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知財高等裁判所 平成18年(ネ)10008号 判決 2009年1月14日

控訴人(附帯被控訴人)

(1審被告。以下単に「控訴人」という。)

指定代理人

石田真人

武藤洋美

龍野光利

山内孝夫

清寺貴幸

被控訴人(附帯控訴人)

静清信用金庫

(1審原告。以下単に「被控訴人」という。)

訴訟代理人弁護士

宮原守男

倉科直文

加藤静富

野末寿一

宮田逸江

主文

1  控訴人の控訴に基づいて,第1審判決を次のとおり変更する。

(1)  控訴人は,被控訴人に対し,2162万5000円及びこれに対する平成9年11月17日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

(2)  被控訴人のその余の請求を棄却する。

2  本件附帯控訴を棄却する。

3  訴訟費用については,本件訴え提起の手数料は,17分の1を控訴人の負担とし,17分の16を被控訴人の負担とし,その余の訴訟費用はすべて各自の負担とする。

事実及び理由

第1当事者の求めた裁判等(訴訟費用に係る部分は省略)

1  第1審

(1)  原告(被控訴人)の請求の趣旨

被告(控訴人)は,原告(被控訴人)に対し,3億6000万円及びこれに対する平成9年11月17日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

(2)  第1審判決の主文

ア 被告(控訴人)は,原告(被控訴人)に対し,1億8000万円及びこれに対する平成9年11月17日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

イ 原告(被控訴人)のその余の請求を棄却する。

2  第2審

(1)  控訴の趣旨

ア 原判決中,控訴人の敗訴部分を取り消す。

イ 被控訴人の請求を棄却する。

(2)  被控訴人の附帯控訴の趣旨

ア 原判決を次のとおり変更する。

イ 控訴人は,被控訴人に対し,3億3000万円及びこれに対する平成9年11月17日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え(被控訴人は,第2審において,従前の請求金額を減縮した。)。

(3)  第2審判決の主文

ア 原判決中,控訴人の敗訴部分を取り消す。

イ 被控訴人の上記取消しに係る部分の請求を棄却する。

ウ 被控訴人の本件附帯控訴を棄却する。

3  上告審判決(最高裁判所平成17年(受)第541号)の主文

(1)  原判決(第2審判決)を破棄する。

(2)  本件を東京高等裁判所に差し戻す。

第2事案の概要等

(以下,略語については,後記第4の1に示した,上告審判決の例による。)

1  事案の概要

本件は,上告審判決の「理由」欄の「上告代理人宮原守男ほかの上告受理申立て理由第1及び第2について」の2に記載のとおり,被控訴人が,特許庁の担当職員の過失により本件質権設定登録が受付の順序に従ってされず,本件質権の効力が生じなかったために,本件債権の回収をすることができなくなって損害を被ったと主張して,控訴人に対し,国家賠償法1条1項に基づき,3億3000万円(内金3000万円は弁護士費用)の損害賠償及び遅延損害金を求めるものである。

これに対し,控訴人は,本件質権設定登録が本件特許権移転登録に後れてされたことにつき,特許庁の担当職員に過失があったことは争わないが,本件において被控訴人の損害算定の基礎となるべき「平成10年3月ころの本件特許権の適正な価額」は,本件特許権の実施状況や,本件特許権が消滅するまでの事実経緯に照らしても,無価値に近い極めて僅少な額になると主張して,被控訴人の請求を争うほか,過失相殺及び消滅時効を主張している。

2  本件訴訟の経緯

本件訴訟については,第1審裁判所(静岡地方裁判所)が,平成15年6月17日,前記第1の1(2)のとおり,「控訴人(1審被告)は,被控訴人(1審原告)に対し,1億8000万円及びこれに対する平成9年11月17日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。」との請求一部認容の判決(第1審判決)をしたところ,控訴人(1審被告)がこれを不服として控訴し,第2審裁判所(東京高等裁判所)が,平成16年12月8日,前記第1の2(3)のとおり,「原判決中,控訴人の敗訴部分を取り消す。被控訴人の上記取消しに係る部分の請求を棄却する。被控訴人の本件附帯控訴を棄却する。」との被控訴人全部敗訴(請求全部棄却)の判決(第2審判決)をした。

そこで,被控訴人(1審原告)がこれを不服として上告及び上告受理の申立てをしたところ,最高裁判所は,平成17年10月25日,上告棄却決定をしたが,上告を受理して,平成18年1月24日,前記第1の3のとおり,第2審判決を破棄して東京高等裁判所に差し戻すとの判決(上告審判決)をしたので,これを受けて,当裁判所において再び審理することとなったものである。

3  第1審判決,第2審判決及び上告審判決の概要

(1)  第1審判決は,次のとおり判断し,原告(被控訴人)の請求を1億8000万円の限度で認容すべきものとした。

本件質権は,富士千橋梁土木株式会社(以下「富士千」という。)から株式会社磯畑検査工業(以下「磯畑」という。)への本件特許権移転登録がなされた平成9年11月17日の時点において,対抗要件の点で,その設定の効力を主張できなくなったから,本件質権の喪失・消滅という損害は,その時点(平成9年11月17日の時点)で発生した。三井物産株式会社(以下「三井物産」という。)は,平成9年11月,磯畑から本件特許権及びその他の発明を代金4億円で買い受けたが,その大部分が本件特許権の対価と認めるのが相当であり,本件特許権の価額は控えめにみても3億円は下らない。しかるに,特許権担保の場合,その価値が不動産担保のときよりも不安定であり,かつ,市場性に欠け,換価も容易でないと予想されることから,本件質権自体の価額は,本件特許権の価額(3億円)の6割である1億8000万円と評価するのが相当である。

(2)  これに対し,第2審判決は,次のとおり判断し,第1審判決中,控訴人の敗訴部分を取り消して,被控訴人の請求を棄却すべきものとした。

本件質権設定登録がされていた場合でも,本件特許権等についての譲渡契約が,本件同様に成立し,かつ,本件質権設定登録を抹消するために被控訴人に相当額が交付されるに至ったものとは認定し難いといわざるを得ないから,本件質権設定登録が本件特許権移転登録に先立ち正しくされていたとしても,被控訴人が本件質権に基づき本件債権の弁済を受けることが可能であったともいい難い。したがって,本件においては,特許庁の担当職員の過失により被控訴人に現実に損害が発生したものとは認めることができない。

(3)  これに対し,上告審判決は,第2審の上記判断は是認することができないとして,次のとおり説示し,本件については,損害額の認定等につき更に審理を尽くさせる必要があるとして,原審に差し戻し,当裁判所が審理をすることとなった。

「特許庁の担当職員の過失により特許権を目的とする質権を取得することができなかった場合,これによる損害額は,特段の事情のない限り,その被担保債権が履行遅滞に陥ったころ,当該質権を実行することによって回収することができたはずの債権額というべきである。」

本件の「事実関係に照らせば,本件債権は,富士千が銀行取引停止処分を受けて期限の利益を喪失した平成10年3月23日の時点で履行遅滞に陥ったものと認められ,しかも上記特段の事情はうかがわれないから,そのころ,本件質権を実行することによって回収することのできたはずの本件債権の債権額が本件質権を取得することができなかったことによる損害額というべきである。そして,本件質権には,これに優先する担保権は存在しないから,結局,平成10年3月ころの本件特許権の適正な価額から回収費用を控除した金額(それが本件債権の債権額を上回れば同債権額)が,本件質権を取得することができなかったことによる損害額となる。」

「そこで,平成10年3月ころの本件特許権の適正な価額について検討する。特許権の適正な価額は,損害額算定の基準時における特許権を活用した事業収益の見込みに基づいて算定されるべきものであるところ,本件の事実関係によれば,①富士千が,平成8年3月,特許出願中の本件特許権を構成する技術の一部を用いたFS床版工法を発表したところ,多数の新聞に取り上げられ,多数の企業等から同工法についての照会や資料請求があったこと,②富士千から本件特許権の譲渡を受けた磯畑は,平成9年11月,三井物産に対し,本件特許権等を代金4億円で譲渡したこと,③三井物産は,富士千らと共に本件特許権の事業化に取り組み,平成10年4月,スーパーMSG床版という商品名でパンフレットを作成し,その販売営業に努力したこと,④三井物産は,本件特許権の事業化の障害となる本件質権設定登録を抹消するため,平成10年5月,被控訴人に対し,その抹消登録手続を求める訴えを提起し,平成10年7月,勝訴判決を得て,平成10年10月,その目的を達したこと,⑤三井物産は,最終的には,本件特許権の事業化は採算が合わないものと判断してこれを断念し,平成12年10月までに本件特許権の第5年分の特許料の支払をしなかったため,本件特許権が消滅したが,それまでは同事業化の努力をしていたことが明らかである。以上に照らすと,本件特許権は,最終的には三井物産による事業化に成功せず,平成12年10月に消滅するに至ったというのであるが,本件債権が履行遅滞に陥った平成10年3月ころには,事業収益を生み出す見込みのある発明として相応の経済的評価ができるものであったということができ,本件質権の実行によって本件債権について相応の回収が見込まれたものというべきである。」

