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知財高等裁判所 平成19年(行ケ)10206号 判決 2008年1月31日

原告

日本ボールドウイン株式会社

訴訟代理人弁理士

中野佳直

被告

特許庁長官 肥塚雅博

指定代理人

番場得造

尾崎俊彦

七字ひろみ

森川元嗣

大場義則

主文

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1請求

特許庁が不服2004-10472号事件について平成19年5月1日にした審決を取り消す。

第2争いのない事実

1  特許庁における手続の経緯

原告は,平成9年1月22日,発明の名称を「シリンダ洗浄制御方法」とする特許出願(以下「本願」という。)をした。その後,原告は,平成14年1月8日付けの手続補正書により,本願の願書に添付した明細書の発明の詳細な説明及び図面の記載を補正する手続補正をし,さらに平成15年12月18日付け手続補正書により,上記明細書の特許請求の範囲及び発明の詳細な説明の記載を補正する手続補正をしたが,本願につき平成16年4月14日付けの拒絶査定を受けた。そこで,原告は,同年5月19日,上記査定に対する不服の審判を請求し(不服2004-10472号事件),同年6月18日付けの手続補正書により,上記明細書及び図面を補正する手続補正をしたが,特許庁は,平成18年11月24日付けで,原告が平成16年6月18日付けの手続補正書をもってした手続補正を却下する決定をするとともに,拒絶理由通知をした。これを受けて,原告は,平成19年1月29日付け手続補正書により,上記明細書の特許請求の範囲及び発明の詳細な説明の記載を補正(以下,この補正後の明細書を図面と併せて「本願明細書」という。)する手続補正をしたが,特許庁は,同年5月1日,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決(以下「審決」という。)をし,同月15日,その謄本が原告に送達された。

2  特許請求の範囲

本願明細書の特許請求の範囲の請求項1の記載は,次のとおりである(以下,この発明を「本願発明」という。)。

「洗浄布供給体から所定幅を間欠的に供給される洗浄布をパッドによりシリンダ外周に押し付けて該シリンダ外周面を洗浄するシリンダ洗浄装置の制御方法であって,

前記パッドで押し付けた洗浄布のシリンダ表面との接触面をストライプとして,1回の洗浄布の送り長さが洗浄布送り方向の前記ストライプ巾に相当するニップ幅よりも短くしたことを特徴とするシリンダ洗浄制御方法。」

3  審決の理由

別紙審決書写しのとおりである。要するに,本願発明は,本願の出願前に頒布された刊行物である特開平3-290247号公報(以下「引用例」という。甲3)に記載された発明(以下「引用発明」という。)及び周知技術に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであり,特許法29条2項の規定により特許を受けることができないから,請求項2及び3に係る各発明について検討するまでもなく,本願は拒絶を免れない,というものである。

審決は上記判断をするに当たり,引用発明の内容及び本願発明と引用発明との一致点・相違点を下記(1)ないし(3)のとおりそれぞれ認定し,また,シリンダを洗浄布を用いて洗浄する際に,洗浄布の押し付け手段をパッドとすることが,本願の出願前に周知であったことを示すものとして,特開昭63-288754号公報(甲4),特開平5-286127号公報(甲5)及び特開平8-295011号公報(甲6)を示した。

(1)  引用発明の内容

「供給するロールから間欠的に送られる洗浄布(7)を2点の支点(8),(9)によりブランケット胴,圧胴等の回転体(4)外周に押し付けて該回転体(4)の外周面を洗浄する回転体(4)の洗浄装置の洗浄方法であって,

2点の支点(8),(9)によって押し付けた洗浄布(7)の布送り方向の幅が回転体(4)の半径より大きいと共に,1回の洗浄布(7)の送り量がほぼ5mmである回転体(4)の洗浄制御方法。」(審決書3頁10行~16行)

(2)  一致点

「洗浄布供給体から所定幅を間欠的に供給される洗浄布を洗浄布の押し付け手段によりシリンダ外周に押し付けて該シリンダ外周面を洗浄するシリンダ洗浄装置の制御方法であって,1回の洗浄布の送り長さが,洗浄布の送りが停止しているときの洗浄布の押し付け手段で押し付けられた洗浄布のシリンダ表面との接触面(部分)の布送り方向幅よりも短くしたシリンダ洗浄制御方法。」(審決書4頁13行~19行)

