知財高等裁判所 平成18年(行ケ)10273号 判決 2007年9月10日
原告
篠田商事株式会社
訴訟代理人弁理士
増田竹夫
訴訟復代理人弁理士
高橋大典
被告訴訟引受人
新日鉄マテリアルズ株式会社
訴訟代理人弁護士
上谷清
同
永井紀昭
同
萩尾保繁
同
山口健司
同
薄葉健司
訴訟代理人弁理士
中村朝幸
脱退被告
新日本製鐵株式会社
訴訟代理人弁理士
椎名彊
同
松本悦一
主文
1 特許庁が無効2005-80343号事件について平成18年5月9日にした審決を取り消す。
2 訴訟費用は被告引受承継人の負担とする。
事実及び理由
第1請求
主文1項と同旨
第2争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯
脱退被告は,発明の名称を「圧胴または中間胴」とする特許第3439569号の特許(平成7年4月25日出願〔優先権主張:平成6年4月25日,日本〕,平成15年6月13日設定登録。登録時の請求項の数は4である。)の特許権者であった。
本件特許に対し,特許異議の申立て(異議2003-73106号事件)があり,その審理の過程において,脱退被告は,平成16年8月16日,本件特許に係る明細書(特許請求の範囲の記載を含む。)を訂正する請求をした(以下,この訂正後の特許を「本件特許」と,本件特許に係る明細書及び図面を「本件明細書」と,それぞれいう。この訂正により,請求項1の記載が訂正された。)。特許庁は,平成16年9月6日,「訂正認める。特許第3439569号の請求項1乃至4に係る特許を維持する。」との決定をし,この決定は,同年9月29日,確定した。
原告は,平成17年11月29日,本件特許の請求項1ないし4に係る発明についての特許を無効とすることについて審判を請求した。
特許庁は,この請求を無効2005-80343号事件として審理した結果,平成18年5月9日,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をし(以下「審決」という。),同年5月19日,その謄本を原告に送達した。
なお,被告訴訟引受人(以下「被告承継人」という。)は,原告が本件訴訟を提起した後である平成18年7月1日,会社分割により,脱退被告から本件特許に係る特許権の移転を受けた(平成18年9月15日登録)ことから,同年10月31日付け引受決定により,本件訴訟を引き受け,これに伴って,脱退被告は原告の承諾を得て本件訴訟から脱退した。
2 特許請求の範囲
本件明細書の特許請求の範囲の請求項1ないし4の各記載は,次のとおりである(以下,これらの請求項に係る発明を,項番号に対応して,「本件特許発明1」などという。)。
「【請求項1】印刷装置において,印刷要素に対して被印刷体を圧着し,その後移送する被印刷体圧着・移送系に配置される圧胴または中間胴であって,脱脂,ブラスト処理された金属製ローラ基材上に,気孔率5~20%を有する多孔質のセラミックス溶射層を溶射して非常にシャープな突起を形成する短周期的な凹凸と,さらにより長周期的な凹凸とが複合して形成した粗面を形成し,更に前記多孔質セラミックスの凹凸表面層上および孔部内を実質的に全面的に覆うがセラミックス溶射層の長周期的な凹部には厚く,一方長周期的な凸部には薄く付着するように低表面エネルギー樹脂をコーティングした複合被覆皮膜が形成されており,かつその表面性状がセラミックス溶射の長周期的な凹凸を概ね維持するようにして表面粗度Rmax20~40μmで,滑らかな凹凸を有するものであることを特徴とする圧胴または中間胴。
【請求項2】前記凹凸の凸部が,20μm×20μm平方ないし100μm×100μm平方当りに1ケ程度の割合で存在するものである請求項1に記載の圧胴または中間胴。
【請求項3】前記金属製ローラ基材と,前記複合被覆皮膜との間には,金属溶射層が形成されているものである請求項1または2に記載の圧胴または中間胴。
【請求項4】前記低表面エネルギー性樹脂が,シリコーン系樹脂である請求項1~3のいずれか一つに記載の圧胴または中間胴。」
3 審決の理由
別紙審決書写しのとおり,原告(請求人)の主張及びその提出に係る証拠によっては,本件特許発明1ないし4についての特許を無効とすることはできない,としたものである。その理由は,要するに,原告(請求人)が下記(1)のとおり主張したのに対し,下記(2)のとおり,本件特許発明1は当業者が容易に発明をすることができたものとすることはできず,また,本件特許発明2ないし4は,いずれも本件特許発明1の構成をその構成の一部とするものであるから,本件特許発明1と同様の理由により,当業者が容易に発明をすることができたものとすることはできない,というものである。
(1) 原告(請求人)の主張
本件特許発明1ないし4は,下記アないしクの各文献に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるから,特許法29条2項の規定により特許を受けることができない(以下,各文献に記載された発明を,文献番号に対応して,「甲1発明」などという。)。
ア 甲1文献 実公平5-12203号公報(甲1の1)
イ 甲2文献 日本溶射協会編「溶射技術ハンドブック」(株式会社新技術開発センター1998年5月30日初版第1刷発行)468頁~481頁(甲2の1)
ウ 甲3文献 実公平4-18857号公報(甲3)
エ 甲4文献 特開平3-120048号公報(甲4)
オ 甲5文献 米国特許公報第US2,555,319号(甲5)
カ 甲6文献 英国特許公報第GB2022016号(甲6)
キ 甲7文献 特開平5-195185号公報(甲7)
ク 甲8文献 特開平1-139297号公報(甲8)
なお,甲1文献及び甲3文献ないし甲8文献は本件特許の優先日前に頒布された刊行物であるが,甲2文献は本件特許の優先日後に頒布された刊行物である。
(2) 審決の認定判断
本件特許発明1と甲1発明とは,下記アの点(一致点)において一致するものの,下記イ(ア)ないし(エ)の点(相違点1ないし4)において相違し,このうち相違点3及び4について,当業者が容易になし得たものとすることはできないから,相違点1及び2について検討するまでもなく,本件特許発明1は当業者が容易に発明をすることができたものとすることはできない。
ア 一致点
「印刷装置において用いられる胴であって,金属製ローラ基材上に,セラミックス溶射層を溶射して凹凸の粗面を形成し,更にセラミックスの凹凸表面層上に低表面エネルギー樹脂をコーティングした複合被覆皮膜が形成された胴」である点。
イ(ア) 相違点1
本件特許発明1では,印刷要素に対して被印刷体を圧着し,その後移送する被印刷体圧着・移送系に配置される圧胴または中間胴であるのに対し,甲1発明では,印刷装置で用いられるガイドローラーである点。
(イ) 相違点2
本件特許発明1では,金属製ローラ基材は脱脂,ブラスト処理されているのに対し,甲1発明では,この点について特に記載はない点。
(ウ) 相違点3
本件特許発明1では,セラミックス溶射層は気孔率5~20%を有しており,セラミックス溶射層の表面は非常にシャープな突起を形成する短周期的な凹凸と,さらにより長周期的な凹凸とが複合して形成されているのに対し,甲1発明では,この点について特に記載はない点。
(エ) 相違点4
本件特許発明1では,多孔質セラミックスの凹凸表面上および孔部内を実質的に全面的に覆うがセラミックス溶射層の長周期的な凹部には厚く,一方長周期的な凸部には薄く付着するように低表面エネルギー樹脂をコーティングした複合被覆皮膜が形成されており,かつその表面性状がセラミックス溶射の長周期的な凹凸を概ね維持するようにして表面粗度Rmax20~40μmで,滑らかな凹凸を有するものであるのに対し,甲1発明では,この点について特に記載はない点。
