇分近く、同校校舎に到り第一校舎階下西側階段下の物置にあつた空炭俵紙屑に右マツチをもつて点火して放火し、同校校舎に燃え移らせて、同じく第一校舎(木造二階建延三五一坪)その他備品を半焼し、

(三)  同校においては、前記二の火災により前記試験が更に延期され、同年七月一日から実施されることになつていたところ、その前日の同年六月三〇日学校から帰宅するや、残る校舎に放火しようと企て、午後三時頃自宅付近の同市○○町○○の八百屋○岩○方から二合びん入れサラダ油一本を買い求め、同夜自分の居室押入れからズボン二着シヤツ一枚、着物用の布端切等を取出し、これに右サラダ油を浸み込ませ更にこれを新聞紙二、三枚に包み、午後一〇時三〇分過ぎ頃再び前記校舎に到り、第三校舎西側女子用便所の外側で前記導火材を半分ずつに分け、その半分のものに更に所携の手拭をも包みこれに所携のマツチをもつて点火して右便所の窓からこれを内部に投入れたが、火の燃え上るのが見えなかつたため失敗したと思い、次いで当時自分の学級であつた二年O組の教室に当てていた第三校舎東側の旧柔道室の北側に到り、換気窓から残半分の前記導火材を内部に押し入れ、それに所携のマツチをもつて点火して放火し、よつて同じく第三校舎女子用便所の腰板および床板並びに旧柔道室の腰板や床板および換気窓に燃え移らせてこれらの一部を焼燬し、

(四)  前記三の放火後帰宅して火災のサイレンの鳴るのを待つたが、サイレンが鳴らなかつたため放火に失敗したことに気づき、自分の所為が発見されて警察に逮捕されるのをおそれ、いつそのこと自宅を焼いて死のうと考え、自宅の元風呂場の板壁にマツチで点火しようとしたが燃えなかつたため、その場から約一メートル離れた場所の、隣家である同市○○町××○山○郎方母屋東北角に接続した物置内に菰類のあることに気づき、これに放火して自宅に燃え移らせようと考え、マツチを擦つてこれを右菰に役げて点火したがその場にあつた前記○山所有の機械台、菰、空炭俵、板等の一部を焼燬したに止まりその目的を遂げなかつたものである。

二、適条 (一)ないし(三) 現住建造物放火 刑法第一〇八条

(四) 現住建造物放火未遂 同法第一〇八条第一一二条

三、(一)少年の家庭環境

少年の一家は、終戦後間もなく本籍地○○町○○の○○において製菓業を営むようになつたが、昭和二五年約五〇メートル離れた現住居に店舗を新築し、製菓業は同所で営み、本籍地の建物を生活の本拠として来た。昭和二八年長兄(現在三〇歳)が結婚してからは長兄夫妻のみが前記店舗に居住するようになつたが、昭和三〇年頃からは生活の本拠は右店舗の方に移り、居宅の方は父母、少年および店員一名(事件後去つた)の寝泊りと少年の勉強のためにのみ使用されるようになり、家族はバラバラになり家庭的ふん囲気が保たれないようになつた。従つて少年は、店舗で食事をする時と父母が就寝のため店舗から帰宅するまではほとんど孤独の生活をなして来た。

加えて店舗の経営は、青色申告の必要から長兄がなすようになり父母と長兄夫妻との仲もしつくりしないようになつたが、前記○○町○○の○○の建物は、本件発生後父が被害校再建のための特志寄附金捻出の必要から隣家である一の(四)記載の○山○郎に売却し、本年九月以降は一家は店舗を生活の本拠とするようになつた。

(二) 少年の生活史、性格等

少年は、八ヶ月の早産双生児の一人であり(他の女児は生後間もなく死亡した)体重は標準よりはるかに少なく、母乳だけで育つたが発育が遅かつた。

父母の末子でもあり体も弱かつた関係から甘やかされ可愛がられ母方の祖母が子守をして育てられた。

少年は、はしやいだかと思うと沈うつになり情緒不安定の点が認められるが、総じて抑うつ、無力、気分易変性であり精神的打撃に対する抵抗力は極めて弱いものと認められる。なお少年は中学校当時より幻聴(蝉や虫の声、一関市において消防署望楼から午前八時、午後〇時、午後八時にならすオルゴールの音等)を覚えるようになつた、というが精神鑑定の結果本件各非行時において軽度の精神分裂病による精神異常の状態にあつたし、現在もまたあるものと認められる。

(三) 従つてこのまま家庭に復帰させるのは適当ではなく、且つ治療の必要もあるので、施設に収容して矯正をなすべきである。

よつて、少年法第二四条第一項第三号、少年院法第二条第五項、少年審判規則第三七条第一号を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 阿部市郎右)

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