(3)  相違点

「洗浄布の押し付け手段が,本願発明ではパッドであるのに対して,引用発明では2点の支点(8),(9)である点。」(審決書4頁20行~22行)

第3取消事由に係る原告の主張

審決は,本願発明と引用発明との対比・判断を誤った結果,一致点・相違点の認定を誤った違法(取消事由1)及び相違点の容易想到性の判断を誤った違法(取消事由2)があるから,取り消されるべきである。なお,引用発明の内容の認定(前記第2,3(1))に誤りがないことは認める。

1  取消事由1(一致点・相違点の認定の誤り)

審決は,以下のとおり,本願発明と引用発明との対比・判断を誤り,これにより,一致点・相違点の認定を誤った。

(1)  審決は,「引用発明の『2点の支点(8),(9)』と本願発明の『パッド』とは,洗浄布の押し付け手段である点で共通している。」(審決書3頁23行~24行,以下,審決の符号に対応して,「共通点イ」という。審決において,引用発明と本願発明とが共通するとしたその余の点も,同様である。)と認定した。

しかし,以下のとおり,共通点イに係る審決の認定は誤りである。

引用発明の「洗浄布の押し付け手段」は,2点の支点(8),(9)間の洗浄布を,シリンダ外周面に対し,張力により押し付け,接触させるものである。このような方式では,大きな張力をかけると洗浄布が破断してしまうことから,洗浄布の単位面積当たりの接触圧を大きくすることができず,洗浄布の接触幅を大きくする必要がある。また,洗浄布を十分な押し付け力でシリンダ外周面に接触させることができないため,望まれる洗浄性能を期待できない。

これに対し,本願発明は,洗浄布をパッドによりシリンダ外周に押し付け,同外周面を洗浄する方式であり,パッドが当接した部分の洗浄布をシリンダ外周面に押し付けるものである。

このように,引用発明と本願発明の「洗浄布の押し付け手段」は,異なる機能を実現する手段である。

なお,被告は,本願の請求項1では,洗浄布を保持する部分を洗浄対象に対して移動させる駆動力を発生させる部分について,具体的特定がないと主張するが,本願明細書の発明の詳細な説明(段落【0002】,【0014】)の記載から,本願発明の洗浄布の押し付け手段が,パッドを洗浄対象に対して移動させる駆動力を発生させる部分を具備していることは明らかである。

(2)  審決は,「本願発明の『パッドで押し付けた洗浄布のシリンダ表面との接触面をストライプとして洗浄布送り方向の前記ストライプ巾に相当するニップ幅』と引用発明の『回転体(4)(シリンダ)の外周面に面接触するように押しつけられるように2点の支点(8),(9)間に張設された洗浄布(7)の送り方向幅』とは,洗浄布の送りが停止しているときの洗浄布の押し付け手段で押し付けられた洗浄布のシリンダ表面との接触面(部分)の布送り方向幅である点で共通している。」(審決書3頁36行~4頁4行,以下「共通点エ」という。)と認定した。

しかし,以下のとおり,共通点エに係る審決の認定は誤りである。

「ニップ」ないし「ニップ幅」とは,印刷分野において,「一対のローラが接触している部分」,「2本の円筒がある圧力をもって接する場合の接触幅」,「印刷機の2本の円筒に,圧力をかけることによりできる接触幅」を指す慣用的な技術用語である。パッドをシリンダ外周面に押し付けると,両者の間に押し付け圧力によって接する部分(ニップ)が生じる。

本願発明では,パッドとシリンダ外周面との間に洗浄布を介在させているため,「ニップ幅」とは,パッドをシリンダ外周面に押し付けたときに,洗浄布がシリンダ外周面に押圧接触している部分の幅を指す語として用いられている。

これに対し,引用発明では,押し付け手段による洗浄布の「接触幅」は,洗浄布の背面をパッド等で押したときに,その押された部分がシリンダ外周面に接している幅でないから,「ニップ幅」に該当しない。