「以上によれば,被控訴人には特許庁の担当職員の過失により本件質権を取得することができなかったことにより損害が発生したというべきであるから,その損害額が認定されなければならず,仮に損害額の立証が極めて困難であったとしても,民訴法248条により,口頭弁論の全趣旨及び証拠調べの結果に基づいて,相当な損害額が認定されなければならない。」

第3当事者双方の主張

上記の損害額の点についての当事者双方の主張は,次のとおりである。

1  被控訴人の主張

(1)  上告審判決は,本件損害は「平成10年3月ころの本件特許権の適正な価額から回収費用を控除した金額」であるとし,その「適正な価額」とは,「損害額算定の基準時(平成10年3月ころを指す)における特許権を活用した事業収益の見込みに基づいて算定されるべきもの」であるとする(7頁14行~8頁1行)。

ここでいう事業収益の「見込み」とは,その基準時において経済人が行う経済的評価としての「見込み」のことであって,その時点までの当該発明ないし技術が生み出された経緯や関係者が示していた関心や行動の経緯,当該技術の性格,事業化の前提となる経済環境や事業環境に対する判断などを踏まえつつ,当該評価者の経営政策をも踏まえて行なう経済的な予測的判断のことである。したがって,その評価は本来的に相対的なものであり,これに付けられる価額も売手と買手の相対的な関係の中で決まるものであり,時間的経過に応じてその価額も変動する。現実に行われた取引があるときは,まさにその取引において決められた価額こそが,「適正な価額」というべきである。

この相対的で予測的な経営的判断,経済的評価に基づき,売手と買手の相対的な関係の中から形成される価額という観点を捨象して,対象特許権の「客観的」価値(もしくは絶対的価値)なるものを分析的に考察することや,あるいは基準時の後に生じた事象をもとに事後的,回顧的に特許権の価値を検討(実際にはマイナス面ばかりを強調すること)して,否定的な「価額」評価を出し,これを基準時まで遡らせるような議論の仕方は,損害論として失当である。

(2)  上告審判決は,①富士千が平成8年3月に本件特許権を構成する技術の一部を用いたFS床版工法を発表し,多数の新聞に取り上げられ,多数の企業等から照会や資料請求があったこと,②平成9年11月,本件特許権等が代金4億円で三井物産に譲渡されたこと,③三井物産が本件特許権の事業化に取り組み,平成10年4月にその商品のパンフレットを作成して販売営業に努力したこと,④三井物産が本件特許権の事業化の障害となる本件質権設定登録を抹消するための訴訟を平成10年5月に提起し,勝訴判決を得たこと,⑤三井物産は,本件特許権事業化の努力を平成12年10月まで行ったこと,を指摘した上で,「平成10年3月ころには,事業収益を生み出す見込みのある発明として,相応の経済的評価ができるものであった」(8頁1行~19行)と判示しており,控訴人主張のような,見当違いの「客観的な価値」論ないし事後の現象から遡って基準時の「見込み」の内容を決めつける議論に陥って非常識な結論に到達することの誤りを明らかにしている。

(3)  鑑定書に対する被控訴人の意見は,次のとおりである。

ア 鑑定書は,本件における回収見込額は,特定の技術要素のみに対応する本件特許権の評価額515万6000円から質権実行費用350万円を控除した165万6000円であると結論を述べる。

しかし,平成10年3月ころに事業収益を生み出す見込みのある発明として付される相応の経済的評価の額を,特定の技術要素のみに対応する本件特許権の評価額とする鑑定書の考え方は,本件損害額算定のための議論としては不相当で,実態からかけ離れたものである。

イ 上告審判決は,本件損害の算定は,平成10年3月頃,本件質権を実行することによって回収することのできたはずの本件債権の債権額によるべきであり,したがって結局,平成10年3月ころの本件特許権の適正な価額から回収費用を控除した金額によって行われるべきものと判示している。

しかし,そこでいう「本件特許権の適正な価額」は,本件特許権の技術的評価をもとにした「客観的な価値」及びそれを前提とした「本件特許権の経済的価値」なるものを事後的に認定することによって得られるべきものではない。

先の控訴審判決は,本件特許権が技術的,客観的に経済的価値のないものであったとする控訴人の主張を採用して,被控訴人が,本件質権に基づいて,その被担保債権の弁済を受けることが可能であったともいい難いとして損害額をゼロとした。しかし,上告審判決は,この控訴審判決の結論を誤りであるとして破棄し,差し戻している。

上告審判決は,本件特許権の適正な価額の算定については,①富士千が平成8年3月に本件特許権を構成する技術の一部を用いたFS床版工法を発表し,多数の新聞に取り上げられ,多数の企業等から照会や資料請求があったこと,②平成9年11月,本件特許権等が代金4億円で三井物産に譲渡されたこと,③三井物産が本件特許権の事業化に取り組み,平成10年4月にその商品のパンフレットを作成して販売営業に努力したこと,④三井物産が本件特許権の事業化の障害となる本件質権設定登録を抹消するための訴訟を平成10年5月に提起し,勝訴判決を得たこと,⑤三井物産は,本件特許権事業化の努力を平成12年10月まで行ったことなどの,本件特許権をめぐる平成10年前後の社会的事実,社会的事象をもとに,平成10年3月ころには,事業収益を生み出す見込みのある発明として相応の経済的評価ができるものであったと判示している。

かかる判示から明らかなように,上告審判決のいう事業収益の「見込み」とは,本件特許の出願時において,上記①~⑤の社会的事実,社会的事象の認識を判断材料とする経済人の予測判断としての,事業収益を生み出す見込みのことである。それは,競争的ビジネスの世界に生きる経済人が,平成10年3月の時点において本件特許権が質権実行の事態となったことを知ったときに,時機を逸することなく行う経営判断としての,事業収益を生み出す見込みのことである。

すなわち,本件における損害額算定の方法論としては,本件特許権の技術的評価をもとにした「客観的な価値」とか,本件FS床版事業化の成否見込み等について本件特許の出願時以降に生じた事象をも考慮しつつ事後的かつ学術ないし専門的に検討する方法によって「本件特許権の経済的価値」を認定し,これをもとに本件の損害額を算定する資料とすることは,上告審判決の趣旨に反し,失当である。

ウ 本件質権の実行による「回収見込額」の検討に当たり,鑑定書は,本件では基準時時点まで富士千とともに事業化を進めていた三井物産,東燃株式会社その他これらの子会社が存在したのであるから,質権実行のために競売を前提とする必要はなく,また,入札方式をとると競合他社による落札の危険があるために,結局,被控訴人と三井物産等との間で「相対取引」を行うことがより現実的な質権実行の形態であると指摘している。

しかるに,三井物産は,実際に,平成9年11月の段階で「相対取引」により,本件特許権とそれに関連する特許権(登録出願中のものを含む)を合わせて4億円で譲渡を受けた事実がある。そして,鑑定書の分析によっても,この平成9年11月の時点の譲渡価額4億円の大部分は,本件特許権の対価であるとされる。

そして,平成10年3月の時点で本件特許権について質権実行手続が開始して三井物産と「相対取引」が行われたとした場合でも,これを大幅に下回る価額決定となることをうかがわせる事情はない。鑑定書も,平成9年から鑑定基準日である平成10年3月までの間に,技術に対する信頼性を損なう事態も生じていない,と指摘している。むしろ,入札段階となった場合には競合他社による落札の危険を考慮せざるを得ないのであるから,既にその事業化にコミットしていた三井物産としては,質権実行開始後は早期に相対取引により購入する必要性が高く,その時点で入手している限られた情報と,商人として培ってきた経験とリスク・テーキングの精神を頼りにした決断としての,相応の経済的評価をするよりほかはない。