第3取消事由に係る原告の主張
審決は,相違点3及び4の各認定判断を誤ったものであって,かかる誤った認定判断に基づいて本件特許発明1についての特許に係る審判請求を不成立とした違法があり(取消事由1),また,これと同様の理由により,本件特許発明2ないし4についての特許に係る審判請求を不成立とした違法がある(取消事由2)から,取り消されるべきである。
1 取消事由1(本件特許発明1に係る認定判断の誤り)
(1) 相違点3の認定判断の誤り
ア 相違点3の認定の誤り
甲1発明を,普通かつ一般的なセラミックス溶射方法によって実施すれば,以下のとおり,相違点3に係る本件特許発明1の構成を自ずと得ることができるから,審決における相違点3の認定は誤りである。
(ア) 本件特許発明1では,セラミックス溶射層は「気孔率5~20%」を有するとされ,また,セラミックス溶射層の表面は「非常にシャープな突起を形成する短周期的な凹凸と,さらにより長周期的な凹凸とが複合して形成」されているとされている。
しかし,本件明細書には,相違点3に係る本件特許発明1の構成を得る(セラミックス溶射層を製造する)ために,特別な溶射方法や溶射条件を採用する必要があることは,何ら記載されていない。
本件特許発明1のセラミックス溶射層と,甲1発明のセラミックス溶射層とは,いずれも特別な溶射方法や溶射条件により形成されているものではなく,普通かつ一般的な溶射方法により形成されている点で,実質的に異なるものではない。
(イ) 甲1文献の第1図(b)において,符号「3」で示される層は,セラミックス溶射層であり,これが甲2文献や甲3文献にいう「溶射皮膜」に当たらないとする理由はないから,甲1発明では,セラミック3の溶射によって,金属ローラ1の表面2に溶射皮膜が形成されているというべきである。
(ウ) 甲2文献の「一般的に,溶射皮膜は溶射材料と溶射方法及び溶射条件によって異なるが,約数%から20%の範囲の気孔を有する」との記載は,溶射皮膜の形成においては,溶射材料としてセラミックスを用いる場合を含め,溶射方法や溶射条件を特別なものとしない限り,気孔率が「数%~20%」になるということを意味するものであり,しかも,このことは本件特許の優先日前から知られていた(甲2の2)。
したがって,甲1発明におけるセラミックス溶射層(溶射皮膜)も,それが特殊なものでない以上,当然に「数%~20%」の気孔率を有するというべきである。
なお,甲2文献の上記記載における「20%」は,本件特許発明1における気孔率の上限であり,「数%」は,本件特許発明1における気孔率の下限である「5%」未満であるという確証はないものの,本件明細書の段落【0026】の記載によれば,本件特許発明1における「気孔率」とは形成されたセラミックス溶射層の平均値を意味するから,甲1発明のセラミックス溶射層が,甲2文献において一般的とされる「数%~20%」の範囲のうち,5%以上のいずれかの気孔率(本件特許発明1の規定する「気孔率5~20%」)を有する溶射層でないとする理由はない。
(エ) 甲3文献には,圧胴や受け渡し胴の素材表面に高耐食・高耐磨耗材料を溶射する技術に関し,溶射層表面のブラスト加工後の表面粗度が記載され(第4図,第5図),溶射層表面に,本件特許発明1と同様に,「非常にシャープな突起を形成する短周期的な凹凸と,さらにより長周期的な凹凸とが複合して形成した粗面が形成」されていることが開示されている(この点は,審決も認めるところである。)。そして,甲3発明におけるブラスト加工後の表面形状において,「非常にシャープな突起を形成する短周期的な凹凸と,さらにより長周期的な凹凸とが複合して形成した粗面」が維持されている以上,ブラスト加工前(溶射後)の表面形状が,本件特許発明1と同様なものであることは,容易に推測することができる。なお,セラミックは,高耐食・高耐磨耗性材料の一つとして,広く知られた材料であるから(甲1文献,甲1の2),甲3発明において,セラミックが選択されないという理由はない。
そうすると,甲1発明におけるセラミックス溶射層(溶射皮膜)も,それが特殊なものでない以上,その表面形状は,本件特許発明1と同様に,「非常にシャープな突起を形成する短周期的な凹凸と,さらにより長周期的な凹凸とが複合して形成した粗面が形成」されるものとなることは,当然である。
イ 相違点3の判断の誤り
審決における相違点3の認定が形式的には正しいとしても,相違点3の判断は,以下のとおり,誤りである。
(ア) 甲2文献のほか,特開平6-57396号公報(甲14),特開平5-106014号公報(甲15),特開平5-188014号公報(甲16),特開平5-271900号公報(甲17)によれば,溶射皮膜の気孔率は周知の技術事項であった。
したがって,甲1発明において,セラミックス溶射層(溶射皮膜)の気孔率を,甲2文献において一般的とされている「数%から20%」の範囲とすることや,甲14ないし17に記載されている気孔率とすることは,当業者には容易であったというべきである。そして,このような気孔率を有する溶射皮膜に,低表面エネルギー性樹脂層(甲1発明では,コーティングされたテフロンの層)が,安定して複合形成可能となることも,当然である。
(イ) 前記ア(エ)のとおり,溶射皮膜を普通かつ一般的な溶射方法により形成すれば,本件特許発明1と同様に,「非常にシャープな突起を形成する短周期的な凹凸と,さらにより長周期的な凹凸とが複合して形成した粗面が形成」されることは,甲3文献に開示・示唆されているところである。
そうすると,甲1発明において,セラミックス溶射層(溶射皮膜)の表面形状を,本件特許発明1と同様に,「非常にシャープな突起を形成する短周期的な凹凸と,さらにより長周期的な凹凸とが複合して形成した粗面が形成」されるものとすることは,当業者には容易であったというべきである。
なお,審決は,「後工程で樹脂被膜を形成することを前提としていない甲第3号証記載の発明を後工程で低表面エネルギー樹脂を被覆して印刷装置の圧胴または中間胴に適用することは当業者が容易になし得ることとは認められない。」(審決書7頁15行~17行)と判断しているが,甲3発明を単独で本件特許発明1と比較したものであり,甲1発明におけるセラミックス溶射層(溶射皮膜)を甲3発明のような「高耐蝕性で高耐摩耗性材料を溶射した凹凸溶射面」に形成することの容易想到性について,判断を遺脱している。
(2) 相違点4の認定判断の誤り
ア 相違点4の認定の誤り
甲1発明を,普通にコーティングして実施すれば,以下のとおり,相違点4に係る本件特許発明1の構成を自ずと得ることができるから,審決における相違点4の認定は誤りである。
(ア) 本件明細書には,特殊なコーティング方法を用いる旨の記載はないから,本件特許発明1の実施に際しては,普通かつ一般的なコーティング方法により,セラミックス溶射層の凹凸表面層上に低表面エネルギー樹脂がコーティングされるものである。
ところで,フッ素樹脂を溶射層(下地)に普通にコーティングすれば,平滑度を上げるための特別な加工をしない限り,樹脂表面は上記溶射層の凹凸表面を概ね維持した,滑らかな凹凸を有するものとなるというのが,技術常識である。例えば,特開平3-287279号公報(甲24)には,ローラの表面に溶射によって金属粒子を分散させて溶着した後,この凹凸表面(溶射層表面)にフッ素樹脂をコーティングすると,フッ素樹脂の表面性状は,金属粒子(溶射層)の凹凸を概ね維持するように,滑らかな凹凸を有するものとなることが示されている(5頁左下欄1行~右下欄3行,6頁左下欄4行~7行,第6図,第8図)。なお,本件特許発明1は,低表面エネルギー樹脂の厚さを要件とするものではないから,本件明細書の図2のような態様以外に,セラミック溶射層の凹部に充填された低表面エネルギー樹脂がセラミック溶射層の凸部を超える厚さを有する態様(以下「態様A」という。),例えば,セラミックス溶射層の長周期的凹凸の深さ(凸部との高低差)が50μmの凹部へは60μmの厚さに,セラミックス溶射層の長周期的凹凸の凸部には30μmの厚さになるように連続的に厚さが変化する,Rmaxが20μmの低表面エネルギー樹脂層が形成されているような態様をも含むというべきである。