(3)  審決は,「印刷装置で用いられるブランケット胴,圧胴等の回転体は,通常,5mmより大きい半径を有しているから,引用発明の『ブランケット胴,圧胴等の回転体(4)』も,その半径は1回の洗浄布の送り量5mmより大きいと考えられ,したがって両者は,1回の洗浄布の送り長さが,洗浄布の送りが停止しているときの洗浄布の押し付け手段で押し付けられた洗浄布のシリンダ表面との接触面(部分)の布送り方向幅よりも短くした点で共通している。」(審決書4頁5行~11行,以下「共通点オ」という。)と認定した。

しかし,以下のとおり,共通点オに係る審決の認定は,引用発明が,洗浄布のシリンダ表面との接触面(部分)の布送り方向幅よりも短い1回の洗浄布の送り長さとした趣旨を正解していない点で誤りがある。

すなわち,引用発明では,洗浄布のシリンダ表面との接触面(部分)の幅は,2つの支点間のシリンダ外周の円弧長にほぼ等しく,引用例の第4図や第11図に明示されている洗浄布の接触領域の長さを1回の洗浄布の送り長さにしたのでは,「少い洗浄布の使用量で洗浄する」という引用発明における課題が解決できない。このため,引用発明では,常識的に,洗浄布のシリンダ表面との接触面(部分)の布送り方向幅よりも短い1回の洗浄布の送り長さとしたにすぎない。引用発明は,1回の洗浄布の送り長さについて,2つの支点間に洗浄布を張っているためシリンダ外周面に接する部分の幅が長いことを考慮しているだけで,パッドの押し付け圧力によってシリンダ外周面との間で形成されるニップを1回の洗浄布の送り長さに関係付けるという発想はない。

2  取消事由2(相違点に係る容易想到性の判断の誤り)

審決は,「引用発明において,洗浄布の押し付け手段として,2点の支点(8),(9)に代えて,周知のパッドを採用することは当業者が容易に想到できることであり,その作用効果も格別なものでない。」(審決書4頁36行~38行)と判断した点には,以下のとおり誤りがある。なお,本願発明に対応する発明は,米国,欧州,中国,韓国において,それぞれ特許が付与されており(甲10~13),このうち,欧州では,審査において,引用例に対応するドイツ国特許出願の公開公報(甲14)が引用されていることに照らしても,審決のした判断は誤りである。

(1)  パッドを採用した点の容易想到性について

引用発明において,2点の支点(8),(9)に代えてパッドを用い,パッドの押し付け圧力によってシリンダ外周面との間に形成されるニップ幅に着目した洗浄布の1回の布送り量制御を実施する洗浄方法を採用することは,困難である。

パッド方式への転用可能性があるとするためには,引用例に示唆のあることが必要であるというべきであるが,引用例には,そのような点を示唆する記載はない。したがって,「洗浄布を2点の支点によりシリンダ外周に押し付けているものに限らずに採用できることは,その洗浄方法自体から自明である。」(審決書4頁30行~31行)ということはできない。

確かにパッド方式自体は周知の手段である。しかし,「洗浄布の押し付け手段」として,引用発明における2点の支点(8),(9)に代えて,周知のパッド方式を採用した場合は,当該周知のパッド方式で採用されている間欠的な布送り制御を想起することができるにすぎず,周知のパッド方式では,1回の布送り長さの設定につき,パッドの押し付け圧力によってシリンダ外周面との間に形成されるニップ幅に着目した技術を想起することはできない。

(2)  阻害要因の存在

そもそも,引用発明は,パッド(押圧部材)を用いた押し付け手段を具備する従来の洗浄装置における「単位時間当りの洗浄能力が劣り,そのために1回の洗浄時間が長くかつ洗浄布の使用量が多く,また構造も複雑である」という課題を解決するため,パッド(押圧部材)に替えて,2点の支点間に洗浄布を張設し,これをシリンダ外周に押しつけることにより,従来のパッド(押圧部材)によるほぼ線状の接触でなく,シリンダ回転方向に広い面積で接触させる技術を採用したものである(甲3,2頁右上欄20行~左下欄7行参照)。