すなわち,平成10年3月の基準時における本件特許権の質権実行による回収可能額は3億6000万円(被担保債権の元本額)を下回ることはあり得ない。

(4)  したがって,控訴人は,被控訴人に対し,特許庁の担当職員が本件質権の設定登録の順位を誤った過失により,損害賠償として3億円及び弁護士費用3000万円の支払義務を負うものというべきである。

2  控訴人の主張

(1)  本件において被控訴人の損害算定の基礎となるべき「平成10年3月ころの本件特許権の適正な価額」は,本件特許権の客観的価値について判断すべきところ,本件特許権の実施状況や,本件特許権が消滅するまでの事実経緯に照らしても,無価値に近い極めて僅少な額になるものと認められる。また,何らかの損害が認定されるとしても,「損害額」についてはそこから回収費用が控除され,さらに被控訴人の過失につき過失相殺もされるべきであるから,損害額はいかに解しても僅少額にとどまらざるを得ない。

(2)  鑑定書に対する控訴人の意見は,次のとおりである。

ア 本件発明を含むFS床版事業を実施しようとする場合には,FS床版の発明である①「特願平6-278346号(特開平8-113917号)」,支持部材に関する発明である②「特願平8-161162号(特開平9-316826号)」を活用する必要がある。しかるに,富士千が,平成10年1月7日,金子事務所株式会社に対し,両発明を譲渡する旨両者が合意し,平成10年2月24日,特許庁に対し,出願人名義変更届が提出されている(乙39~42)。同名義変更届は,特許庁への届出の手続に不備があり,その不備が補正されなかったため,①については平成11年5月6日,②については平成11年4月5日にその手続が却下され,譲渡の効力が生じなかった(特許法34条4項)が,本件特許の基準時前において,上記両発明に係る特許を受ける権利が第三者に譲渡されていたという事実は,FS床版事業の継続に関してリスク要因になると考えられる。

イ 鑑定書は,平成8年当初の単位当たりの売上高3万4400円/m2と比較すると,3万1000円/m2はその10%減額に相当する,としながらも,4000円/m2という単位当たりの利益は依然確保されているとして,販売単価の減少を単位当たりの利益に反映させていない。しかし,これは生産性を向上させることにより変動費を圧縮したとみるべきではなく,市場競争力を確保するため目標利益率を減少させたとみるのが相当である。

ウ 鑑定書においては,インカム・アプローチによる評価の検討に際し,8つのシナリオが検討され,市場占有率として,Ⅰ型鋼格子床版・合成床版技術の中の占有率として25%は確保できるとするシナリオを想定するとしているが,Ⅰ型鋼格子床版・合成床版技術は,10種類以上に細分でき,それらが均等に市場占有をしていないとしているにもかかわらず,占有率25%という想定は高すぎる。すなわち,市場占有率を検討するに当たっては,橋梁用床版工法市場における需要の価額弾力性を考慮要素に加える必要があり,上記占有率を達成するには,単位当たり利益は,想定されている値よりも更に減少させることが不可欠と考えられる。

(3)  過失相殺

仮に本件について控訴人に損害賠償義務があるとしても,被控訴人には次のような過失があるから,被控訴人の損害額を算定するに当たっては,相当額について過失相殺がされるべきである。

ア 被控訴人が,富士千から本件質権の被担保債権の回収ができなかったのは,富士千に対する与信判断の誤りに基づくものである。富士千は,本件質権設定がされた平成9年9月1日当時において,与信を継続するのに不適当な経営状態にあった。したがって,被控訴人が被担保債権を回収できなかったことについては,被控訴人にも過失がある。

イ 被控訴人は,富士千に対する融資に先立ち,本件特許権の担保評価を行っていないか,又は誤って評価したものと考えられる。正確な評価を行っていたならば,本件特許権の価値を正しく認識することができ,富士千に対する貸付けを実行せず,与信の継続を止め,その段階で貸付けの回収を図ることができたはずである。したがって,被控訴人においては,この点についても,本件質権の被担保債権の回収ができなかったことについて,金融機関としての過失がある。

ウ 金融機関においては,抵当権や質権の設定手続をした場合,登記,登録が経由されたことを確認するのが通常である。被控訴人においては,磯畑に対する本件特許権移転登録がなされた平成9年11月17日より前に,本件質権の設定登録の有無を確認すべきであり,その上で,富士千に対し直ちに貸付金を弁済させたり,財産を差し押さえたりする等の適切な処置を執ることが可能であった。したがって,被控訴人にはこのような確認を怠った過失も存在する。

(4)  消滅時効の援用

被控訴人の当審における弁護士費用の請求は,本件訴訟の提起時(平成12年2月9日)から3年以上経過した後になされたものである。したがって,控訴人は,同請求部分について消滅時効を援用する。

第4当裁判所の判断

1  事実関係の概要等

事実関係の概要等は,上告審判決の「理由」欄の1(1)~(10)に記載された,次のとおりのものである(これらの事実は,当審に至って実質上争いがなくなった。なお,(8)の事実については,念のため,関係証拠を摘示した。)。

(1)  富士千は,橋梁土木工事等を目的とする会社であり,平成6年12月14日,発明の名称を「鉄筋組立用の支持部材並びにこれを用いた橋梁の施工方法」とする発明(以下「本件発明」という。)について特許出願をした。同出願に係る特許は,平成8年10月3日,特許番号第2568987号として,設定登録がされた(以下,この特許権を「本件特許権」という。)。

本件発明は,橋梁を構成する床版を作るために用いる鉄筋組立体の支持部材及びこの支持部材を用いた橋梁の施工方法に関するものであり,従来の床版が橋台上に渡された橋桁の上で枠組内に鉄筋を組み込むという方法を採り,高所での危険な作業を伴っていたことから,橋桁上での作業を極力少なくし,鉄筋の組立作業を簡単に行うことができるようにした鉄筋組立体の支持部材を提供し,この支持部材を用いた橋梁の施工方法を提供するものである。

(2)  富士千は,平成8年3月26日,本件発明を構成する技術の一部を用いたFS床版工法を発表した。同工法は,翌日以降発行の多数の新聞に取り上げられ,また,同月末ころから2週間余の間に多数の企業等から富士千に対して同工法についての照会や資料請求があった。

(3)  被控訴人は,平成7年4月25日に富士千との間で富士千が手形交換所の取引停止処分を受けたときには当然に期限の利益を喪失する旨の信用金庫取引約定を締結していたが,平成9年8月19日,富士千に対し,証書貸付けの方法で,弁済期を平成13年1月5日,利息を年3.875%,損害金を年14.5%とする約定で,3億6000万円を貸し付け(以下,この貸付けに係る債権を「本件債権」という。),平成9年9月1日,これを担保するため,富士千から,本件特許権を目的とする質権(以下「本件質権」という。)の設定を受けた。

被控訴人は,同月2日,富士千の単独申請承諾書を添付して,特許庁長官に本件質権の設定登録(以下「本件質権設定登録」という。)を申請し,同月3日,受付番号第3185号として受け付けられたが,後記(6)のとおり,同年12月1日まで,その登録がされなかった。

(4)  富士千は,本件質権の設定に先立つ平成9年8月31日,本件特許権を磯畑に譲渡しており,磯畑は,同年9月12日,富士千の単独申請承諾書を添付して,特許庁長官に本件特許権の移転登録(以下「本件特許権移転登録」という。)を申請し,同月16日,受付番号第3330号として受け付けられ,同年11月17日,特許登録原簿の甲区欄にその登録がされた。

(5)  磯畑は,平成9年11月,三井物産に対し,本件特許権及び本件発明の関連発明である①発明の名称を「床版縁切り装置及び床版縁切り工法」とする特許権(特許番号第2683604号),②発明の名称を「橋桁,橋桁構成体及び橋桁の施工方法」とする特許出願(平成8年特許願第315624号)に係る特許を受ける権利,③発明の名称を「橋桁用の床版躯体と床版施工法」とする工法(フープラップ工法。特許出願予定)に係る特許を受ける権利を代金4億円で譲渡した。磯畑と三井物産は,本件特許権及び上記①の特許権につき,特許庁長官に特許権の移転登録を申請し,平成9年11月27日,受付番号4295号,第4296号として受け付けられ,平成10年2月23日,特許登録原簿の甲区欄にその登録がされた。

(6)  本件質権設定登録については,平成9年12月1日,登録年月日をさかのぼって同年11月17日付で特許登録原簿の丁区欄に順位1番でその登録がされたが,その後,職権により,次の更正登録がされた。