また,普通かつ一般的な方法で平滑な表面を有する素材上に樹脂材料をコーティングした場合,乾燥後の表面粗度を20μm未満にすることは,一般的に不可能であり,まして,被コーティング材料の表面が凹凸形状を有するものであれば,20μm未満の表面粗度にするためには,研磨などの特殊な後加工をするか,特殊なコーティング方法を用いる必要がある。例えば,甲6文献では,テフロンで完全に覆われている溶射層(shell)の表面の粗度がRmax20~100μmとされているが,これは本件特許発明1における表面粗度Rmax20~40μmを含んでいる。
(イ) 前記(1)のとおり,甲1発明のセラミックス溶射層(溶射皮膜)として,甲2文献,甲3文献に開示されたものを用いれば,「数%~20%の範囲の気孔」を有し,「非常にシャープな突起を形成する短周期的な凹凸と,さらにより長周期的な凹凸とが複合して形成した粗面が形成」される。そして,このような粗面を有するセラミックス溶射層(溶射皮膜)に,テフロンをコーティングすれば,本件特許発明1と同様のものとなることは,上記(ア)の知見から明らかである。
したがって,甲1発明のテフロン層(フッ素樹脂)も,普通にコーティングすれば,下地の溶射層の凹凸表面を概ね維持した滑らかな凹凸を有するものとなるというべきであり,また,その結果,テフロン層は,セラミックス溶射層の凹部では厚く,凸部では薄くなるのも,当然である。また,溶射層には連続気孔が形成されることは周知の事実であるから,甲1発明のように,連続気孔が形成された溶射層の表面をテフロンでコーティングすれば,表面層上と気孔内をテフロンが覆うことも,当然である。
イ 相違点4の判断の誤り
審決における相違点4の認定が形式的には正しいとしても,相違点4の判断は,以下のとおり,誤りである。
(ア) 甲4文献ないし甲6文献は,凹凸表面層を低エネルギー性樹脂層でコーティングし,コーティング後の外表面が滑らかな凹凸を有する技術を開示するものであり,このようなコーティングに関する技術を甲1発明におけるテフロンのコーティングに適用することは,当業者にとって容易である。そして,上記のように適用すれば,甲1発明のテフロンによるコーティングは,「セラミックス溶射層の長周期的な凹部には厚く,一方長周期的な凸部には薄く付着するように低表面エネルギー樹脂をコーティングした複合被覆皮膜が形成されており,かつその表面性状がセラミックス溶射の長周期的な凹凸を概ね維持するようにして表面粗度Rmax20~40μmで,滑らかな凹凸を有するものであって,低表面エネルギー樹脂のコーティング皮膜が特定性状をしている」ものとなる。
(イ) 審決は,「セラミックス溶射層の表面性状とコーティング皮膜の表面性状の関係について特段の考慮をしているものとは認められない甲第4ないし6号証から当業者が容易になし得たものということはできない。」(審決書8頁13行~16行)と判断したが,甲1発明を正確に把握せず,甲4発明ないし甲6発明を甲1発明に適用することの容易想到性について,判断を遺脱している。
(ウ) 審決は,「低表面エネルギー樹脂がセラミックス溶射層と密着性が良く,圧胴または中間胴は被印刷体からのインキの移行が起りにくく,移行したインクも乾燥した布材等で軽く触れるだけで容易に除去できる等の特定目的のためにこのような表面性状とすることが当業者にとって容易であるものとはいえない。」(審決書8頁23行~27行)と判断した。
しかし,本件特許発明1において,上記のような表面性状(滑らかな凹凸)としたのは,被印刷体からのインキの移行が起りにくく,移行したインキも容易に除去できるという目的を達成するためであるところ,甲4発明及び甲6発明は,同じ目的を達成するため,低表面エネルギー樹脂表面を滑らかな凹凸に形成している。したがって,甲4発明及び甲6発明を参照すれば,甲1発明のテフロン層の表面も滑らかな凹凸に形成されていることを否定することはできない。
(3) 小括
審決における相違点3及び4の認定判断は,上記(1)及び(2)のとおり,いずれも誤りであり,これらの誤りが,本件特許発明1についての特許に係る審判請求を不成立とした審決の結論に影響することは明らかである(なお,仮にこれらの誤りが直ちに本件特許発明1についての特許に係る審決の結論に影響しないとしても,審決は,相違点1及び2を認定した点にも誤りがあるから,取り消しを免れない。)。
2 取消事由2(本件特許発明2ないし4についての認定判断の誤り)
上記1のとおり,本件特許発明1についての審決の認定判断は誤りであり,これと同様の理由により,本件特許発明2ないし4についての審決の認定判断も誤りであって,この誤りが本件特許発明2ないし4について特許に係る審判請求を不成立とした審決の結論に影響することは明らかである(なお,仮にこれらの誤りが直ちに本件特許発明2ないし4についての特許に係る審決の結論に影響しないとしても,本件特許発明2ないし4に固有の構成は,いずれも甲1発明ないし甲8発明から当業者が容易に想到することができるから,審決は取消しを免れない。)。
第4取消事由に係る被告承継人の反論
審決の認定判断に誤りはなく,原告主張の取消事由はいずれも理由がない。
1 取消事由1(本件特許発明1に係る認定判断の誤り)について
以下のとおり,審決における相違点3及び4の各認定判断に誤りはないから,原告主張の取消事由1は理由がない(なお,原告は,相違点1及び2の各認定の誤りについても主張するが,これらの点は審決の結論に影響するものではなく,審決の取消事由とはならない。また,審決の同認定にも誤りはない。)。
(1) 相違点3の認定判断の誤りについて
ア 相違点3の認定について
(ア) 甲1文献には,セラミックス溶射層について,「金属ローラ1の表面2にセラミック3を溶射して同表面2を凹凸の粗面に加工し」(1頁2欄24行~25行)との記載があるにとどまり,セラミックス溶射層が気孔を有することやセラミックス溶射層表面の凹凸の粗面の具体的な形状は,記載されていない。
(イ) 原告は,甲1発明のセラミックス溶射層が,甲2文献において一般的とされている「数%~20%の範囲の気孔」を有するはずである旨主張する。
しかし,甲2文献においても,「溶射皮膜は溶射材料と溶射方法及び溶射条件によって異なる」とされており,現に,気孔率25%の溶射層(甲14)や,気孔率0.3%~0.5%以下の溶射層(甲17)などが存在することに照らせば,セラミックス溶射層であるというだけで,当然に「数%~20%の範囲の気孔」を有するとはいえないし,そもそも甲2文献における「数%」が5%以上であるとの確証はないから,仮に甲1発明のセラミックス溶射層が,甲2文献において一般的とされている「数%~20%の範囲の気孔」を有するとしても,「気孔率5~20%」といえるものではない。
本件特許発明1のような特定の目的の下で,溶射材料,溶射方法及び溶射条件を調整して,はじめて「気孔率5~20%」の範囲内に収めることが可能となるのであり,甲1発明において,何の目的もなく(溶射材料,溶射方法及び溶射条件を調整することなく),セラミックス溶射層を形成しても,その気孔率が当然に「5~20%」の範囲内に収まるものではない。