したがって,洗浄布をシリンダ外周面にほぼ線状に接触させるパッド(押圧部材)を用いた洗浄装置における課題解決に転用することを阻害する要因があるというべきである。

(3)  格別の作用効果の存在

本願発明のシリンダ洗浄制御方法は,パッドで押し付けた洗浄布のシリンダ表面との接触面をストライプとして,1回の洗浄布の送り長さが洗浄布送り方向の前記ストライプ巾に相当するニップ幅より短くしたことを特徴としており,本願明細書の段落【0016】ないし【0021】及び図6ないし13の記載に示されるとおり,洗浄布の送りの型式を適切に設定することにより,洗浄布の効果的な使用が可能になり,洗浄布の使用量が低減できるという格別な作用効果を奏するものである。

第4取消事由に係る被告の反論

審決の認定判断に誤りはなく,原告主張の取消事由はいずれも理由がない。

1  取消事由1(一致点・相違点の認定の誤り)について

審決には,以下のとおり,本願発明と引用発明との対比の認定に誤りはなく,一致点・相違点の認定にも誤りはない。

(1)  本願発明と引用発明との対比の誤りについて

「洗浄布の押し付け手段」とは,洗浄布が洗浄対象に対して接触圧力をもって接触している状態を実現する手段であって,通常,①洗浄布を洗浄対象に対して直接的に対峙させ(向き合わせ),洗浄布を保持する部分と,②当該部分を洗浄対象に対して移動させる駆動力を発生させる部分とからなる。

本願の請求項1では,「洗浄布の押し付け手段」に関し,「洗浄布をパッドによりシリンダ外周に押し付けて」及び「パッドで押し付けた洗浄布」と記載されているだけで,上記②の部分については,具体的特定がないから,審決は,上記①の機能に着目した「洗浄布の押し付け手段」を摘示した(なお,上記②の部分については,本願明細書の発明の詳細な説明において,洗浄ユニット作動用シリンダ等により構成することが記載されている。)。

これに対し,引用例には,エアーシリンダー115によって部分を洗浄対象に対して移動させる駆動力を発生させ,「2点の支点(8),(9)」によって,洗浄布を洗浄対象に対して直接的に対峙させ(向き合わせ),洗浄布を保持していることが記載されている。

そうすると,引用発明の「2点の支点(8),(9)」と本願発明の「パッド」は,いずれも洗浄布を洗浄対象に対して直接的に対峙させ(向き合わせ),洗浄布を保持する部分であって,「洗浄布の押し付け手段」を有する点で共通するから,審決の認定に誤りはない。

なお,原告の指摘に係る「洗浄布の押し付け手段」の具体的構成の差異,当該構成に基づく作用効果の差異等は,いずれも共通点イに係る審決の認定の当否とは関係がない。また,審決は,「洗浄布の押し付け手段」における具体的構成について相違点として認定している。

(2)  審決は,本願発明の「パッドで押し付けた洗浄布のシリンダ表面との接触面をストライプとして洗浄布送り方向の前記ストライプ巾に相当するニップ幅」と引用発明の「回転体(4)(シリンダ)の外周面に面接触するように押しつけられるように2点の支点(8),(9)間に張設された洗浄布(7)の送り方向幅」が「洗浄布の送りが停止しているときの洗浄布の押し付け手段で押し付けられた洗浄布のシリンダ表面との接触面(部分)の布送り方向幅」であるか否かを論じたものであって,「ニップ幅」であるか否かを論じたものではない。原告の主張は,審決を正解しないものであり,失当である。

(3)  審決は,1回の洗浄布の送り長さが,洗浄布の送りが停止しているときの「洗浄布の押し付け手段」で押し付けられた洗浄布のシリンダ表面との接触面(部分)の布送り方向幅よりも短くしているか否かを問題にしているのであって,洗浄布の送りが停止しているときの「洗浄布の押し付け手段」がパッドであるか否かを問題にしているのではない。原告の主張は,審決を正解しないものであり,失当である。