ア 職権更正

原因  平成9年12月1日  遺漏発見

質権の設定登録の追加更正

登録年月日  平成9年12月1日

イ 職権更正

原因  平成10年5月15日  遺漏発見

順位1番に登録すべき職権更正

登録の追加更正登録年月日  平成10年5月15日

(7)  三井物産は,平成10年5月,被控訴人に対して本件質権設定登録の抹消登録手続を求める訴えを提起し,東京地方裁判所は,同年7月24日,三井物産の請求を認容する旨の判決を言い渡し,同判決は確定した。そして,本件質権設定登録は,同年10月8日,抹消された。

(8)  ①富士千が,平成8年3月,特許出願中の本件特許権を構成する技術の一部を用いたFS床版工法を発表したところ,多数の新聞に取り上げられ,多数の企業等から同工法についての照会や資料請求があった。②富士千から本件特許権の譲渡を受けた磯畑は,平成9年11月,三井物産に対し,本件特許権等を代金4億円で譲渡した。③三井物産は,富士千らと共に本件特許権の事業化に取り組み,平成10年4月,スーパーMSG床版という商品名でパンフレットを作成し,その販売営業に努力した。④三井物産は,本件特許権の事業化の障害となる本件質権設定登録を抹消するため,平成10年5月,被控訴人に対し,その抹消登録手続を求める訴えを提起し,平成10年7月,勝訴判決を得て,平成10年10月,その目的を達した。⑤三井物産は,最終的には,本件特許権の事業化は採算が合わないものと判断してこれを断念し,平成12年10月までに本件特許権の第5年分の特許料の支払をしなかったため,本件特許権が消滅したが,それまでは同事業化の努力をしていた。(甲10,乙3の1,2,21,25,証人A及び弁論の全趣旨)

(9)  他方,富士千は,平成10年3月23日,2度目の不渡りを出し,銀行取引停止処分を受け,事実上倒産した。これにより,富士千は,本件債権につき,期限の利益を喪失した。

(10)  また,磯畑は,平成10年11月ころ,事実上倒産した。なお,三井物産は,磯畑の倒産前に本件特許権等の譲渡代金4億円のうち3億5000万円を支払っており,残金5000万円の代金債務については,磯畑の倒産後に,磯畑に対する資材の売掛代金債権及び手形債権と相殺した。

2  上告審判決の説示

前記第2の3記載のとおり,上告審判決は,本件については,損害額の認定等につき更に審理を尽くさせる必要があるとして,原審に差し戻し,当裁判所が審理をすることとなったものであるが,同判決は,被控訴人には特許庁の担当職員の過失により本件質権を取得することができなかったことにより損害が発生したというべきであるから,その損害額が認定されなければならない,平成10年3月ころの本件特許権の適正な価額から回収費用を控除した金額(それが本件債権の債権額を上回れば同債権額)が同損害額となる,特許権の適正な価額は,損害額算定の基準時における特許権を活用した事業収益の見込みに基づいて算定されるべきものであるところ,本件特許権は,平成10年3月ころには,事業収益を生み出す見込みのある発明として相応の経済的評価ができるものであったということができ,本件質権の実行によって本件債権について相応の回収が見込まれたものというべきであると説示する。

これを受けて,当事者双方は,差戻し後の当審において,本件の損害額に絞って主張を展開している。そこで,当裁判所は,被控訴人が本件質権を取得することができなかった損害の額(弁護士費用を含む。)について判断する。

3  損害の額の検討の手法

(1)  当裁判所の判断

被控訴人が本件質権を取得することができなかった損害の額を算定するためには,本件特許権の適正な価額を,質権実行によって回収することになる平成10年3月ころの時点において,本件特許権を活用した事業収益の見込みに基づいて算定することが必要である。しかるに,本件特許権を活用した事業収益の見込みとは,FS床版事業の収益の見込みを算定することにほかならないところ,FS床版事業が事業収益を生み出す見込みを有するとすれば,それは,本件特許権の活用のみによるものではなく,様々な技術,技能,広範な営業活動,さらにはその前提になる当該事業主体の組織,信用,資本等によるものというべきである。

そうすると,その中から本件特許権の活用による部分を正しく算定するためには,本件発明自体の技術的位置付け,本件特許権の経済性及び市場性の観点からの位置付けについての検討が不可欠というべきである。そして,かかる検討を踏まえて,本件特許権を含むFS床版事業について評価した額を算定した上で,同評価額に対する技術の寄与度を考慮して本件特許権を含む特許網の評価額を算出し,さらに同評価額に対する本件特許権の割合を考慮して本件特許権の有する技術内容に応じた相応の評価額を得て,これをもって上記損害の額と認定するという手法によるのが相当である。

(2)  被控訴人の主張に対する判断

ア 被控訴人は,平成10年3月ころに事業収益を生み出す見込みのある発明として付される相応の経済的評価の額を,特定の技術要素のみに対応する本件特許権の評価額とする考え方は,本件損害額算定のための議論としては不相当で,実態からかけ離れたものであると主張する。

しかし,ある技術群を用いて遂行される床版事業が事業収益を生み出す見込みについて経済的見地から判断する場合も,採算性を検討するのが合理的かつ自然というべきであるから,その判断は,用いられる技術群の技術内容を把握・確定しその実質的価値を正確に把握した上で,これに基づいて今後の受注の見込み,工期短縮やコスト削減の可能性,投入できる人的組織や物的設備の程度等を考慮して総合的になされるものである。そうすると,経済的見地から採算性を検討して評価する過程においても,技術内容の把握・確定やその実質的価値の正確な把握は不可欠の前提になるというべきである。また,本件の損害額は,被控訴人が本件特許権に設定されるべき本件質権を取得することができなかった損害の額であって,被控訴人が取得できなかったものがFS床版事業全体の担保価値ではない以上,事業収益を生み出す元のあくまで一つとして,本件質権の対象である本件特許権の有する個別の技術内容を問題とせざるを得ない。

以上によれば,被控訴人の上記主張は採用することができない。

イ 被控訴人は,事業収益の「見込み」とは,その基準時において経済人が行う経済的評価としての「見込み」のことであって,その時点までの当該発明ないし技術が生み出された経緯や関係者が示していた関心や行動の経緯,当該技術の性格,事業化の前提となる経済環境や事業環境に対する判断などを踏まえつつ,当該評価者の経営政策をも踏まえて行う経済的な予測的判断のことであるから,その評価は本来的に相対的なものであり,これに付けられる価額も売手と買手の相対的な関係の中で決まり,時間的経過に応じてその価額も変動すると主張する。

しかし,被控訴人の指摘する各要素が受注や受注額の決定の際に考慮されるとしても,ある技術群を用いて遂行される床版事業における事業収益の「見込み」については,採算性の観点から受注や受注額の見込みを把握する必要があり,これを具体的に検討する過程で,技術内容の把握・確定やその実質的価値の正確な把握がその判断の重要な基礎になることに変わりはない。そして,このことは,当該判断が売手と買手の相対的な中で,予測的判断として行われるという側面を指摘したとしても左右されるものではない。

以上によれば,被控訴人の上記主張は採用することができない。

4  本件特許権を含むFS床版事業の価値評価額について

(1)  本件発明について

ア 本件発明は,橋梁を構成する床版を作るために用いる鉄筋組立体の支持部材及びこの支持部材を用いた橋梁の施工方法に関するものであり,従来の床版が橋台上に渡された橋桁の上で枠組内に鉄筋を組み込むという方法を採り,高所での危険な作業を伴っていたことから,橋桁上での作業を極力少なくし,鉄筋の組立作業を簡単に行うことができるようにした鉄筋組立用の支持部材を提供し,この支持部材を用いた橋梁の施工方法を提供するものである(上告審判決の「理由」欄の1(1)参照)。

イ 本件発明にかかる本件特許権について,その特許請求の範囲は,次のとおりである。

【請求項1】 上下方向に一定の高さを有する部材であって,前記部材の上端と下端とにそれぞれ鉄筋の把持手段を有し,前記部材の面に連結棒を受け入れる少なくとも一つ以上の孔を有することを特徴とする鉄筋組立用の支持部材。

【請求項2】 前記支持部材は下方に延びる脚部分を有し,前記脚部分は前記下端の把持手段により把持される鉄筋と床版作成時に用いる型枠の下面との距離に応じて寸法が規定されることを特徴とする請求項1記載の鉄筋組立用の支持部材。