(ウ) 審決が相違点3として認定したのは,甲1文献には溶射層表面の粗面の具体的な形状についての記載がないことであり,この認定は,甲3文献の開示内容によって左右されるものでない(なお,甲3文献に「非常にシャープな突起を形成する短周期的な凹凸と,さらにより長周期的な凹凸とが複合して形成した粗面が形成」されていることが記載されていたとしても,甲3文献には,後工程で低表面エネルギー樹脂を被覆することを前提に,当該凹凸形状を積極的に利用する技術思想は開示されていないから,相違点3の容易想到性判断の結論には影響しない。)。
(エ) 上記(ア)ないし(ウ)のとおりであるから,審決における相違点3の認定に誤りはない。
イ 相違点3の判断について
(ア) 本件特許発明1が,「気孔率5~20%を有する多孔質のセラミックス溶射層」と規定したのは,樹脂が気孔から溶射層に入り込むことによるアンカー効果によって,低表面エネルギー性樹脂との密着性がよく複合皮膜化するためであり(本件明細書の段落【0017】参照),また,気孔率を「5~20%」に限定したのは,セラミック溶射層に低表面エネルギー樹脂層を安定して複合形成可能とするためであり,気孔率が5%未満では樹脂が溶射層内部に十分に入り込めず剥離性が高まるおそれがあり,20%を超えると溶射層の強度が低下するおそれがあるためである(本件明細書の段落【0026】参照)。
甲1文献は,本件特許発明1のように,「気孔率5~20%を有する多孔質のセラミックス溶射層」を積極的に利用して,低表面エネルギー樹脂との複合被覆皮膜を密着性よく安定して形成する技術思想を開示・示唆するものではない。また,甲2文献は,溶射皮膜の一般的な気孔率が開示されているにすぎないし,甲2文献はもとより,甲14ないし17も,気孔率を5~20%に限定することにより,低表面エネルギー樹脂との密着力を高めるという技術思想を開示・示唆するものではない。
したがって,甲1発明において,セラミックス溶射層を「気孔率5~20%」とすることは,当業者といえども容易に想到することができなかったというべきである。
(イ) 本件特許発明1が,「セラミックス溶射層を溶射して非常にシャープな突起を形成する短周期的な凹凸と,さらにより長周期的な凹凸とが複合して形成した粗面を形成し」と規定したのは,短周期的な凹凸については,短周期的な凹凸(ピッチ波状凹凸)に樹脂が入り込むことによるアンカー効果によって,低表面エネルギー性樹脂との密着性よく複合皮膜化するためであり(本件明細書の段落【0017】参照),長周期的凹凸については,相違点4に係る本件特許発明1の構成と相俟って,①被印刷体は,セラミックス溶射層の長周期的凹凸を概ね維持した表面の滑らかな突起(長周期的な凹凸の凸部に相当する。以下「滑らかな突起」という。)においてのみ接触し(以下「点接触」といい,これにより奏される効果を「点接触効果」という。),かつその表面には低表面エネルギー性樹脂が存在するために(インキ反発性),被印刷体からのインキの移行は起こりにくい(本件明細書の段落【0019】参照),②インキが移行しても,表面が低表面エネルギー性樹脂のため,もともとインキを反発しやすく,また表面プロフィールが滑らかであるため,乾燥した布材等で軽く触れるだけで容易に除去できる(本件明細書の段落【0019】参照),③低表面エネルギー樹脂層が密着性良く安定して骨格構造のセラミックス溶射層に固着するので,極めて長期間使用しても低表面エネルギー樹脂層が磨耗剥離するといったことは生じない(本件明細書の段落【0017】,【0020】参照),④低表面エネルギー樹脂層の磨耗は,セラミックス溶射層の長周期的凹凸を概ね維持した表面の凸部という極めて小さな部位でしか生じないため,長期間にわたってロール表面の低表面エネルギーが維持され,特性の劣化が生じにくい(本件明細書の段落【0020】参照),⑤公知のセラミックス溶射法を用いて胴表面の凹凸形状の基礎を形成するので(本件明細書の段落【0025】参照),その製造が従来技術(甲4文献~甲6文献)の凹凸面の形成に比較して格段に容易であり,その上,従来技術(甲4文献~甲6文献)における凸部より被印刷体との接触面積を小さくできる(点接触効果をさらに向上できる),⑥セラミックス溶射層の長周期的凹凸を概ね維持し,かつ,表面粗度Rmaxが20~40μmの表面における凸部において被印刷体を受けるため,白抜けの観点からも,圧胴汚れの観点からも,最適な印刷品質を実現できる(本件明細書の段落【0018】,甲9,乙3参照)などの効果を生じさせるためである。
甲1文献,甲3文献ないし甲6文献のいずれも,本件特許発明1のように,セラミックス溶射層の凹凸形状に着目し,短周期的な凹凸と長周期的な凹凸とに区別した上で,これらの凹凸形状をそれぞれ積極的に利用して,短周期的凹凸によって低表面エネルギー樹脂との密着性を高め,かつ,長周期的凹凸の凸部形状を利用して,点接触効果等の有利な効果を生じさせるという技術思想を開示・示唆するものではない。そして,甲1文献は,セラミック溶射層の凹凸を,(短周期的凹凸と長周期的凹凸に分析することなく),テフロンの剥離摩耗を防止する手段として利用する技術思想を開示するものの,その余の公知文献は,セラミックス溶射層に低表面エネルギー性樹脂を被覆させるという技術思想を開示・示唆するものではない。
したがって,甲1発明において,低表面エネルギー樹脂を被覆することを前提として,「セラミックス溶射層を溶射して非常にシャープな突起を形成する短周期的な凹凸と,さらにより長周期的な凹凸とが複合して形成した粗面を形成」することは,当業者といえども容易に想到することができなかったというべきである。
(ウ) 審決における相違点3の判断は,上記(ア)及び(イ)とほぼ同旨であり,これに誤りはない。
(2) 相違点4の認定判断の誤りについて
ア 相違点4の認定について
(ア) 甲1文献には,セラミックス溶射層及び低表面エネルギー樹脂のコーティングについて,「金属ローラ1の表面2にセラミック3を溶射して同表面2を凹凸の粗面に加工し,同表面2の凹部5にテフロン4が充填されるように同表面2にテフロン4をコーティングしてなる」(1頁2欄24行~2頁3欄2行)との記載があるにとどまり,低表面エネルギー樹脂のコーティングがセラミックス溶射層に対しどのような関係で付着しているのか,また,その表面性状がどのようなものであるかについては,特に記載はない。
(イ) 原告は,甲1発明を普通にコーティングして実施すれば,相違点4に係る本件特許発明1の構成を自ずと得ることができる旨主張し,その根拠の一つとして,甲24に示される技術を指摘する。
しかし,甲24に基づく原告の主張は,以下のとおり,失当である。
原告の上記主張は,本件特許発明1に,セラミック溶射層の凹部に充填された低表面エネルギー樹脂がセラミック溶射層の凸部を超える厚さを有する態様(原告主張の態様A)が含まれることを前提とするものであるところ,上記前提は誤りである。すなわち,本件特許発明1は,「その表面性上がセラミックス溶射層の長周期的な凹凸を概ね維持するようにして」と規定されていることにより,低表面エネルギー樹脂の厚さについても実質的に要件化されている。このことは,本件明細書の段落【0018】ないし【0020】,特に段落【0018】の「セラミックス溶射層12に起因する凹凸が完全に埋没してしまうものではなく,前記うねり状凹凸は概ね維持され,滑らかな凹凸を有する粗面が形成できるものである。」との記載を参酌すれば,明らかである。「その表面性上がセラミックス溶射層の長周期的な凹凸を概ね維持するようにして」とは,長周期的な凸部よりは低い程度に,凹部には厚く,凸部には薄く,シリコーン等を付着させることで,セラミックス溶射層の長周期的な凹凸形状に近似した形状であるが,より滑らかな凹凸形状を有するものであること意味していると理解すべきである。