なお,引用例(5頁左下欄3行~7行)には,洗浄布の1回の送り長さを長くすることは経済的でなく,これを一定にすることが好ましいことが記載されているから,引用発明における「ほぼ5mm」は経済的な長さであることがうかがえる。そして,印刷装置で用いられるブランケット胴,圧胴等の回転体は,通常,5mmより大きい半径を有しているところ,洗浄布の1回の送り長さが,洗浄布の送りが停止しているときの洗浄布の回転体との接触面(部分)の長さより長ければ,経済的に無駄になることは明らかである。そうすると,引用発明では,経済的な送り長さとなるように,洗浄布の回転体との接触面(部分)の長さより短い,「ほぼ5mm」に設定しているということができ,洗浄布の送りが停止しているときの「洗浄布の押し付け手段」で押し付けられた洗浄布のシリンダ表面との接触面(部分)を1回の洗浄布の送り長さに関係付けているといえる。

2  取消事由2(相違点に係る容易想到性の判断の誤り)について

引用発明のシリンダ洗浄制御方法は,前記1(3)のとおり,1回の洗浄布の送り長さが,洗浄布の送りが停止しているときの「洗浄布の押し付け手段」で押し付けられた洗浄布のシリンダ表面との接触面(部分)の布送り方向幅よりも短くした洗浄方法である。

そして,シリンダを洗浄布を用いて洗浄する際に,「洗浄布の押し付け手段」をパッドとすることは,甲4ないし6にみられるように周知であるから,引用発明において,「洗浄布の押し付け手段」として,2点の支点(8),(9)に代えて,パッドを採用することは周知技術の転用にすぎず,当業者が容易に想到できることであり,阻害要因も存在しない。

また,本願発明のシリンダ洗浄制御方法が従来の「布送り量はほぼストライプ巾と同じ送り量に設定された布送りで布の汚れていない新しい部分をシリンダに当接する」シリンダ洗浄制御方法に比べて,洗浄布の効果的な使用が可能になり,洗浄布の使用量が低減できるという作用効果は,その構成から当業者が十分予測し得るものであって,格別なものではない。

第5当裁判所の判断

1  取消事由1(一致点・相違点の認定の誤り)について

当裁判所は,以下のとおり,審決には,本願発明と引用発明との対比の認定に誤りはなく,一致点・相違点の認定にも誤りはないと判断する。

(1)  共通点イに係る認定の誤りについて

原告は,共通点イに係る審決の認定は誤りであると主張する。しかし,以下のとおり,原告の上記主張は失当である。

ア 本願の請求項1は前記第2,2のとおりであり,これには,「・・・洗浄布をパッドによりシリンダ外周に押し付けて・・・」との記載がある。

また,本願明細書(甲1,15,17及び2)の発明の詳細な説明には,「図3に洗浄装置のパッドがシリンダに接触している状態を示す。シリンダ1に対峙して配置されるシリンダ洗浄装置2は洗浄布供給体としての洗浄布ロール3から所定幅を間欠的に,または連続的に供給される洗浄布4を洗浄布押圧体(プレッシャパッド)5によってシリンダ外周面に押し付けて洗浄し,その洗浄布を洗浄布巻取軸6で巻取る。」(甲17,4枚目1行~5行)との記載があり,また,本願明細書の図3には,パッド5が洗浄布4をその背面から押圧してシリンダ1の外周に押し付けている状態が示されている。

本願明細書の上記各記載によれば,本願発明の「パッド」は,洗浄布をその背面から押圧して,パッドの幅をもって洗浄布をシリンダ外周面に押し付ける手段であると認めることができる。

イ 引用例(甲3)には,次の記載がある。

すなわち,「印刷にあずかるブランケット胴,圧胴,インキ供給ローラー等の回転体の外周面に面接触するように押しつけられるように2点の支点間に張設された洗浄布と,・・・・ブランケット胴等の回転体の洗浄装置。」(1頁左下欄5行~13行),「ブラケット(16)がブランケット胴等の回転体(4)に近づいて,支点(8),(9)間に張られた洗浄布(7)を回転体(4)の外周面に押しつける。」(6頁左上欄2行~4行),「本発明は上記のように,2点の支点(8),(9)間に張設された洗浄布(7)に洗浄液を含ませて印刷にあずかるブランケット胴,圧胴,インキ供給ローラー等の回転体(4)の外周面に押しつけ,・・・」(6頁右上欄14行~17行)と,それぞれ記載され,また,第4図,第11図(a)ないし(d)及び第13図(a)ないし(c)には,支点(8),(9)間に洗浄布(7)を張設して回転体(4)の外周面に押し付けている状態が示されている。