【請求項3】 前記支持部材は,その両面を貫通する切り欠きを有することを特徴とする請求項1又は2記載の鉄筋組立用の支持部材。

【請求項4】 上下方向に一定の高さを有する部材であって,上端と下端とにそれぞれ把持手段を有し,前記部材の面に連結棒を受け入れる少なくとも一つ以上の孔を有する支持部材を二本の主筋の間に位置させ,前記上下の把持手段でそれぞれ前記二本の主筋を把持させて,二本の主筋の組を複数作成する工程と,前記二本の主筋の組を平行に並べて,対向する前記支持部材の孔に連結棒を差し込んで前記二本の主筋の組どうしを立てた状態で保持して主筋組立体を作成する工程と,型枠を作成する工程と,前記主筋組立体を前記型枠内に固定する工程と,前記主筋組立体に対して,前記主筋と直交する方向に配力筋を組み入れて固定する工程と,前記型枠内に生コンクリートを流し込み硬化させて床版を作成する工程とを有することを特徴とする鉄筋組立用の支持部材を用いた橋梁の施工方法。

ウ 本件特許権について,本件明細書(甲2)の【発明の詳細な説明】には次の記載がある。

(ア) 産業上の利用分野

「本発明は,橋梁を構成する床版を作るために用いる鉄筋組立体の支持部材並びにこの支持部材を用いた橋梁の施工方法に関する。」(段落【0001】)

(イ) 発明が解決しようとする課題

「本発明は…,橋桁上での作業を極力少なくし,鉄筋の組み立て作業を簡単に行えるようにした鉄筋組立用の支持部材を提供し,またこの支持部材を用いた橋梁の施工方法を提供することを目的とする。」(段落【0006】)

(ウ) 作用

「請求項1の発明によれば,二本の鉄筋の間に支持部材を位置させて,上下の把持手段でそれぞれ鉄筋を平行な状態で把持することができる。また隣り合う二本の鉄筋の組において対向して位置する支持部材の孔に,連結棒を通して固定するだけで,二本の鉄筋の組を各々立てた状態で保持できる。(段落【0011】)

「請求項2の発明によれば,各支持部材を同じ高さに位置させることができるから,支持部材により上下で把持される鉄筋も,それぞれ同じ高さに平行に保持される。」(段落【0012】)

「請求項3の発明によれば,型枠内に生コンクリートを流し込んだときに,支持部材の一方の面から他方の面側へ,切り欠きを介して生コンクリートが流れ込みやすくなる。」(段落【0013】)

「請求項4の発明によれば,支持部材により二本の主筋を容易に接続することができ,また対向する支持部材の孔どうしに連結棒を通して固定するだけで,二本の主筋の組どうしを立てた状態で保持できる。」(段落【0014】)

(エ) 実施例

「…各支持部材19には,切り欠き23の上下に孔25を有する。一つの支持部材19における孔25と,橋梁の長手方向に隣り合う支持部材19の孔25との間には,上下二本の連結棒27が貫通し,溶接により固定されている。これにより配力筋15を設ける前の段階で,鉄筋組立体9が橋梁の長手方向に倒れて形が崩れることを防止している。…」(段落【0020】)

(オ) 発明の効果

「…本発明によれば,二本の主筋どうしを支持部材を用いて簡単に接続することができ,また二本の主筋の組どうしを,孔に棒を通して固定するだけで簡単に立てた状態に維持できる。また下端の把持手段により把持される主筋と型枠の下面との距離に応じて寸法が規定される脚部材を有することにより,型枠の下面に凹凸があっても,主筋を一定の高さに平行に配置することができる。」(段落【0031】)

「更に切り欠きの存在により,生コンクリートが型枠内で均一になりやすく,作業性がよい。本発明…では,主筋を組み立てる作業を橋桁上で行う必要がなく,しかも鉄筋の組み立て作業を簡単にしかも短時間で行える。」(段落【0032】)

(2)  当裁判所の判断

鑑定の結果によれば,上記(1)の本件発明にかかる本件特許権を含むFS床版事業について,本件発明の技術的位置付け,本件特許権の経済性及び市場性の観点からの位置付けについての検討を踏まえて評価すると,3億3000万円という評価額が得られることが認められる。この点についての鑑定書の記載の概要は,次の(3)ア~ウに示すとおりのものであって,その推論過程の概要は,本件特許権を先行技術と対比し,FS床版事業への本件特許権の活用について見た上で,本件特許権を含むFS床版事業の価値評価を種々の評価法により検討して,結論を導いたものであり,その検討過程は合理的なものと認められるから,この鑑定の結果については,高い信用性が認められる。

そうであれば,本件特許権を含むFS床版事業の価値評価額は3億3000万円であると認定するのが相当である。

(3)  鑑定書の記載の概要

ア 先行技術との対比

実開昭50-152423号公報(乙16),実開昭59-163015号公報(乙16),実開昭61-108416号公報(乙16),特開平3-180650号公報(乙16)は,本件発明と同じように上下に配置されている鉄筋の間隔を保持する「スペーサー」と呼ばれている部材が開示されているから,本件発明の,「上下方向に一定の高さを有する部材であって,」,「前記部材の上端と下端とにそれぞれ鉄筋の把持手段を有し,」との構成を有するが,他方,本件発明の「前記部材の面に連結棒を受け入れる少なくとも一つ以上の孔を有する」との構成を欠いており,連結棒もない。本件発明は,「支持部材の面に連結棒を受け入れる孔」と「支持部材の孔に差込むための連結棒」とを組み合わせた点において,技術的に見た実質的価値があり,新規性・進歩性を有するものと考えられる。

イ FS床版(FTS床版)事業への本件特許権の活用

富士千が発表したFS床版と,三井物産がパンフレット等を作成したFTS床版とは,同一内容の技術であり,富士千作成(平成8年3月)の「現場の発想から生まれた新床版FS床版」とのパンフレット(甲8)によれば,「上下の主鉄筋をシャーグリップで一体化し,コンクリート打設時の荷重を支持するもの」とされる。

しかし,FS床版(FTS床版)事業として,本件発明の全ての構成を具備したものが実施ないし利用されたと認められる例はほとんどなく,同事業の基本的な技術として宣伝広告等がされている床版技術は,本件発明の構成要素のうち「前記部材の面に連結棒を受け入れる少なくとも一つ以上の孔を有する」との構成を欠いた技術であるというべきである。また,FS床版(FTS床版)は,合成床版の一種であり,コンクリート内形鋼埋込み型床版(底鋼板を基本的に型枠部材としてのみ機能させるもの)の範疇に属するものと考えられるが,この代替技術としては,Ⅰ型鋼格子床版(グレーチング床版)が存在する。

ウ 本件特許権を含むFS床版事業の価値評価

(ア) 本件特許権の評価を行うため,まず,本件特許権を含むFS床版事業の価値評価を行う方法を採用する。知的財産における評価アプローチは,一般的に,インカム・アプローチ,マーケット・アプローチ,コスト・アプローチに大別される。

インカム・アプローチとは,当該知的財産から期待される収益力に基づいて価値を評価する方法で,当該知的財産によって将来獲得されるキャッシュ・フローを割引現在価値で求める。マーケット・アプローチとは,同様の知的財産や,実際に行われた取引事例あるいは市場取引価額等と比較することによって相対的な価値を評価するアプローチである。コスト・アプローチとは,研究開発や知的財産を取得するのに要したコストを当該知的財産の価値と考えるアプローチである。

そこで,単一の評価法に基づいて評価する単独評価ではなく,複数の評価法で算定した結果を併用して総合評価することとする。

(イ) インカム・アプローチによる評価

① 平成8年3月27日付け日刊工業新聞(甲3)に,富士千が,価格は3万4400円/m2,初年度35億円を目指していたとの記載があり,また,控訴人矢倉支店作成の平成8年4月15日付け「診断報告要旨」(甲3)に,FS床版事業について,製造会社の立場である富士千の利益は2000円/m2と設定され,また,これより販売会社の利益率の方が多いとの記載がある。

したがって,FS床版事業の単位面積当たりの売上高を3万4400円/m2,売上数量を10万m2(7610t),単位当たりの利益を4000円/m2(5万2600円/t)と推定する。

② FS床版事業からの経済的利益が創出され続ける期間については,一般的な製品のライフサイクルや本件発明の自己実施及びライセンス契約の存在の有無等を考慮して,平成10年度から5年程度と考える。