また,甲24に示される技術は,本件特許発明1とは技術分野が異なるし,そもそも原告が主張するような事項が記載されているとはいえない。
さらに,甲4文献の第2図や甲5文献の第6図に示されるように,ほぼ同一の厚さでコーティングされることも普通になされるところであるから,凹凸の粗面を有する溶射層にテフロンを普通にコーティングすれば,溶射層の凹部の箇所ではテフロン層は厚く,凸部の箇所では薄くなるのが当然とはいえない。
(ウ) 原告は,かつ一般的な方法で平滑な表面を有する素材上に樹脂材料をコーティングした場合,乾燥後の表面粗度を20μm未満にすることは,一般的に不可能であり,まして,被コーティング材料の表面が凹凸形状を有するものであれば,20μm未満の表面粗度にするためには,研磨などの特殊な後加工をするか,特殊なコーティング方法を用いる必要がある旨主張する。
しかし,被コーティング材料が凹凸形状であろうと平滑であろうと,その上にコーティングされる樹脂層の表面を平滑なもの(表面粗度20μm未満)とすることは,技術的に可能であり,むしろ容易である。底がでこぼこのバケツに液体を汲んでも,その表面が平滑面になるのと同様に,セラミックス溶射層の凸部を超える高さまで厚く低表面エネルギー性樹脂を被覆すれば,その表面は少なくとも,20μm未満の表面粗度には,容易になり得る。
そもそも,甲1発明では,セラミックス溶射層にテフロンが被覆されているが,その表面性状はフラットなものしか想定されていない(2頁3欄13行~21行,図面を参照)。すなわち,甲1文献の図1(b)のように,セラミックス溶射層の凸部の高さをはるかに超えた厚さでコーティングすれば,限りなく平滑な面となっているはずであり,少なくとも20μm未満の表面粗度であることは明らかというべきである。
(エ) 原告は,甲1発明を普通にコーティングして実施すれば,相違点4に係る本件特許発明1の構成を自ずと得ることができるとの原告主張の根拠の一つとして,甲6文献において,溶射層(shell)の表面の粗度がRmax20~100μmとされている旨指摘する。
しかし,甲6文献には,表面粗さが20~100μmである旨の記載はあるが,粗度指標の種類(Rmaxなのか,Raなのか,Rzなのか)が明らかでない。粗度指標が異なれば,数値が同じであっても,凹凸形状は全く異なるから,甲6文献には,Rmax20~100μmとの開示はない。
(オ) 前記(ウ)のとおり,甲1発明は,セラミックス溶射層にテフロンが被覆されているが,その表面性状はフラットなものしか想定しておらず,テフロンコーティング後にセラミックスの凹凸を残すという技術発想や長周期的な凹部に厚く凸部に薄くという技術思想を開示・示唆するものでないことは明らかであるから,相違点4に係る本件特許発明1の構成を有するものとはなり得ない。
(カ) 上記(ア)ないし(オ)のとおりであるから,審決における相違点4の認定に誤りはない。
イ 相違点4の判断について
(ア) 甲1発明は,凹凸面の凸部で被印刷体を受ける(点接触効果を利用する)という技術思想はなく,セラミックス溶射層を単にテフロンの剥離磨耗を防止する手段とし,インキの移行防止はもっぱら平滑なテフロン層によるインキ反発性をもって行う思想しかない。
したがって,低表面エネルギー性樹脂をコーティングする技術思想のない甲3発明や,表面の凹凸面をセラミックス溶射層の長周期的な凹凸をもって形成する技術思想のない甲4発明ないし甲6発明を参酌したとしても,これらには,本件特許発明1のように,低表面エネルギー性樹脂をコーティングするに当たりセラミックス溶射層の長周期的な凹凸を概ね残すことによって滑らかな凹凸面を形成するという技術思想がないから,当業者が相違点4に係る本件特許発明1の構成に想到することは容易とはいえない。まして,その表面粗度Rmaxを20~40μmとすることは不可能である。
(イ) 甲4発明は,半球状突起を有する面にシリコン層を設けたものであり,甲5発明は,直径0.001~0.005inchの球体を接着層に50~75%埋設させて凹凸を形成した面にインキ反撥性フィルムを積層したものであり,甲6発明は,外皮層の凹部はテフロンなどの反撥性物質で密閉されていること,その外皮層(耐摩耗性外層)の表面の粗さが20~100μmであること及び外皮層がテフロンなどによって完全にシールドされることであり,いずれも金属製ローラー基材に溶射によりセラミックス溶射層を設け,その溶射層の上に樹脂層を設けるものではない。
したがって,低表面エネルギー樹脂がセラミックス溶射層と密着性が良く,圧胴または中間胴は被印刷体からのインキの移行が起こりにくく,移行したインクも乾燥した布材等で軽く触れるだけで容易に除去できる等の特定目的のために,相違点4に係る本件特許発明1の構成とすることは当業者が容易になし得たとはいえない。
(ウ) 以上のとおりであるから,審決における相違点4の判断に誤りはない。
2 取消事由2(本件特許発明2ないし4についての認定判断の誤り)
上記1のとおり,原告主張の取消事由1は理由がないから,これと同様の理由により,原告主張の取消事由2も理由がない(なお,原告は,本件特許発明2ないし4に固有の構成の容易想到性についても主張するが,これらの点は審決の結論に影響するものではなく,審決の取消事由とはならない。)。
第5当裁判所の判断
1 取消事由1(本件特許発明1に係る認定判断の誤り)について
(1) 本件特許発明1について
本件の事案に鑑み,まず,本件特許発明1の構成について検討する。
ア 本件明細書(甲19,20)によれば,以下の点を認めることができる。
(ア) 本件特許発明1は,各種印刷装置における圧胴又は中間胴の改良に関するものであって,インキの付着汚染が少なく,洗浄が容易で耐久性が高く,両面印刷時における裏汚れ,片面印刷時における被印刷物幅変更に起因する印刷物汚れといった問題の発生が少ないオフセット印刷機用の圧胴及び中間胴を提供することを目的とするものであり(段落【0001】,【0010】など),その表面性状がセラミックス溶射の長周期的な凹凸を概ね維持するようにして表面粗度Rmax20~40μmで,滑らかな凹凸表面を有すること(段落【0011など】〔判決注:甲20の8頁19行に「表面粗度Rmax20~40m」とあるのは,「表面粗度Rmax20~40μm」の誤記と認める。〕)によって,圧胴又は中間胴が被印刷体と接触する際に,ローラ表面全体で接触することなく,滑らかな突起においてのみ接触すること(点接触)を可能ならしめるものであり,その表面が低表面エネルギー樹脂であることと相まって,被印刷体からのインキの移行を抑え,移行した場合も乾燥した布材等で軽く触れるだけで容易に除去でき,極めて長期間使用されたとしても全体的に磨耗剥離してしまうといったことが生じず,滑らかな突起という小さな部位でのみ磨耗が生じるため,長期間にわたってロール表面の低表面エネルギーが維持され,特性の劣化が生じにくい(段落【0019】,【0020】など)。
(イ) 滑らかな突起の密度は,20μm×20μm平方ないし100μm×100μm平方,特に30μm×30μm平方~60μm×60μm平方当りに1ケ程度の割合で均一に分散して存在することが望ましいとされ(段落【0018】など),また,低表面エネルギー樹脂の厚さは,セラミックス溶射層の表面を実質的に全面的に覆うが,長周期的な凹凸の凹部には厚く,その凸部には薄く付着するため,平均膜厚として規定することは困難であるが,長周期的な凹凸が完全に埋没してしまうものではなく,その凹凸は概ね維持され,全体を通じて0.5~20μm程度の厚さにおいて付着することが望ましい(段落【0036】など)。