引用例の上記各記載によれば,引用発明において,2点の支点(8),(9)は,洗浄布(7)を張設し,これら支点間の幅をもって洗浄布を回転体(4)の外周面に押し付ける手段であると認められる。

ウ 本願発明における「パッド」と引用発明における「2点の支点(8),(9)」とは,洗浄布を押し付ける方法や洗浄布を押し付ける幅において,具体的構成上の相違が存在する。しかし,上記の相違点は,「洗浄布の押し付け手段」が「パッド」であるか「2点の支点(8),(9)」であるかという,「洗浄布の押し付け手段」の具体的な構成の相違又は当該構成によりもたらされる機能の相違であり,両者が,洗浄布をシリンダ(回転体)の外周面に押し付けるものであるという点で共通することを否定する理由とはならない。

また,審決は,「パッド」と「2点の支点(8),(9)」の具体的な構成の相違について,「相違点」として認定した上,その容易想到性について判断しているので,両者の具体的な構成や当該構成に基づく機能における相違点を看過した違法はない。

(2)  共通点エに係る認定の誤りについて

原告は,洗浄布の背面をパッド等で押したときに,その押された部分がシリンダ外周面に接している幅が「ニップ幅」であると解釈した上,引用発明は洗浄布の背面を押すパッド等が存在せず,押し付け手段による洗浄布の「接触幅」は「ニップ幅」に該当しないから,共通点エに係る審決の認定は誤りであると主張する。しかし,以下のとおり,原告の上記主張は失当である。

ア 本願の請求項1の「・・・前記パッドで押し付けた洗浄布のシリンダ表面との接触面をストライプとして,1回の洗浄布の送り長さが洗浄布送り方向の前記ストライプ巾に相当するニップ幅よりも短くした・・・」との記載によれば,本願発明にいう「ニップ幅」は,シリンダ表面に押し付けられた状態にある洗浄布の接触面における,布送り方向の幅を意味することが理解できる。したがって,本願発明の「パッドで押し付けたときのニップ幅」と,引用発明の「回転体(4)(シリンダ)の外周面に面接触するように押しつけられるように2点の支点(8),(9)間に張設された洗浄布(7)の送り方向幅」とは,パッドの有無において相違するものの,シリンダ表面に押し付けられた状態にある洗浄布の接触面における,布送り方向の幅であるという点において,共通するということができる。

イ また,引用発明のような,洗浄布を間欠的に供給して回転体(シリンダ)の外周面を洗浄する方法では,洗浄するために洗浄布を回転体(シリンダ)外周面に押し付けた状態では,洗浄布の送りは停止されていると解されるから,本願発明の「パッドで押し付けたときのニップ幅」と,引用発明の「回転体(4)(シリンダ)の外周面に面接触するように押しつけられるように2点の支点(8),(9)間に張設された洗浄布(7)の送り方向幅」とは,いずれも,洗浄布の送りが停止しているときの「洗浄布の押し付け手段」で押し付けられた洗浄布のシリンダ表面との接触面の布送り方向幅であるという点においても,共通するということができる。

なお,審決は,「洗浄布の押し付け手段」がパッドであるか否かを「相違点」として認定した上,その容易想到性を判断しているのであるから,引用発明がパッドを備えていないことをもって,相違点を看過した違法ということもできない。

(3)  共通点オに係る認定の誤りについて

原告は,共通点オに係る審決の認定は誤りであると主張する。しかし,以下のとおり,原告の上記主張は失当である。

ア 引用例(甲3)には,次の記載がある。

すなわち,「巻取りロール(14)に巻取られる洗浄布(7)の半径が増大するに従い,クランクアーム(97)の回転角が一定であると,洗浄布の1回の送り長さが長くなり,経済的でない。」(5頁左下欄3行~6行),「洗浄布(7)はピストンロッド(102)の1往復につき,ほゞ5mm程度の長さで順次間欠的に送られ,その送られた布に噴射孔(10)から洗浄液が噴射されて,ブランケット胴等の回転体(4)を洗浄する。この洗浄が10回程繰り返えされたのち,洗浄液の噴射を停止して,洗浄布(7)をほゞ10回程送って被洗浄面上の洗浄液をふき取る。この間回転体(4)はほゞ1時間当り6000~7000回回転している。」(6頁右上欄4行~12行)と記載され,また,第4図,第11図(a)ないし(d),第13図(a)ないし(c)には,それぞれ回転体の洗浄装置を側面視した構造が示されており,2点の支点(8),(9)に張設された洗浄布(7)が回転体(4)の表面に押し付けられ,この洗浄布(7)の布送り方向の幅が回転体(4)の半径より大きいことが看取できる。