FS床版事業については,在来工法と比較して工期,強度,コストの点で差がないなどの技術面のリスクが存在することに鑑み,事業開始後も研究開発費の支出を行う必要がある。しかるに,平成10年度及び平成11年度に関しては,工期,強度,コストに関する改良に初期段階での特別の支出を行う必要があると考えられるから,研究開発費の率としては,マザーズに上場している新興企業6社の売上総利益に対する研究開発比率の平均値51%を採用する。また,平成12年度~平成15年度に関しては,類似上場会社14社の総利益に対する研究開発費の比率を考慮して,3.1%(平均値)の事業シナリオと,5.3%の事業シナリオ(上位3社の平均値)を考える。

③ FS床版事業(Ⅰ型鋼格子床版・合成床版技術に該当する。)がその市場参入期に獲得できる占有率については,床版形式に多様な技術が存在する分,市場占有率もそれだけ細分化されるという側面と,その中からFS床版事業の優位性が認識されるまでに時間を要するという側面とがある。

そこで,前者の側面を踏まえて,FS床版事業はⅠ型鋼格子床版・合成床版技術のうち10分の1程度の占有率に止まるという事業シナリオと,Ⅰ型鋼格子床版と合成床版技術で2分し,さらにその合成床版技術の中での2分の1,すなわち,Ⅰ型鋼格子床版・合成床版技術の中の占有率として25%は確保できるという事業シナリオを想定する。

また,後者の側面を踏まえて,甲14によれば富士千が倒産した直近の事業年度(平成9年7月期)の売上高が約11億円であり,仮にこのすべてがFS床版事業に関連するものであったとしても当初の売上目標である35億円の約25%しか目標を達成できていないことを考慮して,売上目標の25%の達成に止まるとする事業シナリオと,売上目標の50%を達成できたとする事業シナリオとを想定する。

④ 橋梁全体の売上高につき,橋梁年鑑の受注実績の数値を採用し,起点を平成9年度の73万8896tとする。その上で,橋梁全体の受注は年7%の割合で縮小すると想定し,また,その中で,合成床版の市場占有率は,平成9年度の1%から,年1%の割合で伸びると想定する。

また,想定されるリスクを事業計画等に反映させる(確実性等価DCF法)ための割引率として,平成10年3月を含む前後6か月の10年新発国債利回りの平均である1.646091%を採用する。

⑤ しかるに,上記②,③によれば,研究開発費の比率,FS床版事業の占有率,売上目標の達成度に応じて,2×2×2=8として,合計8つの事業シナリオが想定できる。そこで,以上の①~④で述べた数値を基礎としてそれぞれの事業シナリオにおける利益の額を計算した結果,想定される8つの事業シナリオを平均した数値として,3億3500万円という評価額を得ることができ,また,最高額と最低額を除外した6つの事業シナリオの平均として,3億1158万1000円という評価額を得ることができる。

(ウ) マーケット・アプローチによる評価

① 強度リスクを本件特許権を含むFS床版事業の評価に考慮する必要はないとする立場の場合,三井物産が磯畑から平成9年11月に4億円で本件特許権等を取得している事例が,本件における取引事例として採用できる。この場合の評価額は,4億円である。

② 在来工法並みの強度では在来工法との比較優位性の点で問題であるとの立場をとると,上記(イ)で検討した各シナリオのうち相当なシナリオを選び,その研究開発費を現在価値に割り引いた価額は,6713万3000円と算定されている。そこで,譲渡価額の4億円から,これを控除した3億3286万7000円が評価額となる。

(エ) コスト・アプローチによる評価

① 被控訴人の融資担当者は,本件特許権を含むFS床版事業が形成されていく過程を把握する一方,長年の経験に培われた担保価値に対する感覚に基づいて本件質権を設定したと考えられるから,被控訴人がその被担保債権とした融資額3億6000万円を,コスト・アプローチの類似系として検討することができる。そこで,この3億6000万円を,リスク評価を行わない場合の評価額とする。

② リスク評価を行った場合は,前記(ウ)②と同様に,研究開発費を現在価値に割り引いた価額である6713万3000円を,上記3億6000万円から控除した2億9286万7000円が評価額となる。

(オ) 以上を総合して,本件特許権を含むFS床版事業の評価額を,3億3000万円と推定する。

5  本件特許権を含む特許網(理想特許権)の評価額

(1)  当裁判所の判断

鑑定の結果によれば,事業からの利益の4分の1(25%)を技術の寄与度と想定して技術の価値を測定する方法であるいわゆる25%ルールに基づいて,本件特許権を含む特許網について,3億3000万円の25%である8250万円という評価額が得られることが認められる。鑑定書の記載の概要は,次の(2)に示すとおりのものであって,その推論過程は,その内容自体に照らし合理的であり,その結果は,鑑定書記載の実施料率の実態調査結果をもとにした評価結果の幅に入り,妥当な評価額ということができるから,この鑑定の結果については,高い信用性が認められる。

そうであれば,本件特許権を含む特許網の評価額は8250万円であると認定するのが相当である。

(2)  鑑定書の記載の概要

ア 本件特許権は,その技術的保護範囲が狭いうえ,その代替技術が出現したためライフサイクルが短く,過去事業において実質的に活用された形跡がない。この点を配慮すると,本件特許権の評価については,いったん,理想特許権すなわち特許網の評価を行って,その後に本件特許権の価値評価を行うのが相当である。

イ 本件においては,本件特許権を含むFS床版事業の評価額を基礎に,特許技術の商業化が成功した場合,事業からの収益の4分の1(25%)を技術の寄与度と想定して,技術の価値を測定する方法である「25%ルール」を採用することとし,その妥当性を別の観点から確認するために,実施料の観点から検証する。

ウ まず,上記「25%ルール」により,本件特許権を含むFS床版事業の価値評価額と推定される3億3000万円に25%を乗じると,本件特許権を含む特許網の評価額は,8250万円となる。

エ これを,実施料率の観点から検証する。まず,鑑定基準日頃の類似上場会社14社の売上総利益率の平均は,平均で13.1%であり,建設業における実施料率は,概ね3%から4%の幅と推定することができる。そこで,これらを前提に,売上高に対する実施料率を売上総利益に対する実施料率に換算して,実施料率から求められる本件特許権を含む特許網の評価額を計算すると,7557万円~1億0065万円という評価幅が得られる。上記ウの8250万円は,実施料率の実態調査結果をもとに実施した上記の評価結果の幅に入るものである。

6  本件特許権の評価額

(1)  当裁判所の判断

ア 当裁判所は,鑑定書記載のとおり,本件特許権の価値評価を行うには,複数権利の中の当該権利の寄与として評価するのが相当であり,本件特許権を含む特許網に対する本件発明の割合は,本件特許権を含む特許網を上下の主筋を鉄筋の把持手段を有する支持部材で組み立てる技術とみた上で,同特許網の上位概念から下位概念への技術構成要素の展開を踏まえた検討を基礎として算定することが合理的であると考える。

イ しかし,鑑定書において,鑑定意見が,本件特許権の有する技術要素に対応する値として8250万円の16分の1である515万6000円という評価額を得,これを直ちに本件特許権の評価額としている点については,にわかに是認することができない。その理由は次のとおりである。

(ア) すなわち,鑑定の結果によれば,鑑定人は,本件特許権を含む特許網の,上位概念から下位概念への技術構成要素の展開として,①上下鉄筋組立体を並べた配置に係る技術か支持部材そのものに係る技術か,②支持部材同士を連結するという技術か支持部材を個々に固定する技術か,③連結棒を使用する技術か連結棒以外の部材を使用する技術か,④連結棒を支持部材の孔に挿入する技術か連結棒を支持部材に端に固定する技術か,という分析を示し,その上で,権利群の価値を算出してから各権利の価値を切り分ける場合にその各権利の割合によって按分することで個別の権利の価値を算出することができるという理論を用い,全体を1として①~④のいずれについても2分の1という画一的な割合を採用し,これを4回乗じることにより16分の1という割合値を得て,これを上記特許網に対する本件発明の寄与度であるとみて,本件特許権の有する技術要素に対応する値として,8250万円の16分の1である515万6000円という評価額を得ている。