イ 本件明細書の特許請求の範囲の請求項1の記載は,前記第2,2のとおりであって,本件特許発明1において,滑らかな突起の密度及び低表面エネルギー樹脂の厚さは,何ら具体的に特定されていない。したがって,本件特許発明1は,次のとおり,その目的とする点接触効果が奏されるとは限らない態様を含む発明であるというべきである。
すなわち,滑らかな突起の密度が上記ア(イ)の望ましいとされる範囲外である場合,滑らかな突起の間隔が広ければ,被印刷体は滑らかな突起以外でもロール表面に接触することとなり,点接触効果を奏することができないことになる。
また,低表面エネルギー樹脂の厚さが望ましい厚さを超える場合,例えば原告主張の態様Aも,本件特許発明1に含まれることになるが,この場合には,たとえ滑らかな突起の密度が望ましいとされる範囲内であったとしても,ロール表面の低表面エネルギー樹脂が使用に伴い摩耗し,滑らかな突起において20μm程度摩耗が進むと,点接触の状態でなくなることが明らかであるから,前記ア(ア)の「極めて長期間使用されたとしても全体的に磨耗剥離してしまうといったことは生じず,滑らかな突起という極めて小さな部位で磨耗が生じるのみであるため,長期間にわたってロール表面の低表面エネルギーが維持され,特性の劣化が生じにくい」との作用効果を奏することができないことになる。
ウ 以上を前提として,審決における相違点3及び4の認定判断について,検討する。
(2) 相違点3の認定判断の誤りについて
原告は,普通かつ一般的なセラミックス溶射方法によって甲1発明を実施すれば,相違点3に係る本件特許発明1の構成を自ずと得ることができる旨主張する。
ア 本件明細書によれば,本件特許発明1のセラミックス溶射層は,例えば,「Rmax30~50μm程度の粗面であり,かつ……微細な気孔を気孔率5~20%で有するもの」(段落【0016】)として形成され得るものであり,その製造方法も,「金属製ローラ基材表面または金属溶射層表面上に,例えばプラズマジェット溶射法等の公知のセラミックス溶射法を用いることにより,セラミックス溶射層を形成する。……セラミックス材料の選択は,金属製ローラ基材または溶射金属との密着強度,耐磨耗性,ならびに得られるセラミックス溶射層が……微細な気孔(連続気孔)を気孔率5~20%で有しかつその表面粗度がRmax30~50μm程度となること等の点に,経済性を考慮して行なえば良い」(段落【0025】)ことが認められる。
なお,被告承継人は,「Rmax30~50μm程度を達成するようにセラミックスを溶射すれば,凹凸の凸部が存在する割合(ピッチ)は,ほぼ必然的に,点接触効果を奏するために必要かつ十分な割合(請求項2で規定する割合の範囲内か,それに近い割合)で存在することになる。」(平成19年1月31日付け準備書面(2)32頁)と主張しており,セラミックス溶射層の表面粗度がRmax30~50μmとなるように溶射することにより,ほぼ必然的に本件特許発明1の構成を満たすセラミックス溶射層が形成されることを自認しているものと解される。
イ 甲1文献の「従来はガイドローラーBにインクが付着しにくいようにするため,第4図のように金属ローラーCの表面DにテフロンEをコーティングしたガイドローラーFが使用されていた。……しかし第4図のガイドローラーFは金属ローラーCの表面が平滑であるため,同表面DへのテフロンEの食付きが悪く,同テフロンが剥がれ易いという欠点があった。」(1頁2欄4行~12行),「本考案のガイドローラーは,第1図aのように金属ローラー1の表面2にセラミック3を溶射して同表面2を凹凸の粗面に加工し,……同表面2にテフロン4をコーティングしてあるので,同セラミック3へのテフロン4の食付きが良い。」(1頁2欄23行~2頁3欄8行)との記載によれば,甲1発明においては,金属ローラーの表面にセラミックスを溶射し,その表面を凹凸にして表面積を増やしたところに,低表面エネルギー性樹脂であるテフロンをコーティングするので,テフロンが密着性高くコーティングされたローラーが得られることが認められる。
ウ 甲3文献には,圧胴等の周面に,酸化物,炭化物等のセラミックスをプラズマ溶射して凹凸溶射面を形成し得ることが記載されており,例えば,第5図は,ブラスト加工を施した後の凹凸溶射面であるから,その表面粗度はともかく,セラミックスの溶射によって,短周期的凹凸と長周期的凹凸からなる凹凸溶射面が形成されるものであることが読みとれる。
エ 証拠(甲2の1,2)及び弁論の全趣旨によれば,甲2文献の「一般的に,溶射皮膜は溶射材料と溶射方法及び溶射条件によって異なるが,約数%から20%の範囲の気孔を有する」との記載は,溶射皮膜が有する一般的な気孔率についての本件特許の優先日前における知見を示すものと認められる(なお,かような気孔を有する溶射皮膜が多孔質であることは,当業者には自明というべきである。)
オ 上記アないしエによれば,相違点3に係る本件特許発明1の構成(セラミックス溶射層)は,公知のセラミックス溶射法によってセラミックスを溶射することにより,通常形成される溶射皮膜について,気孔率や表面性状を特定して記載したものにすぎないというべきである。すなわち,本件特許発明1のセラミックス溶射層が,気孔率5~20%とされている点,多孔質とされている点,短周期的凹凸と長周期的凹凸とからなる凹凸溶射面を有するとされている点は,いずれも特殊な構成ではなく,公知のセラミックス溶射法によってセラミックスを溶射することにより,通常形成されるものにすぎないと認められる。なお,本件明細書には,気孔率の下限について,「気孔率が5%未満では表面活性樹脂がセラミックス溶射層内部に十分に入り込めず剥離性が高まる虞れがあり」(段落【0026】)との記載があるが,甲1文献の「テフロン4をコーテイングしてあるので,同セラミツク3へのテフロン4の食付きが良い」(2頁3欄6行~8行)との記載に示されるように,甲1発明では,セラミックス溶射層と低表面エネルギー性樹脂であるテフロンとの密着性が意識されているから,甲1発明において,気孔率の下限を5%とすることは,当業者の通常の創作能力の範囲を超えるものとは認められない。
このように,相違点3に係る本件特許発明1の構成(セラミックス溶射層)は,本件特許発明1の技術思想を有するか否かにかかわらず,公知のセラミックス溶射法を用いることにより,自ずと形成され得るセラミックス溶射層の態様にすぎないから,甲1発明を公知のセラミックス溶射法によって実施することにより,同発明が当然に備えることとなる構成であるか,少なくとも容易に想到し得る構成にほかならないというべきである。
付言するに,本件明細書には,本件特許発明1のセラミックス溶射層について,「その表面粗度がRmax30~50μm程度を有することが望まれるのは,セラミックス溶射層表面上に後述するような低表面エネルギー性樹脂を堆積した際に,該低表面エネルギー性樹脂が安定に付着しかつ最終的に必要かつ十分な大きさの滑らかな凹凸が形成され易い範囲であるからである。」(段落【0026】)との記載があるが,弁論の全趣旨によれば,セラミックス溶射層の表面粗度をRmax30~50μm程度とすることは,特殊なセラミックス溶射法を用いることにより初めて可能となるものではなく,公知のセラミックス溶射法によってセラミックスを溶射することにより実現可能であり,また,既に説示したとおり,甲1発明では,セラミックス溶射層と低表面エネルギー性樹脂であるテフロンとの密着性が意識されているから,甲1発明において,セラミックス溶射層の表面粗度をRmax30~50μm程度とすることが,格別困難であるとは認められないところ,前記(2)アのとおり,被告承継人は,セラミックス溶射層の表面粗度がRmax30~50μmとなるように溶射することにより,ほぼ必然的に本件特許発明1の構成を満たすセラミックス溶射層が形成されることを自認している。