上記各記載によれば,引用例には,洗浄布(7)をほぼ5mm程度の長さで順次間欠的に送ること,回転体(4)の半径が5mmより大きいこと,2点の支点(8),(9)に張設された洗浄布(7)の回転体(4)の表面に押圧された送り方向の幅が回転体(4)の半径より大きいこと,が示され,また,洗浄布(7)の1回の送り長さが長くなると経済的でないとの技術思想が開示されていると認められる。

そして,弁論の全趣旨によれば,本願の出願前,印刷装置で用いられるブランケット胴,圧胴等の回転体は,通常,5mmより大きい半径を有していたことが認められ,また,少ない洗浄布の使用量で洗浄するために,1回の洗浄布の送り長さを,洗浄布のシリンダ表面との接触面(部分)の布送り方向幅よりも短くすることは,常識的な事項にすぎないということができる。

以上のとおり,引用発明では,少ない洗浄布の使用量で洗浄するために,1回の洗浄布の送り長さが,洗浄布の送りが停止しているときの「洗浄布の押し付け手段」で押し付けられた洗浄布のシリンダ表面との接触面(部分)の布送り方向幅よりも短くされている,と解するのが相当である(なお,原告は,引用発明では,常識的に,洗浄布のシリンダ表面との接触面(部分)の布送り方向幅よりも短い1回の洗浄布の送り長さになっているにすぎないと主張していることに照らすならば,そもそも,1回の洗浄布の送り長さを,洗浄布のシリンダ表面との接触面(部分)の布送り方向幅よりも短くする技術が周知であることについては争いがない。)。

イ 他方,本願発明の「ニップ幅」は,洗浄布の送りが停止しているときの押し付け手段で押し付けられた洗浄布のシリンダ表面との接触面(部分)の布送り方向幅であるから,本願発明は,引用発明と同じく,間欠送りされる1回の洗浄布の送り長さが,洗浄布の送りが停止しているときの「洗浄布の押し付け手段」で押し付けられた洗浄布のシリンダ表面との接触面(部分)の布送り方向幅よりも短く設定されているということができる。

ウ 上記のとおり,本願発明と引用発明とは,1回の洗浄布の送り長さが,洗浄布の送りが停止しているときの「洗浄布の押し付け手段」で押し付けられた洗浄布のシリンダ表面との接触面(部分)の布送り方向幅よりも短くした点で共通する。

原告は,「ニップ」と布送り長さとの関係付けを問題にするが,洗浄布をパッドにより押し付けるか,洗浄布を2点の支点間に張設して押し付けるかという,「洗浄布の押し付け手段」としての具体的な構造の相違に由来する相違を指摘するものであって,審決を正解せずにこれを論難するものであり,採用することができない。

2  取消事由2(相違点の容易想到性の判断の誤り)について

原告は,審決がした相違点の容易想到性の判断に誤りがあると主張する。しかし,以下のとおり,原告の上記主張は失当である。

(1)  前記1のとおり,審決における一致点・相違点の各認定に誤りはなく,本願発明と引用発明とが,シリンダ洗浄装置におけるシリンダの表面を洗浄布によって洗浄するための技術である点で共通する。

そして,甲4ないし6及び弁論の全趣旨によれば,シリンダ洗浄装置の技術分野において,シリンダ外周面にパッドにより洗浄布を押し付けて洗浄する方法は,本願の出願前から,通常の方法として使用されていたものであり,周知技術であったことが認められる(原告も,パッド方式が周知であることを認めている。)。