(イ) そこで,検討するに,確かに,本件特許権の評価額としては,その技術的価値を踏まえた額が基礎とされるべきであるところ,上位概念から下位概念への技術構成要素の展開を踏まえた鑑定人の上記分析の手法自体は技術的価値をみるために合理的なものと考えられ,その分析方法によれば,本件発明は,鉄筋組立体の鋼製型枠内配置に関してごく一部の技術を要部とするものであり,かつ,前記のとおり代替技術(Ⅰ型鋼格子床版)も存在することなどからすれば,FS床版事業の基本的な技術に対して占める割合はかなり小さいものとなることは避け難い帰結であるといえる。また,本件債権が履行遅滞に陥った平成10年3月ころの時点においては,FS床版事業が発表後2年の比較的新しい技術であった以上,本件特許権を活用したFS床版事業の事業収益の見込みを判断するに当たっての消極的考慮要素として,FS床版が実際の施工において本件明細書(甲2)記載のとおりの工期短縮,コスト削減という効果を上げられるのか,その後の床版事業の分野における技術の展開はどのようになり,代替技術の存在すること等に鑑み,実際の受注実績はどのように展開するのか,といった点を不確定要因とする消極的な見方があったことは明らかである。

しかし,他方,平成9年11月に締結された特許権譲渡契約書(甲21)には,本件特許権の技術的価値に相応する見方ではないが,本件特許権が「FS床版特許」と記されている。このように,上告審判決が指摘した第4の1(8)の①~⑤の特段の事情に照らして鑑みれば,橋梁事業を展開する早期の段階でその中核となるべき特許権の技術的価値を正しく把握・確定することが困難であったことなどから,平成10年3月ころの時点においては,本件特許権こそが,橋梁の分野における注目すべき新技術として,FS床版事業を展開する上での中核的な技術と位置付ける積極的な見方があったことも明らかである。したがって,本件特許権を活用したFS床版事業収益の見込みを評価するに当たっては,上記本件特許権の技術的価値に準じる事項として,FS床版事業を展開する上で本件特許権が中核的な技術と位置付ける見方があった点をここでも参酌することが相当である。

そうすると,当裁判所は,本件特許権の技術的価値に基づく鑑定書記載の推論方法自体は尊重すべきであるとは考えるものの,本件特許権を含む特許網の上位概念から下位概念に技術構成を分析する際に,各技術の有する価値割合をいずれも2分の1とする点については,直ちにこれを採用するのは妥当ではなく,上記①~⑤の各事実を始めとした本件における特段の事情を踏まえ,本件特許権をFS床版事業の中核的な技術と位置付ける見方があり得た点をここでも参酌すると,平成10年3月ころ当時の事業収益の見込みにかかる本件特許権の特許網全体に対する割合については,全体を一括して4分の1(16分の4)という値を採用するのが相当であると判断する。

ウ なお,鑑定の結果によれば,鑑定人は,本件質権実行に伴う費用見込額は350万円であるというが,その算定の手法は,基本的に不動産の競売等の場合に準じたものにすぎず,不動産の売却と特許権の売却とでは種々の点で異なり,執行裁判所が本件特許権の売却手続で上記のような高額な費用を要するものと判断するとは考えにくく,執行裁判所は事案に応じた適切な措置を検討採用するものと推察される。そうすると,裁判所に顕著な事実及び弁論の全趣旨により,費用見込額は200万円程度であると認めるのが相当である。

エ そうすると,当裁判所は,本件特許権の評価額,すなわち,本件質権による回収ができなくなったことによる損害額は,上記8250万円に,上記割合の4分の1を乗じた2062万5000円から,本件質権の回収費用として上記200万円を控除した1862万5000円であると判断する。

(2)  被控訴人の主張に対する判断

ア 被控訴人は,本件では,本件特許権に関し,経済的評価としての投資判断に最も近似する判断がなされた事実がある,それは,わが国有数の投資事業者である三井物産による,直近時点における買収価額4億円という事実であり,本件特許権の価額がそのほとんどを占めている,平成10年3月の時点で本件特許権について質権実行手続が開始して三井物産と「相対取引」が行われたとした場合でも,これを大幅に下回る価額決定となることをうかがわせる事情はなく,むしろ,既にその事業化にコミットしていた三井物産としては,質権実行開始後は早期に相対取引により購入する必要性が高く,その時点で入手している限られた情報と,商人として培ってきた経験とリスク・テーキングの精神を頼りにした決断としての,相応の経済的評価をなすよりほかはないのであるから,平成10年3月の時点における本件特許権の質権実行による回収可能額は3億6000万円(被担保債権の元本額)を下回ることはあり得ないと主張する。

しかし,平成9年11月に磯畑と三井物産との間で締結された譲渡契約にかかる「特許権譲渡契約書」(甲21)には,前記のとおり,本件特許権が「FS床版特許」と記載され,また,「第5条(技術協力)1.磯畑は,本契約締結後遅滞なく本件特許の実施に必要な設計(応力)計算書,基本図面,設計図その他関連技術資料及び情報を三井物産に開示・提出するものとし,その後も適宜三井物産の要請に従って技術資料及び情報を無償で三井物産に提供する。2.磯畑は三井物産の要請に従って三井物産又は三井物産の指定する第三者に対し本件特許の実施につき必要な技術指導を行う。…」と記載されている。これに,前記第2の3(3)のとおり上告審判決が指摘した③,④の各事実及び証人Aの証言を併せれば,三井物産は,平成10年3月ころの時点においても,本件特許権を,富士千のFS床版事業の中核的な技術と位置付けた上,FS床版技術に関する各種資料,情報のノウハウの開示を受けたり,技術者による技術指導を行ってもらうなど,FS床版事業全般にわたる必要な技術協力を受けることにより,自己がFS床版事業を手がけてその事業収益を受けることを見込んで上記譲渡契約を締結したものと認められる。そうすると,三井物産は,本件特許権そのものの評価額というよりも,ノウハウの開示等の必要な技術協力全般を含めたFS床版事業の総合評価額として4億円という上記譲渡代金を決めたものと解するのが相当であるところ,前記説示も,本件特許権を含むFS床版事業の評価額としては3億3000万円と認定したものであるから,両者はそれほど乖離するものではない。そして,前記説示は,FS床版事業の評価額に対する技術の寄与度を25%,複数権利の中の本件特許権の寄与を4分の1とみたものであるところ,FS床版事業の評価額そのものを算定した後に,続いて,これに対する技術の寄与度や,複数権利の中の本件特許権の寄与について検討するのは合理的というべきである。

以上によれば,被控訴人の上記主張は採用することができない。

イ 被控訴人は,実際にリスクをとった経済的活動に従事する立場にない鑑定人らが,三井物産の判断は経済的に間違っていたとする鑑定を出したからと言って,上告審判決が示した判断基準に従った本件特許権の平成10年3月当時の経済的評価とは次元の異なるものであり無意味であると主張する。

しかし,前記説示のとおり,本件質権の回収ができなかったことによる損害額は,あくまで本件質権が設定される対象たる本件特許権の客観的価値を基礎にして算定するのが合理的であって,これは,上告審判決が示した判断基準に従った本件特許権の平成10年3月当時の評価に沿うものというべきである。

以上によれば,被控訴人の上記主張は採用することができない。

ウ 被控訴人は,基準時の後に生じた事象をもとに事後的,回顧的に特許権の価値を検討して,否定的な「価額」評価を出し,これを基準時まで遡らせるような議論の仕方は,損害論として失当であると主張する。

しかし,前記説示は,平成10年3月ころにおける本件特許権を活用したFS床版事業の事業収益の見込みを判断するに当たっての考慮要素として,消極的要因として実際の施工において本件明細書(甲2)記載のとおりの工期短縮,コスト削減という効果が上がるのか,今後の床版事業の分野における技術の展開はどのようになり,代替技術の点等に鑑み,実際の受注実績はどのように展開するのか,といった不確定要因があるという点を指摘したものではあるが,被控訴人が主張するように,後に生じた事象を考慮して本件特許権の価額を評価したものではない。しかも,前記説示は,本件特許権を含むFS床版事業の評価額としては3億3000万円と認定した上,これに対し,技術の寄与度を25%,複数権利の中の本件特許権の寄与を4分の1とみたものであるところ,前記のとおり,三井物産が本件特許権を含むFS床版事業やその付随技術の総合評価額として4億円という譲渡代金を決めたものとみると,3億3000万円という額はそもそも評価額としてそれほど乖離するものではないし,FS床版事業の評価額そのものを算定した後に,続いて,これに対する技術の寄与度や,複数権利の中の本件特許権の寄与について検討することは合理的というべきである。