カ 被告承継人は,溶射皮膜は溶射材料と溶射方法及び溶射条件によって異なり,気孔率25%の溶射層(甲14)や,気孔率0.3%~0.5%以下の溶射層(甲17)など本件特許発明1における気孔率の範囲外のものも存在するから,甲1発明のセラミックス溶射層が「気孔率5~20%」であるとはいえない旨主張する。しかし,甲14は断熱を目的として気孔率の高い溶射層を得ることに関するものであり,また,甲17は溶射皮膜の密着力を高めるため,気孔を大幅に減少されることに関するものであって,通常形成されるセラミックス溶射層の気孔率を示すものとはいえない。その他本件記録を検討しても,「気孔率5~20%」との数値範囲が特殊なものとは認められない。
また,被告承継人は,甲1文献が,本件特許発明1の技術思想を開示・示唆するものではない旨主張する。しかし,上記オのとおり,相違点3に係る本件特許発明1の構成は,技術思想のいかんにかかわらず,甲1発明を公知のセラミックス溶射法によって実施することにより,同発明が当然に備えることとなる構成であるか,少なくとも容易に想到し得る構成というべきであり,技術思想の有無はこの判断を左右するものとはいえない。
キ 審決は,「本件特許発明1におけるセラミックス溶射層の気孔率の限定は後工程で低表面エネルギー性樹脂層を安定して複合形成するために特定数値範囲内としているのであるから,単に一般的な溶射被膜の気孔率を記載している甲第2号証の記載から容易になし得ることとはいえない。」(審決書7頁2行~6行),「本件特許発明1において,『セラミックス溶射層を溶射して非常にシャープな突起を形成する短周期的な凹凸と,さらにより長周期的な凹凸とが複合して形成した粗面を形成』しているのは,後工程で低表面エネルギー樹脂がセラミックス溶射層と密着性がよく複合被膜化するためのものであり(本件特許明細書の段落【0017】参照),後工程で樹脂被膜を形成することを前提としていない甲第3号証記載の発明を後工程で低表面エネルギー樹脂を被覆して印刷装置の圧胴または中間胴に適用することは当業者が容易になし得ることとは認められない。」(審決書7頁10行~17行)などと判断しているが,前記オのとおり,相違点3に係る本件特許発明1の構成は,技術思想のいかんにかかわらず,甲1発明を公知のセラミックス溶射法によって実施することにより,同発明が当然に備えることとなる構成であるか,少なくとも容易に想到し得る構成にほかならないというべきであって,後工程の有無により左右されるものではないから,審決の上記判断はいずれも誤りというべきである。
ク 以上によれば,相違点3は,実質的な相違点とは認められないというべきであるか,少なくとも当業者が甲1発明に基づいて容易に想到することができたというべきであり,審決における相違点3の認定判断は誤りといわざるを得ない。
(3) 相違点4の認定判断の誤りについて
原告は,相違点4に係る本件特許発明1の構成は,甲1発明を普通にコーティングして実施することにより,得られる旨主張する。
ア 前記(2)のとおり,相違点3に係る本件特許発明1の構成は,技術思想のいかんにかかわらず,公知のセラミックス溶射法によって,甲1発明を実施することにより,同発明が当然に備えることとなる構成であるか,少なくとも容易に想到し得る構成にほかならない。
そして,甲1発明におけるセラミックス溶射層の上にコーティングされる低表面エネルギー樹脂(テフロン)は,溶射されて直ちに完全に固化する場合には,セラミックス溶射層の凹凸にほぼ沿った凹凸表面を呈する態様となるが,溶射され固化するまでに流動性が維持されている時間(その長短は,温度等の条件にも依存する。)がある場合には,低表面エネルギー樹脂は,溶射後,セラミックス溶射層の凹部へ流れ落ちる結果,セラミックス溶射層の長周期的な凹部には厚く,凸部には薄く残って固化し,セラミックス溶射層の凹凸表面よりも高低差が小さい凹凸表面を形成し,滑らかな凹凸を形成することになると解される。
したがって,低表面エネルギー樹脂は,その量が少ない場合には,①セラミックス溶射層の凹部を埋め尽くす(充填する)ことなく,セラミックス溶射層全体を薄く覆い,本件明細書の【図2】のようになり,目的とする点接触効果を奏する態様になると解されるが,その量が多い場合には,②セラミックス溶射層の凹部へ流れ落ちる量が多く,セラミックス溶射層のうねり状凹凸に対応した滑らかな凹凸を維持しつつも,セラミックス溶射層の凹部を埋め尽くし(充填し),原告主張の態様Aになる場合もあり,また,セラミックス溶射層の凹部を埋め尽くす(充填する)に十分な量の低表面エネルギー樹脂がコーティングされる場合には,③低表面エネルギー樹脂の表面が,平滑になるなど,セラミックス溶射層のうねり状凹凸に対応した凹凸表面を維持しなくなる場合もあり得ると解される。
しかるところ,前記(1)イのとおり,本件特許発明1は,上記①の態様のみならず,上記②の態様をも含むものであるから,本件特許発明1は,その低表面エネルギー樹脂が,たとえ「その表面性状がセラミックス溶射の長周期的な凹凸を概ね維持するようにして表面粗度Rmax20~40μmで,滑らかな凹凸を有するもの」として形成されるとしても,前記②の態様(原告主張の態様Aに相当。)のように,圧胴または中間胴として,目的とする点接触効果を奏するとは限らない態様をも包含する発明であるということができる。
イ 被告承継人は,本件特許発明1は,「その表面性上がセラミックス溶射層の長周期的な凹凸を概ね維持するようにして」と規定されていることにより,低表面エネルギー樹脂の厚さについても実質的に要件化されており,このことは本件明細書の段落【0018】ないし【0020】の記載を参酌すれば明らかであると主張する。
しかし,前記(1)イのとおり,本件明細書の特許請求の範囲の請求項1の記載によれば,本件特許発明1において,低表面エネルギー樹脂の厚さが限定されているとはいえない。被告承継人の主張は,発明の詳細な説明を参酌することにより,特許請求の範囲を限定解釈しようとするものであって,採用することができない。
ウ 甲24には,「導電性の基体表面に溶射によって金属粒子を溶着させ,その表面に誘電体をコーティングし,その硬化後に,表面を研磨ないしは研削して前記金属粒子の導電面と,誘電体を表面に露出させることを特徴とするトナー担持体の製造方法。」(1頁左下欄5行~9行),「先ず,第5図に示すように現像ローラの素材となる導電性の基体,すなわち円筒状の導電性ローラ10を切削などによって加工して製作する。このローラ10としては,Al,Cu,Fe等の金属製ローラが用いられる。次に第6図(a)に拡大して示す如く,導電性ローラ10の表面に溶射によって金属粒子112を分散させて溶着する。……溶射は,溶融状態の金属をエア等の媒体によって,導性ローラ10に吹きかけ,その金属粒子112をローラ10の表面に固着させる方法であり,かかる金属粒子112としては,Al,Ni,Cuなどの純金属や合金が適宜使用される。その粒径は10乃至500μm,特に50乃至200μm程度である。上述の金属粒子112が硬化した後,第6図(b)に示す如く導電性ローラ10の表面に誘電体11をコーティングし,これを乾燥硬化させる。このときの誘電体11の塗布厚みは全ての金属粒子112が埋まるようにする。誘電体11としては先に例示したもの,例えばフッ素樹脂(旭硝子社製ルミフロンLF200)を用い,これをコーティングした後,100℃の温度下で約30分間乾燥させる。」(5頁右上欄3行~左下欄末行),「ところで,第2図乃至第6図に示した現像ローラ5においては,その各金属粒子112を互いに分散した状態で導電性ローラ10に固着したが,第8図(a)に示すように,導電性ローラ10上に溶射によって溶着した金属粒子112を部分的又は全体に亘って互いに一体に溶着させ,その表面に凹凸を作るようにしてもよい。この場合も,第8図(b),(c)に示す如く,その上に誘電体11をコーティングし,かつその硬化後にその表面を研磨ないしは研削することによって,誘電体表面中に導電面12が分散した現像ローラ5を得ることができる。」(6頁左下欄1行~12行)との記載がある。