そうすると,引用発明において,「洗浄布の押し付け手段」として,シリンダ外周に洗浄布を押し付ける手段として周知であったパッドを適用することは,当業者が容易に想到することができたと認めるのが相当である。これと同旨の審決の判断に誤りはない。なお,原告は,本願発明に対応する発明について,米国,欧州,中国,韓国において特許が付与されたことを主張するが,当該事実によって,我が国における本願発明の容易想到性の判断が左右されるものではない。

(2)  原告の主張に対し

ア 阻害要因に係る原告の主張に対し

原告は,引用発明が,パッド(押圧部材)を用いた押し付け手段を具備する従来の洗浄装置における課題を解決するため,パッド(押圧部材)に替えて,2点の支点間に洗浄布を張設したものであって,引用発明を,パッド(押圧部材)を用いた洗浄装置における課題解決に転用することには,これを阻害する要因があると主張する。しかし,以下のとおり,原告の上記主張は失当である。

前記1(3)において検討したとおり,引用発明は,洗浄布の1回の送り長さが長くなると経済的でないという思想から,1回の洗浄布の送り長さを,洗浄布のシリンダ表面との接触面(部分)の布送り方向幅よりも短くすることにより,少ない洗浄布の使用量で洗浄するという発明であるということができる。

確かに,引用例には,パッド(押圧部材)を用いた押し付け手段を具備する従来の洗浄装置における「単位時間当りの洗浄能力が劣り,そのために1回の洗浄時間が長くかつ洗浄布の使用量が多く,また構造も複雑である」という課題を解決するため,2点の支点(8),(9)間に張設された洗浄布(7)を洗浄液を含ませて回転体(4)の外周面に広い面積で押しつけることで,単位時間当たりの洗浄能力を向上させ,短い洗浄時間でかつ少ない洗浄布の使用量で洗浄することができるようにしたことも記載されている(甲3,2頁右上欄19行~左下欄19行,6頁右上欄13行~左下欄3行)。

しかし,1回の洗浄布の送り長さを,洗浄布のシリンダ表面との接触面(部分)の布送り方向幅よりも短くすることは,単にシリンダ洗浄装置をどのように用いるか(制御するか)という問題にすぎず,シリンダ洗浄装置をどのように構成するか,その「洗浄布の押し付け手段」として何を採用するかによって左右されるものではない。すなわち,原告が指摘する点は,1回の洗浄布の送り長さを,洗浄布のシリンダ表面との接触面(部分)の布送り方向幅よりも短くするという課題の解決手段に係るものではないから,引用発明において,「洗浄布の押し付け手段」として,シリンダ外周に洗浄布を押し付ける手段として周知であったパッドを適用することを阻害する要因とはいえない。

また,原告は,引用発明において,2点の支点(8),(9)に代えてパッドを用い,パッドの押し付け圧力によってシリンダ外周面との間に形成されるニップ幅に着目した洗浄布の1回の布送り量制御を実施する洗浄方法を採用することは,困難であると主張する。

しかし,上記のとおり,1回の洗浄布の送り長さを,洗浄布のシリンダ表面との接触面(部分)の布送り方向幅よりも短くすることは,「洗浄布の押し付け手段」として,「2点の支点(8),(9)」を用いるか,「パッド」を用いるかによって左右されるものでなく,また,ニップ幅に着目するか否かによって左右されるものでもない。

イ 格別の作用効果に係る原告の主張に対し

原告は,本願発明によれば,洗浄布の送りの型式を適切に設定することにより,洗浄布の効果的な使用が可能になり,洗浄布の使用量が低減できるという格別な作用効果を奏するものであると主張する。

しかし,引用例の記載から,洗浄布がシリンダ外周に押し付けられる送り方向の幅より1回の布送り長さが長くなると,洗浄布の無駄が生じて経済的でないこと,1回の布送り長さを洗浄布送り方向幅より短くすれば洗浄布の使用量が低減できることは明らかであり,原告の主張に係る本願発明の作用効果が格別のものということはできない。

3  結論

上記検討したところによれば,原告主張の取消事由はいずれも理由がなく,その他,原告は縷々主張するが,いずれも理由がない。また,審決に,これを取り消すべきそのほかの誤りがあるとも認められない。

よって,原告の本訴請求は理由がないから,これを棄却することとし,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 飯村敏明 裁判官 大鷹一郎 裁判官 嶋末和秀)

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