以上によれば,被控訴人の上記主張は採用することができない。

(3)  控訴人の主張に対する判断

ア 控訴人は,本件特許権の実施状況や,本件特許権が消滅するまでの事実経緯に照らしても,平成10年3月ころの本件特許権の適正な価額は,無価値に近い極めて僅少な額になると主張し,乙16はこれに沿うものであるが,前記説示に照らして採用することができない。

イ 控訴人は,FS床版やスーパーMSG床版に関する事業活動は,本件特許権の価値とは無関係であって,本件における損害額の認定に当たり考慮されるべき事情ではないと主張する。

しかし,富士千が事業展開したFS床版や,三井物産が事業展開したスーパーMSG床版が,本件発明の構成要件の一部を欠いているため本件発明の実施とはいえないとしても,前記のとおり,FS床版やスーパーMSG床版の技術内容は,本件発明の構成要素のうち「前記部材の面に連結棒を受け入れる少なくとも一つ以上の孔を有する」との構成を欠いたものであるが,それでもなお,本件発明と密接に関連するものということができ,また,前記のとおり,平成10年3月ころの時点においては,本件特許権を,橋梁の分野における注目すべき新技術として,FS床版事業を展開する上での中核的な技術と位置付ける見方をする客観的状況があったものである。これらに照らせば,FS床版やスーパーMSG床版に関する事業活動が,本件特許権の価値とは無関係であるということはできず,控訴人の上記主張は採用することができない。

ウ 鑑定書に関する主張

(ア) 控訴人は,本件特許の出願時において,本件発明を含むFS床版事業を実施しようとする場合に活用することが必要な発明に係る特許を受ける権利が第三者に譲渡されていたという事実が,FS床版事業の継続に関してリスク要因になると考えられると主張する。しかし,控訴人も認めているとおり,FS床版の発明①「特願平6-278346号(特開平8-113917号)」,支持部材に関する発明②「特願平8-161162号(特開平9-316826号)」は,そもそも出願人名義変更届(乙39~42)の特許庁への届出の手続に不備があったため,第三者への譲渡の効力が生じていないものであるから,これをもって,前記説示を覆すには足りない。

(イ) 控訴人は,鑑定書は,平成8年当初の単位当たりの売上高3万4400円/m2と比較すると,3万1000円/m2はその10%減額に相当する,としながらも,4000円/m2という単位当たりの利益は依然確保されているとして,販売単価の減少を単位当たりの利益に反映させていないと主張する。しかし,その売上高,単位当たりの利益と,売上高の減額幅とを対比すると,生産性を向上させることにより変動費を圧縮したと見ることは合理的というべきであるから,控訴人の上記主張は採用することができない。

(ウ) 控訴人は,Ⅰ型鋼格子床版・合成床版技術は,10種類以上に細分でき,それらが均等に市場占有をしていないとしているにもかかわらず,占有率25%という想定は高すぎるなどと主張する。

しかし,たとえⅠ型鋼格子床版・合成床版技術が10種類以上に細分できるとしても,本件において,平成10年3月当時,上記10種類以上の各技術が均等に市場占有をしていたとすると認めるに足りる証拠はなく,前記説示のように,平成10年3月ころの時点において,本件特許権を,橋梁の分野における注目すべき新技術として,FS床版事業を展開する上での中核的な技術と位置付ける見方もあり得たことにも照らせば,占有率25%という想定が高すぎるとまではいい難い。

以上によれば,控訴人の上記主張は採用することができない。

エ 控訴人は,被控訴人には,富士千に対する与信判断を誤り,本件特許権の担保評価を誤り,磯畑に対する本件特許権移転登録がされた平成9年11月17日より前に本件質権の設定登録を確認することを怠ったために被担保債権が回収できなかった過失があるから,相当額について過失相殺がされるべきであると主張する。

しかし,本件で認められる控訴人側の過失は,本件質権設定登録を受付の順序に従ってしなかったという内容のものであって,被控訴人と富士千との間で本件質権設定契約が締結された後の,本件質権設定登録の申請,審査,登録の過程において生じたものというべきである。しかるに,富士千に対する与信判断の誤り,本件特許権の担保評価の誤りといった点は,いずれも,本件質権設定登録の申請,審査,登録の過程における事情に当たるとはいえないから,過失相殺すべき事情に当たるとはいえない。

また,本件質権の設定登録の未確認の点は,被控訴人が,本件質権設定登録を申請して受け付けられてから,磯畑に対する本件特許権移転登録がされるまでの約2か月半という期間にわたり,同登録の確認をしなかったことを取り上げるものである。しかるに,そもそも受付の順序に従って登録を行うことは当然のことであるから,約2か月半という期間の長さを考慮しても,特許庁の職員が設定登録をすべきであったのと同様に被控訴人の側も設定登録を確認すべきであったとしてその未確認の点に過失があるとみるのは相当でない。また,その未確認の点が,本件質権設定登録の申請行為そのものに瑕疵があるなど特許庁の担当職員が本件質権設定登録を申請の受付の順序に従ってしなかった行為を誘発したといえるような事情と同視できるともいえない。

以上によれば,控訴人の上記主張は採用することができない。

7  弁護士費用について

(1)  当裁判所は,本件訴訟における認容額や,その審理経過,事案の難易度その他本件における諸般の事情を考慮し,本件における弁護士費用としては,300万円をもって相当であると判断する。

(2)  控訴人の主張について

控訴人は,被控訴人の第2審における弁護士費用の請求は,本件訴訟の提起時(平成12年2月9日)から3年以上経過した後になされたものであるとして,同請求部分について消滅時効を援用する(国家賠償法4条,民法724条)。

しかし,本件訴訟は,特許庁の担当職員の過失により本件質権設定登録が受付の順序に従ってされず,被控訴人が本件質権を取得することができなかったことにより発生した損害の賠償を求めるものである。そして,前記第2の3(3)記載のとおり,その損害額は,平成10年3月ころの本件特許権の適正な価額から回収費用を控除した金額(それが本件債権の債権額を上回れば同債権額)というべきものであるが,他方,本件訴訟の提起,追行のための弁護士費用の請求は,上記損害額の損害賠償請求と全く別個の損害賠償請求となるものではなく,いずれも違法な特許庁の担当職員の行為に基づく損害賠償請求権として一体的な関係をなすものというべきである。そして,本件訴訟において,上記損害(本件質権を取得することができなかったことにより発生した損害)につき,弁護士費用の損害賠償を除外する旨が明示されていたような事情は認められない。

そうすると,弁護士費用の請求についての消滅時効は,不法行為時からその進行を始め,本件訴訟の提起によって中断したということができるから(民法147条1号),本件訴訟の裁判が確定していない本件口頭弁論終結時においては,上記消滅時効が完成したということはできない。

以上によれば,控訴人の上記主張は採用することができない。

8  結語

以上のとおりであるから,被控訴人の請求は,本件特許権の評価額,すなわち本件の損害額1862万5000円に弁護士費用300万円を加えた2162万5000円及びこれに対する不法行為の日である平成9年11月17日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金を求める限度で理由があり,その余は理由がないこととなる(なお,本件債権は,富士千が銀行取引停止処分を受けて期限の利益を喪失した平成10年3月23日の時点で履行遅滞に陥ったものであり,そのころ,本件質権を実行することによって回収できたはずの本件債権の債権額が本件質権を取得することができず回収ができなかったことによって,損害が現実化したことになるが,それは損害額の認定手法の問題であり,本件の不法行為に基づく損害賠償債権の遅延損害金発生の始期は不法行為日である平成9年11月17日であることに変りはない。)。

したがって,控訴人の本件控訴は,前記第1の1(2)の第1審判決を,主文第1項の限度(2162万5000円及びこれに対する年5分の割合による遅延損害金)で認容する内容に変更(減額)する限度で理由があるが,その余は理由がないこととなり,また,被控訴人の本件附帯控訴は理由がないこととなる。なお,訴訟費用の負担については,本件訴訟における認容額,本件訴訟が第1次控訴審の判決の誤りによって特異な経過をたどっていること,鑑定採用に至る経緯,その他本件における一切の事情を考慮し,公平の見地から,本件の訴え提起の手数料の17分の1を控訴人の負担とし,17分の16を被控訴人の負担とし,その余の訴訟費用はすべて各自の負担とするのが相当である。

よって,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 塚原朋一 裁判官 本多知成 裁判官 田中孝一)

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