上記記載並びに第6図及び第8図によれば,甲24には,金属製ローラの表面に,10乃至500μmの粒径を有する金属粒子を溶着させて形成した凹凸面に,フッ素樹脂をコーティングした物品が記載されており,金属製ローラ表面上,溶着した金属粒子によって形成される凹凸面が,互いに独立に溶着している多数の金属粒子からなるか,互いに溶着一体化している金属粒子からなるかにかかわらず,その凹凸面にフッ素樹脂がコーティングされ,その凹部を埋め尽くす(充填する)厚みとなる場合であっても,フッ素樹脂表面は,溶着した金属粒子によって形成される凹凸表面に対応した滑らかな凹凸を維持するものとなっていることが看取される(なお,甲24は,印刷装置において使用される圧胴または中間胴に関するものではないが,セラミックス,金属など,樹脂よりも高融点の無機系材料からなる10ないし500μm程度の凹凸表面に,低表面エネルギー樹脂をコーティングする場合に,その樹脂が形成し得るコーティング構造,あるいは,コーティング時の樹脂の挙動の限りで,これを斟酌することができるというべきである。)。
甲24の上記技術内容は,低表面エネルギー樹脂の量が多い場合には,セラミックス溶射層の凹部へ流れ落ちる量が多く,セラミックス溶射層のうねり状凹凸に対応した滑らかな凹凸を維持しつつも,セラミックス溶射層の凹部を埋め尽くし(充填し),本件特許発明1の態様Aになる場合もあり得るという,前記アの理解を支持するものである。
エ 相違点4に係る本件特許発明1の構成において,低表面エネルギー樹脂をコーティングした複合被覆皮膜の表面粗度を「Rmax20~40μm」と規定していることについて,本件明細書には,「最終的な表面粗度Rmaxは代表的には20~40μm程度とすることが望ましい。」(段落【0018】)などと記載されているにとどまり(段落【0012】及び【0037】も同旨),上記表面粗度の数値自体に格別の技術的意義があることを裏付ける記載は見当たらない。
オ 以上によれば,本件特許発明1の要件を満たすセラミックス溶射層の表面に,低表面エネルギー樹脂を普通にコーティングする場合,本件明細書の【図2】のようになり,目的とする点接触効果を奏する態様(前記①の態様)になる場合もあり得るし,態様A(前記②の態様)になり,所期の点接触効果を奏さない場合もあり得るものであり,さらには,セラミックス溶射層のうねり状凹凸に対応した凹凸表面が維持されず,点接触自体が実現しない態様(③の態様)になる場合もあり得るところ,本件特許発明1は所期の点接触効果を奏さない「態様A」(②の態様)をも含むものであり,また,低表面エネルギー樹脂をコーティングした複合被覆皮膜の表面粗度を「Rmax20~40μm」と規定している点にも,前記エのとおり,格別な技術的意義があるとは認められないから,相違点4に係る本件特許発明1の構成は,点接触効果を得るという技術思想とは関係なく,甲1発明を普通に実施することによって形成され得る態様の一つであるということができる。
被告承継人の主張は,上記説示したところに照らし,採用することができない。
カ 審決は,「本件特許発明1は,セラミックス溶射層の長周期的な凹部には厚く,一方長周期的な凸部には薄く付着するように低表面エネルギー樹脂をコーティングした複合被覆皮膜が形成されており,かつその表面性状がセラミックス溶射の長周期的な凹凸を概ね維持するようにして表面粗度Rmax20~40μmで,滑らかな凹凸を有するものであって,低表面エネルギー樹脂のコーティング皮膜が特定性状をしているのは,セラミックス溶射層の特定の凹凸表面層を反映したものといえるから,セラミックス溶射層の表面性状とコーティング皮膜の表面性状の関係について特段の考慮をしているものとは認められない甲第4ないし6号証から当業者が容易になし得たものということはできない。また,請求人は,表面全体を覆うようにして低表面エネルギー性樹脂をコーティングし,急峻な凹凸を埋めて滑らかな凹凸を形成しようとした場合,セラミックス溶射層の長周期的な凹部には厚く,一方長周期的な凸部には薄く付着するのは当然である旨の主張をしているが,これを裏付ける客観的な証拠があるわけではないし,低表面エネルギー性樹脂をコーティングしたときその条件によっては,本件特許発明1のような表面性状になる場合もあり得るとしても,低表面エネルギー樹脂がセラミックス溶射層と密着性が良く,圧胴または中間胴は被印刷体からのインキの移行が起りにくく,移行したインクも乾燥した布材等で軽く触れるだけで容易に除去できる等の特定目的のためにこのような表面性状とすることが当業者にとって容易であるものとはいえない。」(審決書8頁7行~27行)と判断しているが,既に検討したとおり,相違点4に係る本件特許発明1の構成(低表面エネルギー樹脂)は,点接触効果を得るという技術思想,すなわち,本件特許発明1の目的及びそのための特段の考慮の有無とは関係なく,甲1発明を普通に実施することによって形成され得る態様の一つであるから,その容易想到の判断は,本件特許発明1の目的及びそのための特段の考慮の有無により左右されるべきものではない。したがって,審決の上記判断は,誤りというべきである。
(4) 小括
以上によれば,本件特許発明1のうち相違点3及び4に係る構成につき容易想到性の判断を行うに際しては,甲1発明において,普通かつ一般的なセラミックス溶射方法によってセラミックス溶射層を形成し,これを普通にコーティングすることにより得られる態様との関係で,本件特許発明1が進歩性を有するか否かについて,検討することが必要というべきである。しかるに,審決はこのような検討を行うことなく,本件特許発明1のうち相違点3及び4に係る構成につき,当業者は容易に想到することができないと判断したものであるから,審決の判断は誤りというほかはない。
そして,審決は,「相違点1及び2については検討するまでもなく,本件特許発明1は当業者が容易に発明をすることができたものとすることはできない。」(審決書8頁30行~31行)としており,相違点1及び2が実質的な相違であって,容易想到でない旨の判断をしたものではないから,相違点3及び4の認定判断の誤り(審理不尽)は,本件特許発明1についての特許に係る審判請求を不成立とした審決の結論に影響するといわざるを得ない。
上記によれば,原告主張の取消事由1は理由がある。
2 取消事由2(本件特許発明2ないし4についての認定判断の誤り)について
審決は,本件特許発明2ないし4について,いずれも本件特許発明1の構成をその構成の一部とするものであるから,本件特許発明1と同様の理由により,当業者が容易に発明をすることができたものとすることはできないと認定判断したものであり,本件特許発明2ないし4と甲1発明との相違点として,相違点1ないし4以外の相違の有無及びその容易想到性について何ら判断をしていない。したがって,相違点3及び4についての審決の認定判断の誤りは,本件特許発明2ないし4についての特許に係る審判請求を不成立とした審決の結論に影響するといわざるを得ない。
したがって,原告主張の取消事由2も理由がある。
3 結論
以上のとおり,原告主張の取消事由1及び2はいずれも理由があり,審決は本件特許発明1ないし4についての特許のいずれに関しても,取消しを免れない。
したがって,原告の請求はいずれも理由があるからこれを認容することとし,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 三村量一 裁判官 嶋末和秀 裁判官 上田洋幸)